上田 恒次(うえだ つねじ、1914年 - 1987年)は、… 上田 恒次(うえだ つねじ、1914年 - 1987年)は、日本の陶芸家。日本民芸館新作展委員。 1914年、京都で呉服商「松屋」に次男として生まれる。富本憲吉の『窯遍雑記』(文化生活研究会、1925年)を読み陶芸家を志す。 1927年(昭和2年)、京都市立第二工業学校陶磁器科に入学する。1931年(昭和6年)、同校を卒業。以後、河井寛次郎、柳宗悦、浜田庄司、富本憲吉に師事する。1937年(昭和12年)、木野皿山窯を開く。1955年(昭和30年)、河井寛次郎の助手を務め、技法を次ぐことを許される。1962年(昭和37年)、日本橋三越本店美術部で個展を開催する。以降各地で開催。1963年(昭和38年)、東京国立近代美術館主催「現代国際陶芸展」に招待出品する。
浅蔵 五十吉(あさくら いそきち、1913年2月26日 - … 浅蔵 五十吉(あさくら いそきち、1913年2月26日 - 1998年4月9日)は、日本の陶芸家である。浅蔵五十吉の二代目、本名は与作(よさく)。 石川県能美郡寺井町(現能美市)生まれ。初代徳田八十吉、北出塔次郎等に師事。 1981年(昭和56年)、日本芸術院賞受賞。1984年(昭和59年)に日本芸術院会員、1992年(平成4年)に文化功労者、1996年(平成8年)に九谷焼作家として初めてとなる文化勲章を受章した。 1993年(平成5年)、故郷の寺井町に「浅蔵五十吉美術館」が開館した。設計は池原義郎。 1998年(平成10年)4月9日、呼吸不全のため金沢大学医学部付属病院で死去。享年85。1999年(平成11年)には後継者が三代目を襲名した。
三輪 壽雪(みわ じゅせつ、1910年(明治43年)2月4日… 三輪 壽雪(みわ じゅせつ、1910年(明治43年)2月4日 - 2012年(平成24年)12月11日)は、日本の陶芸家。第11代三輪休雪。1983年に人間国宝に認定された。位階は従五位。本名は節夫。 山口県萩市出身。代々萩焼を家業とし、旧萩藩御用窯であった三輪窯の九代休雪・三輪雪堂の三男として誕生する。1927年旧制萩中学校卒業後、兄である十代休雪(隠居後は休和)を助けながら伝統技法を学んだ。1941年に三重県津市に工房を構えていた川喜田半泥子に師事し、茶陶の制作技法を身につける。独立までの約30年間ひたすら修練に打ち込み、召集令が出された1944年以外は作陶の手を休める事はなかった。 1955年に雅号を「休」と称し作家活動を開始。
合田 好道(ごうだ よしみち、別呼称・こうどう、1910年〈… 合田 好道(ごうだ よしみち、別呼称・こうどう、1910年〈明治43年〉 - 2000年〈平成12年〉2月6日)は、日本の画家・陶芸家。 益子焼の窯元や陶芸家志望の若者たちを指導し、「民芸の町・益子」「陶芸の町・益子」を作り上げた、戦後の益子の歴史における象徴的な人物の一人であり、「益子のお目付役」と呼ばれ、濱田庄司を益子焼の中興の祖とするならば、同じ益子焼の陶芸家であった島岡達三から「濱田の精神の伝導者」と呼ばれ、益子の陶芸家たちへの思想的影響力が強かった人物である。 1910年(明治43年)、香川県三豊郡豊濱町(現・観音寺市)に、味噌醤油醸造業であった父・合田辧治、母・まつの4人兄弟の次男として生まれる。
山本陶秀(やまもと とうしゅう、1906年(明治39年)4月… 山本陶秀(やまもと とうしゅう、1906年(明治39年)4月24日 - 1994年(平成6年)4月22日)は、陶芸家。岡山県出身。人間国宝
浅見 隆三(あさみ りゅうぞう、1904年9月26日 - 1… 浅見 隆三(あさみ りゅうぞう、1904年9月26日 - 1987年7月23日)は、日本の陶芸家。日展参事。中国宋代の青白磁を基調に現代的感覚を加えた作風で知られた。第9回日展出品作「暢」により日本芸術院賞を受賞した。 京都市東山に、三代浅見五良助の次男として生まれる。本名は柳三。1923年に京都市立美術工芸学校図案科を卒業し、翌年関西美術院で洋画を学んだ。陶技は主として祖父の二代五良助に学び、1929年の第10回帝展で「三葉紋花瓶」が初入選した。 戦後は1945年から象嵌の手法を主体とした作品を制作し、1947年の第2回日展「象嵌 干柿の図皿」で特選、1951年の第7回日展「鶏頭ノ図花瓶」で再び特選を受け、翌年無鑑査となった。
高橋 一智(たかはし かずとも、1904年(明治37年) -… 高橋 一智(たかはし かずとも、1904年(明治37年) - 1983年(昭和58年))は、日本の陶芸家。弘前中学時代から絵画、彫刻に取り組んでいたが、バーナード・リーチの作品に感銘を受けて陶芸の道へ。帰郷後は、故郷の素材による陶芸の道を歩み、土探しに心血を注いだ。また、こぎん刺しの図案を収集し、その研究も行った。
鈴木 清(すずき きよし、1903年9月12日 - 1967… 鈴木 清(すずき きよし、1903年9月12日 - 1967年10月6日)は、日本の陶芸家。同じく陶芸家の鈴木卓司は次男。 京都府京都市東山区に生まれる。京都市立第二工業学校卒業。人間国宝であった富本憲吉に師事。1939年、国画会賞を受賞。1941年、第4回新文展に「茄子の図大鉢」を出品して特選を受賞。1942年、国画会会員となる。1947年、新匠美術工芸会立ち上げに参画。1957年、日本工芸会正会員となる。1967年10月6日、狭心症のため京都市内の病院で死去。
中村翠恒(なかむら・すいこう、1903年4月3日ー1985年… 中村翠恒(なかむら・すいこう、1903年4月3日ー1985年9月8日)は昭和期の九谷焼の陶芸家。日展参与。元石川県陶芸協会会長。石川県指定無形文化財九谷焼技術保存会初代会長。戦前から帝展、新文展で活躍する。 明治36年生まれ。石川県加賀市出身。名工初代 中村秋塘の次男。本名は恒。 大正13年石川県立工業学校卒業。京都国立陶磁研究所に進み、安達陶仙、二代伊東陶山、河村蜻山、板谷波山らに師事する。 三代 秋塘を襲名。のち甥に譲り以降翠恒を名乗る。昭和60年9月8日老衰により石川県立中央病院にて死去。享年82歳。 昭和3年に第9回帝展において「彩釉彫牡丹文壷」が初入選。戦前は「秋塘」の名で出品している。
伊勢崎 陽山(いせざき ようざん、1902年11月21日 -… 伊勢崎 陽山(いせざき ようざん、1902年11月21日 - 1961年)は、陶芸家。備前焼で岡山県重要無形文化財保持者。岡山県和気郡伊部(現:備前市伊部)出身。 沼田一雅に師事。陶彫、細工物に優れた。姑耶山中の古窯を調査し復元。 など陶像の大作を製作。 花器、宝瓶、香炉にも秀作が多い。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
舩木 道忠(ふなき みちただ、1900年(明治33年)5月1… 舩木 道忠(ふなき みちただ、1900年(明治33年)5月18日 - 1963年(昭和38年)1月22日)は、日本の島根県の陶芸家である。 布志名焼舩木窯4代目。島根県無形文化財志布名焼技術保持者。 1900年(明治33年)5月18日、島根県八束郡湯町村志布名(現・松江市玉湯町布志名)の、江戸時代中期に出雲国松江藩藩主・松平不味に命ぜられ「出雲焼」の窯元を開いた「灘舩木」の屋号を持つ布志名焼の舩木平兵衛窯を営む家に、3代目の次男として生まれた。 画家を志して東京美術学校で洋画を学んだが、卒業後は帰郷して作陶活動を開始し家業を継いで布志名舩木窯4代目となった。 舩木窯は、明治、大正時代を通じて美術工芸品を制作し、フランスのリモージュ磁器やアメリカの陶器メーカー「ルックウッド」など、海外の窯元と技術的に競い合っていた。
小山 富士夫(こやま ふじお、1900年3月24日 - 19… 小山 富士夫(こやま ふじお、1900年3月24日 - 1975年10月7日)は、日本の陶磁器研究者・陶芸家で、中国陶磁器研究の大家。
加藤 土師萌(かとう はじめ、1900年3月7日 - 196… 加藤 土師萌(かとう はじめ、1900年3月7日 - 1968年9月25日)は日本の陶芸家。本名は一(はじめ)。1961年に人間国宝に認定された。東洋の陶磁器に対して高い見識を持つ。教え子に鳴海要などがいる。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
藤原 啓(ふじわら けい、1899年2月28日 - 1983… 藤原 啓(ふじわら けい、1899年2月28日 - 1983年11月12日)は、日本の陶芸家。本名は敬二。同じく陶芸家の藤原雄は長男、藤原敬介は次男。岡山県名誉県民。1970年に人間国宝に認定。 岡山県備前市穂浪(当時の和気郡伊里村穂浪)出身。農業藤原伊三郎、世為の三男として生まれる。 少年期から俳句や小説の才能を発揮しており、1915年に博文館が手がける『文章世界』に応募した短編が1等を獲得する。これを機に1919年に上京し博文館編集部に勤務、『文章世界』の編集を担当する。同郷の正宗白鳥、徳富蘆花の影響を強く受け詩の執筆も始める。そのかたわら早稲田大学英文科の聴講生となり、ロシア・ドイツ文学やシェイクスピアを学ぶが1年あまりで中退。
山田 喆(やまだ てつ、本名:山田 徹秀、1898年9月10… 山田 喆(やまだ てつ、本名:山田 徹秀、1898年9月10日 - 1971年5月3日)は、新潟県三条市生まれの日本の陶芸家である。前衛陶芸団体走泥社の創始者の一人、山田光は息子にあたる。 僧侶から陶芸家を志し中国宋窯を研究した。1947年、富本憲吉らと新匠美術工芸会を設立した。1963年、芸術選奨を受賞した。また書、篆刻、俳句を能くした。著書に句文集「風塵集」「陶房閑話」などがある。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術)。
宮之原 謙(みやのはら けん、1898年(明治31年)2月9… 宮之原 謙(みやのはら けん、1898年(明治31年)2月9日 - 1977年(昭和52年)8月23日)は日本の陶芸家。日展理事・参与、光風会理事などを歴任。東京教育大学窯業科講師を務めた。 1898年(明治31年)鹿児島市鷹師町生まれ。麹町小学校、旧制麻布中学校卒業。早稲田大学建築科中退。1924年(大正13年)頃に川端画学校へ通い、山之内高門に日本画、宮川香山に陶芸を学んだ。また、板谷波山にも師事し、1927年(昭和2年)「東陶会」創立に参加。1929年(昭和4年)第10回帝展に「鉄砂釉竹又陶製花器」で初入選し、岡倉由三郎にインド哲学を学ぶ。1931年(昭和6年)第12回帝展に壁面照明「銀河」、翌年の第13回には釉薬象嵌「十字文花瓶」で連続して特選を受賞し、1933年(昭和8年)帝展無鑑査となった。
豊田 勝秋(とよだ かつあき 1897年9月24日 - 19… 豊田 勝秋(とよだ かつあき 1897年9月24日 - 1972年4月22日)は日本の工芸家、陶芸家、教育者。鋳造、金工の分野で足跡を残した。 1897年(明治30年)9月、福岡県久留米市に生まれる。1915年(大正4年)、福岡県立明善中学校を卒業し、東京美術学校鋳造科入学。1920年(大正9年)に卒業後、研究科に進む。研究科を修了後は、東京高等工芸学校金属工芸科の嘱託となり、1924年(大正13年)、同校助教授となる。 1927年(昭和2年)、帝展に出品して入選。1933年(昭和8年)、帝展に出品した「鋳銅広間用四方花さし」が特選となる。1938年(昭和13年)、東京高等工芸学校教授に就任。1942年(昭和17年)、活動拠点を故郷である久留米市に移す。
加藤 唐九郎(かとう とうくろう、1897年(明治30年)7… 加藤 唐九郎(かとう とうくろう、1897年(明治30年)7月19日(※戸籍上は1898年(明治31年)1月17日) - 1985年(昭和60年)12月24日)は、日本の陶芸家、陶磁史研究家。愛知県東春日井郡水野村(現・瀬戸市水北町)出身。桃山時代の陶芸の研究と再現に努めたが、1960年に永仁の壺事件で古瀬戸の大規模な贋作を行っていたことが発覚し、批判を受ける。事件後は公職を辞任し、作陶に専念した。建築物と陶磁器の組み合わせ陶壁を創出、陶壁は唐九郎による造語である。 一ム歳、一ム、野陶、ヤト、陶玄、玄などの号も用いる。 子息の岡部嶺男(長男)、加藤重高(三男)と孫の加藤高宏も同じく陶芸家である。
今西 洋(いまにし ひろし、1897年5月25日 - 195… 今西 洋(いまにし ひろし、1897年5月25日 - 1957年1月9日)は日本の陶芸家。国画会会員。本名:今西末太郎 1897年、奈良県丹波市町(現在の天理市)の茶貿易商今西安太郎の次男として生まれる。 1915年、奈良県立旧制郡山中学(現在の郡山高校)を卒業。在学中より親交のあった大和・安堵村の富本憲吉のもとで教えを受け作陶をはじめる。 その後、長崎県波佐見中尾山に仕事場を構え、九州伊万里ほか全国地名の窯場を遍歴し古陶磁器文様の研究を行い、更に、朝鮮・満州・中国各地の窯場を視察し、独自の作風を打ち立てる。特に古窯からの「くらはんか」系の破片研究に努め、柳宗悦に”今の所今西君ほど實物を澤山見てゐる人は他にないと思ふ。
金重 陶陽(かねしげ とうよう、1896年(明治29年)1月… 金重 陶陽(かねしげ とうよう、1896年(明治29年)1月3日 - 1967年(昭和42年)11月6日)は、岡山県出身の陶芸家。備前焼の名門である金重家に生まれ、備前の陶工として初めて人間国宝となった。本名は金重 勇(かねしげ いさむ)。 江戸時代中期以降伊万里焼や九谷焼などに押されて人気を失っていた備前焼を再興させることに成功し「備前焼中興の祖」と称される。自らが優れた陶工であっただけでなく、多くの弟子を育て、その中から次々と人間国宝を輩出するなど備前焼の歴史上果たした功績は計り知れない。陶陽の弟の金重素山、長男の金重道明、三男の金重晃介もそれぞれ陶芸家である。また、漂泊の日本画家の杉本白象は、自らを「金重陶陽の従兄にあたる」と、昭和42年にパトロンに送った作品に付けた手紙に記している。
三輪 休和(みわ きゅうわ、1895年4月20日 - 198… 三輪 休和(みわ きゅうわ、1895年4月20日 - 1981年10月24日)は、日本の陶芸家。第十代三輪休雪。1970年に人間国宝に認定。本名は邦広。 1895年(明治28年)山口県萩市の旧萩藩御用窯三輪家の9代雪堂の次男として生まれる。1908年(明治41年)、明倫館の流れを汲む萩中学校に入学し、優秀な成績で2年に進むが、祖父雪山の「職人に学問は要らぬ」という説得により、同校を2年で退学、作陶を父の九代雪堂に学び、家業に従事する。また、祖父の勧めから江戸千家流の阿部直彦について茶道を学び、また宝生流の渡辺蒿蔵に謡曲を習うなど、諸芸の修業を積んだ。1937年(昭和2年)三輪窯を継承して10代休雪を襲名した。
中里 無庵(なかざと むあん、1895年(明治28年)4月1… 中里 無庵(なかざと むあん、1895年(明治28年)4月11日 - 1985年(昭和60年)1月5日) は、陶芸家。唐津焼の重要無形文化財保持者(人間国宝)。12代中里太郎右衛門。本名は中里重雄。
濱田 庄司(はまだ しょうじ、1894年(明治27年)12月… 濱田 庄司(はまだ しょうじ、1894年(明治27年)12月9日 - 1978年(昭和53年)1月5日、本名象二)は、主に昭和に活躍した日本の陶芸家。次男の濱田晋作、三男の濱田篤哉、孫(晋作の次男)の濱田友緒はいずれも陶芸家。
濱田 庄司(はまだ しょうじ、1894年〈明治27年〉12月… 濱田 庄司(はまだ しょうじ、1894年〈明治27年〉12月9日 - 1978年〈昭和53年〉1月5日、本名象二)は、主に昭和時代に活躍した日本の陶芸家。民藝運動の中心的な活動家の一人であり、栃木県益子町に定住し、益子焼の中興の祖となった。 長男の濱田琉司は毎日新聞社記者。次男の濱田晋作、三男の濱田篤哉、孫(晋作の次男)の濱田友緒はいずれも陶芸家、四男の濱田能生は硝子工芸家。 神奈川県橘樹郡高津村(現・川崎市高津区溝ノ口)で、濱田久三の子として、母の実家である太田医院で生まれる。東京府立一中(現・東京都立日比谷高等学校)を経て、1913年(大正2年)、東京高等工業学校(後の東京工業大学)窯業科に入学、板谷波山に師事し、窯業の基礎科学面を学ぶ。
荒川 豊藏(あらかわ とよぞう、1894年3月21日 - 1… 荒川 豊藏(あらかわ とよぞう、1894年3月21日 - 1985年8月11日)は、昭和を代表する美濃焼の陶芸家。岐阜県多治見市出身。桃山時代の志野に陶芸の原点を求め、古志野の筍絵陶片を発見した可児市久々利にある牟田洞古窯跡のある大萱に桃山時代の古窯を模した半地上式穴窯を築き、古志野の再現を目指して作陶を重ねた。終には「荒川志野」と呼ばれる独自の境地を確立した。'''斗出庵'''、'''無田陶人'''と号す。 豊蔵が古志野筍絵陶片を発見した当時多治見陶磁試験場に勤務していた土師萌は、豊蔵が古志野の破片を発掘した話を聞いて、豊蔵の投宿先に破片を見に来る。また、1924年(大正13年)、豊蔵と共に久尻清安寺境内の古窯跡を発掘。
大森光彦(おおもりみつひこ、1892年〈明治25年〉6月13… 大森光彦(おおもりみつひこ、1892年〈明治25年〉6月13日 - 1954年〈昭和29年〉5月19日)は、日本の陶芸家。長野県上伊那郡朝日村(現辰野町)出身。愛知県立瀬戸窯業学校(現愛知県立瀬戸窯業高等学校)卒業。 長野県庁に勤務する傍ら善光寺焼を手伝う。上京し川崎市で働いた後、1924年(大正13年)東京府中野町に東野窯を開き陶磁器制作に専念し、松屋銀座や日本橋白木屋で個展を開く。1933年からは日本美術協会の審査員。その後東京工芸学校の講師を務め、興亜院、大東亜省、文部省の委嘱で中国大陸に渡った。 真紅の鶏血釉や青磁に傾倒した。 弟子に辻輝子などがいる。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
河井 寛次郎(かわい かんじろう、1890年(明治23年)8… 河井 寛次郎(かわい かんじろう、1890年(明治23年)8月24日 - 1966年(昭和41年)11月18日)は、日本の陶芸家。陶芸のほか、彫刻、デザイン、書、詩、詞、随筆などの分野でも作品を残している。河井 寬次郎とも表記される。 当時の島根県安来町(現在の安来市)の大工の家に生まれる。旧制島根県立松江中学校(現・島根県立松江北高等学校)を経て1910年、東京高等工業学校(現東京科学大学)窯業科へ入学する。寛次郎には師と仰ぐ者がなく、師弟関係を重んじる陶工の世界にあって、学校という教育機関にて指導を受けた新しい世代の陶工となる。東京高等工業学校では、陶芸家の板谷波山の指導を受けたほか、窯業の科学的研究を行った。
富本 憲吉(とみもと けんきち、1886年(明治19年)6月… 富本 憲吉(とみもと けんきち、1886年(明治19年)6月5日 - 1963年(昭和38年)6月8日)は、日本の陶芸家。人間国宝、文化勲章受章者。尾竹紅吉は妻。映画監督・テレビ演出者の富本壮吉は長男。 大阪府平群郡安堵村(現・奈良県生駒郡安堵町)の大地主の家に生まれ、幼少より絵を学ぶ。東京美術学校図案科に入学して建築、室内装飾を専攻。在学中にウィリアム・モリスの工芸思想に影響され1908年(明治41年)、卒業前にロンドンへ私費留学(留学中に卒業)。ヴィクトリア&アルバート美術館に日参し、アーツ・アンド・クラフツの作品にふれる。ロンドンで建築家・新家孝正と出会い、写真助手としてインドを巡る。実家から帰国命令が届いたため1910年(明治43年)帰国。
川喜田 半泥子(かわきた はんでいし、1878年(明治11年… 川喜田 半泥子(かわきた はんでいし、1878年(明治11年)11月6日 - 1963年(昭和38年)10月26日)は、日本の陶芸家・実業家・政治家。川喜田久太夫16代目。「東の魯山人、西の半泥子」、「昭和の光悦」などと称される。本名は久太夫政令(きゅうだゆうまさのり)、幼名は「善太郎」。号は「半泥子」の他に、「無茶法師」「其飯(そのまま)」等。実業家としては、河芸銀行、一志銀行、三重共同貯蓄銀行、百五銀行各頭取等を務めた。 大阪市東区本町で生まれ、津市の川喜田家の本宅で育つ。15代続く伊勢の豪商の家に生まれる。裕福な家庭で育ったが、祖父や父は半泥子の生後まもなく他界し、1歳で川喜田家16代当主となり、久太夫(政令)を襲名。
清水 六和(きよみず ろくわ、1875年〈明治8年〉3月6日… 清水 六和(きよみず ろくわ、1875年〈明治8年〉3月6日 - 1959年〈昭和34年〉8月1日)は近代日本の陶芸家。5代目清水六兵衛。日本芸術院会員。 京都府京都市東山区五条坂八幡前に、4代目六兵衛の子として生まれる 。母はキタ 。次男であったが長男が夭逝したため実質的に長男として育つ 。祖父・3代六兵衛の幼名を受け継ぎ栗太郎を称した。1887年、日本画家の幸野楳嶺に師事し、さらに京都府立画学校に学ぶ。1895年に楳嶺が没した後は、谷口香嶠に指導を受けた。 陶法は父に師事。1895年の第4回内国勧業博覧会に花瓶を出品したのが自身初の陶芸作品出品となる。1896年、京都市立陶磁器試験場が設立されると同所で科学的釉薬、製陶法を研究する。
板谷 波山(いたや はざん、1872年4月10日〈明治5年3… 板谷 波山(いたや はざん、1872年4月10日〈明治5年3月3日〉 - 1963年〈昭和38年〉10月10日)は、茨城県出身の、明治後期から昭和中期にかけて活動した日本の陶芸家。本名は板谷 嘉七(いたや かしち)。号は、始め「勤川」、のち「波山」。「勤川」は故郷を流れる五行川の別名「勤行川(ごんぎょうがわ)」に、「波山」は故郷の名山である「筑波山」に因む。 日本の近代陶芸の開拓者であり、陶芸家としては初の文化勲章受章者である。茨城県名誉県民。下館市名誉市民(合併により筑西市への移行に伴い、現在は筑西市名誉市民)。 日本の陶芸は縄文時代からの長い歴史をもつが、「職人」ではない「芸術家」としての「陶芸家」が登場するのは近代になってからであった。
加藤 友太郎(かとう ともたろう、嘉永4年(1851年)9月… 加藤 友太郎(かとう ともたろう、嘉永4年(1851年)9月 - 大正5年(1916年)2月27日)は、明治期の陶芸家。愛知県瀬戸市生まれ。号は陶寿。 瀬戸の陶工加藤与八の次男として生まれる。1874年(明治7年)上京し、東京の陶工の川本富太郎の紹介で、2代目井上良斎の工場に入る。お雇い外国人のゴットフリード・ワグネル博士の元で窯業技術(石膏型)を学び、同博士を師事した。1877年(明治10年)、江戸川製陶所に勤務し、1882年(明治15年)には独立して牛込区新小川町に友玉園を開き、師の教えを踏襲したワグネル式窯を設けた。加藤の作品は美術的と化学的を兼ね、1899年(明治32年)には陶寿紅と呼ばれる下絵付けの赤色の釉薬を開発した。
竹内 吟秋(たけのうち ぎんしゅう、天保2年2月5日(183… 竹内 吟秋(たけのうち ぎんしゅう、天保2年2月5日(1831年3月18日) - 1913年(大正2年)11月2日)は明治時代の陶芸家。通称は直輔、源三郎、諱は知雅、別号は節翁。青年期は武芸に励み、加賀大聖寺藩、石川県に出仕した後、九谷焼作陶に転じ、維新舎主、九谷陶器会社支配人、江沼郡九谷陶器同盟組合頭取、石川県工業学校陶磁科教諭を歴任した。弟浅井一毫も陶芸家。 天保2年(1831年)2月5日大聖寺藩士浅井長右衛門の長男として生まれた。天保9年(1838年)室田某に習字、天保10年(1839年)菅生石部神社大江某に読書を学んだ。 弘化2年(1845年)堀文錦、小島春晁に絵画、弘化3年(1846年)山田十助に真之神道流柔術、七尾篤忠に直心影流剣術を学び、師の没後田中有常に皆伝を受けた。
鯉江 方寿(こいえ ほうじゅ、通称:伊三郎とも、1821年1… 鯉江 方寿(こいえ ほうじゅ、通称:伊三郎とも、1821年12月30日(文政4年12月7日) - 1901年(明治34年)5月12日)は、尾張国知多郡常滑村(現:愛知県常滑市)出身の陶芸家。鯉江小三郎家三代目である。 父の鯉江方救と共に常滑焼の鉄砲窯(大窯)にかわる、真焼間窯を導入した。1835年に真焼間窯を親子で完成させたとされ(後述)、1874年には真焼土管(常滑陶管)の国産化に成功し、常滑焼の基礎を築いたとして名高い。 中国人を招聘、また、常滑焼を代表する朱泥の急須作りを導入し、その他には美術研究所や埋め立て事業(鯉江新開)を行った。 1821年(文政4年)12月7日、尾張国知多郡常滑村に陶芸家の鯉江方救の元に長男として生まれる。
賀集 珉平(かしゅう/かしお みんぺい、1796年2月23日… 賀集 珉平(かしゅう/かしお みんぺい、1796年2月23日(寛政8年1月15日)- 1871年8月27日(明治4年7月12日))は、幕末から明治時代前期の陶芸家である。名は惟一。号は勝瑞。姓は加集とも表記される。 淡路に生まれ、後に上洛して初代尾形周平に師事し陶芸を学ぶ。その後故郷の伊賀野村に周平を招聘し庄屋を開き、黄南京写や京焼風を元に釉薬を発明し新しい作風の陶器を製作した。この焼風は現在の南あわじ市で制作される「淡路焼」と呼ばれ、別名として「珉平焼」と呼ばれる事となった。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
坪井 明日香 は、日本の陶芸家。帝塚山大学名誉教授。
瀧井 與志司(たきい よしじ)は、日本の陶芸家。 大正3年(… 瀧井 與志司(たきい よしじ)は、日本の陶芸家。 大正3年(1914年)奈良県北葛城郡馬見村(現在の広陵町)生まれ。平成23年(2011年)97歳没。 父親の事業の関係で幼少より大阪市内で育つ。教職に就くため池田師範学校(現在の大阪教育大学)に進学。終戦後、新制大阪府立池田高等学校に一期生の数学担当として赴任すると同時に、京都大学大学院で建築学を専攻。大阪教育大学から工芸科に招聘された。 京都陶芸界の若手として活躍し、清水焼6代目清水六兵衛に師事。昭和23年(1948年)に結成された京都陶芸クラブにも入会し、河合誓徳や新開寛山と親交を深め、陶芸教育への知識を深めると共に、自身の作陶にも力を入れた。
伊藤赤水(いとう せきすい)は日本の陶芸家であり、江戸後期か… 伊藤赤水(いとう せきすい)は日本の陶芸家であり、江戸後期から続く無名異焼窯元、赤水窯の代々が襲名する名称。弘化(1844年−1847年)に先祖にあたる伊藤甚兵衛が、佐渡特有の「無名異」と呼ばれる土を作陶に用いたのが無名異焼の創始である。2006年現在、五代伊藤赤水(1941年6月24日 - )が当代であり、2003年に人間国宝に認定されている。 新潟県佐渡郡出身。四代目赤水の長男として生まれた。本名は窯一。1966年に京都工芸繊維大学工芸学部窯業工芸学科を卒業後、三代である祖父に師事し無名異焼の技術を学ぶ。1972年に日本伝統工芸展に入選。以降、日本陶芸展、伝統工芸新作展等に入選。1976年に五代赤水を襲名。
赤沢 修三(あかざわ しゅうぞう)(1897-1976)は、… 赤沢 修三(あかざわ しゅうぞう)(1897-1976)は、日本の京都市生まれの陶芸家。二代赤沢露石とも称する。 1915年(大正4年)先代の父である赤沢華峯の跡を継いで二代目として赤沢露石と称した。陶磁器の制作に従事し、主に煎茶器、香炉、花瓶、茶道具などを製作した。 主な受賞歴としては、日本初の工芸の公募展である農商省工芸展覧会に4回入選、3回入賞したほか、1943年(昭和18年)9月には交趾焼の技術保存作家認定(マル技)の指定を受けている。また、京都府工芸美術展に5回入選、4回入賞した。 京都伝統陶芸家協会の発足に参加し、同協会会員となった。三越日本橋本店にて個展を2回開催した。 1975年 (昭和50年)10月 <黄交趾花瓶>を東京赤坂迎賓館に寄贈 1976年 (昭和51年) 京都市内にて永眠 京都伝統陶芸家協会 会員 京都工芸美術作家協会 会員 京都芸術作家協会 会員 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
井上 恵介(いのうえ けいすけ)は、日本の陶芸家。神奈川県三… 井上 恵介(いのうえ けいすけ)は、日本の陶芸家。神奈川県三浦市に築窯し製作活動をしている。母は女優の馬渕晴子(2012年死別)。父は井上孝雄(1994年死別) 東京都世田谷区出身。元来、ものづくりに興味があったという。 1992年、伝統工芸新作展への入選をはじめとし、第14回日本陶芸展入選、第34回全陶展入賞など多数。 植物から着想を得て樹皮を模した紋様が特徴とされる。陶芸の傍、土に着目して自然栽培農家としても活動している。
園 阿莉(その あり、[ )は、愛知県豊川市出身の日本の美術… 園 阿莉(その あり、[ )は、愛知県豊川市出身の日本の美術家、陶芸家。 愛知県窯業専修職業訓練校陶磁器科 卒業 1975年 桑沢デザイン研究所リビングデザイン科 卒業 東京小田急百貨店 1978 第一回個展以来、隔年で個展を開催 豊橋市丸栄百貨店 1983 札幌三越百貨店 1985 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
藤原楽山(ふじわら らくざん)は、岡山県備前市伊部出身の陶芸… 藤原楽山(ふじわら らくざん)は、岡山県備前市伊部出身の陶芸家。備前焼作家。現在は三代目(1943年(昭和18年)生まれ)藤原楽山が楽山窯にて作陶を営んでいる。襲名は2002年(平成14年)。二代目藤原楽山は岡山県無形文化財「備前焼製作技術」の保持者に認定。初代藤原楽山は塩青焼の考案者。代々、茶碗を得意とする。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。