大熊 康之(おおくま やすちか、1938年〈昭和13年〉 -… 大熊 康之(おおくま やすちか、1938年〈昭和13年〉 - )は、海上自衛官、システムエンジニア。 岐阜県生まれ。防衛大学校では電気工学を専攻し、1958年(昭和33年)に第6期生として卒業した。 昭和46年度計画で開発された海上自衛隊初のシステム艦である「たちかぜ」が搭載する目標指示装置 (WES) の導入のため、1970年10月5日、海上幕僚監部CCS幹事室に着任。このとき、同室長を務めていた、『解析射撃理論』の著者である小綿恭一2佐に師事することになる。その後、アメリカ海軍ミサイル・スクール (NAVGMSCOL) に留学し、1972年から2年間、カリフォルニア州サンタクラリタのバレンシアに所在するUNIVAC社の工場に駐在した。
福地 建夫(ふくち たけお、1937年(昭和12年)12月2… 福地 建夫(ふくち たけお、1937年(昭和12年)12月2日 - )は、日本の海上自衛官。第21代海上幕僚長。第5代横須賀地方総監・福地誠夫の次男で、親子で横須賀総監を務めている。 東京府出身。麻布高等学校卒業(父の福地誠夫は旧制麻布中学校出身)。防衛大学校第5期卒業後、海上自衛隊入隊。護衛艦「よしの」艦長、第4護衛隊群司令、海上幕僚監部人事教育部長、舞鶴地方総監、横須賀地方総監等の要職を歴任し、第21代海上幕僚長に就任。 山崎小五郎:1952.4.26-1952.7.31 山崎小五郎:1952.8.1-1954.6.30
宮下 裕(みやした ゆたか、1937年〈昭和12年〉1月1日… 宮下 裕(みやした ゆたか、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2014年〈平成26年〉8月16日)は、日本の航空自衛官、政治家。香川県善通寺市長(4期)。最終階級は空将。航空自衛隊航空総隊司令官。 香川県出身。尽誠学園高等学校を経て、1959年、防衛大学校電気科卒。同年、航空自衛隊入隊。 1989年、航空開発実験集団司令官、1990年、西部航空方面隊司令官、1991年、統合幕僚学校校長、同年、統合幕僚会議事務局長、1992年、航空自衛隊航空総隊司令官、1993年に退官。 その後、帰郷し1994年に善通寺市長選挙に立候補し初当選。市長在職中には職員削減や市の財政健全化を推進した。1998年、2002年、2006年の市長選挙はいずれも無投票当選だった。
原 剛 (はら たけし、1937年(昭和12年) - )は、… 原 剛 (はら たけし、1937年(昭和12年) - )は、日本の軍事史研究者、陸上自衛官。防衛省防衛研究所図書館調査員、軍事史学会副会長。最終階級は1等陸佐。専攻は日本軍事史(特に国土防衛史)。 香川県出身。県立観音寺第一高校卒業後、1960年(昭和35年)防衛大学校本科卒業(第4期生)。同年陸上自衛隊入隊。第10普通科連隊、第28普通科連隊に勤務後、防衛大学校、陸上自衛隊少年工科学校、陸上自衛隊幹部候補生学校教官を歴任。この期間に日本大学法学部政治経済学科を卒業(通信教育課程)、国士舘大学で歴史学を研修[要出典]。 1980年(昭和55年)より防衛庁防衛研究所戦史部所員。1991年に自衛官を退官後、教官として防衛研究所戦史部勤務、1998年定年退官し非常勤調査員として戦史部に勤務後、現職。
石塚勲(いしづかいさお、1936年〈昭和11年〉9月30日 … 石塚勲(いしづかいさお、1936年〈昭和11年〉9月30日 - )は、日本の航空自衛官。第21代航空幕僚長。防大3期。 秋田県出身。1959年(昭和34年)3月、防衛大学校卒業(第3期)、航空自衛隊入隊(1等空曹)。 1970年(昭和45年)7月、3等空佐。1974年(昭和49年)7月、2等空佐。 1978年(昭和53年)7月、1等空佐。1981年(昭和56年)2月、自衛隊埼玉地方連絡部長。1983年(昭和58年)3月16日、航空幕僚監部防衛部運用課長。1984年(昭和59年)3月16日、航空幕僚監部防衛部防衛課長。 同年7月2日、空将補に昇任。1985年(昭和60年)3月1日、航空幕僚監部人事教育部副部長。
西元 徹也(にしもと てつや、1936年〈昭和11年〉6月1… 西元 徹也(にしもと てつや、1936年〈昭和11年〉6月1日 - 2024年〈令和6年〉4月3日)は、日本の陸上自衛官、軍事評論家。第23代陸上幕僚長、第20代統合幕僚会議議長。元隊友会会長。1佐までの職種は機甲科。 鹿児島県垂水市出身。父親の仕事の関係で小中学校の時に二度ほど横浜に住んだが、中学一年の時に垂水市にもどる。県立垂水高校卒業後、防衛大学校に入校するが、高校の野球の試合の時に鹿児島の桟橋で防大生に出会ったことがきっかけであった。防大卒業後の1959年(昭和34年)に陸上自衛隊に入隊。幹部候補生学校卒業後は機甲科に進み、初任地は北恵庭の第101戦車大隊。ここでの勤務がその後の部隊勤務の基礎ができたと語っている。
熊谷 光久(くまがい てるひさ、1936年(昭和11年)4月… 熊谷 光久(くまがい てるひさ、1936年(昭和11年)4月28日 - )は、元航空自衛官、軍事史学者、軍事評論家、歴史評論家である。ペンネーム熊谷 直(くまがい ただす)を著作の種別により用いる。 父方・母方ともに長州藩士の家系であるという。
志方 俊之(しかた としゆき、1936年3月30日 - )は… 志方 俊之(しかた としゆき、1936年3月30日 - )は、日本の防衛評論家、帝京大学名誉教授、星槎大学客員教授、元陸上自衛官(最終階級:陸将)。工学博士(京都大学、1968年)。 静岡県浜松市出身。金沢大学附属高等学校、防衛大学校本科(土木工学専攻)を卒業(第2期)。京都大学大学院工学研究科博士課程修了(工学博士)。 岩見沢駐屯地第102施設大隊長(1974年3月16日~1976年3月24日)、アメリカ陸軍戦略大学研究員、在米国大使館防衛駐在官、陸上幕僚監部人事部長、第2師団長、防衛大学校幹事、北部方面総監などの要職を歴任する。北部方面総監在任中の1991年には陸上自衛隊としては初の方面隊規模の災害対処訓練「ビッグレスキュー'91」を統裁した。
重松 惠三(しげまつ けいぞう、1936年 - )は、愛媛県… 重松 惠三(しげまつ けいぞう、1936年 - )は、愛媛県出身の陸上自衛官。第25代東部方面総監、第21代西部方面総監。 愛媛県立今治西高等学校卒。防衛大学校第3期卒。陸上自衛隊幹部候補生学校教官、第9師団長、西部方面総監を歴任。 1993年、東部方面総監で退官。 2008年11月、瑞宝中綬章を受章。 陸上自衛隊幹部候補生学校校歌の作詞者。青年時代は三島由紀夫と親交があった。定年退官後は日本会議愛媛県本部会長に就任(2013年6月退任。後任は愛媛銀行会長・中山紘治郎が務める)、尖閣諸島防衛や憲法改正による自衛隊の国軍化を訴える政治活動を行う。田母神俊雄を故郷の愛媛県に数回招待し、講演会等を開催したこともある。
岡部 文雄(おかべ ふみお、1935年(昭和10年)3月18… 岡部 文雄(おかべ ふみお、1935年(昭和10年)3月18日 - )は、海上自衛官。第19代海上幕僚長。 福岡県出身。筑紫中央高校を経て、1958年(昭和33年)3月、防衛大学校(第2期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。入隊後は主として対潜哨戒機のパイロットとして航空隊等に勤務。その後、海上幕僚監部防衛部長、教育航空集団司令官、舞鶴地方総監、佐世保地方総監等の要職を歴任し、第19代海上幕僚長に就任。
佐久間 一(さくま まこと、1935年(昭和10年)3月18… 佐久間 一(さくま まこと、1935年(昭和10年)3月18日 - 2014年(平成26年)7月18日)は、日本の海上自衛官。第18代海上幕僚長、第19代統合幕僚会議議長。神奈川県出身。位階は従三位。 1935年(昭和10年)3月、横須賀市に生まれる。父は海軍大佐の佐久間良也(海兵第51期)である。父の転勤により軍港の街を転々とし、戦時中は母の実家のある宮崎市郊外に疎開し、終戦後も宮崎で中・高校生活を送った。高校3年生の時に大阪に引っ越し府立勝山高校に転入し、卒業した。 1953年(昭和28年)4月、保安大学校(後の防衛大学校)に第1期生として入校。卒業後は海上自衛隊に入隊し、幹部候補生学校を経て、1958年(昭和33年)3月、遠洋練習航海に参加。
仙田 岑夫(せんだ みねお、1935年〈昭和10年〉 - 2… 仙田 岑夫(せんだ みねお、1935年〈昭和10年〉 - 2005年〈平成17年〉3月22日)は、日本の政治家、航空自衛官。扶桑町議会議員(3期)。 愛知県扶桑村(現:扶桑町)出身。1957年(昭和32年)3月に防衛大学校を第一期で卒業。航空自衛隊幹部学校主任研究開発官などを経て1985年(昭和60年)3月16日から1987年(昭和62年)3月15日まで第4高射群司令(1等空佐)、その後は航空自衛隊第1術科学校副校長、三菱重工顧問などを歴任。 1991年(平成3年)の扶桑町長選挙に立候補。前収入役の澤田正夫との一騎討ちとなり、仙田陣営は中学時代の同窓生らが中心になって運動を進めたが、澤田に及ばず落選。
志摩 篤(しま あつし、1934年〈昭和9年〉12月27日 … 志摩 篤(しま あつし、1934年〈昭和9年〉12月27日 - )は、日本の陸上自衛官。第22代陸上幕僚長。初の防衛大学校卒業の陸上幕僚長である。2012年より偕行社理事長。 熊本県熊本市に5人兄弟の末っ子として生まれる。小学校1年の時に父の転勤により、福岡に移り、戦後は長崎県大村市で高校卒業まで過ごす。防衛大学校(当時は保安大学校)入校の動機は兄が保安隊に入隊しており、以前から入隊を勧められていたことと、当時新聞に掲載された保安大学校の制服を見て格好いいと思い志願した。防大では剣道部に所属する。1957年(昭和32年)に防大を卒業し、幹部候補生として訓練を受けたのち、1958年(昭和33年)に初任地である第1普通科連隊(練馬)に小隊長として配属された。
松村 劭(まつむら つとむ、1934年 - 2010年1月2… 松村 劭(まつむら つとむ、1934年 - 2010年1月28日)は、日本の陸上自衛官、軍事評論家。専門は戦略・戦術研究・情報分析。デュピュイ戦略研究所東アジア代表を務め、国際戦略研究所会員であった。大阪府出身。東京都に在住した。 陸上自衛隊在隊間は陸上幕僚監部情報幕僚、同指揮幕僚、西部方面総監部防衛部長、第7師団第7戦車大隊長(当時。現・第71戦車連隊)、富士学校機甲科部副部長等の要職を歴任した。国際活動では、アメリカ陸軍指揮幕僚大学教官、在ジュネーブ軍縮代表部スタッフを経験している。 また、陸上自衛隊幹部学校時代の学友である楊鴻儒退役大佐との再会をきっかけに台湾を訪問。デュピュイ戦略研究所で考案された「定量的戦術判定法」(TNDM)の基本理論を、中華民国軍陸軍参謀本部の作戦部の人々に説明した。
森野 安弘(もりの やすひろ、1933年(昭和8年)12月8… 森野 安弘(もりの やすひろ、1933年(昭和8年)12月8日 - )は、東京都出身の軍事評論家、元陸上自衛官(最終階級は陸将)。 いずれも「森野軍事研究所」として出版。
源川 幸夫(げんかわ さちお、1933年(昭和8年)10月 … 源川 幸夫(げんかわ さちお、1933年(昭和8年)10月 - 2020年5月1日)は、陸上自衛官。防衛大学校卒業(第1期)。第21代東北方面総監及び第23代東部方面総監。
鈴木 昭雄(すずき あきお、1933年〈昭和8年〉8月29日… 鈴木 昭雄(すずき あきお、1933年〈昭和8年〉8月29日 - )は、日本の航空自衛官。第20代航空幕僚長。防大1期。 北海道出身。1957年(昭和32年)3月、防衛大学校電気工学科卒業(第1期)、航空自衛隊入隊。 1961年(昭和36年)12月、アクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」に所属。 1977年(昭和52年)1月1日、1等空佐。1978年(昭和53年)8月1日、第8航空団飛行群司令。1980年(昭和55年)8月1日、航空幕僚監部防衛部防衛課長。 1982年(昭和57年)7月1日、空将補昇任。同年8月2日、第7航空団司令兼百里基地司令。1984年(昭和59年)3月2日、航空幕僚監部防衛部長。
江戸 満(えど みつる、1933年〈昭和8年〉7月13日 -… 江戸 満(えど みつる、1933年〈昭和8年〉7月13日 - 2022年〈令和4年〉5月12日)は、日本の政治家、陸上自衛官。第9代扶桑町長(3期)。町長退任時の2016年当時、愛知県内の首長で最高齢(83歳)だった。愛知県町村会会長などを歴任。 1933年(昭和8年)7月13日、石川県能美郡川北町に生まれる。1957年(昭和32年)3月に防衛大学校を第一期で卒業して防衛庁に奉職。1977年(昭和52年)6月統合幕僚学校を卒業。1980年(昭和55年)8月より陸上幕僚監部施設課長、1982年(昭和57年)3月より陸上自衛隊施設学校副校長を務める。1985年(昭和60年)3月には第4施設団長兼大久保駐屯地司令となり、1987年(昭和62年)7月から施設補給処長兼古河駐屯地司令を務めたのち、1988年(昭和63年)7月に退官。
平間 洋一(ひらま よういち、1933年(昭和8年)5月14… 平間 洋一(ひらま よういち、1933年(昭和8年)5月14日 - 2020年(令和2年)3月11日)は、日本の海上自衛官、歴史学者。海上自衛官としての最終階級は海将補。元防衛大学校教授。太平洋学会理事、戦略研究学会理事、呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)委員、横須賀市史編纂委員、特定非営利活動法人岡崎研究所理事、社会福祉法人興寿会理事などを務めた。放送法遵守を求める視聴者の会の賛同者。 神奈川県横須賀市出身。父の平間源之助は海軍軍人で第二次世界大戦後は、公職追放の対象となり、一家は経済的に困窮していたという。一時は社会主義に傾倒するも左派社会党の選挙運動を応援した際に実態を知り転向し、そのことがきっかけとなってコミンテルンの研究を行うようになった。
寺島 泰三(てらしま たいぞう、1933年〈昭和8年〉3月 … 寺島 泰三(てらしま たいぞう、1933年〈昭和8年〉3月 - )は、日本の陸上自衛官。第21代陸上幕僚長、第18代統合幕僚会議議長、日本郷友連盟会長、英霊にこたえる会会長、日本会議代表委員などを務めた。 福島県出身。東北大学法学部卒業。1956年(昭和31年)4月、陸上自衛隊入隊。1957年(昭和32年)4月、陸上自衛隊幹部候補生学校(第17期)卒業、3等陸尉任官、第6普通科連隊に配属。通信幹部など7年間を過ごす。 1968年(昭和43年)1月、3等陸佐。1971年(昭和46年)7月、2等陸佐。1976年(昭和51年)7月1日、1等陸佐。1977年(昭和52年)8月1日、陸上自衛隊富士学校普通科部教育課長。
米川 忠吉(よねかわ ただよし、1932年(昭和7年)10月… 米川 忠吉(よねかわ ただよし、1932年(昭和7年)10月1日 - 2011年(平成23年)9月16日)は、日本の航空自衛官。第19代航空幕僚長。 神奈川県横浜市出身。横浜第一中学、希望ヶ丘高校を経て、青山学院大学へ進み、学生時代はラグビーに熱中した。入隊の動機は、1955年(昭和30年)頃は不況で入社を予定していた会社は皆、採用中止となり、自衛隊に入隊した親戚やラグビー部の同輩に相談し、入隊を勧められた。陸上自衛隊の採用試験を受験し、第15期一般幹部候補生として採用されたが、採用となってから航空自衛隊のパイロット要員が足りないため、空自に行かないかとの話があり、興味もあったことから航空自衛隊に入隊した。
東山 収一郎(ひがしやま しゅういちろう、1932年(昭和7… 東山 収一郎(ひがしやま しゅういちろう、1932年(昭和7年)9月25日- 2021年(令和3年)10月3日)は、日本の元海上自衛官。第17代海上幕僚長。 東京都出身。東京水産大学では製造学科で食品衛生を研究テーマにしていた。卒業後、海上自衛隊に入隊。入隊の動機は当時、大学が久里浜にあり、目の前に海上自衛隊の基地があったことから「なんとなく、面白そうだから」という理由で入隊したという。 入隊後は空にあこがれて航空部隊へ進む。主に対潜哨戒機「S2F-1 トラッカー」のパイロットとして活躍し、飛行時間は3,500時間を超える。二十代で機長を務めていた頃は、護衛艦と共同で実施する対潜哨戒の作戦の方針をめぐって2佐クラスの艦長と無線でしばしば火花を散らしたという。
田村 秀昭(たむら ひであき、1932年9月21日 - 20… 田村 秀昭(たむら ひであき、1932年9月21日 - 2008年1月4日)は、日本の航空自衛官、政治家。工学博士(京都大学)。参議院議員(3期)、国民新党結党時の副代表。最終階級は空将。 東京都生まれ。東京都立大学附属高等学校(同級生に佐藤信二)から防衛大学校へ進み、1957年に第一期生として卒業後、航空自衛隊に入隊。また、京都大学大学院工学研究科に進学して冶金工学を専攻し、博士課程を修了。1964年に工学博士の学位を取得。 航空自衛隊では、F-4EJ技術連絡官(在米1年間)、技術研究本部技術開発官付、航空幕僚監部装備部長、保安管制気象団司令、航空自衛隊幹部学校長(空将、1986年12月 - 1988年1月)を歴任。
石井 政雄(いしい まさお、1931年〈昭和6年〉1月29日… 石井 政雄(いしい まさお、1931年〈昭和6年〉1月29日 - 2007年〈平成19年〉5月9日)は、日本の陸上自衛官。第20代陸上幕僚長、第17代統合幕僚会議議長。勲二等正四位。 千葉県出身。松戸の旧家の生まれ。中学3年で終戦を迎えたため、目指す陸士に進めず、地元の高校から立教大学へ進学。大学を卒業後は計算機の会社に就職した。1年間の研修が終わるころ、たまたま訪れた都庁で保安隊の幹部候補生募集のポスターを見て入隊を決意した。 幹部候補生学校を卒業後、普通科教導連隊に配属。普通科を選んだ理由は「普通科(歩兵)こそ軍の主兵だと思い、自衛隊に入ると決めた以上、普通科になると決めていた」と語っている。
大小田 八尋(おおこだ やひろ、1931年 - )は、鹿児島… 大小田 八尋(おおこだ やひろ、1931年 - )は、鹿児島県出身の陸上自衛官、軍事評論家、安全保障アナリスト、ノンフィクション作家。八尋総研代表。鹿児島県立指宿中学校 (旧制)から鹿児島県立甲南高等学校を卒業後、北海学園大学卒業。 大学卒業後、自衛隊に入隊。陸上自衛隊化学学校戦術教官、北部方面総監部広報室長、北部方面総監部法務課長などを経て退官。退官後、セントラル警備保障に再就職。札幌支社長などを歴任する。その傍ら、軍事評論家、安全保障アナリストとしての活動を開始し、八尋総研を立ち上げ代表に就任。ノンフィクション作家としても活躍している。他に、冬総研国際環境総合研究所所長などの要職を歴任した。
大村 平(おおむら ひとし、1930年〈昭和5年〉1月2日 … 大村 平(おおむら ひとし、1930年〈昭和5年〉1月2日 - 2021年〈令和3年〉6月1日)は、日本の航空自衛官、著述家。 東京都出身。第18代航空幕僚長、技術畑からは初の航空幕僚長。工学博士。 自衛官としての勤務の傍ら、初等数学や統計学において啓蒙書を多数著した。 名古屋陸軍幼年学校に入校し2年時に終戦を迎えた。在学中はパイロットを目指していた。終戦後は旧制・東京高校を経て東京工業大学に進学。大学では機械工学を専攻し卒業後は製糸会社に勤めるが、仕事として今ひとつ物足りない感じを受け、1956年(昭和31年)に公募幹部(3等空尉)として航空自衛隊に入隊。 入隊後は防府基地で1か月の入隊教育を受けたのち、浜松基地の実験航空隊に配属された。
長田 順行(ながた じゅんこう、本名:木谷順行、1929年4… 長田 順行(ながた じゅんこう、本名:木谷順行、1929年4月4日 ‐ 2007年8月31日)は広島県呉市出身の作家、海上自衛官、暗号研究者。日本暗号協会会長(1986年8月~)。 呉第一中学校(現広島県立呉三津田高等学校)を卒業後、1945年に海軍兵学校予科(第78期、昭和20年4月入校)に入校するが、終戦により閉校となる。1954年広島大学文学部哲学科を卒業。1955年防衛庁暗号専門機関に入り、暗号理論の研究及び解読に従事。1965年海上自衛隊暗号専門部隊に転じ、通信保全業務隊司令となり1983年1等海佐で退職した。 1986年8月日本暗号協会を設立し初代会長。暗号に造詣が深く、暗号関係の著作は1964年から刊行しており多数。
黒田 勲(くろだ いさお、1927年8月31日 - 2009… 黒田 勲(くろだ いさお、1927年8月31日 - 2009年2月17日)は、日本の航空自衛官、医学者、医師。早稲田大学教授。最終階級は空将。専門は航空医学、宇宙医学。北海道旭川市出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
横地 光明(よこち みつあき、1927年(昭和2年)7月4日… 横地 光明(よこち みつあき、1927年(昭和2年)7月4日 - 2018年(平成30年)7月7日)は、元陸上自衛官。軍事評論家。 栃木県出身。陸軍航空士官学校第60期(同期に森繁弘 第16代統合幕僚会議議長、中村守雄 第19代陸上幕僚長)修業。戦後は東京理科大学を経て陸上自衛隊の前身である警察予備隊に入隊。 退官後は旭化成工業顧問、日本世界戦略フォーラム副理事長、全国防衛協会連合会常任理事、同相談役などを務める。 また、2011年11月から2013年4月まで月刊軍事誌『軍事研究』において「最後の士官候補生」と題した自身の回顧録を執筆。 『自衛隊創設の苦悩 その実相と宿痾 警察から生まれた軍隊でない武装集団 警察予備隊・保安隊・自衛隊』
青木 日出雄(あおき ひでお、1927年〈昭和2年〉2月8日… 青木 日出雄(あおき ひでお、1927年〈昭和2年〉2月8日 - 1988年〈昭和63年〉6月8日)は、日本の航空自衛官、航空・軍事評論家。 航士59期。北海道旭川市出身。 陸軍航空士官学校59期生。戦後、札幌文科専門学院(現札幌学院大学)、札幌短期大学卒業。国家公務員6級職試験に合格し、電気通信省、日本電信電話公社を経て、1956年(昭和31年)に航空自衛隊入隊。第2航空団(千歳基地)防衛班長を最後に退職した。 以後は航空・防衛問題の専門家としてジャーナリズムの世界で活躍する。1984年の東宝映画『ゴジラ』では特別スタッフとして参加し、原子力潜水艦や核衛星の考証などを行った。 退官後当初は『航空情報』嘱託として航空記事を執筆していた。
渡部 敬太郎(わたなべ けいたろう、1927年〈昭和2年〉1… 渡部 敬太郎(わたなべ けいたろう、1927年〈昭和2年〉1月15日 - 1997年〈平成9年〉11月26日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官である。陸軍予科士官学校卒業(第60期)。第18代陸上幕僚長、第15代統合幕僚会議議長。息子渡部直己は文芸評論家で、元・早稲田大学文学学術院教授。陸海空自衛隊を通じ初の昭和生まれの幕僚長。 福島県相馬中学から仙台陸軍幼年学校を経て陸軍予科士官学校を卒業、陸軍士官学校本科(第60期)に入校直後に終戦を迎える。1950年(昭和25年)、警察予備隊に2等警査(2等陸士)として入隊する。その後は在ソビエト日本大使館付防衛駐在官、第2普通科連隊長、陸幕人事部長、第10師団長と、陸上自衛隊の成長とともに歩んでいった。
東條 敏夫(とうじょう としお、1925年(大正14年)11… 東條 敏夫(とうじょう としお、1925年(大正14年)11月9日 - 2014年(平成26年)10月30日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官。陸士59期。 陸軍大将で内閣総理大臣を務めた東條英機の三男。陸軍士官学校在校中に昭和20年(1945年)の敗戦を迎えた。戦後は航空自衛隊に入り、空将補(空軍少将相当)で退官した。
川戸 正治郎(かわと まさじろう、1925年(大正14年)9… 川戸 正治郎(かわと まさじろう、1925年(大正14年)9月19日 - 2001年(平成13年)12月17日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。海軍航空隊戦闘機搭乗員。太平洋戦争(大東亜戦争)における戦闘機パイロット(撃墜数18)。丙飛12期、飛練28期。最終階級は海軍上等飛行兵曹。 1925年(大正14年)9月19日、京都府竹野郡丹後町(現・京丹後市丹後町)で農家の子として生まれた。1942年(昭和17年)5月、舞鶴海兵団入団。1942年(昭和17年)7月20日に丙種飛行予科練習生入隊、履修期間はわずか2か月で切り上げられ、9月、第28期飛行練習生となり、岩国、谷田部、徳島、出水、木更津などで訓練を受ける。
左近允 尚敏(さこんじょう なおとし、1925年(大正14年… 左近允 尚敏(さこんじょう なおとし、1925年(大正14年)2月11日 - 2013年(平成25年)6月30日)は、大日本帝国海軍の軍人、海上自衛官。最終階級は海軍大尉、海将。鹿児島県出身。海兵72期。 海軍中将左近允尚正の次男。多号作戦で駆逐艦「島風」砲術長として「島風」沈没時(多号作戦)に戦死した海軍大尉左近允正章(まさふみ)は兄にあたる。 兄の正章と同じく旧制横須賀中(30期)から海軍兵学校へ入校。1943年(昭和18年)9月に卒業(第72期)、海軍少尉候補生。伊勢型戦艦1番艦「伊勢」乗組。乗艦実習の後、11月15日附で最上型重巡洋艦4番艦「熊野」乗組を命ぜられる。なお、兄の正章も太平洋戦争開戦時に海軍少尉として「熊野」に勤務している。
太田 武彦(おおた たけひこ、1925年1月5日 - 没年不… 太田 武彦(おおた たけひこ、1925年1月5日 - 没年不明)は、日本の作詞家、元自衛官。別名義に太田 かおる、太田 かほる。 現在の東京都江戸川区生まれ。1944年(昭和19年)に旧制上野中学校を卒業後、陸軍少年飛行兵に志願して終戦を迎える。復員後は国警秋田県本部に採用され警察官となったが、1950年(昭和25年)の警察予備隊発足と同時に入隊して以降、陸上自衛隊で仙台・青森・札幌・帯広を経て美幌駐屯地に転属した。 美幌時代は本名もしくは「太田かほる」名義で作詞の懸賞募集への投稿を精力的に行い、1966年(昭和41年)に北海道が公募した「道民のうた」で応募作「光あふれて」が入選した。以降も1970年(昭和45年)の日本万国博覧会公式テーマソング「世界のひろばで」、三越の2代目社歌などで入選。
斎藤 高順(さいとう たかのぶ、英: Takanobu Sa… 斎藤 高順(さいとう たかのぶ、英: Takanobu Saito、1924年12月8日 - 2004年4月11日)は、東京府(現・東京都)生まれの作曲家、指揮者、幹部自衛官。自由作曲家協会会員であり日本吹奏楽指導者協会理事・日本国民音楽振興財団理事も務めた。長男はチェロ奏者の斎藤章一、長女はバイオリニストの内藤景子、長女の夫はホルン奏者の内藤貴司、孫は俳優の内藤光佑。 1924年、東京・深川の酒屋の次男として生まれる。1942年に日本大学第一中学校(旧制、現・日本大学第一高等学校)を卒業。1943年に東京音楽学校(旧制、現・東京芸術大学)に入学し、1947年に卒業。1949年に同校の研究科を修了。
前田 優(まえだ まさる 、1924年(大正13年)8月26… 前田 優(まえだ まさる 、1924年(大正13年)8月26日 - 2011年(平成23年)2月9日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。第14代海上幕僚長。 兵庫県出身。旧制加古川中学校を経て海軍兵学校に入校。太平洋戦争中は空母「鳳翔」などに乗組む。戦後は復員業務に従事したのち海上警備隊に入隊。海上自衛隊では第1術科学校長、佐世保地方総監、自衛艦隊司令官等の要職を歴任し、第14代海上幕僚長に就任。2年余の任期中、海自にとって永年の懸案だった補給実施要領や自衛艦乗員服務規則など各種の内規を整備して実施に移したほか、P-3C部隊の新編、シーレーン防衛議論への対応などに務めた。
生田目 修(なまため おさむ、1924年(大正13年)8月2… 生田目 修(なまため おさむ、1924年(大正13年)8月24日 - 1999年(平成11年)6月20日)は、日本の陸軍軍人及び航空自衛官。第16代航空幕僚長。 陸軍航空士官学校卒業後は岐阜基地で実用機の訓練中に終戦を迎える。 戦後は郷里の茨城・日立に帰り農協に勤めるが、警察予備隊の旧軍出身者第一陣として1951年(昭和26年)6月に入隊。入隊後は普通科連隊の中隊長等を務めるが、1954年(昭和29年)9月、航空自衛隊創設と同時に転官。浜松でパイロットのリフレッシュ訓練を受けるが健康上の理由で要撃管制要員へ転換。 1955年(昭和30年)に要撃管制の米国留学第1期生として米国で訓練を受ける。その後の勤務は航空幕僚監部、航空総隊等で、作戦・運用と防衛一筋のエリートコースをたどり、3次防、4次防の策定、さらに空幕防衛部長として「防衛計画の大綱」の策定に携わった。
山田 良市(やまだ りょういち、1923年(大正12年)9月… 山田 良市(やまだ りょういち、1923年(大正12年)9月3日 - 2013年(平成25年)2月27日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。第15代航空幕僚長。海兵71期。海軍での最終階級は海軍大尉。航空自衛隊での最終階級は航空幕僚長たる空将。 1923年(大正12年)9月3日、福岡県に生まれる。戸畑中学を経て1939年(昭和14年)海軍兵学校第71期生として入校。1942年(昭和17年)11月14日、卒業、少尉候補生。戦艦「武蔵」、敷設艦「津軽」乗組を経て1943年(昭和18年)6月、少尉任官、霞ヶ浦海軍航空隊40期飛行学生に入隊。大分空・筑波空で戦闘機操縦訓練を受けた。 1944年(昭和19年)6月末「紫電」装備の341空戦闘第402飛行隊に配属。
鈴木 敏通(すずき としみち、1923年〈大正12年〉7月5… 鈴木 敏通(すずき としみち、1923年〈大正12年〉7月5日 - 2008年〈平成20年〉3月15日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。陸士57期。第16代陸上幕僚長。 中学2年から仙台陸軍幼年学校に入校し陸軍士官学校へ進む。旧軍では歩兵。満州勤務の後、終戦直前は高知で陣地作りに従事した。復員し福井に帰郷後は旧制福井工専で電気を学び、エンジニアとして川崎の自動車会社に就職したが、1951年(昭和26年)12月に旧軍人組採用と同時に警察予備隊に1等警察士で入隊。以後、職種は通信科へ進むが、北部方面通信群長の他は、防衛や人事畑が主だった。 第13師団長、中部方面総監等を歴任し、第16代陸上幕僚長に就任。
矢田 次夫(やだ つぎお 、1923年〈大正12年〉5月1日… 矢田 次夫(やだ つぎお 、1923年〈大正12年〉5月1日 - 2012年〈平成24年〉4月24日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官。海兵72期。第13代海上幕僚長、第13代統合幕僚会議議長。 鳥取県倉吉市出身。旧制鳥取県立倉吉中学校を経て海軍兵学校を卒業。太平洋戦争中は主として潜水艦に乗組み、終戦は太平洋上で当時世界最大の潜水艦「伊四〇一」で迎えた。横須賀に帰港した途端、他の姉妹艦2隻の乗員とともに全員捕虜となった。伊四百型潜水艦を接収するための整備補修を命じられ、終戦後にもかかわらず米軍の監視の下、約40日間収容所生活を送った。その後、復員局に召集され復員輸送に従事し、公職追放となる。 海上自衛隊に入隊後は海幕防衛部長、佐世保地方総監、自衛艦隊司令官などの要職を経て第13代海上幕僚長に就任。
永野 茂門(ながの しげと、1922年〈大正11年〉6月28… 永野 茂門(ながの しげと、1922年〈大正11年〉6月28日 - 2010年〈平成22年〉1月4日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官、政治家。陸上幕僚長、参議院議員(2期)、法務大臣などを歴任した。法務大臣は在任11日で辞任した。 大分県出身。大分中学校(現:大分県立大分上野丘高等学校)、広島陸軍幼年学校、陸軍士官学校予科を経て、1941年7月に陸軍士官学校を卒業(第55期)し陸軍将校となる。終戦時は電信第13連隊中隊長、陸軍大尉。 戦後、公職追放を経て、陸上自衛隊に入隊し通信科出身ながら陸上幕僚長となるも、1980年に宮永スパイ事件の責を取る形で時の防衛庁長官・久保田円次とともに辞任した。 1986年、第14回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例区から出馬し、名簿順位は25名中21位だったが、自民党の大勝により当選した(22位までが当選)。
平野 晃(ひらの あきら、1922年(大正11年)1月15日… 平野 晃(ひらの あきら、1922年(大正11年)1月15日 - 2009年(平成21年)12月27日)は、大日本帝国海軍軍人及び航空自衛官である。第13代航空幕僚長。鹿児島県出身。 鹿屋中学を経て海軍兵学校(第69期)卒業。戦時中は当初は艦隊勤務で真珠湾攻撃時は戦艦「霧島」に乗艦して作戦に参加。軽巡洋艦「阿武隈」ではアッツ島の戦いで陸戦隊を指揮している。空母「翔鶴」では高角砲指揮官として南太平洋海戦、第二次ソロモン海戦に参加したが、航空機の優位を痛感し、飛行学生を志望する。 艦上爆撃機の訓練を受けるが、1944年(昭和19年)末に特攻隊が編成され、その分隊長となる。特攻兵器「桜花」22型の開発実験に携わり、1945年(昭和20年)8月15日午後1時に正式採用のための最終判定の実験が行われることとなり、爆撃機「銀河」に搭載された「桜花」に搭乗する予定であった。
竹田 五郎(たけだ ごろう、1921年(大正10年)10月 … 竹田 五郎(たけだ ごろう、1921年(大正10年)10月 - )は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、軍事評論家。最終階級は陸軍では陸軍大尉、航空自衛隊では統合幕僚会議議長たる空将。第14代航空幕僚長、第12代統合幕僚会議議長。
又吉 康助(またよし こうすけ、1921年〈大正10年〉5月… 又吉 康助(またよし こうすけ、1921年〈大正10年〉5月1日 - 2004年〈平成16年〉4月8日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。最終階級は陸軍大尉(大日本帝国陸軍)、陸将補(陸上自衛隊)。初代自衛隊沖縄地方連絡部長。 初代沖縄県知事屋良朝苗の教え子であり、沖縄返還の際に政府・自衛隊・沖縄県の交渉に関わった。 沖縄県読谷村生まれ。旧制沖縄県立第二中学校(現・沖縄県立那覇高等学校)では陸軍特攻隊の伊舎堂用久中佐と同窓。1941年8月、陸軍士官学校(55期)卒業。歩兵第130連隊(高田)、仙台、得撫島守備を経て、独立混成第101旅団司令部付。 終戦後、知念高校教諭を務める。1955年、陸上自衛隊入隊。
宮田 敬助(みやた けいすけ、1921年(大正10年)1月1… 宮田 敬助(みやた けいすけ、1921年(大正10年)1月12日 - 2013年(平成25年)8月9日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。群馬県出身。 海軍大尉で終戦を迎えた後、警察予備隊・保安隊への入隊を経て海上自衛隊に転官し、少年術科学校長、第3護衛隊群司令、第11代護衛艦隊司令官、第17代横須賀地方総監などの要職を歴任した。海上自衛隊における最終階級は海将。 旧制沼田中学校を経て海軍兵学校を第69期で卒業。卒業後は重巡洋艦「那智」に乗組む。その後、重巡洋艦「三隈」乗組みを経て、戦艦「大和」乗組みとなり、太平洋戦争を迎えた。その後、駆逐艦の水雷長等で勤務し、戦争末期には人間魚雷「回天」を運用する部隊に配属され、大神基地で終戦を迎えた。
小林 照彦(こばやし てるひこ、1920年〈大正9年〉11月… 小林 照彦(こばやし てるひこ、1920年〈大正9年〉11月17日 - 1957年〈昭和32年〉6月4日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官。陸士53期。最終階級は帝国陸軍では陸軍少佐、空自では2等空佐。 1920年(大正9年)11月17日、東京府に生まれる。国士舘中学校を経て、1940年(昭和15年)2月に陸軍士官学校53期を卒業し、同年5月に陸軍砲兵少尉に任官したが、直後に砲兵科から航空兵科に転科し(昭和15年5月 陸軍航空兵少尉)、空中勤務者(分科は「軽爆撃機」)となる。飛行第45戦隊、飛行第66戦隊を経て、1943年(昭和18年)11月に飛行分科を「戦闘機」に転じ、明野陸軍飛行学校亀山分校で戦闘機学生教育を受ける。
南雲 克郎(なぐも かつろう、1920年〈大正9年〉5月20… 南雲 克郎(なぐも かつろう、1920年〈大正9年〉5月20日 - 2009年〈平成21年〉11月20日)は日本の陸軍軍人および陸上自衛官。陸士54期卒(歩兵)。最終階級は陸軍大尉、陸将補。 山形県米沢市出身。父は陸軍少将・満洲国軍中将の南雲親一郎。真珠湾攻撃などを指揮した海軍の南雲忠一大将は父の従弟とされ、本人も南雲大将の甥として紹介されている。 原隊は歩兵第7連隊。少尉任官後、62代連隊旗手を拝命する。 大戦末期に予科士官学校区隊長に発令され、1945年春より群馬県新鹿沢に疎開。食糧不足からニラやノビル、カエルやマムシを食するような状況で、営内に漂う悪臭に閉口していたという。 7月末より各中隊より選抜された60期~61期生徒50名を引率し、山形県飽海郡本楯村の海岸にて製塩作業中に終戦を迎える。
奥田 鑛一郎(おくだ こういちろう、1920年(大正9年)3… 奥田 鑛一郎(おくだ こういちろう、1920年(大正9年)3月19日 - 1995年(平成7年)3月17日)は、日本の会社経営者(三宅坂経営よろず相談所主宰、梁山泊・三宅坂倶楽部会長)、著述業、元陸軍軍人および陸上自衛官。陸士53期卒(歩兵)。最終階級は陸軍少佐、二等陸佐。旧名:奥田重武。 福島県会津若松市出身。奥田重栄少将の四男。ペンネームの「鑛一郎」は祖父の名で、家憲により1978年ごろ襲名した。 父の予備役編入に伴い京都市で育ち、京都府立第六中学より東京幼年学校を経て陸士53期卒。原隊は歩兵第9連隊。当時の第16師団長は石原莞爾であった。連隊旗手を拝命後、下志津陸軍飛行学校にて特別偵察学生としての訓練を受け、1941年6月、参謀本部課員として南方での空中偵察に従事。
栗栖 弘臣(くりす ひろおみ、1920年〈大正9年〉2月27… 栗栖 弘臣(くりす ひろおみ、1920年〈大正9年〉2月27日 - 2004年〈平成16年〉7月19日)は、日本の内務官僚、海軍軍人及び陸上自衛官。第13代陸上幕僚長、第10代統合幕僚会議議長。 呉第一中学校、第一高等学校を経て1943年(昭和18年)9月、東京帝国大学法学部卒業。高等文官試験(高文)行政科に首席で合格し内務省に入省するが、短期現役海軍法務科士官を志願し帝国海軍へ。南方戦線へ従軍し、海軍法務大尉として1945年(昭和20年)8月の終戦を迎える。終戦後も、現地で戦犯の特別弁護人を務め、復員が1948年(昭和23年)まで遅れた。 復員後は官僚に戻らず、弁護士となったが、1950年(昭和25年)に総理府事務官となり、1951年(昭和26年)9月、警察予備隊(保安隊を経て陸上自衛隊)に入隊し、警察士長(陸軍少佐・三等陸佐に相当)に任じられる。