賀集 正三(かしゅう しょうぞう、1932年2月12日 - … 賀集 正三(かしゅう しょうぞう、1932年2月12日 - 2017年9月6日)は、将棋棋士。1970年、引退。角田三男八段門下。棋士番号は70。 兵庫県三原郡(現・南あわじ市)出身。 1956年、四段昇段(プロ入り)。 第9回(1965年)古豪新鋭戦で優勝。 1966年、東西対抗勝継戦で5人抜き(優勝)。 プロ入りから14年後の1970年に四段のまま引退する。 日本将棋連盟関西本部の普及部を長く担当。また、自宅教室、出張先のクラブ、団体等での指導、町の文化委員を務めるなど、将棋の普及活動に広く尽力。 2017年9月6日、85歳で死去。 居飛車、振り飛車ともに指すが、矢倉の将棋が多い。 中盤から終盤まで押しつ押されつの攻防が特徴的な棋風である。
二上 達也(ふたかみ たつや、1932年(昭和7年)1月2日… 二上 達也(ふたかみ たつや、1932年(昭和7年)1月2日 - 2016年(平成28年)11月1日)は、将棋棋士。渡辺東一名誉九段門下で棋士番号は57。タイトル獲得通算5期。1990年引退。 1989年から2002年にかけて日本将棋連盟会長を務めた。加藤治郎・原田泰夫の後任として将棋ペンクラブ名誉会長でもあった。 弟子に羽生善治がいる。 1932年、北海道函館市の網元の家で8人兄弟の末子として生まれた。1939年に母が亡くなり、京都帝大を卒業した兄は太平洋戦争で北千島に出征した後にシベリア抑留を受けた。比較的裕福な家庭だったが、戦後の農地改革で土地を失い、インフレにより貯蓄の価値が失われ、父は1946年に病気で亡くなった。
熊谷 達人(くまがい みちひと、1930年12月7日 - 1… 熊谷 達人(くまがい みちひと、1930年12月7日 - 1977年4月12日)は、将棋棋士。贈九段。野村慶虎門下。棋士番号54。大阪府大阪市出身。 1947年10月、府立天王寺中学5年在学中に野村慶虎門下に入門。 1949年に四段に昇段。 1950年のC級2組順位戦では同率決戦に敗れて昇級はならなかったが、成績優秀により昇段。 1962年、王座戦に挑戦したが加藤一二三に0-2で敗れる。 1974年にA級に復帰するも、翌年に降級。 その後現役のまま1977年に死去。
神田 鎮雄(かんだ しずお、1930年3月13日 - 199… 神田 鎮雄(かんだ しずお、1930年3月13日 - 1997年8月30日)は、将棋棋士。贈七段。灘蓮照九段門下。兵庫県西宮市出身。棋士番号53。将棋棋士の神田辰之助の次男。 1949年、三段で順位戦C級2組に参加。翌年、順位戦C級1組昇級により飛び級で六段に昇段。 1951年のC級1組順位戦において、藤川義夫五段との405手の長手数の対局を行なっている(結果は藤川五段の勝ち)。戦後のプロの公式戦対局では、本局が最長手数とされていた。 1966年、順位戦B級2組に昇級。順位戦B級2組では2回、降級点を取得したが、いずれも翌期に勝ち分け以上で降級点を消去している。 B級2組在籍のまま1972年引退。
関根 茂(せきね しげる、1929年11月5日 - 2017… 関根 茂(せきね しげる、1929年11月5日 - 2017年2月22日)は、将棋棋士。山川次彦八段門下。棋士番号は61。2002年に引退。 東京府南葛飾郡(現:東京都葛飾区)出身。妻は関根紀代子女流六段。 農林技官からプロ棋士になった異色の経歴を持つ。加藤一二三は奨励会同期となる。 高校時代に将棋に熱中し、作家・菊池寛を顧問に、永井英明が創立していた若者の将棋の会「青棋会」に参加する。この会には清水孝晏(将棋史研究家・『将棋世界』編集長となる)、田辺忠幸(観戦記者)、斎藤栄(作家)らが参加していた。 農林技官となるが、将棋の夢がすてがたく、1951年、22歳で1級で奨励会入り。公務員を務めながら修行し1953年に四段に昇段してプロ入り。
五十嵐 豊一(いがらし とよいち、1924年9月27日 - … 五十嵐 豊一(いがらし とよいち、1924年9月27日 - 2008年8月30日)は、将棋棋士。九段。棋士番号46。北海道札幌市出身。 1939年、関根金次郎十三世名人門下に入門。順位戦には第2期から参加し、1948年にB級昇級により飛び級で四段から七段に昇段。 七段時代はB級一位となって名人挑戦者決定のプレイオフに参加し、A級三位の大山康晴に勝ち、A級二位の松田辰雄にやぶれた。 翌年、A級に昇級し八段となる。 1999年4月、勲五等双光旭日章受章。 2008年8月30日、慶應義塾大学病院にて心不全のため、死去。 (2004年4月1日現在) この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。
大山 康晴(おおやま やすはる、1923年〈大正12年〉3月… 大山 康晴(おおやま やすはる、1923年〈大正12年〉3月13日 - 1992年〈平成4年〉7月26日)は、将棋棋士。十五世名人。棋士番号26。木見金治郎九段門下。 主な記録としては、公式タイトル獲得80期(歴代2位)、一般棋戦優勝44回(歴代2位)、通算1433勝(歴代2位)等がある。永世名人・永世十段・永世王位・永世棋聖・永世王将の5つの永世称号を保持。 順位戦A級に在籍しながら、1976年(昭和51年)12月から1989年(平成元年)5月まで日本将棋連盟会長を務めた。弟子には有吉道夫、中田功、行方尚史などがいる。1990年(平成2年)には将棋界から初めて文化功労者に選ばれた。正四位勲二等瑞宝章。
原田 泰夫(はらだ やすお、1923年3月1日 - 2004… 原田 泰夫(はらだ やすお、1923年3月1日 - 2004年7月11日)は、将棋棋士。棋士番号35。新潟県西蒲原郡(後の分水町、現在の燕市)出身。分水町名誉町民。加藤治郎名誉九段門下。 10歳のころ、13世名人(関根金次郎)の立派な指導対局姿に心を打たれ、棋士を志す。原田の父は棋士になることに反対していたが、結局は高等小学校を卒業した原田とともに上京して棋士になる手助けをしている。はじめに縁のあった溝呂木光治(当時七段)を訪ねたが、溝呂木は当時三段で足踏みしていた弟子の間宮純一の名前を出して「自分は弟子運が悪い」「私のところじゃ四段になれない」と入門を断り、加藤治郎(当時五段)を紹介した。このため加藤に弟子入りすることになった。
清野 静男(せいの しずお、1922年8月14日 - 197… 清野 静男(せいの しずお、1922年8月14日 - 1977年8月28日)は、将棋棋士。新潟県北蒲原郡(現・阿賀野市)出身。木村義雄十四世名人門下。棋士番号47。 1936年に木村義雄十四世名人門下に入門。1949年に三段で順位戦に参加しC級2組で全勝、翌1950年にC級1組昇級して六段に飛び級。四段の経験がないプロ棋士は、清野の他にはプロ編入時に五段の花村元司がいる。 1959年、第9期王将戦の二次予選で山田道美、坂口允彦に連勝し挑戦者決定リーグ入り。1965年、第6期(1965年前期)棋聖戦 決勝トーナメント出場。1972年、新たに創設された第1回(1972年後期)早指し将棋選手権で予選を勝ち抜き、本戦トーナメントに出場。
松田 茂役(まつだ しげゆき、初名は茂行、1921年6月28… 松田 茂役(まつだ しげゆき、初名は茂行、1921年6月28日 - 1988年8月2日)は、将棋棋士。棋士番号は25。鳥取県鳥取市出身。A級在籍10期。金子金五郎九段門下。 (2025年10月2日現在) (2024年11月11日現在) この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。 (棋士番号の割り当てがない棋士 → 「template:日本将棋連盟引退棋士」参照)
北村 文男(きたむら ふみお、1920年10月4日 - 19… 北村 文男(きたむら ふみお、1920年10月4日 - 1993年1月14日)は、将棋棋士、囲碁棋士。三重県鈴鹿市出身。将棋では板谷四郎九段門下。日本将棋連盟棋士番号76。囲碁では関西棋院中部総本部所属のプロ三段、伊神肇六段(関西棋院中部総本部代表)門下。 現代の棋士制度上での、唯一の、囲碁・将棋双方のプロ棋士であった。 早稲田大学卒業後、教員の傍ら、1948年10月の第2回全日本アマチュア将棋名人戦で三重県代表として出場し優勝。1950年の第4回では西日本代表(西名人)となり全国準優勝。 その後、1956年に奨励会初段試験に合格し同年奨励会「予備クラス」に入り、当時順位戦から陥落して「予備クラス」入りしていた浅沼一、後に棋士となる木村嘉孝・内藤國雄・佐伯昌優・伊達康夫らを相手に、内藤に1敗のみの11勝1敗の成績で1期で昇段を決め、翌1957年に四段昇段。
本間 爽悦(ほんま そうえつ、1919年12月23日 - 1… 本間 爽悦(ほんま そうえつ、1919年12月23日 - 1981年3月13日)は、将棋棋士。棋士番号30。大阪府枚方市出身。中井捨吉八段門下。本名は一雄。 1935年中井捨吉門下で奨励会入り。1942年四段。 1961年に第9期王座戦で優勝、1964年に第5期棋聖戦で大山康晴に挑戦するも3連敗で敗退。日本将棋連盟理事を長く務めた。 1973年八段。1981年、現役中に呼吸不全で死去。 この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。
佐瀬 勇次(させ ゆうじ、1919年3月17日 - 1994… 佐瀬 勇次(させ ゆうじ、1919年3月17日 - 1994年3月25日)は、将棋棋士。千葉県山武郡松尾町(後の山武市)出身。石井秀吉七段門下。1990年引退。棋士番号41。 戦前のアマ名人戦の県代表となる。1938年入門。軍隊生活を経験し、復帰後の1944年に四段となる。1946年より順位戦に参加。 1974年、日本将棋連盟専務理事。 現役生活44年間対局不休、無遅刻の記録を続けながら1990年3月に引退。生涯成績は458勝599敗。 1994年3月、尿毒症のため死去。享年75。 この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。
金高 清吉(かねたか せいきち、1919年3月9日 - 19… 金高 清吉(かねたか せいきち、1919年3月9日 - 1960年2月16日)は、将棋棋士。贈八段。木村義雄十四世名人門下。千葉県天津小湊町(現・鴨川市)出身。 1946年、順位戦C級に参加し、成績上位のために六段へ跳び昇段。翌年にB級に昇段する。B級2組在籍のまま、1960年に逝去。 珍形、変形、手損等は気にしない棋風で、「悪力の金高」の異名があった。 海釣りが好きで、釣った魚のことをけなされると、闘志満々で戦ったという。 非常に酒が好きであり、清野静男、間宮純一との三人で「将棋界の三奇人」とよばれた。 将棋の現行規則においては、指し手に反則行為が生じた場合には反則を犯した対局者の即負けが規定されているが、かつては反則を定めた明文規定がなく、反則規定が設けられたのは昭和32年頃であった。
南口 繁一(みなみぐち しげかず、1918年〈大正7年〉9月… 南口 繁一(みなみぐち しげかず、1918年〈大正7年〉9月4日 - 1995年〈平成7年〉9月20日)は、将棋棋士。棋士番号は37。京都府相楽郡木津町(現・木津川市)出身。村上真一八段門下。 1933年、初段で村上真一八段に入門。1935年の関西奨励会創設にあたって二段で参加。創設時の奨励会には他に大山康晴(1935年当時6級)などがいた。 大山は南口に飛車落ちで指してもらい、勝ったとはいえ大苦戦したため、「初段は強いなと子供心に思った」という[要出典]。 軍隊に行ったためブランクがあったが、1944年四段、1950年八段。1951年度の第2期九段戦で大山に挑戦するが3連敗で敗退。1984年九段、1985年4月引退。
升田 幸三(ますだ こうそう/ますだ こうぞう、1918年〈… 升田 幸三(ますだ こうそう/ますだ こうぞう、1918年〈大正7年〉3月21日 - 1991年〈平成3年〉4月5日)は、将棋棋士、実力制第四代名人。棋士番号18。 木見金治郎の弟子であり、木村義雄・塚田正夫・大山康晴と死闘を演じ、木村引退後は大山と戦後将棋界で覇を競った。昭和の将棋界で一番のスター棋士である。 名前の読みは「こうそう」であるが、将棋界では「こうぞう」で通した。 父栄一、母カツノの四男として生まれる。1932年(昭和7年)2月に「日本一の将棋指し」を目指して家出。家出の時に愛する母の使う物差しの裏に墨でしたためた「この幸三、名人に香車を引いて勝ったら…」の文言は、後に現実のものとなる(詳細は後述)。
高島 一岐代(たかしま かずきよ、1916年5月18日 - … 高島 一岐代(たかしま かずきよ、1916年5月18日 - 1986年7月29日)は、将棋棋士。大阪府八尾市出身。藤内金吾八段門下。棋士番号19。将棋棋士八段の高島弘光は甥。元指導棋士五段の高島一由岐は長男。 (2021年4月1日現在)
松浦 卓造(まつうら たくぞう、1915年1月22日 - 1… 松浦 卓造(まつうら たくぞう、1915年1月22日 - 1977年3月11日)は、将棋棋士。八段。神田辰之助九段門下。広島県三原市出身。棋士番号なし。 商業学校を中退後にアマチュア強豪として活躍。 入門は遅く、27歳だった1942年に神田辰之助に入門。28歳で二段。 1944年に四段に昇段。 戦後の1946年の順位戦C級クラスに参加、10勝4敗の好成績で六段特進。以後トントン拍子にA級へ昇級。 晩年は病気のために休場する事がしばしばあり、第30期順位戦B級2組を休場したのが順位戦の最後となった。 主催者変更問題に伴う順位戦の中断期間の最中、1977年3月11日に現役死去。 研究熱心で、豪快な攻め将棋で知られる。
大和久 彪(おおわく たけし、1914年1月23日 - 19… 大和久 彪(おおわく たけし、1914年1月23日 - 1956年8月25日)は、将棋棋士。贈八段。石井秀吉七段門下。千葉県千葉市出身。 この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。
北楯 修哉(きただて しゅうや、1912年11月15日 - … 北楯 修哉(きただて しゅうや、1912年11月15日 - 1997年1月31日)は、将棋棋士、九段。木村義雄十四世名人門下。棋士番号は24。山形県鶴岡市出身。 (棋士番号の割り当てがない棋士 → 「template:日本将棋連盟引退棋士」参照) この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
梶 一郎(かじ いちろう、1912年6月6日 - 1978年… 梶 一郎(かじ いちろう、1912年6月6日 - 1978年1月20日)は、将棋棋士、九段。土居市太郎名誉名人門下。棋士番号は12。東京府東京市(現:東京都台東区)の生まれ。 元号が明治から大正に変わる前月の明治45年(1912年)6月の生まれである。 1928年、土居市太郎に入門。同年9月に関東の奨励会が創設されている。 プロ入り(四段昇段)は1934年。以降昇段を重ね、戦時中の1943年に八段まで上り詰める。 戦後に始まった第1期順位戦(1946年度)では、A級(八段リーグ)からスタート。4勝9敗の成績で陥落枠7名の中に入り、第2期はB級で指す。 第11期(1956年度)B級2組順位戦で2位(9勝4敗)の成績を収め、B級1組に復帰。
小堀 清一(こぼり せいいち、1912年2月10日 - 19… 小堀 清一(こぼり せいいち、1912年2月10日 - 1996年2月2日)は、将棋棋士。九段。神奈川県横浜市出身。金子金五郎九段門下。
大野 源一(おおの げんいち、1911年9月1日 - 197… 大野 源一(おおの げんいち、1911年9月1日 - 1979年1月14日)は、将棋棋士。棋士番号7。東京府東京市(現:東京都台東区)出身期。木見金治郎九段門下。 東京出身だが大阪の棋士・木見金治郎の内弟子となる。同門の後輩には角田三男、升田幸三、大山康晴がいる。1929年に四段昇段。 戦前は居飛車党だったが、戦後の1947年(昭和22年)に順位戦がスタートした際に、振り飛車を積極的に採用するようになる。それまで2日制以上の長丁場が当たり前だった対局が「持ち時間各7時間の1日制」に短縮されたことから、居飛車と比べてあまり長考の必要がない振り飛車を採用したとされる。この結果、江戸中期以降は廃れていた振り飛車をプロの戦法として復活させ、「振り飛車の神様」の異名を持つ。
加藤 治郎(かとう じろう、1910年6月1日 - 1996… 加藤 治郎(かとう じろう、1910年6月1日 - 1996年11月3日)は昭和期の将棋棋士。名誉九段。棋士番号14。東京府東京市(現在の東京都港区)出身。山本樟郎八段門下。早稲田大学を卒業した、初の大学出身プロ棋士。
角田 三男(かくた みつお、1910年2月2日 - 1985… 角田 三男(かくた みつお、1910年2月2日 - 1985年5月6日)は、将棋棋士。棋士番号13。鳥取県西伯郡岸本町(現・伯耆町)出身。木見金治郎九段門下。 この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。
加藤 恵三(かとう けいぞう、1908年〈明治41年〉12月… 加藤 恵三(かとう けいぞう、1908年〈明治41年〉12月5日 - 1982年〈昭和55年〉6月26日、本名は「慶次」とも)は将棋棋士。棋士番号は22。故石井秀吉七段門下。東京都江東区出身。 明治41年、東京市深川区(現・東京都江東区)生まれ。小学校卒業後に家業を助けながら、1929年(昭和4年)に石井秀吉七段の門下となる。 1931年(昭和6年)初段入段、1937年(昭和12年)四段、その翌年に五段。 1957年(昭和32年)に引退。1968年の表彰感謝の日に七段を贈られる。 正義派で親孝行、人に好かれる明るい性格であり、また、若手の面倒をよく見る世話好きの人情家であった。 1982年6月26日、食道がんのため死去、享年73。
間宮 純一(まみや じゅんいち、1908年(明治41年)8月… 間宮 純一(まみや じゅんいち、1908年(明治41年)8月25日 - 1981年(昭和56年)11月19日)は、将棋棋士。溝呂木光治八段門下。間宮 久夢斎(きゅうむさい)とも称した。入玉狙いという特異な棋風と放浪癖から、将棋界きっての奇人変人として知られた。 静岡県田方郡大仁町(後の伊豆の国市大仁)出身。裕福な家系(後述)に生まれ、経済的に恵まれた環境で幼少期を過ごした。 中等学校を四年次で中退して溝呂木光治の弟子となり、1923年に初段となった。18歳のときには溝呂木の内弟子となり、それから4年ほどで三段まで昇段したが、なかなか四段に上がれず苦しんだ。23歳の時に内弟子を辞めて独立し、各地を放浪するようになる。
渡辺 東一(わたなべ とういち、1905年(明治38年)12… 渡辺 東一(わたなべ とういち、1905年(明治38年)12月25日 - 1985年(昭和60年)5月27日)は、将棋棋士。棋士番号4。名誉九段。日本将棋連盟会長。関根金次郎十三世名人門下。千葉県東葛飾郡関宿町(現・野田市)出身。日本将棋連盟の創設時(創設当時は東京将棋連盟)の参加棋士20人のうちの一人。 1918年、渡辺の親戚でもある関根金次郎に入門。1922年四段昇段。 1941年八段。順位戦に3期参加した後、1949年に引退。 1948年、日本将棋連盟会長に就任。在任中の1949年に名人戦の主催社が毎日新聞社から朝日新聞社に変更されるが、これは渡辺の北海道出張中に交渉を委任された加藤治郎副会長(後の名誉九段)がやったことで、渡辺の帰京後、委任の範囲を巡って渡辺と加藤の間で一悶着あったという。
木村 義雄(きむら よしお、1905年(明治38年)2月21… 木村 義雄(きむら よしお、1905年(明治38年)2月21日 - 1986年(昭和61年)11月17日)は、将棋棋士。十四世名人。棋士番号は2。東京府東京市本所区本所表町(現:東京都墨田区)出身。日本将棋連盟の創設時(創設当時は東京将棋連盟)の参加棋士20人のうちの一人。 最初の実力制による名人、かつ最初の永世名人である。 江戸っ子である下駄屋の職人の子として育ち、幼い頃から囲碁と将棋が強く、大人にも負けなかったという。父は弁護士か外交官になることを望んでいたが、知人の説得に負けて義雄に囲碁の道場に通うことを許した。しかし生家の職業上糊として使うことから白米を常食としていた義雄は、囲碁の師匠の家である日出された麦飯を二口と食べられなかった。
萩原 淳(はぎわら きよし、1904年〈明治37年〉10月1… 萩原 淳(はぎわら きよし、1904年〈明治37年〉10月11日 - 1987年〈昭和62年〉12月14日)は、将棋棋士。棋士番号5。九段。日本将棋連盟会長。土居市太郎名誉名人門下。兵庫県尼崎市出身。日本将棋連盟の創設時(創設当時は東京将棋連盟)の参加棋士20人のうちの一人。 1922年土居市太郎に入門。兄弟弟子に金子金五郎、加藤博二、大内延介らがいる。1924年四段昇段。 史上初の実力制名人を決める第1期名人戦(八段者によるリーグ、1935 - 1937年)の最中、将棋界の分裂事件(神田事件)が発生。欠員を補充する形で萩原は1936年に八段昇段し、リーグに参加。 1941年、オール八段戦優勝。
斎藤 銀次郎(さいとう ぎんじろう、1904年〈明治37年〉… 斎藤 銀次郎(さいとう ぎんじろう、1904年〈明治37年〉10月7日- 1979年〈昭和54年〉12月15日)は、元将棋棋士。1966年に日本将棋連盟を退会、連盟在籍時は石井秀吉七段門下。 1904年、東京府城東区(現:東京都江東区)大島町で生まれる。 1927年に二段で石井秀吉に入門。1929年(昭和4年)に四段。 1937年(昭和12年)に八段。第2期名人戦(1937年 - 1940年)から八段リーグに参加し、第1期順位戦(1947年)ではA級に参加。1965年(昭和40年)に引退。 引退後の1966年8月20日に、「一身上の都合」により日本将棋連盟を退会した。退会に際し、日本将棋連盟は将棋雑誌に「お知らせ」を掲載した。
永沢 勝雄(または 永澤 勝雄〈ながさわ かつお〉、1904… 永沢 勝雄(または 永澤 勝雄〈ながさわ かつお〉、1904年4月13日 - 1985年2月22日)は、将棋棋士。飯塚勘一郎八段門下。棋士番号は21。栃木県佐野市生まれ。 東京府立工業高等学校卒業後、1929年(昭和4年)に飯塚勘一郎八段に入門。 翌1930年(昭和5年)、初段昇段。 1937年(昭和12年)、四段昇段。 戦後に開始された順位戦(1946年〈昭和21年〉)には主旨不賛成のため参加せず。 その後、現役を引退。奨励会幹事を務める傍ら、長く観戦記執筆を手掛ける。 1948年(昭和23年)、五段昇段。 1950年(昭和25年)、六段昇段。 現役当時から文筆に長じる。 雑誌「将棋研究」(将棋研究会)でも執筆を行う。
市川 一郎(いちかわ いちろう、1903年2月18日 - 1… 市川 一郎(いちかわ いちろう、1903年2月18日 - 1981年9月29日)は、将棋棋士。八段。棋士番号は9。大崎熊雄九段門下。東京府東京市(現:東京都文京区)出身。 1927年に入門し1930年に四段に昇段。奨励会(関東)の創設は1928年であるため、奨励会に参加していたと思われる。 1940年に五段に昇段。戦後の1946年の順位戦C級クラスに参加し、8勝6敗と成績上位だったため六段に昇段。C級には第10期まで所属し、第10期にC級2組で降級が決まった事により引退。 この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。
畝 美与吉(うね みよきち、1900年11月15日 - 19… 畝 美与吉(うね みよきち、1900年11月15日 - 1971年9月7日)は、将棋棋士。七段。神田辰之助九段門下。広島県呉市出身。 1931年、神田辰之助に入門。翌1932年に四段昇段。 戦後は戦災のために第1期順位戦は不参加。1947年の第2期順位戦からC級に参加。1954年11月2日、第9期順位戦(C級2組)で当時14歳の加藤一二三と対戦したが、敗れている。1956年の第11期順位戦でC級2組から降格し、翌1957年は56歳にして予備クラス(現在の三段リーグに相当)で対局することになったが、1957年前期の予備クラスでも1勝11敗と大きく負け越し、1957年前期限りで引退した。 1954年の第9期順位戦(C級2組・西組)では当時14歳の加藤一二三と2局対局しいずれも敗れている。
平野 信助(ひらの しんすけ、1891年〈明治24年〉5月1… 平野 信助(ひらの しんすけ、1891年〈明治24年〉5月19日 - 1965年〈昭和40年〉12月12日)は、将棋棋士。贈七段。大崎熊雄門下。青森県出身。日本将棋連盟の創設時(創設当時は東京将棋連盟)の参加棋士20人のうちの一人。 1891年(明治24年)青森市大町生まれ。青森中学卒業後、第一高等学校の三部を受験し不合格となり、第二高等学校に進学、医学を志すも18歳の時に初期の肺結核となり進学を断念し高校中退。 青森帰郷後に杉野岩太郎(当時二段)と知り合い、杉野を目標に棋力を付ける。平野の棋力を認めた杉野の勧めで上京し、1918年(大正7年)4月に井上義雄の内弟子となり、付け出し四段となる。同じころ、将棋同盟社に入会。
福井 資明(ふくい すけあき、1888年〈明治21年〉2月1… 福井 資明(ふくい すけあき、1888年〈明治21年〉2月19日 - 1972年〈昭和47年〉4月14日)は、日本の将棋棋士。青森県弘前市出身。関根金次郎十三世名人門下。 北海道将棋連盟を結成するなど、北海道での将棋の普及活動や後進育成に尽力し、福井と師弟関係にあった棋士はいないが、のちに福井の弟弟子となる五十嵐豊一や、同じく福井の兄弟弟子である渡辺東一門下となる勝浦修の発掘に貢献している。 昭和40年代の将棋名鑑では「地方棋士」として掲載されている。死没後の2006年に九段位を追贈された。 1888年(明治21年)、津軽藩御用菓子司の弘前市の老舗「大阪屋」に生まれる。 幼少の頃、青森の杉野六段に将棋道の手解きを受け、その後旭川市に移り家業を手伝いながら将棋に打ち込んだ。
宮松 関三郎(みやまつ せきさぶろう、1886年〈明治19年… 宮松 関三郎(みやまつ せきさぶろう、1886年〈明治19年〉1月14日 - 1947年〈昭和22年〉9月26日)は、将棋棋士。贈八段。井上義雄八段門下。愛知県愛知郡豐明村出身。日本将棋連盟創設時(創設当時は東京将棋連盟)の参加棋士20人のうちの一人。 三男として生まれる。4歳の時に母を亡くし、11歳の時に宮大工の父と死別、この年の秋に奉公に出る。17歳で祖母を亡くし、18歳までに2人の兄と下の弟をいずれも亡くして孤独の身となる。 将棋は8歳の頃に覚えた。苦境の中でも好きな将棋を続け、腰の駒入れ着を手放すことはなかった。 20歳の時に東京を目指すも途中で金銭が尽き、横浜の米穀問屋での奉公となる。
大崎 熊雄(おおさき くまお、1884年〈明治17年〉 - … 大崎 熊雄(おおさき くまお、1884年〈明治17年〉 - 1939年〈昭和14年〉4月25日)は、将棋棋士。贈九段。当初は関根金次郎十三世名人門下であったが、後に井上義雄八段門下に転じる。高知県高知市出身。本名は大崎熊吉。日本将棋連盟の創設時(創設当時は東京将棋連盟)の参加棋士20人のうちの一人。 若い頃には坂本龍馬を尊敬し、政治家を志したこともあるという。 日露戦争に従軍し旅順包囲軍に参加。奉天での戦いで負傷に依り右腕の自由を失う。この負傷で伍長となり金鵄勲章を受ける。 帰還した後に関根金次郎十三世名人門下として将棋界に入り、その後井上義雄八段門下に「師匠替え」する。のちに井上の名から「雄」の字を貰い「熊雄」と改名することになる。
石井 秀吉(いしい ひでよし、1883年 - 1941年11… 石井 秀吉(いしい ひでよし、1883年 - 1941年11月2日)は、将棋棋士。七段。東京の京橋生まれで深川育ち。川井房郷七段門下。 日本将棋連盟の創設時(創設当時は東京将棋連盟)の参加棋士20人のうちの一人。 戦前死没者のため、日本将棋連盟ウェブサイト内「物故棋士一覧」に名前の掲載はないが、「棋士データベース」における加藤恵三八段、佐瀬勇次名誉九段の「師匠」欄、および「棋士系統図」においてその名を確認することができる。 明治43年(1910年)28歳の時に入段、大正4年(1915年)までに将棋同盟会(後の将棋同盟社、日本将棋連盟の前身の一つ)に付け出し二段で加入し、同年中に三段、大正7年(1918年)四段、大正11年(1922年)五段、大正14年(1925年)に六段に昇段した。
木見 金治郎(きみ きんじろう、1878年6月24日 - 1… 木見 金治郎(きみ きんじろう、1878年6月24日 - 1951年1月7日)は、将棋棋士。追贈九段。関根金次郎十三世名人門下。岡山県児島郡木見村(現・倉敷市)出身。 古鉄商の子として生まれる。明治19年、数えで9歳のころ、家族と神戸に移る。 二十歳頃までは実家にいて、家業のかたわら、賭け将棋をしていたらしい。数えの19歳の頃、後の十三世名人関根金次郎に四枚落ちで一ひねりされ、将棋の勉強を始める。1914年、家業を捨て東京に出て、関根金次郎門下に入門。プロ棋士となる。 第一次世界大戦後に古鉄の相場が再び上昇したため、大阪に戻り古鉄商を再開する。しかし将棋と力仕事の両立が難しい事から、古鉄商をやめて棋士の道を歩む。
小野 五平(おの ごへい、天保2年10月6日(1831年11… 小野 五平(おの ごへい、天保2年10月6日(1831年11月9日) - 大正10年(1921年)1月29日)は、江戸時代から明治・大正時代にかけての将棋指し・将棋棋士、十二世名人。通説では天野宗歩門下とされるが十一代大橋宗桂門下とすることもある。日本将棋連盟ではウェブサイト上の小野の紹介記事において通説は天野門下説であるとした上で大橋門下説を採っていたが、現在該当ページは削除されており、棋士系統図においても小野の師匠の欄は空欄としている。 1831年(天保2年)、阿波国美馬郡脇町(現在の徳島県美馬市)の旅籠の長男として生まれる。青年時代までは「土井喜太郎」を名乗っていた。 1846年(弘化3年)、皮膚病の治療のため有馬の温泉に滞在中、天野宗歩の門下とされる長崎出身の三段格の棋士(氏名不詳)に見いだされる。
渡部 愛 は、日本女子プロ将棋協会(LPSA)所属の女流棋士… 渡部 愛 は、日本女子プロ将棋協会(LPSA)所属の女流棋士。LPSA番号は19。北海道帯広市出身。北海高等学校卒業。身長161cm。血液型B型。
川又 咲紀 は、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流棋士、Yo… 川又 咲紀 は、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流棋士、YouTuber。森雞二九段門下。女流棋士番号は56。島根県出雲市出身。つくば開成高等学校卒。同じく女流棋士の福間香奈は実姉。
加藤 桃子 は、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流棋士。女流… 加藤 桃子 は、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流棋士。女流棋士番号は67。安恵照剛八段門下。静岡県牧之原市出身。国士舘高等学校(通信制)卒業。
船戸 陽子 は、日本女子プロ将棋協会(LPSA)に所属する女… 船戸 陽子 は、日本女子プロ将棋協会(LPSA)に所属する女流棋士である。LPSA番号18。ソムリエの資格を持つ。高柳敏夫門下。亜細亜大学出身。以前は日本将棋連盟に所属し、当時の女流棋士番号は旧25。
長谷川 優貴 は、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流棋士。女… 長谷川 優貴 は、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流棋士。女流棋士番号は44。野田敬三七段門下。兵庫県明石市出身。兵庫県立明石城西高等学校卒。
石高 澄恵 は、日本将棋連盟所属の女流棋士。武者野勝巳七段門… 石高 澄恵 は、日本将棋連盟所属の女流棋士。武者野勝巳七段門下。女流棋士番号は10(2011年3月31日までの旧番号は22)。北海道江差町出身。函館白百合学園高校卒。函館市在住(※2021年1月現在)。
本田 小百合 は、日本将棋連盟所属の女流棋士。茨城県水戸市出… 本田 小百合 は、日本将棋連盟所属の女流棋士。茨城県水戸市出身。茨城県立佐和高等学校卒業。佐瀬勇次名誉九段門下。女流棋士番号は14(2011年3月31日までの旧番号は30)。
矢内 理絵子 は、日本将棋連盟所属の女流棋士。埼玉県行田市出… 矢内 理絵子 は、日本将棋連盟所属の女流棋士。埼玉県行田市出身。身長165cm。血液型O型。関根茂九段門下。女流棋士番号16(2011年3月31日までの旧番号は32)。本庄東高等学校卒。
羽生 善治 は、日本の将棋棋士である。二上達也九段門で棋士番… 羽生 善治 は、日本の将棋棋士である。二上達也九段門で棋士番号は175。埼玉県所沢市出身。日本将棋連盟会長。