三上 隆三(みかみ りゅうぞう、1926年1月4日 - 20… 三上 隆三(みかみ りゅうぞう、1926年1月4日 - 2019年8月18日)は、日本の経済学者。位専攻は理論経済学・貨幣史・金融論。学位は経済学博士。和歌山大学名誉教授。階は従三位。2003年瑞宝中綬章受章。 京都府出身。東京商科大学で鬼頭仁三郎に師事。和歌山大学経済学部教授、京都学園大学教授を歴任。 恩師の鬼頭仁三郎は高垣寅次郎の弟子で、高垣寅次郎の孫弟子となる。 長男は、三井住友フィナンシャルグループ取締役の三上徹。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
穂積 生萩(ほづみ なまはぎ、1926年1月4日 - 没年不… 穂積 生萩(ほづみ なまはぎ、1926年1月4日 - 没年不明)は、日本の女流歌人。本名澤木 数枝。 山林大地主で資産家の澤木再吉の末娘として秋田県男鹿に生まれる。1928年、東京府荏原郡田園調布(東京都大田区田園調布)に移住。1943年、高等女学校を卒えて鈴木亨のもとで古事記を学ぶ。叔父澤木四方吉(慶應義塾大学部文学科教授)が折口信夫の旧友だった影響により、折口に傾倒。1944年4月、戦災を避けて秋田に帰郷。 1948年、折口の媒酌により、酒類評論家で技術士の穂積忠彦(俳優穂積隆信の兄)と結婚。1952年、折口から「生萩」の号を受ける(故郷秋田のナマハゲに由来)。 1975年4月、穂積と離婚。
中島 巌(なかじま いわお、1926年1月4日 - 1995… 中島 巌(なかじま いわお、1926年1月4日 - 1995年3月13日)は、日本のアマチュアゴルファー・ゴルフ指導者・ゴルフ場会社経営者・ゴルフコース設計者。中島常幸・中島和也・中島恵利華の父。群馬県桐生市出身。 アマチュアゴルファーとして活躍していたが、長男・常幸の誕生に際し、息子を一流ゴルファーに育てることを決意。常幸のみならず、三男・和也、長女・恵利華にも厳しい練習を課し、プロゴルファーに仕立て上げた。その指導は徹底しており、常幸は練習に専心するため、通っていた私立樹徳高校を中退させられたほどであった。次男・中島篤志によれば、巌は「巨人の星」の星一徹を地でいく筋金入りのがんこ親父であり、子供を“育てる”というよりも“つくる”という感じであったという。
鈴木 文彌(すずき ぶんや、1925年1月4日 - 2013… 鈴木 文彌(すずき ぶんや、1925年1月4日 - 2013年1月20日)は、日本のフリーアナウンサー、スポーツ評論家。「鈴木文弥」と新字体による表記が用いられる場合もある。 東京府(現:東京都)出身。東京府立第一商業学校を経て早稲田大学卒業。1948年にNHKに入局し、広島中央放送局・大阪中央放送局を経て、1958年より本部編成局アナウンス部に配属され、アナウンサーとして長年に亘り、スポーツ中継の実況担当で活躍。その後一時期、大阪中央放送局のチーフも務めた。 特にオリンピックでは、1964年の東京オリンピックの開会式(ラジオ。市川崑が監督を務めた記録映画で、開会式の場面で流される実況音声は鈴木のものである)や、バレーボール日本女子代表が金メダルを獲得した試合の実況を担当。
大村 裕(おおむら ゆたか、1925年1月4日 - )は、日… 大村 裕(おおむら ゆたか、1925年1月4日 - )は、日本の神経学者。九州大学・岡崎国立共同研究機構生理学研究所名誉教授、医学博士。 日本統治時代の朝鮮・京城府(現在のソウル特別市)生まれ。1947年九州帝国大学医学部卒業。1953年 九州大学 医学博士 論文の題は「神経活動に及ぼす無機及び有機燐酸塩の影響について 」。金沢大学、九州大学、富山医科薬科大学(現在は富山大学に併合)岡崎国立共同研究機構生理学研究所などで教授を務めた。 脳と疲労:慢性疲労とそのメカニズム ISBN 9784320054028
稲田 年行(いなだ ねんこう、1925年1月4日 - 201… 稲田 年行(いなだ ねんこう、1925年1月4日 - 2014年2月3日、本名:稻田俊志、いなだ としゆき)は、日本の版画家、浮世絵研究家、郷土玩具収集家、岐阜大学名誉教授、浜松大学教授( - 2000年)。位階は従四位。 東京美術学校卒、同専修科修了。安井曽太郎に師事。日本美術家連盟会員、大学版画協会会員、竹とんぼの会会員。水府森家の末裔で、森鴻次郎の孫。建築家稲田尚之の兄、版画家松田ハルミの夫、哲学者純丘曜彰、版画家稲田醍伊祐の父。憲法学者小林直樹の甥。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
高橋 元(たかはし げん、1924年1月4日 - 2013年… 高橋 元(たかはし げん、1924年1月4日 - 2013年8月9日)は日本の官僚。大蔵事務次官、公正取引委員会委員長、日本開発銀行総裁。 東京都出身。父の惟康は鉄道省を経て、横浜工業専門学校教授を務めた。府立高等学校を卒業し、1942年10月、東京帝国大学法学部法律学科に入学。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官し、伊勢防備隊付として終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1945年9月に東京帝国大学法学部法律学科、1949年3月に東京大学法学部政治学科をそれぞれ卒業。同年後期入省組として大蔵省入省。面接の日に風邪をこじらせて欠席したが、筆記試験が他者より群を抜いて高かったため、当時の村上一文書課長が「落とすにはしのびない」と、高橋一人のために例外的に面接をやり直したという。
西平重喜(にしひら しげき、1924年1月4日- )は、日本… 西平重喜(にしひら しげき、1924年1月4日- )は、日本の統計学者、統計数理研究所名誉所員。 東京生まれ。1947年北海道帝国大学理学部数学科卒業。文部省統計数理研究所(付属統計技術員養成所長)から上智大学経済学部教授、1995年定年退職。この間1974年から78年まで日本統計学会理事長。ほか世界世論調査学会理事を勤めた。娘は芥川賞作家の絲山秋子。 統計学の視点から選挙研究も行なっており、比例代表制の導入を訴えた。1993年の政治改革・選挙制度改革議論においては、民社党の推薦を受けて国会で発言した。
豊田 耕作(とよた こうさく、1923年(大正12年)1月4… 豊田 耕作(とよた こうさく、1923年(大正12年)1月4日 - 2012年(平成24年)2月13日) は、日本の教育者、金属工学者(冶金学者)。千葉工業大学元理事長・千葉工業大学元会長。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
山田 風太郎(やまだ ふうたろう、1922年1月4日 - 2… 山田 風太郎(やまだ ふうたろう、1922年1月4日 - 2001年7月28日)は、日本の小説家。本名は山田 誠也(やまだ せいや)。戦後日本を代表する娯楽小説家の一人。東京医科大学(入学時は東京医学専門学校)卒業、医学士号取得。 『南総里見八犬伝』や『水滸伝』をはじめとした古典伝奇文学に造詣が深く、それらを咀嚼・再構成して独自の視点を加えた伝奇小説、推理小説、時代小説の3分野で名を馳せる。特に奇想天外なアイデアを用いた『魔界転生』や忍法帖シリーズに代表される大衆小説で知られている。2010年(平成22年)、その名を冠した「山田風太郎賞」が創設された。 筆名は、中学生時代に3人の友人らと互いに呼び合うのに用いた雷 / 雨 / 雲 / 風という符丁、そして受験雑誌への投稿時代にペンネームとして使用した「風」に由来する。
木村 肥佐生(きむら ひさお、1922年(大正11年)1月4… 木村 肥佐生(きむら ひさお、1922年(大正11年)1月4日 - 1989年(平成元年)10月9日)は、亜細亜大学アジア研究所教授。チベット研究で著名。モンゴル名はダワサンボー。 長崎県佐世保市生まれ。九州学院卒業後、海員養成所に入り、南洋定期航路線に乗り組むも船員生活を断念。1940年、興亜院のモンゴル留学生として蒙古善隣協会興亜義塾に二期生として入学(同じくチベット調査した西川一三は三期生)。1941年蒙古善隣協会職員。1942年、大東亜省内蒙古張家口大使館調査課。1943年、チベットに潜行して諜報活動に従事し、プンツォク・ワンギャルらチベット人と知り合う。1950年、インド経由で日本に帰国。
神保 博行(じんぼ ひろゆき、1922年1月4日 - 201… 神保 博行(じんぼ ひろゆき、1922年1月4日 - 2012年)は、日本の教育哲学者、香道家。 東京生まれ。東京文理科大学哲学科卒。中央大学文学部教育学科教授。1992年定年退職、名誉教授。三条西実隆を始祖とする香道御家流の皆伝で、香道御家流桂雪会会長。
大河 百々代(おおかわ ももよ、1922年1月4日 - 19… 大河 百々代(おおかわ ももよ、1922年1月4日 - 1942年7月)は、日本の女優である。父は大都映画創立者の河合徳三郎、姉は女優の琴路美津子、異母姉も女優の三城輝子である。満20歳で早世した。 1922年(大正11年)1月4日、東京府東京市(現在の東京都区部)に、のちに河合映画製作社、大都映画を設立する河合徳三郎を父とし、「大川世喜子」として生まれた。 東京高等音楽学院大塚分教場(現在の東邦音楽大学)に学び、1934年(昭和9年)に父の経営する大都映画に12歳で入社する。同年、隼秀人(のちのハヤフサヒデト)主演、大江秀夫監督のサイレント映画『俺は日本人だ』に出演して、映画界にデビューする。
勘解由小路 資淳(かでのこうじ すけあつ、1922年〈大正1… 勘解由小路 資淳(かでのこうじ すけあつ、1922年〈大正11年〉1月4日 - 2019年〈平成31年〉2月2日)は、室町時代に栄えた日野家分家である烏丸家の分家に当たる勘解由小路家11代目の当主、子爵。山口県に在住し、日本一長い五文字の名字を持つ人物の一人であることでも知られていた。山形県山形市生まれ。 出生時の名は松村淳二。大分県知事や貴族院勅選議員を務めた松村義一の次男であり、戸籍上の父である勘解由小路資承は母方の祖父にあたる。4歳で資承の養嗣子となり、資淳に改名し、勘解由小路家11代目当主となった。 母の松村好子(まつむら いつこ)は子爵勘解由小路資承の長女であり、副島種臣の外孫でもあった。
鈴木 英夫(すずき ひでお、1922年1月4日 - 2018… 鈴木 英夫(すずき ひでお、1922年1月4日 - 2018年10月28日)は、日本の経営者。兼松江商社長、会長を務めた。静岡県御殿場市出身。 1946年に東京商科大学を卒業し、同年に兼松江商に入社。1969年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1981年12月に社長に就任し、1989年6月には会長に就任し、1992年6月に相談役を経て、1994年6月から名誉顧問を務めた。 1983年5月に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2018年10月28日老衰のために死去。96歳没。
岩宮 武二(いわみや たけじ、1920年(大正9年)1月4日… 岩宮 武二(いわみや たけじ、1920年(大正9年)1月4日 - 1989年(平成元年)6月26日)は、日本の写真家。鳥取県米子市出身。 叔父(米子写友会の中心的メンバーであった村上誠三)が写真店を経営していたことから、少年期から写真に興味を持つ。 米子商蚕学校(現・鳥取県立米子南高等学校)卒業。阪急百貨店に就職後、プロ野球・南海(現・福岡ソフトバンクホークス)二軍に入るが、まもなく体を壊し退団。商船会社に勤めるかたわら、入会した丹平写真倶楽部で、安井仲治、上田備山らと知り合う。 第二次世界大戦での出征を経て、戦後に「岩宮フォトス」を開業しフリーカメラマンとなる。1962年『佐渡』(朝日新聞社)。
酒井 新二(さかい しんじ、1920年1月4日 - 2016… 酒井 新二(さかい しんじ、1920年1月4日 - 2016年12月18日)は、日本のジャーナリスト。 東京都千代田区神田須田町に自転車屋を営む家の7人兄弟の次男として生まれる。浦和高等学校を経て東京帝国大学法学部政治学科(南原繁研究室所属)を卒業。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、1942年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。太平洋戦争に従軍しラバウルをはじめ南方海域を転戦。1944年5月に海軍主計大尉に進む。1945年8月6日の広島原爆を呉にて、9日の長崎原爆を大村にて体験。松山海軍航空隊主計長兼同地軍需部支部員として終戦を迎えた。
小糸 久弥(こいと きゅうや、1920年1月4日 - 196… 小糸 久弥(こいと きゅうや、1920年1月4日 - 1968年2月15日)は、日本の経営者。小糸製作所元社長。東京都出身。 1942年に東京工業大学電気工学科を卒業し、後に小糸製作所に入社。 1955年5月に取締役に就任し、1962年1月には社長に昇格。 1968年2月15日重症大腸炎のために死去。48歳没。
玉城 俊一(たまき としかず、1920年(大正9年)1月4日… 玉城 俊一(たまき としかず、1920年(大正9年)1月4日 - 1991年(平成3年)7月17日)は、日本の銀行家。荘内銀行頭取を務めた。 東京生まれ。学徒出陣を経て安田銀行(のち富士銀行)入行。安田商店発祥の地である小舟町支店で取締役支店長を務めた。 1970年代、荘銀がメイン先を務める農機具製造の今間製作所(現:コンマ製作所)や、庄内交通等の経営危機が表面化しその不良債権処理に際して、ノウハウの提供と資金的、人的支援を安田銀行以来の親密先である富士銀行に求めることになり、玉城が招聘され第5代頭取に就任した。 頭取時代は、山形相互銀行(現:きらやか銀行)と折半出資により、エスワイコンピューターサービスを設立し、委託方式で共同オンラインを稼動させた。
三田 政夫(さんた まさお、1919年1月4日 - 没年不明… 三田 政夫(さんた まさお、1919年1月4日 - 没年不明)は、兵庫県出身のプロ野球選手(外野手)。
梶木 又三(かじき またぞう、1919年1月4日 - 200… 梶木 又三(かじき またぞう、1919年1月4日 - 2008年5月21日)は、日本の官僚、政治家。自由民主党参議院議員(3期)。兵庫県神戸市出身。1990年勲一等瑞宝章受章。 1942年京都帝国大学農学部農林工学科卒業後、農林省に入省。農地局建設部長を退官後の1971年、参議院議員選挙に全国区から全国土地開発事業団を支持団体に自民党公認で出馬し初当選。 なお、この選挙を通じて選挙違反で関係者が17人逮捕されたほか、岡山県和気町議会副議長、町議員ら3人が被供応(料亭で梶木派関係者からもてなしを受けたもの)、文書頒布による選挙違反の疑いで逮捕されている。 その後比例代表区に回り連続当選3回。自民党内では佐藤栄作→田中角栄→竹下登派に所属し、大蔵政務次官(三木武夫内閣)、環境庁長官(第1次中曽根内閣)、自民党参議院幹事長などを歴任した。
関 主税(せき ちから、1919年1月4日 - 2000年1… 関 主税(せき ちから、1919年1月4日 - 2000年11月1日)は、日本画家、日本芸術院会員。 千葉県出身。1941年東京美術学校卒。戦後日展に出品、1986年日本芸術院賞受賞。1992年日本芸術院会員。1994年勲三等瑞宝章受章。1999年日展理事長。
菅 浦一(すが うらいち、1919年1月4日 - 2003年… 菅 浦一(すが うらいち、1919年1月4日 - 2003年11月23日)は、日本の実業家、馬主。 平和農産工業株式会社社長、日本馬主協会連合会第10代会長を務めた。 1919年、愛媛県出身。明治大学卒業後、三菱鉱業を経て1948年12月に製鉄原料の販売を手掛ける不二興産株式会社を設立した。ほかフェロアロイを取り扱う極東工業株式会社社長、ゴルフ場運営などを行う平和農産工業株式会社・西南観光開発株式会社各代表を歴任。2003年11月23日、肺気腫のため死去。83歳没。 趣味はゴルフ、読書。 日本中央競馬会に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は黄、赤鋸歯形、冠名には「アモン」を用いた。「株式会社アモン」の法人名義も存在し、そちらの勝負服の柄は黄、袖青一本輪、赤鋸歯形となっている。
新関 欽哉(にいぜき きんや、1916年 <大正5年> 1月… 新関 欽哉(にいぜき きんや、1916年 <大正5年> 1月4日 - 2003年 <平成15年> 8月11日)は、日本の外交官。印章の研究者でもあった。位階は正三位。 東京都出身。武蔵高等学校を卒業後、1938年東京大学法学部政治学科卒業。 外務省に入省し、1938年外務省在外研究員、1951年欧米局第5課長(ソ連課長)、1956年在ソ大使館参事官(代理大使)、1958年欧亜局参事官、1963年大臣官房国際資料部長(初代)、在香港総領事、1966年情報文化局長、1968年在オーストリア特命全権大使、1971年在ソ連特命全権大使、1972年在モンゴル大使兼任、1973年在インド特命全権大使。その後、日本国際問題研究所理事長、ソ連研究センター所長、原子力委員会委員を務める。
堀田 正久(ほった まさひさ、1915年〈大正4年〉1月4日… 堀田 正久(ほった まさひさ、1915年〈大正4年〉1月4日 - 2003年〈平成15年〉1月13日)は、日本の政治家。3代目の千葉県佐倉市長で、4期16年にわたり務める。旧佐倉藩主堀田氏当主。実業家の小佐野賢治は義弟にあたる。位階は正五位。 堀田正恒伯爵の嫡男として東京府東京市本郷区弥生町に於いて生まれる。文京区立誠之小学校、東京府立第五中学校、東京高等学校を卒業。東京帝国大学法学部政治学科に入学し、1940年(昭和15年)卒業。短期現役海軍主計科士官(4期)を志願し、1940年5月、海軍経理学校に入学して海軍主計中尉に任官。同年9月に卒業。病のため長期療養となる。1942年(昭和17年)3月、主計大尉に進む。
桑野 通子(くわの みちこ、1915年1月4日 - 1946… 桑野 通子(くわの みちこ、1915年1月4日 - 1946年4月1日)は、昭和初期の女優。本名は桑野 通(くわの みち)。スラリとした抜群のプロポーションとモダンな美しさで人気を博し、高峰三枝子や三宅邦子・高杉早苗らと共に戦前の若手銀幕スターとして一翼を担った。愛称はミッチー。娘は元女優の桑野みゆき。
山田 勝次(やまだ かつじ、1915年1月4日 - 1989… 山田 勝次(やまだ かつじ、1915年1月4日 - 1989年7月18日)は、日本の実業家。東陶機器(現TOTO)社長や、同社取締役会長を務めた。正四位勲二等瑞宝章。 1936年長崎高等商業学校(現長崎大学)卒業、東洋陶器入社。1959年取締役昇格。1961年常務取締役。1973年専務取締役。1975年取締役副社長。1979年から取締役社長を務め、営業、開発、製造の連携を進めるなどした。1985年取締役会長。1986年勲二等瑞宝章受章。1989年相談役、正四位。性格は温厚。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
川上 保雄(かわかみやすお、1914年1月4日 - 2015… 川上 保雄(かわかみやすお、1914年1月4日 - 2015年7月28日)は、日本の医学者。昭和大学(現・昭和医科大学)学長を務めた。 長野県南佐久郡川上村生まれ。旧制野沢中学(長野県野沢北高等学校)、旧制松本高等学校理科を経て、昭和14年(1939年)東京帝国大学医学部医学科卒業。同年海軍中尉、同16年(1941年)大尉、同19年(1944年)少佐。同21年(1946年)復員除隊。 同22年(1947年)東京大学医学部助手、同30年(1955年)講師、同34年(1959年)昭和医科大学教授、同47年(1972年)医学部長、同53年(1978年)理事長、同58年(1983年)学長を歴任した。同61年(1986年)退任、名誉教授。
藤田 一郎(ふじた いちろう、旧姓・藪原、前名・榮、1914… 藤田 一郎(ふじた いちろう、旧姓・藪原、前名・榮、1914年〈大正3年〉1月4日 - 没年不明)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(広島県第一区選出)。 福岡県、藪原武彦の三男。1936年3月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。鉄道省に勤務する。1946年4月、第22回衆議院議員総選挙に無所属で出馬し、衆議院議員に当選。同年11月、藤田組(現フジタ)取締役副社長に就任。 藤田組副社長、広島バス会長、藤栄工業、藤栄林業各社長などをつとめる。1947年4月、第23回衆議院議員総選挙に日本社会党から出馬し、衆議院議員に当選。社会革新党に所属。1948年5月、竹中工務店に関する融資問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。
亀谷 長榮(かめや ちょうえい、1914年(大正3年)1月4… 亀谷 長榮(かめや ちょうえい、1914年(大正3年)1月4日 - 1999年(平成11年))は、日本の政治家。福岡県筑紫郡春日村(現、春日市)村議会議員(2期)、同町議会議員(2期)。同議長(2期)。 春日市長(3期。第2・3・4代)を務めた。 1914年(大正3年)1月に、第一尚氏の末裔とされる亀谷家(福山英治著、大神二郎発行『波濤を越えて 亀谷長栄伝記』葦書房有限会社、初版昭和61年9月15日、8頁。以下特に脚注・出典の記載がないかぎり記述は全て同書からの引用である。また名の表記については同書に基づき「長栄」とする。)の亀谷長睦と、その妻であるツルとの間に沖縄県島尻郡玉城村字屋嘉部(現、南城市字玉城屋嘉部)に生まれる。
小野 正文(おの まさふみ、1913年(大正2年)1月4日 … 小野 正文(おの まさふみ、1913年(大正2年)1月4日 - 2007年(平成19年)9月21日)は、日本の教育者、太宰治研究家。筆名は斧稜(おのりょう)。日本近代文学研究者の小野隆祥は兄。 青森県北津軽郡生まれ。青森中学在学中に、先輩の太宰治と知り合う。1938年東京帝国大学法学部卒業。青森県で教職につく。青森県立図書館長、1963 - 69年青森県立弘前南高等学校初代校長、青森中央短期大学教授、1982年同学長。青森中央学院大学客員教授。長年にわたる太宰治研究を評価され、2005年弘前大学から名誉博士号が授与された。多くの学校の校歌を作詞した。
鳥居 正一郎(とりい しょういちろう、1913年1月4日 -… 鳥居 正一郎(とりい しょういちろう、1913年1月4日 - 1992年2月21日)は、日本の経営者。阪急百貨店社長、会長を務めた。東京都出身。 東京都生まれだが、姉の天津乙女が宝塚歌劇団に入団した関係で一家で兵庫県宝塚市へ移住した。旧制浪速高等学校を経て、1936年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に阪神急行電鉄に入社し、1年間は車掌や運転士を務めた。現業部門から離れてからは同社百貨店部で勤務していた。 1947年に分社化に伴い、阪急百貨店に転じた。1962年5月に取締役に就任し、1969年5月に常務、1973年5月に専務、1979年6月に副社長を経て、1981年6月に社長に就任した。前任の野田孝から健康と人柄とを見込まれてのものであった。
澤田 悌(さわだ やすし、1913年1月4日 - 2003… 澤田 悌(さわだ やすし、1913年1月4日 - 2003年4月3日)は、日本の金融官僚。公正取引委員会委員長を務めた。 福島県須賀川市出身。1935年に高等試験行政科に合格し1936年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に日本銀行に入行。 1966年6月から1969年12月までに理事を務めた。1969年12月に国民金融公庫総裁、1976年4月に公正取引委員会委員長を経て、1977年10月から1981年9月までに日本住宅公団総裁を務めた。 1985年4月に勲一等瑞宝章を受章。 2003年4月3日肺炎のために死去。90歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
阿部 富美子(あべ ふみこ、1912年〈明治45年〉1月4日… 阿部 富美子(あべ ふみこ、1912年〈明治45年〉1月4日 - 2005年〈平成17年〉)は、日本の詩人。群馬県文学賞(詩部門)選考委員を務めた。本名・瓦井。 群馬県渋川市生まれ。渋川高等女学校(現・群馬県立渋川女子高等学校)を経て日本女子大学を卒業。 1941年(昭和16年)詩作を始め、笹沢美明・岡田刀水士に師事。1954年(昭和29年)『詩学』推薦詩人となった。1950年(昭和25年)日本女詩人会員。1951年(昭和26年)『青猫』同人になる。1957年(昭和32年)日本現代詩人会員。 1963年(昭和38年)第1回群馬県文学賞受賞。1976年(昭和51年)『風雷』に代表作「赤城のこころ」を発表。
井出 一太郎(いで いちたろう、1912年1月4日 - 19… 井出 一太郎(いで いちたろう、1912年1月4日 - 1996年6月2日)は、日本の政治家。内閣官房長官(第39代)、農林大臣(第23-24代)、郵政大臣(第29代)。衆議院議員(16期)。 長野県(旧南佐久郡臼田町、現佐久市)出身。家は元禄時代(1688年~1704年)から続いた古い造り酒屋の橘倉酒造。県会議員を務めた今朝平の長男。 旧制野沢中学(長野県野沢北高等学校)を経て、1931年旧制松本高校文科甲類卒業。10年間家業に専念した後、1941年京都帝国大学農学部入学。すでに3人の子持ちで、家業をみながらの大学生活だった。 1946年、第22回衆議院議員総選挙に旧長野2区から初当選。連続当選16回。
湯浅 正次(ゆあさ しょうじ、1911年〈明治44年〉1月4… 湯浅 正次(ゆあさ しょうじ、1911年〈明治44年〉1月4日 - 1999年〈平成11年〉1月7日)は、日本の実業家・政治家。新島学園中学校・高等学校、新島学園短期大学創設者。安中市長を5期20年に渡って務めた。群馬県安中市出身。位階は正五位。 1911年(明治44年)、群馬県碓氷郡安中町(現・安中市安中)に、湯浅三郎の四男として生まれる。実家湯浅家は天保3年(1832年)創業の醸造業有田屋を営んでおり、祖父治郎は衆議院議員・県会議員、父三郎は25年間にわたり安中町長を、さらに県会議員を務めた。 旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)を中退後、1947年(昭和22年)に有田屋代表取締役社長に就任して家業を継いだ。
今川 正彦(いまがわ まさひこ、1911年(明治44年)1月… 今川 正彦(いまがわ まさひこ、1911年(明治44年)1月4日 - 1996年(平成8年)12月7日)は、日本の官僚、都市計画家・ランドスケープアーキテクト、政治家。1981年から2期8年にわたり京都府京都市長も務める。 山口県防府市出身。岡山県第二岡山中学校(岡山県立岡山操山中学校・高等学校の前身)から再興旧制山口高等学校(山口大学の前身)を経て、1935年(昭和10年)東京帝国大学農学部(東京大学農学部の前身)を卒業。折下吉延に師事。卒業後内務省に入り都市計画千葉地方委員会技師。戦前は中国勤務、1939年に北京の華北政務委員会建設総省に派遣となるがそこで終戦を迎える。都市計画の専門家として暫くは北京に残り、1946年の夏に引き揚げ、翌1947年1月に戦災復興院の施設課長に就任する。
滝山季乃(瀧山季乃、たきやま すえの、女性、1910年1月4… 滝山季乃(瀧山季乃、たきやま すえの、女性、1910年1月4日-1993年4月9日)は、英文学者。文学博士(同志社女子大学・1983年)。 1910年(明治34年)大阪府生まれ。1934年(昭和9年)同志社大学英文科卒。主婦をしたのち、第二次世界大戦後同志社女子大学助教授、同大学家政学部教授。1983年(昭和58年)「ハーデイの小説研究」で同志社女子大学より文学博士の学位を取得。80年定年、名誉教授。詩人のトマス・ハーディの著作の翻訳、研究が専門分野。
高橋 亘(たかはし わたる、1909年1月4日 - 2005… 高橋 亘(たかはし わたる、1909年1月4日 - 2005年8月19日)は、日本の哲学・宗教学者。 東京出身。1923年京都帝国大学文学部独文科入学、転じて1934年哲学科卒。のち静岡大学教授を務め、1972年定年退官、名誉教授。
高城 元(たかぎ はじめ、1909年 <明治42年> 1月4… 高城 元(たかぎ はじめ、1909年 <明治42年> 1月4日 - 1989年 <平成元年> 11月15日)は、日本の官僚、経営者。商工組合中央金庫理事長を務めた。 東京都出身。1932年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、高文行政科にも合格。通商産業省東京通産局長、日本商工会議所、東京商工会議所各専務理事を経て、1967年11月から1975年11月までに商工組合中央金庫理事長を務めた。1976年には日刊工業新聞社社長に就任し、1978年12月に会長を経て、1980年には相談役に退いた。 1972年9月に藍綬褒章を受章し、1979年5月に勲二等瑞宝章を受章。 1989年11月15日老衰のために死去。
具島 勘三郎(ぐしま かんざぶろう、1908年1月4日 - … 具島 勘三郎(ぐしま かんざぶろう、1908年1月4日 - 1970年9月24日)は、日本の経営者。福岡県福岡市出身。 1930年に東京帝国大学法学部法科を卒業し、1932年10月に福岡日日新聞社に入社。1943年に西日本新聞社に転じ、1949年に取締役に就任し、1957年に常務、1959年に専務を経て、1969年5月に社長に就任。 1970年9月24日、慢性膵臓炎のために死去。62歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 12008年3月で終刊。 2資本・友好関係のあるテレビ局・ラジオ局。
福井 伸二(ふくい しんじ、明治41年(1908年)1月4日… 福井 伸二(ふくい しんじ、明治41年(1908年)1月4日 - 平成2年(1990年)7月16日)は日本の機械工学者、金属工学者(冶金学者)。 日本における塑性加工研究の第一人者で、文化勲章受章者。日本学士院会員。宇宙開発新議員会委員。航空技術審議委員会委員。千葉工業大学第10代目理事長、理化学研究所第4代理事長を経て、千葉工業大学第2代会長に就任、芝園・茜浜両校舎の取得並びに同大大学院設置などに尽力。平成2年7月16日に没した。同年9月18日に芝園キャンパス体育館で大学葬が行われ、大学関係者、学界・教育関係者1500人が参列した。
高光 一也(たかみつ かずや、1907年1月4日 - 198… 高光 一也(たかみつ かずや、1907年1月4日 - 1986年11月12日)は、日本の洋画家。石川県石川郡潟津村(現・金沢市北間町)出身。中村研一に師事。金沢美術工芸大学名誉教授。日展文部大臣賞、日本芸術院賞受賞。日本芸術院会員、文化功労者。真宗大谷派専称寺住職。 真宗大谷派専称寺住職・高光大船の長男として生まれる。大正14年、石川県立工業学校(現・石川県立工業高等学校)図案絵画科を卒業。小学校教師を経て、昭和4年の第16回二科展に「卓上静物」を出品し、初入選。同年より中村研一に師事する。昭和7年、第13回帝展に「兎の静物」を出品し、初入選。画業に専念する。昭和12年、第1回新文展に「藁積む頃」を出品し、特選。
越田 覚造(こしだ かくぞう、1907年〈明治40年〉1月4… 越田 覚造(こしだ かくぞう、1907年〈明治40年〉1月4日 - 没年不明)は、日本の実業家。日本端子元社長。ラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)元社長。富士観光元社長。農林大臣を務めた河野一郎や参議院議長を務めた河野謙三は義兄にあたる。 富山県出身。越田覚二の長男として生まれる。1930年(昭和5年)東京商科大学を卒業後、昭和肥料に入社。1945年(昭和20年)日本肥料四日市工場総務部長となり、1948年(昭和23年)東海硫安工業取締役四日市工場長に就任。 1951年(昭和26年)本社営業部長に転じ、1958年(昭和33年)7月監査員を兼任し、1962年(昭和37年)10月日本端子社長、1963年(昭和38年)6月ラジオ関東副社長に選任される。
川上 良作(かわかみ りょうさく、1906年1月4日 - 不… 川上 良作(かわかみ りょうさく、1906年1月4日 - 不明)は、長野県出身のプロ野球選手。 赤穂実業から八王子実業団を経て1937年に名古屋金鯱軍へ入団。開幕戦となる3月28日の東京巨人軍戦では8番サードでスタメン出場した。 同年の秋季リーグ終了後に退団した。
土橋 里木 (つちはし りき、明治38年(1905年)1月4… 土橋 里木 (つちはし りき、明治38年(1905年)1月4日) - 平成10年(1998年)11月25日)は、山梨県出身の郷土史家。民俗学、口承文芸研究者。本名は土橋 力。 山梨県西八代郡上九一色村古関(現在の甲府市古関町)に、父「喜一」、母「かん」の長男として生まれる。上九一色尋常小学校を経て、1922年(大正11年)に山梨県立甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校)を卒業する。同年、父親が第四代局長を務める上九一色郵便局に勤務する。上九一色郵便局は1874年(明治7年)7月に開局し、里木の曽祖父である土橋助右衛門は初代局長を務めている。 昭和23年(1948年)に里木は五代目の上九一色郵便局長となり、昭和48年(1973年)に退官する。
尾上 正男(おのえ まさお、1905年1月4日 - 1999… 尾上 正男(おのえ まさお、1905年1月4日 - 1999年5月16日)は、日本の国際政治学者、法学者、ソ連研究者。神戸大学名誉教授。 鹿児島県鹿児島市出身。1929年京都帝国大学法学部卒業。満州のハルピン学院や建国大学で教授を務める。終戦直前に現地召集され、戦後は5年間シベリア抑留された。 1951年より神戸大学法学部教授、1968年定年退官、名誉教授。同年より神戸学院大学法学部教授を務め、1974年から1980年までは学長も務めた。1989年退職。 1961年、「ソビエト外交史」で京都大学法学博士。1975年勲三等旭日中綬章受章。
大野 実之助(おおの じつのすけ、1905年1月4日 - 1… 大野 実之助(おおの じつのすけ、1905年1月4日 - 1989年10月14日)は、日本の漢文学者。 和歌山県生まれ。早稲田大学高等師範部卒、教員検定試験合格。1960年「李太白研究」で早大文学博士。早大文学部助教授、教授、75年定年、名誉教授。
石田 龍次郎(いしだ りゅうじろう、1904年1月4日 - … 石田 龍次郎(いしだ りゅうじろう、1904年1月4日 - 1979年1月11日)は、日本の地理学者。一橋大学名誉教授。日本地理学会会長(1966-67)。 石川県能美郡小松町(現・小松市)で酒類販売商を営む麦谷家の六男として生まれる。14歳で尋常高等小学校の高等科を修了し、石川県立小松中学校に入学する。1921年第四高等学校理科甲類に入学し、1924年に卒業。1927年、東京帝国大学理学部地理学科卒業。在学中は山崎直方、辻村太郎、多田文男等の指導を受ける。同年4月、石田姓を継いで石田龍次郎と改姓。同年東京商科大学予科講師に就任。同専門部講師、予科教授を経て、1949年一橋大学社会学部教授。1967年、定年退官、名誉教授。
比佐 芳武(ひさ よしたけ、本名:武久 猛〈たけひさ たかし… 比佐 芳武(ひさ よしたけ、本名:武久 猛〈たけひさ たかし〉、1904年1月4日 - 1981年12月17日)は、日本の元脚本家である。マキノ正博のもっとも苦しんだ若い時期に惜しみなく協力した盟友であり、「七つの顔を持つ男」で知られる片岡千恵蔵の当たり役「多羅尾伴内」の生みの親である。 現在の北海道滝川市に生まれる。 マキノ・プロダクションに入社、同社で初めて採用されたのはオリジナルストーリーであった。中川信夫が脚本化し、マキノ正博が監督したこの『浪人太平記』は、1931年(昭和6年)3月19日に公開された。同年のマキノ解散後は、高村正次が興した「正映マキノキネマ」で1932年(昭和7年)、マキノ正博が「青山正雄」名義で監督した『喧嘩道中記』、おなじくマキノが監督した『二番手赤穂浪士』の2作にオリジナル脚本を書いた。