桑原 茂樹(くわはら しげき、1944年〈昭和19年〉3月4… 桑原 茂樹(くわはら しげき、1944年〈昭和19年〉3月4日 - )は、日本の通産官僚。東京都出身。元関東通商産業局長。
3月4日生まれ:282人
桑原 茂樹(くわはら しげき、1944年〈昭和19年〉3月4… 桑原 茂樹(くわはら しげき、1944年〈昭和19年〉3月4日 - )は、日本の通産官僚。東京都出身。元関東通商産業局長。
本村 三四子(もとむら みよこ、1944年3月4日 - )は… 本村 三四子(もとむら みよこ、1944年3月4日 - )は、日本の元漫画家。山口県出身。山口県立徳山高等学校卒業。名前の由来は、三月四日生まれから。 ドラマ化、その後映画化もされた「おくさまは18歳」の原作者として知られるが、2018年現在は引退状態にある。
谷 勝英(たに かつひで、1944年3月4日 - 2002年… 谷 勝英(たに かつひで、1944年3月4日 - 2002年4月6日)は、日本の社会学者。 大阪府生まれ。1968年埼玉大学教育学部卒業。1972年明治学院大学大学院社会学研究科修士課程修了。東北福祉大学社会福祉学部講師、助教授、教授。一時期プリンストン大学人口研究所(Office of Population Research)の客員研究員をしていた。 2002年4月6日、急性大動脈解離のため死去。
五十嵐 威暢(いがらし たけのぶ、1944年3月4日 - 2… 五十嵐 威暢(いがらし たけのぶ、1944年3月4日 - 2025年2月12日)は、日本の彫刻家、デザイナー。多摩美術大学名誉教授。 北海道滝川市生まれ。中学入学時に上京。グラフィック・プロダクトデザイナーとして活動後、1994年以降は本拠をロサンゼルスへ移し彫刻制作に専念、その後2004年6月に帰国した。代表作はニューヨーク近代美術館をはじめ、世界30カ所以上の公立美術館に永久保存され、個人作品集は現在までに、日本、中国、韓国、ドイツ、スイス、英国、米国で出版されている。 おじは建築家の五十嵐正。元新十津川町応援大使。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
立花 照人(たちばな てるひと、1943年3月4日 - 20… 立花 照人(たちばな てるひと、1943年3月4日 - 2015年3月19日[要出典])は、岩手県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。 遠野高校から1961年に阪急ブレーブスに入団。1試合しか出場できず(捕手登録だが一塁手として出場)、1962年に引退。引退後は地元岩手で食堂を経営。また、野球活動も務めており岩手プロ野球OB振興会の会長や岩手21赤べこ野球軍団の設立にも関わった。
松本 南海雄(まつもと なみお、1943年3月4日 - )は… 松本 南海雄(まつもと なみお、1943年3月4日 - )は、日本の実業家、薬剤師。マツキヨココカラ&カンパニーの会長。日本チェーンドラッグストア協会名誉会長・常任理事。千葉県松戸市出身。千葉県立東葛飾高等学校、日本大学理工学部薬学科(現・日本大学薬学部)卒業。旭日小綬章を受章。 マツモトキヨシの創業者である松本清の次男として生まれる。元社長で衆議院議員を務めた松本和那は兄、マツモトキヨシHD社長の松本清雄は長男、マツモトキヨシ現社長の松本貴志は次男にあたる。 高校生のとき、和那が勘当されて駆け落ちしたため(後に許される)、文系志望だった南海雄が急遽、跡継ぎとして理工学部薬学科(日本大学)に進学させられたというエピソードがある。
林 敏彦(はやし としひこ、1943年3月4日 - 2017… 林 敏彦(はやし としひこ、1943年3月4日 - 2017年4月28日)は、日本の経済学者。専門は、公共政策・経済政策。大阪大学名誉教授。同志社大学特別客員教授、放送大学客員教授。 岡山県出身。岡山県立朝日高等学校、1966年京都大学経済学部卒業。京大時代は学生運動に身を投じるもその後離反。大阪大学大学院経済学研究科修士課程へ進学し熊谷尚夫に師事。フルブライト奨学生としてアメリカのスタンフォード大学博士課程へ留学しPh.D.(数理経済学専攻、1972年)を取得。スタンフォード大学でケネス・アローに師事。 神戸商科大学(現・兵庫県立大学)経済研究所助手(1967-1971年)、神戸商科大学商経学部講師/助教授(1971-1980年)を経て、蝋山昌一(元大阪大学教授)の招きで大阪大学経済学部へ移籍。
籾井 勝人(もみい かつと、1943年3月4日 - )は、日… 籾井 勝人(もみい かつと、1943年3月4日 - )は、日本の実業家。元三井物産副社長、元日本放送協会(NHK)会長。日本小学生バドミントン連盟名誉会長。 三井物産米州監督兼米国三井物産社長、三井物産本社専務取締役、副社長を経て、日本ユニシス代表取締役社長、相談役・特別顧問。のち日本放送協会(NHK)会長(第21代)。他にアジアバドミントン連盟会長、日本バドミントン協会副会長、日本小学生バドミントン連盟会長を歴任した。 福岡県嘉穂郡山田町(後の山田市、現:嘉麻市)出身。実家は筑豊炭田周辺の「籾井鉱業」。血液型はB型。家族は妻と2女。娘の一人は文科省官僚の籾井圭子(2022年11月現在日本オリンピック委員会(JOC)常務理事、元東京五輪大会組織委員会常務理事)。
田村 奈巳(たむら なみ、1942年3月4日 - )は、日本… 田村 奈巳(たむら なみ、1942年3月4日 - )は、日本の女優。本名は平野 まゆみ。旧姓・旧芸名は田村 まゆみ。 作曲家田村しげると作詞家寺尾智沙の両親の下、東京市淀橋区(現・東京都新宿区)下落合生まれ。渋谷区千駄ヶ谷出身。宝仙学園高等学校卒業。 小学6年生の頃からラジオ番組や雑誌モデル、テレビドラマに出演。江波杏子とは近所の幼馴染だった。高校の同級生でもあり、仲良しグループのメンバーでもあった。 高校在学中の1959年、東宝に入社し、同年、本名のまま映画『ある日わたしは』でデビューした。1960年、田村を含め共に16歳だった浜美枝、星由里子の三人娘が「ペットのように可愛い」ため、夏木陽介が「東宝のスリーペットだね」と言ったことから正式に「東宝スリーペット」として売り出され、盛大な披露パーティーも催された。
皆川 隆之(みながわ たかゆき、1942年3月4日 - )は… 皆川 隆之(みながわ たかゆき、1942年3月4日 - )は、日本の脚本家・映画監督。 東京都世田谷区松原町出身。佼成学園高校三年のとき、八木保太郎に師事してシナリオを学ぶ。1964年、青山学院大学経済学部卒業後演出を志し東映入社。東映京都撮影所に配属され、伊藤大輔、深作欣二、鈴木則文らの助監督に就く。1971年「女番長シリーズ」一作目の『女番長ブルース 牝蜂の逆襲』で脚本が採用され、同シリーズ4本の脚本を担当。 1973年、『狂走セックス族』で監督昇進。31歳の若き新人監督として期待された。1974年の『仁義なき戦い 完結篇』は一部の資料に監督を深作欣二と皆川のダブル・クレジットとするものがある。
山田宏臣(やまだ ひろおみ、1942年3月4日 - 1981… 山田宏臣(やまだ ひろおみ、1942年3月4日 - 1981年10月21日)は、日本の陸上競技選手。元男子走幅跳日本記録保持者で、1964年東京オリンピックとメキシコオリンピックに出場した。
内田 雄造(うちだ ゆうぞう、1942年3月4日 - 201… 内田 雄造(うちだ ゆうぞう、1942年3月4日 - 2011年1月26日)は、日本の都市計画家。都市計画の教育者。 東洋大学ライフデザイン学部人間環境デザイン学科、福祉社会デザイン研究科 人間環境デザイン専攻教授。筑波大学大学院非常勤講師。工学博士。国立歴史民俗博物館プロジェクト研究員。財団法人国際東アジア研究センター主任研究員。 自治労自治研まちづくり部会助言者、東日本部落解放研究所理事長、アジア居住ネットワーク・メンバーで、専門は都市マスタープラン策定など都市計画、住民参加のまちづくり論、日本の近代都市計画史から歴史的なまちなみの保全、住宅計画とくに被災時の仮設市街地の計画に関する事例研究から不良住宅改良事業における不良住宅地区の環境整備計画、また災害に強いまちづくり、中心市街地活性化など。
五明 紀春(ごみょう としはる、1942年3月4日 - )は… 五明 紀春(ごみょう としはる、1942年3月4日 - )は、日本の栄養学者。専門分野は食品栄養・機能学。 長野県生まれ。1964年東京大学農学部農芸化学科卒、1969年同大学院農学系研究科博士課程修了、「蛋白質の光増感酸化分解について」で農学博士、女子栄養大学講師、助教授、教授、副学長。2012年退任。日本栄養・食糧学会評議員、日本食品科学工学会評議員、社団法人中央味噌研究所理事。田中秀征の民権塾副塾長。
坂本 進一郎(さかもと しんいちろう、1941年3月4日 -… 坂本 進一郎(さかもと しんいちろう、1941年3月4日 - 2025年8月1日)は、農民・農業評論家。 仙台市荒浜南生まれ。1964年東北大学経済学部卒業。北海道東北開発公庫勤務。1969年八郎潟干拓地(大潟村)に第四次入植者として入植。農民の立場から農業問題に関し提言した。
村上 保壽(むらかみ やすとし、1941年3月4日 - )は… 村上 保壽(むらかみ やすとし、1941年3月4日 - )は、日本の倫理学者、仏教学者。博士(文学)(1995年、東北大学にて取得)。 京都府加佐郡で出生。綾部市出身。1965年東北大学文学部哲学科卒業、1967年同大学院文学研究科修士課程修了、東北大学助手、山口大学教養部助教授、1985年同大学教授。1990年高野山大学教授。総本山金剛峯寺執行・高野山真言宗教学部長を歴任。高野山大学名誉教授・高野山伝燈大阿闍梨。1995年「空海の世界と智の構造」で東北大学にて博士(文学)。元の専門はルソーなど。2022年、瑞宝中綬章受章。
岩下 光一(いわした こういち、1940年3月4日 - )は… 岩下 光一(いわした こういち、1940年3月4日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。
市川 正美(いちかわ まさみ、1940年3月4日 - )は、… 市川 正美(いちかわ まさみ、1940年3月4日 - )は、日本の経営者。東急建設社長、会長を務めた。 北海道出身。1963年に武蔵工業大学(現・東京都市大学)工学部を卒業し、同年に大成建設に入社した。1991年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務、1997年6月に専務を経て、2002年4月から2007年4月までに副社長を務めた。2004年、土木学会認定特別上級土木技術者(施工・マネジメント)。2007年6月に東急建設社長に就任し、2010年4月には会長に就任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
志村 正浩(しむら せいこう、1940年3月4日 - 200… 志村 正浩(しむら せいこう、1940年3月4日 - 2009年4月26日)は、日本の脚本家・映画監督。岩手県花巻市出身。 ※年のみは製作会社が東映 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
伊藤 豪(いとう ごう、1938年3月4日 - )は、日本の… 伊藤 豪(いとう ごう、1938年3月4日 - )は、日本の俳優、司会者、ナレーター。東京電機大学高等学校、早稲田大学文学部演劇専修卒業。劇団アドック所属。 父は養蚕教師として郡是製糸に在籍し、戦時中は軍属としてインドネシアに派遣され、戦後は埼玉県にある郡是製糸株式会社の原料部に配属されていた。 本人は山形の母の実家で小学低学年時代を過ごしたが三年になる頃天童市(旧天童町)久野本に移住した。その後父の会社のある埼玉県鴻巣市に移住し、鴻巣中学校を卒業後東京電機大学高等学校に進む。 高等学校は電機大学への一過程でもあったが普通科が存在しており、そこに在籍した。他の科との違いは大学への進学科として、高校時代に文科系の内容を一通り習得する目的があったように思われる。
菅谷 真一(菅谷眞一、すがや しんいち、1937年〈昭和12… 菅谷 真一(菅谷眞一、すがや しんいち、1937年〈昭和12年〉3月4日 - 2012年〈平成24年〉12月20日)は、日本の政治家。東京都港区長(2期)。 茨城県出身。日本大学法学部卒業。卒業後は東京都港区役所に入る。区役所では防災、職員、総務の各課長と企画部長を務めた。 1992年(平成4年)港区長山田敬治の死去に伴う区長選挙に立候補し、初当選する。1986年(平成8年)に再選。港区長を2期務め、2000年(平成12年)に区長を引退した。2007年(平成19年)春の叙勲で旭日双光章受章。2012年12月20日死去、75歳。死没日をもって正六位に叙される。
櫻井 通晴(さくらい みちはる、1937年3月4日 - )は… 櫻井 通晴(さくらい みちはる、1937年3月4日 - )は、日本の会計学者。専門は、管理会計・原価計算。学位は、商学博士(早稲田大学・論文博士・1971年)。専修大学教授を38年間努めた。ソフトウェア原価計算の開発・導入、原価企画の欧米企業・大学への普及、ABCとバランスト・スコアカードの日本への移植、コーポレート・レピュテーションの研究など、原価計算・管理会計の研究に貢献。静岡県出身。 ※以下、出典は『櫻井・加藤 両教授退職記念論集。 中心的な研究テーマは、時代の変遷とともに、原価計算、管理会計、インタンジブルズの測定へと移行している。著書45冊のうち,主要なものは以下のものである。 論文は、歴史的アプローチを用いた原価計算と管理会計の分析を扱った研究が多い。
平井 義男(ひらい よしお、1936年3月4日 - 2007… 平井 義男(ひらい よしお、1936年3月4日 - 2007年4月23日)は、日本の政治家。神奈川県逗子市長(1期)。 神奈川県三浦郡逗子町(現・逗子市)出身。鎌倉学園高等学校、立教大学経済学部卒。1978年、逗子市議会議員に初当選、議長を務めた。1994年、逗子市長選挙に立候補して当選する。同年12月25日に市長に就任した。1998年の市長選挙に立候補し、再選を目指したが、元鎌倉市議会議員の長島一由に敗れた。同年12月24日に市長を退任した。2007年4月23日、胆管細胞がんのため横浜市金沢区の病院で死去した。
西垣 覚(にしがき さとる、1935年(昭和10年)3月4日… 西垣 覚(にしがき さとる、1935年(昭和10年)3月4日 - 2020年 (令和2年) 6月24日)は、日本の銀行家。元東海銀行(現三菱UFJ銀行)頭取。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
森 今日子(、1934年3月4日 - )は、日本の女優。大連… 森 今日子(、1934年3月4日 - )は、日本の女優。大連市(現中華人民共和国遼寧省)出身(後に東京都へ引き揚げ)。東京都立三田高等学校卒業。 東宝第5期ニューフェイスとしてデビュー。同期には平田昭彦や青山京子がいた。 1950年代には本名の森 啓子名義で活動していたが、1959年より森 今日子へ改名した。 東宝の俳優専属システム崩壊後も、1970年代前半まで活動していた。
森岡 賢一郎(もりおか けんいちろう、1934年3月4日 -… 森岡 賢一郎(もりおか けんいちろう、1934年3月4日 - 2018年8月19日 )は、日本の作曲家、編曲家。 熊本県八代市出身。熊本県立八代高等学校卒業。指揮を平井哲三郎、高階正光、ピアノをポール・ヴィノグラドフ、作曲を團伊玖磨にそれぞれ師事。 「君といつまでも」「恋のしずく」「ブルー・シャトウ」「今日でお別れ」で日本レコード大賞編曲賞を受賞。作・編曲の傍ら、映画やテレビ番組の音楽監督・プロデューサーとして活動。主な作品に、映画音楽「若大将シリーズ」「宇宙からのメッセージ」「山下少年物語」「典子は、今」など。 またカーティア・リッチャレッリのレコーディング、サルバトール・アダモのコンサートのプロデュースなど外人アーティストの音楽制作プロデュースも積極的に手がける。
奥本 英一朗(おくもと えいいちろう、1934年3月4日 -… 奥本 英一朗(おくもと えいいちろう、1934年3月4日 - 2014年4月4日)は、株式会社大和総研顧問、元日本証券業協会会長。 東京都に生まれ、東京都立青山高等学校、早稲田大学第一政治経済学部経済学科を経て1957年に大和証券に入社する。同代表取締役副社長を経て1989年に株式会社大和総研代表取締役社長、1996年に代表取締役会長となる。2000年7月からは日本証券業協会会長を務めた。 このほか、日本銀行参与、政府税制調査会特別委員、特定非営利活動法人エイプロシス理事長を歴任し、早稲田大学ファイナンス稲門会会長として後進の指導にも取り組んだ。 2007年、旭日重光章を受章。2014年4月4日午後7時、前立腺癌のため東京都内の病院で死去。
中野 美代子(なかの みよこ、1933年3月4日 - )は、… 中野 美代子(なかの みよこ、1933年3月4日 - )は、日本の中国文学者、作家。北海道大学文学部、言語文化部教授を経て、北海道大学名誉教授。『西遊記』などの中国文学、中国文化をテーマにした論考・エッセイ、中国やアジア諸地域を舞台にした小説作品を多数発表。 北海道札幌市生まれ。北海道庁立札幌高等女学校(現北海道札幌北高等学校)、北海道札幌西高等学校を経て、1956年北海道大学文学部中国文学科卒業、同助手。 1961年に「世界ノンフィクション全集」監修者の吉川幸次郎に指名されて、耶律楚材「西遊録」を翻訳。また吉川には広く教えを受けた。65年オーストラリア国立大学高等学術研究所助手、67年退職、68年、香港、台湾で資料収集をへて帰国、71年北海道大学文学部助教授、81年教授、83年同言語文化部教授。
菅野 雅雄(すがの まさお、1932年3月4日 - )は、日… 菅野 雅雄(すがの まさお、1932年3月4日 - )は、日本の国文学者。 1932年、岡山県岡山市で生まれた。國學院大學文学部国文科で学び、卒業。同大学大学院に進み、1963年に博士課程を満期退学。 名城大学法学部助教授に就き、後に東京理科大学教授、武蔵野女子大学教授に転じた。1973年、学位論文『古事記説話の研究』を國學院大學で文学博士の学位を取得。1989年に中京大学教授となり、2002年に定年退任。 学界では古事記学会理事を務めた。
桑山 忠明(くわやま ただあき、1932年3月4日 - 20… 桑山 忠明(くわやま ただあき、1932年3月4日 - 2023年8月20日)は、日本の美術家。ミニマル・アートの先駆者として知られる。 愛知県名古屋市生まれ。東京芸術大学日本画科卒業。1958年に渡米して以降、ニューヨークを拠点に活動した。2023年8月20日、脳出血のため米国で死去、91歳没。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
田村 英之助(たむら えいのすけ、1931年〈昭和6年〉3月… 田村 英之助(たむら えいのすけ、1931年〈昭和6年〉3月4日 - )は、日本の英文学者、詩人。専門はイギリス・ロマン派。立教大学名誉教授。筆名は中崎 一夫。 1931年群馬県桐生市生まれ。1950年群馬県立桐生高等学校を卒業。1954年東京大学文学部英文科卒業[要出典]。1957年同大学院英語英文学研究課程修了。修士号を取得。茨城大学文理学部講師、中央大学法学部助教授、教授[要出典]、1977年立教大学文学部英米文学科教授。1996年定年退任、名誉教授[要出典]。中崎一夫の筆名で詩や児童書の翻訳を書いた。
天知 茂(あまち しげる、1931年〈昭和6年〉3月4日 -… 天知 茂(あまち しげる、1931年〈昭和6年〉3月4日 - 1985年〈昭和60年〉7月27日)は、日本の俳優・歌手。本名は臼井 登(うすい のぼる)。別名はペンネームの宇寿木 純と臼井 暢浩。芸名はファンである中日ドラゴンズの天知俊一監督と杉下茂投手が由来。 愛知県名古屋市出身。東邦商業学校卒業。 旗本・水野十郎左衛門の子孫で、家は旧尾張藩士であった。高校卒業後、1949年に松竹へ。大部屋俳優以下の仕出し扱いであった。2年間、通行人などをこなしたが解雇される。 1951年、第一期新東宝スターレットに選ばれ入社。同期には左幸子、久保菜穂子、高島忠夫、三原葉子、松本朝夫、小笠原弘らがいた。同期の新人が次々と主演に抜擢される中、ここでもほとんど仕出し扱いで、最初の2年間は給料わずか5千円、兄からの仕送りがなければ暮らせなかった。
櫻井 秀勲(さくらい ひでのり、1931年3月4日 - )は… 櫻井 秀勲(さくらい ひでのり、1931年3月4日 - )は日本の作家、編集者、YouTuber。 「ミニスカートブームの仕掛け人」「OLの名付け親」「西洋占星術を日本に紹介」として知られる。 『ウーマンウェーブ』代表取締役会長、『きずな出版』代表取締役社長、『KIZUNA CREATIVE』取締役、『早稲田運命学研究会』主宰。元女性自身編集長。著者『女がわからないでメシが食えるか』『男の運命は35歳で決まる』など200冊に及ぶ。古今東西の占い・運命学を研究活用している。 作家、きずな出版社長、5つのオンラインサロンのオーナー、YouTuberの顔を持ち、女学の神様・運命師・伝説の編集長などと呼ばれる。
青山 五郎(あおやま ごろう、1930年3月4日- 2008… 青山 五郎(あおやま ごろう、1930年3月4日- 2008年1月15日)は、日本の実業家。『洋服の青山』の名称で知られる紳士服チェーン大手、青山商事の創業者。広島県府中市出身。日本でいち早く郊外型店舗を導入したとされる。讀賣テレビ放送社長を務めた青山行雄、第3代府中市長を務めた青山春雄は実兄。青山商事社長の青山理は長男。
桂 芳久(かつら よしひさ、1929年3月4日 - 2005… 桂 芳久(かつら よしひさ、1929年3月4日 - 2005年2月1日)は、日本の小説家・民俗学者・北里大学名誉教授。昭和後期から平成時代にかけて活躍した。 広島県高田郡吉田町(現:安芸高田市)の生まれ。 旧制広島県立第一中学校(現:広島県立広島国泰寺高等学校)の4年生のとき、広島市への原子爆弾投下に遭遇する。このとき学校は全滅したものの、勤労動員で郊外に滞在していたため生き残ることができた。少年期のこの経験は桂の心に深く残り、後々まで作品世界に何度も描かれることになった。 1950年に慶應義塾大学に入学する。 同年、劇作家の加藤道夫の紹介により三島由紀夫に認められ、1953年、三島の推薦で「群像」7月号に「棘草の蔭に」を載せ、文壇に登場。
藤本 安騎生(ふじもと あきお、1928年3月4日 - 20… 藤本 安騎生(ふじもと あきお、1928年3月4日 - 2014年3月25日)は、日本の俳人。本名は井戸茂(いど しげる)。 兵庫県川西市生。関西大学法律学科卒。1979年、「運河」入会、右城暮石に師事。1982年、「運河」同人。2001年、「晨」同人。2003年、『深吉野』により第43回俳人協会賞。奈良を拠点に活動した。句集に『耳石』『夢の淵』『深吉野』『高見山』。2014年3月25日、心筋梗塞で死去。86歳。
渡辺 貢(わたなべ みつぐ、1928年3月4日 - 2022… 渡辺 貢(わたなべ みつぐ、1928年3月4日 - 2022年6月12日)は日本の官僚、政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、2期)。日朝協会代表理事、埼玉中央医療生協顧問、日本共産党埼玉県副委員長。 東京都出身。中央大学法学部を卒業後、大蔵省事務官を経て1979年の衆院選で埼玉1区から出馬し初当選を果たす。以後1980年の衆院選でも再選されるが、1983年の衆院選で次点に終わり、その後返り咲きはできなかった。 議員在任中の1982年2月25日、衆院予算委員会にて中曽根康弘行政管理庁長官(当時)が1980年の総選挙に際し、富士通や日立製作所から違法献金を受け取っていたことを明らかにした。 2022年6月12日、埼玉県内の病院で死去。
黒田 義之(くろだ よしゆき、1928年〈昭和3年〉3月4日… 黒田 義之(くろだ よしゆき、1928年〈昭和3年〉3月4日 - 2015年〈平成27年〉1月22日)は、日本の映画監督、特撮監督。 1928年(昭和3年)、愛媛県松山市生まれ。京都市立太秦小学校の同級生には、森田富士郎がいた。子供の頃、映画の子役を務めていた関係で、京都太秦にあった新興キネマ撮影所や、片岡千恵蔵が主宰した千恵プロの映画作品に多数出演した。 立命館大学理工学部数学科卒業。この時は子役時代の経験もあって「撮影所には入らないで、教員になろう」と思っていたことから、しばらく京都府立嵯峨野高等学校(当時は女学校だった)で数学教師を務めた。 1950年(昭和25年)、レッドパージの影響で大映京都撮影所の助監督が7人も退社して急遽助監督を募集していたこともあり、また叔父が伊藤大輔と稲垣浩で、また父親が映画会社大映で製作主任を務め、母親の弟がカメラマンの牧浦地志であるということもあって、大映の入社試験を受け合格。
吉田 修一(よしだ しゅういち、1927年(昭和2年)3月4… 吉田 修一(よしだ しゅういち、1927年(昭和2年)3月4日 - 2013年(平成25年)7月2日)は、日本の政治家。福島市長(4期) 。位階は正五位。 福島県福島市出身。早稲田大学商学部卒業後、福島市商工会議所に入り、書記を務める。その後、1956年(昭和31年)福島市役所に入る。市役所内では商工課勤務を経て、企画商工部、財政部、総務部の各部長を歴任し、1976年(昭和51年)に退職。1985年(昭和60年)の福島市長選挙に立候補して当選、4期務めた。2001年に引退。2013年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
林 亮勝(はやし りょうしょう、1927年3月4日 - 20… 林 亮勝(はやし りょうしょう、1927年3月4日 - 2008年12月23日)は日本の歴史学者。元大正大学学長。大正大学名誉教授。専門は江戸時代政治史。日朝文化交流協会理事長。
久保 義三(くぼ よしぞう、1927年3月4日 - 2014… 久保 義三(くぼ よしぞう、1927年3月4日 - 2014年11月19日)は、日本の教育史学者。武蔵野美術大学名誉教授。 東京出身。1951年東京文理科大学(現・筑波大学)教育学科卒業、同大学特別研究生修了。1958年武蔵野美術大学短期大学部講師、助教授、武蔵野美術大学教授、1969年学長、名誉教授、学校法人武蔵野学院理事長。政治学者の久保文明は長男。
佐藤 金三郎(さとう きんさぶろう、1927年3月4日 - … 佐藤 金三郎(さとう きんさぶろう、1927年3月4日 - 1989年1月19日)は、日本のマルクス経済学者。元横浜国立大学教授。高島善哉ゼミ出身で、専門は『資本論』形成史。 エッセー・事典項目執筆 他 大島真理夫「アムステルダム・ノート」『大阪市立大学史紀要』第2巻、大阪市立大学大学史資料室、2009年10月、85-89頁、doi:10.24544/ocu.20171208-083、ISSN 1884-3522、NAID 120006000588。
林 徹(はやし てつ、1926年3月4日 - 2008年3月… 林 徹(はやし てつ、1926年3月4日 - 2008年3月20日)は、石川県出身の俳人、医師。本名哲夫。 山東省青島に生まれ、石川県金沢市にて育つ。金沢医科大学附属医学専門部を卒業ののち耳鼻科医。金沢、浜松、広島の病院で勤めた。 医局員時代の1950年、「風」に入会し沢木欣一に師事。1985年、「雉」を創刊、主宰。2000年、『飛花』により第40回俳人協会賞を受賞。代表句に「炎天や生き物に眼が二つづつ」「ちかぢかと馬の顔ある暮の秋」などがあり、即物具象を信条とした。句集に『架橋』『直路』『群青』『飛花』がある。 2008年3月20日、大腸癌により死去。82歳。
千住 文子(せんじゅ ふみこ、1926年〈大正15年〉3月4… 千住 文子(せんじゅ ふみこ、1926年〈大正15年〉3月4日 - 2013年〈平成25年〉6月27日)は、日本の教育評論家、エッセイスト。 夫は千住鎮雄。長男は千住博、二男は千住明、長女は千住真理子。父は角倉邦彦、祖父は角倉賀道。 東京都出身。日本女子専門学校国文科(旧制)を経て、共立女子大学家政学部生活科学科(新制)に一期生として入学。同大学を卒業後は高分子学会に勤務。その後、明治製菓株式会社に入社。同研究所薬品研究室研究員として抗生物質開発の研究に従事。経営工学者の千住鎮雄と結婚して退職。 芸術家三兄妹として知られる日本画家の千住博、作曲家の千住明、ヴァイオリニストの千住真理子を育てた。2000年に夫が他界した後、教育問題に関する講演会や執筆活動、テレビ・ラジオへの出演など多岐にわたって活躍。
三谷 信(みたに まこと、1925年(大正14年)3月4日 … 三谷 信(みたに まこと、1925年(大正14年)3月4日 - 2000年(平成12年)7月5日)は、日本の実業家。作家・三島由紀夫の幼少・青少年期の無二の親友。『仮面の告白』の草野のモデル。同書の園子のモデルは妹・三谷邦子。 学習院初等科から学習院中等科を経て、1944年(昭和19年)9月に学習院高等科を卒業するまで、14年間にわたり三島の同級生の親友であった。1944年(昭和19年)9月から1945年(昭和20年)9月まで幹部候補生として兵役に就いた。 1948年(昭和23年)3月、東北帝国大学(現・東北大学)法学部を卒業。日本興業銀行を経て、1979年(昭和54年)4月、興和不動産に監査役として1996年(平成8年)まで勤務した。
岡本 健治(おかもと けんじ、1924年〈大正13年〉3月4… 岡本 健治(おかもと けんじ、1924年〈大正13年〉3月4日 - 1999年〈平成11年〉1月26日)は、日本の神職。熱田神宮名誉宮司、愛知県神社庁名誉庁長。熱田神宮禰宜、権宮司、宮司を歴任し、愛知県神社庁副庁長、同庁長、神社本庁副総長、同総長、日本会議副会長などを務めた。 大正13年(1924年)3月4日、京都府舞鶴市にて、元外宮御師の家系であった岡本家の斎次郎・初枝夫妻の次男として生まれた。 昭和18年(1943年)9月、神宮皇學館附属専門部を卒業した。同年10月1日、熱田神宮雇となる。のち、宮掌を拝命するも解任、嘱託・宮掌を拝命するも昭和21年(1946年)の官国幣社職制廃止により解任、同年明階となり禰宜に任じられるが、翌昭和22年(1947年)に行われた神宮職制改革に伴い権禰宜に降任となるなど、戦時下・戦後の激動の時代にその職階も波瀾万丈であった。
友松 康雄(ともまつ やすお、大正13年(1924年)3月4… 友松 康雄(ともまつ やすお、大正13年(1924年)3月4日 - 没年不明 )は、日本の教育者。米子市教育長。父は教育者の友松文雄。 昭和18年(1943年)鳥取師範学校卒業。同年米子市啓成国民学校訓導。昭和39年(1964年)中山町立逢坂小学校校長。 昭和41年(1966年)鳥取県教育委員会西部教育事務所長。昭和48年(1973年)県教育委員会教職員課参事、同年米子市教育長。昭和58年(1983年)米子市教育文化事業団専務理事、同年米子市美術館長、米子市児童文化センター館長、米子市東山水泳場長を兼務。 昭和58年(1983年)全国都市教育長会表彰・米子市功労表彰。昭和59年(1984年)文部大臣表彰。
永井 道雄(ながい みちお、1923年 <大正12年> 3月… 永井 道雄(ながい みちお、1923年 <大正12年> 3月4日 - 2000年 <平成12年> 3月17日)は、日本の教育社会学者。文部大臣(第95代)。位階は正三位。 戦前に立憲民政党幹事長や拓務大臣、逓信大臣、鉄道大臣を務めた永井柳太郎の次男。 東京に生まれる。東京高等師範学校附属小学校(現:筑波大学附属小学校)卒業。当時の同級生には哲学者の鶴見俊輔、中央公論社社長の嶋中鵬二、作家の中井英夫らがいる。東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)、旧制武蔵高校を経て、京都帝国大学文学部を卒業。京都大学人文科学研究所助手、米国へ留学し、1952年オハイオ州立大学で教育社会学のPh.D.を取得。
古川 清蔵(ふるかわ せいぞう、1922年3月4日 - 20… 古川 清蔵(ふるかわ せいぞう、1922年3月4日 - 2018年10月17日)は、鹿児島市下荒田町出身のプロ野球選手(外野手、1942年のみ捕手)・競馬評論家。 鹿児島二中から、鹿児島商業学校に進学、八幡製鉄を経て、赤嶺昌志の勧誘で1941年に名古屋に外野手として入団。 捕手を務めていた三浦敏一、服部受弘が2人とも応召されてしまったため、1942年は開幕から捕手として起用される。5月12日の対南海軍戦で川崎徳次からサヨナラ本塁打を放つと、5月24日の大洋戦では、2点ビハインドの9回に野口二郎から同点本塁打を放っている。この試合はそのまま延長戦に入り、当時世界最長の延長28回の末、4対4で引き分けている。
小池 澄(こいけ きよし、1922年 <大正11年> 3月4… 小池 澄(こいけ きよし、1922年 <大正11年> 3月4日 - 2006年 <平成18年> 2月22日)は、日本の経営者。名古屋鉄道副社長、名鉄百貨店社長を務めた。位階は正五位。 愛知県出身。1946年に京都帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に名古屋鉄道に入社。1966年11月に取締役に就任し、常務、専務、代表取締役を経て、1978年6月に副社長に就任。1980年6月から1993年6月までに取締役相談役を務めた。 一方で、1979年5月に名鉄百貨店副社長に就任し、同年11月には社長に昇格。1995年5月に会長に就任し、1999年5月に取締役相談役を経て、2001年5月には相談役に就任。 1978年6月に運輸大臣表彰を受け、1982年11月に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲三等瑞宝章を受章。
宇野政雄(うの まさお、1922年3月4日 - 2009年4… 宇野政雄(うの まさお、1922年3月4日 - 2009年4月27日)は、日本の経営学者。早稲田大学名誉教授。日本学術会議会員。 商品学、流通機構、消費者問題などを早くから手がけた。 東京(現目黒区)出身。1943年早稲田大学商学部卒。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入校。1944年3月、経理学校を卒業し、海軍主計中尉に任官。広島監督官事務所に配属され、原価計算、会計監査など軍需工場の指導に従事。1945年3月、主計大尉に進み終戦を迎えた。1946年早稲田大学商学部講師、49年同商学部助教授、53年同教授。同社会科学研究所長、システム科学研究所長。92年定年、名誉教授、城西国際大学経営情報学部教授、学部長。