磯村 隆文(いそむら たかふみ、1930年(昭和5年)12月… 磯村 隆文(いそむら たかふみ、1930年(昭和5年)12月8日 - 2007年(平成19年)11月26日)は、日本の政治家、経済学者。大阪市長(第16代)、大阪市助役、大阪市立大学名誉教授。経済学博士(大阪市立大学)。大阪市出身。 大阪市立大学では経済学部長等の要職を務めたが、1990年に西尾正也大阪市長(当時)に請われ、大阪市助役に就任。行政マンに転身した。 1995年に西尾市長の後継として、共産党以外のいわゆる「オール与党」の推薦で大阪市長選に立候補して初当選。観光やスポーツ振興による都市活性化をめざす「国際集客都市」を公約し、西尾市長時代に浮上した大阪オリンピック構想をその目玉とした。 公約に基づき、任期中には多くの集客施設を開業させ、負の遺産となった(2023年9月時点でなにわの海の時空館のみ売却出来ておらず、「大阪市最後の負の遺産」として残存)。
椎名 仙卓(しいな のりたか、1930年12月8日 - )は… 椎名 仙卓(しいな のりたか、1930年12月8日 - )は、日本の博物館学・博物館史学者。 千葉県山武郡大網白里町(現大網白里市)生まれ。國學院大學文学部卒。佐渡博物館勤務、国立科学博物館勤務、図書館長、教育普及事業を担当。千葉大学図書館情報サービス課長、聖徳大学川並記念図書館副館長。財団法人佐渡博物館参与。八千代市郷土博物館協議会委員。1965年棚橋賞受賞。
井上 武吉(いのうえ ぶきち、1930年12月8日 - 19… 井上 武吉(いのうえ ぶきち、1930年12月8日 - 1997年9月26日)は、奈良県宇陀郡室生村(現・宇陀市)出身の彫刻家。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
高畑 敬一(たかはた けいいち、1929年12月8日 - 2… 高畑 敬一(たかはた けいいち、1929年12月8日 - 2020年2月8日)は、日本の実業家、労働運動家。松下電器産業常務取締役、松下電器産業労働組合中央執行委員長。 1929年(昭和4年)富山県出身。 1950年(昭和25年)、金沢高等工業学校 (現・金沢大学理工学域)機械工学科卒業。同年、松下電器産業株式会社(現・パナソニック株式会社)に入社。同社入社後、関西大学第二部(夜間部)に編入し、1953年関西大学経済学部を卒業。1953年(昭和28年)労組委員長。1983年(昭和58年)松下電器取締役を経て、1990年(平成2年)取締役常務に就任した。 2020年 6月4日、老衰のため死去。90歳没。
藤本 武彦(ふじもと たけひこ、1929年(昭和4年)12月… 藤本 武彦(ふじもと たけひこ、1929年(昭和4年)12月8日 - 2014年(平成26年)5月24日)は日本の実業家、元三洋化成工業社長・会長。岡山県出身。
杉浦 寅彦(すぎうら とらひこ、1926年12月8日 - )… 杉浦 寅彦(すぎうら とらひこ、1926年12月8日 - )は、日本の電気・電子工学者。大阪工業大学名誉教授、電子クラブ名誉顧問。工学博士(大阪大学)。元大阪工業大学短期大学部長・中央研究所計算センター長。 専門は、通信工学・無線工学・電波工学(特にマイクロ波)、信号処理・パターン認識・ファジィ理論。 1948年大阪大学工学部通信工学科卒業。1957年同大学大学院工学研究科博士課程修了、工学博士(大阪大学)。1953年大阪工業大学工学部電気工学科(現:電気電子システム工学科)に着任。1958年同学科教授。その後、新設の電子工学科(現:電子情報システム工学科)教授として異動。1982年同大学図書館長。
久邇 正子(くに まさこ、1926年〈大正15年〉12月8日… 久邇 正子(くに まさこ、1926年〈大正15年〉12月8日 - )は日本の元皇族。久邇宮朝融王と同妃知子女王の第1王女。多嘉王の第3王子で伯爵梨本徳彦の元妻。旧名は、正子女王(まさこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。旧姓は、龍田、梨本。香淳皇后の姪、上皇の従姉、今上天皇の従伯母にあたる。 1926年(大正15年)12月8日午後1時3分、久邇宮朝融王と同妃知子女王の第1王女として誕生。御七夜の12月14日に「正子」と命名された。1944年(昭和19年)12月13日、父宮朝融王の従弟である龍田徳彦伯爵との結婚が勅許された。翌1945年(昭和20年)4月22日に降嫁した。
高野 真二(たかの しんじ、1925年(大正14年)12月8… 高野 真二(たかの しんじ、1925年(大正14年)12月8日 - )は、日本の俳優。旧芸名及び本名は高野 眞二。 神奈川県出身。関東学院高商部卒業。松竹出身。かつては同人会ミヤプロに所属し、2013年の時点では、宝映テレビプロダクションに所属していた。 身長は170cm。血液型はB型。 1954年、松竹に入社。時代劇、現代劇を問わず多くの松竹映画に出演。1965年、フリーとなって以降は、東映や日活の映画やテレビに出演。芸歴50年以上の、映画・テレビの名脇役である。 『水戸黄門』での出演回数は歴代2位の56回で、藩主、悪代官、悪奉行、善家老、悪家老、悪徳商人、道中奉行などを演じた。三代目水戸光圀役・佐野浅夫とは幼馴染みでもある。
清水 茂(しみず しげる、1925年12月8日 - 2008… 清水 茂(しみず しげる、1925年12月8日 - 2008年2月3日)は、日本の中国文学者。京都大学名誉教授。 1925年、京都府宇治市で生まれた。京都大学文学部を卒業。同・大学院に進み吉川幸次郎に師事した。 1952年、京都大学文学部助手に採用された。以後、助教授、教授に昇格。師の吉川が手掛けた『水滸伝』の翻訳を引き継ぎ、長年かけ訳した。1989年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJライトノベル)。
三木 壽子(みき ひさこ、1925年12月8日 - )は、日… 三木 壽子(みき ひさこ、1925年12月8日 - )は、日本の植物学者。理学博士。元神奈川歯科大学教授。お茶の水女子大学ジェンダー研究センター研究協力員。レイチェル・カーソン日本協会会員。元花粉学会会長。 趣味はバード・ウォッチング。日本野鳥の会、鎌倉自主探鳥会グループなどに所属。探鳥と専門の植物観察のため、世界中を旅行する。世界のペンギン全種を観察したことは、日本野鳥の会神奈川支部では良く知られている。 (物理学史ノート 第11号 2008年9月1日発行 物理学史通信刊行会編より) この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
笠原 慶一(かさはら けいいち、1925年12月8日 - 2… 笠原 慶一(かさはら けいいち、1925年12月8日 - 2024年10月26日)は、日本の測地学者、地震学者、東京大学名誉教授。 1948年東京帝国大学理学部地球物理学科卒、1960年理学博士。東大地震研究所助手、1961年助教授、65年教授。79-81年所長。86年定年退官、名誉教授、早稲田大学理工学部客員教授。2003年瑞宝中綬章。 2024年10月26日、病気のため死去。98歳没。
大石 真(おおいし まこと、1925年12月8日 - 199… 大石 真(おおいし まこと、1925年12月8日 - 1990年9月4日)は、日本の児童文学作家。 埼玉県北足立郡白子村(後に和光市へ合併)出身。父は医師で、「大石医院」を営んでいた。白子尋常小学校に入学後、豊島区の西巣鴨第五尋常小学校に転校。同級生に童話作家の松谷みよ子がいる。 戦争を嫌い、兵役を逃れるために科学の道を志し、早稲田大学の理系学部に1945年入学。1947年、第一文学部英文学科に編入。早大童話会に入会し、坪田譲治のコネにより小峰書店で編集のアルバイトをしつつ大学生活を送り、1950年に大学を卒業すると小峰書店の正社員となった。1951年7月、早大童話会から派生した「びわの実会」の旗揚げに参加し、創作活動に専念。
飯野 陽一郎(いいの よういちろう、1924年(大正13年)… 飯野 陽一郎(いいの よういちろう、1924年(大正13年)12月8日 - 2013年(平成25年)1月30日)は、昭和から平成時代の政治家。福島県喜多方市長。位階は従四位。勲三等瑞宝章。 喜多方市出身。福島県立喜多方中学校卒業。 福島県議会議員を経て、1986年(昭和61年)喜多方市長に当選した。3期務め、1998年(平成10年)引退した。1999年春の叙勲で勲三等瑞宝章を受章。2013年死去。死没日付をもって従四位に叙された。
斎藤 高順(さいとう たかのぶ、英: Takanobu Sa… 斎藤 高順(さいとう たかのぶ、英: Takanobu Saito、1924年12月8日 - 2004年4月11日)は、東京府(現・東京都)生まれの作曲家、指揮者、幹部自衛官。自由作曲家協会会員であり日本吹奏楽指導者協会理事・日本国民音楽振興財団理事も務めた。長男はチェロ奏者の斎藤章一、長女はバイオリニストの内藤景子、長女の夫はホルン奏者の内藤貴司、孫は俳優の内藤光佑。 1924年、東京・深川の酒屋の次男として生まれる。1942年に日本大学第一中学校(旧制、現・日本大学第一高等学校)を卒業。1943年に東京音楽学校(旧制、現・東京芸術大学)に入学し、1947年に卒業。1949年に同校の研究科を修了。
津山 直一(つやま なおいち、1923年(大正12年)12月… 津山 直一(つやま なおいち、1923年(大正12年)12月8日 - 2005年(平成17年)2月5日)は、日本の医学者である。整形外科学を専門としていた。 兵庫県に生まれる。1946年(昭和21年)9月に東京帝国大学医学部(現在の東京大学医学部)卒業後、東京通信大学に非常勤講師として勤務した。1954年(昭和29年)に東京医科歯科大学に助教授として勤務した後に、イギリス及び西ドイツのミュンヘンに留学のため移住する。その後帰国し、1958年(昭和33年)には古巣の東京大学医学部附属病院分院助教授として復帰した。1960年(昭和35年)に医学博士の称号を獲得し、同大学の助教授を経て教授に昇格する。
中野 藤生(なかの ふじお、1922年12月8日 - 200… 中野 藤生(なかの ふじお、1922年12月8日 - 2009年8月12日)は日本の統計力学者。線形応答理論への寄与で知られる。大阪市出身。 1922年、大阪に生まれる。1944年(昭和19年)9月、大阪帝國大学(現大阪大学)理学部物理学科を繰り上げ卒業後、海軍技術見習尉官となって海軍兵学校にて物理教官となる。戦後、大阪帝國大学理学部副手、大阪大学助手を経て、1955年1月に名古屋大学教授となる。 1955年に「電気伝導度の公式」を、1973年には「対称破りポテンシャルの方法」を発表。1986年、停年退官ののち名古屋大学名誉教授。2009年8月、肺炎のため名古屋市にて死去。86歳であった。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
岡田 正勝(おかだ まさかつ、1922年12月8日 - 20… 岡田 正勝(おかだ まさかつ、1922年12月8日 - 2006年3月5日)は、日本の政治家。広島県福山市出身。民社党衆議院議員。 昭和15年(1940年)満州国撫順工業学校土木科を卒業し、戦後中日本重工業に入社。昭和26年(1951年)三原市議会議員に当選。5期務める。昭和46年(1971年)広島県議会議員に当選。2期を務めた後、昭和54年(1979年)旧広島3区から衆議院議員総選挙に立候補し当選する。当選回数4回。平成2年(1990年)第39回衆議院議員総選挙には立候補せず、引退した。 平成5年(1993年)勲二等瑞宝章を受章。平成18年(2006年)3月5日喉頭癌のため死去。83歳だった。
坂本 一亀(さかもと かずき、1921年12月8日 - 20… 坂本 一亀(さかもと かずき、1921年12月8日 - 2002年9月28日)は、日本の編集者。坂本龍一の父。 福岡県甘木市(現:朝倉市)生まれ。愛称は「ワンカメさん」。 旧制福岡県立朝倉中学校を卒業後、上京。1943年に学徒出陣により、日本大学法文学部文学科(国文学専攻)を繰上卒業し、佐賀の電信第2連隊補充隊に入営。その後、満洲・東安の通信隊に配属される。1945年(昭和20年)4月、福岡県筑紫野の通信基地に転じ、敗戦を迎えた。3ヵ月後に復員し、帰郷して近所の鋳物工場でなどで働く。文学書に読み耽りながら『朝倉文学』という小さな同人誌をやっていたところ、甘木に療養に来ていた元河出書房社員の眼にとまったのがきっかけとなり、1947年1月同社に入社。
半谷 高久(はんや たかひさ、1920年12月8日 - 20… 半谷 高久(はんや たかひさ、1920年12月8日 - 2008年1月17日)は、日本の地球化学者。 福岡県門司市(現北九州市)出身。1942年東京帝国大学理学部化学科卒。1954年理学博士。名古屋大学助手、1950年旧・東京都立大学助教授、61年教授、84年定年退官、名誉教授。MV研究所長。1979年地球化学研究協会学術賞(三宅賞)受賞。委託により渡良瀬川や水俣の水質調査をおこなったが、その分析結果を公開しない官庁を批判した。
堀池 春峰(ほりいけ しゅんぽう、本名:堀池 義也(よしや)… 堀池 春峰(ほりいけ しゅんぽう、本名:堀池 義也(よしや)、1918年(大正7年)12月8日 - 2001年(平成13年)8月31日)は、東大寺の僧、職員、仏教学者、古文書研究者、大学講師・教授。東大寺史研究所長。 1918年(大正7年)12月8日、東大寺修二会の三役の一つの会計職などの「小綱」(しょうこう)を代々、務めてきた堀池家に長男として生まれる。1936年(昭和11年)3月、旧制奈良県立奈良中学校(現・奈良県立奈良高等学校)を卒業。同年4月6日、雲井春海東大寺管長のもと得度し、僧名を春峰とする。翌年2月に東大寺小綱職となり、1980年までほぼ毎年、同寺二月堂の修二会(お水取り)に42回参籠する。
岡野 八郎(おかの はちろう、1916年12月8日 - 没年… 岡野 八郎(おかの はちろう、1916年12月8日 - 没年不明)は、滋賀県出身のプロ野球選手。 膳所中学校から関西大学を経て1938年に名古屋金鯱軍へ入団。
西田 堯(にしだ たかし、1915年12月8日 - 2004… 西田 堯(にしだ たかし、1915年12月8日 - 2004年12月19日)は、日本の経営者。同和鉱業社長、会長を務めた。 大阪府出身。1939年に京都帝国大学工学部採鉱学科を卒業し、同年に藤田組に入社。1963年に同和鉱業取締役に就任し、1971年5月に常務、1977年6月に副社長を経て、1981年6月に社長に就任。1987年6月に会長に就任し、1991年6月には相談役に退いた。 1963年に藍綬褒章を受章し、1986年11月に勲二等旭日重光章を受章。
隈 治人(くま はると、1915年12月8日 - 1990年… 隈 治人(くま はると、1915年12月8日 - 1990年11月23日)は、長崎県出身の俳人。戦災の悲劇を句作の原点とした。 長崎市生。長崎医科大学附属薬学専門部(現長崎大学薬学部)卒。1951年、「かびれ」に入会し大竹孤悠に師事。1954年、長崎原爆忌俳句大会を創設。1959年、長崎新聞俳壇選者。1962年、金子兜太らと「海程」を創刊・同人。1965年、第12回現代俳句協会賞受賞。1971年「土曜」創刊・主宰。1990年、長崎新聞文化章。同年11月23日死去、74歳。1992年、「土曜」会員有志より「雲が首灼く浦上 花をもっと蒔こう」句碑が長崎平和公園周辺に建てられている。
門上 千恵子(かどがみ ちえこ、1914年12月8日 - 2… 門上 千恵子(かどがみ ちえこ、1914年12月8日 - 2007年8月6日)は、愛媛県出身の弁護士。日本における初めての女性検事。門上チエ子、門上チヱ子とも表記する。旧姓、福枡。論理学の東京経済大学名誉教授である門上秀叡は夫。三男の門上光照は京都造形芸術大学芸術学部教授。 愛媛県伊予郡松前町で米屋の長女として生まれる。愛媛県立松山高等女学校(現・愛媛県立松山南高等学校)から広島県立女子専門学校(現・県立広島大学)国文科を経て、1939年に九州帝国大学法文学部法律学科を卒業。在学中、1937年にはローマ法の研究で帝国学士院から賞を受ける。岡山県林野高等女学校(現・岡山県立林野高等学校)の英語教諭を経て、1940年に九州帝国大学へ戻り、1944年まで法律学研究室の副手(のち助手)として勤務。
井浦 芳信(いのうら よしのぶ、1914年12月8日 - 1… 井浦 芳信(いのうら よしのぶ、1914年12月8日 - 1994年)は、日本の国文学者・演劇研究者。専門は、日本近世文学・近世演劇。中世に興った地方芸能の調査研究も行った。 福岡市地行西町(現・地行)にある浄土真宗本願寺派浄満寺の住職井浦領順の二男として生まれる。1932年福岡県中学修猷館、1935年旧制福岡高等学校文科甲類、1938年東京帝国大学文学部国文学科卒業、同大学大学院に進学し、1939年3月、同大学文学部副手となり国文学研究室に勤務する。 1945年10月旧制弘前高等学校教授となり、1950年3月同校が弘前大学となると、同大学文理学部の教授に就任。1953年8月から1959年4月まで同大学評議員も務めた。
田中 武夫(たなか たけお、1912年(大正元年)12月8日… 田中 武夫(たなか たけお、1912年(大正元年)12月8日 – 1979年(昭和54年)1月31日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 兵庫県出身。1937年(昭和12年)中央大学法律科を卒業した。 1937年、鉄道省に入省し大阪鉄道局勤務となる。その後、川西機械製作所に転じ、労働組合を結成し委員長に就任した。1947年(昭和22年)日本社会党に入党。明石地区労働組合協議会議長、兵庫県労働組合会議副議長、東播労連会長、兵庫県地方労働委員、兵庫労働金庫理事などを務めた。 1952年(昭和27年)10月の第25回衆議院議員総選挙で兵庫県第3区から社会党左派公認で出馬したが落選し、次の第26回総選挙でも次点で落選した。
小田 仁二郎(おだ じんじろう、1910年12月8日 - 1… 小田 仁二郎(おだ じんじろう、1910年12月8日 - 1979年5月21日)は、日本の小説家。 山形県南陽市生まれ。旧制長井中学在学時に大竹俊雄らと同人雑誌『火花』を創刊。早稲田文学仏文科に進み、在学中は野田誠三らと「ヴァリエテ」を刊行、中原中也や山沢民喜等の同人「紀元」に参加。卒業後は都新聞に勤め、文化部文芸欄を担当するが、1941年退社。戦後になって丹羽文雄の『文学者』に参加。1948年に真善美社の「アプレゲール叢書」の一冊として刊行された「触手」で文壇の一部からは評価されたが、その難解さから商業誌には迎えられなかった。1952年「昆虫系」で芥川賞候補、53年「からかさ神」で芥川賞候補、54年「塔の沢」で直木賞候補。
今 官一(こん かんいち、1909年(明治42年)12月8日… 今 官一(こん かんいち、1909年(明治42年)12月8日 - 1983年(昭和58年)3月1日)は、日本の小説家。 青森県弘前市西茂森町に藤田三次郎(藤田匡の一族)の孫、今宮吾の三男として生まれる。東奥義塾の学生時代、1926年(昭和2年)に中田重治より洗礼を受ける。 早稲田大学露文科中退。同郷の太宰治と親しく、桜桃忌の名は今によって名付けられた。 1956年(昭和31年)、『壁の花』で第三十五回直木賞を受賞。
児玉 幸多(こだま こうた、1909年〈明治42年〉12月8… 児玉 幸多(こだま こうた、1909年〈明治42年〉12月8日 - 2007年〈平成19年〉7月4日)は、日本の歴史学者。学位は、文学博士。学習院大学名誉教授。学習院大学学長・学習院女子短期大学学長を歴任。品川区立品川歴史館名誉館長、千曲市名誉市民。「日本近世農村・交通史の泰斗」と呼ばれた。 1909年、長野県更級郡稲荷山町(現在の千曲市稲荷山)生まれ。 旧制東京府立第二中学、旧制成蹊高等学校を経て、東京帝国大学国史学科に入学。児玉が少年期を過ごした故郷の稲荷山町は、江戸時代の善光寺街道最大の宿場町として栄え、明治期までは商都としても栄えた街であった。その最大の理由は、善光寺街道として知られる北国街道と北国西街道の事実上の合流点であり、善光寺街道から谷街道が分岐する交通の要衝であったためである。
大塚 徹(おおつか とおる、1908年(明治41年)12月8… 大塚 徹(おおつか とおる、1908年(明治41年)12月8日 - 1976年(昭和51年)12月2日)は、日本の詩人。 脊椎カリエスを患いながらも、叙情詩の発表を続け、播磨地域を中心とする多くの文学人に影響を与えた。また、ハーモニカ演奏や民謡、歌謡、学校歌の作詞等に多芸に活躍した。 兵庫県姫路市堺町で質屋を営む大塚捨次の三男として生まれる。母・まさは芸に秀で、若い頃の桂米朝、坂東大蔵らが出入りしていた。長兄が出奔し、次兄が早逝したため、時計古物商を営んで父母を養ったという。 旧制姫路中学3年在学時、飾磨港で水泳中に飛び込みをし、脊髄を損傷、3年間闘病する。その後脊髄カリエスも患い、一生疼痛と闘うこととなる。
林 泰(はやし やすし、1908年 <明治41> 12月8日… 林 泰(はやし やすし、1908年 <明治41> 12月8日 - 1988年 <昭和63年> 7月1日)は、日本の経営者。山陽特殊製鋼社長を務めた。東京都出身。位階は正五位。 1932年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。髙島屋での勤務を経て、1942年に日本製鉄を経て、、1950年4月に富士製鐵に転じ、1957年5月に取締役に就任し、1960年6月に常務、1967年2月に専務・日鉄セメント社長を経て、1973年7月には山陽特殊製鋼社長に就任。1980年6月に会長に就任し、1984年6月には相談役に就任。 1979年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1988年7月1日大腸がんのために死去。79歳没。
前田 利民(まえだ としたみ、1908年(明治41年)12月… 前田 利民(まえだ としたみ、1908年(明治41年)12月8日 - 1983年(昭和58年)3月2日)は、昭和期の華族(子爵)。 七日市前田家第13代当主前田利定子爵の子として生まれる。1944年11月1日、父の死去に伴い子爵を襲爵した。 日本大学経済学部を卒業後、安田銀行、高崎板紙などに勤務した。1983年死去、家督は従甥の史貞が継いだ。
音丸(おとまる、1906年〈明治39年〉12月8日 - 19… 音丸(おとまる、1906年〈明治39年〉12月8日 - 1976年〈昭和51年〉1月18日)は、大正、昭和時代に活躍した日本の歌手。本名:永井 満津子。東京市麻布区(現在の東京都港区)麻布箪笥町生まれ。 1906年(明治39年)12月8日、麻布の老舗履物屋の店主永井幾吉の一人娘として生まれる。常磐津の名取りだった祖母は彼女が6歳になった6月6日から常磐津と舞踊を習わせた。13歳の時に美声を買われて橘流筑前琵琶を修行、旭翁派の名手としても知られるようになる。17歳のときには春日派の小唄を始めている。 しかし1930年、25歳のときに溺愛していた弟の幸太郎が亡くなり、重いノイローゼになる。その頃近所の民謡マニアの家に時々尺八の菊池淡水が指導に来ていて、いつしか聴き覚えた民謡を歌っているうちに病気が快方に向かい、心が晴れてくるのに気付いた。
加藤 久幹(かとう ひさもと / ひさとし、1904年(明治… 加藤 久幹(かとう ひさもと / ひさとし、1904年(明治37年)12月8日 - 1976年(昭和51年)11月21日)は、日本の洋画家、華族。光風会会員。旧名・島津 久幹。 鹿児島県出身。重富島津家(薩摩島津氏の主要分家)の男爵・島津壮之助の二男として生まれる。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)で大牟礼南島に、東京美術学校(現:東京芸術大学)西洋画科で藤島武二に師事。1928年に東京美術学校を卒業。加藤子爵家(元近江水口藩主家、加藤嘉明系)の加藤克明の婿養子となる。 1957年、光風会会員となる。橋口康雄(橋口五葉の甥)や山口長男の上杜会に加わったことや、猪熊弦一郎と三春会をつくったこともある。
藤森 睿(ふじもり さとる、1903年 〈明治36年〉12月… 藤森 睿(ふじもり さとる、1903年 〈明治36年〉12月8日 - 1984年〈昭和59年〉8月30日)は日本の政治家。青森県弘前市長。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 青森県弘前市出身。青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を経て、東洋大学倫理学東洋文学科卒。卒業後は青森県立青森高等女学校(現・青森県立青森高等学校)、青森県女子師範学校(現・弘前大学)、青森県立五所川原高等女学校(現・青森県立五所川原高等学校)の各教諭となり、五所川原高等女学校、青森高等女学校の各校長となる。1946年に青森県庁に入り、県視学官、教育、人事の各課長、民生部長を歴任し、1954年、弘前高校校長となり、教育現場に復帰した。
冲永 荘兵衛(おきなが しょうべい、1903年12月8日 -… 冲永 荘兵衛(おきなが しょうべい、1903年12月8日 - 1981年2月21日)は、日本の政治家、教育者。
内ヶ崎 康治(うちがさき こうじ、1903年12月8日 - … 内ヶ崎 康治(うちがさき こうじ、1903年12月8日 - 1975年9月2日)は、日本の政治家。宮城県富谷町長(3期)。 宮城県黒川郡富谷村(のち富谷町、現・富谷市)出身。宮城県師範学校卒。吉岡小、大衡小訓導となり、戦時中は県関係の諸団体の要職を務めた。 戦後の1951年、富谷村議会議員に当選。翌年、富谷村教育長となり、1955年富谷村長選挙に無投票で当選した。 富谷村は昭和の大合併で揺れたが、結局、村は単独で残る選択をした。そのため村は財政面で困難な状態に陥った。このような中、中学校の体育館や音楽室の設置、町営住宅の建設、工場の誘致など、村の発展に力を尽くした。 これらの努力が実を結び、村の人口も増加に転じ、1963年に町制施行となった。
木谷 龍吉(きたに りゅうきち、1902年(明治35年)12… 木谷 龍吉(きたに りゅうきち、1902年(明治35年)12月8日 - 没年不明は、日本の技術者(化学者)。 福井県敦賀郡(現:敦賀市)出身。東京高等工業学校応用化学科(現:東京科学大学)を卒業し、東京電気株式会社(現:東芝)に入社。東芝マツダ研究所の主任研究員を務め、東芝の電球ブランド「マツダ」の化学的基礎研究を行った。 1936年(昭和11年)に照明学会発達調査委員会の委員となる。。 父は敦賀二十五銀行主任の木谷滋治郎。従兄弟は旅順工科大学教授の木谷要一。東京電気入社直後は親族で外務省の成田五郎宅に居住していた。
大野 修司(おおの しゅうじ、1902年(明治35年)12月… 大野 修司(おおの しゅうじ、1902年(明治35年)12月8日 - 1970年(昭和45年)2月3日)は、日本の実業家。トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)で25年にわたり役員を務め、代表取締役副社長在任中に死去した。 1902年、栃木県に出生。 1925年、明治大学法学部卒業。豊川順弥(豊川良平(三菱財閥)の長男)が設立した白楊社に入社後、東京ブレス工業顳問、支配人などを歴任。 1937年、豊田喜一郎に招聘され、豊田自動織機製作所に入社。豊田が推進した「ジャスト・イン・タイム」構想を支え、協豊会設立や部品メーカー育成に貢献。 1939年、原材料の量・価格が統制されていた当時の自動車業界において、協力工場の代表者と意見交換を行う場として、第1回が開かれた「トヨタ自動車下請懇談会」(国産自動車下請工業確立助成座談会、現在の「協豊会」)は、大野の貢献により継続的に実施されることになり、会社と協力工場の緊密な関係の源泉となった。
嵐 寛壽郎(あらし かんじゅうろう、新字体:寛寿郎、本名:高… 嵐 寛壽郎(あらし かんじゅうろう、新字体:寛寿郎、本名:高橋 照一(たかはし てるいち)、1902年〈明治35年〉12月8日 - 1980年〈昭和55年〉10月21日)は、日本の映画俳優、映画プロデューサーである。 戦前・戦後期にわたって活躍した時代劇スターで、300本以上の映画に出演し、「アラカン」の愛称で親しまれた。同時代の時代劇スターの阪東妻三郎、大河内傳次郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、長谷川一夫とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた。当たり役は鞍馬天狗と『右門捕物帖』のむっつり右門で、前者は40本、後者は36本シリーズ化されている。また、新東宝の『明治天皇と日露大戦争』では、俳優の中で初めて天皇を演じて話題となった(本作では明治天皇を演じた)。
谷口 忠(たにぐち ただし、1900年(明治33年)12月8… 谷口 忠(たにぐち ただし、1900年(明治33年)12月8日 - 1995年(平成7年)12月11日)は、昭和期の建築学者である。
潮ヶ濱 義夫(しおがはま ぎふ、1897年12月8日 - 1… 潮ヶ濱 義夫(しおがはま ぎふ、1897年12月8日 - 1937年11月6日)は、青森県西津軽郡木造町(現・つがる市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は長谷川 義夫。現役時代の体格は身長170cm、体重90kg。最高位は西前頭11枚目(1930年1月場所・3月場所)。得意手は突っ張り、左四つ、寄り、足癖。 旧制函館中学校(現・北海道函館中部高等学校)を卒業し、小学校の代用教員をしていたという、角界では異色の経歴を持つ。遠縁に幕内力士立汐祐治郎・立汐唯五郎の兄弟がいた。3代高砂(元大関2代朝潮)に入門して1917年1月場所で初土俵。6年後の1923年5月場所に十両昇進、1928年3月場所で入幕した。
大石 兵太郎(おおいし ひょうたろう、1897年12月8日 … 大石 兵太郎(おおいし ひょうたろう、1897年12月8日 - 1954年11月30日)は、日本の学者。専門は、政治心理学。関西学院大学教授、法学部長、学長を歴任した。 1897年、滋賀県大津市に生まれる。関西学院専門部文学部社会学科を卒業後、東北帝国大学法文学部に進学し、1926年卒業。同年4月に、関西学院専門部教授に就任し、政治学・政治思想史を担当した。 1934年、大学昇格に際して法文学部助教授に就任。1937年、教授に昇任。1947年、新制大学法学部に移り、第2代法学部長に就任。1951年4月には学長に就任するが、学長在任中の1954年11月、病気のため急逝した。
吉田 正廣(よしだ まさひろ、1895年12月8日 - 19… 吉田 正廣(よしだ まさひろ、1895年12月8日 - 1972年1月10日)は、日本の朝鮮史家、郷土史家、朝鮮総督府官吏。 堂前家の三男として鹿児島県北伊佐郡羽月村(現・伊佐市)に生まれる。5歳の時、吉田家の養子となる。鹿児島県立鹿屋農学校(現・鹿屋農業高等学校)卒業。朝鮮総督府の記録では、大正10年(1921年)、京畿道勧業技手が初見。36歳の時、吉田朝子(当時23歳)と見合い結婚する。朝鮮農地令制定の最重要人物とされ、朝鮮総督府高等官(奏任官)として『朝鮮の小作慣行-時代と慣行』(1930年)などの著作がある。自らライフワークを「『朝鮮の農村及農村生活』の実証的研究である」と記していたという。
石崎 政一郎(いしざき まさいちろう、1895年12月8日 … 石崎 政一郎(いしざき まさいちろう、1895年12月8日 - 1972年7月25日)は、昭和期の法学者。専攻は労働法、社会保障法。フランス法。東北大学名誉教授。元立教大学法学部教授。日仏法学会会長を歴任。 銀行頭取の石崎丈太郎の長男として生まれる(石崎家第3代)。東京出身。東京帝国大学法学部卒業。1921年(大正10年)に、渡欧、パリ大学、リヨン大学で法学を学び、博士号の学位を得る。1940年(昭和15年)、家督を相続。戦時中は、東北帝国大学報国隊第4大隊に所属、学徒勤労動員に関わる。 1952年(昭和27年)4月から1954年(昭和29年)3月まで東北大学法学部長を務め、1959年(昭和34年)3月に定年退職後、名誉教授となり、同年4月に立教大学法学部教授に就任。
小寺 融吉(こでら ゆうきち、1895年(明治28年)12月… 小寺 融吉(こでら ゆうきち、1895年(明治28年)12月8日 - 1945年(昭和20年)3月29日)は、日本の舞踊研究家、民俗学者。 東京生まれ。小寺芳次郎の四男。開成中学校卒、1918年早稲田大学文学部英文科卒。歌舞伎舞踊、民俗舞踊を研究、1927年柳田國男、折口信夫らと民俗芸術の会を結成、『民俗藝術』を創刊した。小寺駿吉、中村伸郎の兄。小寺廉吉、小寺健吉の弟。
内藤 友明(ないとう ともあき、1894年(明治27年)12… 内藤 友明(ないとう ともあき、1894年(明治27年)12月8日 - 1992年(平成4年)3月14日)は、大正から昭和期の農業技術者、政治家。衆議院議員、富山県新湊市長。 富山県射水郡新湊町(新湊市を経て現射水市)出身。1917年(大正6年)東京帝国大学農科大学実科を卒業した。 1932年(昭和7年)1月、新湊町会議員に選出され1期在任。帝国農会参事、富山県農会技師兼幹事、産業組合中央金庫(現農林中央金庫)秘書課長、石黒忠篤農林大臣秘書官、農地開発営団常任幹事、農村更生協会常任理事、農山漁村文化協会監事などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で富山県第2区に国民協同党公認で出馬して初当選し、以後1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続5期在任した。
坂本 大造(さかもと だいぞう、1894年(明治27年)12… 坂本 大造(さかもと だいぞう、1894年(明治27年)12月8日 - 1964年(昭和39年)7月29日)は、大正から昭和期の造船技術者、政治家、華族。貴族院男爵議員。 本籍・長野県。海軍士官・坂本俊篤の長男として生まれる。父の死去に伴い、1941年(昭和16年)6月2日、男爵を襲爵した。 1916年(大正5年)早稲田大学理工科を卒業した。同年、横浜船渠に入社。その後、石川島造船所に移り、工作部鍛錬工場長、鋳鍛部部長代理などを務めた。 1946年(昭和21年)6月29日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
大橋 忠一(おおはし ちゅういち、1893年12月8日 – … 大橋 忠一(おおはし ちゅういち、1893年12月8日 – 1975年12月14日)は、昭和期の外交官・政治家。衆議院議員(3期)。カンボジア大使。
上山 薫(うえやま かおる、1893年〈明治26年〉12月8… 上山 薫(うえやま かおる、1893年〈明治26年〉12月8日 - 1964年〈昭和39年〉10月7日)は、日本の実業家。内外除虫菊・陽和地所各社長。紀陽銀行取締役。和歌山県除虫菊製品工業組合理事長。 上山市郎兵衛の弟。元:池田銀行頭取清滝一也は長男。プリンストン大学教授清滝信宏は孫。 和歌山県有田郡保田村(現・有田市)出身。1918年、京都帝国大学法学部政治経済学科卒業。1921年、分家した。 内外除虫菊社長となり、和歌浦土地、和歌山県除虫菊貿易、和歌山除虫菊工業各社長。また、各種の会社重役を務めた。 趣味は読書。宗教は浄土宗。住所は和歌山市湊通丁南、兵庫県尼崎市。 上山家は古くより保田村に土着する地主だった。