高見 のっぽ(たかみ のっぽ、以前の芸名:高見 映(たかみ … 高見 のっぽ(たかみ のっぽ、以前の芸名:高見 映(たかみ えい)、本名:高見 嘉明(たかみ よしあき) 1934年5月10日 - )は、日本の俳優、作家。京都府京都市右京区太秦出身。
5月10日生まれ:379人
高見 のっぽ(たかみ のっぽ、以前の芸名:高見 映(たかみ … 高見 のっぽ(たかみ のっぽ、以前の芸名:高見 映(たかみ えい)、本名:高見 嘉明(たかみ よしあき) 1934年5月10日 - )は、日本の俳優、作家。京都府京都市右京区太秦出身。
石川 緑(いしかわ みどり、本名:伊藤 緑郎(いとう ろくろ… 石川 緑(いしかわ みどり、本名:伊藤 緑郎(いとう ろくろう)、1934年5月10日 - 2004年4月20日)は、愛知県豊川市出身のプロ野球選手。愛称は「ミドリ」。
岡 利定(おか としさだ、1934年5月10日 - 2000… 岡 利定(おか としさだ、1934年5月10日 - 2000年10月2日)は、日本の政治家。位階は従四位勲三等。勲章は旭日中綬章。自由民主党所属の元参議院議員(2期)。 和歌山県那賀郡那賀町出身。和歌山県立粉河高等学校を経て、1959年、東京大学法学部卒業。 国家公務員上級職試験合格後、1962年、郵政省入省。同期に水町弘道元九州郵政監察局長。北海道郵政局長を経て、1990年、郵政大臣官房審議官を最後に退官。 1992年の第16回参議院議員通常選挙で、自由民主党から比例区に立候補して当選。1996年、第2次橋本内閣科学技術政務次官。 2000年10月、参議院議員在任中に、肝不全のため東京逓信病院で死去した。
江遠 要甫(えとお ようすけ、1934年5月10日 - )は… 江遠 要甫(えとお ようすけ、1934年5月10日 - )は、長野県飯山市出身の元ノルディック複合、スキージャンプ選手。 明治大学卒業後、長野営林署に勤務。 ジャンプでは長野県出身者として初のオリンピック代表となった。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
扇 千景(おおぎ ちかげ、1933年〈昭和8年〉5月10日 … 扇 千景(おおぎ ちかげ、1933年〈昭和8年〉5月10日 - 2023年〈令和5年〉3月9日)は、日本の女優、タカラジェンヌ(娘役・41期生)、政治家。本名:林 寛子(はやし ひろこ)。旧姓は木村(きむら)。兵庫県神戸市出身。 参議院議長(第26代)、国土交通大臣(初代・第2代)、運輸大臣(第78代)、北海道開発庁長官(第72代)、建設大臣(第69代)、国土庁長官(第36代)、科学技術政務次官(鈴木善幸改造内閣)、参議院文教委員長、参議院議員(5期)、保守党党首(初代)、新進党参議院議員会長(第3代)、靖国神社崇敬奉賛会会長(第3代)などを歴任した。 位階は従二位、称号は旭日大綬章(女性初)、桐花大綬章(女性初)、大韓民国修交勲章光化章、台湾一等景星勲章、フランス共和国ボージョレーワイン委員会・フランス食品振興会認定コンパニヨン・デュ・ボージョレー騎士。
金具 洋右(かなぐ ようすけ、1933年5月10日 - )は… 金具 洋右(かなぐ ようすけ、1933年5月10日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。 柳井高校、八幡製鐵を経て1955年に阪急ブレーブスへ入団。同年のウエスタン・リーグで初となる1イニング4奪三振を記録した。 1957年に引退。その後は母校の柳井高校で監督を務めた。
川上 忠雄(かわかみ ただお、1933年5月10日 - )は… 川上 忠雄(かわかみ ただお、1933年5月10日 - )は、マルクス経済学者。法政大学名誉教授。宇野派。 徳島県小松島市生まれ。1956年東京大学経済学部卒。1959年同大学大学院修士課程修了、法政大学経済学部助手。1962年法政大学大学院社会科学研究科経済学専攻博士課程満期退学、同大学経済学部専任講師。1965年助教授、1971年教授。2003年退職、名誉教授。
笹森 建美(ささもり たけみ、1933年5月10日 - 20… 笹森 建美(ささもり たけみ、1933年5月10日 - 2017年8月15日)は、日本の牧師、剣術家。 小野派一刀流宗家笹森順造の三男として、青森県に生まれる。早稲田大学文学部哲学科、米国デューク大学大学院神学部卒業。青山学院中等部宗教主任を経て、駒場エデン教会牧師。大長刀直元流、居合神夢想林崎流宗家も受け継ぎ、日本古武道協会常任理事を務め、小野派一刀流第17代宗家でもあった。
竹内 重年(たけうち しげとし、1933年5月10日 - 2… 竹内 重年(たけうち しげとし、1933年5月10日 - 2021年6月23日)は、日本の法学者、弁護士。専門は憲法学、政党法。 1933年、岡山県岡山市に生まれる。早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了。東京大学社会科学研究所所員として憲法、行政法を専攻した。ドイツ公法研究のためハイデルベルク大学へ留学し、憲法学者ゲルハルト・ライプホルツ(de:Gerhard Leibholz)に師事した。 1962年、参議院法制局参事に就任。1968年に熊本大学講師に就任し、その後、助教授を経て教授に就任する。1995年、「ドイツ政党法の実証的研究」で北海道大学法学博士号を取得。1996年、明治大学教授に就任。
川那部 浩哉(かわなべ ひろや、1932年5月10日 - )… 川那部 浩哉(かわなべ ひろや、1932年5月10日 - )は、日本の生物学者。京都大学名誉教授。滋賀県立琵琶湖博物館前館長(名誉学芸員)。専門は群集生態学、動物社会学。理学博士(京都大学 , 1960年)。 京都市出身。1948年(昭和23年)京都府立第二中学校を卒業、1951年(昭和26年)京都府立鴨沂高等学校を卒業後、京都大学理学部に入学。宮地傳三郎教授を師事し、動物学と生態学を学んだ。 1960年、京都大学の助手に任官。その後、1967年に助教授、1977年に教授に昇任。1996年に教授を退官後、滋賀県立琵琶湖博物館館長に就任した。2010年に滋賀県立琵琶湖博物館館長を退任。 淡水生物の生態を主に研究。
山形 英夫(やまがた ひでお、本名:新国英夫。1932年5月… 山形 英夫(やまがた ひでお、本名:新国英夫。1932年5月10日 - )は、日本の歌手である。本名の新国英夫の表記もある。
加茂 公成(かも こうせい、1932年5月10日 - 201… 加茂 公成(かも こうせい、1932年5月10日 - 2017年1月6日)は、東京都目黒区出身の男子テニス選手。1955年の全米選手権男子ダブルスで宮城淳とペアを組んで優勝し、日本人のテニス選手として唯一の4大大会男子ダブルス優勝者になった名選手である。父・国夫の指導で自宅コートで育った加茂4姉弟の末っ子。早稲田大学卒業。三井物産勤務を経て,テニスコンサルタント会社を経営。身長171cm、体重70kg。 加茂家は有名なテニス一家であり、姉の加茂幸子と兄の加茂礼仁(れいじん)も第2次世界大戦終戦直後の日本を代表する名選手であった。「公成」という名前は、フランスの往年の名選手アンリ・コシェにちなんで命名されたものである。
大橋 秀雄(おおはし ひでお、1931年5月10日 - )は… 大橋 秀雄(おおはし ひでお、1931年5月10日 - )は、日本の工学者。東京大学名誉教授、工学院大学名誉教授。専門は流体工学、流体機械、環境システム工学、工学教育、技術者教育。 東京大学で33年間、工学院大学で19年間、教育と研究に従事するかたわら、技術者の地位向上を目指し、技術者教育認定制度など基盤作りに貢献した。2011年に学校法人工学院大学理事長を退任し、以降工学院大学、日本工学会、日本技術者教育認定機構 (JABEE) の顧問、公益団体の役員などを務めた。 東京都出身。新潟県立村松高等学校を経て1954年東京大学工学部機械工学科卒業。1954年石川島重工株式会社(現IHI)入社。1958年ブラウンシュヴァイク工科大学(ドイツ)にて、境界層理論で知られるヘルマン・シュリヒティンク(英語版)教授の指導で Dr.-Ing.(工学博士号)取得。
外山 雄三(とやま ゆうぞう、1931年5月10日 - )は… 外山 雄三(とやま ゆうぞう、1931年5月10日 - )は、日本の指揮者・作曲家。東京市牛込区(現在の東京都新宿区)出身。東京藝術大学音楽学部作曲科卒。父は作曲家の外山國彦。弟は声楽家・合唱指揮者の外山浩爾。
津村 俊弘(つむら としひろ、1931年5月10日 - 20… 津村 俊弘(つむら としひろ、1931年5月10日 - 2022年3月13日)は、日本の情報制御/システム工学者・航空宇宙工学者。工学博士(大阪大学)。大阪府立大学名誉教授。大阪工業大学情報科学部情報システム元教授。ビークルオートメーション研究会初代会長。日本人間工学会関西支部元支部長(航空人間工学部会所属)。瑞宝中綬章受章。 専門は、航空情報システム・航空宇宙工学、情報制御/システム工学・ビークルオートメーション(特に移動体制御:飛行機・自動車・ロボット等)。 1960年大阪大学大学院工学研究科電気工学専攻博士課程修了、工学博士(大阪大学)。同年、大阪府立大学(現:大阪公立大学)工学部航空工学科助手。
沢崎 順之助(さわさき じゅんのすけ、1931年5月10日 … 沢崎 順之助(さわさき じゅんのすけ、1931年5月10日 - 2021年4月12日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。昭和女子大学名誉教授。弟の沢崎浩平はフランス文学者。 研究対象は英国詩からアメリカ詩に移り、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズを専門とした。エドガー・アラン・ポオの短編・詩やT・S・エリオットなど古典の翻訳も行った。 1931年東京都生まれ。1953年東京大学文学部英文科を卒業。同大学院修士課程に進み、平井正穂に師事して英国詩を学ぶ。1955年に修了。 卒業後は、國學院大學講師、1961年東京都立大学講師、助教授、1969年にニューヨーク大学に留学。東京都立大学教授を経て、1989年より昭和女子大学教授。
近藤 唯之(こんどう ただゆき、1930年5月10日 - )… 近藤 唯之(こんどう ただゆき、1930年5月10日 - )は、日本のスポーツライター、コラムニスト、ノンフィクション作家、野球評論家。 左官職人の長男として東京都の本郷に出生、6歳から野球を始めた。旧制明治中学校では硬式野球部に所属し島岡吉郎監督の指導を受けるも、右肺の弱さから試合出場経験はなし。その後、明治大学法学部へ進学。島岡の薦めにより野球のプレーは諦め、書く方にまわろうとグラウンドに顔を出して野球観戦をした。卒業後の1953年4月に報知新聞社に入社し、同新聞(現:スポーツ報知)のスポーツ記者となる。1956年に朝刊の発行を始めた東京新聞にスカウトされて移籍。毎日の戦評と野球コラム「金曜放談」を署名入りで執筆。
飯田 修三(いいだ しゅうぞう、1930年5月10日 - 2… 飯田 修三(いいだ しゅうぞう、1930年5月10日 - 2006年12月3日)は、日本の経営学者・会計学者。 京都市出身。大阪市立大学卒。1961年同大学院博士課程満期退学。79年「生産性分析論」で大阪市大商学博士。1961年富山大学経営短期大学部講師、助教授、龍谷大学経済学部助教授、教授、1981年岡山大学経済学部教授、94年定年退官、名誉教授 追手門学院大学教授、兵庫大学教授、大阪人間科学大学副学長。管理会計論。
三好暁光(三好曉光、みよし あきみつ、1930年5月10日 … 三好暁光(三好曉光、みよし あきみつ、1930年5月10日 - 2007年5月5日)は、日本の精神病理学者。京都大学名誉教授。 京都生まれ。1956年京都大学医学部医学科卒業。1965年「Psilocybin実験精神病の精神病理学的研究」で京都大学より医学博士の学位を取得。京都大学保健管理センター教授、教育学部・研究科教授、1994年定年退官、名誉教授。
瀨木 庸介(せき ようすけ、1930年5月10日 - 199… 瀨木 庸介(せき ようすけ、1930年5月10日 - 1999年3月1日)は、博報堂の代表取締役社長、白光真宏会理事長。本名は 瀨木 博親(せき ひろちか)。東京都出身。 1952年に成蹊大学政経学部を卒業と同時にアメリカ合衆国で広告事業を研究する為ボストン大学に留学、1954年に卒業しコロンビア大学大学院に進む。修了後、博報堂に入社。1957年に取締役。1960年に専務取締役を経て1966年1月に同社の代表取締役社長に就任し経営の近代化を図る。1972年に退任し義甥の妻で白光真宏会の第2代会長・西園寺昌美とその養父で白光真宏会の開祖・五井昌久に師事。1年後の1973年に白光真宏会を設立し理事長に就任。
柿木吾郎(かきのき ごろう、1930年5月10日-2013年… 柿木吾郎(かきのき ごろう、1930年5月10日-2013年1月8日)は、日本の音楽学者。 東京生まれ。1955年東京芸術大学音楽学部楽理科卒。宮崎大学教育学部助教授、上越教育大学教授。94年定年退官、名誉教授。
大林 太良(おおばやし たりょう、1929年(昭和4年)5月… 大林 太良(おおばやし たりょう、1929年(昭和4年)5月10日 - 2001年(平成13年)4月12日)は日本の民族学者。東京大学名誉教授。従四位勲三等旭日中綬章。東京都生まれ、愛知県育ち。
米里 恕(よねざと ひろし 1928年5月10日 - 201… 米里 恕(よねざと ひろし 1928年5月10日 - 2018年8月25日)は、旧 大蔵省銀行局長。 中国・上海生まれ。旧制都立高等学校を経て、1951年東京大学法学部卒後、大蔵省入省、大臣官房秘書課属。入省同期には山口光秀(事務次官)、加藤隆司(国金局長、理財局長)、平尾照夫(IMF理事、東北財務局長)ら。 1972年 証券局資本市場課長を経て、大臣官房調査企画課長、名古屋国税局長、大臣官房審議官を経て、1979年4月に銀行局長に就任。 銀行局長時代には、土田正顕銀行局総務課長、銀行局総務課企画官である坂本導聡(1964年入省)、鏡味徳房(1965年入省)、吉田正輝銀行局担当審議官(1954年入省)らと、およそ50年ぶりに新銀行法改正を成立させ、当時の大蔵主導の金融効率化行政の下、自由競争導入を一歩推し進めた。
山田 博光(やまだ ひろみつ、1928年5月10日 - 20… 山田 博光(やまだ ひろみつ、1928年5月10日 - 2025年7月8日)は、日本近代文学研究者、帝塚山学院大学名誉教授。 長野県豊科町(現・安曇野市)生まれ。1954年信州大学文理学部英文科卒、1959年東京都立大学 (1949-2011)大学院博士課程満期退学。1965年苫小牧駒澤短期大学助教授、1969年帝塚山学院大学文学部助教授、73年教授、85年文学部長、89年学長、2001年定年、名誉教授。
小松原 茂雄(こまつばら しげお、1928年5月10日 - … 小松原 茂雄(こまつばら しげお、1928年5月10日 - 1988年11月30日)は、英文学者、元東京大学教養学部教授。ディケンズ文学の専門家。 徳島県生まれ。東京大学英文科卒。 日本女子大学文学部講師、千葉大学文理学部助教授を経て1964年より東大教養学部助教授、教授(英語)。チャールズ・ディケンズを専門とし、『ボズのスケッチ集』等をテキストとしたディケンズ文学の世界を紹介する講義を行った。 五反田駅で鉄道に飛び込み自殺により逝去。没後、『ディケンズの世界』(三笠書房、1989)がまとめられた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
安良城 盛昭(あらき もりあき、1927年5月10日 - 1… 安良城 盛昭(あらき もりあき、1927年5月10日 - 1993年4月12日)は、昭和期の歴史学者。沖縄大学学長などを歴任する。 東京府の出身であるが、両親はともに沖縄県の出身 であり、そのことが彼の研究にも影響を与えることとなる。 1949年に第一高等学校を卒業後、東京大学経済学部に入る。1953年の大学卒業時に書いた太閤検地に関する卒業論文が雑誌『歴史学研究』に掲載されると、学界に「安良城旋風」(服部之総)と呼ばれる衝撃を与えた(経済学部出身ではあるが、古文書読解は児玉幸多より手ほどきを受け、研究面では永原慶二、所三男、林基、山口啓二らの指導を受けた。)。安良城も石母田正の「中世的世界の形成」の影響を受けた(石母田正著作集第13巻月報13「石母田さんと私」)。
三重野 栄子(みえの しげこ、1926年5月10日 - 20… 三重野 栄子(みえの しげこ、1926年5月10日 - 2013年11月27日)は、日本の政治家。社会民主党の参議院議員(2期)。位階は従四位。 福岡県大牟田市出身。福岡第一師範学校を経て、九州帝国大学経済学部に入学。1951年(昭和26年)に卒業した。同年岩田屋に入社、労組書記長などを務めた。1962年(昭和37年)日本社会党に入党。1983年(昭和58年)筑紫野市議に初当選。1988年(昭和63年)社会党福岡県本部副委員長に就任。1990年(平成2年)の小野明参議院副議長の死去にともなう参院福岡補選に立候補して初当選。自民党候補との一騎討ちを制した。1995年(平成7年)の第17回参議院議員通常選挙でも再選。
木島 則夫(きじま のりお、1925年〈大正14年〉5月10… 木島 則夫(きじま のりお、1925年〈大正14年〉5月10日 - 1990年〈平成2年〉4月13日)は、日本の司会者、ニュースキャスター、アナウンサー、政治家。民社党所属の参議院議員(2期)。 東京都出身。旧制横須賀中学(現神奈川県立横須賀高等学校)、明治学院大学文学部英文科を卒業。1948年に、読売新聞社の採用試験を受け不合格となったが、NHKのアナウンサー採用試験で合格し入局、クイズ番組『危険信号』『生活の知恵』などの司会を担当した。1964年3月にNHKを退職し、その直後の同4月より、日本教育テレビ(NET。現テレビ朝日)と局契約アナウンサー(嘱託職)を結び、『木島則夫モーニングショー』の司会を1968年3月まで務め(『モーニングショー』自体も初代の総合司会者だった)、「泣きの木島」と呼ばれて人気を集めて、ワイドショーブームの火付け役となった。
南川 直(みなみかわ ただし、本名同じ、1925年5月10日… 南川 直(みなみかわ ただし、本名同じ、1925年5月10日 - 2001年1月)は、日本の俳優。北海道札幌市出身。逗子開成中学出身。俳優の田宮二郎は従弟にあたる。 終戦の翌年に復員後、鎌倉アカデミアの演劇科に進学。演技の勉強を積んだのち1950年に太泉映画(後の東映)のニューフェース一期生に合格。 脇役として地道ながら数多くの作品に出演。 1961年から放送開始したテレビ映画『特別機動捜査隊』ではレギュラーの刑事役として10年活躍。しかし健康上の問題を理由に役者を引退した。 1991年の単発テレビ時代劇『忠臣蔵 風の巻・雲の巻』では浅野家家老の役でサプライズ出演を果たす。
橋田 壽賀子(はしだ すがこ、1925年〈大正14年〉5月1… 橋田 壽賀子(はしだ すがこ、1925年〈大正14年〉5月10日 - 2021年〈令和3年〉4月4日)は、日本の脚本家、劇作家、タレントである。本名:岩崎 壽賀子(いわさき すがこ)(旧姓:橋田)。位階は従三位。静岡県熱海市名誉市民。 1949年(昭和24年)、松竹に入社し、脚本部に配属される。1964年(昭和39年)『袋を渡せば』でテレビドラマの脚本家デビュー。同年、東芝日曜劇場のために執筆した『愛と死をみつめて』の脚本が話題となって以後、テレビドラマの脚本家として話題作・ヒット作の数々を世に送り出した。 代表作は『おんな太閤記』、『おしん』、『いのち』、『橋田壽賀子ドラマ おんなは一生懸命』、『春日局』、『渡る世間は鬼ばかり』、『橋田壽賀子スペシャル 源氏物語 上の巻・下の巻(光源氏第1部・第2部)』、『おんなは度胸』、『春よ、来い』、『なるようになるさ。
鎌田久子(かまた ひさこ、1925年〈大正14年〉5月10日… 鎌田久子(かまた ひさこ、1925年〈大正14年〉5月10日 - 2011年〈平成23年〉1月17日)は、日本の民俗学者。成城大学名誉教授。 静岡県磐田郡天竜村(後の磐田市)生まれ。実践女子専門学校卒、国学院大学卒。柳田國男に師事、柳田の秘書も務めた。南方熊楠賞(1990年制定)では選考委員を務めた。2003年には「南方二書」の原本を発見した。 2011年1月17日、卵巣がんにより死去。
佐々木 銀弥(ささき ぎんや、1925年5月10日 - 19… 佐々木 銀弥(ささき ぎんや、1925年5月10日 - 1992年9月5日)は、日本史学者。名は「銀彌」とも。 山形県飽海郡遊佐村(現・遊佐町)生まれ。東京大学文学部国史学科卒、立正大学講師、助教授、茨城大学人文学部助教授を経て、中央大学文学部教授を務めた。1992年9月5日、呼吸不全のため死去。67歳没。
宮本 十蔵(みやもと じゅうぞう、1925年5月10日 - … 宮本 十蔵(みやもと じゅうぞう、1925年5月10日 - 2004年8月14日)は、日本の哲学者。岐阜大学名誉教授。 兵庫県生まれ。1952年東京大学文学部哲学科卒。信州大学人文学部助教授、岐阜大学教養部教授、1999年名誉教授。マルクス・ヘーゲルを研究した。
清水 喜一郎(しみず きいちろう、1924年5月10日 - … 清水 喜一郎(しみず きいちろう、1924年5月10日 - 1964年2月28日)は、東京都出身のプロ野球選手(二塁手・遊撃手)。 京王商業学校(現・専修大学附属高等学校)在学中は、1941年に第27回全国中等学校優勝野球大会(日中戦争悪化により中止)東京府大会の決勝に進むが、帝京商業学校(現・帝京大学中学校高等学校)に0-14で大敗し、準優勝。戦時下の翌1942年に甲子園大会に出場。初戦で、この大会優勝の徳島商に延長14回の激闘の末、1-2で惜敗した。京王商業時代のチームメイトに貫井丞治がいる。 京王商卒業後は、貫井と共に明治大学でプレーした。実家は甲州街道沿いで食堂「喜楽」を営み、母親は明治大学野球部合宿所の賄い婦も兼ねていた。
横山 公男(よこやま きみお、1924年5月10日 - 20… 横山 公男(よこやま きみお、1924年5月10日 - 2010年)は日本の建築家。千葉県船橋市出身。早稲田大学理工学部建築学科卒。 事務所設立初期から日蓮正宗の総本山である大石寺の伽藍の設計を手がけ、大客殿の設計では日本建築学会賞を受賞した。1972年(昭和47年)には大石寺の伽藍設計の集大成となる正本堂を竣工させた。しかし、昭和末期から平成にかけて横山の設計した建物は徐々に取り壊され、現在では大講堂など境内に数えるほどしか残っていない。正本堂の解体には創価学会関係者だけでなく、建築関係者からも反対の声があった。 1988年、株式会社建築家会館第3代社長に就任、2期8年務めた。2008年、日本建築学会名誉会員。
中山 修(なかやま おさむ、1923年5月10日 - 201… 中山 修(なかやま おさむ、1923年5月10日 - 2010年4月13日)は、新潟県五泉市(旧村松町)出身の実業家、元全日本トラック協会副会長。
伊藤 利夫(いとう としお、1922年5月10日 - 201… 伊藤 利夫(いとう としお、1922年5月10日 - 2011年7月20日) は岐阜県岐阜市生まれのプロ野球選手(外野手)、高校野球監督。
潮見 俊隆(うしおみ としたか、1922年5月10日 - 1… 潮見 俊隆(うしおみ としたか、1922年5月10日 - 1996年10月19日)は、日本の法学者。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)(学位論文「漁村の構造:漁業権の法社会学的考察」)。東京大学社会科学研究所教授・帝京大学教授を経て、帝京大学名誉教授。専門は民法・法社会学。川島武宜に師事。 東京府出身。東京大学法学部卒。東京大学社会科学研究所教授。1950年代から活躍する民法及び法社会学の権威であったが、1977年の東ドイツ行きに先立ち書き上げ、同年9月に刊行した『治安維持法』において、同僚の奥平康弘の著書『治安維持法小史』や奥平教授を中心とする治安維持法研究会メンバーが執筆した論文が掲載された『季刊現代史』より盗用が発覚するという岩波新書はじまって以来のスキャンダルが判明し、急遽留学先の東ドイツより帰国、東京大学を辞任。
戸田 敏子(とだ としこ、1922年〈大正11年〉5月10日… 戸田 敏子(とだ としこ、1922年〈大正11年〉5月10日 - 2015年〈平成27年〉9月24日)は、日本の声楽家(メゾソプラノ、アルト)、オペラ歌手、音楽教育者。東京藝術大学名誉教授。 東京府出身。1943年(昭和18年)東京音楽学校(現:東京藝術大学)を総代で卒業。 1943年11月13日に東京音楽学校の奏楽堂で開催された第149回報国団出陣学徒壮行演奏会で、村野弘二の繰り上げ卒業時に発表されたオペラ『白狐』第二幕のアリア「こるはの獨唱」(作詞:岡倉天心 ピアノ伴奏:高橋美代子)を歌う。その後、同級生の畑中良輔とともに村野作品のレコード吹込みを行い、戸田は「こるはの獨唱」(ピアノ伴奏:高橋美代子)と、歌曲『重たげの夢』(作詞:三好達治 ピアノ伴奏:村野弘二 チェロ伴奏:井上みどり)を歌った。
小桧山 哲夫(こひやま てつお、1922年(大正11年)5月… 小桧山 哲夫(こひやま てつお、1922年(大正11年)5月10日 - 1997年(平成9年)10月23日)は、日本の政治家。青森県三沢市長(3期)。 青森県上北郡三沢村(のち大三沢町、現在の三沢市)出身。1940年(昭和15年)旧制青森県立野辺地中学校(現在の青森県立野辺地高等学校)卒。卒業後は大湊要港部建築部に就職。太平洋戦争の悪化により、陸軍に召集され、旧満州に派遣される。現地で終戦を迎え、ソ連軍によりシベリアに抑留される。1948年(昭和23年)に帰国し、大三沢町役場に就職する。 大三沢町役場は市制施行により、三沢市役所となる。小桧山は市総務課長、収入役を経て、1970年(昭和45年)青森県議会議員選挙に出馬するため三沢市役所を退職した。
大崎 順彦(おおさき よりひこ、1921年〈大正10年〉5月… 大崎 順彦(おおさき よりひこ、1921年〈大正10年〉5月10日 - 1999年〈平成11年〉8月25日)(享年78才) は、日本の耐震工学者。地震自体と地盤、構造物を一体で捉える研究手法で地震工学に大きな業績を残し、後進も多数育てた。建設省建築研究所と東京大学などで研究した後に民間へ転じ、清水建設副社長などを務めた。 京都府出身。第三高等学校(現在の京都大学総合人間学部)、東京帝国大学第一工学部航空学科を卒業。航空用エンジンの振動を研究した。 太平洋戦争後の1949年(昭和24年)、建設省建築研究所に勤務。アメリカ合衆国に留学して1953年(昭和28年)にノースウェスタン大学大学院を修了した。
大木 英子(おおき ひでこ、1919年5月10日 - 200… 大木 英子(おおき ひでこ、1919年5月10日 - 2008年8月3日)は、日本の作曲家である。北海道小樽市出身。日本現代音楽協会会員。夫は大木正夫。旧姓:谷藤。 小樽高等女学校を経て、帝国高等音楽院ピアノ科を卒業。マリオ・パッチにピアノを、夫の大木正夫に作曲を師事する。 1956年に『ピアノ協奏曲第1番』が日本放送協会の芸術祭管弦楽部門に入選する。1957年には、上田仁指揮による東京交響楽団の日本人作曲家の作品初演シリーズで『雪のふるさと』が演奏された。1958年にピアノ作品発表会を開いている。この時期には、1958年の『ピアノと電子音響による協奏的四章』(ラジオ東京で放送された)や「ピアノソナタ」などの作品がある。
松井 武(まつい たけし、男性、1918年5月10日 - 2… 松井 武(まつい たけし、男性、1918年5月10日 - 2002年9月22日)は、日本の実業家、第2代松井証券社長。 松井房吉商店(現在の松井証券)創業の日(1918年5月10日)に創業者・松井房吉の長男として生まれる。旧制府立一中(現在の東京都立日比谷高等学校)、東京高等学校 (旧制)、東京帝国大学(現在の東京大学)を卒業した。1949年、松井證券の代表取締役社長に就任した。第二次世界大戦で房吉がほとんどすべての財産を失っていたが、戦後約40年間堅実な経営を続け、資本的に完全に独立した証券会社として会社を存続させる。1987年に三菱銀行出身の弟の松井正俊に社長を譲り、会長に就任した。1990年以降、娘婿で日本郵船出身の松井道夫(当時常務取締役営業本部長)が社内改革を始めると、これに口を挟まず陰で改革を支えた。
宮坂 哲文(みやさか てつふみ、1918年5月10日 - 1… 宮坂 哲文(みやさか てつふみ、1918年5月10日 - 1965年1月24日)は、日本の教育学者。
吉村 茂夫(よしむら しげお、1918年5月10日 - 20… 吉村 茂夫(よしむら しげお、1918年5月10日 - 2009年12月9日)は、日本の実業家。南海電気鉄道(南海電鉄)元社長・会長。 和歌山県岩出市出身。大阪商科大学(現・大阪市立大学)卒業後の1942年に南海鉄道へ入社。常務取締役、専務取締役を経て、1985年に南海電鉄代表取締役社長に就任し、1992年に代表取締役会長を歴任。 社長時代の1988年4月、南海ホークスのオーナーだった川勝傳の死去に伴い、後任としてオーナーを務めた。前任者の川勝時代から大阪スタヂアムを含めた「難波再開発」(後の「なんばパークス」)案が浮上した時から川勝は「ワシの目が黒いうちは球団は売らん!!」と表面上は強い姿勢を見せていたが(ただし青木一三は、川勝が秘密裏に売却先の候補として来島どっくやダイエーと接触していたことを自著で証言している)、南海ホークスは年間10億円の赤字だった。
田辺 康平(たなべ こうへい、1918年5月10日 - 20… 田辺 康平(たなべ こうへい、1918年5月10日 - 2000年10月28日)は、日本の法学者。西南学院大学名誉教授。 北海道出身。東北帝国大学法学部卒、1963年「損害保険契約の本質」で東北大学・法学博士。西南学院大学法学部教授。1989年定年退職、名誉教授。弁護士、境克彦法律事務所。
斎藤 三郎(さいとう さぶろう、1917年5月10日 - 1… 斎藤 三郎(さいとう さぶろう、1917年5月10日 - 1996年3月17日)は日本の洋画家。浦和画家。 23歳で太平洋戦争に応召し、生死のはざまで和紙に3000枚のスケッチを残した。生きて帰国できれば画家になると決意し、終戦後1945年に帰国。浦和市に居住した。
杉浦 重雄(すぎうら しげお、1917年(大正6年)5月10… 杉浦 重雄(すぎうら しげお、1917年(大正6年)5月10日 - 1988年(昭和63年)4月10日)は、日本の競泳選手。静岡県浜松市出身。旧制静岡見付中(現在の静岡県立磐田南高等学校)、早稲田大学専門部政治経済科卒業。1936年ベルリンオリンピック800mフリーリレー金メダリスト。
山口 良定(やまぐち よしさだ、1917年5月10日 - )… 山口 良定(やまぐち よしさだ、1917年5月10日 - )は、日本の実業家。ラサ工業の元社長。 東京都に生まれる。1939年に彦根高等商業学校(滋賀大学経済学部)を卒業し、同年ラサ工業に入社した。入社後は営業部門で勤務した。 1944年に応召して中国へ渡り、満州で終戦を迎えた。その後、ソ連に抑留され、シベリアで生活を送った。1949年に復員後はラサ工業に復職し、再び営業畑を歩んだのち、財務部次長、経理部長を歴任した。 1966年に取締役、1969年に常務に就任し、1971年に社長へ昇格した。 社長在任中は、不採算であった鉱山部門の整理を進め、肥料・製錬・薬品・機械の4部門を中心とする事業体制の整備に取り組んだ。
鈴木 英夫(すずき ひでお、1916年〈大正5年〉5月10日… 鈴木 英夫(すずき ひでお、1916年〈大正5年〉5月10日 - 2002年〈平成14年〉5月2日)は、日本の映画監督。愛知県宝飯郡蒲郡町(現・蒲郡市)出身。スリラーとサスペンスの名手とされ、最晩年に再評価された。 1916年(大正5年)5月10日、現在の愛知県蒲郡市に生まれる。家業の船舶運送業を継ぐべく進学するが、映画好きが昂じて、1933年(昭和8年)日本大学藝術学部に入学。23歳になる1939年(昭和14年)、卒業と同時に豊田四郎の遠縁を頼って新興キネマ東京撮影所の助監督部に入社。1943年(昭和18年)東宝への移籍を経て、1944年(昭和19年)大映東京撮影所に移籍。 1941年(昭和16年)、助監督の身分で舟橋聖一の原作を脚色した『母代』が、師匠である田中重雄監督の手によって映画化され、評判になる。