小野 由紀子(おの ゆきこ、1944年12月16日 - )は… 小野 由紀子(おの ゆきこ、1944年12月16日 - )は日本の演歌歌手。本名は斉田 由起子。 16歳で上京、遠藤実門下生となる。 1963年デビューする。 1967年から「うたおどりショー」を続ける。 1980年、一時引退した同門の先輩・三船和子から歌い継いだ「他人船」がヒットし、初のコンサートを開催。 1992年に、本格的に歌と踊りを教える「花ゆき会」を発足させる。 弟の小野嘉彦(2018年死去)は、「杉紀彦のラジオ村」のプロデューサーを長年務めていた。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
白澤宏規(しらさわ ひろのり、1943年12月16日 - )… 白澤宏規(しらさわ ひろのり、1943年12月16日 - )は日本の建築家。東京造形大学名誉教授。元東京造形大学学長。 東京都立立川高等学校卒業。東京工業大学(篠原一男研究室)卒業。住宅建築の設計を中心とする建築計画・意匠を専門分野とする。同高校、同大学の同研究室を卒業した者に、建築家の坂本一成、紀行作家の稲葉なおとがいる。 環境計画:「地標」(東京都文化のデザイン)など。 所属学会:日本建築学会
五百籏頭 眞(いおきべ まこと、1943年〈昭和18年〉12… 五百籏頭 眞(いおきべ まこと、1943年〈昭和18年〉12月16日 - 2024年〈令和6年〉3月6日)は、日本の政治学者、歴史学者(日本政治外交史)。国際問題評論家。位階は従三位、勲章は瑞宝大綬章。 公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長、前兵庫県公立大学法人理事長、神戸大学名誉教授、防衛大学校名誉教授、熊本県立大学特別栄誉教授、文化功労者。 広島大学政経学部助教授、広島大学法学部助教授、神戸大学法学部教授、防衛大学校長(第8代)、公立大学法人熊本県立大学理事長(第2代)、兵庫県公立大学法人理事長(第3代)などを歴任した。 1943年、兵庫県西宮市の苦楽園口駅の近くで神戸大学教授・五百籏頭眞治郎の5男(8人兄弟の6番目)として生まれた。
五百籏頭 真(いおきべ まこと、1943年(昭和18年)12… 五百籏頭 真(いおきべ まこと、1943年(昭和18年)12月16日 - )は、日本の政治学者・歴史学者、熊本県立大学理事長、神戸大学名誉教授。五百旗頭、眞とも表記される。専門は日本政治外交史、政策過程論、日米関係論。神戸大学大学院教授、防衛省防衛大学校長、日本政治学会理事長、日本学術会議会員を歴任。文化功労者。サントリー学芸賞、吉田茂賞、吉野作造賞などを受賞。
谷田 武彦(たにだ たけひこ、1943年12月16日 - )… 谷田 武彦(たにだ たけひこ、1943年12月16日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、名古屋市議会議員(6期)を務めた。自由民主党所属。 愛知県名古屋市出身。1970年、早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。江﨑真澄の秘書を務める。1975年、名古屋市議に当選。6期務めた。 2000年の第42回衆議院議員総選挙に自由民主党公認として愛知1区からの出馬を予定していたが、公明党現職平田米男との選挙区調整のため比例東海ブロック候補(名簿登載順位第5位)となり初当選。なお、谷田の比例転出に反発した自民党名古屋市議の宮田正之が離党し無所属で出馬した。(結果は落選) 2003年の第43回衆議院議員総選挙では、愛知1区から立候補したが、民主党の河村たかし(現名古屋市長)に敗れ落選。
藤井 林太郎(ふじい りんたろう、1942年12月16日 -… 藤井 林太郎(ふじい りんたろう、1942年12月16日 - )は、日本の元実業家。不二家の元(6代目)代表取締役社長である。 洋菓子メーカー不二家の創業者である藤井林右衛門の孫にあたる。父親は2代目社長の藤井誠司[要出典]。1965年慶應義塾大学経済学部卒業。1995年に代表取締役社長に就任。 2007年に起きた期限切れ原材料使用問題の責任を巡り特段の善後策を講じる間もなく辞任した。また、同年1月26日付でサーティワンアイスクリームの社外取締役も辞任[要出典]。一連の不祥事により2008年、不二家は山崎製パンに身売りし同社の子会社となったため、創業家支配から離れた。7代目にあたる社長は創業家外から桜井康文が就任した。
岡崎 洋一郎(おかざき よういちろう、1942年12月16日… 岡崎 洋一郎(おかざき よういちろう、1942年12月16日 - )は、日本の経営者。 広島県広島市出身。1965年に早稲田大学第一理工学部機械工学科を卒業し、同年に三菱重工業に入社。 1970年に三菱自動車工業に転職し、1999年6月に取締役に就任し、2001年6月に常務を経て、2004年4月に社長に就任した。同年6月に会長に就任し、2005年に辞任。
麻生 直子(あそう なおこ、1941年12月16日 - )は… 麻生 直子(あそう なおこ、1941年12月16日 - )は、日本の詩人。本名、村田千佐子(旧姓、深谷)。夫は詩人の村田正夫。 北海道奥尻島生まれ。奥尻町立奥尻小学校卒業後離島し、江差中学校、北海道江差高等学校を経て、北海道函館西高等学校卒業。1960年より東京在住。1970年に村田正夫主宰の詩誌「潮流詩派」に拠る。日本現代詩人会、日本文藝家協会所属。 全国詩誌『詩と思想』(土曜美術社出版販売)の編集委員、日本現代詩人会の「H氏賞」「現代詩人賞」選考委員などを歴任。2007年詩集『足形のレリーフ』で第40回日本詩人クラブ賞を受賞。2018年詩集『端境の海』で第52回北海道新聞文学賞を受賞。村田正夫没後は、詩誌「潮流詩派」の代表を引き継いでいる。
檀 克義(だん かつよし、1941年12月16日 - )はロ… 檀 克義(だん かつよし、1941年12月16日 - )はローランドの元会長。 旧朝鮮・裡里に生まれる。三池高校卒業。昭和47年ローランド入社。平成元年取締役国内営業部長、6年常務、7年専務を経て、8年社長に就任。11年東証・大証第一部に上場。17年会長。 2010年6月18日、顧問(取締役相談役)。
田岡 俊次(たおか しゅんじ、1941年12月16日 - )… 田岡 俊次(たおか しゅんじ、1941年12月16日 - )は、日本のジャーナリスト、軍事評論家。血液型はO型。京都府京都市左京区出身。
田代 正明(たしろ まさあき、1941年12月16日 - )… 田代 正明(たしろ まさあき、1941年12月16日 - )は、日本の経営者。大京社長を務めた。佐賀県出身。 1965年に関西学院大学経済学部を卒業し、同年にオリエント・リース(現在のオリックス)に入社。1998年に執行役員に就任し、2002年に常務、2004年に専務を経て、2005年5月に大京社長に就任。2010年6月に退任。
高山 俊吉(たかやま しゅんきち、1940年12月16日 -… 高山 俊吉(たかやま しゅんきち、1940年12月16日 - )は、東京都出身の弁護士。青年法律家協会議長を務めた。 今川中学校、都立一橋高校、東京大学法学部を卒業。1966年25歳で司法試験合格し司法修習21期、東京弁護士会に所属。東京都千代田区で高山法律事務所を開く。 交通法科学研究会(事務局長)、日本交通学会、日本交通科学協議会、国際交通安全学会、交通権学会などに所属。市民の立場から交通安全、交通違反の取り締まりなどに関して発言することが多い 1974年「道路交通民主化の会」結成、この会の特徴の一つは「科学性、合理性」重視ということだった(1994年解散)。 なお、交通取り締まり利権の確保の為と言われる行政制裁金への布石、放置違反金についても追及している。
泊 龍雄(とまり たつお、1940年12月16日 - )は、… 泊 龍雄(とまり たつお、1940年12月16日 - )は、日本の文部官僚。文部大臣官房審議官、文部省高等教育局私学部長、生涯学習局長等を歴任し、放送大学学園役員も務めた。 鹿児島県出身。大阪府大阪市で生まれ、小学校から高等学校まで鹿児島県鹿児島市で育つ。鹿児島県立甲南高等学校卒業。1966年に東京大学法学部を卒業して、4月に文部省へ入省し初等中等教育局財務課勤務。1968年10月より文部大臣官房総務課、1971年7月より文部省大学学術局教職員養成課で勤務。1974年10月三重県教育委員会指導課長に就く。1977年6月文部省管理局企画調整課学校法人調査官、1978年3月管理局企画調整課課長補佐、1980年7月初等中等教育局地方課課長補佐、1981年7月初等中等教育局財務課課長補佐、1982年7月大臣官房会計課副長(1983年6月大臣官房企画官兼任)、1984年3月大学局企画官、1984年9月高等教育局私学部私学助成課長、1988年6月高等教育局大学課長、1991年6月大臣官房会計課長を経て、1992年7月大臣官房審議官(初等中等教育局担当)に就任。
望月 三起也(もちづき みきや、1938年〈昭和13年〉12… 望月 三起也(もちづき みきや、1938年〈昭和13年〉12月16日 - 2016年〈平成28年〉4月3日)は、日本の漫画家。別名に、牧 英三郎、M・ハスラー、M・ストライカー。 神奈川県横浜市西区出身。生家は横浜駅の目の前にあり、一家は父親の宮大工の仕事で生計を立てていた。神奈川工業高等学校卒業後、建設会社に入社するが、漫画家になる為1年で退社し、1960年に『特ダネを追え』(講談社『少年クラブ』お正月臨時増刊)でデビュー。しかし連載は続かず、堀江卓、吉田竜夫のアシスタントとして働く。 1962年、吉田竜夫が弟の吉田健二、九里一平と漫画専門のプロダクションとして創設したタツノコプロダクションに参加。
小西 正捷(こにし まさとし、1938年〈昭和13年〉12月… 小西 正捷(こにし まさとし、1938年〈昭和13年〉12月16日 - 2020年〈令和2年〉9月28日)は、日本の民俗学者、考古学者。立教大学名誉教授。専攻は南インドの民俗学、考古学。古代インダス文明および民間信仰、儀礼、造形、芸能を研究。 1938年、東京都生まれ。1961年、国際基督教大学教養学部人文学科を卒業し、その後インドに留学し、カルカッタ大学大学院修士課程にて考古学を学んだ。東京大学大学院文学研究科に進み、1970年に博士後期課程(社会学研究文化人類学専攻)を単位取得退学。 1971年、法政大学助教授に就いた。1983年、教授昇格。1984年より立教大学教授。2003年に立教大学を定年退職し、名誉教授となった。
雁部 貞夫(かりべ さだお、1938年12月16日 - )は… 雁部 貞夫(かりべ さだお、1938年12月16日 - )は、日本の歌人、登山家。 東京向島生まれ。早稲田大学教育学部卒。東京都立高校教諭を務める。1966年、ヒンドゥ・クシュ主稜でパキスタン側から日本人初の登山活動を行ない、サラグラール峰山群とブニ・ゾムを試登した。1968年夏、未踏峰のヒンドゥ・ラジ山脈の最高峰コヨ・ゾムに試登し、イシュペル・ドームとフラッテロ・ゾムに初登、その後十数度これらの山域を踏査した。近年はヤルフーン河原流域を踏査し、1997年と2003年夏、ヒンドゥ・クシュ山系の最大の氷河、チアンタール氷河を縦断し、未踏の六千メートル峰を多数撮影して多くの資料をもたらした。 また、宮地伸一の影響により学生時代から『アララギ』会員として作歌、1997年に終刊した「アララギ」の後継誌として吉村睦人らと「新アララギ」を創刊し、編集委員、選者を務める。
玉澤 徳一郎(玉澤 德一郎、たまざわ とくいちろう、1937… 玉澤 徳一郎(玉澤 德一郎、たまざわ とくいちろう、1937年〈昭和12年〉12月16日 - )は、日本の政治家。 農林水産大臣(第28・29代)、防衛庁長官(第56代)、衆議院議員(9期)などを歴任。 選挙などの際には旧字体の「澤」でなく、画数の少ない「沢」を用い「玉沢徳一郎」と表記されることが多い。 岩手県下閉伊郡田老町(現在の宮古市)出身。岩手県立盛岡第一高等学校を卒業後、早稲田大学第二政治経済学部政治学科に入学。大学では早稲田大学雄弁会に所属。雄弁会の一期上に森喜朗、一期下に小渕恵三がいた。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了、政治学修士。学生時代から左翼が大嫌い(当時は学生運動の嵐の真っ只中)であることを公言していた。
鎌田 光夫(かまた みつお、1937年12月16日 - )は… 鎌田 光夫(かまた みつお、1937年12月16日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手(DF)・サッカー監督。 日立市立多賀中学校を経て進学した日立一高では3年次の1955年、神奈川国体・高校の部に出場して3位入賞を果たした。 高校卒業後の1956年に中央大学へ進学し、2年次の1957年からはレギュラーとなる。同年には天皇杯に中大クラブ(学生・OBの混合チーム)のMFとして出場し、決勝で実業団の強豪・東洋工業を破って優勝。3年次の1958年1月に開催された大学選手権でも優勝し、同年12月には川淵三郎・宮本征勝らと共に日本代表デビュー。香港戦で初出場を果して以来、的確で冷静な判断力とカバーリングを武器に代表守備陣の中枢を成した。
外口 玉子(とぐち たまこ、1937年12月16日 - 20… 外口 玉子(とぐち たまこ、1937年12月16日 - 2022年3月12日)は、日本の政治家、保健師(保健学博士)、看護師。衆議院議員(1期)、社会福祉法人かがやき会理事長を務めた。 1960年、東京大学医学部衛生看護学科卒業後、同大学の助手を経て、1968年、国立武蔵野療養所看護婦長に就任。翌1969年に渡米し、ボストン大学に留学。精神疾患を抱えたベトナム帰還兵の看護などにあたったという。1971年に同大学大学院看護学部修士課程を修了。帰国後の1973年、東京都精神医学総合研究所医療研究室主任研究員。1985年、同研究所副参事研究員。1989年に退職。1986年、精神障害者の社会参加と地域での生活を支援する「地域ケアセンター」を有志で立ち上げ、1989年に社会福祉法人かがやき会を設立。
沢井 忠夫(さわい ただお、1937年12月16日 - 19… 沢井 忠夫(さわい ただお、1937年12月16日 - 1997年4月1日)は、日本の箏曲家、作曲家。沢井箏曲院の創始者。妻は沢井一恵で、息子は沢井比河流。 愛知県中島郡(現在の一宮市)で尺八家の名家に生まれ、箏を始めたのは小学5年生だった(一度、宮城道雄に師事するが、その後すぐに宮城が亡くなる)。1960年に東京芸術大学邦楽科を、1962年に専攻科を卒業。大学在学中にNHK「全国今年のホープ」に選ばれた。 高校時に作曲を始め(最初に形がなった曲が"雪ものがたり"であった)その後、清水脩の元で作曲を師事した。 1964年に青木鈴慕・伊藤松博・高野和之・杵屋栄三郎・山本邦山と「民族音楽の会」を結成。
奈良 節雄(なら せつお、1936年12月16日 - 200… 奈良 節雄(なら せつお、1936年12月16日 - 2000年1月27日)は、日本の元バスケットボール選手。日本バスケットボール史上唯一、オリンピックに3回出場した選手である。 疎開先の秋田県小坂町の中学校でバスケを始め、神奈川県立川崎高等学校ではバスケのみならず、陸上競技でも走り幅跳びや走り高跳びで県の記録を持っていた。立教大学に進学後、1年次にオールジャパン優勝を経験。19歳でメルボルン五輪に出場する。 卒業後、日本鉱業に入社。ローマ、東京五輪にも出場。東京五輪では主将を務めた。世界選手権も1963年に出場した。 日本鉱業でもチームの黄金時代に貢献した。 引退後は日本鉱業金属加工営業部に勤務。
熊本 昌弘(くまもと まさひろ、1936年(昭和11年)12… 熊本 昌弘(くまもと まさひろ、1936年(昭和11年)12月16日 - )は、日本の実業家。 神戸製鋼元社長。大阪府出身。大阪府立高津高等学校を経て、1960年に東北大学法学部を卒業。同年神戸製鋼に入社した。 原料購買や労務のほか、1970年の加古川製鉄所建設にも携わった。管理職以降は広報、総務、秘書など管理部門を主に歴任。1996年に社長となり、阪神・淡路大震災で被った大損害からの業績回復、累積損失の解消に努めるが、折りしもアジア通貨危機による鉄鋼需要激減が加わり、苦しい経営を強いられた。 1998年には事業部制を改めて社内カンパニー制を導入し、神戸製鋼の複合経営色を強めた。 社長退任後の1999年11月には総会屋への利益供与事件が発生し、会長報酬を半年間、全額返上した。
及川 煌久(おいかわ てるひさ、1936年12月16日 - … 及川 煌久(おいかわ てるひさ、1936年12月16日 - 没年不明)は、岩手県胆沢郡前沢町(現役当時、現在の同県奥州市)出身で高砂部屋(入門時は尾上部屋)に所属した大相撲力士。本名は及川 耕貢(おいかわ こうぐ)。現役時代は、身長176cm、体重120kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭10枚目(1960年9月場所)。 中学在学中に尾上部屋へ入門し、1952年1月場所にて、15歳で初土俵。 初土俵の場所では途中から新序に昇格して相撲を取り、1勝2敗と負け越した。だが、次の場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 なお、初めて番付に付いた時より、本名でもある「及川」を名乗った(下の四股名は途中で「太郎」から「煌久」に変えたが、上の名は廃業まで「及川」で通している)。
熊本 信夫(くまもと のぶを、1935年12月16日 - 2… 熊本 信夫(くまもと のぶを、1935年12月16日 - 2022年10月6日)は、日本の法学者。専門は、行政法・アメリカ合衆国憲法、特に政教分離・行政手続法・環境法。学位は、法学博士(北海道大学・1973年)(学位論文「アメリカにおける政教分離の原則」)。北海学園大学名誉教授。弁護士(熊本信夫法律事務所所長)。藍綬褒章、瑞宝中綬章受章。北海道出身。
中野 豊士(なかの とよし、1935年(昭和10年)12月1… 中野 豊士(なかの とよし、1935年(昭和10年)12月16日 - )は、日本の経営者。元三菱信託銀行社長・会長。三菱UFJ信託銀行最高顧問。
南野 京右(のうの きょうすけ、1935年12月16日 - … 南野 京右(のうの きょうすけ、1935年12月16日 - 2011年10月8日)は、日本の政治家。山口県長門市長(1期)。 長門市仙崎出身。山口県立大津高等学校 を経て中央大学経済学部卒。卒業後、家業の鮮魚仲買業の会社に就職。同社の社長や長門青年会議所理事長を務めた後、1983年に旧長門市議会議員に初当選。以後26年に渡り旧長門市議・長門市議を務め、旧長門市で4年間、合併後の長門市で4年間市議会議長を務めた。 2009年4月12日に行われた長門市長選挙に立候補し、現職の松林正俊らを破って初当選、新市二代目の長門市長に就任する。市長就任後は長門市の行財政改革や、地域の基幹になる農業と水産業、観光産業の活性化などに取り組んでいた。
和田 茂穂(わだ しげほ、1935年12月16日 - 202… 和田 茂穂(わだ しげほ、1935年12月16日 - 2023年2月9日)は、日本の流通学者。千葉経済大学短期大学部ビジネスライフ学科教授。経営学、マーケティング、流通システム論などの授業を担当。 東京都出身。早稲田大学文学部卒業、日本経済新聞記者となり、論説委員などを務め、流通関係の分野を専門とする。その後、千葉経済大学短期大学部教授となる。近年、商店街の再活性化などで和田の著書が参考にされる事が多い。[要出典] 2023年2月9日、87歳で死去した。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
相原 信行(あいはら のぶゆき、1934年12月16日 - … 相原 信行(あいはら のぶゆき、1934年12月16日 - 2013年7月16日)は、昭和時代の日本の体操選手。群馬県群馬郡滝川村(現:高崎市)出身。群馬県体操協会名誉副会長、相原体操クラブ代表。群馬県立高崎工業高等学校、日本体育大学体育学部体育学科を卒業。 世界タイトルは4個、オリンピックでは金メダル2個・銀メダル2個を獲得。日本体操界の黄金時代を支えた稀代の名選手である。その後は足利工業大学、上武大学教授を務めた。妻の相原俊子は東京オリンピックの女子体操団体の銅メダリストで、2人の息子である相原誠(長男)と相原豊(次男)も優れた体操競技選手として活躍した。
橋本 孝(はしもと たかし、1934年12月16日 - )は… 橋本 孝(はしもと たかし、1934年12月16日 - )は、岡山県新見市生まれのドイツ文学者。宇都宮大学名誉教授。 1957年に中央大学法学部法律学科を卒業後、同大学文学部独文科を経て、1965年に同大学大学院ドイツ文学専攻博士課程満期退学。ドイツ学術交流会奨学生として、マールブルク大学、フライブルク大学、ミュンスター大学に留学。 1968年に宇都宮大学教養部助教授となり、同教授を経て1994年に同大学国際学部教授に就任。1998年に定年退官し名誉教授となった。ドイツ・ヴュルツブルク大学およびエアランゲン大学客員教授や日本グリム協会会長も務めた。2014年瑞宝中綬章受章。 2021年、「日本におけるドイツ文化の研究・普及や日独の友好に尽力した永年の功労」が称えられ、ドイツ連邦共和国功労勲章一等功労十字章を受章した。
川田 靖子(かわた やすこ、1934年(昭和9年)12月16… 川田 靖子(かわた やすこ、1934年(昭和9年)12月16日 - )は、日本の詩人、フランス文学者、玉川大学名誉教授。旧姓・松村。 兵庫県神戸市生まれ。1959年東北大学文学部仏文科卒、1961年京都大学大学院文学研究科修士課程修了、玉川大学文学部講師、助教授、教授。2005年定年退任、名誉教授。1972年詩集『北方砂漠』で小熊秀雄賞受賞。2003-2013年日本キリスト教詩人会会長。
佐野 美津男(さの みつお、1932年、昭和7年〉12月16… 佐野 美津男(さの みつお、1932年、昭和7年〉12月16日 - 1987年、昭和62年〉5月9日)は、日本の児童文学作家、評論家。本名は暠俊(あきとし)。 東京府東京市浅草区生れ。1945年(昭和20年)3月の東京大空襲で両親を失い、孤児となる。東京都立蔵前工業高等学校卒。大学中退。 古田足日ら児童文学研究誌の「小さな仲間」に参加。25歳から児童文学を中心とした文筆活動に入り、1970年「児童図書館」創刊に参加。 1977年相模女子短期大学教授に就任。相模女子大学短期大学部教授在職中に急死。
山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - … 山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - 2002年6月18日)は、日本の作曲家、編曲家、指揮者。東京都出身。 東京五反田の至誠病院に生まれ、中野区や大田区や豊島区などを転々として育つ。幼児期から父の山本直忠、山田和男(一雄)らによって徹底した早期音楽英才教育を施されたほか、自由学園で羽仁協子や久山恵子、林光、三善晃などと共に早期音楽教育を受ける。自由学園時代の学友の一人に渡辺岳夫がいる。指揮は高校時代から自由学園を借りて毎週日曜に開かれていた齋藤秀雄指揮教室で齋藤秀雄に師事。同時期の同門に、尾高忠明、飯守泰次郎、秋山和慶、小澤征爾、村方千之、久山恵子らがいる。小澤は後に、「自分は日本に留まって音楽の底辺を広げる。
高良 留美子(こうら るみこ、1932年12月16日 - 2… 高良 留美子(こうら るみこ、1932年12月16日 - 2021年12月12日)は、日本の詩人、評論家、女性史研究者。夫は作家の竹内泰宏。 高良武久、高良とみの二女として東京に生まれる。 自由学園初等部、日本女子大学附属高等学校を経て、東京藝術大学美術学部(転学)、慶應義塾大学法学部に学ぶ(中退)。 1963年、詩集『場所』でH氏賞受賞。1988年、詩集『仮面の声』により第6回現代詩人賞を受賞。 女性史研究にも力を注ぎ、1997年には、女性の文化向上に貢献した人に贈る「女性文化賞」を個人で創設した。 2000年、詩集『風の夜』で丸山豊記念現代詩賞を受賞。詩のみならず評論でも活躍、『高良留美子の思想世界』全6巻があり、岩見照代と「女性のみた近代」を編纂。
江 丙坤(こう へいこん、1932年〈昭和7年〉12月16日… 江 丙坤(こう へいこん、1932年〈昭和7年〉12月16日 - 2018年〈民国107年〉12月10日)は中華民国(台湾)の政治家、外交官。台湾の対中交渉窓口機関である財団法人 海峡交流基金会(海基会)董事長、中国国民党副主席、国際民主同盟(IDU)副議長、東京スター銀行取締役会長等を歴任。2015年に旭日重光章を受賞した。日本統治時代に使用していた名は江原 正雄。 1932年(昭和7年)12月16日、台中州南投郡(現在の南投県)の貧農の家に生まれる。台湾省立法商学院(現在の国立台北大学)地政学科を卒業し、1960年(民国49年)に中国国民党第一期中山奨学金を得て東京大学に留学、農業経済学博士号を取得した。
宮﨑 毅(みやざき つよし、1931年(昭和6年)12月16… 宮﨑 毅(みやざき つよし、1931年(昭和6年)12月16日 - 2025年(令和7年)11月16日)は、三菱倉庫元相談役。日本の港湾行政の実力者として活躍し、港湾行政の発展に尽力した。
大野 喜久之輔(おおの きくのすけ、1930年〈昭和5年〉1… 大野 喜久之輔(おおの きくのすけ、1930年〈昭和5年〉12月16日 - 2023年〈令和5年〉10月)は、日本の経済学者、神戸大学名誉教授、広島市立大学名誉教授、第18期日本学術会議会員。元ロシア・東欧学会副代表理事。大阪市東成区生まれ。
林屋 礼二(はやしや れいじ、1930年12月16日 - 2… 林屋 礼二(はやしや れいじ、1930年12月16日 - 2018年1月6日)は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。東北大学名誉教授。日本学術会議会員。従四位瑞宝中綬章。 東京生まれ。1957年東北大学法学部卒業。 1960年同助手、学習院大学法学部助教授、1970年教授、1973年東北大学法学部教授、1994年定年退官、名誉教授。 2018年1月6日、心不全のため、仙台市青葉区の病院で死去、87歳。 叙従四位、瑞宝中綬章追贈。
保田 孝一(やすだ こういち、1929年(昭和4年)12月1… 保田 孝一(やすだ こういち、1929年(昭和4年)12月16日 - 2006年(平成18年)2月15日)は日本の歴史学者。岡山大学名誉教授。専門は近代ロシア史。 静岡県浜松市に生まれる。法政大学社会学部を卒業し、東京大学大学院人文科学研究科西洋史学専攻修士課程を修了する。1958年(昭和33年)に岡山大学に赴任し、ロシア革命前のミール(農村共同体)、日露関係史を研究する。1995年(平成7年)に退官し、名誉教授となる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
葉梨 信行(はなし のぶゆき、1928年12月16日 - )… 葉梨 信行(はなし のぶゆき、1928年12月16日 - )は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員。北海道大学大学院理学系研究科修士課程修了。東京都出身。父は衆議院議員を務めた葉梨新五郎。三女の夫は衆議院議員の葉梨康弘。
3代 矢田 松太郎(やたまつたろう、1928年(昭和3年)1… 3代 矢田 松太郎(やたまつたろう、1928年(昭和3年)12月16日 - 2016年(平成28年)12月26日)は、昭和から平成期の実業家、政治家。加賀市長。片山津観光事業株式会社(旅館「矢田屋」)会長、北陸観光開発社長、片山津観光協会会長、石川県旅館業環境衛生同業組合理事長、加賀信用組合(2002年破綻)理事長、日本温泉協会副会長なども務めた。旧名・礼二。父親の2代矢田松太郎(旧名・資朗、1903-1970)も元加賀市長。 片山津温泉の旅館「矢田屋」の主人で第2代加賀市長の2代矢田松太郎(資朗)と愛子の二男として石川県江沼郡作見村に生まれ、亡父より松太郎を襲名する。1953年に東京大学経済学部商業学科を卒業し、日本交通公社に入社、同社海外旅行部を経て、1955年に矢田屋の支配人になる。
平田 昭彦(ひらた あきひこ、1927年〈昭和2年〉12月1… 平田 昭彦(ひらた あきひこ、1927年〈昭和2年〉12月16日 - 1984年〈昭和59年〉7月25日)は、日本の俳優。本名は小野田 昭彦(おのだ あきひこ)。 主に東宝映画、テレビドラマで活躍。特撮分野の名優としても知られる。吉江企画に所属していた。 夫人は女優の久我美子。実兄に映画監督の小野田嘉幹、義姉(嘉幹の妻)に女優の三ツ矢歌子、実妹に女優の音羽美子がいる。 日本統治時代の朝鮮の京城生まれ、東京都中野区出身。東京陸軍幼年学校、陸軍士官学校(60期)、旧制第一高等学校を経て、東京大学法学部政治学科卒。 陸士での同期には中條高徳がいた。また、東大での親しい同期には児島襄、松下康雄らがいた。
木下 航二(きのした こうじ、1925年12月16日 - 1… 木下 航二(きのした こうじ、1925年12月16日 - 1999年11月19日)は、教育者、作曲家。 東京府出身。東京府立一中、旧制一高を経て、東京大学文学部東洋哲学専攻卒業。すぐに都立日比谷高等学校教諭となる。1954年、ビキニ環礁上にて水爆実験が行われ、第五福竜丸が被爆、原水爆反対の署名運動に参加し、「原爆を許すまじ」を独学で作曲した。曲は当時の「うたごえ運動」にのって全国に広まり、翌年に第1回原水爆禁止世界大会で参加者に歌われた。また1955年には、作曲した「しあわせの歌」(作詞:石原健治)が労働運動の広がりとともに広く歌われるようになった。 1960年代後半まで校歌・組合歌など80曲あまりを作曲したが、以後作曲から手を引き、昇進も断り母校にて独自の教材を基に倫理・社会教諭として1991年まで教壇にたった。
山口 幸生(やまぐち こうせい、1925年12月16日 - … 山口 幸生(やまぐち こうせい、1925年12月16日 - 2011年10月25日 )は、日本の俳優。 京都府出身。立命館大学(1944〜1948)卒業。 元新春座座員。。」かつてビックワンウエストに所属していた。 水戸黄門や必殺シリーズなど数多くの時代劇に出演。特撮テレビ番組『仮面の忍者 赤影』(第2部まんじ党編)では、全身緑衣装で顔も緑に塗っている忍者むささび道軒を演じ、強い印象を残した。また同作品ではナレーターも担当した。
坂本 友雄(さかもと ともお、1924年(大正13年)12月… 坂本 友雄(さかもと ともお、1924年(大正13年)12月16日 - 2013年(平成25年)1月20日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県久喜市長。久喜市名誉市民。 埼玉県南埼玉郡久喜町(現久喜市)出身。1942年 (昭和17年) 3月、埼玉県立粕壁中学校(現在の埼玉県立春日部高等学校)を卒業。久喜市助役を経て、1981年(昭和56年)9月、久喜市長に当選。4期16年務めた。久喜駅西口再開発事業、各都市計画道路の整備促進、公共下水道・農業集落排水事業などに尽力した。1998年(平成10年)3月、久喜市名誉市民に推挙された。 2013年(平成25年)1月20日、多臓器不全のため死去した。
戸川 猪佐武(とがわ いさむ、1923年(大正12年)12月… 戸川 猪佐武(とがわ いさむ、1923年(大正12年)12月16日 - 1983年(昭和58年)3月19日)は、日本の政治評論家・作家。神奈川県平塚市出身。父親は小説家で平塚市市長を務めた戸川貞雄、弟は小説家の菊村到。 旧制湘南中学を経て早稲田大学政治経済学部へ入学するが、赤紙が来て陸軍へ召集される。しかし、徴兵検査で病気が分かり延期となる。 回復後に再び召集されるが直後に終戦を迎え、早大に復学して卒業する。 1947年(昭和22年)、読売新聞に入社。政治部記者として、数多くの政治家に取材して顔を知られるようになる。一時期は特派員としてモスクワにも滞在していた。1955年に河野謙三から、父・貞雄の平塚市長選挙への出馬説得を依頼されたことから、仲介役を務め、父親を当選させることに成功している。
大木 実(おおき みのる、1923年〈大正12年〉12月16… 大木 実(おおき みのる、1923年〈大正12年〉12月16日 - 2009年〈平成21年〉3月30日)は、大阪府堺市出身の俳優。本名は池田 実。 大阪福島商業学校(現・履正社高等学校)卒業後、照明助手として日活多摩川撮影所に約10年間勤務。 木暮実千代の推挙で役者へ転身。 1951年、『あゝ青春』で映画デビュー。1952年から1961年まで在籍した松竹では佐田啓二、高橋貞二と共に三羽烏と言われ、多くの映画に主演、中でも「張込み」は代表作と言える。 1963年からは東映を中心に活動し脇に回る。若山富三郎とは仲が良く、兄弟と呼び合っていた。 1970年代からはテレビドラマへも進出した。 2009年3月30日午前3時、膵臓癌の為東京都大田区の病院で逝去。
林 和男(はやし かずお、1923年12月16日 - 200… 林 和男(はやし かずお、1923年12月16日 - 2009年9月11日)は、東京都調布市出身の野球指導者。林建設株式会社元会長。 早稲田大学では政経学部に所属し、同校の軟式野球の選手として活躍。大学卒業後は建設会社へ入社し、野球を続けた。 1964年、リトルリーグ(小学生硬式野球)を日本に紹介。野球を国技とするアメリカ合衆国のように、日本の子供たちに硬式野球を広めたいとする思いから、産業経済新聞社、フジテレビジョンなど、のちのフジサンケイグループと協力して、リトルリーグの普及に尽力する。 1965年、林の長男や友人らを中心として、リトルリーグのチーム「調布リトルリーグ(創設時は調布リトル野球チーム)」の創設に携わる。
松永 信夫(まつなが のぶお、1921年12月16日 - 2… 松永 信夫(まつなが のぶお、1921年12月16日 - 2007年9月25日)は静岡県志太郡出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフルバック。「ベルリンの奇跡」の立役者だった松永行は実兄。日本軽金属などに所属し、日本代表として1954 FIFAワールドカップ・予選など、国際Aマッチ4試合に出場した。 静岡県立志太中学校(現静岡県立藤枝東高等学校)、東京文理科大学(現:筑波大学)卒業。第二次世界大戦中の1943年に陸軍に徴兵されフィリピン・ミンダナオ島に配属された経験を持つ。 戦後、志太クラブや後藤缶詰でプレーを続け、インドで1951年アジア競技大会が開催された際、日本代表に選出されたが、前述の陸軍の経験もあってビザの発給が許可されなかったという。
森 直兄(もり なおえ、1921年〈大正10年〉12月16日… 森 直兄(もり なおえ、1921年〈大正10年〉12月16日 - 1987年〈昭和62年〉4月16日)は、昭和期の教育者、政治家。教職から東京都稲城町長に就任し、稲城町の市政施行に伴い初代の稲城市長となった。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 森一郎(後の町長)の息子として生まれる。市長になる前は調布市の小学校の教師をやっていた。1970年(昭和45年)には、稲城市立第五小学校(今は廃校)の初代校長に就任する。1971年(昭和46年)に町長選挙により、町長に就任する。その後、同年11月1日に市政執行により、稲城市の初代市長になる。 なお、市長在任中は『広報いなぎ』に「おもうこと」という文章を執筆した。
佐々木 栄造(佐々木 榮造、ささき えいぞう、1920年(大… 佐々木 栄造(佐々木 榮造、ささき えいぞう、1920年(大正9年)12月16日 - 2019年(令和元年)12月26日)は、昭和から平成時代前期の政治家。青森県五所川原市長。号に遠城。位階は従四位。旭日中綬章。 青森県北津軽郡五所川原町(現五所川原市)出身。五所川原農学校を経て、日本大学法学部、同大学大学院法学研究科修士課程修了。1958年(昭和33年)日本青年団協議会長、1959年(昭和34年)青森県議会議員を経て、1962年(昭和37年)五所川原市長に当選。公職選挙法違反で1966年(昭和41年)に一度は失職しながらも直ぐに復帰、1979年(昭和54年)に病気で市長から退くものの2代後の森田稔夫がリコールによって解職されたことに伴い1989年(平成元年)6月に12年ぶり市長に返り咲き。