浅田 肇(あさだ はじめ、1930年9月21日 - )は、北… 浅田 肇(あさだ はじめ、1930年9月21日 - )は、北海道岩見沢市出身の元プロ野球選手(投手)。 北海高校から立教大学へ進学し、1951年に中退して国鉄スワローズへ入団 1953年に退団し、1956年から1962年まで電電北海道でプレーした。
9月21日生まれ:347人
浅田 肇(あさだ はじめ、1930年9月21日 - )は、北… 浅田 肇(あさだ はじめ、1930年9月21日 - )は、北海道岩見沢市出身の元プロ野球選手(投手)。 北海高校から立教大学へ進学し、1951年に中退して国鉄スワローズへ入団 1953年に退団し、1956年から1962年まで電電北海道でプレーした。
倉田 弘(くらた ひろし、1930年〈昭和5年〉9月21日 … 倉田 弘(くらた ひろし、1930年〈昭和5年〉9月21日 - 2018年〈平成30年〉4月15日)は、昭和時代後期から平成時代の政治家。茨城県新治郡桜村長、つくば市長。 茨城県新治郡桜村栗原(現つくば市栗原)出身。1948年(昭和23年)茨城県立土浦中学校卒業。桜村助役を経て、1983年(昭和58年)桜村長に就任した。村長在任中は合併協議が難航する中で、6町村の合併を呼び掛け、協議をまとめ上げ、新市誕生に尽くした。1987年(昭和62年)11月30日、筑波郡谷田部町、大穂町、豊里町、新治郡桜村の3町1村が新設合併しつくば市が誕生。当初の市役所は旧第一圏民センター(現市民ホールやたべ)に置かれ、市長職務代理者には木村操旧谷田部町長が就任し、倉田は稲葉勝行旧大穂町長、野堀豊定旧豊里町長とともに副市長に就任した。
小池 正胤(こいけ まさたね、1930年9月21日 - 20… 小池 正胤(こいけ まさたね、1930年9月21日 - 2014年1月26日)は、日本の日本文学研究者。専門は日本近世文学、特に近世後期の草双紙・黄表紙。 小池藤五郎の子として、東京都新宿区に生まれる。1953年東京学芸大学国語科卒業、1963年同大学大学院博士課程単位取得退学。豊田工業高等専門学校、東京学芸大学文学部助手、金沢大学助教授を経て、1972年東京学芸大学助教授、同教授。1994年定年退官、名誉教授、富士フェニックス短期大学教授。 東京学芸大学出身の大学教員としては草分けの存在だった。また「叢の会」を創設して草双紙研究に大きな足跡を残した。
高 昇孝(こうしょうこう、こすんひょ、朝: 고승효, 192… 高 昇孝(こうしょうこう、こすんひょ、朝: 고승효, 1929年9月21日 - 1994年7月19日)は、朝鮮出身の経済学者。 1929年、済州島生まれ。大阪大学法経学部経済学科を卒業し、大学院に進んで経済学博士号を取得。 卒業後は、大阪外国語大学講師などを務めた。在日朝鮮社会科学者協会顧問。1950年、金鐘鳴を中心に姜在彦、金時鐘、呉在陽らと共に『朝鮮評論』を創刊した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
新井 直之(あらい なおゆき、1929年9月21日 - 19… 新井 直之(あらい なおゆき、1929年9月21日 - 1999年5月13日)は、日本のジャーナリスト、ジャーナリズム研究者。 岩手県盛岡市出身。東京大学文学部独文科卒業。在学中に同大学新聞研究所の第1期研究生となった。1951年共同通信入社。社会部、文化部を経て文化部次長、科学部長、編集委員、調査部長を歴任し、1978年退社して創価大学文学部教授、1993年東京女子大学現代文化学部教授。日本ジャーナリスト会議設立時には共同支部幹事を務め、1973年から1979年まで同会議副議長を務めた。 評論家の樋口恵子とは事実婚の関係にあった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
西原 道雄(にしはら みちお、1929年9月21日 ‐ 20… 西原 道雄(にしはら みちお、1929年9月21日 ‐ 2017年6月25日)は、日本の法学者(民法)。弁護士。神戸大学名誉教授。元近畿大学法学部教授。 父は商法学者の西原寛一。従兄に刑法学者の西原春夫がいる。 1952年、東京大学法学部卒業。指導教官は我妻榮。神戸大学法学部教授を経て、近畿大学法学部教授。 西原は、(1)生命侵害による損害賠償請求権の相続を否定し、(2)生命喪失の事案においては賠償額を離れた「損害額」は客観的には存在せず、完全賠償原則の欠陥を補充するものとして、被害者側の過失を、加害者側の非難可能性の程度を減少させるものとして相殺に用い、(3)通説である差額説を批判したうえで死傷損害説を前提として、「なんらかの意味での損害の類型化,賠償額の定額化が必要」とする、いわゆる西原理論を提唱。
鈴木 清(すずき きよし、1928年9月21日 - )は、日… 鈴木 清(すずき きよし、1928年9月21日 - )は、日本の医師、教育学者。青山学院大学名誉教授。 愛知県出身。1945年(昭和20年)旧制愛知県立津島中学校(現・愛知県立津島高等学校)卒業。1953年(昭和28年)慶應義塾大学医学部卒業。 1954年(昭和2年)12月から1960年(昭和28年)3月まで慶応堂病院に在籍。この後、転出して東京医科歯科大学第二内科学講師。後に青山学院大学公衆衛生学教授、青山学院診療所長を務める。現在は青山学院大学名誉教授。
小林 一也(こばやし かずや、1928年9月21日 ‐ 20… 小林 一也(こばやし かずや、1928年9月21日 ‐ 2015年3月9日)は、日本の教育学者。拓殖大学名誉教授、日本工業技術教育学会名誉会長。 新潟県柏崎市生まれ。1948年長岡工業高等専門学校工業化学科(のち新潟大学工学部)卒、立正大学文学部地理学科卒。1948年から中学校、高等学校で教える。1968年東京都教育庁指導部指導主事、1976年同主任指導主事、1981年東京都立工業技術教育センター指導部長、東京工業大学非常勤講師、1983年東京都立小石川工業高等学校校長。全国工業高等学校長協会理事長、顧問。1989年拓殖大学工学部教授、早稲田大学非常勤講師、1994年日本工業技術教育学会長。1999年拓殖大学名誉教授。
高橋 久子(たかはし ひさこ、1927年9月21日 - 20… 高橋 久子(たかはし ひさこ、1927年9月21日 - 2013年12月21日)は、福岡県北九州市出身の労働省官僚。最高裁判所判事。位階勲等は従三位勲一等瑞宝章受章。 門司高等女学校卒業後に東京大学経済学部に進学。卒業後の1953年に労働省入省。内閣審議官、労働省婦人少年局長を歴任し、1982年に退官。 婦人少年協会会長、アジア女性交流・研究フォーラム理事長、21世紀職業財団会長を務めた後、1994年2月9日に女性としては初めて最高裁判所判事に任命される。当時の内閣は3人の女性閣僚がいた細川内閣であり、細川護煕は「大きなプレゼント」とコメントした。 2000年、勲一等瑞宝章受章。 1997年9月20日 最高裁判事を定年退官。
宮川透(みやかわ とおる、1927年 <昭和2年> 9月21… 宮川透(みやかわ とおる、1927年 <昭和2年> 9月21日 - 1999年 <平成11年> 4月6日)は、日本の哲学者、東京外国語大学名誉教授。比較文化論の観点から日本近代思想史を研究。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 京都府出身。東京大学卒。東大東洋文化研究所研究員、1968年東京外大教授。90年定年退官、富山国際大学教授。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。
高橋 信次(たかはし しんじ、1927年〈昭和2年〉9月21… 高橋 信次(たかはし しんじ、1927年〈昭和2年〉9月21日 - 1976年〈昭和51年〉6月25日)は、日本の経営者、宗教法人GLAの創設者。 1927年、長野県南佐久郡の農家に10人兄弟の次男として生まれる。 1938年、原因不明の病気にかかって幾度か死線を超え、「もう一人の私」となっている自分に気がついたという。 1944年、陸軍士官学校に進学し、終戦 。 1946年、復員。敗戦のショックの中、廃墟となった東京に上京する。勉学を志し、大学入学資格試験を通過、日本大学旧工学部(現 日本大学理工学部)で、自然科学や理科学を学ぶ。 1952年、自営で電気関係の仕事を始め、コンピューター端末機器製造会社の高電工業株式会社を設立し、社長となる。
梶井 功(かじい いそし、1926年9月21日 - 2019… 梶井 功(かじい いそし、1926年9月21日 - 2019年7月2日)は、日本の農業経済学者、東京農工大学名誉教授。第15期・16期日本学術会議会員。 新潟県佐渡郡相川町(現・佐渡市)生まれ。1950年東京大学農学部農業経済学科卒業。1961年「農業生産力の展開構造」で農学博士の学位を取得。1964年鹿児島大学農学部助教授、1967年教授。1971年東京農工大学農学部教授、1988年農学部長、1990年定年退官、東京農業大学農学部教授。1995年東京農工大学学長、2001年退任。2002年勲二等瑞宝章受章。 既存統計を加工、駆使しての分析は他の研究者の追随を許さないものである。 常に経営における実証研究を基軸として据え、これと統計との整合性について言及するスタンスを崩さなかった。
丸山 良仁(まるやま よしひと、1926年9月21日- 20… 丸山 良仁(まるやま よしひと、1926年9月21日- 2006年11月11日)は、日本の建設官僚。 長野県出身。昭和26年(1951年)東京大学農学部卒業。建設省入省。同52年(1977年)住宅局参事官、同53年(1978年)計画局長、同54年(1979年)大臣官房長、同56年建設事務次官。同59年(1984年)退官、住宅・都市整備公団副総裁、同60年(1985年)から平成4年(1992年)まで総裁に就任。のち建設業振興基金理事長。著書に「日本の住宅計画」がある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
北西 弘(きたにし ひろむ、1925年9月21日 - 201… 北西 弘(きたにし ひろむ、1925年9月21日 - 2019年1月25日)は、浄土真宗の仏教史学者、元大谷大学学長。 石川県生まれ。1949年大谷大学文学部卒、52年同大学院文学研究科日本仏教史修士課程修了、大谷大助手、講師、助教授、71年教授。74年図書館長、76年文学部長、真宗綜合研究所長、86-87年学長。 1976年「一向一揆の研究 能登阿岸本誓寺文書」で大谷大学文学博士。
和賀井 敏夫(わがい としお、1924年(大正13年)9月2… 和賀井 敏夫(わがい としお、1924年(大正13年)9月21日 - 2020年(令和2年)11月30日)は、日本の医学者である。 宮城県石巻町(現在の石巻市)の生まれ。一浪を経て、旧制の宮城県仙台第二第二高等学校に入学する。1945年(昭和20年)に卒業後、新潟医科大学(現在の新潟大学医学部)に入学し医学の研究に携わる。1949年(昭和24年)に卒業後は上京し個人病院での研修を経て、翌1950年(昭和25年)には石川島播磨重工業(現在のIHI)に勤務していた友人の紹介により、順天堂大学内における外科学者として入局した。 入局後は主に脳内におけるX線検査の研究に携わり、その応用として東北大学電気研究所に勤務していた菊池喜充らと共に、心疾患や悪性腫瘍、胎児等の早期発見や診断を目的に超音波療法の実験に携わった。
野口 岡治(のぐち おかじ、1924年〈大正13年〉9月21… 野口 岡治(のぐち おかじ、1924年〈大正13年〉9月21日 - 1996年〈平成8年〉8月20日)は、日本の政治家、千葉県富津市長(1期)。元千葉県議会議員(自由民主党)。 千葉県出身。旧制木更津中学校を経て、明治大学商学部卒。豊橋第二陸軍予備士官学校に入るが、終戦により閉校。戦後、陸上自衛隊に入り、一等陸尉に進む。南房総開発(株)代表取締役、木更津信用金庫理事、(株)南房総クラブ代表取締役を務めた。 政界では君津郡天羽町(のち富津町を経て、富津市)議会議員、同町長となり、千葉県議会議員を5期務め、議長を務めた。また、自民党千葉県連副幹事長、政調会長、総務会長などを務めた。1991年に落選。
河村 良彦(かわむら よしひこ、1924年9月21日 - 2… 河村 良彦(かわむら よしひこ、1924年9月21日 - 2010年1月12日)は、日本の実業家。住友銀行(現:三井住友銀行)常務取締役を経て、イトマン社長を務めた。 1924年、6人兄弟の末っ子として山口県に生まれる。山口商業学校(戦後の商業高等学校に相当する学校)を1942年に卒業して、住友銀行に「ノンキャリア」行員として入行した。 磯田一郎(後に住友銀行頭取)は、住友銀行専務取締役だった1972年に、ノンキャリア行員ながら既に頭角を現していた河村について、下記の趣旨を述べている。 住友銀行下関支店へ配属の後、召集され中国大陸での転戦を経て復員。大阪市内の営業店へ転勤となる傍ら、働きながら関西大学経営学部(夜間)に7年間通い、1953年に卒業した。
五十嵐 邁(いがらし すぐる、1924年9月21日- 200… 五十嵐 邁(いがらし すぐる、1924年9月21日- 2008年4月6日)は、日本の昆虫学者。アゲハチョウ科を中心にチョウの幼虫期の形態を研究した。ノンフィクション作家、実業家としても業績を残した。 長崎県佐世保市生まれ。少年時代より昆虫少年として活動する。1947年東京帝国大学工学部建築学科を卒業。大成建設に就職して海外の現場を率先して引き受けつつ、赴任先では未解明のチョウの幼虫期の研究も行い、次々に成果を挙げた。この研究により、1983年理学博士(京都大学)、学位論文は「The classification of the Papilionidae mainly based on the morphology of their immature stages(幼生期形態に主眼を置いたアゲハチョウ科の分類)」。
綱淵 謙錠(つなぶち けんじょう、1924年〈大正13年〉9… 綱淵 謙錠(つなぶち けんじょう、1924年〈大正13年〉9月21日 - 1996年〈平成8年〉4月14日)は、樺太出身の小説家、随筆家。 旧制新潟高校在学中に北海道旭川の第7師団に召集され、1945年(昭和20年)9月に復員。 翌1946年(昭和21年)、東京帝国大学に入学したものの学費が続かず1年経たずに辞め、東京を脱して新潟に赴き、数年間職を転々とした後、1951年(昭和26年)、東大復学。1953年、同大文学部英文学科卒業。中央公論社に入社し、出版部、『中央公論』、『婦人公論』を経て『谷崎潤一郎全集』、『エリオット全集』などの文芸書を手掛け、1971年(昭和46年)、退社。翌年、請われて日本ペンクラブ事務局長に就き、激務の傍ら「斬」を執筆。
佐貫 百合人(さぬき ゆりんど、1924年9月21日 - 2… 佐貫 百合人(さぬき ゆりんど、1924年9月21日 - 2007年1月9日)は、演劇評論家。 山口県生まれ。明治大学政治経済学部卒業。週刊アサヒ芸能新聞社、サンケイ新聞社で芸能記者を務め、のち国立劇場勤務。歌舞伎を中心に演劇評論をおこなった。 2007年1月9日、肺炎のため死去。
藤嶋 清多(ふじしま きよた、1923年〈大正12年〉9月2… 藤嶋 清多(ふじしま きよた、1923年〈大正12年〉9月21日 - 2011年〈平成23年〉6月16日)は、日本の政治家。群馬県前橋市長(2期)。 群馬県前橋市出身。1941年(昭和16年)旧制前橋中学卒。終戦後の1946年(昭和21年)前橋市役所に入る。建設、都市計画の各部長などを歴任し、1982年(昭和57年)に収入役、1986年(昭和61年)に助役に就任した。1988年(昭和63年)前橋市長選挙に立候補して初当選、2期務めた。1996年(平成8年)引退。2011年(平成23年)死去。
柳井 乃武夫(やない のぶお、1923年(大正12年)9月2… 柳井 乃武夫(やない のぶお、1923年(大正12年)9月21日 - 2014年(平成26年)9月28日)は、日本の官僚。日本国有鉄道常務理事や運輸審議委員を務めた。 外交官・弁護士の柳井恒夫の長男としてリオデジャネイロに生まれる。弟は外交官で駐米大使を務めた柳井俊二。暁星小学校、武蔵高等学校尋常科・高等科を経て、東京帝国大学法学部に進学する。東大在学中の1943年に学徒出陣で徴兵され、フィリピンのレイテ島に出征する。終戦を知らずにフィリピンのポロ島山中で二ヶ月の逃亡生活を送った後に投降した。その模様は後年、自著『山の兵隊』『万死に一生 第一期学徒出陣兵の手記』に記述している。 1945年12月に復員後、1947年に運輸省に入省。
南 義弘(みなみ よしひろ、1923年9月21日 - 202… 南 義弘(みなみ よしひろ、1923年9月21日 - 2021年10月4日)は、日本の経営者。トナミ運輸社長、会長を務めた。トナミ商事前社長の南信弘は息子、元衆議院議員の綿貫民輔は従兄弟。 兵庫県出身。1947年に千葉工業大学冶金学科を卒業し、1969年にトナミ運輸に入社。 監査役を経て、1973年5月に副社長に就任し、1975年5月には社長に就任。2005年6月に会長に就任。 高岡商工会議所会頭とほくほくフィナンシャルグループ監査役も務めた。 2009年4月に旭日中綬章を受章。 2021年10月4日老衰のために死去。98歳没。
関口 利男(せきぐち としお、1923年9月21日 - 20… 関口 利男(せきぐち としお、1923年9月21日 - 2008年11月17日)は、日本の電気工学者。東京工業大学名誉教授。元東京工業高等専門学校校長。 多賀工業専門学校、桐生高等工業学校を経て、1949年東京工業大学電気工学科卒業。1957年東京工業大学工学博士。東京工業大学工学部電気・電子工学科教授や、武蔵工業大学工学部電子通信工学科教授を務めた。東京工業大学名誉教授。1980年東京工業大学工学部長。1983年東京工業高等専門学校校長。1989年電子情報通信学会編集長。正四位、1997年勲三等旭日中綬章受章。東京工業大学関口研究室出身者には安藤真東京工業大学名誉教授や、遠藤信博日本電気代表取締役会長などがいる。
早島 鏡正(はやしま きょうしょう、1922年9月21日 -… 早島 鏡正(はやしま きょうしょう、1922年9月21日 - 2000年4月28日)は、日本の仏教学者・僧侶。 1922年、北海道の浄土真宗本願寺派寺院にて出生。幼少時に横浜へ転居した。東京帝国大学文学部に入学し、印度哲梵文学科で仏教学を専攻し、中村元に師事した。 在学中に学徒出陣で兵役に就いた。戦後復学し東京大学文学部を卒業。 卒業後は東洋大学助教授に就いた。1962年、学位論文『パーリ仏教における実践の発展』を東京大学に提出して文学博士号を取得。その後東京大学に移り、助教授、後に教授として教鞭をとった。1983年に東京大学を退職し、名誉教授となった。その後は武蔵野女子大学(現:武蔵野大学)教授として教鞭をとった。
松永 綠郎(まつなが ろくろう、1921年9月21日 - 2… 松永 綠郎(まつなが ろくろう、1921年9月21日 - 2005年5月22日)は、日本の政治家。元埼玉県副知事。元桶川町長。旭日中綬章受章。位階は従四位。 埼玉県に生まれる。1938年、軍記章を受賞(歩兵二等兵)。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、1943年、中央大学法学部卒業。1947年4月に桶川町(現・桶川市)長に就任。その後、埼玉会館会長、埼玉県労働部長、埼玉県民生部長、埼玉県企画財政部長を歴任する。1976年~1984年の間埼玉県副知事となる。1993年、旭日中綬章受章。副知事を退任後、株式会社エコ企画顧問、社団法人北海道野生生物保護公社理事長、一般社団法人日本資材管理協会第四代会長となる。
谷 省吾(たに せいご、1921年9月21日 - 2011年… 谷 省吾(たに せいご、1921年9月21日 - 2011年11月5日)は、日本の神道学者。皇學館大学学長を歴任。鈴木重胤と皇学研究の第一人者。垂加神道の研究にも従事した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
崔 慶禄(チェ・ギョンノク、최경록、1920年9月21日 -… 崔 慶禄(チェ・ギョンノク、최경록、1920年9月21日 - 2002年9月2日)は、大韓民国の軍人、外交官、政治家。本貫は慶州崔氏。創氏改名時の日本名は新田慶吉。 5・16軍事クーデター当時は朴正煕の直属の上官であり、第四共和国期に22代交通部長官、第五共和国期には国会議員を経て7代駐日大使を務めた。 1920年9月、日本統治時代の忠清北道陰城郡に生まれる。陰城三成普通学校を卒業した後、内地に留学し豊橋中学校で学んだ。 1938年、日本陸軍に志願(志願兵1期)。1939年12月、陸軍兵志願者訓練所を修了して歩兵第79連隊に配属。同世代の中で最も優秀な成績であり、下士官候補生に選ばれた。そこで中隊長の松田靖彦大尉に目をかけられ、彼の推薦で陸軍士官学校の試験にも合格したほか、1942年秋、汝威島での演習中に引き合わされた小野武雄中佐に薫陶を受ける。
堀井 岸雄(ほりい きしお、1920年9月21日 - 201… 堀井 岸雄(ほりい きしお、1920年9月21日 - 2014年3月)は、日本の社会学者。元八幡大学(現:九州国際大学)学長。福岡県門司市(現北九州市)生まれ。 福岡県門司市に生まれ、昭和13年(1938年)に門司中学校を卒業後、一旦門司鉄道管理局に就職したが、昭和15年(1940年)4月、八幡大学の前身である戸畑市の九州専門学校法政科に入学する。昭和17年(1942年)には東北帝国大学法文学部社会学科に入学した。大学では新明正道教授に師事した。昭和18年(1943円)12月、学徒動員で応召、久留米第12師団に入隊する。翌年9月に復員し、大学に復学した。昭和23年(1948年)、母校である戸畑専門学校(前九専)に社会学と心理学の担当教授として就任し、以後八幡大学の教授、学長を歴任するに至った。
三浦 種敏(みうら たねとし、1920年(大正9年)9月21… 三浦 種敏(みうら たねとし、1920年(大正9年)9月21日 - 2004年(平成16年)1月19日)は、日本の海軍技術大尉、学者。専門は電気音響工学。 1920年9月21日、青森県五戸町生まれ。1943年9月、東北帝国大学工学部電気工学科卒業。1945年3月、海軍技術大尉。同年11月、逓信省電気試験所に入所し、4号電話機の開発に従事。1952年8月、日本電信電話公社入社。1957年8月、工学博士(東北大学)。1959年、日本電信電話公社電気通信研究所伝送研究室室長。1962年、日立製作所中央研究所入所。1977年、東京電機大学工学部電気通信工学科教授。2004年1月19日、83歳で死去。 1985年5月から1987年まで、日本音響学会会長を務めた。
伊藤 正己(いとう まさみ、1919年9月21日 - 201… 伊藤 正己(いとう まさみ、1919年9月21日 - 2010年12月27日)は、日本の法学者(英米法・憲法)、裁判官。位階は正三位。勲等は勲一等。学位は法学博士(東京大学・1960年)。東京大学名誉教授、文化功労者。名の表記は「正己」であり、「正已」や「正巳」は誤り。専門書でも誤記されることがある。司法省調査課嘱託、専修大学法学部非常勤講師、法務庁調査意見局調査員、東京大学法学部教授、東京大学法学部学部長、最高裁判所判事、日本育英会会長、財団法人国際科学技術財団会長などを歴任した。末延三次門下。弟子に、樋口範雄など。 兵庫県出身の法学者である。専門は英米法、憲法で、とりわけ表現の自由とプライバシーの関係性を研究した。
村上 武雄(むらかみ たけお、1919年9月21日 - 19… 村上 武雄(むらかみ たけお、1919年9月21日 - 1981年7月1日)は、日本の経営者。兵庫県神戸市出身。 1942年に神戸商科大学を卒業し、同年に東京ガスに入社。1969年9月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1976年1月に社長に就任。エネルギー産業の近代化を推進し、1969年には東京電力と共同でアラスカ産の液化天然ガスを導入した 1979年に藍綬褒章を受章。 1981年7月1日肝不全のために死去。61歳没。
石塚 尊俊(いしづか たかとし、1918年9月21日 - 2… 石塚 尊俊(いしづか たかとし、1918年9月21日 - 2014年4月16日)は、日本の民俗学者、神官。島根県を本拠地に、当地域を中心とした地方の民俗学を牽引した。 1918年(大正7年)、島根県大津村(2006年現在の出雲市大津町石塚村)の社家の長男として生まれる。少年時代は簸川郡大津村小学校(現・出雲市立大津小学校)、島根県立大社中学校(現・島根県立大社高等学校)に通った。中学時代は理数科が苦手であった反面、歴史に興味をもち、郷土史の作成、出雲市長廻谷横穴墓群の調査などをおこなった。 1936年(昭和11年)、 國學院大學神道部に進学するにあたって上京する。小学校教員になるために師範学校へ行かせようとする親に上京を反対されたものの、伯母の助言で「伯母の監督つき」の条件のもと許されている。
半田 孝淳(はんだ こうじゅん、1917年9月21日 - 2… 半田 孝淳(はんだ こうじゅん、1917年9月21日 - 2015年12月14日)は、日本の天台宗の僧侶。第256世天台座主、全日本仏教会会長などを歴任。 長野県小県郡別所村(現 上田市別所温泉)の常楽寺(北向観音本坊)に住職半田孝海の長男として生まれる。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1941年大正大学文学部宗教学科卒業。翌年から応召し、陸軍中尉で終戦を迎えた。1947年別所村議会議員を経て、1949年常楽寺副住職に就任。同年から47年間にわたり保護司を務めた。1961年、常楽寺住職に就任。1971年から1988年まで調停委員を務めた。2004年、曼殊院門跡門主。2007年、第256世天台座主に就任。
川合 武(かわい たけし、1915年9月21日 - 1991… 川合 武(かわい たけし、1915年9月21日 - 1991年1月15日)は日本の内務・自治官僚・政治家。元衆議院議員(1期)。 神奈川県出身。横浜一中、水戸高卒業。1940年、東京帝国大学法学部卒業後、内務省入省、長野県特高課長などを務めた。総理秘書官、自治省官房調査官を経て消防庁次長を務める。その後、日本消防協会常任顧問。1952年第25回衆議院議員総選挙(日本自由党公認)、1953年第26回衆議院議員総選挙(無所属)、1958年第28回衆議院議員総選挙(無所属)で神奈川県第1区(中選挙区。横浜市全域が選挙区)から立候補するも落選し、1971年横浜市長選挙に自民党推薦で立候補し現職の飛鳥田一雄に敗れたが、1976年、第33回衆議院議員総選挙で神奈川県第4区から新自由クラブから立候補し、初当選。
二十二世本因坊秀格(にじゅうにせいほんいぼう しゅうかく、1… 二十二世本因坊秀格(にじゅうにせいほんいぼう しゅうかく、1915年9月21日 - 1986年11月26日)本名:高川格(たかがわ かく)は、日本の囲碁棋士。本因坊戦9連覇の功績により名誉本因坊として高川秀格(たかがわ しゅうかく)と号し、後に二十二世本因坊を贈られる。和歌山県出身、光原伊太郎名誉八段門下。本因坊位の他にも、名人、十段等タイトル多数の、昭和を代表する名棋士の一人。「流水不争先」を信条とし、平明流とも言われる、合理的で大局観に明るい棋風。 和歌山県田辺町(現在の田辺市)生まれ。6歳頃に父の影響で碁を覚え、1925年に9歳で棋士を目指して上京し日本棋院に通うが、事情により2か月で帰郷する。
松永 行(まつなが あきら、1914年9月21日 - 194… 松永 行(まつなが あきら、1914年9月21日 - 1943年1月20日)は、静岡県志太郡出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。 静岡県志太郡東益津村(現焼津市)出身。松永信夫、松永碩は実弟。静岡県立志太中学校(現:静岡県立藤枝東高等学校)に入学してサッカー部に所属した。なお、笹野積次は志太中での1年先輩に当たる フォワードを務め、100メートルを10秒8台で走る俊足であったという。東京文理科大学附置東京高等師範学校に入学し、蹴球部に所属。在学中の1935年6月に開催された全日本蹴球選手権大會(第15回天皇杯全日本サッカー選手権大会)に中垣内勝久らと出場して準優勝の成績を残した。 1936年のベルリンオリンピックの日本代表に選出。
古川 勝巳(ふるかわ かつみ、1914年9月21日 - 19… 古川 勝巳(ふるかわ かつみ、1914年9月21日 - 1986年7月12日)は日本ヘラルド映画代表取締役社長。本名は古川 一巳(ふるかわ かつみ)。愛知県名古屋市中区出身。父はヘラルドグループ創業者の古川為三郎。 出生地は名古屋市であったが、父の経営する古川商店の東京進出の関係で東京に住み、橋本小学校に入学する。しかし、関東大震災を機に父が東京支店を畳むことになったため、南久屋小学校(現・名古屋市立栄小学校)に転入した。1927年に愛知県惟信中学校に入学し、1931年に名古屋高等商業学校へと進んだ。1935年に同校を卒業すると同時に資生堂に入社。1939年に結婚した。1956年に父親が立ち上げたヘラルド映画の設立に参加、同社初代代表取締役社長となる。
上山 善紀(うえやま よしのり、1914年9月21日 - 2… 上山 善紀(うえやま よしのり、1914年9月21日 - 2009年8月25日)は実業家。近畿日本鉄道(近鉄)元社長(大阪電気軌道創業から10代目)・会長、近鉄グループの元代表者。
野々 浩介(のの こうすけ、1914年9月21日 - 19… 野々 浩介(のの こうすけ、1914年9月21日 - 1991年6月19日)は、東京市(現:東京都)出身の俳優、声優。 本名は野々山 浩司(ののやま こうじ)。日本大学専門部芸術科映画科卒業。 1936年、東宝映画京都撮影所入社。1938年5月、大阪劇団宝塚ショー入社。1941年12月、ムーランルージュ新宿座に入団し、軽演劇を中心に活動。人生座、ラジオ東京、伊藤事務所、フリーランス期間、新作座、カタバミ事務所、さむらいプロなどに所属。映画、テレビドラマの端役のほか、人形劇やラジオドラマの声優としても活動した。 1991年6月19日、死去。76歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
乾 常美(いぬい つねみ、1914年(大正3年)9月21日 … 乾 常美(いぬい つねみ、1914年(大正3年)9月21日 - 2007年(平成19年)9月18日)は、高知県出身の郷土史家。随筆家。国府史蹟保存会会長、南国史談会会長、南国市文化財審議会委員。清和源氏土岐氏支流乾氏・乾和信の分家の子孫(和信の14世孫)にあたる。板垣退助の監修による『自由党史』を執筆した和田三郎は親戚。 高知県商工会議所業務部長を務めるかたわら、長年に渡って執筆投稿してきた随筆を『生涯雑筆』に収録して出版。さらに続編として『続・生涯雑筆』を上梓。国府史蹟保存会会長として紀貫之邸址の整備と石碑の建立。南国史談会の会長をつとめ、みずから南国市の史跡調査についての研究論文を執筆。また、「乾の大墓」の調査保存に努めた。
前田 泰次(まえだ やすじ、1913年9月21日 - 198… 前田 泰次(まえだ やすじ、1913年9月21日 - 1982年1月16日)は、工芸研究家、東京芸術大学名誉教授。日本金工史、東洋工芸史、工芸論を講じた。 鋳金家・田中後次の子として東京府大森町(現東京都大田区)に生まれる。東京府立第五中学、松本高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学文学部宗教史学科卒。東京帝室博物館、大阪市立美術館勤務、東京美術学校助教授、1959年東京芸大教授。77年定年退官、名誉教授。文化財保護審議会専門委員、日本伝統工芸展鑑査委員。
佐野 理平(さの りへい、1912年9月21日 - 1992… 佐野 理平(さの りへい、1912年9月21日 - 1992年3月26日)は、静岡県出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはGK。日本代表として、1936年のベルリンオリンピックに出場した。
細谷 治嘉(ほそや はるよし、1912年(大正元年)9月21… 細谷 治嘉(ほそや はるよし、1912年(大正元年)9月21日 - 1997年(平成9年)1月19日)は、昭和から平成初期の労働運動家、政治家。位階は従三位、勲一等。 衆議院議員(9期)、大牟田市長(2期)、福岡県議会議員。 千葉県長生郡白子町に生まれる。1933年横浜高等工業学校(現横浜国立大学工学部)応用化学学科を卒業。同年、三井化学三池染料工業所に勤務。三井化学労働組合委員長、全日本化学労働組合委員長を務めた。 1947年福岡県議会議員に選出され2期在任。1955年、大牟田市長選挙に立候補し、現職の田中忠蔵を305票差で破り初当選。1959年、再選。1962年、次回の選挙の不出馬を表明。 1963年、第30回衆議院議員総選挙福岡3区に日本社会党から立候補し、初当選。
中根 之(なかね すすむ、1910年9月21日 - 没年不明… 中根 之(なかね すすむ、1910年9月21日 - 没年不明)は、兵庫県出身の元プロ野球選手(外野手)、プロ野球審判員。
山本 日子士良(やまもと ひこしろう、1910年9月21日 … 山本 日子士良(やまもと ひこしろう、1910年9月21日 - 1993年9月15日)は、日本の洋画家。 1910年(明治43年)9月21日、奈良県磯城郡に生まれる。東京美術学校卒業後兵役に就き、戦災でアトリエを焼失。戦後は東京都・板橋区に居を構え、創作を再開。日展出品を重ね、1992年(平成4年)日展参与となる。1993年(平成5年)9月15日に死去した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
八島 太郎(やしま たろう、1908年9月21日 - 199… 八島 太郎(やしま たろう、1908年9月21日 - 1994年6月30日)は、日本とアメリカとで活躍した日本人画家、絵本作家である。本名 : 岩松 淳(いわまつ じゅん)。鹿児島県肝属郡小根占村出身。作家の伊佐千尋、俳優のマコ岩松は息子。
天野 武一(あまの ぶいち、1908年9月21日 - 199… 天野 武一(あまの ぶいち、1908年9月21日 - 1997年12月2日)は、日本の検察官。最高裁判所判事。 1932年(昭和7年)に東京帝国大学法科を卒業。石川島造船所に入社したが、転身。1934年(昭和9年)に司法官試補となり、1935年(昭和10年)に検事となった。 東京地検が振り出し、1943年(昭和18年)に司法省刑事局に勤務。司法大臣秘書官、法務府人事課長、経理部長を歴任。1955年(昭和30年)に東京地検特捜部長に就任し、売春汚職事件を摘発した。その後、甲府地検検事正、法務総合研究所長、神戸地検検事正、大阪地検検事正を務めた。大阪地検検事正時代には大阪タクシー汚職事件を手掛けた。
米原 穣(よねはら みのる、1907年〈明治40年〉9月21… 米原 穣(よねはら みのる、1907年〈明治40年〉9月21日 - 1994年〈平成6年〉)は、日本の実業家。日本海テレビ、日ノ丸自動車各社長。鳥取商工会議所会頭。 鳥取県八頭郡智頭村(現・智頭町)出身。米原章三の長男。1925年、鳥取県立鳥取第一中学校を卒業する。1928年、第六高等学校を卒業する。1931年、東京帝国大学文学部独逸文学科を卒業する。文部省嘱託拝命。 1936年、高知高校教授。1943年に文部省教学官、1946年に文部省学校教育局専門教育課長に就任する。1949年、鳥取大学教授に任ぜられ、学芸学部長を拝命する。1954年、退官する。以降日ノ丸自動車、鳥取大丸の社長(のち共に会長)、その他各社役員を兼ねる。
百合山 羽公(ゆりやま うこう 、1904年9月21日 - … 百合山 羽公(ゆりやま うこう 、1904年9月21日 - 1991年10月22日)は、俳人。本名・又三郎。静岡県浜松生。県立浜松商業学校卒業。在学中、高浜虚子に会い、その紹介で池内たけしに師事。1923年、上京し「ホトトギス」の句座に参加、同時に池内が選者を務めていた「破魔弓」(「馬酔木」の前身)に入会。1929年、24歳で「ホトトギス」巻頭。1933年、水原秋桜子の「ホトトギス」離反に従い「馬酔木」に拠り、「馬酔木」第一期同人となる。1945年、浜松の住居を戦災で失い、同県引佐郡細江町の父の生家に疎開。1946年「あやめ」創刊。1950年「あやめ」を「海坂」(うなさか)に改題、20年来の句友である相生垣瓜人と共宰する。