中内 正利(なかうち まさとし、1903年8月25日 - 1… 中内 正利(なかうち まさとし、1903年8月25日 - 1985年10月15日)は、英語学者。 大阪市生まれ。1925年大阪市立高等商業学校(現大阪公立大学)卒業、横浜正金銀行入行、大阪支店勤務。36-45年マニラ、ニューヨーク、リオデジャネイロ、青島の各支店に勤務。39年ニューヨーク市立大学で英語学を学ぶ。46年横浜正金銀行大阪支店、47年東京銀行に移行し、48年東京本店勤務。58年定年退職、60年早稲田大学専任講師、66年教授、74年定年退職。75―84年日本実用英語学会会長。84年名誉会長。墓所は小平霊園(13区2側)。
辰巳 佐太郎(たつみ さたろう、1903年〈明治36年〉8月… 辰巳 佐太郎(たつみ さたろう、1903年〈明治36年〉8月25日 - 1990年〈平成2年〉1月25日)は、日本の政治家。大阪府東大阪市の初代の市長(1期)。合併前の布施市の最後の市長(第8代、1期)。大阪府議会議長(第52代、第55代) 大阪府出身。1931年(昭和6年)、中央大学卒業。1937年(昭和12年)、布施市の発足により、市会議員となる。太平洋戦争後の1951年、大阪府議会議員に転じる。以後、連続3期。1963年、布施市長に就任した。この間、布施商業会議所会頭、自由民主党布施支部長や、自民党大阪府連選対副委員長も務めた。 1967年、布施市は河内市と枚岡市と合併し、東大阪市が発足。
青木 秀夫(あおき ひでお、1903年(明治36年)8月25… 青木 秀夫(あおき ひでお、1903年(明治36年)8月25日 - 2001年(平成13年)1月27日)は、日本の内務・厚生官僚。最後の官選新潟県知事。 栃木県出身。水戸高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し山口県属兼社会局属、地方事務官となる。 以後、内務省社会局勤務、鹿児島県社会課長、三重県教育課長、同工場課長、地方警視、岡山県警察部保安課長兼工場課長、神奈川県警察部保安課長、奈良県書記官・警察部長、厚生省傷兵保護院補導課長、同省生活課長、同母子課長、軍事保護院総務課長、東北総監府官房主幹、内務省調査官、同大臣官房調査課長などを歴任。
芳川 周二(よしかわ しゅうじ、1903年8月25日 - 1… 芳川 周二(よしかわ しゅうじ、1903年8月25日 - 1992年3月3日)は、日本の銀行家。関西相互銀行(現在の関西アーバン銀行)社長を務めた。広島県広島市出身。 1926年に山口高等商業学校を卒業し、同年に住友銀行に入行。1958年10月に関西相互銀行専務に就任し、1968年4月には社長に就任。1973年11月に取締役相談役と明光証券社長に就任し、1978年12月に会長を経て、1982年3月から取締役相談役を務めた。 1970年10月に藍綬褒章を受章し、1976年4月に勲五等双光旭日章を受章した。 1992年3月3日急性心筋梗塞のために死去。88歳没。
矢野 登(やの のぼる、1903年8月25日 - 1993年… 矢野 登(やの のぼる、1903年8月25日 - 1993年4月17日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(2期、自由民主党)。 栃木県那須郡烏山町(現那須烏山市)出身。1921年栃木県立小瀬農学校卒。1938年三共日産自動車(株)を創立。ほか三共物産(株)、(株)東武宇都宮百貨店、日産プリンス栃木販売(株)を創立。代表取締役などに就任した。この他宇都宮商工会議所副会頭や栃木県石油協同組合理事長を歴任。1968年の第8回参議院議員通常選挙に栃木県選挙区から自由民主党公認で立候補して初当選。第2次田中内閣で通商産業政務次官を務めた。1974年7月の第10回参議院議員通常選挙で落選。同年秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章。
菊池 正士(きくち せいし、1902年(明治35年)8月25… 菊池 正士(きくち せいし、1902年(明治35年)8月25日 - 1974年(昭和49年)11月12日)は、日本の物理学者。理学博士(東京大学・1932年)。日本の原子物理学の黎明期を起ち上げた一人である。大阪大学名誉教授。日本学士院会員。文化勲章、勲一等瑞宝章受章者。贈正三位(没時叙位)。 数学者・教育者・貴族院議員・枢密顧問官として活躍した男爵菊池大麓の四男として東京府に生まれた。 1915年(大正4年)、東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)を卒業。1920年(大正9年)、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。附属中学の同級生には、のちに最高裁判所判事となった下村三郎、獨協大学学長となった市原豊太、東京大学名誉教授の坪井忠二、フランス文学者の中島健蔵などがいた。
村尾 薩男(むらお さつお、1902年(明治35年)8月25… 村尾 薩男(むらお さつお、1902年(明治35年)8月25日 - 1970年(昭和45年)1月5日)は、昭和期の社会運動家、政治家、実業家。衆議院議員。 鹿児島県薩摩郡、のちの川内町(川内市を経て現薩摩川内市)で、鹿児島市の山形屋呉服店常務取締役の息子として生まれる。鹿児島県立第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を経て第七高等学校造士館に入学。是枝恭二、喜入虎太郎らと文芸、哲学、社会問題の研究会を立上げ、ロシア飢饉救済運動にも加わった。1923年(大正12年)東京帝国大学文学部社会学科に進み、新人会に加入して活動したが、京都学連事件で検挙され、第1審で禁固1年の判決を受け、1926年(大正15年)1月に大学を中退した。
岡田 五郎(おかだ ごろう、1901年(明治34年)8月25… 岡田 五郎(おかだ ごろう、1901年(明治34年)8月25日 – 1965年(昭和40年)9月23日)は、日本の鉄道官僚、政治家。衆議院議員(3期)。 兵庫県加東郡小野町長尾で岡田常次の三男として生まれる。第六高等学校を経て、1925年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、鉄道省に入省し鉄道属に任官し札幌駅貨物係に配属された。 以後、鉄道局参事、鉄道大臣官房人事課長、同秘書課長、鉄道監、札幌鉄道局長、大阪鉄道局長などを歴任し、1947年に退官した。 1949年1月の第24回衆議院議員総選挙で兵庫県第三区に民主自由党から出馬し当選。以後、第26回総選挙まで連続して当選し、衆議院議員を連続三期務めた。
綾ノ浪 俊一郎(あやのなみ しゅんいちろう、1901年8月2… 綾ノ浪 俊一郎(あやのなみ しゅんいちろう、1901年8月25日 - 1984年7月1日)は、青森県南津軽郡田舎館村出身で湊川部屋、追手風部屋、再度湊川部屋に所属した力士。本名は鈴木 俊一郎(すずき しゅんいちろう)。身長170cm、体重94kg。最高位は東前頭7枚目。得意手は突っ張り、押し。 1921年1月場所に初土俵。この間親方が亡くなり、後継が決まるまでのあいだ追手風部屋に預けられ、1929年1月場所に十両昇進、新設された湊川部屋に戻って1930年5月場所に新入幕。春秋園事件に加担し、1932年1月場所に脱退(番付からは削除され、実質的最終場所は1931年10月場所)した。脱退後は青森市で酒屋を経営した後、再び上京して江東区深川で飲食店「角力屋」を経営した。
石川 恒太郎(いしかわ つねたろう、1900年8月25日 -… 石川 恒太郎(いしかわ つねたろう、1900年8月25日 - 1990年10月30日)は、日本の歴史学者。 宮崎県日向市生まれ。宮崎県立延岡中学校、専修大学卒業。「日州新聞」「大阪毎日新聞」などの記者を経て1940年、宮崎県立上代日向研究所特別委員となる。戦後は宮崎県文化財専門委員として考古学や地方史研究に携わる。歴史研究のかたわらラジオ番組で郷土史の講義を行う。1960年宮崎県文化賞を受賞。
沖森 源一(おきもり げんいち、1899年8月25日 - 1… 沖森 源一(おきもり げんいち、1899年8月25日 - 1951年8月14日)は、大正・昭和期の内務官僚・政治家。最終学歴は高等小学校ながら、高等文官試験に合格して内務官僚となり、最後は佐賀県知事を務めた。 広島県御調郡市村(現在の尾道市)出身。高等小学校卒業後、苦学の末に高等文官試験に合格して内務省へ入った。香川県経済部長・岡山県経済部長・長野県内務部長を歴任後、1945年10月27日に官選知事として佐賀県知事に就任した。ところが翌1946年7月8日になって食糧供出に非協力的であるとして更迭された。その後、新憲法下の最初の知事選挙に立候補し、沖森の後任官選知事であった戸沢盛男らを破って当選を果たした。
大鹿 卓(おおしか たく、1898年〈明治31年〉8月25日… 大鹿 卓(おおしか たく、1898年〈明治31年〉8月25日 - 1959年〈昭和34年〉2月1日)は、日本の小説家、詩人。 愛知県海部郡津島町(現:津島市)生まれ。本名は大鹿 秀三(ひでぞう)。金子光晴の実弟である。 東京府立第一中学校を経て、京都帝国大学経済学部中退、秋田鉱山専門学校卒業。化学教師を務めながら詩を書く。1935年「野蛮人」で『中央公論』懸賞小説二席。1937年「探鉱日記」で芥川賞候補。1942年『渡良瀬川』で新潮社文藝賞受賞。
伊東 ハンニ(いとう はんに、1898年(明治31年)8月2… 伊東 ハンニ(いとう はんに、1898年(明治31年)8月25日 -1969年(昭和44年)8月3日)は、日本の作家、相場師、社会運動家。伊東阪二とも書く。本名松尾 正直(まつお まさなお)。昭和初期に相場で巨富を得、兜町の風雲児として注目され「昭和の天一坊」とも呼ばれた。 『国民新聞』、雑誌『日本国民』のオーナー。川端康成、与謝野晶子等のプロデューサー。東洋のマタハリと呼ばれた川島芳子と親交あり。熱烈な愛国者であり、太平洋戦争を回避しようと日本国中を遊説した。 三重県鈴鹿郡加太村(現亀山市)に米穀商・松尾伝吉の三男に生まれる。父は米穀商の傍ら株の仲買人を手がけていたが、日露戦争後の相場の乱高下で損害を被り名古屋へ転居。
渋沢 敬三(しぶさわ けいぞう、正字体:澁澤 敬三、1896… 渋沢 敬三(しぶさわ けいぞう、正字体:澁澤 敬三、1896年〈明治29年〉8月25日 - 1963年〈昭和38年〉10月25日)は、日本の実業家、財界人、民俗学者、政治家。第16代日本銀行総裁、第49代大蔵大臣(幣原内閣)。祖父・渋沢栄一から渋沢子爵家当主及び子爵位を引き継いだ。 1896年(明治29年)8月25日、渋沢栄一の長男・篤二と妻・敦子の長男として生まれる(敬三の下に弟が2人がいる)。「敬三」は論語の一節「言忠信にして行篤敬ならば蛮貊()の邦といえども行われん」(衛霊公第十五)より栄一が命名した。敦子の父(母方の祖父)は羽林家の公卿出身の元老院議官を務めた伯爵橋本実梁。 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。
田沼 実(たぬま みのる、1895年8月25日 - 1974… 田沼 実(たぬま みのる、1895年8月25日 - 1974年8月)は、日本の都市計画家、土木技術者。東京生まれ。 1921年(大正10年)に東京帝国大学工学部土木工学科卒。内務省阿賀川改修事務所に勤務した。1924年から内務省復興局技師に転じる。その後東京府をへて1929年(昭和4年)、内務省土木部工務課長。その間に九段坂に共同溝の試作を試みている。1930年に東京府土木道路技師。 1937年、滋賀県土木課長、1939年、茨城県土木課長、1942年、山口県士木部長。 1945年に神奈川県土木部長となり、敗戦後の同県都市計画の作成に取り組む。道路、河川、公園、住宅、港湾などの総合整備を図った。 1951年から1960年までは、神奈川県土地収用委員会委員をつとめた。
佐々木 達治郎(ささき たつじろう、1894年(明治27年)… 佐々木 達治郎(ささき たつじろう、1894年(明治27年)8月25日 - 1973年(昭和48年)10月19日)は、日本の陸軍軍人、物理学者。最終階級は陸軍少将。理学博士。 岡山県西北条郡津山町 (現津山市)出身。佐々木清十郎の長男として生まれる。津山中学校(現岡山県立津山中学校・高等学校)を経て、1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業し、同年12月、砲兵少尉に任官し野砲兵第13連隊付となる。1918年(大正7年)11月、陸軍砲工学校高等科(24期)を卒業。野砲兵第11連隊大隊副官を経て、1919年(大正8年)9月から1922年(大正11年)3月まで陸軍派遣学生として東京帝国大学理学部物理学科で学んで卒業した。
上田 保(うえだ たもつ、1894年(明治27年)8月25日… 上田 保(うえだ たもつ、1894年(明治27年)8月25日 - 1980年(昭和55年)6月6日)は、日本の弁護士、政治家で、初代~第4代大分市長(在任:1947年(昭和22年)4月7日 - 1963年(昭和38年)3月9日)。大分市名誉市民でもある。 1894年(明治27年)8月25日、上田庫蔵・カネ夫妻の三男として大分県大分郡豊府村(現大分市畑中)に生まれる。上京し、和仏法律学校(現・法政大学)法律科で学び、27歳の時に弁護士試験に合格する。その8年後の1929年(昭和4年)に法律案内書「趣味の法律」を出版しベストセラーとなる。 戦時中に大分に引き揚げ、1947年(昭和22年)に初代の公選大分市長に当選し、連続4期務めた。
杜 聡明(と そうめい、1893年8月25日 - 1986年… 杜 聡明(と そうめい、1893年8月25日 - 1986年2月25日)は、台湾人として初めて医学博士号を取得した医学者。字は思牧。従四位勲三等。 1893年、清朝統治下の台湾・淡水(現在の新北市淡水区)生まれ。9歳の時から淡水北新庄の車埕書房で学ぶ。11歳で滬尾公学校に入学し、滬永吉街での寄宿生活を送りながら17歳の時に首席で卒業する。1909年、台湾総督府医学校に首席で合格。しかし体格検査(丙下)で本来は不合格となるところであったが、当時の医学校校長・長野純蔵の計らいで入校が許された。在学中も勉学は一番であり、併せて体操、水泳、登山で体を鍛えた。1910年、清朝腐敗に対する革命の動きが高まると、同級生の翁俊明(中国語版)と共に中国同盟会に加入した。
松本 芳夫(まつもと よしお、1893年8月25日 - 19… 松本 芳夫(まつもと よしお、1893年8月25日 - 1982年12月8日)は、日本の歴史学者。慶應義塾大学名誉教授。別名南国天[要出典]。 和歌山県東牟婁郡下里村(現・那智勝浦町)出身。1914年郁文館中学校卒業。1919年慶應義塾大学文学部史学科卒業、1950年「古代日本人の政治思想」で慶大文学博士。1919年慶應義塾商工学校教員、1923年慶應義塾大学予科教員兼高等部教員、1927年に文学部講師、1931年助教授を経て、1933年教授。1953年文学部長。1959年、義塾賞受賞。1960年斯道文庫長、1961年名誉教授。
滝澤 脩作(たきさわ しゅうさく、1893年(明治26年)8… 滝澤 脩作(たきさわ しゅうさく、1893年(明治26年)8月25日 - 1958年(昭和33年)7月1日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 岡山県浅口郡乙島村(玉島町乙島、玉島市乙島を経て現倉敷市玉島乙島)で、滝澤嘉三郎の長男として生まれた。玉島尋常高等小学校を卒業後、神戸市立工業学校で学んだ。 川崎造船所、住友伸銅所での勤務を経て、1922年(大正11年)大阪市東成区猪飼野でボール盤製造を始めていた弟・七三郎に合流して滝澤鉄工所(現:TAKISAWA)を設立した。満州事変以後の工作機械需要の増大を受けて会社は発展し、1933年(昭和8年)郷里の玉島に、1935年(昭和10年)と1938年(昭和13年)には大阪の二箇所に工場を新設した。
稲内 清二(いなうち せいじ、1892年(明治25年)8月2… 稲内 清二(いなうち せいじ、1892年(明治25年)8月25日 - 1943年(昭和18年)2月17日)は、内務官僚。千葉県市川市長。 京都府出身。1914年(大正3年)に盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)を卒業した後、1920年(大正9年)に京都帝国大学法学部を卒業した。一年志願兵として陸軍少尉となる。1922年(大正11年)に高等試験に合格した。和歌山県伊都郡長、東牟婁支庁長、熊本県商工課長、同蚕糸課長、香川県社会課長、同地方課長、広島県学務課長、同地方課長、宮崎県学務部長、秋田県学務部長を歴任した。 1940年(昭和15年)に退官した後、同年6月11日に市川市長に就任し、1941年(昭和16年)10月7日まで在任した。
島 保(しま たもつ、1892年〈明治25年〉8月25日 -… 島 保(しま たもつ、1892年〈明治25年〉8月25日 - 1972年〈昭和47年〉1月10日)は、日本の裁判官、最高裁判所判事。東京都出身。 1916年(大正5年)、東京帝国大学法学部卒。殆ど東京地裁に勤務し、1931年(昭和6年)11月に東京控訴院部長、1935年(昭和10年)4月大審院判事、1938年(昭和13年)7月に東京刑事地裁所長、1945年(昭和20年)大審院部長となった。 裁判官任命諮問委員会による諮問の結果、1947年(昭和22年)8月4日、最高裁判所判事に就任。1947年8月4日の最高裁判所発足と同時に最高裁判所判事に就任したうちの1人である。 最高裁では第三小法廷を担当すると共に、大法廷においても死刑合憲判決や三鷹事件・松川事件・八海事件など、戦後司法の根拠となる様々な判決に携わった。
藤田 亮策(ふじた りょうさく、1892年〈明治25年〉8月… 藤田 亮策(ふじた りょうさく、1892年〈明治25年〉8月25日 - 1960年〈昭和35年〉12月12日)は、日本の考古学者。 1892年、新潟県古志郡上北谷村(現見附市/長岡市)に、父・藤田福十郎、母・タケの次男として生まれた。1915年(大正4年)7月、旧制第一高等学校の第三部医科を卒業し、東京帝国大学医科大学に入学するが、近眼のため医者になる道を断念して、同年10月文科大学に転学し、国史学を専攻した。文科大学では黒板勝美の指導を受け、1918年(大正7年)7月、卒業論文「江戸時代の漕運」を提出して史学科を卒業。この時はまでは関心の対象は交通史であり、考古学に深い関心を寄せてはいなかった。
林 義秀(はやし よしひで、1891年8月25日 - 197… 林 義秀(はやし よしひで、1891年8月25日 - 1978年2月5日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 和歌山県出身。林多十郎の二男として生まれる。和歌山中学校を経て、1914年5月、陸軍士官学校(26期)を卒業し、同年12月、歩兵少尉任官。歩兵第23連隊付となる。1923年11月、陸軍大学校(35期)を卒業した。 歩兵第23連隊中隊長、参謀本部付勤務、支那駐屯軍司令部付、参謀本部員、参謀本部付(チチハル駐在)、近衛歩兵第3連隊大隊長、関東軍司令部付(チチハル駐在)、兼黒竜江省警備軍顧問、近衛歩兵第3連隊付、支那駐屯軍司令部付(調査班長)、支那駐屯軍参謀、台湾軍参謀、対馬要塞参謀、高雄要塞司令官などを経て、台湾歩兵第1連隊長の際に日中戦争に従軍。
島田 兵蔵(しまだ ひょうぞう、1891年8月25日 - 1… 島田 兵蔵(しまだ ひょうぞう、1891年8月25日 - 1967年11月28日)は、日本の経営者、工学博士。中国電力初代社長。神奈川県川崎市出身。 1915年に早稲田大学電気科を卒業。浜田電気での勤務を経て、1936年6月に取締役に就任し、常務を経て、1942年4月に中国配電理事に就任し、1946年12月には社長に昇格。1951年5月に中国電力社長に就任。1961年10月に会長を経て、1964年11月には相談役に就任。 1955年11月に藍綬褒章を受章。 1967年11月28日胆嚢炎のために死去。76歳没。
杉村 沖治郎(すぎむら おきじろう、1890年〈明治23年〉… 杉村 沖治郎(すぎむら おきじろう、1890年〈明治23年〉8月25日 - 1955年〈昭和30年〉10月17日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員。 埼玉県賀美郡丹荘村元阿保(現:児玉郡神川町)で、杉村権治郎、トラ夫妻の五男として生まれる。1922年(大正11年)、日本大学法律科を卒業し弁護士となり、人権擁護、労働問題を中心に活動した。 司法行政中央監察委員会委員、労働者災害補償審査委員会委員、労働者災害保険審査委員会委員、東京地方裁判所調停委員、東京弁護士会常議員、日本弁護士協会理事、人権擁護委員会委員長などを歴任。 1929年(昭和4年)、四谷区会議員に当選した。戦後、日本社会党埼玉県連合会の結成に加わり副委員長となり、1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で埼玉県第3区から出馬したが落選。
岸田 久吉(きしだ きゅうきち、1888年8月25日 - 1… 岸田 久吉(きしだ きゅうきち、1888年8月25日 - 1968年10月4日)は、日本の動物学者。 研究の範囲は哺乳類から節足動物にいたる広範な分野におよび、晩年にいたるまで研究を続けた。 哺乳類については「樺太の哺乳動物相」(鳥獣集報. vol. 17 no. 2: 241-282. 1960年3月)、「千島群島の哺乳動物相」(鳥獣集報. vol. 17 no. 2: 283-306. 1960年3月)などを発表している。哺乳類学者としては、エゾオオカミ・キタキツネ・エゾナキウサギ・ホンシュウジカ等の命名をおこなっている。また、日本人初の哺乳類図説『哺乳動物図解』を刊行した。 農林技官として農業害虫やその駆除に貢献したが、それ以上に岸田の関心は陸上節足動物の中で人の関心を持たれない分野に集中し、クモ目やダニ目、ザトウムシなどの日本における先駆者である。
毛利 宮彦(もうり みやひこ、1887年(明治20年)8月2… 毛利 宮彦(もうり みやひこ、1887年(明治20年)8月25日 - 1957年(昭和32年)1月27日)は、日本の図書館学者、早稲田大学図書館員・講師。日本の図書館学の創成に大きく関わる草分けの1人であり、早稲田大学新図書館の設計図案を作成するなど図書館施設・設備にも高い関心を示した。 1887年8月25日、士族である毛利義保・鋺子の子として愛知県に生まれる。 1912年、早稲田大学大学部文学科英文学科第一部を卒業し、早稲田大学図書館の図書館員となる。1915年5月から1916年7月まで、図書館・大学研究室制度の研究のためにニューヨーク公共図書館附属ライブラリースクールに留学する。帰国した後、1916年10月9日から山形県山形市で開催された第11回全国図書館大会において「個人と公衆図書館」という演題で講演を行う。
澤口 フク(さわぐち フク、1886年(明治19年)8月25… 澤口 フク(さわぐち フク、1886年(明治19年)8月25日 - 1972年(昭和47年)12月24日)は、日本の政治家。秋田県仙北郡中川村(のち角館町を経て、現・仙北市)長。秋田県議会議員(3期)。 秋田県仙北郡荒川村(のち協和村→協和町を経て、現・大仙市)生まれ。秋田女子師範学校(現・秋田大学教育文化学部)を経て、日本音楽学校に入る。その後、帰郷し、1911年に中川村の澤口朝治と結婚する。朝治は後に中川村長となる。 1947年、公職追放となった夫に代わり、中川村長選挙に立候補し、当選。秋田県では初の女性村長となった。同時に秋田県議会議員選挙に仙北郡選挙区から秋田県民主党から立候補し、当選した。
酒井 忠純(さかい ただひさ、1886年(明治19年)8月2… 酒井 忠純(さかい ただひさ、1886年(明治19年)8月25日 - 1964年(昭和39年)7月5日)は、昭和時代前期の銀行家、軍人、陸軍中尉・従七位、考古学研究家。荘内銀行初代頭取。庄内民俗学会会長、山形県文化財保護協会理事。幼名は徳太郎、号は松堂。 最後の藩主である酒井忠宝の長男として鶴岡郊外大宝寺村(現:鶴岡市)で生まれる。若い頃から考古学に興味を持ち、庄内各地を踏査し、史料収集につとめ、長年にわたり遺跡・遺物の調査と保存につとめた。その一方で、金融界でも活躍し、1939年(昭和14年)9月に菅實のあとを受け、六十七銀行頭取に就任し、41年4月には合併後の荘内銀行頭取に推され、44年10月まで在任し、48年10月までは会長を務めた。
赤沼 智善(あかぬま ちぜん、1884年(明治17年)8月2… 赤沼 智善(あかぬま ちぜん、1884年(明治17年)8月25日 - 1937年(昭和12年)11月30日)は日本の仏教学者、専攻は原始仏教。大谷大学教授。 1884年(明治17年)、新潟県長岡市上田町の願浄寺で生まれた。真宗大学に入学し、仏教学を学んだ。1909年、同郷の山辺習学と共に浩々洞同人となり、清沢満之の下で学んだ。真宗大学研究科を卒業後、山辺習学と共に仏教研鑽のためにインド、セイロンに留学し、イギリスを経て1919年に帰国。 同1919年9月、真宗大学教授に任じられた。大学では、原始仏教ならびにパーリ語を講じた。在職中は、同大学図書館長なども務めた。1921年、国際的視野をもった鈴木大拙、佐々木月樵らとともに、仏教本来の意義を欧米に伝えることを主な目的として"東方仏教徒協会"(The Eastern Buddhist Society)を設立。
上原 轍三郎(うえはら てつさぶろう、1883年8月25日 … 上原 轍三郎(うえはら てつさぶろう、1883年8月25日 - 1972年2月27日)は、日本の農業経済学者・教育者。専門は、拓殖学(植民学)・開発政策・北海道開拓史。学校法人北海学園理事長・北海学園大学初代学長・北海学園大学短期大学部初代学長等を歴任。 1883年、広島県山県郡南方村(現・北広島町)で生まれた。旧制日彰館中学(現広島県立日彰館高校)を経て、1905年に札幌農学校に入学。農学校では高岡熊雄に師事した。同校は東北帝国大学農科大学に改組となり、1912年に東北帝国大学農科大学(現・北海道大学農学部)を卒業。 1912年、東北帝国大学農科大学助手に採用された。1914年、東北帝国大学農科大学助教授に昇格。
蒔田 広城(まいた ひろなり、旧字体: 蒔田 廣城、1881… 蒔田 広城(まいた ひろなり、旧字体: 蒔田 廣城、1881年(明治14年)8月25日 - 1943年(昭和18年)3月18日)は、大正から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院子爵議員。幼名・新之助。 元伊予宇和島藩主・伊達宗城の十一男として生まれ、子爵・蒔田広孝の養子となる。養父の隠居に伴い、1912年(明治45年)7月20日に子爵を襲爵した。 学習院を経て、京都帝国大学法科大学を修了。1911年、アメリカ合衆国を視察。帰国後、小田原急行沿線企業の重役を務めた。 1919年(大正8年)12月26日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、1925年(大正14年)7月9日まで在任。さらに、1932年(昭和7年)7月10月、貴族院子爵議員に当選し、研究会に所属して活動し1939年(昭和14年)7月9日まで通算2期在任した。
埴原 正直(はにはら まさなお、1876年〈明治9年〉8月2… 埴原 正直(はにはら まさなお、1876年〈明治9年〉8月25日 - 1934年〈昭和9年〉12月20日)は、日本の外交官。外務次官、駐アメリカ大使、ワシントン会議全権委員。位階および勲等は正三位・勲一等。洋画家の埴原久和代は妹。 山梨県中巨摩郡源村(現・南アルプス市)生まれ。1897年(明治30年)に東京専門学校卒業後は東洋経済新報社に勤務し、日本最初の外交専門誌『外交時報』を刊行する。 翌1898年(明治31年)に第7回外交官及領事官試験に合格し外務省に入省。同期に田中都吉、本多熊太郎らがいる。清国(現・中国)アモイ領事館補を皮切りに、以降順調に昇進を果たす。外務次官時代には当時の海軍大臣・加藤友三郎や駐アメリカ大使・幣原喜重郎とともにワシントン会議の全権委員に選任された。
山田 美妙(やまだ びみょう、1868年8月25日(慶応4年… 山田 美妙(やまだ びみょう、1868年8月25日(慶応4年7月8日) - 1910年(明治43年)10月24日)は、日本の小説家・詩人・評論家。言文一致体および新体詩運動の先駆者として知られる。二世曲亭主人、美妙斎、美妙子、樵耕蛙船、飛影などの号も用いた。
乗松 雅休(のりまつ まさやす、文久3年7月12日(1863… 乗松 雅休(のりまつ まさやす、文久3年7月12日(1863年8月25日) - 大正10年(1921年)2月12日)は、日本のプロテスタント最初の海外宣教師。 伊予松山藩士の子供として生まれた。旧制松山中学を卒業して20代で上京して神奈川県庁に就職。1887年日本基督公会で、稲垣信牧師から洗礼を受けた。その後、明治学院に入学したとされるが、乗松の在学を証明する証拠はない。神学生時代、乗松は日本基督教会で奉仕していた。 1888年11月、イギリスから来日したプリマス・ブレザレンの宣教師ハーバード・ブランドは教会組織や信条を拒否する活動を開始していた。1889年10月以降、ブランドは聖餐を伴う礼拝を始め、キリスト同信会が誕生する。
松田 協輔(まつだ きょうすけ、文久2年8月1日(1862年… 松田 協輔(まつだ きょうすけ、文久2年8月1日(1862年8月25日) - 没年不詳)は、日本の検事。広島県尾道市長。 周防国佐波郡串村(現在の山口県山口市)出身。1885年(明治18年)に司法省法学校を卒業し、翌年に広島始審裁判所詰の検事補となった。1887年(明治20年)、判事登用試験に合格し、検事となった。以後、広島地方裁判所検事、尾道区裁判所検事、広島控訴院検事、佐賀地方裁判所検事正、名古屋控訴院検事、仙台地方裁判所検事正、長崎控訴院検事、福岡地方裁判所検事正、名古屋地方裁判所検事正、樺太地方裁判所検事正、広島地方裁判所検事正、長崎地方裁判所検事正、安濃津地方裁判所検事正、大審院検事などを歴任した。
高橋 久次郎(たかはし きゅうじろう、1858年8月25日(… 高橋 久次郎(たかはし きゅうじろう、1858年8月25日(安政5年7月17日)- 1926年(大正15年)6月11日)は、明治から大正時代の政治家。衆議院議員(5期)。 高橋佐十郎の子として、出雲松江藩領神門郡稗原村(島根県神門郡稗原村、簸川郡稗原村を経て現出雲市)に生まれる。奉緘斎の門に入り漢籍を修めた。農業を営む傍ら、1876年(明治9年)第四十八区戸長に就任し、1881年(明治14年)稗原村戸長に転じた。1884年(明治17年)郡民より推され、島根県会議員に当選し、同常置委員を務めた。ほか、簸川郡会議員、同議長、道路会議議員、郡農会長、郡蚕業同業組合長、郡青年農業団総裁を歴任した。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では島根県第3区から出馬し当選。
白井 久井(しらい ひさい、嘉永2年7月8日(1849年8月… 白井 久井(しらい ひさい、嘉永2年7月8日(1849年8月25日) - 大正元年(1912年)9月10日)は、婦人運動家、庄内婦人会会長。出羽国庄内(現在の山形県鶴岡市)出身。
井上 勝(いのうえ まさる、天保14年8月1日(1843年8… 井上 勝(いのうえ まさる、天保14年8月1日(1843年8月25日) - 明治43年(1910年)8月2日)は、日本の幕末から明治にかけて活躍した武士(長州藩士)、官僚。正二位勲一等子爵。幼名は卯八(うのはち)、通称は弥吉(やきち)。鉄道発展に寄与し、日本の鉄道の父と呼ばれる。長州五傑の1人。ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン卒業。
宮島 誠一郎(みやじま せいいちろう、天保9年7月6日〈18… 宮島 誠一郎(みやじま せいいちろう、天保9年7月6日〈1838年8月25日〉 - 1911年〈明治44年〉3月15日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけて活躍した官僚・政治家。元米沢藩士。位階および勲等は従四位・勲四等。 幼名は熊蔵。諱は吉久。号は栗香、養浩堂など。幕末に締結された奥羽越列藩同盟交渉時に中心的な役割を果たしたほか、明治維新後は自由民権運動に先駆けていち早く憲法制定・議会開設の建白を行い、また後にアジア主義団体「興亜会」設立に関わった。その膨大な日記・記録類は現在でも貴重な史料となっている。子に書家・中国語研究で知られる宮島大八(詠士)がいる。「米沢海軍」の立役者である小森沢長政は弟。
石井 武膳(いしい ぶぜん、文政2年7月5日(1819年8月… 石井 武膳(いしい ぶぜん、文政2年7月5日(1819年8月25日)- 明治14年(1881年)10月17日)は、庄内藩士、大泉藩権少参事。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
稚野 鳥子(ちや とりこ、8月25日 - )は、日本の漫画家… 稚野 鳥子(ちや とりこ、8月25日 - )は、日本の漫画家。血液型はO型。代表作は『天国の花』、『クローバー』など。 1984年女子美術短期大学(現・女子美術大学短期大学部)卒業後、ホテルグループOLを経て、1987年に『ぶ〜け』(集英社)まんが家養成コース長編部門第2席。その後『ぶ〜け』1988年11月号に掲載された「半透明のトビラ」で漫画家デビュー。 『ぶ〜け』『コーラス』『Cocohana』(いずれも集英社)や『Kiss』(講談社) などで活動。 1997年から連載の『クローバー』は、ホテル会社に勤めるOLを主人公としており、自身の経験が反映された作品。同作連載中に利き手を痛め長期休載した。
岡本 育子(おかもと いくこ、8月25日 - )は関西を中心… 岡本 育子(おかもと いくこ、8月25日 - )は関西を中心に活動する女性フリーアナウンサー、フリーライター(スポーツライター)、ラジオパーソナリティである。身長153cm。兵庫県加古川市出身、兵庫県西宮市在住。松蔭女子学院短期大学卒業。 MBSラジオでは、プロ野球中継のスタジオアシスタントや、太田幸司(毎日放送野球解説者)がパーソナリティを務めるスポーツ情報番組『太田幸司のスポーツナウ』のアシスタントを長らく担当した。同番組の終了(2005年4月)を機に同局の番組から離れていたが、2016年3月1日(火曜日)に生放送の『with Tigers MBSベースボールパーク みんなでホームイン!』で、電話を通じて11年振りに出演した。
池田 建太(いけだ けんた、8月25日 - )は日本の演出家… 池田 建太(いけだ けんた、8月25日 - )は日本の演出家、劇作家、作詞家、俳優、殺陣道場宗家。 出生地は東京都葛飾区。 ・合同会社ケルスプロモーション代表および総合プロデューサー ・劇団SAKURA前戦の代表および演出、俳優、殺陣振り付け ・士剣流殺陣道場 宗家 ・不知火シリーズ「花てまり」「鳥かぐら」「仇討ち・しぐれ傘」 ・パンドラの乙女たち ・幕末疾風伝MIBURO~壬生狼~ おもに代表を務める「劇団SAKURA前戦」のアトリエ公演作品として執筆。 ・うっかりあきらのさわやか青春日記(1999年) ・ヒーロー列伝(1999年) ・ファンタスティック☆らんぷ(2000年) ・サイボーグあかり(2003年) ・ベースマン(2003年) ・THE 射的!!!(2004年) ・☆闘源郷☆(2007年) ・宝塚ドリーム(2008年) ・ハッピー同窓会(2013年) ・ヒーロー列伝改訂版(2015年) ・1999年9月 紫雲の涯て(NTT夢天神ホール)‐ 武蔵坊弁慶 ・2000年4月 Heart Land~あなたがいた風景~(NTT夢天神ホール)- 新三郎、立花(二役) ・2001年2月 紫雲の涯て2001(NTT夢天神ホール)‐ 武蔵坊弁慶 12月 ポセイドンの娘(NTT夢天神ホール)- シュウジ ・2002年5月 ポセイドンの娘(NTT夢天神ホール)- シュウジ 10月 サンセットシンドローム(スカラエスパシオ)- 土方歳三 11月 紫雲の涯て(福岡市立平尾中学校)- 武蔵坊弁慶 ・2003年5月 サンセットシンドローム(福岡市早良市民センター)- 土方歳三 11月 サンセットシンドローム|筑陽学園創立記念公演(福岡サンパレス)- 土方歳三 ・2004年6月 永遠 -えいえん-(福岡市中央市民センター)- 黒崎 9月 永遠 -えいえん-(NTT夢天神ホール)- 黒崎 ・2005年6月 紫雲の涯て2005(福岡市早良市民センター)- 武蔵坊弁慶