及川 昭伍(おいかわ しょうご、1932年〈昭和7年〉3月2… 及川 昭伍(おいかわ しょうご、1932年〈昭和7年〉3月29日 - 2020年〈令和2年〉2月14日)は、日本の官僚。元国民生活センター理事長、元経済企画庁総合計画局長。岩手県盛岡市出身。
3月29日生まれ:322人
及川 昭伍(おいかわ しょうご、1932年〈昭和7年〉3月2… 及川 昭伍(おいかわ しょうご、1932年〈昭和7年〉3月29日 - 2020年〈令和2年〉2月14日)は、日本の官僚。元国民生活センター理事長、元経済企画庁総合計画局長。岩手県盛岡市出身。
大内 和臣(おおうち かずおみ、1932年3月29日- )は… 大内 和臣(おおうち かずおみ、1932年3月29日- )は、日本の法学者。専門は国際法。学位は法学博士。元中央大学教授。元西南学院大学教授。福岡県出身。
水野 敬三郎(みずの けいざぶろう、1932年3月29日- … 水野 敬三郎(みずの けいざぶろう、1932年3月29日- )は、日本の仏像美術史学者、東京芸術大学名誉教授、新潟県立近代美術館名誉館長。
岡田 恵美子(おかだ えみこ、1932年3月29日 - )は… 岡田 恵美子(おかだ えみこ、1932年3月29日 - )は、ペルシア文学者、元東京外国語大学教授。夫は十八世紀フランス文学者の岡田直次。 東京生まれ。旧姓は中村。1955年東京学芸大学国語科卒業、中学校の国語教師を務めた後、1963年に31歳でテヘラン大学に留学、1967年、同大学で日本人で初めて文学部博士課程修了、文学博士号を取得する。帰国後、NHK国際局非常勤(1967年)、東海大学講師のほか、1967年東京外国語大学講師、1982年助教授、同年『イラン人の心』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。1988年教授、のち中央大学客員教授を経て総合政策学部教授、退職後は日本イラン文化交流協会会長。
宮崎 礼子(みやざき れいこ、1931年3月29日 - )は… 宮崎 礼子(みやざき れいこ、1931年3月29日 - )は、日本の家政学者、日本女子大学名誉教授。 佐賀県佐賀市生まれ。1952年日本女子大学家政学部児童学科卒、同農家生活研究所研究員、1966年日本女子大専任講師、助教授、1980年教授。農村生活改善普及事業に草創期から関わり、「〔一家に1枚、フライパンを持とう〕という合い言葉によって食生活の向上、家族関係などの変革」をも目指したという。国連女性の10年には丸岡秀子の共同研究者として成果を『変貌する農村と婦人』に寄稿した。 日本女子大学在職中は同学図書館友の会の活動に参加、1999年定年、名誉教授。 生活経済学会会員として2000年に第15回研究大会準備委員長を務める。
岸 曉(きし さとる、1930年(昭和5年)3月29日 - … 岸 曉(きし さとる、1930年(昭和5年)3月29日 - 2019年(令和元年)11月15日)は、日本の銀行家。東京三菱銀行頭取、全国銀行協会連合会会長、成蹊学園理事長等を歴任した。 群馬県出身。東京大学経済学部卒業後、三菱銀行に入行。柏支店長、支店、調査各部副部長、八重洲通り支店長、支店部副部長、業務第一、業務企画、総合企画各部長を歴任。 1983年6月取締役に選任。常務、専務を経て、副頭取時代には東京銀行との合併にあっては統合作業を主導し、1996年4月に東京三菱銀行を発足させた。 1998年に頭取に就任。同年に発覚した大手銀行等による大蔵官僚らに対する過剰接待汚職事件では、全銀協会長として、銀行業界が厳しい批判にさらされる矢面に立った。
堤 玲子(つつみ れいこ、1930年3月29日 - )は、日… 堤 玲子(つつみ れいこ、1930年3月29日 - )は、日本の作家・詩人。本名・浅野孝子、のち渋谷姓。 岡山市の貧家に生まれる。1946年就実高等女学校(現・就実中学校・高等学校)卒。終戦直後には岡山駅前で体を売った。自動車組合に就職後、『近代詩人』同人となる。1951年庭瀬駅売店店員となる。1954年結婚。1957年タムタム芸術集団(のち「総合芸術」)同人となり編集長・北田玲一郎のもとで詩を書く。1965年「石原慎太郎論」を書き話題となる。1967年、貧困と性にまみれた自伝的小説『わが闘争』を刊行、ベストセラーになり、佐久間良子主演・中村登監督で松竹で映画化もされ、岡山でロケも行われた。
浅倉 久志(あさくら ひさし、本名:大谷善次、1930年3月… 浅倉 久志(あさくら ひさし、本名:大谷善次、1930年3月29日 - 2010年2月14日)は、日本の翻訳家。 SF作品の翻訳で著名であり、特にカート・ヴォネガット、フィリップ・K・ディック、ウィリアム・ギブスンの作品を多く翻訳している。 また、同業者の伊藤典夫と共に、R・A・ラファティ、コードウェイナー・スミス、ジェイムズ・ティプトリー・Jr.といった異色の実力派作家を日本に紹介した。カート・ヴォネガット・ジュニアの作品も、伊藤と分担して翻訳・紹介した。 日本の代表的な海外SF翻訳家の一人である。なお、エッセイ集によると日本から外に出たことはないという。日本SF作家クラブ会員。 大阪府大阪市出身。
若泉 敬(わかいずみ けい、1930年(昭和5年)3月29日… 若泉 敬(わかいずみ けい、1930年(昭和5年)3月29日 – 1996年(平成8年)7月27日)は、日本の国際政治学者。元京都産業大学法学部教授。 沖縄返還交渉において、佐藤栄作の密使として重要な役割を果たした。1994年(平成6年)自著『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』で沖縄返還に関わる「核密約」が存在していたことを暴露し、2年後に自殺した。 福井県今立郡服間村(現越前市横住)で、父・齊と母・マツエの長男として生まれる。服間尋常小学校卒業後、福井青年師範学校に進学し、後に妻となる根谷ひなをと出会う。1949年(昭和24年)、師範学校本科を卒業し、明治大学政治経済学部政治学科に進学するが、1年後の1950年(昭和25年)、東京大学文科一類を受験し合格。
辻 茂(つじ しげる、1930年3月29日 -2017年7月… 辻 茂(つじ しげる、1930年3月29日 -2017年7月2日)は、日本の美術史学者。東京藝術大学名誉教授。西洋美術史専攻。 福井県敦賀市出身。東京藝術大学美術学部藝術学科卒。イタリアに留学後、同大で教え、日本におけるイタリア美術史の権威の一人として指導に当たった。東京藝術大学美術学部助教授、教授。1997年定年退官、名誉教授。1996年『遠近法の発見』でマルコ・ポーロ賞受賞。ルネサンス期の遠近法の研究で知られた。 2011年11月瑞宝中綬章受章。 退官後はイタリアで在住していた。肺炎のため、入院先のイタリア中部オルビエトの病院で亡くなった。
岡田 光正(おかだ こうせい、1929年3月29日 - )は… 岡田 光正(おかだ こうせい、1929年3月29日 - )は、日本の建築学者。工学博士(京都大学)。大阪大学名誉教授、元大阪工業大学建築学科教授。日本建築協会元編集理事。 専門は、建築人間工学・群衆安全工学(特に災害の避難シミュレーション・安全性評価や群集流動、滞留人口など)、建築計画・都市計画。 高知県に生まれる。1952年京都大学工学部建築学科卒業。のちに、工学博士(京都大学)。清水建設勤務を経て京都工芸繊維大学講師、1962年大阪大学工学部助教授。1967年同大学工学部教授。1992~1997年大阪工業大学工学部建築学科教授。 建築人間工学・群衆安全工学のパイオニアである。大阪大学工学部をメインに41年の長きにわたり教育・研究に従事、建築・都市人間工学領域(講座)を担当。
佐久間 甫(さくま はじめ、1929年3月29日- )は、… 佐久間 甫(さくま はじめ、1929年3月29日- )は、日本の経営者。新キャタピラー三菱社長を務めた。 広島県出身。1952年に東京大学工学部機械工学科を卒業し、同年に東日本重工業(のちの三菱重工業)に入社。 1986年6月に取締役に就任し、1988年6月に常務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1993年6月には新キャタピラー三菱社長に就任。1997年6月には相談役に就任 1996年11月に藍綬褒章を受章。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
岡村 宏一(おかむら ひろかず、1928年3月29日 - )… 岡村 宏一(おかむら ひろかず、1928年3月29日 - )は、日本の土木工学者。工学博士(大阪市立大学)。大阪工業大学名誉教授・構造実験センター(現:八幡工学実験場)第2代所長。 専門は、構造解析、構造工学(複合構造・コンクリート工学)、建設システム工学・橋梁工学、社会基盤マネジメント・維持管理工学。 1952年大阪大学工学部構築工学科卒業。のちに、大阪市立大学(現:大阪公立大学)大学院にて工学博士(大阪市立大学)。同大学工学部助手などを経て、1962年大阪工業大学工学部土木工学科講師、土木工学教室を担当。1965年同学科助教授。同学科教授を経て、1988年大阪工業大学構造実験センター(現:八幡工学実験場)第2代所長(初代所長は伊藤冨雄)。
樋口 和彦(ひぐち かずひこ、1927年3月29日 - 20… 樋口 和彦(ひぐち かずひこ、1927年3月29日 - 2013年8月25日)は、日本の宗教心理学者、同志社大学名誉教授。京都文教大学学長。 横浜市生まれ。本籍は佐賀県。青山学院専門学校英文科卒、1955年同志社大学神学部卒業、1957年同大学院神学研究科修士課程修了。 米国ボストンのアンドーヴァー・ニュートン神学校(英語版)で修士課程、博士課程修了、ドクター・オブ・ミニストリー。1961年同志社大学神学部助手、専任講師、1965年助教授、1970年教授、1971-1973年、1980-1983年神学部長、学術情報センター所長、1969-1973年学校法人同志社理事、評議員。 1998年定年、名誉教授、京都文教大学教授、学長。
森 芳茂(もり よしたか、1927年(昭和2年)3月29日 … 森 芳茂(もり よしたか、1927年(昭和2年)3月29日 - 2012年(平成24年))は日本の病理学者。兵庫医科大学名誉教授。 1952年(昭和27年)3月、京都大学医学部を卒業。1958年(昭和33年)、神戸医科大学(現・神戸大学医学部)より医学博士号を取得した。 神戸大学医学部助教授、兵庫医科大学教授を経て、1995年(平成7年)4月より兵庫医科大学名誉教授。 2012年(平成24年)逝去。 曽祖父は日本画家の森寛斎、祖父は日本画家の森雄山、父は日本画家の森公挙、子は心理学者で甲南大学教授の森茂起。花園大学歴史博物館2001年度秋季特別展『森寛斎と森派の絵画』の開催にも協力した。
内藤 明人(ないとう あきと、本名・内藤 進、ないとう すす… 内藤 明人(ないとう あきと、本名・内藤 進、ないとう すすむ、1926年3月29日 - 2017年3月20日)は、日本の経営者、リンナイ株式会社社長、会長や、社団法人日本ガス石油機器工業会会長、中部経済同友会代表幹事、名古屋商工会議所副会頭などを歴任した。 愛知県名古屋市生まれ。父は、林兼吉とともに林内商会(後の林内製作所〜リンナイ)を創業した内藤秀次郎で、その三男として生まれた。旧制明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)、旧制第八高等学校から東京大学工学部に進んで、機械工学を学び、村田一、山口開生、石川六郎らと交わる。卒業後は大企業へ就職するつもりだったが、兄が第二次世界大戦で戦死したため事業の後継者と期待され、1948年に大学を卒業し、林内商会に入社した。
伊藤 白潮(いとう はくちょう、1926年3月29日 - 2… 伊藤 白潮(いとう はくちょう、1926年3月29日 - 2008年8月12日)は、俳人。 千葉県横芝町(現・横芝光町)生まれ。本名・和雄。千葉大学教育学部卒。1948年田中午次郎に師事。50年『鴫』同人。75年『鴫』を復刊し、主宰となる。俳人協会評議員、市川市俳句協会会長。
大沢 浄二(おおさわ じょうじ、1925年3月29日 - … 大沢 浄二(おおさわ じょうじ、1925年3月29日 - (2020-07-22) 2020年7月22日(95歳没))は、日本のソングライター。群馬県太田市出身。本名:大澤 浄八。1954年、東京音楽大学卒。 作曲家デビューは、1957年の水原淳歌唱「おーィお月さん」。水原には後に「ふるさと航路」「元気でナ達者でナ」「山家つばき」などを提供。水原は一歳年上である。水原は2019年3月25日、95歳で死去した。
鈴木 久男(すずき ひさお、1924年3月29日 - 200… 鈴木 久男(すずき ひさお、1924年3月29日 - 2005年9月12日)は日本の数学者、珠算史研究家、国士舘大学名誉教授。 大正13年(1924年)3月29日、東京府南足立郡(現、東京都足立区)に生まれた。昭和25年(1950年)、専修大学商経学部商業学科卒業。昭和33年(1958年)、文部省より珠算史の研究で大学講師の認定を受け、昭和35年(1960年)、国士舘大学政経学部講師。昭和44年(1969年)、同助教授。昭和49年(1974年)同教授。昭和51年(1976年)、日本大学文理学部国文学科卒業。平成5年(1993年)、国士舘大学定年退職、名誉教授の称号を受ける。平成14年(2002年)、勲四等旭日小綬章を受章。
森川 保治(もりかわ やすはる、1924年〈大正13年〉3月… 森川 保治(もりかわ やすはる、1924年〈大正13年〉3月29日 - 2013年〈平成25年〉2月1日)は、日本の政治家。奈良県大和高田市長(3期)。位階は従五位。 奈良県出身。天理外国語専門学校(現天理大学)卒。森川商会を経営し、会長となる。ほか旭光コンクリート工業社長、大和高田商工会議所顧問、奈良新聞政経懇話会会員、社会福祉法人理事長、大和高田市教育委員長、奈良地裁調停委員などを務めた。 1979年大和高田市長選挙に立候補し、当選する。市長を3期務め、1991年に退任する。 1993年大和高田商工会議所会頭に就任。1997年勲三等瑞宝章を受章。2013年死去。死没日付をもって正八位から従五位に進階した。
楠田 丘(くすだ きゅう、1923年3月29日 - )は、日… 楠田 丘(くすだ きゅう、1923年3月29日 - )は、日本の官僚、労働問題研究者。 熊本県出身。1948年九州帝国大学理学部数学科卒、労働省に入り、1962年統計業務指導官、1965年経済企画庁経済研究所主任研究官、1968年アジア経済研究所主任調査研究員、1970年退官、日本賃金センター研究主任、1981年代表幹事。1980年日本生産性本部理事、1984年日本雇用処遇センター所長。1994年産労総合研究所。日本賃金研究センター代表幹事。
森 光明(もり みつあき、1923年(大正12年)3月29日… 森 光明(もり みつあき、1923年(大正12年)3月29日 - 1992年(平成4年)1月11日)は、日本の実業家。オリエンタルランド第3代代表取締役社長。徳島県徳島市幸町出身。 1946年に京都帝国大学経済学部卒業と同時に三井物産に入社するも三井財閥解体のため、1年で退社。その後、1947年9月に知人の勧めで日本興業銀行に入行。1973年に仙台支店長就任。 1975年に関連会社の常和興産常務取締役に就任。1979年に同社の専務取締役を経て、1980年にオリエンタルランドの専務取締役に転身し東京ディズニーランド建設に参加。 1988年4月に高橋政知代表取締役社長の妻・弘子が心臓病の悪化した事をきっかけに、同年6月25日付で同社の3代目代表取締役社長に就任。
須藤 出穂(すどう いずほ、1923年(大正12年)3月29… 須藤 出穂(すどう いずほ、1923年(大正12年)3月29日 - 1998年(平成10年)7月10日)は、日本の脚本家。 東京出身。当時、富岡に疎開していた陸軍中野学校に入学し終戦を迎える。東京大学に入学し、1950年文学部国史学科卒業。在学中の1949年にNHK専属ライター室に入り、ラジオドラマを手がける。その後、テレビドラマにも進出。1989年には、準公選制で選ばれ中野区教育委員に就任した。「風の会」会長。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
本田 実信(實信)(ほんだ みのぶ、1923年 <大正12年… 本田 実信(實信)(ほんだ みのぶ、1923年 <大正12年> 3月29日 - 1999年 <平成11年> 1月6日)は、日本の東洋史学者。文学博士(ケンブリッジ大学・1957年)。京都大学名誉教授。北海道大学教授・京都大学教授・名古屋商科大学教授を歴任。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 1923年、愛知県岡崎市生まれ。1949年東京帝国大学文学部東洋史学科を経て、東京大学大学院修了。1957年、ケンブリッジ大学に学位論文を提出して文学博士(Ph.D.)を取得。 英国留学からの帰国後、モンゴル帝国史、ティムール朝史、サファヴィー朝史等のペルシア語写本を中心とする重要写本のマイクロフィルムを大量に招来した。
小川 省吾(おがわ しょうご 1922年〈大正11年〉3月2… 小川 省吾(おがわ しょうご 1922年〈大正11年〉3月29日 - 1993年〈平成5年〉12月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期、日本社会党)、群馬県議会議員(2期)。 群馬県新田郡生品村(現・太田市)に生まれる。旧制太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)を卒業後、外務省の留学生として北京へ留学する。1943年(昭和18年)に北京大学法学院を卒業。外務省北京日本大使館文化局に勤務し、中国で終戦を迎えた後は復員事務に従事する。 帰国後は進駐軍の通訳などとして勤務したのち、1948年(昭和23年)から群馬県庁職員として勤務する。1958年(昭和33年)県労農会議理事、1961年(昭和36年)県衛生民生部世話課援護係長。
吉村 励(よしむら つとむ、1922年3月29日 - 202… 吉村 励(よしむら つとむ、1922年3月29日 - 2020年1月3日)は、日本の経済学者。大阪市立大学名誉教授。専門は、賃金論・労働運動・社会政策。 大阪商科大学卒、1948年副手、1949年大阪市立大学経済学部助手、講師、助教授、教授、1971年「現代の賃金問題」で、大阪市立大学より経済学博士の学位を取得。85年定年退官、名誉教授、奈良産業大学教授、97年退職。部落解放研究所労働部長。
杉渓 一言(すぎたに きよとき、1922年(大正11年)3月… 杉渓 一言(すぎたに きよとき、1922年(大正11年)3月29日 - )は、日本の心理学者、日本女子大学名誉教授。 東京生まれ。男爵・杉渓由言の長男。1947年東京帝国大学文学部心理学科卒。1949年同大学院(旧制)修了。1951年横浜国立大学講師、1957年助教授、1964年日本女子大学助教授、1965年教授、1992年定年退任、名誉教授。1998年勲三等瑞宝章受勲。 2022年11月に100歳記念講演会を行なった。
川手 良萬(かわて よしかず、1920年3月29日 - 1… 川手 良萬(かわて よしかず、1920年3月29日 - 1986年10月18日)は、日本の実業家。山梨県建設業協会会長、山梨県サッカー協会会長。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するヴァンフォーレ甲府の前身である甲府サッカークラブの創始者でもある。 山梨県北巨摩郡若神子村(現在の北杜市須玉町)生まれ。父の川手良雄は小学校長や無尽会社の支店長などを歴任した。長兄の川手良親は山梨県土木部長や須玉町長を務めた。良雄の従姉の夫は、昭和初期に衆議院議員を務めた川手甫雄 。 旧制甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校、以下「甲府一高」と記述)に進学しサッカー部に所属していた。山梨高等工業学校(現在の山梨大学工学部)を卒業後、山梨県土木課に勤務した。
伊藤 三郎(いとう さぶろう、1920年(大正9年)3月29… 伊藤 三郎(いとう さぶろう、1920年(大正9年)3月29日 – 1997年(平成9年)10月16日)は、日本の政治家。神奈川県川崎市長(第7・8・9・10・11代)、全国革新市長会会長等を歴任した。位階は正四位。 千葉県成田市生まれ。1940年早稲田高等工学校(現早稲田大学)を卒業後、逓信省航空局に入省。第二次世界大戦での兵役を経て、敗戦後の1951年に川崎市役所に就職。技術吏員を振り出しに、職員組合委員長、労働組合連合会委員長、自治労神奈川県本部委員長等を経て、1971年の川崎市長選挙に日本社会党・日本共産党の推薦を受けて出馬し、7期目の当選を目指していた保守系の現職・金刺不二太郎を破り、初当選を果たす。
藤井 和郎(ふじい かずろう、1919年3月29日 - 20… 藤井 和郎(ふじい かずろう、1919年3月29日 - 2012年8月29日)は、日本の経営者。不二家社長、会長を務めた。神奈川県横浜市出身。 1937年に東京府立第一商業学校を卒業し、同年に不二家に入社。1946年に取締役に就任し、1970年に専務を経て、1985年に社長に就任し、1989年には会長に就任。 1994年には勲三等瑞宝章を受章。 2012年8月29日心不全で在任中に死去。93歳没。
川口 武彦(かわぐち たけひこ、1918年3月29日 - 1… 川口 武彦(かわぐち たけひこ、1918年3月29日 - 1998年12月29日)は、日本の経済学者、社会運動家。元九州大学教授。元社会主義協会代表。経済学のほか、堺利彦、山川均など労農派を中心とした初期社会主義研究でも功績を残した。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
小野 晋(おの すすむ、1918年3月29日 - 2001年… 小野 晋(おの すすむ、1918年3月29日 - 2001年9月20日)は、日本の経営者。日本郵船社長、会長を務めた。大分県出身。 1941年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に日本郵船に入社。1969年5月に取締役に就任し、1971年5月に常務、1975年5月に専務を経て、1976年5月に副社長に就任し、1978年6月には社長に昇格。1984年6月に会長に就任し、1989年6月に相談役に就任。 1980年4月に藍綬褒章を受章し、1988年4月に勲二等旭日重光章を受章。 2001年9月20日に肺炎によって死去。83歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
坊城 俊民(ぼうじょう としたみ、1917年〈大正6年〉3月… 坊城 俊民(ぼうじょう としたみ、1917年〈大正6年〉3月29日 - 1990年〈平成2年〉4月6日)は、日本の国文学者、教育者。 東京市にて、堂上華族の嫡子として誕生。父・坊城俊良(としなが)は伯爵で宮内官。母は子爵入江為守の娘・朔子(叔父に、昭和天皇の侍従長を務めた入江相政)。神田区駿河台と麻布区笄町に育つ。 1935年(昭和10年)から翌年にかけ、親友・長與道夫の叔父・長與善郎(作家)の邸宅にて、中世国文学の研究者風巻景次郎の指導で源氏物語を初めて読み、文学的に大きな影響を受ける。 学習院では文芸部委員をつとめ、校友会誌『輔仁会雑誌』に詩や散文を発表すると共に、文芸部発行の「雪線」誌に自伝的小説『鼻と一族』などを発表。
川本 信彦(かわもと のぶひこ、1917年3月29日 - 2… 川本 信彦(かわもと のぶひこ、1917年3月29日 - 2011年8月21日)は、日本の経営者。小西六写真工業(現在のコニカミノルタ)社長、会長を務めた。兵庫県出身。 1939年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に三菱銀行に入行。 1968年5月に小西六写真工業取締役に就任し、1970年5月に常務、1973年11月に専務を経て、1978年12月に副社長に就任し、1979年12月には社長に昇格。1983年12月から1989年3月までに会長を務めた。 2011年8月21日老衰のために死去。94歳没。
夏川 鉄之助(なつかわ てつのすけ、1917年(大正6年)3… 夏川 鉄之助(なつかわ てつのすけ、1917年(大正6年)3月29日 - 2014年(平成26年)3月7日)は、日本の実業家、
秋田 正彌(あきた まさや、1917年3月29日 - 200… 秋田 正彌(あきた まさや、1917年3月29日 - 2001年8月7日)は、日本の経営者。大同特殊鋼社長を務めた。広島県出身。 1947年に東京大学工学部機械工学科を卒業し、同年に大同製鋼(のちの大同特殊鋼)に入社。1967年8月に取締役に就任し、1970年8月に常務、1973年8月に専務を経て、1978年9月に副社長に就任し、1982年9月には社長に昇格。1986年5月に取締役相談役に就任し、1998年6月に相談役に就任。 1974年3月に大河内記念技術賞を受賞し、1983年4月に藍綬褒章を受章。 2001年8月7日老衰のために死去。84歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
足立 誠一(あだち せいいち、1917年〈大正6年〉3月29… 足立 誠一(あだち せいいち、1917年〈大正6年〉3月29日 - 2001年〈平成13年〉8月31日)は、昭和から平成時代の政治家。静岡県浜北市長。 浜北市出身。1934年(昭和9年)県立蚕業学校卒業(現静岡県立浜松大平台高等学校)。 1960年(昭和35年)浜北市議会議員を経て、1978年(昭和53年)11月、浜北市長に当選した。以来3期務め、1990年(平成2年)11月、落選した。 2001年(平成13年)8月31日死去、84歳。死没日をもって従七位から従五位に叙される。
小林 茂太(こばやし しげた、1916年3月29日 - 没年… 小林 茂太(こばやし しげた、1916年3月29日 - 没年不明)は、長野県佐久市出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。 岩村田中学校ではエースピッチャーとして活躍。東京鉄道局で外野手に転向した。1937年に名古屋金鯱軍へ入団。同姓の小林利蔵と共にクリーンアップを担い、チームを牽引している。また、1937年春季リーグと1938年秋季リーグには規定打席に到達しながら、死球の数が四球の数を上回るという珍記録を残した(2007年に大村直之が記録するまで史上唯一の達成者だった)。1940年には翼軍へ移籍。そこでもチームの主軸を担い、キャリアハイである4本塁打49打点を記録するも同年に応召された。 戦後は藤倉電線で4番打者として活躍し、都市対抗野球では1試合7打点の記録も残している。
佐藤 功(さとう いさお、1915年(大正4年)3月29日 … 佐藤 功(さとう いさお、1915年(大正4年)3月29日 - 2006年(平成18年)6月17日)は、日本の法学者。専門は憲法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1958年)。上智大学名誉教授。文化功労者。また、内閣法制局参事官として日本国憲法の制定作業に携わった。主著『日本国憲法概説』(学陽書房刊)は版を重ねている。京都府京都市出身。宮沢俊義門下。弟子に粕谷友介、向井久了、高野敏樹、吉川和宏、矢島基美、藤本富一、松田聰子、玉巻弘光、前田徹生など。 京都府京都市に生まれる。1931年(昭和6年)4月1日:第二高等学校文科乙類入学。1934年(昭和9年)3月31日:第二高等学校文科乙類卒業。
神田 順治(かんだ じゅんじ、1915年3月29日 - 20… 神田 順治(かんだ じゅんじ、1915年3月29日 - 2005年8月13日)は、元日本野球規則委員会委員長、東京大学運動会硬式野球部監督、東京大学教養学部教授。 1915年(大正4年)、東京・本郷に生まれる。第二東京市立中学校(現東京都立上野高等学校)、第八高等学校を経て、1936年(昭和11年)に東京帝国大学文学部教育学科に入学し、1939年に卒業後は厚生省体力局体育科に嘱託職員として勤務。中国戦線に応召し、南苑飛行場整備班長の陸軍中尉であった。 復員後、東京大学厚生部に勤務し、東京大学運動会主事を経て、東京大学運動会硬式野球部監督、1949年より同大教養学部助教授。プロ野球コミッショナー参与、朝日新聞社運動部嘱託、清和女子短期大学教授などを歴任。
中西 一郎(なかにし いちろう、1915年3月29日 - 1… 中西 一郎(なかにし いちろう、1915年3月29日 - 1992年11月18日)は、日本の政治家、農林官僚。参議院議員(4期)。総理府総務長官、沖縄開発庁長官、危機管理担当大臣などを務めてきた。 兵庫県神戸市生まれ。兵庫県立第一神戸中学校、第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部法律学科卒業後、農林省に入省。短期現役海軍主計科士官(7期)を志願し、1941年8月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年12月、経理学校を卒業。陸奥に配属。1942年10月、特設巡洋艦りおん丸主計長となりラボールに赴任し、航空用ガソリン輸送に従事。1943年(昭和18年)6月、主計大尉に進む。1944年1月、ラボールで戦傷を受け、同年5月、海軍病院を退院し、海軍省兵備局第3課兼運輸総局船員局に転じて終戦を迎えた。
木藤 才蔵(きどう さいぞう、1915年〈大正4年〉3月29… 木藤 才蔵(きどう さいぞう、1915年〈大正4年〉3月29日 - 2014年〈平成26年〉7月24日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1974年)(学位論文 「連歌史の研究」)。日本女子大学名誉教授。 台湾・台北市生まれ。1939年東京帝国大学文学部国文科卒。佐賀大学助教授、1965年日本女子大学教授。1974年「連歌史の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。同著作で日本学士院賞受賞。1985年日本女子大を定年、名誉教授。中世文学、特に連歌が専門。
浜川 才治郎(濱川、はまかわ さいじろう、1915年〈大正4… 浜川 才治郎(濱川、はまかわ さいじろう、1915年〈大正4年〉3月29日 - 2006年〈平成18年〉8月30日)は、日本の政治家。釜石市長(3期) 。勲四等旭日小綬章。 岩手県釜石市出身。1931年、私立釜石夜間中学校(現・岩手県立釜石高等学校)卒。卒業後は漁業に従事する。1947年から釜石市議会議員を3期務め、1971年、岩手県議会議員に当選し、1期務める。1975年、釜石市長に当選し、市長を3期務める。1987年に落選した。ほかに全国鮭鱒流網漁業組合連合会常務理事、釜石商工会議所会頭などを務めた。2003年に勲四等旭日小綬章を受章。2006年に死去した。
糸賀 一雄(いとが かずお、1914年3月29日 - 196… 糸賀 一雄(いとが かずお、1914年3月29日 - 1968年9月18日)は、日本の社会福祉の実践家。 知的障害のある子どもたちの福祉と教育における先駆的な役割を担い、戦後日本の障害者福祉を切り開いた第一人者として知られる。 鳥取市立川町出身。母子家庭で育つ。旧制鳥取県立鳥取第二中学校(現・鳥取県立鳥取東高等学校)から旧制松江高等学校(現・島根大学)を経て、1938年京都帝国大学文学部哲学科を卒業する。 小学校の代用教員を経て、1940年滋賀県庁に社会教育主事補として奉職し、近藤壌太郎知事によって秘書課長に抜擢され、終戦直後まで滋賀県の要職を歴任する。 また、この間に教育哲学者の木村素衛や学生義勇軍同志会会長であった十河信二、『次郎物語』の作者である下村湖人らと親交を結ぶ。
飯田 新一(いいだ しんいち、1913年(大正2年)3月29… 飯田 新一(いいだ しんいち、1913年(大正2年)3月29日 - 1987年(昭和62年)8月12日)は、日本の実業家。髙島屋社長を務めた。 髙島屋3代目社長飯田直次郎の長男として、京都府に生まれる。 旧制甲陽中学(現・甲陽学院中学校・高等学校)を経て、早稲田大学専門部商科卒業後、1941年髙島屋へ入社。 1945年大阪支店総務部長、1948年理事、1951年5月にはアメリカに渡り、先進国の同業を視察。1952年8月取締役大阪支店長、1954年常務、1956年専務を歴任。 1960年10月に社長に就任。この間、1974年と1984年に日本百貨店協会会長に就任している。 1987年4月に日高啓に社長を譲り会長に退いた。
太田 晶二郎(おおた しょうじろう、1913年(大正2年)3… 太田 晶二郎(おおた しょうじろう、1913年(大正2年)3月29日 - 1987年(昭和62年)2月20日)は、日本の歴史学者。東京大学史料編纂所教授。財団法人前田育徳会常務理事。専門は漢籍史。 研究人生のほとんどを史料編纂所で費やし、大日本史料第1篇・第2篇、大日本近世史料の『幕府書物方日記』の編纂を担当した。漢籍等の典籍の考証を主にしていたが、その研究は豊かな学識に基づいた堅牢かつ緻密なもので、太田の前では、ほとんどの歴史学者が物も言えないくらい緊張したという逸話がある。また生前は論文の執筆のみで、一冊の著書も残さなかった。没後、飯田瑞穂等を中心に、著作集5巻が編まれた。
林 茂司(はやし しげじ、1912年3月29日 - 1984… 林 茂司(はやし しげじ、1912年3月29日 - 1984年2月8日)は、日本の経済学者。専門は労働経済学。元札幌商科大学学長。 1912年、北海道勇払郡早来町(現・安平町)生まれ。1929年北海道庁立札幌第一中学校(後の北海道札幌南高等学校)を卒業。1932年第二高等学校文科甲類卒業。1936年に東京帝国大学経済学部卒業し、満州国財政部に勤務する。その後終戦前に、北海道に戻り、産業復興会議北海道幹事となった。 戦後は北海道札樽工業地帯調査会事務局長などを経て、1952年北海道立総合経済研究所(北海道庁研究機関)に入所。1962年より北海道立総合経済研究所研究第2部長。1967年には北海道立総合経済研究所副所長。
加藤 新平(かとう しんぺい、1912年〈明治45年〉3月2… 加藤 新平(かとう しんぺい、1912年〈明治45年〉3月29日 - 1999年〈平成11年〉4月2日)は、日本の法学者(法理学・法哲学)。京都大学名誉教授。1983年から日本学士院会員。1971年から1975年まで日本法哲学会理事長。沢内村名誉村民第一号。 1912年、岩手県和賀郡沢内村生まれ。1927年、宮城県白石中学校(宮城県白石高等学校の前身)4年修了、同年第一高等学校(一高)文科甲類入学。1930年11月、思想事件により一高を中途退学、1932年、第二高等学校文科甲類卒業検定合格。同年4月、京都帝国大学文学部哲学科入学、1933年、同大学法学部入学。1935年、高等試験行政科合格、1936年、同大学法学部卒業、直ちに同法学部助手に任用。
白田 林二郎(しらた りんじろう、1912年〈明治45年〉3… 白田 林二郎(しらた りんじろう、1912年〈明治45年〉3月29日 - 1993年〈平成5年〉5月29日)は、山形県出身の日本の武道(合気道)家、 合気道開祖・植芝盛平の高弟。 1912年(明治45年)山形県に生まれる。旧制・新荘中学(現・新庄北高校)では柔道部の大将を務めていた。 1931年(昭和6年)の暮れ上京。父親が大本の信者だった縁で、植芝盛平(守高)の開設間もない皇武館道場に入門、内弟子となる(19歳)。当時の写真によると太い首とがっちりした肩幅を持つ偉丈夫である。米俵(一俵=60kg)を両手に一つずつ持ち、拍子木のように打ち付けることが出来たという話もある。素性の分からない道場破りが来ると必ず白田が応対し、相手を徹底的にたたき伏せるのが常であったという。
高橋 成夫(たかはし しげお、浅間 善次郎、1912年3月2… 高橋 成夫(たかはし しげお、浅間 善次郎、1912年3月29日 - 1990年11月4日)は日本の水泳選手。東京都出身。荏原中学(現日体荏原高等学校、早稲田大学卒業。