手島 圭三郎(てじま けいざぶろう、1935年 - )は、日… 手島 圭三郎(てじま けいざぶろう、1935年 - )は、日本の版画家、絵本作家。主な作品に『きたきつねのゆめ』『しまふくろうのみずうみ』『おおはくちょうのそら』がある。北海道紋別市出身。江別市在住。 父が鉄道員で転勤が多く、主にオホーツク海沿いの農漁村を転々として育った。1957年、北海道学芸大学(現・北海道教育大学)札幌校卒業。20年にわたって中学校教師を務めた後に木版画家として独立する。 1981年に日本版画協会展に出展したシマフクロウの版画が福武書店の編集者の目にとまり、絵本作家としてデビュー。シマフクロウ、キタキツネ、ヒグマなど北海道の動物を題材とした作品を発表し、藤村久和と組んでアイヌのユカラを絵本化したシリーズでも知られる。
水沢 渓(みずさわ けい、本名・阪本 遵 さかもと じゅん、… 水沢 渓(みずさわ けい、本名・阪本 遵 さかもと じゅん、1935年〈昭和10年〉 - 2009年〈平成21年〉6月4日)は、日本の経済評論家・作家・出版社代表取締役。 北海道函館市生まれ。早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒業。山一證券入社。山一證券従業員労働組合執行委員を経て、社会福祉法人函館共愛会病院事務長となる。同会退会後、経済評論家・作家に転身。1989年、小説『巨大証券の犯罪』(健友館)がベストセラーとなる。 以後、経済小説やノンフィクション、医療問題、官僚腐敗、酒や食品に関する著書を多く手がける。 その傍ら東京都中野区野方にあった出版社健友館の代表取締役兼編集長となり、自身の著書のほかは主に医学専門書やアマチュア作家の自費出版作品を多く扱ったが、2004年6月、負債1億7000万円を抱えて倒産した。
上武 やす子(うえたけ やすこ、旧姓:室村〈むろむら〉、19… 上武 やす子(うえたけ やすこ、旧姓:室村〈むろむら〉、1934年〈昭和9年〉11月26日 - 2024年〈令和6年〉3月16日)は、日本のアイヌ文化伝承者、刺繡作家。 北海道室蘭市元室蘭(現:崎守町)出身。同道登別市において、北海道ウタリ協会登別支部支部、市民勉強会「知里真志保を語る会」、アイヌの女性文化の学習と継承のための団体「アイヌ文化を学び継承する女性の会」などでの活動で、アイヌ文化の伝承普及活動を行った。また、独学でのアイヌの民族衣装や刺繍製作、アイヌ紋様刺繡の学習会による後進の指導、古式舞踊の指導などを通じて、アイヌ伝統文化の復興、アイヌ文化の保存などに貢献した。 北海道室蘭市元室蘭(現:崎守町)で誕生する。
宇能 鴻一郎(うの こういちろう、1934年7月25日 - … 宇能 鴻一郎(うの こういちろう、1934年7月25日 - 2024年8月28日)は、日本の小説家、官能小説家、推理作家。 北海道札幌市出身。本名鵜野 廣澄(うの ひろずみ)。下の名前を音読みした「ウノコウチョウ」をもじったペンネームであり、同人誌時代には「宇野興長」の筆名も用いていた。嵯峨島 昭(さがしま あきら)名義で推理小説も執筆している。 東京府士族の鵜野二弥と、佐賀県士族の綾(旧姓:徳久)の間に長男として出生。軍事会社の工場の副所長 であった父の転勤に従い各地を転々とし、奉天から敗戦で引き揚げた。満州時代、小学校5〜6年のころ、盗みを働いて捕まり、ロシアの司令官の邸宅で全裸のまま給仕をさせられたことがある、という。
加藤 多一(かとう たいち、1934年6月1日 - 2023… 加藤 多一(かとう たいち、1934年6月1日 - 2023年3月18日)は、日本の児童文学作家。 北海道紋別郡滝上町生まれ。北海道大学教育学部卒業。在学中に砂沢喜代次、斎藤秋男が顧問を務める北大童話会「童話研究」創刊に参加する。 札幌市役所に入庁し、広報課長、市民文化室長などを歴任。札幌芸術の森オープンの実務責任者となる。1986年に市役所を退職し、稚内北星学園短期大学教授に就任(1992年に退任)する。 1976年に『白いエプロン白いヤギ』が日本童話会賞A賞、『ふぶきだ走れ』が第10回北海道新聞文学賞佳作を受賞し、童話作家としてデビュー。以後、主に北海道農村部を舞台とした児童小説を多く手がける。
合田 一道(ごうだ いちどう / かずみち、1934年1月5… 合田 一道(ごうだ いちどう / かずみち、1934年1月5日 - )は、日本のノンフィクション作家。北海道上砂川町生まれ。佛教大学文学部卒業後、長く北海道新聞社に勤務、編集委員を務めた。退職後は札幌大学講師に着任。『定山坊行方不明の謎』で第1回北海道ノンフィクション賞(月刊クォリティ主催)大賞受賞。日本放送作家協会北海道支部長。北海道ノンフィクション集団代表。札幌市にてノンフィクション作家の養成講座「一道塾」を主宰。息子は歌手・音楽プロデューサー・ノンフィクション作家の合田道人。
渡辺 淳一(わたなべ じゅんいち、1933年(昭和8年)10… 渡辺 淳一(わたなべ じゅんいち、1933年(昭和8年)10月24日 - 2014年(平成26年)4月30日)は、日本の作家。北海道空知郡上砂川町朝陽台出身。1958年札幌医科大学医学部卒業。医学博士。
三田 英彬(みた ひであき、1933年8月23日 - 200… 三田 英彬(みた ひであき、1933年8月23日 - 2004年7月16日)は、日本のノンフィクション作家、文芸評論家。日本文藝家協会会員、日本推理作家協会会員。 北海道函館市生まれ。 横浜市立大学文理学部卒業。慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。 学研編集部勤務を経てフリーライターとなり、文芸評論、近代文学研究などに従事。1970年7月、小説「サバンナに燃ゆ」が小学館主催の第1回小説セブン新人賞最終候補となっている。『北方領土・悲しみの島々』『戦後 幻のドン』『棄てられた四万三千人』などのノンフィクションを刊行。1977年、第1回「週刊読売」ノンフィクション賞に入選。 1983年、上田女子短期大学教授。
荒巻 義雄(あらまき よしお、1933年4月12日 -)は、… 荒巻 義雄(あらまき よしお、1933年4月12日 -)は、日本の小説家、SF作家、推理作家、評論家、詩人。本名、荒巻邦夫、後に荒巻義雅と改名。『紺碧の艦隊』の大ヒットで、いわゆる架空戦記小説の世界を代表する小説家として広く知られている。静修女子大学(現・札幌国際大学)教授も務めた。 日本文芸家協会会員。日本SF作家クラブ会員。現代俳句協会会員(旭太郎名義)。 北海道小樽市で、荒巻山の名前の元になった、採石業を営む荒巻家に生まれる。荒巻によると荒巻家は平将門一門の末裔であり、両親は母方の祖父が小樽市色内町(現在の稲穂)で開いていた一万坪の採石場を継ぐため水戸市から移住してきたという。幼少期にはロース幼稚園というミッション系の幼稚園に通っており、その時に触れた聖書の世界観に影響を受ける。
中野 美代子(なかの みよこ、1933年3月4日 - )は、… 中野 美代子(なかの みよこ、1933年3月4日 - )は、日本の中国文学者、作家。北海道大学文学部、言語文化部教授を経て、北海道大学名誉教授。『西遊記』などの中国文学、中国文化をテーマにした論考・エッセイ、中国やアジア諸地域を舞台にした小説作品を多数発表。 北海道札幌市生まれ。北海道庁立札幌高等女学校(現北海道札幌北高等学校)、北海道札幌西高等学校を経て、1956年北海道大学文学部中国文学科卒業、同助手。 1961年に「世界ノンフィクション全集」監修者の吉川幸次郎に指名されて、耶律楚材「西遊録」を翻訳。また吉川には広く教えを受けた。65年オーストラリア国立大学高等学術研究所助手、67年退職、68年、香港、台湾で資料収集をへて帰国、71年北海道大学文学部助教授、81年教授、83年同言語文化部教授。
宇梶 静江(うかじ しずえ、旧姓:浦川〈うらかわ〉、1933… 宇梶 静江(うかじ しずえ、旧姓:浦川〈うらかわ〉、1933年〈昭和8年〉3月3日 - 、女性)は、日本の詩人、古布絵作家、絵本作家。アイヌ解放運動家である。白老町在住。 1933年(昭和8年)3月3日、 北海道浦河郡浦河町の和人も混住するアイヌ集落に浦川春松の次女(四男二女の3番目)として生まれた。幼少期は非常に貧しく困窮した生活であり、また、和人の子どもたちからの苛酷な差別に苦しんだ。「毛深い」と差別されるため、まつ毛を自ら切ったこともあり、増水した川に落とされそうになったこともあった。自らの出自がアイヌであることに嫌悪感を抱き、アイヌ同士で結婚すると、その子どもは自分と同じようにいじめられるのではないかと心配したこともあったという。
菊地 慶一(きくち けいいち、1932年 - 2025年1月… 菊地 慶一(きくち けいいち、1932年 - 2025年1月15日)は、北海道旭川市出身の著作家。 1945年、13歳のときに釧路空襲を体験する。網走管内で小学校、高等学校教師を務めた後、著作家に転身した。 網走に1969年から住み、流氷の観察を続ける流氷観測の第一人者であり、また1973年に、流氷出版物として最初とされた『白いオホーツク―流氷の海の記録』を刊行する。以来、流氷をテーマに書籍に著す。さらに、網走歴史の会代表として、網走刑務所、オホーツク文化、捕鯨など調査、研究に努め、著作にもなる。 また、空襲関係の著書に「紅の海ー網走空襲犠牲者の記録」「ハマナスのかげでー北海道空襲の記録」「網走空襲の記録」がある。
山中 恒(やまなか ひさし、1931年7月20日 - 202… 山中 恒(やまなか ひさし、1931年7月20日 - 2026年3月13日)は、日本の児童文学作家、ノンフィクション作家。 『間違いだらけの少年H』などの共著者である山中典子は二番目の妻である。 北海道小樽市で8歳まで育った。父親の仕事の関係で神奈川県平塚市に転居するが、戦争中縁故疎開で再び小樽に戻った。1944年に旧制小樽中学校(現、北海道小樽潮陵高等学校)の面接試験を受けたとき、戦争の現状を問われて「負け戦です」と答え、付き添いの教師をうろたえさせる。彼としては苦戦しているという率直な気持ちを述べたつもりだった。付き添った教師は不合格をおそれたが、結局は合格した。 日本の敗戦が決まった際、当時まだ14歳ながら敗戦を天皇に詫びるため、真剣に自決しようと考え辞世の句まで練っていたが、友人から「連合艦隊司令長官や軍司令官でもないお前が、どうして自決など考えるのか」と呆れられ「それもそうだ」と我に返ったという。
三浦 清宏(みうら きよひろ、1930年9月10日 - )は… 三浦 清宏(みうら きよひろ、1930年9月10日 - )は、日本の小説家、心霊研究者、元明治大学理工学部教授。 北海道室蘭市に出生。東京大学文学部英文学科に進んだものの学生運動で休講続きの東大を嫌って21歳で中退し渡米、聴講を含めて3つの大学に通い、アメリカ・サンノゼ州立大学卒業後、アイオワ大学ポエトリー・ワークショップ修了。ヨーロッパを巡った後、1962年、31歳で帰国。1957-1958年、アイオワ時代に米国留学中の小島信夫と知り合い、帰国して半年小島と同居。 1967年から2001年まで、明治大学助教授、教授として英語を教える。1970年、『群像』に小説「立て、座れ、めしを食え、寝ろ」を発表する。
五島 勉(ごとう べん、1929年〈昭和4年〉11月17日 … 五島 勉(ごとう べん、1929年〈昭和4年〉11月17日 - 2020年〈令和2年〉6月16日)は、日本の作家・ルポライター。1973年に社会不安とメディアの作品への扱い方を背景として、1960年代生まれから以降の幼少世代を中心に「1999年7月に世界滅亡」を信じる者が続出し、日本国内に未来への悲観的影響を与えた『ノストラダムスの大予言』を書いたことで知られる。 北海道函館市出身。正教徒の家庭に生まれる。本名は後藤 力(ごとう つとむ)。旧制函館中学校(現・北海道函館中部高等学校)から第二高等学校へ進み、後の弁護士・遠藤誠と知り合う。東北大学法学部卒業。大学在学中、小遣い稼ぎにポルノ小説を書いて雑誌に投稿し、文筆家の道に入る。
高橋 揆一郎(たかはし きいちろう、1928年4月10日 -… 高橋 揆一郎(たかはし きいちろう、1928年4月10日 - 2007年1月31日)は、北海道出身の日本の小説家。本名、良雄(よしお)。歌志内市名誉市民。 歌志内市上唄の炭鉱長屋で生まれる。歌志内小学校卒業後、北海道庁の給仕をしながら、庁職員養成を目標とした札幌市の私立昭和中学校(夜間中学)を卒業。 卒業後、母校の歌志内小学校で代用教員を2年間勤め退職、北海道第一師範学校(現・北海道教育大学札幌校)に進学するも中退し、住友石炭鉱業上歌志内砿に入社。1970年に退社した後、時事漫画を中心としたイラストレーターの傍ら「くりま」で小説の同人活動を続け、1971年「3年間だけ小説を書かせてくれ」と妻に頼み込み、執筆活動に集中。
原田 康子(はらだ やすこ、1928年1月12日 - 200… 原田 康子(はらだ やすこ、1928年1月12日 - 2009年10月20日)は日本の小説家である。本名は佐々木康子(旧姓:原田)。 東京府生まれ、2歳から北海道釧路市で育つ。市立釧路高等女学校(現・北海道釧路江南高等学校)卒業後、1949年から東北海道新聞(のちの釧路新聞)に勤務。 1949年(昭和24年)に釧路の同人雑誌『北方文芸』に処女作「冬の雨」を発表し、以後も同誌およびその後継誌に相当する『北海文学』を中心に短編・長編を発表する。1951年(昭和26年)、東北海道新聞社の同僚と結婚。1953年(昭和28年)、前年10月に鳥居省三らが釧路で創刊した同人雑誌『北海文学』に同人として参加、初めての長編小説「廃園」を発表。
梅田 昌志郎(うめだ よしろう、1927年12月10日 - … 梅田 昌志郎(うめだ よしろう、1927年12月10日 - )は、英文学者、作家。本名は芳朗。 札幌市生まれ。1951年(昭和26年)北海道大学卒、1960年「海と死者」で中央公論新人賞受賞。文化学院や法政大学講師を務め、英文学などの翻訳がいくつかある。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
重兼 芳子(しげかね よしこ、1927年3月7日 - 199… 重兼 芳子(しげかね よしこ、1927年3月7日 - 1993年8月22日)は、小説家。北海道空知郡上砂川町生まれ。福岡県立田川高等女学校(現・福岡県立西田川高等学校)卒業。 1946年、プロテスタントの洗礼を受ける。1947年に結婚し主婦となる。1969年に「一路」短歌会に入会し歌人として文学活動を出発。同人雑誌『まくた』に参加、日本民主主義文学同盟の「文学教室」や駒田信二の小説教室に通い、1978年、『まくた』に載せた「ベビーフード」、「髪」で続けて芥川賞候補となり、『文學界』掲載の「やまあいの煙」で1979年、芥川賞受賞、主婦作家として話題になった。 しかしその後、がん宣告を受けて大手術の後夫を失うという経験を経て、老い、病、死についての著作を精力的に執筆、がんの再発により66歳で死去した。
三国 洋子(みくに ようこ、1927年1月28日 - )は、… 三国 洋子(みくに ようこ、1927年1月28日 - )は、日本の小説家。北海道函館市出身。 北海道庁立函館高等女学校卒業。1946年から1959年まで、函館市立函館幼稚園で幼稚園教諭として勤務。1963年、「雨のあと」にて、第1回文化評論新人賞短編小説部門入選。1960年代から函館で文学運動を続け、リアリズム研究会から日本民主主義文学同盟に所属した。
出雲井 晶(いずもい あき、1926年9月11日 - 201… 出雲井 晶(いずもい あき、1926年9月11日 - 2010年5月16日)は、日本の作家、日本画家。『「日本の神話」伝承館』館長、『「日本神話の心」伝承の会』会長。日本会議代表委員であった。本名は光定芳子。 北海道岩見沢町(現:岩見沢市)生まれ。旧制和歌山高等女学校卒業。「出雲井晶」というペンネームは、一時期住んでいた島根県の出雲大社に由来している。 日本画家としては日仏現代美術展、パリ・ル・サロン展等に入選、内閣総理大臣賞2回、文部大臣賞2回、パリ芸術大賞を受賞している。 作家としてのデビュー作品は、自らの高齢者介護体験をもとにした小説「花かげの詩」。初期は福祉関連での著作や画文集などが主であった。
田中 嫺玉(たなか かんぎょく、1925年3月2日 - 20… 田中 嫺玉(たなか かんぎょく、1925年3月2日 - 2011年7月20日)は、日本のベンガル語翻訳家、著作家。女性。「田中かん玉」とも表記。 1925年(大正14年)、北海道旭川市生まれ。北海道庁立旭川高等女学校(現・北海道旭川西高等学校)、日本女子大学家政科に進学。1945年(昭和20年)に戦争が終わると、中退して帰郷し、結婚して男の子2人を育てる。1954年(昭和29年)に東京都新宿区に引っ越した。1959年(昭和34年)、目白ロゴス英語学校を卒業。1969年(昭和44年)に仏教学者の渡辺照宏、東京外国語大学教授の奈良毅もとでベンガル語のラーマクリシュナの言行録『不滅の言葉』の翻訳を始め、5年後の1974年(昭和49年)に抄訳本を奈良毅と共訳で自費出版。
上西 晴治(うえにし はるじ、1925年1月7日 - 200… 上西 晴治(うえにし はるじ、1925年1月7日 - 2009年11月10日)は、日本の小説家。 北海道十勝郡浦幌町生まれ。浦幌高等小学校卒業後、札幌師範学校附設の小学校准訓導養成所に学び、1941年に卒業して西足寄町の平和国民学校で教員生活に入る。小樽市の北海道青年学校水産教員臨時養成所に学び、1945年3月に卒業して塩谷村立青年学校に勤めるも、すぐに召集される。9月に復員後、増毛町の青年学校・中学校、札幌第四中学校、銭函中学校に勤め、その傍ら札幌文科専門学院夜間部に通う。講師の新間進一の影響を受けて文学熱が上がり、大東文化大学文政学部日本文学科に3年次編入し、1953年に卒業。卒論では有島武郎を選び、岩内町の木田金次郎を訪問する。
十津川 光子(とつがわ みつこ、1925年- 没年不明)は、… 十津川 光子(とつがわ みつこ、1925年- 没年不明)は、日本の作家。本名は臺野澄子。 北海道樺戸郡新十津川村(現在の新十津川町)生まれ。庁立滝川高等女学校(現在の北海道滝川高等学校)を戦後に卒業。旭川日赤高等看護学校中退後滝川の職業安定所に勤務ののち上京し慶應義塾大学医学部付属厚生女子学院(現・慶應義塾大学看護医療学部)を卒業、看護婦となる。農林省勤務の後日本油脂美唄工場へ転職し執筆活動を本格化させる。 小説を木々高太郎に師事し、1958年『コタンの春』を上梓(序文は木々)。1960年の『胎動期』は、東芝日曜劇場でテレビ放送され、三輪彰監督・新藤兼人脚本によって「胎動期 私たちは天使じゃない」として1961年に映画化された。
松橋 忠光(まつはし ただみつ、1924年11月30日 - … 松橋 忠光(まつはし ただみつ、1924年11月30日 - 1998年12月11日)は、日本の警察官僚、著作家。 警察官としての最終階級は警視監。内村鑑三系無教会主義のクリスチャン。 民主警察幹部見習(警察庁キャリア組)第1期生。 2004年頃から社会問題となった警察不正経理問題を、その20年前の1984年に初めて告発した。松橋の告発は、国会で取り上げられるなど話題となったものの、当時の警察庁からは無視された。 北海道出身。旧制小樽経済専門学校を卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。
坂本 幸四郎(さかもと こうしろう、1924年9月19日 -… 坂本 幸四郎(さかもと こうしろう、1924年9月19日 - 1999年5月10日)は、日本の小説家、川柳評論家。北海道函館市生まれ。 1942年に函館中学校(現:北海道函館中部高等学校)卒業後、国鉄入社。無線電信講習所(現:電気通信大学)を卒業して国鉄函館船員区に勤務した。 青函連絡船通信長として勤務していた現役当時、洞爺丸台風(1954年9月26日)の際に同航路を就航していた客載車両渡船『石狩丸』の次席通信士として、洞爺丸の転覆・遭難を発信し続けた第六真盛丸からのSOS通信を受信し、公電として発信した経験を有している。1990年、北海道文化賞奨励賞受賞。川柳の研究評論も手がけていた。 1999年、急性心不全のため死去。
大森 光章(おおもり こうしょう、1922年7月24日 - … 大森 光章(おおもり こうしょう、1922年7月24日 - 2009年3月26日)は日本の小説家、フリーライター、禅僧(上座)。幼名は倖二。今出光章、北町陽一郎名義による作品もある。弟に歌人の大森亮三。 北海道虻田郡倶知安町の禅寺の生まれ。少年期から父親の伴僧として葬儀や法事に出席。旧制中学卒業後、小学校の代用教員をつとめる。函館師範学校中退。明治大学専門部文芸科中退。戦争末期に召集される。 小学校教員をつとめるかたわら、1947年に倶知安で『新芸術派』を創刊。1949年上京し、中河与一主宰の「ラマンチヤ」に参加。のち、新日本文学会に参加。 工員や印刷会社社員や大学職員として働きつつ、「文芸日本」「円卓」「層」「凱」「公園」など数々の文芸同人誌に関わる。
三浦 綾子(みうら あやこ、1922年4月25日 - 199… 三浦 綾子(みうら あやこ、1922年4月25日 - 1999年10月12日)は、日本の女性作家。
幾瀬 勝彬(いくせ かつあき、1921年8月15日 - 19… 幾瀬 勝彬(いくせ かつあき、1921年8月15日 - 1995年4月21日)は、日本の小説家、推理作家。旧姓は長島。 北海道出身。札幌第二中学(現北海道札幌西高等学校)を経て、早稲田大学文学部国文科に入学。大東亜戦争の戦況拡大により繰り上げ卒業して、海軍飛行科予備学生となる。ラバウルで終戦を迎えて1946年に復員後はNHK、ニッポン放送に勤務。 1970年、長編「ベネトナーシュの矢」が第16回江戸川乱歩賞の最終候補となる(受賞作は大谷羊太郎の『殺意の演奏』)。これを改題した『死を呼ぶクイズ』を翌1971年に刊行。以後も、A・E・W・メースン、エラリー・クイーンなどの影響を受けた本格志向の作品を発表。
能戸 清司(のと きよし、1921年3月13日 - 2014… 能戸 清司(のと きよし、1921年3月13日 - 2014年9月14日)は、日本の新聞記者、小説家。 北海道函館市生まれ。東京大学法学部政治学科卒業後、朝日新聞社入社。学芸部長、論説委員を歴任し、「天声人語」の執筆も担当した。記者のかたわら木戸織男のペンネームで小説も書き、1960年「夜は明けない」で第1回サンデー毎日小説賞第二席、第44回直木賞候補。1961年には「朝のたそがれ」で第13回文學界新人賞候補(能戸清司名義)。朝日新聞退社後、名古屋保健衛生大学(現・藤田医科大学)教授となる。
沢田 誠一(澤田 誠一、さわだ せいいち、1920年9月18… 沢田 誠一(澤田 誠一、さわだ せいいち、1920年9月18日 - 2007年6月5日)は、日本の小説家。北海道を代表する文芸同人誌『札幌文学』『北方文芸』の編集人・発行人としても活躍。元・財団法人北海道文学館理事長。 1920年(大正9年)、北海道札幌郡豊平町大字平岸村(現・札幌市豊平区平岸)で、リンゴ農家を営み、同町の町会議員も務めた澤田清五郎の五男として生まれる。札幌商業学校(現・北海学園札幌高等学校)第16期卒。札商卒業の頃から作歌を開始し、1941年(昭和16年)に陸軍高射砲学校入学。高射砲学校卒業後は小樽、北千島などに赴任、敗戦時は埼玉県栗橋町の高射砲陣地の中隊長。1947年(昭和22年)に西尾廣子と結婚。
木野 工(きの たくみ、1920年(大正9年)6月15日 -… 木野 工(きの たくみ、1920年(大正9年)6月15日 - 2008年(平成20年)8月3日)は、日本の小説家。 北海道旭川市生まれ。旭川中学校(現・北海道旭川東高等学校)、北海道帝国大学工学部卒業。1943年に海軍予備学生として横須賀海兵団に入団。占守島派遣や内地転属を経て終戦を迎える。北海日日新聞創刊に参加し、新聞合併を経て北海タイムスの記者として勤務。文化部長や論説委員を務めた。その傍ら1949年より旭川の文芸同人誌「冬濤」に参加。1952年より同誌編集責任者を務めた。旭川市の郷土史研究書である『旭川今昔ばなし』も著した。
森下 節(もりした せつ、1920年(大正9年)3月5日 -… 森下 節(もりした せつ、1920年(大正9年)3月5日 - 1984年(昭和59年)8月11日)は、日本の作家。北海道夕張市紅葉山生まれ。本名・裕(ゆたか)。新聞・雑誌記者をへて作家生活に入る。1962年(昭和37年)から文芸同人誌『藝文』主宰。全国同人雑誌協会副会長。中河与一に師事し、戦時中、中河が左翼作家のリストを情報局に流したというデマを平野謙が流したと指摘した(『ひとりぼっちの戦い』)。
川内 康範(かわうち こうはん、1920年〈大正9年〉2月2… 川内 康範(かわうち こうはん、1920年〈大正9年〉2月26日 - 2008年〈平成20年〉4月6日)は、日本の作詞家、脚本家、政治評論家、作家。本名は川内 潔(かわうち きよし)。北海道函館市出身。 1920年(大正9年)、函館市青柳町の日蓮宗住職の家に生まれた。実家は寺を持たず貧しい生活で、大森尋常小学校(現・大森浜小学校)を卒業後、様々な職業を転々とする。大都映画で大道具だった兄を頼って上京、新聞配達をしながら独学で文学修業を重ね日活のビリヤード場に就職、人脈を広げて日活の撮影所に入社する。 1941年(昭和16年)に東宝の演劇部へ入社。やがて撮影所の脚本部へ転属となり、特撮や人形劇映画を担当した。
木村 盛武(きむら もりたけ、1920年2月25日 - 20… 木村 盛武(きむら もりたけ、1920年2月25日 - 2019年9月6日)は、日本のノンフィクション作家。日本獣害史上最大の被害を出した三毛別羆事件の調査を行ったことで知られる。 北海道札幌市出身。父親は青森県出身で、東北地方や北海道で林務官を務めていた。幼少の頃から、父親や母方の伯父に日本史上最大の被害を出した獣害事件である三毛別羆事件のあらましを聞かされ、強烈な印象を記憶に留めていた。 1938年8月、北海道庁立小樽水産学校(現:北海道小樽水産高等学校)製造科在籍時、実習を行った幌筵島で1名が犠牲となった熊害事件で危うく助かった体験を持ち、以後熊に対する関心から逃れられなくなった。 1939年水産学校卒業後はタラバガニ検査の仕事に就いていたが、1941年に北海道庁林務講習第1種を修了し、父と同じ北海道庁林務官となった。
八匠 衆一(はっしょう しゅういち、1917年3月30日 -… 八匠 衆一(はっしょう しゅういち、1917年3月30日 - 2004年6月21日)は、昭和・平成期の小説家。 北海道旭川市生まれ。本名は松尾一光。北海道庁立旭川商業学校(現・北海道旭川商業高等学校)、日本大学芸術学園卒。講師の伊藤整や東大生だった梅崎春生と知り合う。戦時中は召集により第7師団に入隊。戦後に再上京するが、過度の飲酒とヒロポン中毒のために深夜の路上で刑事事件を起こし、札幌刑務所で服役。そこで女性看守坂東知子と知り合う。仮出所後、上川町の義兄宅に寄宿。1954年、札幌で伝道師となっていた知子と結婚する。 名古屋の同人誌『作家』に「未決囚」を発表、1955年に直木賞候補となる。1958年、再上京し「地宴」で作家賞、1982年、『生命盡きる日』で平林たい子文学賞受賞。
船山 馨(ふなやま かおる、1914年3月31日 - 198… 船山 馨(ふなやま かおる、1914年3月31日 - 1981年8月5日)は、日本の小説家。船山春子の夫。次男は彫刻家の船山滋生。戦後文学の旗手として活躍し、代表作に『石狩平野』『お登勢』などがある。 北海道札幌市生まれ。実父の小林甚三郎は余市町の出身で、馨の出生当時は東北帝国大学農科大学(現・北海道大学農学部)の学生であった(後に北海道拓殖銀行などに勤務)。母方の実家の意向で母方の船山姓を名乗り、実父とも生後間もなく離別した。なお、馨によると甚三郎はクリスチャンで、トルストイなどの文学愛好者でもあったという。養父は新聞記者・森笛川。 札幌二中(現北海道札幌西高等学校)に在学中、組合教会に通った。
畔柳 二美(くろやなぎ ふみ、1912年(明治45年)1月1… 畔柳 二美(くろやなぎ ふみ、1912年(明治45年)1月14日 - 1965年(昭和40年)1月13日)は、日本の小説家。北海道千歳市生まれ、1928年に北海高等女学校卒業。 旧姓遠藤。北海道千歳郡千歳村(現・千歳市字水明郷)の王子製紙株式会社千歳第一発電所の社宅に、発電所技師であった父遠藤彌次郎、母サキの次女として生まれている。姉八重、弟彌弘、満、實の五人姉弟であった。 1918年(大正7年)発電所内の私立小学校に入学したが、1年程で発電所の勤務が北海道虻田郡狩太村(現在のニセコ町)に移って、狩太尋常小学校に転校し1924年(大正13年)3月卒業、同年4月に札幌市の北海高等女学校に入学している。
八木 義徳(やぎ よしのり、1911年(明治44年)10月2… 八木 義徳(やぎ よしのり、1911年(明治44年)10月21日 - 1999年(平成11年)11月9日)は、日本の小説家。日本芸術院会員。位階は従四位。 北海道胆振国室蘭郡室蘭町大字札幌通4丁目(現在の室蘭市中央町1丁目)に、父・田中好治、母・八木セイの次男(庶子)として生まれる。父の好治は山梨県東山梨郡春日居村(現在の笛吹市春日居町)の出身で、東京帝国大学医科大学を卒業し、義徳が出生した時点では町立室蘭病院(現在の市立室蘭総合病院)に務めていた。名医と評判であり、その後独立して室蘭市内に田中病院を開業している。一方、母のセイは青森県東津軽郡油川村(現在の青森市大字油川字大浜)出身で、小樽市の海産物商の養女となるが養家が没落し、室蘭で芸妓となり田中好治と知り合った。
中村 佐喜子(なかむら さきこ、1910年5月7日 - 19… 中村 佐喜子(なかむら さきこ、1910年5月7日 - 1999年10月10日)は、日本の翻訳家・作家。本名は石川佐喜子 北海道札幌市出身。日本女子大学英文科卒業。1942年に発表した小説『雪のりんご畑』が改造社の文芸推薦を受け、その後数作を発表。戦後は翻訳家としての活動が中心となり、数多くの英米文学の翻訳を行う。中でも角川文庫版『赤毛のアンシリーズ』は、その格調高く、且つ温かみのある訳文によって親しまれ、村岡花子訳の新潮文庫版とともにロングセラーとなった。 その他の著書に評伝『ロレンスを愛した女たち』、エッセイ『トマス・ハーディの全小説を楽しむ』などがある。
石上 玄一郎(いしがみ げんいちろう、1910年3月27日 … 石上 玄一郎(いしがみ げんいちろう、1910年3月27日 - 2009年10月5日)は日本の小説家。姓は「いそのかみ」と読まれていた時期もあるが、1981年頃から「いしがみ」と訂正した。 郷里東北の風土を背景に、現象学や仏教思想などの影響を受けた独自の実存主義的作風を展開した。 北海道札幌市生まれ。本名、上田重彦。父上田寅次郎は岩手県盛岡市出身。上田家は南部藩士で、代々御蔵奉行などを勤めていたが、維新後没落。寅次郎の母・綱は寅次郎ら幼い子供を連れて、実弟の栃内元吉(当時屯田司令官幕僚)・曽次郎(後に海軍大将)が住む札幌に移り住む。寅次郎は長じて札幌農学校・東京専門学校に学び、岩手県・北海道で中学教師の傍ら、新聞に読み物を書いていた。
長谷川 四郎(はせがわ しろう、1909年〈明治42年〉6月… 長谷川 四郎(はせがわ しろう、1909年〈明治42年〉6月7日 - 1987年〈昭和62年〉4月19日)は、日本の小説家、翻訳家。 北海道函館市出身。函館中学卒業。1926年に上京、松本泰のもとに寄宿する。1933年、立教大学予科を経て、法政大学文学部独文科に入学する。関口存男・片山敏彦にドイツ語・ドイツ文学を学び、豊島与志雄からフランス文学を学ぶ。 同学科を卒業後、1936年、南満州鉄道株式会社に入社。1942年、満鉄を退社し、満洲国協和会調査部に入る。1945年、ソ連侵攻により捕虜収容所に収容され、5年に及ぶシベリア抑留となった。 1951年、抑留経験をもとに雑誌『近代文学』に「シベリヤ物語」を発表した。
長見 義三(おさみ ぎぞう、1908年5月23日 - 199… 長見 義三(おさみ ぎぞう、1908年5月23日 - 1994年4月21日)は、日本の小説家。 北海道夕張郡長沼町生まれ。北海道農産物検査所に勤めるかたわら創作を始める。1928年「母胎より塚穴へ」が「小樽新聞」の懸賞小説1等入選となる。上京して谷崎精二に師事、早稲田高等学院卒後、1938年早稲田大学文学部仏文科卒。八木義徳と親交を結ぶ。1939年『姫鱒』で第9回芥川賞候補。敗戦後は千歳市の米軍キャンプで通訳を務める。最初の妻(死別)は野村尚吾の妹。1985年千歳市文化功労賞受賞、1990年北海道文化賞受賞。
寒川 光太郎(さむかわ こうたろう、1908年1月1日 - … 寒川 光太郎(さむかわ こうたろう、1908年1月1日 - 1977年1月25日)は、日本の小説家。本名は菅原憲光(すがわら のりみつ)。北海道羽幌町出身。1940年、『密猟者』で第10回芥川龍之介賞を受賞した。 小学校教員だった父に伴い、8歳から樺太大泊に住む。1926年に北海中学校を卒業後、法政大学英文科に進むが中退。樺太と満州で新聞記者を務めた後に帰国し、喫茶店経営、日本共産党員、樺太庁博物館館員、雑誌編集などの職に就く。 1937年に上京。高円寺で経営していた古書店を家人に委ねて創作活動を続け(その古書店には埴谷雄高が通っていた)、同人誌「創作」創刊号に発表した『密猟者』で、1940年に芥川賞を受賞。
青山ゆき路(あおやま ゆきじ 1907年8月11日 - 19… 青山ゆき路(あおやま ゆきじ 1907年8月11日 - 1993年2月27日)は、日本の小説家、歌人。石川県鵜川村(石川県鳳至郡に所在。町制施行し鵜川町となる。現:能登町。)に生まれ、1914(大正3)年に北海道小樽市に来る。父母の生業である理美容業を継ぐ。大正末期に並木凡平を知り、以来口語短歌一筋に70年の歌歴を積む。1927(昭和2)年並木凡平が「新短歌時代」を創刊するや編集同人として参画。主著に歌集「せせらぎ」「青空に描く」「海峡」など。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
入江 好之(いりえ よしゆき、本名:入江 好行、1907年(… 入江 好之(いりえ よしゆき、本名:入江 好行、1907年(明治40年) - 1989年(平成元年))は、日本の詩人・児童文学作家・教育者・経営者。 北海道小樽市生まれ。1928年(昭和3年)旭川師範学校(現・北海道教育大学旭川校)卒業。 在学中に詩誌「北斗星」を創刊。旧制中学校教諭]しながら、作詩活動を続け、詩誌「青光」を創刊。1936年(昭和11年)に第一詩集「あしかび」を刊行。その後官憲の弾圧を受け、教職を辞職し、1943年(昭和18年)に満州国に渡る。満州国日本人中学校の教員をしていたが、終戦。シベリア抑留を経て、1949年(昭和24年)に帰国。 1956年(昭和31年)北海道詩人協会の設立に参画し、同協会事務局長に就任( - 1976年(昭和51年))。
長谷川 濬(はせがわ しゅん、1906年7月4日 - 197… 長谷川 濬(はせがわ しゅん、1906年7月4日 - 1973年12月16日)は、日本の詩人・作家・ロシア文学者。 父・清(後に淑夫に改名)と母・ユキの三男として函館市元町に生まれる。1925年、函館中学を卒業すると、兄海太郎の勧めもあって4年の間漁船に乗った。1932年、大阪外国語学校露語科を卒業し、満州国の新政府資政局自治指導部訓練所(後の大同学院)に入る。大同学院を一期生として卒業し、満州国外交部を経て、満州映画協会に勤務する。1938年、北村謙次郎や仲賢礼らと雑誌『満州浪曼』を発刊する。1941年3月1日、満映の映画人養成所を開業し、同年11月には株式会社満州電影総社を設立する。この頃、ニコライ・バイコフの「偉大なる王」を文藝春秋から翻訳する。
和田 芳恵(わだ よしえ、1906年4月6日 - 1977年… 和田 芳恵(わだ よしえ、1906年4月6日 - 1977年10月5日 男性)は、日本の小説家・文芸評論家。編集者の傍ら樋口一葉研究に没頭。多くの伝記・研究をまとめた。私小説作家としても知られ、晩年には老人の性愛を描いた短編で注目された。 北海道山越郡長万部町出身。北海中学(現北海高等学校)、中央大学法学部独法学科卒業。新潮社勤務のかたわら同人誌に小説を執筆。樋口一葉研究を行い、第二次世界大戦中に『樋口一葉研究』(1942年)などを刊行した。 1935年から1949年にかけて市川市八幡・市川地区在住であった。1952年に発表された「塵の中」には戦争前後の市川から八幡の様子が随所に描かれている。 戦後は大地書房に勤務、小説雑誌『日本小説』を創刊(「中間小説」を創始したと評される)。
小川 記正(おがわ きせい、1906年 - 2000年2月2… 小川 記正(おがわ きせい、1906年 - 2000年2月27日)は、日本の脚本家、小説家、映画プロデューサーである。1950年(昭和25年)以降、映画の脚本を小川 正(おがわ ただし)の名で書いたが、後年のテレビ映画では「記正」に戻した。 1906年(明治39年)、北海道札幌市の代議士の長男として同市に生まれる。父親は資産家で、道内に大きな牧場をいくつか所有していたが、ある事件により投獄され、獄中死した。賭博好きの母親の浪費により家計が傾くなか、慶應義塾大学政治経済学部に学ぶ。 20代のころは松竹蒲田撮影所演出部で助監督を務め、25歳になる1931年(昭和6年)、短篇映画『真夜中商売』を監督したが、同作は公開されなかった。
本庄 陸男(ほんじょう むつお、1905年2月20日-193… 本庄 陸男(ほんじょう むつお、1905年2月20日-1939年7月23日)は、日本の小説家である。北海道石狩郡当別町出身。 北海道に移住した元佐賀藩士・本庄一興の六男として生まれる。家業は農業と雑貨商で、8歳のときに渚滑村(現紋別市)に移住。同地の尋常高等小学校卒業後、代用教員を務める。兄を頼って樺太で1年生活した後、上京して青山師範学校(現東京学芸大学)に編入する。小学校の教師として、東京の名門、誠之小学校に勤務していたが、新興教育運動に参加し、下町の学校を希望して、東京府深川区にある明治第二尋常小学校に転任する。そこでの経験はのちに「白い壁」という作品として結実した。 その後、1930年3月に東京教員消費組合の事件で検束されたことを理由として退職勧告を受ける。