佐藤 悦子(さとう えつこ、1934年2月 - 2010年5… 佐藤 悦子(さとう えつこ、1934年2月 - 2010年5月10日)は、日本の心理学者。 青森市生まれ。立教大学文学部心理学科卒、いったん職についたのち、1962年立教大学大学院修士課程修了。1969年コロンビア大学大学院修士課程修了。1969年ダートマス大学講師、1973年ベイラー医科大学講師、1977年テキサス大学講師、1981年立教大学助教授、1986年教授、社会福祉研究所副所長。1999年立教大を定年退任、名誉教授。2000-2002年立教女学院短期大学学長を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
田中 忠三郎(たなか ちゅうざぶろう、1933年11月26日… 田中 忠三郎(たなか ちゅうざぶろう、1933年11月26日 - 2013年3月5日)は、日本の民俗学者、民俗民具研究家、著述家。アミューズミュージアム名誉館長。渋沢敬三に傾注し、在野の民族研究家として民具の調査・収集にあたった。 1933年(昭和8年)11月26日、青森県下北郡川内町(現・むつ市)生まれ。 23 歳から単独で、平内町にある槻の木遺跡・一本松遺跡を 10 年間発掘する。その後、平内町教育委員会の勤務を経て、1977年から、布類を中心とした民具の収集を行う。三沢市小川原湖民俗博物館館長を務めた後、青森市歴史民俗展示館 稽古館の館長に就任する。民俗学へ転じて以降、半世紀近くにわたり、集落の姥や古老から昔の話を聞き取るフィールドワークを行った。
村上 真完(むらかみ しんかん、1932年7月25日 - 2… 村上 真完(むらかみ しんかん、1932年7月25日 - 2024年9月1日)は、日本の仏教学者・インド哲学者。東北大学名誉教授。 青森県黒石市出身。東北大学文学部印度学仏教学科卒。1963年同大学院文学研究科博士課程退学。1979年「サーンクヤ哲学研究 インド哲学における自我観」で文学博士。八戸工業高等専門学校助教授、1969年東北大学文学部助教授、1989年教授、1996年定年退官、名誉教授、聖和学園短期大学教授。2009年『パーリ仏教辞典』で日本翻訳出版文化賞受賞。
今 充(こん みつる、1932年1月20日 - 2018年4… 今 充(こん みつる、1932年1月20日 - 2018年4月14日)は、日本の医学者。弘前医療福祉大学特任教授、弘前大学名誉教授。学位は医学博士(弘前大学)。専門は一般外科・消化器外科(特に大腸外科・肛門括約筋機能温存術)高齢者・福祉医療、緩和・終末期医療。 青森県弘前市出身。1962年に弘前大学大学院医学研究科を修了後、弘前大学第二外科助手に就任。66年から2年間、人癌研究のため米国ロズウェルパーク記念研究所へ出張する。91年から第二外科学教室教授として昇任。大腸癌、特に直腸癌における低位前方切除術の先駆者として自律神経温存手術などの治療に注力。94年には青森県で初めての生体部分肝移植を指揮。
鳴海 正泰(なるみ まさやす、1931年9月3日 -2021… 鳴海 正泰(なるみ まさやす、1931年9月3日 -2021年2月14日 )は、日本の政治家、政治学者、関東学院大学名誉教授。 青森県青森市生まれ。1954年東北大学文学部西洋史学科卒業後、東京都政調査会の研究員となる。飛鳥田一雄が横浜市長の時代に市政ブレーンとして参加し、市長特使として中国へ往復、「ヨコハマのナルミンジャ」と異名をとる。1980年関東学院大学教授、1997年定年、名誉教授となる。テニスの歴史にも詳しく、横浜山手・テニス発祥記念館館長を務めた。2021年2月14日死去。
工藤 昭雄(くどう あきお、1930年12月3日 - 201… 工藤 昭雄(くどう あきお、1930年12月3日 - 2010年12月17日)は、日本の英文学者、旧・東京都立大学名誉教授。 青森県北津軽郡板柳町生まれ。東京大学文学部英文科卒業。東京都立大学助教授、教授、1994年に定年退官、名誉教授、学習院大学教授を務め、2001年退任。 当初英国の現代文学を研究、翻訳し、のちV・S・ナイポールなど植民地文学に移った。 2010年12月17日、肺炎のため東京都文京区の病院で死去。80歳没。叙従四位、瑞宝中綬章追贈。
七戸 長生(しちのへ ちょうせい、1930年9月25日 - … 七戸 長生(しちのへ ちょうせい、1930年9月25日 - 2022年3月25日)は、日本の農学者・経済学者。学位は、農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授。元市立名寄短期大学学長。七戸克彦九州大学教授の実父。 七戸は1930(昭和5)年9月25日に青森県上北郡三本木町(現十和田市)で生まれ、幼少期に父親が北海道庁勤務(獣医)となったため北海道訓子府町に移住した。旧制旭川中学(現北海道旭川東高等学校)卒業。北海道大学農学部農業経済学科卒。1958年(昭和33年)同大学院農学研究科博士課程修了。 1960年農林省北海道農業試験場技官。1962年農林省農業総合研究所研究員を経て、1965年北海道大学農学部専任講師。
前島郁雄(まえじま いくお、1929年(昭和4年)1月11日… 前島郁雄(まえじま いくお、1929年(昭和4年)1月11日 - 2020年(令和2年)3月9日)は、日本の地理学者・気候学者。旧・東京都立大学名誉教授。社団法人東京地学協会名誉会員、公益社団法人日本地理学会名誉会員。 長野県小諸市で出生。青森県青森市出身。旧制弘前高等学校理科甲類を経て、1951年に旧制東京大学理学部地理学科を卒業、1956年に東京大学理学部大学院修了。その後1966年に"Natural Seasons and Weather Singularities in Japan" 「日本の自然季節と天候特異日」により理学博士の学位を取得。 1956年より早稲田大学教育学部助手となり、1958年より講師、1962年より助教授。
石田 雄(いしだ たけし、1923年6月7日 - 2021年… 石田 雄(いしだ たけし、1923年6月7日 - 2021年6月2日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。 父は神奈川県知事や警視総監を務めた石田馨。母方の祖父は茨城県知事を務めた大塚貢。長男は東京大学名誉教授の石田浩。次男は千葉大学教授の石田憲。義兄(姉の夫)は東京都知事を務めた鈴木俊一。 内務省神社局長、警視総監、高松宮別当、宮内省御用掛などを歴任した石田馨の二男として、父の青森県警察部長時代に青森市で生まれる。旧制成蹊高校から東京帝国大学を受験したが不合格となり、東北帝国大学法文学部へ入学。在学中に学徒出陣を受け、東京湾要塞重砲兵連隊に入隊した。 敗戦で復員した後は、特例措置で東京大学法学部政治学科へ転じて丸山眞男ゼミに参加。
竹浪 祥一郎(たけなみ しょういちろう、1923年- )は、… 竹浪 祥一郎(たけなみ しょういちろう、1923年- )は、日本の経済学者、桃山学院大学名誉教授。 青森県北津軽郡板柳町出身。弘前中学校(現青森県立弘前高等学校)、旧制弘前高等学校卒、1947年東京帝国大学(現・東京大学)経済学部卒、大学院、東京大学社会科学研究所助手、中部日本新聞の記者をへて、1963年桃山学院大学経済学部助教授、1965年教授、1969年経済学部長、図書館長、1992年定年退任、名誉教授。
武田昌輔(たけだ まさすけ、1922年1月9日 - 2012… 武田昌輔(たけだ まさすけ、1922年1月9日 - 2012年6月25日)は、日本の法学者。 青森県青森市出身。1944年中央大学法学部卒。大蔵省に入り、大蔵省高等財務講習所(現在の税務大学校)第1期となり、主税局税制第一課を経て、1966年成蹊大学経済学部助教授、1967年教授、1988年学部長。1989年退任、名誉教授となる。税務会計研究学会会長、財団法人租税資料館理事長を務めた。専門は法人税法。
三浦 種敏(みうら たねとし、1920年(大正9年)9月21… 三浦 種敏(みうら たねとし、1920年(大正9年)9月21日 - 2004年(平成16年)1月19日)は、日本の海軍技術大尉、学者。専門は電気音響工学。 1920年9月21日、青森県五戸町生まれ。1943年9月、東北帝国大学工学部電気工学科卒業。1945年3月、海軍技術大尉。同年11月、逓信省電気試験所に入所し、4号電話機の開発に従事。1952年8月、日本電信電話公社入社。1957年8月、工学博士(東北大学)。1959年、日本電信電話公社電気通信研究所伝送研究室室長。1962年、日立製作所中央研究所入所。1977年、東京電機大学工学部電気通信工学科教授。2004年1月19日、83歳で死去。 1985年5月から1987年まで、日本音響学会会長を務めた。
松下 和則(まつした かずのり、1919年3月3日 - 20… 松下 和則(まつした かずのり、1919年3月3日 - 2007年11月9日)は、フランス文学者、東京大学名誉教授。 父の任地、現在の青森県弘前市に生まれ、翌年東京に移転。第一高等学校理科から、1941年東京帝国大学理学部物理学科を繰り上げ卒業、1942年同地震研究所助手、1943年同文学部仏文科に入学し、1946年卒業。大学院研究生を経て1951年中央大学助教授、1954年東京大学教養学部助教授、1967年教授、1979年定年退官、名誉教授。上智大学教授を務め1984年退職。1981年から1985年まで日本フランス語フランス文学会会長、1984年フランス政府より教育功労章を授与される。1992年勲三等旭日中綬章。
盛田 稔(もりた みのる、1917年3月15日 - 2019… 盛田 稔(もりた みのる、1917年3月15日 - 2019年6月10日)は、日本の経済史学者。青森山田学園特別顧問、青森大学名誉教授。 青森県七戸町生まれ。県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)、弘前高等学校文化乙類卒、1941年、東京帝国大学(現・東京大学)経済学部卒業。 翌年より近衛歩兵第5連隊補充隊に入営、陸軍経理学校を経て主計将校となり、歩兵第31連隊に配属。1944年(昭和19年)に主計大尉に累進し、歩兵第131連隊(長:重広三馬大佐)本部高級主計となる。7月の動員下令後、八戸市に宿営し物資調達のため奔走した。11月、派兵先が中支と決まり漢口に上陸。1945年3月、宝慶に新規編成された独立混成第86旅団(長:上野源吉少将)司令部に転じ、終戦を迎える。
柴田 治三郎(しばた じさぶろう、1909年2月17日 - … 柴田 治三郎(しばた じさぶろう、1909年2月17日 - 1998年7月27日)は、日本の文学研究者、ドイツ文学者、東北大学名誉教授。
赤木 健介(あかぎ けんすけ、1907年3月2日 - 198… 赤木 健介(あかぎ けんすけ、1907年3月2日 - 1989年11月7日)は、日本の詩人、歌人、編集者、歴史家。本名・赤羽 寿(あかばね ひさし)、別名・伊豆 公夫(いず きみお)。 青森市生まれ。九州帝国大学法文学部中退。姫路高等学校時代から『アララギ』に投稿、1928年の三・一五事件以来、左翼運動に挺身。1933年、検挙投獄。1935年、出獄ののち、渡辺順三らの『短歌評論』に参加。1932年、唯物論研究会に属し、日本共産党に入党するが、1938年、一斉検挙にあい、1944年に判決が下って下獄。この間、1940年に「在りし日の東洋詩人たち」で第4回透谷文学賞を受賞した。敗戦後、1945年10月に連合軍により解放される。
宮川 善造(みやかわ ぜんぞう、1904年(明治37年)10… 宮川 善造(みやかわ ぜんぞう、1904年(明治37年)10月14日 - 1985年(昭和60年)12月11日)は、日本の地理学者。満州の建国大学で教鞭をとった。 青森県弘前市出身。京都大学地理学教室を卒業。大学院を経て東北の東北学院高等学校の教授となる。その後、1938年、作田荘一が指導する満州の建国大学へ着任する。戦後はチェレンホーボ炭鉱に抑留され、1947年に日本に帰国した。1949年に東北大学の講師、翌年に教授となった。 太平洋戦争中の彼の論文「大東亜地政学と満洲の地位」によれば、大東亜共栄圏について大東亜という広い地域のなかでの日本を中核とした国家連合を想定した。その大東亜の範囲について、日本を中心に、内核には日本、満州、中国を、中間圏にタイ王国やフィリピン、極東のシベリアなど、外側にはオーストラリアやアリューシャン列島などを想定する。
高杉 年雄(たかすぎ としお、1904年(明治37年)3月2… 高杉 年雄(たかすぎ としお、1904年(明治37年)3月29日-1984年(昭和59年)1月6日)は、日本の医学者、学校経営者。医学博士(北海道帝国大学)。 青森県弘前市で出生後、北海道札幌に移住。1921年北海道庁立札幌第二中学校卒業。1928年(昭和3年)北海道帝國大学医学部卒業。1930年同医学部助手。1933年北海道帝国大学にて論題「沃度代謝と消化器との関係」にて医学博士受く。1933年北海道帝国大学医学部第二内科講師。1934年同医学部第二内科助教授。1947年北海道大学医学部内科学第三講座初代教授及び北海道大学病院医科第三内科長に任命される。1955年(昭和30年)北海道大学医学部附属病院院長。
松木明(まつき あきら、1903年 - 1981年12月3日… 松木明(まつき あきら、1903年 - 1981年12月3日)は、日本の血清学者、民俗学者。 第八師団軍医広田守の長男として青森県弘前市に生まれ、母親の実家を次いで松木姓になる。弘前中学から弘前高等学校、東京帝国大学医学部を卒業後、同大学の三田定則教授のもと血清学を学び、1934年弘前に帰って開業。血清人類学の研究を行う。津軽民俗の会会長。息子は松木明知。
石館 守三(いしだて もりぞう、1901年1月24日 - 1… 石館 守三(いしだて もりぞう、1901年1月24日 - 1996年7月18日)は、日本の薬学者、薬理学者。日本の薬学界のパイオニア。ハンセン病治療薬「プロミン」を合成し、多くのハンセン病患者を救った。また、日本初のがん化学療法剤ナイトロミン(ナイトロジェンマスタードN-オキシド)を創製した。東京大学薬学部初代学部長、名誉教授、薬学博士、元日本薬剤師会会長。 放送作家・アニメーション監督の石ダテコー太郎は孫。 1901年、青森県青森市、喜久造・みきの三男として薬種商を営む裕福な商家に生まれた。1918年、青森県立青森中学校を卒業、1919年第二高等学校理科二類に進学。中学を卒業して浪人中の夏、療養所でハンセン病患者に初めて遭遇し、衝撃を受ける。
佐藤 一村(さとう いっそん、明治32年(1899年)10月… 佐藤 一村(さとう いっそん、明治32年(1899年)10月18日 - 1991年11月、本名: 佐藤 武市(さとう たけいち))は、日本の銀行員、大学教員、俳人である。ホトトギスの同人であった。 明治32年、青森市に生まれる。弘前中学校に通う。大正9年に小樽高等商業学校を卒業した後、太平洋戦争終結による解体まで台湾銀行に勤める。台南勤務、スラバヤへの駐在を経て、蘇州支店長、漢口支店長を歴任する。佐藤は武漢での勤務は「文字どうりの滅私奉公の四年であった」と振り返っている。戦後は日本に引き揚げ、GHQ大阪軍政部の技術顧問となった。後に大阪工業高等専門学校および大阪工業大学短期大学部で講師を務めた。
上杉修(うえすぎ おさむ、1897年(明治30年) - 19… 上杉修(うえすぎ おさむ、1897年(明治30年) - 1979年(昭和54年))は、八戸市の郷土史家。 八戸町上組町生まれ。1922年(大正11年)から1932年(昭和7年)まで小中野町にタクシー会社を経営し、1933年(昭和8年)に番町に公衆浴場を営む。 郷土史家としても八戸藩日記など数多くの郷土資料を収集した。 1946年(昭和21年)に、八戸南部家の子孫から八戸藩日記などの資料を購入し、野田健次郎と八戸藩の研究に取り組んだ。その結果、1950年(昭和25年)に安藤昌益の家族構成などが判明した。 1967年(昭和42年)に、自宅が火災に見舞われたため、自身が所有していた八戸藩の資料が一部焼失した。
山田 幸五郎(やまだ こうごろう、1889年9月10日 - … 山田 幸五郎(やまだ こうごろう、1889年9月10日 - 1982年7月23日)は、日本光学界の先駆者、海軍軍人、理学博士。最終階級は海軍技術少将。主に幾何光学中心に、光学機械、光学兵器の開発に寄与した。 青森県青森市出身。旧制青森県第三中学校(現青森県立青森高等学校)・旧制第一高等学校・東京帝国大学卒業。大学院で長岡半太郎に師事して輻射学を研究、長岡の推薦で技術士官(造兵官)として海軍に入り、光学兵器の研究を推進させた。青木小三郎、丸山修治らを育て、日本の光学兵器の水準を世界水準にまで高めた。 敗戦後、公職追放処分を受け、一時期は進駐軍の通訳などをして不遇の時期を過ごしたこともあった。 ロチェスター大学の客員教授となって以降は公職に復帰し、企業の取締役や大学教授などを歴任した。
小井川 潤次郎(こいかわ じゅんじろう、1888年〈明治21… 小井川 潤次郎(こいかわ じゅんじろう、1888年〈明治21年〉3月21日 - 1974年〈昭和49年〉2月28日)は、日本の民俗学者、郷土史家。青森県八戸・十六日町生まれ。1928年、八戸郷土研究会を結成。翌年より地方紙『奥南新報』などで会員とともに次々と民俗レポートや論考を発表し、それらに注目した柳田國男や折口信夫、佐々木喜善らと交流した。1935年、「民間伝承の会」(後の日本民俗学会)の創立に参加。1952年、日本民俗学会名誉会員。 「北奥民俗学の巨星」、「八戸史学の父」などと評されるが、その活動範囲は民間信仰「おしらさま」や郷土芸能「えんぶり」の研究から、伝統工芸「南部菱刺し」の復興活動および柳宗悦の協力を得ての全国への紹介、糠部郡三十三観音巡礼に関する古文書の発見と翻刻・出版、地元の種差海岸、根城、是川遺跡の研究による名勝・史跡指定への貢献など多岐にわたる。
武原 熊吉(たけはら くまきち、1885年8月26日 - 1… 武原 熊吉(たけはら くまきち、1885年8月26日 - 1957年4月19日)は、日本の化学者。 青森県青森市出身。1908年東京帝国大学理科大学化学科卒。1909年東北帝国大学農学部教授、1920年東京高等師範学校教授、1949年東京教育大学教授、1950年定年退官、名誉教授。1943年日本化学会会長。
菊池 秋雄(きくち あきお、1883年1月28日 - 195… 菊池 秋雄(きくち あきお、1883年1月28日 - 1951年)は、青森県出身の園芸学者。京都大学名誉教授。専門は果樹園芸学。
郡場 寛(こおりば かん、Kwan Koriba、1882年… 郡場 寛(こおりば かん、Kwan Koriba、1882年(明治15年)9月6日 - 1957年(昭和32年)12月15日)は、日本の植物生理生態学者。理学博士。旧姓白戸。 青森市浪打新町(現:栄町)にて津軽藩士の家に生まれる。父直世は酸ヶ湯温泉の開発者で、同地で温泉宿を経営。母フミ(旧姓三上)は薬草を中心に八甲田山の植物を採取して標本を作り、全国の大学や研究機関に送った功績がある。 1900年、青森県第一中学校(現在の青森県立弘前高等学校)を卒業。同年、旧津軽藩時代の旧姓郡場に改姓。第二高等学校を経て、1907年、東京帝国大学理科大学植物学科卒業。同大学院で三好学に師事し、生長現象と外部環境の関連など植物生理学の研究を行う。
今 裕(こん ゆたか、1878年(明治11年)2月7日 - … 今 裕(こん ゆたか、1878年(明治11年)2月7日 - 1954年(昭和29年)2月5日)は、日本の医学者。医学博士。専門は病理学・細菌学。 青森県弘前出身。津軽藩侍医・今幹斎の五男。1896年(明治29年)青森県第一尋常中学校卒。1900年(明治33年)第二高等学校医学部卒。京都帝國大学医学部助手、台湾総督府医学校助教授、1909年(明治42年)東京慈恵会医学専門学校教授。東京歯科医学専門学校教授兼任。1918年(大正7年)北海道帝國大学農学部教授。1919年(大正8年)同医学部教授。1925年(大正14年)同医学部長。1937年(昭和12年)北海道帝國大学総長。1941年(昭和16年)北海道帝國大学停年退官。
大関 久五郎(旧字体: 大關 久五郞、おおせき きゅうごろう… 大関 久五郎(旧字体: 大關 久五郞、おおせき きゅうごろう、おおぜき ひさごろう、おおぜき きゅうごろう、1875年 - 1918年11月10日)は、日本の地理学者。 氷河地形研究のファイターと呼ばれ、その研究成果を『地学雑誌』『地質学雑誌』などに次々と発表した。 1875年、青森県三戸郡館村(八戸市)に生まれる。三戸郡売市小学校と、同校の初等科・高等科を経て、青森県師範学校(現・弘前大学)に入学し、22歳で卒業。青森県三戸郡湊尋常小学校訓導となる。翌年、高等師範学校(のち東京高等師範学校)に入学し、三宅米吉・矢津昌永らの指導を受け、1901年に本科地理歴史部を卒業する。高等師範学校助教諭兼訓導に任ぜられ、附属中学校の地理科の教官となった。
吉町 太郎一(よしまち たろういち、1873年-1961年)… 吉町 太郎一(よしまち たろういち、1873年-1961年)は、日本の橋梁工学者。材料工学者・研究者。代表作に旭橋など。 九州帝国大学工学部長、北海道帝国大学工学部長、室蘭工業専門学校(現・室蘭工業大学)学長を歴任した。 青森県に生まれ、弘前市新寺町出身、藩士吉町官助の子。幼にして父に随い上京。苦学力行して第一高等学校から東京帝国大学工学部に入学。金属学を専攻して、1898年に卒業。同時に同学部助教授になり、1901年に欧州へ留学。1904年に帰朝して、名古屋高等工業学校教授、転じて九州帝国大学工学部教授となった。1924年に北海道帝国大学に工学部設立のさい迎えられて同学部教授。ついで同学部長となり、1936年退官して北海道大学名誉教授の称号をうけた。
藤村 與六(ふじむら よろく、1872年〈明治5年〉 - 1… 藤村 與六(ふじむら よろく、1872年〈明治5年〉 - 1967年〈昭和42年〉11月29日 )は、日本の教育者、易学者。号は蒙斎、のちに蒙軒と改めた。従五位、勲六等瑞宝章に叙せられる。 1872年(明治5年)に青森県弘前に生まれた。実父は明治維新後に郵便御用取扱人を務めた馬渡周助で、10人兄弟の末子として生まれた。幼少時に旧弘前藩士の藤村家の養子となった。 1893年(明治26年)に青森県尋常師範学校を卒業し、小学校訓導となる。その後高等師範学校文科に進み、1900年(明治33年)3月に卒業した。 卒業後の同年4月、国語及漢文科の教諭として鳥取県第一中学校に赴任し、その後神奈川県師範学校、滋賀県立第一中学校、私立明倫中学校、高知師範学校の教諭・主事・教頭を歴任した。
中田 重治(なかだ じゅうじ、1870年11月20日(明治3… 中田 重治(なかだ じゅうじ、1870年11月20日(明治3年10月27日)- 1939年(昭和14年)9月24日)は、明治・大正・昭和初期にかけて活躍した日本の教会監督、大衆伝道者、巡回伝道者、福音使(牧師)、神学校(柏木聖書学院)教師・院長(校長)、宗教家、説教家、翻訳家、賛美歌作家、実業家、ジャーナリスト、神学者、日ユ同祖論者である。 明治時代のメソジスト派の牧師中田久吉は実兄、日本を代表する教会音楽家の中田羽後は次男、日本アライアンス教団の大江寛人、日本基督教団の議長辻宣道、同じく日本基督教団の牧師有馬式夫は孫である。 日本ホーリネス教会の創始者の一人で初代監督であり、日本ホーリネス教会を既存の五大教派(長老派、メソジスト派、会衆派、バプテスト派、ルーテル派)に並ぶ巨大組織に発展させた功労者。
北山 兼弘(きたやま かねひろ)は、日本の森林生態学者。京都… 北山 兼弘(きたやま かねひろ)は、日本の森林生態学者。京都大学名誉教授。日本生態学会賞受賞。 青森県八戸市生まれ。1981年東京農工大学農学部環境保護学科卒業。1983年東京農工大学大学院農学研究科修士課程修了、農学修士、マレーシア国立大学自然資源学部講師(青年海外協力隊)。1992年ハワイ大学植物学科博士課程修了、Ph.D.(植物学)、ハワイ大学植物学科ポストドクトラル・フェロー、東西センター環境政策研究所フェロー研究員。1993年ハワイ大学植物学科研究員。1994年農林水産省林野庁森林総合研究所主任研究官。2000年京都大学生態学研究センター助教授。2001年京都大学生態学研究センター教授。
小渡 康行(こわたり やすゆき)は、日本の認知神経科学者、医… 小渡 康行(こわたり やすゆき)は、日本の認知神経科学者、医師。人間の顔認識における視線方向(特に左向き斜め顔)の脳活動への影響をfMRIを用いて研究したことで知られる。 青森県立八戸高等学校を経て、東京大学医学部医学科卒業。東京大学大学院医学系研究科にて博士(医学)を取得(2005年)。学位論文の題目は「脳左向き斜め顔は顔の認識に関与する脳皮質領域を強く賦活する」。 その後、産業技術総合研究所において文章朗読の高速再生刺激に対する脳活動などの研究に参加。 臨床分野では、肥満や生活習慣病関連の臨床試験責任者として名前が挙がっている。
湊 丈俊(みなと たけとし、男性)は、日本の化学者、物理学者… 湊 丈俊(みなと たけとし、男性)は、日本の化学者、物理学者。学位は博士(理学)。自然科学研究機構分子科学研究所主任研究員。専門は、表面界面科学、物理化学。青森県三戸町出身 2005年 東京工業大学大学院総合理工学研究科 博士課程修了 2005年 理化学研究所 基礎特別科学研究員 2007年 東北大学国際高等研究教育機構 助教 2007年 理化学研究所 客員研究員 2009年 Temple Uniersity化学専攻 客員研究員 2010年 産業技術総合研究所 客員研究員 2010年 応用物理学会 講演奨励賞受賞 2010年 総合研究奨励会 総合研究奨励賞受賞 2012年 理化学研究所 基幹研究所研究員 2012年 京都大学産官学連携本部 特定准教授 2012年 日本化学会 年会優秀講演賞(学術)受賞 2015年 欠陥を自在に操る新たな方法を発表 2017年 日本物理学会 若手奨励賞受賞 2017年 新化学技術推進協会 グリーン・サステイナブルケミストリー賞奨励賞受賞 2019年 フジサンケイビジネスアイ 先端技術大賞特別賞受賞 2019年 モバイル・コミュニケーション・ファンド ドコモ・モバイル・サイエンス賞優秀賞受賞 2019年 界面で流動性を失う水分子の直接可視化に成功 2020年 自然科学研究機構分子科学研究所 主任研究員 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。