上岡 国夫(かみおか くにお、1937年11月 - )は、日… 上岡 国夫(かみおか くにお、1937年11月 - )は、日本の教育心理学者。元高崎経済大学教授、高崎経済大学附属高等学校初代校長。群馬県渋川市出身。 1956年群馬県立渋川高等学校卒業、1964年京都大学教育学部卒業、1967年群馬大学教育学部専攻科修了、1970年東京教育大学大学院教育学研究科修士課程修了、1973年東京教育大学大学院教育学研究科博士課程中退。 群馬県渋川市立渋川工業高等学校(現:群馬県立渋川工業高等学校)教諭、足利工業大学(現:足利大学)講師、高崎経済大学講師・助教授・教授、群馬女子短期大学(その後高崎健康福祉大学短期大学部に改称、現在は廃止)講師、高崎経済大学附属高等学校(現:高崎市立高崎経済大学附属高等学校)校長、高崎芸術短期大学講師などを歴任。
市川 宏(いちかわ ひろし、1937年〈昭和12年〉 - 2… 市川 宏(いちかわ ひろし、1937年〈昭和12年〉 - 2014年〈平成26年〉6月12日)は、日本の中国文学者、法政大学名誉教授。 群馬県桐生市生まれ。1960年東京都立大学人文学部卒業。同大学院修士課程修了、法政大学第一教養部助教授、教授、2003年定年、名誉教授。古代から現代までの中国文学を翻訳紹介した。 2014年6月12日午前4時21分、尿管癌のため埼玉県新座市の自宅で76歳で死去した。
紋谷 暢男(もんや のぶお、1936年8月21日- 2016… 紋谷 暢男(もんや のぶお、1936年8月21日- 2016年4月23日)は、日本の法学者。専門は知的財産権法。学位は、法学博士(東京大学・課程博士・1967年)。成蹊大学名誉教授。 1936年東京都千代田区霞が関生まれ。1955年群馬県立高崎高等学校卒業。1960年東京大学法学部第一類(私法コース)卒業、1962年同法学部三類(政治コース)卒業、1967年同大学院法学政治学研究科博士課程修了(総代[要出典])、東京大学より法学博士の学位を取得(学位論文「実用新案客体論-ドイツ・日本の沿革を中心として-」。1967年、成蹊大学法学部助教授。1975年、教授。2004年、法科大学院教授。2007年、定年、名誉教授。
本間 三郎(ほんま さぶろう、1935年〈昭和10年〉9月4… 本間 三郎(ほんま さぶろう、1935年〈昭和10年〉9月4日 - 2006年〈平成18年〉12月15日)は、日本の物理学者。 1935年群馬県高崎市生まれ。1954年群馬県立高崎高等学校卒業。1959年東北大学理学部物理学科卒業。東北大学大学院理学研究科修士課程および博士課程を修了し、1964年理学博士号取得。 1967年東北大学理学部助手、米国マサチューセッツ工科大学原子核研究所研究員を経て、1970年東京大学理学部講師、1971年同大原子核研究所助教授、1984年教授。1996年定年退官、名誉教授となる。 1997年学校法人読売理工学院の読売江東理工専門学校校長、同学院理事に就任。1998年6月、読売東京理工専門学校(現・読売理工医療福祉専門学校)校長も兼務する。
堤 貞夫(つつみ さだお、1934年〈昭和9年〉10月30日… 堤 貞夫(つつみ さだお、1934年〈昭和9年〉10月30日 - )は、日本の鉱床学者(地球科学者)。工学博士。早稲田大学名誉教授。専門は鉱物学。群馬県利根郡久呂保村(現:昭和村)生まれ。 群馬県立沼田高等学校を経て、1957年早稲田大学第一理工学部鉱山学科を卒業。1962年、同大学院理工学研究科博士課程を修了。1965年工学博士(早稲田大学)。同年より同大学教育学部助手、講師、助教授を経て1975年教授。1986年から1990年にかけて教育学部長、1990年から1993年まで早稲田実業学校理事長、1995年から2003年まで早稲田中・高等学校長を歴任。2005年3月定年退職、名誉教授。 大学では稲門地学会会長、循環型環境技術研究会会長、また1981年から2005年までバスケットボール部の部長を務めた。
田村 紀雄(たむら のりお、1934年〈昭和9年〉9月11日… 田村 紀雄(たむら のりお、1934年〈昭和9年〉9月11日 - )は、日本の社会学者、ノンフィクション作家、東京経済大学名誉教授。 1934年群馬県前橋市曲輪町(現・大手町)に生まれる。栃木県立栃木高等学校を経て群馬県立太田高等学校卒業後、編集プロダクションでライターの仕事をし、蔵内数太、鶴見俊輔ら多くの社会学者と知り合い、権田保之助の仕事に学ぶ。1961年法政大学社会学部卒。1965年、日高六郎の招きで東京大学新聞研究所助手となり、その後桃山学院大学助教授を経て、1974年東京経済大学経営学部助教授、83年教授。1995年東京経済大学コミュニケーション学部創設と同時に、同学部学部長に就任。 2004年「エスニック・ジャーナリズム 日系カナダ人、その言論の勝利」で武蔵大学社会学博士(主査・白水繁彦)。
菅沼 晃(すがぬま あきら、1934年〈昭和9年〉4月5日 … 菅沼 晃(すがぬま あきら、1934年〈昭和9年〉4月5日 - 2016年〈平成28年〉4月7日)は、日本の仏教学者。東洋大学名誉教授。 群馬県富岡市星田の伝宗寺住職・菅沼万休の長男として生まれる。群馬県立富岡高等学校を経て東洋大学卒業後、1962年東洋大学大学院博士課程中退。1974年「入楞伽経の思想史的研究」で文学博士。東洋大学文学部印度哲学科教授、同学部長。同短期大学学長を経て、1991年-1994年、東洋大学学長。2005年に定年退任し、名誉教授。 1975年、日本印度学仏教学会学会賞を受賞。
佐藤 俊夫(さとう としお、1934年〈昭和9年〉3月7日 … 佐藤 俊夫(さとう としお、1934年〈昭和9年〉3月7日 - 2019年〈令和元年〉5月18日)は、日本の会計学者、経済学者。元国士舘大学学長。会計学専攻。 群馬県前橋市出身。1957年3月、中央大学商学部卒業。1959年3月、青山学院大学大学院修了。 1964年4月より国士舘大学政経学部専任講師となり、1966年から助教授を経て、1973年より教授。1985年8月、政経学部長に就任。1991年12月より国士舘大学の学長に就任。国士舘短期大学学長を経て学校法人国士舘顧問を務めた。 2019年5月18日、心不全のため東京都内の自宅で死去。85歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
長谷川 端(はせがわ ただし、1934年1月27日 - )は… 長谷川 端(はせがわ ただし、1934年1月27日 - )は、日本の日本中世文学研究者、中京大学名誉教授。中世軍記物語が専門。 1934年群馬県高崎市生まれ。1952年群馬県立高崎高等学校卒業。1956年慶應義塾大学文学部仏文学専攻卒業。1959年同大学院修士課程修了。1962年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。 椙山女学園大学短期大学部、中京大学などで非常勤講師。 1987年「太平記の研究」で文学博士の学位を取得(慶應義塾大学)。 1989年3月から5月、国際交流基金より、カイロ大学文学部の客員教授として派遣され、3・4年生の学生を対象に日本中世文学の集中講義を実施。 中京大学文学部助教授、教授、2007年定年退任、名誉教授。
森島 賢(もりしま まさる、1934年〈昭和9年〉1月21日… 森島 賢(もりしま まさる、1934年〈昭和9年〉1月21日 - )は、日本の農業経済学者、立正大学名誉教授。農学博士。 群馬県前橋市生まれ。1952年群馬県立前橋高等学校卒業、1957年東京大学工学部土木工学科卒業。1963年同大学院農業経済学専攻修了、「農業における用水生産力の計測的研究」で農学博士。1964年農林省農業技術研究所入所。1978年北海道大学農学部助教授。1981年東京大学農学部助教授、84年教授。94年定年退官、立正大学経済学部教授。2004年定年退職、名誉教授。2003年社団法人農協協会理事。各種委員、農林水産統計観測審議会委員。千葉県農政審議会委員。
武 邦保(たけ くにやす、1933年〈昭和8年〉12月5日 … 武 邦保(たけ くにやす、1933年〈昭和8年〉12月5日 - 2002年〈平成14年〉7月23日)は、日本の宗教学者。元同志社女子大学教授。神学修士、法学修士。 群馬県伊勢崎市出身。群馬県立前橋高等学校卒。1965年(昭和40年)同志社大学大学院神学研究科卒。 四国学院大学を経て、同志社女子大学に1969年に着任。 2002年7月23日、肝不全のため死去。
富山 和子(とみやま かずこ、1933年〈昭和8年〉10月5… 富山 和子(とみやま かずこ、1933年〈昭和8年〉10月5日 - )は、日本の環境問題評論家、立正大学名誉教授。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋女子高等学校卒業後、1957年に早稲田大学第一文学部仏文科を卒業。講談社に入社し、『幼年クラブ』や『日本』の編集を担当する。1967年に退社。 立正大学短期大学部教授を経て、立正大学社会福祉学部教授。2004年に定年退任し、名誉教授。日本福祉大学教授。 国土利用における農業や林業の重要性を主張している。 富山は「水と緑と土は同義語」という標語に自身の思想を象徴させている。すなわち、森林が水を御し、植物すなわち食物を育む土壌をつくる。この三者は互いに密接に関係しあっており個々に取り出して議論することはできない。
田島 壮幸(田島壯幸、たじま もりゆき、1933年8月3日 … 田島 壮幸(田島壯幸、たじま もりゆき、1933年8月3日 - )は、日本の経営学者。1989年から1995年まで日本経営学会理事長、後に同名誉会員。一橋大学名誉教授。 群馬県佐波郡境町(現伊勢崎市)生まれ。1952年群馬県立太田高等学校卒業、1956年一橋大学商学部卒業、1961年同大大学院商学研究科博士課程単位修得。1974年商学博士(一橋大学)。藻利重隆ゼミ出身。 1961年一橋大学商学部専任講師、1965年同助教授、1973年同教授、1989年日本経営学会理事長、1991年から1993年まで同大商学部長。1997年一橋大を定年退官し同大名誉教授。1997年から石巻専修大学教授。この間青山学院大学、東京経済大学、東京女子大学、中央大学経済学部でも教鞭をとる。
津金沢 聡広(津金澤 聰廣、つがねさわ としひろ、1932年… 津金沢 聡広(津金澤 聰廣、つがねさわ としひろ、1932年11月8日 - )は、日本の社会学者、メディア研究者、関西学院大学名誉教授、関西学院大学博士(社会学)。
上原 進(うえはら すすむ、1932年 - 2023年11月… 上原 進(うえはら すすむ、1932年 - 2023年11月24日)は、日本の歯科医師・歯学者・博士。元日本障害者歯科学会理事長、日本大学名誉教授、元日本大学松戸歯学部障害者歯科学講座教授、元川崎医療福祉大学教授。 群馬県桐生市出身。群馬県立桐生高等学校卒。1957年に東京歯科大学卒業、以後日本大学助手を経て1978年より1998年まで日本大学松戸歯学部障害者歯科学講座教授。1998年より同大学総合科学研究所教授。2000年より2005年まで川崎医療福祉大学教授。
横山 貞子(よこやま さだこ、1931年〈昭和6年〉11月9… 横山 貞子(よこやま さだこ、1931年〈昭和6年〉11月9日 - )は、日本の英文学者、京都精華大学名誉教授。本名:鶴見 貞子(つるみ さだこ)。 群馬県富岡市出身。1954年に同志社女子大学英文科を卒業。1956年慶應義塾大学大学院英文科修士課程修了、1957年までイリノイ大学マスコミュニケーション学科に学ぶ。1958年キリスト教教育センター研究員。1959年京都精華大学人文学部講師、1973年助教授、1975年教授。2002年定年、名誉教授。 1960年 5月30日に東京工業大学に教授職の辞表を提出した鶴見俊輔と同年秋に結婚。全学連の唐牛健太郎が活動資金が底をついたため、著名人へのカンパを求めに出した際に鶴見俊輔は10万円出してくれたが貞子は「あの10万円、返して頂戴」と電話している。
永井 憲一(ながい けんいち、1931年〈昭和6年〉6月15… 永井 憲一(ながい けんいち、1931年〈昭和6年〉6月15日 - 2024年〈令和6年〉10月10日)は、日本の法学者。専門は憲法・教育法。学位は、法学博士(早稲田大学・1978年)(学位論文「教育法学の目的と任務」)。法政大学名誉教授。日本スポーツ学会代表理事、子どもの人権連代表理事。 1931年、群馬県群馬郡車郷村(箕郷町を経て現・高崎市)生まれ。群馬県立高崎中学校を経て、1953年早稲田大学法学部卒業。1956年、同大学院修士課程修了。 1956年玉川大学文学部講師。1961年立正大学経済学部助教授、1966年同教授。1979年法政大学教授。2002年、定年退職、法政大学名誉教授、国士舘大学大学院法学研究科客員教授、愛知学院大学大学院法学研究科教授。
霜田 一敏(しもだ かずとし、1931年5月26日 - 20… 霜田 一敏(しもだ かずとし、1931年5月26日 - 2021年10月31日)は、日本の教育学者、愛知教育大学名誉教授。 群馬県前橋市生まれ。1955年名古屋大学教育学部卒、1966年同大学院博士課程満期退学、帝塚山小学校教諭、福岡教育大学助教授、愛知教育大学教授。愛知教育大学附属岡崎小学校校長、1995年定年退官、名誉教授、愛知淑徳大学言語文化研究所教授。 2021年10月31日、肺がんのため、愛知県岡崎市内の病院で死去。90歳没。死没日をもって正四位に叙され、瑞宝中綬章を追贈された。
鈴木 直義(すずき なおよし、1931年5月23日 - 20… 鈴木 直義(すずき なおよし、1931年5月23日 - 2009年2月11日)は、日本の獣医学者。専門は、獣医生理学・原虫病免疫学。元帯広畜産大学学長。 群馬県前橋市出身。1955年(昭和30年)帯広畜産大学畜産学部獣医学科卒業。1965年(昭和40年)西ドイツ・ボン大学医学部寄生虫原生虫病研究所に留学。1965年(昭和40年)東京大学大学院農学系研究科博士課程修了、農学博士。学位論文は「Clinical studies on serum ionic calcium in domestic animals(家畜血清透析性カルシウムに関する臨床学的研究)」。1966年(昭和41年)帯広畜産大学畜産学部講師。
新井 章(あらい あきら、1931年〈昭和6年〉1月2日 -… 新井 章(あらい あきら、1931年〈昭和6年〉1月2日 - 2025年〈令和7年〉1月27日)は、日本の法学者、弁護士。茨城大学名誉教授。 群馬県高崎市末広町に生まれる。高崎市立北小学校、旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)、旧制第一高等学校を経て、1954年(昭和29年)に東京大学法学部を卒業。1953年(昭和28年)司法試験に合格し、1956年(昭和31年)第二東京弁護士会登録の弁護士となる。1959年(昭和34年)から日本教職員組合の顧問弁護士。 砂川事件・朝日訴訟・堀木訴訟・全逓中郵事件・家永教科書裁判など数々の憲法裁判に携わる。茨城大学人文学部教授、1996年定年退官、名誉教授。
塚本 哲也(つかもと てつや、1929年〈昭和4年〉4月29… 塚本 哲也(つかもと てつや、1929年〈昭和4年〉4月29日 - 2016年〈平成28年〉10月22日)は、日本の新聞記者、作家、大学教授。 群馬県館林市生まれ。旧姓・木村。木村裕主は実兄。1954年東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。政治部記者として岸信介を担当する。ヨーロッパ留学を検討し、オーストリア大使館を訪れ、ウィーン留学を決意。ウィーン留学経験のある人に話を聞きたいといって紹介されたのがオーストリア政府給費留学生だったピアニストの塚本ルリ子だった。1962年6月、留学生試験に合格後、哲也はルリ子と結婚し塚本姓となる。ルリ子の父(塚本憲甫)は国立がんセンター総長などを務めた医師だった。
木村 俊房(きむら としふさ、1929年〈昭和4年〉3月13… 木村 俊房(きむら としふさ、1929年〈昭和4年〉3月13日 - 1997年〈平成9年〉1月5日)は、日本の数学者(理学博士)。東京大学教授、日本数学会理事長。 群馬県前橋市出身。父の転勤により浦和へ引っ越し、旧制浦和高等学校を経て、東京大学理学部数学科を卒業。 立教大学助教授を勤めたのち、東京大学理学部数学科教授。1977年(昭和52年)から2年間、日本数学会理事長を務めた。 複素微分方程式の研究で知られる。 常微分方程式、数値解析、確率論など様々な分野の著書がある。 木村俊房 - KAKEN 科学研究費助成事業データベース この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
庭山 英雄(にわやま ひでお、1929年〈昭和4年〉1月1日… 庭山 英雄(にわやま ひでお、1929年〈昭和4年〉1月1日 - 2017年〈平成29年〉7月11日)は、日本の法学者(刑事訴訟法・冤罪事件)、弁護士。法学博士。「狭山事件の再審を求める市民の会」代表。 群馬県伊勢崎市生まれ。旧制群馬県立桐生中学校、学習院高等科を経て、1960年京都大学法学部を卒業。1963年一橋大学大学院法学研究科刑事法学修士課程修了、1966年同博士課程満期退学。指導教官は植松正。1979年「民衆刑事司法の動態の研究」で法学博士(京都大学)の学位を取得。 1966年中京大学法学部助教授、1971年同教授、1981年から1983年まで同学部長。1983年から香川大学法学部教授、1985年から1987年まで同学部長。
大沢 博(おおさわ ひろし、1928年〈昭和3年〉9月15日… 大沢 博(おおさわ ひろし、1928年〈昭和3年〉9月15日 - 2020年〈令和2年〉5月6日)は、日本の心理栄養学者。岩手大学名誉教授。 群馬県富岡市出身。1949年(昭和24年)群馬師範学校を卒業し、1952年(昭和27年)に東京文理科大学を卒業した。 1952年(昭和27年)前橋少年鑑別所法務技官、1953年(昭和28年)前橋市立女子高等学校教諭を経て1956年(昭和31年)岩手大学学芸学部助手。1959年(昭和34年)同講師、1963年(昭和38年)同助教授、1972年(昭和47年)教育学部教授。1977年(昭和52年)附属看護学校長、1983年(昭和58年)附属中学校長。1994年(平成6年)に名誉教授となる。
駒林 邦男(こまばやし くにお、1928年〈昭和3年〉8月2… 駒林 邦男(こまばやし くにお、1928年〈昭和3年〉8月29日 - 2011年〈平成23年〉5月27日)は、日本の教育学者。岩手大学名誉教授。アルゴリズム化教育、ソビエト教育学を研究した。 群馬県高崎市生まれ。高崎中学校を経て、1952年(昭和27年)東京文理科大学教育学科卒業。同年北海道学芸大学釧路分校助手。岩手大学教育学部助教授、教授を経て同附属小学校長。1975年、「現代ソビエト教授 - 学習諸理論の研究」で、東京教育大学より教育学博士の学位を取得。 1994年、定年退官、名誉教授、日本大学工学部教授。没後、正四位。
蝋山 道雄(ろうやま みちお、1928年8月11日 - 20… 蝋山 道雄(ろうやま みちお、1928年8月11日 - 2009年10月18日)は、日本の国際政治学者、上智大学名誉教授。
新井 隆一(あらい りゅういち、1928年3月2日 - 20… 新井 隆一(あらい りゅういち、1928年3月2日 - 2017年6月17日)は、日本の公法学者。早稲田大学名誉教授。 1928年群馬県高崎市生まれ。旧制群馬県立高崎中学校を経て、1956年に早稲田大学第一法学部を卒業。1961年同大学院博士課程単位取得退学、1976年「行政法における私人の行為の理論」で法学博士。早稲田大学法学部助教授、教授、1998年定年、名誉教授。 2014年瑞宝中綬章受章。 2017年6月17日、肝腫瘍にて死去。89歳没。没後、正五位に叙された。
小川 晃一(おがわ こういち、1927年〈昭和2年〉3月31… 小川 晃一(おがわ こういち、1927年〈昭和2年〉3月31日 - )は、日本の政治学者。法学博士[要出典]。北海道大学名誉教授。北海道における欧米政治思想史研究の第一人者[要出典]。 1927年(昭和2年)、群馬県館林市生まれ。旧制佐野商業学校(現・栃木県立佐野高等学校)、旧制下野中学校(現・作新学院高等学校)を経て、1949年(昭和24年)旧制第一高等学校を卒業。1952年(昭和27年)、東京大学法学部政治学科を卒業した。 1953年(昭和28年)、北海道大学法学部助手となる。同年から1958年(昭和33年)まで内地研究員として丸山眞男の下で研究に取り組む。1958年(昭和33年)北海道大学法学部助教授となり、1963年(昭和38年)同教授に就任。
田所 作太郎(たどころ さくたろう、1927年〈昭和2年〉1… 田所 作太郎(たどころ さくたろう、1927年〈昭和2年〉1月7日 - 2011年〈平成23年〉9月25日)は、日本の医学者・薬理学者。医学博士。群馬大学名誉教授。 群馬県前橋市生まれ。旧制前橋中学校を経て、1949年(昭和24年)前橋医学専門学校卒業。1955年(昭和30年)東京慈恵会医科大学医学博士。1959年(昭和34年)群馬大学医学部助教授。1965年(昭和40年)よりアメリカ・ミシガン大学へ留学。1972年(昭和47年)群馬大学医学部教授。1978年(昭和53年)日本アルコール医学会会長。1983年(昭和58年)群馬大学医学部付属動物実験施設長。1991年(平成2年)定年退官、名誉教授、群馬県立医療短期大学学長。
桑原 三郎(くわばら さぶろう、1926年12月20日 - … 桑原 三郎(くわばら さぶろう、1926年12月20日 - 2009年1月21日)は日本の教育者、児童文学者、文学博士。日本児童文芸家協会顧問、慶應義塾福澤研究センター顧問。 人形劇『きかんしゃトーマス』の原作となった絵本『汽車のえほん』の翻訳者のひとり。 1926年、群馬県利根郡池田村大字奈良(現沼田市奈良町)に桑原武一郎、志げの3男として生まれる[要出典]。父は誕生4ヶ月前に腹膜炎で急死、母も生後8ヶ月足らずで脳溢血で死亡、祖母そめとともに乳母杉野そうのもとで育った[要出典]。12歳年上の兄真一郎を父親代わりに、5歳年上の姉富子が教育係になって幼少期を過ごした[要出典]。その姉も18歳の時、災害死して兄1人ともう1人の姉朝子が記憶に残る兄弟となったためか、兄弟愛は強かった[要出典]。
田沼 肇(たぬま はじめ、1926年〈大正15年〉4月19日… 田沼 肇(たぬま はじめ、1926年〈大正15年〉4月19日 - 2000年〈平成12年〉8月9日)は、日本の社会学者・社会運動家。 群馬県桐生市生まれ。本籍東京市(現港区)。武蔵高等学校卒、1948年東京帝国大学経済学部卒、商工省調査統計局勤務。1950年法政大学大原社会問題研究所勤務、1963年同社会学部助教授、1964年教授。1970-1971、1978-1981年社会学部長。1993年退職、名誉教授。1983年原水爆禁止日本協議会代表理事。 1987年に発病し、1995年パーキンソン症状を伴う進行性核上性麻痺と診断される。1993年東京都重度心身障害者手当を申請するが、判定医の診断により却下される。
坂村 貞雄(さかむら さだお、1925年(大正14年)10月… 坂村 貞雄(さかむら さだお、1925年(大正14年)10月1日- 2020年(令和2年)3月6日)は、日本の農学者・化学者。位階は従三位。専門は、農芸化学・農産物利用学・天然物有機化学。学位は、農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授。元帯広畜産大学学長。 群馬県館林市生まれ。1948年(昭和23年)北海道大学農学部卒。同農学部助手。1959年(昭和34年)マサチューセッツ大学に留学。1960年(昭和35年)北海道大学農学部助教授。1968年(昭和43年)同農学部教授。1987年(昭和62年)同農学部長。1989年(平成元年)北海道大学停年退官。同名誉教授。酪農学園大学酪農学部教授。1990年(平成2年)帯広畜産大学8代学長に就任。
根岸 謙之助(ねぎし けんのすけ、1925年〈大正14年〉6… 根岸 謙之助(ねぎし けんのすけ、1925年〈大正14年〉6月1日 - 1995年〈平成7年〉3月15日)は、日本の国文学者・民俗学者。 群馬県利根郡糸之瀬村(現・昭和村)出身。旧制沼田中学校(現・群馬県立沼田高等学校)を経て、國學院大學文学部を卒業。折口信夫に師事する。 群馬県立前橋工業高等学校教諭、群馬県立高崎工業高等学校教諭、群馬県立前橋高等学校教諭をへて、群馬大学医療技術短期大学部教授。 1991年に定年退官、名誉教授、上武大学教授。 1991年に『医療民俗論』で柳田賞受賞。1992年に「医療民俗学論」で國學院大學民俗学博士となる。群馬県史編纂調査委員、群馬県文学賞選考委員も務めた。日本民俗学会会員。
稲田 献一(いなだ けんいち、1925年〈大正14年〉3月8… 稲田 献一(いなだ けんいち、1925年〈大正14年〉3月8日 - 2002年〈平成14年〉5月17日)は、日本の経済学者、大阪大学名誉教授。 群馬県桐生市に生まれる。旧制群馬県立桐生中学校(現・群馬県立桐生高等学校)、旧制第一高等学校を経て、東京大学理学部数学科卒業、同大学院理学研究科数学専攻修了。 1948年(昭和23年)獨協高等学校教諭となり、1953年(昭和28年)東京都立大学講師、助教授を経て1965年(昭和40年)教授に就任。1966年から1969年にかけてニューサウス大学、スタンフォード大学の客員教授に招かれる。1969年(昭和44年)年に大阪大学社会経済研究所教授となり、後に所長。
脇屋 真一(わきや しんいち、1925年 - 2013年)は… 脇屋 真一(わきや しんいち、1925年 - 2013年)は昭和時代の日本の郷土史家。 1925年、群馬県吾妻郡岩島村(現東吾妻町)の農家に生まれる。中之条農業学校(現中之条高校)卒業。郷土の歴史に造詣が深く、特に方言・イントネーション論に関しては群馬県の第一人者。岩島村誌の編纂に当たっては中心メンバーの一人として活躍。吾妻地方における方言の研究成果をまとめ上げた。吾妻町文化財調査委員を43年間、「古文書に親しむ会」の講師を20年程勤める。その間、免毒斎講話としての蕪雑租を町報に執筆する。ほかの著書に「あちゃがら漫筆」「吾妻の伝説」などがある。長男は脇屋精一。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
今井 清一(いまい せいいち、 1924年〈大正13年〉2月… 今井 清一(いまい せいいち、 1924年〈大正13年〉2月7日 - 2020年〈令和2年〉3月9日)は、日本の歴史学者・政治学者。横浜市立大学名誉教授。専門は日本近現代史・政治史。 1924年、群馬県前橋市小柳町(現・住吉町)に生まれる。群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)、第一高等学校を経て、1942年東京帝国大学法学部政治学科に入学し、1945年9月卒業。編集人を経て1947年、東京帝国大学大学院に進学。丸山眞男に師事した。 卒業後は1952年より横浜市立大学専任講師となり、1955年より同校助教授。1965年同校教授に就任、1977年文理学部長。1991年より湘南国際女子短期大学教授を務めた。
篠原 壽雄(しのはら ひさお / じゅゆう、1923年〈大正… 篠原 壽雄(しのはら ひさお / じゅゆう、1923年〈大正12年〉11月29日 - 2003年〈平成15年〉4月15日)は、日本の仏教学者・曹洞宗僧侶。駒澤大学名誉教授。群馬県伊勢崎市生まれ。 1923年(大正12年)、群馬県伊勢崎市に生まれる。 1947年(昭和22年)に駒澤大学文学部東洋学科を卒業後、1954年(昭和29年)に東方文化研究所助手に就任。翌1955年((昭和30年)に駒澤大学文学部講師となり、1966年(昭和41年)に助教授、1971年(昭和46年)に教授に昇任。1994年昭和50年1975年)から日本大学文理学部非常勤講師、1981年(昭和56年)には台湾大学・淡江大学で併任教授を務める。
小林 太三郎(こばやし たさぶろう、1923年(大正12年)… 小林 太三郎(こばやし たさぶろう、1923年(大正12年)11月13日 - 2012年(平成24年)9月20日は、日本の経営学者。欧米やアジアの大学には日本と違って広告学部や広告学科があり、多くの研究者がいるが、広告研究においては日本の第一人者。商学博士、早稲田大学名誉教授(大学院商学研究科、商学部)。広告研究で博士号を取り、大学院で広告研究の講義をし、広告研究のゼミナールを持った日本最初の人物。著書である『広告管理の理論と実際』同文舘(1968)は669ページに及ぶ大著。露出、認知、態度といった消費者行動の段階を明確に定義づけ、学会業界で使用する広告関連用語の標準化に貢献した。また、多くの広告研究者を世に送り出した(亀井昭宏、小林保彦、嶋村和恵、中山勝己、清水公一、松井陽通、石崎徹、小泉眞人)。日本広告学会設立に尽力し、長年会長を務め、日本学術会議会員として活躍した。アメリカ広告学会、アメリカ・マーケティング協会、アメリカ・ダイレクトメール/マーケティング協会(AMA)、アメリカ広告調査財団(ARF)会員。ミシガン州立大学ゴードン・E・ミラクルは友人。IAA世界広告会議が東京で開催された折、司会を務め、慰労のため東宮御所に招かれる。
大塚 仁(おおつか ひとし、1923年〈大正12年〉7月21… 大塚 仁(おおつか ひとし、1923年〈大正12年〉7月21日 - 2020年〈令和2年〉12月23日)は、日本の法学者。専攻は刑法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)(学位論文「間接正犯の研究」)。名古屋大学名誉教授。 群馬県勢多郡桂萱村(現・前橋市)生まれ。 福田平と共に団藤重光の指導を受ける(指導教授であった小野清一郎が公職追放となったための措置であり、もとは団藤の弟子でなかった)。同い年の福田平とはその後も深い親交を保った。また、福田とともに長く司法試験委員を務め、その著書は司法試験の基本書とされた。妻は弁護士で朝日大名誉教授の大塚錥子で、民法・環境法学者の大塚直(早稲田大学教授)は息子。
阿久津 哲造(あくつ てつぞう、1922年〈大正11年〉8月… 阿久津 哲造(あくつ てつぞう、1922年〈大正11年〉8月20日 - 2007年〈平成19年〉8月)は、日本の医学者。医学博士(名古屋大学)。ミシシッピ州立大学(英語版)医学部教授。テキサス・ハート・インスティテュート教授。国立循環器病センター研究所副所長。テルモ社長。日本人工臓器学会名誉会長。世界で初めて人工心臓を開発し、人工心臓の父と呼ばれる。 1957年、クリーブランド・クリニック(アメリカ・オハイオ州)に留学。そこで、人工心臓の開発に取り組み、1958年、ウィレム・コルフ博士とともに、世界で初めて開発した人工心臓を使って、イヌを約1.5時間生存させることに成功した。その後、ニューヨーク州立大学、ミシシッピ州立大学、テキサス・ハート・インスティテュートで研究開発、改良を進め、動物実験での生存記録更新等成果を出した。
中澤 次郎(中沢 次郎、なかざわ じろう、1922年〈大正1… 中澤 次郎(中沢 次郎、なかざわ じろう、1922年〈大正11年〉7月28日 - 2019年〈令和元年〉5月2日)は、日本の教育学者。 群馬県高崎市生まれ。1940年旧制高崎商業学校卒業後、1953年東京文理科大学教育学科卒業。1956年ミシシッピ大学大学院修士課程修了。 桐朋学園短期大学専任講師、1957年同助教授。1961年東京農業大学講師、1962年同助教授、1972年同教授。1978年筑波大学教授、1986年定年退官。国際武道大学教授、東京家政学院大学教授。1993年退任。1998年勲三等瑞宝章受勲。
内山 喜久雄(うちやま きくお、1920年〈大正9年〉6月2… 内山 喜久雄(うちやま きくお、1920年〈大正9年〉6月25日 - 2012年〈平成24年〉12月20日)は、日本の臨床心理学者。筑波大学名誉教授、医学博士。正四位勲三等瑞宝章受章。 群馬県佐波郡境町(現・伊勢崎市)生まれ。旧制太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)、東京高等師範学校文科第3部を経て、1944年(昭和19年)東京文理科大学心理学科卒業。海軍予備少尉となる。 1945年(昭和20年)10月、群馬師範学校助教授となる。1951年(昭和26年)群馬大学助教授。1959年(昭和34年)「小児緘黙症に関する研究」で群馬大学より医学博士の学位を取得。1964年(昭和39年)東京教育大学助教授、1970年(昭和45年)同教授。
大崎 映晋(おおさき えいしん、1920年〈大正9年〉6月2… 大崎 映晋(おおさき えいしん、1920年〈大正9年〉6月21日- 2015年〈平成27年〉)は日本の水中写真家・水中考古学者・海女文化研究家。中央大学経済学部卒業、東京藝術大学油絵画科中退。1938年(昭和13年)、トレジャー・ダイバーの第一人者片岡弓八に師事し、海軍水路部勤務などを経て、戦後は名取洋之助の門下に入り、水中写真家として国内外の映画の水中撮影を数多く手掛ける。1960年から1961年(昭和35年-36年)、サンタモニカ国際写真コンクールにてアカデミー賞受賞。1970年(昭和45年)、ジャック・マイヨールが伊豆半島でフリー・ダイビングの世界新記録を出した時に彼をサポートし、以後、ジャックと交遊を続ける。
国谷 純一郎(くにや じゅんいちろう、1918年〈大正7年〉… 国谷 純一郎(くにや じゅんいちろう、1918年〈大正7年〉2月23日 - 1986年〈昭和61年〉11月14日)は、日本の宗教哲学者、明治大学教授。 群馬県邑楽郡千江田村(現・明和町)生まれ。千江田村の小学校で学んだ後、同郡館林町(現・館林市)へ引っ越す。1935年(昭和10年)旧制館林中学校を卒業。明治大学予科を経て、1944年(昭和19年)京都帝国大学文学部哲学科を卒業。1947年(昭和22年)同大学院修了。 1947年(昭和22年)明治大学予科講師となり、翌年同教授。1949年(昭和24年)に新制明治大学が誕生すると文学部助教授となり、1958年(昭和33年)教授。1969年(昭和44年)から1970年(昭和45年)にかけてドイツ・イギリスへ留学。
都丸 十九一(とまる とくいち、1917年7月15日 - 2… 都丸 十九一(とまる とくいち、1917年7月15日 - 2000年3月21日)は日本の民俗学者。群馬県勢多郡北橘村(現渋川市)出身。 民俗学研究、特に地史の分野で活躍し、地名を成り立ちから分類して自然地名・人文地名・修飾地名・新付地名という概念を打ち立てるなど、顕著な功績を残した。 1937年 群馬県師範学校卒業。1941年 今井善一郎と勢多郡誌作成のために民俗調査を行う。1946年 上毛民俗の会が発足し入会する。1947年 民俗学研究所例会で柳田國男と出会う。教師として、群馬県玉村町、高崎市、赤城村、北橘村、富士見村、黒保根村などの小中学校に勤務し、中学校長をつとめ1976年に退職。1983年からは群馬大学教育学部非常勤講師を勤める(1986年まで)。
神山 恵三(かみやま けいぞう、1917年〈大正6年〉1月1… 神山 恵三(かみやま けいぞう、1917年〈大正6年〉1月18日 - 1988年〈昭和63年〉12月22日)は、日本の生気象学者。東京農工大学教授、共立女子大学教授を歴任。医学博士。日本環境学会会長。 1917年(大正6年)、群馬県桐生市に生まれる。旧制桐生中学校を経て、1949年(昭和24年)気象大学校を卒業。 1949年(昭和24年)から気象研究所に勤務し、1950年(昭和25年)研究室長となった。1951年(昭和26年)東京医科歯科大学講師を兼務。1959年(昭和34年)「寒冷刺戟によるプレチスモグラムの変動について」で東京医科歯科大学医学博士。1976年(昭和51年)東京農工大学農学部教授となり、1980年(昭和55年)まで勤務。
五十嵐 富夫(いがらし とみお、1916年〈大正5年〉1月3… 五十嵐 富夫(いがらし とみお、1916年〈大正5年〉1月31日 - 1998年〈平成10年〉12月16日)は、日本の歴史家、郷土史家、教員。文学博士。 1916年(大正5年)群馬県伊勢崎市生まれ。旧制渋川中学校(現・群馬県立渋川高等学校)を経て、1940年(昭和15年)東京高等師範学校研究科歴史科を修了。群馬県内の高等学校の教諭を歴任し、群馬県立吾妻高等学校、群馬県立館林高等学校、群馬県立太田女子高等学校の各校長を勤めた。1976年(昭和51年)3月に退職。 1970年(昭和50年)群馬女子短期大学講師となり、のち教授。 関東近世史研究会、交通史研究会、地方史研究協議会員。群馬県を中心とした近世の街道、女性史で業績があった。
小池 善吉(こいけ ぜんきち、1915年〈大正4年〉10月2… 小池 善吉(こいけ ぜんきち、1915年〈大正4年〉10月27日 - 2001年〈平成13年〉2月20日)は日本の社会学者。群馬大学名誉教授。 群馬県吾妻郡中之条町に生まれる。1933年(昭和8年)旧制前橋中学校を卒業。旧制新潟高等学校を経て、1943年(昭和18年)東京帝国大学文学部社会学科を卒業。卒業と同時に兵役につき、1945年(昭和20年)に復員。 郷里に帰ると1946年(昭和21年)吾妻青年同志会を創設。1947年(昭和22年)から群馬青年師範学校に勤務する。1949年(昭和24年)に群馬大学学芸学部助教授となり、1967年(昭和42年)には群馬大学教養学部教授に就任。社会学を担当し、1981年(昭和56年)群馬大学を退官。
大島 正光(おおしま まさみつ、1915年〈大正4年〉1月7… 大島 正光(おおしま まさみつ、1915年〈大正4年〉1月7日 - 2010年〈平成10年〉5月1日)は、日本の医学者、海軍軍医、航空自衛官。東京大学名誉教授。初代航空医学実験隊隊長。医用電子工学、人間工学、宇宙医学、航空医学などを研究。群馬県出身。 ノーベル化学賞受賞者の野依良治と土佐藩山内家第19代当主の山内豊功は娘婿。 群馬県前橋市出身。旧制太田中学校を四年修了し、旧制第一高等学校に入学。 1938年(昭和13年)に東京帝国大学医学部を卒業後、海軍軍医となる。 戦後は労働科学研究所(現・大原記念労働科学研究所)を経て、1958年(昭和33年)11月、航空医学実験隊長。1951年(昭和26年)に「精神疲労に関する研究」によって医学博士号を取得。
岩倉 義男(いわくら よしお、1914年〈大正3年〉3月31… 岩倉 義男(いわくら よしお、1914年〈大正3年〉3月31日 - 2002年〈平成14年〉7月8日)は日本の高分子化学者。工学博士。 東京工業大学教授、東京大学教授などを歴任。ジイソシアナートとグリコールとの重付加反応によってポルランと名付けたポリウレタンの合成に成功。反応性高分子および耐熱性高分子などの分野で多くの業績を上げた。 群馬県北群馬郡榛東村出身。