小尾 十三(おび じゅうぞう、1908年10月26日 - 1… 小尾 十三(おび じゅうぞう、1908年10月26日 - 1979年3月8日)は、日本の小説家、教師。 山梨県北巨摩郡穂足村大豆生田(現・北杜市須玉町)生まれ。1903年(明治36年)に江草村の本家から分家した家で、四男として生まれる。母は津金村の漢方医飯島家の娘。小尾家は農家で、父は国定教科書販売を営んでいたが1912年(大正元年)に破産したため一家で甲府市へ移り碁会所をはじめるが、母は幼い十三らを連れて善光寺町へ別居し、小作業や養蚕で生計を立てる。 1923年(大正12年)に甲府商業学校に入学するが、翌年には退学して長野鉄道局教習所電信科へ入所する。その後、職を転々とし農民組合運動にも関わり、日本共産党の影響下にあった全農支部青年部書記にもなっている。
日影 丈吉(ひかげ じょうきち、1908年6月12日 - 1… 日影 丈吉(ひかげ じょうきち、1908年6月12日 - 1991年9月22日)は、日本の小説家、推理作家、翻訳家。東京府東京市深川区(現在の東京都江東区)出身。本名は片岡十一。幻想的な作風で、代表作として長篇小説「真赤な子犬」「内部の真実」「応家の人々」、短篇小説「猫の泉」「吸血鬼」、探偵右京慎策の活躍するハイカラ右京シリーズなど。 1908年(明治41年)に東京府東京市深川区深川木場町(現在の東京都江東区木場一丁目)で、魚問屋の父と魚小売商の母の間に第三子として生まれる。4歳の時に父が亡くなり、その魚問屋のあった日本橋に移る。1917年に深川に戻り、神田の明治中学に入学、中学時代は金剛社の探偵小説の叢書を愛読し、『童話』誌に投稿して入選したこともあった。
大林 清(おおばやし きよし、1908年4月25日 - 19… 大林 清(おおばやし きよし、1908年4月25日 - 1999年10月27日)は、日本の小説家、劇作家。 第4代日本作家クラブ会長。日本放送作家組合(現・日本脚本家連盟)の創立以来、理事長を務め、日本著作者団体協議会会長など文化団体の会長、理事、評議員など歴任。 東京府立第一中学校を卒業後に慶應義塾大学仏文科入学。1932年に同校中退後、1933年同人雑誌「大衆文学」を創刊。1939年に長谷川伸が主宰する新鷹会に入会した。1939年頃、長谷川伸主宰の劇作研究会で舞台脚本を執筆。 1943年に野間文芸奨励賞を受賞。 戦後は都会風俗を描き、ラジオ、テレビの脚本を多く書き、「あの波の果てまで」などの人気テレビドラマの脚本を手掛けた。
逸見 猶吉(へんみ ゆうきち、1907年9月9日 - 194… 逸見 猶吉(へんみ ゆうきち、1907年9月9日 - 1946年5月17日)は日本の詩人、童話作家。本名は大野四郎。画家としては、士路と号する。新聞記者の和田日出吉は兄、その妻の木暮実千代は兄嫁にあたる。また、弟の大野五郎は画家。 詩は寡作。没後1966年に編まれた定本詩集には初期詩篇を含めて78作。『詩と詩論』、『文藝汎論』、『歴程』などの雑誌に寄稿する。『歴程』創刊時の同人の1人である。 1907年、茨城県猿島郡古河町(現・古河市)に生まれる。祖父と父は、ともに足尾銅山鉱毒事件対策の渡良瀬遊水地用地として強制廃村になった栃木県下都賀郡谷中村で村長を務めていた。1908年、東京府北豊島郡岩渕町(現・東京都北区)に移住[要出典]。
丸岡 明(まるおか あきら、1907年6月29日 - 196… 丸岡 明(まるおか あきら、1907年6月29日 - 1968年8月24日)は、日本の小説家。 東京市麹町にて、落合直文門下の歌人で能楽書林を設立した丸岡桂の長男として生まれる。祖父は沖縄・高知の県知事を務めた丸岡莞爾。暁星中学校から慶應義塾予科を経て、慶應義塾大学仏文科卒。在学中、水上滝太郎の知遇を得て1930年に『三田文学』に「マダム・マルタンの涙」を発表してデビューした。のち堀辰雄に師事し、1935年「生きものの記録」を『三田文学』に発表する。 1966年「静かな影絵」「街の灯」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。『堀辰雄全集』編纂委員を務めた。能の解説、編集も多く、原民喜をモデルとした『贋きりすと』などを書いた。
小野寺 百合子(おのでら ゆりこ、1906年〈明治39年〉1… 小野寺 百合子(おのでら ゆりこ、1906年〈明治39年〉10月1日 - 1998年〈平成10年〉3月31日)は、日本の翻訳家、随筆家、ノンフィクション作家。トーベ・ヤンソンの『ムーミンシリーズ』などの児童文学翻訳で知られる。旧姓、一戸。陸軍少将小野寺信は夫。 東京都渋谷区生まれ。東京女子高等師範学校附属高等女学校専攻科(現・お茶の水女子大学附属中学校・お茶の水女子大学附属高等学校)卒。第二次世界大戦中、公使館附武官だった夫とともにスウェーデンに滞在し、和平工作のための夫の情報活動を手伝い、暗号電文を作ったり、本国からの電文を解読したりした。60歳を過ぎてから、トーベ・ヤンソンやアストリッド・リンドグレーン、エレン・ケイなどスウェーデン文学の翻訳に従事した。
玉川 一郎(たまがわ いちろう、1905年11月5日 - 1… 玉川 一郎(たまがわ いちろう、1905年11月5日 - 1978年10月15日)は、日本の作家。 東京府生まれ。父親が警察官だった関係上、朝鮮と東京を数年ごとに行き来して育つ。東京外国語学校仏語部卒。 フランス語の能力を買われ、翻訳補助者として白水社に入社するも昭和恐慌のあおりを受け、人員整理の対象となり半年で解雇され、博文館へ転職。『新青年』などの編集に携わる。さらに、文具販売の伊東屋および、コロムビア・レコードの宣伝部員も兼務。コラムや広告コピーの執筆を手掛けながら、ユーモア小説の執筆やフランスの小噺、コントの編訳を行う作家として活動し、1940年発表の『人情サキソフォン』、1950年『川田二等少尉』で2回直木賞候補となった。
平岡 倭文重(ひらおか しずえ、1905年(明治38年)2月… 平岡 倭文重(ひらおか しずえ、1905年(明治38年)2月18日 - 1987年(昭和62年)10月21日)は、作家・三島由紀夫(本名:平岡公威)の母。漢学者・橋健三の次女。加賀藩の漢学者・橋健堂の孫。少年時代の三島由紀夫の文学的才能を発見し、その成長を励ました。 1905年(明治38年)2月18日(土曜日)、倭文重は東京の小石川区指ヶ谷町92番地(現・東京都文京区白山)で、父・橋健三と母・トミの間に次女として生まれた。橋家は、代々金沢藩主・前田家に仕えていた儒者の家系であった。父・橋健三は漢学者で、東京開成中学校の5代目校長を務めた。倭文重の上には、健行、雪子、正男、健男、行蔵、の兄と姉、下には、妹・重子がいる。
桂 鎔黙(けいようもく、ケ・ヨンムク、1904年9月8日 -… 桂 鎔黙(けいようもく、ケ・ヨンムク、1904年9月8日 - 1961年8月9日)は、朝鮮の小説家。本貫は遂安桂氏。短篇小説を多く執筆した。なかでも「白痴アダダ (백치 아다다)」は桂の代表作となっている。 1904年9月8日、平安北道宣川郡南面三省洞群賢里706番地に生まれる。父は桂恒教、母は竹山朴氏、1男3女の長男。祖父の桂昌琠は参奉(官職従九位)を勤め、詩文にも優れた人であった。桂の教育は祖父により行われ、幼い頃より漢文を学んだ。10歳になると、新教育を受ける許しを得て、三峰公立普通学校に入学する。また、この頃、順興安氏の安静鈺と結婚する。 厳しい祖父の古い教育としきたりに反発するように、1921年、桂は祖父に無断で上京する。
平塚 武二(ひらつか たけじ、1904年7月24日 - 19… 平塚 武二(ひらつか たけじ、1904年7月24日 - 1971年3月1日)は、日本の児童文学作家。代表作に「風と花びら」「太陽よりも月よりも」「玉むしのずしの物語」などがある。 1904年(明治37年)7月24日、父・平塚福太郎、母・ハナの二男として、神奈川県横浜市中区末吉町に生まれる。1911年(明治44年)4月、横浜市立南吉田尋常高等小学校に入学。翌年、中区本牧三の谷に転居し、横浜市立本牧尋常高等小学校に転校する。1915年(大正4年)、平塚定吉、タケに養子縁組みする。1917年(大正6年)4月、神奈川県立第二中学校(現:翠嵐高校)に入学。1919年(大正8年)4月、東京の市立荏原中学校(現:日本体育大学荏原高等学校)に転入する。
香山 滋(、1904年〈明治37年〉7月1日 - 1975年… 香山 滋(、1904年〈明治37年〉7月1日 - 1975年〈昭和50年〉2月7日)は日本の小説家で、探険小説や幻想小説で活躍したほか、映画『ゴジラ』の原作者としても知られる。本名は山田 鉀治(やまだ こうじ)。東京都出身。 東京神楽坂に生まれる。新宿区立牛込仲之小学校(当時は東京市牛込尋常小学校)卒。東京府立第四中学時代に横山又次郎『前世界史』を読んだことをきっかけに、恐竜をはじめとした古生物に魅せられ、独学で地質学や古生物学を学ぶ。法政大学経済学部を中退し、1927年、祖父や父と同じく大蔵省に入省して預金部に勤める。1933年に結婚し、一女をもうける。 1940年、北原白秋門下の歌人・筏井嘉一が創刊した短歌誌「蒼生」に参加し、歌人として文芸活動を開始。
城 昌幸(じょう まさゆき、1904年6月10日 - 197… 城 昌幸(じょう まさゆき、1904年6月10日 - 1976年11月27日)は、日本の小説家、推理作家、詩人、編集者。本名は稲並 昌幸。 東京市神田練塀町生まれ。京華中学校4年次退学。城左門名義で詩作している。時代小説『若さま侍』シリーズは有名で、時代劇映画・ドラマ化された。江戸川乱歩は、城を「彼は人生の怪奇を宝石のやうに拾ひ歩く詩人である」と評している。またショートショートの先駆者と称される。日夏耿之介の門下。 横溝正史が創作した名探偵・金田一耕助のモデルとなった一人でもある。 1977年に東京都大田区の区立馬込図書館に旧蔵書4,750冊が寄贈され、翌1978年5月に「城昌幸記念文庫」が開設され、公開された。
大坪 砂男(おおつぼ すなお、1904年2月1日 - 196… 大坪 砂男(おおつぼ すなお、1904年2月1日 - 1965年1月12日)は、日本の探偵小説作家。本名和田 六郎。筆名はE・T・A・ホフマンの「砂男」に由来する。1951年に大坪 沙男と改名したが、53年に再び砂男に戻した。 江戸川乱歩が「戦後派五人男」と呼んだ探偵作家5人のうちの1人。作品はすべて短篇である。 日本における鉱物学の先駆者である和田維四郎(東京帝国大学教授、八幡製鉄所長官、貴族院議員)の三男(姉妹を含めて六番目の子)。 東京市牛込区(現在の東京都新宿区)市谷薬王寺町に生まれる。東京府立第四中学校から東京薬学専門学校(現在の東京薬科大学)を卒業。このときの同級生に映画評論家の岩崎昶がいた。
富田 常雄(とみた つねお、1904年(明治37年)1月1日… 富田 常雄(とみた つねお、1904年(明治37年)1月1日 - 1967年(昭和42年)10月16日)は、日本の小説家。柔道五段。東京府生まれ。明治大学商学部卒。初め心座文芸部に入って新劇運動に参加したのち、『姿三四郎』が大変な人気を呼んで流行作家となる。戦後『面』『刺青』で直木賞受賞。映画化、ドラマ化された作品も多く、大衆文学の大家として人気を博した。 柔道家富田常次郎の子として東京府に生まれる。永田町小学校(現千代田区立麹町小学校)、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業、明治大学商学部。在学中、詩誌『感情革命』を創刊する。1928年、河原崎長十郎らの心座文芸部に参加する。他のメンバーに舟橋聖一、村山知義らがいた。
村山 籌子(むらやま かずこ、1903年〈明治36年〉11月… 村山 籌子(むらやま かずこ、1903年〈明治36年〉11月7日 - 1946年〈昭和21年〉8月4日)は、日本の児童文学作家。動物や野菜などを主人公とした、ユーモアとウイットにあふれる童話を多数執筆した。夫は村山知義、息子は児童劇作家の村山亜土。 1903年(明治36年)、父・岡内徳次郎、母・寛(ゆたか)の長女として香川県高松市に生まれる。家業は祖父の岡内喜三が創業した漢方薬を製造販売する岡内千金丹本舗で、全国的にも名の知られた商家であった。1916年(大正5年)、香川県立高松高等女学校に入学。水泳を得意とし在学中に高松藩の游泳術である水任流を身につけ、その一方、婦人之友社の雑誌『新少女』に和歌で入賞するなど、熱心な読者投稿者でもあった。
山本 周五郎(やまもと しゅうごろう、1903年(明治36年… 山本 周五郎(やまもと しゅうごろう、1903年(明治36年)6月22日 - 1967年(昭和42年)2月14日)は、日本の小説家。本名:清水 三十六(しみず さとむ)。質店の徒弟、雑誌記者などを経て文壇に登場。庶民の立場から武士の苦衷や市井人の哀感を描いた時代小説、歴史小説を書いた。 1903年(明治36年)6月22日、山梨県北都留郡初狩村(現:大月市初狩町下初狩)に生まれる。父は清水逸太郎、母は「とく」(旧姓・坂本)。周五郎は長男(弟の潔、義妹の末子がある)。本籍地は北巨摩郡大草村(現:韮崎市大草町)で、周五郎は後に自らの出生地を同地と語っている。実家は武田の遺臣で、北巨摩の大草村若尾(現:韮崎市大草町若尾)に帰農した御蔵奉行・清水大隅守政秀の後裔であろうとの言い伝えもある。
サトウ ハチロー(1903年5月23日 - 1973年11月… サトウ ハチロー(1903年5月23日 - 1973年11月13日)は、日本の詩人、作詞家、作家。本名:佐藤 八郎(さとう はちろう)。多くの別名を用いており、陸奥速男、山野三郎、玉川映二、星野貞志、清水操六、清水士郎、清水洋一郎、並木せんざ、江川真夫、熱田房夫、倉仲佳人、倉仲房雄、などがある。旧制早稲田中学校(現:早稲田中学校・高等学校)中退後、旧制立教中学(現:立教池袋中学校・高等学校)へ転入。作家の佐藤愛子は異母妹にあたる。 「うれしいひなまつり」、「ちいさい秋みつけた」、「リンゴの唄」の作詞者として知られる。 母親への想いなどをうたった叙情的な作風で知られ、2万にもおよぶ詩のうち3千が母に関する詩である。
小林 秀雄(こばやし ひでお、1902年(明治35年)4月1… 小林 秀雄(こばやし ひでお、1902年(明治35年)4月11日 - 1983年(昭和58年)3月1日)は、日本の文芸評論家、編集者、作家。
菊池 重三郎(きくち しげさぶろう、1901年7月3日-19… 菊池 重三郎(きくち しげさぶろう、1901年7月3日-1982年4月16日)は、日本の作家、編集者、翻訳家。「芸術新潮」初代編集長。 宮崎県臼杵郡北方村(現在の延岡市) で生まれる。1920年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業、1925年、立教大学文学部英文科を卒業。1925年から3年間、麻布中学校の英語教師を務め、1928年渡欧し、1930年帰国。 研究社、春秋社、新潮社に勤務し、傍ら文筆活動にも努める。 新潮社では、1950年「芸術新潮」初代編集長となり、創刊から62号まで携わり、1955年退職。 晩年の島崎藤村と交流があり、1947年の木曾馬籠の藤村記念館の設立に尽している。
小栗 虫太郎(おぐり むしたろう、1901年(明治34年)3… 小栗 虫太郎(おぐり むしたろう、1901年(明治34年)3月14日 - 1946年(昭和21年)2月10日)は、日本の小説家、推理作家、秘境冒険作家。本名:小栗 栄次郎(おぐり えいじろう)。東京都千代田区外神田出身。 漢語カタカナルビと西洋の知識に彩られた、極度のペダントリー(衒学趣味)的作風で著名。代表作は、デビュー作『完全犯罪』、推理小説の三大奇書の一つといわれる『黒死館殺人事件』、秘境探検小説の連作『人外魔境』など。 1901年3月14日、東京市神田旅籠町(現・東京都千代田区外神田)で生誕。生家は代々の酒問屋の小田原屋の分家であった。父親は1911年に死去しているが、本家からの仕送りや貸家の賃貸収入のため生活には困らなかった。
村山 知義(むらやま ともよし、1901年(明治34年)1月… 村山 知義(むらやま ともよし、1901年(明治34年)1月18日 - 1977年(昭和52年)3月22日)は、日本の小説家、画家、デザイナー、劇作家、演出家、舞台装置家、ダンサー、建築家。日本演出者協会初代理事長。
池谷 信三郎(いけたに しんざぶろう、1900年10月15日… 池谷 信三郎(いけたに しんざぶろう、1900年10月15日 - 1933年12月21日)は、日本の小説家、劇作家。 東京生まれ。東京帝國大學法学部、ベルリン大学法科中退。 暁星小学校、東京府立第一中学校(現在の東京都立日比谷高等学校)、旧制第一高等学校卒業。一高在学時より校友会雑誌に短歌などを発表し創作活動をはじめる。1922年に東京帝大へ入学するが、その年の終わりには休学してベルリン大学へ行き、先にベルリンへ来ていた一高時代の先輩である村山知義の影響を受けヨーロッパの芸術運動に触れる。最終的に東大は中退した。 1923年9月1日に起きた関東大震災により実家を失い帰国。 1925年、ベルリン滞在の経験を元に執筆した『望郷』が「時事新報」の懸賞小説に当選。
尾崎 一雄(おざき かずお、1899年(明治32年)12月2… 尾崎 一雄(おざき かずお、1899年(明治32年)12月25日 - 1983年(昭和58年)3月31日)は、日本の小説家。三重県生まれ。早稲田大学文学部国文科卒。志賀直哉に師事。生活苦の中で執筆し、短編集『暢気眼鏡』で芥川賞受賞。その後大病を患い、療養生活の中で自然や生き物への観察眼を深め、身近に迫る死を見つめた心境小説を発表して高い評価を受けた。昭和期の代表的な私小説作家であり、『虫のいろいろ』や『美しい墓地からの眺め』などの作品は、作者のみならず心境小説の代表的作品として知られている。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 実家は祖父の代まで神奈川県小田原市北東部の宗我神社の神官を務めた一族だが、父・尾崎八束(1872-1920)は東京帝国大学文学部史学科卒、神宮皇學館講師をしており、三重県宇治山田町(現・伊勢市)で生まれる。
川口 松太郎(かわぐち まつたろう、1899年(明治32年)… 川口 松太郎(かわぐち まつたろう、1899年(明治32年)10月1日 - 1985年(昭和60年)6月9日)は、日本の小説家、劇作家。本名を松田松一とする資料もある。東京市浅草区生まれ。芸道物、明治物、時代物、現代風俗物と広く執筆。巧みな筋立てと独自の話術で庶民情緒を描いた大衆小説で多くの読者を獲得した。また、松田昌一の名で映画・演劇脚本も手がけ、大映専務などを務めた。特に、新生新派の主事として自作小説の脚色や演出を担当、昭和期の新派に欠かせない人気作家となり、作品の多くは新派の代表的演目となった。第1回直木賞受賞者で、映画化され大流行した『愛染かつら』の作者としても知られる。芸術院会員。文化功労者。
田河 水泡(たがわ すいほう、1899年〈明治32年〉2月1… 田河 水泡(たがわ すいほう、1899年〈明治32年〉2月10日 - 1989年〈平成元年〉12月12日)は、日本の漫画家、落語作家。本名︰高見澤 仲太郎(たかみざわ なかたろう)。 昭和初期の子供漫画を代表する漫画家であり、代表作『のらくろ』ではキャラクター人気が大人社会にも波及し、戦後もさまざまなキャラクターグッズが作られるなど、社会現象となるほどの人気を獲得した。 東京府東京市本所区本所林町(現・東京都墨田区立川)の生まれ。出生直後に母親が亡くなり、父親が再婚するために、仲太郎は子供のいなかった伯父夫婦の元で育てられる。中国画や庭いじりを愛好していた伯父の影響で、仲太郎も絵筆を取るようになる。
高垣 眸(たかがき ひとみ、1898年〈明治31年〉1月20… 高垣 眸(たかがき ひとみ、1898年〈明治31年〉1月20日 - 1983年〈昭和58年〉4月2日)は、日本の児童文学作家、大衆小説作家、小説家。男性。本名・末男。別筆名に田川緑、青海、小野迪夫がある。 幼少期から軍艦に憧れ、海に情憬を持ち育った。このため海を舞台にした作品が多い。 広島県尾道市土堂生まれ。先祖は備後一宮城主で、生家は酢と醤油の醸造業を営んでいた。1902年(明治35年)、4歳のときに父親が赤痢で死去。翌年、尾道幼稚園に第一回生として入園する。またこの年、祖母より箏曲を習う。1904年(明治37年)、土堂小学校に入学、級長を務めた。1906年(明治39年)の夏に屋根から落ちて頭を打撲し京都府立病院に半年ほど入院。
陸 直次郎(くが なおじろう、1898年1月12日 - 19… 陸 直次郎(くが なおじろう、1898年1月12日 - 1944年8月11日)は日本の作家。本名は野沢嘉哉(のざわ よしや)。東京府東京市本郷区(現・東京都文京区)本郷出身。 早稲田大学文科中退。中央新聞、時事新報、萬朝報、読売新聞に勤務。妻の清子は直次郎と死別した後、弁当屋の経営を経て小唄の師匠に転向、堀小代清の芸名で活動した。 息子は4人おり、三男はクラブ馬主「東京ホースレーシング」創業者の野沢直哉、四男は声優・俳優・演出家の野沢那智、孫にお笑いタレントの野沢直子(直哉の娘)、クリエイティブディレクターの野澤直龍(直哉の息子)、声優・俳優の野沢聡(那智の息子)、曾孫に格闘家の真珠・野沢オークレアー(直子の娘)。
吉田 謙吉(よしだ けんきち、1897年2月10日 - 19… 吉田 謙吉(よしだ けんきち、1897年2月10日 - 1982年5月1日)は、日本の舞台美術家・舞台装置家、映画の美術監督、衣裳デザイナー、タイポグラフィ作家である。 1897年(明治30年)2月10日、東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区日本橋)に生まれる。京橋小学校では同級生に歌舞伎役者の坂東三津之丞、先輩に松竹社長の城戸四郎、後輩に築地小劇場系の劇作家久保栄らがいた。1909年(明治42年)、府立一中に入学するが3年生進級の際、父の倒産により中退。1911年(明治44年)、府立工芸学校金属科鋳金科に入学。1915年(大正4年)に卒業後、海軍造兵廠鋳金工場に勤務する傍ら、葵橋洋画研究所に学び、また、土岐善麿に師事し生活歌を学ぶ。
三島 通陽(みしま みちはる、1897年(明治30年)1月1… 三島 通陽(みしま みちはる、1897年(明治30年)1月1日 - 1965年(昭和40年)4月20日)は、日本の政治家・小説家・劇作家・演劇評論家。位階・勲等・爵位は正三位勲二等子爵。二荒芳徳とともにボーイスカウト運動を日本に広めた人物として知られる。東京府麻布区生まれ、学習院中退。ペンネームに三島 章道(みしま しょうどう)。 祖父は三島通庸。父は第8代日本銀行総裁を務めた三島弥太郎、母は四条隆謌侯爵の三女・加根子。妹・壽子の夫は阪谷希一、妹・梅子の夫は土方与志。妻は松岡均平の長女・純。叔父に三島弥彦がいる。 幼少期から文学に親しむ。一方で、祖母・和歌子から薩摩の郷中の掟を教わる[要出典]。
清見 陸郎(きよみ ろくろう、1896年10月11日 - 没… 清見 陸郎(きよみ ろくろう、1896年10月11日 - 没年不明)は、日本の作家、編集者、劇作家。東京市神田区猿楽町生まれ。東京中学校卒、東京美術学校中退、早稲田大学英文科中退。『美術新報』『秀才文壇』の編輯に当たり、根岸興行部脚本部員だったこともある。
李箕永(りきえい、1896年5月 – 1984年8月9日)は… 李箕永(りきえい、1896年5月 – 1984年8月9日)は朝鮮の小説家。本貫は徳水。号は民村。筆名に民村生、聖居山人、聖居、陽心谷人、陽心学人、箕永生がある。日本統治時代はプロレタリア主義作家としてKAPFの中心メンバーとして活動、解放後は左翼陣営に加わり文壇の重鎮の座に座り続けた。貧困を極めて精巧に描き出す李の筆は南北を通じて高く評価されている。 李箕永は1896年5月に忠清南道牙山に生まれる。父は李敏彰、母は密陽朴氏の間の長男である。生まれてすぐに天安に引っ越し、そこで育った。李の家庭は貧しく母は李が数え年で11歳のときに死んだ。学費の支払いにも苦労するほどの貧しさのなか、古代小説を読んで少年期を過ごす。
土田 耕平(つちだ こうへい、1895年(明治28年)6月1… 土田 耕平(つちだ こうへい、1895年(明治28年)6月10日 - 1940年(昭和15年)8月12日)は、日本の歌人、童話作家。 長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)に生まれる。18歳で両親を失う。1911年旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)を中退、同郡玉川村立玉川小学校の代用教員となる。ここで島木赤彦に師事し『アララギ』に投稿、編集に携わる。1913年に上京し、1915年旧制東京中学校(現・東京高等学校)卒。1921年まで伊豆大島で病気療養、のち上諏訪へ帰り、長野県内各地を頻繁に転居。1924年信濃毎日新聞の歌壇撰者となる。 後半生の大半を不眠症の療養、短歌、童話の創作に費やした。1940年下伊那郡鼎町で心臓病で死去。
北村 寿夫(きたむら ひさお、1895年1月8日 - 198… 北村 寿夫(きたむら ひさお、1895年1月8日 - 1982年1月3日)は、日本の脚本家、児童文学作家。 東京麹町区下六番町出身。本名・寿雄。早稲田大学中退。小山内薫に師事し、『劇と評論』同人となる。 1936年(昭和11年)NHK文芸部主事。 1947年(昭和22年)、ラジオドラマ『向う三軒両隣』の脚本を八住利雄、伊馬春部、北条誠とともに交代で執筆。終戦直後の民主的で明るい人間関係を描くホームドラマは人気番組となった。 1952年(昭和27年)から「白鳥の騎士」に始まる「新諸国物語」を五年連続してラジオ放送し、「笛吹童子」「紅孔雀」などがヒットして映画化もされた。墓所は雑司ヶ谷霊園。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
小林 哥津(こばやし かつ、1894年11月20日 - 19… 小林 哥津(こばやし かつ、1894年11月20日 - 1974年6月25日)は日本の小説家。 1894年に小林清親の五女として東京府東京市京橋区に生まれる。名は哥津子。母は田島芳子。仏英和高等女学校(現・白百合学園中学校・高等学校)に入学し、同校在学中の1911年に平塚らいてうの雑誌『青鞜』の同人となり、伊藤野枝、尾竹紅吉らと同誌の編集に携わった。同雑誌に戯曲『お夏のなげき』や小説『麻酔剤』などを執筆した。1914年に青鞜社を退職し、外国文学の翻訳や東京回想、父の清親の研究資料などについての著作を行った。著書に『瑞典のお伽噺不思議な旅』、『清親考』がある。1974年6月25日、79歳で死去。
酒井 朝彦(さかい あさひこ、1894年10月1日 - 19… 酒井 朝彦(さかい あさひこ、1894年10月1日 - 1969年5月25日)は、日本の児童文学作家。本名・酒井 源一。教師、編集者をへて創作に専念。1961から1962年、第5代日本児童文学者協会会長。 長野県下伊那郡竜丘村(現飯田市)の母の実家に生まれ、1900年、5歳の時に父に死別し木曽の定勝寺に預けられた。小学校卒業後上京し、旧制東京中学を経て早稲田大学英文科に進む。1920年に卒業。その後、働きながら小川未明のネオ・ロマンチィズムに傾倒し童話を書き始める。1924年、未明の推薦により東京朝日新聞に「天に登った蛍」を発表。同年、同人誌『童話時代』を創刊。同誌休刊後、1928年に千葉省三、伊藤貴麿らと同人誌『童話文学』を創刊。
北川 千代(きたがわ ちよ、1894年6月14日 - 196… 北川 千代(きたがわ ちよ、1894年6月14日 - 1965年10月14日)は、日本の児童文学作家。筆名に松平鏡子、松平千代子、江口千代、大久保千代子、露おく籬、露子、露香。 没後、日本児童文学者協会により「北川千代賞」が創設された。同賞は1969年から1982年まで存続した。 1894年(明治27年)6月14日、埼玉県榛沢郡大寄村(現・深谷市上敷免)生まれ。父親の俊は日本煉瓦製造株式会社の上敷免工場長だった。 三輪田高等女学校在学中より『少女世界』『少女の友』に投稿をはじめる。1911年(明治44年)、病気で中退するが『女学世界』より原稿を依頼され、「街はずれの記」で原稿料50円を得る。 1915年(大正4年)11月に両親の反対を押し切り、東京帝国大学在学中の小説家江口渙と結婚。
獅子 文六(しし ぶんろく、1893年7月1日 - 1969… 獅子 文六(しし ぶんろく、1893年7月1日 - 1969年12月13日)は、日本の小説家、演出家。本名:岩田 豊雄(いわた とよお)。演劇の分野では本名で活動し、久保田万太郎、岸田国士らと文学座を創立して顧問となった。小説家としては、『悦ちゃん』などのユーモアに富む健全な家庭小説を書いて流行作家となり、戦中は本名で『海軍』を発表。戦後も『てんやわんや』『自由学校』『娘と私』『大番』などで人気を博した。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。号は牡丹亭。愛媛県宇和島市津島町に句碑がある。 母方の祖父は実業家(花火師)の平山甚太。弟の岩田彦二郎は札幌グランドホテル社長。 日清戦争開戦の前年、1893年に、横浜市中区月岡町9番地(現:横浜市西区老松町の迎賓館付近)に誕生。
南 洋一郎(みなみ よういちろう、1893年1月20日 - … 南 洋一郎(みなみ よういちろう、1893年1月20日 - 1980年7月14日)は、日本の児童文学・冒険小説・ノンフィクション作家、翻訳家。教員としては東京府東京市牛込区余丁町尋常小学校などで訓導を務めた。 東京府西多摩郡東秋留村(現在の東京都あきる野市)出身。本名は池田宜政(いけだ よしまさ)。南洋一郎以外にも荻江信正(おぎえ のぶまさ)などの筆名や本名を用い、数々の著作を発表した。 東京府青山師範学校(現・東京学芸大学)卒業。1915年にカトリックの洗礼を受ける。 12歳で父を亡くし、高等小学校卒業後、学校からの紹介で小石川の商家に住み込み奉公へ出る。働く合間に独学で学んでいたが、約1年で体調を崩してしまい、帰郷する。
山崎 俊夫(やまざきとしお、1891年(明治24年)7月1日… 山崎 俊夫(やまざきとしお、1891年(明治24年)7月1日 - 1979年(昭和54年)5月7日)は、日本の小説家、脚本家、俳優。 俳優時代の芸名は石垣彌三郎。 明治末期から大正初期にかけて、永井荷風が編集する『三田文学』を中心に、耽美的、少年愛・同性愛的小説を発表するも、その後役者に転向したため、長らく埋もれた作家・幻の作家となっていたが、1986年から生田耕作の主宰する奢灞都館より作品集の刊行が始まり、一部文学愛好家の間で再評価されるようになった。岩田準一は著書の『男色文献書誌』で、山崎俊夫の唯一の著書『童貞』について、「ことごとく衆道情緒をもって描かれたる作品にて稀有の小説集なるべし」と評している。
岡本 かの子(おかもと かのこ、本名:岡本 カノ、旧姓:大貫… 岡本 かの子(おかもと かのこ、本名:岡本 カノ、旧姓:大貫(おおぬき)、1889年〈明治22年〉3月1日 - 1939年〈昭和14年〉2月18日)は、日本の大正・昭和期の小説家、歌人、仏教研究家。 東京府東京市赤坂区青山南町(現東京都港区青山)生まれ。跡見女学校卒業。漫画家岡本一平と結婚し、芸術家岡本太郎を生んだ。 若年期は歌人として活動しており、その後は仏教研究家として知られた。小説家として実質的にデビューしたのは晩年であったが、生前の精力的な執筆活動から、死後多くの遺作が発表された。耽美妖艶の作風を特徴とする。私生活では、夫一平と「奇妙な夫婦生活」を送ったことで知られる。 代々幕府や諸藩の御用達を業としていた豪商の大和屋大貫家の別邸で誕生。
渋沢 青花(しぶさわ せいか、1889年2月18日 - 19… 渋沢 青花(しぶさわ せいか、1889年2月18日 - 1983年5月19日)は、日本の編集者、児童文学作家、児童文学研究者。本名・寿三郎。別名・孤星、素風。 1889年(明治22年)、東京八丁堀に生まれ、まもなく浅草千束町に移る。浅草尋常高等小学校に入学、小学校時代、友人であった小宮山豊作や久保田万太郎の影響で文学に関心を持つ。東京府立第三中学校を経て早稲田大学英文科に入学し、片上伸に師事する。 1912年(明治45年)早稲田大学文学部英文学科を卒業。島村抱月の紹介で実業之日本社に入社する。はじめ、1913年(大正2年)に大隈重信、渋沢栄一らによって創刊された『実業講習録』編集部に勤務するが、同社の雑誌『少女の友』に少女小説「悲しき海へ」を寄稿したのがきっかけで、1914年(大正4年)同誌へ配属された。
木村 荘太(きむら そうた 1889年2月3日 - 1950… 木村 荘太(きむら そうた 1889年2月3日 - 1950年4月15日)は、東京府出身の作家、翻訳家。本名の読みは「しょうた」。別名に久木今作、木村艸太(そうた)。木村荘平の子。女性関係と奇人ぶりで知られた。 東京市日本橋区吉川町両国広小路(現在の東京都中央区東日本橋)に、木村荘平の妾腹の子として生まれる。 父は牛鍋屋チェーン店"いろは"を20数箇所に展開して"いろは大王"と呼ばれると共に、葬儀会社"博善社"の社長も兼ねた実業家で、正妻の他に多数の愛人を持ち、諸方に儲けた子の数が男13人に女17人。荘太の異母姉栄子が木村曙の筆名で作家として知られた他、同母弟に木村荘八(挿絵画家)、異母弟に木村荘十(直木賞作家)と木村荘十二(映画監督)がいる。
東 健而(ひがし けんじ、あずま けんじ、とう けんじ、18… 東 健而(ひがし けんじ、あずま けんじ、とう けんじ、1889年(明治22年) - 1933年(昭和8年)3月20日)は、日本のユーモア作家、翻訳家、映画評論家。筆名は愚教師のほか、森田三祢子、森田みね子などを用いた。 東京都出身、正則英語学校卒。大正から昭和にかけて、ユーモア小説、雑文、シャーロック・ホームズ等の初期の翻訳家として活躍した。実父は「坂の上の雲」の秋山好古と陸軍士官学校同期の陸軍騎兵第二連隊長騎兵大佐東常久である。妻、静江は外務省参事官(広東総領事)森田寛蔵の息女。家族は長女冨士子(神奈川県三浦郡葉山町在住)の三人。 松竹キネマ俳優学校で映画劇史を教え、徳川夢声と知り合う。東の没後、夫人は友人の徳川夢声(徳川も妻に先立たれていた)と再婚した。
物集 和子(もずめ かずこ、1888年(明治21年)10月2… 物集 和子(もずめ かずこ、1888年(明治21年)10月26日 - 1979年(昭和54年)7月27日)は、日本の小説家、掃苔家。藤岡 一枝とも。本名は藤浪和。 国学者・物集高見の娘で、放射線医学者(慶應義塾大学教授)の藤浪剛一の妻。実兄の物集高量は国文学者、姉は同じく小説家の大倉燁子(本名は芳子)。義兄の藤浪鑑は病理学者(京都帝国大学教授)。また、親族に女優の早瀬久美がいる(姉妹の物集千代子の孫)。 東京府東京市本郷区駒込千駄木林町(現在の東京都文京区千駄木)出身、跡見高等女学校卒業。 文学を志して姉の芳子とともに二葉亭四迷に弟子入りしたが、1908年(明治41年)、二葉亭は朝日新聞社特派員としてロシアに赴任することになったので、同社の同僚であった夏目漱石に物集姉妹の世話を依頼した。
洪 命熹(ホン・ミョンヒ、朝鮮語: 홍명희/洪命憙、1888… 洪 命熹(ホン・ミョンヒ、朝鮮語: 홍명희/洪命憙、1888年5月23日 - 1968年3月5日)は、朝鮮の独立運動家、作家。本貫は豊山洪氏。忠清北道槐山出身。号は碧初。 1905年日本の東京に留学するが、1910年の日韓併合時、錦山郡守であった父・洪範植の自決により、中国に亡命し、申采浩らと交友し、独立運動に参加する。1919年の三・一独立運動では故郷の槐山でデモ活動を指導する。『東亜日報』の主筆を務める。後に東亜日報の主筆、時代日報社の社長、五山学校校長などを務める。小説『林巨正』を執筆する。1927年からは、民族統一戦線組織新幹会運動の中心となったが、1929年に検挙され、投獄された。 1945年の光復後は、南朝鮮で政治運動を展開する。
江口 渙(えぐち かん、1887年7月20日 - 1975年… 江口 渙(えぐち かん、1887年7月20日 - 1975年1月18日)は、日本の小説家である。東京麹町生まれであるが、出身地は父の故郷である栃木県烏山町である。本名は同表記で「きよし」であるが、戦後は「かん」と改めた。父の江口襄は陸軍の軍医で、東大医学部で森鷗外と同期であった。 三重四中から第四高等学校に進学するも父と進路をめぐって対立し、四高を退学、第五高等学校に入り直す。この時期には俳句に没頭し、河東碧梧桐に認められる。1912年、東京帝国大学英文科に進学する。この年、雑誌『スバル』に短編『かかり船』(後に「赤い矢帆」と改題)を発表し、作家として認められる。このころから佐藤春夫・広津和郎・宇野浩二たちとの交友がはじまる。
後藤 末雄(ごとう すえお、1886年10月25日 - 19… 後藤 末雄(ごとう すえお、1886年10月25日 - 1967年11月10日)は、作家、フランス文学者、比較文学・比較思想史研究者。 東京にて後藤五郎の六男に生まれる。「金座の後藤」と称された工芸の旧家に生まれ、幼くして母を失う。浅草橋の小学校に通い、同級生には木村荘太や桜間弓川がいた。府立三中、一高を経て、東京帝国大学英文科在学中、和辻哲郎、谷崎潤一郎、木村荘太らと第2次『新思潮』の創刊に参加し、小説家として出発する。1913年、東大仏文科を卒業し、陸軍士官学校の教師となる。華々しくデビューした谷崎に対し、他の同人が創作から脱落していく中で、森鷗外らの愛顧を得て創作を続けるが、大正5年(1916年)、「女の哀話」もの小説を「遊蕩文学」として赤木桁平に攻撃され、なおも創作を続けた。
谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう、1886年(明治19… 谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう、1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40年)7月30日)は、日本の小説家。明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。現在においても近代日本文学を代表する小説家の一人として、評価は非常に高い。
大倉 燁子(おおくら てるこ、1886年4月12日 - 19… 大倉 燁子(おおくら てるこ、1886年4月12日 - 1960年7月18日、本名:物集 芳子(もづめ よしこ))は、日本の小説家。 国学者・物集高見の三女。兄の物集高量は国文学者、妹の物集和子も小説家。 東京府東京市本郷区弓町(現・東京都文京区本郷)出身、学歴は東京女子高等師範学校中退。文学を志して妹の和子とともに二葉亭四迷に弟子入りしたが、1908年、二葉亭は朝日新聞社特派員としてロシアに赴任することになったので、同社の同僚であった夏目漱石に物集姉妹の世話を依頼した。以後は漱石門下の作家として、本名や「岩田由美」、「岩田百合子」の名義で『兄』、『生家』、『母』などの小説を発表した(1909年 - 1912年)。
平塚 らいてう(ひらつか らいちょう、1886年(明治19年… 平塚 らいてう(ひらつか らいちょう、1886年(明治19年)2月10日 - 1971年(昭和46年)5月24日)は、日本の思想家、評論家、作家、フェミニスト、女性解放運動家。本名は平塚 明(ひらつか はる)。 大正から昭和にかけ、婦人参政権など、女性の権利獲得に奔走した活動家の一人として知られるが、結局、その実現は、第二次大戦後、連合国軍の日本における占領政策実施機関GHQ主導による「日本の戦後改革」を待たなければならなかった。 しかし、1911年(明治44年)9月、平塚25歳の時、雑誌『青鞜』の創刊を祝い、自らが寄せた文章の表題「元始、女性は太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である(大昔は女性は自らいきいきと輝いていたが、今は自分の力で輝けない)」は、女性の権利獲得運動を象徴する言葉の一つとして、永く人々の記憶に残ることとなった[要ページ番号]。