竹中 繁雄(たけなか しげお、1941年(昭和16年) - … 竹中 繁雄(たけなか しげお、1941年(昭和16年) - )は、日本の外交官。法務省入国管理局長やトルコ駐箚特命全権大使を務めた。 東京出身。東京都立小山台高等学校を経て、1965年に一橋大学法学部を卒業し、外務省入省。外務省では主にアジア外交にたずわる。 在大韓民国日本国大使館参事官・広報官室長を務めていた1986年9月17日に、ソウル市鍾路区雲泥洞にあった日本文化センター(日本大使館広報官室)の竹中の室長室が、中曽根康弘(総理大臣)の訪韓反対を主張するナイフを持った高麗大学校と韓国外国語大学校の学生5人に襲撃された。学生らは、竹中の要請でかけつけた警察官に取り押さえられたが、日本大使館が直接の標的となったことから、関係者に大きな衝撃を与えた。
原口 幸市(はらぐち こういち 1940年11月24日 - … 原口 幸市(はらぐち こういち 1940年11月24日 - 2009年10月4日)は、日本の元外交官、官僚。
菊地 康典(きくち やすのり、1939年8月10日 -)は、… 菊地 康典(きくち やすのり、1939年8月10日 -)は、日本の外交官。内閣官房内閣審議官、メルボルン総領事等を経て、1993年から駐フィジー特命全権大使を務めた。 武蔵高等学校を経て、1963年一橋大学法学部卒業、外務省入省、在アメリカ合衆国日本国大使館外交官補。インディアナ大学でソ連を専攻し、1966年在ソビエト連邦日本国大使館三等書記官。1973年在オーストラリア日本国大使館二等書記官。1974年同一等書記官。1976年在ケニア日本国大使館一等書記官。 1978年外務省国際連合局軍縮課長。1981年国防会議事務局参事官。1982年在ユーゴスラヴィア日本国大使館参事官。1983年在ブラジル日本国大使館参事官。
池田 維(いけだ ただし、1939年3月18日 - )は、日… 池田 維(いけだ ただし、1939年3月18日 - )は、日本の外交官。 外務省アジア局長、官房長、オランダ特命全権大使、ブラジル特命全権大使、交流協会台北事務所代表(駐台湾大使相当)を歴任。財団法人霞山会理事長、立命館大学客員教授。2014年、瑞宝重光章受章。妻は比較文学者の池田美紀子。 兵庫県出身。1961年(昭和36年)10月東京大学法学部在学中に外務公務員上級試験に合格する。1962年(昭和37年)東大法学部を卒業して、外務省に入省した。中国語研修(台湾、米国)を経て、香港、北京に在勤。
小倉 和夫(おぐら かずお、1938年11月15日 - )は… 小倉 和夫(おぐら かずお、1938年11月15日 - )は、日本の外交官。韓国大使、フランス大使、国際交流基金理事長などを務めた後、青山学院大学教授、立命館大学教授、日本財団パラリンピックサポートセンター理事長。東京都出身。 父は農林官僚・経済学者の小倉武一。弟は社会学者の小倉充夫。 外務省同期入省には、高瀬尚一(駐バチカン大使)、西村元彦(駐ポルトガル大使)、丹波實(駐ロシア大使)、原島秀毅(駐マレーシア大使)、木島輝夫(駐アルゼンチン大使)、木村崇之(EU大使)、川島純(駐ニュージーランド大使)、池田右二(ウィーン国際機関大使)、宮本信生(駐チェコ大使)、荒船清彦(駐西大使、中南米局長)、大和田悳朗(駐ユーゴ大使)、荒義尚(駐比大使)、久保田穣(駐パキスタン大使)、国安正昭(駐ポルトガル大使)など。
川上 隆朗(かわかみ たかお、1938年 - )は日本の外交… 川上 隆朗(かわかみ たかお、1938年 - )は日本の外交官。 神奈川県生まれ。1961年に東京大学法学部卒業後、外務省に入省する。フランス、イタリア、英国、ザイール(現コンゴ民主共和国)、国連代表部、OECD代表部などでの海外勤務を経て、経済協力局政策課長、審議官を務める。その後、1988年にソ連特命全権公使となる。そして、1990年に経済協力局長を務めた。1994年に駐パキスタン大使となる。1997年には駐インドネシア大使として赴任する。2001年に国際協力事業団総裁(~2003年)、後に外務省参与、国際協力機構顧問、2007年に国際開発高等教育機構理事長を歴任した。2013年、秋の叙勲で瑞宝重光章を受章した。
柳井 俊二(やない しゅんじ、1937年1月15日 - )は… 柳井 俊二(やない しゅんじ、1937年1月15日 - )は、日本の外交官。外務事務次官(1997年7月 - 1999年9月)、駐米大使(1999年9月 - 2001年10月)。2005年からは国際海洋法裁判所の判事を務めており、2011年10月には同裁判所長に選出された。 東京生まれ。父は条約局長を務めた外交官・弁護士の柳井恒夫、兄は運輸官僚の柳井乃武夫。姉婿は柳谷謙介(1924年 - 2017年。元外務事務次官、成城大学・成城学園理事長)。祖父は医師の柳井貴三で、柳井家は代々備中松山藩の藩医をしていた家系。 学習院初等科、学習院中・高等科を経て、1961年、東京大学法学部卒業、外務省入省。フランス語研修(ストラスブール大学)、在フランス大使館、国連代表部、在インドネシア大使館、在韓国大使館の各在外公館に勤務。
谷野 作太郎(たにの さくたろう、1936年6月6日 - )… 谷野 作太郎(たにの さくたろう、1936年6月6日 - )は、日本の外交官。東京都出身。
渡辺 允(渡邉 允、わたなべ まこと、1936年(昭和11年… 渡辺 允(渡邉 允、わたなべ まこと、1936年(昭和11年)5月9日 - 2022年(令和4年)2月8日)は、日本の外交官。位階は正三位。 元・侍従長、前・宮内庁参与。東京府(現・東京都)出身。 学習院初等科(1949年(昭和24年)卒業)、都立日比谷高校を経て、1959年(昭和34年)東京大学法学部卒業後、外務省入省。同期には松浦晃一郎ら。 英語研修(米国スワースモア大学)、北米局北米第一課事務官、1976年(昭和51年)条約局法規課長、1977年(昭和52年)国際連合局政治課長、1979年(昭和54年)在フィリピン日本国大使館参事官、1981年(昭和56年)在アメリカ合衆国日本国大使館参事官、1983年(昭和58年)在アメリカ合衆国日本国大使館公使、1985年(昭和60年)外務省大臣官房審議官(北米局担当)、1988年(昭和63年)駐ヨルダン大使を歴任。
ナオユキ・トヨトシ(Naoyuki Toyotoshi、豊歳… ナオユキ・トヨトシ(Naoyuki Toyotoshi、豊歳 直之、1936年‐)は、パラグアイ共和国の外交官、実業家。 2009年に駐日パラグアイ特命全権大使に就任した。東京に駐日パラグアイ大使館が開設されてから第9代特命全権大使となる。2017年離任。 日本生まれの日本育ちの日本人であり、アルゼンチンを経て、パラグアイ移住後も長く日本国籍者であった。しかし、パラグアイ共和国政府より2009年に駐日特命全権大使に就任を要請され、パラグアイ国籍を取得した。日本国の戸籍の漢字表記は「豊歳 直之」。 トヨトシは、パラグアイの日系社会出身者として、イサオ・タオカ(田岡功)駐日大使(第8代:在任2004年‐2009年)に次いで、2人目の駐日特命全権大使となった。
佐藤 嘉恭(さとう よしやす、1934年9月27日 - 20… 佐藤 嘉恭(さとう よしやす、1934年9月27日 - 2022年9月6日)は、日本の外交官。外務省大臣官房長、駐中華人民共和国特命全権大使などを務めた。 1984年多忙で体調不良のため医師の進言で在アメリカ合衆国日本国大使館公使に異動。帰国後、外務省経済局長、大臣官房長を経て、1992年には外務審議官に起用されるはずだったが、大学の先輩にあたる当時の渡辺美智雄外務大臣兼副総理が大臣官房長留任を希望し、松浦晃一郎が代わりに外務審議官に就いた。クリスチャン。
渡辺 泰造(わたなべ たいぞう、1934年3月16日 - )… 渡辺 泰造(わたなべ たいぞう、1934年3月16日 - )は、東京府出身の外交官。駐エジプト大使、駐インドネシア大使、外務省顧問、全日空顧問、青山学院大学教授などを務めた後、2005年日本国際博覧会政府代表。
波多野 敬雄(はたの よしお、1932年(昭和7年)1月3日… 波多野 敬雄(はたの よしお、1932年(昭和7年)1月3日 - )は、日本の外交官。第25代学習院長。元国連大使。 学習院幼稚園から戦後の学制改革を経て新制学習院高等科まで一貫して学習院で過ごした。伏見宮博明王の学友。東大法学部3回生在学中に外交官試験に合格し、1953年外務省入省。1990年代の在国際連合日本政府代表部大使在任中、日本が国連安保理常任理事国入りを目指す外交方針のなかで現場にいた事務方の代表者。 第25代学習院長。学習院長田島義博の急逝に伴い選出された。任期は田島義博の残任期間となる2006年(平成18年)6月1日から2008年(平成20年)9月30日までであったが、2008年8月6日に再選され、2014年(平成26年)9月30日退任。
岡崎 久彦(おかざき ひさひこ、1930年〈昭和5年〉4月8… 岡崎 久彦(おかざき ひさひこ、1930年〈昭和5年〉4月8日 - 2014年〈平成26年〉10月26日)は、日本の外交官、評論家。位階は従三位。サウジアラビアとタイ王国で特命全権大使を歴任し、また外務省で情報調査局長を務めた。祖父の岡崎邦輔は、陸奥宗光の従弟にあたる。 関東州・大連生まれ。白金小学校、旧制府立高等学校を経て、東京大学法学部入学。東大法学部在学中に外交官試験合格。大学を中退し、外務省に入省。八木秀次によれば、岡崎は卒業証書は小学校のものしか持っておらず、その後は大学まですべて「飛び級」だったという。岡崎邦輔は祖父。 外務省ではケンブリッジ大学での英語研修を皮切りに、在外で在フィリピン大使館、在フランス大使館、在米国大使館、在韓国大使館に駐在し、本省では国際連合局に勤務する。
平岡 千之(ひらおか ちゆき、1930年(昭和5年)1月19… 平岡 千之(ひらおか ちゆき、1930年(昭和5年)1月19日 - 1996年(平成8年)1月9日)は、日本の外交官。作家三島由紀夫の弟。駐モロッコ特命全権大使、駐ポルトガル特命全権大使、赤坂迎賓館館長などを歴任した。位階は正三位。 1930年(昭和5年)1月19日、東京市四谷区永住町2番地(現・東京都新宿区四谷4丁目22番)に、父・平岡梓(農商務官僚)と母・倭文重(漢学者・橋健三の次女)との間に二男として生まれる。2歳上に、1928年(昭和3年)2月23日生まれの姉・美津子と、5歳上の1925年(大正14年)1月14日生まれの兄・公威がいた。千之の名は、祖父・平岡定太郎の恩人・江木千之に由来する。
大鷹 弘(おおたか ひろし、1928年2月25日 – 200… 大鷹 弘(おおたか ひろし、1928年2月25日 – 2001年4月21日)は、日本の外交官。駐ビルマ(ミャンマー)大使、法務省入国管理局長などを務めた。父は外交官の大鷹正次郎、妻は女優で参議院議員を務めた大鷹淑子。双子の弟、大鷹正、正の子である大鷹正人も外交官である。 東京府出身。父親の転勤で青島第二小学校を5年終了で東京に移り、東京市立番町尋常小学校に転校する。旧制武蔵高等学校を経て、1950年東京大学法学部卒業後、1951年に外務省に入省する。ベルギー公使、フィジー、スリランカ各大使などを歴任し、1987年から1990年まで駐ビルマ(ミャンマー)大使を務めた。 2001年4月21日午前11時21分、肺炎のため、東京都足立区の病院で死去。
伊達 宗起(だて むねおき、1927年10月 - )は、日本… 伊達 宗起(だて むねおき、1927年10月 - )は、日本の外交官。外務大臣官房長、外務省条約局長等を経て、欧州共同体日本政府代表部特命全権大使在任中譴責処分を受け解任された。 東京府出身。東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)、浦和高等学校、東京大学法学部を経て、1950年外務省入省。在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部二等書記官、同一等書記官を経て、1965年内閣法制局参事官(第三部)。1968年外務省アジア局北東アジア課長。 1970年在ベルギー日本国大使館一等書記官。同参事官を経て、1973年外務省条約局外務参事官。1974年外務公務員採用上級試験委員。1976年外務省情報文化局外務参事官。
野田 英二郎(のだ えいじろう、1927年 - )は、日本の… 野田 英二郎(のだ えいじろう、1927年 - )は、日本の元外交官。
賀陽 治憲(かや はるのり、1926年〈大正15年〉7月3日… 賀陽 治憲(かや はるのり、1926年〈大正15年〉7月3日 - 2011年〈平成23年〉6月5日)は、日本の外交官。旧皇族、賀陽宮恒憲王の第2王子。海軍兵学校75期。1947年10月14日の皇籍離脱までは、治憲王(はるのりおう)。 1926年〈大正15年〉7月3日午前8時50分、賀陽宮恒憲王と同妃敏子の第2男子として誕生。御七夜の7月9日に「治憲」と命名された。 学習院初等科・学習院中等科を経て、1943年(昭和18年)12月1日、江田島海軍兵学校(75期)に入学。井上成美中将のもとで学んだ。入校式においては皇族の生徒として紹介を受け、同期生の敬礼を受けている(広島中央放送局ニュース再録に記録あり)。
宮澤 泰(みやざわ やすし、1923年〈大正12年〉8月5日… 宮澤 泰(みやざわ やすし、1923年〈大正12年〉8月5日 - 2010年〈平成22年〉9月10日)は、日本の外交官。駐西ドイツ大使。位階は従三位。 宮澤裕の三男として生まれる。東京高師附属小(現・筑波大附属小)、武蔵高等学校を経て東京大学法学部政治学科卒業。外務省に入り、西ドイツ公使、1977年2月から欧亜局長、外務省大臣官房審議官を経て、1980年12月から駐アルジェリア大使、1983年4月から駐オーストリア大使、1986年1月から駐西ドイツ大使を歴任。1993年11月、勲二等旭日重光章受勲。2010年死去。死没日付をもって従三位に叙された。 宮澤三兄弟の幼少の頃を知るいとこの和田貞子は「三人はいずれも2歳違いで、とても仲の良い兄弟だった。
松永 信雄(まつなが のぶお、1923年(大正12年)1月1… 松永 信雄(まつなが のぶお、1923年(大正12年)1月16日 - 2011年(平成23年)12月1日、満88歳没)は、日本の外交官、外務省官僚。位階は正三位。外務事務次官、駐アメリカ合衆国大使を歴任。 1965年(昭和40年)6月22日日韓基本条約交渉の際には条約課長として交渉の実担当となり、論点の一つだった韓国の対日請求権について「日韓請求権並びに経済協力協定によって韓国の日本に対する一切の財産及び請求権問題に対する外交的保護権は放棄されている」とした内容で締結に導いた。
武田 實(たけだ みのる、1922年3月28日 - 2009… 武田 實(たけだ みのる、1922年3月28日 - 2009年3月6日)は、日本の外交官。駐アイルランド特命全権大使等を経て、迎賓館長を務めた。 東京府立第一商業学校(現東京都立第一商業高等学校)を経て、1944年東京商科大学(現一橋大学)卒業。科学技術庁原子力局国際協力課長、在トルコ日本国大使館一等書記官、同参事官等を経て、1967年在オーストラリア日本国大使館参事官。1969年在ブルガリア日本国大使館参事官。1972年参議院参事、参議院事務局渉外部長兼列国議会同盟課長事務取扱。1976年シドニー総領事。1978年駐ラオス特命全権大使。1982年駐アイルランド特命全権大使。1985年迎賓館長。
橘 正忠(たちばな まさただ、1922年2月2日 - 200… 橘 正忠(たちばな まさただ、1922年2月2日 - 2004年4月1日)は、日本の外交官。 1944年東京大学法学部卒、1945年外務省に入省後、1950年米国留学、カナダ在勤、シドニー領事、報道課長、香港領事、1969年在オーストリア日本大使館参事官、1970年アメリカ局参事官などを歴任。 1972年アメリカ局長心得、1975年-1977年欧亜局長、1977年-1980年駐デンマーク大使、1980年10月から在ビルマ日本大使館特命全権大使、1983年10月から1986年まで在タイ日本国大使館特命全権大使となる。 後に国立京都国際会館館長、京都市国際交流協会理事や上場企業役員を歴任した。 1980年11月にヤンゴン日本人学校名誉校長に就任する。
影井 梅夫(かげい うめお、1920年3月9日 - 2003… 影井 梅夫(かげい うめお、1920年3月9日 - 2003年7月4日)は、日本の外交官。法務省入国管理局長、外務省国際連合局長、駐イタリア特命全権大使、NTT特別参与などを歴任した。 鳥取県気高郡湖山村出身。武蔵高等学校尋常科、同校高等科文科甲組を経て、1941年高等試験外交科合格。同年東京帝国大学法学部政治学科卒業、外務省入省。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進し終戦を迎えた。 終戦連絡中央事務局連絡官を経て、1947年外交官補、叙二級。在マニラ日本政府在外事務所一等書記官、日本国とフィリピン共和国との間の賠償協定及び経済開発借款協定につき交渉し且つ署名する全権委員随員を経て、1956年在フィリピン日本国大使館一等書記官。
鈴木 文彦(すずき ふみひこ、1919年〈大正8年〉9月13… 鈴木 文彦(すずき ふみひこ、1919年〈大正8年〉9月13日 - 没年不詳)は、日本の外交官、国際公務員。外務省経済局次長、外務省国際連合局長等を経て、1979年から82年までジュネーヴ国際機関日本政府代表部特命全権大使を務めた。 東京出身。東京府立第八中学校(現東京都立小山台高等学校)を経て、1940年浦和高等学校文科甲類卒業。1942年東京帝国大学法学部政治学科卒業、外務省入省。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。1946年に解員(復員)した。 外務省経済局国際機関課長等を経て、1962年在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部一等書記官。
飯村 繁(いいむら しげる、1919年〈大正8年〉9月 - … 飯村 繁(いいむら しげる、1919年〈大正8年〉9月 - 1993年〈平成5年〉1月6日)は、日本の元軍人、外交官。陸士53期卒(山砲)。最終階級は陸軍少佐。戦後は在ポーランド・在フィンランド大使館附書記官、内閣調査室調査官、官房会計課予算経理官を歴任した。父は陸軍中将で総力戦研究所所長の飯村穣、岳父は同じく陸軍中将で参謀次長の沢田茂。子は元駐仏大使の飯村豊。 東京府出身。飯村穣・光子の長男。幼少期は大戦の軍需景気に伴うインフレで電気代やガス代も払えないほど生活は困窮しており、休日の食事は白米のみという有様で、姉妹三人は茨城県の父の実家に預けられていた。 麻布中学より東京陸軍幼年学校に転じ、陸軍士官学校を53期生として卒業。
須之部 量三(すのべ りょうぞう、1918年2月15日 - … 須之部 量三(すのべ りょうぞう、1918年2月15日 - 2006年2月14日)は、日本の外交官・外務事務次官・杏林大学名誉教授。東京府出身。 旧制浦和中学(浦和高校)、旧制静岡高校文科甲類(静岡大学)を経て、東京帝国大学法学部卒業。 1941年12月、外務省に入省。1950年ガリオア基金にて米国留学。経済局第四課長(イギリス連邦担当)、1955年在連合王国大使館一等書記官、1958年大臣官房人事課長、1961年条約局外務参事官、1964年在ソ連大使館参事官、1966年駐米公使、1968年外務省アジア局長。駐オランダ大使、駐インドネシア大使、駐韓国大使を経て、1981年に外務事務次官に就任した。
新関 欽哉(にいぜき きんや、1916年 <大正5年> 1月… 新関 欽哉(にいぜき きんや、1916年 <大正5年> 1月4日 - 2003年 <平成15年> 8月11日)は、日本の外交官。印章の研究者でもあった。位階は正三位。 東京都出身。武蔵高等学校を卒業後、1938年東京大学法学部政治学科卒業。 外務省に入省し、1938年外務省在外研究員、1951年欧米局第5課長(ソ連課長)、1956年在ソ大使館参事官(代理大使)、1958年欧亜局参事官、1963年大臣官房国際資料部長(初代)、在香港総領事、1966年情報文化局長、1968年在オーストリア特命全権大使、1971年在ソ連特命全権大使、1972年在モンゴル大使兼任、1973年在インド特命全権大使。その後、日本国際問題研究所理事長、ソ連研究センター所長、原子力委員会委員を務める。
加藤 匡夫(かとう ただお、1916年 - 1996年)は、… 加藤 匡夫(かとう ただお、1916年 - 1996年)は、日本の外交官。外務省経済局長、OECD代表部特命全権大使、駐イギリス特命全権大使、日英協会理事長などを歴任した。正三位勲一等瑞宝章。 東京出身。東京高等学校文科甲類を経て、1937年東京帝国大学法学部政治学科卒業。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年(昭和20年)3月、主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 1948年連絡調整中央事務局連絡調整官。1950年通商産業省通商局市場第二課長。1955年外務省経済局第四課長。1956年外務省経済局第一課長。
藤山 楢一(ふじやま ならいち 1915年9月17日 - 1… 藤山 楢一(ふじやま ならいち 1915年9月17日 - 1994年5月5日)は、日本の外交官。駐英国大使。
東郷 文彦(とうごう ふみひこ、旧姓:本城、 1915年(大… 東郷 文彦(とうごう ふみひこ、旧姓:本城、 1915年(大正4年)8月18日 - 1985年(昭和60年)4月9日)は、日本の昭和時代の外交官、官僚。旧姓は本城。外務省事務次官、駐アメリカ大使を務めるなど日本の戦後外交におけるアメリカスクール外交官の重鎮の一人であった。
都倉 栄二(榮二、とくら えいじ、1915年(大正4年)1月… 都倉 栄二(榮二、とくら えいじ、1915年(大正4年)1月27日 - 2000年(平成12年)7月4日)は、日本の外交官。イスラエル、ハンガリー、スウェーデン、アイスランドの大使を務めた。イスラエル大使時代にテルアビブ空港乱射事件に遭遇。位階は正三位。息子に作曲家の都倉俊一。孫に女優の都倉伶奈とJリーガーの都倉賢。 神奈川県出身。旧制東京府立第八中学校(現東京都立小山台高等学校)を経て、ロシア文学に惹かれて東京外国語学校(現東京外国語大学)露語科に進む。 1934年、外務省入省。外務書記生となる。 ハイデルベルク大学留学、在ドイツ日本大使館勤務を経て、1936年、在ウラジオストク日本領事館に勤務。
上田 常光(うえだ つねあき、1914年11月25日 - 1… 上田 常光(うえだ つねあき、1914年11月25日 - 1995年3月1日)は、日本の外交官。位階は正三位。初代駐シンガポール特命全権大使や、外務省経済協力局長、駐ドイツ連邦共和国特命全権大使、日独協会会長などを歴任した。 東京生まれ。1934年東京高等学校文科甲類卒業。1937年東京帝国大学法学部政治学科卒業。1938年高等試験外交科合格、外務書記生、ドイツ在勤。1939年外交官補。 1951年外務省管理局在外邦人課長。同年外務省欧米局渡航課長。1952年外務省アジア局第五課長。1957年在ドイツ日本国大使館参事官。1959年外務省情報文化局報道課長。 1961年外務省欧亜局外務参事官。1964年在シンガポール日本国総領事館総領事。
保科 光正(ほしな みつまさ、1914年(大正3年)10月7… 保科 光正(ほしな みつまさ、1914年(大正3年)10月7日 - 1945年(昭和20年)4月1日)は、昭和期戦前の外交官、華族。幼名・正虎。 子爵・保科正昭の長男として生まれる。幼名は正虎であったが、1934年(昭和9年)12月6日に光正に改名した。 東京高等学校を経て、1937年(昭和12年)東京帝国大学法学部を卒業。同年10月、高等試験外交科試験に合格し、外務省に入省して英国書記生に発令されて渡英した。 以後、外交官補、外交事務官を歴任。1942年(昭和17年)11月、大東亜省が設置され同事務官に転じた。支那事務局総務課在勤となり在支渉外事務を担当。大臣秘書官事務取扱、兼大臣秘書官も務めた。
内田 藤雄(うちだ ふじお、1909年2月22日 - 199… 内田 藤雄(うちだ ふじお、1909年2月22日 - 1992年12月21日)は、日本の外交官。法務省入国管理局長、外務省大臣官房長、駐オーストリア特命全権大使、駐ドイツ特命全権大使。 岡山県出身。1928年東京高等学校文科甲類卒業、東京帝国大学法学部法律学科入学。1930年高等試験外交科本試験に合格し、1931年に外務省に入省した。1949年公正取引委員会事務局総務部長。1954年法務省入国管理局長。1957年外務省移住局長。1958年外務省大臣官房長。1960年オーストリア国駐箚特命全権大使、国際原子力機関理事会理事たる日本政府代表。1965年ドイツ国駐箚特命全権大使。1973年海外移住審議会委員。
下田 武三(しもだ たけそう、1907年 <明治40年> 4… 下田 武三(しもだ たけそう、1907年 <明治40年> 4月3日 - 1995年 <平成7年> 1月22日)は、日本の外交官。外務事務次官、駐米大使、最高裁判所判事、日本野球機構コミッショナー。東京府出身。位階は従二位。 外交官、外務省官僚としてポツダム宣言の翻訳を初め、日米安全保障条約、沖縄返還、日米繊維交渉など、戦後の日米交渉に深く関与した。プロ野球のコミッショナーとしては、時代の求めていたプロ野球と野球界の近代化に手腕を振るった。 教育学者の下田次郎の三男として東京に生まれ、東京高等師範学校附属小学校(現:筑波大学附属小学校)、1925年に東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。
福島 慎太郎(ふくしま しんたろう、1907年1月15日 -… 福島 慎太郎(ふくしま しんたろう、1907年1月15日 - 1987年4月2日)は、日本の外交官、内閣官房次長、調達庁長官。 東京都出身。礫川小学校、旧制府立五中、旧制一高を経て、東京帝国大学法学部卒。1930年に外務省入りし、英語研修(米国)、フィリピン在勤などを経て1947年から内閣総理大臣秘書官、同年終戦連絡大阪事務局長、1948年の大阪連絡大阪事務局長。同年芦田内閣では内閣官房次長(現在の内閣官房副長官)に就任。 1949年9月に毎日オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)の球団社長となり、1951年からはパシフィック・リーグ会長も兼ねて日本プロフェッショナル野球協約制定の中心役となった。
寺崎 英成(てらさき ひでなり、1900年(明治33年)12… 寺崎 英成(てらさき ひでなり、1900年(明治33年)12月21日 - 1951年(昭和26年)8月21日)は、日本の外交官、元・宮内省御用掛。 1900年、貿易商・寺崎三郎(福岡藩出身)の二男として神奈川県に生まれた。兄は、外交官・寺崎太郎。暁星中学より旧制一高を経て東京帝大法学部を中退し、1927年に外務省入省。ブラウン大学に公務留学。1931年、ワシントンD.C.の日本大使館在勤中に米国人グエンドレン・ハロルド(Gwen Harold, 1908-1990)と出会い結婚。 その後、上海(勤務時に娘マリコが出生)、ハバナ、北京など在外勤務を経て、1941年に再びワシントンの日本大使館に赴任。
井上 孝治郎(いのうえ こうじろう、1899年 - 1996… 井上 孝治郎(いのうえ こうじろう、1899年 - 1996年)は、日本の外交官。外務省経済局長や、内閣総理大臣秘書官、駐トルコ特命全権大使、日本ユネスコ国内委員会事務総長などを務めた。 東京出身。旧制暁星中学校を経て、1922年東京商科大学(現一橋大学)予科卒業。1925年同大学学部卒業、外務省入省。外務大臣官房文書課長、外務省総務局付大使館参事官等を経て、1945年外務省戦時経済局長。同年日本の降伏に伴う改組により外務省経済局長。1946年外務省調査官。1947年終戦連絡中央事務局経済部長。1948年外務省特別資料部長。1949年内閣総理大臣秘書官。1950年九州連絡調整事務局長、九州地方連絡協議会会長。
加瀬 俊一(かせ しゅんいち、1897年10月23日 - 1… 加瀬 俊一(かせ しゅんいち、1897年10月23日 - 1956年9月9日)は、日本の外交官。太平洋戦争終戦当時の駐スイス公使で、戦後西ドイツ大使を務める。 外務大臣秘書官や国連大使を務めた加瀬俊一(としかず)とは同姓同名の別人である。外務省内では彼と区別するため「大加瀬」と俗称されていた。 東京生まれ。早稲田中学校、第一高等学校から東京帝国大学に進む。東京帝大在学中の1920年に高等文官試験外交科試験に合格したために、大学を中退して外務省に入省する。外務省同期に阪本瑞男、鹿島守之助など。 1935年に欧亜局第一課長、1938年に在アメリカ合衆国日本国大使館の一等書記官となる。太平洋戦争開戦後の1942年にイタリア公使となった。
神吉 正一(かんき しょういち、1897年(明治30年)1月… 神吉 正一(かんき しょういち、1897年(明治30年)1月5日 - 1964年(昭和39年)8月17日)は、日本の外交官。満州国総務庁次長。蒙古聯合自治政府最高顧問。
蜂谷 輝雄(はちや てるお 1895年10月4日 - 197… 蜂谷 輝雄(はちや てるお 1895年10月4日 - 1979年7月2日)は、日本の外交官。自由インド仮政府初代公使や内閣総理大臣秘書官を務めた。
富井 周(とみい しゅう、1890年(明治23年)8月17日… 富井 周(とみい しゅう、1890年(明治23年)8月17日 - 1959年(昭和34年)1月23日)は、日本の外交官。駐カナダ公使、駐アルゼンチン大使。男爵。
杉村 陽太郎(すぎむらようたろう 1884年(明治17年)9… 杉村 陽太郎(すぎむらようたろう 1884年(明治17年)9月28日 - 1939年(昭和14年)3月24日)は、大正、昭和の外交官、IOC委員。
堀田 正昭(ほった まさあき、1883年(明治16年)7月1… 堀田 正昭(ほった まさあき、1883年(明治16年)7月1日 - 1960年(昭和35年)7月25日)は、日本の外交官。駐チェコスロバキア公使、駐スイス公使、駐イタリア大使。 検事・法学者堀田正忠の長男として東京府に生まれる。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学仏法科を卒業し、翌年に外交官及領事官試験に合格した。外交官補としてフランス、中華民国に勤務した。公使館三等書記官、大使館二等書記官、同一等書記官、外務書記官・大臣官房人事課長などを歴任し、その間に中国・ドイツ・イタリアに勤務した。1926年(大正15年)、外務省欧米局長に就任。1931年(昭和6年)、駐チェコスロバキア公使となり、1934年(昭和9年)に駐スイス公使に転じた。
藤井 實(ふじい みのる、1881年11月または1880年1… 藤井 實(ふじい みのる、1881年11月または1880年11月6日 - 1963年)は、日本の外交官。また、東京帝国大学在学中の1902年に、特殊な電気計時装置を使った測定で100メートル競走に10秒24という記録を残したとされる人物としても知られる。名前は藤井実と表記されることもある。 東京・本郷に、昌平黌の漢学教師を父として生まれる。旧制郁文館中学校から第一高等学校を経て、1902年に東京帝国大学法科大学(現・東京大学法学部)に進学する。体格に恵まれていた(帝大1年当時、身長179cm、体重71kg)藤井は中学時代から各種のスポーツに親しみ、一高時代には陸上競技で並ぶもののない成績を収めていた。
吉田 茂(よしだ しげる、1878年〈明治11年〉9月22日… 吉田 茂(よしだ しげる、1878年〈明治11年〉9月22日 - 1967年〈昭和42年〉10月20日)は、日本の外交官、政治家。位階は従一位。勲等は大勲位。旧姓:竹内(たけうち)。 内閣総理大臣(第45・48・49・50・51代)、外務大臣(第73・74・75・78・79代)、農林大臣(第5代)、第一復員大臣(第2代)、第二復員大臣(第2代)、衆議院議員(7期)、貴族院議員(勅選議員)、皇學館大学総長(初代)、二松學舎大学舎長(第5代)、日本自由党総裁(第2代)、民主自由党総裁、自由党総裁(初代)を歴任した。 東久邇宮内閣や幣原内閣で外務大臣を務めたのち、内閣総理大臣に就任し、1946年5月22日から1947年5月24日、及び1948年10月15日から1954年12月10日まで在任した。
児島 正一郎(こじま しょういちろう、1875年1月1日 -… 児島 正一郎(こじま しょういちろう、1875年1月1日 - 1900年7月4日)は、日本の明治時代の外交官。父は大審院長を務めた児島惟謙。 1875年(明治8年)1月1日に児島惟謙の長男として東京府神田に生まれる。1881年(明治14年)に錦華小学校(現千代田区立お茶の水小学校)に入学するが、1883年(明治16年)に父が大阪控訴院長となったことから、大阪師範学校(現大阪教育大学)附属小学校に転じる。 同志社普通学校(現同志社中学校・高等学校)を経て、1891年(明治24年)に東京に戻り、商工中学校(現日本大学第三中学校・高等学校)を経て、高等商業学校(現一橋大学)に進学し、1894年(明治27年)に卒業。
蜷川 新(にながわ あらた、1873年(明治6年)1月14日… 蜷川 新(にながわ あらた、1873年(明治6年)1月14日 - 1959年(昭和34年)8月17日)は日本の法学者、外交官、大学教授。専門は国際法。先祖は室町幕府に政所代を世襲した蜷川氏で、後に江戸幕府の旗本となった。格闘家の武蔵、TOMO兄弟は曾孫にあたる。 父は旗本蜷川親賢、母は林田藩主建部政醇の娘はつ子。旗本小栗忠順の義理の甥に当る。静岡県袖師(現在の静岡市清水区)で生まれる。生後すぐに父が死去したため、母の縁を頼って東京に移り住む。 1889年(明治22年)第一高等学校に入学。学友に渡辺千冬や鈴木梅太郎がいた。卒業後東京帝国大学の法科大学に進学し、有賀長雄のもとで国際法を専攻した。卒業後、同大学大学院に進学。
伊集院 彦吉(いじゅういん ひこきち、1864年7月22日〈… 伊集院 彦吉(いじゅういん ひこきち、1864年7月22日〈元治元年6月19日〉- 1924年〈大正13年〉4月26日)は、明治・大正時代の日本の外交官。外務大臣。男爵。妻の芳子は大久保利通の長女。 1864年(元治元年)、薩摩藩鹿児島城下高麗町において、薩摩藩士・伊集院吉次の長男として生まれた。その後、上京して築地の立教学校(立教大学の前身の一つ)で学ぶ。1890年(明治23年)7月に帝国大学法科大学政治科を卒業した後、すぐに外務省に入省した。同期には石井菊次郎がいる。1892年(明治25年)からは翻訳官となり、1893年(明治26年)には 芝罘(のち山東省煙台)の副領事として清朝支配下の中国大陸に渡った。