岡崎 久彦(おかざき ひさひこ、1930年〈昭和5年〉4月8… 岡崎 久彦(おかざき ひさひこ、1930年〈昭和5年〉4月8日 - 2014年〈平成26年〉10月26日)は、日本の外交官、評論家。位階は従三位。サウジアラビアとタイ王国で特命全権大使を歴任し、また外務省で情報調査局長を務めた。祖父の岡崎邦輔は、陸奥宗光の従弟にあたる。 関東州・大連生まれ。白金小学校、旧制府立高等学校を経て、東京大学法学部入学。東大法学部在学中に外交官試験合格。大学を中退し、外務省に入省。八木秀次によれば、岡崎は卒業証書は小学校のものしか持っておらず、その後は大学まですべて「飛び級」だったという。岡崎邦輔は祖父。 外務省ではケンブリッジ大学での英語研修を皮切りに、在外で在フィリピン大使館、在フランス大使館、在米国大使館、在韓国大使館に駐在し、本省では国際連合局に勤務する。
栗田 勇(くりた いさむ、1929年7月18日 - 2023… 栗田 勇(くりた いさむ、1929年7月18日 - 2023年5月5日)は、日本のフランス文学者、美術評論家、作家、翻訳家。駒沢女子大学日本文化研究所名誉所長。 フランス象徴主義の詩人・ロートレアモン伯爵の作品を日本で初めて全訳し、レフ・トロツキーの翻訳も行った。また詩人でもあり、戯曲も書いた。多彩な創作、評論活動を展開し、仏教、寺院建築、美術等に関する日本文化論の著書を多く発表した。 東京生まれ、満洲出身。父は栗田健男。 1947年、東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)卒業。1953年、東京大学文学部仏文科卒業。1955年、同大学院修士課程修了。1960年より文筆活動に入る。 1962年、松田政男、山口健二、川仁宏らが企画した自立学校で、谷川雁、吉本隆明、埴谷雄高、黒田寛一、森秀人らとともに、講師をつとめる。
日野 啓三(ひの けいぞう、1929年6月14日 - 200… 日野 啓三(ひの けいぞう、1929年6月14日 - 2002年10月14日)は、日本の小説家、文芸評論家。東大社会学科卒。新聞社特派員としての韓国・ベトナム駐在経験が創作の基調。ベトナム戦争を題材にした作品や、現代都市における幻想を描く都市小説といわれる作品などで知られる。『あの夕陽』(1975年)で芥川賞受賞。日本芸術院会員。 東京府豊多摩郡生まれ。5歳の時に父親の仕事のため朝鮮に移り、小中学校時代を慶尚南道密陽で暮らした。1942年にソウルに移って、龍山中学に通う。敗戦後は父親の故郷広島県福山市に引き揚げ、広島県立府中中学校(現広島県立府中高等学校)を経て、1946年に旧制一高入学、この頃野間宏、椎名麟三などの戦後文学に関心を持ち、大岡信、丸山一郎(佐野洋)らと同人誌『二十代』、次いで同じメンバーで『現代文学』を作り、文芸評論を執筆した。
秋山 邦晴(あきやま くにはる、1929年5月22日 - 1… 秋山 邦晴(あきやま くにはる、1929年5月22日 - 1996年8月17日)は、日本の音楽評論家、音楽プロデューサー、詩人、作曲家。東京都生まれ。 父は陸軍軍人でのち牧車の号で俳人となった秋山邦雄。父の転任により、1935年から1937年までの幼年期を天津で過ごす。東京都立六中(現・東京都立新宿高等学校)、長野県松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)、早稲田大学第二高等学院を経て早稲田大学文学部フランス文学科に入学。1950年代、日比谷にあったGHQのCIE図書館(民間情報教育局)でレコード・コンサートをシリーズで開き、アメリカやヨーロッパの現代音楽を紹介。また、音楽雑誌「レコード音楽」編集長などを務めた。
村松 剛(むらまつ たけし、1929年3月23日 - 199… 村松 剛(むらまつ たけし、1929年3月23日 - 1994年5月17日)は日本の評論家、フランス文学者。筑波大学名誉教授。立教大学、京都産業大学、筑波大学、杏林大学の各教授を歴任。
大川 慶次郎(おおかわ けいじろう、1929年2月6日 - … 大川 慶次郎(おおかわ けいじろう、1929年2月6日 - 1999年12月21日)は日本の競馬評論家。 慶應義塾大学文学部心理学科を卒業した。 予想家として、通算4度パーフェクト予想を達成し、競馬の神様の愛称で親しまれた。競馬評論家の大川智絵は長女。 青森県八戸市の大平牧場で競走馬を生産するオーナーブリーダーであった大川義雄(高千穂製紙社長、通称「タイヘイ氏」)の二男として、東京府北豊島郡王子町(現在の東京都北区王子)に誕生した。実業家渋沢栄一の曽孫にあたる。また「日本の製紙王」大川平三郎は祖父である。母方の祖父は東京山中銀行取締役のほか日本建物、東京調帯社長などを務めた大村五左衛門。 幼少のころより大平牧場や東京の外厩で競走馬を間近に見て育った。
越智 正典(おち まさのり、1928年11月18日 - 20… 越智 正典(おち まさのり、1928年11月18日 - 2025年4月16日)は、日本のアナウンサー、野球評論家、スポーツライター。日本放送協会(NHK)アナウンサー→日本テレビ放送網(NTV)アナウンサー、のち運動部長。東京府(のちの東京都)出身。 「おち せいてん」の読みをあてる場合がある。 東京府立第一商業、早稲田大学政治経済学部卒業。 1951年にNHKへ入局。札幌局勤務ののち、1953年のNTV開局に伴い同局へ第1期アナウンサーとして移籍とする資料があるが、同年10月21日のNHKラジオ第2放送での日米野球(円山球場)の実況を担当しているため、実際には開局翌年移籍とみられる。以後、特にスポーツ中継の実況アナウンサーとして活躍。
西沢 舜一(にしざわ しゅんいち、1928年8月17日 - … 西沢 舜一(にしざわ しゅんいち、1928年8月17日 - 2008年12月10日)は、日本の評論家、日本共産党員。勝山俊介(かつやま しゅんすけ)名義による、戯曲や小説も知られている。 東京出身。装身具を扱う商店に育つ。旧制東京高等学校に入学。在学中の1946年12月12日、日本共産党に入党。のち東京大学に進学する。 1958年6月より5年間、世界民主青年連盟本部書記局員として日本民主青年同盟からブダペストに派遣された。1963年3月帰国、日本共産党中央委員会に勤務。 1967年に戯曲「回転軸」を「勝山俊介」のペンネームで書き、日本共産党創立45周年記念文芸作品に入賞。これを機に文筆活動を開始する。
坂本 藤良(さかもと ふじよし、1926年11月5日 - 1… 坂本 藤良(さかもと ふじよし、1926年11月5日 - 1986年9月15日)は、日本の経営学者、評論家。理論の底流にヒューマニズム。 東京市下谷区(現、台東区)生まれ。旧制成蹊高等学校の理科・文科を経て、1951年、東京大学経済学部卒業。同年4月より大学院特別給付研究生。日本の正統派経営学の祖である、馬場敬治教授の唯一の門下生となる。1954年の『経営学における原価理論-序説1』に始まる一連の論文でコスト論を展開し、国民所得からソシアル・コスト(公害等)を控除しなければ、真の意味での国民所得ではないのではないか、と示唆している。1956年、特別給付研究生修了。 1957年、慶應義塾大学商学部の設立に参画し、『経営通論』の講義を担当した。
桐敷 眞次郎(きりしき しんじろう、1926年8月31日 -… 桐敷 眞次郎(きりしき しんじろう、1926年8月31日 - 2017年12月7日)は、日本の建築史家・建築評論家。東京都立大学名誉教授、工学博士。東京府東京市神田区東神田生まれ。 敗戦後の混乱のなか、一年上級の飯田喜四郎、堀内清治の二先輩とともに西洋建築史研究を志す。当時は海外渡航が不可能であったため、旧敵国の留学生制度を利用し、飯田がフランス(1953-56)へ、桐敷がイギリス(1955-57)へ渡航、次いで堀内が東大イラン・イラク発掘調査隊(1953-56)に参加。当時から、ごく自然に堀内が古代、飯田が中世、桐敷が近世・近代を分担し、研究や出版に万事協力し合う態勢をつくる。
奥野 健男(おくの たけお、1926年〈大正15年〉7月25… 奥野 健男(おくの たけお、1926年〈大正15年〉7月25日-1997年〈平成9年〉11月26日)は、文芸評論家・化学技術者。多摩美術大学名誉教授。父は最高裁判事の奥野健一。
志鳥 栄八郎(しどり えいはちろう、1926年1月24日 -… 志鳥 栄八郎(しどり えいはちろう、1926年1月24日 - 2001年9月5日)は日本の音楽評論家。 1926年、東京府北豊島郡日暮里町(現・東京都荒川区日暮里)で毛筆製造業者の八男として生まれる。旧制駒込中学校(現・駒込中学校・高等学校)在学中の同級生に大滝秀治がいる。文学と音楽に熱中して第一高等学校 (旧制)と慶應義塾大学予科の入試に失敗し、予備校生活を経て、1944年から旭電化工業に勤務。1945年3月10日の東京大空襲で実家が焼失したため、福島県石川郡石川町に疎開。1945年5月、召集令状を受け、二等兵として相模原の通信第一連隊に入営。敗戦後に復員し、1946年1月から日本造船に勤務。
中村 雄二郎(なかむら ゆうじろう、1925年(大正14年)… 中村 雄二郎(なかむら ゆうじろう、1925年(大正14年)10月13日 - 2017年(平成29年)8月26日)は、日本の哲学者、評論家、文学博士。明治大学名誉教授。 東大哲学科卒。卒業後、文化放送に就職するが、1955年から明大に勤務し、1964年に教授となった。 早くからフランス人文主義に関心をもち、パスカルやデカルトを研究し『パスカルとその時代』(1965年)を書く。一方、近代合理主義を厳しく批判し、感性や情念の正当な位置づけを試みて『感性の覚醒』(1975年)を著した。また人間存在を根源から回復させる方法として、人間の共通感覚を重視する『共通感覚論』(1979年)を執筆。現代日本を代表する国際的な哲学者の一人。
森本 哲郎(もりもと てつろう、1925年〈大正14年〉10… 森本 哲郎(もりもと てつろう、1925年〈大正14年〉10月13日 - 2014年〈平成26年〉1月5日)は、日本のジャーナリスト、評論家。東京新聞記者、朝日新聞記者を経て評論家に転身し、東京女子大学教授なども歴任した。 東京府生まれ。府立十中、府立高等学校を経て、1948年(昭和23年)、東京大学文学部哲学科を卒業。文学部時代には風刺雑誌『VAN』の編集長を務めた。大学院に進学し、翌年には在学のまま東京新聞社に入社、社会部記者となる。1950年(昭和24年)、東京大学大学院文学研究科社会学専攻修士課程を修了。 1953年(昭和28年)、招聘を受けて朝日新聞社に移り、学芸部に籍を置く。1954年(昭和29年)2月、マリリン・モンローが来日した際には握手を交わした。
丸谷 才一(まるや さいいち、1925年(大正14年)8月2… 丸谷 才一(まるや さいいち、1925年(大正14年)8月27日 - 2012年(平成24年)10月13日)は、日本の小説家、文芸評論家、翻訳家、随筆家。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 主な小説作品に『笹まくら』『年の残り』『たった一人の反乱』『裏声で歌へ君が代』『女ざかり』など。文字遣いは、1966年から74年までを除いて、独自の歴史的仮名遣いを使用。日本文学の暗い私小説的な風土を批判し、軽快で知的な作品を書くことを目指した。評論・随筆も『忠臣藏とは何か』『後鳥羽院』『文章読本』など長年にわたり多く刊行し、また英文学者としてジョイスの『ユリシーズ』の翻訳などにも携わった。座談や講演も多く行い「文壇三大音声」の一人と自負していた。
荻 昌弘(おぎ まさひろ、1925年8月25日 - 1988… 荻 昌弘(おぎ まさひろ、1925年8月25日 - 1988年7月2日)は映画評論家、料理研究家、オーディオ評論家。月曜ロードショーの解説者を長年務め、その落ち着いた語り口から、淀川長治、水野晴郎と並んで名解説者として知られた。身長165センチ、体重69キロ。
鈴木 文彌(すずき ぶんや、1925年1月4日 - 2013… 鈴木 文彌(すずき ぶんや、1925年1月4日 - 2013年1月20日)は、日本のフリーアナウンサー、スポーツ評論家。「鈴木文弥」と新字体による表記が用いられる場合もある。 東京府(現:東京都)出身。東京府立第一商業学校を経て早稲田大学卒業。1948年にNHKに入局し、広島中央放送局・大阪中央放送局を経て、1958年より本部編成局アナウンス部に配属され、アナウンサーとして長年に亘り、スポーツ中継の実況担当で活躍。その後一時期、大阪中央放送局のチーフも務めた。 特にオリンピックでは、1964年の東京オリンピックの開会式(ラジオ。市川崑が監督を務めた記録映画で、開会式の場面で流される実況音声は鈴木のものである)や、バレーボール日本女子代表が金メダルを獲得した試合の実況を担当。
岩田 正(いわた ただし、1924年4月30日 - 2017… 岩田 正(いわた ただし、1924年4月30日 - 2017年11月3日)は、日本の歌人、評論家。妻で歌人の馬場あき子と「かりん」を創刊。 東京世田谷駒沢生まれ。国士舘中学校在学中に短歌を知る。早稲田大学高等学院予科を経て、早稲田大学文学部国文科卒。在学中の1946年に早稲田大学短歌会に入会し、同年歌誌「まひる野」創刊に参加。窪田空穂、窪田章一郎に師事。また渡辺順三編集の「人民短歌」(後の「新日本歌人」)の編集手伝いを行う。大学卒業後、都立高等学校教諭となり定年退職まで務める。 1977年に「まひる野」を退会。1978年に馬場あき子とともに歌誌「かりん」を創刊。朝日カルチャーセンター、角川短歌通信講座などで短歌を指導。
倉田 保雄(くらた やすお、1924年3月19日 - 201… 倉田 保雄(くらた やすお、1924年3月19日 - 2011年11月18日)は、国際問題評論家、エッセイスト。 東京都生まれ。暁星中学を経て1945年慶應義塾大学経済学部卒業後、時事通信、ロイター、UPI通信社東京支局勤務。 1952年フルブライト留学生として米国留学。1953年共同通信に入社。ロンドン特派員、パリ支局長、編集委員。早稲田大学・慶大講師。 1989年から2002年までNHK「視点・論点」のコメンテーター。1994年フランス国家功労勲章(シュバリエ級)受章。ヨーロッパ特に英国、フランスについての著書多数。 2011年11月18日、虚血性心疾患のため死去。87歳没。
虫明 亜呂無(むしあけ あろむ、1923年9月11日 - 1… 虫明 亜呂無(むしあけ あろむ、1923年9月11日 - 1991年6月15日)は、日本の作家、評論家、随筆家、翻訳家。
菅野 浩和(すがの ひろかず、1923年6月12日 - 20… 菅野 浩和(すがの ひろかず、1923年6月12日 - 2011年1月15日)は、日本の作曲家、音楽評論家。
遠山 一行(とおやま かずゆき、1922年(大正11年)7月… 遠山 一行(とおやま かずゆき、1922年(大正11年)7月4日 - 2014年(平成26年)12月10日)は、日本の音楽評論家・実業家。日興證券会長を務めた遠山元一の長男。 遠山元一の長男として東京市麻布区笄町(現在の港区西麻布)に生まれ育つ。クリスチャンの家庭であり、一行自身もプロテスタントの信仰で育った。 1929年(昭和4年)、成城学園小学校に入学。同級に加藤一郎がいた。1933年(昭和8年)、澤柳政太郎没後の学園経営をめぐるトラブル、いわゆる成城事件(成城騒動)により小学6年時に自主退学し、第2学期から麻布区立南山小学校に転校。1935年(昭和10年)、府立高等学校尋常科に入学。第1学年2学期からピアノを朴啓成(後の属啓成)に師事。
清岡 卓行(きよおか たかゆき、1922年(大正11年)6月… 清岡 卓行(きよおか たかゆき、1922年(大正11年)6月29日 - 2006年(平成18年)6月3日)は、日本の詩人、小説家、評論家、法政大学名誉教授。位階は従四位。 関東州の大連生れ。東京大学文学部仏文科で渡辺一夫に師事した。また、長らく、法政大学教授として新入生などにフランス語の基礎を、さらに、萩原朔太郎作品などをテキストに、人文特別講義を担当し、学部や専攻にかかわらず多くの学生を指導した。1996年に日本芸術院会員。 妻は作家の岩阪恵子(いわさか けいこ、本名 清岡惠子)。前妻の息子清岡智比古は、フランス語学者で明治大学理工学部教授。創作活動も行っている。 ロシア・日本の租借地であった大連で、生まれてから敗戦による本土引き揚げまでの20数年間(内地での一高、東大在学時を途中に挟む)を過ごす。
鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年〈大正11年〉6月… 鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年〈大正11年〉6月25日 - 2015年〈平成27年〉7月20日)は、日本の哲学者・評論家・政治運動家・大衆文化研究者。アメリカのプラグマティズムの日本への紹介者のひとりで、都留重人、丸山眞男らとともに戦後の進歩的文化人を代表する1人とされる。 米国ハーバード大学で哲学を学んだのち、リベラルな立場の批評で論壇を牽引。思想史から大衆文化まで幅広い分野を扱う。著書は『戦時期日本の精神史』(1982年)、『アメリカ哲学』(2008年)など多数。 1922年6月25日、東京府東京市麻布区(現在の東京都港区)で、父・祐輔と母・愛子(後藤新平の娘)の間に、4人きょうだいの2番目(長男)として生まれる。
進藤 純孝(しんどう じゅんこう、1922年(大正11年)1… 進藤 純孝(しんどう じゅんこう、1922年(大正11年)1月1日 - 1999年(平成11年)5月9日)は、東京出身の文芸評論家、随筆家、小説家。本名は若倉 雅郎(わかくら まさお)、旧姓は進藤(しんどう)。 川端康成・志賀直哉・芥川龍之介などの論考や、同時代の第三の新人を含む昭和文学の評伝で知られるほか、随筆・回想や小説も書いた。長男は眼科医・作家の若倉雅登。
鮎川 信夫(あゆかわ のぶお、1920年〈大正9年〉8月23… 鮎川 信夫(あゆかわ のぶお、1920年〈大正9年〉8月23日 - 1986年〈昭和61年〉10月17日)は、日本の詩人・評論家・翻訳家。別名・二宮 佳景(にのみや よしかげ)。本名・上村 隆一(うえむら りゅういち)。 戦後の詩壇で一貫して重要人物とされる。第1次、第2次『荒地』の創刊に関わる。「詩人の条件」「なぜ詩を書くか」などの詩論で、戦後詩を性格づける中心的役割を果たした。作品に詩「死んだ男」(1947年)、『鮎川信夫詩集』(1955年)など。 東京小石川の高田豊川町に生まれる。父・上村藤若(「帝国文化協会」主催の出版者・文筆家)は農本主義的なナショナリストで、世間的には温厚な人格者でありながら、家庭内ではすこぶる冷淡な人間であったため、鮎川にとってのモダニズムは〈父親イメージへの反逆から始まった〉と後に語っている。
土居 健郎(どい たけお、1920年3月17日 - 2009… 土居 健郎(どい たけお、1920年3月17日 - 2009年7月5日)は、日本の精神科医・精神分析家・評論家。東京大学名誉教授。学位は医学博士(東京大学・1960年)。 日本人の心理特性として「甘え」の概念を精神分析に導入し、その精神構造を解明した『「甘え」の構造』(1971年)は、日本人論に新局面をもたらした。他の著書に『表と裏』(1985年)、『時のしるし』(1990年)など。 1920年、東京生まれ。府立高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学医学部に入学。1942年に卒業し、陸軍軍医となった。 戦後、アメリカ・メニンガー精神医学校、サンフランシスコ精神分析協会に研修留学。自身、キリスト教カトリック教会の信徒であった。
広池 秋子(ひろいけ あきこ、1919年(大正8年)11月1… 広池 秋子(ひろいけ あきこ、1919年(大正8年)11月1日 - 2007年(平成19年)11月25日)は、日本の小説家、評論家、ヨーガ研究家。埼玉県出身。本名は増田秋子。東京府立第七高等女学校(現・東京都立小松川高等学校)卒。丹羽文雄に師事し、1953年「オンリー達」で芥川賞候補となる。以後は評論家として活動。 「オンリー達」は、『現代の女流文学 第1巻』(毎日新聞社、1974)、『女性作家シリーズ 現代秀作集』(角川書店、1999)、『戦後の出発と女性文学 第8巻 (昭和28年)』(ゆまに書房、2003)所収。
高松 利夫(たかまつ としお、1919年8月15日 - 没年… 高松 利夫(たかまつ としお、1919年8月15日 - 没年不明)は、東京都出身のプロ野球選手(投手)・解説者・評論家。 東京府立第一商業 から慶應義塾大学へ進学。太平洋戦争中の1943年(昭和18年)10月16日に行われた出陣学徒壮行早慶戦(別名・最後の早慶戦)では先発の久保木清の中継ぎとして登板した。卒業後に菊水クラブへ進み、1950年に大映スターズへ入団。1951年から1953年まで3年連続で9勝を記録。現役生活は6年のみであり通算では負け越しているものの、終始大映の主力投手として活躍した。1955年引退。 引退後はニッポン放送解説者・スポーツニッポン評論家を務めた。
中村 真一郎(なかむら しんいちろう、1918年(大正7年)… 中村 真一郎(なかむら しんいちろう、1918年(大正7年)3月5日 - 1997年(平成9年)12月25日)は、日本の小説家・文芸評論家・詩人。なお旧字体の「眞一郎」名義での出版もある。
加太 こうじ(かた こうじ、1918年1月11日 - 199… 加太 こうじ(かた こうじ、1918年1月11日 - 1998年3月13日)は、日本の大正、昭和の庶民史、世相・風俗・文化史などの評論家・庶民文化研究家・紙芝居作家。 東京市浅草区神吉町(現・東京都台東区東上野四丁目、五丁目辺り)の貧困家庭に生まれ、荒川区尾久に育つ。本名は加太一松(かぶと かずまつ)だが、名門の加太家の血筋を誇る父に反発し、尋常小学校5年の時から「かた」と名乗るようになった。父親が働かないため関東大震災前に母親と別れ、大商人の妾をしていた伯母(父親の姉)に育てられる。 紙芝居の世界に入ったのは高等小学校在学中の14歳の時。高等小学校卒業後、師範学校への進学を希望していたが、給費制度廃止のために断念し、紙芝居の世界で働く。
後藤 譽之助(ごとう よのすけ、1916年10月25日 - … 後藤 譽之助(ごとう よのすけ、1916年10月25日 - 1960年4月13日)は、官僚、官庁エコノミスト、経済評論家。 経済白書執筆にあたり、第二次大戦後の日本の経済復興に対する政策立案に方向を与えた。 現在の東京都墨田区出身。大相撲年寄り、二十山親方(第二代小錦八十吉、本名後藤鶴松)の長子。母、菊。東京府立第三中学校(現東京都立両国高等学校)卒業。旧制第一高等学校卒業。 1941年12月、東京帝国大学工学部電気工学科卒。電気庁、大東亜省奉職。経済安定本部・経済審議庁・経済企画庁において、第二次大戦後の日本の経済復興政策立案及び景気循環分析にかかわる。直属の上司・先輩に大来佐武郎、部下に宍戸寿雄、金森久雄、内野達郎、丸茂明則等。
柴田 南雄(しばた みなお、1916年〈大正5年〉9月29日… 柴田 南雄(しばた みなお、1916年〈大正5年〉9月29日 - 1996年〈平成8年〉2月2日)は、日本の作曲家、音楽評論家、音楽学者。 東京府東京市神田区駿河台袋町(現:東京都千代田区神田駿河台)に生まれ、1945年まで東京府豊多摩郡大久保町字百人町(現:新宿区百人町)で暮らす。 1921年、東京女子高等師範学校附属幼稚園(現:お茶の水女子大学附属幼稚園)に入る。1923年、暁星小学校入学。1932年、暁星中学校から成城高等学校尋常科(現:成城大学)に編入。1933年、成城高等学校高等科理科甲類(英語クラス)に進んだ頃から、ピアノを岩井貞麿、ジェームス・ダンに、チェロを鈴木二三雄に、作曲を細川碧、諸井三郎に、指揮法を斎藤秀雄に師事。
小田切 秀雄(おだぎり ひでお、1916年(大正5年)9月2… 小田切 秀雄(おだぎり ひでお、1916年(大正5年)9月20日 - 2000年(平成12年)5月24日) は、日本の文芸評論家、近代文学研究者。法政大学名誉教授。 1916年(大正5年)、東京都品川区生まれ。府立高等学校尋常科に入学する。1932年(昭和7年)、学内の共産党グループのキャップとして治安維持法違反で警視庁目黒署に逮捕され、15日間勾留された後、3ヶ月の停学処分を受ける。翌年、府立高等学校高等科に進学するも、再び治安維持法違反で逮捕され、75日間拘留される。「軽はずみでした、もうしません」と宣誓書を書いて転向し、起訴猶予処分で釈放され、高等学校から諭旨退学処分を受ける。1935年、学生運動に参加せず学業に専念することを条件として、法政大学予科に編入学を認められる。
浜口 隆一(はまぐち りゅういち、1916年3月26日 - … 浜口 隆一(はまぐち りゅういち、1916年3月26日 - 1995年1月2日)は、日本の建築評論家・建築史家。東京大学助教授等を経て、日本大学理工学部教授に就任。 東京生まれ。1938年東京帝国大学工学部建築学科卒業。丹下健三と共に前川國男建築設計事務所に入所。その後東京帝国大学大学院岸田研究室に進み、1943年に大学院修士課程修了。建築史の講師任用になるがいったん辞し、1948年東京大学助教授となるが、のち退官して評論家。1966年から1977年まで日本大学理工学部建築学科教授。
与謝野 道子(よさの みちこ、旧姓:坂内、1915年6月26… 与謝野 道子(よさの みちこ、旧姓:坂内、1915年6月26日 - 2000年10月31日)は、日本の評論家、随筆家。
池田 雅雄(いけだ まさお、1915年1月19日 - 198… 池田 雅雄(いけだ まさお、1915年1月19日 - 1988年11月27日)は、日本のジャーナリスト、相撲評論家である。 長年にわたり、ベースボール・マガジン社の雑誌『相撲』の編集者・顧問として幅広く相撲研究に取り組み、多くの記事やエッセイを著した。本名での執筆とともに、〈国立浪史〉〈葛飾太郎〉のペンネームもしばしば使用した。奈良県桜井市出雲名誉区民、実兄はベースボール・マガジン社創設者の池田恒雄、息子は早稲田大学教授の池田雅之、姪はエッセイストの工藤美代子、姪は池田晶子、從孫は産経新聞記者の猪谷千香。 東京市本所区南二葉町(現在の墨田区亀沢)出身。「相撲の神様」として有名な野見宿禰神社の近くで育ち、少年時代は本場所前に相撲部屋の親方に連れられて必勝祈願に参詣するのを楽しみにしていたという。
尾崎 宏次(おざき ひろつぐ、1914年11月24日 - 1… 尾崎 宏次(おざき ひろつぐ、1914年11月24日 - 1999年11月9日)は、日本の演劇評論家。
桑原 甲子雄(くわばら きねお、1913年〈大正2年〉12月… 桑原 甲子雄(くわばら きねお、1913年〈大正2年〉12月9日 - 2007年〈平成19年〉12月10日)は、日本の写真家、写真評論家、編集者。 東京府東京市下谷車坂町(現東京都台東区東上野)に生まれる。濱谷浩とは幼なじみ。1926年に東京市立第二中学校(現都立上野高校)入学。1931年の卒業後、体をこわし進学を断念。家業の質屋を手伝うが商売が厭わしく、同じ町内に住んでいた濱谷の影響もあって、中古のベスト・ポケット・コダックを手に入れ写真を撮りはじめる。1934年にはライカI(C)型をフォーディス距離計付きで父親に200円で買ってもらい、アマチュア写真家として活発に活動を始め、1934年のうちに浅沼商会発行の写真雑誌『写真新報』主催、シュミット商会協賛のライカ作品公募コンクール第2回の特賞を獲得している。
斎藤 栄三郎(齋藤 榮三郎、さいとう えいざぶろう、1913… 斎藤 栄三郎(齋藤 榮三郎、さいとう えいざぶろう、1913年6月19日 - 2000年7月9日)は、日本の政治家、経済評論家。自由民主党所属の参議院議員(3期)、 科学技術庁長官(44代)。東京出身。早稲田大学商学部卒業。商学博士、法学博士、文学博士。 1931年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業。1936年早稲田大学商学部卒業後、日本経済新聞社に入社。上海支局長、シンガポール支局長などを歴任した。 1949年には「一九四一~五年に於ける日本経済の実証的研究」にり早稲田大学から商学博士、1959年には「賠償の実証的研究」により中央大学から法学博士、1965年には「イスラムの社会思想」により東洋大学から文学博士を、それぞれ論文博士として取得した。
高橋 義孝(たかはし よしたか、1913年3月27日 - 1… 高橋 義孝(たかはし よしたか、1913年3月27日 - 1995年7月21日)は、日本のドイツ文学者・評論家・随筆家。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1961年)(学位論文「文学研究の諸問題」)。九州大学教授、名古屋大学教授などを歴任。 1913年、東京府東京市神田区生まれ。錦華尋常小学校、第二東京市立中学校(現東京都立上野高等学校)で学び、その際には福田恆存と同級であった。旧制高知高等学校を経て、東京帝国大学独文科に進んだ。1935年、東京帝国大学を卒業。その後は同大学大学院に進学し、1936年に卒業。翌1937年よりフンボルト財団給費生としてベルリン大学へ留学。1938年、ケルン大学へ移りドイツ文学を学んだ。
福田 恆存(ふくだ つねあり、1912年〈大正元年〉8月25… 福田 恆存(ふくだ つねあり、1912年〈大正元年〉8月25日 - 1994年〈平成6年〉11月20日)は、日本の評論家、翻訳家、劇作家、演出家。現代演劇協会理事長、日本文化会議常任理事、日本芸術院会員などを務めた。名前については「こうそん」と音読みされることも多い。 保守派の文士であり、進歩的文化人を批判した『平和論にたいする疑問』(1955年)は、戦後思潮の転換点となる。討議倫理が戦後民主主義を軸とする進歩派にも影響を与えるなど、戦後日本を代表する思想家。 また、同時期には『ハムレット』(1955年)をはじめとするシェイクスピア戯曲の翻訳、演出を開始する。新劇を日本の近代化問題の象徴的な弱点と捉え、演劇の革新に取り組んだ。
高城 重躬(たかじょう しげみ、1912年3月18日 - 1… 高城 重躬(たかじょう しげみ、1912年3月18日 - 1999年8月4日)は、日本のオーディオ評論家、音楽評論家。 ヴァイオリニストの父・高城重之(横浜翠嵐高校校歌作曲者)と、ピアニストの母・翠の長男として東京に生まれる。実妹に作曲家・音楽教育家の涌井曄子がいる。その三女の涌井純子(純の文字に草冠が付く)は作編曲を施すハープ奏者。 小学校入学前からピアノを弾いており、1929年、福岡県中学修猷館を卒業し、東京高等師範学校理科第1部(数学)に入学。同時に、東京音楽学校(現・東京芸術大学)選科のピアノ科、後に作曲科に通い、ピアノを榊原直と田中規矩士、作曲を橋本国彦に学ぶ。 その後、都立三田高校数学教諭、都立南高校校長、都立深沢高校校長などを歴任するが、その傍ら日本のオーディオ界の草分けとしても活躍。
中村 光夫(なかむら みつお、1911年(明治44年)2月5… 中村 光夫(なかむら みつお、1911年(明治44年)2月5日 - 1988年(昭和63年)7月12日)は、文芸評論家、作家。本名、木庭一郎(こば いちろう)。第6代日本ペンクラブ会長、文化功労者、日本芸術院会員。私小説批判で有名。
土屋 清(つちや きよし、1910年10月5日 - 1987… 土屋 清(つちや きよし、1910年10月5日 - 1987年3月22日)は、日本のジャーナリスト、経済評論家。
丸山 鉄雄(まるやま てつお、1910年(明治43年)4月1… 丸山 鉄雄(まるやま てつお、1910年(明治43年)4月1日 - 1988年(昭和63年)12月26日)は日本の芸能プロデューサー・音楽評論家。東京府出身。
村上 信彦(むらかみ のぶひこ、1909年(明治42年)3月… 村上 信彦(むらかみ のぶひこ、1909年(明治42年)3月30日 - 1983年(昭和58年)10月31日)は、日本の作家、女性史研究家、医事評論家。 大衆作家村上浪六の三男として東京市下谷に生れる。「父浪六が手をつけようとした女中を救い出して父と義絶、その少女と結婚」したとされているが、このエピソードは彼の小説『音高く流れぬ』に登場するフィクションである。本小説は確かに村上本人とその周辺人物がモデルとなっており、村上の妻は女中として村上家に勤めていたが、エピソード自体は創作である。作中では女中に手を付けようとしたのも父ではなく叔父であり、主人公に父母はいない。村上が後年、彼の日記をもとに執筆したドキュメント小説『黒助の日記』にもこのエピソードはない。
戸井田 道三(といだ みちぞう、1909年3月25日 - 1… 戸井田 道三(といだ みちぞう、1909年3月25日 - 1988年3月24日)は、日本の評論家、能・狂言の評論家。 東京生まれ。旧制早稲田中学を経て早稲田大学国文科卒。 1933年、中央公論社に入社するが、その年のうちに退社。1948年、天皇制と能楽の関係を説いた『能芸論』を上梓、民俗学、人類学を援用した能や狂言の考察で知られた。1954年より毎日新聞の能評を担当、のち映画評もおこなった。『戸井田道三の本』4冊がある。「きものの思想」で第17回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
葛巻 義敏(くずまき よしとし、1909年(明治42年) -… 葛巻 義敏(くずまき よしとし、1909年(明治42年) - 1985年(昭和60年)12月16日)は、東京市(現在の東京都)出身の作家、文芸評論家。芥川龍之介の甥。 芥川龍之介の次姉ヒサと獣医葛巻義定の長男として、東京市新宿(現在の東京都新宿区新宿)の耕牧舎牧場に生まれる。1910年に両親が離婚したため、東京市芝区銭座町(現在の東京都港区浜松町)の新原家(母の実家)で育てられる。ヒサはその後、西川豊と再婚し、龍之介の長男芥川比呂志の妻となる瑠璃子(1916年 - 2007年)を設けている。 1922年、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に入学。在学中、新しき村への参加を望んで家出した。
宮沢 縦一(みやざわ じゅういち、1908年9月22日 - … 宮沢 縦一(みやざわ じゅういち、1908年9月22日 - 2000年7月8日)は、音楽評論家。東京都出身。京都帝国大学法学部を卒業した。在学中にエマヌエル・メッテルの指導を受ける。オペラ中心に解説、評論を行い、武蔵野音楽大学教授を務めた。1968年にNHK放送文化賞、1972年に紫綬褒章を受賞した。1987年に脳梗塞で倒れ、第一線を退いたが、以後も妻の秋子の口述筆記による「オペラシリーズ」などを出版した。