樋口 和彦(ひぐち かずひこ、1927年3月29日 - 20… 樋口 和彦(ひぐち かずひこ、1927年3月29日 - 2013年8月25日)は、日本の宗教心理学者、同志社大学名誉教授。京都文教大学学長。 横浜市生まれ。本籍は佐賀県。青山学院専門学校英文科卒、1955年同志社大学神学部卒業、1957年同大学院神学研究科修士課程修了。 米国ボストンのアンドーヴァー・ニュートン神学校(英語版)で修士課程、博士課程修了、ドクター・オブ・ミニストリー。1961年同志社大学神学部助手、専任講師、1965年助教授、1970年教授、1971-1973年、1980-1983年神学部長、学術情報センター所長、1969-1973年学校法人同志社理事、評議員。 1998年定年、名誉教授、京都文教大学教授、学長。
竜嵜 喜助(りゅうざき きすけ、1926年12月1日 - )… 竜嵜 喜助(りゅうざき きすけ、1926年12月1日 - )は、日本の法学者。弁護士、司法書士。「竜崎喜助」とも表記される。新潟大学法学部教授、白鷗大学法学部教授を歴任。神奈川県横須賀市出身。 1952年東京大学文学部言語学科卒業。1957年司法書士登録。1969年司法試験合格。1972年司法修習修了。1974年東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了(指導教授:三ヶ月章)。1974年弁護士登録。1975年神奈川大学法学部非常勤講師(~1978年)。1981年横浜国立大学経済学部非常勤講師(~1982年)。1987年新潟大学法学部教授に就任。1992年新潟大学退官。白鷗大学法学部教授。1997年白鷗大学定年退職。
岡野 眞治(おかの まさはる、1926年10月18日 - 2… 岡野 眞治(おかの まさはる、1926年10月18日 - 2019年1月3日)は、日本の科学者。理学博士。 1926年、神奈川県鎌倉市出身で、鎌倉市に在住していた。 1945年に入学した電波科学専門学校(後の東海大学)は、日本の現代物理学の父と呼ばれる仁科芳雄が校長を務めており、卒業後は仁科が率いていた科学研究所(現理化学研究所)に入所する。 日本における放射線研究の第一人者であり、科学技術庁長官賞を2度にわたって受賞。 理化学研究所在籍時代には1954年には水素爆弾実験で第5福竜丸が被爆したビキニ事件では日本政府による調査団の一員としてビキニ環礁へ赴いたり、チェルノブイリ原子力発電所事故が発生したウクライナ・プリピャチ周辺、東京電力福島第一原発事故が発生した福島県各地等、あらゆる場所で放射線状況を詳しく調査・測定している。
藤永 保(ふじなが たもつ、1926年10月2日 - 201… 藤永 保(ふじなが たもつ、1926年10月2日 - 2016年1月21日)は、日本の発達心理学者。専門は幼児心理。お茶の水女子大学名誉教授。 山口県下関市に生まれる。神奈川県立横浜第一中学校卒、1948年第一高等学校卒、1952年東京大学文学部心理学科卒業。1954年東京大学大学院中退、東京外国語大学教務補佐員、1955年東京女子大学心理学科助手、1956年専任講師、1960年助教授、1967年教授、1968年お茶の水女子大学助教授、1970年教授、1992年定年退官、名誉教授、国際基督教大学特任教授、1997年定年退任、2006年~9年日本教育大学院大学学長、NPO法人保育子育てアドバイザー協会理事長。
渡辺 保男(わたなべ やすお、1926年(大正15年)9月1… 渡辺 保男(わたなべ やすお、1926年(大正15年)9月14日 - 1992年(平成4年)1月30日)は、日本の政治学者。国際基督教大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。1952年東京大学法学部政治学科卒。学習院大学教授を経て、1966年国際基督教大学教授、1984年学長となり、後に名誉教授となる。 1992年1月30日、肝不全のため逝去。
末舛 惠一(すえます けいいち、1926年 8月21日- 2… 末舛 惠一(すえます けいいち、1926年 8月21日- 2015年1月29日[リンク切れ])は、日本の医学者。専門は呼吸器外科学。学位は、医学博士。国立がんセンター名誉総長。東京都済生会中央病院名誉院長。神奈川県出身。 1987年度高松宮妃癌研究基金学術賞受賞。
青柳文司(あおやぎ ぶんじ、1926年7月 - )は、日本の… 青柳文司(あおやぎ ぶんじ、1926年7月 - )は、日本の会計学者。横浜市立大学名誉教授。経済学博士。 G.O.メイ『財務会計―経験の蒸留』において多用されるコンヴェンションという言葉の意味を探ることをかわきりに、アメリカ会計制度の経済史的考察を踏まえてW.A.ペイトン、W.J.ヴァッター、DR スコットなどの米国の主要な会計学説を丹念に渉猟する一方で、哲学、言語学、社会学など諸学の成果を援用して会計言語説を展開した。近年はそれをさらに発展させ、会計物語論、会計演劇論など会計の哲学を探求している。 門下生に全在紋、永野則雄等。神奈川県横浜市出身。 編著・共著数冊。百本を超える論文がある。
古賀 登(こが のぼる、1926年5月6日-2014年7月1… 古賀 登(こが のぼる、1926年5月6日-2014年7月17日)は、東洋史学者。早稲田大学名誉教授。 横浜市出身。1952年早稲田大学文学部東洋史学科で松田壽男に師事、1958年同大学院文学研究科博士課程満期退学。1958年早大文学部助手、1963年講師、1965年助教授、1970年教授、1997年定年退任、名誉教授、皇學館大學教授。 1980年「漢長安城と阡陌・県郷亭里制度」で早大文学博士。2006年11月瑞宝中綬章受章。
保崎 秀夫(ほさき ひでお、1926年3月12日 - )は、… 保崎 秀夫(ほさき ひでお、1926年3月12日 - )は、日本の医学者・精神科医。専門は、精神病理学・司法精神医学。慶應義塾大学名誉教授。学位は、医学博士(慶應義塾大学・1960年)。 神奈川県川崎市生まれ。1948年慶應義塾大学医学部医学科卒業。後に東京学芸大学助教授。1960年医学博士(慶応義塾大学)。1968年慶應義塾大学精神神経科教授。慶應義塾大学医学情報センター長、慶應義塾大学病院院長を歴任。1991年慶應義塾大学名誉教授。
上田 閑照(うえだ しずてる、1926年1月17日 - 20… 上田 閑照(うえだ しずてる、1926年1月17日 - 2019年6月28日)は、日本の哲学者。専門はドイツ哲学・宗教哲学。京都大学名誉教授。京都学派を継承し、禅、東西神秘主義、エックハルト、ハイデッガー、京都学派思想などの研究を行った。 1926年、高野山真言宗僧侶の父・上田天瑞の長男として東京都で生まれた。横浜市立間門小学校、神奈川県立横浜第一中学校で学んだ。1943年に中学を卒業し、第一高等学校に入学。太平洋戦争の戦局悪化により就学期間が2年短縮され、1945年3月に卒業。京都帝国大学文学部に進学したが、4月中に召集し、本土防衛の任に就いた。戦後、1946年に京都帝国大学文学部に復学。哲学科で宗教学を専攻した。
中村 璋八(なかむら しょうはち、1926年1月7日 - 2… 中村 璋八(なかむら しょうはち、1926年1月7日 - 2015年6月2日)は、日本の中国哲学研究者、駒澤大学名誉教授。 神奈川県愛甲郡愛川町生まれ。1951年東京文理科大学文学科卒。1978年「五行大義の基礎的研究」で駒澤大学文学博士。東京都立町田高等学校教諭、駒澤大学文学部助教授、教授。1996年定年退任、名誉教授。 2015年6月2日、老衰のため死去。89歳没。
太田 次郎(おおた じろう、1925年(大正14年)12月2… 太田 次郎(おおた じろう、1925年(大正14年)12月26日 - 2018年7月7日)は、日本の生物学・植物学者。学位は、理学博士(東京大学・1960年)。お茶の水女子大学名誉教授。従三位勲二等瑞宝章。岳父は赤木正雄。 神奈川県横浜市生まれ。1948年東京帝国大学理学部植物学科卒業。1960年「粘菌類、変形体の原形質流動に関する研究」で東京大学より理学博士の学位を取得。東京大学大学院特別研究生、1952年お茶の水女子大学講師、助教授、1969年教授、1973 - 1976年東京工業大学教授併任、1976 - 1979年お茶大図書館長、1982 - 1984年理学部長、1985年同人間文化研究科長、1991年名誉教授、1992 - 1997年学長。
亀井 節夫(かめい ただお、1925年12月25日 - 20… 亀井 節夫(かめい ただお、1925年12月25日 - 2014年5月23日)は、日本の古生物学者。野尻湖でのナウマンゾウの発掘などに関わった。父親は海軍少将の亀井凱夫。伯父(凱夫の実兄)は社会大衆党議員で元外交官の亀井貫一郎。叔父(貫一郎と凱夫の義弟)の毛里英於菟(ひでおと)は、大蔵省と企画院の官僚で、迫水久常などと並ぶ革新官僚の代表格。 神奈川県鎌倉市生まれ。旧制神奈川県立湘南中学校、北海道帝国大学理学部を経て、1949年東京大学理学部卒業。1950年信州大学文理学部助手、1961年「日本列島のデボン系の研究」で、北海道大学より理学博士の学位を取得。1956年信州大学講師、62年助教授、1963年京都大学理学部助教授、66年教授、1989年定年退官、名誉教授、信州大学理学部教授、1992年~1999年徳島県立博物館館長。
小林 禎作(こばやし ていさく、1925年10月22日 - … 小林 禎作(こばやし ていさく、1925年10月22日 - 1987年3月8日)は、日本の物理学者、雪学者。 神奈川県鎌倉市生まれ。旧制浦和高等学校を経て、1948年、北海道帝国大学理学部物理学科卒業。北海道江別高等学校教諭。1949年8月、北海道大学低温科学研究所助手、1963年に助教授、1980年に教授、物理学部門主任。 雪の結晶についての実験研究に取り組み、中谷宇吉郎が示した雪の結晶の形状と雲の温度・湿度に関する「中谷ダイアグラム」を拡張、精緻化した「中谷・小林ダイアグラム」を開発し、1960年に日本気象学会賞を受賞した。
宇南山 英夫(うなやま ひでお、1925年9月25日 - 2… 宇南山 英夫(うなやま ひでお、1925年9月25日 - 2016年)は、日本の会計学者。横浜市立大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。1950年東京帝国大学卒業。1955年同大学院(旧制)修了。 1950年横浜市立大学助手、1954年講師、1955年横浜市立大学商学部助教授、1966年教授、1991年定年退官、名誉教授、名古屋学院大学教授、1993年文京女子大学教授、高千穂商科大学教授。日本商工会議所簿記検定試験専門参与。日本学術会議会員(17期)。 1974年公認会計士委員(- 1978年)、1980年税理士試験委員(- 1982年)、1985年司法試験考査委員(- 1991年)を歴任した。
大塚 保治(おおつか やすじ、1924年10月5日 - 20… 大塚 保治(おおつか やすじ、1924年10月5日 - 2011年2月28日)は、日本の工学者。工学博士。元慶應義塾大学理工学部長。専門分野は高分子化学。 横浜市出身。慶應義塾大学工学部応用化学科卒業、工学博士。慶應義塾大学理工学部教授、理工学部長、財団法人慶應工学会顧問を歴任した。 1989年(平成元年)繊維学会会長。2002年(平成14年)勲三等旭日中綬章受章。 藤井光雄研究室出身。 慶應義塾大学理工学部教授の川口春馬、小池康博は大塚研究室の出身である。 2011年2月28日、胃がんのため東京都新宿区の病院で死去。86歳没。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
小堀 巌(こぼり いわお、1924年9月17日 - 2010… 小堀 巌(こぼり いわお、1924年9月17日 - 2010年11月26日)は、日本の地理学者。 神奈川県横浜市出身。1946年(昭和21年)東京帝国大学理学部地理学科卒。1949年(昭和24年)東洋文化研究所助手、1954年(昭和29年)東京大学理学部専任講師、助教授。講師時代の1956年(昭和32年)には、東京大学イラク・イラン遺跡調査団(団長:江上波夫)に参加した。その後、三重大学人文学部教授、明治大学政経学部教授。1995年退任(平成7年)。国連大学教授。 2010年(平成22年)11月26日、悪性リンパ腫のため死去。
牟田口 義郎(むたぐち よしろう、1923年5月11日 - … 牟田口 義郎(むたぐち よしろう、1923年5月11日 - 2011年1月22日)は、日本の歴史家、中東地域研究者、翻訳家。朝日新聞特派員・支局長を歴任した。 神奈川県生まれ。1948年東京大学仏文科卒、1949年に朝日新聞社に入社。報道記者として外報畑を主に歩み、カイロ(エジプト)支局長、パリ(フランス)支局長を務め、また論説委員を務めた。1982年退社、その後成蹊大学教授、東洋英和女学院大学教授、中近東文化センター理事長を歴任。 中東・アラブ地域の現代史に詳しく、地中海世界を軸に多くの著書・翻訳書を刊行した。 2011年1月22日、腎不全のため死去。87歳没。
桃井 真(ももい まこと、1923年2月4日 - 2004年… 桃井 真(ももい まこと、1923年2月4日 - 2004年4月18日)は、日本の陸軍軍人、国際政治学者、軍事アナリスト。 翻訳家・編集者としても活躍した。女優の桃井かおりの父。位階は従四位。 神奈川県鎌倉市生まれ。長野県佐久市出身。陸軍委託学生として東京外国語学校英語科を卒業、陸軍中野学校へ送られ参謀本部第二部に属した後、陸軍予備士官学校を卒業し、任官と同時に参謀本部第二部第六課で放送傍聴に従事。 終戦後は、経歴を偽り進駐米軍属として一時勤務。のち、北日本貿易、エイジアン・エコノミックレビュー、ブリティッシュ・インポート、日本商工会議所アジア経済研究会などを経て、1954年に防衛庁防衛研修所(のち防衛研究所)に入所、ハーバード大学に派遣された。
横山 亨(よこやま とおる、1923年1月9日 - 1998… 横山 亨(よこやま とおる、1923年1月9日 - 1998年11月17日)は、日本の金属工学者。第9代横浜国立大学学長。工学博士(東京大学)。 長野県東筑摩郡片丘村北内田(現松本市)生まれ。神奈川県横浜市育ち。旧制横浜第一中学校、旧制第一高等学校を経て、1945年東北帝国大学工学部航空学科卒業。横浜高等工業学校航空工学科助教授となる。1961年横浜国立大学工学部機械工学科教授。1962年西ドイツ・フンボルト研究員として理工学研究所客員研究員となる。1977年 横浜国立大学工学部長。1985年同学長。1988年退官。1996年勲二等旭日重光章受章。 父の横山盛彰は金沢高等工業学校校長を務めた。
藤川 正信(ふじかわ まさのぶ、1922年4月13日 - 2… 藤川 正信(ふじかわ まさのぶ、1922年4月13日 - 2005年3月10日)は、日本の図書館情報学者、翻訳家。 横浜市生まれ。愛媛県出身。東京大学文学部哲学科、慶應義塾大学文学部図書館学科で学ぶ。ジョージ・ピーボディ大学大学院図書館学修了。慶應義塾大学文学部助教授、教授、大東文化大学経済学部教授、図書館情報大学教授、1987年同大学学長。1991年退任。愛知淑徳大学教授。 1981年「オーデュボンソサイエテイブック」で日本翻訳出版文化賞受賞。
飯塚 信雄(いいづか のぶお、1922年2月1日 - 200… 飯塚 信雄(いいづか のぶお、1922年2月1日 - 2004年10月15日)は、日本のドイツ文学者、明治大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。上智大学文学部卒業。國學院大學助教授、明治大学教授、1991年定年退任、名誉教授。 はじめドイツ文学を専攻したが、のち西洋生活文化史専攻。服飾史、手工芸史、インテリアデザイン史に造詣が深く、特にロココ文化の研究で名高い。 2004年10月15日、心不全のため死去。
春原 千秋(はるはら ちあき、1922年-2017年)は、日… 春原 千秋(はるはら ちあき、1922年-2017年)は、日本の精神科医、病跡学者。 横浜市生まれ。1947年北海道帝国大学医学部卒。1947年東京帝国大学医学部精神医学教室に入局。1956年「狂犬病予防注射による脳炎の精神神経障害について」で東京大学医学博士。同大助手、順天堂大学講師、1959年中央鉄道病院精神神経科主任医長。82年退職、高円寺クリニック医師。1992年将棋世界誌上での「将棋を愛した文豪たち」の連載で将棋ペンクラブ大賞特別賞受賞。将棋ペンクラブ監査役。
数原 洋二(すはら ようじ、1921年12月3日 - 202… 数原 洋二(すはら ようじ、1921年12月3日 - 2020年1月11日)は、日本の実業家、工学博士。三菱鉛筆相談役。 数原三郎の次男(長男が夭折したため人名事典等では長男と表記されているものもある)として現在の東京都品川区(当時は東京府)に生まれる。旧制神奈川県立川崎中学校、旧制静岡高等学校理科甲類を経て、1944年に京都帝国大学工学部工業化学科を卒業、同年10月より同大学院にて工業化学の研究に従事し、1946年京大文部省特別研究生前期課程修了。1948年4月三菱鉛筆に入社、1958年2月常務となり、1960年2月社長に就任。1981年11月藍綬褒章を受章。1987年3月に社長の座を長男・数原英一郎に譲り会長に退き、1993年3月に名誉会長、その後相談役となる。
島津 一郎(しまづ いちろう、1921年5月 - 2007年… 島津 一郎(しまづ いちろう、1921年5月 - 2007年1月29日)は、日本の法学者。専門は民法、家族法。学位は法学博士(東北大学・1962年)。一橋大学名誉教授。中川善之助門下。弟子に奥山恭子(横浜国立大学名誉教授)、許末恵(青山学院大学教授)など。 横浜市生まれ。1934年3月埼玉県立師範学校附属小学校(埼玉大学教育学部附属小学校の前身)卒業、1941年武蔵高等学校(旧制)(武蔵中学校・高等学校の前身)卒業、1943年東北帝国大学法文学部法科第1類卒業。1962年東北大学より法学博士の学位を取得。 1943年東北大学法文学部助手。1945年召集により富山連隊入隊。1949年助手論文「社会家族と自然家族」を書き、新設の金沢大学法文学部の法科の助教授に就任。
小島 健司(こじま けんじ、1921年2月23日 - )は、… 小島 健司(こじま けんじ、1921年2月23日 - )は、日本の労働運動家、日本福祉大学名誉教授。 横浜市生まれ。1943年日本大学経済学部卒業。44年荏原製作所入社。労働組合活動に参加し、49年総評調査副部長、1953年書記。60年同調査部長。1968年日本福祉大学教授。2002年定年退任、名誉教授。専攻は賃金論、日本産業史。時計産業史に関心をよせた。
内田 正男(うちだ まさお、1921年 - 2020年)は、… 内田 正男(うちだ まさお、1921年 - 2020年)は、日本の暦学者。 神奈川県小田原市に生まれる。1943年、専検合格。1944年、東京天文台に入る。1967年、東京大学講師となり引続き東京天文台に勤務し、1982年に定年退官。日本の暦学史とこよみの研究で優れた功績を残した。2020年12月13日死去、99歳没。
横山 桂次(よこやま けいじ、1920年11月30日-200… 横山 桂次(よこやま けいじ、1920年11月30日-2008年12月19日)は、日本の政治学者。中央大学名誉教授。高岡法科大学学長。神奈川県横浜市出身。
江橋 慎四郎(えばし しんしろう、1920年(大正9年)6月… 江橋 慎四郎(えばし しんしろう、1920年(大正9年)6月14日 - 2018年(平成30年)4月8日)は、日本の体育学者。専門は社会体育学・レクリエーション学。東京大学名誉教授。 神奈川県鎌倉市生まれ。旧制湘南中学(現在の神奈川県立湘南高等学校)から、旧制二高を経て東京帝国大学文学部に入学した。学生時代には体育会系の水泳部マネジャーと体育会の総務を務めていた。当時の大学生は徴兵が猶予されていたが、兵力不足を補うため、江橋ら文系の学生の学徒出陣が決定した。 戦後、文部省体育局勤務などをへて、東京大学教授。その後鹿児島大学教授や中京大学教授を歴任した。さらに、日本初の国立体育系単科大学である鹿屋体育大学の創立に尽力し初代学長となる。
西嶋 和夫(にしじま かずお、1919年11月29日 - 2… 西嶋 和夫(にしじま かずお、1919年11月29日 - 2014年1月28日)は、日本の仏教学者。 神奈川県横浜市出身。東京府立第五中学校、旧制静岡高校を経て、東京帝国大学法学部法律学科へ進学。卒業後大蔵省入省。日本証券金融等に勤務のかたわら仏教研究を行い、その主著は道元の著した「正法眼蔵」全巻の現代日本語訳である「現代語訳正法眼蔵全12巻」と、さらにその詳細な解説をした「正法眼蔵提唱録全34冊」である。「正法眼蔵」の現代語訳と同時にその詳細な「提唱」を行ったのは、日本で最初である。2007年頃まで日本証券金融常任監査役を経て、㈱井田両国堂顧問。仏教に関する多数の著書があり、ナーガールジュナ(龍樹尊者)の著作「中論」の日本語訳を出版して以降はその講義と再改訂ならびに英語訳に取り組んでいる。
田治米 鏡二(たじめ きょうじ、1919年6月24日 - 2… 田治米 鏡二(たじめ きょうじ、1919年6月24日 - 2018年12月5日)は、日本の物理学者・地震学者。北海道大学名誉教授。専門は応用地球物理学・弾性波動論。
山本 進(やまもと すすむ、1918年6月12日 - )は、… 山本 進(やまもと すすむ、1918年6月12日 - )は、日本のジャーナリスト、国際政治学者。 横浜市生まれ。1942年東京帝国大学経済学部卒、毎日新聞社に入り北米、南米特派員をへて経済部副部長を務めた。武蔵大学講師。
本明 寛(もとあき ひろし、1918年5月1日 - 2012… 本明 寛(もとあき ひろし、1918年5月1日 - 2012年12月6日)は、日本の心理学者、早稲田大学名誉教授。 神奈川県川崎市生まれ。1941年早稲田大学文学部心理学科卒業。1945年早稲田大学助教授、教授。1960年「刺激効果と認知特徴による自我機能診断の方法に関する研究」で早稲田大学文学博士。1989年定年退職、名誉教授。1983年紫綬褒章を受章。1988年11月勲三等旭日中綬章を受章 日本心理学会理事長(1983年 - 1989年)を務め、1988年には日本健康心理学会を創設して20年にわたり理事長を務めた。このほか、NPO健康心理教育実践センター理事長、日本認定心理士会顧問、日本心理職協会・現代QOL学会永世名誉顧問などを歴任した。
伊原 昭(いはら あき、1917年10月24日 - 2018… 伊原 昭(いはら あき、1917年10月24日 - 2018年5月20日)は、日本の国文学者、梅光女学院大学名誉教授。本名・昭子。 鎌倉市生まれ。東京女子大学卒業、日本大学文学研究科修了。1970年「平安朝文学の色相」で日大文学博士。国立国会図書館主査、和洋女子大学助教授、同教授、1977年梅光女学院大学教授、1988年定年退任、名誉教授。 1975年『日本文学色彩用語集成 中世』で風俗史学会第一回「野口眞造記念染色研究奨励金」受賞、1977年『日本文学色彩用語集成 中古』で風俗史学会第六回「江馬賞」受賞。2007年エイボン女性年度賞受賞。古典文学における色彩について研究してきた。 2018年5月20日、老衰のため死去。
安藤彦太郎(あんどう ひこたろう、1917年(大正6年)6月… 安藤彦太郎(あんどう ひこたろう、1917年(大正6年)6月14日 - 2009年(平成21年)10月27日)は、日本の日中関係史学者、早稲田大学名誉教授。 1917年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業。 「中国の会」は、尾崎秀樹が普通社主宰で1960年ごろに立ち上げ、野原四郎、竹内好、橋川文三、安藤、新島淳良、今井清一らをメンバーとした。 早稲田大学政経学部教授を務め、文化大革命の際は新島淳良や野村浩一とともにこれを礼賛した。1988年に定年退任、名誉教授となった。また、日中学院長をつとめ、のち名誉学院長。現代中国学会幹事を長く務めた。2009年10月27日、膀胱癌で死去、享年92歳。
橋口 隆吉(はしぐち りゅうきち 1914年8月23日 - … 橋口 隆吉(はしぐち りゅうきち 1914年8月23日 - 1996年10月4日)は、日本の金属・材料物理学者。
榎 一雄(えのき かずお、1913年(大正2年)11月11日… 榎 一雄(えのき かずお、1913年(大正2年)11月11日 - 1989年(平成元年)11月5日)は、日本の東洋史学者、東京大学名誉教授。正四位勲二等瑞宝章。 1913年、兵庫県明石郡垂水村(現・神戸市)で生まれた。神奈川県立横浜第三中学校を卒業。第一高等学校を1934年に卒業し、東京帝国大学文学部東洋史学科に入学。大学では白鳥庫吉の指導を受けた。 1943年9月より東京帝国大学文学部講師、1947年4月に東洋文庫研究員、1948年に東京大学文学部東洋史学科助教授に就任。1955年に教授昇進。1962年、学位論文『エフタル勃興前後の中央アジア』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1974年に東京大学を定年退官。
梅本 克己(うめもと かつみ、1912年3月26日 - 19… 梅本 克己(うめもと かつみ、1912年3月26日 - 1974年1月14日)は、日本の哲学者。
細入藤太郎(ほそいり とうたろう、1911年2月16日 - … 細入藤太郎(ほそいり とうたろう、1911年2月16日 - 1993年12月29日)は、日本のアメリカ文学者、アメリカ史学者。元立教大学教授。 横浜市生まれ。実業家の細入富重の長男として生まれる。1936年、立教大学英文科卒、1937年、カールトン大学文学部英文学科卒、ハーバード大学大学院文学研究科G.Chaucer博士課程修了。戦中は、清水幾太郎、宮城音弥とともに、海軍技術研究所の実験心理研究部の顧問を務めた。1940年に立教大学予科講師となり、1945年に同大学予科教授に昇格、1946年に立教大学アメリカ研究所理事に就任したほか、清水幾太郎、大河内一男らとともに、財団法人二十世紀研究所を設立、のち理事長となる。
小島 忠治(こじま ちゅうじ、1911年2月7日 - 197… 小島 忠治(こじま ちゅうじ、1911年2月7日 - 1974年1月9日)は、日本の教育者、教育学者。 神奈川県横浜市出身。1943年法政大学文学部国漢科卒。小学校教師を務め、東横学園小学校校長、和光学園主事。日本私立小学校連合会副会長。国語教育が専門。
横山 光雄(よこやま みつお、1909年9月25日 - 20… 横山 光雄(よこやま みつお、1909年9月25日 - 2010年10月20日)は、日本の造園家、造園学者。大学教員として造園都市計画教育に関わり、他方で戦前の旧満洲国の各都市の都市計画、千里ニュータウン計画、駒沢オリンピック公園建設、旧運輸省観光支援策・離村再生・レクリエーション整備、など関与。千葉大学、東京大学、日本大学で教鞭を執る。1969年から1971年まで、日本造園学会会長を務めた。 神奈川県横浜市出身。1930年(昭和5年)、駒場時代の東京帝国大学農学部農学科に入学、丹羽鼎三の園芸第二研究室に入り、1933年(昭和8年)大学院に進学、造園学を学ぶ。 1935年(昭和10年)大学院修了後、埼玉県に2年間奉職し、また東京緑地計画協議会に関与し、東京緑地計画の立案作業に従事。
富田 富士雄(とみた ふじお、1909年8月24日 - 19… 富田 富士雄(とみた ふじお、1909年8月24日 - 1999年3月12日)は、日本の社会学者・社会運動家。 横浜市生まれ。1934年関東学院神学部卒業。社会的キリスト教運動に参加して検挙。戦後米国に学んだのち関東学院大学教授、1968年関東学院長。横浜コミュニティ研究会会長。1972年横浜文化賞受賞、1982年勲三等瑞宝章受勲。 1970年 日本大学 文学博士 論文の題は「人口社会学の基本問題」。
高木 和男(たかぎ かずお、1909年3月2日 - 2004… 高木 和男(たかぎ かずお、1909年3月2日 - 2004年5月26日)は、日本の労働栄養学者。 東京府東京市深川区(現東京都江東区)木場出身。旧制湘南中学(現神奈川県立湘南高等学校)卒、横浜高等工業学校応用化学科(現横浜国立大学)卒、1953年新潟大学医学博士。管理栄養士。東京市衛生試験所、労働科学研究所(労働栄養学研究部長)、立正女子大学教授、相模女子大学教授、東京栄養食糧専門学校校長を務めた。民主栄養協会に属し、マルクス主義的な立場から労働者の栄養について研究した。 もともと病弱であった高木は家族の勧めで1918年(大正7年)東京から神奈川県高座郡藤沢町(現・藤沢市)鵠沼海岸にて療養を始めた。
吉川 逸治(よしかわ いつじ、1908年12月14日 - 2… 吉川 逸治(よしかわ いつじ、1908年12月14日 - 2002年12月5日)は、日本の美術史学者。西洋美術史専攻。東京大学名誉教授。従兄は中国文学者の吉川幸次郎。 神奈川県横浜市生まれ。旧制神奈川県立横浜第一中学校、旧制浦和高等学校、東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業。矢代幸雄に師事。1933年から1939年までフランスに留学、アンリ・フォシヨンに師事。「サン・サヴァン教会堂のヨハネ黙示録画の研究」でパリ大学より博士号取得。ロマネスク建築・壁画研究を専門とした。 1947年東京芸術大学教授を経て1953年東京大学文学部助教授、1955年教授、1969年定年退官後、大和文華館館長。後に名古屋大学教授、東海大学教授。
永田 義直(ながた よしなお、1908年4月5日 - 198… 永田 義直(ながた よしなお、1908年4月5日 - 1983年4月18日)は、日本の国文学者、民俗学者、翻訳家。 神奈川県横浜市生まれ。1931年東洋大学卒。兵庫県の公立高校の教員、校長を経て文筆家。古典文学、日本神話、民俗学、芸能などについて執筆した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
稲垣 きくの(いながき きくの、1906年7月26日 - 1… 稲垣 きくの(いながき きくの、1906年7月26日 - 1987年10月30日)は、日本の俳人、茶道教授であり、元女優である。女優時代の芸名は若葉 信子(わかば のぶこ)、旧芸名露原 桔梗(つゆはら ききょう)、出生名は野口 キクノ(のぐち きくの)、俳優の宮島啓夫との婚姻時には、本名を宮島 公子(みやじま きみこ)とした。 1906年(明治39年)7月26日、神奈川県愛甲郡厚木町(現在の同県厚木市)に生まれる。生年月日および生地については、『現代俳句大系 第12巻 昭和34年-昭和43年』(角川書店)、『日本人名大辞典』(講談社)、『CD - 人物レファレンス事典 日本編』(日外アソシエーツ)等、俳人「稲垣きくの」を紹介する記事においては上記あるいはそれに準じた記述があるが、女優「若葉信子」を紹介する『日本映画俳優全集・女優編』(キネマ旬報社)、『芸能人物事典 明治大正昭和』(日外アソシエーツ)では、「1908年(明治41年)7月23日」に「福井県福井市」で生まれたとする記述がある。
鈴木 竹雄(すずき たけお、1905年5月23日 - 199… 鈴木 竹雄(すずき たけお、1905年5月23日 - 1995年12月9日)は、日本の商法学者。東京大学名誉教授。
伊藤 秀五郎(いとう ひでごろう、1905年(明治38年)1… 伊藤 秀五郎(いとう ひでごろう、1905年(明治38年)1月20日 - 1976年(昭和51年)2月22日)は、日本の生物学者・登山家・アルピニスト・エスペランティスト。専門は、生物学・山岳文学論。元札幌静修短期大学学長。日本山岳会名誉会員。 神奈川県横浜市出身。北海道帝國大學予科卒。北海道帝國大學農学部卒。卒業後は、東京帝國大學医学部助手をしながら、日本各地の山々を登る。1935年(昭和10年)にはペンシルベニア大学にも生物学の研究のため留学。 1947年北海道学芸大学教育学部教授に就任。1958年北海道学芸大学退官。北海道教育庁教育長に就任。1965年教育庁停年退官。札幌医科大学教授。1972年札幌医科大学退官。
小塚 新一郎(こづか しんいちろう、1903年3月12日 -… 小塚 新一郎(こづか しんいちろう、1903年3月12日 - 1977年9月5日)は、日本の哲学者である。 富山県出身。東京帝国大学卒業、ベルリン大学へ留学し、1931年(昭和6年)哲学博士の学位を取得する。東京藝術大学学長を1961年(昭和36年)から1969年(昭和44年)まで務めた。学長退任後、国立教育会館館長、愛知県立芸術大学第二代学長を務め、在任中に逝去。
鈴木 松雄(すずき まつお、1903年(明治36年) - 1… 鈴木 松雄(すずき まつお、1903年(明治36年) - 1978年(昭和53年)9月6日)は、日本の実業家、工学者。東京工業大学電気工学科教授。工学博士(東京帝国大学)。昭和電線電䌫(現・昭和電線ホールディングス)社長・会長・相談役やCQ出版社長、多摩電気工業(現・KOA (企業))社長などを歴任した。