村上 利夫(むらかみ としお、1932年(昭和7年)3月12… 村上 利夫(むらかみ としお、1932年(昭和7年)3月12日 - )は、日本の農業技術者、政治家。元福井県小浜市長(2期)。 福井県遠敷郡上中町(現・三方上中郡若狭町)出身。福井県立遠敷農林学校(現・福井県立若狭東高等学校)卒業。福井県立高等農業講習所(現・福井県立大学)鯉淵学園研究科卒業。 1952年から、福井県農業改良普及員・専門技術員等。1971年から1976年まで、福井県立農業短期大学校(のち福井県立大学看護短期大学部)教授。その後、福井県農林水産部長、同県議会議員、同県農業会議会長、同県森林組合連合会長などを経て、福井県小浜市長(2000年8月から2期)。全国歴史研究会本部正会員。1998年、協同農業普及事業功労(農林水産大臣)。
今井 理一(いまい りいち、1932年または1933年 - … 今井 理一(いまい りいち、1932年または1933年 - )は、日本の政治家。元福井県大飯郡高浜町長(3期)。反原発町長。 福井県大飯郡高浜町議会議員を経て、1996年-2008年、高浜町長を3期務めた。高浜発電所プルサーマル計画の受け入れを了承していたが、1999年12月に英国核燃料会社によるMOX燃料データ改竄が発覚したことから、安全性を危惧し計画実行に慎重な態度をとるようになった。2004年3月高浜発電所プルサーマル計画が再開されたが、同年8月の美浜発電所蒸気噴出事故を受けプルサーマル計画に再度難色を示すようになり、同計画は白紙撤回されることとなった。2008年、経済産業省原子力安全功労者表彰。
栗田 幸雄(くりた ゆきお、1930年4月6日 - 2024… 栗田 幸雄(くりた ゆきお、1930年4月6日 - 2024年5月17日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。福井県知事(公選第11・12・13・14代)。福井県鯖江市出身。 福井県工業技術センター(工業試験場)の整備や、福井県立大学の創設(1992年)、福井県産業振興施設(1995年)、福井県立音楽堂(1997年)、福井県児童科学館(1999年)、福井県立恐竜博物館(2000年)の建設など、産業や芸術文化、学術・教育分野等において大型公共施設の整備・拡充に積極的であった。 交通政策では、福井空港拡張整備計画、舞鶴若狭自動車道舞鶴東IC―小浜西IC間の延伸開通(2003年)や中部縦貫自動車道基本計画の促進による高速道路網整備、北陸新幹線や琵琶湖若狭湾快速鉄道の新線建設計画促進、JR小浜線電化(2003年)による高速鉄道網整備、敦賀港の港湾整備などを推し進めた。
平泉 渉(ひらいずみ わたる、1929年11月26日 - 2… 平泉 渉(ひらいずみ わたる、1929年11月26日 - 2015年7月7日)は、日本の政治家、外交官。衆議院議員・参議院議員、科学技術庁長官・経済企画庁長官を歴任。 1929年に福井県勝山市で生まれる。父は当時東京帝国大学助教授で後に教授となる国史学者の平泉澄。旧制東京高等学校を経て、1952年に東京大学法学部政治学科を卒業後、外務省入省。フランス語研修員として、フランスのグルノーブル政治学院、エクス=マルセイユ大学などに学んだ。その後、在フランス大使館に勤務し、1954年に訪仏した鹿島守之助を案内したことがきっかけで守之助に見込まれ、その三女・三枝子と結婚。やがて国連代表部二等書記官、在イラン大使館一等書記官を経て、1965年、守之助に日本に呼び戻されて鹿島建設の専務取締役となり、同年、第7回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で全国区から立候補し、初当選。
清水 澄子(しみず すみこ、1928年3月1日 - 2013… 清水 澄子(しみず すみこ、1928年3月1日 - 2013年1月14日)は、日本の政治家。位階は従四位。 元参議院議員(2期)。日本社会党を経て社会民主党に所属した。「日朝国交正常化を求める連絡会」共同代表。 選択的夫婦別姓制度導入に賛成している。「人にはそれぞれ固有の姓があります。基本的人権です。ところが、結婚と同時に法律で夫婦の姓を一つにすることを強制し、別姓を選んだ場合は、法律上の結婚とは認めず、法定相続人にはなれない。子どもには「婚外子」という制裁まで加えています。この不条理を、政府はいつまで女性に受忍しろというのでしょうか。夫婦別姓と婚外子差別の問題は、憲法制定に伴う1946年の民法改正以来の宿題」である、と述べている。
北側 義一(きたがわ よしかず、1927年(昭和2年)4月2… 北側 義一(きたがわ よしかず、1927年(昭和2年)4月26日 - )は、日本の実業家、政治家。元衆議院議員。 福井県生まれ。城東工業学校を卒業後、1945年(昭和20年)に近畿日本鉄道に入社する。1947年(昭和22年)浪速工芸社の役員となる。 1963年(昭和38年)大阪市会議員に選出され1期在任。1967年(昭和42年)1月29日、第31回衆議院議員総選挙に、旧大阪6区から立候補し、初当選。衆議院議員に連続6期在任した。衆議院科学技術振興対策特別委員長、同建設委員長、同交通安全対策特別委員長などを務めた。 1983年(昭和58年)公明党委員長の竹入義勝の下で、公明党中小企業係長に就任。同年の 第37回衆議院議員総選挙には出馬せずに矢追秀彦に地盤を譲る。
牧野 隆守(まきの たかもり、1926年〈大正15年〉1月1… 牧野 隆守(まきの たかもり、1926年〈大正15年〉1月14日 - 2008年〈平成20年〉1月11日)は、日本の政治家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 衆議院議員(6期)、政務担当官房副長官(宇野内閣)、労働大臣(第2次小渕改造内閣・第1次森内閣)を歴任。 福井県坂井郡丸岡町(現・坂井市)出身。福井中学などを経て東京大学法学部入学。東大在学中に高等文官試験司法科(現在の司法試験)合格。卒業後、1949年に旧商工省(のちの通産省)に入省。同期には藤原一郎(通産事務次官)、村上信二郎(衆議院議員)、平松守彦 (大分県知事)、大永勇作(中小企業信用保険公庫総裁)、井川博(経済企画事務次官)、織田季明(官房審議官)、小泉孝夫(通産省工業検査所所長)などがいた。
森永 大(もりなが ひろし、1925年〈大正14年〉12月2… 森永 大(もりなが ひろし、1925年〈大正14年〉12月27日 - 1995年〈平成7年〉3月18日)は、日本の政治家。福井県大野市出身。札幌文科専門学院(現札幌学院大学)経済本科中退。元・北海道歌志内市長(1980年-1988年)。位階は従六位。 1951年歌志内町役場に入り、税務課長、水道課長、民生部長を経て、1971年同市助役。1980年に歌志内市市長選挙に出馬し当選。以後、2期8年市政を担うが、1988年の市長選挙で落選。1995年3月18日、肝臓癌のため死去。死没日付をもって従六位に叙された。 囲碁、観劇、絵画を好んだという。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
辻 一彦(つじ かずひこ、1924年12月10日 - 200… 辻 一彦(つじ かずひこ、1924年12月10日 - 2008年9月5日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)、衆議院議員(5期)を歴任。福井県遠敷郡口名田村(現・福井県小浜市)谷田部出身。長男は、福井県議会議員だった辻一憲。次男は、衆議院議員、元青森大学社会学部教授の辻英之。 1941年千葉農業専門学校(千葉大学園芸学部の前身)を卒業し教師や農業講習所講師を経て1971年の第9回参議院議員通常選挙で日本社会党公認で福井県選挙区で当選。1977年の第11回参議院議員通常選挙で落選。 1983年の第37回衆議院議員総選挙に無所属で出馬、当選を果たすも後に社会党を除名される。 1985年、院内会派「社会党・護憲共同」に参加、1986年第38回衆議院議員総選挙では社会党推薦で再選し、同年12月復党。
田畑 政一郎(たばた まさいちろう、1924年2月15日 -… 田畑 政一郎(たばた まさいちろう、1924年2月15日 - 1994年5月21日)は、日本の政治家、日本社会党元衆議院議員(2期)。 福井県出身。旧制北陸中卒。国鉄に入り、福井県労働組合評議会事務局長、福井県議を経て、1958年の総選挙から1963年の総選挙まで3回連続福井全県区から日本社会党公認で立候補したが落選。この間1962年の第6回参議院議員通常選挙で福井県地方区から日本社会党公認で立候補して落選。1976年の第34回衆議院議員総選挙で福井全県区から立候補して初当選する。連続2期当選し、1980年の第36回衆議院議員総選挙で落選。1983年の第37回衆議院議員総選挙で再び立候補したが落選。
大武 幸夫(おおたけ ゆきお、1923年3月24日 - 19… 大武 幸夫(おおたけ ゆきお、1923年3月24日 - 1994年1月28日)は、日本の政治家。元福井市長。福井市名誉市民。位階は正五位。勲三等旭日中綬章。 福井県福井市出身。1946年、名古屋帝国大学医学部卒業後、福井市に勤務し、厚生部長、総務部長等を歴任。1974年、前市長死去に伴い行われた福井市長選挙で立候補し、初当選。以後連続5期20年に亘り市長を務めた。 在任中は、30万人都市実現を目標とし、都市開発、教育文化、国際交流等を推進し、福井市の発展に寄与。また、特に、治水・利水対策には、「百年の計」との思い入れがあって注力し、九頭竜川鳴鹿大堰の建設推進等に努力した。 在任中の1994年1月28日、肝不全のため死去。
池田 勤也(いけだ きんや、1922年(大正11年)2月4日… 池田 勤也(いけだ きんや、1922年(大正11年)2月4日 - 2007年(平成19年)10月27日)は、昭和時代の政治家。福井県勝山市長。 勝山市出身。1944年(昭和19年)東京外国語大学独語部卒業。 外務省を経て、1955年(昭和30年)勝山市役所に入る。1972年(昭和47年)助役を経て、1976年(昭和51年)以来、勝山市長に3選。1988年(昭和63年)引退した。
高木 孝一(たかぎ こういち、1919年〈大正8年〉1月2日… 高木 孝一(たかぎ こういち、1919年〈大正8年〉1月2日 - 2012年〈平成24年〉6月1日)は、日本の政治家、実業家。高木建設創業者、同社社長。高木商事社長。福井県議会議員。敦賀市議会議員。第57代福井県議会議長、第13-16代敦賀市長などを歴任した。長男は第5代復興大臣、自由民主党衆議院議員の高木毅。 福井県敦賀市出身。1936年、国鉄敦賀機関区に勤務する。1950年、国鉄を退職する。 1951年、敦賀市議会議員に当選する。1954年、高木建設を創立する。1959年、福井県議会議員に当選する。 1966年6月28日から同年12月16日、第54代副議長を、1972年5月26日から1973年6月25日、第57代議長を務めた。
浜田 倫三(はまだ りんぞう、1914年(大正3年) - 2… 浜田 倫三(はまだ りんぞう、1914年(大正3年) - 2005年(平成17年))は、日本の政治家。元高浜町長。関西電力(関電)子会社の環境総合テクノス顧問。森山栄治助役と共に高浜原子力発電所誘致に尽力した。 1914年、福井県大飯郡高浜町三明生まれ。呉服商や町議を経て1962年から5期20年、高浜町長を務めた。1974年から1975年、運転を始めた高浜原発1、2号機の誘致に尽力。1982年、町長を退任。1983年から亡くなる2005年まで関西電力の子会社・関西総合環境センター(現環境総合テクノス)の顧問を務めた。 町長在任中の1976年-1977年、町民や町議会に報告のないまま、関電からの協力金9億円を浜田個人名の普通預金口座に受け入れ、うち3億3000万円が町内の5つの漁業協同組合に配分された。
坪川 信三(つぼかわ しんぞう、1909年(明治42年)11… 坪川 信三(つぼかわ しんぞう、1909年(明治42年)11月13日 - 1977年(昭和52年)11月20日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。 自由民主党衆議院議員(10期)、福井市長(1期)、建設大臣、総理府総務長官、沖縄開発庁長官を歴任した。福井県出身。 1909年11月13日、福井県足羽郡社村種池(現・福井市種池1丁目)に生まれる。 1924年3月社村江守尋常小学校高等科卒業。1929年3月福井師範学校(現・福井大学教育学部)卒業。 北京で日本居留民の教育に携わり,のち湯沢三千男内相の秘書官となる。 1946年4月、福井県全県区から第22回衆議院議員総選挙に立候補し初当選するも、炭鉱国管疑獄では、1948年(昭和23年)衆議院不当財産取引調査委員会に証人喚問され、その後逮捕されたが起訴猶予処分となった。
林 了(はやし りょう、1908年〈明治41年〉3月9日 –… 林 了(はやし りょう、1908年〈明治41年〉3月9日 – 1953年〈昭和28年〉12月20日)は、昭和期の歯科医師、政治家。参議院議員(1期)、日本大学歯学部教授。医学博士。 福井県福井市生まれ。1929年(昭和4年)日本大学歯科医学校(現日本大学歯学部)を卒業。同年、歯科医院を開業。1932年(昭和7年)日大歯科医学校附属医院に勤務。以後、城西病院歯科部長、日大歯科医学校長、日大歯学部教授を歴任。 その他、日本歯科医師会理事、同事務局長、同常務理事、同税制対策委員長、日本歯科医師政治連盟(現日本歯科医師連盟)理事長、臨時診療報酬調査会委員、臨時医療保険審議会委員、社会保険診療報酬支払基金理事、軽井沢会理事長、軽井沢国際観光協会顧問、八欧無線(株)顧問などを務めた。
高橋 衛(たかはし まもる、1903年〈明治36年〉2月26… 高橋 衛(たかはし まもる、1903年〈明治36年〉2月26日 - 1986年〈昭和61年〉4月26日)は、日本の台湾総督府官僚、大蔵官僚、政治家。参議院議員(3期)、経済企画庁長官(第14-15代)。 福井県武生市(現越前市)出身。高橋茂平の長男として生まれる。武生中学、第四高等学校を経て、1927年3月、東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。1926年11月、高等試験行政科試験に合格。1927年4月、台湾総督府属となり財務局に配属。新竹州内務部教育課長、総督官房審議室、兼台湾総督府秘書官などを歴任。1937年3月から1939年2月まで欧米各国に出張した。 1939年7月、台湾総督府財務局主計課長に就任。
加賀山 之雄(かがやま ゆきお、1902年(明治35年)12… 加賀山 之雄(かがやま ゆきお、1902年(明治35年)12月30日 - 1970年(昭和45年)8月7日)は、昭和期の鉄道官僚、政治家。位階は正三位。 第2代日本国有鉄道総裁(在任1949年-1951年)、参議院議員。 福井県大野郡大野町(現在の大野市)生まれ。大野中学、一高を経て、1927年(昭和2年)東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業し、鉄道省に入省した。 1932年(昭和7年)10月17日に十河信二の娘と結婚。 その後、運輸省鉄道総局長官などを経て1949年(昭和24年)6月1日の国鉄発足時、副総裁に就任する。当初は総裁の予定だったが、GHQが「戦中にベルリンの滞在が長かった」として難色を示し、アメリカ視察の経験があり、GHQが米国通と評価していた下山定則が初代総裁となった。
福田 一(ふくだ はじめ、1902年〈明治35年〉4月1日 … 福田 一(ふくだ はじめ、1902年〈明治35年〉4月1日 - 1997年〈平成9年〉9月2日)は、日本の政治家、位階は従二位。 自由民主党所属の衆議院議員(14期)、衆議院議長(第62代)。自民党では大野派→福田グループに属した後に、無派閥となる。 福井県出身。東京府立三中(現在の東京都立両国高等学校)、旧制一高を経て、1927年東京帝国大学法学部仏法科卒業。同盟通信記者を経て衆議院議員に。通産大臣、自治大臣、法務大臣などを歴任した。通産大臣時代には小説「官僚たちの夏」に描かれた今井善衛と佐橋滋との間の事務次官人事抗争に介入し、存在感を見せ付けたこともある。 自治大臣在任中、1975年1月21日、参議院決算委員会で「私は市川(房枝)さんほど国民を尊敬していない」と述べたため、野党の反発を招き、発言の取り消しを要求された。
中野 重治(なかの しげはる、1902年(明治35年)1月2… 中野 重治(なかの しげはる、1902年(明治35年)1月25日 - 1979年(昭和54年)8月24日)は、日本の小説家・詩人・評論家・政治家。代表作に小説『歌のわかれ』『むらぎも』『梨の花』『甲乙丙丁』、評論『斎藤茂吉ノオト』、詩集『中野重治詩集』など。詩人の中野鈴子は実妹、女優の原泉は妻。 福井県坂井市出身。東京帝国大学文学部独文科卒。四高時代に窪川鶴次郎らを知り、短歌や詩や小説を発表するようになる。東大入学後、窪川、堀辰雄らと『驢馬』を創刊、一方でマルクス主義やプロレタリア文学運動に参加し、「ナップ」や「コップ」を結成。この間に多くの作品を発表した。1931年に日本共産党に入ったが、検挙され1934年に転向する。
植木 庚子郎(うえき こうしろう、1900年〈明治33年〉1… 植木 庚子郎(うえき こうしろう、1900年〈明治33年〉1月28日 – 1980年〈昭和55年〉3月11日)は、昭和期の政治家、大蔵官僚。位階は正三位、勲等は勲一等。法務大臣(第15、28代)、大蔵大臣(第76代)、衆議院議員(9期)。 福井県丹生郡天津村清水山(後の清水町清水山、現在の福井市清水山町)に、清水伊右衛門の長男として生まれる。後に植木信一の養子となる。福井県立福井中学校(現・福井県立藤島高等学校)を首席で卒業後、第一高等学校を経て、1925年東京帝国大学法学部法律学科を卒業、大蔵省に入省する。税務監督局兼主税局属。 主計局調査課長、主計局予算課長、主計局長、専売局長官を歴任するが、1946年公職追放により退職する。
青木 清左衛門(靑木 清左ヱ門、あおき せいざえもん、189… 青木 清左衛門(靑木 清左ヱ門、あおき せいざえもん、1899年(明治32年)1月29日 - 1981年(昭和56年)1月21日)は、大正から昭和期の青年団指導者、実業家、政治家。衆議院議員(2期)、福井県坂井郡本荘村長。幼名は是茂。 福井県坂井郡芦原村(芦原町を経て現あわら市)で青木栄の長男として生まれ、父の実家、坂井郡本荘村河間(芦原町を経て現:あわら市)の代々庄屋を務めた青木家の養子となる。1919年(大正8年)福井県立福井中学校(現福井県立藤島高等学校)を卒業した。 本荘村青年団長、坂井郡青年団副団長、福井県青年団長を務め、福井青年社を設立。月刊雑誌『福井県青年』『若越春秋』の出版を行う。
薩摩 雄次(さつま ゆうじ、1897年12月1日 - 196… 薩摩 雄次(さつま ゆうじ、1897年12月1日 - 1966年8月4日)は、日本の政治家・新聞記者。衆議院議員。福井県おおい町出身。 地主・薩摩三蔵の二男。第三高等学校を経て、1922年に拓殖大学支那語科を卒業。学生時代から猶存社に出入りし、拓大魂の会を組織した。 1923年から1928年まで大東文化協会幹事となり、同協会の副会長であった政友会代議士・小川平吉の秘書役を務めた。 国民新聞に入社し、経済部長、主筆、論説委員を歴任した。 海軍大将の加藤寛治とは親戚であったことから、ロンドン海軍軍縮会議の結果をめぐって表面化した統帥権干犯問題の際に、北一輝らの民間右翼と加藤ら海軍艦隊派とのつなぎ役となる。
奥 むめお(おく むめお、1895年10月24日 - 199… 奥 むめお(おく むめお、1895年10月24日 - 1997年7月7日)は、日本の婦人運動家、政治家。参議院議員を計3期務め、1961年(昭和36年)に勲二等宝冠章を受章し、没後に正四位を追賜された。1989年(平成元年)に福井市名誉市民の称号を贈られた。本名は奥 梅尾(読み同じ)。 福井県福井市の鍛冶屋、父・和田甚三郎、母・はまの長女として出生した。年少時から婦人労働問題に強い関心を示し、福井高等女学校(現在の福井県立藤島高等学校)を経て、1916年(大正5年)日本女子大学校卒業後、労働組合期成会の機関紙『労働世界』の記者になり、身分を偽り富士瓦斯紡績に一女工として潜入取材したレポートが反響を呼んだ。
斎木 重一(齋木、さいき しげいち、1895年〈明治28年〉… 斎木 重一(齋木、さいき しげいち、1895年〈明治28年〉3月23日 - 1977年〈昭和52年〉5月11日)は、日本の社会運動家、政治家。衆議院議員。旧姓は稲葉。 福井県坂井郡伊井村(現・あわら市)で生まれる。大関高等小学校卒業。卒業後は、一時東京に滞在する。 越前木材工の職工長を務める。1918年(大正7年)、福井製材職工同盟会を組織し、1925年(大正14年)、福井県労働同志会に改組し、農民運動にも加わった。1929年(昭和4年)に福井市会議員選挙に立候補したが、この時は3票差で落選した。1932年(昭和7年)、社会大衆党福井県連会長に就任した。1933年(昭和8年)に福井市会議員に当選した。
加藤 吉太夫(かとう きちだゆう、1895年(明治28年)2… 加藤 吉太夫(かとう きちだゆう、1895年(明治28年)2月2日 - 1988年(昭和63年)3月11日)は、日本の農業経営者、農民運動家、政治家。衆議院議員(1期)、福井県今立郡中河村長。1930年(昭和5年)吉太夫と改名。位階は従五位。 福井県今立郡中河村下河端(現鯖江市)で、加藤家の二男として生まれる。1911年(明治44年)福井県立武生中学校(現福井県立武生高等学校)を卒業した。 農業を営み、下河端青年団長、中河村会議員、福井県農民連盟副委員長、中河村長、中河村徳尾合同耕地整理組合長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で福井県全県区から福井県農民連盟副委員長として出馬し当選し、衆議院議員に1期在任した。
中西 敏憲(なかにし としかず、1894年(明治27年)3月… 中西 敏憲(なかにし としかず、1894年(明治27年)3月9日 - 1982年(昭和57年)10月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、南満州鉄道理事、武生市長。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 福井県出身。1918年(大正7年)高等試験行政科試験に合格。翌1919年(大正8年)東京帝国大学法学部(英法)を卒業。南満州鉄道に入り、地方課長、地方、総務の各部長を経て、理事となる。1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙では郷里の福井県から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。小磯内閣で大東亜参与官となった。 戦後、推薦議員や南満州鉄道理事のため、公職追放となる。1951年(昭和26年)に追放解除となる。
酒井 利雄(さかい としお、1891年(明治24年)7月7日… 酒井 利雄(さかい としお、1891年(明治24年)7月7日 - 1969年(昭和44年)2月3日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)、福井県会議長、福井県坂井郡鳴鹿村長。 福井県坂井郡鳴鹿村楽間(丸岡町を経て現坂井市丸岡町楽間)で、酒井利右衛門の長男として生まれる。1916年(大正5年)家督を相続した。土木建築請負業を営む。 鳴鹿村会議員を経て1934年(昭和9年)鳴鹿村長に就任。福井県会議員に選出され、同議長も務めた。1942年(昭和17年)4月、第21回衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受け福井県全県区から出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた。
竹内 克巳(たけうち かつみ、1890年(明治23年)5月1… 竹内 克巳(たけうち かつみ、1890年(明治23年)5月16日 - 1973年(昭和48年)2月22日)は、大正から昭和期のジャーナリスト、出版業者、政治家。衆議院議員。号・夏積。鳥居素川の愛弟子として知られた。「克己」と表記される場合がある。 福井県福井市出身。京都で成長した。京都帝国大学文科大学文学科で学んだ。 大阪朝日新聞社に入社し、記者として務め、その後、海外特派員となった。鳥居に抜擢され1919年(大正8年)大正日日新聞社販売部長となるが、販売不振のため退職。その後、満州日報社取締役主筆を務めた。戦時下、外務省の外郭団体(文化団体)「聞人会」を主宰し理事長となり銀座のビルに事務所を置いていた。
加藤 勝康(かとう まさやす、1887年2月 - 1956年… 加藤 勝康(かとう まさやす、1887年2月 - 1956年8月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 福井県出身。福井県立武生中学校(現・福井県立武生高等学校)で学ぶ。製糸業を営み、武生町実業会会頭、同町政調査委員、福井県会議員となる。 1924年1月、福井4区から高島七郎右衛門の死去による補欠選挙で立憲政友会公認で立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1924年の第15回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1956年に死去した。
近藤 由太郎(こんどう よしたろう、1884年(明治17年)… 近藤 由太郎(こんどう よしたろう、1884年(明治17年)8月1日 - 1965年(昭和40年)2月17日)は、日本の政治家、実業家、福井県大野町長、呉服店店主。 福井県南条郡武生町(現:越前市)の老舗呉服屋とがのや呉服店店主・古市幸助の三男として生まれた。1910年(明治43年1月)、大野町のこちらも老舗呉服屋あらごろ呉服店の店主で後に福井県会議員となる近藤金次郎の婿養子となり、店舗を一任される。 他に北陸絹布株式会社取締役、大越木材工業社長、大野町商工会議所の会頭を歴任し、1947年(昭和22年)4月に戦後初の市町村選挙にて大野町長に就任する。戦後の復興に力を注ぎ、1952年(昭和27年)10月に引退。
有馬 英二(ありま ひでじ/えいじ、1883年(明治16年)… 有馬 英二(ありま ひでじ/えいじ、1883年(明治16年)5月25日 - 1970年(昭和45年)4月6日)は、日本の明治時代・大正時代・昭和時代の医学者・政治家。位階は正三位。勲等は勲二等。北海道帝国大学名誉教授。衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)。旧姓・栗山。BCGの研究者としても知られる。 現在の福井県坂井市(旧坂井郡三国町)で旧福井藩藩医栗山英哉の次子として生まれ、1888年に有馬家の養嗣子となった。旧制福井中学校(現・福井県立藤島高等学校)、第四高等学校を経て、1908年東京帝国大学医科大学卒業。その後、同大学青山内科に入局。1914年朝鮮総督府医院内科に勤務。1916年朝鮮総督府医院第2内科科長。
池田 七郎兵衛(七郎兵衞、いけだ ひちろうべい / しちろべ… 池田 七郎兵衛(七郎兵衞、いけだ ひちろうべい / しちろべえ、1882年(明治15年)6月11日 - 1962年(昭和37年)2月20日)は、大正から昭和前期の地主、農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員(帝国議会・1期)、参議院議員(国会・1期)、福井県足羽郡酒生村長。幼名・千代三。 福井県足羽郡荒木新保村(酒生村荒木新保、足羽村、足羽町を経て現福井市)で、地主、先代・池田七郎兵衛の三男として生まれる。北陸中学校(現北陸中学校・高等学校)を卒業。1913年(大正2年)父の死去に伴い家督を相続し七郎兵衛を襲名した。農業を営む。 経営不振の第九十一銀行を買収して取締役頭取に就任。その他、福井紡績取締役、大正電気取締役、白山水力取締役、福井電力取締役、日本水力監査役などを務めた。
小川原 政信(おがわら まさのぶ、1882年(明治15年)1… 小川原 政信(おがわら まさのぶ、1882年(明治15年)1月28日 - 1952年(昭和27年)9月6日)は、日本の教育者、政治家。衆議院議員(4期)。 福井県大野郡米俵村(現大野市)で小川原左仲の長男として生まれる。1897年4月に渡道し岩内町に居住。1901年、海軍に志願し横須賀に出るが、健康を害したため北海道に戻った。 1903年9月、小学校教員となり、岩内郡堀株小学校、岩内尋常高等小学校に勤務。1909年1月、倶知安第一小学校長となり、同実業補習学校長を兼務し、1921年6月まで在任。同年7月、北海商事(株)社長に就任。その後、北海道会議員、同参事会員、北海道政務調査会長、同農地委員、後志馬匹組合長、北海道馬事牧野協会長、同農業会後志支部指導部長などを務めた。
岡田 伊太郎(おかだ いたろう、1877年(明治10年)12… 岡田 伊太郎(おかだ いたろう、1877年(明治10年)12月1日 - 1961年(昭和36年)1月26日)は、日本の商人(農産物貿易商)、政治家・衆議院議員(立憲政友会)、実業家。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 福井県坂井郡金津町(現・あわら市)に生まれる。生家は米穀商を営む。岡田猪平の二男、あるいは長男。1890年、従兄の初代福山甚三郎を頼って北海道に渡り、福山醸造で働く。 その後独立し、1895年、札幌郡江別村(現江別市)で雑穀商を開業。江別村会議員、同町会議員、北海道会議員、江別倉庫社長、北海道農林社長などを務めた。また江別の電気事業に関わり、函館水電取締役、北海道電力顧問を歴任し、江別発電所(1991年廃止)の建設に尽力した。
山田 仙之助(やまだ せんのすけ、1876年(明治9年)11… 山田 仙之助(やまだ せんのすけ、1876年(明治9年)11月19日 - 1947年(昭和22年)3月1日)は、明治から昭和前期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 石川県今立郡中野村(福井県今立郡中野村、中河村中野を経て現鯖江市)で、油商・山田仙太郎の長男として生まれた。1887年(明治20年)3月、修道尋常小学校を卒業。家業の菜種油・桐油製造販売、石油・肥料販売に従事。1918年(大正7年)2月、父の隠居により家督を相続した。 福井県下で羽二重の製織が流行し、1905年(明治38年)家業を機業に転換。1906年(明治39年)丹生郡朝日町(現越前町)、今立郡鯖江町(現鯖江市)、同郡北新庄村(現越前市)などに分工場を設けた。
福島 文右衛門(ふくしま ぶんうえもん、1873年(明治6年… 福島 文右衛門(ふくしま ぶんうえもん、1873年(明治6年)8月20日 - 1937年(昭和12年)1月2日)は、明治から昭和時代前期の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 素封家・福島文衛の長男として敦賀県今立郡鯖江清水町(福井県今立郡鯖江町を経て現鯖江市)に生まれ、1905年(明治38年)3月、家督を相続し、前名文治を改める。生家は醤油醸造業を営んだ。1908年(明治41年)越前電気を設立し、同社長に就任。福井県農工銀行頭取を務めたのち、1911年(明治44年)福井県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1918年(大正7年)9月28日まで在任した。鯖浦電気鉄道や福井県鯖江女子師範学校の創設にも関与した。
熊谷 三太郎(くまがい さんたろう、1871年12月5日(明… 熊谷 三太郎(くまがい さんたろう、1871年12月5日(明治4年10月23日) - 1951年(昭和26年)5月1日)は、明治から昭和時代前期の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。旧姓は藤原。 福井県敦賀市阿曾出身。福井市の熊谷げんの養子となる。福井県立中学校を修了する。1898年(明治31年)宿布発電所の土木工事を請け負う。1907年(明治40年)中尾発電所工事で飛島組の下請けとなり、1926年(大正15年)飛島組取締役に就任。1938年(昭和13年)熊谷組を創立した。この間、1925年(大正14年)福井市会議員、同議長、福井県会議員などを歴任。ほか、熊谷組会長、第五十七銀行、中越銀行各頭取、敦賀セメント社長などを務めた。
森 広三郎(旧字体: 森 廣三郞、もり ひろさぶろう、187… 森 広三郎(旧字体: 森 廣三郞、もり ひろさぶろう、1871年1月4日(明治3年11月14日)- 1939年(昭和14年)7月13日)は、明治から昭和初期の農業経営者、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。幼名・広輔。 越前国今立郡稲寄村(福井県今立郡稲寄村、国高村稲寄、武生市を経て現越前市)で、豪農、先代・森広三郎の長男として生まれた。1901年(明治34年)8月、家督を相続し広三郎を襲名した。父の反対を受けながらも上京して英吉利法律学校(現中央大学)で学んだが、ついに父の意思に従い中退して帰郷した。 今立郡会議員に就任。1903年(明治36年)9月、福井県会議員に選出され、1905年(明治38年)5月まで在任し、同参事会員も務めた。
河崎 清(かわさき きよし、1870年11月7日(明治3年1… 河崎 清(かわさき きよし、1870年11月7日(明治3年10月14日) - 1925年(大正14年)11月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。旧姓・小畑。 若狭国遠敷郡平野村(福井県遠敷郡平野村、松永村を経て現小浜市平野)で、小畑多四郎の三男として生まれた。福井県福井中学校(現・福井県立藤島高等学校)で学ぶ。福井県議、同参事会員、地方森林会議員、南米殖民会社、海外興業各業務代理人、河野水電(株)専務取締役、公洲電気(株)監査役、永平寺鉄道(株)社長となる。 1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙において福井5区から立憲政友会公認で立候補して当選する。1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙では政友本党公認で立候補して再選した。
大橋 松二郎(おおはし まつじろう、明治元年4月13日(18… 大橋 松二郎(おおはし まつじろう、明治元年4月13日(1868年5月5日) - 大正9年(1920年)12月15日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→立憲同志会→憲政会)、ジャーナリスト。 越前国吉田郡円山西村(現在の福井県福井市)出身。1890年(明治23年)に『若越自由新聞』を創刊し、1894年(明治27年)には『若越新聞』と改題。後に『若越新聞』を政友会福井支部の機関紙とした。また農業においては馬耕の奨励や稲種改良に尽力した。福井県会議員、同参事会員、同議長を歴任した。その他、吉田郡農会長、吉田郡教育会長などを務めた。 1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し当選。第12回衆議院議員総選挙でも再選された。
西野 久右衛門(久右衞門、にしの きゅうえもん、1868年3… 西野 久右衛門(久右衞門、にしの きゅうえもん、1868年3月26日(慶応4年3月3日)- 1900年(明治33年)2月1日)は、明治期の医師、政治家。衆議院議員。 越前国今立郡北村(福井県今立郡北村、北新庄村、武生市を経て現越前市)で生まれた。済生学舎で医学を修めた。 1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(福井県第3区、山下倶楽部)で当選し、衆議院議員に1期在任。同年8月、第6回総選挙(福井県第3区、無所属)では次点で落選した。 その後、帝国党が結成されるとこれに参加し幹事を務めた。
岡田 啓介(おかだ けいすけ、1868年2月14日〈慶応4年… 岡田 啓介(おかだ けいすけ、1868年2月14日〈慶応4年1月21日〉- 1952年〈昭和27年〉10月17日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。栄典は正二位勲一等功三級。 田中義一内閣で海軍大臣を務めたのち、齋藤内閣でも海軍長老として海軍大臣を再び拝命して五・一五事件後の騒然とした海軍省部内を収めた。その斎藤内閣が瓦解したあと大命降下を受けて内閣総理大臣に就任、岡田内閣では一時拓務大臣と逓信大臣を兼任している。二・二六事件で反乱軍に襲撃されたが、義弟で秘書官を務めていた松尾伝蔵が身代わりとなり、奇跡的に難を逃れた。 総理退任後も重臣として度々枢機に与ったが、第二次世界大戦中は東条内閣打倒を自らの責務ととらえ倒閣運動を主導した。
三田村 甚三郎(みたむら じんざぶろう、1867年11月7日… 三田村 甚三郎(みたむら じんざぶろう、1867年11月7日(慶応3年10月12日) - 1934年(昭和9年)2月13日)は、福井県武生市(現越前市)出身の日本の実業家、政治家。 越前打刃物の名産地として知られる越前市越前府中(現越前市あおば町)でも有数の打物問屋に長男・欽二として出生。明治29年、家督を相続し、甚三郎を襲名。福井県立福井中学校(現福井県立藤島高等学校)を経て、東京専門学校(現早稲田大学)に入学し政治学を学ぶ。 福井新聞、有限責任信用組合武生金庫(現武生信用金庫)、武岡軽便鉄道株式会社(福井鉄道南越線)を設立。 福井県会議員を歴任後、衆議院議員に二期当選(1898-1902、1930-32)18年間無報酬で武生町長を務める。
近藤 金次郎(こんどう きんじろう、1866年〈慶應2年〉8… 近藤 金次郎(こんどう きんじろう、1866年〈慶應2年〉8月28日 - 1933年〈昭和8年〉2月9日)は、日本の政治家、大野町会議員、福井県会議員、呉服店店主、亀城銀行取締役、俳人。俳号は松翠舎漣月。 越前国大野郡大野町(福井県大野郡大野町を経て、現在の大野市)の酒造業・田中彌三兵衛の男子として生まれた。幼少の頃より同地の老舗呉服屋あらごろ呉服店の店主・近藤五郎右衛門の養子として育つ。1881年(明治14年)養父没後に家督を継ぎ、呉服店を継承する。1917年(大正6年)、正風音社の大野分社長を嘱託される。さらに大野町に本社のあった亀城銀行取締役(大七銀行合併の後に福井銀行に吸収される)、北陸絹布株式会社取締役、大野撚絲株式会社社長、大野町会議員、大野郡会議員を歴任した。
名村 忠治(なむら ちゅうじ、1865年9月16日(慶應元年… 名村 忠治(なむら ちゅうじ、1865年9月16日(慶應元年7月27日)- 1923年(大正12年)9月11日)は、明治から大正期の、農業指導者、地主、政治家。衆議院議員、福井県坂井郡三国町長。旧姓・藤田。 越前国今立郡横越村(福井県今立郡新横江村横越、鯖江町を経て現鯖江市横越町)で、藤田惣左衛門の六男として生れる。1881年(明治14年)2月、坂井郡坂井港松ケ下町(三国町を経て現坂井市)の名村ゆうの養子となる。普通学、漢学を修めた。1891年(明治24年)6月に家督を相続した。 1888年(明治21年)荒地を開墾して桑園とし私立接木伝習所を設置。三国輸出米商組合長、坂井郡農会副会長、福井県農工銀行監査役、福井県実業会員などを務めた。
熊谷 五右衛門(五右衞門、くまがい ごうえもん / ごえもん… 熊谷 五右衛門(五右衞門、くまがい ごうえもん / ごえもん、1865年7月25日(慶応元年6月3日)- 1942年(昭和17年)9月1日)は、明治から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員。 越前国坂井郡熊坂村(福井県坂井郡坪江村、金津町熊坂を経て現あわら市熊坂)で、先代・熊谷五右衛門の長男として生まれる。農業を営む。1880年(明治13年)7月、家督を相続した。 坪江村会議員、坪江村長、坂井郡会議員、丸岡町長を務めた。1893年(明治26年)福井県会議員に選出され通算17年在任し、杉田定一系の中心として活動し、参事会員、副議長、議長も務めた。この間、九頭竜川の改修に尽力した。 1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙で福井県郡部から出馬して当選した。
土生 彰(はぶ あきら、元治元年2月22日(1864年3月2… 土生 彰(はぶ あきら、元治元年2月22日(1864年3月29日) – 1943年(昭和18年)7月20日)は、衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、福井県武生町長。ジャーナリスト。 越前国南条郡武生(現在の福井県越前市)に初代武生町長となる土生忠の子として生まれる。京都で漢学などを学んだ後、福井県師範学校を卒業した。「富山日報」「福井新報」、日刊新聞「福井」の主筆を務めた後、1898年(明治31年)に武生町長に就任した。翌年に町長を辞して、「若越新聞」「福井新聞」に筆を執った。1911年(明治44年)より県会議員。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。1期務めた後の1930年(昭和5年)に武生町長に再任された。
横井 藤四郎(よこい とうしろう、1864年3月12日(元治… 横井 藤四郎(よこい とうしろう、1864年3月12日(元治元年2月5日)- 1933年(昭和8年)6月11日)は、明治から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・清水。 若狭国遠敷郡国分村(福井県遠敷郡遠敷村を経て現小浜市国分)で、清水幸助の二男として生まれる。1892年(明治25年)9月、遠敷郡三宅村(上中町を経て現三方上中郡若狭町)の仮屋、横井惣右衛門の婿養子となる。漢学、数学、英学などを学び、日清戦争、日露戦争に従軍した。 共立物産 (株) 支配人となり、同社取締役、沖台拓殖製糖取締役、中立砂糖 (株) 監査役、ユニオン硝子専務取締役、江若鉄道取締役などを務めた。 1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙で福井県郡部から無所属で立候補したが落選。
五十嵐 佐市(いがらし さいち、文久3年1月14日(1863… 五十嵐 佐市(いがらし さいち、文久3年1月14日(1863年3月3日) - 昭和19年(1944年)8月7日)は、日本の実業家、政治家。北海道多額納税者。北海造営(株)監査役。札幌電気軌道監査役。金融業。地主。北海道士族。衆議院議員。 越前国足羽郡、のちの福井県足羽郡和田村(現福井市)出身。福井県士族五十嵐佐次平の長男。明治31年(1898年)家督を相続する。金融業を営む。衆議院議員に挙げられる。 五十嵐農場(東中)の土地売却をめぐっては、当時急激に増加しつつあった小作争議との関わりで社会の注目を集めることになった。この農場は明治40年(1907年)に中島農場から所有権が移動したもので、実質的な所有者は札幌の金貸し業・五十嵐であった。