小坂 健介(こさか けんすけ、1933年10月27日 - 2… 小坂 健介(こさか けんすけ、1933年10月27日 - 2021年12月10日)は、日本の経営者。信濃毎日新聞社社長を務めた。 長野県長野市出身。1957年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に朝日新聞社に入社した。1964年に信濃毎日新聞社に転じ、1965年に取締役に就任し、1971年に常務、1982年に専務を経て、1988年に副社長に就任し、1993年3月には社長に昇格。2011年3月には取締役相談役に就任。共同通信社理事、日本新聞協会理事も務めた。また長野テレメッセージ社長も務めている。 2012年11月に旭日重光章を受章した。 2021年12月10日、心不全のために死去。88歳没。 長男は小坂壮太郎(信濃毎日新聞社長)。
小平 均(こだいら ひとし、1933年9月2日 - )は、日… 小平 均(こだいら ひとし、1933年9月2日 - )は、日本の実業家、技術者。東京電子応用研究所(TEAL)代表取締役社長。 茨城県出身。長野県諏訪郡豊平村(現・茅野市)育ち。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、千葉大学工学部卒業。三波工業入社。東方電機 (現・パナソニック コネクト)に転職し、ファクシミリ開発にかかわる。電卓を開発し、カシオ計算機に転職。電気機械振興協会卓上電子計算機分科会の佐々木正会長と共にタムラ製作所の援助で1968年東京電子応用研究所(TEAL:Tokyo Electronic Application Laboratory)を創業し、代表取締役社長に就任。
茅野 実(茅野 實、ちの みのる、1933年(昭和8年)4月… 茅野 実(茅野 實、ちの みのる、1933年(昭和8年)4月10日 - 2021年(令和3年)9月2日)は日本の実業家。元八十二銀行頭取。位階は正五位。 長野県岡谷市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校、東京大学法学部卒業後、1956年入行、東京事務所長、資金証券部長を経て、1986年・取締役上田支店長、1987年・同本店営業部長、1989年・常務本店営業部長、1990年・同国際部長、1991年・副頭取、1994年・頭取就任。2001年6月・頭取任期を1年残し会長、2003年〜2005年顧問。1998年〜1999年・全国地方銀行協会副会長。このほか、2015年に成立した安全保障関連法に反対する市民集会の呼び掛け人も務めた。
土橋 光廣(つちはし みつひろ、1933年1月2日 - )は… 土橋 光廣(つちはし みつひろ、1933年1月2日 - )は、日本の実業家。セイコーエプソン専務取締役、エプソンヨーロッパ代表取締役社長、エプソン販売代表取締役社長、ベーステクノロジー取締役会長、イーフォーシーリンク代表取締役社長・取締役会長を務めた。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業。1957年諏訪精工舎(現・セイコーエプソン)入社。「EPSON」の名称発案者であり、プリンター事業を手掛けた。1986年セイコーエプソン専務取締役。エプソンヨーロッパ代表取締役社長、エプソン販売代表取締役社長を歴任。1994年セイコーエプソン退社、ベーステクノロジー設立、取締役会長・取締役最高顧問。
鈴木 敏文(すずき としふみ、1932年〈昭和7年〉12月1… 鈴木 敏文(すずき としふみ、1932年〈昭和7年〉12月1日 - )は、日本の経営者、実業家であり、元セブン&アイ・ホールディングス会長兼最高経営責任者(現・名誉顧問)。日本では「コンビニの父」と呼ばれている。 セブン-イレブン社長、イトーヨーカ堂会長、トーハン副会長、日本経済団体連合会副会長、日本フランチャイズチェーン協会会長、日本チェーンストア協会会長、学校法人中央大学理事長を歴任。 長野県埴科郡坂城町出身。1952年3月、長野県小県蚕業高等学校(現・長野県上田東高等学校)卒業。1956年3月、中央大学経済学部 卒業。 東京出版販売(現・トーハン)に入社 イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊に乞われ31歳で同社に転職し、1971年9月に 同社取締役に就任。
山浦 常克(やまうら つねかつ、1932年11月30日 - … 山浦 常克(やまうら つねかつ、1932年11月30日 - 2012年10月11日)は日本の実業家。あすなろ書房創業者。 長野県佐久市出身。上京し、昭和22年(1947年)神田で読書指導専門誌「月刊児童図書館」を開業し、日本初の児童優良図書専門書店「森田書店」を開業するなど、児童書向け図書の販売に従事した後、滑川道夫の紹介により、同24年(1949年)珠算専門出版社の「牧書店」に入社し、「学校図書館文庫」の企画・編集に携わる。同36年(1961年)あすなろ書房を創業した。家庭教育書と児童書を中心に出版事業を展開した。
太田 宏次(おおた ひろじ、1932年11月29日 - )は… 太田 宏次(おおた ひろじ、1932年11月29日 - )は、日本の経営者。工学博士。中部電力元社長。系統事故時の自主復旧操作方式や転送遮断方式を考案するなど、系統運用技術の近代化に貢献した。 長野県松本市出身。長野県松本深志高校を経て1955年に東京大学工学部電気工学科を卒業し、同年に中部電力に入社。1985年6月に取締役、1989年6月には常務、1991年6月には副社長に就任し、1995年6月には社長に昇格した。2001年6月に会長に就任した。また、1999年6月には電気事業連合会会長、2001年5月には中部経済連合会会長を務めるとともに、1970年から1985年まで愛知工業大学で講師、1998年には電気学会会長を務めた。
横川 端(よこかわ ただし、1932年1月21日 - 202… 横川 端(よこかわ ただし、1932年1月21日 - 2024年12月2日)は日本の実業家。 すかいらーく創業者の一人であり、東京交響楽団会長を歴任している。藍綬褒章受章。2002年、勲二等瑞宝章受章。 1932年(昭和7年)1月21日、横川家の長男として長野県諏訪郡四賀村(現諏訪市)に生まれる。1947年(昭和22年)3月に長野県諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)を中退し、同年4月に諏訪精工舎(現セイコーエプソン)に入社、後に諏訪精工舎を退社し、兄弟と共に設立した、ことぶき食品有限会社取締役になる。すかいらーくの専務取締役、代表取締役会長、取締役グループ統括機構代表理事、取締役最高顧問などを歴任した。
田口 利夫(たぐち としお、1932年1月2日 - 1998… 田口 利夫(たぐち としお、1932年1月2日 - 1998年8月26日)は、日本の経営者。西濃運輸社長、会長を務めた。長野県木曽郡南木曽町出身。 1955年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に西濃運輸に入社した。1961年に取締役に就任し、1965年に常務、1966年に専務を経て、1981年7月に社長に就任。1987年7月から会長を務めた。 社長時代は、分社化を進め、西濃運輸を「総合物流商社」として、育て上げ、硬式野球部の初代部長を務めるなど、スポーツ振興にも力を入れた。趣味は山登り。 1998年8月26日心筋梗塞のために死去。66歳没。
青柳 健(あおやぎ けん、1930年6月9日 - 没年不明)… 青柳 健(あおやぎ けん、1930年6月9日 - 没年不明)は、日本の実業家。書店創業者、登山家、詩人、随筆家。 長野県南安曇郡(現:安曇野市)生まれ。民族学者の岡正雄に影響を受ける。 1950年に長野県松本深志高等学校を卒業後、東京外国語大学フランス語学科入学。哲学科教授であった串田孫一に出会い、山岳部創設に関わる。東京外国語大学山岳会会員。まいんべるく会創立会員。もんたにゆ会(1971年 - 2011年)主宰。1968年穂高書店を創業する。2017年現在は同社の会長を務める。
岩井 重人(いわい しげと、1930年(昭和5年)4月25日… 岩井 重人(いわい しげと、1930年(昭和5年)4月25日 - 2018年(平成30年)1月6日)は、日本の実業家。住友不動産販売代表取締役社長、不動産流通経営協会理事長を歴任した。不動産協会不動産協会功労者表彰。 長野県佐久市出身。1949年長野県野沢北高等学校卒業、住友銀行(現三井住友銀行)入行。川崎支店長を経て、1982年代表取締役専務に昇格。1983年住友不動産取締役。1988年住友不動産代表取締役専務。1993年から14年間住友不動産販売代表取締役社長を務め、2000年には東京証券取引所市場第一部に上場を果たした。2003年不動産流通経営協会理事長、東日本不動産流通機構理事長、不動産協会理事。
萩元 晴彦(はぎもと はるひこ、1930年(昭和5年)3月7… 萩元 晴彦(はぎもと はるひこ、1930年(昭和5年)3月7日 - 2001年(平成13年)9月4日)は、日本のテレビ制作者、音楽プロデューサー、実業家。テレビマンユニオン初代社長。 長野県飯田市出身。父・萩元隼人は、労働運動家で日本社会党→左派社会党公認で長野4区から総選挙に出馬したが、1953年の総選挙公示直前に急死した。このため身代わりとして母・萩元たけ子が立候補。トップ当選を果たし、衆議院議員を1期務めた。 1937年に一家で上京し、自由学園に学ぶ。幼少のころは虚弱児童で、小学校は病気がちで欠席が多かった。しかし勉学の方は大変早熟であり、小学校1年生のときに6年生までの漢字はほとんど読めた。
井口 健一郎(いぐち けんいちろう、1930年 - 2002… 井口 健一郎(いぐち けんいちろう、1930年 - 2002年3月21日)は、日本の企業家。太陽神戸銀行元常務。ジェーシービー元専務。 長野県松本市生まれ。1948年(昭和23年)旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。1953年(昭和28年)東京大学法学部卒業。 1953年(昭和28年)、太陽神戸銀行の前身である神戸銀行入行。太陽神戸銀行(現三井住友銀行)元常務。1986年(昭和61年)、ジェーシービー入社。専務取締役を務めた。1997年(平成9年)6月退任。 退任後は、2005年第8回日経アニュアルリポート・アウォード審査員などを務めた。
小松 健男(こまつ たけお、1929年8月12日 - 202… 小松 健男(こまつ たけお、1929年8月12日 - 2022年1月28日)は、日本の経営者。ロイヤルホテル社長を務めた。長野県松本市出身。 1954年に東京大学教養学部教養学科を卒業し、同年に住友銀行に入行。1978年6月に取締役に就任し、1981年6月に常務、1984年4月に専務を経て、1988年6月から1993年11月までにロイヤルホテル社長を務めた。1998年5月から2002年4月までに関西棋院理事長を務めた。 2022年1月28日、死去。92歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大池 文雄(おおいけ ふみお、1928年 - )は、日本の実… 大池 文雄(おおいけ ふみお、1928年 - )は、日本の実業家、マルクス主義者。 長野県小諸市生まれ。1947年旧制水戸高等学校文科甲類入学、梅本克己に師事。同校中退後、日本共産党水戸市委員長、同国際派全国委員会委員、同国際派・所感派統一後茨城県常任委員。1956年のハンガリー事件をめぐり中央と対立、58年同党除名。一方で、新茨城タイムス社、出版社論争社、日本ソノサービスセンター、太陽グリーンランド、裾野カンツリー倶楽部等を設立する。2005年事業から引退。同人誌『丁卯』主宰。
宮下 武四郎(みやした たけしろう、1927年(昭和2年)1… 宮下 武四郎(みやした たけしろう、1927年(昭和2年)10月29日 - 2017年(平成29年)9月4日)は日本の実業家、初代日本製紙社長・会長。長野県出身。
高橋 信次(たかはし しんじ、1927年〈昭和2年〉9月21… 高橋 信次(たかはし しんじ、1927年〈昭和2年〉9月21日 - 1976年〈昭和51年〉6月25日)は、日本の経営者、宗教法人GLAの創設者。 1927年、長野県南佐久郡の農家に10人兄弟の次男として生まれる。 1938年、原因不明の病気にかかって幾度か死線を超え、「もう一人の私」となっている自分に気がついたという。 1944年、陸軍士官学校に進学し、終戦 。 1946年、復員。敗戦のショックの中、廃墟となった東京に上京する。勉学を志し、大学入学資格試験を通過、日本大学旧工学部(現 日本大学理工学部)で、自然科学や理科学を学ぶ。 1952年、自営で電気関係の仕事を始め、コンピューター端末機器製造会社の高電工業株式会社を設立し、社長となる。
小池 和夫(こいけ かずお、1927年5月17日 - 200… 小池 和夫(こいけ かずお、1927年5月17日 - 2009年5月3日)は、日本の実業家。湖池屋の創業者。長野県諏訪市出身。 高校卒業後に上京し、職業を転々とし、1958年には湖池屋を設立し、社長に就任。1995年にフレンテ会長に就任し、2006年には名誉会長に就任。1994年3月には会長に就任。 2009年5月3日肺炎のために死去。81歳没。
中條 高德(なかじょう たかのり、1927年5月3日 - 2… 中條 高德(なかじょう たかのり、1927年5月3日 - 2014年12月24日)は、日本の実業家。アサヒビール株式会社名誉顧問。 1927年5月3日、長野県埴科郡森村(現・千曲市)に生まれる。屋代中学(現・長野県屋代高等学校)卒業後、帝国陸軍の現役兵科将校を目指し、陸軍予科士官学校に第60期生として入校しさらに本科(陸軍士官学校)に進むが、第二次世界大戦敗戦により陸士は閉校となる(最終階級は士官候補生たる陸軍兵長)[要出典]。 戦後は旧制松本高等学校文科乙類(現・信州大学)に進み、1952年3月に学習院大学文政学部政治学科を卒業。同年4月、アサヒビール入社。東京支店長、取締役、大阪支店長を経て1982年には常務取締役営業本部長として「アサヒスーパードライ」作戦を実行し、1988年に代表取締役副社長。
栗田 裕夫(くりた ひろお、1926年1月7日 - 2016… 栗田 裕夫(くりた ひろお、1926年1月7日 - 2016年7月19日)は、日本の自衛隊員、実業家。位階は従四位。 陸上自衛隊第11師団長・陸将や、セブン-イレブン・ジャパン社長を務めた。 1943年、旧制上田中学校(現長野県上田高等学校)卒業。1945年、陸軍士官学校卒業。日本の降伏後、陸上自衛隊に入隊。1979年、陸上自衛隊第11師団長。1981年にセブン-イレブン・ジャパン入社。1992年には鈴木敏文の後任としてセブン-イレブン・ジャパン社長に就任した。1995年の阪神・淡路大震災ではヘリコプターを使って弁当を空輸し、「ライフライン」で第12回新語・流行語大賞トップテンに入賞した。1997年、健康上の理由で退任。
小平 祐(こだいら たすく、1924年12月19日 - 20… 小平 祐(こだいら たすく、1924年12月19日 - 2017年11月26日)は、日本の実業家。旭電化工業(現・ADEKA)常務取締役、日本農薬代表取締役社長を務めた。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、東京大学経済学部卒業。旭電化工業(現・ADEKA)常務取締役を経て、1983年日本農薬代表取締役社長。同社代表取締役会長。農薬工業会会長を務めた。
岩崎 宏(いわさき ひろし、1924年9月24日 - 201… 岩崎 宏(いわさき ひろし、1924年9月24日 - 2018年6月4日)は、日本の実業家。東洋ラジエーター(現・ティラド)代表取締役社長を務めた。 長野県上伊那郡辰野町出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、東京大学法学部卒業。第一勧業銀行(現・みずほ銀行)取締役を経て、東洋ラジエーター(現・ティラド)代表取締役社長。2018年6月4日、老衰のため死去。
河西 計介(かさい けいすけ、1924年3月19日 - )は… 河西 計介(かさい けいすけ、1924年3月19日 - )は、日本の実業家。阪神百貨店(現:エイチ・ツー・オー リテイリング)代表取締役社長・代表取締役会長を務めた。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1947年に京都大学法学部卒業し、同年に阪神電気鉄道入社。1983年阪神百貨店(現:エイチ・ツー・オー リテイリング)代表取締役社長。1989年阪神電気鉄道非常勤取締役を兼務。1995年阪神百貨店代表取締役会長。名誉顧問。大阪商工会議所名誉議員を務めた。
茅野 弘(ちの ひろし、1923年7月22日 - 2002年… 茅野 弘(ちの ひろし、1923年7月22日 - 2002年3月28日)は、日本の実業家。カメラメーカーのチノン株式会社創業者。 長野県諏訪郡宮川村(現:茅野市宮川)出身。宮川尋常高等小学校を卒業後、上京し鉄工所で10年間働き、光学機器製作技術を習得して独立。 1948年に守屋精治、木村正浩とともにチノン株式会社の前身「三信製作所」を創業した。業績悪化で150人の希望退職を募った1993年、代表取締役から名誉相談役に退く。経営再建のため1997年のコダック傘下入り決定を伝えた石城祐吉社長(当時)に対し、「チノンという名前を残してくれたことは良かったと思っている」と語ったという。 チノン元常務で諏訪護国神社元宮司の茅野光英(ちの みつふさ、2006年4月9日没)は実兄。
伊藤 正一(いとう しょういち、1923年 - 2016年6… 伊藤 正一(いとう しょういち、1923年 - 2016年6月17日)は日本の山小屋経営者、著作家。 長野県松本市出身で、町一番の料亭の長男。飛行機のエンジンなどに携わるエンジニアだったが、第二次大戦後はその資産を山に注ぎ込んだ。1945年に三俣蓮華小屋を買取ったのを皮切りに続いて水晶小屋も得ると、その後湯俣山荘、雲ノ平山荘を建設した。湯俣温泉から湯俣川沿いに三俣山荘に至る伊藤新道(1956年開通)の開削を主導。日本勤労者山岳連盟を創設。 2016年6月17日、多臓器不全のため死去。 新道は1983年に通行困難となり廃道となるも、再整備され2023年8月に復活。現在は長男・圭が三俣山荘と水晶小屋を、次男・二郎が雲ノ平山荘の経営を引き継いでおり、伊藤新道の廃道とともに40年間閉まっていた湯俣山荘も長男によって改装され2023年再オープン。
牛山 善政(うしやま よしまさ、1922年7月18日 - 2… 牛山 善政(うしやま よしまさ、1922年7月18日 - 2000年11月5日)は、日本の実業家。カメラメーカーの株式会社ヤシカ創業者。 長野県諏訪郡下諏訪町出身。高等小学校卒業後、朝鮮総督府所管の京城高等工業学校(現・ソウル大学校工科大学)を卒業。北澤工業株式会社(現・東洋バルヴ株式会社)に勤務し非凡な才能ぶりを発揮。戦後独立して1949年12月、従業員8人でヤシカの前身「八洲(やしま)精機株式会社」を創業し、高度成長期の日本を代表するカメラメーカーの一つに育てた。1971年にヤシカの経理部長による横領事件が起き、責任をとる形で社長から会長に退く。1974年に会長を解任され同社の経営から離れた。
小野 光洪(おの みつひろ、1920年(大正9年)7月28日… 小野 光洪(おの みつひろ、1920年(大正9年)7月28日 - 2005年(平成17年)11月9日)は、昭和から平成初期の政治家、実業家。塩尻市長(第4代)。位階は従四位。父は元衆議院議員の小野祐之。 長野県東筑摩郡塩尻町生まれ。1937年(昭和12年)3月、旧制長野県立松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を卒業し、1941年(昭和16年)早稲田大学専門部商科を修了。1946年(昭和21年)から小野石灰六名社を経営[要出典]、1960年(昭和35年)に信陽化学工業と改称し代表取締役となる[要出典]。1959年(昭和34年)4月から塩尻市議会議員を5期務め、1963年(昭和38年)同副議長、1967年(昭和42年)には同議長に就任。
小坂 雄太郎(こさか ゆうたろう、1920年3月18日 - … 小坂 雄太郎(こさか ゆうたろう、1920年3月18日 - 1990年8月21日)は、日本の経営者。信越化学工業創業者小坂順造の甥で、信越化学工業社長を務めた。勲二等瑞宝章受章。 長野県上水内郡柳原村(現長野市)出身。地元の地方財閥の信越化学工業創業家小坂一族に生まれる。旧制長野中学・旧制松本高校を経て、1943年に京都帝国大学工学部機械工学科を卒業。海軍技術大尉を経て、1945年に信越化学工業に入社。 取締役、常務を経て、1975年8月に専務に就任し、1983年8月に社長に昇格。 1990年8月21日、肝不全のために死去。70歳没。同日勲二等瑞宝章受章。従兄に小坂善太郎、小坂徳三郎、従弟に小坂健介(信濃毎日新聞社社長)、岳父に舞出長五郎がいる。
野平 昌人(のだいら まさと、1918年5月20日 - 20… 野平 昌人(のだいら まさと、1918年5月20日 - 2017年6月5日)は、日本の経営者。北海道文化放送社長を務めた。陸軍大尉。長野県須坂市出身。 1940年に陸軍士官学校(54期)を卒業。第12方面軍司令部付・陸軍大尉として終戦を迎えた。 1954年に北海道新聞社に入社。1970年に取締役に就任し、1974年に常務、1977年に専務を経て、1978年に北海道文化放送社長に就任。1984年に会長に就任し、1986年には相談役に就任。 2017年6月5日肺炎のために死去。99歳没。
春日 通眼(かすが みちあき、1918年(大正7年)2月9日… 春日 通眼(かすが みちあき、1918年(大正7年)2月9日 - 2007年(平成19年)10月15日)は、日本の実業家。長野県下高井郡中野町(現・中野市)出身。名前の正式な表記は「通䀶」。 中野商工会議所(現・信州中野商工会議所)会頭、社団法人信濃中野法人会初代会長を務めた。勲八等瑞宝章を授けられた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
深澤 俊勇(ふかざわ としお、1917年11月11日 - 没… 深澤 俊勇(ふかざわ としお、1917年11月11日 - 没年不明)は、日本の経営者。日野自動車社長を務めた。長野県長野市出身。 旧制長野中学を経て、1937年に名古屋高等工業学校を卒業し、同年に東京自動車工業に入社。1965年11月に日野重工業(のちの日野自動車)取締役に就任し、常務、専務を経て、1980年6月に副社長に就任し、1983年6月に社長に昇格。1987年6月に相談役を経て、1993年7月から顧問を務めた。 1986年11月に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。
北澤利男(きたざわ としお、1917年1月29日 - 199… 北澤利男(きたざわ としお、1917年1月29日 - 1997年3月3日)は、日本の実業家。キッツ(旧北沢バルブ)の創業者。勲三等珠宝章。長野県諏訪市出身。 東洋バルヴ創業者北澤國男の長男として生まれる。旧制長野工業専門学校卒業。 1951年北澤製作所設立。(1962年北澤バルブ、1975年北沢バルブと社名変更。1992年現社名キッツに変更。) 1974年に私費を投じて、奨学のための育英事業を行う財団公益財団法人、北澤育英会を設立。 1983年北澤美術館、開館。利男が長年にわたって収集した美術コレクションを一般に公開し、地域文化の向上に寄与する為に設立した公益財団法人によって運営されている。 1987年産業界での功績に対し 勲三等瑞宝章を叙勲。
市村 修平(いちむら しゅうへい、1916年 <大正5年> … 市村 修平(いちむら しゅうへい、1916年 <大正5年> 10月25日 - 1999年 <平成11年> 10月22日)は、日本の経営者。王子製紙社長を務めた。長野県上高井郡小布施村出身。位階は従四位。 旧制須坂中学を経て、1941年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に王子製紙に入社した。1963年に取締役に就任し、1968年に常務、1971年に専務、1976年に副社長を経て、1981年6月に社長に就任。1982年に病気で相談役に退いた。 1982年に藍綬褒章を受章し、1989年に勲二等瑞宝章を受章した。 1999年10月22日脳梗塞のために死去。82歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
山本 重信(やまもと しげのぶ、1916年3月28日 - 2… 山本 重信(やまもと しげのぶ、1916年3月28日 - 2008年7月3日)は、日本の商工・通産官僚、実業家。階級は海軍主計大尉。位階は正四位。勲等は勲二等。 通商産業省通商局局長、中小企業庁長官、通商産業事務次官、トヨタ自動車工業副社長、トヨタ自動車副会長、日野自動車工業会長などを歴任した。 長野県須坂市に生まれる。長野県旧制須坂中学、旧制松本高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学法学部を卒業後、1939年4月、商工省入省。短期現役海軍主計科士官(2期)に志願して、同年5月5日、海軍経理学校に入学し海軍主計中尉に任官。同年9月5日に卒業。霧島に配属。第三遣支艦隊・磐手乗組、佐世保鎮守府経理部付、呉建築部員を歴任。
小坂 徳三郎(こさか とくさぶろう、1916年1月20日 -… 小坂 徳三郎(こさか とくさぶろう、1916年1月20日 - 1996年2月23日)は、日本の実業家・政治家。信越化学工業社長・会長、信濃毎日新聞社長、衆議院議員、運輸大臣(53代)などを歴任した。 東京帝国大学卒業後、朝日新聞記者から、小坂財閥に戻り、信越化学工業社長に。財界活動も始め、財界の支援で1969年に政界入りした。将来の首相候補といわれ、一年生議員ながら、政策集団「新風政治研究会」を設立、当選2回で総理府総務長官で初入閣した。以降も経済企画庁長官や運輸大臣を歴任し、大平、中曽根康弘とともに「大中小」、安倍晋太郎、竹下とともに「安竹小」と総理総裁候補として目された。しかし、運輸大臣時代に国鉄改革をめぐって、土光敏夫や中曽根康弘首相など政財界の支持を失い、影響力が低下。
芹沢 守利(せりざわ もりとし、1915年12月25日 - … 芹沢 守利(せりざわ もりとし、1915年12月25日 - 2003年9月25日)は、日本の実業家。 長野県小県郡城下村(上田市)出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)、旧制松本高等学校を経て、1941年に東北帝国大学法律学科を卒業し、同年に湘南電気鉄道(のちの京浜急行電鉄)に入社。1965年に取締役に就任し、自動車部長、常務、鉄道事業本部長、専務を経て、1981年6月に副社長に就任し、1987年6月には社長に昇格し、1991年6月に会長に就任した。 1993年から1995年までに日本民営鉄道協会会長を務めた。 1982年4月に藍綬褒章を受章し、1996年4月に勲一等瑞宝章を受章した。 2003年9月25日、肺炎のために死去。
久保田 実(くぼた みのる、1915年11月11日 - 19… 久保田 実(くぼた みのる、1915年11月11日 - 1997年2月10日)は、日本の経営者。長野県長野市出身。 1934年に長野商業学校を卒業し、1940年に八十二銀行に入行。1971年11月に取締役に就任し、1975年12月に常務を経て、1979年6月には三協精機製作所社長に就任。1984年6月には会長に就任。 1984年11月に藍綬褒章を受章。 1997年2月10日心不全のために死去。81歳没。
小林 久明(こばやし ひさあき、1915年9月3日 - 19… 小林 久明(こばやし ひさあき、1915年9月3日 - 1990年12月17日)は、日本の経営者。三菱鉱業セメント社長を務めた。長野県長野市出身。 1939年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、1948年に三菱鉱業に入社。1963年に三菱セメントに出向し、1967年5月に取締役に就任し、1970年11月に常務、1973年11月に三菱鉱業セメント専務、1974年11月に副社長を経て、1976年6月には社長に就任。1986年6月には会長に就任。 1987年11月に勲二等瑞宝章を受章。 1990年12月17日心不全のために死去。75歳没。
丸田 芳郎(まるた よしお、1914年12月16日 - 20… 丸田 芳郎(まるた よしお、1914年12月16日 - 2006年5月30日)は、日本の実業家。京都大学工学博士。花王の社長、会長を歴任した。 長野県更級郡信田村(現長野市)で教師の両親の元に生まれる。1932年旧制長野中学(後の長野県長野高等学校)卒業、1935年桐生高等工業学校(後の群馬大学工学部)卒業。花王の前々身、大日本油脂株式会社に入社。1948年3月、京都大学工学博士の称号を得る。学位は丸田たちが研究した航空潤滑油の合成に関する功績による。 1954年取締役。1956年常務、1968年専務を経て、1969年、副社長に就任。1971年、伊藤英三の死去にともない社長に就任。バイヤスドルフとの提携でニベア花王を設立し、1982年には「ソフィーナ」を発売して化粧品事業に進出するなど経営の多角化・省力化を進め、公害防止にも努めた。
中山 善郎(なかやま よしろう、1914年(大正3年)2月1… 中山 善郎(なかやま よしろう、1914年(大正3年)2月12日 - 1996年(平成8年)1月25日)は、日本の実業家。東京市荒川区生まれ、長野県古間村育ち。
向山 一人(むかいやま かずと、1914年2月10日 - 1… 向山 一人(むかいやま かずと、1914年2月10日 - 1995年12月21日)は日本の実業家、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。 長野県上伊那郡中箕輪村(後の中箕輪町、現在の箕輪町)生まれ。旧制長野県伊那中学校(現長野県伊那北高等学校)を経て、早稲田大学附属高等工学校卒業。古河電工無線研究所研究課長を退職して、1940年東京市荏原区(現品川区)に「興亜工業社」(現KOA) を設立した。1955年伊那毎日新聞設立。1963年には建設省の専門委員、1964年興亜ソリッド社長、1967年には日本経済団体連合会常任理事を歴任した。1977年コーア会長に就任。 1962年紺綬褒章受章。1962年5月長野県箕輪町教育施設費のため100万円寄付により1963年2月2日紺綬褒章受章(飾版)、寄付の功績顕著として木杯一組台付を賜った。
宮入 潔(みやいり きよし、1914年1月26日 - 200… 宮入 潔(みやいり きよし、1914年1月26日 - 2004年12月22日)は、日本の経営者。長野県長野市出身。 旧制長野中学(長野県長野高等学校)を経て、1934年に山梨高等工業学校機械工学科を卒業し、同年に久保田製作所に入社し、豊田自動織機製作所、トヨタ自動車工業での勤務を経て、1959年4月に豊田通商に移り、同年5月には常務に就任した。 1961年11月に専務に就任し、1968年5月に社長に昇格した。1977年7月から相談役を務めた。 1978年11月に藍綬褒章を受章し、1983年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2004年12月22日急性心不全のために死去。90歳没。
白澤 正二(しらさわ しょうじ、1913年2月2日 - 19… 白澤 正二(しらさわ しょうじ、1913年2月2日 - 1995年1月23日)は、日本の実業家。茨城放送(現在のLuckyFM茨城放送)社長・会長、朝日新聞編集委員などを務めた。 長野県南安曇郡明盛村(三郷村を経て、現在の安曇野市)生まれ。1930年(昭和5年)旧制松本第二中学校(現在の長野県松本県ヶ丘高等学校)を卒業した。1936年(昭和11年)旧制松本高校を経て、京都帝国大学法学部を卒業した。 1937年、朝日新聞社に入社した。東京本社整理部次長、同学芸部次長、西部本社運動部長、東京本社編集委員を経て、1965年に茨城放送代表取締役社長に就任し、その後は会長を務めた。 また、1972年に日本記者クラブ会員、1978年(昭和53年)7月から1979年(昭和54年)6月まで、水戸ロータリークラブ会長(第29期)を務めた。
岡本 陸人(おかもと むつと、1911年(明治44年)12月… 岡本 陸人(おかもと むつと、1911年(明治44年)12月28日 - 2007年(平成19年)1月4日)は、日本の実業家。あかね書房創業者。 長野県上水内郡日里村(中条村を経て現長野市)で、岡本梅吉、まつの の四男として生まれる。旧制専修商科学校(夜間)中退する。1926年に書籍取次の東京堂へ入社し、外商部に所属する。1944年に軍へ応召された後に退社し、出版社勤務を経て1949年にあかね書房を創業する。その後、1984年に同社会長に就任。 児童図書出版協会の発起人かつ幹事として学校図書館の設置に尽力し、日本書籍協会理事と読書推進運動協議会理事を歴任する。1983年に勲四等瑞宝章を受勲する。
岩本 節治(いわもと せつじ、1911年(明治44年)1月1… 岩本 節治(いわもと せつじ、1911年(明治44年)1月17日 - 2002年(平成14年)5月5日)は、日本の実業家、政治家。長野県諏訪市長。 長野県諏訪郡湖南村(現諏訪市)で、岩本久吉、まき の六男として生まれた。湖南小学校卒業後、1934年(昭和7年)製材所に勤務し、1941年(昭和16年)諏訪木材に転じた。1944年(昭和19年)応召。戦後、諏訪木材に復帰。1948年(昭和23年)独立して木材業をはじめ、1950年(昭和25年)湖南木工社長となる。1955年(昭和30年)諏訪市議会議員となり連続2期在任した。 1963年(同38年)5月、諏訪市長選挙に当選し、1983年(昭和58年)1月まで5期務めた。
神林 正教(かんばやし まさのり、1911年1月13日 - … 神林 正教(かんばやし まさのり、1911年1月13日 - 1996年7月22日)は、日本の経営者。長野県埴科郡松代町(長野市)出身。 旧制屋代中学(長野県屋代高等学校)を経て、1935年に東京商科大学を卒業し、同年に日綿実業に入社。 1961年6月に取締役に就任し、常務などを経て、1966年に社長に就任した。1977年に会長に就任し、1983年から相談役に就任した。 日本繊維製品輸出組合理事長、日本繊維製品貿易協会理事長、大阪貿易協会会長などを歴任した。 1969年に産業功労賞を受賞し、1970年に藍綬褒章を受章し、1981年に勲二等瑞宝章を受章した。 1996年7月22日脳梗塞のために死去。
降旗 憲二郎(ふりはた のりじろう、1910年12月5日 -… 降旗 憲二郎(ふりはた のりじろう、1910年12月5日 - 2002年6月2日)は、日本の企業家。三菱銀行元常務。 長野県北安曇郡常盤村(現大町市)生まれ。1928年(昭和3年)旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。1934年(昭和9年)慶応義塾大学経済学部卒業。 同年、三菱銀行の前身である千代田銀行入行。三菱銀行代表取締常務、富士紡績監査役を務めた。 1950年(昭和25年)の第7回通常国会において、商法改正に関する小委員会の設置に際し、財界より広く意見を聴取することを目的として以下の参考人メンバーが決定されたが、その中に降旗の名前も挙げられている。
田中 文雄(たなか ふみお、1910年7月29日 - 199… 田中 文雄(たなか ふみお、1910年7月29日 - 1998年1月6日)は、日本の経営者。王子製紙社長、会長を務めた。 長野県南佐久郡平賀村(現佐久市)出身。旧制野沢中学を経て、1935年に九州帝国大学農学部林学科を卒業し、同年に王子製紙に入社した。1956年に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1968年に社長に就任。社長在任中は、北日本製紙、日本パルプ工業との合併を実現させ、紙パルプ業界の国際化に尽力した。1981年に会長に就任し、1989年から取締役相談役を務めた。1982年には病気療養中の市村修平社長に代わり、社長を一時代行した。 1979年から1987年までに日本経営者団体連盟副会長を務め、1981年には日本製紙連合会会長に就任した。
山下 秀明(やました ひであき、1910年(明治43年)1月… 山下 秀明(やました ひであき、1910年(明治43年)1月1日 - 1995年(平成7年)5月7日)は、日本の実業家。旭硝子(現AGC)社長や、同社会長、旭硝子財団理事長等を務めた。 長野県上伊那郡箕輪町生まれ。1932年東京商科大学(現一橋大学)附属商学専門部卒業、旭硝子入社。経理部長等を経て、1959年取締役に昇格。1967年常務取締役。1971年専務取締役。1973年社長。1981年会長。1987年取締役相談役。1989年旭硝子工業技術奨励会理事長。1990年から旭硝子財団理事長を務め、1992年にはブループラネット賞を創設した。ファインセラミックス技術研究組合理事長等も務めた。1995年5月7日、腎不全のため死去。
油井 一二(ゆい いちじ、1909年10月30日 - 199… 油井 一二(ゆい いちじ、1909年10月30日 - 1992年7月21日)は日本の実業家(美術商)。 長野県北佐久郡三井村香坂(現佐久市香坂)出身。小学校高等科卒業後に上京し、昭和6年(1931年)東亜美術協会の絵画出張販売員となる。同9年(1934年)共同出資により日東美術協会を創立するが、同12年(1937年)から14年(1939年)まで、日中戦争に従軍した。同16年(1941年)、上野広小路に美術店を開いたが、東京大空襲で焼失した。戦後は武者小路実篤の知遇を経て、その作品を扱った。同40年(1965年)「美術年鑑」の権利を創刊者の山田正道から買い取り、「美術年鑑社」として株式会社を設立し、代表取締役社長となった。