宮本悦子(みやもと えつこ、1968年 - )は日本の労働・… 宮本悦子(みやもと えつこ、1968年 - )は日本の労働・厚生労働官僚。元愛知県副知事。 山口県宇部市出身。1984年 山口県立宇部高等学校に入学。1987年 山口県宇部高等学校卒業。京都大学法学部に入学。京都大学法学部卒業。1991年 労働省入省。1995年 総理府地方分権推進委員会事務局へ出向。2017年7月11日 愛知県副知事。 2019年7月9日 厚生労働省職業安定局総務課長。2020年8月7日 厚生労働省大臣官房参事官(人事担当)。2021年9月14日 厚生労働省大臣官房人事課長。2025年7月8日 厚生労働省人材開発統括官。
坂本 修一(さかもと しゅういち、1966年〈昭和41年〉1… 坂本 修一(さかもと しゅういち、1966年〈昭和41年〉12月23日 - )は、日本の科学技術・文科官僚。京都大学博士(エネルギー科学)。専門は原子炉物理学、エネルギー政策学。 山口県下関市生まれ。兵庫県神戸市で育ち、兵庫県立神戸高等学校を経て、京都大学工学部を卒業。その後、京都大学大学院工学研究科修士課程を修了し、1992年(平成4年)、科学技術庁に入庁。 入庁後、科学技術庁や文部科学省で原子力、科学技術の理解増進や人材育成、国際協力、大学院大学の設置準備、宇宙ステーション、地球・環境科学技術、ナノテクノロジー・材料開発、核融合、産学連携などの業務に従事し、研究振興局海洋地球課地球・環境科学技術推進室長、同局基盤研究課ナノテクノロジー・材料開発推進室長、同局研究開発戦略官(核融合・原子力国際協力担当)、同局環境エネルギー課核融合開発室長、科学技術・学術政策局産業連携・地域支援課長、同局人材政策課長、内閣府政策統括官(科学技術・イノベーション担当)付参事官(総括担当)、文部科学省大臣官房政策課長などを歴任。
大賀 真一(おおが しんいち、1964年〈昭和39年〉8月1… 大賀 真一(おおが しんいち、1964年〈昭和39年〉8月17日 - )は、日本の警察官僚。 山口県山口市出身。山口県立宇部高等学校を経て、1988年(昭和63年)、京都大学法学部を卒業し、同年、警察庁へ入庁。入庁後、神奈川県警察本部刑事部捜査第二課長、三重県警察本部長、警察大学校副校長 、警視庁刑事部長、神奈川県警察本部長などを歴任。 2021年(令和3年)9月22日、警視庁副総監に就任。 2022年(令和4年)1月14日、警察庁刑事局長に就任。 2023年(令和5年)1月16日、辞職。
山本 麻里(やまもと まり、1964年〈昭和39年〉1月23… 山本 麻里(やまもと まり、1964年〈昭和39年〉1月23日 - )は、日本の厚生・厚生労働官僚。 内閣官房孤独・孤立対策担当室長、厚生労働省社会・援護局長、桑名市副市長などを歴任。 山口県山口市出身。山口県立山口高等学校を経て、1987年(昭和62年)3月、東京大学教養学部を卒業。同年4月、厚生省へ入省し、厚生省大臣官房人事課に配属。 厚生労働省大臣官房厚生科学課健康危機管理官、同総務課企画官、保険局総務課老人医療企画官、同総務課高齢者医療企画官、社会・援護局援護課長、職業安定局派遣・有期労働対策部外国人雇用対策課長、社会・援護局総務課長などを歴任し、廃棄物処理法の改正やPCB廃棄物処理特別措置法の制定、感染症法の改正やSARS、鳥インフルエンザへの対処、児童福祉法及び児童扶養手当法の改正や子ども虐待防止対策などに携わった。
矢野 康治(やの こうじ、1962年12月10日 - )は、… 矢野 康治(やの こうじ、1962年12月10日 - )は、日本の財務官僚。元財務事務次官。文藝春秋読者賞受賞。退官後国際医療福祉大学社会保障政策研究所長、シャープ取締役、国立大学法人一橋大学顧問、日本生命保険顧問。 山口県下関市出身。1978年 山口県立下関西高等学校に入学。高校時代の得意科目は数学だったが、白衣を着るイメージしか持てず、文系となる。1981年 一橋大学経済学部に入学。先輩である故瀧本徹元観光庁観光地域振興部長の勧めで荒憲治郎の経済原論のゼミを受講する。大学では庭球同好会に所属。1985年3月 一橋大学経済学部卒業。卒論は「非自発的失業の解明」。同年 旧大蔵省(現財務省)入省、大臣官房文書課配属。
青木 由行(あおき よしゆき、1962年〈昭和37年〉12月… 青木 由行(あおき よしゆき、1962年〈昭和37年〉12月9日 - )は、日本の建設・国土交通官僚。 山口県山口市生まれ。灘高等学校を経て、1986年3月に東京大学法学部を卒業。国家公務員採用Ⅰ種試験(法律)に合格して、1986年4月に建設省に入省。
山﨑 重孝(やまさき しげたか、1959年〈昭和34年〉12… 山﨑 重孝(やまさき しげたか、1959年〈昭和34年〉12月12日 - )は、日本の自治・総務官僚。内閣官房参与。元内閣府事務次官。 自治行政局の行政課長や大臣官房審議官(地方行政、個人番号制度、地方公務員制度、選挙担当)などを務め総務省内ではミスター行政局として知られる地方行政の専門家である。その後内閣総務官をへて2017年に自治行政局長。2019年に内閣府事務次官。2021年退職内閣官房参与。 本籍は福岡県糸島市。山口県宇部市で育ち山口県立宇部高等学校、東京大学法学部卒業。国家公務員上級甲種試験(法律)を受け、1983年4月 自治省(現:総務省)に入省(税務局企画課兼大臣官房総務課)。同年7月 愛知県総務部地方課勤務。
迫田 英典(さこた ひでのり、1959年10月11日 - )… 迫田 英典(さこた ひでのり、1959年10月11日 - )は、日本の財務官僚。第47代国税庁長官。森友学園をめぐる問題で、国有地の売却交渉が行われたときの財務省理財局長を務めた。 山口県豊北町(現下関市豊北町)出身。山口県立山口高等学校卒業。1982年3月、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。同年4月、大蔵省入省。関税局企画課に配属される。入省同期に、片山さつき(自民党参議院議員)、福田淳一(財務次官、主計局長)、佐川宣寿(国税庁長官)、梶川幹夫(関税局長)、田中修(税務大学校長) 、遠藤俊英(金融庁長官)らがいる。 2014年7月4日、財務省大臣官房総括審議官に就任。 2015年7月7日、財務省理財局長に就任。
山崎 史郎(やまさき しろう、1954年〈昭和29年〉12月… 山崎 史郎(やまさき しろう、1954年〈昭和29年〉12月17日 - )は、日本の厚生・厚労官僚。リトアニア国駐箚日本国特命全権大使等を経て、内閣官房参与(社会保障・人口問題担当)。 山口県出身。山口県立下関西高等学校、東京大学法学部卒業。1978年、厚生省入省。各課課長補佐を経て、1991年、大臣官房老人保健福祉部老人保健課課長補佐として老人保健制度の改正、薬価の包括払い制度の導入に携わる。北海道庁へ出向していた1994年、介護対策本部発足により古川貞二郎を本部長とする専従スタッフのトップとして大臣官房高齢者介護対策本部次長に。2000年の介護保険制度の成立、実施、改正すべてに携わったことから「ミスター介護保険」と呼ばれる。
宿利 正史(しゅくり まさふみ、1951年9月29日 - )… 宿利 正史(しゅくり まさふみ、1951年9月29日 - )は、日本の国土交通官僚。勲等は瑞宝重光章。国土交通省総合政策局長や、国土交通省大臣官房長、国土交通審議官、国土交通事務次官等を歴任した。 山口県下関市生まれ。福岡県福岡市及び大分県別府市出身。大分県立大分上野丘高等学校を経て、1974年東京大学法学部卒業、運輸省入省。 1979年運輸省東京陸運局総務部企画課。 1980年内閣官房交通安全対策室総合調整第1担当主査。 1981年内閣官房交通安全対策室総合調整第1担当参事官補。 1982年運輸省大臣官房環境課海洋汚染対策室長。 1983年運輸省大臣官房人事課(外務研修)。 1984年外務省在インドネシア日本国大使館一等書記官。
井原 勝介(いはら かつすけ、1950年(昭和25年)7月7… 井原 勝介(いはら かつすけ、1950年(昭和25年)7月7日 - )は、日本の政治家、労働官僚。山口県岩国市長(2期)を務めた。市民政党「草の根」代表。 1950年(昭和25年)、山口県玖珂郡錦町(現・岩国市錦町)生まれ。山口県立岩国高等学校を経て東京大学法学部を卒業し、1976年(昭和51年)に当時の労働省に入省。同期に金子順一元厚生労働事務次官、松井一實広島市長など。労働大臣秘書官、職業安定局業務調整課長、労働福祉事業団総務部長を歴任する(この間に人事交流の一環で1984年(昭和59年)には長野県職業安定課長として、1986年(昭和61年)には在タイ日本国大使館一等書記官としてそれぞれ赴任している)。
山本 繁太郎(やまもと しげたろう、1948年〈昭和23年〉… 山本 繁太郎(やまもと しげたろう、1948年〈昭和23年〉11月14日 - 2014年〈平成26年〉3月15日)は、日本の政治家、元建設官僚。山口県知事(第46代)を務めた。 山口県柳井市出身。山口県立柳井高等学校から東京大学法学部第2類(公法コース)卒業後、1972年(昭和47年)に建設省(後の国土交通省)に入省し、住宅局長等を歴任。以降は内閣府等を経て、麻生内閣のもとで務めた内閣官房地域活性化統合事務局長を最後に退官。 2008年(平成20年)には福田康夫内閣で初めての国政選挙となる衆議院山口2区補欠選挙に自由民主党公認、公明党推薦で立候補。この補選は山口2区選出の福田良彦(自民)が岩国市長選へ立候補するため議員辞職したこと(後に市長選に当選)に伴うものだった。
松尾 徹人(まつお てつと、1947年(昭和22年)1月19… 松尾 徹人(まつお てつと、1947年(昭和22年)1月19日 - 2011年(平成23年)7月28日)は、日本の官僚、政治家。高知市長。山口県光市光井出身。 株式会社三翠園代表取締役社長、高知県ボウリング連盟会長も務めた。
野村 興兒(のむら こうじ、1944年(昭和19年)7月29… 野村 興兒(のむら こうじ、1944年(昭和19年)7月29日 - )は、日本の政治家、元大蔵官僚。山口県萩市長を新旧合わせて6期務めた。 2018年4月に至誠館大学の学長に就任。 山口県萩市出身。河村建夫は山口県立萩高等学校の2年先輩。 1967年、京都大学経済学部経済学科を卒業し、同年大蔵省に入省。主計局調査課に配属。同期に伏屋和彦、黒田東彦(日銀総裁)、山口公生(銀行局長)などがいる。
羽毛田 信吾(はけた しんご、1942年4月5日 - )は、… 羽毛田 信吾(はけた しんご、1942年4月5日 - )は、日本の官僚。厚生省の事務次官、宮内庁次長を経て、2005年から2012年まで宮内庁長官を務めた。 山口県生まれ。京都大学法学部卒業。幼少の頃は貧しく、社会的弱者への関心を持ったことから、1965年(昭和40年)に厚生省(当時)にキャリア官僚として入省した。老人保健福祉局長や保険局長などを経て、1999年(平成11年)に厚生事務次官に就任。2001年に退官した。 同2001年に宮内庁に入庁、2005年に宮内庁長官に就任。宮内庁長官就任後は、内閣総理大臣(当時)小泉純一郎と同じく、女性天皇・女系天皇を容認する皇室典範に関する有識者会議の結論を支持し、寬仁親王が結論を批判した際には、発言の自粛を求めた。
亀田 博(かめだ ひろし、1937年1月5日 - )は、日本… 亀田 博(かめだ ひろし、1937年1月5日 - )は、日本の自治官僚、政治家。山口県下関市長(1期)、下関市議会議員(5期)を歴任。市長経験者が落選後、市議に転進するのは全国的にも珍しい。 下関市出身。1959年、九州大学法学部を卒業。 1963年、自治省に入省。以後、鳥取県総務部長、自治省財政局指導課長、徳島県副知事、消防大学校校長などを歴任し、1987年に退官。 その後、地方債協会常務理事、地域総合整備財団常務理事を務め、1991年に下関市長選挙に当選して一期務めた後に2003年より下関市議会議員に在任中。 2024年(令和6年)春の受勲に於いて旭日中綬章が授けられることが決定された。 泉田芳次・前市長時代に計画・設立された第三セクターによる日韓高速船事業を引き継ぎ、1991年7月に運航が開始されたものの、経営不振で開設後約1年半の1992年12月に休業、そのまま廃業。
藤田 恒郎(ふじた つねお、1934年(昭和9年)5月31日… 藤田 恒郎(ふじた つねお、1934年(昭和9年)5月31日 - 2025年(令和7年)7月7日)は、日本の財務官僚。大蔵省証券局長、北海道銀行頭取、学校法人札幌学院大学理事長等を歴任した。山口県防府市生まれ。
秦 郁彦(はた いくひこ、1932年(昭和7年)12月12日… 秦 郁彦(はた いくひこ、1932年(昭和7年)12月12日 - )は、日本の歴史家、元大蔵官僚。自身の専門は日本近現代史、軍事史とする。拓殖大学教授、千葉大学教授、日本大学法学部教授を歴任。学位は、法学博士(東京大学・1974年)。 山口県防府市生まれ。父は広島県広島市の出身で、小学生までは郁彦の本籍地も広島の爆心地にあった。このため自身は広島出身でもあると述べている。父は鉄道省の技術官吏で、九州の宮崎県、出水(鹿児島県)、若松(福岡県北九州市)の順で機関区長をしたため、小学校を5回転校。太平洋戦争中に広島市に引っ越し、原爆投下の一年前に母の実家がある山口県防府市に移った。父は戦時中に陸軍司政官としてフィリピン北部のカガヤン州における鉄道建設に従事して終戦の1か月前に戦死した。
林 義郎(はやし よしろう、1927年〈昭和2年〉6月16日… 林 義郎(はやし よしろう、1927年〈昭和2年〉6月16日 - 2017年〈平成29年〉2月3日)は、日本の政治家、通産官僚。位階は正三位。 大蔵大臣(第97代)、厚生大臣(第62代)、衆議院議員(11期)などを歴任した他、日中友好議員連盟や日中友好会館の会長も務めた。 山口県下関市貴船町出身。豊浦中学4年修了、旧制第一高等学校を経て、1950年(昭和25年)に東京大学法学部を卒業する。同年、通商産業省に入省する。入省同期に栗原昭平、諸口昭一(札幌通産局長、東商大卒)などがいる。通産省では、通産大臣秘書官、通産省重工業局産業機械課長を歴任する。 1969年(昭和44年)に通産省を退官。同年末の第32回衆議院議員総選挙に自民党公認で周東英雄の後継者として旧山口1区から立候補し、初当選した(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
今川 正彦(いまがわ まさひこ、1911年(明治44年)1月… 今川 正彦(いまがわ まさひこ、1911年(明治44年)1月4日 - 1996年(平成8年)12月7日)は、日本の官僚、都市計画家・ランドスケープアーキテクト、政治家。1981年から2期8年にわたり京都府京都市長も務める。 山口県防府市出身。岡山県第二岡山中学校(岡山県立岡山操山中学校・高等学校の前身)から再興旧制山口高等学校(山口大学の前身)を経て、1935年(昭和10年)東京帝国大学農学部(東京大学農学部の前身)を卒業。折下吉延に師事。卒業後内務省に入り都市計画千葉地方委員会技師。戦前は中国勤務、1939年に北京の華北政務委員会建設総省に派遣となるがそこで終戦を迎える。都市計画の専門家として暫くは北京に残り、1946年の夏に引き揚げ、翌1947年1月に戦災復興院の施設課長に就任する。
江藤 智(えとう あきら、1907年(明治40年)1月19日… 江藤 智(えとう あきら、1907年(明治40年)1月19日 - 1982年(昭和57年)6月26日)は、日本の鉄道官僚、政治家。工学博士。位階は従三位、勲等は勲一等。 山口県下関市貴船町で陸軍将校・江藤鋪の二男として生まれた。文関尋常小学校(現下関市立文関小学校)、豊浦中学校(現山口県立豊浦高等学校)、旧制第三高等学校を経て、1929年(昭和4年)3月、京都帝国大学工学部土木工学科を卒業。同年4月、鉄道省に入省した。 函館保線事務所長、大臣官房幹線調査課勤務、広島鉄道局施設部長、本省施設局停車場課長、同施設局次長、札幌鉄道局長、兼北海道営業支配人、本省施設局長、日本国有鉄道理事などを歴任。 1952年(昭和27年)7月30日、『重力操車場の設計について』により京都大学から工学博士の学位を授与された。
松田 武(まつだ たけし、1906年(明治39年)8月3日 … 松田 武(まつだ たけし、1906年(明治39年)8月3日 - 1988年(昭和63年)9月4日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、旧軍需省官僚、実業家である。第4代航空幕僚長。
吉武 恵市(吉武 惠市、よしたけ えいち、1903年2月25… 吉武 恵市(吉武 惠市、よしたけ えいち、1903年2月25日 – 1988年2月3日)は、昭和期の政治家、官僚。衆議院議員(3期)、参議院議員(3期)、労働大臣(第6代)、厚生大臣(第21代)、自治大臣(第8-9代)、富山県知事(官選第32代)。 山口県萩市に生まれる。萩中学、旧制五高を経て、1928年東京帝国大学法学部政治学科を卒業、内務省に入省する。東京府属。京都府保安課長、東京都官房人事課長を経て、1945年官選富山県知事となる。この間、労働問題について勉強を重ね、戦後はその努力を買われて1946年厚生省労政部長、1947年労働省初代事務次官となる。 1949年、第24回衆議院議員総選挙に民主自由党から旧山口1区(定数4)にて立候補し初当選。
佐藤 栄作(さとう えいさく、旧字体:榮作、1901年(明治… 佐藤 栄作(さとう えいさく、旧字体:榮作、1901年(明治34年)3月27日 - 1975年(昭和50年)6月3日)は、日本の鉄道官僚、政治家。「政界の団十郎」「早耳の栄作」の異名を持ち、内閣総理大臣として日韓基本条約批准、非核三原則提唱、沖縄返還をなし遂げる。7年8か月の連続在任記録を持ち、「人事の佐藤」と評された。ノーベル平和賞を受賞したが、死後に核持ち込みの密約が発覚する。吉田学校の代表格。
佐藤 基(さとう はじめ、1898年(明治31年)3月23日… 佐藤 基(さとう はじめ、1898年(明治31年)3月23日 - 1971年(昭和46年)3月31日)は、日本の大蔵官僚。
大野 謙一(おおの けんいち、1897年(明治30年)4月 … 大野 謙一(おおの けんいち、1897年(明治30年)4月 - 1968年〈昭和43年〉5月2日)は、昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。咸鏡北道知事。朝鮮総督府学務局長。 大野謙弼の長男として山口県大島郡蒲野村(大島町を経て現周防大島町)に生まれ、1901年(明治34年)家督を相続した。1897年(明治45年)高等小学校を卒業。1921年(大正10年)高等試験に合格し、朝鮮総督府に奉職する。江原道学務課長、江原道地方課長、平安南道地方課長、朝鮮総督府殖産局水利課長、黄海道財務部長、忠清北道警察部長、慶尚北道警察部長、朝鮮総督府学務局学務課長、慶尚南道内務部長、朝鮮総督府北京出張所長、朝鮮総督官房外務部長を経て、咸鏡北道知事に就任した。
岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13… 岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 - 1987年〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、農商務・商工官僚。1957年から1960年まで内閣総理大臣(第56・57代)を務めた。位階勲等は正二位大勲位。出生名は佐藤 信介(さとう のぶすけ)。 他満洲国総務庁次長、商工大臣(第24代)、衆議院議員(10期)、自由民主党幹事長(初代)、自由民主党総裁 (第3代) 、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣臨時代理、皇學館大学総長(第2代)を歴任した。東洋パルプ、日本再建連盟の会長も務めた。A級戦犯被疑者として収監されるが、不起訴となったのち米国CIA(中央情報局)の協力者として活動し、戦後にも権力を得た。
中村 敬之進(なかむら けいのしん、1895年(明治28年)… 中村 敬之進(なかむら けいのしん、1895年(明治28年)9月9日 - 1978年(昭和53年)4月12日)は、日本の内務・警察・厚生官僚。官選愛媛県知事、厚生次官。 山口県出身。中村藤左衛門の二男として生まれる。山口県立山口中学校、第一高等学校を卒業。1921年11月、高等試験行政科試験に合格。1922年3月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。同年4月、内務省に入省し福岡県属となり内務部庶務課勤務となる。 1927年5月、福岡県警視・警察部保安課長に就任。以後、神奈川県警察部勤務、兵庫県警察部特別高等警察課長、地方事務官・京都府勤務、内務事務官・警保局勤務、警務官、内務書記官・警保局図書課長、内閣調査局調査官、企画庁調査官、同次長心得、企画院内政部長、同第三部長、内務事務官・警保局保安課長を歴任。
坂 千秋(さか ちあき、1895年(明治28年)8月28日 … 坂 千秋(さか ちあき、1895年(明治28年)8月28日 - 1959年(昭和34年)5月29日)は、大正後期から昭和前期の内務官僚、政治家。内務次官、官選県知事、北海道庁長官、貴族院勅選議員。 山口県厚狭郡厚西村厚狭(厚狭町、山陽町厚狭を経て現山陽小野田市厚狭)で、呉服業・坂幾一の二男として生まれる。豊津中学校(現福岡県立育徳館中学校・高等学校)、第一高等学校(独法科、首席)を経て、1919年(大正8年)7月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。1918年(大正7年)10月、高等試験行政科試験に合格し、1919年7月、内務省に入り内務属となり地方局事務官室兼府県課勤務となる。その後、佐賀県視学官、石川県理事官、内務省地方局地方債課長、専任内務書記官、地方局財務課長、同局行政課長などを歴任。
池 清(いけ きよし、1895年6月10日 - 1952年1… 池 清(いけ きよし、1895年6月10日 - 1952年10月17日)は、朝鮮総督府官僚。徳山市(現・周南市)市長。 山口県都濃郡徳山町(現在の周南市)出身。1917年、逓信官吏練習所卒。朝鮮総督府逓信局に勤務する。1925年に高等試験行政科に合格した後、朝鮮総督府逓信局副事務官、京城貯金管理所主計課長、朝鮮総督府逓信事務官、逓信局庶務課長、高等海員審判所理事官、新義州税関長などを経て、朝鮮総督府農林局林政課長兼土地改良課長から平壌府尹に勤務し、終戦を迎えた。日本に引揚げた後の1947年、徳山市助役に就任した。 1951年の徳山市長選挙に立候補。池は「市政の刷新」「健全財政化」「産業の振興と工場誘致」「学校の建設と充実」などを公約に激しい選挙戦を制して当選、市長に就任した。
安倍 源基(あべ げんき、1894年〈明治27年〉2月14日… 安倍 源基(あべ げんき、1894年〈明治27年〉2月14日 - 1989年〈平成元年〉10月6日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。警視庁特別高等警察部長、警視総監、内務大臣を歴任した。山口県出身。 1894年(明治27年)、山口県熊毛郡曾根村(現平生町)に生まれた。山口県士族安倍半次郎の長男。 山口県立山口中学校、山口県立徳山中学校、第六高等学校を経て、東京帝国大学法学部入学。 1920年、東京帝国大学法学部法律学科卒業、内務省入省(警保局配属)。 1932年、警視庁において初代特別高等警察部長となり、赤色ギャング事件や日本共産党スパイ査問事件を通じて「赤狩り安倍」の名 が付いた。安倍が特高部長であった1933年には、19人が特高警察の過酷な取調べで死亡しており(19人は戦前で最多)、その中にはプロレタリア文学作家の小林多喜二も含まれている。
児玉 九一(こだま きゅういち / くいち、1893年8月3… 児玉 九一(こだま きゅういち / くいち、1893年8月3日 - 1960年5月23日)は、日本の内務官僚。県知事、厚生次官、中国地方総監。 山口県出身。陸軍大将・児玉源太郎の七男として生まれる。 1912年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。第一高等学校を経て、1919年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1918年10月、高等試験行政科試験に合格。1919年、内務省に入り地方局属となる。 以後、静岡県志太郡長、静岡県警視、内務事務官、復興局事務官、内閣総理大臣秘書官、鉄道省事務官、内務書記官、神社局総務課長、兼造神宮使庁主事、大臣官房会計課長などを歴任。
西元 坂一(にしもと さかいち、1893年(明治26年)3月… 西元 坂一(にしもと さかいち、1893年(明治26年)3月18日 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。 山口県大島郡和田村(東和町を経て現周防大島町)に生まれる。1915年(大正4年)8月、府殖産局林業講習を修了後、同局営林所に奉職し、1919年(大正8年)8月、嘉義庁林務手に転じ、澎湖庁技手となった。ついで高雄州技手を経て、1925年(大正14年)1月、地方理事官に進み、高雄州恒春郡守に就任し、のち台中州豊原郡守に転じた。
津田 健治(つだ けんじ、1891年(明治24年)9月25日… 津田 健治(つだ けんじ、1891年(明治24年)9月25日 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。 山口県吉敷郡宮野村(現山口市)に生まれる。1909年(明治42年)3月、山口県立農業学校農科を卒業し、1910年(明治43年)3月、山口県農事試験場研究科を修了する。同年4月、宮野村農会技手兼書記を拝命し、11月、現役志願兵として入隊する。1915年(大正4年)2月、台湾総督府巡査となり、1918年(大正7年)府施行の普通文官試験に合格。嘉義庁警務課勤務、嘉義庁庶務課勤務、台南州斗六郡勤務、新化郡、曽文郡、嘉義郡各庶務課長、台南州地方課地方係長、同州文書課長を経て、1940年(昭和15年)3月、台南市助役に就任し、1941年(昭和16年)6月、台北州文山郡守に就任した。
石田 馨(いしだ かおる、1885年(明治18年)5月4日 … 石田 馨(いしだ かおる、1885年(明治18年)5月4日 - 1959年(昭和34年)1月26日)は、日本の内務官僚。官選県知事、警視総監。 山口県都濃郡徳山村(徳山町、徳山市を経て現周南市)出身。石田清次の長男として生まれる。徳山中学、第五高等学校を経て、1913年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格し、同年12月、内務省に入り新潟県属となる。その後、新潟県理事官、福岡県視学官、東京府学務課長、青森県警察部長、内務省地方局府県課長、栃木県書記官・警察部長、岡山県書記官・内務部長、警視庁官房主事、警視庁保安部長、京都府内務部長などを歴任。 1929年(昭和4年)7月、宮崎県知事に就任。
松村 義一(まつむら ぎいち、1883年(明治16年)9月7… 松村 義一(まつむら ぎいち、1883年(明治16年)9月7日 - 1959年(昭和34年)1月6日)は、明治末から昭和前期の内務官僚、政治家。憲政会系官選県知事、貴族院勅選議員。 山口県都濃郡、現在の下松市で商業・松村冷蔵の長男として生まれる。山口中学校、山口高等学校を経て、1909年(明治42年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。1910年(明治43年)11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り、神奈川県属として内務部地方課に配属された。 1911年(明治44年)4月、神奈川県試補となる。以後、佐賀県事務官、同県視学官、鳥取県視学官、石川県警察部長、広島県警察部長、警察講習所教授兼内務省参事官、山形県内務部長、和歌山県内務部長などを歴任。
白根 竹介(しらね たけすけ、1883年(明治16年)5月2… 白根 竹介(しらね たけすけ、1883年(明治16年)5月25日 - 1957年(昭和32年)3月5日)は、日本の内務官僚。
粟屋 謙(あわや けん、1883年(明治16年)3月21日 … 粟屋 謙(あわや けん、1883年(明治16年)3月21日 - 1938年(昭和13年)4月2日)は、日本の文部官僚、滝川事件当時の文部次官。山口県下関市長府出身。長府藩報国隊を組織した野々村勘九郎の孫。 旧長府藩士・教員である粟屋平一の長男として東京で生まれる。豊浦中学、第三高等学校を経て、1907年7月で東京帝国大学法科大学法律学科(独法)卒業し大学院に進む。同年7月、内務省に入省し東京府属となる。同年11月、文官高等試験に合格。以後、内務属、茨城県事務官を歴任。 1911年5月、文部省に転じ文部書記官兼文部省参事官に就任。1913年、宗教局が内務省から文部省に移管されたのを機に、宗教法制定に尽力。
坂田 幹太(さかた みきた、1879年(明治12年)12月1… 坂田 幹太(さかた みきた、1879年(明治12年)12月13日 - 1958年(昭和33年)10月18日)は、日本の内務官僚、政治家、実業家。県知事、貴族院議員。旧姓・水谷。
日田 権一(ひた ごんいち、1877年(明治10年)12月2… 日田 権一(ひた ごんいち、1877年(明治10年)12月27日 - 1966年(昭和41年)12月25日)は、日本の教育者、文部官僚。 山口県厚狭郡厚南村(現在の宇部市)にて士族の日田熊之進の長男として生まれる。1906年(明治39年)、東京高等師範学校英語科を卒業した。京都府師範学校教諭・附属小学校主事、東京府女子師範学校教諭を務めた。1920年(大正9年)、東京高等師範学校修身教育専攻科を修了。その後、東京高等師範学校教授・附属小学校主事を務め、1928年(昭和3年)にアメリカ合衆国に留学した。1934年(昭和9年)より文部事務官・督学官となり、宗教局・教育調査部勤務、教育調査審議課長を歴任した。
沢田 牛麿(さわだ うしまろ、1874年(明治7年)2月6日… 沢田 牛麿(さわだ うしまろ、1874年(明治7年)2月6日 - 1958年(昭和33年)1月29日)は、日本の内務官僚、政治家。貴族院議員。 高知県土佐郡布師田村(現:高知市)で旧土佐藩士沢田誠一の長男として生まれる。山口中学、山口高等学校を経て、1899年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。陸軍省に入り、陸軍属として大臣官房付となる。以後、陸軍省参事官、警察監獄学校教授兼内務省参事官などを歴任。その後、東京府事務官に転じ、韓国統監府警視、兼統監府書記官、鹿児島県内務部長などを務めた。 1918年10月、青森県知事に就任。以後、佐賀県・石川県・福岡県の各知事を歴任した。
江木 翼(えぎ たすく、1873年〈明治6年〉12月5日 -… 江木 翼(えぎ たすく、1873年〈明治6年〉12月5日 - 1932年〈昭和7年〉9月18日)は、日本の内務官僚、政治家。法学博士。幼名は恵助(えすけ)。 1873年(明治6年)12月5日、山口県御庄村(現在の岩国市)に酒造業を営む羽村卯作の三男として生まれる。山口中学校、山口高等中学校予科、本科を経て、東京帝国大学法科大学英法科へ進学、1897年(明治30年)5月17日に、枢密顧問官、文部大臣、貴族院議員となる江木千之の養子となる。同年7月、帝大を卒業し、大学院に進学。1898年(明治31年)12月、文官高等試験に合格。1899年(明治32年)1月、内務省に入省する。神奈川県事務官、法制局参事官、1910年(明治43年)には拓殖局部長を歴任する。
上山 満之進(かみやま まんのしん / みつのしん、1869… 上山 満之進(かみやま まんのしん / みつのしん、1869年10月31日〈明治2年9月27日〉- 1938年〈昭和13年〉7月30日)は、日本の官僚、政治家。農商務次官、台湾総督、貴族院議員、枢密顧問官。 郷里では旧藩主毛利敬親や毛利元徳の伝記編纂所の所長を務め、郷土史研究の出版や史跡跡保存事業などにも私費を投じた。上山の寄付で防府市立三哲文庫(現:防府市立防府図書館)が開館したことから「防府図書館の父」と呼ばれている。 周防国佐波郡江泊村(現:山口県防府市大字江泊)出身。庄屋格の上山与左衛門の二男として生まれる。周陽学舎)、山口中学、山口高等中学を経て、1895年(明治28年)7月、帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業した。
仲小路 廉(なかしょうじ れん、1866年8月12日〈慶応2… 仲小路 廉(なかしょうじ れん、1866年8月12日〈慶応2年7月3日〉- 1924年〈大正13年〉1月17日)は、日本の検察官、司法・逓信・内務官僚、貴族院勅選議員、枢密顧問官。旧名・喜久三。号は靄軒。 周防国徳山藩下士・仲小路休量の二男として生まれる。大阪府立中学を経て、府立開成学校卒業後、1887年(明治20年)に高等文官試験司法科の前身である判事検事登用試験に合格。そののち東京控訴院検事兼司法省参事官などを経て、行政裁判所評定官を務めた。こののち逓信省に転じて大臣官房長を務め、内務省に出向して土木局長、警保局長を歴任した後、1910年(明治43年)には逓信次官となり官僚としての頂点を極めた。
久保 通猷(くぼ つうゆう、文久3年9月16日(1863年1… 久保 通猷(くぼ つうゆう、文久3年9月16日(1863年10月28日) – 昭和12年(1937年)5月2日)は、日本および同統治下台湾の官僚、政治家、実業家。衆議院議員(立憲政友会→中正会)。福岡県若松町長。 長門国厚狭郡厚西村(現在の山陽小野田市)出身。小学校卒業後、独学で文学、政治、経済、法律を学び1895年(明治28年)、高等文官試験に合格し、内務省、台湾総督府、地方官として勤務した。退官後は1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し当選、そのほか若松町長も務めた。その他に私立興風中学校理事長を務め、その後大連に渡り、大連大正米製造合資会社の代表を務めた。
山縣 伊三郎(やまがた いさぶろう、1858年2月6日〈安政… 山縣 伊三郎(やまがた いさぶろう、1858年2月6日〈安政4年12月23日〉- 1927年〈昭和2年〉9月24日)は、日本の官僚。元老山縣有朋の養子で公爵を継いだ。旧姓は勝津。妻は加藤弘之の娘の隆子。息子は有道、三郎と養子の有光。 長州藩藩士勝津兼亮と山縣有朋の姉・壽子の間に次男として生まれる。明治維新の立役者の一人であった有朋には三男四女があったが、次女以外夭折して山縣家を継ぐべき子供がいなかったため、甥である伊三郎を養子とした。 ドイツ留学後、内務官僚として徳島県知事、三重県知事、内務省地方局長、内務次官などを歴任した。1906年(明治39年)に第1次西園寺内閣で逓信大臣として入閣。しかし、鉄道建設に関する予算問題をめぐって大蔵大臣の阪谷芳郎と対立した末、1908年(明治41年)1月に逓相を辞任している。
桂 潜太郎(かつら せんたろう、1855年1月26日〈安政元… 桂 潜太郎(かつら せんたろう、1855年1月26日〈安政元年12月9日〉 - 1928年〈昭和3年〉11月21日)は、明治から昭和時代初期の官吏。宮中顧問官。旧姓は細迫。 長門国豊浦郡阿川村(豊北町を経て現下関市豊北町大字阿川)に生まれる。細迫礼介の長男。1884年(明治17年)5月、絶家桂庄左衛門の家を再興する。東京専門学校校外生となり、英法を学ぶ。宮内省華族局に出仕し、のち爵位局主事に就任。宮内書記官を兼ねたのち、東宮主事に転じ、東伏見宮別当を兼ね、東伏見宮別当泰宮御養育掛長兼宮中顧問官に就任した。墓所は多磨霊園。
川本 永守(かわもと えいしゅ、1855年(安政2年) - … 川本 永守(かわもと えいしゅ、1855年(安政2年) - 没年不詳)は、明治期の官僚、鉄道院参事 長門国豊浦郡幡生村(現・山口県下関市)生まれ。上京し慶應義塾へ入学し、小野梓の知遇を得て別科を卒業。 山陽鉄道に入り、下関の開発に従事。1906年(明治39年)、鉄道が国有となるに伴って鉄道院参事に就任。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
江木 千之(えぎ かずゆき、1853年5月21日〈嘉永6年4… 江木 千之(えぎ かずゆき、1853年5月21日〈嘉永6年4月14日〉- 1932年〈昭和7年〉8月23日)は、明治時代から大正時代にかけての日本の文部・内務官僚、政治家。号は狂塢。 文部省普通学務局長、内務省県治局長、茨城・栃木・愛知・広島各県知事、貴族院議員、文部大臣、皇典講究所長、全国神職会長、枢密顧問官を歴任した。 周防国岩国藩出身。岩国藩士・江木仙左衛門俊敬の長男として生まれる(幼名・吉太郎)。1870年(明治3年)、藩命により大阪開成所で外国語を学び、翌年より開拓使仮学校、大学南校、工部省工学寮などに学ぶ。1874年(明治7年)に文部省に出仕し、会計局副長、視学官、参事官、普通学務局長を歴任。
荒川 邦蔵(あらかわ くにぞう、嘉永5年4月18日〈1852… 荒川 邦蔵(あらかわ くにぞう、嘉永5年4月18日〈1852年6月5日〉 - 1903年〈明治36年〉10月11日)は、明治時代の官僚、政治家。内務省などで務め、福井県知事も務めた。 長州藩領の長門国大津郡向津具村(現・山口県長門市)出身。諸官を経て、1892年11月16日に牧野伸顕の後をついで、内務省衛生局長から福井県知事に任ぜられた。荒川は県知事として、濃尾地震の被害による道路などの修復に県から全額支出させた。また、県内の女子の就学を奨励した。1897年4月6日まで務めた。 1898年、内務省県治局長に任ぜられるがまもなく辞任。その後帝国党の組織に尽力した。1903年10月11日に病死し、同日に位を一級進めて正四位に叙される。