岩橋 徹(いわはし とおる、1927年9月4日 - )は、日… 岩橋 徹(いわはし とおる、1927年9月4日 - )は、日本の地質学者、教育者。静岡大学名誉教授。 1993年4月1日-1994年8月常葉学園大学教育学部教授。 2010年4月瑞宝中綬章受章。 アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコに生まれる。1945年福岡県立中学修猷館、1948年旧制福岡高等学校理科甲類を経て、1952年九州大学理学部地質学科を卒業。同年同大学大学院前期課程(旧制)に入学し、1954年4月中退して同大学理学部助手となる。 1962年3月九州大学より論文「”佐世保炭田”炭の石炭化度の地質学的研究」で理学博士の学位を取得。1964年4月九州大学教養部講師となる。 1965年4月静岡大学教育学部助教授に転じ、1970年6月同教授に就任。
もっと読む
加藤 知弘(かとう ともひろ、1927年8月30日 - 20… 加藤 知弘(かとう ともひろ、1927年8月30日 - 2005年12月6日)は、日本の西洋史学者である。 1927年(昭和2年)、福岡県福岡市で生まれる。福岡県立筑紫丘高等学校を経て、1953年(昭和28年)に九州大学文学部を卒業し、九州大学助手となる。 翌1954年(昭和29年)に大分大学学芸学部に赴任し、1976年(昭和51年)に大分大学教育学部教授となる。1987年(昭和62年)からは大分大学教育学部長を務めた。1991年(平成3年)に大分大学を定年退官し、名誉教授となる。 1992年(平成4年)から大分県立芸術文化短期大学教授。1997年(平成9年)に『バテレンと宗麟の時代』で、ポルトガル大使館よりロドリゲス通事賞を受賞するとともに、地中海学会の地中海学会賞を受賞。
もっと読む
稲葉 三千男(いなば みちお、1927年(昭和2年)3月10… 稲葉 三千男(いなば みちお、1927年(昭和2年)3月10日 - 2002年(平成14年)9月8日)は、日本の社会学者、政治家。東京大学名誉教授。元東京都東久留米市長(3期)。位階は正四位。勲等は勲三等瑞宝章。東久留米市議会議員の間宮みきは次女。 福岡県福岡市生まれ。広島県立広島商業学校、第一高等学校 (旧制)を経て、1953年、東京大学文学部社会学科卒業。東京大学大学院社会科学研究科社会学専門課程(B)新聞学に進学、在学中1958年より東京大学新聞研究所(現東京大学大学院情報学環・学際情報学府)助手。1962年に助教授、1972年に教授に昇格し、1980年から1984年まで、新聞研究所長を務めた。
もっと読む
石村 善治(いしむら ぜんじ、1927年2月19日 - 20… 石村 善治(いしむら ぜんじ、1927年2月19日 - 2025年8月9日)は、日本の法学者。専門は、憲法のほか、メディア法・プレス法・言論法・情報法。ジャーナリズム論。特に、大学にて「マス・メディア論」の開講した草分け的存在であった。福岡県福岡市出身。 福岡市立福岡商業学校(現:福岡市立福翔高等学校)入学後、福岡県立福岡中学校(現:福岡県立福岡高等学校)に転校、卒業。1947年旧制福岡高等学校卒業。1950年東京大学法学部政治学科卒業。1950年から5年間病気療養。1955年福岡商科大学短期大学助手。1956年福岡大学法経学部助手。1958年同法経学部専任講師。1959年同法学部専任講師。1961年同法学部助教授。
もっと読む
渡辺 行男(渡邊 行男、わたなべ ゆきお、1926年8月16… 渡辺 行男(渡邊 行男、わたなべ ゆきお、1926年8月16日 - )は、日本近代政治史学者。 福岡県豊前市生まれ。明治大学文学部中退。衆議院事務局に入り、1977年より憲政記念館で憲政資料の調査・収集・展示に当る(企画調査主幹)。帰郷し福岡県豊前市立図書館長を経て著述業に専念する。
もっと読む
遠藤 達雄(えんどう たつお、1925年4月1日 - 198… 遠藤 達雄(えんどう たつお、1925年4月1日 - 1989年7月5日)は、九州工業大学名誉教授。福岡県出身。旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)卒業、九州大学大学院博士課程修了。 不規則に変動する荷重による金属疲労を評価するレインフロー法(雨だれ法:w:rainflow-counting algorithm)を開発。この功績により、「Mr.RainFlow」と称される。
もっと読む
廣渡 文利(ひろわたり ふみとし、1925年3月5日 - 2… 廣渡 文利(ひろわたり ふみとし、1925年3月5日 - 2007年7月24日)は、日本の地球科学者。専門は鉱物学・鉱床学。福岡県福津市生まれ。 旧海軍兵学校を経て、1950年に九州大学理学部地質学科を卒業。翌年九州大学理学部助手となる。1956年通産省工業技術院地質調査所(現産業技術総合研究所)に転任、1966年九州大学理学部助教授となり、1973年同教授に昇任。1988年九州大学定年退官。1962年、九州大学より理学博士の学位を取得。論文の表題は「Manganese ore deposits in Ryoke metamorphic zone.」。1986~88年日本鉱物学会(現日本鉱物科学会)会長。
もっと読む
石村 善助(いしむら ぜんすけ、1924年(大正13年)9月… 石村 善助(いしむら ぜんすけ、1924年(大正13年)9月14日 - 2006年7月30日)は、日本の法学者。専門は、民法・法社会学。学位は、比較法修士(Master of Comparative Law (M.Comp.L.))、法学博士(東京大学・論文博士・1961年)。東京都立大学名誉教授。2003年4月、勲三等瑞宝章受章。 福岡県福岡市生まれ。誕生日(9月14日)がオイゲン・エールリッヒと同一である。実家は福岡市の土産菓子として知られる鶴乃子などを製造販売する石村萬盛堂。 東京帝国大学在学中の勤労動員で静岡県の山村に滞在時、学生の状況を知るため巡回していた教授陣の一員であった川島武宜と出会う。
もっと読む
三隅 二不二(みすみ じゅうじ/じふじ、1924年(大正13… 三隅 二不二(みすみ じゅうじ/じふじ、1924年(大正13年)3月21日 - 2002年(平成14年)5月31日)は、日本の心理学者。専攻は社会心理学。文学博士。元九州大学教授、大阪大学名誉教授、筑紫女学園大学・短期大学元学長。財団法人集団力学研究所初代所長。 福岡県出身。クルト・レヴィンによって創始されたグループ・ダイナミックス(集団力学)を日本に紹介し、その普及と発展に力を注いだ。リーダーシップをパフォーマンスとメンテナンスの2つの機能の複合として捉えるPM理論で世界的に知られる。 日本グループ・ダイナミックス学会の設立に尽力し、2代目会長に就任。以来、長きに渡って同学会の幹部を務める。また九州大学教育学部教授在任中の1967年(昭和42年)、学界と地元企業の交流の場として集団力学研究所を設立。
もっと読む
村上 允英(むらかみ のぶひで、1923年10月25日 - … 村上 允英(むらかみ のぶひで、1923年10月25日 - 1994年7月20日)は、日本の地質学・岩石学学者。杉石の分析・命名。山口大学名誉教授。日本地質学会副会長、山口地学会会長。正四位勲三等旭日中綬章。 主要な研究テーマは、西南日本の白亜紀/古第三紀酸性火山/深成活動の時間的・空間的変換。1976年には、恩師である九州帝国大学理学部杉健一により1942年から1944年に瀬戸内海の岩城島で発掘された未解決鉱物の分析を成功させ、杉健一の名前に因み杉石と命名した。
もっと読む
高橋 良平(たかはし りょうへい、1923年8月10日-19… 高橋 良平(たかはし りょうへい、1923年8月10日-1997年6月15日)は、日本の地球科学者。専門は石炭地質学。福岡県太宰府市生まれ。 旧制福岡県立福岡中学校をへて、1946年に九州帝国大学理学部地質学科を卒業。同年、麻生鉱業株式会社に入社。1952年に九州大学理学部地質学教室石炭地質学講座の講師になり、翌年同助教授に昇任し、松下久道教授を補佐して石炭地質学の教育と研究の発展につくした。1960年九州大学より理学博士の学位を取得。論文の表題は「Die Beziehung zwischen der Inkohlung und der geologischen Struktur in Nord-Kyushu Kohlenbecken.」。
もっと読む
真鍋 大覚(まなべ だいかく、1923年5月14日 - 19… 真鍋 大覚(まなべ だいかく、1923年5月14日 - 1991年4月26日)は、日本の航空工学者。暦法家。九州大学工学部航空工学科助教授。
もっと読む
秀村 選三(ひでむら せんぞう、1922年12月10日 -2… 秀村 選三(ひでむら せんぞう、1922年12月10日 -2021年4月15日)は、日本の日本社会経済史学者。九州大学名誉教授。 1922年、福岡県福岡市にて出生。福岡中学校(現福岡県立福岡高等学校)を卒業後、福岡高等学校 (旧制)で学んだ。1942年、京都帝国大学経済学部に入学。京大への志望理由は、当時同大学教授で日本経済史学の権威として知られた本庄栄治郎の下で学ぶためであった。太平洋戦争の戦局悪化に伴い、1943年9月、学徒出陣で海軍に入隊して突撃部隊に所属。 終戦後に復学するが、経済難で学費が払えなくなり、当時京大教授であった蜷川虎三の勧めで故郷に近い九州帝国大学法文学部に転校。1946年5月より九州帝国大学の宮本又次、竹内理三、喜多野清一らの下で学んだ。
もっと読む
山下 昇(やました のぼる、1922年(大正11年)7月17… 山下 昇(やました のぼる、1922年(大正11年)7月17日 - 1996年(平成8年)5月15日)は、日本の地質学者。信州大学名誉教授。 フォッサマグナ東縁は柏崎と銚子を結んだ線とする、柏崎-銚子線説を提唱した。 福岡県八女市生まれ。 1945年、東京帝国大学理学部地質学科を卒業。 東京大学理学部助手を経て、1968年に信州大学教授に就任する。1986年に定年退官し、名誉教授となる。 退官後、新潟県糸魚川市のフォッサマグナミュージアム館長を務めた。 1996年5月15日、呼吸不全のため死去。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
もっと読む
佐々木 倫生(ささき りんしょう、1921年11月22日 -… 佐々木 倫生(ささき りんしょう、1921年11月22日 - 1996年5月28日)は、日本の哲学者。京都女子大学名誉教授。元京都女子大学学長、鳥取女子短期大学学長。 福岡県築上郡吉富町出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
もっと読む
城野 禎三(きの ていぞう、1920年 (大正9年)5月15… 城野 禎三(きの ていぞう、1920年 (大正9年)5月15日 - 2011年 (平成23年)6月14日)は、日本の法学者。専門は、刑法・刑事訴訟法。 九州国際大学名誉教授。福岡県宗像郡出身。 官庁関係の学外委嘱の仕事も多く、大学では教務部長や学生部長を務め野球部などの顧問を引き受け体育系サークルの指導にも当たった。
もっと読む
大島 襄二(おおしま じょうじ、1920年2月15日 - 2… 大島 襄二(おおしま じょうじ、1920年2月15日 - 2014年3月11日)は、日本の地理学者(文化地理学)。文学博士。関西学院大学名誉教授、元帝塚山学院大学教授。太平洋学会第三代会長。 地理学者として学術探検にも赴き、島嶼地理学、文化人類学者としても有名である。愛知県名古屋市生まれ。 以降快方に向かい、近江兄弟社中学校・高等学校、同志社高等学校で教鞭を執る(1953年まで)。
もっと読む
井上 正治(いのうえ まさはる、1920年2月11日 - 1… 井上 正治(いのうえ まさはる、1920年2月11日 - 1997年12月18日)は、日本の海軍軍人、法学者。専門は刑事法学。過失犯理論等を研究。法学博士(九州大学・1950年)。九州大学名誉教授。福岡県出身。 福岡県宗像市生まれ、山口県下関市育ち。旧制山口県立下関中学校、旧制福岡高等学校を経て、九州帝国大学進学。1942年、九州帝国大学法文学部卒業、高等文官試験司法科合格。1950年、法学博士(九州大学)。 海軍入営。最終階級は海軍法務大尉。1946年、九州帝国大学法文学部講師。1948年、九州大学法文学部助教授、1951年、同法教授。1953年、広島大学政経学部教授兼務、1967年第30代九州大学法学部長。
もっと読む
真実 一男(まざね かずお、1920年 - 2004年12月… 真実 一男(まざね かずお、1920年 - 2004年12月26日)は、日本の思想史家。大阪市立大学名誉教授。元経済学史学会代表幹事。デヴィッド・リカード研究を専門とした。 長崎県壱岐石田町出身。小倉市立小倉商業学校(現福岡県立小倉商業高等学校)を経て、1938年長崎高等商業学校(現長崎大学)無試験入学。1943年東京商科大学(現一橋大学)を繰り上げ卒業。杉本栄一ゼミ出身。一貫してデヴィッド・リカードを専攻。 学徒出陣し薩摩半島で終戦を迎え、日本の降伏後、九州で語学教師などを務め、1949年から上京し杉本に師事。1951年長崎大学商業短期大学助教授兼長崎大学経済学部講師。1954年長崎大学経済学部助教授。
もっと読む
安川 定男(やすかわ さだお、1919年6月17日 - 20… 安川 定男(やすかわ さだお、1919年6月17日 - 2007年1月14日)は、国文学者、中央大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。
もっと読む
細川 巌(ほそかわ いわお、1919年3月12日 - 199… 細川 巌(ほそかわ いわお、1919年3月12日 - 1996年1月1日)は、日本の化学者、仏教学研究者。 福岡市生まれ。1944年広島文理科大学化学科卒業、広島師範学校助教授、47年教授。1949年福岡学芸大学久留米分校助教授。東京大学へ内地留学し、1955年「浅海底土の化学的研究」で東京大学理学博士。58年福岡学芸大学教授、1968年東京水産大学教授併任。75年福岡教育大学を退職、名誉教授。 「ひかり幼育園」を設立し、仏法に基づく幼児教育を行い、特に浄土真宗系の仏教研究を進めた。92年勲三等瑞宝章受勲。
もっと読む
吉村 虎蔵(よしむら とらぞう、1919年2月3日 - 19… 吉村 虎蔵(よしむら とらぞう、1919年2月3日 - 1995年6月14日)は、日本の工学者。土木工学者。福岡県出身。工学博士。九州大学元教授。有明工業高等専門学校元校長。教育者。 1919年、福岡県福岡市生まれ。1941年九州帝国大学工学部土木工学科卒業。構造力学及び橋梁工学の理論的研究を専門とする。 1945年、内務省九州土木出張所に就く。民間を経て、1947年、福岡高等工業学校、1950年熊本工業専門学校、1951年熊本大学工学部、1952年同大学助教授に就き、1954年、工学博士となる。 1955年同大学工学部教授に就任。1973年九州大学工学部教授となる。1980年有明工業高等専門学校校長。
もっと読む
小野 周(おの しゅう、1918年(大正7年)9月5日 - … 小野 周(おの しゅう、1918年(大正7年)9月5日 - 1995年(平成7年)4月24日)は、日本の物理学者。学位は、理学博士(九州大学、1951年)(学位論文「臨界現象及び表面現象の統計熱力学」)。東京大学名誉教授。元群馬大学学長。日本物理学会会長を3期3年間務めた。勲二等旭日重光章受章。福岡県福岡市生まれ。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
もっと読む
長岡 文雄(ながおか ふみお、1917年12月18日 - 2… 長岡 文雄(ながおか ふみお、1917年12月18日 - 2013年?)は、日本の教育者、教育学者。 福岡県八女市出身。書道の雅号 長岡 光邨(こうそん)。1937年福岡県小倉師範学校本科第一部卒。小倉師範附小に勤務時、24歳で文部省 師範学校中学校高等女学校教員検定試験「習字」に当時の最年少で合格した。書道家として東京の学校への就職を薦められたが、同時期に奈良女子高等師範学校附小からの招聘を受け、迷った末、教育者としての道を歩むことを決心する。1943年奈良女子高等師範学校附属小学校教諭となり、木下竹次の「学習法」を引き継ぎ、戦後は重松鷹泰と共に「奈良プラン」を樹立した。 長岡は、「教育は、ひとりひとりの子どもが、人間としての可能性をぎりぎりまで発現していくように手伝うことであり、個性的思考の深化を支援して、人間としての生き方を創造させることである。
もっと読む
白水 隆(しろうず たかし、1917年9月14日 - 200… 白水 隆(しろうず たかし、1917年9月14日 - 2004年4月2日)は、日本の昆虫学者。九州大学名誉教授。専門はチョウ類の分類学、生物地理学。日本および東アジアのチョウ類研究を牽引した基礎生物学者の一人である。 1917年9月14日、福岡県福岡市生まれ。1938年旧制宮崎高等農林学校(宮崎大学農学部の前身)卒業、1941年九州帝国大学農学部卒業。1942年2月九州帝国大学農学部副手、同年6月助手。1944年召集令状を受け鹿児島県の志布志に配属されるも1年で除隊となり、研究室に戻った。九州大学教養部助教授を経て、1963年九州大学教授。1981年定年退官、同大学名誉教授。 日本および東アジアのチョウ類の研究で著名。
もっと読む
川崎 文治(かわさき ふみはる、1917年6月17日 - 2… 川崎 文治(かわさき ふみはる、1917年6月17日 - 2002年7月30日)は、日本の経営学者。大阪市立大学(現大阪公立大学)名誉教授。元北九州大学(現北九州市立大学)学長。 福岡市生まれ。1942年9月東京商科大学(現・一橋大学)卒業、同年10月三井化学工業(現・三井化学)入社。 1950年3月三井化学工業を退職し、1951年9月より1953年3月にかけて福岡県立修猷館高等学校で講師を務め、その傍ら九州大学大学院に学ぶ。1970年大阪市立大学商学博士。 1953年4月久留米大学商学部助教授、1956年10月長崎大学経済学部教授、1964年4月大阪市立大学商学部教授、1974年4月同商学部長、1976年同名誉教授、1979年4月山口大学経済学部教授、1981年4月北九州大学(現・北九州市立大学)大学院経営学研究科教授を経て、1984年7月北九州大学学長に就任。
もっと読む
井上 茂(いのうえ しげる、1916年〈大正5年〉9月26日… 井上 茂(いのうえ しげる、1916年〈大正5年〉9月26日 - 2002年〈平成14年〉5月21日)は、日本の法学者。専門は法哲学。第8代お茶の水女子大学学長。日本法哲学会理事長(1975年11月 - 1979年11月)。 兵庫県に生まれる。1935年福岡県中学修猷館、1938年3月旧制福岡高等学校文科甲類を経て、1942年9月東京帝国大学法学部法律学科を卒業。その後、3年間兵役に就いた後、1945年11月、東京大学大学院(法理学専攻)に進む。東大では尾高朝雄の最初の門下生であった。 1949年5月、お茶の水女子大学講師となり、その後、同大学にて、1953年5月、助教授、1959年7月、教授(1982年2月まで)、1967年10月、文教育学部長(1969年9月まで)、1976年6月、大学院人間文化研究科長(1979年2月まで)を経て、1979年2月、お茶の水女子大学学長に就任し、1982年2月まで務めている(同月、お茶の水女子大学名誉教授の称号授与)。
もっと読む
森 三十郎(もり さんじゅうろう、1916年3月19日 - … 森 三十郎(もり さんじゅうろう、1916年3月19日 - 2012年7月2日)は、日本の法学者、福岡大学名誉教授。元法学部長、理事。 福岡県鞍手郡鞍手町出身。第五高等学校を経て、九州帝国大学法学部卒。(宇賀田順三門下、在学中に高等文官試験に合格)。 九大助手、拓務省、大東亜省、外務省勤務、応召して陸軍主計中尉で敗戦を迎え、1948年戸畑専門学校教授(憲法、行政法)に就任。1950年新制八幡大学助教授、教授を歴任後1954年に退任。後鹿児島県立大学、久留米大学助教授。1956年福岡大学教授に就任。1987年、定年退任、名誉教授。 総合国家学研究所のち森国家学研究所を主宰し、天皇制擁護の論陣を張った。
もっと読む
池見 酉次郎(いけみ ゆうじろう、大正4年(1915年)6月… 池見 酉次郎(いけみ ゆうじろう、大正4年(1915年)6月12日 - 平成11年(1999年)6月25日)は、日本の心身医学、心療内科の基礎を築いた草分け的な日本の医学者。九州大学医学部名誉教授。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。甥は臨床心理学者の池見陽。 福岡県糟屋郡粕屋町生まれ。旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)、九州帝国大学医学部卒業。戦後、アメリカの医学が日本に流入した際、心身医学の存在を知る。昭和27年(1952年)にはアメリカミネソタ州のメイヨー・クリニックに留学し、帰国後、日野原重明、三浦岱栄らと共に昭和35年(1960年)日本心身医学会を設立し、初代理事長になる。翌昭和36年(1961年)九州大学に国内最初に設立された精神身体医学研究施設(現在の心療内科に当たる)教授に就任し、内科疾患を中心に、心と体の相関関係に注目した診療方法を体系化、実用化に尽力した。
もっと読む
岩生 周一(いわお しゅういち、1913年1月9日 - 19… 岩生 周一(いわお しゅういち、1913年1月9日 - 1999年2月5日)は、日本の地球科学者。専門は、鉱床学・堆積岩岩石学。福岡県久留米市生まれ。 1931年旧制福岡高等学校理科甲類を卒業し、東京帝国大学理学部地質学科に入学。1935年同卒業。1938年地質調査所(現:産業技術総合研究所)の技師に任官。1942年第一次山西学術調査研究団に参加した。1953年東京大学教養学部地学教室の教授となる。1969年同理学部地質学教室教授に転任し、1973年定年・退職、名誉教授となる。その後、1973~1978年千葉大学理学部教授を務めた。また、日本学術振興会など諸機関の委員を歴任し、戦後の日本の復興に非金属資源開発の面から大いに貢献した。
もっと読む
秀村 欣二(ひでむら きんじ、1912年6月19日 - 19… 秀村 欣二(ひでむら きんじ、1912年6月19日 - 1997年4月8日)は、日本の西洋史学者(古代ローマ史)。東京大学教養学部名誉教授。 1912年、福岡県福岡市で生まれた。旧制福岡中学(現・福岡県立福岡高校)、旧制福岡高等学校を経て、東京帝国大学文学部西洋史学科に進学。1936年に同大学を卒業。 東京大学教養学部教授。1973年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は青山学院大学文学部教授として教鞭を執り、1984年に退職した。
もっと読む
佐々木 一義(ささき かずよし、1910年8月19日 - 1… 佐々木 一義(ささき かずよし、1910年8月19日 - 1978年7月11日)は、日本の哲学者。 福岡県田川市生まれ。1934年東京帝国大学文学部倫理学科卒、文部省に入省。1961年「ハイデッガーの実存論的空間性論について」で九州大学文学博士。1940年小樽高等商業学校教授、1944年久留米工業専門学校教授、1949年九州大学第三分校助教授、51年第二分校助教授、53年教授、63年教養部教授、70-71年教養部長、75年定年退官、名誉教授、大東文化大学教授。 1978年7月11日、すい臓がんのため神奈川県相模原市の北里大学病院にて死去。67歳。
もっと読む
淺野 五郎(あさの ごろう、1909年6月29日 - 196… 淺野 五郎(あさの ごろう、1909年6月29日 - 1966年3月19日)は、日本の地球科学者。専門は応用地質学・鉱床学。福岡県福岡市生まれ。 1927年福岡県中学修猷館、1930年旧制福岡高等学校理科乙類を経て、1933年3月に東京帝国大学理学部地質学科を卒業。大学院に進むが、同年9月より南満州鉄道嘱託となる。1938年4月より満州国大陸科学院に所属。1946年5月古河鉱業の職員となり、配下の鉱山の調査・探鉱などを行う。1951年4月、東京大学より理学博士の学位を取得。論文表題は「満洲産縞状鉄鉱の造進変成」。1956年3月古河鉱業を退社、4月より国際基督教大学教授となる。1960年4月、木下亀城教授の後任として九州大学工学部教授(採鉱学科応用地質学講座)に就任。
もっと読む
吉川 英史(きっかわ えいし、1909年2月13日 - 20… 吉川 英史(きっかわ えいし、1909年2月13日 - 2006年4月13日)は、日本の音楽学者。文化功労者。 広島県深安郡神辺町(現・福山市)出身。旧姓・佐藤、本名・英士。旧制福岡中学校(現・福岡県立福岡高等学校)を経て、1933年東京帝国大学文学部美学美術史学科卒。1945年東京帝大講師、1946年 - 49年東京音楽学校講師を兼任、東京芸術大学教授。東京芸大邦楽科の新設に尽力。その後武蔵野音楽大学教授、東洋音楽学会会長、義太夫協会会長、琵琶楽協会会長、宮城道雄記念館館長などを歴任した。1972年NHK放送文化賞・紫綬褒章、1979年勲三等瑞宝章、1993年文化功労者、1994年神辺町名誉町民(福山市名誉市民)。
もっと読む
松下 久道(まつした ひさみち、1908年9月30日 - 1… 松下 久道(まつした ひさみち、1908年9月30日 - 1980年9月3日)は、日本の地球科学者。専門は石炭地質学。福岡県福岡市生まれ。 1934年に京都帝国大学理学部地質学鉱物学科を卒業。同学部大学院に進学して、中村新太郎のもとで炭田地質学の研究を始める。同年山根新次の招きで九州帝国大学工学部採鉱学教室副手に採用となり、翌年助手に昇任。1939年、九州帝国大学に理学部が新設されると同時に、同学部地質学教室の助教授になり、渡辺久吉・杉健一・吉村豊文を助けて、松本達郎とともに地質学教室の基礎づくりに尽力。1949年に同教室に国内ではじめて石炭地質学講座が開設され、初代担当教授に就任した。同年、「九州北部に於ける古第三紀層の層序学的研究」により、京都大学より理学博士の学位を取得。
もっと読む
福井 英一郎(ふくい えいいちろう、1905年9月9日 - … 福井 英一郎(ふくい えいいちろう、1905年9月9日 - 2000年11月3日)は、日本の気候学者・自然地理学者。東京教育大学名誉教授。門下から多数の気候学者を輩出した「日本の気候学の父」。 1905年、福岡県福岡市に生まれ育った。旧制福岡高等学校を経て、東京帝国大学理学部地理学科で学んだ。1928年に卒業。 卒業後は、日本大学、立正大学、東京府立第一中学校(東京都立日比谷高等学校の前身)などで教鞭を執った。1930年4月、東京文理科大学の助手に採用。1933年、学位論文『日本気候論』を東京帝国大学に提出して理学博士の学位を取得。 1939年1月、大日本帝国陸軍気象部嘱託を兼ねるようになり、同年4月には東京文理科大学専任講師に昇任した。
もっと読む
馬場 菊太郎(ばば きくたろう、1905年 - 2001年1… 馬場 菊太郎(ばば きくたろう、1905年 - 2001年11月30日)は、日本の後鰓類学者。福岡県糸島郡波多江村(現・糸島市波多江)出身。
もっと読む
新開 長英(しんかい ながふさ、1903年3月24日 - 1… 新開 長英(しんかい ながふさ、1903年3月24日 - 1985年8月5日)は、日本の哲学者。 福岡県田川市出身。1928年九州帝国大学法文学部哲学科卒、旧制広島高等学校教授、福岡高等学校教授、1932年九大助教授、1942年神宮皇學館教授に転じる。戦後は北九州大学教授、九州産業大学教授を務めた。
もっと読む
安川 寛(やすかわ ひろし、1903年1月12日 - 199… 安川 寛(やすかわ ひろし、1903年1月12日 - 1999年2月18日)は、日本の経営者、工学博士。安川電機社長、会長を務めた。福岡県北九州市出身。 旧制小倉中学校を経て、1927年に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、1934年に東京帝国大学大学院を修了。東京大学で講師、航空研究所嘱託として勤務し、1936年に安川電機製作所取締役に就任。1944年に社長に就任し、1972年に会長を経て、1985年に名誉顧問に就任。 北九州商工会議所会頭、福岡大学理事長、エフエム九州社長、日本電機工業会会長、日本経営者団体連盟常任理事なども歴任。 1964年に藍綬褒章を受章し、1973年に勲二等瑞宝章を受章。
もっと読む
藤原 守胤(ふじわら もりたね、1901年10月11日 - … 藤原 守胤(ふじわら もりたね、1901年10月11日 - 1977年12月14日)は、日本のアメリカ史学者。慶應義塾大学名誉教授。日本初の女性弁護士の一人である久米愛は実妹。 福岡県福岡市生まれ。1925年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。翌年からイギリス、フランスに留学し、1927-1930年ハーバード大学大学院に在籍。1942年立教大学アメリカ研究所常務理事、1945年所長。1949年立教大学教授。1950年「アメリカ建国史論」で東京大学法学博士。1951年慶應義塾大学法学部教授。1958年同大学理事を務め、1964年義塾賞受賞。1970年退職、名誉教授。その後は京都外国語大学教授を務めた。
もっと読む
古賀 良彦(こが よしひこ、1901年7月24日 - 196… 古賀 良彦(こが よしひこ、1901年7月24日 - 1967年6月29日)は、日本の医学者、教育者。 1901年(明治34年)、福岡県朝倉郡大福村(現・朝倉市)に生まれる。福岡県立朝倉中学校には、実家(乳業家)の手伝いとして牛乳配達を続けながら通い、熊本市にあった第五高等学校、さらに九州帝国大学に進学した。1927年(昭和2年)に同大医学部を卒業。内科教室に入局後に医療分野における放射線研究を始め、博士号を取得。東北大学に異動した。 東北大学でも放射線研究を続け、1936年(昭和11年)には同大電気工学科教授の抜山平一と共同で、心臓の鼓動に合わせてX線撮影(単純X線撮影)を行う技術を開発。さらに1943年(昭和18年)には胸部X線間接撮影法を開発(同年ブラジルのde Abreuも独立して開発)、第1回技術院賞を受賞した。
もっと読む
王丸 勇(おうまる いさむ、1901年3月28日 - 199… 王丸 勇(おうまる いさむ、1901年3月28日 - 1995年8月19日)は、日本の精神医学者。 福岡県議会議長、福岡市議会議長などを歴任した牛乳商・王丸代吉の長男として、福岡県久留米市に生まれる。福岡県立中学修猷館、旧制第六高等学校を経て、1926年、九州帝国大学医学部を卒業し下田光造教授の精神科に入局する。 1929年10月、九州医学専門学校(現・久留米大学医学部)神経精神医学講座開設に際して初代教授に就任し、1946年3月久留米医科大学教授、1950年4月久留米大学医学部教授となり、後に久留米大学医学部長を2期務めている。日本精神神経学会会長、日本精神分析学会会長、九州精神神経学会会長を歴任する。
もっと読む
真井 耕象(まない こうぞう、1901年3月3日 - 200… 真井 耕象(まない こうぞう、1901年3月3日 - 2000年2月16日)は、日本の土木工学者。北海道大学名誉教授。
もっと読む
野口 恒樹(のぐち つねき、1901年2月7日 - 1989… 野口 恒樹(のぐち つねき、1901年2月7日 - 1989年11月7日)は、日本の哲学者。皇学館大学名誉教授。 福岡県遠賀郡芦屋町生まれ。愛媛県師範学校教諭、海軍教授、長崎県立短期大学教授を経て、皇学館大学教授・名誉教授。
もっと読む
古森 善五郎(こもり ぜんごろう、1901年 - 1959年… 古森 善五郎(こもり ぜんごろう、1901年 - 1959年)は、日本の外科学者、ドイツ陸軍の軍人(軍医)。
もっと読む
棚橋 影草(たなはし えいそう、1899年12月1日 - 1… 棚橋 影草(たなはし えいそう、1899年12月1日 - 1970年9月9日)は、日本の俳人、医学者。福岡県福岡市出身。本名は棚橋陽吉。 1918年福岡県立中学修猷館を経て、九州帝国大学医学部を卒業し、同大医学部教授に就任。貝の血液研究でも知られる。 昭和の初めから、吉岡禅寺洞に師事し、俳誌「天の川」幹部同人となり、新興俳句の隆盛期に評論などで活躍した。一時横山白虹の後を継ぎ「天の川」を編集している。1938年以後目を病み、句作から離れた。
もっと読む
平井 新(ひらい あらた、1899年9月10日 - 2000… 平井 新(ひらい あらた、1899年9月10日 - 2000年3月9日)は、日本の社会思想史学者。慶應義塾大学経済学部長・大学院経済学研究科委員長・名誉教授・野球部長。福岡市出身 。
もっと読む
福井 健夫(ふくい たけお、1897年 - 1986年)は郷… 福井 健夫(ふくい たけお、1897年 - 1986年)は郷土史家。
もっと読む
浅香 末起(あさか すえき、1896年11月10日 - 19… 浅香 末起(あさか すえき、1896年11月10日 - 1971年)は、日本の植民政策学者。 福岡藩士族徳島徳の四男として福岡県に生まれる。1914年福岡県立中学修猷館、1917年第二高等学校を経て、1921年3月京都帝国大学経済学部を卒業。京大在学中に浅香家に迎えられ結婚し、浅香に改姓した。 1921年4月日本銀行に入行するが、研究者を志し、1923年2月台北高等商業学校(現・国立台湾大学管理学院)講師に就任、1924年5月同教授に昇任する。1931年2月大阪商科大学(現・大阪市立大学)助教授に転じ、1933年3月同教授に昇任する。1935年10月から1年間、植民政策研究のため欧米に留学し、1941年7月より1944年9月まで、大阪商科大学に在籍したまま外務省事務嘱託を務める。
もっと読む
香原 一勢(こうはら かずなり、1896年‐1981年10月… 香原 一勢(こうはら かずなり、1896年‐1981年10月12日)は、日本の編集者、哲学者。 福岡県北九州市出身。1918年早稲田大学文学部哲学科卒。神田豊穂の興した春秋社に入り編集者として活躍、雑誌『帝国教育』『日本歴史』などを編集。香原志勢は長男。墓所は多磨霊園。
もっと読む