西原 一義(にしはら かずよし、1948年3月3日 - )は… 西原 一義(にしはら かずよし、1948年3月3日 - )は、日本の実業家。西原商会創業者・名誉会長。食品産業功労賞受賞。 鹿児島県出身。1966年鹿児島県立鹿児島工業高等学校卒業。電気工事会社の技術者を経て、1971年に父・西原喜一郎らとともに西原商会を創業。全国展開や製造子会社の吸収により急速に事業を拡大させ、2012年に西原商会会長に退いた。2023年食品産業功労賞受賞。
伊牟田 均(いむた ひとし、1948年2月27日 - )は、… 伊牟田 均(いむた ひとし、1948年2月27日 - )は、日本の実業家。城山観光社長、会長を歴任。 1948年鹿児島県鹿児島市生まれ。鹿児島高等学校卒業。1970年に鹿児島大学法文学部経済学科を卒業し、野村證券に入社。1987年よりノムラ・ニューヨークに副社長として赴任。1988年本社国際金融部長。1990年ノムラ・シンガポール取締役社長。1993年日本合同ファイナンス(現・ジャフコ)取締役、1997年同アメリカ・ベンチャーズ会長、2001年日本合同ファイナンス専務取締役。2003年野村・中国投資副社長兼オークラガーデンホテル上海副理事長、北京発展大廈有限公司常務理事。2008年、城山観光ホテルを運営する私的整理後の城山観光株式会社に代表取締役副社長として入る。
坂元 龍三(さかもと りゅうぞう、1947年11月20日 -… 坂元 龍三(さかもと りゅうぞう、1947年11月20日 - )は日本の実業家。東洋紡株式会社代表取締役会長、日本化学繊維協会会長、日本経営協会副会長、関西経済連合会副会長、クラブ関西理事長。 鹿児島県鹿屋市生まれ。
堀之内 九一郎(ほりのうち きゅういちろう、1947年10月… 堀之内 九一郎(ほりのうち きゅういちろう、1947年10月5日 - )は、日本の実業家。リサイクルショップチェーンの株式会社創庫生活館の創業者で代表取締役社長。 西川産業株式会社、古河電気工業株式会社、明治安田生命、株式会社レオパレス21などの企業や、青年会議所、大阪商業大学といった教育機関などで、講演活動を行っていた。「堀之内道場」という研修も行っていた。
山口 俊郎(やまぐち としろう、1946年(昭和21年)5月… 山口 俊郎(やまぐち としろう、1946年(昭和21年)5月21日 - )は、日本の実業家。第5代セブン-イレブン・ジャパン代表取締役社長や、日本フランチャイズチェーン協会副会長を務める。 鹿児島県出身。鹿児島玉龍高等学校を経て、1970年中央大学商学部卒業、東京精密入社。1977年ヨークセブン(現セブン-イレブン・ジャパン)入社。1985年オペレーション本部ゾーンマネジャー。1990年取締役に昇格。2002年から代表取締役社長を務めた。2005年日本フランチャイズチェーン協会副会長。2009年セブン-イレブン・ジャパン顧問。
竹園 正繼(たけぞの まさつぐ、1946年1月25日 - )… 竹園 正繼(たけぞの まさつぐ、1946年1月25日 - )は、日本の実業家、馬主。 建築物の耐震補強材を開発・製造するテイエム技研株式会社の創業者。また、「テイエム」の冠名で競走馬を所有する馬主としても知られ、鹿児島県と北海道でテイエム牧場も経営するオーナーブリーダーである。名前は正継とも表記される。 1946年生まれ。鹿児島県肝属郡垂水町(現・垂水市)出身。 高校卒業後に東京へ移った後、1979年に自身が開発した建築補強材の特許を取得し、単身でテイエム技研株式会社を設立。翌年に「ウェブレン」を代表とする特許製品を売り出し、急速に売上げを伸ばした。これ以前から発明家として活動しており、水陸両用車を製作したときに「町の発明家」としてテレビ取材を受けた経験もある。
山元 峯生(やまもと みねお、1945年(昭和20年)7月2… 山元 峯生(やまもと みねお、1945年(昭和20年)7月22日 - 2010年(平成22年)1月28日)は日本の実業家。全日本空輸(全日空)代表取締役社長、副会長を歴任。 1970年4月、京都大学法学部卒業後、全日本空輸入社。 客室や法務、人事など幅広く経験。2003年度からの人件費構造改革では労務担当として大橋洋治社長を支えた。 2005年4月に社長就任。前任の大橋社長は推し進めたリストラ策を引き継いで、コスト削減や高価格帯サービスの訴求(スーパーシートプレミアム)、アジア路線を中心とした国際線の増強などを進め、ライバルの日本航空を上回る収益体質を固めた。またグループのシンクタンクで、新サービスの提案を研究・開発を担うANA総合研究所を創設。
上野 至大(うえの みちとも、1944年11月2日 - )は… 上野 至大(うえの みちとも、1944年11月2日 - )は、日本の実業家。第2代NTT西日本代表取締役社長を務めた。 鹿児島県揖宿郡山川町(現指宿市の一部)生まれ。1963年鹿児島県立指宿高等学校卒業。1967年九州大学工学部電子工学科卒業、日本電信電話公社入社。1996年日本電信電話取締役相互接続推進部長。取締役西日本会社移行本部副本部長を経て、1999年に西日本電信電話が設立されると同社代表取締役副社長に就任し、新世代通信網開発センター代表取締役社長も兼務した。2002年から西日本電信電話代表取締役社長を務めた。2004年西日本電信電話取締役相談役。2011年九州大学関西同窓会会長。2019年九州大学関西同窓会名誉会長。
有村 正意(ありむら まさおき、1944年9月17日 - )… 有村 正意(ありむら まさおき、1944年9月17日 - )は、日本の官僚、実業家。 鹿児島県鹿児島市出身。1963年鹿児島県立甲南高等学校卒業。1968年に東京大学法学部を卒業し、郵政省に入省。電気通信局電気通信事業部長、近畿郵政局長、通信政策局長を歴任し、2000年6月に退職。 アンダーコンサルティング顧問を経て、2002年7月にNTTドコモ関西の顧問に就任し、2003年からNTTドコモに併合される2008年までに社長を務めた。 東京海上日動火災保険顧問、大阪商工会議所情報・通信部会長、関西経済連合会情報通信委員会副委員長なども歴任した。 2015年春に瑞宝中綬章を受章した。
青崎 済(あおさき わたる、1943年6月14日 - )は、… 青崎 済(あおさき わたる、1943年6月14日 - )は、日本の実業家。日本製粉代表取締役社長や、同社特別顧問を務めた。 鹿児島県出身。1962年鹿児島県立川内高等学校卒業。1968年九州大学法学部卒業、日本製粉入社。仕入れや製造に携わり、小山工場長、千葉工場長を経て、2001年取締役千葉工場長に昇格。2002年取締役経営企画部長。2004年常務取締役製粉業務部長。2005年常務取締役製粉事業本部長。2006年から代表取締役社長(C.O.O.)を務め、意識改革などにあたった。2008年にリーマン・ショックが発生し、2009年に特別顧問に退いた。
有馬 利男(ありま としお、1942年5月31日 - )は、… 有馬 利男(ありま としお、1942年5月31日 - )は、日本の実業家。富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)代表取締役社長や、ジャパン・プラットフォーム共同代表理事、りそなホールディングス取締役指名委員会委員長、キリンホールディングス取締役、富士重工業(現:SUBARU)取締役などを歴任した。 鹿児島県鹿児島市出身。ラ・サール高等学校卒業後、1年間の大学受験浪人生活を経て、京都大学にも合格したが国際基督教大学に進学する。1967年に大学を卒業し、富士ゼロックス入社。2002年から富士ゼロックス代表取締役社長を務めた。2006年富士フイルムホールディングス取締役。2007年富士ゼロックス取締役相談役。
坂井 宏行(さかい ひろゆき、1942年4月2日 - )は、… 坂井 宏行(さかい ひろゆき、1942年4月2日 - )は、日本の料理人、実業家。ラ・ロシェル店主、株式会社サカイ食品代表取締役会長。通称はムッシュ。 西洋膳所ジョン・カナヤ麻布シェフ(初代)、株式会社サカイ食品社長(初代)などを歴任した。 鹿児島県出水市出身のフランス料理人である。フランス料理に日本の懐石料理の手法を取り入れたことで有名。東京都港区南青山にあるレストラン「ラ・ロシェル」のオーナーシェフであり、同店の運営会社である株式会社サカイ食品の代表取締役社長を務めていた。フジテレビの料理対決番組『料理の鉄人』に「フレンチの鉄人」として出演。身長173cm、A型。 父が仕事のため当時日本領であった朝鮮に渡っていたことから、1942年(昭和17年)に朝鮮で生まれた。
本田 勝彦(ほんだ かつひこ、1942年(昭和17年)3月1… 本田 勝彦(ほんだ かつひこ、1942年(昭和17年)3月12日 - )は、日本の実業家。 元日本たばこ産業社長。同社相談役、顧問を経て、社友。元・NHK経営委員会委員長職務代行者。 鹿児島県日置市の旧日置郡日吉町出身。1942年、小学校教諭の父・省吾と母・藤の間に、5人兄弟の4番目として誕生。町立日置小学校を経て、日置中学校3年在籍中の10月に長兄のいる東京へ移り、足立区立第十六中学校に転校。東京都立上野高等学校を経て、1965年東京大学法学部卒業後は、日本専売公社(現・日本たばこ産業)に入社。人事部長、たばこ事業本部長などを経て、2000年に日本たばこ産業 (JT) 社長に就任した。JT社長を退任後は相談役、顧問を経て社友。
浜田 卓二郎(濱田 卓二郎、はまだ たくじろう 1941年〈… 浜田 卓二郎(濱田 卓二郎、はまだ たくじろう 1941年〈昭和16年〉10月5日 - 2022年〈令和4年〉5月16日)は、日本の弁護士、実業家、元政治家。 妻は実業家、エッセイストの浜田マキ子、長男の妻はコカ・コーラ ボトラーズジャパンホールディングス社外取締役などを務める浜田奈巳。位階勲等は正四位旭日重光章。 鹿児島県姶良郡加治木町(姶良市)生まれ。祖父は故浜田精蔵衆議院議員。父は警察官。神奈川県横須賀市に転居し、栄光学園中学校・高等学校、東京大学法学部卒業。東大在学中の1964年、国家公務員採用上級職甲種試験、司法試験に合格。1965年に東京大学法学部を卒業し、大蔵省に入省した。同年、結婚。
野間口 有(のまくち たもつ、1940年11月18日 - )… 野間口 有(のまくち たもつ、1940年11月18日 - )は、日本の実業家。三菱電機相談役。元産業技術総合研究所理事長。 1940年に鹿児島県で生まれる。出水市出身。1965年京都大学大学院理学研究科修士課程修了。同年に三菱電機に入社後、一貫して研究開発畑を歩き、2002年4月に代表取締役社長に就任。重電分野に経営資源を集中する「選択と集中」を進め、2002年3月期には780億円の連結最終赤字を計上した業績を、純利益で業界1位に回復させた。 知的財産権に関する見識が高く、総合科学技術会議知的財産戦略専門調査会専門委員、産業構造審議会知的財産政策部会委員、工業所有権審議会委員、日本経済団体連合会知的財産委員会委員長、日本知的財産協会会長、内閣官房知的財産戦略本部本部員を務めた。
永山 在紀(ながやま ありのり、1940年5月3日 - )は… 永山 在紀(ながやま ありのり、1940年5月3日 - )は、日本の実業家。南国殖産代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長・グループCEO。元鹿児島県経営者協会会長。長崎自動車取締役、宮崎ガス取締役、日本ガス取締役、南日本銀行監査役。 鹿児島県鹿児島市出身。1959年鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業。1965年一橋大学経済学部卒業。一橋大学ア式蹴球部出身。同年積水化学工業入社。1993年積水化学工業東京支店長。 1996年南国殖産取締役企画部長。1997年南国殖産常務取締役。1998年南九州サンクス代表取締役社長。2000年鹿児島県労働委員会委員。2004年から南国殖産代表取締役社長を務め、鹿児島市の景観まちづくり賞を受賞した南国センタービルの開発などを進めた。
古川 洽次(ふるかわ こうじ、1938年4月26日 - )は… 古川 洽次(ふるかわ こうじ、1938年4月26日 - )は、日本の実業家。三菱商事取締役副社長等を経て、日本郵政グループで、ゆうちょ銀行取締役兼代表執行役会長、郵便局代表取締役会長、日本郵便代表取締役会長を歴任した。 東京で生まれ、太平洋戦争中に母の故郷鹿児島県の現薩摩川内市に疎開した。鹿児島県立甲南高等学校を経て、1962年九州大学法学部法律学科卒業、三菱商事入社、営業会計部配属。1992年取締役広報部長に昇格。1993年取締役人事部長。1995年常務取締役名古屋支店長。1999年取締役副社長。 2004年三菱自動車工業取締役副会長。2005年三菱商事常任顧問。2007年ゆうちょ銀行取締役兼代表執行役会長。
是枝 伸彦(これえだ のぶひこ、1937年9月11日 - )… 是枝 伸彦(これえだ のぶひこ、1937年9月11日 - )は、日本の実業家。ミロク情報サービス創業者で、同社代表取締役会長取締役会議長。元テレコムサービス協会会長。後任の代表取締役社長に就任した是枝周樹は長男。 鹿児島県甑島列島の薩摩郡下甑村(現薩摩川内市)で万屋の子として生まれる。長浜国民学校、長浜中学校を経て、鹿児島市に下宿し、1956年鹿児島県立甲南高等学校卒業。1960年中央大学法学部政治学科卒業。 映画監督になろうと考え松竹や日活の助監督採用試験を受けたが落ち、大学卒業後は東京オフィスマシンに入社。1977年ミロク情報サービス設立。1980年同社代表取締役社長就任。1992年同社代表取締役会長兼社長。
三ツ井 康(みつい やすし、1937年(昭和12年)1月7日… 三ツ井 康(みつい やすし、1937年(昭和12年)1月7日 - 2021年(令和3年)5月3日)は、日本の実業家。フジテレビ副社長、共同テレビジョン社長、扶桑社社長などを歴任した。鹿児島県鹿児島市出身。 鹿児島市長を1期務めた三ッ井卯三男の長男として生まれる。 鹿児島県玉龍高等学校、一橋大学社会学部を卒業。森園幸男(人事院事務総長)、森元順司(光文社常務)は、高校の同級生。 1960年4月、フジテレビに入社。1988年4月、取締役に選任され、のち常務。1980年代、編成局の主要ポストを歴任し、フジの全盛期を支え、1981年初頭には、「楽しくなければテレビじゃない」のキャッチフレーズを案出し、開局当初の「母と子のフジテレビ」にとって替わる大ヒット作品となった。
鵜狩 道夫(うがり みちお、1936年7月14日 - 201… 鵜狩 道夫(うがり みちお、1936年7月14日 - 2018年8月27日)は、鹿児島県日置市出身のプロ野球選手(投手)、スポーツ店経営者。現役時代は「鵜狩 好応」、「鵜狩 道旺」の登録名も使った。 伊集院高から社会人野球の鹿児島市交通局を経て、1955年に西鉄ライオンズに入団。 西鉄では3年間で1勝もできなかったが、1958年に広島カープに移籍するとチーム最多の23試合先発を果たし、初勝利を含め6勝を挙げる。1958年9月19日、長嶋茂雄にこれが認められたらトリプルスリーとなっていた幻の本塁打を打たれる。翌1959年には、元近鉄パールス監督の藤田省三からマンツーマンの指導を受け、シュートをマスターして11勝10敗を記録、初めて規定投球回(7位、防御率2.53)に達する。
広田 亮一(ひろた りょういち、1935年12月27日 - … 広田 亮一(ひろた りょういち、1935年12月27日 - 2024年1月3日)は、日本のジャーナリスト、新聞経営者。南日本新聞社社長を務めた。鹿児島県鹿児島市出身。 1958年に鹿児島大学文学部国文学科を卒業し、南日本新聞社に入社。1990年2月に取締役に就任し、1991年12月に常務、1993年12月に専務を経て、1995年12月から1999年12月までに社長を務めた。 2024年1月3日、特発性間質性肺炎のために死去。88歳没。
郡山 史郎(こおりやま しろう、1935年 - )は、日本の… 郡山 史郎(こおりやま しろう、1935年 - )は、日本の実業家。シンガー日本代表や、ソニーPCL代表取締役社長、同社代表取締役会長、ソニー顧問、CEAFOM代表取締役、小僧com代表取締役社長などを歴任した。 鹿児島県指宿市生まれ。1954年ラ・サール高等学校卒業。1958年一橋大学経済学部卒業、伊藤忠商事入社。1959年ソニー入社。1973年シンガー入社。シンガー日本代表を経て、1981年ソニー映像事業部長 。1984年ソニー情報機器事業本部長。1985年ソニー取締役。1988年ソニー経営戦略本部長。1990年ソニー常務取締役。1991年ソニー一般地域統括本部長、資材本部長、サービス本部長、物流本部長。
枝元 賢造(えだもと けんぞう、1933年4月28日 - 2… 枝元 賢造(えだもと けんぞう、1933年4月28日 - 2004年6月22日)は、日本の実業家。サッポロビールの社長を務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、1955年に東京大学法学部を卒業し、日本麦酒に入社。ビール業界で初めての地域限定商品「クラシック」の開発に関わり、1987年3月に取締役に就任し、1990年3月に常務、1991年3月に専務、1993年3月に副社長を経て、1995年3月に社長に就任。品質シートや定温輸送車を他社よりも先駆けて導入するなど品質にこだわる同社の理念を実践していった。また、サッポロクラシックの販売促進に力を入れ、そのサッポロクラシックの一本当たり1円をコンサドーレ札幌に寄付するキャンペーンを行った。
浜田 広(はまだ ひろし、1933年4月28日 - )は、日… 浜田 広(はまだ ひろし、1933年4月28日 - )は、日本の実業家。リコー社長、会長を歴任。 鹿児島県鹿児島市高麗町生まれ。疎開をきっかけに、小学校(国民学校)6年生の初め頃から、母の郷里である桜島の鹿児島郡西桜島村(後の桜島町、現在鹿児島市)で育つ。桜峰国民学校(西桜島村立桜峰小学校、後に桜島町立桜峰小学校、鹿児島市立桜峰小学校)卒業。学制改革により旧制鹿児島第二鹿児島中学校から新制鹿児島県立鹿児島高等学校第四部併設中学校を卒業し、1952年鹿児島県立甲南高等学校卒業。中学・高校は桜島から船で通った。1957年に東京大学経済学部を卒業し、リコーに入社。東京支社長、取締役などを歴任し、1983年から1996年までに社長を務めた。
迫田 太(さこだ ふとし、1932年3月12日 - 2025… 迫田 太(さこだ ふとし、1932年3月12日 - 2025年10月28日)は、日本のジャーナリスト、実業家。毎日新聞社顧問。同社元副社長・大阪本社代表。関西プレスクラブ名誉会員。福岡県または鹿児島市出身。2017年現在、兵庫県神戸市在住。 学制改革により新制高等学校となった鹿児島県立甲南高等学校を1期生として卒業。 1954年、鹿児島大学農学部農芸化学科卒業。同年4月に毎日新聞社に入社。1985年5月、大阪本社編集局長。1986年5月、本社販売局長。1987年6月、取締役西部本社代表。1991年6月、常務取締役大阪本社代表。以後、専務取締役大阪本社代表を経て、副社長大阪本社代表に就任。2000年6月に退任し、相談役となる。
稲盛 和夫(いなもり かずお、1932年〈昭和7年〉1月21… 稲盛 和夫(いなもり かずお、1932年〈昭和7年〉1月21日 - 2022年〈令和4年〉8月24日)は、日本の実業家、技術者。京セラや第二電電(現・KDDI)の創業者であり、京セラ社長・名誉会長を歴任した他、後年には経営破綻した日本航空の会長に就任し、同社の経営再建を担った(後に日本航空名誉会長)。公益財団法人稲盛財団理事長。「盛和塾」塾長。 妻の朝子は、禹長春の四女である。 1932年(昭和7年)、鹿児島県鹿児島市薬師町に7人兄弟の次男として生まれる。父の畩市は「稲盛調進堂」という名で印刷工場を経営していた。西田尋常高等小学校(現在の鹿児島市立西田小学校)を卒業し、私立鹿児島中学校(旧制、現在の鹿児島高等学校)へ進む。
上野 喜一郎(うえの きいちろう、1929年 <昭和4年> … 上野 喜一郎(うえの きいちろう、1929年 <昭和4年> 11月12日 - 2008年 <平成20年> 1月8日)は、日本の経営者。南国殖産社長を務めた。位階は従五位。 鹿児島県鹿児島市出身。1953年に慶應義塾大学経済学部を卒業。東京貿易での勤務を経て、1956年11月に南国殖産取締役に就任し、1971年6月に社長に就任。1993年には鹿児島讀賣テレビ社長に就任。 2002年4月に勲四等旭日小綬章を受章。 2008年1月8日に腎不全のために死去。78歳没。死没日付をもって従五位に叙された。 上野喜左衛門(南国殖産代表取締役社長や参議院議員などを歴任)は父。永山在紀(元南国殖産代表取締役社長)は従弟。
日高 旺(ひだか うまし、1929年(昭和4年)5月9日 -… 日高 旺(ひだか うまし、1929年(昭和4年)5月9日 - 2022年(令和4年)6月17日)は、日本のジャーナリスト、新聞経営者。南日本新聞社社長、鹿児島テレビ放送(KTS)社長を歴任したほか、民俗ジャーナリストとしても知られた。 父は種子島にある鹿児島県西之表町出身の小学校教師で、彼の赴任先である屋久島の上屋久村にて生誕。2歳の頃より母方の祖父である三浦安能西之表町長(元上屋久村長)のもとに預けられて幼少期を過ごす。小学校より鹿児島市に移り、鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)卒業。文化学院中退の後、鹿児島県立大学短期大学部国文科を1952年に卒業。 アルバイトをしていた南日本新聞社へ1951年に入社し、新聞記者となる。
海江田 順三郎(かいえだ じゅんさぶろう、1928年 - 2… 海江田 順三郎(かいえだ じゅんさぶろう、1928年 - 2025年5月5日)は、日本の実業家。高島屋開発社長、相談役、鹿児島市教育委員長、鹿児島県日中友好協会会長、名誉会長等を歴任。 鹿児島県鹿児島市出身。旧制の鹿児島商業学校(現鹿児島商業高等学校)から転校して、鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)に入り1947年卒業。旧制中学生時代の1945年1月から勤労動員され、第4学年に進級した4月には長崎県佐世保市の海軍工廠へ動員される。1945年6月に陸軍航空士官学校入校の二次試験を受け(敗戦により学校解散のため入校せず)、熊本市(熊本陸軍幼年学校)が試験会場だったため、佐世保市にすぐ戻らず鹿児島市潮見町(汐見町)朝日通りの実家に帰省したところ、6月17日夜の鹿児島大空襲に遭遇する。
川北 徹(かわきた とおる、1927年10月13日 - 20… 川北 徹(かわきた とおる、1927年10月13日 - 2009年6月29日)は、日本の経営者。三井金属鉱業社長、相談役などを歴任。 島根県出身または鹿児島県いちき串木野市旧串木野市地域出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校(鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1948年に熊本工業専門学校冶金学科(現熊本大学工学部)を卒業し、同年に三井鉱山に入社した。神岡鉱山(岐阜県)や竹原製錬所(広島県)で製錬技術者として業務に従事。竹原製錬所の労組委員長も務めた。三井鉱山から1950年に神岡鉱業が分離し1952年に三井鉱山から三井金属鉱業に社名変更した後は、三井金属鉱業勤務。1981年に取締役に就任し、1984年6月に常務、1987年6月に専務、1989年6月に副社長を経て、1990年6月には社長に就任した。
植之原 道行(うえのはら みちゆき、1925年9月5日 - … 植之原 道行(うえのはら みちゆき、1925年9月5日 - 2007年12月19日)は、日本の電子工学者(電気工学者)、技術経営者。Doctor of Philosophy、工学博士。日本電気(NEC)の中央研究所所長、各取締役、副社長・最高技術経営者、特別顧問、顧問を歴任し、半導体デバイス分野などで多くの実績をあげた。多摩大学名誉教授、IEEEフェロー。 鹿児島県生まれ。同県日置郡串木野村(後の日置郡串木野町、串木野市、いちき串木野市)出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1943年広島陸軍幼年学校卒業、1945年陸軍航空士官学校(59期)卒業。1949年日本大学旧工学部(現日本大学理工学部)電気工学科卒業し、同学科の助手となる。
高山 冨士雄(たかやま ふじお、1925年8月10日 - 2… 高山 冨士雄(たかやま ふじお、1925年8月10日 - 2014年7月7日)は、日本の経営者。安田信託銀行社長を務めた。 鹿児島県日置郡伊集院町(現日置市)出身。伊集院小学校、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1945年旧制第七高等学校造士館文科卒業。1949年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に中央信託銀行(のちの安田信託銀行)に入行。1972年5月に取締役に就任し、1976年6月に常務、1980年6月に専務、1984年6月に副社長を経て、1986年6月には社長に就任。1992年4月に会長に就任し、1996年4月には相談役に就任。社長在任中、信託協会会長も務めた。
藤崎 章(ふじさき あきら、1921年5月1日 - 2007… 藤崎 章(ふじさき あきら、1921年5月1日 - 2007年9月13日)は、日本の経営者。住友金属鉱山社長、会長、相談役、経済同友会幹事等を歴任。 鹿児島県鹿児島市生まれ、出身。 旧制の東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)を経て、1939年3月第一高等学校卒業。第一高等学校では水泳部主将。1941年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、1942年に住友金属鉱山に入社。1967年5月に取締役に就任し、1970年2月に常務を経て、1973年5月に社長に就任。1983年6月に会長に就任。1988年相談役に就く。 1979年4月に藍綬褒章を受章し、1987年11月に勲一等瑞宝章を受章した。 2007年9月13日老衰のために死去。
上田 格(かんだ かく、1921年 <大正10年> 4月29… 上田 格(かんだ かく、1921年 <大正10年> 4月29日 - 2015年 <平成27年> 2月8日)は、日本の経営者、銀行家。鹿児島銀行頭取を務めた。位階は従五位。 鹿児島県鹿児島市出身。1939年に鹿児島県立第二鹿児島中学校(旧制、現鹿児島県立甲南高等学校)を卒業し、1941年に鹿児島高等商業学校(現鹿児島国際大学)を卒業。1942年11月出征、1945年11月復員。1946年に鹿児島銀行に入行。1948年伊集院支店を振り出しに、串良支店、都城支店と勤務し、1953年本店営業部貸付課長代理に着任して以降、ほぼ一貫して営業畑を歩む。1972年に取締役に就任し、1978年に常務、1980年に専務を経て、1986年に副頭取に就任し、1988年3月には頭取に昇格。
長島 公佑(ながしま こうすけ、1920年11月30日 - … 長島 公佑(ながしま こうすけ、1920年11月30日 - 2003年11月19日)は、日本の実業家。長島商事創業者。鹿児島県唯一の遊園地であったジャングルパーク遊園地や長島美術館などを建設した。 鹿児島県大島郡喜界町羽里出身。1951年10月、長島商事を設立。1960年には指宿市で熱帯植物の育成販売業開始した(現、長島植物園)。1970年、鹿児島市与次郎に国際ジャングルパークを建設した。1971年12月、かごしま熱帯植物園を隣接地に開園した。 1985年4月、財団法人長島文化財団を設立する。故郷の喜界町に2億2千万円を寄付し、1985年4月に喜界町図書館が開館された。1989年に現在の武三丁目に長島美術館を建設し、長年収集してきた美術品を公開した。
面高 信俊(おもだか のぶとし、1920年4月11日 - 2… 面高 信俊(おもだか のぶとし、1920年4月11日 - 2010年2月13日)は、日本の実業家。王子製紙副社長、王子ティッシュ販売社長、新王子製紙特別顧問などを歴任。 鹿児島県川辺郡加世田村武田(川辺郡加世田町武田、加世田市武田を経て現南さつま市加世田武田)生まれ。鹿児島市へ移り上荒田で育つ。荒田尋常高等小学校(現鹿児島市立荒田小学校)、鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)、陸軍予科士官学校を経て、1941年に陸軍航空士官学校を卒業し、少尉として陸軍入隊。1942年陸軍航空技術学校へ移り発動機の研究員。1944年陸軍航空士官学校教官。 戦後、1949年に東京工業大学工学部機械工学科を卒業し、日本パルプ工業へ入社。
西元 文平(にしもと ぶんぺい、1917年8月28日 - 2… 西元 文平(にしもと ぶんぺい、1917年8月28日 - 2008年2月29日)は、日本の経営者。日立建機社長、会長、相談役、名誉相談役を歴任。 鹿児島県鹿児島市下竜尾町出身。兵庫県神戸市で生まれ、小学2年生の時に故郷鹿児島へ移る。鹿児島市立大龍小学校、鹿児島商業学校(現鹿児島商業高等学校)を経て、1935年に長崎高等商業学校(現長崎大学経済学部)へ進学し、1938年に卒業。 1938年、日立製作所に入社し、日立工場勤務。経理部長を経て、1969年に日立建機取締役となる。1970年11月に日立建機常務に就任し、1979年6月に専務を経て、1981年6月に社長に就任。1987年6月に会長に就任し、1991年6月に相談役を経て、1997年6月から名誉相談役を務めた。
山田 酉吉(やまだ ゆうきち、1916年5月25日 - 19… 山田 酉吉(やまだ ゆうきち、1916年5月25日 - 1987年4月1日)は、日本の実業家。味覚糖創業者で、社長、会長を歴任。 鹿児島県大島郡伊仙村(後に伊仙町)西伊仙出身。1932年に伊仙尋常高等小学校高等科を卒業し、同年4月から大阪市の菓子卸問屋に勤める。1936年11月、大阪市にて菓子卸小売店を経営。1941年9月、菓子統制により卸業者11店で配給組合を結成し、支配人となる。1943年8月、株式会社大和鉄工所を設立して代表取締役に就いて航空機部分品の生産に従事するが、1945年6月7日に戦災を受けて会社解散。奈良県に疎開。 戦後の1948年3月、大阪市に菓子卸業の株式会社誠商会を設立し、会長に就く。
川越 政則(かわごえ まさのり、1916年2月20日 - 1… 川越 政則(かわごえ まさのり、1916年2月20日 - 1998年9月6日)は、日本のジャーナリスト、新聞経営者、郷土史家。南日本新聞社社長を務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。1939年に早稲田大学法学部法律学科を卒業。佐世保海軍経理部調達係での勤務を経て、1943年4月に鹿児島日報社、後の南日本新聞社に入社し、1961年12月に取締役に就任し、1962年12月に常務、1968年3月に鹿児島テレビ放送専務を経て、1972年11月から1981年12月までに南日本新聞社社長を務めた。 1986年4月に勲三等瑞宝章を受章した。 郷土史家、民芸品収集家としても知られ、鹿児島県文化財専門委員等も務めた。著書に『南日本文化史』『南日本風土記』『鹿児島の旅』『鹿児島県史概説』『鹿児島民芸風土記』『鹿児島の美 南日本民芸図説』『焼酎文化図譜』など。
田丸 秀治(たまる ひではる、1914年4月20日 - 19… 田丸 秀治(たまる ひではる、1914年4月20日 - 1990年1月25日)は、日本の実業家。電通代表取締役社長、代表取締役相談役、日本広告業協会理事長等を歴任。マルさんの愛称で親しまれた。 鹿児島県鹿児島市生まれ、出身。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を経て、1935年第七高等学校造士館文科卒業。1938年東京帝国大学文学部を卒業。旧制中学校の教諭を経て、七高先輩の吉田秀雄に招かれて1948年に日本電報通信社に入社。部長、局長を経て、1967年に電通常務取締役に就任。その後、専務取締役を経て、1977年に代表取締役社長に就任。同時に吉田秀雄記念事業財団の理事長にもなる。
小牧 次生(こまき つぎお、1911年(明治44年)9月 -… 小牧 次生(こまき つぎお、1911年(明治44年)9月 - 没年不詳)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 鹿児島県薩摩郡、のちの川内市(現薩摩川内市)で生まれる。旧制鹿児島県立川内中学校(現鹿児島県立川内高等学校)を経て、1932年(昭和7年)に旧制第七高等学校造士館文科を卒業して東北帝国大学法文学部へ進学するが、1933年(昭和8年)に東京帝国大学法学部法律学科へ入学し直す。1936年(昭和11年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業した。 三井鉱山(現日本コークス工業)に入社。終戦直前に帰郷した。その後、鹿児島造船役員、東亜重工業役員、西日本建設業保証 (株) 営業所長などを務めた。 戦後、山中貞則らと青壮年同志会に加わり青年団運動に参画。
中垣 國男(なかがき くにお、1911年6月24日 - 19… 中垣 國男(なかがき くにお、1911年6月24日 - 1987年4月2日)は、日本の政治家、実業家。第16代法務大臣。衆議院議員を通算9期務めた。 鹿児島県日置郡市来町(現・いちき串木野市)に木場善太郎の四男として生まれる。同町にあった、鹿児島県第二師範学校附属小学校で学んだのち、1931年3月、鹿児島県立商船水産学校(現・鹿児島県立鹿児島水産高等学校)卒業。東京帝国大学の試験に落ち、行くところを探していたときに水産学校の教諭に勧められ東洋大学文学部哲学科に入学。 当時、東洋大学には成績上位者に対しドイツに2年、インドに3年留学できる制度があった。成績の良かった中垣は留学を勧められるも、1934年秋、強度の神経衰弱に陥ってしまう。
金久 好(かねひさ よしみ、1911年4月1日 - 2010… 金久 好(かねひさ よしみ、1911年4月1日 - 2010年7月13日)は、日本の実業家。日興證券役員、日興證券投資信託委託副社長、日興ビルディング社長などを歴任。「奄美大島に於ける「家人」の研究」等、奄美の史料論文著者としても知られる。 鹿児島県瀬戸内町出身。奄美群島加計呂麻島の諸鈍生まれ。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1931年旧制第七高等学校造士館(現鹿児島大学)文科卒業。1936年東京帝国大学経済学部卒業。三菱信託銀行から日興證券に転じる。日興證券本店債券部長(1957年)、金融法人部長(1959年)、取締役人事部長(1961年)、常務取締役(1963年)を歴任。
岩元 達一(いわもと たついち、1909年(明治42年)9月… 岩元 達一(いわもと たついち、1909年(明治42年)9月1日 - 1982年(昭和57年)6月23日)は、日本の実業家、政治家。山形屋会長、貴族院多額納税者議員。 鹿児島県鹿児島市で、実業家・岩元善蔵(岩元信兵衛弟)の三男として生まれ、伯父・信兵衛の養嗣子となり、山形屋の6代目を継承した。第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を経て、1934年(昭和9年)慶應義塾大学法学部を卒業した。その後、東京銀座の松屋に入社し、デパート経営を経験した。 1935年(昭和10年)山形屋の取締役に就任し、1943年(昭和18年)会長となる。その他、田辺鉄工所監査役、新生工業副社長、日本瓦斯取締役、小牧組取締役などを務めた。
冨満 通哉(とみみつ みちや、1908年(明治41年)12月… 冨満 通哉(とみみつ みちや、1908年(明治41年)12月1日 - 1993年(平成5年)7月23日)は、日本の実業家。神鋼電機株式会社(現シンフォニアテクノロジー株式会社)第3代代表取締社長。昭和54年4月、勲三等瑞宝章 産業振興功労 受勲。 鹿児島県出身。旧制鹿児島県立加治木中学校(現:鹿児島県立加治木高等学校)を経て、第七高等学校造士館(現:鹿児島大学法文学部・理学部)理科甲類を1929年3月に卒業。1932年3月、京都帝国大学工学部電気工学科卒業。 1932年4月、神戸製鋼所 入社(1949年株式会社神戸製鋼所より分社化し神鋼電機株式会社が設立される)。1950年11月、神鋼電機株式会社取締役就任。
四元 義隆(よつもと よしたか、明治41年(1908年)3月… 四元 義隆(よつもと よしたか、明治41年(1908年)3月8日 - 平成16年(2004年)6月28日)は日本の右翼、実業家。元三幸建設工業社長・会長。政界の指南役。血盟団のメンバーの一人。別名「一匹狼の非利権右翼」。
中川 喜次郎(なかがわ きじろう、1907年3月2日 - 1… 中川 喜次郎(なかがわ きじろう、1907年3月2日 - 1982年1月15日)は、鹿児島県出身の実業家。 鹿児島県川辺郡西南方村(現・南さつま市)にて、中川伊勢次郎・イトの次男として生まれる。高等小学校卒業後、1936年に海産物商「中川商店」を設立し、南九州の海産物を満州に卸していき、満州に渡って関東軍の御用商人として財を成す。 1940年に「唐津造船所」を創設。また中川商店の海運部を分立する形で、1944年に大連にて中川海運を設立、終戦直前に帰国し1946年に水産業に進出し中川水産を設立。1948年に照国海運を設立、油送船や鉱石専用船を中心に展開し鹿児島から奄美群島への貨客定期航路などを展開、外航分野への進出で中型タンカー会社として成長を遂げ、最盛期には国内業界9位の中堅級の外航海運会社となっていた。
西郷 隆秀(さいごう たかひで、1907年1月7日 - 19… 西郷 隆秀(さいごう たかひで、1907年1月7日 - 1985年4月24日)は、日本の学校経営者。学校法人拓殖大学理事長、顧問。 鹿児島県鹿児島市出身。西郷菊次郎の三男。1931年3月拓殖大学商学部卒業。1954年から拓殖大学評議員、理事。1955年3月から1964年6月まで拓殖大学理事長を3期務める。矢部貞治拓殖大学総長と戦後の学園復興を進めた。拓殖大学顧問や国際協力技術研修財団理事長なども務めた。1985年4月24日心肺不全で死去(78歳没)。 拓殖大学では同大学の『西郷隆秀顕彰記念外国人留学生奨学金』の創設者として知られる。また八王子キャンパスの購入仮契約の際の理事長でもある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
島崎 千里(しまざき せんり、1906年(明治39年)3月2… 島崎 千里(しまざき せんり、1906年(明治39年)3月28日-1981年(昭和56年)12月26日)は、日本の実業家。電通顧問、日本マーケティング協会初代理事長。広告業界の実力者、アイディアマンとして知られ、広告の正常化・近代化に努めた。 鹿児島県熊毛郡南種子村生まれ。1918年(大正7年)仁川尋常小学校卒業、1923年(大正12年)鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)卒業、1926年(大正15年)第七高等学校造士館 (旧制)卒業。1929年(昭和4年)に東京帝国大学経済学部を卒業後、イギリスに留学。帰国後、日本生命保険を経て産業經済新聞に入社。戦時中は軍に3度応召され、中支、南支、ビルマ、シンガポールなどの戦線に赴き、韓国で歩兵太尉として終戦を迎える。
木元 規矩男(きもと きくお、1905年11月1日 -199… 木元 規矩男(きもと きくお、1905年11月1日 -1992年11月19日)は、日本の実業家、ラグビー選手。 鹿児島県出身。旧制川内中学卒業後、明治大学に入学。 明治大学ラグビー部では(当初、柔道部だったが転部)、当初フッカーだったが北島忠治に譲り、知葉友雄とセカンドロー(ロック)を組み活躍した(5シーズン26試合出場、3トライ)。 1924年(大正13年)、明治大学在学中に秋田県のラグビーを振興するメンバーとして尽力した。 1929年(昭和4年)、毎日新聞社東京本社に入社し、東京本社総務局長、西部本社営業局長を歴任。1958年(昭和33年)、RKB毎日放送代表取締役専務、副社長を歴任した。 1974年(昭和49年)2月から1986年3月まで、九州ラグビーフットボール協会会長を務めた。