山村 聡(やまむら そう、1986年4月3日 - )は、日本… 山村 聡(やまむら そう、1986年4月3日 - )は、日本の内科医、YouTuber、ヘルスケアアドバイザー。やさしい内科クリニック院長、ドクターメイト株式会社メディカルアドバイザー。「やさしい内科医」として多数のメディア、記事監修を担当。専門は、糖尿病、内分泌疾患、AGA治療(男性型脱毛症)。九州大学医学部卒業。 公務員の父と専業主婦の母のあいだに熊本県で生まれる。幼少期を鹿児島県の山間部、霧島市の温泉地帯で過ごす。妹の出生時には熊本県の祖母宅に預けられ、3つ下の妹が誕生。父の転勤で大分県の田舎町へ引越す。小学6年の担任のすすめで中学受験、鹿児島大学の附属中学に入学。その後ラ・サール高校に入学した。
菊池 良和(きくち よしかず、1978年6月18日 - )は… 菊池 良和(きくち よしかず、1978年6月18日 - )は、日本の医師(専門は耳鼻咽喉科学)。 九州大学大学院医学研究院 耳鼻咽喉科学教室 助教(2023年現在)。 数少ない吃音症の専門医であり、かつ自らが吃音当事者である。九州大学病院で吃音外来を担当して吃音症の治療と研究にあたり、さらに吃音症についての一般社会に向けた啓発活動に尽力している。 山口県生まれ。3歳の頃に吃音症が顕在化し、周囲の無理解などの様々な困難に遭遇し続けた。公立中学校1年生の時に「吃音当事者である自分自身が医師になって、吃音症に立ち向かうしかない」と決意し、全国有数の難関校であるラ・サール高等学校に進み、1999年に九州大学医学部に入学した。
江石 清行(えいし きよゆき、1956年11月 - )は、日… 江石 清行(えいし きよゆき、1956年11月 - )は、日本の医師。長崎大学医学部心臓血管外科教授。医学博士。日本胸部外科学会指導医、日本外科学会指導医。 長崎市長射殺事件の際に、大学病院に搬送された長崎市長伊藤一長(当時)の緊急手術を担当した。 弁形成術、顕微鏡下冠動脈バイパス術、心拍動下冠動脈バイパス術、低侵襲人工心肺システム、人工弁置換術の専門家。弁形成術の日本における第一人者の一人。
中釜 斉(なかがま ひとし、1956年〈昭和31年〉7月25… 中釜 斉(なかがま ひとし、1956年〈昭和31年〉7月25日 - )は、日本の医師、医学者。専門分野は消化器内科、ライフサイエンス、病態医化学、分子腫瘍学、がんゲノム、環境発がん。日本医療研究開発機構理事長。国立がん研究センター理事長(第3代)などを務めた。 鹿児島県出身。7人兄弟の長男で、学生時代は陸上競技に興じた。ラ・サール中学校・高等学校を経て、1982年(昭和57年)3月、東京大学医学部を卒業。大学の同期生に医学者の森田明夫、小室一成らがおり、大学時代はバレーボールに興じた。 卒業後、東京大学医学部附属病院第3内科医員、国立がんセンター研究所発がん研究部研究員、東京大学医学部附属病院第3内科文部教官助手、マサチューセッツ工科大学がん研究センターリサーチフェローを経て、1992年(平成4年)3月、医学博士号を取得。
林 明人(はやし あきと、1956年 - )は、日本の医師・… 林 明人(はやし あきと、1956年 - )は、日本の医師・医学博士。 鹿児島県国分市(現・霧島市)生まれ。鶴丸高校から順天堂大学に進む。米国ウィスコンシン州立大学准教授、筑波大学講師を経て、順天堂大学医学部教授。専門はリハビリテーション医学(順天堂大学浦安病院教授)、脳神経内科(順天堂医院教授併任)。日本運動障害研究会会長。学生時代に全日本医科学生剣道大会団体優勝。医師となり全日本医師剣道大会団体優勝。全剣連強化訓練帯同医師。茨城国体大将の部強化選手。 つくば市自燈剣道スポーツ少年団指導者。順天堂大学剣道部OBOG会長。全日本医師剣道連盟事務局長。
角 秀秋(かど ひであき、1951年 - )は、日本の心臓血… 角 秀秋(かど ひであき、1951年 - )は、日本の心臓血管外科医。福岡市立こども病院副院長、九州大学医学部心臓血管外科臨床教授などを歴任。2022年より令和健康科学大学特任教授。 鹿児島県川辺郡川辺町(現:南九州市)生まれ。鹿児島県立鶴丸高等学校、九州大学医学部卒業。 福岡市立こども病において1980年創立当初から同院の心臓血管外科診療に従し、1985年同院部長、2011年から同院副院、2022年同院定年退職。福岡市立こども病院在任中、6000件件以上の小児心臓手術執刀する。日本小児循環器学会副理事長、第47回日本小児循環器学会会長(2011年、福岡市)、日本小児心臓外科医会(CHSS Japan)代表世話人、小児心臓手術手技研究会代表世話人などを歴任。
片峰 茂(かたみね しげる、Shigeru KATAMINE… 片峰 茂(かたみね しげる、Shigeru KATAMINE、1950年 - )は、日本の医師、船医、医学者。学位は医学博士(東北大学大学院・1982年)。専門はウイルス学。長崎みなとメディカルセンター・理事長。長崎大学・第14代学長(2008年 - 2017年)。元国立大学協会副会長。 長崎県長崎市船大工町に生まれる。実家は1865年創業の薬局。父は医学者として長崎大学に勤務し寄生虫等を研究。長崎大学熱帯医学研究所の2代目所長を務めた。 一人っ子だったため、親元を離れたい思いがあり、県外の高校を受験する親友の影響を受けて、ラ・サール高等学校に進学した。大学は関東か関西の理工学部への進学を希望していたが、当時の社会情勢(学生運動、東大紛争による東京大学の入試中止等)から、地元の長崎大学医学部へ進んだ。
久保 千春(くぼ ちはる、男性、1948年3月9日 - )は… 久保 千春(くぼ ちはる、男性、1948年3月9日 - )は、日本の内科医(心療内科学)、心身医学者。医学博士。第23代九州大学総長。日本心療内科学会理事長。 鹿児島県出身。鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業後、1966年に九州大学医学部へ入学。中村哲とは大学で同級。中村がアフガニスタンで凶弾に倒れた際には弔辞を読んだ。 鹿児島玉龍高等学校3年の時に慢性腎炎を患い、2ヶ月半の療養生活を送る。それがきっかけで腎臓病の解明と治療法の研究をするべく医師を志した。腎炎自体は大学入学後の食事療法と運動制限などの効果もあって、大学3年次には症状は好転したという。 大学5年次の臨床講義で池見酉次郎(九州大学精神身体医学研究施設教授)の心身医学講義を受講したことにより、心療内科医を志望することを決める。
池ノ上 克(いけのうえ つよむ、1946年(昭和21年)1月… 池ノ上 克(いけのうえ つよむ、1946年(昭和21年)1月21日 - )は日本の医師、医学者。専門は周産期医学。宮崎大学名誉教授で、2015年10月から同大学学長を務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。1964年長崎県立長崎東高等学校卒業。1970年鹿児島大学医学部を卒業。1972年鹿児島市立病院に産婦人科医員として勤務。その後南カリフォルニア大学産婦人科とカリフォルニア大学アーバイン校産婦人科に留学する。1982年に医学博士号を取得(日本大学)。1990年に鹿児島市立病院産婦人科部長となる。1991年宮崎医科大学産婦人科教授。2003年宮崎医科大学の宮崎大学への統合に伴い宮崎大学医学部附属病院副病院長。
瀬戸上 健二郎(せとうえ けんじろう、1941年3月 - )… 瀬戸上 健二郎(せとうえ けんじろう、1941年3月 - )は、日本の医師(外科)。鹿児島県肝属郡東串良町出身。志布志高等学校、鹿児島大学医学部出身。 1941年、鹿児島県出身。志布志高等学校、鹿児島大学医学部卒業。 1972年から国立療養所南九州病院で外科医長を務め、1978年、下甑島の下甑村大字手打(現在の薩摩川内市下甑町手打)にある下甑村手打診療所に所長として赴任し、2017年3月まで38年間、離島医療に尽力 専門は胸部外科であり肺ガン等の離手術も手打診療所で成し遂げ、専門外の内科、産婦人科、獣医も幅広い分野の医療を施すことが出来る。他村の診療所との「診診連携」、インターネットを活用した医療連携等々、離島、僻地医療にも携わっている。
石川 春律(いしかわ はるのり、1935年4月22日 - 2… 石川 春律(いしかわ はるのり、1935年4月22日 - 2008年9月23日)は、日本の細胞生物学者、医師。群馬大学名誉教授。日本電子顕微鏡学会会長や、日本細胞生物学会会長を務めた。 鹿児島県出水市出身。1960年九州大学医学部医学科卒業後、整形外科入局。1965年九州大学大学院医学研究科修了、医学博士。1966年ペンシルベニア大学医学研究員。1972年東京大学医学部助教授。1983年群馬大学医学部解剖学第二講座教授。1994年群馬大学医学部長、日本細胞生物学会会長。2000年日本電子顕微鏡学会会長。2001年群馬大学名誉教授。2008年没。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
原田 正純(はらだ まさずみ、1934年9月14日 - 20… 原田 正純(はらだ まさずみ、1934年9月14日 - 2012年6月11日) は、日本の医師。学位は医学博士。 鹿児島県さつま町出身。ラ・サール高等学校、熊本大学医学部卒業。 熊本大学医学部で水俣病を研究し、胎児性水俣病も見いだす。水俣病と有機水銀中毒に関して数多くある研究の中でも、患者の立場からの徹底した診断と研究を行い、水俣病研究に関して詳細な知識を持った医師でもあった。熊本大学退職後は熊本学園大学社会福祉学部教授として環境公害を世界に訴える。 1972年6月、スウェーデンのストックホルムで開催された「国際連合人間環境会議」に環境学者の宇井純、水俣病患者の濱元二徳、坂本フジエ、坂本しのぶらと出席。
山下 佐英(やました すけひで、1931年10月28日 -)… 山下 佐英(やました すけひで、1931年10月28日 -)は、日本の医師、歯科医師、歯学者、鹿児島大学名誉教授、鹿児島医療技術専門学校学長、元鹿児島大学歯学部附属病院長。医学博士。 鹿児島県日置郡伊集院町(後の日置市)出身。1949年旧制鹿児島県立伊集院中学校卒業、1950年新制鹿児島県立伊集院高等学校卒業。1957年鹿児島大学医学部卒業。日本赤十字社中央病院インターン、鹿児島大学副手を経て、1960年鹿児島大学医学部助手、1962年鹿児島大学医学部講師、1964年鹿児島大学医学部助教授。1967年大阪大学歯学部に編入学。1970年に大阪大学歯学部を卒業し、鹿児島大学医学部助教授に復職。1977年、鹿児島大学歯学部教授に就任。
朝倉 哲彦(あさくら てつひこ、1931年8月2日 - 20… 朝倉 哲彦(あさくら てつひこ、1931年8月2日 - 2014年9月14日)は、日本の脳神経外科医、医学者。 鹿児島県出身。1948年鹿児島県立鹿屋中学校4年修了、1955年鹿児島医科大学学士試験合格、1956年医師国家試験合格、国立東京第一病院外科研究員として勤務、1959年鹿児島大学医学部研究員(神経精神科)、1961年助教授、1969年東京女子医科大学講師、1971年助教授、1975年鹿児島大学医学部教授に戻り、1985-1989年附属病院長、1997年定年退官、名誉教授、医療法人猪鹿倉会パールランド病院名誉院長、和風会加世田病院顧問、脳神経疾患研究所付属てんかん研究所所長、2002年慈風会厚地記念放射線医学研究所所長、2005年和風会加世田病院理事長・院長、2012年慈風会厚地脳神経外科・放射線科クリニック院長。
有馬 正高(ありま まさたか、1929年3月2日 - 202… 有馬 正高(ありま まさたか、1929年3月2日 - 2022年12月12日)は、日本の医師、医学者。小児科学と神経科学が専門で、小児神経学、障害児医学(障害者医学)のパイオニア。国立精神・神経医療研究センター病院(旧:国立精神・神経センター武蔵病院)名誉院長、東京都立東部療育センター名誉院長、日本重症心身障害学会名誉理事長、日本発達障害学会第4代会長。学位は、医学博士。 1971年に乳幼児に発症する常染色体劣性遺伝性疾患「有馬症候群」を報告したことで知られる。 1929年に鹿児島県鹿児島市で生まれる。父方の故郷は同県日置郡伊集院町(現:日置市)。幼少期より鹿児島、伊集院、佐世保、呉、杉並、木更津、逗子と、転居・転校を繰り返し、1942年に旧制神奈川県立湘南中学校(現:神奈川県立湘南高等学校)へ入学。
外西 寿彦(ほかにし ひさひこ、1925年2月5日-1993… 外西 寿彦(ほかにし ひさひこ、1925年2月5日-1993年7月21日)は、日本の産婦人科医、産婦人科学者。周産期医療、母子救急医療の権威。鹿児島県の周産期医療・新生児医療の改善と発展に尽力した。鹿児島市立病院第5代院長。 宮崎県出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現・鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1951年に旧制県立鹿児島医学専門学校(後の旧制県立鹿児島医科大学、現・鹿児島大学医学部)卒業。1958年4月、旧制県立鹿児島医科大学より医学博士号授与。鹿児島大学産婦人科(町野碩夫教授)に入局し、1958年1月より助手、1961年5月より講師。1966年2月に鹿児島大学助教授となるが、鹿児島市立病院に招かれて7月に退職。
江口 篤寿(えぐち あつひさ、またはあつとし)1923年4月… 江口 篤寿(えぐち あつひさ、またはあつとし)1923年4月5日-2010年5月20日)は、医師、健康教育学者。 鹿児島県出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)および第七高等学校造士館 (旧制)を経て、1947年東京帝国大学医学部卒、1961年順天堂大学医学博士。学位論文の題は「新生児及び幼若乳児における二、三の反射の消長について 」。 医師。1959年立教学院診療所医師。1974年東京大学講師、1976年筑波大学教授、87年定年退官、名誉教授、和洋女子短期大学教授。日本健康情報科学協会会長。
福田 正臣(ふくだ まさおみ、1919年3月25日 - 20… 福田 正臣(ふくだ まさおみ、1919年3月25日 - 2012年3月28日 )は、日本の医師、医学者。内科医。医学博士。心筋梗塞研究の権威だった。 鹿児島県の奄美大島名瀬の生まれで、大島郡龍郷町出身。1942年第七高等学校造士館 (旧制)理科卒業。1945年九州帝国大学医学部を卒業して、操坦道教授の第一内科に副手として入局し、1951年九州大学第一医学部内科助手。1952年鹿児島市立病院内科医長に就く。1953年九州大学より医学博士授与。論文の題は「抗痙攣剤の人体脳波に及ぼす影響について」。1955年1月鹿児島大学医学部第一内科助教授に就任。鹿児島大学助教授を長く務めた後、再び鹿児島市立病院に転じて循環器内科部長。
赤星 進(あかほし すすむ、1918年11月10日 - 20… 赤星 進(あかほし すすむ、1918年11月10日 - 2012年5月18日)は、日本の精神科医。クリスチャンとして「医学と福音」をライフワークのテーマとし精神医学と神学の関係を研究した。また日本ルーテル神学大学や東京神学大学などの神学校で精神医学を講じた。 鹿児島県鹿児島市生まれ、出身。1938年(昭和13年)第七高等学校造士館 (旧制)理科卒業。1943年(昭和18年)東京大学医学部卒業。大槻外科入局、副手。医学博士。 1946年(昭和21年)、国立療養所清瀬病院外科医長。1953年(昭和28年)、東芝林間病院副院長兼外科医長。1961年(昭和36年)、浜松の社会福祉法人聖隷病院院長。1958年、シカゴ大学で「医学と宗教の関係」を研究。
浜田 到(はまだ いたる、1918年6月19日 - 1968… 浜田 到(はまだ いたる、1918年6月19日 - 1968年4月30日)は、日本の歌人、詩人、医師。ロサンゼルス出身。 1912年、農園を経営していた両親が移住していたロサンゼルスに生まれ、4歳のとき帰国。両親の出身地である鹿児島県国分市(現・霧島市)に育つ。鹿児島県立第一中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)在学中に短歌を始め、旧制姫路高等学校、旧制岡山医科大学を卒業。 1935年に、一中の教員であった安田尚義が主宰する潮音系短歌雑誌『山茶花』に短歌作品を発表。異色ある作品として注目される。以後、『歌宴』『工人』を経由。 1944年に岡山医科大学卒業後、鹿児島市内の済生会病院に勤務(内科医)。 1951年、中井英夫に見出され『短歌研究』8月号の「モダニズム短歌特集」に塚本邦雄らとともに寄稿、1960年には塚本邦雄、寺山修司、山中智恵子、菱川善夫らとともに同人誌「極」に参加。
黒丸 正四郎(くろまる しょうしろう、1915年4月6日 -… 黒丸 正四郎(くろまる しょうしろう、1915年4月6日 - 2003年11月6日)は、日本の医学者、精神科医。神戸大学名誉教授。 鹿児島県出身。鹿児島県立第一鹿児島中学校 (旧制)を経て、1935年第七高等学校造士館 (旧制)卒業。京都帝国大学医学部卒。1948年医学博士。大阪市立大学医学部助教授、神戸医科大学助教授、1959年同教授、1966年神戸大学教授、1980年定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授、1986年退任。精神神経科学。 1988年、勲三等旭日中綬章を受章。2003年11月6日、肺炎のため死去。
新福 尚武(しんふく なおたけ、1914年3月2日 - 20… 新福 尚武(しんふく なおたけ、1914年3月2日 - 2012年3月12日)は、日本の医学者・精神科医。東京慈恵会医科大学名誉教授。長男は医学者で神戸大学名誉教授の新福尚隆。 鹿児島県鹿児島市生まれ。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校、旧制第七高等学校造士館を経て、1937年九州帝国大学医学部卒業、下田光造に師事。1947年「ショック療法の精神病理学的研究」で九州帝国大学より医学博士の学位を取得。 台北帝国大学医学部精神科助手、陸軍軍医(高雄)、鳥取大学医学部助教授などを経て、1952年同教授。1966年東京慈恵会医科大学教授、1979年定年退職、名誉教授。アルコール医学会長、交通科学会長、心身医学会長、国際老年精神医学会名誉会長など。
藤後 左右(とうご さゆう、1908年1月21日 - 199… 藤後 左右(とうご さゆう、1908年1月21日 - 1991年6月11日)は、鹿児島県出身の俳人、医師(医学博士)。本名惣兵衛。 東志布志村(現志布志町)生。志布志尋常高等小学校尋常科、旧制鹿児島県立志布志中学校(現鹿児島県立志布志高等学校)、旧制第七高等学校造士館理科を経て、1928年京都帝国大学医学部に入学し、京大三高俳句会に入会。『ホトトギス』に投句を始め、高浜虚子に師事。在学中の1930年に『ホトトギス』巻頭。1931年、「噴火口近くて霧が霧雨が」により『日本新名勝俳句』の帝国風景院賞(高浜虚子選)を獲得。1932年京大医学部卒業。1933年、平畑静塔らと「京大俳句」創刊。 大学卒業後は松尾内科を経て京都市立病院に勤務。
川﨑 祐宣(かわさき すけのぶ、1904年(明治37年)2月… 川﨑 祐宣(かわさき すけのぶ、1904年(明治37年)2月22日 - 1996年(平成8年)6月2日)は、日本の医師・医学教育家・学校経営者・慈善家。総合社会福祉施設を設立して心身障害者の福祉のために尽力した。 鹿児島県姶良郡横川村(後の横川町、現霧島市の一部)出身。旧制鹿児島県立加治木中学校、旧制第七高等学校造士館を経て、旧制岡山医科大学(現・岡山大学医学部)を卒業後、勤務医を経て、川崎病院、社会福祉施設旭川荘、医療系学校法人川崎学園などを設立した。後に川崎医科大学附属川崎病院(現・川崎医科大学総合医療センター)病院長を務めた[要出典]。 岡山県の名誉県民、倉敷市の名誉市民をはじめ、中国において首都医学院(現・首都医科大学)、上海中医学院(現・上海中医薬大学)名誉教授の称号を受けている[要出典]。
高良 武久(こうら たけひさ、1899年1月18日 - 19… 高良 武久(こうら たけひさ、1899年1月18日 - 1996年5月20日)は、日本の医学者、精神科医。専門は、性格学、森田療法。鹿児島県出身。 鹿児島県南九州市旧川辺町出身。旧制鹿児島県立川辺中学校、旧制第七高等学校造士館を経て、1924年、九州帝国大学医学部卒業。同大学精神神経科講師を経て、1929年、東京慈恵会医科大学に転任する。同年より東京根岸病院に勤務し、森田正馬に師事して森田療法を継承する。1937年、森田の後を継いで東京慈恵会医科大学教授となる。1940年、入院森田療法の施設である高良興生院を設立し、森田療法による神経(質)症の治療を行う。1964年、東京慈恵会医科大学名誉教授。
山下 秀之助(やました ひでのすけ、1897年11月29日 … 山下 秀之助(やました ひでのすけ、1897年11月29日 - 1974年4月4日)は、日本の医師・歌人。短歌雑誌『創作』の若山牧水、『潮音』の太田水穂に師事し、吉植庄亮主宰の『橄欖』を経て、1946年『原始林』(第2次)を札幌市で創刊。北海道の歌壇の基礎を築いた一人と評価され、戦前・戦後の北海道文壇・歌壇の指導的な存在であった。 1897年(明治30年)11月29日、鹿児島県鹿児島市東千石町に生まれる。鹿児島第一中学校、第七高等学校造士館を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学医学部を卒業。同年5月、北海道帝国大学医学部助手として北海道に移る。北大医学部講師、小樽病院を経て、移住四年後の1926年(大正15年)から国鉄傘下の札幌鉄道病院(現在のJR札幌病院)に勤務。
寺師 義信(てらし よしのぶ、1882年(明治15年)12月… 寺師 義信(てらし よしのぶ、1882年(明治15年)12月20日 - 1964年(昭和39年)8月13日)は、日本の医師。陸軍軍医中将。日本初の衛生飛行機を作成したことで知られる。 1882年(明治15年)、士族の漢方医伊東楽之助の次男として鹿児島県日置郡日置村(現日置市日吉町日置)に生まれる。満5歳の時に同じく士族である寺師清の養子となり寺師家を継いだ。寺師家では医師が多数いたため義信も医師に成ることを望まれたが、義信は漢詩や文筆を好み小説家を志向していた。鹿児島一中に進み、在学時に森鷗外の『水沫集』の影響を受け地方新聞に小説の連載を持っていた。実父の楽之助から何としても医者になるよう命じられたため義信は思い悩んでいたが、一中の岩崎行親校長から「鴎外先生は大文豪であると共に優れた医学者だ。
園田 兵助(そのだ ひょうすけ または そのだ へいすけ、1… 園田 兵助(そのだ ひょうすけ または そのだ へいすけ、1864年4月1日 - 1935年)は日本の獣医師。鹿児島県で黒豚(現在のかごしま黒豚)生産の土台を作ったことで「黒豚の父」と呼ばれる。 1864年4月1日、薩摩国川辺郡鹿籠郷(現・鹿児島県枕崎市)で馬の管理や調教を行う藩馬役・園田仲兵衛(そのだ ちゅうべえ)の長男として生まれ、父の見習いをしながら育つ。 1895年、獣医師の免許を受け、生家の一角で獣医を開業する。懇切丁寧な治療で近郊農民に親しまれる一方で、自らの不注意から馬を怪我させた飼い主を怒鳴りつけることもあった。 獣医の傍ら、ホルスタイン種の牛を十数頭を購入し、牛乳の販売を始める。
吉川 健啓(よしかわ たけはる)は、日本の放射線科医、医学者… 吉川 健啓(よしかわ たけはる)は、日本の放射線科医、医学者。専門はコンピュータ支援診断(CAD)、人工知能(AI)を用いた画像診断支援、肺がんスクリーニング、低線量CT・MRI診断。博士(医学)。 肺MRIによる肺結節スクリーニング、コンピュータ支援検出/診断ソフトウェア(CAD)の開発・評価に注力している。 特にAIの深層学習を活用した肺領域・気管支の自動セグメンテーション、すりガラス状結節検出、胸水解析などの研究を進め、多施設共同研究にも参加。
伊地知 秀明(いじち ひであき)は、日本の医師、医学者。東京… 伊地知 秀明(いじち ひであき)は、日本の医師、医学者。東京大学大学院医学系研究科・東京大学医学部附属病院病態栄養治療センター准教授、同消化器内科所属。専門は消化器内科学、特に膵癌の発癌機構とKRAS変異に対する治療戦略の研究。 主に膵癌の発癌・進展機構の解明、特にKRAS遺伝子変異(特にG12D変異)を標的とした阻害剤の効果と抵抗性獲得機序の研究を行っている。 これらの研究は、臨床試験段階に入りつつあるKRAS阻害剤の実際の治療応用に向けた前臨床研究として注目されている。
大塚 基之(おおつか もとゆき)は、日本の医師、医学者。専門… 大塚 基之(おおつか もとゆき)は、日本の医師、医学者。専門は消化器内科学、特に肝臓学。 ラ・サール高等学校を経て、1994年に東京大学医学部医学科を卒業。 その後、東京大学大学院医学系研究科器官病態内科学講座消化器内科学分野などで勤務し、肝臓がんやウイルス性肝炎に関する基礎・臨床研究に従事した。 2009年3月にアメリカ・スクリプス研究所免疫微生物学部門から帰国後、東京大学で研究グループを主導。 2017年4月から2022年12月まで東京大学で講師などを歴任。 2023年1月より岡山大学学術研究院医歯薬学域消化器肝臓内科学教授に就任。同年より岡山大学病院消化器内科診療科長を兼任。 2025年4月より岡山大学病院副院長を併任。
八木 浩一(やぎ こういち)は、日本の医師、医学者。専門は消… 八木 浩一(やぎ こういち)は、日本の医師、医学者。専門は消化器外科学(特に胃癌・食道癌の診断と治療、上部消化管癌の低侵襲手術)。東京大学大学院医学系研究科外科学専攻臓器病態外科学講座 准教授、東京大学医学部附属病院胃・食道外科所属。 胃癌・食道癌を中心とした上部消化管癌の診断・治療、特に低侵襲手術(腹腔鏡下手術、ロボット支援手術など)に従事している。