仲里 利信(なかさと としのぶ、1937年3月16日 - )… 仲里 利信(なかさと としのぶ、1937年3月16日 - )は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(1期)、沖縄県議会議長(第14代)、沖縄県議会議員(4期)を務めた。 沖縄県島尻郡南風原町生まれ。幼少期は沖縄戦を体験する。沖縄県立知念高等学校、琉球大学文理学部化学科卒業。卒業後は島ぞうり(ゴムぞうり)製造を主に手がける企業を設立し、同社代表を務める。 衆議院議員、参議院議員を務めた大城眞順の後援会事務局長を経て、1992年の沖縄県議会選挙に自由民主党公認で島尻郡選挙区から出馬し、初当選。自民党を離党して新進党に参加するが、1997年9月、新進党を離党し、自民党に復党した。4期16年にわたり県議を務め、2006年には沖縄県議会議長に選出された(~2008年)。
上原 正三(うえはら しょうぞう、1937年2月6日 - 2… 上原 正三(うえはら しょうぞう、1937年2月6日 - 2020年1月2日)は、日本の脚本家。沖縄県那覇市出身。 警察官である父を持つ5人兄弟の第3子。太平洋戦争の激化により、1944年9月に一時台湾へ避難する。1か月後に那覇へ戻る予定だったが、那覇が空襲(十・十空襲)で壊滅したうえ、乗っていた那覇行きの船は約2週間の漂流を経て鹿児島へたどり着き、そこから熊本県に移って疎開生活を送る。終戦後の1946年に沖縄へ帰郷し、小学生時代は石川市(現・うるま市)、玉城村(現・南城市)で過ごす。 琉球政府立那覇高等学校での高校生時代は映画に夢中で、『シェーン』などの作品に感動し、これが本格的な映画との出会いになった。
瀬良垣 苗子(せらがき なえこ、1937年1月27日 - 2… 瀬良垣 苗子(せらがき なえこ、1937年1月27日 - 2016年)は、沖縄民謡の歌手。大城美佐子、山里ユキと並んで女性唄者の草分け的存在として挙げられる。 沖縄県中頭郡具志川村(のちに具志川市→うるま市となる)出身。三線奏者であった父・守金の影響もあり、幼少期から唄三線に親しむ。 山内昌徳に師事したのち、1960年にマルテルレコードから発売された「なーしび節」でレコードデビュー。翌1961年にはNHKのど自慢全国大会に出場。 復帰前年の1971年に知名定男の作詞・作曲で発表した「うんじゅが情どぅ頼まりる」が空前の大ヒット。その後も「義理と情」「情念(なさき)」「ゆすぬ花」などの情歌を次々に発表し、ヒット。
新川 秀清(あらかわ しゅうせい、1937年1月1日 - )… 新川 秀清(あらかわ しゅうせい、1937年1月1日 - )は、日本の政治家、沖縄市長、沖縄県議会議員などを歴任した。 1937年、越来村仲原(後の沖縄市の一部)に生まれ、コザ高等学校に学ぶ。 高校卒業後、沖縄群島社会福祉協議会(のち、沖縄社会福祉協議会:沖縄県社会福祉協議会の前身)に勤務する。この頃には、地元のコザ市山里で青年会長を務めており、1958年ころには、それまで男性だけが踊っていたエイサーへの女性の参加を進めるなどした。 1967年に当時のコザ市役所に入り、経済民生部長を務め、沖縄市となった後には福祉部長、経済部長、中部広域市町村協議会事務局長などを歴任し、1989年に退職した。 1990年の沖縄市長選挙に、日本社会党、日本共産党、沖縄社会大衆党の推薦と、公明党の支持を得て出馬し、4選を目指していた現職の桑江朝幸を破って初当選を果たした。
北村 三郎 (きたむら さぶろう、1937年 - ) は、沖… 北村 三郎 (きたむら さぶろう、1937年 - ) は、沖縄県北谷村出身の俳優・演出家。本名は高宮城 實(実)政 (たかみやぎ じっせい)。
吉元 政矩(よしもと まさのり、1936年11月 - )は、… 吉元 政矩(よしもと まさのり、1936年11月 - )は、元沖縄県副知事、現在は沖縄21戦略フォーラム代表。
玉那覇 有公(たまなは ゆうこう、1936年10月22日 -… 玉那覇 有公(たまなは ゆうこう、1936年10月22日 - )は、沖縄県の紅型師。石垣市出身。沖展会員、日本工芸会正会員。石垣市名誉市民。紅型の分野で最初の人間国宝となった人物である。 1961年、沖縄県指定無形文化財「びん型」保持者の城間栄喜に師事、のちに独立。那覇市首里に紅型工房を構える。 1996年5月、国の重要無形文化財「紅型」の保持者として各個認定される(いわゆる「人間国宝」)。 2000年7月22日、第26回主要国首脳会議(九州・沖縄サミット)が首里城北殿で開催された際、沖縄県の人間国宝の代表として、紅型の制作実演を行った。 息子の玉那覇有勝(1968年 - 、日本工芸会正会員)も、中頭郡読谷村に工房を構え、紅型の制作に従事している。
大城 美佐子(おおしろ みさこ、1936年7月8日 - 20… 大城 美佐子(おおしろ みさこ、1936年7月8日 - 2021年1月17日)は、沖縄民謡の歌手、女優。 「沖縄民謡の重鎮」、「沖縄民謡の偉大なる唄い手」、「民謡界のベテラン」、「沖縄民謡のレジェンド」などと称された。 大阪市大正区に生まれ、沖縄県名護市辺野古で育つ 。10代半ばから料亭で働き、当時人気があった沖縄民謡の唄者、嘉手苅林昌(かでかる・りんしょう)と小浜守栄(こはま・しゅえい)の熱烈なファンになる。当時は女性が三線を弾くことが良しとされなかった時代だったが、自らの耳で唄と三線を覚える。 知名定繁(知名定男の父)に弟子入りして民謡の道に進む。1962年にシングル『片思い』でデビュー。その後、三線を抱えて東京、神奈川、大阪など長らく彷徨し、沖縄に戻ってくる。
宮良 高弘(みやら たかひろ、1935年12月7日 - 20… 宮良 高弘(みやら たかひろ、1935年12月7日 - 2018年2月17日)は、日本の民俗学者、札幌大学名誉教授。 沖縄県石垣市生まれ。1960年明治大学法学部卒、1966年東洋大学社会学部卒、1965年明大法学部助手、1967年札幌大学教養部講師、1970年助教授、1976年教授、1979年教養部長、文化学部教授、2006年定年退任、名誉教授。 1973年『波照間島民俗誌』で渋沢賞受賞。1974年「八重山の社会構造に関する研究」で東洋大学社会学博士。弟子には森雅人(札幌大谷大学教授)がいる。
吉田 妙子(よしだ たえこ、1935年6月13日 - )は、… 吉田 妙子(よしだ たえこ、1935年6月13日 - )は、沖縄県具志川村(現:うるま市)出身の女優。 1950年、劇団「あさひ座」で舞台デビュー。「ときわ座」を経て親泊興照、鉢嶺喜次が率いる「珊瑚座」に入団。 多くの舞台、映画、テレビ、ラジオなどのメディアに出演しており、沖縄では平良とみ、平良進らと並んで有名な役者である。
宮城 驍(みやぎ たけし、1935年6月8日 - )は、日本… 宮城 驍(みやぎ たけし、1935年6月8日 - )は、日本の空手家。沖縄県浦添市城間出身。沖縄小林流空手道協会範士十段。 沖縄小林流空手道協会第四代会長。沖縄伝統空手道振興会元副会長。沖縄県空手道連盟元会長・現顧問。浦添市城間3丁目7番14号にある宮城道場の創設者。兄は元浦添市長の宮城健一。 座右の銘・稽古理念は、「努力」「忍耐」「継続」「世界平和」。 空手を学んでいた父親に憧れ、高校3年生の時に空手を始める。琉球大学卒業後、教師になり定年まで中学校にて英語や社会科を教えた。 1953年(昭和28年)4月、首里高校空手クラブ入部(顧問は石川逢英)。 1954年(昭和29年)4月、高良繁に師事。
金城 名輝(きんじょう めいき、1935年3月25日 - 2… 金城 名輝(きんじょう めいき、1935年3月25日 - 2003年10月12日)は、日本の経営者。オリオンビール社長を務めた。沖縄県那覇市出身。 1959年に琉球大学文理学部経済学科を卒業し、同年にオリオンビールに入社。1970年5月に取締役に就任し、1977年6月に常務、1980年6月に専務を経て、1985年6月に社長に就任し、2003年6月までに務めた。 沖縄県工業連合会会長、沖縄電力取締役、琉球銀行監査役なども歴任。 2003年10月12日、心不全のために死去。68歳没。
渡口 初美(とぐち はつみ、1935年1月15日 - 202… 渡口 初美(とぐち はつみ、1935年1月15日 - 2020年11月26日)は、日本の料理研究家、政治家。那覇市議会議員。 沖縄県那覇市出身。父親は実業家・政治家の高良一。沖縄県立那覇高等学校卒業、東京国際クッキングスクール卒業。 沖縄県那覇市三原の郷土料理店「まんがん」を経営。また、琉球料理研究家として活動。主な著書として『渡口初美の琉球の家庭祭祀』『沖縄の葬祭と祖先供養』『琉球料理と御火の神様』など、沖縄の年中行事、祖先供、伝統料理などの書籍がある 。日本各地での琉球料理の講習会の開催でも活動している。料理漫画『美味しんぼ』では単行本28巻で、主人公に料理を提供する役として登場している。 2020年11月26日、肺炎のため那覇市内の病院で死去。
朝 比呂志(あさ ひろし、1934年8月14日 - 2007… 朝 比呂志(あさ ひろし、1934年8月14日 - 2007年12月13日)は、日本の作詞家。本名は普久原 朝弘(ふくはら ちょうこう)で、作曲家・普久原恒勇の実弟である。 越来村(現在の沖縄市)胡屋出身。大阪薬科大学を卒業後、レコード店や薬局経営の傍ら、作詞家として「ウーマクカマデー」「ちんぬくじゅうしい」(以上、三田信一作曲)「ヘイ!二才達」「ゆうなの花」「島やから」(以上、普久原恒勇作曲)など、数多くのヒット作を生み出す。 妻はでいご娘の三女・普久原千津子(旧姓・比嘉)。 2007年12月13日、胃がんのため死去。享年73。
玉城 栄一(たまき えいいち、1934年2月9日 - 201… 玉城 栄一(たまき えいいち、1934年2月9日 - 2015年8月1日)は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(6期)。 沖縄県平良市(現宮古島市)出身。宮古商卒。速記者養成所に入り、立法院(琉球政府)に入庁。1969年那覇市議を経て、1976年の総選挙で沖縄県全県区から立候補して初当選。6期務めた。1993年に引退した。 2015年8月1日、老衰のため、糸満市の病院で死去した。81歳没。
安仁屋 政昭 (あにや まさあき、1934年 - )は、沖縄… 安仁屋 政昭 (あにや まさあき、1934年 - )は、沖縄県出身の歴史学者、専攻は日本近現代史。沖縄国際大学名誉教授。沖縄平和ネットワーク代表。歴史科学者協議会、日本科学者会議会員。
佐久川 政一(さくがわ せいいち、1933年11月10日 -… 佐久川 政一(さくがわ せいいち、1933年11月10日 - 2025年5月20日)は、日本の法学者。沖縄大学名誉教授。専攻は民事訴訟法・憲法。 沖縄県中頭郡北谷町出身。1959年早稲田大学卒。ニューヨーク大学ロースクール大学院LLM修士課程修了。1989年から1995年まで2期6年の間、第13代・14代沖縄大学学長。 チュチェ思想研究会全国連絡会会長、金日成・金正日主義研究全国連絡会代表世話人を務めるなど、チュチェ思想の宣伝者でもある。 2025年5月20日、中頭郡北中城村の中部徳洲会病院で死去。91歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
稲嶺 恵一(いなみね けいいち、1933年(昭和8年)10月… 稲嶺 恵一(いなみね けいいち、1933年(昭和8年)10月14日 - )は、日本の実業家、元政治家(沖縄県知事)。沖縄県国頭郡本部町出身。父は、琉球石油(現・りゅうせき)創業者で元参議院議員の稲嶺一郎。旭日重光章。報道などでは新字体を用い稲嶺 恵一とも表記される。
稲嶺 惠一(いなみね けいいち、1933年(昭和8年)10月… 稲嶺 惠一(いなみね けいいち、1933年(昭和8年)10月14日 - )は、日本の実業家、元政治家(沖縄県知事)。沖縄県国頭郡本部町出身。父は、琉球石油(現・りゅうせき)創業者で元参議院議員の稲嶺一郎。旭日重光章。報道などでは新字体を用い稲嶺 恵一とも表記される。 知事時代の功績には、2000年に開催された九州・沖縄サミットの誘致と二千円札(弐千円券)の発行、沖縄都市モノレール線の開通などがある。 防衛官僚の守屋武昌は普天間基地移設問題の早期決着を目指していたが、2005年の日米合意2日後に反対を表明した稲嶺知事(当時)から「守屋さん、沖縄では大きな仕事は20年かかるんですよ。新石垣空港だってそうでしょう。
與那覇 朝大(よなは ちょうたい、1933年10月8日 - … 與那覇 朝大(よなは ちょうたい、1933年10月8日 - 2008年7月2日)は、沖縄県石垣市出身の画家、陶芸家。沖縄を代表する画家の1人であった。陶芸家の与那覇朝一は実弟、美術家の与那覇大智は息子。2002年に結婚した妻は歌手のGWINKO。 沖縄県石垣市に生まれる。19歳の時に画家となり、コザ市(現沖縄市)でアメリカ兵相手に肖像画を描いた。 1971年の新美術協会展で新人賞を受賞、1977年に沖縄県産業デザインコンクールで会長賞、1986年第33回新美術協会展で光琳賞、日本美術選賞を受賞した。1992年、新美術協会展で桃山芸術大賞、1998年、アート・オブ・ジ・イヤーのグランプリを受賞した。
宮城 健一(みやぎ けんいち、1933年〈昭和8年〉6月3日… 宮城 健一(みやぎ けんいち、1933年〈昭和8年〉6月3日 - 2021年〈令和3年〉9月3日)は、日本の政治家。元沖縄県浦添市長(1期)。位階は従五位。 浦添市生まれ。1951年(昭和26年)、沖縄県立首里高等学校卒業。卒業後は米軍基地で勤務した。1952年(昭和27年)、コザ教員訓練校卒。卒業後は沖縄県内で中学校教諭となる。本土復帰後の1975年(昭和50年)に沖縄教職員組合政治部長となった。1976年(昭和51年)、沖縄県議会議員選挙に浦添市選挙区から社会党公認で初当選を果たした。1980年(昭和55年)の県議選にも立候補したが、落選した。1984年(昭和59年)の県議選で当選し、返り咲きを果たした。
瀬名波 孝子(せなは たかこ、1933年〈昭和8年〉1月16… 瀬名波 孝子(せなは たかこ、1933年〈昭和8年〉1月16日 - )は、日本の女優。沖縄県那覇市出身。 1933年、沖縄県那覇市久茂地に父・瀬名波起順、母・オトの長女として生まれる。 3~4歳の頃から叔父・神里カミーより筝と舞踊の手ほどきを受け、小学3年生だった1942年、長兄の同級生で当時軍事物の舞台に出る子役を探していた親泊元清に大正劇場へ連れて行かれる。大正劇場では劇団・真楽座の面々が稽古に励んでおり、同劇団旗揚げ人の一人・玉城盛義や先輩役者・糸村ツル子の勧めで初舞台を踏んだ。 やがて沖縄戦下に入り、沖縄芝居も軍慰問公演へと形を変えた。十・十空襲などの戦火をくぐり抜けながら終戦を迎え、瀬名波は1947年に松劇団の一員として舞台復帰。
尚 弘子(しょう ひろこ、1932年12月25日 - )は、… 尚 弘子(しょう ひろこ、1932年12月25日 - )は、日本の農学者。琉球大学名誉教授。1991年から1994年には日本では2番目の女性副知事として沖縄県副知事に就任していた。
国場 幸一郎 (こくば こういちろう、1932年11月11日… 国場 幸一郎 (こくば こういちろう、1932年11月11日 - 2019年4月11日)は、沖縄県国頭村生まれの國場組代表取締役会長、国建、ムーンビーチ、ザ・テラスホテルズ社長、宜野座リゾート開発社長、沖縄観光コンベンションビューロー理事、沖縄建設業協会会長。沖縄県日中友好協会会長など歴任。父は國場幸吉、また国場組の創設者、國場幸太郎は叔父にあたる。また自民党の衆議院議員国場幸之助にとっては伯父にあたる。 1932年、国頭村に生まれる。沖縄戦当時は宮崎県へ疎開し、米軍統治下で封鎖された沖縄に密航によって帰郷した。石川高等学校、沖縄工業高校建築科、九州大学教養学部を経て、早稲田大学第一理工学部建築科、同大学院工学研究科で建築を学ぶ。
長堂 英吉(ながどう えいきち、1932年11月3日 - 2… 長堂 英吉(ながどう えいきち、1932年11月3日 - 2020年2月18日)は、日本の小説家、ルポルタージュ作家。 沖縄県那覇市出身。本名・謝花長英。明治大学文学部卒業、フロリダ大学大学院中退。極東放送アナウンサー、アメリカ民政府教育部、沖縄女子短期大学助教授などを歴任し、同人誌『南濤文学』を主宰する。1972年「我羅馬テント村」で九州沖縄芸術祭文学賞、ルポルタージュ作家として沖縄を舞台に執筆活動を行い、1990年「ランタナの花の咲く頃に」で新潮新人賞受賞。2000年『黄色軍艦』で芸術選奨新人賞受賞。2020年2月18日、肺癌のため那覇市内の病院で死去、87歳。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
外間 寛(ほかま ひろし、1932年〈昭和7年〉10月9日 … 外間 寛(ほかま ひろし、1932年〈昭和7年〉10月9日 - 2022年〈令和4年〉4月29日)は、日本の法学者。専門は行政法、特にアメリカ行政手続法。第22代中央大学学長、同総長。中央大学名誉教授。沖縄県那覇市首里出身。橋本公亘の弟子。 1932年、沖縄県首里市(現・那覇市)生まれ。沖縄県立首里高等学校卒業。1954年、中央大学法学部卒業。1960年 東京大学大学院社会科学研究科公法専攻単位取得満期退学、東京大学法学部助手。 1961年、中央大学法学部専任講師。1962年、同学部助教授。1968年、同学部教授。1987年、同学部長( - 1991年)。1990年、中央大学理事( - 1993年)。
上原 康助(うえはら こうすけ、1932年〈昭和7年〉9月1… 上原 康助(うえはら こうすけ、1932年〈昭和7年〉9月19日 - 2017年〈平成29年〉8月6日)は、日本の政治家、労働運動家。位階は従三位、勲等は勲一等。 衆議院議員(10期)、北海道開発庁長官(第59代)、沖縄開発庁長官(第28代)、国土庁長官(第24代)を歴任。 沖縄県国頭郡本部町字伊豆味に、農業・上原幸福の二男として生まれる。1951年沖縄県立北山高等学校を卒業後、米軍沖縄地区工作隊に就職する。当時の米軍基地では、USCARの布令116号でストライキに参加することは違法で解雇とされ、琉球住民への賃金差別をはじめとする差別待遇が横行していた。やがてある日一方的に解雇通告を受けたことを契機に労働問題への関心を強め、1960年上原が中心となって「軍労働問題研究会」を立ち上げ、翌1961年には全沖縄軍労働組合連合会を結成、委員長となる。
稲福 健蔵(いなふく けんぞう、1932年1月12日 - 1… 稲福 健蔵(いなふく けんぞう、1932年1月12日 - 1996年)は、日本のアナウンサー・報道記者である。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:アナウンサー)。
瑞慶覧 長方(ずけらん ちょうほう、1932年 - 2023… 瑞慶覧 長方(ずけらん ちょうほう、1932年 - 2023年8月18日)は、日本の政治家・植物学者。元沖縄県議会議員・沖縄社会大衆党委員長。前沖縄県南城市長・瑞慶覧長敏は長男、2024年の沖縄県議会議員選挙で当選した元南城市議会議員の瑞慶覧長風は孫にあたる(長敏の次男)。 沖縄県島尻郡大里村(現・南城市)出身。1945年6月に多数の民間犠牲者を出した沖縄戦の南部戦線を生き残り、米国統治下で琉球大学理学部に入学。1953年に高良鉄夫助教授を団長とする尖閣諸島の生物分布調査に参加している。大学卒業後、知念高校の教諭を経てサボテン研究家となり、特に南米産の品種を数多く紹介したことで沖縄の園芸界において広く名前を知られる存在となった。
照屋 善彦(てるや よしひこ、1932年 - 2026年3月… 照屋 善彦(てるや よしひこ、1932年 - 2026年3月2日)は、比較文化学者。琉球大学名誉教授。 沖縄県南風原町出身。琉球大学史学科卒。1958年米国コロラド大学大学院修士課程修了、1969年Ph.D.取得。 1958年琉球大学講師・助教授・教授、1998年定年退官、名誉教授、沖縄大学特任教授。2003年退職。 2026年3月2日、老衰のため南部徳洲会病院で死去した。93歳没。
宮里 政玄(みやざと せいげん、1931年(昭和6年)9月1… 宮里 政玄(みやざと せいげん、1931年(昭和6年)9月10日 - 2019年(平成31年)4月8日)は、日本の国際政治学者。琉球大学名誉教授。専門は、アメリカ外交史・日米関係。沖縄に関するアメリカ公文書などの研究の権威として知られる。 1931年、沖縄県国頭郡今帰仁村に生まれる。沖縄県立第三中学校(現在の沖縄県立名護高等学校)在学中に沖縄戦を迎えた。琉球大学を中退し、アメリカ合衆国のマスキンガム大学(英語版)へと留学した。その後は琉球銀行勤務を経て、1957年(昭和32年)に再び渡米してオハイオ州立大学大学院に留学し、インドネシアやベトナムなどに対するアメリカのアジア外交や統治政策を学修し、1961年(昭和36年)に論文『南アジアの中立主義に対するアメリカ外交 一九四七年から一九五五年』により博士号を取得した。
仲村 正治(なかむら せいじ、1931年9月6日 - 201… 仲村 正治(なかむら せいじ、1931年9月6日 - 2018年11月15日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(7期)、沖縄県議会議員(2期)、那覇市議会議員(1期)などを歴任。 1969年に那覇市議会議員、1976年に沖縄県議会議員となり、沖縄県政界における地位を築く。1983年に第37回衆議院議員総選挙で初当選し、1度の落選を挟んで7回当選(83年当選同期に田中直紀・熊谷弘・二階俊博・額賀福志郎・野呂田芳成・衛藤征士郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・伊吹文明・自見庄三郎・大島理森・野呂昭彦・中川昭一・鈴木宗男・甘利明など)。1993年6月の宮澤内閣不信任案採決直前に沖縄開発庁政務次官を辞任し不信任案に賛成、改革フォーラム21ごと自民党を集団離党する。
北島 角子(きたじま すみこ、1931年5月20日 - 20… 北島 角子(きたじま すみこ、1931年5月20日 - 2017年4月9日)は、沖縄県本部町出身の女優である。 父は沖縄芝居の役者で劇作家の上間昌成。1939年、家族とともに日本の委任統治下のパラオへ移住。パラオにて女学校へ進学。第二次世界大戦末期は野戦病院で看護師見習いに従事。1946年、米軍の輸送船で沖縄へ引き揚げた。名護高校を卒業ののち役者となった。
安次富 盛信(あしとみ せいしん、1930年(昭和5年)12… 安次富 盛信(あしとみ せいしん、1930年(昭和5年)12月13日 - 2011年(平成23年)4月13日)は、日本の政治家。元沖縄県宜野湾市長。 沖縄県出身。コザ高等学校卒業。1957年(昭和32年)から宜野湾市議会議員4期を経て、1977年(昭和52年)宜野湾市長に当選した。 任期中の1983年(昭和58年)10月8日、西銘順治沖縄県知事に普天間飛行場移転を要請した。1985年(昭和60年)7月、落選した。
新垣 雄久(あらかき たけひさ、1930年<昭和5年> - … 新垣 雄久(あらかき たけひさ、1930年<昭和5年> - 2021年 <令和3年> 7月21日)は、日本の地方公務員。沖縄県教育長、同出納長、同副知事、沖縄県平和祈念財団会長を歴任。勲三等瑞宝章受章。 本部町出身。沖縄戦で父母、弟妹の家族4人を失った。沖縄県立知念高等学校卒業。1957年 琉球政府職員となり、本土復帰後は沖縄県庁で総務部長、沖縄県教育委員会教育長を経て、1984年10月 出納長、1987年1月 副知事。沖縄国体では皇太子時代の上皇明仁・上皇后美智子夫妻の案内役を務めた。1989年1月 副知事退任。 退任後、沖縄県社会福祉協議会会長、同県平和祈念財団会長。2021年7月21日午後8時39分、那覇市の病院で死去。
半嶺 当泰(はんみね とうたい、1929年〈昭和4年〉9月5… 半嶺 当泰(はんみね とうたい、1929年〈昭和4年〉9月5日 - 2019年〈平成31年〉4月14日)は、日本の政治家。元沖縄県石垣市長(1期)。 石垣市生まれ。旧制沖縄県立八重山中学校卒。琉球大学語学部国語科中退。自治大学第二部課程修了。石垣市大浜支所総務課長や議会事務局長などを歴任した。1970年(昭和45年)石垣市議会議員に当選し、5期務めた。この間、1982年(昭和57年)9月から1990年(平成2年)3月まで第11・12代市議会議長を務めた。 1990年(平成2年)、任期途中で市議を辞職した。同年の市長選挙に立候補して、5選を現職の内原英郎を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:88.85%(前回比:-pts) 1994年(平成6年)の市長選に再選を目指して立候補したが、元沖縄県立八重山病院長の大濱長照に敗れた。
古堅 実吉(ふるけん さねよし、選挙ポスター等では「フルゲン… 古堅 実吉(ふるけん さねよし、選挙ポスター等では「フルゲン実吉」と表記、1929年7月5日 - )は、日本の政治家。日本共産党所属の元衆議院議員(3期)。沖縄県国頭村出身。 OKINAWA 2015 少年兵の見た戦場 古堅実吉さんの証言(完全版) 戦火に焼かれた首里城 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
平良 とみ(たいら とみ、1928年11月5日 - 2015… 平良 とみ(たいら とみ、1928年11月5日 - 2015年12月6日)は、沖縄県出身の女優。本名、平良とみ子。旧姓は比嘉。愛称は「おばぁ」。ACO沖縄所属。 那覇市松山町出身。13歳の時に国民学校高等科の学費を稼ぐために、石垣島で「翁長小次郎一座」に入団し、子役として活躍する。1950年に同じ劇団に所属する俳優の平良進と結婚し、4子をもうける。劇団「ときわ座」や劇団「潮」に参加し、1982年に夫の平良進と共に劇団「綾船」を創設した。 1999年に『ナビィの恋』のナビィ役として一躍有名になると、2001年にNHKの連続テレビ小説『ちゅらさん』で、ヒロイン古波蔵恵里(国仲涼子)の祖母、ハナ役を演じて大ブレイクする。
東江 康治(あがりえ やすはる、1928年9月10日 - 2… 東江 康治(あがりえ やすはる、1928年9月10日 - 2015年4月5日)は、日本の教育心理学者。名桜大学名誉学長。元琉球大学学長。 太平洋戦争末期の沖縄戦で鉄血勤皇隊として動員され、米軍の攻撃で右胸を撃ち抜かれたが、一命を取り留めた。当時、米国生まれの兄フランク・ヒガシが米兵として沖縄に入り、敵味方に分かれた兄弟としても知られた。 戦後、米政府の援助で米国に留学。教育心理学が専門で、1970年に琉球大学教育学部教授、1973年に教育学部長、1984~1990年に学長。沖縄県名護市の名桜大学の設立に携わり、1994~2000年に初代学長を務めた。平和論の講座を設けるなど平和教育に力を入れた。
野底 武彦(のか たけひこ、1928年3月27日 - 200… 野底 武彦(のか たけひこ、1928年3月27日 - 2007年8月10日)は、琉球政府および沖縄県の政治活動家。 琉球独立党(現・かりゆしクラブ)の前党首で、2005年以降は「名誉党首」。沖縄県与那国町出身。ペンネームは「野底 土南(ぬか どなん)」。 1928年(昭和3年)3月27日生まれ。沖縄本島に渡り沖縄県立首里第一中学校(現在の沖縄県立首里高等学校)入学する。その後台湾に移住し、台北州立基隆中学校(現在の国立基隆高級中学)に転校する。 終戦後、台湾から島づたいで北上し、法政大学経済学部に進学する。在学中には沖縄県出身者では初の公認会計士の資格を取得した。卒業後はアメリカ統治下であった沖縄県に戻り、沖縄大学の講師に就任した。
津野 力男(つの りきお、1928年2月20日 – 2009… 津野 力男(つの りきお、1928年2月20日 – 2009年7月25日)は、沖縄県で活動を行った写真家。台湾高雄州生まれ、沖縄県石垣市出身。 1950年にアマチュア写真同好会『でいごカメラ倶楽部』を石垣市にて結成、1979年には沖縄写真連盟会長に就任している。1990年から2008年までは全日本写真連盟の西部本部委員を務めた。1996年、沖縄県文化功労者賞を受賞。 2009年7月25日、肺がんにより那覇市内の病院で死去。享年81。
伊波 幸夫(いは ゆきお、1927年(昭和2年)11月30日… 伊波 幸夫(いは ゆきお、1927年(昭和2年)11月30日 - 2013年(平成25年)1月25日)は、昭和時代の政治家。沖縄県平良市長。 平良市出身。1945年(昭和20年)台中第二中学校卒業。 平良市議会議員、同議長を経て、1982年(昭和57年)平良市長に当選。1986年(昭和61年)任期満了に伴う選挙で落選した。市長在任中、「スポーツアイランド宮古島」の足掛かりとなる「スポーツアイランド構想」を策定した。
大浜 方栄(おおはま ほうえい、大濱方榮、1927年10月2… 大浜 方栄(おおはま ほうえい、大濱方榮、1927年10月27日 - 2014年4月28日)は、日本の政治家、医師。位階は従四位。 社会福祉法人・医療法人・財団法人おもと会理事長。元自由民主党参議院議員。 1980年の第12回参議院議員通常選挙(沖縄地方区)に保守系無所属で立候補するも、革新共闘会議の喜屋武真栄に敗北。その後、1983年の第13回参議院議員通常選挙(比例区)で初当選、2期務める。派閥は平成研究会(竹下派→小渕派)。 2014年4月28日午前0時47分、老衰のため沖縄県那覇市の大浜第一病院で死去。86歳没。叙従四位。
大城 眞順(おおしろ しんじゅん、1927年10月5日 - … 大城 眞順(おおしろ しんじゅん、1927年10月5日 - 2016年2月18日)は、日本の政治家。沖縄返還前の琉球政府では立法院議員として活動し、復帰後には衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)を務めた。 1965年の琉球政府の第7回立法院議員総選挙で第26区より当選。 1968年の第8回立法院議員総選挙で再選。 1979年10月7日の第35回衆議院議員総選挙に沖縄県全県区に自由民主党から出馬し、初当選。四十日抗争では田中派として大平正芳に投票。 1980年の第36回衆議院議員総選挙で落選。 1980年の喜屋武眞榮の任期途中での沖縄県知事選出馬に伴う第12回参議院議員通常選挙の沖縄県選挙区補欠選挙で自由民主党から出馬し、初当選。
早野 寿郎(はやの としろう、1927年2月26日 - 19… 早野 寿郎(はやの としろう、1927年2月26日 - 1983年2月20日)は、日本の演出家、俳優、声優。劇団俳小主宰、早野演劇研究所主宰。小劇場活動の先駆者。自宅は東京都港区六本木。 台湾生まれでその後岐阜県大垣市に移る。4歳から旧制中学4年まで沖縄で育つ。沖縄県立第二中学校(現・沖縄県立那覇高等学校)の1学年上に大城立裕がいた。 旧制浦和高等学校を経て東京大学文学部仏文科中退。1949年に俳優座養成所を2期生として卒業し、1954年に小沢昭一たちと劇団新人会を結成。 1960年、小沢や小山田宗徳、宮崎恭子、楠侑子たちと劇団俳優小劇場の結成に参加し、新人会から分裂。 千田是也や田中千禾夫の影響下に小劇場運動の基礎を築く。
尚 詮(しょう せん、1926年12月23日 - 1990年… 尚 詮(しょう せん、1926年12月23日 - 1990年8月31日)は、昭和の実業家。琉球王国19代尚泰王の四男・尚順の六男。
島袋 宗康(しまぶく そうこう、男性、1926年10月5日 … 島袋 宗康(しまぶく そうこう、男性、1926年10月5日 - 2022年12月9日)は、日本の政治家。沖縄社会大衆党名誉顧問。元参議院議員(2期)・沖縄社会大衆党委員長。姓は琉球語読み(沖縄の名字)で、日本語読みは「しまぶくろ」とも。 1969年、那覇市議会議員に当選し4期務めた。 1984年、沖縄県議会議員に当選し2期務めた。 1989年から約15年間、沖縄社会大衆党委員長を務めた。 1992年の第16回参院選では第二院クラブ公認で革新共闘の統一候補として沖縄県選挙区に立候補し、PKO法反対などを訴え、341票の僅差で自民党の大城真順を破り初当選。1人区では唯一の野党が獲得した議席となった。
親泊 康晴(おやどまり こうせい、1926年8月28日 - … 親泊 康晴(おやどまり こうせい、1926年8月28日 - 2005年4月11日)は、日本の政治家。1984年から2000年まで沖縄県那覇市長を務めた。
大城 立裕(おおしろ たつひろ、1925年〈大正14年〉9月… 大城 立裕(おおしろ たつひろ、1925年〈大正14年〉9月19日 - 2020年〈令和2年〉10月27日)は、日本の小説家。 沖縄県中城村出身。沖縄県立第二中学校(現・沖縄県立那覇高等学校)を経て、1943年上海の東亜同文書院大学に入学し、1946年、敗戦により中退。高校教師を経て琉球政府、引き続き沖縄県庁の職員となり、主に経済・歴史編集畑を歩む。1967年、『カクテル・パーティー』で芥川賞を受賞し、沖縄初の芥川賞作家となる。「沖縄」の矛盾と苦しみと誇りをみつめた小説、戯曲やエッセーなど多くの作品を発表した。県の文化行政にも積極的に関わり、1983年から1986年まで沖縄県立博物館長を務めた。
大田 昌秀(おおた まさひで、1925年〈大正14年〉6月1… 大田 昌秀(おおた まさひで、1925年〈大正14年〉6月12日 - 2017年〈平成29年〉6月12日)は、日本・沖縄の政治家・社会学者。元沖縄県知事(2期)、元社会民主党参議院議員(1期)。琉球大学名誉教授。特定非営利活動法人沖縄国際平和研究所理事長。 沖縄県島尻郡具志川村(現・久米島町)出身。 母校の小学校の用務員などを経て、東京の工学院へ特待生で進学する予定であったが、親戚のつてで沖縄師範学校に進学する。在学中の1945年(昭和20年)3月に鉄血勤皇隊に動員され、情報宣伝隊の「千早隊」に配属された。沖縄戦の中、九死に一生を得るが多くの学友を失う(同期125人中生存は大田を含めて37人)。