大山 智(おおやま さとし、1944年(昭和19年)3月2日… 大山 智(おおやま さとし、1944年(昭和19年)3月2日)は、日本の実業家。三菱地所住宅販売代表取締役社長や、横浜スカイビル代表取締役社長、不動産流通経営協会副理事長を務めた。 1966年小樽商科大学商学部卒業、三菱地所入社。広報部長、都市開発部長、札幌支店長を経て、1998年取締役人事部長に昇格。2000年取締役企画本部長副本部長。2001年常務取締役企画本部長副本部長。2005年代表取締役専務執行役員住宅事業本部長。2003年から三菱地所住宅販売(現三菱地所リアルエステートサービス)代表取締役社長を務め、不動産流通経営協会副理事長も兼務した。2007年横浜スカイビル代表取締役社長。
橘木 俊詔(たちばなき としあき、1943年8月8日 - )… 橘木 俊詔(たちばなき としあき、1943年8月8日 - )は、日本の経済学者、京都女子大学客員教授、京都大学名誉教授、元同志社大学経済学部特別客員教授。専攻は労働経済学。
中野宏一(なかの こういち、1943年 - )は、日本の商学… 中野宏一(なかの こういち、1943年 - )は、日本の商学者、神奈川大学経済学部貿易学教授。神奈川大学附属中・高等学校校長。専門は貿易学、貿易商務論。所属学会として日本貿易学会、国際ビジネスコミュニケーション学会、Academy of International Business(米国)など。門下生にはトヨタ自動車執行役員宮崎洋一等。 1943年北海道函館市生まれ。1966年小樽商科大学商学部卒業。1972年早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了。1975年同、博士課程修了。北海道銀行勤務、JETRO認定貿易アドバイザー試験の委員、小口輸入商社「姫ジュエリー」で輸入業務担当。1985年神奈川大学経済学部教授(中野ゼミ、貿易商務論、貿易マーケティング)。
池間 誠(いけま まこと、1941年11月26日 - 201… 池間 誠(いけま まこと、1941年11月26日 - 2017年7月22日)は、日本の経済学者。専門は国際経済学。クールノー線(クールノー=池間カーブ)を提唱。一橋大学名誉教授。1998年から2000年まで日本国際経済学会会長、2000年からは同顧問。社団法人世界経済研究協会会長。1989年から1992年までオーストラリア学会代表理事。位階は従三位。 沖縄県宮古郡平良町(現宮古島市)出身。コザ教育区立コザ中学校、野嵩高等学校(現沖縄県立普天間高等学校)を経て、 2017年7月22日、死去。75歳没。没後に日本国政府により従三位に追叙され、瑞宝中綬章を追贈された。
佐野 力(さの ちから、1941年2月15日 - )は、日本… 佐野 力(さの ちから、1941年2月15日 - )は、日本の実業家。日本オラクル設立者で、同社代表取締役会長兼最高経営責任者や、オラクル本社のシニア・バイス・プレジデントを務めた。 北海道夕張郡栗山町生まれ。実家は写真館。父は19歳で室蘭港を出てシンガポールでイギリス人から写真技術を学んだ人物で、その影響から海外で働きたいという気持ちが強まった。 1963年小樽商科大学商学部卒業。大学では応援団や柔道部に所属。学業では「社長と副社長では天と地の差がある」という伊藤森右衛門教授から大きな影響を受けたという。 大学卒業後日本IBM入社。中国事業開発部長、西部営業本部長を経て、1988年エス・アンド・アイ代表取締役社長。
大谷 良雄(おおたに よしお、1939年 - 2015年)は… 大谷 良雄(おおたに よしお、1939年 - 2015年)は、日本の法学者。専門は国際法。法学博士(一橋大学)。一橋大学名誉教授。オットー・リーゼ賞受賞。 北海道札幌北高等学校を経て、小樽商科大学商学部卒業後、1966年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、1969年同博士課程単位取得。指導教官は大平善梧。1971年に一橋大学より法学博士の学位を取得。 小樽商科大学助教授、一橋大学法学部教授、1995, 97, 99, 2001年パリ第1大学招聘教授、1998年パリ第2大学招聘教授、日本大学法学部教授等を務めた。1976年オットー・リーゼ賞受賞。2003年一橋大学名誉教授。 大谷ゼミ出身者としては高村ゆかり東京大学未来ビジョン研究センター教授や、中西優美子一橋大教授、南諭子津田塾大学准教授、佐藤智恵明治大学教授、相澤美智子一橋大教授等がいる。
中野 淳一(なかの じゅんいち、1938年11月8日 - 2… 中野 淳一(なかの じゅんいち、1938年11月8日 - 2007年8月23日)は、日本の実業家。初代野村不動産ホールディングス代表取締役社長や、同社代表取締役会長、不動産協会副理事長などを務めた。 北海道生まれ。1962年小樽商科大学商学部卒業、野村證券入社。職員部長や、名古屋駅前支店長を経て、1984年取締役に昇格。1987年常務取締役。1988年専務取締役。1991年顧問。1992年野村不動産専務取締役。1993年同社取締役副社長。 1995年から野村不動産代表取締役社長を務め、2004年には野村不動産ホールディングスを設立し同社代表取締役社長に就任。同年同社代表取締役会長に就任。不動産協会副理事長なども歴任した。
石原 和昌(いしはら かずあき、1937年〈昭和12年〉‐ … 石原 和昌(いしはら かずあき、1937年〈昭和12年〉‐ )は、日本の経営学・儒教文化研究家。北海道出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
野々村 勅夫(ののむら ただお、1936年〈昭和11年〉6月… 野々村 勅夫(ののむら ただお、1936年〈昭和11年〉6月23日 - )は、日本の経営者。清水銀行頭取を務めた。 静岡県清水市出身。1960年に小樽商科大学を卒業し、同年に清水銀行に入行した。1985年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務、1989年6月に専務を経て、1993年6月には頭取に就任。1995年2月には取締役相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小原 芳春(おばら よしはる、1936年3月21日 - )は… 小原 芳春(おばら よしはる、1936年3月21日 - )は、日本の実業家。株式会社デニーズジャパン第3代代表取締役社長を務めた。 静岡県沼津市出身。小樽商科大学卒業後、1960年東レ入社。1971年イトーヨーカ堂入社。1993年からデニーズジャパン代表取締役社長を務め、業務改革を進め、サービス水準の向上にあたった。1998年沼津市ぬまづ大使。2001年緑丘会理事長。2002年デニーズジャパン相談役。2003年ヤギ監査役。
松田 芳郎(まつだ よしろう、1935年7月6日-2018年… 松田 芳郎(まつだ よしろう、1935年7月6日-2018年10月10日 )は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。第8代日本統計学会理事長。発展途上国研究奨励賞、日本統計学会学会賞受賞。 北海道小樽出身。1958年小樽商科大学卒、一橋大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。山田雄三の指導を受けた。1963年小樽商科大学商学部講師、66年助教、同年から一年間、フルブライト奨学生としてハーバード大学大学院に留学、73年一橋大学経済研究所助教授、79年教授。90年日本統計学会理事長。99年定年退官し名誉教授、東京国際大学教授となり、2006年青森公立大学教授。2002年文化経済学会会長。1988年アジア経済研究所第9回発展途上国研究奨励賞。
木梨 芳一(きなし よしいち、1934年12月8日 - 20… 木梨 芳一(きなし よしいち、1934年12月8日 - 2004年11月12日)は、日本の経営者。北海道文化放送社長、会長を務めた。 北海道帯広市出身。1957年に小樽商科大学を卒業し、同年に北海道新聞社に入社。1991年1月に取締役、1995年1月に常務、1997年11月に専務を経て、1998年6月に北海道文化放送社長に就任。2004年6月に会長に就任。 2004年11月12日に胃癌のために死去。69歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
森本 敏男(もりもと としお、1934年11月7日 - 20… 森本 敏男(もりもと としお、1934年11月7日 - 2004年5月5日)は、日本の経営者。神奈川新聞社社長、会長を務めた。 北海道出身。1958年に小樽商科大学を卒業し、同年に朝日新聞社入社。 1991年12月に神奈川新聞社取締役に就任し、1992年6月から1999年7月までに社長を務めた。2000年から2003年までに朝日新聞社監査役を務めた。 2004年5月5日、膵臓癌のために死去。69歳没。
柴川 林也(しばかわ りんや、1934年2月15日 - 20… 柴川 林也(しばかわ りんや、1934年2月15日 - 2022年2月24日 )は、日本の経営学者。位階勲等は従四位瑞宝中綬章。 一橋大学名誉教授。専門は金融工学。日本経営財務研究学会会長、日本経営学会常務理事、経済学会連合理事等を歴任した。日経・経済図書文化賞受賞。 北海道常呂郡野付牛町(現北見市)生まれ。1952年、北海道北見柏陽高等学校卒業。1956年、小樽商科大学商学部卒業。1958年、一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。古川栄一の弟子。1980年、九州大学より経済学博士の学位を取得。 1958年、東京経済大学経済学部助手。コロンビア大学経営大学院留学を経て、1961年、東京経済大経済学部講師。
守分 寿男(もりわけ としお・1934年(昭和9年)1月9日… 守分 寿男(もりわけ としお・1934年(昭和9年)1月9日 - 2010年(平成22年)12月27日)は、北海道放送(HBC)に所属していたテレビディレクター・映像プロデューサーである。 参考資料:テレビドラマデータベース この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
石川 哲郎(いしかわ てつろう、1933年9月4日 - )は… 石川 哲郎(いしかわ てつろう、1933年9月4日 - )は、日本の実業家である。雪印乳業代表取締役社長や、日本乳業協会会長、全国飲用牛乳公正取引協議会委員長を務めた。新潟県六日町(現:南魚沼市)出身。 小樽商科大学卒業後、雪印乳業で財務部門を主に担当し、財務部長等を経て、1997年代表取締役社長に就任。全国飲用牛乳公正取引協議会委員長、日本乳業協会初代会長も務めた。雪印集団食中毒事件の責任を問われ2000年に雪印乳業社長を引責辞任した。直後に母校の小樽商科大学のOB会理事長に就任したが会員から反対されて間もなく辞任し、2016年時点で都内のマンションで家族と暮らしている。
八嶋 健三(やじま けんぞう、1932年11月28日 - 2… 八嶋 健三(やじま けんぞう、1932年11月28日 - 2025年10月31日)は、日本の経営者。北陸銀行頭取を務めた。 富山県出身。1955年に小樽商科大学商学部を卒業し、同年に北陸銀行に入行した。1983年9月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1992年6月に頭取に就任。1998年6月に会長に就任し、2002年6月には特別参与に就任。 2025年10月31日午後、肺炎のため富山県高岡市の病院で死去。92歳没。死没日付をもって正五位に叙され、旭日中綬章を追贈された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
伊藤 幸治(いとう こうじ、1931年1月1日 - 2023… 伊藤 幸治(いとう こうじ、1931年1月1日 - 2023年10月6日)は、日本の経営者。澁澤倉庫社長を務めた。 北海道出身。1954年に小樽商科大学商学部を卒業し、同年4月に澁澤倉庫に入社。1986年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1995年6月に副社長に就任し、1996年6月には社長に昇格。2000年6月から2004年6月までに会長を務めた。 2003年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2023年10月6日、死去。92歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
所 哲也(ところ てつや、1931年(昭和6年) - )は、… 所 哲也(ところ てつや、1931年(昭和6年) - )は、日本の経済学者。経済学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授。元北海道武蔵女子短期大学学長。専門は南北問題や国際経済論。 北海道茅部郡森町生まれ。1954年、小樽商科大学商学部卒業。同年、北海道追分高等学校教諭。1961年、北海道大学大学院経済学研究科博士課程修了。同年、山形大学理学部講師。1964年、北海道大学経済学部助教授。1975年(昭和50年)、同経済学部教授。1988年(昭和63年)、同経済学部長。1995年、北海道大学停年退官。同名誉教授。北海道武蔵女子短期大学経済学科教授。1998年(平成10年)、北海道武蔵女子短期大学学長。
岩城 禮三(いわき れいぞう、1930年 – 2017年)は… 岩城 禮三(いわき れいぞう、1930年 – 2017年)は、日本の言語学者・教育者。専門は英語教育。札幌医科大学名誉教授。北海道岩内郡岩内町生まれ 1946年北海道庁立岩内中学校卒。1949年小樽経済専門学校卒。岩内町立岩内第二中学校英語教諭。1950年北海道岩内高等学校英語教諭。1956年日本大学文学部英文学科卒。1961年北海道札幌旭丘高等学校英語教諭。1966年ジョージタウン大学大学院外国語教育学課程修了。1969年札幌香蘭女子短期大学英文科専任講師。1969年北海道立教育研究所語学教育研究室長。1969年通訳案内士取得。1970年小樽商科大学短期大学部助教授。1980年札幌医科大学医学部教授。
廣谷 陸男(ひろや ろくお、1929年(昭和4年)2月13日… 廣谷 陸男(ひろや ろくお、1929年(昭和4年)2月13日 - 2016年(平成28年)1月22日)は、日本の弁護士で、小樽経済専門学校出身の数少ない生え抜き法曹の一人。 北海道古宇郡泊村(小樽市とも)出身。父敏蔵は小樽市議で、衆議院議員を務めた山本厚三は伯父。実家は倉庫業で、十人兄弟の六男だった。小樽市立稲穂小学校から旧制小樽中学校(現・北海道小樽潮陵高等学校)に進み、太平洋戦争中は室蘭の日本製鋼所で学徒動員を経験。陸軍士官学校の試験に合格するが、兄俊二が治安維持法で特高に逮捕されていたことから身元調査に引っかかった。 1949年小樽経済専門学校卒業。日興証券に入社するが、外国で武力衝突が起きるたびに株価が上がる世界に疑問を感じて退社し、1960年司法試験に合格(司法修習15期)。
森田 松太郎(もりた まつたろう、1929年1月30日 - … 森田 松太郎(もりた まつたろう、1929年1月30日 - 2014年5月31日)は、日本の公認会計士。経営コンサルタント。ARI研究所所長。 この他、財務データベースの国際比較などを研究。 『北海道人物・人材情報リスト2004 な-わ』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
渡部 龍雄(わたなべ たつお、1928年4月4日 - 200… 渡部 龍雄(わたなべ たつお、1928年4月4日 - 2001年12月11日)は、1950年代前半に活躍した元スキージャンプ選手。北海道小樽市出身。 旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)-小樽経済専門学校-早稲田大学-三井鉱山芦別 小樽中学時代はテニスで鳴らした。1952年のオスロオリンピックスペシャルジャンプで27位だった。
藤井 浩明(ふじい ひろあき、1927年(昭和2年)8月7日… 藤井 浩明(ふじい ひろあき、1927年(昭和2年)8月7日 - 2014年(平成26年)6月21日)は、日本の映画プロデューサー。日本映画プロデューサー協会会員。旧姓は、清水。 約20年間大映で企画を担当し、倒産に伴う退社後は独立プロダクション「行動社」を設立。通算、約200本近い映画の企画・製作に携わり、映画監督の市川崑や増村保造らと組んで多くの作品を生み、市川雷蔵の主演映画や、作家の三島由紀夫の小説の映画化にも尽力した。 1927年(昭和2年)、岡山県で誕生。戦時中の1944年(昭和19年)春に岡山県の笠岡から北海道に渡り、小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)に入学し寮生活となったが、篠路村への援農や、幌加内村、一已村での学徒勤労動員の日々を送った。
黒坂 正次(くろさか まさじ、1926年(大正15年) - … 黒坂 正次(くろさか まさじ、1926年(大正15年) - 2007年(平成19年))は、日本の経営学者。函館大学名誉教授、函館短期大学学長、函館大学付属柏稜高等学校校長。北海道函館市出身 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
高桑 義高(たかくわ よしたか、1925年11月10日-20… 高桑 義高(たかくわ よしたか、1925年11月10日-2006年5月17日 )は、日本の経営者。サッポロビール社長、会長を務めた。北海道函館市出身。 1949年に東京商科大学を卒業し、同年に大日本麦酒(のちのサッポロビール)に入社した。1973年に経理部長に就任し、取締役、常務、専務を経て、1983年3月には社長に就任した。1989年3月に会長に就任し、1991年3月から相談役を務めた。 1996年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2006年5月17日下咽頭がんのために死去。80歳没。
松橋 忠光(まつはし ただみつ、1924年11月30日 - … 松橋 忠光(まつはし ただみつ、1924年11月30日 - 1998年12月11日)は、日本の警察官僚、著作家。 警察官としての最終階級は警視監。内村鑑三系無教会主義のクリスチャン。 民主警察幹部見習(警察庁キャリア組)第1期生。 2004年頃から社会問題となった警察不正経理問題を、その20年前の1984年に初めて告発した。松橋の告発は、国会で取り上げられるなど話題となったものの、当時の警察庁からは無視された。 北海道出身。旧制小樽経済専門学校を卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。
竹村 保昭(たけむら やすあき、1924年11月7日 - 1… 竹村 保昭(たけむら やすあき、1924年11月7日 - 1994年4月6日)は、日本の経営者。代々木ゼミナール副理事長を務めた。北海道出身。代々木ゼミナール創業者・高宮行男の実弟。 1949年に小樽経済専門学校を卒業し、同年にシェル石油に入社。1962年に代々木ゼミナールに転じ、副理事長を務めた。 1994年4月6日膵臓癌のために死去。69歳没。
長谷部 亮一(はせべ りょういち、1924年(大正13年)1… 長谷部 亮一(はせべ りょういち、1924年(大正13年)10月23日 - )は、日本の経済学者。統計学者。経済学博士。元小樽商科大学学長・小樽商科大学名誉教授・北海学園大学名誉教授。 北海道野付郡別海村字オダイトウ生まれ。1941年(昭和16年)12月、根室商業学校(現北海道根室高等学校)を卒業。1944年(昭和19年)9月、小樽高等商業学校を卒業。1948年(昭和23年)3月、東京商科大学(現一橋大学)商学部を卒業。1948年(昭和23年)小樽経済専門学校講師に採用、1954年(昭和29年)小樽商科大学商学部助教授。その後、立正大学経済学部教授、北海道大学経済学部教授、北海道総合経済研究所長を経て、1972年(昭和47年)小樽商科大学商学部教授、1976年(昭和51年)、第5代小樽商科大学附属図書館長に就任。
唯是 震一(ゆいぜ しんいち、1923年10月30日 - 2… 唯是 震一(ゆいぜ しんいち、1923年10月30日 - 2015年1月5日)は、日本の邦楽作曲家、筝曲家(生田流)。妻は筝曲家の中島靖子。 北海道深川市生まれ。父親は尺八奏者、母親は筝曲家。農業経済学者の唯是康彦は従弟。3歳から生田流筝曲を学ぶ。小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)卒業後、一度就職するが、間もなく退職し、東京音楽学校邦楽科に入学。宮城道雄に師事する。その後、後身の東京藝術大学に楽理科が設置されると転科し、在学中の1952年、邦楽コンクール(東京新聞社主催)で第1位・文部大臣賞を受賞。 卒業後の1953年から2年間、コロンビア大学でヘンリー・カウエルに師事。この間クックレーベルからレコード『日本の琴』をリリース。
三谷晃一(みたに こういち、1922年9月7日 - 2005… 三谷晃一(みたに こういち、1922年9月7日 - 2005年2月23日)は、日本の詩人。福島民報社に勤務の傍ら、生涯詩人としての生き方を貫き通し、郷里福島の地から、第1詩集『蝶の記憶』から第9詩集『河口まで』を発表した。 地方と呼ばれる都会から離れた地域に生きる人々に限りなく温かい眼差しを注ぐ。アジアの中央から日本まで国境を越えて続くそば畑で、その生育とともに人生を紡ぐ人々、山深い田舎で便りを待ちわびる人々に郵便を配達する 郵便配達夫、 生涯をかけ樹齢千年の紅枝垂桜の子孫を訪ね歩いて、 420本の子孫桜を捜し出した農夫など、名もなく人知れず、日々の生活に命を賭ける無数の人々が支える日常生活に確かな世界を見出す。
大庭 健三(おおば けんぞう、1922年(大正11年)2月1… 大庭 健三(おおば けんぞう、1922年(大正11年)2月16日 - 2000年(平成12年)11月23日)は、日本の政治家。静岡県御殿場市長(3期)。位階は従五位。 静岡県出身。1942年、小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)、1944年、東京商科大学(現・一橋大学)卒。卒業後は地元で有限会社いずみや(呉服商と家具商)を経営する。御殿場市商工会理事、御殿場市議会議員などを経て、1981年、御殿場市長に当選する。市長を2期務め、1989年に退任した。2000年に死去。死没日付をもって従七位から従五位に進階した。
喜多 了祐(きた りょうゆう、 1921年11月28日 - … 喜多 了祐(きた りょうゆう、 1921年11月28日 - 2007年6月18日)は、日本の法学者。専門は商法。学位は、法学博士。小樽商科大学教授・一橋大学法学部教授を経て、一橋大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。中華人民共和国国務院の招聘により西安の西北法政学院において日本商法を講義。フルブライト留学生としてハーバード・ロー・スクール留学、ブリティッシュ・カウンシル留学生としてロンドン・スクール・オブ・エコノミクス法科大学院留学など海外研究の機会が多く、南山大学、富山大学、東洋大学大学院、亜細亜大学などでも講義。法学博士の学位を取得、学位論文は「私法における外観優越の理論―商法への展開のための基礎研究―」(1975年)。
香木 正雄(こうき まさお、1921年8月26日 - 200… 香木 正雄(こうき まさお、1921年8月26日 - 2002年4月28日)は日本の実業家。日本製粉代表取締役社長や、同社取締役会長を務めた。 北海道小樽市出身。小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒業後、日本製粉入社。日本製粉専務取締役を経て、1985年から日本製粉代表取締役社長を務め、男女満60歳への定年延長や、国立市での食品部冷凍食品管埋センター開設などにあたった。1987年にはワタミフードサービス創業者渡邉美樹と面会するなどし、ワタミフードサービスへの出資を行った。 1992年、勲三等旭日中綬章を受章。2002年4月28日、心不全のため死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
井上 了介(いのうえ りょうすけ、1920年〈大正9年〉4月… 井上 了介(いのうえ りょうすけ、1920年〈大正9年〉4月10日 - 2000年〈平成12年〉12月7日)は、日本の銀行家。秋田銀行頭取、会長を歴任した。 秋田県秋田市出身。三菱銀行勤務を経て、秋田銀行入行。審査部長、仙台支店長等を歴任する。 1971年(昭和46年)に竣工となった現本店の建設地選考の際には、当時の役員ほぼ全員が旧本店跡地への建設へと傾いた中、企画部長であった井上が県庁、市役所などが集積し官庁街として新しい街並みが形成されつつあった「山王地区」の将来性に着目。3ヶ月で行内を説得し、同地区への新築へと構想を具体化したは長く行内でエピソードとして語り継がれた。 頭取在任時は、第二次オンラインシステムの稼動、預金残高1兆円の達成、CSモニター制の導入など営業体制の整備にあたった。
伊藤 森右衛門(いとう もりうえもん、1919年8月29日 … 伊藤 森右衛門(いとう もりうえもん、1919年8月29日 - 1990年8月6日)は、日本の経営学者。小樽商科大学名誉教授。北海道におけるエコノミストのパイオニア。小樽区(現小樽市)出身。平井泰太郎門下。 息子に経済学者の伊藤隆敏(一橋大学・東京大学教授を経て、コロンビア大学教授、元日本経済学会会長)がいる。教え子に佐野力(日本オラクル初代会長兼CEO)などがいる。 この他、学内では小樽商科大学学生部長などを歴任。公職としては、北海道最低賃金審議会長。北海道交通審議会会長。札幌商業調整審議会長。また、札幌市地下鉄計画や小樽市都市計画にも参画し指導提案した。平成2年、第22回北海道開発功労賞受賞。
浜野 豊(濱野 豊、はまの ゆたか、1919年〈大正8年〉3… 浜野 豊(濱野 豊、はまの ゆたか、1919年〈大正8年〉3月25日 - 1972年〈昭和47年〉9月7日)は、日本の経営者。 北海道でリゾートホテルグループを経営する株式会社萬世閣(ホテル万世閣)の2代目社長。晩年、父の功績にあやかり、通称「2代目増次郎」を襲名。 薪炭商をしていた父・浜野増次郎の長男として北海道で生まれる。翌年には弟も生まれる。家は薪炭商として商売が軌道に乗りつつある時期で、幼児期は比較的、不自由のない生活をしていた。しかし小学生時代は父が事業に失敗。その後父は精肉店を開業したが、生活はドン底であったと言われる。精肉店時代は同級生と遊ぶ暇もなく、学校から帰宅後、弟と家業を手伝っていた。
渡辺 泰助(わたなべ たいすけ、1918年8月10日 - 1… 渡辺 泰助(わたなべ たいすけ、1918年8月10日 - 1985年5月3日)は、日本の経営者。 青森県出身。1939年に小樽高等商業学校を卒業。第五十九銀行での勤務を経て、1945年10月に家業の味噌醸造業に従事し、1951年1月に丸谷醸造を設立し、1955年3月には社長に就任。1971年11月に青森銀行監査役に就任し、1974年5月には頭取に就任した。1982年10月から1983年6月までに非常勤取締役を務めた。 1985年5月3日、心不全のために死去。66歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
鈴木 茂(すずき しげる、1917年4月17日 - 2014… 鈴木 茂(すずき しげる、1917年4月17日 - 2014年10月29日)は日本の実業家。北海道拓殖銀行代表取締役頭取・会長、JR北海道代表取締役会長、札幌商工会議所会頭等を務めた。 北海道後志支庁管内岩内郡岩内町の雑貨屋「鈴木商店」の長男として生まれる。旧制小樽高等商業学校を経て、1941年12月に旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を繰り上げ卒業。大学では中山伊知郎ゼミナールに所属。卒業論文は「不完全競争の理論」。澁澤倉庫、芝浦工作機械を経て、1946年北海道拓殖銀行入行。1963年総務部長、1966年取締役函館支店長、1972年常務東京支店長、1976年専務、1977年副頭取。 歴代頭取に大蔵省OBが多いなか、1983年歴代3人目の生え抜きの北海道拓殖銀行代表取締役頭取に就任。
斎藤 第六(さいとう だいろく、1916年(大正5年)12月… 斎藤 第六(さいとう だいろく、1916年(大正5年)12月1日 - 2000年(平成12年)2月1日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第11代市長、栄典は、従五位・勲四等・旭日小綬章、山形県出身。 1916年(大正5年)山形県に生まれる。 1934年(昭和9年)小樽高等商業学校を卒業する。 1949年(昭和24年)鶴岡市役所に入り、同市助役となる。1979年(昭和54年)無所属で鶴岡市長選挙に立候補し初当選した。1983年(昭和58年)11月20日の同市長選挙で佐藤俊次(共産党公認)を破り、2回目の当選をした。1987年(昭和62年)の同市長選挙で3回目の当選を果たした。1991年(平成3年)に市長を勇退。
北條 恒一(ほうじょう こういち、1916年2月11日 - … 北條 恒一(ほうじょう こういち、1916年2月11日 - )は日本の公認会計士、商学博士。 1940年小樽高等商業学校を卒業。元東京都立商科短期大学教授、元拓殖大学大学院教授(租税法)。 日本ペンクラブ会員、日本評論家協会会員、日本会計研究学会会員、租税法学会会員。 この項目は、会計に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト 会計)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
岡田 春夫(おかだ はるお、1914年6月14日 - 199… 岡田 春夫(おかだ はるお、1914年6月14日 - 1991年11月6日)は、日本の政治家。衆議院副議長(第53-54代)、衆議院議員(15期)。 戦後日本社会党の安全保障問題の代表的な論客として名を馳せ、「爆弾男オカッパル」の異名をとった。幼名・穣。父の初代・岡田春夫も政治家(立憲民政党所属の代議士)で、父の死後名前を「穣」から父と同じ「春夫」に改名した。外交官の岡田晃は弟。長男は岡田宰(弁護士)、次男は岡田充(共同通信客員論説委員・客員大学教授)。 北海道美唄市生まれ。出生地の美唄市には生家が保存されている。1937年小樽高等商業学校(現小樽商科大学)を卒業。製材業、北海道議会議員を経て、1946年戦後初の総選挙で旧北海道4区から衆議院議員に初当選。
五味 彰(ごみ あきら、1914年5月29日 - 1991年… 五味 彰(ごみ あきら、1914年5月29日 - 1991年11月6日)は、日本の実業家。北海道拓殖銀行頭取を務めた。 北海道出身。1935年に小樽高等商業学校を卒業し、同年に北海道拓殖銀行に入行。取締役、東京支店長、常務、副頭取を経て、1977年10月に東条猛猪の後任として頭取に就任した。拓銀にとって、永田昌綽以来30年ぶりの生え抜き出身の頭取であった。1983年から会長を務めた。 北海道経済連合会副会長や札幌エレクトロニクスセンター理事長を歴任した。 1991年11月6日、心不全のために死去。77歳没。
宮嶋 巌(みやじま いわお、1914年5月2日 - 2005… 宮嶋 巌(みやじま いわお、1914年5月2日 - 2005年6月21日)は、北海道小樽市出身のスキージャンプ選手。宮島の表記もある。 旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)4年時にジャンプを始めた。中学卒業後、小樽高等商業学校(現:小樽商科大学)に進む。 高等商業学校在学中の1936年にガルミッシュ・パルテンキルヒェンオリンピックに出場、31位だった。本人は「恥ずかしいばかりの成績」と不本意な結果だった。 当時主流だった両腕を前に伸ばして前傾するフォームではなく、現在において主流になっている両腕を身体に添えるフォームを用いていたという。
大島 清(おおしま きよし、1913年12月9日 - 199… 大島 清(おおしま きよし、1913年12月9日 - 1994年10月8日)は、日本の経済学者。筑波大学名誉教授。専攻はマルクス経済学における経済原論、金融論。東京教育大学教授、筑波大学副学長、立正大学・帝京大学教授を歴任。妻は作家の芝木好子。元住所(現在は退去済み)「東京都杉並区高円寺北497」。 1913年、北海道室蘭市の網元の家に生まれる。小樽高等商業学校を経て、東北帝国大学卒業。東北帝大では宇野弘蔵に師事し、卒業後は宇野経済学の立場から経済原論、金融論の研究で成果をあげた。 大島が入学した当時の東北帝国大学は旧制高等学校卒業生以外の枠外学生も入学を許可されており(傍系入学という)、傍系入学者の中に優秀な2人の大島清(もう一人はのちの法政大学教授の大島清)がいて、しばしば間違われた。
鎌田 正三(かまた しょうぞう、1913年9月 - 1997… 鎌田 正三(かまた しょうぞう、1913年9月 - 1997年)は、マルクス経済学者。北海道大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。1936年小樽高等商業学校卒業。東北帝国大学法文学部経済学科に入学。経済学科の同年の入学者には内藤知周、一柳茂次、浅野正明、中野正、志賀金吾、大島清(新潟高校中退)、大島清(小樽高商卒業)らがいた。斎藤晴造、2人の大島清、一柳茂次、志賀金吾、大友福夫、内藤知周らは下宿に集まって資本論について議論をする仲間だった。宇野弘蔵、末永茂喜などから経済学を学ぶ。 1940年東北帝国大学法文学部経済学科卒業。同じく小樽高商出身の大島清とともに財団法人三菱経済研究所に入所。1941年大島とともに財団法人東亜研究所に移り、新設の欧米部門のイギリス班に所属。
岩澤 正二(いわさわ まさじ、1913年4月25日 - 20… 岩澤 正二(いわさわ まさじ、1913年4月25日 - 2007年5月16日)は、日本の実業家。住友銀行副頭取や、マツダ会長を務めた。 現在の秋田県大館市出身。大館中学校(現秋田県立大館鳳鳴高等学校)、小樽高等商業学校(現小樽商科大学)を経て、1938年3月、東京商科大学(現一橋大学)卒業。大学同期の小林政夫、坪井東、小泉明、横山宗一らと同期会を結成。4月に住友銀行(現三井住友銀行)に入社するも歩兵第17連隊に応召し満州に駐屯。甲種幹部候補生に合格後、1940年に少尉任官し、連隊旗手を拝命。1941年春の召集解除後に復職し、1944年に本店調査部勤務となるが、同年再召集され秋田鉱山専門学校の配属将校となり、勤労動員の引率で東北・北海道各地の鉱山を回った。
長谷川 正治(はせがわ まさはる、1913年〈大正2年〉1月… 長谷川 正治(はせがわ まさはる、1913年〈大正2年〉1月27日 - 1993年〈平成5年〉2月23日)は、日本の政治家。室蘭市長(2期)。書家。号は遅牛。位階は正六位。 北海道出身。小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)卒。卒業後は室蘭の栗林商会に入る。その後、日鉄港運に転職する。 戦後は貿易会社や水産加工会社を創立し、社長に就任する。室蘭水産加工協同組合組合長、北海道水産加工協同組合監事などを務める。1971年の市長選挙に革新系無所属で立候補し、現職の高薄豊次郎を90票差で破った。市長に当選後は市民との対話集会の開催や、室蘭市が基幹産業の造船不況に陥った中、小中学校の校舎の不燃化や、白鳥大橋の調査着手などを始めた。
八木 勇平(やぎ ゆうへい、1912年3月31日 - 200… 八木 勇平(やぎ ゆうへい、1912年3月31日 - 2001年1月4日)は、日本の実業家。東急建設社長や、世紀東急工業会長、静岡県人会会長などを務めた。 静岡県小笠郡出身。1933年小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒業、東京横浜電鉄(現東急)入社。1958年取締役。1971年東急建設専務取締役。1972年東急建設取締役副社長。1973年東急建設取締役社長。1976年東急道路取締役社長。1978年東急工建取締役会長、東急不動産取締役。1979年東京急行電鉄監査役。1982年世紀東急工業取締役会長。静岡県人会会長なども歴任した。
横川 義雄(よこかわ よしお、1910年10月~1995年6… 横川 義雄(よこかわ よしお、1910年10月~1995年6月12日)は、日本の経営学者・教育者・地方公務員だった人物。札幌大学名誉教授。北海道函館市出身 1928年北海道庁立小樽中学校卒業。1931年小樽高等商業学校卒業。北海道庁立小樽商業学校(現北海道小樽商業高等学校)教諭。1940年北海道函館商業学校(現北海道函館商業高等学校)教諭。1953年函館短期大学商科助教授(経営管理論・教職担当)。1958年北海道教育委員会指導主事。1959年札幌短期大学商業科客員助教授(経営管理論担当、~1968年)。1963年北海道札幌東商業高等学校校長。1968年北海道旭川商業高等学校校長。1970年北海道立の高等学校の教員として定年退職。