横山 清(よこやま きよし、1935年5月15日 - )は、… 横山 清(よこやま きよし、1935年5月15日 - )は、日本の実業家。アークス代表取締役会長、ラルズ代表取締役会長、初代新日本スーパーマーケット協会会長、恵迪寮同窓会理事長。元全国スーパーマーケット協会理事長。藍綬褒章受章。 北海道芦別市の鍛冶屋の家に生まれる。北海道芦別高等学校卒業後、明治鉱業芦別炭鉱で2年間炭鉱夫として働いたのち、1960年に北海道大学水産学部を卒業した。 北海道大学恵迪寮に入寮し、当時寮長を務めていたこともあり、寮費を滞納する先輩からも臆せず取り立てを行っていたという。 大学卒業後は野原産業に入社。1961年大丸スーパー(現アークス)入社。1985年から大丸スーパー代表取締役社長を務め、1989年丸友産業と合併しラルズに改組後も引き続き代表取締役社長を務めた。
河谷 禎昌(かわたに さだまさ、1935年1月17日 - 2… 河谷 禎昌(かわたに さだまさ、1935年1月17日 - 2025年12月13日)は、日本の経営者、銀行家。北海道拓殖銀行最後の頭取を務めた。 兵庫県神戸市出身。祖父と兄は弁護士、父は裁判官の法曹一家に育つ。北海道札幌北高等学校を経て、1957年に北海道大学法学部を卒業し、同年に北海道拓殖銀行に入行。 業務企画部長、企画部長、1986年7月に取締役、1989年4月に常務、1992年6月に専務、1993年6月に副頭取を経て、1994年6月に頭取に就任し、破綻する1997年11月まで務めた。破綻後、特別背任罪で実刑判決が確定し、2009年12月から1年7ヶ月服役した。その後はテレビ局、新聞社のインタビューに時折答えていた。
園田 保男(そのだ もりお、1934年〈昭和9年〉10月19… 園田 保男(そのだ もりお、1934年〈昭和9年〉10月19日 - )は、日本の実業家。元東洋エンジニアリング社長、同会長、同相談役。 園田保・富子の長男として北海道に生まれる。1958年(昭和33年)北海道大学工学部機械工学科を卒業し、東洋高圧に入社。1961年(昭和36年)東洋エンジニアリングに転じ、モスクワ事務所勤務、海外プロジェクト・プロジェクトゼネラルマネージャー、建設本部副本部長、施設事業本部副事業本部長、特設本部本部長、FS本部長、取締役、常務、代表専務を経て、1994年(平成6年)6月、社長に就任した。その後、1999年(平成11年)4月に会長、同年10月、相談役に就任した。 ほか、エンジニアリング振興協会理事長を務めた。
大西 匡(おおにし ただし、1934年7月 - )は、日本の… 大西 匡(おおにし ただし、1934年7月 - )は、日本の自動車技術者、実業家。豊田工機代表取締役会長兼社長や、日本工作機械工業会会長、中部品質管理協会会長等を歴任した。 北海道函館市出身。1957年北海道大学工学部卒業、トヨタ自動車工業入社。トヨタ生産方式の整備にあたり、1984年には大橋正昭、高橋朗らとともに、トヨタ自動車取締役に昇格した。1988年トヨタ自動車常務取締役。1994年トヨタ自動車専務取締役。 1996年豊田工機代表取締役社長。2000年豊田工機代表取締役会長。2001年日本工作機械工業会会長会長。 2003年豊田工機代表取締役会長兼社長。2004年豊田工機相談役、中部品質管理協会会長。
泉 誠二(いずみ せいじ、1932年3月11日 - 2022… 泉 誠二(いずみ せいじ、1932年3月11日 - 2022年2月15日)は、日本の実業家。北海道電力代表取締役社長、北海道経済連合会会長などを務めた。 1954年北海道大学経済学部経済学科卒業、北海道電力入社。1988年取締役企画室長。1989年常務取締役。1991年取締役副社長。1993年取締役社長。1999年取締役会長。2000年北海道経済連合会会長、北海道国際航空取締役。2001年には伊達忠一北海道議会議員の参議院議員への転身を促し連合後援会長も務めた。高橋はるみ北海道知事の資金管理団体萌春会会長なども務めた。
我孫子 健一(あびこ けんいち、1931年6月13日 - )… 我孫子 健一(あびこ けんいち、1931年6月13日 - )は、日本の地方公務員、航空実業家。北海道副知事、北海道住宅供給公社理事長、北海道空港代表取締役社長、北海道国際航空会長、北海道経済連合会副会長などを歴任した。日本棋院普及功労賞受賞。瑞宝中綬章受章。 北海道札幌南高等学校を経て、1954年北海道大学経済学部卒業、北海道庁入庁。1972年開発調整部参事。1977年開発調整部次長。1980年上川支庁長。1983年開発調整部長。1987年北海道副知事。1991年北海道住宅供給公社理事長。1994年北海道空港代表取締役社長。2000年北海道国際航空会長、北海道経済連合会副会長、北海道観光連盟会長。
児島 仁(こじま まさし、1930年〈昭和5年〉12月5日 … 児島 仁(こじま まさし、1930年〈昭和5年〉12月5日 - 2023年(令和5年)5月31日)は日本の実業家。第3代日本電信電話株式会社(NTT)代表取締役社長。位階は従三位、旭日大綬章受章。 北海道深川市生まれ。北海道立札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)を経て、1953年北海道大学法経学部卒業。なお、ベストセラー作家の増田俊也は大学の後輩にあたる。日本電信電話公社入社。1980年職員局長。1983年総務理事。「電電公社始まって以来の乱暴者」と評されるほどの武闘派で知られ、郵政省の公社分割案に反対し、大学の後輩にあたる郵政省の五十嵐三津雄との折衝にあたるなどした。 日本電信電話公社民営化に尽力し、1985年に日本電信電話が設立されると常務に就任し、翌年の1986年には副社長に昇格。
小野 栄一(おの えいいち、1930年2月5日 - )は、日… 小野 栄一(おの えいいち、1930年2月5日 - )は、日本の司会者、コメディアン、ボードビリアン、実業家である。娘は歌手の小野ひとみ。 1930年(昭和5年)2月5日、北海道に生まれる。新制・北海道立札幌第二高等学校(現在の北海道札幌西高等学校)では映画評論家の品田雄吉と同期、俳優の左右田一平は一期下であった。同校卒業後、北海道大学に進学するも中途退学。 1952年(昭和27年)、日本コロムビアの司会者として舞台に立ち、デビューする。 昭和中期にテレビや寄席などで活躍、美空ひばりや灰田勝彦の物まね、テレビ番組『そっくりショー』の司会などで知られた。また、テレビ映画『オットいたゞき』では人情味あふれる詐欺師役を演じ、テレビ人形劇『ひょっこりひょうたん島』では声優を務めるなど、多方面で活躍した。
徳田 修造(とくだ しゅうぞう、1930年2月3日 - )は… 徳田 修造(とくだ しゅうぞう、1930年2月3日 - )は、日本の経営者。日本衛星放送(現在のWOWOW)社長、会長を務めた。 北海道出身。1953年に北海道大学工学部を卒業し、同年に郵政省に入省し、1984年7月には放送行政局長に就任。1985年6月をもって、退官し、1988年6月には日本衛星放送社長に就任し、1993年6月からは常任理事を務めた。1986年8月には日本ケーブルテレビ連盟理事長に就任。
橋本 博治(はしもと ひろじ、1930年1月6日 - 201… 橋本 博治(はしもと ひろじ、1930年1月6日 - 2010年2月22日)は、日本の経営者、工学博士で、日立電線社長、会長を務めた。 北海道旭川市出身。海軍兵学校を経て、1952年に北海道大学工学部電気工学科を卒業し、同年4月に日立製作所に入社した。 1956年に日立電線に転じ、1977年6月に取締役に就任、1981年6月に常務、1982年6月に専務を経て、1983年6月に副社長に就任し、1985年6月には社長に昇格。1995年6月に会長を経て、1999年6月には相談役に就任。 1993年4月に藍綬褒章を受章し、2000年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2010年2月22日肺炎で死去。80歳没。
岩本 政光(いわもと まさみつ、1929年(昭和4年)4月1… 岩本 政光(いわもと まさみつ、1929年(昭和4年)4月15日 - 2014年(平成26年)7月5日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(自民党)。 北海道札幌郡豊平町石山(現札幌市南区石山)生まれ。北海中学校を経て北海道大学工学部土木科を卒業した。学生時代からスキーの製作を手がけ、そのまま実業界へと入る。1960年(昭和35年)にタクシー業の東洋交通を設立した。父・政一の選挙活動を手伝ううちに、政界を志すようになる。北海道議会議員を2期務めたのち、1980年(昭和55年)の第12回参議院議員通常選挙で自民党から立候補、初当選を果たし参議院議員を2期務めた。 1990年(平成2年)にクモ膜下出血で倒れた。
山崎 幹雄(やまざき みきお、1928年 <昭和3年> 9月… 山崎 幹雄(やまざき みきお、1928年 <昭和3年> 9月17日 - 2008年 <平成20年> 3月16日)は、日本の実業家・地方公務員・学校経営者。釧路市助役、葵建設社長、釧路短期大学学長を歴任。位階は正五位。 北海道網走市出身。1948年、北海道帝國大學工学部土木専門部卒業。北海道立釧路工業高等学校教諭。1950年、釧路市役所に入所。同市港湾部長。1972年、同市総務部長。1973年、同市助役。1977年、釧路市役所退職。葵鉱発に入社。1983年、同社代表取締役専務。1984年、葵建設代表取締役専務。1986年、同社代表取締役社長。2001年、葵建設退社。釧路短期大学学長。2003年、同大学退職。
板谷 実(いたや みのる、1928年〈昭和3年〉8月23日 … 板谷 実(いたや みのる、1928年〈昭和3年〉8月23日 - 2011年〈平成23年〉11月30日)は、日本の政治家、実業家。北海道苫小牧市長を経て、北海道議会議員(5期)。 北海道苫小牧市出身。実家は「千鳥屋商店」(現・千鳥屋板谷商店)を営み、北海道苫小牧中学校(現北海道苫小牧東高等学校)、海軍兵学校(77期)を経て、1949年(昭和24年)北海道大学農学部農芸化学科を卒業。理学博士。 北大卒業後富士紡績に入社し東京本社科学研究所などに勤務、在京時の1959年(昭和34年)に結婚し3児をもうける。その後新富士エンジンや北海道炭礦汽船に出向の後1972年(昭和47年)に苫小牧へ戻り、岩倉組土建取締役常務を経て、1983年(昭和58年)苫小牧市長選挙で苫小牧市長に初当選するも、次の1987年(昭和62年)市長選挙で鳥越忠行に敗れた。
堀田 昌郎(ほった まさお、1928年2月9日 - 2011… 堀田 昌郎(ほった まさお、1928年2月9日 - 2011年4月21日)は、日本の実業家。中部日本放送社長を務めた。三重県尾鷲市出身。 1953年に北海道大学農学部を卒業し、1956年に中部日本放送に入社した。 ラジオ局長、取締役、常務、専務、副社長を経て、1993年6月に社長に就任した。1997年6月から2003年6月までに会長を務め、2003年6月から相談役に就任した。 2003年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2011年4月21日呼吸不全のために死去。83歳没。
正野 勝也(しょうの かつや、1928年1月2日 - 202… 正野 勝也(しょうの かつや、1928年1月2日 - 2024年12月2日)は、日本の経営者。雪印乳業社長を務めた。北海道小樽市出身。 1949年に北海道大学農学部を卒業し、同年に北海道酪農協同(のちの雪印乳業)に入社。1981年に取締役に就任し、1985年6月に常務、1987年6月に専務を経て、1988年1月に社長に就任。1993年6月に会長を経て、1998年6月には相談役に就任。社長在任時には、自社グループの結束と強化、海外進出による国際化の進展、チーズの日の創設による普及活動への貢献などを行った。1997年6月には農林中央金庫監事にも就任。 1996年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2024年12月2日に死去。
吉野 龍男(よしの たつお、1927年9月2日 - )は、日… 吉野 龍男(よしの たつお、1927年9月2日 - )は、日本の経営者。伊藤組土建社長を務めた。北海道札幌市出身。 1947年に北海道大学工学部専門部を卒業し、同年に鹿島建設に入社。1949年5月から1950年12月までに北海道大学工学部土木科で助手を務め、1951年4月に伊藤組土建に入社。1977年3月に取締役に就任し、1984年6月に常務、1986年6月に専務、1994年6月に副社長を経て、2002年6月に社長に就任。2008年4月から2009年3月までに会長を務めた。
山内 宏(やまうち ひろし、1927年5月7日 - 2011… 山内 宏(やまうち ひろし、1927年5月7日 - 2011年11月22日)は、日本の経営者、銀行家。北海道拓殖銀行頭取を務めた。樺太出身。 1952年に北海道大学法経済学部を卒業し、同年に北海道拓殖銀行に入行。1978年12月に取締役に就任し、1982年6月に常務、1985年7月に専務を経て、1986年4月に副頭取に就任し、1989年4月に頭取に昇格。1994年4月に退任した。 その後、北海道拓殖銀行の経営破綻に伴い、後任の同行頭取である河谷禎昌と融資先のソフィアグループ社長とともに商法上の特別背任で逮捕・起訴された。2003年(平成15年)2月27日、札幌地方裁判所(小池勝雅裁判長)は山内を含む全員を無罪とする一審判決を言い渡したが、その後の控訴審となる札幌高等裁判所(長島孝太郎裁判長)は、2006年(平成18年)8月31日、全員に対して一転して一審判決を破棄し有罪とし、山内に懲役2年6月の実刑を言い渡した。
中部 藤次郎(なかべ とうじろう、1926年8月27日 - … 中部 藤次郎(なかべ とうじろう、1926年8月27日 - 1987年1月29日)は、日本の実業家。山口県出身。 1950年に北海道大学法文学部政治学科を中退し、1953年にアメリカのパシフィック大学政治学科を卒業し、同年に大洋漁業に入社。1966年3月に取締役に就任し、1970年12月に常務、1973年3月に専務を経て、同年10月に副社長に就任し、1977年1月に社長に昇格。 1987年1月29日心不全のために社長在任中に死去。60歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
北川 日出冶(きたがわ ひでじ、1925年7月14日 - 2… 北川 日出冶(きたがわ ひでじ、1925年7月14日 - 2006年7月25日)は、日本の経営者。北海道新聞社社長を務めた。 北海道出身。1950年に北海道大学法文学部を卒業し、同年に北海道新聞社に入社。1981年1月に取締役に就任し、1985年1月に常務、1987年1月に専務を経て、1989年1月に社長に就任。1993年1月に会長に就任し、1997年1月に相談役に就任。 2006年7月25日に呼吸不全のために死去。81歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
林 正道(はやし まさみち、1925年(大正14年)4月1日… 林 正道(はやし まさみち、1925年(大正14年)4月1日 - 2008年(平成20年)9月8日)は、日本の工学者、元地方公務員・実業家。工学博士(北海道大学)。北見工業大学・道都大学元学長。北見工業大学・道都大学名誉教授。専門は、コンクリート工学。 北海道江別市出身。1948年(昭和23年)に北海道大学工学部土木工学科を卒業し、北海道庁網走土木現業所に入所。1951年(昭和26年)北海道開発局土木試験所に移る。1970年(昭和45年)同所所長。1975年(昭和50年)北海道開発局退官。日本セメント顧問。1977年(昭和52年)北見工業大学工学部教授。1984年(昭和59年)北見工業大学4代学長に就任。
島村 靖三(しまむら せいぞう、1924年10月6日 - 2… 島村 靖三(しまむら せいぞう、1924年10月6日 - 2019年7月18日)は、日本の経営者。明治乳業社長を務めた。北海道旭川市出身。 1947年に北海道大学農学部を卒業し、同年に明治乳業に入社。1973年11月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1981年9月に社長に就任。1989年6月から会長を務めた。 1994年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 2019年7月18日心不全のために死去。94歳没。墓所は多磨霊園(18-1-12)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
寺田 一壽男(てらだ いすお、1924年5月17日 - 20… 寺田 一壽男(てらだ いすお、1924年5月17日 - 2005年2月11日)は、北海道の元地方公務員・学校経営者。北海道生まれ。「寺田一寿男」とも表記される。 1947年北海道帝國大學農学部卒。同年、北海道庁入庁。その後、同庁企画部長、同庁生活環境部長、同庁総務部長を経て、1977年北海道副知事に就任(知事は堂垣内尚弘)。1983年北海道庁退官。同年、北海道信用保証協会会長(1995年(平成7年)まで)。1991年、東日本学園大学(現北海道医療大学)を運営する学校法人東日本学園大学の理事。1994年(平成6年)北海道拓殖銀行監査役(1997年(平成9年)まで)・北海道電力株式会社監査役(2003年(平成15年)まで)。
竹鶴 威(たけつる たけし、1924年〈大正13年〉3月6日… 竹鶴 威(たけつる たけし、1924年〈大正13年〉3月6日 - 2014年〈平成26年〉12月17日)は、広島県福山市出身の日本の実業家で、ウイスキー製造者、技術者、会社経営者。ニッカウヰスキー(アサヒビールグループ)の元社長であり、同社の2代目マスターブレンダー。 叔父、後に養父は竹鶴政孝。息子はブランディングコンサルタントの竹鶴孝太郎。従妹は竹鶴リマ。
水野 惣平(みずの そうへい、1923年9月6日 - 198… 水野 惣平(みずの そうへい、1923年9月6日 - 1983年2月12日)は、日本の実業家。元アラビア石油社長。 実父は「アラビア太郎」・「満州太郎」あるいは「山師太郎」こと山下太郎、養父は「財界四天王」の一人として池田勇人を支えた水野成夫。 東京府立一中、旧制府立高等学校を経て、昭和23年、北海道大学理学部卒業。富国生命保険、日本開発銀行を経て、小林中事務所秘書役になる。昭和39年、富士石油専務、昭和43年、アラビア石油専務、46年、社長。社長就任わずか2年で同社会長となり、経団連理事に就任。 アップストリームからダウンストリーム・石油精製部門への進出や、昭和48年の石油ショック前、アラブ支持を打ち出すよう政府に要望する。
佐々木 醇三(ささき じゅんぞう、1920年12月27日 -… 佐々木 醇三(ささき じゅんぞう、1920年12月27日 - 2002年4月30日)は、日本の経営者。ニチロ社長を務めた。北海道出身。 1946年に北海道帝国大学農学部農業経済学科を卒業し、1947年に農林中央金庫に入社し、1973年には理事に就任。1980年12月に日魯漁業(のちのニチロ)に転じ、最高顧問に就任し、1981年2月に副社長を経て、1986年2月には社長に就任。1990年1月に取締役相談役を経て、同年6月には相談役に就任。社長在任時には、積極的な海外展開による加工食品事業の強化などにより、当時経営不振に陥っていた自社の再建に尽力した。 1997年に勲三等瑞宝章を受章。 2002年4月30日に心筋梗塞のために死去。
志村 和雄(しむら かずお、1920年2月22日 - 201… 志村 和雄(しむら かずお、1920年2月22日 - 2014年1月5日)は、日本の政治家・実業家。北海道小樽市出身。1943年北海道帝国大学農学部水産学科卒。地方公務員を経て、1975年から1987年まで北海道小樽市長を務めた。 1943年に日本化成工業に入社。まもなく徴兵され、終戦によって復員。北海道小樽水産高等学校教諭を経て、1951年小樽市役所に入る。1967年より同市役所助役を8年務める。助役として、新日本海フェリー就航や小樽駅前再開発事業に尽力した。 その後、小樽市役所を退職し、1975年小樽市長選に立候補し初当選。以後連続3期。市街地再開発派の市長であったが、在任中の1983年には小樽市歴史的建造物及び景観地区保全条例を制定。
永井 厚(ながい あつし、1919年4月1日 - 2006年… 永井 厚(ながい あつし、1919年4月1日 - 2006年11月16日)は、日本の経営者。日立マクセル社長、会長を務めた。 北海道出身。1941年に北海道帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年に日立製作所に入社。1973年11月に取締役に就任し、1977年6月に常務を経て、1979年6月には日立マクセル社長に就任。1989年6月に会長を経て、1993年6月から相談役を務めた。 1989年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2006年11月16日急性心不全のために死去。87歳没。
山本 武(やまもと たけし、1917年(大正6年)3月1日 … 山本 武(やまもと たけし、1917年(大正6年)3月1日 - 1998年(平成10年)2月8日)は、日本の元学校経営者・元地方公務員。北海道出身。 北海道帝國大学農学部卒。1947年(昭和22年)北海道庁に入庁。その後、同農政部課長などを経て、1968年(昭和43年)同上川支庁長。1972年(昭和47年)同公営企業管理者。同年、北海道教育委員会教育庁教育長。1975年(昭和50年)北海道教育委員会学校教育局長。1977年(昭和52年)北海道庁停年退官。北海道文化財保護協会副会長。1978年(昭和53年)学校法人札幌学院大学理事。1983年(昭和58年)北海道文化放送番組審議会委員長。1987年(昭和62年)学校法人札幌学院大学副理事長。
長澤 太郎(ながさわ たろう、1916年3月7日 - 200… 長澤 太郎(ながさわ たろう、1916年3月7日 - 2007年11月5日)は、日本の畜産学者・実業家。農学博士(北海道大学)。専門は、畜産学・畜産製造学・農業経営論。 北海道出身。1939年北海道帝國大学農学部卒業。1939年北海道帝国大学農学部助手。1941年岐阜高等農林学校教授。1944年岐阜農林専門学校教授。1953年岐阜大学農学部教授。1964年岐阜大学退官し、森永乳業取締役に就任。1968年森永乳業代表取締役常務。1972年森永乳業代表取締役専務。1977日本製乳代表取締役社長。1979年日本製乳代表取締役会長。1981年日本製乳を退社。玉川大学大学院農学研究科教授。1986年玉川大学定年退職。
中野 友雄(なかの ともお、1916年2月10日 - 201… 中野 友雄(なかの ともお、1916年2月10日 - 2010年4月22日)は、日本の技術者、実業家。北海道電力代表取締役社長、北海道経済連合会会長などを務めた。勲一等瑞宝章、ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章受章。 石川県羽咋郡志賀浦村(現志賀町)生まれ。北海道士別市出身。旧制旭川中学(現北海道旭川東高等学校)を経て、1941年北海道帝国大学工学部電気工学科卒業、日立製作所入社、日立工場回転機部配属。1942年大日本帝国陸軍八戸飛行場の第六航空教育隊入隊。ビルマの戦いに参加しシンガポールで日本の降伏を迎えた。レンパン島での捕虜生活を経て、1946年復員し北海道配電入社。1951年北海道電力入社。
多藤 省徳(たとう せいとく、1916年 - )は、日本の実… 多藤 省徳(たとう せいとく、1916年 - )は、日本の実業家。生涯を捕鯨の発展に捧げた。鯨類研究所の大村秀雄は多藤を「捕鯨の大家」と賞賛した。 宮城県古川市(現大崎市古川)出身。旧制古川中学(宮城県古川高等学校)、1939年に函館高等水産学校(北海道大学の前身校の一つ)を卒業し極洋捕鯨に入社。小笠原捕鯨、北洋捕鯨、南氷洋捕鯨などに尽力。1961年の国際捕鯨オリンピックでは船団長として船団を率いた。その後、同社取締役、常務取締役、専務取締役、1976年には取締役副社長を歴任した。
守部 政喜(もりべ まさき、1915年9月1日- 1988年… 守部 政喜(もりべ まさき、1915年9月1日- 1988年7月2日 )は、日本の経営者。名古屋テレビ放送社長を務めた。 北海道出身。1939年に北海道帝国大学工学部電気工学科を卒業し、同年に逓信省に入省。1960年6月郵政省審議官に就任。1961年11月に名古屋テレビ放送取締役に就任し、1973年8月に専務、1981年6月に副社長を経て、1985年6月に社長に就任。 1988年7月2日、脳内出血のため出張先のアメリカカルフォルニア州で急逝。72歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
西川 次郎(にしかわ じろう、1913年5月1日 - 199… 西川 次郎(にしかわ じろう、1913年5月1日 - 1994年3月17日)は、日本の経営者。古河鉱業(現在の古河機械金属)社長を務めた。和歌山県出身。 1937年に北海道帝国大学工学部鉱山科を卒業し、同年に古河鉱業に入社。1964年11月に取締役に就任し、1969年5月に常務、1971年3月に専務を経て、1976年11月に副社長に就任し、1980年6月に社長に昇格。1987年6月に会長に就任し、1989年6月から常勤相談役を務めた。 1973年11月に藍綬褒章を受章し、1986年4月に勲二等旭日重光章を受章した。 1994年3月17日脳梗塞のために死去。80歳没。
足羽 進三郎(あすわ しんざぶろう、1911年5月31日 -… 足羽 進三郎(あすわ しんざぶろう、1911年5月31日 - 1998年2月13日)は、日本の農学者・官僚・実業家。専門は協同組合論。北海道大学名誉教授・札幌学院大学名誉教授。生活協同組合コープさっぽろ会長。北海道出身。 学部生時代は上原轍三郎に薫陶を受ける。論文主査は高倉新一郎。門下生に村岡範男・山田定市など。 勲二等瑞宝章(1988年) 足羽進三郎先生定年退官記念事業会編『足羽進三郎先生 : 最終講義, 著作目録, 履歴』(足羽進三郎先生定年退官記念事業会、1976年)
山口 末吉(やまぐち すえきち、1907年6月20日 - 2… 山口 末吉(やまぐち すえきち、1907年6月20日 - 2003年1月27日)は、日本の経営者。日本製粉社長を務めた。北海道出身。 1929年に北海道帝国大学農学部農業実科を卒業し、同年に日本製粉に入社した。1938年に取締役に就任し、1961年に常務、1970年に専務、1972年に副社長を経て、1974年から1979年までに社長を務めた。 2003年1月27日肺炎のために死去。95歳没。
伴 素彦(ばん もとひこ、1905年1月1日 - 1998年… 伴 素彦(ばん もとひこ、1905年1月1日 - 1998年9月3日)は、1920年代に活躍した元スキージャンプ選手、実業家。後に全日本スキー連盟の会長を務めた。京都府出身。 父親の伴房次郎は小樽高等商業学校(現在の小樽商科大学)第二代校長(在職期間1921年11月28日-1935年4月2日) 京都府生まれで小学3年生の時父親の転勤に伴い小樽へ移り住んだ。旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校) - 北海道帝国大学農学部 - 日本製粉(現・ニップン)株式会社。 1926年の第4回全日本スキー選手権ジャンプ競技優勝。 1928年のサンモリッツオリンピックにスキージャンプ日本代表として出場するが、コーチも通訳もいない孤独な参戦を強いられたことに加え、台の規模や技術、道具など何もかもが自分たちがやってきたことと違うことに戸惑い本来のジャンプが全く出来ず、転倒もあって(元々、伴は着地は得意な選手であった)最下位に終わった。
高杉 年雄(たかすぎ としお、1904年(明治37年)3月2… 高杉 年雄(たかすぎ としお、1904年(明治37年)3月29日-1984年(昭和59年)1月6日)は、日本の医学者、学校経営者。医学博士(北海道帝国大学)。 青森県弘前市で出生後、北海道札幌に移住。1921年北海道庁立札幌第二中学校卒業。1928年(昭和3年)北海道帝國大学医学部卒業。1930年同医学部助手。1933年北海道帝国大学にて論題「沃度代謝と消化器との関係」にて医学博士受く。1933年北海道帝国大学医学部第二内科講師。1934年同医学部第二内科助教授。1947年北海道大学医学部内科学第三講座初代教授及び北海道大学病院医科第三内科長に任命される。1955年(昭和30年)北海道大学医学部附属病院院長。
古田島 薫平(こだじま くんぺい、1901年7月22日 - … 古田島 薫平(こだじま くんぺい、1901年7月22日 - 1989年8月23日)は、日本の政治家・実業家である。 元江別町議会議員・第7代江別町長・初代江別市長。関矢孫左衛門の孫。 1901年、新潟県北魚沼郡川口村(現・長岡市)で父の要次郎、母の田鶴の未子として生まれた。北海道帝国大学に入学し、農学を修め、1929年3月卒業と同時に、父の要次郎が1919年から社長を務めていた北越殖民社に入社し、東野幌の筋違に農場を開いた。 1934年には、冷水害対策の実現を国等に強く迫る地域の輿望を担って町議会議員に当選した。同年8月、薫平は殖民社の専務取締役に就任し、営農指導に力を注いだ。また、当時実用化の緒についていた町村敬貴創案の土管暗渠に着目し、社の渡辺楽治を介して教えを乞い、施工した。
御手洗 毅(みたらい たけし、1901年3月11日 - 19… 御手洗 毅(みたらい たけし、1901年3月11日 - 1984年10月12日)は、日本の実業家、医師。キヤノン創業者・初代社長。また、太平洋戦争以前は産婦人科医として御手洗産婦人科病院を開業。 名古屋大学名誉教授の御手洗玄洋や、キヤノン社長や日本経済団体連合会会長を務めた御手洗冨士夫は甥にあたる。 1901年、大分県南海部郡蒲江町(現・佐伯市)に生まれる。実家は代々医師の旧家。佐伯中学(現大分県立佐伯鶴城高等学校)を経て北海道大学予科に進学、恵迪寮の委員長をつとめる。1928年、北海道大学医学部卒業。上京して日本赤十字病院に勤務。731部隊の石井四郎と師を同じくする。 1933年11月、吉田五郎や内田三郎らの創設した精機光学研究所に共同経営者として参画。
渋沢 智雄(しぶさわともお、正字体:澁澤 智雄、1901年〈… 渋沢 智雄(しぶさわともお、正字体:澁澤 智雄、1901年〈明治34年〉3月5日 - 1947年〈昭和22年〉4月29日)は、日本の実業家。渋沢栄一 の孫にあたるが、 父・渋沢篤二が1913年に廃嫡されたため、本家とは別に分家筋として育った。兄に渋沢敬三(栄一の後継者)、次兄に渋沢信雄がいる。 1901年、3月5日に子爵・渋沢栄一の嫡男・篤二と妻・敦子の三男として東京府東京市深川区〈現在の東京都江東区〉に生まれる。 敦子の父(智雄の母方の祖父)は羽林家の公卿出身の元老院議官を務めた伯爵橋本実梁である。子爵・渋沢敬三と渋沢信雄の弟にあたる。。 幼少期から身体が弱く、しばしば療養を要したと伝えられている。
宮城 孝治(みやぎ こうじ、1898年11月24日 - 19… 宮城 孝治(みやぎ こうじ、1898年11月24日 - 1985年2月22日)は、日本の経営者。共栄火災海上保険社長を務めた。 徳島県出身。1924年に北海道帝国大学農学部農業経済科を卒業し、同年に農商務省に入省。1944年5月に共栄火災海上保険に転じ、同年6月に常務、1947年3月に専務を経て、同年11月には社長に就任した。1964年6月には会長に退いた。 1965年に藍綬褒章を受章し、1969年4月に勲四等旭日小綬章を受章した。 1985年2月22日、肝不全のために死去。86歳没。
長崎 次郎(ながさき じろう、1895年8月30日 - 19… 長崎 次郎(ながさき じろう、1895年8月30日 - 1954年10月2日)は長崎書店の店主、新教出版社の初代社長である。号は雑草生。兄は教育家の長崎太郎。 1895年(明治28年)に高知県安芸町に生まれる。安芸中学を卒業し、百島操牧師の助言により、1913年(大正2年)に東北帝国大学農科大学(現・北海道大学農学部)に入学する。植物学を専攻する。 1916年(大正5年)に日本基督札幌教会(現・日本基督教団札幌北一条教会)で高倉徳太郎から洗礼を受ける。林竹治郎、新島善直らと共に教会を支える。 1921年に北大を卒業して、横浜共立女学校(現・横浜共立学園)、関東学院中学の教師になるが、1925年教師を辞任し、早稲田で古本屋長崎書店を開業する。
佐藤 惣之助(さとう そうのすけ、1895年(明治28年)5… 佐藤 惣之助(さとう そうのすけ、1895年(明治28年)5月24日 - 1970年(昭和45年)1月4日)は、大正から昭和期の技官、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 宮城県名取郡中田村柳生(現仙台市太白区柳生)で、素封家・佐藤亀八郎の長男として生まれる。1921年(大正10年)北海道帝国大学農学部を卒業した。 農商務省嘱託、同技手、商工技師などを歴任。1929年(昭和4年)に退官して家業を継いだ。1933年(昭和8年)中田村会議員に就任。中田村助役、名取農産物販売組合長、警防団長などを務め、1939年(昭和14年)9月、宮城県会議員に選出された。1940年(昭和15年)12月、大政翼賛会名取郡支部長に就任。
村上 清治(むらかみ せいじ、1895年(明治28年)3月1… 村上 清治(むらかみ せいじ、1895年(明治28年)3月19日 - 1955年(昭和30年)10月13日)は、大正から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員、秋田県由利郡上郷村長。 秋田県由利郡上郷村横岡(象潟町を経て現にかほ市)で、素封家の家に生まれる。秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)を経て、1916年(大正5年)東北帝国大学農科大学農学実科(現北海道大学農学部)を卒業。農業に従事した。 不動建物取締役社長、上郷村農業会長、同農会評議員、同信用組合理事、同森林組合長、上郷文化協会長、由利郡農業会長会副会長、象潟上郷上浜信用購買販売利用組合監事などを務めた。 政界では、上郷村会議員(3期)、秋田県会議員(1期)、上郷村長、由利郡仁賀保町村長会長、秋田県町村長会評議員などを務めた。
尼崎 康定(あまさき やすさだ、旧姓・戸田、1893年(明治… 尼崎 康定(あまさき やすさだ、旧姓・戸田、1893年(明治26年)5月2日 - 1952年(昭和27年)1月16日)は、日本の実業家。尼崎汽船部常務。尼崎造船、尼崎海上火災、関西汽船各取締役。大阪曹達、大阪曹達商事各監査役。 信州松本藩主・戸田光則(松平光則)の孫。子爵・戸田康泰の息子。子爵・戸田康保の弟。1919年、北海道帝国大学附属水産専門部を卒業した。趣味は謡曲、ゴルフ。宗教は神道。住所は大阪市天王寺区生玉町、同市福島区鷺洲南。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松山 茂助(まつやま もすけ、1890年12月2日 - 19… 松山 茂助(まつやま もすけ、1890年12月2日 - 1973年6月25日)は日本の醸造学者、実業家。 長野県下水内郡飯山町(現飯山市)の酒造業者に生まれる。旧制飯山中学校(後の長野県飯山北高等学校、統合により現在は長野県飯山高等学校)を経て北海道帝国大学農学部卒業。恵迪寮OBで、1969年度寮歌『藻岩の緑』の作詞を担当。ビール醸造学を修めて1919年日本麦酒鉱泉に入社。カタラーゼに関する研究で農学博士号を得る。研究部長となりドイツに留学。1961年日本麦酒(サッポロビール)社長に就任。1968年正月、歌会始の召人となる。歌集に「川」がある。
山下 太郎(やました たろう、1889年(明治22年)4月2… 山下 太郎(やました たろう、1889年(明治22年)4月24日 - 1967年(昭和42年)6月9日)は、日本の実業家。その業績から「満州太郎」「アラビア太郎」「山師太郎」などと呼ばれた。 秋田県平鹿郡大森村(のち大森町、現・横手市)に近藤正治・みつ夫妻の長男として生まれる。太郎の祖父母にあたる山下太惣吉・ひさ夫妻の養子となり、山下姓を名乗る。祖父はまもなく死去し、祖母の手で育てられた。大森小学校4年を修了し、東京の実父母の元で慶應義塾普通部に通った。その後北海道帝国大学農学部(旧札幌農学校、現北海道大学)に入学、北海道に渡った。 北海道帝国大学時代、のちに北海道学芸大学(現北海道教育大学)および帯広畜産大学の学長を務めた農学者の田所哲太郎(秋田県能代の出身)と知り合い、親交を深めた。
橋谷 義孝(はしたに よしたか、1888年〈明治21年〉2月… 橋谷 義孝(はしたに よしたか、1888年〈明治21年〉2月13日 - 1975年〈昭和50年〉3月5日)は、日本の農学博士、技師、実業家。酵母の専門家である。 鳥取県日野郡宮原村(のち日野郡溝口村宮原・日野郡溝口町宮原、現・西伯郡伯耆町宮原)生まれ。橋谷義治の二男。溝口尋常高等小学校、鳥取県立第二中学校(後の米子中学、現・米子東高校)を経て1915年、東北帝国大学農科大学(現・北海道大学農学部)を卒業する。大日本麦酒に入社する。 1923年、農学博士の学位を受く。1930年、薬用酵母剤「エビオス」を創製する。1931年、麦酒醸造に関し、学術研究及び視察のため欧米に出張する。名古屋工場長を経て1935年、吹田工場長。
浮谷 竹次郎(うきや たけじろう、1887年(明治20年)9… 浮谷 竹次郎(うきや たけじろう、1887年(明治20年)9月24日 - 1965年(昭和40年)3月8日)は、大正から昭和時代の政治家・実業家。千葉県東葛飾郡市川町長、初代市川市長。北総鉄道支配人。 浮谷権兵衛の弟として千葉県に生まれる。浮谷家は葛飾郡市川新田で農業を営み、当主は代々権兵衛を名乗っていた。東京府立第三中学校(現・東京都立両国高等学校)、東北帝国大学農科大学予科を経て、1913年(大正2年)7月に同大畜産科を卒業する。卒業後、志願兵として1年従軍し、1917年(大正6年)陸軍騎兵少尉に進んだ。 ついで、北海道技手、東北帝国大学農科大学予科講師、宮城県農業技師、京成電軌重役秘書、会計・工務課長、北総鉄道支配人、成田鉄道会社取締役建設部長などを歴任。
荒川 勝利 は、日本の経営者。共栄火災海上保険社長、会長を務… 荒川 勝利 は、日本の経営者。共栄火災海上保険社長、会長を務めた。