遠藤 政夫(えんどう まさお、1923年12月6日 - 19… 遠藤 政夫(えんどう まさお、1923年12月6日 - 1995年11月9日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。 福岡県甘木市生まれ。旧制福岡高校を経て、1944年、東京帝大法学部卒。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、同年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 1947年4月、高等試験行政科試験に合格し、内務省に入省したが、同省の廃止に伴い労働省に転じ、1972年職業訓練局長、1973年職業安定局長を歴任した。1976年12月24日から1977年1月1日まで、事務次官代理を務めた。
萩原 幸雄(はぎはら ゆきお、1923年10月1日 - 19… 萩原 幸雄(はぎはら ゆきお、1923年10月1日 - 1978年11月29日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(2期)。 広島県出身。1945年東京帝国大学法学部卒。1948年二級事務官吏銓衡に合格、内務省地方局に配属される。その後、静岡県調査、税務各課長、総理府事務官、広島県税務、財政各課長、同総務部長、同副知事などを経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙において広島1区から自由民主党公認で立候補し初当選、次の1976年の第34回衆議院議員総選挙でも再選した。党内では地方行政、交通の各副部会長、商工局次長などを務めた。 1978年2月以降、持病の糖尿病が悪化しており入退院を繰り返していたが、議員在職中の同年11月29日午後に大量に吐血して県立広島病院に搬送され、肝硬変と糖尿病からの食道静脈瘤破裂のため、同日20時5分、死去した。
原田 昇左右(はらだ しょうぞう、1923年7月15日 - … 原田 昇左右(はらだ しょうぞう、1923年7月15日 - 2006年7月2日)は、日本の政治家、元自由民主党衆議院議員。静岡県焼津市出身。愛称は「ハラショー」。元衆議院議員の原田令嗣は長男。正三位勲一等旭日大綬章。
石田 徳(いしだ いさお、1923年(大正12年)7月4日 … 石田 徳(いしだ いさお、1923年(大正12年)7月4日 - 2009年(平成21年)6月3日)は、昭和から平成時代の政治家。大分県杵築市長。杵築市名誉市民。 大分県出身。1952年(昭和27年)東京大学法学部卒業。農林省に入り、食糧庁総務課長、経済企画庁総合計画局審議官、1978年(昭和53年)農林水産省九州農政局長などを歴任。 1982年(昭和57年)から5期20年にわたり杵築市長を務めた。2004年(平成16年)11月、杵築市名誉市民に推挙された。2009年(平成21年)6月3日死去、85歳。死没日をもって正四位に叙される。
船田 譲(ふなだ ゆずる、1923年(大正12年)6月13日… 船田 譲(ふなだ ゆずる、1923年(大正12年)6月13日 - 1985年(昭和60年)8月10日)は、昭和期の教育者、政治家。栃木県知事(公選第8-10代)、参議院議員(2期)、作新学院院長。 後に衆議院議長、自由民主党副総裁を務めた船田中の長男として栃木県に誕生する。1947年(昭和22年)東京帝国大学農学部を卒業。卒業後は、船田家が創設した作新学院に入り、中等部長などを務める。 1965年(昭和40年)に自民党公認で参議院議員通常選挙に立候補し当選。2期務めその間、大蔵政務次官などに就く。 1974年(昭和49年)に参議院議員を辞職し、栃木県知事に立候補し当選。3期務める。学者肌の知事として全国的にも知られ、在職中のことは自伝『素人知事奮戦記』(1982年)に詳しい。
田 英夫(でん ひでお、1923年(大正12年)6月9日 -… 田 英夫(でん ひでお、1923年(大正12年)6月9日 - 2009年(平成21年)11月13日)は、日本のジャーナリスト、政治家。従三位勲一等。参議院議員を務めた。 貴族院勅選議員や台湾総督を務めた男爵・田健治郎の次男である田誠(鉄道省国際観光局長や華中鉄道副総裁を歴任)の次男として、東京で生まれる。政治家の田艇吉は大伯父、江戸時代の女流歌人・田捨女は先祖にあたる。 旧制学習院高等科を卒業した年1943年(昭和18年)の東京帝国大学入学直後、学徒出陣で海軍に入隊。海軍兵科第4期予備学生を経て、第16震洋特別攻撃隊艇隊長として宮崎県の赤水で訓練を重ねていたが、出撃命令が下る前、海軍中尉で終戦を迎え復員した。
桟 熊獅(かけはし くまし、1923年(大正12年)4月25… 桟 熊獅(かけはし くまし、1923年(大正12年)4月25日 - 2012年(平成24年)2月3日)は日本の政治家。佐世保市長を16年間にわたって務めた。 佐世保市出身。県立佐世保中学校(現・佐世保南高校)、第五高等学校文科甲類を経て、東京大学経済学部を卒業。長崎県職員、佐世保市職員、佐世保重工業(SSK)社員を経て、1970年3月に長崎県出納長に就任、1972年3月に副知事に転じ1期を務めた。 1979年4月、引退する辻一三の後継として佐世保市長選に出馬し当選、4期16年を務める。在任中にテクノポリス指定や西九州自動車道の大塔までの開通、ハウステンボスの誘致などを果たしたが九州新幹線西九州ルートの早岐経由から嬉野温泉経由への経路変更問題で政治姿勢を追及され、1992年12月の定例市議会で異例の「市長に猛省を求める決議」が可決されるに至った。
松浦 功(まつうら いさお、1923年〈大正12年〉4月24… 松浦 功(まつうら いさお、1923年〈大正12年〉4月24日 - 2002年〈平成14年〉12月28日)は、日本の内務及び自治官僚、政治家。法務大臣(第63代)、参議院議員(3期)。 東京都出身。旧制東京高等学校卒業後、東京帝国大学法学部政治学科に入学。東京帝大在学中の1946年に高等試験行政科に合格。1947年、東京帝大を卒業し、旧内務省に入省(地方局配属)。自治省大臣官房総務課長、北九州市助役、消防庁長官、自治事務次官などを歴任した後、1980年の参議院議員選挙に全国区から自民党公認で出馬し初当選。1995年、自民党地方自治関係団体委員長。1996年、第2次橋本内閣の法務大臣として初入閣。
青木 正久(あおき まさひさ、1923年1月22日 - 20… 青木 正久(あおき まさひさ、1923年1月22日 - 2001年8月6日)は、日本の政治家。環境庁長官(第20代)、衆議院議員(7期、自由民主党)。 父は自治庁長官を務めた青木正。 埼玉県北埼玉郡、のちの川里村(川里町を経て現鴻巣市)出身。東京大学法学部卒業後の1947年、東京新聞社に入社。ロンドン支局長、ニューヨーク支局長、政治部長、編集局長などを歴任した後、1966年退社し、翌1967年の衆院選に父・正の地盤を継ぎ旧埼玉4区から立候補し初当選。自民党内では中曽根康弘→渡辺美智雄派に属す。1988年12月、竹下改造内閣の環境庁長官として初入閣。翌年6月まで務めた。それ以降は地球環境問題をライフワークとするようになり、1992年、環境と開発に関する国際連合会議に参加。
沼田 武(ぬまた たけし、1922年12月21日 - 201… 沼田 武(ぬまた たけし、1922年12月21日 - 2011年11月26日)は、日本の政治家。千葉県知事(5期)。
申 相楚(シン・サンチョ、朝鮮語: 신상초、1922年12月… 申 相楚(シン・サンチョ、朝鮮語: 신상초、1922年12月15日 - 1989年2月29日)は、大韓民国のジャーナリスト、教授、政治家、独立運動家。第5・9・10・11代韓国国会議員。本貫は平山申氏、号は月崗(ウォルガン、월강)。 平安北道定州出身。1935年に新義州高等普通学校を卒業。1942年に福岡高等学校の文科を経て、東京帝国大学(現・東京大学)法学部に入学した。1944年に学徒出陣により中国戦線に配置されたが、済南の部隊より八路軍地区に脱走し、同じく徐州の部隊より脱走した厳永植(엄영식)らと朝鮮義勇軍の一員として抗日活動に参加した。解放後の1946年に朝鮮義勇軍東満洲支隊から帰郷したが、北朝鮮共産当局によって逮捕され、17ヶ月間に監獄で過ごした。
西山 敬次郎(にしやま けいじろう、1922年10月31日 … 西山 敬次郎(にしやま けいじろう、1922年10月31日 - 1988年1月15日)は、日本の政治家、通産官僚。自由民主党所属の衆議院議員(当選1回)。 兵庫県出身。1949年、東京大学法学部を卒業。通商産業省に入る。大阪通商産業局長、中小企業庁次長、通商産業省貿易局長などを歴任する。1979年の第35回衆議院議員総選挙で兵庫5区から自民党公認で立候補したが落選。翌1980年の第36回衆議院議員総選挙でも落選。1983年の第37回衆議院議員総選挙で初当選した。1986年の第38回衆議院議員総選挙では選挙区の兵庫5区は「8増7減」の定数是正で減員区となり、議席が3から2に減少した。2議席を自民党の谷洋一と民社党の佐々木良作と争う形になったが西山は落選した。
青木 茂(あおき しげる、1922年(大正11年)10月29… 青木 茂(あおき しげる、1922年(大正11年)10月29日 - 2016年(平成28年)1月27日)は、日本の経済学者、政治家、参議院議員(1期)、サラリーマン新党代表。妻は生活経済評論家の青木淑子。次女はノンフィクション作家の青樹明子(1955年7月5日 - )。長男はテレビ朝日プロデューサーの青木吾朗(1958年12月21日 - 2022年8月21日)、その妻はテレビ朝日元アナウンサーの坪内純子。 愛知県豊橋市生まれ。東京帝国大学経済学部卒業。愛知教育大学教授、大妻女子大学教授を歴任。 1980年(昭和55年)の第12回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で立候補したが落選した。1983年(昭和58年)5月8日、サラリーマン新党を結成し、代表となる。
桑原 敬一(くわはら けいいち、1922年9月28日 - 2… 桑原 敬一(くわはら けいいち、1922年9月28日 - 2004年1月9日)は、日本の政治家、官僚。福岡市長(第29-31代)、労働事務次官を務めた。
桑原 敬一(くわはら けいいち、1922年(大正11年)9月… 桑原 敬一(くわはら けいいち、1922年(大正11年)9月28日 - 2004年(平成16年)1月9日)は、日本の政治家、官僚。福岡市長(第29-31代)、労働事務次官を務めた。 太宰府天満宮の神職(安秀院三綱)の家系であり、福岡市教育部長を務めた桑原恭助の長男として福岡県太宰府市に生まれる。1940年福岡県中学修猷館、1943年旧制福岡高等学校文科丙類を経て、東京帝国大学法学部に進学し、在学中に陸軍主計少尉として学徒出陣をしている。1947年、第1回労働基準監督官採用試験に合格。1948年、東京大学法学部を首席で卒業後、労働省に入省。 1973年、福岡県副知事に就任。労働省大臣官房長、労働基準局長、労政局長などを経て、1979年、労働事務次官に就任。
大河原 太一郎(おおかわら たいちろう、1922年〈大正11… 大河原 太一郎(おおかわら たいちろう、1922年〈大正11年〉5月26日 - 2017年〈平成29年〉3月5日)は、日本の農林水産官僚、政治家。群馬県出身。 参議院議員(3期)、農林水産大臣(村山内閣)、参議院予算委員長、農林水産事務次官などを歴任した。 群馬県碓氷郡松井田町新堀(現・安中市松井田町新堀)生まれ。松井田小学校、旧制高崎中学、旧制水戸高校を経て、東京帝国大学法学部に進学する。1943年(昭和18年)学徒出陣により経理軍人として樺太に赴任。1947年(昭和22年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。高等文官試験に合格して1947年農林省に入省。農政局に配属。農業協同組合課長、農地課長、大臣官房予算課長、企業流通部長、畜産局長等を経て大臣官房長、食糧庁長官、農林水産事務次官を歴任。
辛 道煥(シン・ドファン、朝鮮語: 신도환、1922年5月2… 辛 道煥(シン・ドファン、朝鮮語: 신도환、1922年5月25日 - 2004年3月24日)は、大韓民国の政治家、柔道家(青濤館4・5・6段、大韓柔道会7・8・9・10段)。第4・8・9・10・12代韓国国会議員。本貫は寧越辛氏。号は滄帆(チャンボム、창범)。キリスト教徒。 大邱生まれ、日本統治時代の慶尚北道義城郡出身。大邱達城普通学校、大邱啓聖学校、1943年に明治大学法学科卒業。1950年代に東京大学法学部、コロンビア大学国際法課程修了。 1958年の第4代総選挙に無所属で出馬して当選し、同年に大韓体育会長署理を務め、翌年に大韓反共青年団を設立し団長を務めた。大韓反共青年団は3・15不正選挙と四月革命の引き金となる「高大生被襲事件」で暴力団の動員に関与したとみなされたため、1960年に不正選挙関連の容疑で死刑を求刑されたが無罪で解放された。
石川 昌(いしかわ まさし、1922年(大正11年)5月15… 石川 昌(いしかわ まさし、1922年(大正11年)5月15日 - 2016年(平成28年)9月12日)は、昭和から平成時代の政治家。元千葉県木更津市長。元海上自衛官。最終階級は海将補。 木更津市出身。東京府立四中(現・東京都立戸山高等学校)を経て、海軍経理学校に進み、1942年に卒業後、戦艦伊勢や武蔵などに乗り組んだ。復員後は東大に進み、1949年(昭和24年)東京大学法学部政治学科卒業。公職追放中だった事から官庁入りはかなわず、日本シルクに入社した。 1955年(昭和30年)海上自衛隊に入隊、木更津航空補給所長を務めた。 1979年(昭和54年)、木更津市長選挙に初当選し1995年(平成7年)まで4期務めた。
李 源京(イ・ウォンギョン、1922年1月15日 - 200… 李 源京(イ・ウォンギョン、1922年1月15日 - 2007年8月3日)は、韓国の政治家、元駐日大使。 韓国・慶尚北道出身。旧制五高を経て東京帝国大学法学部中退後、ソウル大学校経済学部卒。1948年、韓国政府が初めて実施した外交官試験に合格。駐日代表部参事官、外務部次官などを歴任した後、1980年に国家保衛立法会議委員に選出された。1983年から1986年まで外務部長官。1988~1991年には外相経験のある「大物大使」として、駐日大使を務めた。日本でも交友関係が広く、知日派とされた。 2007年8月3日、老衰のため死去。85歳没。
工藤 巌(くどう いわお、1921年(大正10年)12月18… 工藤 巌(くどう いわお、1921年(大正10年)12月18日 - 1998年(平成10年)8月25日)は、日本の政治家。岩手県知事(1期)、衆議院議員(5期)、盛岡市長(3期)。 文教政策に精通。衆議院議員時代には文教委員長を務めたほか、知事在任中には岩手県立大学の総合大学としての設立を決めた。 盛岡中学校、第一高等学校、東京大学法学部卒業後、岩手県立盛岡高等学校に教師として赴任。その後岩手県庁に入庁。企画部長などを経て、1969年盛岡市長に立候補して当選。 3期目途中の1979年、政界を引退した野原正勝の後継者として旧岩手1区から衆議院議員選挙に立候補し初当選。以後5回連続当選。自由民主党の河本派に所属し、国土政務次官、文部政務次官、衆議院文教委員長、党人事局長、政務調査会副会長などを歴任。
西銘 順治(にしめ じゅんじ、1921年〈大正10年〉11月… 西銘 順治(にしめ じゅんじ、1921年〈大正10年〉11月5日 - 2001年〈平成13年〉11月10日)は、日本の政治家。那覇市名誉市民、知念村名誉村民、与那国町名誉町民。 沖縄県知事(本土復帰後第3代)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院議員(4期)、沖縄県那覇市長(第18・19代)、沖縄自由民主党総裁、立法院議員(1期)等を歴任した。 沖縄県八重山郡与那国村(現・与那国町)生まれ。小学生時代の一時期、南洋庁のパラオに在住していた。旧制沖縄県立第二中学校、旧制水戸高等学校を経て1948年、東京帝国大学法学部卒業。戦時下に海軍中尉となる。 外務省に入省するが、半年で退官。沖縄へ戻り、沖縄ヘラルド(その後改名して沖縄朝日新聞)の創設に参加し社長などを歴任する。
鎌田 要人(かまだ かなめ、1921年(大正10年)10月2… 鎌田 要人(かまだ かなめ、1921年(大正10年)10月2日 - 2005年(平成17年)12月3日)は、日本の官僚、政治家。消防庁長官、自治事務次官、鹿児島県知事、参議院議員を歴任。 鹿児島県日置郡田布施村大字尾下(のちの金峰町、現南さつま市)出身。鹿児島二中(現甲南高校)、七高造士館を経て東京帝国大学法学部政治学科卒業後の1943年(昭和18年)、内務省入省。朝鮮総督府への出向、静岡県副知事、税務局長、財政局長、消防庁長官などを経て、1973年(昭和48年)に自治事務次官となる。退官後の1977年(昭和52年)に鹿児島県知事選に立候補し初当選。1989年(平成元年)まで3期12年務めた。在任中は、「官僚出身」を感じさせないざっくばらんな人柄で県民に親しまれた。
永原 稔(ながはら みのる、1921年4月21日 - 200… 永原 稔(ながはら みのる、1921年4月21日 - 2006年12月17日)は、日本の政治家。新自由クラブ衆議院議員(1期)。
依田 圭五(よだ けいご、1921年4月4日 - 1979年… 依田 圭五(よだ けいご、1921年4月4日 - 1979年2月24日)は、日本の政治家。日本社会党所属の衆議院議員(1期)。 東京都出身。1948年東京帝国大学法学部卒。文京区議、東京都議会議員を経て、1967年の第31回衆議院議員総選挙において東京8区から日本社会党公認で立候補して初当選した。この間、1951年の文京区長選挙に社会党公認で立候補したが落選した。衆議院議員は1期務めた。1969年の第32回衆議院議員総選挙で落選。1972年の第33回衆議院議員総選挙でも落選した。党内では社会党都議団幹事長、同政務調査会長、都市問題政策副委員長などを務めた。このほか青森短期大学講師、同教授、青森大学教授となった。
田畑 健介(たばた けんすけ、1921年(大正10年)3月1… 田畑 健介(たばた けんすけ、1921年(大正10年)3月16日 - 1989年(平成元年)7月31日)は、昭和期の地方公務員、政治家。東京都練馬区長。 鹿児島県大島郡名瀬村(現・奄美市)金久出身。兄に民俗学者の田畑英勝。旧制鹿児島県立大島中学校(鹿児島県立大島高等学校の前身)、旧制台北中学校(台北市立建国高級中学の前身)、旧制台北高等学校を経て、1944年東京大学法学部政治学科卒業。学徒出陣、復員後、郷里の奄美で大島郡連合青年団初代会長、大島高等学校教諭、古仁屋警察署署長を務める。 1950年東京都職員。労政課長、企画調整局参事などを経て、1969年主税局査察室長、1971年に練馬区総務部長となる。
天野 公義(あまの きみよし、1921年3月2日 – 199… 天野 公義(あまの きみよし、1921年3月2日 – 1990年7月29日)は、日本の政治家。自治大臣(第24代)、国家公安委員会委員長(第33代)、北海道開発庁長官(第38代)、衆議院議員(11期)。戦前に東京府会議員を務めた天野頼義は父。 東京府北豊島郡日暮里町(現在の東京都荒川区)生まれ。旧制府立高校を経て、東京帝国大学文学部に入学。在学中はア式蹴球部(サッカー部)に入部。1941年には同部の主将を務めて、関東大学リーグで優勝も経験した。また、倫理学科では和辻哲郎の門下生であった。 卒業後に同盟通信社の記者となったが、戦後の1946年・1947年と総選挙に立候補して共に落選。吉田茂の首相秘書官の傍ら、東京大学法学部に在籍した。
山下 元利(やました がんり、1921年2月22日 - 19… 山下 元利(やました がんり、1921年2月22日 - 1994年3月14日)は、滋賀県出身の日本の政治家。衆議院議員、防衛庁長官を務めた。息子に元参議院議員の山下英利がいる。
三善 信二(みよし しんじ、1921年(大正10年)1月30… 三善 信二(みよし しんじ、1921年(大正10年)1月30日 - 1979年(昭和54年)3月7日)は、日本の官僚、政治家。参議院議員(1期)。衆議院議員三善信房の次男。兄はリコー会長を務めた三善信一。
助川 良平(すけかわ りょうへい、1921年〈大正10年〉1… 助川 良平(すけかわ りょうへい、1921年〈大正10年〉1月10日 - 1959年〈昭和34年〉6月15日)は、日本の衆議院議員(自由党→自由民主党)。 福島県田村郡片曾根村(船引町を経て現田村市)出身。父は衆議院議員を5期務め、農業政策の専門家として知られた立憲政友会所属の政治家・助川啓四郎。 東京帝国大学法学部政治学科卒業。福島県議会議員を経て1953年の第26回衆議院議員総選挙に自由党公認で立候補し初当選。以降連続3回総選挙に当選した。 父・啓四郎が農政を専門としていたことから、良平も農政のエキスパートとなり、自由党政調会農林部長・自由民主党産業局農林部長等を歴任した。 しかし1959年に入ってから病状が悪化し、福島県立医科大学附属病院に入院する。
金 永求(キム・ヨング、朝鮮語: 김영구、1920年12月2… 金 永求(キム・ヨング、朝鮮語: 김영구、1920年12月29日 - 2007年3月20日)は、大韓民国の教育者、官僚、政治家。第5代韓国国会議員。 本貫は彦陽金氏(朝鮮語版)、号は蕙村(ヘチョン、혜촌)。カトリック教徒。 日本統治時代の京畿道抱川郡(現・抱川市)または京城府(現・ソウル特別市)出身。第一高等普通学校(現・京畿高等学校)、福岡高等学校、東京帝国大学(現・東京大学)法学部政治科卒。普成専門学校(現・高麗大学校)講師、高麗大学校・東国大学校・ソウル大学校法科大学教授を経て、民主党結党後は同党抱川郡党委員長を務めた。その後は第5代国会議員、内務部(現・行政安全部)政務次官、大韓民国憲政会(朝鮮語版)運営委員を務めた。
降矢 敬義(ふるや けいぎ、1920年10月25日 - 没年… 降矢 敬義(ふるや けいぎ、1920年10月25日 - 没年不明)は、日本の官僚、政治家。自治事務次官を経て、自由民主党参議院議員(2期)。 山形県山形市出身。山形県立山形中学校、旧制山形高等学校を経て、1942年に東京帝国大学法学部を卒業。高等文官試験に合格し内務省に入省(地方局配属)。しかし、翌年に応召され、1947年の復員までシベリアに抑留された。1950年に静岡県商工課長。 その後、自治庁行政課長、自治大臣官房参事官、自治省選挙局長、同税務局長、自治大学校長等を歴任。1970年に消防庁長官、1973年に自治事務次官を最後に退官。安孫子藤吉山形県知事が国政に転じるにあたって、その後継として一時、擬せられた。
半澤 良一(はんざわ りょういち、1920年(大正9年)10… 半澤 良一(はんざわ りょういち、1920年(大正9年)10月4日 - 1990年(平成2年)12月9日)は、日本の政治家。元千葉県館山市長(4期)。位階は従五位。 千葉県出身。旧制千葉県立安房中学校(現・千葉県立安房高等学校)、旧制第一高等学校を経て、1942年東京帝国大学法学部政治学科に入る。翌年学徒動員で兵役に就く。1944年に大学を卒業。1946年復員と同時に帰郷し、家業の酒造会社を継いだ。1961年館山市教育委員、1968年千葉県教育委員、1972年館山市商工会議所会頭となる。 1974年館山市長選挙に保守系無所属で立候補し、当選。4期務める。就任当初、館山市は財政赤字で、財政改革を断行し、市の財政を黒字に転換した。
坪野 米男(つぼの よねお、1920年(大正9年)7月4日 … 坪野 米男(つぼの よねお、1920年(大正9年)7月4日 – 2008年(平成20年)8月16日)は、昭和から平成期の弁護士、政治家。衆議院議員。 大阪府大阪市出身。第三高等学校を経て、1943年(昭和18年)東京帝国大学法学部を卒業。厚生省に入省し大臣官房属となる。同年7月、高等試験行政科試験に合格。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 1948年(昭和23)に退官して、弁護士、税理士を開業。京都市人権擁護委員、国民救援会京都府連副会長を務めた。
谷川 寛三(たにがわ かんぞう、1920年6月24日 - 2… 谷川 寛三(たにがわ かんぞう、1920年6月24日 - 2015年11月30日)は、日本の官僚、政治家。元自由民主党参議院議員・衆議院議員。元科学技術庁長官。
栗原 祐幸(くりはら ゆうこう、1920年〈大正9年〉6月5… 栗原 祐幸(くりはら ゆうこう、1920年〈大正9年〉6月5日 - 2010年〈平成22年〉6月1日)は、日本の政治家。位階は正三位。 防衛庁長官、労働大臣、衆議院議員(7期)、参議院議員(2期)を務めた。長男は沼津市長や衆議院議員を務めた栗原裕康。 静岡県田方郡中郷村(現三島市)の生まれ。東京府立第八中学校、佐賀高等学校文科甲類を経て1944年東京帝国大学法学部卒業。学徒出陣により中国に出征する。軍隊時代に上官を殴打するなど、若い頃から鼻っ柱が強い性格だった。 戦後、栗原は東大時代の恩師である南原繁より、「戦前の日本は優秀な人材が官僚組織や軍部に集中して民間の裾野が手薄になり、権力の暴走をくい止めることができなかった。
住 栄作(住 榮作、すみ えいさく、1920年5月20日 -… 住 栄作(住 榮作、すみ えいさく、1920年5月20日 - 1986年12月20日)は、日本の内務官僚、海軍軍人(海軍主計大尉)、政治家(衆議院議員)。 法務大臣・建設政務次官・労働省職業安定局長などの要職を歴任し、富山職業訓練短期大学校・富山医科薬科大学の開設を推進した。自由民主党所属。住博司は実子。富山県魚津市出身。位階勲等は従三位勲一等瑞宝章。 富山県の農家に生まれた。9人兄弟であったという。旧制魚津中学校から旧制富山高校に進学。魚津中在学中は陸上競技部に所属し5000mで活躍し、富山高校在学中は剣道部で活躍した。1940年、東京帝国大学法学部に入学。在学中に高等文官試験合格。1943年卒業。
佐藤 敬治(さとう けいじ、1920年(大正9年)3月10日… 佐藤 敬治(さとう けいじ、1920年(大正9年)3月10日 - 2009年(平成21年)9月16日)は、昭和から平成期の政治家、教員。衆議院議員(6期)、大館市長。 秋田県大館市出身。1944年(昭和19年)東京帝国大学文学部社会学科を卒業。秋田県立大曲高等学校教諭を経て、1951年(昭和26年)大館市長に初当選。以降4期務めた。 1972年(昭和47年)日本社会党公認で第33回衆議院議員総選挙において旧秋田1区で初当選。6期務めた。1993年(平成5年)に政界から引退した。 2009年9月16日、死去。89歳没。死没日付をもって正八位から正四位に叙され、旭日重光章を追贈された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
金 重泰(キム・ジュンテ、朝鮮語: 김중태、1920年2月9… 金 重泰(キム・ジュンテ、朝鮮語: 김중태、1920年2月9日 - 1990年11月27日)は、大韓民国の官僚、実業家、政治家。第8代韓国国会議員。 本貫は金寧金氏(朝鮮語版)。号は南洲。 日本統治時代の慶尚南道晋州郡(現・晋州市)出身。1945年東京帝国大学(現・東京大学)法学部政治学科卒。米軍政庁中央経済委員会事務長補・事務長、朝一産業社長、民主共和党麗水麗川地区党事務局長・全羅南道支部組織部長・事務局長、水産業協同組合(朝鮮語版)中央会常任監事・常任理事、民主共和党麗川地区党委員長を経て、第8代国会議員を務めた。議員退任後は麗水で事業を行った。 1990年11月27日、ソウル市麻浦区の自宅アパートにて持病により死去。
有馬 元治(ありま もとはる、1920年〈大正9年〉1月1日… 有馬 元治(ありま もとはる、1920年〈大正9年〉1月1日 - 2006年〈平成18年〉12月15日)は、日本の内務・労働官僚、政治家。労働事務次官、衆議院議員(6期)、防衛政務次官、自由民主党国防部会長。鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)出身。 台北高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科卒業後の1941年(昭和16年)12月、内務省(東京府属)に入省したが、わずか2週間後の1942年(昭和17年)1月、短期現役海軍主計科士官八期生として海軍経理学校に入学し、海軍主計中尉に任官。1943年(昭和18年)11月、主計大尉に進む。終戦後、海軍から内務省に復帰後は、内閣官房内閣参事官、中央労働委員会事務局長、労働省職業安定局長などを経て、1968年(昭和43年)労働事務次官に就任。
湊 徹郎(みなと てつろう、1919年11月24日 - 19… 湊 徹郎(みなと てつろう、1919年11月24日 - 1977年7月19日)は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員(5期)。中曽根派。位階は従三位。勲等は勲二等。議員宿舎は、九段宿舎。 福島県田村郡三春町生まれ。水戸高等学校を経て、1942年、東京帝国大学経済学部卒業。大学卒業後、出征し、陸軍少尉。1945年8月に、復員した。 1946年に、福島県庁勤務。1961年、佐藤善一郎福島県知事のもとで、副知事を務める。 1963年の第30回衆議院議員総選挙で福島2区から初当選。以後5期連続当選。1970年、第3次佐藤内閣総理府総務副長官就任。1973年、青嵐会の代表世話人として旗揚げに参加。1976年、衆議院農林水産委員長。
川上 紀一(かわかみ きいち、1919年(大正8年)10月3… 川上 紀一(かわかみ きいち、1919年(大正8年)10月30日 - 2009年(平成21年)8月14日)は、日本の政治家、内務官僚。千葉県知事(公選第9・10代)。 千葉県安房郡富浦町(現南房総市)生まれ。出生時の姓は羽山であり、後年市川市の川上家へ婿入りして以降は川上姓を名乗る。旧制安房中学、旧制一高を経て、1944年(昭和19年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、内務省に入省した。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し海軍主計見習尉官。1945年4月に経理学校を卒業し豊川海軍工廠に配属。同年6月、主計少尉に任官され海軍艦政本部に転じ終戦を迎えた。1945年9月、予備役に編入。
今井 勇(いまい いさむ、1919年7月21日 - 1998… 今井 勇(いまい いさむ、1919年7月21日 - 1998年11月6日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。厚生大臣(第66代)、衆議院議員(7期、自由民主党)。 長野県長野市出身。第一高等学校を経て、1944年東京帝国大学第一工学部土木工学科を卒業。戦後の1949年建設省に入省。秋田工事事務所長、東北地方建設局道路部長、計画局地域計画課長、計画局技術調査官などを経て、1970年四国地方建設局長。退官後に1972年の第33回衆議院議員総選挙で旧愛媛3区から無所属で立候補し初当選。その後、自由民主党に入党、宏池会(大平正芳→鈴木善幸→宮澤喜一派)所属。農水・厚生政務次官、党社会部会長、衆院農水委員長などを歴任した後、1985年第2次中曽根内閣の厚生大臣として初入閣した。
辻 英雄(つじ ひでお、1919年7月8日 - 2005年1… 辻 英雄(つじ ひでお、1919年7月8日 - 2005年11月29日)は、日本の官僚、政治家。自由民主党衆議院議員。
箱根 宏(はこね ひろし、1919年(大正8年)7月5日 -… 箱根 宏(はこね ひろし、1919年(大正8年)7月5日 - 1987年(昭和62年)10月6日)は、日本の政治家、実業家。第11・14・15代土浦市長。 茨城県出身。1941年(昭和16年)旧制水戸高校を卒業。1944年(昭和19年)東京帝国大学経済学部卒業し、軍需省に入り総動員局秘書課勤務となる。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。同年9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して解員(復員)した。 戦後の1950年(昭和25年)土浦土木建築工業代表取締役となり、1966年(昭和41年)には社長となる。この間、土浦一高、三高の講師も務めた。 1971年(昭和46年)土浦市長に初当選。
木野 晴夫(きの はるお、1919年(大正8年)7月4日 -… 木野 晴夫(きの はるお、1919年(大正8年)7月4日 - 1997年(平成9年)2月13日)は、日本の大蔵官僚、政治家。自由民主党所属の衆議院議員(当選6回)。 大阪府出身。大阪高等学校を経て、1942年(昭和17年)7月、高等試験行政科に合格。同年9月、大蔵省事務取扱嘱託となり理財局に配属。1943年(昭和18年)7月、高等試験司法科に合格し、同年8月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、大蔵属に任官し外資局に配属。同年9月、大蔵省を退職し短期現役士官として海軍に志願し、海軍法務見習尉官となる。1944年(昭和19年)3月、海軍法務中尉に進み、舞鶴鎮守府軍法会議法務官、呉鎮守府軍法会議法務官などを歴任し、1945年(昭和20年)3月、海軍法務大尉に昇進し、同年12月、予備役となる。
渡部 正郎(わたなべ まさろう、1919年(大正8年)6月1… 渡部 正郎(わたなべ まさろう、1919年(大正8年)6月17日 - 1997年(平成9年)4月14日)は、日本の内務官僚、政治家。自由民主党衆議院議員(1期)、弁護士。1989年勲三等旭日中綬章受章。 山形県米沢市出身。1945年東京帝国大学法学部を卒業。同年内務省に入り、警察大学校教授、在イタリア大使館一等書記官、警察庁交通局長、群馬、愛知各県警本部長などを歴任。 1974年内閣広報室長に就き、田中、三木、福田の各内閣においては内閣調査室長を務めた。『週刊文春』の連載記事「日本共産党の金脈」にみられる通り、大手の出版社を通じて、日本共産党のイメージダウンをはかる世論工作を行った。1977年に退官。
山本 壮一郎(やまもと そういちろう、旧字体では「壯一郎」。… 山本 壮一郎(やまもと そういちろう、旧字体では「壯一郎」。1919年6月15日 - 2001年1月18日)は、日本の内務官僚、政治家。 全国知事会副会長、宮城県知事、宮城県副知事などを歴任。 大阪府大阪市天王寺区生まれ。旧制大阪高校を経て、1943年(昭和18年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業した。高等試験に合格し、同年内務省に入省するが、太平洋戦争激化に伴い、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入校。1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。第二南遣艦隊司令部・第22特別根拠地隊に配属。1945年3月、海軍主計大尉に昇進しボルネオで終戦を迎えた。
大村 襄治(おおむら じょうじ、1919年〈大正8年〉3月3… 大村 襄治(おおむら じょうじ、1919年〈大正8年〉3月30日 - 1997年〈平成9年〉12月15日)は、日本の政治家、官僚。衆議院議員(8期、自由民主党)、防衛庁長官(第39代)。父も防衛庁長官を務めた大村清一。 東京府出身。旧制東京高等学校卒業。1940年10月に高等試験行政科合格。1941年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、内務省に入省。土木局属。短期現役海軍主計科士官(6期)を志願し、1941年4月、海軍経理学校に補修学生として入校し海軍主計中尉に任官。同年8月、経理学校を卒業。古鷹に配属。同年11月、南西方面艦隊所属・第3設営班主計長に転じ、ダバオ、ホロ、メナド、アンボン方面で飛行場等の設営に従事。
多田 光雄(ただ みつお、1918年11月19日 - 198… 多田 光雄(ただ みつお、1918年11月19日 - 1987年3月26日)は日本の政治家。 元衆議院議員(日本共産党公認、通算2期)。日本共産党北海道副委員長、道平和委員会副会長、道原水協副委員長、日朝協会道副会長などを歴任した。 北海道空知郡上砂川町生まれ。1942年、東京帝国大学文学部英文科を卒業。その後、旧陸軍の樺太山砲隊に入隊した。戦後はシベリアに抑留される。1947年12月に帰国した。ソ連から帰国後の1948年、日本共産党へ入党。美唄、留萌の各地区委員長、道委員会常任委員などを歴任した。1972年の衆院選で北海道1区から出馬し初当選を果たした。1976年の衆院選では次点に終わる。1979年の衆院選で返り咲きを果たす。
鳩山 威一郎(はとやま いいちろう、1918年〈大正7年〉1… 鳩山 威一郎(はとやま いいちろう、1918年〈大正7年〉11月11日 - 1993年〈平成5年〉12月19日)は、日本の政治家、大蔵官僚。正三位勲一等。 第52・53・54代内閣総理大臣を務めた鳩山一郎の長男。祖父は第6代衆議院議長の鳩山和夫。母方の祖父は右翼団体玄洋社出身の貴族院議員寺田栄。鳩山由紀夫、鳩山邦夫は息子。井上和子は長女。指揮者の渡邉暁雄とは義兄弟に当る。 東京市小石川区(現・東京都文京区)出身。高等師範附属小(現・筑波大附属小)、旧制府立高等学校高等科文科甲類(後の旧・都立大学)を経て、1941年(昭和16年)に東京帝国大学法学部法律学科を首席で卒業。高等試験行政科も1番で合格したと伝わっており、大蔵省に入省(専売局書記兼大臣官房文書課に配属)、同期に柏木雄介、加治木俊道など。