岡崎 勝男(おかざき かつお、1897年(明治30年)7月1… 岡崎 勝男(おかざき かつお、1897年(明治30年)7月10日 - 1965年(昭和40年)10月10日)は、日本の政治家、外交官。内閣官房長官(第6代)、外務大臣(第72-74代)、衆議院議員(3期)。第二次世界大戦後、吉田茂によって推進された対米協調外交において重要な役割を担った人物。また陸上競技選手(中距離走・長距離走)としての経歴も持つ。 神奈川県横浜市生まれ。米屋を営む岡崎安之助の十男。23歳上の長兄に政治家で日米富士自転車を創業した岡崎久次郎がいる。 厚木中学(現神奈川県立厚木高等学校)、第一高等学校を経て、1922年東京帝国大学経済学部を卒業。 カルカッタ総領事、外務省調査官、情報局情報官を経て外務省調査局長となる(1945年6月)。
松本 俊一(まつもと しゅんいち、1897年〈明治30年〉6… 松本 俊一(まつもと しゅんいち、1897年〈明治30年〉6月7日–1987年〈昭和62年〉1月25日)は、昭和期の外交官・政治家。 台湾台北で、実業家・松本勝太郎の長男として生まれ、広島県呉市広育ち。広島県立呉中学校(呉三津田高校)、一高を経て経て、1921年(大正10年)東京帝国法学部卒業し外務省入省。 在ベルギー外交官補、アントワープ領事官補、条約局、在フランス大使館を経て、条約局第二課長、条約局第一課長、人事課長、在中華民国大使館参事官、文化事業部長、条約局長を歴任。 1942年(昭和17年)、重光葵外務大臣下で外務次官。フランス領インドシナ特派大使を経て1945年に東郷茂徳外務大臣下で再び外務次官となり内閣書記官長の迫水久常らと終戦処理にあたった。
徳川 宗敬(とくがわ むねよし、旧字体:德川 宗敬、1897… 徳川 宗敬(とくがわ むねよし、旧字体:德川 宗敬、1897年(明治30年)5月31日 - 1989年(平成元年)5月1日)は、日本の林学者、陸軍軍人、政治家、教育者、神職。階級は陸軍少尉。位階は従三位。勲等は勲一等。爵位は伯爵。最終学歴は東京帝国大学農学部林学科卒業。学位は農学博士(東京帝国大学)。
吉松 喬(よしまつ たかし、1897年(明治30年)5月25… 吉松 喬(よしまつ たかし、1897年(明治30年)5月25日 - 1987年(昭和62年)9月17日)は、大正から昭和期の鉄道官僚、政治家。参議院議員、陸軍司政長官。 福岡県出身。吉松民次郎、友子の長男として生まれる。第三高等学校を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業し、鉄道省に入省して直方駅助役に就任。同年11月、高等試験行政科試験に合格した。 以後、大臣官房文書課勤務、大鉄運輸課旅客掛長、大阪運輸事務所長、広鉄庶務課長、運輸局配車課長、鉄道調査部第一課長、札幌鉄道局長、東京鉄道局長などを務め、1943年(昭和18年)2月、陸軍司政長官に発令された。1945年(昭和20年)に退官した。
藤山 愛一郎(ふじやま あいいちろう、1897年〈明治30年… 藤山 愛一郎(ふじやま あいいちろう、1897年〈明治30年〉5月22日 - 1985年〈昭和60年〉2月22日)は、日本の政治家、実業家。 外務大臣、経済企画庁長官、衆議院議員(6期)、日本商工会議所会頭、経済同友会代表幹事、初代日本航空会長、自民党総務会長などを歴任した。 藤山コンツェルン二代目。位階は従二位。勲等は勲一等。 東京王子に王子製紙専務取締役藤山雷太(佐賀県士族)の長男として生まれる。慶應幼稚舎時代、当時の官公立崇拝の強い風潮の中、父が福澤諭吉門下直系であるにも拘わらず第一高等学校(現東京大学教養学部)合格者数第一位を誇った府立一中(現東京都立日比谷高等学校)を受験するも失敗、慶應義塾普通部に進学した。
石黒 武重(いしぐろ たけしげ、1897年〈明治30年〉5月… 石黒 武重(いしぐろ たけしげ、1897年〈明治30年〉5月13日 - 1995年〈平成7年〉1月23日)は、日本の官僚、政治家。山形県知事、法制局長官、民主党初代幹事長などを務めた。 石川県金沢市出身。東京府立四中、第一高等学校、東京帝国大学法律学科卒業。山形県知事、農林次官、枢密院書記官長などを歴任。幣原内閣において、法制局長官(専任)、国務大臣兼法制局長官を務めた。1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に山形県全県区から出馬し初当選。日本進歩党政務調査会長、民主党初代幹事長に就任し、戦後の混乱期の収拾に尽力した。また、日本生活協同組合連合会会長理事、日本生活協同組合名誉顧問、日ソ協会会長などの要職も歴任した。
安東 義良(あんどう よしろう、1897年(明治30年)5月… 安東 義良(あんどう よしろう、1897年(明治30年)5月4日 - 1986年(昭和61年)1月20日)は、日本の外交官、弁護士、政治家。位階は従三位、勲等は勲二等。衆議院議員(2期)。 岐阜県可児郡御嵩町出身。1922年東京帝国大学法学部卒業、外務省入省。1925年パリ大学卒業(法学博士)。 外務省調査部第3課長、欧亜局、大東亜省総務局長、1942年11月条約局長、同省政務局長、1945年退官。 1947年4月、第23回衆議院議員総選挙に岐阜2区から当選。衆議院では外務委員長を務める。1949年1月の第24回衆議院議員総選挙では落選するが1952年10月の第25回衆議院議員総選挙で返り咲き。
高橋 定一(たかはし ていいち、1897年(明治30年)4月… 高橋 定一(たかはし ていいち、1897年(明治30年)4月12日 – 1949年(昭和24年)12月25日)は、大正から昭和前期の鉄道官僚、政治家。衆議院議員。 山口県玖珂郡麻里布村(麻里布町を経て現岩国市)で、高橋亀助の二男として生まれる。第三高等学校を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。 同年、鉄道省に入省し鉄道局書記に任官され東京鉄道局庶務課に配属された。1923年(大正12年)12月、高等試験行政科試験に合格。以後、国府津駅助役、鉄道局副参事・水戸運輸事務所営業主任、新橋運輸事務所営業主任、千葉運輸事務所長、東京鉄道局運輸課庶務掛長、同局運輸課旅客掛長などを経て鉄道省運輸局自動車課長に就任し、1939年(昭和14年)に退官した。
坂田 英一(さかた えいいち、1897年3月27日 - 19… 坂田 英一(さかた えいいち、1897年3月27日 - 1969年7月22日)は、石川県出身の官僚、政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。 衆議院議員(7期)。農林大臣(第35代)。自民党佐藤派所属。 石川県加賀市生まれ。第四高等学校を経て、1920年、東京帝国大学農学部卒業後、農商務省入省。1938年、農林省特産課長(1946年まで)。 1949年1月の第24回衆議院議員総選挙に民主自由党から立候補し初当選(当選同期に池田勇人・佐藤栄作・前尾繁三郎・橋本龍伍・岡崎勝男・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。
細野 三千雄(ほその みちお、1897年〈明治30年〉3月2… 細野 三千雄(ほその みちお、1897年〈明治30年〉3月22日 - 1955年〈昭和30年〉6月25日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(5期)。立教大学教授。弁護士。 愛知県海部郡八開村(現:愛西市)出身。父、辰三郎も弁護士。東京帝国大学に入り、三輪寿壮らと新人会に参加する。帝大卒業(1920年)後の1922年に立教大学教授となる。その後弁護士となり、労働運動や農民運動に携わる。高野岩三郎主宰の大原社会問題研究所嘱託。星島二郎の中央法律研究所所員。阿仁前田小作争議では、終始小作農民側の弁護士を務めた。農民労働党、日本労農党、社会大衆党などの役員を務めたこの他法政大学講師も務めた。1929年(昭和4年)の東京市会議員総選挙に四谷区から日本大衆党公認で立候補したが落選した。
重政 誠之(しげまさ せいし、1897年3月20日 - 19… 重政 誠之(しげまさ せいし、1897年3月20日 - 1981年6月3日)は、日本の農商務官僚、政治家。元衆議院議員。従三位勲二等旭日重光章。参議院副議長を務めた重政庸徳は兄で、安倍源基は親戚。 広島県深安郡神辺町(現福山市)に生まれる。広島県立福山中学(現・広島県立福山誠之館高等学校)、第六高等学校 (旧制)を経て東京帝国大学法学部を卒業後、1923年、農商務省に入省。小磯内閣の農商次官、農業報国会理事、東久邇宮内閣の農林次官を歴任、商工省の岸信介とともに官僚の双璧と言われた。戦後は占領軍に公職追放された。1948年9月10日には昭和電工疑獄事件で嫌疑がかけられ逮捕され、一部無罪となるものの懲役1年・執行猶予1年が確定した。
坊城 俊賢(ぼうじょう としよし、1897年(明治30年)2… 坊城 俊賢(ぼうじょう としよし、1897年(明治30年)2月2日 - 1984年(昭和59年)6月5日)は、大正末から昭和期の農林技師、政治家、華族。貴族院男爵議員。 東京府で伯爵・坊城俊章の五男として生まれ、はとこの男爵・坊城俊延の養子となる。養父の死去に伴い1910年(明治43年)6月4日、男爵を襲爵。学習院高等科を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学農学部を卒業。1924年(大正13年)以降、東京市技手、埼玉県技手、農林技手、富山県農林技師などを務めた。 1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
佐々 弘雄(さっさ ひろお、1897年〈明治30年〉1月23… 佐々 弘雄(さっさ ひろお、1897年〈明治30年〉1月23日 - 1948年〈昭和23年〉10月9日)は、日本の政治学者、ジャーナリスト、参議院議員。 1897年(明治30年)1月23日、衆議院議員佐々友房の三男として東京府東京市四谷区四谷箪笥町に生まれる。 東京府立第四中学校・第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科に入学。吉野作造や美濃部達吉の薫陶を受け法学者・政治学者として将来を嘱望される。東京帝大では新人会に参加した。1920年(大正9年)卒業。 卒業後は直ちに東京帝国大学法学部副手・助手を経て、外務省欧米局の嘱託となり英仏独に2年間留学。特にドイツにおいては、ハイパーインフレの惨状やヴァイマル共和国の行き詰まり、そしてナチス勃興を目の当たりにし、反ヒトラー派となって帰国した。
薄田 美朝(すすきだ よしとも、1897年1月16日 - 1… 薄田 美朝(すすきだ よしとも、1897年1月16日 - 1963年4月16日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。官選県知事、警視総監、衆議院議員。 秋田県出身。薄田正美の長男として生まれる。函館中学、旧制第二高等学校を経て、1920年7月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1919年10月、高等試験行政科試験に合格。1920年7月、内務省に入り大阪府属兼警部として警察部特別高等警察課に配属された。 1921年11月、香川県警視となり警察部に勤務。1923年2月、朝鮮総督府に転じ総督官房庶務部に勤務し、警務局に異動。 1926年12月、地方事務官として栃木県農商課長に就任。以後、内務事務官・警務官、岡山県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、広島県書記官・警察部長、京都府書記官・警察部長、警視庁警務部長などを歴任。
山内 継喜(やまうち つぐよし、1897年(明治30年)1月… 山内 継喜(やまうち つぐよし、1897年(明治30年)1月8日 - 1973年(昭和48年)12月26日)は、日本の内務・警察官僚、政治家。官選山形県知事、陸軍司政長官、初代勝山市長。 福井県大野郡荒土村(現:勝山市荒土町境)で、山内喜一郎の長男として生まれる。第四高等学校を卒業。1920年10月、高等試験行政科試験に合格。1921年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し青森県属となる。 1923年、警視庁警視となる。以後、板橋警察署長、大塚警察署長、本富士警察署長、警視庁監察官、台湾総督府事務官、青森県書記官・警察部長、岐阜県書記官・警察部長、山口県書記官・警察部長、宮城県書記官・警察部長、京都府書記官・警察部長、愛知県書記官・総務部長などを歴任。
北大路 信明(きたおおじ のぶあき、 1896年(明治29年… 北大路 信明(きたおおじ のぶあき、 1896年(明治29年)12月3日 - 1973年(昭和48年)3月15日)は、昭和期の政治家、奈良華族。貴族院男爵議員。 男爵・北大路実信の長男として生まれる。父の死去に伴い、1935年(昭和10年)11月15日に男爵を襲爵。 旧制学習院高等科を経て、1923年(大正12年)3月に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業。大日本麦酒に入社し、名古屋支店員となった。 1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで1期在任した。
松本 長兵衛(まつもと ちょうべえ、1896年〈明治29年〉… 松本 長兵衛(まつもと ちょうべえ、1896年〈明治29年〉11月23日 - 1978年〈昭和53年〉8月2日)は、日本の政治家。元山形県上山市長(2期)。位階は正六位。 山形県南村山郡上山町十日町の吉野屋本家松本長兵衛家に生まれる。東京帝国大学農学部卒業。 1931年に上山町議会議員に初当選。1946年からは、上山町議会議長を務めた。 1947年に上山町長に就任。上山市制施行まで職務を務め、新制中学校の建設整備や、都市計画道路の新設などに尽力した。また、山形県の町村合併審議会会長をつとめ、合併の推進役を担った。山形県町村会長、全国町村会副会長なども務めた。 1954年10月の上山市長選挙に日本社会党公認で出馬し、高橋熊次郎と一騎打ちとなるが、約7,100票の差をつけられて落選(松本長兵衛5,997票、高橋熊次郎13,107票) 1958年9月に上山市長選に出馬し、鈴木行男(遠藤利明の叔父)との一騎打ちを制して初当選。
岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13… 岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 - 1987年〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、農商務・商工官僚。1957年から1960年まで内閣総理大臣(第56・57代)を務めた。位階勲等は正二位大勲位。出生名は佐藤 信介(さとう のぶすけ)。 他満洲国総務庁次長、商工大臣(第24代)、衆議院議員(10期)、自由民主党幹事長(初代)、自由民主党総裁 (第3代) 、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣臨時代理、皇學館大学総長(第2代)を歴任した。東洋パルプ、日本再建連盟の会長も務めた。A級戦犯被疑者として収監されるが、不起訴となったのち米国CIA(中央情報局)の協力者として活動し、戦後にも権力を得た。
李 栄俊(イ・ヨンジュン、朝鮮語: 이영준/李榮俊、1896… 李 栄俊(イ・ヨンジュン、朝鮮語: 이영준/李榮俊、1896年9月17日 - 1968年8月18日)は、日本統治時代の朝鮮の医学者、医学教育者、大韓民国の政治家。第3代セブランス医学専門学校(現・延世大学校医療院)校長、制憲・第4・5・6代韓国国会議員、第5代民議院副議長を歴任した。 本貫は公州李氏(朝鮮語版)。キリスト教徒。 ソウル市南大門出身。大邱仁南学校、啓聖高等普通学校、京城養正高等普通学校を経て、1926年にセブランス医学専門学校(現・延世大学校医療院)卒。京畿道小学校教員試験合格。1931年、東京帝国大学(現・東京大学)にて医学博士取得。以後セブランス連合医学専門学校教授、東京帝国大学医学部にて皮膚泌尿器科学について研究した。
渋沢 敬三(しぶさわ けいぞう、正字体:澁澤 敬三、1896… 渋沢 敬三(しぶさわ けいぞう、正字体:澁澤 敬三、1896年〈明治29年〉8月25日 - 1963年〈昭和38年〉10月25日)は、日本の実業家、財界人、民俗学者、政治家。第16代日本銀行総裁、第49代大蔵大臣(幣原内閣)。祖父・渋沢栄一から渋沢子爵家当主及び子爵位を引き継いだ。 1896年(明治29年)8月25日、渋沢栄一の長男・篤二と妻・敦子の長男として生まれる(敬三の下に弟が2人がいる)。「敬三」は論語の一節「言忠信にして行篤敬ならば蛮貊()の邦といえども行われん」(衛霊公第十五)より栄一が命名した。敦子の父(母方の祖父)は羽林家の公卿出身の元老院議官を務めた伯爵橋本実梁。 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。
犬養 健(いぬかい たける / いぬがい たけし、1896年… 犬養 健(いぬかい たける / いぬがい たけし、1896年(明治29年)7月28日 - 1960年(昭和35年)8月28日)は、日本の政治家、小説家。法務大臣(第2代・第3代)、衆議院議員(12期)。位階は正三位、勲等は勲一等。内閣総理大臣犬養毅の三男。 学習院初等科、中等科、高等科を経て、東京帝国大学哲学科中退後、白樺派の作家として活動した後に政界入りした。1930年の第17回衆議院議員総選挙に立憲政友会公認で東京2区より立候補し初当選。 1941年にはゾルゲ事件への関与容疑で拘引、警察当局の取り調べを受け起訴されるが無罪となる。 第二次世界大戦中の1942年に翼賛選挙で当選し、1952年に吉田茂首相の引き立てにより法務大臣に就任するが、造船疑獄における自由党幹事長佐藤栄作の収賄容疑での逮捕許諾請求を含めた強制捜査に対し、吉田首相の意向を受けて、重要法案(防衛庁設置法、自衛隊法)の審議中であることを理由に1954年4月21日、指揮権を発動して逮捕の無期限延期と任意捜査に切り替えさせた。
村松 久義(むらまつ ひさよし、1896年7月25日 - 1… 村松 久義(むらまつ ひさよし、1896年7月25日 - 1972年5月12日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)。 宮城県仙台市出身。1923年東京帝国大学独法科、1925年同大学経済科卒。司法官試補、検事代理、名古屋地方裁判所判事を経て、弁護士となる。1932年の第18回衆議院議員総選挙で宮城2区(当時)から立憲民政党公認で立候補して初当選する。民政党解党後は大政翼賛会国民生活動員本部長に就任、翼賛選挙では大政翼賛会の推薦を受けて当選。当選後は翼政会政調厚生委員となった。 戦後、公職追放となり、1951年に追放解除。翌年の第25回衆議院議員総選挙で自由党公認で立候補して当選し、政界に復帰した。
桃井 直美(ももい なおみ、1896年(明治29年)7月10… 桃井 直美(ももい なおみ、1896年(明治29年)7月10日 - 1966年(昭和41年)1月9日)は日本の政治家、内務官僚。官選岐阜県知事、公選高知県知事。旧姓・公文。 高知県長岡郡国比左村比江36番屋敷で、県会議員・公文伊三郎、亀寿の三男として生まれた。粟島航海学校に進み海軍兵学校を目指したが、近視のため断念。同海員学校長の桃井百太郎(?〜1945年11月14日)の養子となる。 その後、京都府第二中学校に編入し、第六高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し福島県属・内務部勤務となる。 その後、福島県警部、岩手県・富山県・三重県各勤務、佐賀県書記官・経済部長、山梨県書記官・警察部長、和歌山県書記官・警察部長、鹿児島県書記官・警察部長、神奈川県書記官・学務部長、愛媛県書記官・総務部長、埼玉県部長・内政部長などを歴任。
木内 四郎(きうち しろう、1896年(明治29年)7月3日… 木内 四郎(きうち しろう、1896年(明治29年)7月3日 - 1988年(昭和63年)8月31日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は正三位。科学技術庁長官(第21、24代)。 長野県下水内郡常盤村(現・飯山市)生まれ。旧制飯山中学(長野県飯山北高等学校)を経て、1920年(大正9年)東京帝国大学法学部を卒業後、大蔵省に入省。理財局属。主計局決算局長、理財局国債課長、主計局長、専売局長官を経て、1946年(昭和21年)幣原内閣の内閣副書記官長となる。同年6月8日には貴族院勅選議員に勅任される。 1947年(昭和22年)第1回参議院議員通常選挙に民主党公認で長野県選挙区から立候補し当選する。炭鉱国管疑獄では、1948年(昭和23年)衆議院不当財産取引調査委員会に証人喚問されている。
有元 史郎(ありもと しろう、1896年(明治29年)6月2… 有元 史郎(ありもと しろう、1896年(明治29年)6月25日 - 1938年(昭和13年)5月30日)は、日本の教育者、政治家。芝浦工業大学創設者。第4代岡山県津山市長(1937年)。広島県尾道市土堂町出身。本姓は菅原氏。諱は頼忠。 広島県尾道市土堂町出身。船具を扱う尾道の名家有元益太郎季久の四男として生まれるが、会社が廃業し3歳のとき、兄2人とともに叔母に引き取られる。14歳のとき、家出同然に兵庫県西宮市の叔父のもとへ向かう。奉公の後、独力で大阪天王寺の桃山中学校に編入、しかし腸チフスに感染し同校退学。一年間兵役に服した後、検定試験で中学を卒業。兄の援助を受け1919年、鹿児島の第七高等学校理科甲類入学。
李 勲求(イ・フング、朝鮮語: 이훈구/李勳求、1896年4… 李 勲求(イ・フング、朝鮮語: 이훈구/李勳求、1896年4月26日または1906年6月6日 - 1961年6月13日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の農業経済学者、農学者、教育者、政治家、実業家、ジャーナリスト。制憲・第5代(参議院)韓国国会議員、檀国大学学長、成均館大学校総長を務めた。 本貫は韓山李氏(朝鮮語版)。号は心堂。キリスト教徒。 忠清南道舒川郡麒山面出身。漢学教育を経て、1920年に水原農林専門学校卒、1924年に東京帝国大学(現・東京大学)農学部農科卒。日本留学中にキリスト教に入信した。公州永明学校教員を2年間務めた後、1927年にカンザス州立大学大学院修了、1929年にウィスコンシン州立大学大学院農業経済学専攻修了(博士)。
泉山 三六(いずみやま さんろく、1896年(明治29年)3… 泉山 三六(いずみやま さんろく、1896年(明治29年)3月30日 – 1981年(昭和56年)7月7日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲二等。衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)、大蔵大臣(第54代)を歴任。ペンネームは泉山間窓。 山形県東田川郡大和村(現庄内町)小出新田出身。豪農・太田直右衛門の三男として生まれる。後に長じてから青森県八戸の資産家泉山家・5代目泉山吉兵衛の養子となる。子供の頃は手に負えない乱暴者だったという。第一高等学校を経て、1921年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。三井銀行に入行する。ここで三井財閥の大物池田成彬の目に留まり、企画部長、帝国銀行秘書役、同行調査役と栄進した。
波多野 鼎(はたの かなえ、1896年(明治29年)3月30… 波多野 鼎(はたの かなえ、1896年(明治29年)3月30日 - 1976年(昭和51年)9月29日)は、日本の経済学者、政治家。参議院議員(1期)。 愛知県生まれ。1917年旧制八高卒業ののち東京帝国大学に入学、新人会で活動した。1920年法学部英法科卒業ののち南満洲鉄道東亜経済調査局に就職し、前期新人会員により結成された社会思想社に参加した。1922年に同志社大学教授となり、その後九州帝国大学教授を務める。経済学博士。 第二次世界大戦後に日本社会党に入党。1947年、第1回参議院議員通常選挙で福岡県選挙区から参議院議員に当選し、同年成立した片山内閣では平野力三が罷免された後に農林大臣に就任。
早川 慎一(早川 愼一、はやかわ しんいち、1896年3月5… 早川 慎一(早川 愼一、はやかわ しんいち、1896年3月5日 - 1969年10月23日)は、日本の鉄道官僚、政治家。参議院議員(2期)。日本通運社長。 東京府出身。東京帝国大学法学部英法学科に入り、1919年、高等試験行政科試験に合格し、翌1920年東京帝国大学を卒業する。同年鉄道省に入り、大宮駅助役となり、鉄道省書記官、鉄道局長などを務め、1938年退官。同年、日本通運に入り、理事を経て、名古屋合同運送社長となる。その後、日本通運社長に就任。1947年の第1回参議院議員通常選挙において全国区から無所属で立候補して当選する。連続2回。後に緑風会に入り、同議員総会副議長、国会内では参議院経済安定、建設の両委員長を歴任する。
永井 直邦(ながい なおくに、1896年〈明治29年〉1月7… 永井 直邦(ながい なおくに、1896年〈明治29年〉1月7日 - 1950年〈昭和25年〉9月10日)は、大正・昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・戸田、旧名・邦光。位階は従三位。 子爵・戸田康泰の五男として生まれ、子爵・永井直諒の養子となる。養父の死去に伴い家督を継承して直邦と改名し、1920年(大正9年)1月6日に子爵を襲爵した。 1921年(大正10年)東京帝国大学文学部を卒業。1923年(大正12年)臨時帝室編修官補に就任。以後、文部省嘱託、東京府主事・社会教育課勤務、理研電具嘱託などを務めた。 1946年(昭和21年)5月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、1947年(昭和21年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
福田 悌夫(ふくだ やすお、1895年(明治28年)12月4… 福田 悌夫(ふくだ やすお、1895年(明治28年)12月4日 - 1966年(昭和41年)8月28日)は、大正から昭和期の地主、農業経営者、著述家、教育者、実業家、政治家。衆議院議員、山口県都濃郡福川町長。 山口県都濃郡福川村(福川町(第1次)、徳山市、福川町(第2次)、南陽町、新南陽市を経て現周南市)で福田秀夫の五男として生まれ、素封家福田民平の養子となる。1920年(大正9年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業した。 農業を営む。著述業にも従事し、雑誌『新思潮』を経営。その後、徳山実業実践学校講師、徳山商業学校教諭を務めた。政治家道源権治の後継者と目され、都濃郡農会長、同教育会長の後任に推薦されて就任。
蠟山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - … 蠟山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - 1980年5月15日)は、日本の政治学者・行政学者・政治家。お茶の水女子大学名誉教授。民主社会主義の提唱者であり、行政学研究の先駆的存在である。 新潟県刈羽郡鵜川村で蝋山政次郎と母寛子(衆議院議員・牧口義方の二女)の長男として生まれる。父は1872年8月に蝋山政右衛門の長男として生まれ、同家8代目の当主であった。祖父政右衛門が群馬県高崎市歌川町で蝋山酒造を経営していたため同地で育つ。父は上州銀行や上州信託、高崎倉庫株式会社の取締役をはじめ、上州電気鉄道株式会社の監査役を務めるなど群馬県経済界の重鎮であった。 1913年3月に県立高崎中学校、1917年7月に第一高等学校を卒業し、東京帝国大学法学部政治学科に進学。
蝋山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - … 蝋山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - 1980年5月15日)は、日本の政治学者・行政学者、政治家、お茶の水女子大学名誉教授。民主社会主義の提唱者であり、行政学研究の先駆的存在である。
伊集院 兼高(いじゅういん かねたか、1895年(明治28年… 伊集院 兼高(いじゅういん かねたか、1895年(明治28年)9月15日 - 1971年(昭和46年)7月29日)は、大正から昭和期の薬学者、政治家、華族。貴族院子爵議員。 華族・伊集院兼知の二男として生まれる。父の隠居に伴い、1939年(昭和14年)10月2日に子爵を襲爵した。 1920年(大正9年)東京帝国大学理学部植物学科を卒業。さらに、1923年(大正12年)同大学医学部薬学科を卒業した。 1923年、私立東京商工学校講師に就任。以後、日本医学専門学校教授、日本医科大学予科教授兼同大学生徒主事、日本軽合金工業監査役などを務めた。 1942年(昭和17年)6月5日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
桑原 幹根(くわはら みきね、1895年 <明治28年> 8… 桑原 幹根(くわはら みきね、1895年 <明治28年> 8月29日 - 1991年 <平成3年> 4月11日)は、日本の政治家、内務官僚。1946年に官選愛知県知事に任じられ、公職追放された後、公選で当選し、同知事を6期24年にわたって務めた。1987年愛知県名誉県民。勲一等旭日大綬章受章。位階は正三位。 山梨県南都留郡明見村(後に明見町を経て、現・富士吉田市)で養蚕農家の七男として生まれた。兄は大審院判事を務めた桑原龍興。山梨県第一中学校都留分校(現・山梨県立都留高等学校)、旧制第一高等学校から東京帝國大学(現・東京大学)法学部を経て、内務省に入省。1935年、福島県書記官・経済部長、同年に内閣東北振興事務局書記官に就任。
栗栖 赳夫(くるす たけお、1895年(明治28年)7月21… 栗栖 赳夫(くるす たけお、1895年(明治28年)7月21日 – 1966年(昭和41年)5月10日)は、昭和期の政治家・銀行家・法学者。日本興業銀行総裁・大蔵大臣・経済安定本部総務長官などを歴任。 現在の山口県岩国市に生まれる。第六高校を経て、1921年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、日本興業銀行へ入行する。証券部長、総務部長などを経て戦後の1945年に理事に昇格、1947年には総裁まで昇りつめた。学究肌で著作も多く中央大学教授も務めた。1933年に「担保附社債信託ニ関スル研究」で同大学より法学博士号を授与されている。一方1946年6月19日には貴族院議員に勅選され、同和会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
打出 信行(うちで のぶゆき、1895年(明治28年)7月1… 打出 信行(うちで のぶゆき、1895年(明治28年)7月12日 - 1963年(昭和38年)6月25日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員、熊本県議会議員、熊本市議会議員を歴任した。 熊本県出身。第五高等学校から東京帝国大学法学部に学び、弁護士資格を取得。弁護士活動の傍ら立憲民政党から熊本県議・熊本市議となり、民政党県支部政調副会長を務めた。 1946年の総選挙で進歩党から衆議院議員に立候補するも次々点、翌1947年の総選挙で熊本県第一区から民主党公認で出馬して初当選し衆議院議員を一期務める。落選後は熊本市議に返り咲き、1954年に熊本県弁護士会長となり1959年6月〜1961年3月に熊本市議会議長を務めた。
南条 徳男(南條 德男、なんじょう とくお、1895年7月7… 南条 徳男(南條 德男、なんじょう とくお、1895年7月7日 - 1974年11月1日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(11期)、建設大臣・農林大臣。大東文化大学の理事長・学長も務めた。 北海道胆振支庁室蘭村(現・室蘭市)生まれ。仙台の東北中学校(現・東北高等学校)、第二高等学校を経て、1920年に東京帝国大学法学部独法科を卒業。弁護士となる。東大では岸信介と同期だった。学生時代から日本の人口・食糧問題に関心を持ち、自身の「ブラジルへの100万人移住」構想を実現すべく、立憲政友会に入党する。また当時総裁だった原敬に面会し、移民政策について意見を述べたことがある。1923年には立憲政友会法曹団を結成し幹事長となる。
2代 二田 是儀(ふただ これのり、1895年7月4日 - … 2代 二田 是儀(ふただ これのり、1895年7月4日 - 1979年1月31日)は、日本の政治家。衆議院議員、秋田県天王町長。工藤八之助の子、二田是儀 (初代)の娘婿。 山形県西村山郡高松村(現・寒河江市)で、工藤八之助の三男として生まれる。旧名・工藤亮吉。1921年東京帝国大学文学部印度哲学科卒。翌年二田家に入籍する。天王村(現・潟上市)長、秋田県議を経て、1942年の翼賛選挙では秋田1区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選した。 戦後、推薦議員のため、公職追放となる。1951年に追放解除。追放解除後は再び天王村長となり、同村は在任中の1961年に町制施行。1965年まで務めた。
鈴木 東民(すずき とうみん、1895年〈明治28年〉6月2… 鈴木 東民(すずき とうみん、1895年〈明治28年〉6月25日 - 1979年〈昭和54年〉12月14日)は、日本のジャーナリスト、労働運動家、政治家。岩手県出身。第2次世界大戦前にベルリン特派員であった時はナチスを批判して国外退去させられ、帰国後は戦争を批判して軍部から執筆禁止処分を受け、敗戦後は読売新聞労働組合の委員長として読売争議を闘ったがGHQの命令により解雇された。釜石市長となってからは釜石製鉄所の公害を規制して闘った。 1895年6月25日、釜石市唐丹町川目で生まれる。旧制遠野中学校を経て、1920年に第二高等学校を卒業後、東京帝国大学経済学部に進み、卒業する。1920年初冬、東大赤門前にあった文信社という謄写版印刷屋で、宗教上の対立で実家から家出同然に上京していた宮沢賢治と知り合う 。
小村 捷治(こむら しょうじ、1895年〈明治28年〉5月1… 小村 捷治(こむら しょうじ、1895年〈明治28年〉5月15日 - 1972年〈昭和47年〉2月9日)は、大正から昭和期の教育者、政治家、華族。貴族院侯爵議員。 外交官・小村壽太郎、マチ夫妻の二男として生まれる。兄小村欣一が死去して3年後の1934年(昭和9年)1月15日、侯爵を襲爵して貴族院侯爵議員に就任。火曜会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。 東京帝国大学文学部を修了。財団法人国士舘講師、東京朝日新聞記者、大阪朝日新聞記者などを務めた。1938年(昭和13年)以降、司法制度調査委員会委員、内閣委員、経済関係罰則調査会委員などを歴任。 戦後は外務省研修所講師、明治大学講師を務めた。
夏堀 悌二郎(なつぼり ていじろう、1895年(明治28年)… 夏堀 悌二郎(なつぼり ていじろう、1895年(明治28年)4月29日 - 1967年(昭和42年)12月2日)は、日本の政治家。青森県八戸市の6代目~7代目市長。 青森県三戸郡地引村(現在の南部町)生まれ。東京帝国大学法科大学独法科を卒業した。1920年(大正9年)、判事として前橋、東京、釧路の裁判所に勤務した。小樽地方裁判所判事となり、退官。小樽市で弁護士を開業し、1928年(昭和3年)から1936年(昭和11年)まで2期北海道会議員を務めた。 夏堀源三郎の要請で帰郷し、1943年(昭和18年)八戸で弁護士を開業、1946年(昭和21年)には、自由党から出馬し、八戸市初の公選市長となった。 山内亮の市長辞任により、当時の市議会議長であった鈴木惣吉より「今日の社会情勢から市会で決定することについては無理があるため、世論を尊重する公選としたい」との提案があり、議員全員がこれに賛成し、市長公選が実現した。
田村 秀吉(たむら ひできち、1895年(明治28年)4月2… 田村 秀吉(たむら ひできち、1895年(明治28年)4月25日 - 1955年(昭和30年)10月9日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)、大蔵参与官。弁護士。 徳島県那賀郡新野村(現在の阿南市)出身。1923年(大正12年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等文官試験行政科・司法科に合格した。内務省に入り、青森県や復興局に勤務した。その後、東京帝国大学大学院で学び、政策研究会(のち大東亜研究所)を創設。1933年(昭和8年)から弁護士を開業した。 1936年(昭和11年)、第19回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第20回、第21回でも再選された。その間、小磯内閣で大蔵参与官を務めた。戦後の1946年(昭和21年)、大政翼賛会の推薦議員のため公職追放となった。
船田 中(ふなだ なか、1895年〈明治28年〉4月24日 … 船田 中(ふなだ なか、1895年〈明治28年〉4月24日 - 1979年〈昭和54年〉4月12日)は、日本の政治家。位階は従二位勲一等、勲章は旭日桐花大綬章。衆議院議員(当選15回)。第51代・56代衆議院議長、自由民主党副総裁等を歴任。 政治家一家として知られた「船田三兄弟」の長兄。衆議院議員で行政管理庁長官をつとめた船田享二は長弟、衆議院議員で運輸大臣や自治大臣などを歴任した藤枝泉介は次弟にあたる。澄夫人は第24代衆議院議長元田肇の五女。参議院議員や栃木県知事をつとめた船田譲は長男で、その長男(孫)の船田元も衆議院議員、その2度目の妻(孫嫁)の畑恵も参議院議員をつめとている。 なお名の「中」は「なか」が正しい読みで、「あたる」は誤読である。
三浦 一雄(みうら くにお、1895年4月22日 - 196… 三浦 一雄(みうら くにお、1895年4月22日 - 1963年1月30日)は、日本の官僚、政治家。青森県三戸郡五戸町出身。位階は正三位。勲一等瑞宝章。父は五戸町長や青森県議会議員を務めた三浦道太郎。また、祖父の三浦泉八は十和田湖畔・宇樽部の開拓者として知られる。 1895年(明治28年)、青森県三戸郡五戸町に生まれる。仙台の第二高等学校から東京帝国大学へ進学し、在学中に上杉慎吉を中心に東大に組織された全日本興国同志会に入会。同大学を卒業後、農商務省入省。同期に岸信介ら。 1925年(大正14年)に農商務省が商工省・農林省(現 農林水産省)へと分割されると農林省へ転籍し、農山漁村経済更生運動に深く関わり一時期企画院に出向した後に農林次官を最後に農林省を退官。
鶴見 憲(つるみ けん、1895年〈明治28年〉4月7日 -… 鶴見 憲(つるみ けん、1895年〈明治28年〉4月7日 - 1984年〈昭和59年〉8月18日)は、日本の外交官、政治家。太平洋戦争開戦前の1940年11月から在シンガポール日本総領事を務め、宣伝工作・民族工作を積極的に推進したことで知られる。日本占領時期にはマラッカ州長官を務めた。熱海市長。 1895年4月7日、群馬県多野郡新町(現・高崎市新町)で、官営・新町紡績所の工場長をしていた父・良憲と、母・琴子の7男(10人きょうだいの末子)として生まれる。 一家は1895年9月に東京・赤坂、1896年1月に父の郷里・岡山、1899年夏に名古屋へ転居。1900年4月、鶴見が5歳のときに母・琴子が病死。
金 俊淵(キム・ジュニョン、朝鮮語: 김준연、1895年3月… 金 俊淵(キム・ジュニョン、朝鮮語: 김준연、1895年3月14日 - 1971年12月31日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、ジャーナリスト、政治家。第4代法務部長官、第8代無任所長官、制憲・第3・4・5・6代韓国国会議員を歴任した。韓国建国後はさまざまな野党の幹部を務めた。 本貫は金海金氏。号は朗山。画家の金子玉は長女、女医の金子香(朝鮮語版)は次女。元全南大学校医科大学長の曺圭瓚(朝鮮語版)は長女の夫、法曹の金洪燮(朝鮮語版)は三女の夫。 全羅南道霊岩郡出身。9人きょうだいの長男である。霊岩普通学校卒、京城公立高等普通学校卒、岡山第六高等学校卒、1920年または1921年東京帝国大学(現・東京大学)法学部独法科卒。
駒井 重次(こまい じゅうじ / しげつぐ、1895年(明治… 駒井 重次(こまい じゅうじ / しげつぐ、1895年(明治28年)2月23日 - 1973年(昭和48年)11月12日)は、日本の大蔵官僚、税理士、公認会計士、政治家。立憲民政党衆議院議員(4期)。 東京市に駒井重格の三男として生まれる。東京高等師範学校附属中学校(現筑波大学附属中学校・高等学校)から第四高等学校を経て、1920年東京帝国大学経済学部商科卒。大蔵省に入り、前橋、亀戸、神田橋各税務署長、銀行検査官などを務め、1932年に退官。同年の第18回衆議院議員総選挙で初当選し、以来4回当選した。戦後、公職追放となり、追放解除後の1952年と1953年の総選挙で改進党公認で東京1区から立候補したが、いずれも落選した。
小坂 武雄(こさか たけお、1895年(明治28年)1月23… 小坂 武雄(こさか たけお、1895年(明治28年)1月23日 - 1971年(昭和46年)10月26日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。小坂財閥小坂善之助の子。 1895年、長野県長野市で小坂善之助の息子として生まれる。東京帝国大学法学部卒業後、1924年に兄・小坂順造の経営する信濃毎日新聞社に入社する。1942年に同社社長に就任し、同年の衆議院選挙に翼賛政治体制協議会の推薦で長野県第1区から出馬して当選した(所属は翼賛政治会→大日本政治会→日本進歩党)。戦後、公職追放により社長を辞任するが、1953年に公職追放解除により再び社長に就任、積極経営で同社を発展させた。その後は長野商工会議所会頭などを歴任する。
重政 庸徳(しげまさ ようとく、1895年1月15日 - 1… 重政 庸徳(しげまさ ようとく、1895年1月15日 - 1977年9月28日)は日本の政治家。元参議院副議長。衆議院議員の重政誠之は弟。正三位勲一等。 広島県深安郡神辺町出身。広島県立福山中学(現広島県立福山誠之館高等学校)から第五高等学校を経て東京帝国大学農学部卒業後、1923年農林省入省。岡山農地事務局長などを歴任した後1953年第3回参議院議員通常選挙で初当選。1962年に参議院副議長に就任。1967年、副議長在任時に重政の秘書が参議院副議長室を舞台に、暴力団幹部に対し拳銃を不法売買したという「国会内短銃密売事件」で逮捕されたため、2月2日に参議院本会議で議員辞職勧告決議が上程される。決議は否決されたが、重政は本会議場で自民党籍の離を脱し登院を控え謹慎することを表明し、謹慎は77日間になった。