溝口 文雄(みぞぐち ふみお、1941年7月15日 - 20… 溝口 文雄(みぞぐち ふみお、1941年7月15日 - 2023年1月31日)は、日本の工学者・起業家。東京理科大学名誉教授、工学博士。専門は人工知能、認知科学およびソフトウェア工学。 2008年(平成20年)3月21日より株式会社ウィズダムテック代表 (CEO)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
浅川嘉富(あさかわ よしとみ、1941年 - )は、日本のオ… 浅川嘉富(あさかわ よしとみ、1941年 - )は、日本のオカルト研究家。1965年東京理科大学理学部卒業。1999年大手損害保険会社専務取締役を退任、地球・先史文明研究家に転身。ライフワークとして、中南米などの古代遺跡や辺境の地を調査し、独自の理論を展開している。山梨県出身。特定非営利活動法人自然のめぐみ教室 地球・先史文明研究会 浅川プロジェクト室長 主な活動は以下のとおり。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
塚本 桓世(つかもと たけよ、1941年(昭和16年) - … 塚本 桓世(つかもと たけよ、1941年(昭和16年) - 2023年8月13日)は、教育者・物理学者。東京都出身。東京理科大学第6代理事長。山口東京理科大学第4代学長。
馬場 錬成(ばば れんせい、1940年11月9日 - )は、… 馬場 錬成(ばば れんせい、1940年11月9日 - )は、科学ジャーナリスト。 元読売新聞論説委員、元東京理科大学専門職大学院総合科学技術経営研究科教授。認定NPO法人21世紀構想研究会理事長。読売新聞社社友、東京都出身。 東京理科大学理学部卒業。読売新聞社で社会部、科学部、解説部記者などを務め、2000年まで論説委員。 記者時代には、東京都と神奈川県の間を流れる多摩川でのカムバックサーモン運動の起ち上げで中心的な役割を果たした。1979年、テムズ川に鮭を呼び戻すことを目標に掲げて川の浄化運動をしていることを書いたイギリスの新聞記事に接して、馬場は、東京でも似たことができないかと考えた。馬場は専門家や地方自治体の関係者に相談して、1981年2月に支流野川での試験放流にこぎつけた。
森戸 祐幸(もりと ゆうこう、1940年5月29日 - 20… 森戸 祐幸(もりと ゆうこう、1940年5月29日 - 2020年11月20日)は、日本の実業家。モリテックスの創業者。学位は、博士(工学)(東京理科大学・論文博士・2003年)。東京理科大学名誉博士。 1940年、栃木県塩谷郡泉村(現・矢板市)の造り酒屋に生まれる。泉中学校2年の頃に父が他界。栃木県立矢板高等学校を経て東京理科大学理学部応用物理学科に入学。医師を志し、東北大学医学部を受験したが1年浪人しても合格することはなく理科大は滑り止めだったという。卒業後は、1964年に丸紅飯田(現・丸紅)に入社。1968年からは海外出張を経験し、当時の日本では知られていなかった光ファイバーの普及に努めた。
三宅 俊彦(みやけ としひこ、1940年4月 - )は、日本… 三宅 俊彦(みやけ としひこ、1940年4月 - )は、日本の鉄道研究家である。 東京府東京市杉並区荻窪出身。父は逓信省電気試験所の技師。戦時中、母の実家のある岡山市に疎開し、終戦になると埼玉県大宮市に転居。大宮市立日進小学校に入学し、4年次に杉並区に転居し杉並区立桃井第一小学校に転入。1953年、杉並区立神明中学校に入学。日本交通公社発行の『時刻表』(1953年11月号)を見たことをきっかけに鉄道に興味を持つ。この年は三宅にとっての鉄道元年と振り返っている。日本大学第二高等学校へ進学し、1960年には東京理科大学理学部に入学。卒業後は、1964年に日本通信工業(現・NECプラットフォームズ)に入社。
市川 憲和(いちかわ のりかず、1940年1月2日 - 20… 市川 憲和(いちかわ のりかず、1940年1月2日 - 2021年11月21日)は、日本の実業家、情報技術者。株式会社デジタル・インフォメーション・テクノロジー創業者・名誉会長。 愛媛県大洲市出身。1968年東京理科大学理学部二部数学科卒業後、日本電信電話公社入社。プログラマーの資格を取得し、1976年データ通信システム(のちのDTS)入社。1996年東洋インフォネットを設立し、同社代表取締役社長に就任。2002年東洋アイティーホールディングスを設立し、同社代表取締役社長に就任。2006年にはデジタル・インフォメーション・テクノロジーへ社名を変更し、2015年には東京証券取引所JASDAQに上場させ、2017年に東京証券取引所一部への市場変更を果たした。
柳川 昌弘(やながわ まさひろ、1939年12月9日 - )… 柳川 昌弘(やながわ まさひろ、1939年12月9日 - )は、日本の空手家。東京都出身。和道流空手道八段。全日本空手道連盟和道会柳川道場支部長。日本伝・二聖二天流柔術憲法創始者[要出典]。 幼少期は身体障害をかかえていたが、徹底的な鍛錬によって達人と呼ばれる程の境地にまで上り詰めた異色の武道家として知られる[要出典]。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
鈴木 隆雄(すずき たかお、1939年3月12日 - )は、… 鈴木 隆雄(すずき たかお、1939年3月12日 - )は、元警察庁科学警察研究所副所長。警察庁による声紋鑑定導入の初期から携わっていた技官であり、日本における声紋研究の先駆者。科捜研の女(テレビドラマ・テレビ朝日)の監修を務めた。 神奈川県立希望ヶ丘高等学校を経て、1961年3月、東京理科大学理学部(物理学)卒業。1961年4月、警察庁に技官として入庁、科学警察研究所科学捜査部物理研究室に配属。1968年2月~10月、オーストラリア政府給費留学生として、オーストラリア原子力研究所に留学。1971年4月1日、同所法科学第二部音声研究室。1973年4月1日、同部主任研究官。1980年9月 - 1981年9月、フランス政府給費留学生として、マルセイユ大学およびフランス郵政省通信研究所に留学。
平松 雄一(ひらまつ ゆういち、1939年 - )は、日本の… 平松 雄一(ひらまつ ゆういち、1939年 - )は、日本のシステムエンジニア。ICカード発明者有村國孝と出会い、日本でのICカード市場開発や環境整備などを進めた。日本ICカードシステム利用促進協議会代表理事、日本資金決済業協会副会長等を歴任。 北海道生まれ。1962年東京理科大学理学部数学科卒業後、FACOM201でプログラミングに興味を持ったことから、沖電気工業に入社し、コンピュータ部門へ配属された。システムエンジニアとして、金融システムの開発などを担った。1980年にICカード発明者の有村國孝と出会い、1990年からはICカード市場の開発等の新規事業を進めた。2000年には電子商取引安全技術研究組合を設立。
佐藤 健一(さとう けんいち、1938年 - )は、日本の数… 佐藤 健一(さとう けんいち、1938年 - )は、日本の数学史研究者。数学教師をしながら近世寺子屋の数学教育を研究。明治大学付属中野八王子高等学校教頭。東京理科大学非常勤講師、日本数学史学会会長、和算研究所理事長、NPO法人和算を普及する会代表。 1938年、満洲国新京市(現・中華人民共和国長春市)に生まれる。1944年秋に朝鮮の釜山から引き揚げ、東京都立川市に移住。1945年、東京都立曙国民学校(現・立川市立第二小学校)に入学するが空襲警報が鳴り止まないため入学式の翌日から一日も学校へ行くことが出来ず、5月から父の実家がある山形県東置賜郡高畠町に疎開。高畠町立屋代小学校に入学。戦後、父は軍人であったことから公職追放され宮城県刈田郡七ヶ宿村で開墾団を結成して働く。
田辺敏雄(たなべとしお 1938年-)は日本の歴史研究家。 … 田辺敏雄(たなべとしお 1938年-)は日本の歴史研究家。 昭和13年(1938年)東京で生まれる。東京理科大学物理学科中退、日本IBM、会社業務研究所などに勤務、昭和50年(1975年)に独立し経営コンサルタント。1986年から日中戦争や平頂山事件についての取材・研究を行う。 1986年、義父が戦前、満洲・撫順で起きた住民虐殺事件、平頂山事件に関係し、首謀者とみられていることを知ったことから、元兵士をはじめ日本側関係者に取材した。1988年『追跡平頂山事件』を出版。 1990年、朝日新聞・本多勝一の『中国の旅』に掲載された万人坑の記事について、日本側関係者に取材、『正論』誌上で記事は誤報として批判し本多と論争となった。
小板橋 徹(こいたばし とおる、1937年8月15日 - )… 小板橋 徹(こいたばし とおる、1937年8月15日 - )は、日本の登山家。群馬県安中市出身。日本山岳ガイド協会、日本山岳会の会員。 群馬県立高崎工業高等学校電気通信科から東京理科大学数学科に進学し、卒業。1958年2月、後にエベレスト遠征隊を送る有名山岳会である第2次RCCの設立に際して同人として参加。1963年 結婚し「泰磨 徹」に改名。 1970年11月 全日本アーチェリー選手権大会出場
神沼 克伊(かみぬま かつただ、1937年6月1日 - )は… 神沼 克伊(かみぬま かつただ、1937年6月1日 - )は、日本の固体地球物理学者、極地研究家。国立極地研究所ならびに総合研究大学院大学名誉教授。地震、火山、ならびに極地研究の第一人者として活躍。 神奈川県川崎市生まれ。神奈川県立湘南高等学校卒業。東京理科大学理学部物理学科卒業。東京大学大学院理学研究科博士課程修了後、東京大学地震研究所に入所し、地震や火山噴火予知の研究に携わる。地震被災地や火山に赴いての指導や執筆活動等で活躍。
木塚 晴夫(きづか はるお、1936年3月26日 - )は、… 木塚 晴夫(きづか はるお、1936年3月26日 - )は、日本の英語教育者。東京理科大学名誉教授。 東京出身。東京都立富士高等学校卒業後、渡米。カリフォルニア大学バークレー校卒業。政治(国際関係)を専攻した。帰国後、NHK国際局にて英語ニュース解説者、その後東京理科大学助教授、教授。2002年退職し、名誉教授となる。日本時事英語学会理事などを歴任した。
大森 暁美(おおもり あけみ、1936年〈昭和11年〉1月8… 大森 暁美(おおもり あけみ、1936年〈昭和11年〉1月8日 - )は、日本の女優である。本名:椎名 暁美。宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。身長160cm、血液型はB型。特技はジャズダンス。東京理科大学名誉教授の大森英樹は実弟。作家の大森黎は実姉。 短大生だった19歳の時にスカウトされて日活に入社する。 テレビドラマ初出演は1957年である。 翌年から始まった『バス通り裏』にレギュラー陣の1人として出演する(十朱幸代や岩下志麻らを世に出した人気ドラマだった)。番組が終了すると活動の中心を舞台へ移し、子ども向けミュージカルで歌って踊り、1年に200本もの舞台をこなしていたという。 私生活では28歳で結婚、30代半ばで劇団を辞めて一時休業(子供はいない)。
大村 智(おおむら さとし、1935年(昭和10年)7月12… 大村 智(おおむら さとし、1935年(昭和10年)7月12日 - )は、日本の化学者(天然物化学)。北里大学特別栄誉教授、東京理科大学特別栄誉博士、薬学博士(東京大学)、理学博士(東京理科大学)。2015年ノーベル生理学・医学賞受賞。 土壌に生息する微生物がつくる化学物質の中から役に立つものを探し出す研究を45年以上行い、微生物の大規模な培養や有機化合物の特性評価を行う独自の方法を確立した。これまでに大村の研究グループは微生物が作る500近い新しい化合物を発見し、そのうち20種以上が医薬、動物薬、農薬、研究用の試薬として実用化されている。1974年、静岡県の土壌から新種の放線菌を発見し、この放線菌が作り出す成分を元に米製薬メルクがアベルメクチンとその化合物イベルメクチンを開発した。
小川 清彦(おがわ きよひこ、1934年 - )は、日本の教… 小川 清彦(おがわ きよひこ、1934年 - )は、日本の教育学者。奈良教育大学名誉教授。東大阪大学学長。
常盤 文克(ときわ ふみかつ、1933年11月13日 - )… 常盤 文克(ときわ ふみかつ、1933年11月13日 - )は、日本の実業家。元花王会長。理学博士(大阪大学)。福島県出身。福島県立双葉高等学校、東京理科大学理学部卒業。
國岡 昭夫(くにおか あきお、1931年 - 2023年9月… 國岡 昭夫(くにおか あきお、1931年 - 2023年9月3日)は、日本の電気工学者。第13代青山学院大学学長、第2代日本私立学校振興・共済事業団理事長、第4代学校法人横須賀学院理事長、第15代学校法人大東文化学園理事長などを歴任した。 1954年東京理科大学理学部物理学科卒業。その後物理学から半導体研究に転じて、酒井善雄東京工業大学教授に師事し、1968年には東京工業大学で工学博士の学位を取得した。 サザン・メソジスト大学特別研究員、ロンドン大学客員研究員、青山学院大学理工学部電気電子工学科教授を経て、1995年から99年まで第13代青山学院大学学長。 また、光起電力素子の研究を行い、電気学会調査専門委員会委員長、電気学会技術委員会委員長、電気学会E部門副部門長を歴任。
河原 郁夫(かわはら いくお、1930年12月20日 - 2… 河原 郁夫(かわはら いくお、1930年12月20日 - 2021年3月21日)は、日本のプラネタリウム解説者(プラネタリウム弁士、星空案内人)、天文家。天文博物館五島プラネタリウムの初代解説員のひとり。1957年から2021年まで64年間にわたってプラネタリウム解説の現場に身を置き、後進に大きな影響を与えた。 東京府東京市蒲田町(現在の東京都大田区東蒲田)に育つ。1940年、東京初(日本で2番目)のプラネタリウムであった東日天文館(のちに毎日天文館と改称)に足を運び、大いに感銘を受ける(9歳)。当初は父にせがんで連れていってもらっていたが、まもなく単身で通うようになる。 初めて接したプラネタリウム解説で覚えたオリオン座を実際に観ようと考えた河原は、深夜に起き出して自宅2階の物干し場で待ちかまえていたという。
太田 龍(太田 竜、おおた りゅう、1930年8月16日 -… 太田 龍(太田 竜、おおた りゅう、1930年8月16日 - 2009年5月19日)は、日本の革命思想家である。
蒲田春樹(かまた はるき、1929年4月29日ー2017年)… 蒲田春樹(かまた はるき、1929年4月29日ー2017年)は、日本の経営コンサルタント。 1950年東京物理学校卒、1952年同志社大学卒。技術士。京都大学に学び、1955年産業能率研究所に勤務、1963年にR&D経営センターを設立。
駒宮 功額(こまみやこうがく、1929年-2007年)は日本… 駒宮 功額(こまみやこうがく、1929年-2007年)は日本の防災研究者。 東京都千代田区神田に生まれる。東京理科大学卒業の後、労働省産業安全研究所入所。技官として勤務し、爆発や過剰酸素火災など化学的災害、廃棄物焼却処理等について研究を行う。1996年~97年にかけては、韓国ソウル市立大学客員教授に着任。その後、特定非営利活動法人災害情報センターの理事を務め、災害データベースの整備を手がけた 。また、防災都市計画研究所災害情報研究部顧問 早稲田大学理工学総合研究センターの職を兼務した。2007年11月、死去する。
山咲 真由美(やまさき まゆみ、1929年- )は、日本の哲… 山咲 真由美(やまさき まゆみ、1929年- )は、日本の哲学者。専門は分析哲学、記号論理学。文学博士。元大学教授の女装家として知られる。 1929年、東京都杉並区に生まれ、父の転勤により8歳から大阪や福岡で育つ。1949年に上京して、東京理科大学へ入学、数学科を卒業。早稲田大学と法政大学の大学院で哲学を専攻した。 1961年に大学講師(専任)、1968年に文学博士の学位を取得。1971年に法政大学へ移って教授となる。1973年までに欧米の国際的研究誌に数編の論文を発表した。科学哲学界の理事、編集委員長などもつとめた。 バブル経済下に株式投資と土地の売却で財産を築き、定年を待たずして1990年に20年勤務した法政大学を退職。
雨倉 孝之(あめくら こうじ、1928年11月3日 - 20… 雨倉 孝之(あめくら こうじ、1928年11月3日 - 2015年7月16日)は、日本の海軍史家・海事史家。海軍史・海事史、特に海軍制度史に詳しい。 東京府(現東京都)出身。1945年4月高等商船学校東京分校(機関科)に入校し、あわせて海軍機関術予備練習生を命ぜられるも、同年8月終戦により退校。同時に予備練習生も被免となる。 戦後は東京理科大学理学部卒業後、日本国有鉄道に勤務し、1984年退職。
大竹 三郎(おおたけ さぶろう、1928年10月31日 - … 大竹 三郎(おおたけ さぶろう、1928年10月31日 - )は、日本の化学者、科学読物作家。湘南工科大学名誉教授。 神奈川県藤沢市出身。1949年東京物理学校(のち東京理科大学)理化学科卒。神奈川県公立学校教員をへて、1965年相模工業大学講師、1975年教授、1977年副学長、理事。校名変更で湘南工科大学名誉教授。 1975年『黒つちがもえた』でサンケイ児童出版文化賞、1982年『ふしぎないろみず』で日本科学読物賞受賞。
矢島 信男(やじま のぶお、1928年〈昭和3年〉7月24日… 矢島 信男(やじま のぶお、1928年〈昭和3年〉7月24日 - 2019年〈令和元年〉11月28日)は、日本の特撮監督。埼玉県大宮市(現:さいたま市)出身。特撮研究所創業者。 幼少期から映画を愛好し、ジョン・フォード監督の『ハリケーン』(1937年)を観たことから特殊技術にも興味を持ち始め、中学生のころには映画を作ることを志していた。 1949年(昭和24年)に東京物理学校(現:東京理科大学)理化学科を中退し、松竹へと入社。大船撮影所に配属される。新入当時は編集から現像、直営館(浅草松竹)の窓口で切符のモギリに到るまで興行の流れを一通り体験したことが、後々のコスト感覚に優れた演出への貴重な礎となっていく。
碓田 のぼる(うすだ のぼる、1928年2月5日 - )は、… 碓田 のぼる(うすだ のぼる、1928年2月5日 - )は、歌人、教育運動家。長野県生まれ。本名・登(教育関係の著作には本名を用いる)。 17歳で国鉄長野工場の見習工となり、夜間中学を経て東京物理学校(現・東京理科大学)を卒業。高校教諭を経て、全国私教連委員長、全教副議長などを歴任。渡辺順三に師事。新日本歌人協会全国幹事、日本民主主義文学会員、国際啄木学会会員。歌集『花どき』で多喜二・百合子賞受賞。左翼的な立場から短歌、石川啄木についての文芸評論を行う。 日本共産党の党員でもあり、1992年・1995年の参院選に比例区から出馬した。
小島 保彦(こじま やすひこ、1928年 - )は日本のウイ… 小島 保彦(こじま やすひこ、1928年 - )は日本のウイルス学者、NPO法人インターフェロン・ハーブ研究所所長、インターフェロン発見者の一人。 東京理科大学理学部化学科卒。東京大学伝染病研究所第一ウイルス研究部に所属。1964年、東京大学大学院生物系で医学博士号を取得。1967年、北里研究所研究部に所属。1981年、同研究部部長・人事部長兼務。1988年、山之内製薬健康科学研究所常任顧問。現在は、NPO法人インターフェロン・ハーブ研究所所長、日本インターフェロン・サイトカイン学会名誉会員。文部科学省の発表した「20世紀における科学技術の足跡」にて、各ノーベル賞受賞内容などと共に功績を称えられている。
横地 光明(よこち みつあき、1927年(昭和2年)7月4日… 横地 光明(よこち みつあき、1927年(昭和2年)7月4日 - 2018年(平成30年)7月7日)は、元陸上自衛官。軍事評論家。 栃木県出身。陸軍航空士官学校第60期(同期に森繁弘 第16代統合幕僚会議議長、中村守雄 第19代陸上幕僚長)修業。戦後は東京理科大学を経て陸上自衛隊の前身である警察予備隊に入隊。 退官後は旭化成工業顧問、日本世界戦略フォーラム副理事長、全国防衛協会連合会常任理事、同相談役などを務める。 また、2011年11月から2013年4月まで月刊軍事誌『軍事研究』において「最後の士官候補生」と題した自身の回顧録を執筆。 『自衛隊創設の苦悩 その実相と宿痾 警察から生まれた軍隊でない武装集団 警察予備隊・保安隊・自衛隊』
菅井 幸雄(すがい ゆきお、1927年2月13日 - 201… 菅井 幸雄(すがい ゆきお、1927年2月13日 - 2011年9月20日)は、日本の演劇評論家。明治大学名誉教授。専門は、演劇評論・日本演劇史。 東京府生まれ。東京物理学校(現・東京理科大学)を経て、1951年明治大学文学部演劇学専攻卒業。明治大学在学中から木下順二に師事。 1954年明治大学助手、講師、助教授、1970年教授。1997年定年、名誉教授。1984年『演劇創造の系譜』で日本演劇学会河竹賞受賞。2006年4月瑞宝中綬章受章。 2011年9月20日、前立腺癌のため静岡県熱海市の病院で死去。84歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
玉田 泰太郎(たまだ やすたろう、1927年1月10日 - … 玉田 泰太郎(たまだ やすたろう、1927年1月10日 - 2002年)は、日本の著作家、小学校理科教師。 愛媛県出身。東京理科大学数学科卒。渋谷区立長谷戸小学校など公立小学校の教員。科学教育研究協議会会員。
後藤 道夫(ごとう みちお、1927年(昭和2年) - 20… 後藤 道夫(ごとう みちお、1927年(昭和2年) - 2017年12月22日)は、日本の科学ジャーナリスト・サイエンスプロデューサー、科学教育研究家。平成記念かざこし子どもの森公園初代公園長、飯田市少年少女発明クラブ会長、東京の科学実験グループ「ガリレオ工房」名誉会員。 長野県飯田市生まれ。東京理科大学理学部物理学科卒業。工学院大学附属高等学校で教諭を、工学院大学、東京都立大学 (1949-2011)、上智大学、明治大学などで講師を務める。 1992年に「青少年のための科学の祭典」を設立。科学技術館を中心とし、日本各地の80都市で行った。第1~4回、9回の全国大会実行委員長を務めた。 現在はサイエンスプロデューサーとして、各地で「親子科学教室」など開催するほか、飯田市科学教育ボランティアグループ「おもしろ科学工房」(平成13度組織化)スタッフとともに市内および下伊那郡内の小・中学校を対象に「巡回科学実験教室」(平成11年度スタート)を開設している。
成島 東一郎(なるしま とういちろう、1925年〈大正14年… 成島 東一郎(なるしま とういちろう、1925年〈大正14年〉11月19日 - 1993年〈平成5年〉10月8日)は、日本の撮影監督、映画監督・脚本家。 東京都出身。東京物理学校卒(現在の東京理科大学)。 1947年松竹大船撮影所撮影部に入社、木下惠介、楠田浩之に師事し、日本初のカラー映画1951年『カルメン故郷に帰る』、1958年「楢山節考(共に監督 木下惠介、撮影 楠田浩之)」に撮影助手として参加。1960年に『ろくでなし』(監督 吉田喜重)で撮影技師として独り立ち、吉田喜重・篠田正浩・大島渚ら"松竹ヌーヴェルヴァーグ派"の監督たちの代表作を多く手掛けた。 代表作は『秋津温泉』(監督:吉田喜重)、『古都』『紀ノ川』(監督:中村登)、『心中天網島』(監督:篠田正浩)、『儀式』『戦場のメリークリスマス』(監督:大島渚)など。
比留間 一成(ひるま かずなり、1924年(大正13年)3月… 比留間 一成(ひるま かずなり、1924年(大正13年)3月5日 -2018年3月4日)は、日本の詩人、教育研究者。 東京生まれ。東京物理専門学校(現・東京理科大学)卒。日本現代詩人会会員。1955年『青衣』同人。東京都中野区立第五中学校長、東京都教育研究所幼児教育研究部長などを務め、児童教育に関する著作もあり、大学講師などを務めた。2009-2011年日本詩人クラブ会長。2013年日本現代詩人会より先達詩人とされる。
坂部 三次郎(さかべ さんじろう、1923年(大正12年)5… 坂部 三次郎(さかべ さんじろう、1923年(大正12年)5月16日 - 2001年(平成13年)2月3日)は、実業家・変光星観測者。京都府出身。東京理科大学第4代理事長。ダイニック元代表取締役社長・会長。ダイニックアストロパーク天究館創立者。 (5825) ラクヨウは坂部三次郎の助言で命名された。また、(5435) カメオカは三次郎の出身地京都府亀岡市から命名された。
川越 邦雄(かわごえ くにお、1920年12月12日 - 1… 川越 邦雄(かわごえ くにお、1920年12月12日 - 1994年11月2日)は、日本の建築学者。専門は防災科学および防火。日本火災学会会長などを歴任した。 東京府(現・東京都渋谷区)出身。父の丈雄は大蔵次官、平和相互銀行会長を歴任した。母のタミは陸軍大佐の長女。建設省建築研究所第5研究部長を経て、1969年に建設省建築研究所長となる。 1973年に東京理科大学教授に就任し、同大学火災科学研究所を主宰した。1984年に、日本建築設備安全センター理事長となった。 著書に『新建築学大系 12. 建築安全論』『建築施工』(建築士試験講座)など。日本建築学会特殊コンクリート造関係設計基準の基準作成関係委員も務めた。
中村保雄(なかむら やすお、1919年4月26日 - 199… 中村保雄(なかむら やすお、1919年4月26日 - 1996年2月6日)は、日本の能面研究家。 東京出身。父は能面作家・中村直彦。1940年東京物理学校数学科卒。高校教師となり、京都府立鴨沂高等学校校長、京都文化短期大学教授。1965年京都新聞社文化賞、80年「能面」で芸術選奨文部大臣賞受賞。
唐沢 隆三(からさわ りゅうぞう、1918年5月4日 - 2… 唐沢 隆三(からさわ りゅうぞう、1918年5月4日 - 2011年5月6日)は、社会運動研究者・俳人・自由律俳句研究者・作家。「唐沢柳三」の筆名も使用する。石川三四郎に師事する。 長野県に生まれる。滋野尋常高等小学校、長野県上田中学校(現:長野県上田高等学校)、純真学園、東京物理学校(現:東京理科大学)を経て、北海道帝国大学理学部数学科を卒業。北海道大学応用電気研究所に勤務。同研究所を退職後、東京に移住し、東京都立桜町高等学校、東京都立北高等学校ほか都立高校の教員を務めた。 出版のためにソオル社を興し、書籍の編集・発行も行った。 上田中学校時代に荻原井泉水の俳句誌『層雲』に参加した。 個人誌『柳』および『美』の発行者。
小泉 袈裟勝(こいずみ けさかつ、1918年3月10日 - … 小泉 袈裟勝(こいずみ けさかつ、1918年3月10日 - 1998年)は、日本の計量史研究者。度量衡、計測の研究に尽力した。 長野県北佐久郡浅科村(現佐久市)生まれ。1938年東京物理学校卒業。1939年商工省中央度量衡検定所に入所し、光波干渉式標準気圧計を開発、1968年工業技術院計量研究所第4部長となる。1971年退官とともに日本計量機器工業連合会常務に就任し、1976年同専務理事。1988年春、勲四等瑞宝章受勲。1992年「ものさし」で経済学博士(京都大学)。日本計量史学会副会長も務めた。
小田切 美文(おだぎり よしふみ、1917年9月20日 - … 小田切 美文(おだぎり よしふみ、1917年9月20日 - 1991年5月30日)は、日本の物理学者・統計学者・情報学者・理学博士(九州大学)。 山梨県中巨摩郡甲西町(現在の南アルプス市)出身。1938年、東京物理学校理化学部を卒業した。1941年、同数学部専攻科を修了した。山梨県立臨時教員養成所講師、1943年に日本大学医学部予科講師、1945年に同予科教授、1951年同予科廃止にともない、同医学部助教授にそれぞれ就任した。1957年、論題「Cyanamide(NH2CN)の生化学的研究」で九州大学で理学博士となった。1962年に専修大学経営学部教授、1968年に同経営研究所長、1970年に同経営学部長、1982年には専修大学学長にそれぞれ就任した。
斎藤 三郎(さいとう さぶろう、1917年5月10日 - 1… 斎藤 三郎(さいとう さぶろう、1917年5月10日 - 1996年3月17日)は日本の洋画家。浦和画家。 23歳で太平洋戦争に応召し、生死のはざまで和紙に3000枚のスケッチを残した。生きて帰国できれば画家になると決意し、終戦後1945年に帰国。浦和市に居住した。
黒岩 大助(くろいわ だいすけ、1916年 - 1983年1… 黒岩 大助(くろいわ だいすけ、1916年 - 1983年10月28日)は、日本の気象学者。電子顕微鏡研究から気象学に転じた経歴を持つ。 高知県に生まれる。1940年に東京物理学校(現・東京理科大学)を卒業後、逓信省電気試験所(現・産業技術総合研究所)に入所し、電子顕微鏡の研究に従事する。1942年に電子顕微鏡の一般向け解説書である『電子顕微鏡』を刊行した。日本電子の設立者である風戸健二は、本書を読んで電子顕微鏡研究を志したという。 1943年、電子顕微鏡を雪の結晶や霧の核の研究に活用する目的で中谷宇吉郎に招かれ、北海道帝国大学低温科学研究所の助手に就任。根室・千島地方で採取した霧粒子の核を電子顕微鏡(日立製作所製)で撮影することに世界で初めて成功する。
橘髙 重義(きったか しげよし、1915年 - 2007年1… 橘髙 重義(きったか しげよし、1915年 - 2007年12月8日) は、日本の化学者。学校法人東京理科大学理事長、東京理科大学山口短期大学学長、山口東京理科大学学長、日本私立大学協会会長などを歴任した。勲二等瑞宝章受章。 岡山県出身。1938年東京物理学校(現東京理科大学)理化学部卒業。応用物理学専攻。1959年北海道大学理学博士。1978年静電気学会功績賞受賞。同年から学校法人東京物理学園理事長を務め、東京理科大学の全国規模への拡大を行うなどした。 1987年東京理科大学山口短期大学学長、文部省大学審議会委員。静電気学会顧問、日本障害者高等教育支援センター会長や、日本私立大学協会会長等も務め、1992年日本私立大学団体連合会会長。
河野 秋武(こうの あきたけ、1911年〈明治44年〉10月… 河野 秋武(こうの あきたけ、1911年〈明治44年〉10月8日 - 1978年〈昭和53年〉3月17日)は、日本の俳優。旧芸名は山崎 進蔵。 長崎県南高来郡安中村新港(現在の島原市)の生まれ。父は公務員で、六人兄弟の次男として生まれる。県立島原中学(現長崎県立島原高等学校)から東京物理学校(現東京理科大学)に進学するが1930年(昭和5年)11月に中退、1931年(昭和6年)11月に前進座のプロレタリア演劇研究所に入ったのち、前進座の座員として舞台に立つ一方、1933年(昭和8年)に前進座ユニット出演の映画『段七しぐれ』に顔出し出演する。 1939年(昭和14年)に応召、1940年(昭和15年)8月に除隊し前進座に復帰。
佐々木 忠義(ささき ただよし、1910年5月1日 - 19… 佐々木 忠義(ささき ただよし、1910年5月1日 - 1983年10月11日) は、日本の海洋物理学者。元東京水産大学学長。理化学研究所名誉研究員。正三位勲二等旭日重光章。 1910年、広島県生まれ。1935年、東京物理学校(現東京理科大学)卒業。1941年、北海道帝国大学理学部物理学科を卒業。 卒業後は、京城帝国大学予科講師となった。同年、同校教授に昇進。1944年より理化学研究所所員。戦後の1949年、理学博士号を取得。1953年に東京水産大学教授となり、理化学研究所主任研究員。1956年、文部省在外研究員としてパリ大学海洋研究所に派遣される。1960年に日仏海洋学会創立し、同会長となった。
大牟羅 良(おおむら りょう、1909年7月20日 - 19… 大牟羅 良(おおむら りょう、1909年7月20日 - 1993年2月20日)は、日本の編集者、農村研究家。エッセイスト。 本名は大村次則。東京物理学校予科卒。 岩手県久慈市に生まれ、17歳で代用教員となる。1938年、満州に渡り、共和会中央本部に勤務、1944年応召、宮古島で敗戦を迎える。 復員後、盛岡に帰って古着の行商人となり、4年間岩手の山村を歩いた。1951年から岩手県国民健康保険団体連合会に勤務、同会発行の雑誌「岩手の保健」を編集、農民の声を活字にする。 1958年、著書『ものいわぬ農民』で毎日出版文化賞、日本エッセイスト・クラブ賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
穂刈 四三二(ほかり しさんじ、1908年3月28日 - 2… 穂刈 四三二(ほかり しさんじ、1908年3月28日 - 2004年1月2日)は、日本の数学者。旧・東京都立大学名誉教授、元城西大学学長 元中央ゼミナール校長 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
田辺 振太郎(たなべ しんたろう、1907年10月1日 - … 田辺 振太郎(たなべ しんたろう、1907年10月1日 - 1987年3月9日)は、日本の科学思想家。 京都出身。東京市本郷区西片町(現・東京都文京区)生まれ。雅号・素楽。1927年静岡県田方郡下大見村・私立大井上理農学研究所に技師として入所、1929年第一高等学校化学教室副手。1932年唯物論研究会の創立に参加。1933年岩波書店編集部勤務、1935-45年理化学研究所助手。磯部甫研究室(元・浅原源七研究室)所属。1945-47年武蔵高等学校(旧制)専任講師(化学)、1953年東京物理学校(現・東京理科大学)卒。戦前には、教育科学研究会の科学教育研究部会数学教育分会に参加。のち在野の哲学者として独自の技術論や認識論を展開した。