村岡 健次(むらおか けんじ、1935年 - )は、日本の歴… 村岡 健次(むらおか けんじ、1935年 - )は、日本の歴史学者。和歌山大学・甲南大学名誉教授。専門はイギリス近代史。文学博士(京都大学)。 神奈川県出身。1959年京都大学文学部史学科卒業。1964年京都大学大学院文学研究科博士課程修了。和歌山大学教授、甲南大学教授、大手前大学教授を歴任。1987年 京都大学 文学博士 博士論文は「ヴィクトリア時代の政治と社会 」。
飛鳥井 雅道(あすかい まさみち、1934年(昭和9年)11… 飛鳥井 雅道(あすかい まさみち、1934年(昭和9年)11月26日 - 2000年(平成12年)8月31日 )は、日本の歴史学者。京都大学名誉教授。専門は日本近代史・文化史。弟の飛鳥井雅慶は橿原神宮宮司。長男の飛鳥井雅友(1962年- )はドイツ文学者。
服部 春彦(はっとり はるひこ、1934年4月30日 - )… 服部 春彦(はっとり はるひこ、1934年4月30日 - )は、日本の歴史学者。専攻はフランス近代史。京都大学名誉教授。 京都府出身。京都大学文学部史学科卒業。1970年、同大学大学院文学研究科博士課程を修了し、「フランス産業革命論」により文学博士の学位を取得。名古屋大学文学部助教授を経て、1975年に京都大学文学部助教授に就任し、のちに教授。1993年に定年退官。その後、京都橘女子大学文学部教授を務め、現在は京都大学名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
三宅 正樹(みやけ まさき、1934年1月23日 - )は、… 三宅 正樹(みやけ まさき、1934年1月23日 - )は、日本の歴史学者、明治大学名誉教授。専攻は、国際政治史、日独関係史、歴史理論。1985年9月から1995年8月まで国際歴史学会本部事務局理事。父は京都大学教授・日本哲学会会長を務めた哲学者の三宅剛一。 1934年、宮城県仙台市で生まれた。京都大学文学部史学科西洋史学専攻で学び、1956年に卒業。同大学大学院文学研究科西洋史学専攻に進み、1958年に修士課程修了。1961年に博士課程を単位修得退学した。 修了後は、国立国会図書館調査立法考査局政治行政課に勤務。1962年、オーストリア政府文部省奨学生としてウィーン大学史学科(1962~1964年)に留学。
野田 宣雄(のだ のぶお、1933年12月4日 - 2020… 野田 宣雄(のだ のぶお、1933年12月4日 - 2020年12月29日)は、日本の政治学者・歴史学者。専門はドイツ政治史。京都大学名誉教授。 1933年、岡山県岡山市で生まれた。京都大学文学部西洋史学科で学び、会田雄次の指導を受けた。卒業後は、同大学院に進んだ。博士課程を中退し、ベルリン自由大学に留学。 帰国後、京都大学助手に採用された。後に京都大学教養部助教授となり、教授昇格。後に京都大学法学部教授に配置換え。1990年、学位論文『教養市民層からナチズムへ:比較宗教社会史のこころみ』を京都大学に提出して文学博士の学位を取得。大学外では、保守派評論家として論壇誌に寄稿し、また対談者として積極的に活動した。
狩野 久(かのう ひさし、1933年8月5日 - 2025年… 狩野 久(かのう ひさし、1933年8月5日 - 2025年12月14日)は、日本の歴史学者。元岡山大学教授。奈良文化財研究所名誉研究員。 1933年、北海道斜里町で生まれた。京都大学文学部に進学し、1956年に卒業。同大学大学院文学研究科国史学専攻に進み、1963年に博士課程を単位取得退学した。 1963年、奈良国立文化財研究所に入所。平城京などの発掘調査に携わり、出土した木簡の調査や古代都城史の研究に従事した。1986年、文化庁記念物課主任調査官に転出。1991年、岡山大学文学部史学科教授に就任。1999年に岡山大学を退任後は、京都橘女子大学文学部教授として教鞭をとった。 学界では、1991年から木簡学会会長を務めた。
河音 能平(かわね よしやす、 1933年3月25日 - 2… 河音 能平(かわね よしやす、 1933年3月25日 - 2003年11月22日)は、日本の歴史学者。大阪市立大学文学部名誉教授。専門は日本中世史。 兵庫県神戸市生まれ。甲南高等学校卒業。1957年京都大学文学部卒業。京都大学大学院文学研究科修士課程修了、1962年同博士課程単位取得退学。八代学院大学助教授を経て、1971年大阪市立大学文学部助教授就任。後、大阪市立大学文学部教授。1996年名誉教授。専門は日本中世で、ドイツ学者との交流や宗教史(天神信仰)の研究が有名。母方の祖父が子爵の石井行昌。 学生時代の同級生大山喬平(京都大学名誉教授)、大学院進学後は脇田晴子(滋賀県立大学名誉教授、文化勲章受章者)も同期になる。
江口 圭一(えぐち けいいち、1932年〈昭和7年〉8月12… 江口 圭一(えぐち けいいち、1932年〈昭和7年〉8月12日 - 2003年〈平成15年〉9月26日)は、日本の歴史学者。愛知大学名誉教授。専門は日本近現代史。十五年戦争研究をライフワークとした。 愛知県名古屋市生まれ。1955年京都大学文学部卒業。大学の同期には木坂順一郎(木坂は法学部へ転学部)・戸田芳実・松浦玲らがいる。1958年同大大学院修士課程修了、京都大学人文科学研究所助手。大学院時代に小葉田淳の指示で、『日本近代史辞典』(東洋経済新報社、1958年)の編纂事務を担当した。京大人文研では飛鳥井雅道が助手の同期。渡部徹・井上清の指導を受けた。1966年愛知大学法経学部助教授、1977年同大法経学部教授、1989年同大法学部教授、1994年同大法学部長( - 1997年)、2003年定年退職し、同大名誉教授。
新田 一郎(にった いちろう、1932年 - )は、日本の歴… 新田 一郎(にった いちろう、1932年 - )は、日本の歴史学者。古代ローマ史およびキリスト教史専攻。京都女子大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
朝尾 直弘(あさお なおひろ、1931年12月17日 - 2… 朝尾 直弘(あさお なおひろ、1931年12月17日 - 2022年7月7日)は、日本の歴史学者(日本近世史)、京都大学名誉教授、文化功労者。住友史料館館長。 1931年、大阪府吹田市で生まれた。 京都大学文学部に進学し、史学科で小葉田淳に師事した。1954年に卒業。京都大学大学院文学研究科国史学専攻に進み、1956年に修士課程を修了。1959年に博士課程を単位取得退学。 1960年、京都大学研修員に採用された。1963年より『堺市史(続編)』編集主任。1964年に学位論文『寛永時代の基礎的研究』を京都大学に提出して文学博士の学位を取得。1968年4月、京都大学文学部史学科助教授に就き、国史学第二講座を担当した。
八木 充(やぎ あつる、1931年9月11日 - )は、日本… 八木 充(やぎ あつる、1931年9月11日 - )は、日本の歴史学者、山口大学名誉教授。学位は、文学博士(京都大学・1967年)。 山口県防府市生まれ。1954年山口大学文理学部国史学専攻卒、1959年京都大学大学院文学研究科博士課程中退。1967年「律令国家成立過程の研究」で京大文学博士となる。1959年山口大学文理学部助手、1961年同大講師、1966年に同大助教授、1974年に同大教授、1978年に同大人文学部教授、1985年から1991年まで同大学部長。1993年同大を定年退官、名誉教授となる。その後、奈良産業大学教授、京都学園大学人間文化学部教授を務め、2003年に退職した。
木坂 順一郎(きさか じゅんいちろう、1931年8月5日 -… 木坂 順一郎(きさか じゅんいちろう、1931年8月5日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本近現代史。龍谷大学名誉教授。 東京市日本橋区(東京都中央区)で生まれ育つ。久松国民学校在学中に、東京子供唱歌隊員としてNHKラジオに出演した。1944年、縁故疎開で祖父母の住む京都市の実家(西陣の帯問屋)に移る。 1951年、京都大学文学部へ進み、江口圭一や戸田芳実らと同期となる。翌年に京都大学法学部へ転学して1956年に卒業後、名古屋大学大学院法学研究科へ進んで信夫清三郎に師事し、1958年に同大助手となった。1965年、龍谷大学経済学部に講師として着任し、1968年には同大法学部の創設に参画し助教授、翌年には教授に昇任した。
望田 幸男(もちだ ゆきお、1931年5月30日 - 202… 望田 幸男(もちだ ゆきお、1931年5月30日 - 2023年1月6日)は、日本の歴史学者、同志社大学名誉教授。専門はドイツ近現代史。 山梨県甲府市生まれ。1974年京都大学大学院文学研究科博士課程修了、「近代ドイツの政治構造 :プロイセン憲法紛争史研究」で文学博士。同志社大学助教授、教授。2002年定年、名誉教授。 非核の政府を求める会・京都 代表世話人を務めるなど、市民運動にも携わった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
脇田 修(わきた おさむ、1931年3月14日 - )は、日… 脇田 修(わきた おさむ、1931年3月14日 - )は、日本の歴史学者。大阪大学名誉教授。元大阪歴史博物館館長。専門は日本近世史。妻は歴史学者脇田晴子。大阪市生まれ。
上横手 雅敬(うわよこて まさたか、1931年〈昭和6年〉3… 上横手 雅敬(うわよこて まさたか、1931年〈昭和6年〉3月7日 - )は、日本の歴史学者。専門は、日本中世政治史・日本中世社会史。学位は、文学博士。京都大学名誉教授。和歌山県出身。 若き日に中世史において画期的で洞察に満ちた見解を数多く示した。 後鳥羽は当初武家の臣従を前提とする公武融和路線を取り、建保6年(1218年)の政子上洛時に、幕府と後鳥羽との間に後鳥羽の皇子を実朝の養子として東下させ、後継将軍とする密約が成立していたと説いた(「北条泰時」1958年、「承久の乱」1962年)。 また、承久の乱に際し、大江広元以外の武士たちが唱えた迎撃によれば鎌倉方は敗れていたであろうとし、広元の功績を特筆した。
熱田 公(あつた いさお、1931年2月5日 - 2002年… 熱田 公(あつた いさお、1931年2月5日 - 2002年9月3日)は、日本の歴史学者。神戸大学名誉教授。 和歌山県那賀郡上岩出村(現:岩出市)に上野家の次男として生まれる。1943年和歌山県立粉河中学校に入学。翌1944年中退し、大坂陸軍幼年学校に入学するが、敗戦により復員し、和歌山県立粉河中学校に復学し、1948年卒業。1953年、卒業論文「中世末期における国人層の動向」をまとめ、京都大学文学部史学科国史学専攻卒業。1960年、京都大学大学院文学研究科博士課程単位修得退学、京都大学文学部助手となる。 1970年に神戸大学教育学部助教授に転任、1979年同教授、1992年神戸大学文学部教授。
西川 幸治(にしかわ こうじ、1930年12月20日 - )… 西川 幸治(にしかわ こうじ、1930年12月20日 - )は、日本の歴史学者。専攻は都市史。京都大学名誉教授、滋賀県立大学名誉教授・元学長。 滋賀県彦根市出身。京都大学工学部建築学科卒業後、同大学院工学研究科(建築学専攻)単位取得。1959年京都大学助手、1964年講師、1966年助教授、1977年教授を務める傍ら、1985年から1991年まで同埋蔵文化財研究センター長を併任し、1994年同退官、名誉教授。1995年より、滋賀県立大学教授および人間文化部長を経て、2001年より日高敏隆の後任として同学長を2005年まで務めた。2005年より国際日本文化研究センター客員教授を務める。 1968年京都大学より工学博士。
小野 信爾(おの しんじ、1930年10月23日 - )は、… 小野 信爾(おの しんじ、1930年10月23日 - )は、日本の歴史学者。花園大学名誉教授。専攻は中国近代史。 1930年、大分県竹田市で生まれた。生家は豊後岡藩主中川家の菩提寺として知られる寺院・碧雲寺。山門には豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して略奪してきたという「碧雲寺」の扁額が掲げられていた。父親は旧制中学の国語教師であった。 大分県立竹田高等学校を経て、1949年に京都大学文学部入学。1951年2月22日、下鴨警察署近くで「アメリカの朝鮮戦争に協力するな」という趣旨のビラを撒いたことで、GHQの占領政策違反に問われて軍事裁判を受け、重労働3年・罰金1000ドルの判決を受けた。文学部の同級生、教授らの減刑嘆願署名などによって刑期は2年に減刑された。
村井 康彦(むらい やすひこ、1930年8月28日 - )は… 村井 康彦(むらい やすひこ、1930年8月28日 - )は、日本の歴史学者。専攻は日本文化史。国際日本文化研究センター・滋賀県立大学名誉教授、財団法人京都市芸術文化協会顧問、元京都市美術館館長。 1930年、山口県生まれ。1953年に京都大学文学部史学科を卒業。同大学院に学び、1958年博士課程を中退。 1958年に京都女子大学助教授となり、1966年に教授昇格。1964年、学位論文『律令国家解体過程の研究』を京都大学に提出して文学博士の学位を取得。1987年に設立された国際日本文化研究センター教授となり、1995年には定年退官し、名誉教授となった。その後も滋賀県立大学教授、京都市歴史資料館館長を兼ねた。
井本 英一(いもと えいいち、1930年7月20日 - 20… 井本 英一(いもと えいいち、1930年7月20日 - 2014年1月26日)は、日本のイラン学者、神話学・歴史学者。 1930年、兵庫県神戸市で生まれた。京都大学文学部言語学科で学び、卒業。その後、イラン・テヘラン大学に留学。 日本に帰国後、広島大学文学部助教授に就いた。その後、大阪外国語大学助教授に転じ、1970年に教授昇格。1994年に大阪外国語大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は桃山学院大学教授として教鞭を執った。2001年に退任。2014に死去。 専門はオリエント学で、特にイラン文化。
松尾 尊兊(まつお たかよし、1929年(昭和4年)11月1… 松尾 尊兊(まつお たかよし、1929年(昭和4年)11月1日 - 2014年(平成26年)12月14日)は、日本の歴史学者。日本近現代史専攻。大正デモクラシー研究をライフワークとした。京都大学名誉教授。 1929年、鳥取県鳥取市で生まれた。旧制鳥取第一中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)、旧制松江高等学校(現・島根大学)文科甲類を経て、京都帝国大学文学部に進学。この年の学生は、入学・卒業いずれも旧制では最後の京都大学の学生であった。京大では国史学の北山茂夫に師事した。1953年9月に卒業。 1954年4月、京都大学人文科学研究所助手に採用された。1970年5月に同研究所助教授に昇格。1971年1月、京都大学文学部史学科助教授に移り、現代史学講座を担当した。
石井 米雄(いしい よねお、1929年10月10日 - 20… 石井 米雄(いしい よねお、1929年10月10日 - 2010年2月12日)は、日本の歴史学者。京都大学名誉教授、神田外語大学名誉教授。文化功労者。専門は東南アジア史、特にタイ王国研究。 1929年、東京生まれ。1945年3月、山形県飽海郡高瀬村(元遊佐町)に疎開。疎開先の酒田中学校で学びつつ、帝国石油の油田で勤労動員に応じた。戦後の1947年東京に戻り、旧制早稲田第一高等学院(1949年学制改革後、早稲田大学に移行)に入学するも、東京工業大学の言語学者小林英夫の言語学講義にのめり込み、その中でその後に学び続けることになるタイ語やラテン語など言語研究やタイ語学者松山納など研究者と出会うことになった。
中塚 明(なかつか あきら、1929年(昭和4年)9月17日… 中塚 明(なかつか あきら、1929年(昭和4年)9月17日 - 2023年(令和5年)10月29日)は、日本の歴史学者。奈良女子大学名誉教授。専門は日本近代史、特に近代日朝関係史。 大阪府出身。1953年(昭和28年)、京都大学文学部史学科国史学専攻卒業。奈良女子大学文学部附属高校教諭をへて、1963年(昭和38年)から奈良女子大学文学部に勤務、1993年(平成5年)定年退職。 「九条科学者の会」呼びかけ人、奈良県歴史教育者協議会会長、非核の政府を求める奈良の会常任世話人を務めていた。 2023年10月29日、肺癌のため死去。94歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
内藤 正中(ないとう せいちゅう、1929年7月13日- 2… 内藤 正中(ないとう せいちゅう、1929年7月13日- 2012年12月16日)は、日本の歴史学者。島根大学名誉教授、鳥取短期大学北東アジア文化総合研究所長。専攻は日本経済史。 岡山県生まれ、京都大学経済学部卒、同大学院修了(旧制)。父親の内藤雋輔が島根県出身だった縁で、1955年島根大学講師となり、1968年同大学教授、附属図書館長や法文学部部長を務めた。1993年退官。退官後は鳥取短期大学北東アジア文化総合研究所所長に就任した。 日本が係争中の領土問題を巡って、自著の中で、外務省の主張の矛盾や、原史料の隠蔽を暴いた。 父は岡山大学名誉教授・内藤雋輔。
戸田 芳実(とだ よしみ、1929年1月26日 - 1991… 戸田 芳実(とだ よしみ、1929年1月26日 - 1991年8月29日)は、日本の歴史学者。神戸大学名誉教授。日本中世史。 浪速高等学校を経て、1955年卒業論文「古代社会における在地の変質について」をまとめ、 京都大学文学部卒業、1960年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1961年神戸女子薬科大学講師、1964年助教授、1968年東京都立大学人文学部助教授、1974年神戸大学文学部教授。1991年定年退官、名誉教授。同年神戸女子大学文学部教授となるも約5か月で没した。 1964年に「中世領主制成立史の基礎研究」により、京都大学から文学博士の学位を授与される。 学生時代に他の多くの人と同じく石母田正の「中世的世界の形成」に影響を受け、その後の進路を決定した。
松尾 尊兌(まつお たかよし、1929年(昭和4年) - 2… 松尾 尊兌(まつお たかよし、1929年(昭和4年) - 2014年(平成26年)12月14日)は、日本の歴史学者(日本近現代史専攻)。京都大学名誉教授。鳥取市生まれ。
河内 良弘(かわち よしひろ、1928年8月20日 - )は… 河内 良弘(かわち よしひろ、1928年8月20日 - )は、日本の歴史学者。京都大学名誉教授、天理大学名誉教授。専門は東洋史、特に東北アジア史。満洲族に関する研究に従事。 佐賀県武雄市出身。1950年から1951年まで千葉県成田町立中学校教諭。1954年京都大学文学部東洋史学科卒業、同大学院博士課程満期退学。1973年天理大学教授、1987年京都大学文学部教授。1992年定年退職、名誉教授、天理大学教授、1999年定年、名誉教授。2016年日本学士院賞受賞。2017年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
瀬原 義生(せはら よしお、1927年12月1日 - 201… 瀬原 義生(せはら よしお、1927年12月1日 - 2016年9月25日)は、日本の歴史学者。文学博士(京都大学・論文博士・1991年)(学位論文「ドイツ中世農民史の研究」)。立命館大学名誉教授。専門は中世から近世初期にかけてドイツ史。 鳥取県米子市生まれ。1951年京都大学文学部史学科西洋史専攻卒業。1956年京都大学大学院(旧制)修了。 立命館大学助教授、教授、1994年定年退任、名誉教授、京都橘女子大学教授、1991年「ドイツ中世農民史の研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。
富岡 次郎(とみおか じろう、1927年(昭和2年)4月1日… 富岡 次郎(とみおか じろう、1927年(昭和2年)4月1日 - )は、日本の歴史学者、京都大学名誉教授。西洋史、特に中世英国史が専門だが、日本近代労働史にも関心がある。 兵庫県生まれ。1952年京都大学西洋史学科卒、同大学院、1966年「イギリス農民一揆の研究」で、京都大学より文学博士の学位を取得。京都大学人文科学研究所助手、京都大学教養部講師、助教授、教授、1992年定年退官、名誉教授、京都学園大学教授。 妻・富岡和子は、農学博士、奈良教育大学教授。長男・富岡淳は、工学博士・早稲田大学理工学部教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山口 光朔(やまぐち こうさく、1926年10月16日 - … 山口 光朔(やまぐち こうさく、1926年10月16日 - 1993年8月20日)は、日本の歴史学者。神戸女学院大学名誉教授。 兵庫県神戸市主まれ。神戸YMCAの主事だった山口一郎の長男として生まれた。御影教会で受洗。海軍兵学校在籍中に江田島から原爆投下された広島へ救援に行き二次被爆。 戦後すぐに京都教会に移り、その夏教会のキャンプで妹、鼎(かなえ)が水死。青年会の責任者であった竹中正夫と光朔は遺体を挟んで無言で一夜を過ごした。これが2人の最初の出会いであったという。京都大学大学院在学中に、豪僧といわれた八代斌助日本聖公会総裁主教の次女、洋子と結ばれる。八代主教の桃山学院大学設立を手伝い、主教の死後、神戸女学院大学に移った。
高取 正男(たかとり まさお、1926年3月16日 - 19… 高取 正男(たかとり まさお、1926年3月16日 - 1981年1月3日)は、日本の歴史学者・民俗学者。専攻は、日本文化史・民俗学。元京都女子大学教授。 1926年、愛知県名古屋市で生まれた。愛知県立明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)を経て、京都大学文学部史学科に入学。1951年に卒業し、同大学大学院にて国史学を専攻して柴田實に師事した。また先輩の竹田聴洲と出会い、民俗学を志した。 京都女子大学非常勤講師に就いた後、1961年に同大学助教授に就任。1966年に教授昇格。1977年より国立民族学博物館客員教授も務めた。 専門は民俗学で、宗教民俗学。没後には法藏館より『高取正男著作集』(全5巻)が刊行された。
鯖田 豊之(さばた とよゆき、1926年3月12日- 200… 鯖田 豊之(さばた とよゆき、1926年3月12日- 2001年10月25日)は、日本の歴史学者、評論家、京都府立医科大学名誉教授。 専攻は西洋中世史、比較史。 奈良県生まれ。1952年京都大学文学部史学科卒。島根大学助教授や京都府立医科大学教授を経て、1988年に定年退官し、名誉教授。 『肉食の思想』が話題となり、保守派評論家として知られた。
後藤 靖(ごとう やすし、1926年2月22日 - 1998… 後藤 靖(ごとう やすし、1926年2月22日 - 1998年3月4日)は日本の経済学者、歴史学者。立命館大学経済学部名誉教授。専攻は近代経済史。日本資本主義の展開と近代天皇制国家の形成過程を研究。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
黒田 俊雄(くろだ としお、 1926年1月21日 - 19… 黒田 俊雄(くろだ としお、 1926年1月21日 - 1993年1月26日)は、日本の歴史学者。大阪大学名誉教授。専門は日本中世史。文学博士。『黒田俊雄著作集』全8巻(法藏館)がある。 1926年、富山県生まれ。第四高等学校文科甲類卒業。1948年、京都大学文学部史学科を卒業。 1955年、神戸大学教育学部専任講師に着任。1961年、大阪大学文学部助教授となった。1975年、同大教授に昇進。1981年から3期学術会議会員を務めた。1983年、学位論文『日本中世の国家と宗教』を大阪大学に提出して文学博士号を取得。1989年、大阪大学を定年退任し、名誉教授となった。その後は同年より大谷大学教授として教鞭をとった。
吉田 晶(よしだ あきら、1925年12月15日 - 201… 吉田 晶(よしだ あきら、1925年12月15日 - 2013年1月15日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代史。文学博士。岡山大学名誉教授。 兵庫県出身。陸軍士官学校59期生。1949年京都大学文学部卒業。高校教員を経て大阪電気通信大学教授。1978年岡山大学法文学部(現文学部)教授。1991年3月に退官後、甲子園大学教授を務めた。1986年「日本古代村落史序説」で大阪大学文学博士。岡山大学名誉教授。2013年1月15日、心不全で死去、87歳。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
門脇 禎二(かどわき ていじ、1925年9月28日 - 20… 門脇 禎二(かどわき ていじ、1925年9月28日 - 2007年6月12日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代史。大化の改新否定論や地域国家論で知られる。京都府立大学名誉教授、京都橘女子大学名誉教授。 1925年、高知県生まれ。第五高等学校在学中に応召。除隊後に京都大学文学部史学科に進み、1949年に卒業。同大学大学院に進んだ。 1954年、京都大学文学部助手に採用された。1957年、奈良女子大学文学部講師となった。1960年に同助教授、1966年に同教授昇格。1969年、学位論文『「大化改新」論:その前史の研究』を京都大学に提出して 文学博士号を取得。1975年10月、京都府立大学文学部史学科教授に転じた。
井上 秀雄(いのうえ ひでお、1924年(大正13年)12月… 井上 秀雄(いのうえ ひでお、1924年(大正13年)12月1日 - 2008年10月7日)は、日本の歴史学者。東北大学名誉教授、樟蔭女子短期大学名誉教授。専門は古代朝鮮史、日朝関係史。 1924年、愛知県生まれ。京都大学文学部に入学し、三品彰英に師事。1950年、京都大学文学部史学科卒業。1962年より大阪工業大学講師、1963年より同助教授、1973年より同教授。1975年に東北大学文学部へ移り、教授を務め、1988年に定年退官、名誉教授。その後は樟蔭女子短期大学教授として教鞭をとり、1993年~1999年には樟蔭女子短期大学学長を務めた。 通説とは異なった多くの問題提起をした。倭を大和朝廷とする通説に対して、朝鮮半島南部にいた人を倭人と呼んだ、などがその一例である(「倭・倭人・倭国」東アジア古代史再検討 第2部参照 人文書院)。
樋口 謹一(ひぐち きんいち、1924年11月8日 - 20… 樋口 謹一(ひぐち きんいち、1924年11月8日 - 2004年1月9日)は、日本の歴史学者、政治思想学者。専攻はヨーロッパ政治思想史。京都大学名誉教授。 京都大学卒業。1965年に設立した京都ベ平連の中心メンバーの一人だった。京都大学人文科学研究所助教授・教授、佛教大学教授を歴任し、日本平和学会会長も務めた。2004年叙従四位、授瑞宝中綬章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
臼井 勝美(うすい かつみ、1924年11月4日 - 202… 臼井 勝美(うすい かつみ、1924年11月4日 - 2021年9月24日)は、日本の歴史学者、筑波大学名誉教授。専攻は日本近代史。近代日中関係史。 栃木県出身。大正から昭和前期における日中関係史研究の重鎮。外務省では栗原健の指導の下、外交文書の編纂に従事。転出後も『日本外交文書』編纂委員を務める。1990年には、NHKと共に張学良とのインタビューを行った。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
上島 有(うえじま たもつ、1924年 - )は、日本の歴史… 上島 有(うえじま たもつ、1924年 - )は、日本の歴史学者、摂南大学名誉教授。専門は中世古文書。 三重県生まれ。1950年京都大学文学部史学科卒業。京都府立総合資料館を経て、1980年代から大阪電気通信大学教授、摂南大学教授、花園大学教授。 1971年「京郊庄園村落の研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。1999年「東寺・東寺文書の研究」で、密教学芸賞 ・角川源義賞を受賞。京都大学教授で中世史家の上島享は子[要出典]。
山田 作男(やまだ さくお、1922年11月27日 - 20… 山田 作男(やまだ さくお、1922年11月27日 - 2001年4月2日)は日本の歴史学者。専門は西洋史学。 長野県南安曇郡豊科町(現安曇野市)生まれ。幼少時を三重県桑名市で過ごす。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校を経て、昭和23年(1948年)京都大学文学部史学科西洋史学専攻卒業。同27年(1951年)同大学院中途退学。愛知教育大学教授を経て、同61年(1986年)愛知学院大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
岩井 忠熊(いわい ただくま、1922年〈大正11年〉8月1… 岩井 忠熊(いわい ただくま、1922年〈大正11年〉8月17日 - 2023年〈令和5年〉11月4日)は、日本の歴史学者。専攻は日本近代史。立命館大学名誉教授。 熊本県熊本市出身。名前の「忠熊」は熊本生まれに因む。京都大学文学部卒業。立命館大学教授・副学長を歴任。 京都大学から学徒出陣した、特攻艇・震洋の元特攻隊員である。しかし、石垣島へ移送中に敵軍の魚雷攻撃を受けて船が沈没。3時間泳いだ末に救助され、特攻せずに存命したまま終戦を迎えた。元特攻隊員であることは晩年になってから明かしたことで、明かした理由は「特攻を公然と賛美する動きに腹が立ったからです」と語っている。 2歳上の兄・忠正も慶應義塾大学在学中に学徒出陣し、伏龍・回天の元特攻隊員であった。
梅渓 昇(梅溪 昇)(うめたに のぼる、1921年1月21日… 梅渓 昇(梅溪 昇)(うめたに のぼる、1921年1月21日 - 2016年2月18日)は、日本の歴史学者。大阪大学名誉教授。専門は日本近代史・軍事史。文学博士(大阪大学・1962年)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山本 四郎(やまもと しろう、1920年2月29日 - 20… 山本 四郎(やまもと しろう、1920年2月29日 - 2022年8月20日)は、日本の歴史学者。神戸女子大学名誉教授。専門は日本近代史。 京都府出身。1939年12月、陸軍士官学校卒業。1949年3月、京都大学文学部史学科卒業。1971年5月、京都大学文学博士。神戸女子大学教授を経て、同大学名誉教授。 2022年8月20日、老衰のため死去。102歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
直木 孝次郎(なおき こうじろう、1919年1月30日 - … 直木 孝次郎(なおき こうじろう、1919年1月30日 - 2019年2月2日)は、日本の歴史学者。大阪市立大学名誉教授。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1969年)。日本古代史研究を代表する研究者。 1919年、兵庫県神戸市で生まれた。1936年、兵庫県立第一神戸中学校を卒業。1938年、第一高等学校文科乙類へ入学。1941年に第一高等学校を卒業し、 京都帝国大学文学部史学科に進んだ。太平洋戦争の時局悪化に伴い、1943年に京都帝国大学文学部国史学科を卒業。卒業後は、海軍土浦海軍航空隊に入隊した。 1945年、終戦により復員。最終的な階級は海軍中尉であった。翌1946年、京都帝国大学特別研究生として研究の道に戻った。
篠崎 勝(しのざき まさる、1917年(大正6年)9月14日… 篠崎 勝(しのざき まさる、1917年(大正6年)9月14日 - 1999年(平成11年)3月14日)は日本の歴史学者。京都大学卒業。愛媛大学教授、愛媛大学学生部長、近代史文庫代表者、愛媛県歴史教育者協議会委員長、愛媛民主教育研究所所長等歴任。専攻は日本史。 愛媛県伊予郡北伊予村大字横田(現在の伊予郡松前町)で、篠崎昌宜・幸枝の長男として生まれた。父は松山に移り質屋業を営むことになるが、高浜虚子の弟子・富安風生に俳句を習い、自宅で俳句会を開いていた。勝は父に頼まれて俳句を選び、句評もしていた。 1930年愛媛県立松山中学校(現・愛媛県立松山東高等学校)、1934年松山高等学校(文科乙類)へ進学した。
今津 晃(いまづ あきら、1917年4月24日 - 2003… 今津 晃(いまづ あきら、1917年4月24日 - 2003年6月18日)は、日本の歴史学者である。日本におけるアメリカ合衆国史研究の開拓者。 静岡県浜名郡吉津村(鷲津町、湖西町を経て現湖西市)に生まれる。1938年第三高等学校卒業、1941年12月京都帝国大学文学部史学科卒業、1948年9月京都帝国大学大学院退学。1962年「アメリカ革命史序説」で文学博士(京都大学)の学位取得。1942-43年文学部部副手嘱託。1946年9月関西大学予科講師、1947年4月大谷大学学部及予科教授、1948年同志社大学専任講師、48年助教授、1950年9月大阪大学教養部助教授、1953年文学部助教授、1959年京都大学文学部助教授。
大山 梓(おおやま あずさ、1916年9月9日 - 1992… 大山 梓(おおやま あずさ、1916年9月9日 - 1992年3月2日)は、日本の歴史学者(日本近代政治史)、海軍軍人(短期現役士官)。軍人時代の最終階級は海軍主計大尉、学位は法学博士。広島大学法学部教授、帝京大学法学部教授。大山巌の孫(大山柏の長男)。長女に由美子。
横田 健一(よこた けんいち、1916年(大正5年)9月3日… 横田 健一(よこた けんいち、1916年(大正5年)9月3日 - 2012年(平成24年)2月6日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代史。関西大学名誉教授。 父貫次・母せつの長男として兵庫県神戸市生田区(現中央区)に出生。 神戸市立諏訪山尋常小学校、神戸市立山手尋常小学校(転入)、兵庫県立第一神戸中学校、第三高等学校文科(甲類入学)を経て、1937年4月、京都帝国大学文学部史学科に入学(国史学専攻)。 1940年3月、京都帝国大学文学部史学科卒業、1941年4月海軍機関学校教授。1946年6月 関西大学教授。1964年、関西大学文学部長(~1966年)。1972年、学校法人関西大学理事(~1977年)。
村山 修一(むらやま しゅういち、1914年5月30日- 2… 村山 修一(むらやま しゅういち、1914年5月30日- 2010年4月16日)は、日本の歴史学者。文学博士(京都大学・1961年)(学位論文「日本中世都市生活の研究:特に中世京都の都市生活における社会と宗教との関係を顧慮しての」)。大阪女子大学名誉教授。皇族が歴代門主を務めた妙法院に残る膨大な文献史料類の翻刻に尽力し、『妙法院日次記』として刊行された。方広寺(京の大仏)は、江戸時代に妙法院の管理下にあったことから、それについての研究も行った。1987年勲三等旭日中綬章受章。 大阪市生まれ。1937年、京都帝国大学文学部史学科卒業。1961年、「日本中世都市生活の研究:特に中世京都の都市生活における社会と宗教との関係を顧慮しての」で京都大学より文学博士の学位を取得。