池田 得太郎(いけだ とくたろう、1936年3月15日 - … 池田 得太郎(いけだ とくたろう、1936年3月15日 - )は、日本の小説家。 東京日本橋生まれ。日本大学旧工学部中退。 1958年、学生時代に「家畜小屋」を中央公論新人賞に応募。受賞できず佳作止まりだったが、選考委員三島由紀夫の絶賛を受けて『中央公論』に掲載され、第40回芥川賞候補となる。 四人の子供を育てながら日立製作所でサラリーマン生活をしつつ、1972年から再度作品を発表。1976年『野性時代』に掲載された「ノアの箱舟殺人事件」が最後の作品となっている。
村岡 圭三(むらおか けいぞう、1936年 -)は日本の推理… 村岡 圭三(むらおか けいぞう、1936年 -)は日本の推理作家。秋田県生まれ。 1957年、日本大学文学部卒。1976年、探偵小説専門誌『幻影城』の第1回幻影城新人賞小説部門で短編「乾谷(ワディ)」が入選となり、デビューした。第1回の小説部門では、ほかに佳作として泡坂妻夫、田中文雄が選ばれている。 幻影城新人賞の受賞者を中心に結成された「影の会」のメンバー。デビュー作を含め、『幻影城』に4短編が掲載されている。 1997年8月刊行の『甦る「幻影城」Ⅰ 新人賞傑作選』(角川書店)では、著作権者との連絡が取れない旨が記されている。
近藤 伯雄(こんどう はくお、1935年 - )は、日本のテ… 近藤 伯雄(こんどう はくお、1935年 - )は、日本のテレビプロデューサー、児童文学作家。 1935年、ブラジル出身。日本大学芸術学部卒業後、東京12チャンネルに入社。主にアニメや特撮番組を担当。その後退職し児童文学作家として活動。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
大島 昌宏(おおしま まさひろ、1934年7月27日 - 1… 大島 昌宏(おおしま まさひろ、1934年7月27日 - 1999年12月14日)は、日本の小説家、時代小説家、CMプランナー。 福井県生まれ。福井県立藤島高等学校、日本大学芸術学部卒業。広告制作会社に勤務し、多くのテレビCM制作を手がける。 1992年『九頭竜川』で第11回新田次郎文学賞を受賞。1995年『罪なくして斬らる』で第3回中山義秀文学賞を受賞した。
雲村 俊慥(くもむら しゅんぞう、1934年4月3日 - 2… 雲村 俊慥(くもむら しゅんぞう、1934年4月3日 - 2021年6月5日)は、日本の作家。別名・沢村健。 新潟県五泉市村松生まれ。日本大学法学部新聞学科卒。 1957年光文社に入社し、週刊「女性自身」、月刊「宝石」、文芸図書、各種の文庫編集部を歴任。 定年後、初めて執筆した『小説・仙壽院裕子―越後村松藩の維新』で第6回日本文芸家クラブ長編小説部門大賞を受賞。 江戸を歩く会会長。NHK文化センター歴史探訪の講師を担当する。
赤江 瀑(あかえ ばく、本名:長谷川 敬(はせがわ たかし)… 赤江 瀑(あかえ ばく、本名:長谷川 敬(はせがわ たかし)、1933年4月22日 - 2012年6月8日)は、日本の小説家。歌舞伎や能などの伝統芸能を題材にした小説や、京都を舞台にした作品を数多く発表。耽美的、伝奇的な作風で、熱烈な支持者を持つ。 2度候補となった直木賞受賞はならなかったものの、『オイディプスの刃』で第1回角川小説賞、『海峡』『八雲が殺した』で第12回泉鏡花文学賞を受賞している。 1933年、山口県下関市で教員の両親の間に6人兄弟の次男として生まれる。本名:長谷川敬。戦争中は豊浦郡豊東村(現・下関市菊川町)に疎開した。 1946年、山口県立豊浦中学校(現・山口県立豊浦高等学校)に入学。
佐々木忠次(ささき ただつぐ、1933年2月13日 - 20… 佐々木忠次(ささき ただつぐ、1933年2月13日 - 2016年4月30日 )は、日本のインプレサリオ(impresario)、著作家。東京バレエ団総監督、日本舞台芸術振興会(略称 NBS)専務理事を務める。
豊原 路子(とよはら みちこ、1933年 - )は、日本の作… 豊原 路子(とよはら みちこ、1933年 - )は、日本の作家である。女優として映画に出演もした。旧筆名家嶋 芙美子(いえしま ふみこ)。本名・出生名等不明。 1933年(昭和8年)に生まれる。日本大学法学部政治経済学科を卒業後、英文タイピスト、ホステスを経験する。 1958年(昭和33年)、東京ライフ社から「家嶋芙美子」名義で、最初の著書『銀座のエロス』を上梓する。翌1959年(昭和34年)、朱雀社から、「豊原路子」名義での最初の著書『マンハント』を上梓する。第二書房から、1960年(昭和35年)10月には『体当たり男性論』、翌1961年(昭和36年)8月には『体当りマンハント旅行記』を上梓している。
峰 隆一郎(みね りゅういちろう、1931年6月17日 - … 峰 隆一郎(みね りゅういちろう、1931年6月17日 - 2000年5月9日)は、日本の小説家。本名は峰松 隆(みねまつ たかし)。 長崎県佐世保市で誕生。日本大学理工学部入学、その後日本大学芸術学部へ転部するが中退。出版社勤務を経てフリーライターになる。 1979年に『流れ灌頂』で第5回問題小説新人賞を受賞。ハードボイルドタッチの時代小説、旅行ミステリーを多く手掛ける。鬼気迫る剣術描写や官能シーンにより、独自の世界を築いたと評される。代表作は「人斬り弥介」シリーズ、「柳生十兵衛」シリーズ。 1964年に東京都町田市に転居しており、全作品が町田市で書かれた。2000年5月9日、肺炎で死去。享年68。
塩沢 実信(しおざわ みのぶ、1930年11月29日 - )… 塩沢 実信(しおざわ みのぶ、1930年11月29日 - )は、出版ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
早坂 暁(はやさか あきら、1929年〈昭和4年〉8月11日… 早坂 暁(はやさか あきら、1929年〈昭和4年〉8月11日 - 2017年〈平成29年〉12月16日)は、日本の脚本家、小説家。 本名、富田 祥資(とみた よしすけ)。 愛媛県温泉郡北条町(現松山市)生まれ。日本大学芸術学部演劇学科卒業。 戦後の日本を代表する脚本家のひとりである。 愛媛県温泉郡北条町(後の愛媛県北条市、現在の松山市北条)で、遍路道の大商家に生まれ育ち、幼少の頃からお遍路さんに接した。 旧制松山中学校(現在の愛媛県立松山東高等学校)を経て、海軍兵学校在学中に終戦。海軍兵学校からの復員途中に広島で一夜を明かし、被爆直後の広島の惨状を目撃した。旧制松山高等学校(現在の愛媛大学文理学部の構成母体)卒業後、東京大学医学部に合格するも、医業に疑問を持ち入学せず[信頼性要検証]、日本大学芸術学部演劇学科に進学し同校卒業。
鳥海 尽三(とりうみ じんぞう、1929年2月1日 ‐ 20… 鳥海 尽三(とりうみ じんぞう、1929年2月1日 ‐ 2008年1月17日)は、日本の男性脚本家、小説家。シナリオサークル鳳工房主幹、早稲田シナリオ義塾講師、代々木アニメーション学院講師、日本シナリオ作家協会会員、日本放送作家協会会員。 主にテレビアニメの脚本を執筆。『昆虫物語 みなしごハッチ』『科学忍者隊ガッチャマン』『新造人間キャシャーン』など、アニメ制作会社タツノコプロの草創期から1970年代まで黄金時代のほぼ全ての作品を企画文芸の中核として支えた。また、1970年に師匠である脚本家・陶山鉄の長男で、日活企画室に勤務していた陶山智、同じく日活で陶山の上司だった陣野修、SF作家の広瀬正をタツノコプロへ招聘して、人材面でも大きな役割を果たした人物でもある。
中村 博(なかむら ひろし、1928年7月7日- )は、日本… 中村 博(なかむら ひろし、1928年7月7日- )は、日本の小学校教師、児童文学作家。 東京生まれ。愛媛県出身。1950年日本大学文学部卒。1948年世田谷区立松沢小学校教師となり、78年世田谷区立三宿小学校で退職。東京総合教育センター教育相談員。日本子どもの会会員。日本子どもを守る会会長(1997~2003年)。民話の再話や教育評論などの著作をなした。
宗田 理(そうだ おさむ、1928年5月8日 - )は、日本… 宗田 理(そうだ おさむ、1928年5月8日 - )は、日本の作家、小説家。
松永 義弘(まつなが よしひろ、1928年4月10日 - 2… 松永 義弘(まつなが よしひろ、1928年4月10日 - 2016年6月13日)は、日本の作家。 佐賀県生まれ。日本大学法文学部史学科卒。歴史小説を数多く書いた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
清宮 零(きよみや れい、1928年1月4日 - )は、日本… 清宮 零(きよみや れい、1928年1月4日 - )は、日本の詩人・作家。 埼玉県生まれ。本名・勝一(かついち)。1944年海軍甲種飛行予科練生に志願。土浦海軍航空隊に入隊。1945年敗戦のため、8月18日にサイパン島に強制着陸してB29を撃破するという任務を解かれ、「105特別攻撃隊」は横須賀通信隊に戻り、解散。帰還軍人として日本大学農学部予科1年に特別編入し、日本大学法学部政経学科を卒業。産経新聞社に入社し、浦和支局、千葉支局、東京本社婦人部の記者として13年間勤務後、特殊法人埼玉県住宅供給公社に転職。同公社業務部長の時、後進に道を譲るため定年1年前に退職。 仕事のかたわら詩、小説を書き、1969年小説『空葬』で第1回埼玉文学賞小説部門の準賞を受賞。
黒木 曜之助(くろき ようのすけ、1928年 - 没年不明)… 黒木 曜之助(くろき ようのすけ、1928年 - 没年不明)は、日本の作家・ノンフィクション作家。本名塚野 昭、別名筑波 昭。 茨城県日立市生まれ。日本大学芸術学部中退。茨城新聞に入社、編集局次長などをつとめる。 1957年「クレオパトラの毒蛇」が『宝石』懸賞の最終候補になる。1967年、江戸川乱歩賞で最終候補作となった「野望の接点」を刊行。 1989年以降目立った著作はなく、日本推理作家協会においては物故会員とされている。2012年には、茨城新聞記者として1957年に担当した原子力平和利用博覧会について朝日新聞の取材に答えている。
小沢 信男(おざわ のぶお、1927年6月5日 - 2021… 小沢 信男(おざわ のぶお、1927年6月5日 - 2021年3月3日)は、日本の作家。 山下清の生涯を書いた『裸の大将一代記』で知られる。 東京市(現東京都港区)新橋出身。1947年東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)を卒業。日本大学芸術学部に進学し、在学中に「新日本文学」に参加。「江古田文学」に掲載された「新東京感傷散歩」が花田清輝に認められる。 卒業後、小説・詩・戯曲・評論・俳句・ルポルタージュなど多岐にわたる執筆活動を展開し、著書多数。特に、東京・犯罪などの研究・執筆において、先駆者的な仕事をしている。 上野のタウン雑誌「うえの」の編集者をつとめた。 2000年に『裸の大将一代記 - 山下清の見た夢』で桑原武夫学芸賞受賞。
佐野 浅夫(さの あさお、1925年8月13日 - )は、日… 佐野 浅夫(さの あさお、1925年8月13日 - )は、日本の俳優・童話作家・実業家。神奈川県横浜市、現在の保土ケ谷区出身。アクターズ・セブン所属。身長168cm。神奈川県立横浜第三中学校卒業。
井口 朝生(いぐち あさお、1925年(大正14年)5月6日… 井口 朝生(いぐち あさお、1925年(大正14年)5月6日 - 1999年(平成11年)4月9日)は、日本の歴史小説作家、時代小説作家。日本文芸家協会会員。 東京生まれ。日本大学文学部(歴史専攻)卒業。父は時代小説作家の山手樹一郎。弟は国文学者の井口樹生。姪は詩人の井坂洋子。 少年時代は堀辰雄や立原道造の作品を愛読した。小説の道に進むべく、棟田博主宰の小説勉強会「風らい会」に参加。父には内緒で講談倶楽部賞に応募、佳作を受賞するが、同じ住所であったために父にばれてしまい、一騒動あったと言う。童門冬二、永井路子、平岩弓枝ら、講談倶楽部賞関係の新人が集まった『小説会議』に参加、父が同人誌のスポンサーとなる。
大河内 常平(おおこうち つねひら、1925年2月9日-19… 大河内 常平(おおこうち つねひら、1925年2月9日-1986年6月26日)は、日本の作家、刀剣研究家。 本名・山田常平(じょうへい)。東京生まれ。 敗戦後、日本大学芸術学部に進学し卒業後、進駐軍に勤めるかたわら推理小説を書き、「地獄からの使者」が『別冊宝石』の懸賞に入選。以後多くの小説を書くが、70年代に筆を折り、刀剣研究と軍装コレクションに熱中した。
広瀬 正(ひろせ ただし、1924年9月30日 - 1972… 広瀬 正(ひろせ ただし、1924年9月30日 - 1972年3月9日)は、日本の小説家、SF作家、推理作家、ジャズ・サックス奏者、クラシックカーモデル製作者。 時間をテーマにしたSF作品を多く残し、「時に憑かれた作家」とも呼ばれる。本名は広瀬 祥吉(ひろせ しょうきち)。 東京市京橋区(現在の東京都中央区)に生まれる。 1942年 - 日本大学旧工学部(現日本大学理工学部)建築科に入学。1952年 - ジャズバンド「広瀬正とスカイトーンズ」を結成。1960年 - 「広瀬正とスカイトーンズ」、借金のため解散。 1961年 - デビュー作『殺そうとした』が『宝石』臨時増刊号に掲載される。また同年、同人誌『宇宙塵』に参加。
藤本 泉(ふじもと せん、1923年2月15日 - 生死不明… 藤本 泉(ふじもと せん、1923年2月15日 - 生死不明)は、日本の小説家、推理作家。 伝奇ミステリ「えぞ共和国」シリーズで、東北地方において古代から受け継がれた原始共産国家が存在しているという設定で、土俗の民と中央権力との相剋を描いた。 また、『源氏物語』、『枕草子』など王朝文学の作者は紫式部、清少納言など一人の作者でなく多作者によるとの説についての著作を出した。 篠田節子『聖域』の登場人物は、藤本泉をモデルにしたものと言われている。 東京都生まれ。日本大学国文科卒業。 後に『文芸首都』および『現象』の同人として創作活動を行う。処女作は1955年ごろ『文芸首都』に発表した「作為の他」である。
一条 明(いちじょう あきら、1922年9月11日 - 19… 一条 明(いちじょう あきら、1922年9月11日 - 1987年)は、日本の作家。新樹社同人。本名・高橋保。 東京生まれ。日本大学芸術学部演劇科卒。歴史・時代小説、麻雀小説などを書いた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
市原 麟一郎(いちはら りんいちろう、1921年11月22日… 市原 麟一郎(いちはら りんいちろう、1921年11月22日 - 2023年9月24日)は、日本の民話研究家、児童文学作家。 土佐民話の会主宰、文学館・語りと紙芝居の会代表。 高知県出身。日本大学高等師範部地歴科を卒業。 高知県の民話の採話と記録に努め、月刊『土佐の民話』を発行する傍ら、民話を子どもたちに語り継ぐため、手づくり紙芝居をもって、県内各地の保育・幼稚園、小学校、図書館などへの巡回公演を行った。また小学生、一般対象に紙芝居講座(演じ方、作り方)の講師を務めた。1987年、民話の発掘と伝承の仕事により高知県文化賞を受賞。 2023年9月24日、老衰のため死去、101歳。
佐竹 申伍(さたけ しんご、1921年1月15日 - 200… 佐竹 申伍(さたけ しんご、1921年1月15日 - 2005年2月24日)は、日本の小説家。 東京小石川生まれ。本名・佐藤静夫。日本大学芸術学部卒。映画関係の仕事を経て、文筆活動にはいる。はじめ時代小説を書き、のち歴史小説を書いた。一時期NHK大河ドラマにあわせて執筆していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
松浦 健郎(まつうら たけお/けんろう、1920年9月29日… 松浦 健郎(まつうら たけお/けんろう、1920年9月29日 - 1987年5月7日)は、日本の脚本家、小説家。 埼玉県秩父郡大滝村大血川(現・秩父市)出身。1942年日本大学専門部国文科中退、満州映画協会に入社。1944年東宝に移籍し、黒澤明、山本薩夫らの助監督を務める。1948年脚本家に転向、代表作に「風速40米」(1958年)、「電光石火の男」(1960年)、「青年の椅子」(1962年)など。弟子に雪室俊一、曽田博久がいる。1966年からは小説も書いた。 生涯に映画脚本を約170本、テレビなどの脚本を含めると約340本を手掛けた敏腕だったが、その作業は弟子との共同作業が多く、作成の多くが弟子たちに口述筆記、清書させるものであった。
東 文彦(あずま ふみひこ、1920年(大正9年)8月23日… 東 文彦(あずま ふみひこ、1920年(大正9年)8月23日 - 1943年(昭和18年)10月8日)は、日本の小説家。本名は東徤(あずま・たかし=行人偏に建)。23歳で夭折した。学習院時代の三島由紀夫と親交を持った。 父・東季彦は奈良県十津川村出身の法学者で、九州帝国大学法文学部教授や日本大学学長などを歴任。母・菊枝は軍人・石光眞清の次女。 「文彦」という筆名は、季彦が息子の名前にと一時考えていたものである。本名の「徤」は、祖父の東武の命名による。「徤」の字は『易経』にあり、天の運行の壮んさを表す。 神奈川県鎌倉市生まれ。幼時を父の赴任先の福岡で過ごした。小学校を福岡県男子師範学校付属小学校で過ごしたことは、文彦にとって重要なものであった。
神戸 淳吉(かんべ じゅんきち、1920年5月31日 - 2… 神戸 淳吉(かんべ じゅんきち、1920年5月31日 - 2011年8月10日)は、日本の児童文学作家。東京府出身。日本大学専門部社会科卒。社会福祉施設などに勤務。1950年いぬいとみこ、佐藤さとるらと同人誌「豆の木」を創刊。1955年作家となる。動物文学や偉人伝を描くことが多かった。日本児童文学者協会・日本児童文芸家協会会員。
香川 茂(かがわ しげる、1920年4月14日 - 1991… 香川 茂(かがわ しげる、1920年4月14日 - 1991年5月13日)は、日本の児童文学作家、教育評論家。 香川県高松市中新町出身。旧制高松中学から日本大学(芸術科)に進むも中退し、香川県師範学校を卒業。 終戦まで北支と満洲で軍隊生活を送る。戦後、高松市内の小・中学校で教鞭をとった。1951年に上京。川越市立富士見中学校を振り出しに、1960年志木市立志木中学校の校長となり、1980年新座市立新座中学校の校長を最後に退職した。 その間作家として活動、1967年「セトロの海」で野間児童文芸賞、1980年「高空10000mのかなたで」で小学館文学賞受賞。 「中学生文学」を創刊し、編集長を務めて文学教育にも取り組んだ。
金 達寿(キム・タルス/キムダルス、김달수、1920年〈大正… 金 達寿(キム・タルス/キムダルス、김달수、1920年〈大正9年〉1月17日(陰暦1919年11月27日) - 1997年〈平成9年〉5月24日)は、在日朝鮮人小説家・古代史研究家。朝鮮民主主義人民共和国・朝鮮総連を強く支持していたものの、実態を知り、1981年に韓国訪問以降は第三者の立場を取った。 日本統治下朝鮮の慶尚南道昌原郡内西面虎渓里(現・大韓民国慶尚南道昌原市馬山会原区)に、中農の地主の三男として生まれる。父・金柄奎、母・孫福南、長兄・金声寿、次兄・金良寿、妹・金ミョンスがいた。 父柄奎が遊蕩に耽り、破産。1925年(大正14年)、金達寿が5歳の時、両親は長男声寿と妹ミョンスを連れて、内地に渡る。
竹内勇太郎(たけうち ゆうたろう、1919年11月10日 -… 竹内勇太郎(たけうち ゆうたろう、1919年11月10日 - 1993年2月14日)は、日本の脚本家、小説家。 山梨県塩山市(現甲州市)出身、1926年七里小学校(現・塩山南小学校)入学、甲府市貢川尋常小学校に転校、山梨師範学校(現・山梨大学)、日本大学卒業。山梨県北都留郡沢松国民学校、中巨摩郡竜王町の村立竜王小学校など県内の学校で教師となる。この頃、児童劇『桂川』の脚本を手がけNHKラジオで放送される。 時事新聞社山梨支社に事業部長兼文化部長として入社。芸術や文化活動の分野を担当する。演劇雑誌テアトロに戯曲を投稿。1955年頃上京し、東芸に所属し本格的に脚本を書きはじめる。 1956年5月28日、山梨県甲府市朝気で開業していた眼科医の雨宮一枝と結婚。
松本 美樹(まつもと みき、1918年5月30日 - 200… 松本 美樹(まつもと みき、1918年5月30日 - 2001年)は、日本の元プロデューサー、元作家。宣弘社に所属していた。愛媛県出身。本名は松本 美喜男。長男は、フジテレビで外信部記者、解説委員、ニュースキャスターを務めた松本方哉。 アニメ『サザエさん』の初代プロデューサーなどを務めた。 旧制中学校卒業後に作家を目指し、両親に勘当同然の扱いを受けるも叔父を頼り上京した。日本大学芸術学部卒業後は、作家の横光利一に弟子入りした。 第二次世界大戦時は召集され、シベリアに抑留される。 終戦後は帰国し、大正製薬の宣伝課長に就任した。その後、宣伝で携わった縁から宣弘社に転職した。 宣弘社入社後は東芝の専任部門「東芝分室」を立ち上げ、同社が提供する特撮番組『光速エスパー』やアニメ『忍風カムイ外伝』のプロデューサーを務めた。
宮崎清隆(みやざき きよたか、1918年 - 2001年5月… 宮崎清隆(みやざき きよたか、1918年 - 2001年5月25日)は、日本の小説家、陸軍軍人。最終階級は陸軍憲兵曹長、作詞家。 新潟県刈羽郡田尻村(現・柏崎市)生まれ。日本大学法学部、経済学部卒。柔道四段、剣道三段。日中戦争では陸軍憲兵曹長として、大陸で転戦し多くの戦傷を負う。戦後は戦争犯罪人として指名され「東洋の魔王」と呼ばれるが連合軍の追跡を逃れ中国を脱出し、6ヵ月の逃避行を行った。1951年日本独立に際し追及を解かれ、後にその体験などを著作としベストセラーとなった。鉄道弘済会本部会長室秘書課勤務。 また、三島由紀夫に惚れられて、15万円のスーツをプレゼントされることや唯一の弟子とも見られていた。
福田 隆(ふくだ たかし、1917年〈大正6年〉10月18日… 福田 隆(ふくだ たかし、1917年〈大正6年〉10月18日 - 1991年〈平成3年〉11月13日)は、岩手県出身の染絵作家、美術教師である。 1917年(大正6年)、岩手県遠野市に生まれ、翌年に家族で盛岡市に移り住んだ。1930年、旧制盛岡中学校に入学し、絵画部に入部。その当時に京都から赴任していた中井汲泉の薫陶を受けた。1939年に日本大学芸術科に進学し油絵を専攻したが、戦争のため繰上げ卒業となり、軍に入隊。満洲で終戦を迎えたのち、ソビエト連邦によりシベリアに抑留され、日本に帰国できたのは1948年であった。盛岡に戻ると実家のある法泉寺(現在の 北山)に居住し、盛岡高等学校の美術科の教員職に就いた。
織田 五二七(おだ いふな、1917年5月27日 - 200… 織田 五二七(おだ いふな、1917年5月27日 - 2009年5月5日)は、日本の医師・作家。 佐賀県生まれ。織田長益の三男・織田俊長の子孫で、鍋島家鹿島藩藩医織田家の13代目。1935年に上京、日本大学医学部卒、1942年海軍軍医中尉に任官、軍艦「常磐」軍医長。のち大尉。1960年医学博士。佐賀県鹿島市に織田病院を設立し、院長、特定医療法人祐愛会織田病院理事長。そのかたわら、評論・小説などを書いた。 2009年5月5日、胆嚢癌のため死去。91歳没。
八匠 衆一(はっしょう しゅういち、1917年3月30日 -… 八匠 衆一(はっしょう しゅういち、1917年3月30日 - 2004年6月21日)は、昭和・平成期の小説家。 北海道旭川市生まれ。本名は松尾一光。北海道庁立旭川商業学校(現・北海道旭川商業高等学校)、日本大学芸術学園卒。講師の伊藤整や東大生だった梅崎春生と知り合う。戦時中は召集により第7師団に入隊。戦後に再上京するが、過度の飲酒とヒロポン中毒のために深夜の路上で刑事事件を起こし、札幌刑務所で服役。そこで女性看守坂東知子と知り合う。仮出所後、上川町の義兄宅に寄宿。1954年、札幌で伝道師となっていた知子と結婚する。 名古屋の同人誌『作家』に「未決囚」を発表、1955年に直木賞候補となる。1958年、再上京し「地宴」で作家賞、1982年、『生命盡きる日』で平林たい子文学賞受賞。
堀川 潭(ほりかわ たん、1917年1月29日 - 1979… 堀川 潭(ほりかわ たん、1917年1月29日 - 1979年2月4日)は、日本の小説家。島根県益田市出身。本名・高橋義樹。 日本大学芸術科卒。1944年海軍報道班員としてサイパン島従軍、グアム島で捕虜となり、ハワイ収容所に送られて1946年帰国。伊藤整の弟子となり、「新文化」「文学生活」などに小説を執筆。短編集「運命の卵」ほか。 「高橋潭」とすることもある。文藝春秋の編集者・高橋一清は甥。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
結城 信一(ゆうき しんいち、1916年3月6日 - 198… 結城 信一(ゆうき しんいち、1916年3月6日 - 1984年10月26日)は、日本の小説家である。 東京府生まれ。1933年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒。早稲田大学英文科卒。国際学友会の日本語学校の教師を経て、1948年、「秋祭」で作家デビュー。以後、『早稲田文学』ほかの文芸雑誌、年に二作程度の短篇を発表する寡作で地味な作家だったが、1980年、老人と少女の交流を描いた「空の細道」で日本文学大賞受賞。没後の2000年、未知谷より全3巻の『結城信一全集』(串田孫一、郡司勝義、結城信孝責任編集)が刊行された。アンソロジスト、エッセイストの結城信孝は息子。墓所は荒川区西日暮里の本行寺。
塚原 美村(つかはら よしむら、1916年2月4日- 200… 塚原 美村(つかはら よしむら、1916年2月4日- 2009年)は、歴史家、小説家。 山梨県生まれ。東京府立第七中学校(現東京都立墨田川高等学校)卒、日本大学卒。山梨県立甲府第一高等学校教諭。 京都の部落問題研究所に所属。下層の人間の歴史を研究した。『金印惑伝』では漢委奴国王印の金印を江戸時代の製作と主張した。
八切 止夫(やぎり とめお、1914年12月22日? - 1… 八切 止夫(やぎり とめお、1914年12月22日? - 1987年4月28日)は、歴史小説家。日本シェル出版代表。「八切史観」と呼ばれる独自の歴史観を展開した。
池田 みち子(いけだ みちこ、1914年4月10日 - 20… 池田 みち子(いけだ みちこ、1914年4月10日 - 2008年1月7日)は、日本の作家。 京都府出身。日本大学芸術科卒業後、日本写真公社に勤務する傍ら『三田文学』などで小説を書き始め、1940年(昭和15年)には「上海」で第11回芥川賞候補となった。 戦後は作家専業となり、女の性を赤裸々に描いた1950年(昭和25年)の「醜婦伝」で注目され、中間小説を多数執筆。「肉体派の風俗作家」と呼ばれる。1981年(昭和56年)、『無縁仏』で平林たい子文学賞を受賞。1982年(昭和57年)の『生きる』は翌年、NHKのドラマ人間模様でドラマ化された。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
十返 肇(とがえり はじめ、1914年〈大正3年〉3月25日… 十返 肇(とがえり はじめ、1914年〈大正3年〉3月25日 - 1963年〈昭和38年〉8月28日)は、香川県出身の作家、文芸評論家、編集者。 本名は十返 一(とがえり はじめ)。筆名=大方宗多(オオカタ ソウダ)。 高松市生まれ。料亭・淀川楼の長男に生まれる。 旧制高松中学校を経て、1935年(昭和10年)日本大学芸術科卒業。在学中から中河与一主宰「翰林」の同人となり、文芸時評を連載。東京市麹町区土手三番町に下宿していたとき、近所の吉行エイスケに師事。 森永製菓宣伝部に勤務。後に、第一書房に入社して「新文化」(「セルパン」改題) 編集長。 戦後、丹羽文雄に勧められて十返肇という筆名を名乗る。
大佐古 一郎(おおさこ いちろう、1912年(大正元年)11… 大佐古 一郎(おおさこ いちろう、1912年(大正元年)11月15日 - 1995年(平成7年))は、昭和時代のジャーナリスト・著作家。広島市での原爆被災をはさむ長い時期にわたって、在広島の地方紙である中国新聞の記者を務めた。 広島県山県郡壬生町(現・北広島町)生まれ。1933年に(旧制)山陽中学を卒業したのち日本大学予科に入学。同大学文学部に学んだのち、標準教科書出版協会・哈爾濱日日新聞社を経て、1939年中国新聞社に入社。この間、中国大陸で兵役に就く。県政(広島県庁・中国総監府)担当記者であった33歳時、1945年8月6日に原爆に被災した。同社が壊滅して幹部・同僚記者が多数被爆死し、また敗戦後の枕崎台風によって疎開先の印刷工場も機能停止に陥るなか、辛くも生き延びて戦後の再建に参加した。
大阪 圭吉(おおさか けいきち、1912年3月20日 - 1… 大阪 圭吉(おおさか けいきち、1912年3月20日 - 1945年7月2日)は、愛知県出身の推理作家、小説家。本名は鈴木 福太郎(すずき ふくたろう)。 愛知県南設楽郡新城町(現・新城市)の旅館、「鈴木屋」の息子として生まれる。地元の小学校から豊橋商業学校(現・愛知県立豊橋商業高等学校)に進学するも、3年で中退。上京して日本大学商業学校(夜間、現在の日本大学第一高等学校)で学ぶ。この頃、坂上蘭吉のペンネームで「中央公論」の文壇アンデパンダン懸賞小説に応募するが選外となる。1931年には大学を卒業、郷里に戻り新城町役場に入職する。 やがて探偵小説を書くようになり、ペンネームも敬愛する江戸川乱歩の「江戸」に対する地名から、「大阪」圭吉と改め、1932年に『日の出』の創刊号懸賞小説に応募した「人喰い風呂」が佳作入選。
笠原 良三(かさはら りょうぞう、1912年1月19日 - … 笠原 良三(かさはら りょうぞう、1912年1月19日 - 2002年6月22日)は、日本の脚本家、小説家。本名:笠原 良三郎。社長シリーズなどの喜劇映画の脚本を多く手がけた。 栃木県足利郡足利町(現:足利市)出身。1932年に日本大学芸術学部を中退し、1936年に日活多摩川撮影所脚本部に入社。1941年に新興シネマ脚本部に転属後、大映東京撮影所脚本部に移籍。1955年に東宝撮影所の契約者となる。弟子に東映ヤクザ映画の隆盛を支えた笠原和夫などがいる。オリジナル作品は自らノベライゼーションを行っている。 2002年6月22日、死去。90歳没。 銀座の若大将 - 日本一の若大将 海の若大将 - エレキの若大将 アルプスの若大将 - 歌う若大将 レッツゴー!若大将 - 南太平洋の若大将 - ゴー!ゴー!若大将 フレッシュマン若大将 - ニュージーランドの若大将 ブラボー!若大将 - 俺の空だぜ!若大将 社長になった若大将(テレビドラマ) 加山雄三 - 大矢茂 - 草刈正雄 田中邦衛 - 高松しげお - 湯原昌幸 星由里子 - 酒井和歌子 - 吉沢京子 - いけだももこ - 坂口良子 有島一郎 - 飯田蝶子 - 中真千子 - 三條美紀 - フランキー堺 - 高橋恵子 藤本真澄 - 神谷一夫 - 大森幹彦 - 安武龍 - 田波靖男 田波靖男 - 笠原良三 杉江敏男 - 福田純 - 古澤憲吾 - 岩内克己 - 小谷承靖
埴谷 雄高(はにや ゆたか、1909年〈明治42年〉12月1… 埴谷 雄高(はにや ゆたか、1909年〈明治42年〉12月19日 - 1997年〈平成9年〉2月19日)は、日本の政治・思想評論家、小説家。本名は般若 豊()。 共産党に入党し、検挙された。カント、ドストエフスキーに影響され、意識と存在の追究が文学の基調となる。戦後、「近代文学」創刊に参加。作品に『死霊』(1946年 - 未完)、『虚空』(1960年)などがある。 台湾の新竹に生まれる。子供の頃から身体が弱く、常に死を身近に感じていたという。子供心に台湾において「支配者としての日本人」を強く意識し、罪悪感を覚えていた。 青年期に思想家マックス・シュティルナーの主著『唯一者とその所有』の影響を受け、個人主義的アナキズムに強いシンパシーを抱きつつ、ウラジーミル・レーニンの著作『国家と革命』に述べられた国家の消滅に一縷の望みを託し、マルクス主義に接近、日本共産党に入党し、もっぱら地下活動(農民団体「全農全会派」のオルグ活動)に従事し、思想犯取り締まりのため、1932年に逮捕された。
高橋 鐵(高橋 鉄、たかはし てつ、1907年11月23日 … 高橋 鐵(高橋 鉄、たかはし てつ、1907年11月23日 - 1971年5月30日)は、日本の小説家、性風俗研究家。 東京出身。日本大学卒業。小説を書き、社会主義に関心を抱くが、のちフロイトに関心を抱く。第二次世界大戦後は性科学の研究を始め、1950年に日本生活心理学会を設立、『あるす・あまとりあ』がロングセラーとなる。また同年に『人間探求』(第一出版社、1950年5月~53年8月)を創刊する。日本生活心理学会の機関誌『Seishin report』を刊行した。 性風俗、性科学に関する多数の著作は一世を風靡してよく売れ、1950年代~1980年代は高橋の著作が古書店にも多数並べられていた。戦前は阿部定事件に関する著作もある。
荒木 精之(あらきせいし、1907年1月7日 - 1981年… 荒木 精之(あらきせいし、1907年1月7日 - 1981年12月30日)は、小説家、思想家、文化運動家、地方雑誌「日本談義」を発行、熊本地方の文化に貢献した。 阿蘇郡長陽小学校校長荒木民次郎の長男として生まれる。母富香も同じ小学校に勤務していた。5歳時、母はなくなり父は後妻を娶る。小学校卒業後、熊本市船場町の逓信講習所に入る。郵便局の推薦でないので熊本郵便局の臨時事務員や福岡県大川の郵便局に勤務する。同僚のものが軽微な過失で懲戒免職になったので、憤慨して辞表を提出した。「懲戒免職」は彼の最初の小説である。父は現菊池市で隈府女子技芸学校を設立したので加勢をした。父の死後は義母荒木スヱヲが続けた。
瀬戸口 寅雄(せとぐち とらお、1906年5月23日 - 1… 瀬戸口 寅雄(せとぐち とらお、1906年5月23日 - 1987年3月24日)は、日本の作家。 鹿児島県生まれ。ペンネーム・瀬木俊郎。日本大学法科卒。東京毎日新聞で警視庁記者、司法記者をへて、吉本興業文芸部長兼秘書課長。サトウ・ハチローに講談社の編集者野間律太を紹介され、探偵実話、裁判実話を執筆。 第二次世界大戦中は、自ら演劇人を引き連れ戦地を訪れ、出征将兵慰問活動を行っていた。 戦後から時代小説を書く。映画「東海遊侠伝」のほか、美空ひばり主演映画の原作を多く書いた。 肺炎のため新葛飾病院(東京都葛飾区)で死去した。