スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
宮原 秀夫(みやはら ひでお、1943年6月21日 - 20… 宮原 秀夫(みやはら ひでお、1943年6月21日 - 2024年7月12日)は、日本の計算機科学者。工学博士。位階は従三位、叙勲は瑞宝大綬章。情報通信研究機構元理事長・大阪府立産業技術総合研究所所長・財団法人地球環境センター理事長。 大阪市生まれ。大阪府立高津高等学校を経て大阪大学大学院工学研究科博士課程出身。文部科学省国立大学法人評価委員会委員長代理(第四期)。 専門は情報ネットワーク学。インターネットに代表されるコンピュータネットワークのモデル化と性能評価を学問領域として確立。それを基礎理論としたネットワーク設計手法を導入し、コンピュータネットワークの実用化に大きな道を拓いた。近年、爆発的に普及しているインターネットはARPANETから発展してきたものであるが、ARPANETプロジェクトの発足当初に、インターネットにおける回線交換技術に対するパケット交換技術の優位性を理論的に証明した。
植村 榮(うえむら さかえ、1941年1月2日 - )は日本… 植村 榮(うえむら さかえ、1941年1月2日 - )は日本の化学者。京都大学名誉教授。専門は、有機化学・合成化学。大阪府出身。 京都大学工学部において、有機ヘテロ元素化合物を使っての不斉合成、金属交換モンモリロナイト触媒を使っての有機合成、遷移金属触媒を使ってのアルコール酸化などについて研究する。雑誌「化学と工業」2005年度の編集委員長を務めた。 1978年には、関西の化学者からなる会の結成に携わり、産学の連携に尽力した。 所属する日本化学会では、化学への深い造詣を活かし、2005年から創設された化学遺産認定事業に発足から携わり、シンポジウムの司会なども務める。 2004年の京都大学退官後は、科学英語の普及にも尽力している。
瀬尾 健(せお たけし、1940年11月14日 - 1994… 瀬尾 健(せお たけし、1940年11月14日 - 1994年6月5日)は、日本の工学者。理学博士(京都大学・1977年)、最終職歴は京都大学原子炉実験所(現:京都大学複合原子力科学研究所)計測装置部門助手(現助教)であった。熊取六人衆の一人。 1940年(昭和15年)11月14日、兵庫県神戸市に生まれる。 1959年(昭和34年)3月、大阪府立高津高等学校を卒業、翌1960年(昭和35年)4月、京都大学工学部原子核工学科に入学する。1964年(昭和39年)3月、同大学同学科卒業、同年4月、京都大学大学院工学研究科原子核専攻修士課程に入学する。 1966年(昭和41年)3月、同大学院同課程修了、工学修士の学位を取得、同年4月、京都大学原子炉実験所計測装置部門助手(現在の職階では助教)となる。
森本 清一(もりもと せいいち、1939年(昭和14年) -… 森本 清一(もりもと せいいち、1939年(昭和14年) - 2012年(平成24年) 3月11日)は、日本の弁護士。大阪府出身。 弁護士活動として東京都内にて人権擁護活動を行っている。東京都の墨田区民に対し、生きがいと健康の増進を得ること、そして豊かな地域づくりのため生涯学習の機会を提供する活動をしている。たとえば、区民に対して生涯学習に関する情報を提供をしたり、区民からの相談や生涯学習団体等の活動を支援する事業を行っている。 2000年(平成12年)9月25日に認証された特定非営利活動法人・すみだ学習ガーデンでは代表を務め、すみだ生涯学習センターの「すみだプラネタリウム」を運営している。墓所は築地本願寺和田堀廟所。
鳥居 宏次(とりい こうじ、1938年8月30日 - )は、… 鳥居 宏次(とりい こうじ、1938年8月30日 - )は、日本の計算機科学者。国立大学法人・奈良先端科学技術大学院大学特任教授。大阪府東大阪市出身。 ソフトウェア作成の観察実験など、数値化を重視した実証的といわれるソフトウェア工学の研究をしたという評価がある。 2006年、情報化月間推進会議(議長:児玉幸治・日本情報処理開発協会会長)が表彰する『平成18年度情報化促進貢献個人表彰』において『経済産業大臣表彰(情報化促進部門)』を受ける。表彰理由は「エンピリカルソフトウェア工学を提唱し、ソフトウェア工学に関する国際的な研究組織の創設に主導的な役を果たす。文部科学省「データに基づくソフトウェア開発支援システム(EASEシステム)」プロジェクトにおいて研究代表者を務め、産業界と学会との連携の枠組みの構築に大きく寄与」となっている。
石黒 武彦(いしぐろ たけひこ、1938年5月7日 - )は… 石黒 武彦(いしぐろ たけひこ、1938年5月7日 - )は、大阪府出身の科学者。専門は超伝導体物理学(特に有機超伝導体)、低次元物質物性学、半導体物理学、超音波による物性研究などの物性物理学、ならびに科学技術社会学。 1966年京都大学大学院工学研究科電子工学専攻博士課程単位取得退学後、工業技術院電気試験所および電子技術総合研究所の研究員、研究部長を経て、京都大学理学部教授となり、2002年同学の名誉教授となった(63歳)。続いて、2003年同志社大学ヒューマン・セキュリティ研究センターのフェロー(教授)に就任し、2008年退職。 大学院では田中哲郎教授の下で、元素半導体セレンとテルルの単結晶を作成し、機械共振法と超音波増幅実験によって、それぞれに圧電効果があることを示し、イオン性がなくても(共有結合系であっても)圧電性を示すことを明らかにした。
応地 利明(應地利明、おうじ としあき、1938年3月6日-… 応地 利明(應地利明、おうじ としあき、1938年3月6日- )は、日本の地理学者。京都大学名誉教授。専攻は人文地理学で、アジア・アフリカ地域研究を主要な研究領域とするが、最近は地理学史・地理思想史に関する著作も多い。大阪府出身。 大阪府出身。1956年大阪府立高津高等学校卒業、1960年京都大学文学部史学科地理学専攻卒業、1964年同大学院文学研究科博士課程退学、名古屋大学文学部助手、1966年名古屋工業大学講師、1969年愛知県立大学助教授、1973年京都大学文学部助教授、1986年教授、同年「南西アジアにおける農業的土地利用の地理学的比較研究」で京大文学博士。94年同東南アジア研究センター教授、98年同アジア・アフリカ地域研究・研究科教授、2000年定年退官、名誉教授、滋賀県立大学・人間文化学部教授、2005年立命館大学文学部教授、2008年退職。
前田 武志(まえだ たけし、1937年10月22日 ‐ )は… 前田 武志(まえだ たけし、1937年10月22日 ‐ )は、日本の建設官僚、政治家。 衆議院議員(4期)、参議院議員(2期)、国土交通大臣(第16代)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院逓信委員長、参議院国家基本政策委員長、参議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長、参議院予算委員長、民進党常任顧問等を歴任。 奈良県十津川村出身。大阪書籍社長・会長、吉野書房(吉野教育図書の前身)創業者・社長、教科書協会理事、文部省図書監修官などを務めた前田隆一の二男として生まれる。五條中学、大阪府立高津高等学校を経て1964年京都大学工学部土木工学科を卒業。京都大学大学院工学研究科修了後、建設省に入省。
出馬 迪男(いづま みちお、1937年(昭和12年)1月20… 出馬 迪男(いづま みちお、1937年(昭和12年)1月20日 - 2019年(令和元年)12月15日)は、日本の実業家。フジテレビジョン副社長、関西テレビ放送社長を務めた。 大阪府大阪市出身。大阪府立高津高等学校、慶應義塾大学法学部を卒業。 共同テレビジョンを経て、1963年(昭和38年)1月フジテレビジョン入社。 1987年(昭和62年)6月取締役営業局長、88年6月常務取締役(営業担当)、91年6月専務取締役(総括担当)。 1997年(平成9年)6月代表取締役副社長営業統括本部長、99年6月代表取締役副社長営業総括・営業統括本部長特命事項担当。 2001年(平成13年)6月、関西テレビ放送代表取締役社長に就任する。
熊本 昌弘(くまもと まさひろ、1936年(昭和11年)12… 熊本 昌弘(くまもと まさひろ、1936年(昭和11年)12月16日 - )は、日本の実業家。 神戸製鋼元社長。大阪府出身。大阪府立高津高等学校を経て、1960年に東北大学法学部を卒業。同年神戸製鋼に入社した。 原料購買や労務のほか、1970年の加古川製鉄所建設にも携わった。管理職以降は広報、総務、秘書など管理部門を主に歴任。1996年に社長となり、阪神・淡路大震災で被った大損害からの業績回復、累積損失の解消に努めるが、折りしもアジア通貨危機による鉄鋼需要激減が加わり、苦しい経営を強いられた。 1998年には事業部制を改めて社内カンパニー制を導入し、神戸製鋼の複合経営色を強めた。 社長退任後の1999年11月には総会屋への利益供与事件が発生し、会長報酬を半年間、全額返上した。
高村 直助(たかむら なおすけ、1936年10月17日 - … 高村 直助(たかむら なおすけ、1936年10月17日 - )は、日本史学者。文学博士(東京大学・論文博士・1984年)(学位論文「日本資本主義史論」)。東京大学名誉教授、フェリス女学院大学名誉教授。専門は日本近代経済史・産業史。三兄は高村泰雄(京都大学名誉教授)。 大阪市出身。1955年大阪府立高津高等学校卒業、1959年東京大学文学部卒業、1965年東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学、社会科学研究所助手(- 1966年)。 1971年から東京大学文学部助教授、教授を務め、1997年定年退官、名誉教授、フェリス女学院大学国際交流学部教授。2007年退職、名誉教授。1984年「日本資本主義史論」で東京大学より文学博士の学位を取得。
梁 石日(ヤン・ソギル、ヤン・ソクイル、양석일、1936年8… 梁 石日(ヤン・ソギル、ヤン・ソクイル、양석일、1936年8月13日 - 2024年6月29日)は、日本の小説家。在日朝鮮人。本名は梁正雄(ヤン・ジョンウン)、通名:梁川正雄。 大阪市猪飼野で生まれる。両親は済州島から大阪市に移住してきた。戦後、一家は蒲鉾製造で成功したが、父はほどなく愛人を作り、妻子を棄てて家を出た。 大阪府立高津高等学校定時制在学中に、内灘闘争に参加。1954年に猪飼野で詩人の金時鐘に出会う。その後、金が主宰する同人誌『ヂンダレ』に詩を投稿し、手ほどきを受ける。梁石日という筆名は「石の上にも三年、日が照るまで粘り強く書く」の含意で、金時鐘が名付け親である。なお、後に作家として成功してからも親交は続いた。
宅見 勝(たくみ まさる、1936年〈昭和11年〉6月22日… 宅見 勝(たくみ まさる、1936年〈昭和11年〉6月22日 - 1997年〈平成9年〉8月28日)は、20世紀に活動した日本のヤクザ。指定暴力団・五代目山口組若頭であり、山口組有力団体・宅見組の創設者。神戸出身。 バブル期を通して金融や不動産などのフロント企業を通じ蓄財した2,000億円とも言われる豊富な資金を背景に、渡辺芳則を首領に据えた五代目山口組の発足(1989年)に立役者として関与。以後、山口組のナンバー2にあたる若頭として構成員3万6千名を擁する山口組の事実上の仕切り役として活動し、山口組を近代的な組織に創り上げる他、“山口組の金庫番”とも呼ばれた。また政治家の安倍晋太郎とは親友であった。
今西 幹一(いまにし かんいち、1936年2月26日 - 2… 今西 幹一(いまにし かんいち、1936年2月26日 - 2009年5月1日)は、日本の国文学者。近代文学、とりわけ近代詩歌・短歌研究を専門とし、佐藤佐太郎・正岡子規など歌人研究に業績をあげた。元二松学舎大学学長・名誉教授。『佐藤佐太郎短歌の研究―佐藤佐太郎と昭和期の短歌』により、第6回日本歌人クラブ評論賞を受賞。 大阪市出身。大阪府立高津高等学校を経て、1967年に関西学院大学大学院文学研究科修士課程日本文学専攻を修了、1970年に同博士課程単位取得満期退学。大阪府立箕面高等学校教諭などのかたわら、研究に従事。1976年より山梨英和短期大学助教授、1982年同教授、1988年より二松学舍大学の教授。
井上 宏(いのうえ ひろし、1936年1月7日 - )は、日… 井上 宏(いのうえ ひろし、1936年1月7日 - )は、日本の社会学者。関西大学名誉教授。日本笑い学会顧問。専門はメディア社会学、コミュニケーション論、笑い学研究。
牧 美也子(まき みやこ、Miyako Maki、女性、19… 牧 美也子(まき みやこ、Miyako Maki、女性、1935年〈昭和10年〉7月29日 - )は、日本の漫画家。日本漫画家協会の元参与。夫は同じく漫画家で『銀河鉄道999』などで知られる松本零士。 兵庫県神戸市出身。大阪府立高津高等学校卒業(6期生)。 1957年(昭和32年)『母恋いワルツ』でデビュー。1960年代初めは『りぼん』(集英社)、1963年創刊の『マーガレット』(集英社)や『少女フレンド』(講談社)などで活躍の後、レディースコミックに転向。 近年は、女性週刊誌・青年誌などに『悪女聖書(あくじょばいぶる)』(原作:池田悦子)など官能的な漫画作品を連載し、ドラマ化された作品もある。
大塚善章(おおつか ぜんしょう、1934年2月15日 - )… 大塚善章(おおつか ぜんしょう、1934年2月15日 - )は、日本のジャズ・ピアニストである。大阪市天王寺区出身。 学生時代から今日まで65年を越えるジャズ演奏活動の中で、作曲や編曲でも数多くの作品があり、アメリカのジャズピアニストホレス・シルバーの影響を受けているといわれる。国内では数々のライブ演奏のほか、テレビ、ラジオや映画にも出演しており、海外でもスイス「モントルー・ジャズ・フェスティバル」に参加するなど、高い評価を得ている。 最近では、田中洋一(トランペット) 河村英樹(サックス)岩田晶・光岡尚紀(ベース)上場正俊・田中ヒロシ(ドラム)と共に「大塚善章カルテット」やトリオを編成し、関西を中心にライブで活躍している。
マルセ太郎(まるせ たろう、1933年12月6日 - 200… マルセ太郎(まるせ たろう、1933年12月6日 - 2001年1月22日)は、大阪府出身のパントマイム芸人、俳優、ヴォードヴィリアン、劇作家。 在日朝鮮人二世として大阪市生野区猪飼野(現在の生野区中川)に生まれる。本名、金原 正周(きんばら まさのり)/金均洚(キム・キュンホン、김균홍)。大阪府立高津高等学校卒業後、1954年に上京した。もともと新劇俳優志望だったが、俳優座養成所の試験に落ちる。失意とヒロポン中毒の中、映画『天井桟敷の人々』を見てパントマイムを知り、マルセル・マルソーの舞台演技に影響を受けた。マルセル・マルソーにちなんだ芸名でパントマイム芸人としての活動を始めた。 高校の同級生に関西で活躍するジャズ・ピアニストの大塚善章がいた。
佐藤 祐弘(さとう すけひろ、1933年2月20日 - )は… 佐藤 祐弘(さとう すけひろ、1933年2月20日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、通算3期)。 大阪府大阪市大正区出身。大阪府立高津高校定時制卒業。カメラマン、赤旗記者などを経て、1983年の衆院選で東京10区から出馬し初当選を果たす。以後3期連続で衆議院を務めた後、1993年の衆院選には出馬せず引退を表明する。地盤は元赤旗外信部記者の佐々木陸海に継承。
三浦 精(みうら せい、1932年2月15日 - 2022年… 三浦 精(みうら せい、1932年2月15日 - 2022年3月11日)は、日本の工学者。専門は、機械材料・材料力学。学位は、工学博士(京都大学・論文博士・1966年)(学位論文「Production of lattice defects by plastic deformation in FCC metals 」)。京都大学名誉教授。大阪府出身。
柴田 侑宏(しばた ゆきひろ、1932年1月25日 - 20… 柴田 侑宏(しばた ゆきひろ、1932年1月25日 - 2019年7月19日)は、日本の劇作家・舞台演出家。宝塚歌劇団専属として活躍した。兄は映画監督の松尾昭典。 大阪府大阪市出身。芝居好きの母に連れられて幼い頃から舞台に親しむ。11歳のときに父が病死、13歳のとき、父の墓参りに訪れた豊橋市で終戦を迎える。戦時中は手に職をつけるために、大阪府立今宮工業学校(現・大阪府立今宮工科高等学校)へ進学。 1950年、大阪府立高津高等学校を卒業後、関西学院大学文学部美学科に入学。大学卒業後に兄の松尾を頼り上京、劇作を志して東京で脚本を書き溜めていたが、26歳のときに宝塚のテレビドラマの脚本募集を知って応募したところ入選、1958年4月、演出助手として阪急電鉄(宝塚歌劇団)に就職する。
黒田 清(くろだ きよし、1931年2月15日 - 2000… 黒田 清(くろだ きよし、1931年2月15日 - 2000年7月23日)は、日本のジャーナリスト、元読売新聞記者。兄には関西六大学野球連盟理事長の黒田脩、神戸大学名誉教授の黒田健二郎がいる。 大阪府大阪市北区天満出身、天満橋北詰の天満市場前で、製粉工場を経営する父と母の9人兄弟の末っ子として生まれた。旧制大阪府立高津中学校卒業、旧制第四高等学校(現:金沢大学)、京都大学経済学部卒業。 1952年12月、大阪進出直後の大阪読売新聞社に新卒1期生として入社。遊軍記者からスタートし、社会畑を歩み、1976年に社会部部長就任。以後、この社会部チームの記者は在京のメディアから「新しい新聞記者集団」として「黒田軍団」と名付けられ注目を集めた。
大野 喜久之輔(おおの きくのすけ、1930年〈昭和5年〉1… 大野 喜久之輔(おおの きくのすけ、1930年〈昭和5年〉12月16日 - 2023年〈令和5年〉10月)は、日本の経済学者、神戸大学名誉教授、広島市立大学名誉教授、第18期日本学術会議会員。元ロシア・東欧学会副代表理事。大阪市東成区生まれ。
上田 篤(うえだ あつし、1930年〈昭和5年〉8月12日 … 上田 篤(うえだ あつし、1930年〈昭和5年〉8月12日 - )は、日本の建築学者・建築家・都市環境空間デザイナー。専門は、都市計画・比較文明論。学位は、工学博士(京都大学・1971年)。 滋賀県彦根市出身(出生地は大阪府。里帰り出産後の生育地は、引き揚げまで満洲の奉天市、北支の濰縣(中国語版)、青島市。)。京都大学助教授・大阪大学教授・京都精華大学教授を経て、京都精華大学名誉教授。上田篤都市建築研究所主宰。 専門は主に建築工学であり、主な作品に「橋の博物館」「大阪万国博覧会お祭り広場」「旭川市平和通買物公園」などがある。 しかしながら、建築分野で評価を受ける反面、近年は古典分野の執筆活動を展開している。
石井 威望(いしい たけもち、1930年7月26日 - 20… 石井 威望(いしい たけもち、1930年7月26日 - 2024年10月5日)は、日本のシステム工学者。東京大学名誉教授。アカデミーヒルズリサーチ・ネットワーク所長。工学博士(東京大学・1963年)。大阪市生まれ。 専門はシステム工学・マルチメディア。テクノポリス(高度技術集積都市)構想を推進し、未来社会論で独創性を見せる。著書に『日本人の技術はどこから来たか』(1997年)、『iバイオテクノロジーからの発想』(2000年)など。 東京大学に在学中、ノーバート・ウィーナーの『サイバネティックス』を読んで、医学から工学に転じた。その後、システム工学、管理工学、応用工学から人工臓器、都市交通システムまで幅広い分野で活躍したが、専門はシステム工学・マルチメディアである。
肥田 晧三(ひだ こうぞう、1930年(昭和5年) - )は… 肥田 晧三(ひだ こうぞう、1930年(昭和5年) - )は、日本の書誌学者、日本文学者。
村岡 三郎(むらおか さぶろう、1928年6月25日 - 2… 村岡 三郎(むらおか さぶろう、1928年6月25日 - 2013年7月3日)は大阪府出身の彫刻家である。 1952年より二科展に出品。1954年に彫刻家として初めて鉄を素材とした作品を発表した。戦争体験の影響もあってか、人間の「生命」や「死」を鉄、硫黄、塩などの自然物質を使って表現する作品が特徴的である。作品は1990年のヴェネツィア・ビエンナーレ日本代表など、多くの展覧会に出品され、国内外で高い評価を得ている。母校・高津高校旧校舎の中庭に作った裸婦像は異色の作風である。
山本 勝一(やまもと まさかず、1928年(昭和3年)- 2… 山本 勝一(やまもと まさかず、1928年(昭和3年)- 2022年 (令和4年) 3月9日)は観世流能楽師。公益財団法人山本能楽会(山本能楽堂)会長。 大阪府出身、1943年(昭和18年)大阪府立高津中学校(旧制。現・大阪府立高津高等学校)卒業。1945年(旧制)関西大学予科卒業。 山本家は信州山本城主の諏訪盛重に起源を持ち、元禄時代に京都烏丸三条の五大両替商(大名貸)の一つ「伊勢屋」として栄えており、明治時代「伊弥太(貯蓄)銀行」として祖父の九代目弥太郎が経営していた。父の山本博之は大正時代に二十四世観世宗家(観世元滋)に入門、昭和初期に山本能楽堂(大阪市中央区)を建てるなど、能楽の大阪での普及に貢献した人物。
久米 三四郎(くめ さんしろう、1926年3月22日 - 2… 久米 三四郎(くめ さんしろう、1926年3月22日 - 2009年8月31日)は、日本の核化学者。大阪府出身。 旧制大阪府立高津中学校、旧制高知高等学校、大阪帝国大学卒業。製薬会社勤務を経て、大阪大学理学部講師を務めるかたわら、反原発の運動家として全国各地で多数の講演を行った。反原発運動全国連絡会を結成し、『はんげんぱつ新聞』の発刊に携わるなどの活動もあった。 1973年、国内で初めて原発の安全性が問われた、四国電力の伊方原子力発電所設置許可取り消し請求訴訟において、原告(住民)側補佐人を務めた。 高速増殖原型炉もんじゅの設置許可の無効確認を求めた行政訴訟(もんじゅ訴訟)でも、原告側の特別保佐人として、建設に反対の論陣を張った。
飯干 晃一(いいぼし こういち、1924年〈大正13年〉6月… 飯干 晃一(いいぼし こういち、1924年〈大正13年〉6月2日 - 1996年〈平成8年〉3月2日)は、日本の作家。元読売新聞社会部記者。タレントの飯干恵子(現:飯星景子)は娘。映画『仁義なき戦い』シリーズの原作者として知られる。 大阪府出身。旧制大阪府立高津中学校(現在の大阪府立高津高等学校)卒業後、旧制第七高等学校(現在の鹿児島大学)卒業、1950年京都大学法学部(現在の京都大学大学院法学研究科・法学部)卒業。 読売新聞勤務時は社会部副編集長であったが、「現場に出られないとつまらん」と会社を辞め、『山口組三代目』を執筆し、それまでになかった切り口で広島ヤクザ抗争の内部を克明に描いた『仁義なき戦い』を週刊サンケイに連載し反響を得る。
吉沢 伝三郎(吉澤 傳三郎、よしざわ でんざぶろう、1924… 吉沢 伝三郎(吉澤 傳三郎、よしざわ でんざぶろう、1924年2月8日 - 2003年4月15日)は、日本の哲学・倫理学研究家。ニーチェを主とした近代ドイツ哲学研究で知られる。東京都立大学名誉教授。 1924年(大正13年)、大阪府に生まれる。1941年(昭和16年)に大阪府立高津中学校を卒業後、旧制一高に進学。1949年(昭和24年)に東京帝国大学文学部倫理学科を卒業。和辻哲郎から教えを受けた最晩年の弟子の一人であり、和辻にその人柄と秀逸な研究をこよなく愛された愛弟子だった。 卒業後は東京都立大学教授となる。1987年に定年退官。2003年に死去。急死した最愛の長男の墓に永眠している。 専門は近代ドイツ哲学。
川崎 敏男(かわさき としお、1920年10月31日 - 2… 川崎 敏男(かわさき としお、1920年10月31日 - 2004年2月23日 )は日本の薬学者、九州大学名誉教授。専門は天然物化学。薬学博士(1952年)。兵庫県出身。
鞠谷 宏士(きくたに ひろし、1920年代 - 2010年1… 鞠谷 宏士(きくたに ひろし、1920年代 - 2010年10月29日)は、日本の運送施設工学者。大阪府大阪市出身。
堀 新助(ほり しんすけ、1919年3月31日 - 2013… 堀 新助(ほり しんすけ、1919年3月31日 - 2013年9月28日)は、日本の外交官。イタリア大使などを務め、また、プロ野球のパシフィック・リーグ(パシフィック野球連盟。以下、パ・リーグ)会長も務めた。長男は経営コンサルタントで(株)ドリームインキュベータ会長の堀紘一。
二十二世本因坊秀格(にじゅうにせいほんいぼう しゅうかく、1… 二十二世本因坊秀格(にじゅうにせいほんいぼう しゅうかく、1915年9月21日 - 1986年11月26日)本名:高川格(たかがわ かく)は、日本の囲碁棋士。本因坊戦9連覇の功績により名誉本因坊として高川秀格(たかがわ しゅうかく)と号し、後に二十二世本因坊を贈られる。和歌山県出身、光原伊太郎名誉八段門下。本因坊位の他にも、名人、十段等タイトル多数の、昭和を代表する名棋士の一人。「流水不争先」を信条とし、平明流とも言われる、合理的で大局観に明るい棋風。 和歌山県田辺町(現在の田辺市)生まれ。6歳頃に父の影響で碁を覚え、1925年に9歳で棋士を目指して上京し日本棋院に通うが、事情により2か月で帰郷する。
織田 作之助(おだ さくのすけ、1913年(大正2年)10月… 織田 作之助(おだ さくのすけ、1913年(大正2年)10月26日 - 1947年(昭和22年)1月10日)は、日本の小説家。戦後、太宰治、坂口安吾、石川淳らと共に無頼派、新戯作派と呼ばれ「織田作(おださく)」の愛称で親しまれる。『夫婦善哉』で作家としての地位を確立。 1913年(大正2年)、大阪市南区生玉前町(現・天王寺区上汐4丁目、生魂小学校正門前付近)にて、仕出屋(後に『一銭天麩羅屋』に業態変更)「魚春」の織田鶴吉、たかゑの長男として生まれる。仕出屋とは言え、上汐町筋より路地を入った所謂『裏店』(うらだな)であったが、中央区上汐1丁目の一画(『近松門左衛門の墓』のすぐ東側)に当時の家並(表店と路地=長屋)が唯一残っている。
西嶋 庄次郎(にしじま しょうじろう、1912年5月21日 … 西嶋 庄次郎(にしじま しょうじろう、1912年5月21日 - 2004年(平成16年)12月22日)は口腔解剖学者、大阪大学名誉教授。奈良県生駒郡出身。旧制・大阪府立高津中学校を経て大阪大学卒業。 1951年(昭和26年)に大阪大学に歯学部が設立された際、口腔解剖学講座として開設され、1951年(昭和26年)から1976年(昭和51年)まで初代主任教授を務めた。口腔解剖学講座は2000年(平成12年)の大学院部局化に伴い口腔分化発育情報学講座口腔解剖学第一教室となった。1985年(昭和60年)勲三等旭日中綬章受章。 1950年大阪大学医学博士、論文名は「歯牙硬組織缺損の法医学的研究 」。 2004年(平成16年)12月22日、老衰のため92歳で死去。
野間 三郎(のま さぶろう、1912年5月5日 - 1991… 野間 三郎(のま さぶろう、1912年5月5日 - 1991年12月4日)は、日本の地理学者。兄は国文学者の野間光辰。 兵庫県神戸市生まれ。1930年に旧制大阪府立高津中学校卒業。1933年に旧制大阪高等学校卒業。1936年に京都帝国大学文学部史学科地理学専攻卒業。1941年に京都帝国大学講師。大東亜戦争中、室賀信夫、小牧実繁らと関係していたため、公職追放された。1946年に同大学を退職。 その後、第三高等学校講師、京都新聞社出版部、毎日新聞社調査部を経て、1952年に立命館大学教授。1959年、金沢大学教授。1962年に「近代地理学の潮流 十九世紀地理学史研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。
野田 又夫(のだ またお、1910年12月10日 - 200… 野田 又夫(のだ またお、1910年12月10日 - 2004年4月22日)は、日本の哲学者。京都大学名誉教授、甲南女子大学名誉教授。 1910年(明治3年)、大阪府で生まれた。旧制大阪府立高津中学校(大阪府立高津高等学校の前身)で学び、この時の同期生には森三樹三郎(大阪大学名誉教授)がいた。1927年(昭和2年)、同中学校を卒業し、旧制大阪高等学校へ進学。3年間を過ごしたのち、京都帝国大学文学部哲学科へ進学した。 大学では、旧制大阪高等学校時代から同窓の保田與重郎(日本浪曼派で知られる)らと共に雑誌を発行し、それを西田幾多郎に持っていくなどして西田と交流していた。野田が京都帝国大学に在学した時期は「京都学派」が興隆した時期であり、西洋哲学の研究評伝集・弘文堂「西哲叢書」で最年少の執筆者としてデカルトを担当した。
森 三樹三郎(もり みきさぶろう、1909年8月14日 - … 森 三樹三郎(もり みきさぶろう、1909年8月14日 - 1986年8月29日)は、日本の中国思想研究者。文学博士(大阪大学・論文博士・1962年)。大阪大学名誉教授、佛教大学文学部教授。専門は仏教と老荘思想との関連を軸とした中国哲学史。 京都府舞鶴市生まれ。旧制・大阪府立高津中学校卒、1935年京都帝国大学文学部哲学科支那哲学史専攻を卒業。京都帝国大学副手、東方文化研究所(現京都大学人文科学研究所)を経て、1942年大阪高等学校教授に任命。1950年大阪大学文学部助教授、1962年「上古より漢代に至る性命観の展開」で大阪大学より文学博士の学位を取得。1966年教授、1973年定年退官、名誉教授。
安井 郁(やすい かおる、1907年4月25日 - 1980… 安井 郁(やすい かおる、1907年4月25日 - 1980年3月2日)は、日本の国際法学者、平和運動家。法政大学名誉教授、国際法学会幹事長、原水爆禁止日本協議会(原水協)初代議長。 大阪府門真市出身。大阪市立生魂小学校時代の同級生に作曲家の服部良一がいた。 国際法専攻。戦前期はモーゲンソーの影響を受ける。第二次世界大戦中には東京帝国大学法学部教授として、田畑茂二郎(京都帝大)とともに、「大東亜国際法」を提唱した。しかしこのことをもって1947年占領軍により戦争協力とみなされ、1948年に東大を公職追放となる。神奈川大学教授を経て法政大学教授に就任した。 1954年3月1日のビキニ水爆実験による第五福竜丸被爆事件を契機に、同年5月9日、東京都杉並区の婦人団体、福祉協議会、PTA、労組など39人は「原水爆禁止署名運動杉並協議会」を結成した。
土居 次義(どい つぎよし、1906年4月6日- 1991年… 土居 次義(どい つぎよし、1906年4月6日- 1991年11月24日)は、日本の美術史学者。専門は日本美術史。京都工芸繊維大学名誉教授、京都新聞文化賞、紫綬褒章、京都府文化賞特別功労賞、京都市文化功労賞、授与。元京都国立博物館館長。 大阪府大阪市天王寺区生まれ。大阪府立高津中学校、第三高等学校、京都大学文学部哲学科美学美術史卒業、同大学文学部助手として研究室に残る。大阪府立大手前高等女学校講師、恩賜京都博物館監査員。1945年(昭和20年)京都市文教局文化課長に奉職、市内の文化財の疎開に奔走、二条城の襖絵などを疎開させ復旧。1949年(昭和24年)京都工芸繊維大学教授となり、意匠工芸科の創設に尽力、1970年(昭和45年)同大学退官と同時に名誉教授。
竹内 正巳(たけうち まさみ、1906年 - 1986年7月… 竹内 正巳(たけうち まさみ、1906年 - 1986年7月24日)は、日本の経済学者。専門は、地域経済論。 兵庫県佐用町出身。大阪府立高津中学校(大阪府立高津高等学校の前身)、高知高等学校(高知大学の前身のひとつ)に、いずれも1期生として学び、高知高ではボート部を創設して活躍した。1929年、京都帝国大学経済学部を卒業。在学中は蜷川虎三ゼミで統計学を学んだ。 1930年代はじめから1945年まで、満鉄調査部に勤務し、東亜経済調査局の報告書などにもたずさわった。戦後、ソ連によるシベリア抑留を経験する。 1950年に帰国し、以降、経済企画庁の前身である経済安定本部勤務、経済審議庁調査官、愛媛県企画室長を経て、1954年ころに大阪府立商工経済研究所長として大阪へ戻り、近畿開発促進協議会事務局長なども務めた。
川島 清(かわしま きよし、1905年11月14日 - 没年… 川島 清(かわしま きよし、1905年11月14日 - 没年不詳)は、日本の俳優、殺陣師である。川島 淸と表記されることもある。本名は河島 淸三郎(かわしま せいざぶろう)。旧芸名は鵜沼 三四郎(うぬま さんしろう)。マキノ・プロダクションの主要人物の一人である。 1905年(明治38年)11月14日、岡山県苫田郡奥津村(現在の同郡鏡野町)に生まれる。 旧制大阪府立高津中学校(現在の大阪府立高津高等学校)を卒業後、現在の大阪府富田林市にあった天地キネマに入社。ただし、同社での出演作品は不明である。2004年(平成16年)10月15日に発行された『日本映画人改名・改称事典』(国書刊行会)によれば、同社在籍当時は「鵜沼 三四郎」という芸名で活動していたという。
生駒 大洋(いこま まさひろ)は、日本の惑星科学者・天文学者… 生駒 大洋(いこま まさひろ)は、日本の惑星科学者・天文学者。専門は、理論惑星科学、系外惑星科学。国立天文台教授。博士(理学)。大阪府出身。
阪本 勇 は、日本の実業家。住友電工社長を務めた。
前田 肇 は、日本の銀行家。百五銀行頭取を務めた。
西岡 智(にしおか さとる、1931年 - 2018年6月2… 西岡 智(にしおか さとる、1931年 - 2018年6月29日)は、部落解放運動家。 部落解放同盟の役員、部落解放・人権研究所名誉理事等を歴任。 大阪市東住吉区矢田の被差別部落で五女二男の長男として生まれ育つ。祖父は和泉国信太村の出身で、被差別部落の庄屋であった。 戦時中は愛国少年団の団長を務め、特攻隊志望の軍国少年であった。私立浪速中学から大阪府立高津高等学校定時制在学中、マルクス・レーニン主義と出会う。弁護士を志望して慶應義塾大学法学部(通信制)に学び、在学中、1953年、部落解放同盟に参加し松本治一郎の客分秘書となる。 1958年、部落解放同盟大阪府連合会矢田支部を結成し初代書記長に就任。