前川 久美子(まえかわ くみこ、1972年11月7日 - )… 前川 久美子(まえかわ くみこ、1972年11月7日 - )は、日本の元女子プロレスラー。千葉県佐倉市出身。 1991年10月4日、東京・後楽園ホールの全日本女子プロレス興行における、対寺川真由美戦でデビュー。当時はブル中野の付き人をしていた。 プロレスに生かすために習い始めたテコンドーに本格的に取り組み、2001年の世界テコンドー選手権大会に特別推薦枠で出場した。 2006年3月26日、東京・後楽園ホールにおいて、対高橋奈苗戦で引退。 全日本女子プロレスがなくなったこと、誰でも女子プロレスができる時代になったことなどを引退理由としている。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。
新明 嘉規(しんめい よしのり、1972年9月16日 - )… 新明 嘉規(しんめい よしのり、1972年9月16日 - )は、武蔵川部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。最高位は東幕下12枚目(1999年1月場所)。 千葉県佐倉市出身。佐倉市立佐倉中学校では柔道部に所属し、県大会で優勝。全国大会では沖縄県代表の真喜志慶治に僅差で敗れた。八千代松陰高等学校ではレスリング部に入り、1990年のインターハイに出場し、115㎏級で優勝。卒業後は専修大学に入り、レスリングを続けたが、2年で中退、大学時代は大会出場の経験はなかった。地元のレスリングクラブの先生に頼み、中央大学相撲部監督を介して、武蔵川部屋を紹介され、武蔵川部屋に入門した。1992年7月場所で初土俵を踏む。
藤木 直人(ふじき なおひと、1972年〈昭和47年〉7月1… 藤木 直人(ふじき なおひと、1972年〈昭和47年〉7月19日 - )は、日本の俳優、歌手、ミュージシャン。 千葉県佐倉市出身。所属事務所はキューブ、所属レコード会社はポニーキャニオン。早稲田大学理工学部情報学科卒業。二卵性双生児の弟。 岡山県倉敷市で二卵性双生児の弟として生まれ、父親の転勤にともない、10歳までの間に神戸、横浜、千葉と移り住む。幼少期は、スポーツ万能で勉強もでき社交的な双子の兄に少なからずコンプレックスを持っていた。 千葉県立佐倉高等学校を経て、1年浪人後の1992年(平成4年)、早稲田大学理工学部情報学科に入学。高校2年の時に「ミスター佐倉高校」全校1位に思いがけず選ばれたこと、また同2年の17歳でギターに出会ったことが、俳優・音楽業を目指す広い意味でのきっかけになる。
秋山 浩徳(あきやま ひろのり、1970年4月22日 - )… 秋山 浩徳(あきやま ひろのり、1970年4月22日 - )は、日本のギタリスト。千葉県佐倉市出身。麻布高校卒業、上智大学中退。既婚。
川上 未遊(かわかみ みゆう、1969年2月8日 - )は、… 川上 未遊(かわかみ みゆう、1969年2月8日 - )は、日本の女性タレント、女優、声優、歌手。千葉県佐倉市出身。 友人に勧められたコンテストで優勝し、篠山紀信によるポスター撮影をきっかけに数々のCMやドラマ、バラエティーに出演。アニメ『げんきげんきノンタン』のうさぎさん役やRuby名義でRuby&Hippie★のヴォーカルとしても音楽活動、芸能で活動中。 以前はホーリーピークに所属していた。 特技はいつも笑顔を絶やさない、人の長所を見つける事、作詞、日本舞踊、作曲、イラスト。趣味はスノーボード、園芸、ビーズアクセサー作り、ギターいじり、猫いじり、ガーデニング、ストーンデコアクセサリー作り、お菓子作り。
飯田 健太(いいだ けんた、1968年〈昭和43年〉8月30… 飯田 健太(いいだ けんた、1968年〈昭和43年〉8月30日 - )は、日本の経産官僚。 千葉県佐倉市出身。千葉県立千葉高等学校を経て、東京大学法学部を卒業。1992年、通商産業省に入省。入省後、産業技術環境局環境経済室長、中小企業庁事業環境部財務課長、製造産業局航空機武器宇宙産業課長、中小企業庁経営支援部経営支援課長、産業技術環境局環境政策課長、経済産業省大臣官房会計課長などを歴任。中小企業庁において、『中小会計要領』に係る信用保証制度の割引制度の立ち上げや『中小会計要領』の普及、経営革新等支援機関の実績に基づく『見える化』の制度の導入及び当該制度の役割拡大に努めた。 2020年(令和2年)7月20日、中小企業庁事業環境部長に就任。
青木 茂樹(あおき しげき、1968年 - )は、日本の経営… 青木 茂樹(あおき しげき、1968年 - )は、日本の経営学者。駒澤大学経営学部教授。 千葉県佐倉市出身。千葉県立船橋高等学校、慶應義塾大学商学部卒業。同大学大学院商学研究科博士課程単位取得満期退学。南カリフォルニア大学マーシャルスクールオブビジネス研究員、山梨学院大学商学部教授などを経て、2008年に駒澤大学経営学部教授に就任。 2013年7月、第23回参議院議員通常選挙に無所属で山梨県選挙区から出馬したが落選した。
新保 友紀子(しんぼ ゆきこ、1965年9月24日 ‐ )は… 新保 友紀子(しんぼ ゆきこ、1965年9月24日 ‐ )は、日本のソプラノ歌手。千葉県出身。二期会会員。 千葉県佐倉市出身。千葉県立千葉女子高等学校を経て、東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業。大学在学中に劇団四季ミュージカル「新・裸の王様」に主演する他、「ウェストサイド物語」などに出演。文学座研究所、青年座研究所で演技を学ぶ。 これまでの演奏会が、たびたび、ベルギーやフランスのテレビやラジオで放送された。
あさの まさひこ(本名:朝野 正彦、1965年7月31日 -… あさの まさひこ(本名:朝野 正彦、1965年7月31日 - )は、模型文化ライター/フリーライター/フリーエディター/プロデューサー/プランナー。御茶の水美術専門学校卒業。模型雑誌や模型イベントのプロデュースも行う。千葉県佐倉市出身。真鍋公彦の筆名で女性アイドルを描くイラストレーターとしても活躍した。 1980年頃より、アニメファンとしてアニメ誌の投稿欄で活躍。主にファンロードにおいてフィギュアを中心とした立体作品を発表し、その後、秋山徹郎が結成したフィギュア造型集団「O.F.F.」(オリジナル・フィギュア・ファクトリー、略称オフ)に参加。また、O.F.F.のメンバーが作ったフィギュアの作例と製作方法の解説、素材の紹介をメインとした同人誌『O.F.F.ワークブック』を発行する。
西田 三十五(にした さんご、1964年〈昭和39年〉10月… 西田 三十五(にした さんご、1964年〈昭和39年〉10月15日 - )は、日本の政治家。千葉県佐倉市長(2期)。千葉県議会議員(4期)、佐倉市議会議員(3期)を歴任。 千葉県佐倉市生まれ。佐倉市立臼井小学校、佐倉市立臼井中学校、千葉県立成田北高等学校を経て、1988年(昭和63年)3月、拓殖大学政経学部卒業。1991年(平成3年)、佐倉市議会議員に初当選。市議を3期務めた後、2003年(平成15年)に千葉県議会議員に初当選。県議時代は自由民主党に所属した。 2018年(平成30年)11月19日、任期満了に伴う佐倉市長選挙に立候補する意向を表明。 2019年(平成31年)4月21日執行の市長選は現職の蕨和雄が自由民主党の推薦を得たが、石井準一参議院議員や三原じゅん子参議院議員が西田を支援。
山岡 勝(やまおか まさる、1961年12月11日 - )は… 山岡 勝(やまおか まさる、1961年12月11日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。 佐倉高では、1978年秋季関東大会県予選準決勝に進むが、関根浩史のいた千葉工に惜敗。進学希望だったが、1979年オフにドラフト外で高校の先輩である長嶋茂雄監督の読売ジャイアンツに入団。 1986年に有田修三との2対1の交換トレードで、淡口憲治と共に近鉄バファローズに移籍。「背負い投げ投法」と言われた豪快なフォームから投げ下ろすオーバースローからの重い速球とカーブやシュートを投げる、武器の本格派投手として期待されていたが、プロで勝ち星を挙げることなく1991年限りで現役を引退した。 引退後、長嶋監督の下で2008年まで読売ジャイアンツの打撃投手を務めていた。
浅野 温子(あさの あつこ、1961年〈昭和36年〉3月4日… 浅野 温子(あさの あつこ、1961年〈昭和36年〉3月4日 - )は、日本の女優。東京都大田区出身。FIRST AGENT所属。 東京都大田区蒲田の蕎麦屋の1男1女の長女として生まれた。大田区立大森第八中学校から東京都立城南高等学校(現在の六本木高等学校)、代々木高等学校(現在の世田谷泉高等学校)を経て、上野高等学校を卒業した。 15歳のとき、山口百恵の主演映画『エデンの海』の山口のクラスメートの役のオーディションに合格し、映画デビューを果たした。1977年、TBSテレビ小説、『文子とはつ』のオーディションに合格した。翌年、映画『高校大パニック』に出演した。 1980年代には、『スローなブギにしてくれ』や『汚れた英雄』などの角川映画に出演し、注目を集めた。
城 恵美(じょう えみ、1950年9月10日 - )は元女優… 城 恵美(じょう えみ、1950年9月10日 - )は元女優。千葉県佐倉市生まれ。東京都出身。身長162 cm。B85 cm、W58 cm、H87 cm(1975年1月、城のインタビュー記事に記載されたプロフィール)。 私立菊華高等学校卒。1960年小学5年のときから東映児童研修所に通い(第4期)、2年間の研修後に東映児童劇団に入り多くの教育映画・児童映画に出演。研修所の1期後輩(第5期)に小倉一郎、片山由美子、児島美ゆき、後藤ルミらがいる。 東映児童教育映画『六年生の理科』でデビュー。1971年女番長(スケバン)シリーズ第1作『女番長ブルース 牝蜂の逆襲』で本格的にデビュー。子役時代から本名の「河崎いち子」名義で活動し、1972年に「城恵美」に改名。
蕨 和雄(わらび かずお、1949年(昭和24年)7月14日… 蕨 和雄(わらび かずお、1949年(昭和24年)7月14日 - )は、日本の政治家、実業家。元千葉県佐倉市長(3期)。 千葉県佐倉市先崎生まれ。千葉県立船橋高等学校、早稲田大学商学部卒業。1975年、東京銀行(現三菱UFJ銀行)に入行。東京、大阪、香港、ニューヨークで勤務し、1994年に蕨産業株式会社を設立した。 2007年4月22日に行われた佐倉市長選挙に無所属で出馬。元県議の密本俊一ら2候補を退け初当選(蕨:28,312票、密本俊一:22,969票、清宮誠:18,520票)。同年4月27日、正式に佐倉市長に就任した。 2011年、自民党の元県議の密本俊一を破り再選(蕨:43,044票、密本俊一:25,840票)。
吉岡 幸男(よしおか ゆきお、1948年(昭和23年)- )… 吉岡 幸男(よしおか ゆきお、1948年(昭和23年)- )は、日本の空手家。男性。極真会館主催の第3回オープントーナメント全日本空手道選手権大会6位入賞。幻の強豪と称された。身長180cm、体重75kg。 千葉県佐倉市出身。習志野市立習志野高等学校では剣道部に所属し、参段を允許された。1968年(昭和43年)に城西大学へ入学して、当時としては珍しい極真会館傘下の空手道部に入部。同期には三浦美幸がおり、主将には同部を創立した当時3年生の添野義二、吉岡の一期上の先輩・二期生には高木薫、後に入部してくる後輩の六期生には花澤明がいる。 添野・高木らから学んだほか、山崎照朝の指導を受け、空手道部が夏合宿を毎年四国で実施していたので芦原英幸にも教わった。
若井 康彦(わかい やすひこ、1946年3月1日 - )は、… 若井 康彦(わかい やすひこ、1946年3月1日 - )は、日本の政治家、都市計画家。
小出 義雄(こいで よしお、1939年4月15日 - 201… 小出 義雄(こいで よしお、1939年4月15日 - 2019年4月24日)は、陸上競技の元選手。佐倉アスリート倶楽部代表取締役。マラソン・中長距離選手の指導者。順天堂大学客員教授。千葉県佐倉市出身。 大きなサングラスが特徴で、小出正子は実子。高橋健一は婿にあたる。 千葉県立山武農業高等学校卒業後、家業の農業に従事していたが、陸上競技への思いを断ち難く出奔。小出の語るところによると、「電話工事のアルバイトや工事現場の作業員をやりながら食いつなぎ、昭和高圧(現在の高圧昭和ボンベ)駅伝部で競技を続けた」後に苦学の末、22歳で順天堂大学体育学部に入学。箱根駅伝に3年連続出場(1年時の第38回は5区区間10位、2年時の第39回は8区区間3位、3年時の第40回は8区区間5位)。
長嶋 茂雄または長島 茂雄(ながしま しげお、1936年〈昭… 長嶋 茂雄または長島 茂雄(ながしま しげお、1936年〈昭和11年〉2月20日 - 2025年〈令和7年〉6月3日)は、NPBの読売ジャイアンツ(巨人)で活躍した日本のプロ野球選手(内野手、右投右打)・監督。同球団の終身名誉監督やその運営会社である株式会社読売巨人軍専務取締役、日本プロ野球名球会顧問、ジャイアンツアカデミー名誉校長を務めた。愛称は「ミスタープロ野球」「ミスタージャイアンツ」「ミスター」「チョーさん」「ゴールデンボーイ」「燃える男」「永遠のスーパースター」他。 千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市)出身、血液型はB型。位階は従三位。 生前は飛びぬけた実力に加えて圧倒的な人気と知名度を有したため、「国民的スター」と称されることも多かった。
平山寿三郎(ひらやま じゅさぶろう、1933年 - )は、日… 平山寿三郎(ひらやま じゅさぶろう、1933年 - )は、日本の時代小説家。 1933年、東京都生まれ。千葉県立佐倉高等学校卒業後、出版販売業や外食産業に従事し、1993年、定年退職後執筆活動をはじめる。1998年に『東京城残影』(講談社刊)で第9回・時代小説大賞を受賞。
鶴岡 洋(つるおか ひろし、1932年〈昭和7年〉9月2日 … 鶴岡 洋(つるおか ひろし、1932年〈昭和7年〉9月2日 - 2021年〈令和3年〉2月10日)は、昭和から平成期の政治家。衆院で1期、参院で4期計27年間務めた。 千葉県印旛郡酒々井町出身。千葉県立佐倉高等学校を経て1957年(昭和32年)早稲田大学商学部卒業。同年、日野自動車に入社し、その後、西武鉄道、国土計画で勤務した。公明党参議院議員辻武寿、同北条浩、衆議院議員竹入義勝、同斎藤実の各議員秘書、公明党衆参両院事務局長を務めた。 1969年(昭和44年)第32回衆議院議員総選挙に公明党公認で旧千葉2区から立候補し、初当選。1期務める(1972年および1976年では落選)。 1980年(昭和55年)第12回参議院議員通常選挙に旧全国区へ鞍替え立候補し当選。
佐藤 進(さとう すすむ、1926年1月1日 - 1998年… 佐藤 進(さとう すすむ、1926年1月1日 - 1998年3月1日)は、日本の経済学者、新潟大学名誉教授。
北原 鉱治(きたはら こうじ、1922年〈大正11年〉3月5… 北原 鉱治(きたはら こうじ、1922年〈大正11年〉3月5日 - 2017年〈平成29年〉8月9日)は、日本の市民運動家、社会運動家、元政治家、活動家。三里塚芝山連合空港反対同盟(北原派)事務局長であった。 1922年に、千葉県佐倉市田町で、呉服商の次男として誕生する。 保善中学校を中退後、日本光学(現・ニコン)に就職した後、1942年に大日本帝国海軍へ志願制度で入隊する。横須賀海兵団・工機学校を経て駆逐艦「松風」や第四号海防艦に乗務。なお「松風」では、後に反対同盟副委員長となる小川明治が乗務しており、上官であったが同郷人であったため知遇を得る。空襲によって第四号海防艦が三重県鳥羽港沖で沈没した後は、横須賀海兵団第四分隊配属の指令を受け、艦載機の攻撃を受けながらも汽車で神奈川県横須賀市へ移動した。
櫻井慶治(さくらい けいじ、1919年 - 2016年6月6… 櫻井慶治(さくらい けいじ、1919年 - 2016年6月6日)は、日本の洋画家。弟子に三沢忠がいる。 1919年、千葉県印旛郡和田村(現千葉県佐倉市高崎)に生まれる。 千葉県立佐倉中学校(旧制、現千葉県立佐倉高等学校)、千葉師範学校(現千葉大学教育学部)を経て1949年に東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業。東京美術学校在学中の1947年と1948年に光風会展入選。1956年から1957年文部省留学生としてフランス留学。1956年から1964年まで絵画の研究の為、ヨーロッパを中心にイタリア、スイスなど各国を歴訪。1965年、再渡欧米、フランスでル・サロン銅賞・ヴィシー国際展グランプリを受賞。 1967年(昭和42年)第10回日展、1969年(昭和44年)改組第1回日展の2回で特選を受賞した。
市原 松平(いちはら まつへい、1915年3月30日 - 2… 市原 松平(いちはら まつへい、1915年3月30日 - 2001年4月11日)は、日本の土木工学者。京都帝国大学工学部卒業。名古屋大学名誉教授。土木学会名誉会員。地盤工学会名誉会員。土圧・間隙水圧の計測方法に関する研究を行い多面土圧計などの計測機器を開発。特に土圧研究の分野で多くの業績を上げた。勲二等瑞宝章受章。 1915年(大正4年)、現在の千葉県佐倉市に生まれる。旧制千葉県立佐倉中学校(現:千葉県立佐倉高等学校)、旧制大阪高等学校(現:大阪大学一般教養部)を卒業。 1941年(昭和16年)12月、京都帝国大学工学部土木工学科卒業。内務省国土局に採用される。 1942年(昭和17年)2月、近衛工兵連隊に現役兵として入隊。
高橋 誉冨(高橋 譽冨、たかはし たかよし、1913年9月2… 高橋 誉冨(高橋 譽冨、たかはし たかよし、1913年9月29日 - 2003年5月13日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。 千葉県出身。1937年千葉県師範学校(現千葉大学教育学部)卒。卒業後は千葉県内の小学校で教鞭を執り、その後は、習志野市立津田沼小学校校長や船橋市立二宮中学校校長を務めた。[要出典]1963年千葉県議会議員(八千代市)を経て、1974年の第10回参議院議員通常選挙(千葉地方区)で初当選、当選1回。福田赳夫内閣で北海道開発政務次官を務めた。1980年に引退。1984年秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章。 2003年5月13日午前2時39分、肺炎のため千葉県八千代市の病院で死去、89歳。
塚本 素山(つかもと そざん、1907年(明治40年)9月1… 塚本 素山(つかもと そざん、1907年(明治40年)9月1日 - 1982年(昭和57年)4月4日)は、日本の陸軍軍人、実業家。千葉県出身。陸軍士官学校卒業(少候19期)。本名は、塚本清。最終階級は陸軍少佐。戦前からの日蓮正宗の法華講員で、戦後、政財界の顔役として活躍した。 1907年(明治40年)9月1日、千葉県に生まれる。本籍は佐倉市裏新町。 旧制千葉県立佐倉中学校を卒業後、佐倉歩兵第57連隊に入隊。1935年(昭和10年)4月時点で陸軍軍曹であり、陸軍士官学校予科の生徒隊第1中隊第1区隊(区隊長:近藤伝八中尉)助教として51期生の教育を担当。1939年(昭和14年)、陸軍士官学校(少尉候補者第19期)を卒業する。
檜貝 襄治(ひがい じょうじ、1906年(明治39年)11月… 檜貝 襄治(ひがい じょうじ、1906年(明治39年)11月20日 - 1943年(昭和18年)1月29日)は、日本の海軍軍人。海兵57期。太平洋戦争(大東亜戦争)時における爆撃機の名パイロットで霞空飛行隊長、七〇一空飛行長を歴任。檜貝式爆撃法を生み出し、ガダルカナル島夜間爆撃等を指揮、多大な戦果をもたらした。七〇五空飛行長の三原元一少佐とともに陸攻隊の双璧といわれた。レンネル島沖海戦において被弾後、敵艦へ突撃。戦死による二階級特進で最終階級は海軍大佐。 1906年(明治39年)11月20日、千葉県佐倉町(現・佐倉市)に、海軍機関大佐・檜貝秀次郎(海軍機関学校4期)の、三男三女の二男として生まれる。
宇野 利雄(うの としお、1902年4月8日 - 1998年… 宇野 利雄(うの としお、1902年4月8日 - 1998年11月29日)は、日本の数学者。 千葉県佐倉市生まれ。旧制千葉県立佐倉中学(現在の千葉県立佐倉高等学校)、旧制第一高等学校(現在の東京大学教養学部)を経て東京帝国大学(現在の東京大学)理学部数学科卒業。理学博士(東北帝國大学)。1928年東京商船学校教授、1941年京城帝国大学教授。戦後、1949年東京都立大学 (1949-2011)教授、1959年日本大学教授を歴任。「コンピュータ黎明期のコンセプトメーカー」と『計算機屋かく戦えり』では書かれている。手計算や機械式計算機といった計算力が限られていた時代からの数値解析・計算科学の第一人者として、電子計算機のパイオニアであったと同時に、その経験から誤差の扱い等についても注意を与えていた先駆者であった。
木倉 和一郎(きくら わいちろう、1902年(明治35年)3… 木倉 和一郎(きくら わいちろう、1902年(明治35年)3月12日 - 1994年(平成6年)1月10日)は、日本の政治家(衆議院議員・千葉県議会議員)、初代佐倉市長、千葉県弓道連盟初代会長。経済界でも活躍。 1902年(明治35年)、現在の千葉県佐倉市に生まれる。1920年(大正9年)に旧制佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を卒業。1929年(昭和4年)に東京帝国大学経済学部(現在の東京大学経済学部)を卒業。 1929年、千葉県の佐倉町会議員となり、1932年(昭和7年)には千葉県会議員となった。1934年には32歳の若さで佐倉町長に就任。 1940年に召集され陸軍高射学校に入隊し、千葉陸軍高射学校の将校として配属された。
龍胆寺 雄(りゅうたんじ ゆう、1901年4月27日 - 1… 龍胆寺 雄(りゅうたんじ ゆう、1901年4月27日 - 1992年6月3日)は茨城県出身の作家、サボテン研究家。龍膽寺雄とも表記。 千葉県印旛郡佐倉町(現在の佐倉市)味噌部屋生まれ。茨城県真壁郡下妻町(現在の下妻市)育ち。本名は橋詰雄(はしづめ ゆう)。父橋詰孝一郎は長塚節の親友で、雄の出生当時は千葉県立佐倉中学校の国語教師だった。母の兄の連れ合いは松原姓で、その実兄にジャーナリストの松原二十三階堂がいる。 生後まもなく、父の転任に伴って下妻に移住。1918年、茨城県立下妻中学校卒業。第二高等学校 (旧制)を受験したが失敗し、その翌年、水戸高等学校 (旧制)受験の途次、急性の結核性頸部淋巴腺腫に倒れて受験を断念し、東京の順天堂医院に入院。
吉原呼我(よしはら こが、生年月日不明-1900年)は、日本… 吉原呼我(よしはら こが、生年月日不明-1900年)は、日本の教育者。中権精舎(ちゅうけんしょうしゃ)創始者。三島、伊豆地方に近代中等教育の種をまき、文化的発展に大きく貢献。
貝塚 武男(かいづか たけお、明治31年(1898年)1月3… 貝塚 武男(かいづか たけお、明治31年(1898年)1月3日 - 昭和19年(1944年)10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校46期生。
天野 喜久代(あまの きくよ、本名:新井 ふく、1897年(… 天野 喜久代(あまの きくよ、本名:新井 ふく、1897年(明治30年)8月24日 - 1945年(昭和20年)3月10日)は、昭和初期の歌手、女優。 千葉県佐倉市出身。日本橋高等女学校卒業。 1913年(大正2年)に帝劇歌劇部二期生として入部し、1914年(大正3年)2月より舞台に出演。1916年(大正5年)5月に帝劇洋劇部が解散、その後伊庭孝、佐々紅華らの主催する歌舞劇協会、東京歌劇座を経て浅草オペラで活躍。 東京音楽学校で教えていたハンカ・ペツォールドに声楽を師事していたため基礎ができており、浅草オペラ凋落後の1929年(昭和4年)1月25日ほか浅草電気館レビューで活躍する傍ら東京の松竹少女歌劇団の声楽教師に就く。
飯沼 金太郎(いいぬま きんたろう、1897年(明治30年)… 飯沼 金太郎(いいぬま きんたろう、1897年(明治30年)7月22日 - 1964年(昭和39年)6月10日)は、日本の航空黎明期のパイロット。「亜細亜航空学校」を創立した。 千葉県印旛郡佐倉町(現在の佐倉市)中尾余町に生まれる。 1915年(大正4年)に千葉県立佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を卒業後、工兵中尉の澤田秀の書生を務める。 1917年(大正6年)12月、帝国飛行協会の第3期飛行機操縦練習生となる。1918年(大正7年)5月10日、東京奠都50年祝賀飛行に参加した。 同年11月16日には帝国飛行協会研究生に進級する。 1919年(大正8年)9月から翌年4月にかけ、群馬県尾島飛行場に出張し、中島知久平の知遇を得る。
上村 伸一(かみむら しんいち、1896年〈明治29年〉6月… 上村 伸一(かみむら しんいち、1896年〈明治29年〉6月15日 - 1983年〈昭和58年〉7月27日)は、日本の外交官。東京帝国大学法科(現在の東京大学法学部)卒業。外務省東亜局第一課長。駐イギリス日本大使館臨時代理大使、トルコ大使などを務めた。著書多数。 千葉県印旛郡佐倉町(現・佐倉市)にて上村蔦松の長男として生まれる。札幌中学、二高を経て東京帝国大学法科へ進学。在学中の1920年(大正9年)10月に文官高等試験外交科(外交官及領事館試験)に合格。1921年(大正10年)、東京帝国大学法科卒業。同年、外務省に入省、牛荘官補に配属。昭和時代の幕開けを革命進行中のソビエト連邦駐在中に迎え、満州事変以降は中国外交の現場で奔走。
永倉 江村人(ながくら こうそんじん、1881年(明治14年… 永倉 江村人(ながくら こうそんじん、1881年(明治14年) - 1951年(昭和26年))は、日本の画家。京都帝国大学福岡医科大学(後の九州帝国大学医学部、現在の九州大学医学部)解剖教室標本描画嘱託。本名は永倉茂。初号は江村人。 1881年(明治14年1月14日)千葉県印旛郡臼井町(現在の佐倉市臼井)に旧佐倉藩士の永倉良輔の長男として生まれる。旧制佐倉尋常中学(現在の千葉県立佐倉高等学校)を経て、1898(明治31)年東京美術学校(現在の東京芸術大学)日本画科本科に入学、当時日本画助教授『横山大観』に師事、日本画を習う、学生時代、考古学研究における先駆者として、「東京人類学会(現日本人類学会)」に寄稿したという。
兒玉 秀雄[注 1](児玉秀雄、こだま ひでお、明治9年(1… 兒玉 秀雄[注 1](児玉秀雄、こだま ひでお、明治9年(1876年)7月19日 - 昭和22年(1947年)4月7日)は、日本の政治家、貴族院議員、官僚、伯爵。
赤井 春海(あかい はるみ、1876年6月12日 - 195… 赤井 春海(あかい はるみ、1876年6月12日 - 1954年12月14日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
津田 信夫(つだ しのぶ、1875年10月23日 - 194… 津田 信夫(つだ しのぶ、1875年10月23日 - 1946年2月17日)は日本を代表する鋳金工芸作家。東京美術学校(現在の東京芸術大学)教授、芸術院会員。
香取 秀真(かとり ほつま、1874年1月1日 - 1954… 香取 秀真(かとり ほつま、1874年1月1日 - 1954年1月31日)は日本の鋳金工芸作家、歌人である。学問としての金工史を確立し、研究者としても優れた。日本における美術の工芸家として初の文化勲章を受章。東京美術学校(現在の東京藝術大学)教授、芸術院会員。 帝室博物館(現在の東京国立博物館)技芸員、国宝保存会常務委員、文化財審議会専門委員などを歴任。秀真は雅号で、本名は秀治郎。金工の人間国宝である香取正彦は長男。 千葉県印旛郡船穂村(現在の印西市)に生まれるも、5歳で佐倉の麻賀多神社の宮司、郡司秀綱の養子となる。一時両親のもとに帰るが、7歳からの10年間を佐倉で過ごす。佐倉周辺は遺跡や古い寺院が多く、秀真は、幼い頃から古代への関心を抱いていた。
伊東 忠太(いとう ちゅうた、慶応3年10月26日〈1867… 伊東 忠太(いとう ちゅうた、慶応3年10月26日〈1867年11月21日〉 - 1954年〈昭和29年〉4月7日) は、明治から昭和期の建築家、建築史家である。号は紅雲。位階・勲等・学位・称号は、正三位・勲二等瑞宝章・工学博士・東京帝国大学名誉教授・早稲田大学教授。出羽国米沢(現山形県米沢市)出身。米沢市名誉市民第1号。 少年時代を東京、佐倉で過ごす。帝国大学工科大学(現在の東京大学工学部)を卒業して同大学大学院に進み、のちに工学博士・東京帝国大学名誉教授となる。 西洋建築学を基礎にしながら、日本建築を本格的に見直した第一人者で、法隆寺が日本最古の寺院建築であることを学問的に示し、日本建築史を創始した。
小柴 保人(こしば やすと、安政6年1月2日(1859年2月… 小柴 保人(こしば やすと、安政6年1月2日(1859年2月4日) - 大正13年(1924年)5月9日)は日本の工学博士。第二高等中学校(現東北大学教養部)教授。旧制鹿山中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を経て東京大学理学部(土木科)卒。土木学会会員。
浅井 忠(あさい ちゅう、1856年7月22日(安政3年6月… 浅井 忠(あさい ちゅう、1856年7月22日(安政3年6月21日) - 1907年(明治40年)12月16日)は、明治期の洋画家。教育者としても貢献した。
浜野 昇(はまの のぼる、1854年12月17日(安政元年1… 浜野 昇(はまの のぼる、1854年12月17日(安政元年10月28日) - 1920年(大正9年)2月11日)は、日本の医師、政治家。
佐藤 百太郎(さとう ももたろう、1853年(嘉永6年) -… 佐藤 百太郎(さとう ももたろう、1853年(嘉永6年) - 1910年(明治43年)12月24日)は、日本の実業家(貿易商)。日本における百貨店の創始者であり、日本領事をも務めた。明治4年(1871年)岩倉使節団一行の通訳としても活躍した。藍綬褒章受章。義兄に日米貿易の先駆者である8代目・大野伝兵衛(大野秀頴 1829年 - 1876年 7月29日)。 1853年(嘉永6年)、下総国佐倉(現在の千葉県佐倉市の本町)に順天堂2代目佐藤尚中の長男として生まれる。成徳館(現在の千葉県立佐倉高等学校の前身)を経て、元治元年には横浜のヘボン塾(現在の明治学院高校の前身)で米国長老派教会系医療伝道の宣教師、ヘボン夫人から英語を学ぶ。
林 董(はやし ただす、嘉永3年2月29日(1850年4月1… 林 董(はやし ただす、嘉永3年2月29日(1850年4月11日) - 大正2年(1913年)7月20日)は、江戸時代末期(幕末)の幕臣、明治時代の日本の外交官、政治家。伯爵。蘭方医佐藤泰然の5男で初代陸軍軍医総監・男爵の松本良順は実兄。幼名は信五郎、名は董三郎(とうさぶろう)とも。変名、佐藤 東三郎(さとう とうさぶろう)。
桜井 規矩之左右(さくらい きくのぞう、嘉永元年6月6日(1… 桜井 規矩之左右(さくらい きくのぞう、嘉永元年6月6日(1848年7月6日) - 大正元年(1912年)11月27日)は、大日本帝国海軍の軍人。海軍兵学校3期。最終階級は海軍少将。海軍砲術学校長、巡洋艦「比叡」「松島」「千歳」「橋立」の艦長を歴任。
香川松石(かがわ しょうせき、弘化元年1月15日(1844年… 香川松石(かがわ しょうせき、弘化元年1月15日(1844年3月3日) - 明治44年(1911年)9月28日)は、学校で用いられる書道の教科書を記した書道家。千葉師範学校(現在の千葉大学教育学部)教諭。通称、香川熊蔵。
逸見 宗助(へんみ そうすけ、1843年〈天保14年〉 - … 逸見 宗助(へんみ そうすけ、1843年〈天保14年〉 - 1894年〈明治27年〉)は、幕末から明治の武士、剣術家、警察官。 生年は1834年(天保5年)ともいわれる。佐倉藩藩士・逸見信敬(立身流第17代宗家)の子として生まれ、家伝の立身流を修行する。立身流は袋竹刀で打ち合う古式の剣法であったが、江戸で竹刀防具を用いる撃剣試合が盛んになると、佐倉藩も1850年(嘉永3年)に他流試合を許し、北辰一刀流や鏡新明智流などを招いて学んだ。鏡新明智流からは高弟の上田馬之助が来て、逸見は上田の指導を受けた。 1860年(万延元年)、父より立身流居合目録を受ける。父の計らいで藩から剣術留学の許しを得て、1861年(万延2年)に江戸に出て、鏡新明智流士学館道場を主として1年間撃剣を修行。
津田仙(つだ せん、天保8年7月6日(1837年8月6日) … 津田仙(つだ せん、天保8年7月6日(1837年8月6日) - 明治41年(1908年)4月24日)は、日本の農学者、キリスト者。学農社創立者。青山学院大学・筑波大学附属盲学校の創立に関わる。また、日本で最初に通信販売を行った人物でもある。同志社大学の創始者新島襄、人間の自由と平等を説いた東京帝国大学教授の中村正直とともに、“キリスト教界の三傑”とうたわれた。明六社会員。娘に、後に津田塾大学創設者となる津田梅子、サンフランシスコで日本語新聞「日米新聞」を発行し日系人社会のリーダー的存在だった安孫子久太郎と結婚しアメリカに移住した安孫子余奈子がいる。