勝山 茂雄(かつやま しげお、1961年 - )は、日本の映… 勝山 茂雄(かつやま しげお、1961年 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画学校講師。おもにピンク映画などを数多く手がけている。 1961年、東京都江東区生まれ。にっかつ芸術学院卒業(1982年)後、サトウトシキなどと一緒にピンク映画の制作に携わる。監督・広木隆一の助監督につき、制作・演出を学ぶ。 平行して早稲田大学映画サークル、東洋大学映画研究部と共に自主映画活動も始める。 1984年、自主映画『元気の出るマロン』日本映像フェステバルにて芸術家・岡本太郎に認められ金賞受賞。 1986年公開の『ロマン子クラブ エッチがいっぱい』で助監督を務めた。 1988年・新東宝『フラワーハイツの懲りない面々』にて映画監督として活動を始める。
川口 英樹(かわぐち ひでき、1961年 - )は日本の元子… 川口 英樹(かわぐち ひでき、1961年 - )は日本の元子役。 1960年代後半から1970年代後半頃に活動し、中でもレギュラーとして出演した『帰ってきたウルトラマン』の坂田次郎役や『仮面ライダーV3』の珠シゲル役で知られる。1961年、東京都江東区生まれ。姉二人、弟一人の四人姉弟の長男。両親と家族六人で江東区辰巳団地に住んでいた。1965年、4歳の時にチビッ子のど自慢に合格したのを契機に劇団いろはに所属。『帰ってきたウルトラマン』の撮影時は自宅から世田谷・砧の東宝撮影所までの約2時間の道のりを一人で通ってきたという。スポーツが得意で団地内の野球チームでピッチャーで四番打者。ボウリングもアベレージ150とのこと。
宮部 みゆき(みやべ みゆき、1960年〈昭和35年〉12月… 宮部 みゆき(みやべ みゆき、1960年〈昭和35年〉12月23日 - )は、日本の小説家。東京都江東区生まれ。 日本推理作家協会会員。2001年時点で日本SF作家クラブ会員だったが、2024年10月時点では会員名簿に名前がない。 OL、法律事務所、東京ガス集金課勤務の後、小説家になる。1987年(昭和62年)、「我らが隣人の犯罪」でデビューする。以後、『龍は眠る』(日本推理作家協会賞受賞)『火車』(山本周五郎賞受賞)『理由』(直木賞受賞)『模倣犯』(毎日出版文化賞特別賞受賞)などのミステリー小説や、『本所深川ふしぎ草紙』(吉川英治文学新人賞受賞)『ぼんくら』などの時代小説で人気作家となる。ファンタジーやジュブナイルものの作品も執筆している。
冬木 弘道(ふゆき こうどう〈本名:ひろみち〉、1960年〈… 冬木 弘道(ふゆき こうどう〈本名:ひろみち〉、1960年〈昭和35年〉5月11日 - 2003年〈平成15年〉3月19日)は、日本の元男性プロレスラー。血液型A型。東京都江東区生まれ、神奈川県横浜市育ち。横浜商科大学高等学校出身。身長180cm、体重128kg。旧リングネームは、同じ表記で本名の冬木 弘道(ふゆき ひろみち)、サムソン冬木(Samson Fuyuki)。 横浜商科大学高等学校卒業後、1979年(昭和54年)5月6日に国際プロレスへ入門する。 デビュー戦は1980年5月4日、北海道紋別市スポーツセンターの米村勉(後の米村天心)戦。国際では高杉正彦・菅原伸義(後のアポロ菅原)とともに「若手三羽烏」と呼ばれた。
小松 康伸(こまつ やすのぶ、1960年3月17日 - )は… 小松 康伸(こまつ やすのぶ、1960年3月17日 - )は、日本のシンガーソングライター、プロゴルファー、ゴルフレッスンスタジオ・アーバンウェスト代表。東京都出身。ロックバンド1960のメンバーで、ボーカルとギターを担当。作詞、作曲家としても活動する。 1973年、バンド「マッチボックス」を結成。その後、「HELLEN」、「CASSY」、「TRUX」とバンド遍歴を重ねる。 1986年、CBS・ソニー(現・ソニー・ミュージックレコーズ)からソロデビュー。当時の所属事務所は「ハートランド」。 1987年、8月22-23日にかけて行われた日本初のオールナイト・ロック・フェスティバル「BEAT CHILD」に出演。
ルーシー加山(ルーシーかやま、1960年2月3日 - )は、… ルーシー加山(ルーシーかやま、1960年2月3日 - )は、日本の元女子プロレスラー。東京都江東区出身。
岩崎 宏美(いわさき ひろみ、1958年〈昭和33年〉11月… 岩崎 宏美(いわさき ひろみ、1958年〈昭和33年〉11月12日 - )は、日本の歌手、女優、声優。 東京都江東区深川出身。所属事務所はスリージーカンパニー。レコード会社はテイチクエンタテインメント(所属レーベルはインペリアルレコード)。妹は歌手の岩崎良美。元夫はミュージカル俳優の今拓哉。愛称は、ヒロリン。 1975年のデビュー以来、圧倒的な歌唱力で数々のヒット曲を発表し、特に『ロマンス』『聖母たちのララバイ』は、共に80万枚から100万枚を超える売り上げを記録するなど日本を代表する実力派歌手の一人。また、海外公演の開催やミュージカル作品への出演もおこなっている。 東京都江東区木場で製材用の機械を製作する会社の経営者の次女として1958年11月12日に誕生した。
三笑亭 夢三四(さんしょうてい むさし、1957年11月25… 三笑亭 夢三四(さんしょうてい むさし、1957年11月25日 - 1994年4月30日)は、落語芸術協会に所属していた落語家。本名∶塩谷 利次。 工学院大学工業化学科中退。 1978年12月、三笑亭夢楽に入門し三笑亭夢坊となる。1983年5月、三笑亭夢三四に改名して二ツ目昇進。 1991年9月に真打に昇進するも、わずか三年後の1994年4月30日に肺がんで死去。36歳没。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
おりも 政夫(おりも まさお、1953年7月4日 - )は、… おりも 政夫(おりも まさお、1953年7月4日 - )は、日本の司会者、タレント、歌手、俳優。1970年代を代表する男性アイドルグループ・フォーリーブスのメンバー。東京都江東区亀戸出身。orimo company所属。本名・織茂 政男(読み同じ)。愛称はマー坊。血液型B型。 妻は、元・女優の松岡かおり。堀越高等学校卒業。長女はおりもりお(女優・2016年度ミス日本コンテスト「ミス着物」受賞。本名:織茂璃穏)。婿(義理の息子で璃穏の夫)は税理士の大塚亮一。 劇団若草 → ジャニーズ事務所(1994年まで所属) → アオイコーポレーション → (株)ベースアドベンチャー → (株)エフエンタープライズ
江戸の華 重信(えどのはな しげのぶ、1952年12月24日… 江戸の華 重信(えどのはな しげのぶ、1952年12月24日 - 2006年12月29日)は、東京都江東区出身で三保ヶ関部屋に所属した大相撲力士。本名は山本 重信(やまもと しげのぶ)。最高位は三段目東37枚目(1976年11月場所)。弓取力士として有名だった。 1968年に三保ヶ関部屋へ入門し、同年5月場所初土俵を踏む。 相撲では序二段と三段目の往復に終始したが、三段目在位時の1975年7月場所6日目から弓取式を担当し、最終出場場所となった1982年7月場所千秋楽まで約7年間弓取をしていた(途中、1976年3月場所に3日間だけ春日野部屋の太晃山が代役を務めた)。弓取の通算出場回数637回は2024年7月17日まで歴代1位の記録であった。
大西みつぐ(おおにし みつぐ、1952年10月7日 - )は… 大西みつぐ(おおにし みつぐ、1952年10月7日 - )は写真家。 東京の下町あるいは湾岸地区のニュータウンなどを中心に、そこに住む人々の生活をスナップ撮影することを得意とする。 また、早くからデジタルカメラやウェブでの写真の発表など実験的な表現も行う。 ニッコールクラブ幹事。ニコンサロン運営委員。 町方さんぽ写真同盟の座長。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
久夛良木 健(くたらぎ けん、1950年(昭和25年)8月2… 久夛良木 健(くたらぎ けん、1950年(昭和25年)8月2日 - )は、日本の技術者、実業家。PlayStationの生みの親。 近畿大学情報学部長。サイバーアイ・エンタテインメント株式会社代表取締役社長、アセントロボティクス株式会社代表取締役CEO、ソニー株式会社シニアテクノロジーアドバイザー。ほか、立命館大学大学院経営管理研究科客員教授、株式会社角川グループホールディングス、株式会社角川マガジンズ、楽天株式会社、株式会社ノジマ、株式会社マーベラスAQL、スマートニュース株式会社の各社で、社外取締役を務める。 1999年4月よりソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の代表取締役社長、2001年の執行役員制導入によりCEOも務めた。
日高 富明(ひだか とみあき、1950年2月22日 - 19… 日高 富明(ひだか とみあき、1950年2月22日 - 1986年9月20日)は、日本の男性歌手。通称・TOMMY(トミー)。かつては堀内護と高校時代からの友人の松崎しげるともに「ミルク」の一員だった。その後、堀内と大野真澄とガロを結成。解散後、「幹竜一(みき りゅういち)」名義にて作家活動を行っていたこともあった。
木場 勝己(きば かつみ、本名・西村 克己〈にしむら かつみ… 木場 勝己(きば かつみ、本名・西村 克己〈にしむら かつみ〉、1949年〈昭和24年〉12月30日 - )は、日本の俳優。血液型はO型。ホリプロのグループ会社のホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。 東京都江東区木場出身(芸名の由来でもある)。実家は材木屋を営んでいた。 中学時代から噺家を志し、高校時代は柳家小さんに憧れて弟子入り志願するも「高校を卒業しても同じ考えなら来るように」と返答されたという。 明治大学中退後、演劇センター附属青山杉作記念俳優養成所に第一期生として入所(同期生に山海塾の天児牛大がいた)。 養成所卒業後、蜷川幸雄らの櫻社を経て、1975年に劇作家・演出家の竹内純一郎(現:銃一郎)、俳優の沢田情児、演出家の和田史朗らと斜光社を旗揚げ。
向後 つぐお(こうご つぐお、1949年11月19日 - )… 向後 つぐお(こうご つぐお、1949年11月19日 - )は、日本の漫画家。東京都江東区亀戸出身。現在のペンネームは向後次雄。デビュー時はこうご次男というペンネームを使用していた。 16歳の時、永島慎二の元に内弟子として入る。当時のアシスタント仲間に村岡栄一や三橋乙揶らがおり、永島の作品『若者たち』のモデルとなっている。デビュー作は18歳の時、『COM』1968年5月号付録「ぐら・こん」Vol.1に掲載された『埃』。永島慎二のアメリカ旅行(1968年)の間は辻なおきのアシスタントになり、永島慎二の帰国に伴い再び1年間アシスタントを務めたのち独立した。青年誌を中心に、女性を主人公にした作品が多い。
濱口 富士雄(はまぐち ふじお、1949年4月14日 - )… 濱口 富士雄(はまぐち ふじお、1949年4月14日 - )は日本の漢文学者、群馬県立女子大学元学長・名誉教授。漢和辞典『全訳 漢辞海』『例解小学漢字辞典』(ともに三省堂)の編者の1人。 1949年、東京都江東区深川にて生まれる。1965年、江東区立深川第三中学校を卒業、1968年、東京都立両国高等学校を卒業。 1973年、大東文化大学文学部中国文学科を特待生として卒業、1975年、東京教育大学(現:筑波大学)大学院文学研究科中国古典学専攻修士課程を修了、1978年、大東文化大学大学院文学研究科中国学専攻博士課程を満期退学。1994年、「清代考拠学の思想史的研究」で筑波大学より博士(文学)(乙種) 1980年、長野短期大学専任講師に就任、翌1981年、秋田大学専任講師に転任、1983年に助教授に昇任。
桂 富丸(かつら とみまる、1948年10月11日 - )は… 桂 富丸(かつら とみまる、1948年10月11日 - )は、東京都江東区深川出身、落語芸術協会所属の落語家。出囃子は『深川くづし(お富さん)』。本名∶松井 正夫。 1970年12月、四代目桂米丸に入門、前座名・桂麦夫を名乗る。 1976年4月、二ツ目に昇進し、桂富丸と改名。 1985年5月、桂伸乃介と共に真打に昇進。 米丸の弟子らしく、一貫して新作落語中心の高座を務めている。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。
丑久保 健一(うしくぼ けんいち、1947年2月25日 - … 丑久保 健一(うしくぼ けんいち、1947年2月25日 - 2002年9月23日)は、日本の彫刻家。東京都江東区生まれ。1971年東京造形美術学校卒業後、栃木県宇都宮市大谷を拠点に制作活動を開始。現代彫刻、野外インスタレーションなどの作品を数多く制作。
西城 正明(さいじょう まさあき、1945年〈昭和20年〉1… 西城 正明(さいじょう まさあき、1945年〈昭和20年〉10月29日 - )は、日本プロボウリング協会の元プロボウラー。元永久シードプロ。元歌手。本名・大野正昭。8人兄弟で五月みどりを姉、小松みどりを妹、西川哲(五月の息子)を甥に持つ。 東京都江東区出身。実家は江戸川区平井で精肉店と芝居小屋を営んでいた。男4人女4人の8人きょうだい。城西高等学校では野球部に所属、法政大学に進学するも、身長164cmと小柄であったことと1年後に山本浩二、田淵幸一といった大物即戦力が入部するという情報を聞き野球部への入部を思い留まる。在学中に姉を頼りクラウン系の歌手として活動を始める。芸名を母校である城西を逆さにした西城正明としてデビューするものの姉の五月みどりのように売れることは無かった。
亀渕 友香(かめぶち ゆか、本名:亀渕 捷子〈かめぶち かつ… 亀渕 友香(かめぶち ゆか、本名:亀渕 捷子〈かめぶち かつこ〉、1944年〈昭和19年〉11月3日 - 2017年〈平成29年〉10月22日)は、日本のゴスペル歌手、ボイストレーナー、女優。 1944年、北海道札幌市に生まれ、そのすぐ後に一家は転居し江東区深川のベニヤ工場で育つ。3学年上の兄はニッポン放送の名物DJで後に同社社長・相談役を歴任した亀渕昭信。叔母はジャズシンガーだった。兄と共にその叔母の影響を受け、アメリカの流行歌を子守唄代わりに聴いていた。 小学校の時、マヘリア・ジャクソン出演映画『真夏の夜のジャズ』を観て、その歌声に衝撃を受け涙を流す。以来サッチモ、ゴールデン・ゲイト・カルテット、アレサ・フランクリンなど、ゴスペルミュージシャンをヒーロー&ヒロインとし、ブルース、ジャズ、アフリカン音楽に至るまでの黒人音楽を聴きながら成長。
林 美雄(はやし よしお、1943年8月25日 - 2002… 林 美雄(はやし よしお、1943年8月25日 - 2002年7月13日)は、日本のアナウンサー。 東京府深川区(現在の東京都江東区)出身。TBS編成局アナウンス部副理事。 東京都立第三商業高等学校卒業後、三菱地所に入社。退職後、早稲田大学に入学。卒業後、1967年4月、TBSにアナウンサーとして入社。ラジオ『パックインミュージック』のDJを担当。デビュー前の荒井由実(後の松任谷由実)や、おすぎとピーコを紹介し、若者たちの人気を得る。その後『夜はともだち』『夜はこれから』などを担当。1994年社会情報局アナウンスセンター専任部長を経て、2001年編成局アナウンス部副理事。TBSの放送終了時に流れる「こちらはTBS、東京放送です」とのステーションコールを担当するなどTBSを代表するアナウンサーとして知られた。
青江 三奈(あおえ みな、1941年〈昭和16年〉5月7日 … 青江 三奈(あおえ みな、1941年〈昭和16年〉5月7日 - 2000年〈平成12年〉7月2日)は、日本の歌手(演歌・歌謡曲など)。本名は井原(鈴木) 静子(いはら しずこ)。芸能活動におけるプロフィールでは、生年月日を1945年7月7日としていた。血液型はA型。 東京都江東区南砂出身。1947年区立砂町小学校に入学、1953年区立第三砂町中学校に入学を経て、1956年に東京成徳高等学校に進学。1959年に高校を卒業した後、西武百貨店勤務を経てクラブ歌手となり、「銀巴里」などで歌い始める。 「青江三奈」の芸名は、作詞家・川内康範が『週刊新潮』で連載した小説「恍惚」のヒロインの歌手の名前に由来する。
六代目 三遊亭 圓窓(さんゆうてい えんそう、1940年〈昭… 六代目 三遊亭 圓窓(さんゆうてい えんそう、1940年〈昭和15年〉10月3日 - 2022年〈令和4年〉9月15日)は、東京都江東区出身の落語家。落語協会所属。本名∶橋本 八郎。出囃子は『新曲浦島』。 東京都立文京高等学校卒業。 1959年3月、八代目春風亭柳枝に入門。「枝女吉」を名乗るが、同年10月、師匠柳枝が死去。兄弟子枝吉と共に六代目三遊亭圓生門下に移り、「吉生」と改名。 1962年11月、林家こん平と共に二ツ目昇進。 1969年3月、抜擢され真打に昇進し、六代目三遊亭圓窓を襲名。1970年6月21日より笑点の大喜利にレギュラー出演、そこでのキャラは常識派であった。番組500回記念では兄弟子・五代目圓楽とリレー落語を演じた。
清元 榮三(きよもと えいぞう、1936年2月23日 - 2… 清元 榮三(きよもと えいぞう、1936年2月23日 - 2016年12月31日)は、清元節三味線方。東京都江東区深川出身。本名、小柳泰一。父は清元若壽太夫、弟は清元美壽太夫。重要無形文化財保持者(人間国宝)。生前は清元協会の理事・副会長などを歴任。 名古屋をどりで、大和楽、宮薗節を演奏する時は本名で行う。
鈴木 志郎康(すずき しろうやす、1935年5月19日 - … 鈴木 志郎康(すずき しろうやす、1935年5月19日 - 2022年9月8日)は、日本の詩人、映像作家。東京市江東区亀戸生まれ。本名・鈴木康之。 1952年頃から詩を書き始める。1954年、日本大学第一高等学校卒業、1961年3月、早稲田大学第一文学部仏文専修卒業。在学中の1959年に高野民雄と雑誌「青鰐」を刊行。1961年から1977年までNHKに16ミリ映画カメラマンとして勤務。 1963年頃から個人映画を作り始める。ジョナス・メカスの影響を受け、日記的な作品を多数制作。この年に詩集「新生都市」が発刊され、注目を浴びる。 1964年、天沢退二郎、渡辺武信、菅谷規矩雄、藤田治、彦坂紹男、秋元潔、山本道子、野沢暎、高野民雄とともに、雑誌「凶区」創刊。
中江 真司(なかえ しんじ、1935年4月20日 - 200… 中江 真司(なかえ しんじ、1935年4月20日 - 2007年6月28日)は、日本の男性俳優、声優、ナレーター。旧芸名は佐藤 真司(さとう しんじ)。 東京都出身。鎌倉学園中学校・高等学校卒業。友人の影響もあって芝居の道を目指すことになり、1958年5月、中部日本放送劇団(劇団CBC)に4期生として入団(8月に団員契約)、生放送時代のテレビ・ラジオドラマの仕事を開始。1963年、上京して田中事務所に所属。1964年、劇団現代劇場に入団。1967年、テアトル・エコーへ移籍。舞台、テレビを中心に活躍。1988年、青二プロダクション所属。 昼ドラマ『ライオン奥様劇場』をはじめとして、特撮『仮面ライダー』やドラマ『特捜最前線』などのオープニングナレーション、時代劇などは「ドラマの中江」と言われるほど有名であり、以降も、『仮面ライダー』から『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』までの『仮面ライダーシリーズ』や、同作のパロディである『仮面ノリダー』や藤岡弘が演じたCMシリーズ『せがた三四郎』などのナレーションを多く務めていた。
斉藤 あきら(さいとう あきら、1934年 - )は、日本の… 斉藤 あきら(さいとう あきら、1934年 - )は、日本の漫画家。東京都江東区亀戸出身。本名の「斉藤明」や、「さいとうあきら」名義で活動したこともある。 1954年に杉浦茂のアシスタントとして漫画業界に入る。鈴木光明、高野よしてる、手塚治虫、横山光輝のアシスタントを渡り歩き漫画の修行をする。その後はスタッフ3人を抱え「ジャガープロ」を設立して仕事をしていた。 1969年、手塚治虫アシスタントとして同門の古谷三敏の誘いで、赤塚不二夫の「フジオ・プロ」に所属。アシスタント業務をこなしながら、フジオプロの他の所属漫画家と同じく、独立した漫画家としても活動した。フジオプロには十数年間所属しており、80年代には離脱していたとみられる。
木下 多恵子(きのした たえこ、1933年9月18日 - )… 木下 多恵子(きのした たえこ、1933年9月18日 - )とは日本の占い師、作家。通称「大泉の母」。東京都深川生まれ。 東京都練馬区東大泉で画廊喫茶「道化師(ピエロ)」を経営。店内で占いを行っている(水曜日定休)。本人は占い師と呼ばれるのは好きではなく、「よく当たる占い師と言われるのが一番頭に来る」、「どちらかと言えばセラピスト」、「手相はその人の生き方を解くきっかけに過ぎない」などと語っている。 占い方は、手相に現れていることを如実に話す。また客を霊視して、その背景に見えることを述べる。 霊視ができる霊能者として人気を集めていた宜保愛子に対しても「派手な生活をして占い師としての原点を忘れている」と女性週刊誌などで痛烈に批判したりするなど、歯に衣を着せぬ言動で知られる。
石井 清子(いしい きよこ、1932年 -)は、日本のバレエ… 石井 清子(いしい きよこ、1932年 -)は、日本のバレエダンサー、振付家、バレエ指導者である。5歳(数え年の6歳)から踊りを始め、児童舞踊とモダンダンスを経て、1946年に小牧正英のもとでバレエを始めた。谷桃子バレエ団の設立とともに同バレエ団に入団して、20年にわたってプリマバレリーナやソリストクラスの役を踊った。1968年、東京シティ・バレエ団に参加し、振付家として『プレイ・ヴィヴァルディ』、『トッカータ』などの作品を発表した。1975年から1976年、文化庁の派遣在外研修員に選ばれてフランスなどでバレエ指導法や振付法などを研鑽した。日本に戻った後は生地である江東区でバレエの指導と普及に努め、バレエ界で初となる自治体(江東区)との芸術提携を実現した。
勝 新太郎(かつ しんたろう、1931年11月29日 - 1… 勝 新太郎(かつ しんたろう、1931年11月29日 - 1997年6月21日)は、日本の俳優・歌手・脚本家・映画監督・映画プロデューサー・三味線師範。本名・奥村 利夫(おくむら としお)。市川雷蔵とともに大映(現・角川映画)の「二枚看板」として活躍。その後は「勝プロダクション」を設立し、劇場用映画やテレビ作品などの製作にも携わった。勝新(かつしん)と愛称で呼ばれ、豪放磊落なイメージと愛嬌のある人柄で、不祥事を起こしながらも多くのファンから愛された。
宇津井 健(うつい けん、1931年(昭和6年)10月24日… 宇津井 健(うつい けん、1931年(昭和6年)10月24日 - 2014年(平成26年)3月14日)は、日本の俳優である。身長173cm、血液型はA型。東京府東京市深川区出身。(現在の東京都江東区出身)
三遊亭 金翁(さんゆうてい きんおう、1929年(昭和4年)… 三遊亭 金翁(さんゆうてい きんおう、1929年(昭和4年)3月19日 - 2022年(令和4年)8月27日)は、東京都江東区出身の落語家。落語協会顧問、日本演芸家連合5代目会長、日本芸能実演家団体協議会顧問。本名は松本 龍典。出囃子は『翁千歳三番叟』。前名の三遊亭金馬としては4代目。 柳家小袁治による「当代金馬は、自分の大師匠を知っている大ベテラン」との発言からも窺える通、令和期まで生きた唯一の戦中入門の落語家であった。 子供の頃は兵隊に憧れ予科練を夢見たが、柳家金語楼のSPレコードを聴いたことで落語に興味を持つようになる。家族や近所の人に落語を披露しては爆笑をとっていた。 1941年7月、小学校卒業の12歳のとき、寄席の支配人の伝手で3代目三遊亭金馬に入門。
海法 秀一(かいほう ひでいち、1925年1月23日 - 2… 海法 秀一(かいほう ひでいち、1925年1月23日 - 2004年6月22日)は、大日本帝国の陸軍軍人(戦闘機操縦者)。画家。元競輪選手(選手登録番号3065)。日本における空戦画の先駆者かつ第一人者。現在の東京都江東区深川佐賀町出身。墓標は大田区萩中の真光寺。 陸軍少年飛行兵第13期卒。教育飛行隊や加藤隼戦闘隊として有名な飛行第64戦隊附を経て、太平洋戦争(大東亜戦争)末期には、陸軍軍曹として本土防空戦に参加。その時の体験が、その後の創作活動に強く影響したと生前語っている。本土防空戦ではB-29等に対して航空機で突入する空中特攻が一時期実施されていた。2004年にNHKで放送された「アメリカ捕虜の戦争体験」という番組では、空中戦で海法に撃墜され、捕虜となったB-29乗員が戦後に再会する様が放送されている。
大江戸 勇二(おおえど ゆうじ、1923年11月22日 - … 大江戸 勇二(おおえど ゆうじ、1923年11月22日 - 1996年1月4日)は、東京都江東区出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は小林 勇(こばやし いさむ)。身長173cm、体重81kg。得意手は左四つ、上手投げ。最高位は西前頭16枚目(1949年10月場所)。 1939年5月場所初土俵。同部屋の栃錦とは共に小柄ということで仲がよく、2人で出世を競い合った。栃錦や常ノ山と2人で初っ切りをしたこともある。ある時に栃錦に「お前が一流の力士になったら東京中を逆立ちして歩いてやる」と賭けをして、横綱へ昇進した栃錦から当時の賭けの話を言われて苦笑したことがある。1948年5月場所新十両、十両は3場所で突破し、1949年5月場所で新入幕を果たした。
大村 千吉(、1922年〈大正11年〉4月27日 - 199… 大村 千吉(、1922年〈大正11年〉4月27日 - 1991年〈平成3年〉11月24日)は、日本の俳優。本名は大村撰吉(読み同じ)。旧芸名は大村仙吉。 東京市(東京都)出身。エヌ・エー・シーに所属していた。 1922年4月27日、東京市深川で、寄席の芸人であり俳優の東家梅之助の息子として生まれる。深川明治尋常高等小学校卒業。 1933年公開の映画『少年忠臣蔵』に子役で出演。これが映画デビュー作である。 1934年にP.C.L.(現在の東宝)に入社。同年公開の映画『あるぷす大将』にて主演。本名と同じ音の芸名「千吉」はこの『あるぷす大将』の出演時に監督山本嘉次郎につけられたもので、『少年忠臣蔵』時には本名のままであった。
城田 すず子(しろた すずこ、1921年6月30日 - 19… 城田 すず子(しろた すずこ、1921年6月30日 - 1993年)は、日本の元娼婦。17歳で芸者屋に奉公に出たのを皮切りに、南洋の遊郭等で働く。太平洋戦争中慰安所の帳簿係を務めたこともある。戦後はGI(アメリカ軍軍人)を相手に娼売した。更生施設でキリスト教に入信。 下町のパン屋の5人兄弟の長女として生まれ、14歳で母親と死別。17歳で神楽坂の芸者屋に奉公に出た。横浜の新天地の遊郭に住み替えした時点では、芸者屋に1800円ほどの借金があったという。その後、3年契約2500円の話を受け、台湾の澎湖島の妓楼に移る。同地では8か月間働いたが、生活費や着物代で借金は減らなかった。一度東京に戻るも、弟妹の暮らしぶりを見て、3000円の借金で南洋行きを決断する。
久保 正雄(くぼ まさお、1921年 - 1984年11月7… 久保 正雄(くぼ まさお、1921年 - 1984年11月7日)は、日本の実業家。政商。東日貿易創業者で、自民党政権や伊藤忠商事に太いパイプを持ち、インドネシアの戦後賠償ビジネスで巨万の富を得た人物。 1921年(大正10年)、東京深川生まれ。戦後に韓国からの海苔、アメリカ、インド、ギリシャなどからの食料品雑貨の輸入業に手を染め、高級乗用車が不足した時代に、GHQの軍人や来日牧師らの名義でアメリカの高級車を輸入し、東芝など日本の大企業などに転売して荒稼ぎした。この時期に町井久之と知り合ったとされる。1955年、東京銀座に資本金5千万円で東日貿易を設立した。株主には大野伴睦や河野一郎、児玉誉士夫らが名を連ね、東日貿易は、自民党の裏の政治資金ルートの一つになった。
大野 晋(おおの すすむ、1919年(大正8年)8月23日 … 大野 晋(おおの すすむ、1919年(大正8年)8月23日 - 2008年(平成20年)7月14日)は、日本の国語学者。文学博士。学習院大学名誉教授。
初代 猿若 清方(しょだい さるわか きよかた、1915年(… 初代 猿若 清方(しょだい さるわか きよかた、1915年(大正4年)- 2003年(平成15年))は、日本舞踊家、振付師、俳優、脚本家。江戸時代以来途絶えていた舞踊である猿若流を復興した。本名、堀越実。 大正4年、東京・亀戸生まれ。新内の太夫だった父の影響で4歳から坂東三寿次に師事し日本舞踊を習う。11歳より初代花柳輔三郎の内弟子となり、花柳輔五郎を名乗った。1941年(昭和16年)に当時の花柳流家元である二代目花柳壽輔の許しを得て花柳流を辞し、猿若舞雀(さるわか ぶじゃく、舞雀は初代傳九郎の俳名)を名乗り、江戸時代以来途絶えていた猿若流を復興させ七世家元となった。1947年(昭和22年)に清方と改名。
小嶌川 庄吉(こじまがわ しょうきち、1914年9月5日 -… 小嶌川 庄吉(こじまがわ しょうきち、1914年9月5日 - 1946年9月15日)は、現在の東京都江東区出身で立浪部屋に所属した力士。本名は米花 庄吉(こめばな しょうきち)。173cm、102kg。最高位は西前頭5枚目。引退後は4代八角を襲名したが、在職中に死去した。 1928年5月初土俵、1934年5月十両昇進。1938年1月新入幕。肋膜を患って1942年5月限り急遽引退し、7月の八角(大鳴門)の死去により八角を襲名した。素早い出足からの激しい突っ張り、押しを武器に人気を集めた江戸っ子力士であった。1946年巡業先で32歳で急死。 同部屋の羽黒山が横綱に昇進した際、土俵入りの露払いを務めた。
倉林 誠一郎(くらばやし せいいちろう、1912年12月28… 倉林 誠一郎(くらばやし せいいちろう、1912年12月28日 - 2000年5月2日)は、日本の演劇制作者(演劇プロデューサー)。劇団俳優座主事として、俳優座劇場創立を主導し、新劇の制作者(プロデューサー)を務めた。また、日本芸能実演家団体協議会(芸団協)、日本新劇経営製作者協会(現・日本新劇製作者協会)、中劇場協議会等の業界団体の設立を主導し、会長・常任理事を歴任した。 ※主な出典は著書『演劇制作者』(而立書房)による。 現在の東京都江東区深川に生まれる。1927年3月に開進第一尋常小学校高等科を卒業して智山中学校2年に編入となる。 1933年に徴兵検査を受けたが、丙種で徴兵免除となる。向島の資生堂化粧品工場で働く。
坂野 比呂志(さかの ひろし、1911年(明治44年)10月… 坂野 比呂志(さかの ひろし、1911年(明治44年)10月6日 - 1989年(平成元年)5月25日)は、昭和時代の漫談家。活動弁士を経て、浅草名物の芸人となった。ガマの油売りやバナナの叩き売り等の物売り芸(大道芸)で、1982年(昭和57年)第37回文化庁芸術祭大衆芸能部門1部大賞受賞。 東京・深川に生まれる。活動弁士・熊岡天堂の弟子となった後、浅草オペラの田谷力三や榎本健一の舞台を踏み、軽演劇、漫才、漫談、司会など、スタイルを変えながらも、第二次世界大戦前後も浅草を離れることなく芸能活動を続けた根っからの「浅草芸人」で、浅草の生き字引と呼ばれた。 1945年(昭和20年)、陸軍恤兵部から命令を受けた松竹演芸部の仕事で慰問団の一員として満州に渡り「比呂志・美津子」の名で夫婦漫才を行なった。
加藤 恵三(かとう けいぞう、1908年〈明治41年〉12月… 加藤 恵三(かとう けいぞう、1908年〈明治41年〉12月5日 - 1982年〈昭和55年〉6月26日、本名は「慶次」とも)は将棋棋士。棋士番号は22。故石井秀吉七段門下。東京都江東区出身。 明治41年、東京市深川区(現・東京都江東区)生まれ。小学校卒業後に家業を助けながら、1929年(昭和4年)に石井秀吉七段の門下となる。 1931年(昭和6年)初段入段、1937年(昭和12年)四段、その翌年に五段。 1957年(昭和32年)に引退。1968年の表彰感謝の日に七段を贈られる。 正義派で親孝行、人に好かれる明るい性格であり、また、若手の面倒をよく見る世話好きの人情家であった。 1982年6月26日、食道がんのため死去、享年73。
小川 國松(おがわ くにまつ、1908年7月1日 - 没年不… 小川 國松(おがわ くにまつ、1908年7月1日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。新字体表記小川 国松(おがわ くにまつ)、旧芸名澤村 國丸(さわむら くにまる、新字体表記沢村 国丸)、菊池 一郎(きくち いちろう)ほか変遷がある。映画・新派での子役出身で、松竹蒲田撮影所の少年スターから「純情型二枚目俳優」となる。 東京府東京市深川区(現在の東京都江東区深川地区)に生まれる。父は同地で絹糸商を営んでいた。 旧制小学校在籍時、満8歳であった1916年(大正5年)11月12日に公開された天然色活動写真(天活)製作・配給、吉野二郎監督による『水戸三郎丸』に、「澤村 國丸」の名で五代目澤村四郎五郎らとともに出演、主演した記録がある。
斎藤 銀次郎(さいとう ぎんじろう、1904年〈明治37年〉… 斎藤 銀次郎(さいとう ぎんじろう、1904年〈明治37年〉10月7日- 1979年〈昭和54年〉12月15日)は、元将棋棋士。1966年に日本将棋連盟を退会、連盟在籍時は石井秀吉七段門下。 1904年、東京府城東区(現:東京都江東区)大島町で生まれる。 1927年に二段で石井秀吉に入門。1929年(昭和4年)に四段。 1937年(昭和12年)に八段。第2期名人戦(1937年 - 1940年)から八段リーグに参加し、第1期順位戦(1947年)ではA級に参加。1965年(昭和40年)に引退。 引退後の1966年8月20日に、「一身上の都合」により日本将棋連盟を退会した。退会に際し、日本将棋連盟は将棋雑誌に「お知らせ」を掲載した。
九重 年支子(ここのえ としこ、1904年〈明治37年〉8月… 九重 年支子(ここのえ としこ、1904年〈明治37年〉8月11日 - 2002年〈平成14年〉8月13日)は、日本の発明家、実業家。簡易織り機である「九重手織り機」の発明、その普及と織物制作に努めたことや、婦人発明家協会の創立で知られ、日本の女性発明家の草分けとも呼ばれる。東京府深川区(後の東京都江東区)出身。本名、坂野 敏子。東京女子高等師範学校(後のお茶の水女子大学)専攻科卒業。 1904年(明治37年)シンガーミシン裁縫女学院設立者の父秦敏之と女学院院長母利舞子の間に生まれる。6歳下の妹はニットデザイナーの秦万紀子。東京女子高等師範学校付属高女・専攻科英語科卒業、翌年建築技師坂野秀雄と結婚。
浅野 進治郎(あさの しんじろう、1904年2月28日 - … 浅野 進治郎(あさの しんじろう、1904年2月28日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。本名同じ。旧芸名浅野 信二郎、浅野 進二郎、浅野 象二郎(あさの しょうじろう)ほか、表記の揺れがある。 東京府東京市深川区(現在の東京都江東区深川地区)に生まれる。 新劇を志し、開校された新国劇付属演劇研究所に第1期生として入所、澤田正二郎(1892年 - 1929年)らの指導を受け、1923年(大正12年)8月に同所を卒業している。同研究所の同期には草間実、根本淳、第2期生には金平軍之助らがいた。まもなく関東大震災を経験し、1924年(大正13年)には、水谷竹紫、初代水谷八重子らが同年に設立した第二次芸術座に参加する。
初代雷門福助(かみなりもん ふくすけ、1901年(明治34年… 初代雷門福助(かみなりもん ふくすけ、1901年(明治34年)10月20日 - 1986年(昭和61年)6月11日)は、落語家。本名は川井初太郎。通称「落語界のシーラカンス」。 東京の深川の芝居道具師の家に生まれた。生年月日は口伝えでは2月3日の初午の日で、それゆえに初太郎と名付けられた。 奉公に出た後は陸軍省大臣・田中義一の運転手の助手をしたり、徳川夢声の元で活動弁士の下働きなどをしていた。 1922年(22歳)頃から幇間をしていた友人の薦めで六代目雷門助六に入門して福助を名乗る。二つ目のときに師匠が名古屋に「助六興行部」を設立したので同行した。関東大震災が起こった際は東京に戻らずそのまま名古屋に住み着いた。
杉村 勇造(すぎむら ゆうぞう、1900年11月1日 - 1… 杉村 勇造(すぎむら ゆうぞう、1900年11月1日 - 1978年9月29日)は、中国美術学者。号は「丁父」。大東文化大学名誉教授。 1900年、東京市深川区亀住町(現・東京都江東区深川)で生まれた。1919年、無窮会漢学研究生として中華民国・北京に留学。1924年、無窮会会長・平沼騏一郎の斡旋により3年間北京に留学。金石学を馬衡(中国語版)に、書誌学を徐鴻宝(中国語版)の下で学んだ。 1927年、北京東方文化事業総委員会の図書籌備員となり、人文科学研究所図書館の設立にあたった。 1932年、満州国立図書館、国立奉天博物館の開設準備に携わった。1933年10月に満日文化協会が発足すると、常務理事、満州芸文協会理事となった。
渋沢 信雄(しぶさわ のぶお、正字体:澁澤 信雄、1898年… 渋沢 信雄(しぶさわ のぶお、正字体:澁澤 信雄、1898年〈明治31年〉6月21日 - 1967年〈昭和42年〉2月12日)は、日本の実業家。渋沢栄一の次男で後に廃嫡となる篤二の次男として生まれる。渋沢家の傍系に属しつつ、秩父鉄道、東京製綱、秩父セメント、玉村式索道など祖父・栄一関係の企業に関わり、出版・輸入事業「福本書院」でも活動した。兄に渋沢敬三、弟に智雄。 1898年6月21日、子爵・渋沢栄一の次男篤二と妻・敦子の次男として東京府東京市深川区〈現在の東京都江東区〉にて生まれる。 敦子の父(母方の祖父)は羽林家の公卿出身の元老院議官を務めた伯爵橋本実梁である。 1913年、父・篤二が廃嫡となる。