浜 征彦(はま まさひこ、旧字体:濱 征彦、1938年 - … 浜 征彦(はま まさひこ、旧字体:濱 征彦、1938年 - 2018年)は、長野県諏訪市出身の洋画家。二科会長野県支部長。銀座の老舗画廊、「薔薇画廊」の専属画家だったため、作品は多くの政財界の応接間等に飾られた。明るく柔らかな色使いと、筆遣いが特徴。題材はフランス.イタリア.故郷の諏訪等の風景画が多く、薔薇の花と共に描かれた裸婦画は希少。晩年の作品はデフォルメされた道化師等の作風。美術名典、号125,000円 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
桑沢 清明(くわさわ きよあき、1938年 - 2014年6… 桑沢 清明(くわさわ きよあき、1938年 - 2014年6月27日)は、日本の生物学者。専門は、神経生物学。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1962年東京教育大学(現・筑波大学)理学部生物学科卒業。1967年同大学大学院理学研究科博士課程修了。東京都立大学理学部助手を経て、1975年同大学理学部助教授。1983年同大学理学部教授。同大学大学院理学研究科長。2001年同大学定年退官後、同大学大学院名誉教授。2003年岡山理科大学理学部教授。
横川 竟(よこかわ きわむ、1937年11月1日 - )は、… 横川 竟(よこかわ きわむ、1937年11月1日 - )は、日本の実業家。きわむ元気塾会長。高倉町珈琲会長。 すかいらーく創業者の一人であり、同社の元代表取締役会長兼社長兼最高経営責任者や、日本フードサービス協会会長を務めた。 横川家の三男として長野県諏訪市に生まれた。3歳の頃、中国・満州に渡る。6歳の時、父が病死し、帰郷した。学制改革による新制諏訪市立四賀中学校を卒業し、後に兄弟で1962年(昭和37年)に当時の東京都北多摩郡保谷町(現西東京市)のひばりが丘団地内にことぶき食品有限会社を設立し、取締役となる。子会社の株式会社ジョナス(後にジョナサン)の代表取締役社長、会長、すかいらーくの取締役を経て、2003年(平成15年)には兄弟と共にすかいらーくの取締役から退いたが、2006年(平成18年)3月31日にすかいらーく代表取締役会長兼最高経営責任者に就任、しかし業績不振から退任を求められ、2008年8月12日に臨時株主総会と取締役会で退任が決定された。
内山 森彦(うちやま もりひこ、1936年5月27日 - )… 内山 森彦(うちやま もりひこ、1936年5月27日 - )は、日本の俳優、声優。長野県諏訪市出身。アンテーヌ所属。 長野県諏訪清陵高等学校卒業、法政大学文学部日本文学科卒業。 以前は劇団三十人会、プロダクション・エムスリーに所属していた。
関口 末夫(せきぐち すえお、1936年1月6日 - 201… 関口 末夫(せきぐち すえお、1936年1月6日 - 2017年7月25日)は、日本の経済学者。大阪大学社会経済研究所教授・成蹊大学経済学部教授を経て、成蹊大学名誉教授。国際経済学専攻。 長野県諏訪市出身。長野県野沢北高等学校を経て、1959年横浜国立大学経済学部卒。1968年日本経済研究センター研究員。1972年大阪大学助教授、74年日本経済研究センター主任研究員、81年大阪大学社会経済研究所教授、1986年成蹊大学経済学部教授、2001年名誉教授、東京経済大学教授。2006年退任。1972年日経・経済図書文化賞受賞(共著)。
茅野 亮(ちの たすく、1934年12月12日 - 2010… 茅野 亮(ちの たすく、1934年12月12日 - 2010年5月4日)は、日本の実業家。すかいらーく創業者兄弟の次兄で、同社初代代表取締役社長を務めた。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪農業高等学校(現長野県富士見高等学校)卒業。農家の養子となって10年間農業に従事したのち、1961年上京。兄弟である横川端、横川紀夫、横川竟とともに、1962年に保谷町のひばりが丘団地でことぶき食品を設立し同社社長に就任。1970年に府中市の甲州街道沿いですかいらーく国立店を開設したのを皮切りに、全国にファミリーレストランを展開して成功させた。2010年急性肺炎のため死去。享年75。
藤森 三男(ふじもり みつお、1934年7月3日 - 202… 藤森 三男(ふじもり みつお、1934年7月3日 - 2020年3月29日)は、日本の経営学者。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1960年慶應義塾大学経済学部卒業。1965年同大学商学部助手。1971年カリフォルニア大学ロサンゼルス校School of Management客員研究員。1972年慶應義塾大学商学部助教授。1980年同大学教授。1982年ニューサウスウェールズ大学Faculty of Commerce交換教授兼任。1990年ミネソタ大学ツインシティー校School of Management交換教授兼任。2000年慶應義塾大学名誉教授、立正大学経営学部教授。経済学博士、商学博士。
石城 謙吉(いしがき けんきち、1934年6月16日 - )… 石城 謙吉(いしがき けんきち、1934年6月16日 - )は、日本の動物生態学者、北海道大学名誉教授。 長野県諏訪市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1961年北海道大学農学部卒業。1969年同大学院博士課程修了、「北海道産イワナ属魚類の形態並びに生態に関する研究」で農学博士。1970年北海道大学農学部苫小牧演習林助手、1972年助教授を経て、農学部教授、1999年定年退官、名誉教授となる。
渡部 清(わたなべ きよし、1934年 - )は、日本の教育… 渡部 清(わたなべ きよし、1934年 - )は、日本の教育者、書家、書道史研究家。長野県諏訪市出身。NHK番組や大河ドラマの題字制作に従事し、のちに横浜国立大学教授を務めた。 長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京教育大学教育学部芸術学科を卒業し、同大学院教育学研究科修士課程を修了した。大学時代には西川寧の影響を受け、古典を中心に学んだ。また、仮名については森田竹華から学んだと述べている。 大学在学中からNHKのタイトル制作に関わり、卒業前から同局と契約して仕事を始めた。東京教育大学附属中学校・高等学校の講師も務め、のちに横浜国立大学教授を歴任した。 その後も古筆・古文書に関する活動を続け、室町時代から江戸時代までの書状を中心とする「ふみを読む会」の講師を務めている。
五味 龍太郎(ごみ りゅうたろう、1933年7月7日 - 2… 五味 龍太郎(ごみ りゅうたろう、1933年7月7日 - 2013年8月31日)は、日本の俳優。長野県諏訪市出身。愛称はゴミリュウ。別名義に五味 竜太郎(読みは同じ)。旧芸名に五味 勝雄(ごみ かつお)、五味 勝之介(ごみ かつのすけ)。本名は山本 勝雄(やまもと かつお)。旧姓は五味。 1952年(昭和27年)、長野県岡谷南高等学校を卒業して日本大学藝術学部映画学科に進学。1954年(昭和29年)に大学を中退し、松竹音楽学校付属研究所を経て1955年(昭和30年)に第2期東映ニューフェイスとして東映へ入社。同期には高倉健・丘さとみ・今井健二らがいる。入社して半年後、劇団俳優座養成所の委託生として更に半年を過ごし、翌1956年(昭和31年)に東映京都撮影所専属で片岡千恵蔵主演の『三つ首塔』でデビューを果たす。
土橋 光廣(つちはし みつひろ、1933年1月2日 - )は… 土橋 光廣(つちはし みつひろ、1933年1月2日 - )は、日本の実業家。セイコーエプソン専務取締役、エプソンヨーロッパ代表取締役社長、エプソン販売代表取締役社長、ベーステクノロジー取締役会長、イーフォーシーリンク代表取締役社長・取締役会長を務めた。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業。1957年諏訪精工舎(現・セイコーエプソン)入社。「EPSON」の名称発案者であり、プリンター事業を手掛けた。1986年セイコーエプソン専務取締役。エプソンヨーロッパ代表取締役社長、エプソン販売代表取締役社長を歴任。1994年セイコーエプソン退社、ベーステクノロジー設立、取締役会長・取締役最高顧問。
米倉 巌(よねくら いわお、1933年(昭和8年) - )は… 米倉 巌(よねくら いわお、1933年(昭和8年) - )は、日本の詩人、日本近代文学研究者、日本大学名誉教授。 長野県諏訪市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、旧東京都立大学大学院修士課程修了、帝塚山学院大学文学部助教授、教授、1987年、日本大学芸術学部教授、2004年に定年、名誉教授。
内藤 昌(ないとう あきら、1932年10月8日 - 201… 内藤 昌(ないとう あきら、1932年10月8日 - 2012年10月23日)は、日本の建築史家。名古屋工業大学名誉教授、元日本建築学会副会長。専門は、建築史、都市史。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1955年、東京工業大学理工学部建築学科卒業。1960年、同大学院理工学研究科建築学専攻博士課程修了。工学博士(東京工業大学)。論文の題は「書院造に於ける「間」の研究」。 1961年東京工業大学助手、1963年名古屋工業大学助教授、1972年同大学教授、1990年東京工業大学(現・東京科学大学)教授兼任、1993年愛知産業大学学長を歴任。元日本建築学会副会長。 2012年10月23日に老衰で死去。
鮎沢 成男(あゆざわ しげお、1932年10月4日 - 20… 鮎沢 成男(あゆざわ しげお、1932年10月4日 - 2004年2月11日)は、日本の経営学者。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、一橋大学大学院経済学研究科を修了した[要出典]。中央大学商学部教授を務め、1988年に同大学企業研究所所長となった。
藤森 英二(ふじもり えいじ、1932年〈昭和7年〉7月25… 藤森 英二(ふじもり えいじ、1932年〈昭和7年〉7月25日 - 2018年〈平成30年〉4月4日)は、日本の政治家。郡山市長(3期)を務めた。 長野県諏訪市出身。福島県立安積高等学校卒業。 1955年(昭和30年)明治大学商学部卒業。同年郡山市役所に入り、総務部長、保健衛生部長などを歴任する。 1989年(平成元年)の市長選に立候補したが、この時は現職の青木久に敗れた。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:71.27%(前回比:-pts) 1993年(平成5年)の市長選に社会党、日本新党の推薦を受けて立候補して、自民党前県議の新人を破って初当選する。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:67.55%(前回比:-pts) 1997年(平成9年)郡山市を東北初の中核市に移行させる。
横川 端(よこかわ ただし、1932年1月21日 - 202… 横川 端(よこかわ ただし、1932年1月21日 - 2024年12月2日)は日本の実業家。 すかいらーく創業者の一人であり、東京交響楽団会長を歴任している。藍綬褒章受章。2002年、勲二等瑞宝章受章。 1932年(昭和7年)1月21日、横川家の長男として長野県諏訪郡四賀村(現諏訪市)に生まれる。1947年(昭和22年)3月に長野県諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)を中退し、同年4月に諏訪精工舎(現セイコーエプソン)に入社、後に諏訪精工舎を退社し、兄弟と共に設立した、ことぶき食品有限会社取締役になる。すかいらーくの専務取締役、代表取締役会長、取締役グループ統括機構代表理事、取締役最高顧問などを歴任した。
中山 和子(なかやま かずこ、1931年10月16日 - 没… 中山 和子(なかやま かずこ、1931年10月16日 - 没年不明)は、日本近代文学研究者。明治大学名誉教授。旧姓は永井。 長野県諏訪市生まれ。1950年長野県諏訪二葉高等学校卒業、明治大学文学部国文科卒業、1965年同大学院修士課程修了、同年明治大学文学部助手。1969年専任講師。以後助教授、教授を務め、1997年退職。平野謙に師事し、女性近代文学の大学教授の草分けである。
宮坂 広作(みやさか こうさく、1931年7月20日 - 2… 宮坂 広作(みやさか こうさく、1931年7月20日 - 2010年10月19日)は、日本の教育学者。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1954年東京大学教養学部教養学科卒業。同大学大学院教育行政学専門課程修了。教育学博士(1968年、東京大学)。 お茶の水女子大学助教授を経て、1979年東京大学教育学部教授。退官後、同大学名誉教授。山梨学院大学教授を歴任した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
柳澤 嘉一郎(やなぎさわ かいちろう、1931年4月3日- … 柳澤 嘉一郎(やなぎさわ かいちろう、1931年4月3日- )は、日本の生命科学者、筑波大学名誉教授。妻は柳澤桂子。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1954年東北大学理学部生物学科卒業、1963年コロンビア大学大学院修了、1970年東北大学理学博士。ブランダイス大学、スローン・ケタリング癌研究所、東京都立アイソトープ研究所遺伝研究室、1975年東京教育大学教授、1976年筑波大学教授、1995年定年退官、名誉教授。柳澤研究室出身者に相賀裕美子国立遺伝学研究所名誉教授など。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
御子柴 宣夫(みこしば のぶお、1930年10月3日 - 2… 御子柴 宣夫(みこしば のぶお、1930年10月3日 - 2020年1月12日)は、日本の物理学者。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)、旧制松本高等学校を経て、名古屋大学理学部物理学科卒業。名古屋大学大学院理学研究科修了。1957年通商産業省工業技術院電気試験所(現・産業技術総合研究所)入所。1961年シカゴ大学金属研究所勤務。1970年電子技術総合研究所(現・産業技術総合研究所)基礎部固体物性研究室長。1974年東北大学電気通信研究所教授。1984年同大学電気通信研究所附属超微細電子回路実験施設初代施設長。1990年同大学定年退官後、同大学名誉教授。
伊藤 郁男(いとう いくお、1930年9月11日 - 202… 伊藤 郁男(いとう いくお、1930年9月11日 - 2020年10月26日)は、日本の政治家、俳人。元民社党参議院議員(1期)。長男は作家・ミュージシャン、タレントのいとうせいこう。 長野県諏訪市出身。長野県岡谷南高等学校を卒業後、1953年日本社会新聞記者を経て、1960年に民社党本部書記局に入り、機関誌局事務長、1977年に組織局次長などを経て、1980年の第12回参議院議員通常選挙に民社党公認で全国区から立候補し初当選を果たす。1986年、第14回、1989年、第15回の各参院通常選挙に比例区から立候補するもいずれも落選した。 2000年11月の秋の叙勲で勲三等に叙され、旭日中綬章を受章する 2020年10月26日、老衰のため、東京都八王子市の老人ホームで死去した。
小池 和夫(こいけ かずお、1927年5月17日 - 200… 小池 和夫(こいけ かずお、1927年5月17日 - 2009年5月3日)は、日本の実業家。湖池屋の創業者。長野県諏訪市出身。 高校卒業後に上京し、職業を転々とし、1958年には湖池屋を設立し、社長に就任。1995年にフレンテ会長に就任し、2006年には名誉会長に就任。1994年3月には会長に就任。 2009年5月3日肺炎のために死去。81歳没。
小平 祐(こだいら たすく、1924年12月19日 - 20… 小平 祐(こだいら たすく、1924年12月19日 - 2017年11月26日)は、日本の実業家。旭電化工業(現・ADEKA)常務取締役、日本農薬代表取締役社長を務めた。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、東京大学経済学部卒業。旭電化工業(現・ADEKA)常務取締役を経て、1983年日本農薬代表取締役社長。同社代表取締役会長。農薬工業会会長を務めた。
河西 計介(かさい けいすけ、1924年3月19日 - )は… 河西 計介(かさい けいすけ、1924年3月19日 - )は、日本の実業家。阪神百貨店(現:エイチ・ツー・オー リテイリング)代表取締役社長・代表取締役会長を務めた。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1947年に京都大学法学部卒業し、同年に阪神電気鉄道入社。1983年阪神百貨店(現:エイチ・ツー・オー リテイリング)代表取締役社長。1989年阪神電気鉄道非常勤取締役を兼務。1995年阪神百貨店代表取締役会長。名誉顧問。大阪商工会議所名誉議員を務めた。
山田 晶(やまだ あきら、1922年〈大正11年〉3月7日 … 山田 晶(やまだ あきら、1922年〈大正11年〉3月7日 - 2008年〈平成20年〉2月29日)は、日本の哲学研究者で、西洋中世哲学研究の第一人者であった。京都大学名誉教授。 長野県諏訪市出身。長野県立諏訪中学校(現:長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)、第八高等学校文科乙類を経て、1944年(昭和19年)京都帝国大学文学部哲学科卒業、山内得立に師事。翌年まで徴兵された。 1951年(昭和26年)大阪市立大学文学部講師、1955年(昭和30年)同助教授、1965年(昭和40年)京都大学文学部助教授、1968年(昭和43年)同教授、1976年(昭和51年)同大文学部長。1985年(昭和60年)京大を停年退官、名誉教授。
小松 雅雄(こまつ まさお、1919年7月11日 - 201… 小松 雅雄(こまつ まさお、1919年7月11日 - 2010年10月16日)は、日本の経済学者。専門は、経済政策。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1945年早稲田大学政治経済学部卒業。1949年同大学院修了。同大学助手、政治経済学部助教授を経て、1955年教授、1978年学部長。麗澤大学初代国際経済学部(現・経済学部)長、同大学名誉教授。民主社会主義研究会議第4代議長(1983~1994)、日本経済政策学会名誉会員、学校法人廣池学園顧問、サンリツ服部美術館理事、諏訪郷友会評議員・長善館館長などを務めた。晩年は、郷里近くの長野県茅野市で過ごした。1997年勲三等旭日中綬章受勲。
立川 義明(たてかわ よしあき、1918年11月3日 - 2… 立川 義明(たてかわ よしあき、1918年11月3日 - 2017年2月)は、日本の彫刻家。 長野県諏訪市出身。宮大工立川和四郎の末裔で、父は立川義清。彫刻師だった祖母や父の影響で彫刻家を志す。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻科卒業。藤井浩佑に師事。日展や日彫展を中心に数多くの作品を発表した。1978年第一回日展会員賞受賞。日展審査員、日展評議員、日展参与などを務めた。東京都荒川区西日暮里に在住し、アトリエを構えていた(藤井浩佑の屋敷跡)。
信州山 由金(しんしゅうざん よしかね、1918年11月1日… 信州山 由金(しんしゅうざん よしかね、1918年11月1日 - 1976年8月20日)は、長野県諏訪郡上諏訪町(現在の同県諏訪市岡村)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は河西 由金(かわにし よしかね)。 現役当時の体格は179cm、92kgと、当時としては肩幅も広くがっしりとした体型であった。右を差しての思い切った攻め、頭を付ける堅実さを持ち合わせた取り口。 18歳の時に角界入りし、1937年5月場所で初土俵。1938年5月、19歳で序ノ口に付き、故郷の長野県諏訪郡に由来する「諏訪昇」を四股名とした。 その後、1942年5月場所より、郷里・長野県の旧称(信濃・信州)に因んだ「信州山」に改名。
北澤利男(きたざわ としお、1917年1月29日 - 199… 北澤利男(きたざわ としお、1917年1月29日 - 1997年3月3日)は、日本の実業家。キッツ(旧北沢バルブ)の創業者。勲三等珠宝章。長野県諏訪市出身。 東洋バルヴ創業者北澤國男の長男として生まれる。旧制長野工業専門学校卒業。 1951年北澤製作所設立。(1962年北澤バルブ、1975年北沢バルブと社名変更。1992年現社名キッツに変更。) 1974年に私費を投じて、奨学のための育英事業を行う財団公益財団法人、北澤育英会を設立。 1983年北澤美術館、開館。利男が長年にわたって収集した美術コレクションを一般に公開し、地域文化の向上に寄与する為に設立した公益財団法人によって運営されている。 1987年産業界での功績に対し 勲三等瑞宝章を叙勲。
宮坂 保清(みやさか やすきよ、1916年3月28日 - 1… 宮坂 保清(みやさか やすきよ、1916年3月28日 - 1981年5月22日)は、日本の公認会計士、会計学者。 長野県諏訪市出身。旧制成立商業学校を経て、1937年明治大学商学部卒業。1939年計理士開業。1949年公認会計士開業。同年から1972年まで母校講師。1971-1977年日本公認会計士協会会長、同相談役。第一監査事務所代表社員。
藤森 栄一(ふじもり えいいち、1911年(明治44年)8月… 藤森 栄一(ふじもり えいいち、1911年(明治44年)8月15日 - 1973年12月19日)は、日本の考古学者、諏訪考古学研究所所長、元長野県考古学会会長である。 1911年長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)に生まれ、旧制諏訪中学校在学中に考古学に目覚め、両角守一、地理学教師三沢勝衛の指導を受けた。1929年に卒業後、上京、森本六爾の主宰する東京考古学会に入会、本格的に考古学の研究を始めた。森本六爾の死後は、杉原荘介、小林行雄らとともに東京考古学会の運営に携わった。 1936年東京で葦牙書房(あしかびしょぼう)を興し、同社で森本六爾の遺稿集である「日本農耕文化の起源」を出版した。1943年出征、1946年復員の後、郷里諏訪に帰り、古書店「あしかび書房」を経営しながら、諏訪考古学研究所を立ち上げ、諏訪地方の遺跡を中心に発掘調査に当った。
岩本 節治(いわもと せつじ、1911年(明治44年)1月1… 岩本 節治(いわもと せつじ、1911年(明治44年)1月17日 - 2002年(平成14年)5月5日)は、日本の実業家、政治家。長野県諏訪市長。 長野県諏訪郡湖南村(現諏訪市)で、岩本久吉、まき の六男として生まれた。湖南小学校卒業後、1934年(昭和7年)製材所に勤務し、1941年(昭和16年)諏訪木材に転じた。1944年(昭和19年)応召。戦後、諏訪木材に復帰。1948年(昭和23年)独立して木材業をはじめ、1950年(昭和25年)湖南木工社長となる。1955年(昭和30年)諏訪市議会議員となり連続2期在任した。 1963年(同38年)5月、諏訪市長選挙に当選し、1983年(昭和58年)1月まで5期務めた。
平林 せん(ひらばやし せん、1908年〈明治41年〉6月6… 平林 せん(ひらばやし せん、1908年〈明治41年〉6月6日 - 1940年〈昭和15年〉2月)は、日本の労働運動家。製紙工場で労働を経て、従叔母(母の従妹)である社会運動家の伊藤千代子らの影響を受けて日本共産党の組織化に協力し、日本共産党の機関紙『赤色信越』の編集など、製紙労働者の組織化に短い生涯を捧げた。長野県諏訪郡中洲村(現・諏訪市)出身。 1908年に中洲村で誕生した。中洲小学校を卒業後、12歳で製糸工場の女工となった。家は伊藤千代子の家に近く、夏場に帰省すると千代子から労働問題についての話を聞いて、千代子の影響を強く受け育った。労働農民党の責任者である上条寛雄からも影響を受けて、社会主義に傾倒した。
藤森 康男(ふじもり やすお、1907年(明治40年)11月… 藤森 康男(ふじもり やすお、1907年(明治40年)11月28日 - 1995年 (平成7年) 7月6日 )は、日本海軍軍人。海兵56期卒業。最終階級は海軍中佐。 1907年11月28日長野県諏訪郡湖南村(現諏訪市)に生まれる。諏訪中学を経て、1925年(大正14年)4月海軍兵学校56期に入校。1928年3月、同校を席次111名中16番で卒業。少尉候補生として練習航海に出発。1929年11月少尉任官。1931年12月中尉。1934年11月大尉。1936年12月潜水艦学校乙種卒業。1937年12月伊号第二十三潜水艦水雷長。1938年7月伊号第六十四潜水艦水雷長。1939年伊号第七十五潜水艦水雷長。
山田 国広(やまだ くにひろ、1907年 - 1987年12… 山田 国広(やまだ くにひろ、1907年 - 1987年12月27日)は、左翼の政治運動家。 長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)生まれ。1924年長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)卒。永明小学校代用教員。 日本共産党に入り、1933年検挙(長野県教員赤化事件)。34年下獄。36年釈放。1937年上京、思想犯保護団体帝国更新会に入り、のちその事務員となる。 1942年頃から東京の目黒、蒲田などの町工場の徒弟教育の仕事に従事、戦時中はそれらの工場舎監、青年学校の事務をとる。44年諏訪に疎開し工場に勤務、敗戦を迎える。 46年から61年まで民主化運動に従事。党内闘争で共産党を除名され、文筆をもって訴える。
木村 岳風(きむら がくふう、1899年9月20日-1952… 木村 岳風(きむら がくふう、1899年9月20日-1952年7月1日)は、日本の吟道家。本名は松木 利次(まつき としつぐ)。日本詩吟学院の創設者で、近代吟詠の祖と称される。著書に『皇漢名詩の吟じ方』などがある。 長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)生まれ。高島小学校を経て、旧制諏訪中学中退。上諏訪町役場ので勤務している際に、上司の上原栄から朗吟を習った。1922年に上京するが、関東大震災に際しての材木販売などで失敗するなど、商売での失敗が続いた。 一方で、教育者の伊藤長七が木村の吟詠の才能を見出し、伊藤が校長を務める東京府立第五中学校(現・小石川中等教育学校)の全校生徒の前で詩吟の講習を開かせたり、芸名を「嶽風」から「岳風」に改めさせた。
新村 英一(にむら えいち、1897年(明治30年)3月25… 新村 英一(にむら えいち、1897年(明治30年)3月25日 - 1979年(昭和54年)4月2日)は、舞踊家である。本名は、三木富蔵。「新村英一」は、まだ舞踊家になる前、ボストンに向かう列車の中で新聞記事をヒントにつけた名前であり、「Nimura Yeichi」と表記する。 長野県上諏訪町(現諏訪市)生まれ。1918年(大正7年)単身渡米し、舞踊家を志す。セント・デニス、テッド・ショーンらに師事。1925年(大正14年)ニューヨークのカーネギーホールでデビュー(デニショーン舞踊団(英語版))。1930年(昭和5年)同じくニューヨークで発表会。舞踊における東洋と西洋の融合を果たす。その後、後に妻となるリサン・ケイ(Lisan Kay)を相手にヨーロッパ各地やカナダ、全米で巡回公演、各地で熱烈な支持を受ける。
両角 守一(もろずみ しゅいち、1897年 - 1936年2… 両角 守一(もろずみ しゅいち、1897年 - 1936年2月4日)は、日本の銀行家、考古学者。 長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)出身。父は教育者の両角新治。長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を卒業した。長野県諏訪郡平野村(現・岡谷市)にあった小口(おぐち)銀行(現・八十二銀行)に勤務。旧制諏訪中学の同級生に彫刻家清水多嘉示がおり、生涯にわたって親交があった。1923年清水が絵画修行のために渡仏した際には、両角と立木茂が中心となり「渡欧後援画会」を組織し、フランス滞在時の清水の芸術を支えた。また、渡仏滞在費用は清水の父親と渡欧後援画会で支えた。その後、清水を通じて彫刻家アントワーヌ・ブールデルと交流があった。
北澤 國男 (きたざわ くにお、1895年10月31日 - … 北澤 國男 (きたざわ くにお、1895年10月31日 - 没年不明) は、日本の実業家。東洋バルヴの創業者。 長野県諏訪郡上諏訪村(現諏訪市)生まれ。小学校卒業後、1916年に北沢製作所を設立、1943年に株式会社北沢工業に改組し代表取締役社長に就任。1946年諏訪商工会議所初代会頭。1970年勲三等珠宝章受勲。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中澤 佑(なかざわ たすく、1894年(明治27年)6月28… 中澤 佑(なかざわ たすく、1894年(明治27年)6月28日 - 1977年(昭和52年)12月22日)は、日本の海軍軍人。海兵43期、海大26期。最終階級は海軍中将。戦時中は特攻作戦を承認し強く推進した責任者でもある。「日本海軍の提督でもっとも有能かつ潔癖な人物」と評される一方で、終戦時には部下に「俺は死ぬ係じゃないから」と発言したことでも知られる。 1894年(明治27年)6月28日、長野県諏訪郡豊田村(現諏訪市)で農業・染色を営む父・忠助のもとに生まれる。中澤宗家は代々諏訪藩右筆だったが、明治維新により帰農した。父・忠助は豊田村村長も務めた。旧制長野県諏訪中学校を経て1912年(大正元年)9月9日、海軍兵学校第43期に100名中71番の席次で入校。
20代 宮坂 伊兵衛(みやさか いへえ、1893年〈明治26… 20代 宮坂 伊兵衛(みやさか いへえ、1893年〈明治26年〉9月 - 1974年〈昭和49年〉)は、日本の実業家、政治家。長野県諏訪市長(初代)。旧名は宮坂登。 長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)に、酒造業「大布屋」第19代宮坂伊兵衛有紹の長男として生まれる。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)を経て、早稲田実業学校卒業。家業・宮坂伊兵衛商店、高島銀行で勤務。1921年(大正10年)第20代伊兵衛を襲名し、高島銀行頭取に就任。翌年以降、合併先の第六十三国立銀行、八十二銀行の監査役を務めた。1933年(昭和8年)法人化した宮坂醸造の初代社長となる。その他、諏訪倉庫監査役、昭和倉庫監査役なども務めた。
伊藤 富雄(いとう とみお、1891年10月23日 - 19… 伊藤 富雄(いとう とみお、1891年10月23日 - 1968年1月29日)は、日本の政治家、郷土史家。 長野県諏訪郡中洲村(現・諏訪市)出身。長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)に首席で入学するが、1番でなければ退学という父親の方針があり、3年1学期の時、母親の出産で田植えに追われて2番に下がったため中退。 農業に従事し、1941年中洲村産業組合(現・JA信州諏訪)組合長となる。1945年には中洲村長を兼務した。農業の傍ら、諏訪神社神長官守矢家に残された鎌倉時代から室町時代にかけての古文書解読を志し、中世古文書読解の専門家となった。 日本社会党に入党して農地改革を先導した。
千野 光茂(ちの みつしげ、1888年 - 1957年)は、… 千野 光茂(ちの みつしげ、1888年 - 1957年)は、日本の遺伝学者。 長野県諏訪市出身。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)卒業。女学校などでの教鞭の傍ら、遺伝学研究に没頭した。その実績が認められ、京都帝国大学に招かれ、京都帝国大学理学部助教授を務める。1940年日本遺伝学会賞受賞。 戦後、母校である旧制諏訪中学が新制諏訪清陵高校になるのに伴い、郷土出身の著名な学者を呼ぼうということになり、初代校長(旧制諏訪中学を含め第13代校長)を務めた。校長当時、生徒だった人物に、1996年に第5回相澤忠洋賞を受賞した考古学者武居幸重がいる。1937年京都帝国大学理学博士。論文の題は「黒猩々蝿の遺傳學的研究 」。
丸山 永畝(まるやま えいほ、本名・忠次郎、1886年〈明治… 丸山 永畝(まるやま えいほ、本名・忠次郎、1886年〈明治19年〉6月2日 - 1962年〈昭和37年〉5月10日)は、日本の画家。 1886年(明治19年)6月2日、長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)に生まれる。幼少期を諏訪湖や蓼科山・八ヶ岳といった大自然に囲まれた中で過ごし、自然愛を育む。1906年(明治39年)、20歳で上京し、荒木寛畝に入門。絵画の基礎を学び、自らの画風を固めて行く。「晩秋の図」・「水辺夏色」がそれぞれ日本美術協会展(1911年)・日本画会展(1912年)で入選。大正以降、写生のため日本各地に足を運ぶようになる。 1918年(大正7年)、荒木十畝の門下であった幸(旧姓・荒木、画号・菜畝、1895年〈明治28年〉8月27日 - 1986年〈昭和61年〉)と結婚。
永田 鉄山(ながた てつざん、1884年〈明治17年〉1月1… 永田 鉄山(ながた てつざん、1884年〈明治17年〉1月14日 - 1935年〈昭和10年〉8月12日)は、日本の陸軍軍人。統制派の中心人物。 陸軍中央幼年学校次席卒業、陸軍士官学校首席卒業、陸軍大学校次席卒業を経て参謀本部第2部長、歩兵第1旅団長などを歴任した。 軍政家として本流を歩み「将来の陸軍大臣」「陸軍に永田あり」「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」と評される秀才だった。陸軍刷新(長州閥支配打破など)を進めた。 陸軍省軍務局長(階級は陸軍少将)時に、陸軍内部の統制派と皇道派の抗争に関連して相沢三郎陸軍中佐に執務室で殺害された(相沢事件)。 長野県諏訪郡上諏訪町本町(現・諏訪市)出身。
原 輝美(はら てるみ、1884年- 1966年)は長野県諏… 原 輝美(はら てるみ、1884年- 1966年)は長野県諏訪市出身の画家。 諏訪市湖南の製糸業を営む家に生まれる。 長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、1902年に医学を学ぶため単身渡米。親の希望で医学を学ぶも、美術に志向していく。 1905年 画家になる事を決め美術学校に入学。 1907年 美術学校で優秀な成績を修めイギリスに留学。ロンドンのPolytechnic School of Artに入学。高村光太郎と交流をもつ。 1908年 アメリカに戻る。10月よりニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグ、翌年より帰国までナショナル・アカデミー・オブ・デザインにて学ぶ。
岩波 茂雄(いわなみ しげお、1881年〈明治14年〉8月2… 岩波 茂雄(いわなみ しげお、1881年〈明治14年〉8月27日 - 1946年〈昭和21年〉4月25日)は、日本の出版人、岩波書店創業者。貴族院多額納税者議員。 次男の岩波雄二郎は岩波書店・二代目社長。孫の岩波律子は岩波ホール支配人。次女小百合は岩波書店会長の小林勇の妻。 長野県諏訪郡中洲村(現在の諏訪市中洲)の農家に生まれる。父義質は村の助役をしていた。 尋常小学校、高等小学校をへて、1895年(明治28年)に旧制諏訪実科中学校(現・諏訪清陵高)に進むも、在学中に父が病死し、戸主となる。母を助け農業をしていたが1899年に上京し、杉浦重剛を慕い、日本中学に入学。母が学資を仕送りしてくれた。ある時母親が上京すると茂雄は東京見物をさせようと思うも母は用事が済むとさっさと帰郷してしまった。
北沢 種一(きたざわ たねいち、1880年〈明治13年〉1月… 北沢 種一(きたざわ たねいち、1880年〈明治13年〉1月13日 - 1931年〈昭和6年〉12月9日)は、日本の教育者。 長野県諏訪郡四賀村(現在の諏訪市)出身。長野県師範学校を経て、1906年(明治39年)に東京高等師範学校を卒業した。福井県師範学校を経て、東京女子高等師範学校教授・同附属高等女学校教諭・同附属小学校主事を務めた。1922年(大正11年)から1924年(大正13年)までドイツに留学し、帰国後は東京女子高等師範学校附属高等女学校主事となった。ドイツから帰国後、作業教育を提唱した。
筧 克彦(かけい かつひこ、1872年12月28日〈明治5年… 筧 克彦(かけい かつひこ、1872年12月28日〈明治5年11月28日〉 - 1961年〈昭和36年〉2月27日)は、日本の法学者、神道思想家。東京帝国大学法学部教授、國學院大學教授。従三位勲二等法学博士。長野県諏訪出身。 諏訪大社のある筑摩県諏訪郡上諏訪(現・長野県諏訪市)に旧諏訪藩士筧朴郎の長男として生まれる。東京府尋常中学校、第一高等学校を経て、帝国大学法科大学入学。1897年(明治30年)、帝国大学法科大学法律学科首席卒業、法科大学卒業生総代。同期生には美濃部達吉(政治学科)など。大学卒業後直ちに大学院に入り、翌1898年から6年間ドイツに留学して、オットー・フォン・ギールケ、アドルフ・フォン・ハルナック、ヴィルヘルム・ディルタイなどに師事した。
遠山 房吉(とおやま ふさきち、1869年3月20日(明治2… 遠山 房吉(とおやま ふさきち、1869年3月20日(明治2年2月8日) - 1939年(昭和14年)3月17日)は、日本の篤農家、政治家。衆議院議員。 信濃国諏訪郡、後の中洲村(現長野県諏訪市)で遠山嘉藤治の長男として生まれる。北海道開拓を志し、1897年に河西郡芽室村に移住。 馬鈴薯、粟、麦などの作物を栽培するとともに、水田の開発を推進し、養蚕の導入などを行う。芽室農会評議員、同衛生組合長、北海道蚕糸会評議員、河南土功組合議員、北海道地方種繭審査委員、十勝六郡農会評議員、十勝郡農会副会長、北海道農村産業組合評議員などを務めた。 政界では、芽室村会議員、同学務委員、所得税調査委員、北海道会議員を歴任。