村林 聡(むらばやし さとし、1958年11月8日 - )は… 村林 聡(むらばやし さとし、1958年11月8日 - )は、日本の実業家。三菱UFJフィナンシャル・グループ最高情報責任者、三菱UFJリサーチ&コンサルティング代表取締役社長を経て、インターネットイニシアティブ取締役副社長、ディーカレット代表取締役会長。 三重県松阪市出身。1981年名古屋大学経済学部卒業。金融論山崎研治ゼミ出身。同年三和銀行入行。2009年三菱東京UFJ銀行執行役員システム部長兼UFJ日立システムズ出向、三菱UFJフィナンシャル・グループ執行役員事務・システム企画部長。2011年三菱東京UFJ銀行常務執行役員システム部長。2013年三菱東京UFJ銀行常務執行役員コーポレートサービス長。
向井 正雄(むかい まさお、1958年1月17日 ~ )は、… 向井 正雄(むかい まさお、1958年1月17日 ~ )は、日本の合唱指揮者である。日本合唱指揮者協会、21世紀の合唱を考える会=合唱人集団「音楽樹」各会員。宝塚国際室内合唱コンクール委員会理事。 三重県松阪市出身。三重大学教育学部卒業。 これまでにErdei Péter氏、Fritz ter Wey氏、黒岩英臣氏、本山秀毅氏の指揮法クラスを受講。 本格的な室内合唱を目的として、「ヴォーカルアンサンブル《EST》」を設立し、同団の音楽監督・指揮者として現在に至る(1992-)。 マルクトオーバードルフ国際室内合唱コンペティション(2001ドイツ)にて“現代音楽解釈における最優秀指揮者賞”を、アレッツォ国際ポリフォニックコンペティション(2006イタリア)において“最優秀指揮者賞”を、東京国際合唱コンクール(2019日本)にて“最優秀指揮者賞”を受賞。
水谷 新太郎(みずたに しんたろう、1953年12月7日 -… 水谷 新太郎(みずたに しんたろう、1953年12月7日 - )は、三重県松阪市出身の元プロ野球選手(内野手)。
丸岡 啓二(まるおか けいじ、1953年4月17日 - )は… 丸岡 啓二(まるおか けいじ、1953年4月17日 - )は、日本の有機化学者。キラル相間移動触媒やキラル有機分子触媒、キラルルイス酸などに関する研究で知られる。京都大学大学院理学研究科化学専攻教授を歴任。三重県松阪市出身。 この項目は、化学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:化学/Portal:化学)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
宮本 四郎(みやもと しろう、1952年5月28日 - 20… 宮本 四郎(みやもと しろう、1952年5月28日 - 2006年6月19日)は、1970年代半ばから1980年代半ばにかけて活躍したプロ野球選手。ポジションは投手。左投げ左打ち。
永井"ホトケ"隆(ながい ほとけ たかし、1950年10月2… 永井"ホトケ"隆(ながい ほとけ たかし、1950年10月24日 - ) は、三重県松阪市生まれの歌手、ギタリスト。 1950年10月6日、三重県松阪市に生まれる。中学から高校時代にかけ、ビートルズやローリング・ストーンズを始めブリティッシュ系を中心としたロックに親しむ。高校に入ると、マイルス・デイヴィス、ソニー・ロリンズらジャズも聴くようになった。 1970年、同志社大学に進学。大学のサークルで知り合った小堀正(ベース)とロック・バンドを結成。塩次伸二(ギター)ともバンド活動をするようになった。翌1971年、NHKで放映されたBBC制作のドキュメンタリー番組「黒人の魂-ブルース」(原題:Chicago Blues)を見て衝撃を受け、黒人によるブルースに強く興味を持つ。
多賀 敏行(たが としゆき、1950年9月22日 - )は、… 多賀 敏行(たが としゆき、1950年9月22日 - )は、日本の外交官。 外交官経験をいかし、外交論・比較文化論や英語についての著書の執筆も行う。 宮内庁侍従、ラトビア公使、東京都庁知事本局儀典長、ラトビア駐箚特命全権大使などを歴任した。 三重県松阪市出身。中学から愛知県名古屋市に出て東海中学校・高等学校に進学。1974年に一橋大学法学部を卒業し、外務省に入省。高校・大学及び外務省入省同期に西ヶ廣渉元宮内庁宮務主管がいる。1977年ケンブリッジ大学大学院修了、LL.M.(法学修士)。国連政府代表部一等書記官等を経て、1993年から1996年まで宮内庁で侍従を務めた。 その後石原慎太郎東京都知事の下で東京都知事本局儀典長を務めたのち、2009年から在チュニジア特命全権大使。
中川 正春(なかがわ まさはる、1950年〈昭和25年〉6月… 中川 正春(なかがわ まさはる、1950年〈昭和25年〉6月10日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(9期)、文部科学大臣(第15代)、内閣府特命担当大臣(防災、「新しい公共」、男女共同参画、少子化対策)、公務員制度改革担当大臣、文部科学副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)、衆議院懲罰委員長、民主党幹事長代行(第3・4・5代)、立憲民主党三重県連代表、三重県議会議員(3期)等を務めた。 三重県松阪市生まれ。三重県立津高等学校、ジョージタウン大学外交学部国際関係学科卒業。大学卒業後、国際交流基金に勤務。 1983年、三重県議会議員選挙に松阪市・飯南郡選挙区から自由民主党公認で出馬し、初当選。以後3期連続当選。
柴田 昌弘(しばた まさひろ、1949年12月26日 - )… 柴田 昌弘(しばた まさひろ、1949年12月26日 - )は、日本の元漫画家。 妻は漫画家の市川ジュン。2015年より京都精華大学ストーリーマンガコース教員。 三重県松阪市出身。成蹊大学卒業。 「別冊マーガレット」(集英社)1973年6月号に掲載された「白薔薇の散る海」でデビュー(投稿3作目)。投稿時代より鈴木光明主宰の「三日月会」に入会した縁で仲間となった和田慎二のアシスタントをデビュー後に一時期務める。少女漫画にメカニックやハードなSF・サスペンスの要素を大いに取り込み、人気を博した。少年漫画を経て、青年漫画を中心に活動していた。代表作に『紅い牙 ブルーソネット』など。 浅香晶原作の「スーパー★ノバ」シリーズなどライトノベルの挿絵も複数担当している。
美宅 成樹(みたく しげき、1949年3月2日 - )は、日… 美宅 成樹(みたく しげき、1949年3月2日 - )は、日本の分子生物学者。名古屋大学名誉教授。元日本生物物理学会会長。 三重県松阪市生まれ。1967年三重県立津高等学校卒業。1971年東京大学理学部物理学科卒業、1978年東京大学大学院理学系研究科博士課程中退。1973年「リポゾームの音波物性の研究」で理学博士。1976年東京大学工学部物理工学科助手、1980年東京農工大学工学部助教授、1994年1月教授、2003年名古屋大学大学院工学研究科教授、2006年日本生物物理学会会長、2013年定年退任、名誉教授、豊田理化学研究所客員フェロー。
川田 弥一郎(かわだ やいちろう、1948年10月2日 -)… 川田 弥一郎(かわだ やいちろう、1948年10月2日 -)は、日本の小説家。医師。本名は田上鑛一郎。 三重県松阪市出身。名古屋大学医学部卒業。1992年『白く長い廊下』で第38回江戸川乱歩賞を受賞し、乱歩賞受賞作品の中で初めての医療系ミステリー小説となった。医療系ミステリーの執筆については、医学部という学歴と医師という職歴が影響しているといえる。 『江戸の検屍官』シリーズは高瀬理恵の作画で漫画化されている(小学館『ビッグコミック』不定期掲載)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
三重ノ海 剛司(みえのうみ つよし、1948年2月4日 - … 三重ノ海 剛司(みえのうみ つよし、1948年2月4日 - )は、三重県松阪市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。第57代横綱。本名は石山 五郎(いしやま ごろう)。現役引退後は年寄として後進の指導に尽くし、日本相撲協会理事長、退職後は、相撲博物館館長を務めた。 幼少期は山で木を削って刀を作ったり、ターザンごっこをしたり、寺で三角ベースをやったりしていた。野球も少ししていたが、特別好きなチームはなく、好きな選手はいなかった。運動神経は悪かったため、野球ではチームの足を引っ張っていた。父が建設関係の仕事をしていたころは普通の生活を送っていたが、父が病気で倒れてからは途端に貧しくなった。以来、ベルトを買う金もなく、母の腰巻の紐で代用していたほどの貧窮家庭に育った。
田中 孝典(たなか たかのり、1946年 - )は、日本の建… 田中 孝典(たなか たかのり、1946年 - )は、日本の建築家。株式会社山下設計執行役員から現在同社代表。同社では主に海外の無償資金協力案件の業務を担当していた。三重県松阪市生まれ。 1970年、名古屋工業大学工学部建築学科卒業。同年から株式会社山下設計。1979年12月まで、東京支社建築設計部。1980年1月から1989年10月まで海外業務室、1989年11月から2000年11月まで国際プロジェクト部部長 。2000年12月から2003年11月まで執行役員。2003年12月から取締役常務執行役員。1977年、バグダッド放送局国際コンペティション当選。1986年にエジプト放送局プロポーザル当選。
久保 房郎(くぼ ふさお、1945年1月7日 - )は、三重… 久保 房郎(くぼ ふさお、1945年1月7日 - )は、三重県松阪市出身のフリーアナウンサー。有限会社オフィス・ファンファーレ所属。 同志社大学時代は同志社学生放送局DSBに所属し、卒業後の1968年4月に近畿放送へ入社。同期に山崎弘士がいる。現役時代は競馬・野球・サッカーなどの各種スポーツ中継やラジオパーソナリティを担当し、2005年2月28日付で定年退職した後も2010年まで『KEIBAワンダーランド』などKBS京都の番組に出演していた。 以下に掲げる番組はすべてKBS京都(テレビ/ラジオ)で放送されている、又は過去に放送されていた番組である。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
矢野 眞和(やの まさかず、1944年 - )は、日本の社会… 矢野 眞和(やの まさかず、1944年 - )は、日本の社会工学者、教育経済学者、教育社会学者。東京工業大学名誉教授。東京工業大学工学部教授、東京大学大学院教育学研究科教授、日本高等教育学会会長などを歴任した。 東京都生まれ。三重県松阪市育ち。1968年東京工業大学工学部経営工学科を卒業し、自動車会社に入社。同年東京工業大学社会工学基礎講座助手。1974年国立教育研究所研究員。1981年広島大学大学教育研究センター助教授。1984年工学博士。1986年東京工業大学工学部助教授。1991年東京工業大学工学部教授。1998年から2003年まで東京大学大学総合教育研究センター教授併任。 2003年東京大学大学院教育学研究科教授、日本高等教育学会会長。
沢本 忠雄(さわもと ただお、1935年7月2日 - 202… 沢本 忠雄(さわもと ただお、1935年7月2日 - 2022年6月5日)は、日本の俳優。三重県松阪市出身。白木万理は元妻にあたる。 1958年、日本大学芸術学部(映画科・演出/シナリオ)卒業。日活に入社。公式のデビュー作は南田洋子主演で、南田の弟役を演じた『雌花』(1957年、阿部豊監督作品)であるが、その前に同じ南田主演の『素足の娘』でエキストラ出演している。そのエキストラ出演で阿部に認められて『雌花』に起用されたという。 1958年に『十代の恋よさようなら』(小林桂三郎監督作品)にて初主演。以後は『嵐を呼ぶ友情』、『群衆の中の太陽』、『青春蛮歌』、『祈るひと』等、数々の作品に出演し、日活映画の顔となる。
西川 順之助(にしかわ じゅんのすけ、1932年〈昭和7年〉… 西川 順之助(にしかわ じゅんのすけ、1932年〈昭和7年〉8月19日 - 2024年〈令和6年〉3月15日)は、日本のバレーボール選手、新聞記者、実業家。三重県松阪市出身で、中日新聞社名古屋本社事業局長、取締役、常務を務め、2001年(平成13年)10月10日から2011年(平成23年)3月25日まで中日ドラゴンズ球団代表取締役社長を務めた。 早稲田大学に入学し、バレーボール部に入部し、6人制バレーボールの草分け的存在となる。1953年には、渡米チームのメンバーにも選ばれた。 大学卒業後の1957年(昭和32年)4月に中日新聞社へ入社し、主にスポーツ取材に携わる。バレーボール担当記者を長く務め、テレビ解説も担当した。
黒木 和雄(くろき かずお、1930年11月10日 - 20… 黒木 和雄(くろき かずお、1930年11月10日 - 2006年4月12日 )は、日本の映画監督。代表作に『竜馬暗殺』『祭りの準備』『TOMORROW 明日』などがある。 母親の実家・三重県松阪市生まれ。兵庫県神戸市、宮崎県飯野町(現えびの市)を経て、5歳のときに父の仕事先満州に家族と渡り、少年時代は満州で育つ。1942年日本に戻り、中学から祖父母の住む宮崎県えびの市で育った。宮崎県立小林中学校(旧制)、宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。高校時代の恩師の勧めで同志社大学法学部に進学。卒業後、岩波映画製作所へ入社。1958年の『東芝の電気車輛』で監督デビュー。その後も主にPR映画を監督するが、火力発電所の宣伝映画でありながら前衛的な表現に訴えた『海壁』(1959年)や『ルポルタージュ 炎』(1960年)、アラン・レネ監督の影響を受けた北海道のPR映画『わが愛 北海道』が異色のドキュメンタリーとして注目される。
和田 勉(わだ べん、1930年〈昭和5年〉6月3日 - 2… 和田 勉(わだ べん、1930年〈昭和5年〉6月3日 - 2011年〈平成23年〉1月14日)は、日本の演出家・映画監督で、NHKディレクター、プロデューサー。退局後はタレントとしても活動した。本名は名の読みが「つとむ」。 ワダベンカンパニー代表取締役で、生島企画室(現在のFIRST AGENT)と業務提携していた。 妻は衣装デザイナーのワダ・エミ(2021年没)。 三重県松阪市生まれ、鹿児島県鹿屋市出身。鐘紡勤務だった父・和田義太郎(後に鹿屋市議、鹿屋商工会議所会頭)は転勤が多く、生後半年で松阪から京都府福知山市に移り、小学校就学前に愛知県東春日井郡鷹来村(現・春日井市)(春日井市立鷹来小学校の前身にあたる鷹来尋常高等小学校)、小学校3年生時に福島県信夫郡庭坂村(現・福島市)へ引っ越し、1年半を過ごした。
出口 保夫(でぐち やすお、1929年8月26日 - 201… 出口 保夫(でぐち やすお、1929年8月26日 - 2019年8月2日)は、日本の英文学者、英国文化研究家、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 三重県松阪市生まれ。1953年早稲田大学教育学部英語英文科卒業、同副手。1955年早稲田大学大学院修了。1963年早大教育学部講師、1966年助教授、1971年教授、2000年に退職後、名誉教授。2009年春、瑞宝中綬章受勲。 1963年、大英博物館研究員として渡英。その後も、オックスフォード大学キャンピオン・ホール(Campion Hall)上級客員教授などとして、たびたびイギリスに滞在する。 ジョン・キーツをはじめとするイギリス・ロマン派についての研究業績や、『キーツ全詩集』などの訳業も多い。
本田 周司(ほんだしゅうじ、Shuji HONDA、1927… 本田 周司(ほんだしゅうじ、Shuji HONDA、1927年2月21日 -2026年1月11日)は、日本の作曲家・教育者。 三重県天白村(現・松阪市)生まれ。生家は代々神主を務めており、その三男として生まれた。 長兄がヴァイオリンを弾くなど、家庭内に音楽環境はあり、幼少期より音感のよさを家族から見出されていたものの、習いごとなどを含め特段の音楽教育を受けることはなく、子ども時代を過ごした。楽譜も読めなかった。 海軍に入隊するものの、18歳のときに終戦により復員。終戦後の価値観が大きく変わる混乱期において、芸術ならば裏切られることはないと考え、作曲家の道を志す。野口源次郎及び外山道子に師事。 フランスの作曲家アルテュール・オネゲルに出会い、深く傾倒する。
渥美 俊一(あつみ しゅんいち、1926年8月21日 - 2… 渥美 俊一(あつみ しゅんいち、1926年8月21日 - 2010年7月21日)は、日本の経営コンサルタント。 三重県松阪市出身。旧制津中学校、官立第一高等学校文科を経て東京大学法学部を卒業。学生時代は全国学生運動の中枢で活動。1952年に読売新聞社に入り経営技術担当記者となる。1962年にチェーンストア経営研究団体ペガサスクラブを設立、主宰。1963年にチェーンストア経営専門コンサルティング機関である日本リテイリングセンターを設立。1967年読売新聞嘱託となり、1969年に退職、コンサルタント専業となる。専門はチェーンストアの経営政策・経営戦略と基礎技術論。 渥美は、高度経済成長を達成する中でも日本人の生活の豊かさは国際水準から見れば成熟していないと捉え、製造業に比べて立ち遅れていた日本の流通分野を、チェーンストア産業づくりの推進によって近代化し、生活水準の向上を実現することをロマンとして掲げた。
志津 三郎(しづ さぶろう、1924年7月3日- 没年不明)… 志津 三郎(しづ さぶろう、1924年7月3日- 没年不明)は、日本の作家。 三重県松阪市出身。本名・坂本實。宇治山田商業学校卒。1959年漫画家としてデビュー。その後、テレビ、演劇などの脚本家を経て、作家となる。バイオレンス、ミステリー、時代小説と幅広い。また時代小説においては、膨大な資料をもとに物語を再構築する特異な才能を発揮している。
田村 元(たむら はじめ、1924年〈大正13年〉5月9日 … 田村 元(たむら はじめ、1924年〈大正13年〉5月9日 - 2014年〈平成26年〉11月1日)は、日本の政治家。 衆議院議長(第66代)、通商産業大臣(第46・47代)、運輸大臣(第48代)、労働大臣(第33代)、衆議院議員(当選14回)、自由民主党国会対策委員長(第26代)などを歴任。 三重県松阪市(旧・大足村)に生まれる。父親の田村秢は、弁護士出身で三重県会議員を経て、1942年(昭和17年)の翼賛選挙で衆議院議員に当選した。 旧制三重県立宇治山田中学校を経て、1950年(昭和25年)に慶應義塾大学法学部卒業。中外炉工業、三重交通勤務と中学校の代用教員を経て、参議院議員の前田穰の秘書となる。
野呂 恭一(のろ きょういち、1919年11月30日 - 1… 野呂 恭一(のろ きょういち、1919年11月30日 - 1995年3月6日)は、日本の政治家。位階は従三位。 厚生大臣(第57代)、衆議院議員(7期)、三重県議会議員などを歴任した。 1919年(大正8年)生まれ。三重県飯南郡飯高町出身。父は宮前村長などを務めた野呂庫二郎。 東京高等師範学校卒業。戦後、三重県議会議員選挙への立候補を目指すも公職追放を受けた父・庫二郎にかわって27歳で三重県議会議員選挙に地元の飯南郡から立候補して当選し、県議会議員となった。自由民主党三重県連の幹事長などを歴任した後、1959年(昭和34年)には三重県議会議長に就任した。 その後、三重県議を辞職し1963年(昭和38年)の第30回衆議院議員総選挙に立候補し初当選。
田端 義夫(たばた よしお、1919年〈大正8年〉1月1日 … 田端 義夫(たばた よしお、1919年〈大正8年〉1月1日 - 2013年〈平成25年〉4月25日)は、日本の歌手、ギタリスト。本名:田畑 義夫(読み同じ)。第二次世界大戦前から21世紀初頭まで現役歌手として活躍した。愛称はバタヤン。高い位置で構えるエレクトリック・ギター(ナショナル1124)、独特の哀愁を帯びた歌声、「オーッス!」という威勢のよい挨拶がトレードマークで、広く国民に親しまれた。 三重県松阪市生まれ。3歳の時に父を亡くし、大正14年(1925年)に一家とともに大阪に出て行く。小学校3年の半ばで中退。赤貧のため慢性的な栄養失調であった。トラコーマにかかり徐々に右目の視力を失う。 13歳より名古屋の薬屋やパン屋、鉄工所などで丁稚奉公。
近藤 典生(こんどう のりお、1915年4月28日 - 19… 近藤 典生(こんどう のりお、1915年4月28日 - 1997年1月21日)は、日本の環境共生学者・研究者・指導者。探検家。専門は植物遺伝育種学などで、種無しスイカの生みの親でもある。三重県松阪市生まれ。 1915年、小津茂右衛門の次男として生まれる。は旧制津中学(現・三重県立津高等学校)を経て1939年、東京農業大学農学部農学科卒業。京都帝国大学農学部遺伝子研究室副手。1941年、財団法人木原生物学研究所所員。1944年同研究所主任。1948年、同研究所主任・京都大学副手を辞任、東京農業大学助教授就任。1950年、東京農業大学育種学研究所創設。1954年に農学博士。1957年、東京農業大学教授就任。
井村 二郎(いむら じろう、1914年11月3日 - 201… 井村 二郎(いむら じろう、1914年11月3日 - 2011年5月6日)は、日本の実業家。井村屋グループの創業者。三重県松阪市出身[1]。井村正勝は長男[1]。
井村 二郎(いむら じろう、1914年11月3日 - 201… 井村 二郎(いむら じろう、1914年11月3日 - 2011年5月6日)は、日本の実業家。井村屋グループの創業者。三重県松阪市出身。井村正勝は長男。 1932年に松阪商業学校を卒業し、父親が経営する和菓子屋を継ぐ。1947年に井村屋製菓を創業し、社長に就任。1974年に会長を経て、1979年に相談役に就任した。 2011年5月6日、肺炎のために死去。96歳没。
西山 方富(にしやま まさとみ、1914年10月31日 - … 西山 方富(にしやま まさとみ、1914年10月31日 - 1987年4月12日)は、日本の経営者。井村屋製菓社長、会長を務めた。三重県松阪市出身。 1932年に三重県立松阪商業学校を卒業。髙島屋での勤務を経て、1947年に井村屋に転じ、専務に就任し、1970年に副社長を経て、1974年5月には社長に就任。1979年6月に監査役に就任。 1987年4月12日食道静脈瘤破裂と肝硬変のために死去。72歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
中谷 泰(なかたに やすし/なかたに たい、1909年5月2… 中谷 泰(なかたに やすし/なかたに たい、1909年5月20日 - 1993年5月31日)は、三重県松阪市出身の画家。東京藝術大学教授。 戦前、新文展で特選。春陽会会員となる。絵本画家のいわさきちひろに油絵を指導したことでも知られる。本名は中谷泰一(なかたにたいいち)。 戦後は、日本美術会の書記長を務めた美術評論家の水沢澄夫に誘われ、同会に入会。春陽会や、日本アンデバンダン展(日本美術会主催)、平和美術展(美術家平和会議主催)にも作品を出品した。その後、日本美術会代表、東京藝術大学美術学部教授、財団法人いわさきちひろ記念事業団理事長、日本美術会附属美術研究所「民美」所長を歴任した。 戦前から挿絵も手がけ、坪田譲治の名作児童文学『善太と三平』(童話春秋社、1940年)の挿絵を皮切りに、戦後のNHKのラジオドラマ番組「光を掲げた人々」をもとにした「光を掲げた人々」シリーズ全12巻(光の友社、1954年)の多くで挿絵を担当。
安保 正敏(あぼ まさとし、1907年11月18日 - 19… 安保 正敏(あぼ まさとし、1907年11月18日 - 1971年3月20日)は、日本の実業家。三重交通社長と東海テレビ放送社長を務めた。三重県松阪市出身。赤福餅で有名な赤福代表取締役社母兼社長である濵田勝子は三女、その夫は同社元会長である濵田益嗣。 1929年に、同志社専門学校高等商業部を卒業。 1942年に、松阪電気鉄道社長に就任し、1944年に統合により、三重交通専務に就任し、1954年に社長に昇格した。1957年に近畿東海放送社長に就任し、1959年にラジオ東海との合併により1971年に東海ラジオ放送社長にも就任した。1957年に東海テレビ放送副社長にも就任し、1967年には社長に昇格した。
堀木 鎌三(ほりき けんぞう、1898年3月17日 - 19… 堀木 鎌三(ほりき けんぞう、1898年3月17日 - 1974年4月13日)は、日本の鉄道官僚、政治家。参議院議員(2期)、厚生大臣。 三重県松阪市出身。堀木利右衛門の三男として生まれる。目白中学、第八高等学校を経て、1922年(大正11年)3月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1921年(大正10年)11月、高等試験行政科試験に合格。1922年4月に鉄道省に入り、鉄道局書記となり東京鉄道局庶務課文書掛に勤務。鉄道局副参事・新橋運輸事務所営業主任、東京鉄道局運輸課旅客掛長などを歴任。1929年(昭和4年)7月に在外研究員に発令され、1931年(昭和6年)8月まで欧州に出張した。 帰国後、新橋運輸事務所長、大阪鉄道局運輸課長、運輸局旅客課長などを経て、1938年(昭和13年)4月、鉄道大臣秘書官兼大臣官房文書課長に就任し、中島知久平に仕えた。
宇田 荻邨(うだ てきそん、1896年〈明治29年〉6月30… 宇田 荻邨(うだ てきそん、1896年〈明治29年〉6月30日 - 1980年〈昭和55年〉1月28日)は、日本画家、日本芸術院会員。三重県松阪市生まれ。本名・善次郎。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
丹羽 保次郎(にわ やすじろう、1893年(明治26年)4月… 丹羽 保次郎(にわ やすじろう、1893年(明治26年)4月1日 - 1975年(昭和50年)2月28日)は、NE式写真電送装置(ファクシミリ)を開発した技術者。東京電機大学初代学長。日本の十大発明家の一人として数えられることもある。工学博士。三重県松阪市名誉市民(第1号)[要出典]。 三重県松阪市出身。旧制八高を経て1916年(大正5年)に東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業。逓信省電気試験所を経て、1924年(大正13年)6月に日本電気に入社する。同年から翌年末にかけ欧米へ最新の通信技術を学びに視察。1926年(大正15年)2月に学位論文の「矩形枠捲線輪特ニ其誘導系数ノ計算方法ニ関スル研究」で帝大より工学博士を授与される。
丹羽 五郎(にわ ごろう、1890年(明治23年)7月28日… 丹羽 五郎(にわ ごろう、1890年(明治23年)7月28日 - 1958年(昭和33年)11月29日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 三重県飯高郡(現松阪市)で丹羽雨斉の五男として生まれる。岩手水産学校(現岩手県立宮古水産高等学校)漁撈科を修了。漁撈の研究を行う。 1915年(大正4年)丹羽船舶漁業部を開設。1919年(大正8年)大阪海事を設立し取締役社長に就任。その他、泰和洋行船舶部長、東明銀行取締役、日本索道常務取締役、丹羽船舶部社長、大阪機帆船海運組合理事、日本海獣取締役、大阪機帆船運送取締役、日本近海汽船取締役、日本海運協会小型船委員会委員、丸三商店取締役、尼崎船渠社長、中央産業社長、海上交通社(大阪)社長、近畿造船連合会副会長などを務めた。
曾我廼家 十郎(そがのや じゅうろう、1869年6月6日〈明… 曾我廼家 十郎(そがのや じゅうろう、1869年6月6日〈明治2年4月26日〉 - 1925年〈大正14年〉12月4日)は日本の俳優、劇作家。本名は大松福松。劇作家としては和老亭当郎と名乗った。 伊勢国松阪出身。家業は合羽、煙草の販売だった。 1900年(明治33年)、3代目中村歌六の弟子となり中村時代()を名乗る。歌舞伎の下積み役者として活動するなかで中村珊之助と出会い、2人で喜劇に舵をとる。曾我兄弟にあやかり、年上の時代が曾我廼家十郎、珊之助が曾我廼家五郎を名乗る。1904年(明治37年)2月、道頓堀「浪花座」にて狂言『無筆の号外』を上演して人気を得る。この際、時期が日露戦争の開戦と重なって十郎は尻込みしたが、五郎の牽引で興行した。
田川 平三郎(たがわ へいさぶろう、旧姓・高橋、1868年4… 田川 平三郎(たがわ へいさぶろう、旧姓・高橋、1868年4月22日(明治元年3月30日) - 1951年(昭和26年)2月17日)は、日本の商人(米並びに酒商)、神奈川多額納税者、政治家。衆議院議員(神奈川県第四区選出、当選1回)。 三重県飯南郡花岡村(現松阪市)出身。高橋萬蔵の六男。田川幸蔵の養子となり1901年、養弟國太郎の後を承け家督を相続する。米並びに酒商を営む。 田浦町議、三浦郡議、神奈川県議、所得税、営業税の各調査委員、鎌倉銀行取締役、田浦土地建物取締役社長となる。 1922年、神奈川4区の補欠選挙において憲政会公認で当選した。衆議院議員を1期務めた。 1951年2月17日に死去した。
安保 庸三(あぼ ようぞう、1865年 3月13日(元治2年… 安保 庸三(あぼ ようぞう、1865年 3月13日(元治2年2月16日)– 1942年(昭和17年)5月16日)は、明治から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、三重県会議長。旧姓・四方。 伊勢国飯高郡、のちの三重県飯南郡松阪町(現松阪市)で、四方梅次郎の長男として生まれ、1884年(明治17年)安保ひさ の養子となり家督を相続した。明治法律学校で学んだ。 才賀藤吉の指導を受けて松阪電気を設立し、のち社長に就任。その他、松阪鉄道社長、勢和自動車社長、南勢新聞社長、松阪共産取締役、三重出版取締役、三重県農工銀行監査役、松阪劇場監査役などを務めた。 政界では、松阪町会議員、飯南郡会議員、三重県会議員、同議長などを務めた。
原田 二郎(はらだ じろう、嘉永2年10月10日〈1849年… 原田 二郎(はらだ じろう、嘉永2年10月10日〈1849年11月24日〉 - 昭和5年〈1930年〉5月5日)は、日本の実業家・篤志家。伊勢国松阪(現・三重県松阪市)出身。公益財団法人原田積善会の創設者。歌人としての号は原田嘉朝、詩人としての号は原田均斎。 嘉永2年10月10日(1849年11月24日)、伊勢国松阪城下の同心町(現・三重県松阪市殿町)に生まれた。父は東谷小平次の四男である清一郎、母は田中彦左衛門の長女である時雨子であり、いずれも原田家に養子に入った人物である。幼名は徳松であり、上京する頃までこの名前を用いた。原田家は下級武士の家であるが、徳松は文武両道に秀でており、14歳だった文久2年(1862年)には松阪学問所から褒章を受けている。
矢土 勝之(やづち / やつち かずゆき、1849年3月30… 矢土 勝之(やづち / やつち かずゆき、1849年3月30日(嘉永2年3月7日)- 1920年(大正9年)11月28日)は、明治から大正期の漢詩人・官僚・政治家。衆議院議員。字・実夫、号・錦山。 伊勢国飯野郡阿波曽村(三重県飯野郡射和村大字阿波曽、飯南郡射和村を経て現松阪市阿波曽町)で生まれる。土井聱牙に師事し漢学を修めた。 太政官に出仕。東京で岩倉具視、伊藤博文の知遇を得た。1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(三重県第4区、自由党)で当選した。1902年(明治35年)8月の第7回総選挙(三重県郡部、立憲政友会)では落選し、衆議院議員に1期在任した。 森春濤の高弟で、その子森槐南らと交友した。
大谷 嘉兵衞(おおたに かへえ、1845年1月29日(弘化元… 大谷 嘉兵衞(おおたに かへえ、1845年1月29日(弘化元年12月22日) - 1933年(昭和8年)2月3日)は、日本の商人、実業家、政治家。位階は正五位。勲等は勲三等。幼名は藤吉。名の「衞」は「衛」の旧字体のため、新字体で大谷 嘉兵衛とも表記される。 横浜市会議員、横浜市会議長、横浜商業会議所会頭、貴族院議員などを歴任した。 伊勢国出身の商人、実業家、政治家である。製茶貿易業に携わり、「茶聖」と呼ばれた。第2代横浜商業会議所(現在の横浜商工会議所)会頭や貴族院議員などを務めた。正五位勲三等。族籍は神奈川県平民。 伊勢国飯高郡谷野村(現在の三重県松阪市飯高町宮本)に、父の吉兵衛、母つなの4男1女の末子として生まれた。
高畠 式部(たかばたけ しきぶ、天明5年(1785年) - … 高畠 式部(たかばたけ しきぶ、天明5年(1785年) - 明治14年(1881年)5月28日)は、日本の幕末期から明治初期にかけての歌人。本名は刀美。式部は雅号である。 伊勢国松坂の商家に生まれる。 香川景樹から桂園流の歌を学び、景樹の歿後は千種有功に師事。和歌以外に書画、彫刻、琵琶、笙、茶道等も学んだ。 歌集に、『麦の舎集』、『式部蓮月二女和歌集』などがある。 墓は、京都市東山区円山町626の時宗寺院、黄台山長楽寺にある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
山上 和美(やまがみ かずみ、7月1日 - )は、フリーアナ… 山上 和美(やまがみ かずみ、7月1日 - )は、フリーアナウンサー。 三重県松阪市出身。NHK宇都宮放送局の契約アナウンサーや三重エフエム放送のアナウンサーを歴任したあとフリーに。多彩な趣味・特技を持ちいろいろなことにチャレンジしている女性である。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:アナウンサー)。
土性 沙羅 は、三重県松阪市高町出身の女子レスリング元選手で… 土性 沙羅 は、三重県松阪市高町出身の女子レスリング元選手である。階級は69kg級。身長159cm。2017年3月、至学館大学を卒業。2017年4月より2023年3月31日まで東新住建に所属。2023年4月より2025年3月まで松阪市役所で勤務。同年4月から至学館大学のレスリング部コーチを務める。
西野 カナ は、日本の女性シンガーソングライター。愛称は、カ… 西野 カナ は、日本の女性シンガーソングライター。愛称は、カナやん。三重県松阪市出身。ソニー・ミュージックアーティスツ所属。レコード会社はソニー・ミュージックレーベルズ、レーベルはSME Records。公式ファンクラブは「西野家」。