江崎誠致(えさき まさのり、1922年1月21日 - 200… 江崎誠致(えさき まさのり、1922年1月21日 - 2001年5月24日)は、日本の小説家。福岡県出身。フィリピンでの戦争体験を題材にした『ルソンの谷間』で直木賞受賞。囲碁愛好家としても知られ、呉清源などの棋士の評伝やモデル小説もある。 久留米市に生まれる。父は小学校教師、少年時代から文学好きで、千田是也と中野重治を愛読した。明善中学入学、卒業を待たずに上京し、図書館講習所を経て小山書店に入社し編集、出版業に就く。1943年に召集されて久留米歩兵第48連隊から第4航空隊に転属し、フィリピンに出征。1946年に復員して小山書店に復帰。1949年に小山書店を辞めて独立し冬芽書房を設立、翌年解散して洋紙店などを経営しながら、日本共産党の資金部にて政治活動を行う。
安田 久雄(やすだ ひさお、Paul Hisao Yasud… 安田 久雄(やすだ ひさお、Paul Hisao Yasuda, 1921年12月20日 - 2016年4月23日)は、日本のカトリック教会聖職者。カトリック大阪大司教区第2代司教。洗礼名は「パウロ」。 福岡県久留米市生まれ。1943年に東京帝国大学農学部水産学科を卒業後、同年から中央気象台化学科生物係、1945年10月から1947年2月まで神戸海洋気象台海洋課化学生物係で働いた。 1951年に東京の上智大学文学部哲学科を卒業し、同年7月から1955年6月までアメリカ合衆国に留学。ボルティモアの聖マリア大学で学び、1955年5月21日に司祭に叙階。同年10月から1957年10月までローマに留学し、教皇庁立ウルバノ大学大学院博士課程を卒業した。
隈丸 次郎(くままる じろう、1921年9月26日 - 20… 隈丸 次郎(くままる じろう、1921年9月26日 - 2007年6月8日)は、福岡県久留米市出身の男子テニス選手。慶應義塾大学経済学部卒業。第二次世界大戦終戦直後の時代に、日本男子テニス界をリードした名選手のひとりである。彼は1949年から1952年まで全日本テニス選手権男子シングルス4連覇を達成し、1951年と1952年に男子テニス国別対抗戦・デビスカップの日本代表選手を務めた。現役選手時代の体格は、身長174cm・体重57kgほどであった。 隈丸がテニスを始めたきっかけは、佐藤次郎が1934年4月5日にマラッカ海峡で投身自殺した新聞記事の号外だったという。しかし、彼の近くには専門のテニスコーチがいなかったため、技術解説専門書の日本語訳を読みながら独学でテニスを勉強した。
中島 平太郎(なかじま へいたろう、1921年3月19日 -… 中島 平太郎(なかじま へいたろう、1921年3月19日 - 2017年12月9日)は、デジタルオーディオ技術の草分け的人物とされる日本の技術者である。コンパクトディスク メディア(CD-DA規格) 開発においてソニー側の責任者で、「CDの父」とも呼ばれる。福岡県久留米市生まれ。任意団体CDs21ソリューションズ会長。ビフレステック株式会社代表取締役会長。 CD-DAはソニーとフィリップスの共同開発だが、中島はそのソニー側の責任者だった。規格制定の貢献度は両社50%ずつと公式に発表されているが、技術コンペを経てソニー側が主張した技術が多く採用されている。 デジタル録音可能メディアであるDATとCD-Rにおいて音楽著作権の在り方に関し、日本レコード協会としばしば対立した。
石橋 幹一郎(いしばし かんいちろう、1920年(大正9年)… 石橋 幹一郎(いしばし かんいちろう、1920年(大正9年)3月1日 - 1997年(平成9年)6月30日)は、日本の実業家。ブリヂストンの社長・会長を務めた。ブリヂストンタイヤ創業者の石橋正二郎の長男。 石橋正二郎の長男として福岡県久留米市に生まれる。旧制・中学明善校(現在の福岡県立明善高等学校)、福岡高等学校 (九州大学教養部の前身)を卒業後、1年間の浪人を経て1937年、東京帝国大学に進学。1943年に東京帝国大学法学部を卒業後、海軍主計科の短期現役(略称「短現」、短期現役海軍主計科士官(10期))に志願して、同年9月、海軍経理学校に入学。1944年3月に卒業。東京監督官事務所監査官付となる。
江波 和子(えなみ かずこ、1920年1月24日 - 194… 江波 和子(えなみ かずこ、1920年1月24日 - 1947年)は日本の女優である。福岡県久留米市出身。女優の江波杏子は娘。
松本 安市(まつもと やすいち、1918年(大正7年)5月2… 松本 安市(まつもと やすいち、1918年(大正7年)5月25日 - 1996年(平成8年)3月6日)は、日本の柔道家。段位は講道館8段。 昭和天覧試合(1940年)準優勝者、第1回全日本選手権大会(1948年)優勝者であり、後に天理大学等で柔道師範や1964年東京オリンピック日本代表の監督を務めた。 福岡県久留米市で洋品雑貨の卸売業を営む家の長男として生まれる。福岡県中学明善校入学後は授業で柔道を経験したが、クラブ活動ではバレーボール部に所属。中学3年の始めに上級生の強引な勧誘を受け、嫌々ながら柔道を始めたというのが柔道人生への第一歩となった。 1937年4月に武道専門学校に入学するも、親元を離れた解放感から酒色に溺れ、不摂生が祟って2年生の9月には体調を崩して結核を患い、故郷・福岡での安静生活を余儀なくされる。
赤司 俊雄(あかし としお、1915年(大正4年)8月24日… 赤司 俊雄(あかし としお、1915年(大正4年)8月24日 - 1992年(平成4年)12月26日)は、日本の実業家。三和銀行元頭取。 福岡県久留米市出身。1941年に東京帝国大学経済学部を卒業後、三和銀行に入行。1967年5月に取締役に就任し、常務、専務、副頭取を経て、1976年4月に同行が発足して以来、初めての生え抜きとして頭取に就任し、「ピープルズバンク」をモットーに、カードローンや年金型預金商品の開発などにより、銀行の大衆化を進め、金融業界では初めてQC(品質管理)活動を導入した。1982年6月に会長に退く。 その一方で、日本銀行参与、大阪銀行協会会長、全国銀行協会連合会副会長、日本ソフトボール協会会長なども歴任した。
丸山 豊(まるやま ゆたか、1915年3月30日 - 198… 丸山 豊(まるやま ゆたか、1915年3月30日 - 1989年8月8日)は、日本の医師、詩人。現代日本における代表的な詩人の一人。 福岡県八女郡広川町出身。福岡県中学明善校在学中より野田宇太郎らと同人誌「日時計」を発行。1932年第一早稲田高等学院に進学するも中退し、父と同じく医学を志して、1937年九州医学専門学校卒業。 1941年以降、軍医として中国、フィリピン、ビルマを転戦した。復員後の1946年、久留米市にて豊泉会丸山病院を開業。医師として働く傍ら詩作を行う。1947年、安西均、野田宇太郎らと詩誌「母音」を創刊。谷川雁、川崎洋、有田忠郎ら九州の詩人たちが参加した。1966年、福岡県詩人会を設立して代表幹事に就く。
牛島 春子(うしじま はるこ、1913年2月25日 - 20… 牛島 春子(うしじま はるこ、1913年2月25日 - 2002年5月29日)は、日本の作家。福岡県久留米市出身。結婚後満州国に渡り、『祝という男』で1941年芥川賞次席。戦後、日本に引き揚げてのち、菅生事件などの作品を書いた。 以下は参考文献(多田、2009年)のpp.231 - 239による。 久留米市本町で洋品店を営む牛島丞太郎・あやめ夫妻の二女として生まれる。1927年、10歳年上の兄の影響を受け、処女作「合歓の花」を書く。1929年、久留米高等女学校(現・福岡県立明善高等学校)を卒業し、奈良女子高等師範学校を受験したが失敗。1930年、久留米の文芸誌『街路樹』に参加する。1931年に久留米の日本足袋(現在のブリヂストン)に就職。
岩生 周一(いわお しゅういち、1913年1月9日 - 19… 岩生 周一(いわお しゅういち、1913年1月9日 - 1999年2月5日)は、日本の地球科学者。専門は、鉱床学・堆積岩岩石学。福岡県久留米市生まれ。 1931年旧制福岡高等学校理科甲類を卒業し、東京帝国大学理学部地質学科に入学。1935年同卒業。1938年地質調査所(現:産業技術総合研究所)の技師に任官。1942年第一次山西学術調査研究団に参加した。1953年東京大学教養学部地学教室の教授となる。1969年同理学部地質学教室教授に転任し、1973年定年・退職、名誉教授となる。その後、1973~1978年千葉大学理学部教授を務めた。また、日本学術振興会など諸機関の委員を歴任し、戦後の日本の復興に非金属資源開発の面から大いに貢献した。
城 秀男(じょう ひでお、1911年9月2日 - 2010年… 城 秀男(じょう ひでお、1911年9月2日 - 2010年1月22日)は、日本の染織家。染織工芸を専門に佐賀大学の名誉教授でもあり、多くの染織家を輩出してきた。 2010年1月22日、肺炎により佐賀市内の病院にて死去。98歳だった。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、布や繊維、それを素材とする製品に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:ファッション/P:技術と産業)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
半田 亘理(はんだ わたり、1911年(明治44年)8月22… 半田 亘理(はんだ わたり、1911年(明治44年)8月22日 - 1948年(昭和23年)10月21日)は、大日本帝国海軍の軍人、戦闘機搭乗員。 操練19期。最終階級は中尉。黒岩利雄とならび、単機格闘戦の名手と謳われた撃墜王である。 福岡県久留米市に生まれる。1928年(昭和3年)、海軍を志し佐世保海兵団入団。艦船勤務を経て1932年(昭和7年)10月、第19期操縦練習生となる。同期生に磯崎千利、高橋憲一、田中平、五島一平。1933年(昭和8年)3月、同課程を修了し、戦闘機専修。空母「龍驤」飛行機隊に配属される。 その後、大村に転属。在任中、愛国号献納式典で祝賀飛行に参加した。当時部下だった田中国義はその練習中、編隊スローロール等で苦労していたが、半田機は「定位置を微動だにしない、ついて行くのに汗をかいた」と回想する。
真藤 恒(しんとう ひさし、1910年7月2日 - 2003… 真藤 恒(しんとう ひさし、1910年7月2日 - 2003年1月26日)は、日本の実業家。福岡県久留米市出身。石川島播磨重工業(現:IHI)の社長、電電公社の最終代総裁、NTT初代社長・会長を務めた。また、ドクター合理化の異名を取った。 中学明善校(現・福岡県立明善高等学校)卒業。1934年春、九州帝国大学工学部造船学科を卒業後、播磨造船所(後の石川島播磨重工業)に入社。戦後はアメリカの「海運王」、ダニエル・ラドウィックと手を組み、当時としては画期的な手法で数々の船舶を建造し、専門の船ではそれまでの常識を破った「ズングリムックリ」型のタンカーを考え出したり、従来の貨物船が一隻ごとにオーナーと仕様を決めるオーダーメイドであったのを、あらかじめ造船所が主要スペックを決めてカタログ販売する標準船を世に送り出した。
森山 喜由(もりやま きよし、1909年1月25日 - 19… 森山 喜由(もりやま きよし、1909年1月25日 - 1977年2月1日)は、日本の経営者。エスエス製薬社長を務めた。福岡県久留米市出身。 1932年に東京帝国大学経済学部を卒業。髙島屋、秋葉原デパート等での勤務を経て、1960年にエスエス製薬取締役に就任し、1962年に専務、1964年に副社長を経て、1970年には社長に就任。1976年12月に相談役に退いた。 1977年2月1日呼吸不全のために死去。68歳没。
楢橋 渡(ならはし わたる、1902年(明治35年)3月22… 楢橋 渡(ならはし わたる、1902年(明治35年)3月22日 - 1973年(昭和48年)11月17日)は、日本の弁護士、政治家。国民民主党最高顧問。内閣書記官長・運輸大臣を務めた。その風貌と弁舌から怪物と呼ばれた。従三位。勲二等。元衆議院議員の楢橋進は長男。 福岡県三井郡国分村(現・久留米市)に生まれる。農業・楢橋浅吉の長男。三井郡立准教員養成所を卒業後、小倉師範学校を受験するも、色盲のため不合格となり、煩悶の末出奔する。北九州鞍手郡炭坑にて5年間鉱夫として働く。その後18歳で上京し、3年間の独学を経て1923年高等文官試験司法科に合格。最年少(20歳)合格者ということで各新聞に取り上げられた。
納戸 徳重(のと とくしげ、1902年1月24日 - 199… 納戸 徳重(のと とくしげ、1902年1月24日 - 1991年1月4日)は、日本の陸上競技(短距離走・中距離走)選手。 東京高等師範学校在学中の1920年代半ばに400メートル・800メートルの日本記録をたびたび更新、1924年パリオリンピックに両種目と十種競技で出場した。卒業後は福岡日日新聞社(のち西日本新聞社)に入社、1952年に九州一周駅伝を創設するなど、九州の陸上競技の振興に努めた。 福岡県三潴郡城島町(現在の久留米市)に生まれる。筑後川やクリーク(水路)を泳いで遊ぶ少年時代を過ごし、中学明善校(現在の福岡県立明善高等学校)在学中には野球部・庭球部・徒歩部・剣道部で選手を務めるスポーツ万能ぶりを見せていたという。
井上 満(いのうえ みつる、1900年12月16日 - 19… 井上 満(いのうえ みつる、1900年12月16日 - 1959年5月14日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。筆名は落合 文雄など。 福岡県久留米市米屋町(現・同市中央町)に生まれる。1920年、19歳の時に福岡県立中学明善校(現・福岡県立明善高等学校)卒業、同年、福岡県派遣留学生として日露協会学校に入学。1924年同校卒業。同年、神代ちとせと恋愛結婚。その後、兵役に服すが、病気のために除隊。1926年上京して文筆活動に入り、主に社会科学文献を翻訳。 1930年から6年間、当時の東京市麻布区麻布狸穴町にあった駐日ソ連大使館に勤務し(外交交渉通訳などに携わる)、二・二六事件直後の1936年3月に軍機保護法違反で逮捕されて、1938年10月まで2年7か月間投獄される。
金子 博信(かねこ ひろのぶ、1898年6月5日 - 198… 金子 博信(かねこ ひろのぶ、1898年6月5日 - 1988年8月17日)は、日本の洋画家。 福岡県久留米市出身。1924年に東京美術学校西洋画科を卒業した。安井曾太郎に師事した。卒業後は地元に戻っていたが、同窓の佐伯祐三がフランスで成功すると東京に移住した。 1928年の第17回二科展に初めて出品し、その後も出品を続けた。 1936年に一水会創立後は同会に所属し、1941年に一水会賞を受賞した。後に一水会の会員や常任委員にもなった。 1936年ベルリンオリンピックの芸術競技の絵画種目に「柔道」という題名の作品を出品している。
緒方 久人(おがた ひさと、1895年10月1日 - 197… 緒方 久人(おがた ひさと、1895年10月1日 - 1970年)は、日本の柔道家(講道館9段)。 広島県呉市にて戦前の海軍はじめ各所で半世紀以上に渡り柔道指導を行い、広島市を中心に活動した倉田太一と共に県下柔道界の大家としてその振興・普及に尽力した。 福岡県の久留米市に生まれた。幼少時より扱心流の柔術を学び、旧制中学校を卒業後に上京して1912年3月に講道館へ入門。返し技(当時は“裏技”と言った)の名手として名高い高橋数良の元で専心修行し、ここで返し技に不可欠な足技を磨き終生の武器として会得した。 1914年2月に初段を許されると、翌1915年に郷里・久留米の憲兵隊柔道教師を拝命し、1918年5月には恩師高橋の斡旋により2段格として呉鎮守府海兵団および江田島海軍学校の柔道教師に着任した。
寺崎 覚(本姓:寺﨑 覺、てらさき さとる、1894年(明治… 寺崎 覚(本姓:寺﨑 覺、てらさき さとる、1894年(明治27年)8月13日 - 1984年(昭和59年)2月2日)は、昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員、久留米市功労者。 福岡県久留米市津福本町で生まれる。 久留米市鳥飼産業組合理事、同鳥飼農業会長、久留米市農地委員会長、福岡県農村青年連盟久留米地区委員長、久留米市鳥飼農業協同組合理事などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に福岡県第3区から出馬して初当選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙で再選され、衆議院議員に連続2期在任した。この間、日本農民党情報部長などを務めた。 その後、久留米市教育委員会委員長に就任した。
結城 鉄雄(ゆうき てつお、1892年7月15日 - 197… 結城 鉄雄(ゆうき てつお、1892年7月15日 - 1971年6月18日)は、日本の経営者。大日本セルロイド社長を務めた。福岡県久留米市出身。 1915年に東京高等商業学校を卒業。三井物産での勤務を経て、大日本セルロイドに転じ、1937年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1955年1月には社長に就任。1964年1月から1968年1月までに会長を務めた。富士写真フィルム監査役も務めた。 1962年に藍綬褒章を受章し、1966年に勲三等旭日中綬章を受章。 1971年6月18日急性心不全のために死去。78歳没。
藤森 静雄(ふじもり しずお、1891年8月1日 - 194… 藤森 静雄(ふじもり しずお、1891年8月1日 - 1943年5月28日)は、日本の版画家。 福岡県久留米市生まれ。白馬会原町洋画研究所に入り、東京美術学校予備科西洋画科志望に入学後、1914年に田中恭吉や恩地孝四郎とともに版画誌『月映』を刊行した。東京美術学校をその2年後に卒業し、福岡で中学校の教師を務めた。1922年に『詩と版画』の同人となり、1937年から日本版画協会の常任理事・事務を担当した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
森山 ヨネ(もりやま ヨネ、1891年(明治24年)1月14… 森山 ヨネ(もりやま ヨネ、1891年(明治24年)1月14日 - 1990年(平成2年)10月30日)は、政治家、衆議院議員(1期)。 福岡県久留米市出身。福岡女学校を経て奈良女子高等師範学校を卒業する。1927年栄養学を学ぶため文部省の在外研究員として米国のコロンビア大学に留学する。帰国後は鹿児島県立国分高等女学校教諭や三重県と福岡県の女子師範学校の教諭を経て、福岡県女子専門学校教授になる。その後、退職してブラジルに渡り、戦時中の1942年に帰国した。戦後の1946年の第22回衆議院議員総選挙では福岡県から日本進歩党公認で立候補してトップ当選した。進歩党では渉外連絡部副部長を務めた。翌年の第23回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。
髙島 野十郎(たかしま やじゅうろう、1890年(明治23年… 髙島 野十郎(たかしま やじゅうろう、1890年(明治23年)8月6日 - 1975年(昭和50年)9月17日)は、大正 - 昭和時代の画家。本名は彌壽(やじゅ)、字は光雄。 東京帝国大学水産学科を首席卒業した後に独学で絵の道に入り、画壇との付き合いを避け、独身を貫いた。透徹した精神性でひたすら写実を追求し、隠者のような孤高の人生を送った。生前はほぼ無名だったが、1986年に福岡県立美術館で初の回顧展が開かれ、再評価が進んだ。 福岡県御井郡合川村足穂(現・久留米市合川町)の醸造家である髙島善蔵・カツの六男二女の五男として生まれた。足穂尋常小学校、御井高等小学校を経て県立明善中学(27期生)に進む。
石井 光次郎(いしい みつじろう、1889年〈明治22年〉8… 石井 光次郎(いしい みつじろう、1889年〈明治22年〉8月18日 - 1981年〈昭和56年〉9月20日)は、日本の政治家。位階は従二位、勲等は勲一等、勲章は旭日桐花大綬章。衆議院議長(第54代)、副総理、法務大臣、通商産業大臣、行政管理庁長官、北海道開発庁長官、運輸大臣、商工大臣、朝日放送社長を歴任した。久留米市名誉市民。 福岡県久留米市出身。石井百次の四男として生まれ、1897年(明治30年)家督を相続。久留米商業学校(現・久留米市立久留米商業高等学校)、神戸高等商業学校(現・神戸大学)を経て、1914年(大正3年)東京高等商業学校(現・一橋大学)専攻部を卒業する。 1913年(大正2年)に高等文官試験に合格し、東京高商専攻部卒業後に警視庁警部、台湾総督府秘書課長兼外事課長などを経て1922年(大正11年)に朝日新聞社入社。
石橋 正二郎(いしばし しょうじろう、1889年〈明治22年… 石橋 正二郎(いしばし しょうじろう、1889年〈明治22年〉2月1日 - 1976年〈昭和51年〉9月11日)は、日本の実業家。ブリヂストン創業者。 ブリヂストンタイヤ(現・ブリヂストン)の創業者であり、1966年(昭和41年)8月1日に日産自動車と合併したプリンス自動車工業の育ての親(出資者)でもあり、プリンス・ロイヤル、プリンス・スカイラインの名付け親である。また、張り付け式ゴム底足袋(地下足袋)の考案者でもある。 企業活動を通じて、日本のゴム工業や自動車工業の発展に多大な貢献を行った。長年の功績により2002年(平成14年)には日本自動車殿堂入り、2006年(平成18年)には米国自動車殿堂入りを果たしている。
三浦 豕(みうら いのこ、1886年(明治19年)9月7日 … 三浦 豕(みうら いのこ、1886年(明治19年)9月7日 - 1964年(昭和39年)7月9日)は、日本のルーテル教会の牧師である。 ジェームス・シェーラー ラファス・ピーリー 山内量平・山内幹枝 山内直丸 川瀬徳太郎 三浦豕 石松量蔵 佐藤繁彦 鍋谷堯爾
2代 石橋 徳次郎(いしばし とくじろう、1886年(明治1… 2代 石橋 徳次郎(いしばし とくじろう、1886年(明治19年)2月23日 - 1958年(昭和33年)8月19日)は、昭和時代前期の政治家、実業家。福岡県久留米市長。前名は重太郎。 先代・石橋徳次郎の長男として久留米城下荘島町に生まれる。家業の仕立て屋「しまや」をつぎ、弟正二郎とともに業容を拡大。1912年(大正元年)には「しまや足袋」の宣伝に九州初の自動車を使用して知名度を高めた。1918年(大正7年)「日本足袋株式会社」を発足、1922年(大正11年)貼付式ゴム底足袋、即ち、地下足袋を発明(1923年10月 実用新案登録番号第80594号)し発売。1936年(昭和11年)デパート旭屋(現.久留米井筒屋)を創立。
大藪 守治(おおやぶ もりじ、1883年(明治16年)10月… 大藪 守治(おおやぶ もりじ、1883年(明治16年)10月14日 - 1945年(昭和20年)10月15日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 福岡県久留米市苧扱川町(現:久留米市本町)で、実業家・大藪房次郎の三男として生まれる。両替町(現: 城南町)に分家した。早稲田大学を修了後、欧米に遊学した。 1909年(明治42年)以降、筑後水力電気社長、九州水力電気取締役、筑後電気取締役、昭和電灯取締役、九州電気協会評議員、久留米商工会議所顧問などを務めた。筑後水力電気が九州水力電気に合併した際に、その分配金について紛争が生じたが、他の重役よりも社員を優先する立場に立って処理を行った。
青木 繁(あおき しげる、1882年(明治15年)7月13日… 青木 繁(あおき しげる、1882年(明治15年)7月13日 - 1911年(明治44年)3月25日)は日本の洋画家。
坂本 繁二郎(さかもと はんじろう、 1882年3月2日 -… 坂本 繁二郎(さかもと はんじろう、 1882年3月2日 - 1969年7月14日)は、明治後期~昭和期の洋画家である。
岡 幸三郎(おか こうざぶろう、1876年(明治9年)1月2… 岡 幸三郎(おか こうざぶろう、1876年(明治9年)1月24日 - 1955年(昭和30年)11月23日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、久留米市長。 三潴県三井郡通町(現福岡県久留米市通町)で、3代・岡茂平の三男として生まれる。父の死後、兄が事業に失敗して朝鮮に渡ったため、岡家の再興を志し、1924年(大正13年)母が死去すると直ぐに中国・青島に渡航して沈没船引揚業を営んだ。私財を蓄えて帰国し、久留米絣 (株) の支配人を経て絣問屋を設立した。その後、久留米商工会議所議員、久留米縞同業組合議長、久留米絣同業組合議長、地方森林会議員、福岡県教育会評議員、同県国防会参与、久留米絣工業組合連合会副理事長、久留米畜産組合長などを務めた。
牛島 滕六(うしじま とうろく、1872年〈明治5年6月24… 牛島 滕六(うしじま とうろく、1872年〈明治5年6月24日〉 - 1952年〈昭和27年〉9月11日)は、明治から昭和にかけての日本の俳人。本名は虎之助。 俳誌『時雨』の主宰として、戦前の北海道俳壇における重鎮の地位にあった。 1872年(明治5年)、福岡県久留米市に生まれる。 1891年(明治24年)、屯田兵として東永山兵村へ移住する。 1897年(明治30年)、北海道庁の鉄道敷設事業手として旭川へ赴任する。このころから雪村の雅号で河東碧梧桐選の俳誌『活文壇』に投稿していた。 1900年(明治33年)、札幌の吉見香漣・祝鱸江らとともに俳誌『白雪』を発行するが、8号で廃刊となる。 1902年(明治35年)、俳句結社「若葉吟社」を興し、俳誌『若葉』を4号まで発行する。
宮崎 来城(みやざき らいじょう、1871年11月(明治4年… 宮崎 来城(みやざき らいじょう、1871年11月(明治4年)- 1933年(昭和8年))は、明治期から昭和期にかけて活動した日本の漢詩人、教師。福岡県久留米に生まれ、各地を放浪としながら台湾や中国でも活動した。帰郷後は詩作を行いながら門弟を集め教育を行うなど九州詩壇の盟主となった。代表作に『侠文章』(田岡嶺雲との共著)、伝記『鄭成功』など。 本名は宮崎 繁吉(みやざき しげきち)。字は子寔、初号は柳溪。来城、来城小隠と名乗っていたが、赤髪天狗・赤髪などの筆名を使った文章も見られる。 1871年(明治4年)に久留米裏町(現在の荘島松ヶ枝町)で、久留米藩士であり俳人の宮﨑松語の長男として生まれる。
長澤 龜之助(ながさわ かめのすけ、1861年1月2日(万延… 長澤 龜之助(ながさわ かめのすけ、1861年1月2日(万延元年11月22日) - 1927年(昭和2年)10月16日)は、日本の数学者、教育者。数多くの書籍を出版したことで知られる。 筑後国の久留米に生まれた。長崎師範学校を卒業し、1882年、川北朝鄰に師事した。1917年、林鶴一とともに関流八伝免許状を認められた。東洋英和学校で教職を務め、明治39年、雑誌「XY」を創立した。1888年、チャーレス・スミス(英語版)の代数学の邦訳書を出版した。この作品は日本で横書きの最初期の書籍であった。1927年没した。生涯で120以上の書籍を書いたと言われ、後に著書一覧ができるほどであった。墓所は多磨霊園。
日比 翁助(ひび おうすけ、1860年8月12日(万延元年6… 日比 翁助(ひび おうすけ、1860年8月12日(万延元年6月26日) - 1931年(昭和6年)2月22日)は、明治時代から昭和前期にかけての実業家。三越百貨店を創業し三越の経営改革を進め、日本初の百貨店をつくった人物。号は美勲。 娘のシゲノは陸軍大将・緒方勝一の妻。 幕末の1860年(万延元年)に筑後国久留米藩士・竹井安太郎(馬廻格・高良山別荘臨番)の次男として生まれる。1876年(明治9年)18歳で江崎済の黒木塾にて学ぶ。海軍軍人になることを志し、竹崎氏に漢学を、剣術を藩主指南役・津田氏に、南画を同藩の狩野氏に学んだ。1879年(明治12年)日比家の養嗣子になった事で転向する。 剣も相当の腕だったが、久留米藩御納戸役時代に福澤諭吉の著作を読んで傾倒し、上京して1884年(明治17年)、慶應義塾を卒業。
熊本 寿人(くまもと ひさと〔仮、読み不詳〕、1858年9月… 熊本 寿人(くまもと ひさと〔仮、読み不詳〕、1858年9月21日(安政5年8月15日)- 1924年(大正13年)1月10日)は、明治から大正期の篤農家、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・北村。 筑後国三潴郡、のちの福岡県久留米市で久留米藩士・北村養啓の二男として生まれ、三潴郡木室村中木室(現大川市)の熊本謹蔵の養子となる。和洋学を修めた。 1886年(明治19年)福岡県の花筵業振興のため合資会社共産社を設立。花筵の製造、販売に従事し、染料の改善、染釜の改良などにより製品の品質向上に尽力した。また、筑後茣蓙商同業組合頭取、福岡県花筵同業組合長などを務めた。その他、三潴銀行取締役、福岡県農工銀行監査役にも在任した。
浅野 一摩(あさの かずま、1852年5月26日〈嘉永5年4… 浅野 一摩(あさの かずま、1852年5月26日〈嘉永5年4月8日〉 - 1934年〈昭和9年〉10月30日)は、日本の剣道家。流派は津田一伝流。称号は大日本武徳会剣道範士。 一伝流浅野庄太夫重賢の二男として、現在の福岡県久留米市荘島町に生まれる。重賢が若くして病没後、一門とともに津田一左衛門正之に合流、津田一伝流の極意印可巻を授かる。 1883年(明治16年)、福岡県警察本部教習所の剣道教授となる。 1894年(明治27年)、日清戦争中の広島大本営で開かれた天覧試合に出場する。 1896年(明治29年)、第2回武徳祭大演武会に出場。高野佐三郎に敗れる。 1897年(明治30年)、大日本武徳会から精錬証を授与される。
松村 雄之進(まつむら ゆうのしん、1852年3月11日(嘉… 松村 雄之進(まつむら ゆうのしん、1852年3月11日(嘉永5年2月21日) - 1921年(大正10年)2月22日)は、明治・大正期の政治家。衆議院議員(1期)。 筑後国久留米鍛冶屋町(現福岡県久留米市中央町)で神官の家に生まれる。17歳で故郷を離れて京都、摂津で諸藩の名士と親交を持ち国事に奔走した。1872年(明治4年)大楽源太郎が久留米藩に逃れたことにより藩主が政府の嫌疑を受けたため、同志と大楽を暗殺して禁獄7年の刑に処せられた(久留米藩難事件)。 1878年(明治11年)に出獄。1880年(明治13年)3月、旧久留米藩士を集めて福島県に移住して安積原野開拓を開始し、久留米開墾社を設立して副社長、社長を歴任した。
大藪 房次郎(おおやぶ ふさじろう、1852年2月9日(嘉永… 大藪 房次郎(おおやぶ ふさじろう、1852年2月9日(嘉永5年1月20日)- 1927年(昭和2年)5月2日)は、明治から昭和初期の実業家、政治家。衆議院議員。 筑後国御井郡久留米城下苧扱川町(現福岡県久留米市本町)で、富豪・大藪萬蔵の長男として生まれる。1900年(明治33年)8月に分家した。 第六十一国立銀行取締役、久留米紡績会社社長、筑後水力電気顧問、大川鉄道顧問などを務め、市営瓦斯事業の開始などに尽力し、貧困層への義捐などを行った。 政界では、1889年(明治22年)4月の市制施行の際に久留米市会議員に選出されたが数ヶ月で辞職。その後、市参事会員に就任。1889年(明治22年)4月から1914年(大正3年)まで久留米市会議員に選出され、その他、所得税調査委員会会長、宅地価修正委員会会長などを務めた。
倉田 雲平(くらた うんぺい、嘉永4年4月〈1851年5月〉… 倉田 雲平(くらた うんぺい、嘉永4年4月〈1851年5月〉 - 大正6年〈1917年〉6月)は、日本の実業家、足袋職人。主として明治時代から大正時代にかけて活動した人物であり、ムーンスターの創業者である。足袋王、九州の足袋王あるいは久留米の足袋王と異名される。大正3年(1914年)に緑綬褒章を受章している。 倉田家の祖先は武士であり、江戸時代に久留米藩に出仕して御先手物頭を務めたこともあったとされる。やがて町人に転向してからは、両替商や呉服商、米穀商を営む豪商となったが、水難事故や火災などに相次いで遭遇したために、家の経済力は徐々に衰退していき、雲平が生まれる頃には煎餅屋を経営していた。 雲平は、嘉永4年4月(1851年5月)、筑後国御井郡(現在の福岡県久留米市)の米屋町に五男一女の末子として出生した。
鹿毛 信盛(かげ のぶもり、1850年2月26日(嘉永3年1… 鹿毛 信盛(かげ のぶもり、1850年2月26日(嘉永3年1月15日)- 1914年(大正3年)9月9日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 筑後国御井郡、後の金島村(現福岡県久留米市)で、鹿毛佐金次の長男として生まれる。嘉永6年(1853年)に家督を相続した。 1878年(明治11年)以降、福岡第十七国立銀行(現福岡銀行)取締役、甘泉社社長、金島銀行頭取、福岡県御井郡農業組合長、両筑十二郡精藍組組長、久留米絣同業組合組長、久留米絣株式会社代表などを務めた。 政界では、福岡県会議員となり、また、1890年(明治23年)9月29日、貴族院多額納税者議員に任じられ、1897年(明治30年)9月28日の任期満了まで1期在任した。
倉富 胤厚(くらとみ たねあつ、文政12年3月18日(182… 倉富 胤厚(くらとみ たねあつ、文政12年3月18日(1829年4月21日) - 明治23年(1890年)6月30日)は、筑後国久留米藩領出身の儒者・政治家。通称は八兵衛、字は士簡、号は篤堂(とくどう)。 文政12年(1829年)、筑後国三潴郡大隈村(現・福岡県久留米市梅満町)の庄屋・園田為右衛門の次男として生まれる。幼名は熊三郎。 はじめ田主丸の重富縄山に儒学を学び、16歳で豊後日田の咸宜園に入門して広瀬淡窓に学んだ。なお、重富縄山も広瀬淡窓門下である。 18歳のとき、親族である竹野郡徳童村(現・久留米市田主丸町)の庄屋・倉富又市の婿となり、その後を継ぐ。慶応3年(1867年)には藩命を受けて、当時大宰府に滞在していた三条実美ら五卿(七卿落ち参照)の警護にあたっている。
養鸕 徹定(うがい てつじょう、文化11年3月15日〈181… 養鸕 徹定(うがい てつじょう、文化11年3月15日〈1814年5月4日〉 - 1891年〈明治24年〉3月15日)は、幕末・明治期の浄土宗僧侶・仏教史家。 筑後国久留米にて久留米藩士鵜飼万五郎政善・久保氏の次男に生まれる。6歳で地元の西岸寺に入り、後に京都や江戸で修行する。21歳の時に増上寺にて宗脈を受ける。後に増上寺学寮を掌った。文久元年(1861年)に浄国寺住職となる。文久3年(1863年)自身の羅漢研究を纏めた『羅漢図讃集』を刊行する。これは今日から見ても高い学術的価値を持つ著作であり、徹定の優れた学識が窺える。また徹定は羅漢の知識を狩野一信に教え、増上寺に残る計100幅にも及ぶ一信の「五百羅漢図」制作にも役立った。
田中 久重(たなか ひさしげ、寛政11年9月18日(1799… 田中 久重(たなか ひさしげ、寛政11年9月18日(1799年10月16日) - 明治14年(1881年)11月7日)は、江戸時代後期から明治にかけての発明家。「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と呼ばれた。芝浦製作所(後の東芝の重電部門)の基礎となる工場の創業者。 寛政11年9月18日(1799年10月16日)、筑後国久留米(現・福岡県久留米市)の鼈甲細工師・田中弥右衛門の長男として生まれた。幼名は儀右衛門。 幼い頃から才能を発揮し、15才の時久留米掠りの幾何学模様を布に織り込む機械を考案。五穀神社(久留米市通外町)の祭礼では当時流行していたからくり人形の新しい仕掛けを次々と考案して大評判となり、「からくり儀右衛門」と呼ばれるようになる。
美颯 りひと(みはや りひと、2月5日 - )は、宝塚歌劇団… 美颯 りひと(みはや りひと、2月5日 - )は、宝塚歌劇団月組に所属する男役。 福岡県久留米市、福岡女学院中学出身。身長169cm。愛称は「りひと」、「りさ」、「ツボ」。 2019年4月、宝塚音楽学校に入学。 2021年3月、宝塚音楽学校を卒業し、第107期生として宝塚歌劇団に入団。入団時の成績は20番。6月、宙組宝塚大劇場公演「シャーロック・ホームズ/Délicieux!」で初舞台。公演終了後、月組に配属。 2026年4月、宝塚大劇場公演「RYOFU」新人公演で新人公演初主演。入団6年目、107期生から初の新人公演主演者となった。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役)
吉田 羊(よしだ よう、2月3日[注 1] - )は、日本の… 吉田 羊(よしだ よう、2月3日[注 1] - )は、日本の女優。本名および旧芸名、吉田 羊右子(よしだ ようこ)。愛称は「ひつじ」。
香月 良仁 は、福岡県久留米市出身のプロ野球選手(投手)、野… 香月 良仁 は、福岡県久留米市出身のプロ野球選手(投手)、野球指導者、実業家。右投右打。実兄はプロ野球投手の香月良太。
いのくち ゆか は、日本の女性声優。賢プロダクション所属。福… いのくち ゆか は、日本の女性声優。賢プロダクション所属。福岡県久留米市出身。旧芸名は猪口 有佳(読みは同じ)。賢プロダクション所属の声優による絵本の読み聞かせをする「けんけんぱーく」のメンバーである。