山下 泰裕(やました やすひろ、1957年〈昭和32年〉6月… 山下 泰裕(やました やすひろ、1957年〈昭和32年〉6月1日 - )は、日本の柔道家、体育学者。学位は体育学修士(東海大学大学院・1983年) 。第5代日本オリンピック委員会(JOC)会長。東海大学体育学部武道学科 教授(1996年 - )、体育学部 学部長(2009年4月 - )、副学長(スポーツ・一貫教育担当)(2011年10月 - )。 「日本柔道界最強の男」と称された実力者であった。 熊本県上益城郡矢部町(後の 山都町)出身。東海大学柔道部監督。柔道指導員、全日本柔道連盟名誉会長、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会副会長、日本オリンピアンズ協会理事。 過去に、全日本柔道男子強化ヘッドコーチ(1992年 - 2000年)、男子強化部長(2000年 - 2004年)、強化副委員長(2004年 - 2008年)、理事・副会長・強化委員長(2013年 - 2017年)、国際柔道連盟教育コーチング理事(2003年 - 2007年)、神奈川県体育協会会長、朝日新聞社嘱託社員(1986年 - 2017年)、日本オリンピック委員会 (JOC) 会長(2019年 - 2025年)などを歴任。
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西田 孝宏(にしだ たかひろ、1957年4月14日 - )は… 西田 孝宏(にしだ たかひろ、1957年4月14日 - )は、日本の柔道家(講道館8段)。 現役時代は軽中量級の選手として全日本選抜体重別選手権大会で4回優勝、講道館杯で5回優勝等の実績を残し、アジア選手権大会でも金メダルを獲得した。現在は全日本柔道連盟にて強化委員会や審判委員会の特別委員、山梨学院大学柔道部総監督を務める。 また、長女の優香は2010年の世界選手権大会で優勝し、長男の泰悟も全日本選抜体重別選手権大会や講道館杯へ出場・活躍した経歴を持つなど、柔道一家でもある。 福岡県大牟田市の出身。小学校2年生の時に周囲の友人が漫画『暗闇五段』の影響で市内にある角道場に通い始めた事が羨ましく、自ずと興味が湧いて父親に入門を乞うたのが斯道に入るきかっけとなった。
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松岡 義之(まつおか よしゆき、1957年3月6日 - )は… 松岡 義之(まつおか よしゆき、1957年3月6日 - )は、日本の柔道家。兵庫県神崎郡福崎町出身。1984年ロサンゼルスオリンピック柔道男子65kg級金メダリスト。兵庫県立福崎高等学校、京都産業大学卒業。得意技は背負投。身長164cm。
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松井 勲(まつい いさお、1956年8月28日 - )は、日… 松井 勲(まつい いさお、1956年8月28日 - )は、日本の柔道家(八段)。 福井県生まれ。岐阜県立関高校時代インターハイ個人重量級で山下泰裕を破って優勝。山下の3連覇を阻んだ。山下(東海大学付属相模高等学校→東海大学)・吉岡剛(福岡県立嘉穂高等学校→中央大学)と並び称され将来を大いに嘱望され、高校3年次と大学1年次には全日本ジュニア体重別選手権でそれぞれ2位と3位にも入っている。筑波大学卒業後は同大学の職員に。1979年から3年連続して全日本柔道選手権決勝では3位と、山下の前に涙を飲んだ。185cmと山下に対して長身であったが後年はライバルには成り得なかった。全日本柔道選手権では準優勝が1回・3位が実に5回有るが遂に優勝には届かなかった、悲運の選手。
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吉岡 剛(よしおか つよし、1956年7月20日 - 202… 吉岡 剛(よしおか つよし、1956年7月20日 - 2020年2月23日)は、日本の柔道家。階級は重量級。現役時代は身長185cm。体重145kg。全日本柔道連盟副会長。徳山大学経済学部教授。 長崎市出身。嘉穂高校2年の時に金鷲旗の準決勝で九州学院高校と対戦すると、超高校級と話題の1年生である山下泰裕を判定ながら破るも、決勝では鹿児島実業高校に敗れて2位だった。インターハイの団体戦では優勝した。新人体重別の重量級でも優勝を飾った。3年の時にはインターハイの団体戦で2連覇を飾ると、個人戦決勝ではこの年の全日本選手権に高校生ながら出場を果たして話題となった関高校3年の松井勲を破って、団体戦との2冠を達成した。
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日蔭 暢年(ひかげ のぶとし、1956年7月9日 - )は、… 日蔭 暢年(ひかげ のぶとし、1956年7月9日 - )は、岩手県宮古市出身の日本の柔道家。身長170cm。得意技は谷落。 小学校6年の時に柔道を始めた。国士舘高校、国士舘大学卒業。 岩手県警に所属し、1983年の世界選手権78kg級で優勝するも、1984年のロサンゼルスオリンピックには国内予選で敗れて出場できなかった。1985年の世界選手権では2連覇を達成した。 その後、盛岡大学・盛岡大学附属高等学校の体育教師・柔道部顧問を経て、チュニジアのナショナルコーチとなり、その後2000年開催のシドニーオリンピック、2004年開催のアテネオリンピックで全日本女子柔道強化コーチを務める。 北京オリンピックに向けて、全日本柔道連盟(全柔連)の強化スタッフ・女子ヘッドコーチに就任。
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元谷 金次郎(もとたに きんじろう、1956年6月29日 -… 元谷 金次郎(もとたに きんじろう、1956年6月29日 -)は大阪府出身の日本の柔道家。段位は八段。現役時代は95kg級の選手。身長173cm。寝技の名手として知られる。 尽誠学園高校3年の時にインターハイの重量級で3位となった。新人体重別では中量級に出場して決勝まで進むが、天理大学の七条和己に敗れて2位だった。 日本大学へ進学すると、1年の時には新人体重別の軽重量級決勝で東海大学の富田康之に敗れた。2年の時には新人体重別で3位だった。3年の時には優勝大会でチームの3位に貢献すると、全日本学生選手権の軽重量級では2位になった。4年の時には世界学生の95kg級で2位だった。 大学を卒業して大阪府警の所属となると、1982年の全日本選手権で5位、体重別95kg級では同じ大阪府警察の後輩である三原正人を破って優勝を飾った。
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本松 好正(もとまつ よしまさ、1956年3月6日 - 20… 本松 好正(もとまつ よしまさ、1956年3月6日 - 2022年4月18日)は、福岡県飯塚市出身の日本の柔道家。 福岡大大濠高校から日大へ進学すると、4年の時には優勝大会で3位になった。卒業後、警視庁に入庁すると、団体戦の全国警察柔道大会で4度の優勝を飾った。 1988年に埼玉県の埼玉栄高校の柔道部監督に就任した。女子は1991年のインターハイ団体戦で決勝まで進むも、夙川学院高校に敗れて2位に終わった。その後も女子は全国大会で上位の常連になるも、なかなか優勝まで辿り着けなかったが、2005年にエースの白石のどか率いるチームが金鷲旗とインターハイでようやく全国大会優勝を飾った。2007年には高校選手権でも優勝した。
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濱田 初幸(はまだ はつゆき、1955年7月15日 - )は… 濱田 初幸(はまだ はつゆき、1955年7月15日 - )は愛媛県出身の日本の柔道家。60kg級の選手。現在は鹿屋体育大学の教授を務める。
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諏訪 剛(すわ たけし、1955年6月23日 -)は鹿児島県… 諏訪 剛(すわ たけし、1955年6月23日 -)は鹿児島県出身の日本の柔道家。現役時代は95kg級の選手。身長172cm。 柔道は小学校3年生の時に始めた。鹿児島実業高校2年の時に地元で開催された国体高校の部で優勝を飾った。明治大学時代は低迷していたが、京葉ガスに入社後頭角を現して、1978年の講道館杯86kg級で優勝を飾った。1979年の選抜体重別では2位だった。その後階級を95kg級に上げると、1981年の講道館杯で2位となった。1982年には嘉納杯で優勝を飾った。1983年には講道館杯で優勝した。選抜体重別では3位だったものの世界選手権代表に選ばれた。しかし、世界選手権では初戦で敗れた。
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笹原 美智子(ささはら みちこ、1955年5月27日 - )… 笹原 美智子(ささはら みちこ、1955年5月27日 - )は、東京都出身の日本の柔道家。現役時代は61kg級及び65kg級の選手。 高校を卒業後に安田火災海上に入社するも、柔道に専念するために退社した。1978年7月に講道館で初開催となった女子の体重別選手権65kg級に出場すると、決勝で今立篤子を合技で破って初代チャンピオンに輝いた。なお、この当時はプロレスラーのアントニオ猪木に憧れていて、1日6時間は稽古を積んでいたという。1979年には体重別選手権決勝で遺愛女子高校1年の八戸かおりを破って2連覇を飾った。講道館で初開催となった強化選手選考会の60kg級では3位だった。1980年には体重別選手権の61kg級決勝で八戸を破って優勝を飾り、女子としては初めての開催となる世界選手権の代表に選出された。
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岩渕 公一(いわぶち こういち、1955年 - )は、岩手県… 岩渕 公一(いわぶち こういち、1955年 - )は、岩手県出身の日本の柔道家。 1955年、岩手県東磐井郡藤沢町(現在の一関市)の農家のもとに生まれる。身体が大きく周囲からの勧めもあり、中学校から柔道に励む。岩手県立藤沢高等学校でも柔道部に所属し、国士舘大学へ進学した。卒業後に国士舘高校に保健体育教員として赴任。1978年に国士舘高校が後のロサンゼルスオリンピック及びソウルオリンピック95kg超級金メダリスト斎藤仁などの活躍でインターハイ団体戦で2連覇した際には、病を患った川野一成に代わって代理監督を務めた。その後、復帰してきた川野が国士舘中学の柔道部監督、岩渕が高校の監督を務める分業体制が確立して、中学高校の一貫指導が本格化していった(川野は中学及び高校の柔道部総監督も兼任)。
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加瀬 次郎(かせ じろう、1954年12月27日 - )は、… 加瀬 次郎(かせ じろう、1954年12月27日 - )は、日本の元柔道家(八段)。東京都出身。講道館指導員・京葉ガス柔道部部長。 東京都墨田区に、4人兄妹の末っ子として生まれる。小学校4年次の1964年、近所の柔道場に通う親戚の兄の影響で柔道に惹かれ、父の勧めもあり柔道の総本山・講道館へ入門。また、講道館へ週3,4日の稽古に通う傍ら、一方で相撲もやっていた。 小学校・中学校時代は柔道と相撲を並行して続けるが、元来腕力のあった加瀬は相撲の方が先に芽が出たようで、大会でも好成績を収め、周辺の強豪高校からスカウトされる程であった。しかし、相撲が裸で行う競技のため“寒い”のに加え、体の密着した体捌きが苦手だった加瀬も相撲の道を断念する。
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香月 清人(かつき きよと 1954年(昭和29年)9月25… 香月 清人(かつき きよと 1954年(昭和29年)9月25日 - )は、福岡県田川市出身の柔道家。身長166cm。得意技は小内刈、背負投。現在大阪府警察本部に所属し柔道部師範を務めている。8段。 小学校3年の時に大阪に引っ越して、大阪市立日本橋中学校1年の時に柔道を始めた。初芝高等学校(現・大阪立命館高等学校)に進学した。1971年(昭和46年)、1972年にインターハイの軽量級で連覇を果たした。東海大学に進学し卒業後は大阪府警察に就職した。 1979年世界柔道選手権大会の71kg級に出場し決勝でエツィオ・ガンバを破り金メダルを獲得した。モスクワオリンピックの日本代表にも選ばれたが日本のボイコットによりオリンピック出場は果たせなかった。
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朴 英哲(パク・ヨンチョル、朝: 박영철、英: Park Y… 朴 英哲(パク・ヨンチョル、朝: 박영철、英: Park Young-Chul、1954年4月14日-)は韓国の柔道選手。日本名は井上英哲。山口県玖珂郡出身で、幼少の頃京都に移った。階級は中量級及び78kg級。身長175cm。 在日韓国人として生まれて、京都商業高校から東洋大学に進み、3年の時には全日本学生柔道優勝大会で東洋大学の準優勝に貢献した。1976年モントリオールオリンピック中量級に韓国代表で出場して、準々決勝で園田勇に大内刈で有効を取られて敗れるも銅メダルを獲得した。その後、1979年の世界選手権78kg級でも3位となった。しかし、翌年の1980年モスクワオリンピックは韓国がボイコットしたために出場できずに終わった。
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ラドミール・コバセビッチ(Radomir Kovačević… ラドミール・コバセビッチ(Radomir Kovačević 1954年3月20日- 2006年6月14日)は、旧ユーゴスラビアの柔道選手。ボスニア・ヘルツェゴビナの第十県出身。階級は95kg超級。身長193cm。100kg。 ユーゴスラビアのレスリングジュニア王者だった1971年に、柔道指導者の山本信明に柔道への転向を勧められたことがきっかけで柔道を始めた。1976年モントリオールオリンピックに出場して、重量級で7位となった。その後、東海大学に柔道留学すると、山下泰裕らとともに全日本学生優勝大会で東海大学の初優勝に貢献した。1979年には世界選手権大会の無差別で3位に入った。1980年モスクワオリンピックでは95kg超級で銅メダルを獲得した。
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河野 満男(かわの みつお、1953年3月9日 - 2017… 河野 満男(かわの みつお、1953年3月9日 - 2017年12月30日)は、福岡県八女郡出身の、日本の柔道家である。階級は重量級。身長186cm。 矢部中学から柳川商業高校に進むと、九州大会の重量級で優勝した。その後、クラレ岡山に入社すると、1972年の実業個人選手権20歳未満の部で2位になった。1973年には中量級の世界チャンピオンである藤猪省太などとともに活躍して西日本実業柔道団体大会で優勝を飾った。また、国体にも5度の出場を果たした。 1985年には柳川高校の柔道部監督に就任すると、男子では後に世界選手権の60kg級で優勝する園田隆二や猿渡琢海などを指導した。一方、女子ではアテネオリンピックの78kg級金メダリストになる阿武教子や佐野奈津子、妹尾ひでみなどの指導にあたった。
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石川 裕章(いしかわ ひろあき、1953年2月20日 -)は… 石川 裕章(いしかわ ひろあき、1953年2月20日 -)は静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の日本の柔道家。現役時代は95kg級の選手。身長182cm。得意技は内股 清水東高校から中央大学に進んだ。1年の時に全日本新人体重別重量級で2位となった。4年の時には世界学生の個人戦軽重量級と団体戦で優勝を飾った。卒業後は日立製作所所属となると、1976年には講道館杯95kg級で新日鉄の岩田久和を破って優勝した。その後、佐久間接骨院に所属を変更すると、1979年の選抜体重別で優勝を果たして世界選手権代表に選ばれた。世界選手権では初戦でベルギーのロベルト・バンドワールに双手刈で効果を取られて敗れると、敗者復活戦を勝ち上がった3位決定戦でも西ドイツのギュンター・ノイロイターに払腰で敗れて5位に終わった。
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落合 正利(おちあい まさとし、1952年8月19日 - )… 落合 正利(おちあい まさとし、1952年8月19日 - )は、神奈川県横浜市出身の日本の柔道家。 小学校4年の時に東京オリンピック重量級金メダリストの猪熊功を輩出したことで知られる、横須賀の渡辺利一郎が指導する渡辺道場で柔道を始めた。日大藤沢高校時代にはインターハイにも出場した。日本大学時代には軽中量級の選手として活躍した。卒業後は建設会社への就職が決まっていたものの、高校時代の恩師である宮本隆などに誘われて土浦日大高校の社会科教員となり、柔道部を指導することとなった。指導にあたっては特に寝技に力を入れて実績を築き上げていったことから、「寝技の土浦日大」の異名を取るまでになった。また、全日本柔道連盟の強化委員にも就任した。
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野瀬 清喜(のせ せいき、1952年8月10日 - )は、日… 野瀬 清喜(のせ せいき、1952年8月10日 - )は、日本の柔道家(講道館8段)。 選手としてロサンゼルス五輪や世界選手権でメダルを獲得したほか、日本国内においては全日本選抜体重別選手権5連覇等の実績が光る。身長176cmで現役時代の階級は86kg級。引退後は埼玉大学で教鞭を執る傍ら、全日本女子のヘッドコーチ・強化部長を歴任して多くのメダリストを輩出した名伯楽としても知られる。 新潟県は北蒲原郡京ヶ瀬村(現・阿賀野市)の出身。小学校時代は野球少年で、村立京ヶ瀬中学校時代に柔道と出会った。県立新発田高校へ進学して柔道部に入部するも、1年生の終わりには同級生が1人もいなくなるという憂き目に。それでも黙々とウェイトトレーニングに取り組むなどして才能を開花させた野瀬は、高校時代はインターハイや国体等に出場した。
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森脇 保彦(もりわき やすひこ、1952年5月7日 - )は… 森脇 保彦(もりわき やすひこ、1952年5月7日 - )は、日本の柔道家(八段)。広島県出身。国士舘大学教授・柔道部長。 1952年、広島市から車で1時間程の山県郡加計町(現・安芸太田町)に生まれる。小学校1年次に父親を山の事故で亡くした事もあり、家は母と祖父が炭焼きで生計を立ててくれた。実家が山間部であったため、友人の家に遊びに行くにも山を1つ越えるという環境であったが、このため足腰が自ずと鍛えられていった。 1965年に加計町立加計中学校へ入学した森脇は、自身も体育が得意だったのに加え、前年の1964年東京オリンピックでの遠藤幸雄の活躍に憧れて、体操部への入部を希望。しかし、中学校に体操部は無かったため、将来警察官を志望していたことやテレビで見た『柔道一直線』の影響で、柔道部に入部した。
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白瀬 英春(しらせ ひではる、1952年3月28日 - )は… 白瀬 英春(しらせ ひではる、1952年3月28日 - )は、日本の柔道家(講道館8段)。 現役時代は全日本選手権3位や全日本選抜体重別選手権優勝等の実績を持ち、現在は母校・東海大学にて体育学部教授および柔道部部長を務める。 秋田県秋田市土崎港出身。市立土崎小学校時代には少年野球に熱心で、一塁手としてレギュラーを務めた。市立土崎中学への進学に際し、柔道経験者の親類の勧めで柔道部へ籍を置くと同時に地元の土崎道場へも入門し、その両方で稽古に打ち込んだ。団体戦では市の大会で優勝を果たすも、同級生で3番手に過ぎなかった白瀬は県大会の初戦でチームの中堅として出場、この試合で白瀬が敗れたために土崎中の1回戦敗退が決定し、優勝候補に数えられながら結果を残す事はできなかった。
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柏崎 克彦(かしわざき かつひこ、1951年9月16日 - … 柏崎 克彦(かしわざき かつひこ、1951年9月16日 - )は、日本の柔道家。岩手県久慈市出身。8段を取得している。1981年の世界選手権で優勝し、その後国際武道大学にて後進の指導に当たる。現役時代は小躯ながら合理的な寝技を使い、柔道界のみならず格闘技界において寝技の代名詞として、その名を知られた。 1951年、三船久蔵十段の生誕の地である縁から“柔道の町”として知られる岩手県久慈市に生まれる。両親をはじめ、親族の多くが教員という家柄だった。 小学5年生より地元の三船十段記念館で柔道を習い始める。若い指導者の久保正太郎が率いる三船記念館の少年部は、県内外に知られた強豪クラブであった。柏崎は、その小柄な体格ゆえ“ニワトリ”とあだ名され、本人曰く柔道の試合で勝った記憶は殆ど無いとの事。
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南 喜陽(みなみ よしはる、1951年9月10日 - 202… 南 喜陽(みなみ よしはる、1951年9月10日 - 2024年12月29日)は広島県広島市西区出身の日本の柔道家。身長162cm。得意技は背負投。 崇徳高校時代にインターハイを制して、卒業後は新日本製鐵広畑に入社。世界選手権では2連覇を達成してオリンピックでも金メダルが期待されるが、モントリオールオリンピックでは2回戦で敗れてメダルも取れず。現在は全日本柔道連盟の強化委員会特別委員。 2024年12月29日、姫路市の自宅で病気のため死去。73歳没。
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蔵本 孝二(くらもと こうじ、1951年8月14日 - )は… 蔵本 孝二(くらもと こうじ、1951年8月14日 - )は、大分県日田市出身の日本の柔道家。身長174cm。 福岡県久留米市立南筑高校、拓殖大学、神奈川県警察の経歴。1976年神奈川県警当時に出場したモントリオールオリンピックの男子柔道軽中量級銀メダリスト。
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林田 和孝(はやしだ かずたか、1951年8月12日 - )… 林田 和孝(はやしだ かずたか、1951年8月12日 - )は、神奈川県横浜市出身の日本の柔道家。
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吉村 和郎(よしむら かずお、1951年7月6日 - )は日… 吉村 和郎(よしむら かずお、1951年7月6日 - )は日本の柔道家(八段)。熊本県出身。現役時代の階級は71キログラム級。 熊本県熊本市に4人兄妹の末弟として生まれ、兄の影響や父親の勧めで小学校1年次時より柔道を始める。典型的なスパルタ教育をする父(ただし、柔道には素人であった)の元、体を大きくするために練習前にうどんやラーメンを食べさせられ、練習後にも必ず牛乳を3本飲ませられたほか、兄たちが強かった関係で、小学校高学年になると少年部のみならず一般部の稽古にも参加していたため、柔道家としての礎が築かれていった。 兄が通っていた柳川商業高校(現・柳川高校)に進学し、1年次にインターハイの県予選で準優勝、これを勇んで父に報告すると「そんな調子なら柔道をやめろ」と激怒されたため、この父親を見返すために高校時代は土日を含め毎日のように猛練習を積んだ。
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上村 春樹(うえむら はるき、1951年<昭和26年>2月1… 上村 春樹(うえむら はるき、1951年<昭和26年>2月14日 - )は、日本の柔道家(講道館9段)。 1976年モントリオールオリンピックの柔道無差別級金メダリスト。引退後は全日本柔道連盟会長(2009年4月 - 2013年8月)、国際柔道連盟指名理事(2007年9月 - 2013年8月、2015年8月 - )、第5代講道館館長(2009年4月 - )等を歴任している。 熊本県下益城郡小川町(現・宇城市)出身。生来の肥満体を案じた両親に勧められ小学校5年生の時に柔道を始めた。6年生で出場した地域の小学生大会で優勝を果たしたが、上村は「周りの子が体重40kg前後なのに対し自分だけ70kgだったから優勝して当たり前」「翌日に学校の朝礼で表彰された時は嬉しいを通り越して恥ずかしかった」と述懐している。
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重松 義成(しげまつ よしなり、1951年2月8日 - )は… 重松 義成(しげまつ よしなり、1951年2月8日 - )は福岡県福岡市出身の日本の柔道家。階級は中量級(80kg級)及び86kg級。得意技は大外刈。 柔道は中学の時に父親と叔父の影響で始めた。父親が師範を務めていた福岡大学附属大濠高校に進学すると、3年の時には金鷲旗で優勝を飾った。インターハイ団体戦では3位だった。。明治大学に進むと、1970年に初開催となった全日本ジュニア中量級に出場するが、決勝で天理大学の藤猪省太に敗れた選抜体重別では3位となった。1971年の全日本学生柔道優勝大会では岩田久和、上村春樹らとともにチームの優勝に貢献した。選抜体重別では決勝で警視庁の関根忍に敗れた。続く世界選手権では、決勝で藤猪に優勢負けして2位にとどまった。
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岩田 勝彦(いわた かつひこ、1951年または1952年 -… 岩田 勝彦(いわた かつひこ、1951年または1952年 - 2015年9月17日)は、宮崎県出身の日本の柔道家。軽重量級及び95kg級の選手。 天理大学4年の時に優勝大会でチームの優勝に貢献する活躍を果たして優秀選手にも選ばれた。1974年に宮崎県警察の所属となると、選抜体重別の軽重量級決勝で水戸南高校教員の白瀬英春を破って優勝した。続いてソウルで開催されたアジア選手権でも優勝し、今大会において全階級制覇を果たした日本選手団の一員として名を連ねることにもなった。1976年には全国警察柔道選手権大会の無差別で優勝した。1979年には講道館杯の95kg級決勝で九州産業大学職員の安河内春彦に敗れて2位だった。
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中村 均(なかむら ひとし、1950年12月6日 - )は、… 中村 均(なかむら ひとし、1950年12月6日 - )は、茨城県鉾田町出身の日本の柔道家。95kg級の選手。現役当時は身長190cm。体重94kg 柔道は鉾田北中学2年の時に始めた。実家が農家だったために水戸農業高校へ進んだ。入学当時は体重が70kgほどしかなかったがその後増えて、3年の時にはインターハイの重量級に出場を果たした。 国士舘大学に入学すると、3年の時には国際学生柔道選手権大会の軽重量級と団体戦で優勝を飾った。優勝大会では準決勝で明治大学と対戦して、先取点を取るもその後チームは逆転負けして3位だった。4年の時には優勝大会の決勝まで進んで再び明治大学と対戦するも、吉永浩二と引き分けに終わると、相手エースの上村春樹が一本勝ちしたことでチームは2位にとどまったが優秀選手に選ばれた。
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遠藤 純男(えんどう すみお、1950年10月3日 - )は… 遠藤 純男(えんどう すみお、1950年10月3日 - )は、日本の柔道家(講道館9段)。 現役時代は警察官として警視庁に奉職し、世界選手権大会で2度の金メダルやモントリオール五輪で銅メダルを獲得したほか、上村春樹や山下泰裕らと日本柔道界の重量級で永らく鎬を削り、全日本選手権大会でも優勝を果たしている。引退後は秋田経済大学(後のノースアジア大学)柔道部監督、同教養部教授や学生部長等を歴任した。 福島県安積郡富久山町(後の郡山市富久山町)出身。農家の家に五男として生まれた。町立小泉小学校5年生の時に怪我をして接骨院に通ったのがきっかけとなり、柔道を習い始める。町立行健中学校時代の県大会優勝や県立岩瀬農業高校時代のインターハイベスト16といった経験を経て柔道の世界で生きていく事を決心した遠藤は、1969年に日本大学文理学部に進学。
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花谷 幸比古(はなたに ゆきひこ、1950年8月9日 - )… 花谷 幸比古(はなたに ゆきひこ、1950年8月9日 - )は、日本の神職、風水師、鍼灸師、柔道整復師。 元大阪府日本中国友好協会副理事長。元大阪府神社庁理事。関西インドネシア友好協会顧問。 現在、鶴見神社宮司・大宮神社宮司・学校法人森之宮医療学園理事・大阪府神社庁参与。 大阪市鶴見区鶴見にて出生。1968年4月 皇學館大学文学部国史学科入学。学生時代より三島由紀夫の楯の会の森田必勝・阿部勉と親交、新右翼の活動家として活動。1972年3月 大学を卒業。大阪市内の神社に奉職。大阪府日本中国友好協会に入会。夜間に鍼灸師柔道整復師の専門学校に入学。 1974年4月 柔道整復師の免許取得。1974年9月 鍼灸師の免許所得。
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藤猪 省太(ふじい しょうぞう、1950年5月11日 - )… 藤猪 省太(ふじい しょうぞう、1950年5月11日 - )は、日本の柔道家。旧姓名:藤猪省三(読み同じ) 現役時代は対外国人選手で生涯無敗を誇り世界選手権大会4連覇を果たすなど、1970年代から1980年にかけて一世を風靡した名選手であったが、一方で3回チャンスがあったオリンピックを怪我やボイコットでことごとく棒に振った悲運の名選手でもあった。現役を引退後は京都産業大学や天理大学で後進の指導に当たり、多くの五輪王者・世界王者を育て上げた名伯楽として知られる。 香川県大川郡大内町(後の東かがわ市)出身。町立大川中学校1年生の時に柔道を始める。藤猪は当時身長150cm・体重50kg前後と平均的な体躯ながら大相撲の力士に憧れており、角界へ行くために「体を大きくするにはどんなスポーツをやれば良いか」を考え、「柔道だったら背が高くて大きくなるだろう」と思って入部する事にしたという。
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川口 孝夫(かわぐち たかお、1950年4月13日 - )は… 川口 孝夫(かわぐち たかお、1950年4月13日 - )は、日本の柔道家。広島県広島市出身。1972年ミュンヘンオリンピック柔道男子63kg級金メダリスト。身長164cm。 崇徳学園中学校 - 崇徳学園高等学校 - 明治大学。5歳の時、父の営む川口道場にて柔道を始めた。崇徳高校3年時(1968年)、インターハイ軽量級にて優勝。明治大学3年時(1971年)、世界柔道選手権大会(西ドイツ)軽量級優勝。明治大学4年時(1972年)、ミュンヘンオリンピック軽量級日本代表に選ばれ、同大会で優勝し、金メダリストとなった。決勝のブイダー(モンゴル)をわずか39秒の横四方固めで破った。 現在は、広島矯正管区武道教官を務める傍ら、川口道場を継ぎ、後進の育成に当たっている。
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鮫島元成(さめしま もとなり、1950年1月1日 - )は、… 鮫島元成(さめしま もとなり、1950年1月1日 - )は、元筑波大学附属高等学校教諭(1974年-2013年)、日本の柔道家(2014年3月時点、八段)、指導員、審判。鹿児島県出身。 東京教育大学体育学部卒業後、1974年に筑波大学附属高等学校の体育科の教員を務める。1978年には講道館指導員に任命される。全日本柔道連盟強化コーチとして、ソウルオリンピック、バルセロナオリンピック、その他国際試合での全日本ナショナルチームの指導を行った。教師では専門分野を柔道として指導を続けていたが、2013年度をもって定年制度により退職。現在は講道館指導員として勤務し、少年らの指導に当たる。さらに指導員として世界各国の巡回指導へ派遣されることもある。
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三本松 進(さんぼんまつ すすむ、1950年(昭和25年) … 三本松 進(さんぼんまつ すすむ、1950年(昭和25年) - )は、広島県出身の経産官僚、柔道家。
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岩田 久和(いわた ひさかず、1949年12月17日 - 2… 岩田 久和(いわた ひさかず、1949年12月17日 - 2017年9月22日)は、日本の柔道家(講道館9段)。 現役時代は主に軽重量級・無差別級で活躍し、世界選手権大会3位や全日本選手権大会準優勝といった成績を残した。また、娘の岩田千絵も全日本の強化指定選手として、全日本実業個人選手権大会や講道館杯で活躍していた。 熊本県熊本市にて三兄弟の長男として生まれる。市立藤園中学校時代に白石礼介に師事し、鎮西高校では牛島辰熊直系の弟子である船山辰幸の薫陶を受けた。3年生の時にはインターハイ団体戦で優勝。岩田は高校時代も幼少時より慣れ親しんだ背負投に拘り、これを重量級の選手相手にも使えるようにと腰を鍛えるために、重量級の練習相手を2人重ねて担ぎ上げるという激しい練習を日課にしていたという。
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伊志嶺 朝秋(いしみね あさあき、1949年11月4日 - … 伊志嶺 朝秋(いしみね あさあき、1949年11月4日 - )は、日本の柔道家(八段)。広島県広島市出身。得意技は大外刈、巴投げ。 広島県広島市に次男として生まれる。両親は沖縄県出身で戦時中に広島に疎開した。ルーツは沖縄である。中学校から柔道を始め、崇徳高等学校卒業後には富士製鐵広畑製鐵所に就職するも、東洋大学に入り直した。 現役時代は南喜陽、川口孝夫、園田義男と軽量級で激しく競ったが、オリンピック出場は果たせなかった。 現役引退後は指導者となり、全日本柔道連盟入りして連盟広報委員会の委員を務めており、海外での柔道指導も行っている。
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野村 豊和(のむら とよかず、男性、1949年7月14日 -… 野村 豊和(のむら とよかず、男性、1949年7月14日 - )は、日本の柔道家。奈良県広陵町生まれ。1972年ミュンヘンオリンピック柔道男子軽中量級金メダリスト。天理高校 - 天理大学 - 博報堂 - 和歌山県高校職員。得意技は背負投、一本背負投、巴投。身長163cm。
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河原 月夫(かわはら つきお、1949年6月8日 - )は、… 河原 月夫(かわはら つきお、1949年6月8日 - )は、日本の柔道家(8段)。愛知県出身。 得意技の内股を武器に現役時代はアジア選手権優勝や全日本選手権準優勝という成績を残し、モスクワオリンピックでは幻の日本代表にもなった。引退した現在は愛知県警察学校にて指導員を務める。 愛知県刈谷市出身。父親の大玄(8段)の影響で、物心付いた時には既に柔道衣を着るのが日課になっていた。中京商業高校に入学した頃から本格的に柔道に打ち込んで監督の武山貞一に師事し、高校2年次の1966年には青森県で開催されたインターハイの中量級クラスにおいて、決勝戦で富山県代表の津沢寿志を破りチャンピオンに輝いた。 高校卒業後は明治大学に進学。
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東 孝(あずま たかし、1949年5月22日 - 2021年… 東 孝(あずま たかし、1949年5月22日 - 2021年4月3日)は、日本の武道家(柔道・極真空手)。打撃系総合武道・空道の創始者。大道塾創立者・代表師範・塾長。NPO法人国際空道連盟・一般社団法人全日本空道連盟理事長、2008年北京武術トーナメント散手日本代表監督。みなと気仙沼大使。大道塾空道九段、極真武道会八段の他、講道館柔道参段を允許されている。 宮城県気仙沼市出身。 宮城県気仙沼高等学校時代に柔道を習得。卒業後、陸上自衛隊を経て、早稲田大学第二文学部在学中1971年(昭和46年)に極真会館に入門し空手道に取り組む。 早稲田大学極真空手部(早大極真会)創設・初代主将。山崎照朝・佐藤勝昭らに指導を受ける。
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高木 長之助(たかき ちょうのすけ、1948年10月26日 … 高木 長之助(たかき ちょうのすけ、1948年10月26日 - 2016年12月6日)は、日本の柔道家(講道館9段)。千葉県出身。 選手として1973年の世界選手権大会で金メダル、75年の同大会で銅メダルを獲得。引退後は指導者として日本大学柔道部の総監督を務める傍ら、全日本柔道連盟理事や全日本学生柔道連盟副会長等を歴任した。 千葉県は房総半島の先端、安房郡白浜町(現・南房総市)にて、半農半漁の家に生まれる。海に面した土地柄のため幼少時の遊びはもっぱら海の素もぐりで、アワビ・サザエ等の海産物を獲っては食べるというのが日課だった。 小学校では水泳をやっていたがレギュラーにはなれず、町立白浜中学校への入学と同時に柔道部に入部。
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上口 孝文(うえぐち たかふみ、1948年10月10日 -)… 上口 孝文(うえぐち たかふみ、1948年10月10日 -)は、日本の柔道家。國學院大學人間開発学部名誉教授。現役時代は軽重量級の選手。183cm。100kg。得意技は大外刈。息子は100kg超級で活躍していた上口孝太。 鹿児島県出水郡高尾野町(現・出水市)出身。中学の時に柔道を始めて、出水工業高校から日大に進学した。2年の時には学生優勝大会で日大の優勝に貢献して優秀選手に選ばれた。卒業後は岡野功が主宰する正気塾に参加した。 その後、警視庁に警察官として入庁して、1973年の世界選手権軽重量級の代表に選ばれると決勝まで進むが、東海大学教員の佐藤宣践に釣込腰で敗れた。1976年の全日本選手権でも決勝まで進むものの、日大の後輩である遠藤純男に掬投で敗れて2位にとどまった。
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津沢 寿志(つざわ ひさし、1948年6月8日 - )は、日… 津沢 寿志(つざわ ひさし、1948年6月8日 - )は、日本の柔道家(8段)。身長170cm。 富山県にて、警察官で柔道選手としても活躍した父親(講道館7段)のもと、5人兄弟(姉2人、兄1人、弟1人)として育った。幼少時はスポーツ万能で、走るのも早く、相撲も強かった。「当時はあまり玩具などもない時代で、近所の子供が集まって野山で駆けっこばかりして遊んでいた事で、自然に体力がついたのだろう」と津沢は語る。 南郷中学に入学と同時に柔道を始めたが、柔道部顧問が柔道の専門家ではなかったため、部活の練習は上級生が下級生に教えるというものだった。そのため、中学時代の主だった成績というのも、中学3年の時に個人戦で県2位に入賞した程度だった。
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橋本 昇(はしもと のぼる、1948年2月6日 - )は、福… 橋本 昇(はしもと のぼる、1948年2月6日 - )は、福岡県北九州市出身の、日本の柔道家。階級は中量級(80kg級)。
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樗沢 憲昭(ぶなさわ のりあき、1947年11月3日 - )… 樗沢 憲昭(ぶなさわ のりあき、1947年11月3日 - )は、アメリカ在住の日本の柔道家 。9段を取得。海外ではノリ・ブナサワ(Nori Bunasawa)としても知られる。1972年ミュンヘンオリンピックの米国のテクニカルコーチ。1975年世界柔道選手権大会における米国チームのコーチ。柔道、柔術リサーチャー、武道の歴史研究家や作家、スポーツジャーナリスト、俳優、ファイトコリオグラファー、脚本コンサルタントとしても活動している。1996年アトランタオリンピックでは IJF (国際柔道連盟)の主席報道官(プレスチーフ)を務める。 1979年アメリカでJudo Journal社を立ち上げる。同年から2008年まで英語版武道専門紙『Judo Jiujitsu Profighting Journal』を発刊する。
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正木 照夫(まさき てるお、1947年10月10日 - )は… 正木 照夫(まさき てるお、1947年10月10日 - )は日本の柔道家(講道館8段)、レスリング選手。兵庫県出身。拓殖大学柔道部師範。 兵庫県神戸市出身。小中学校時代は野球少年だったが、個人競技に興味があったため神港学園高校入学と同時に柔道を始めた。 拓殖大学商学部に進学してからは同期の西村昌樹らと共に柔道王・木村政彦の元で猛稽古に励んで実力を磨くが、寝技を嫌い得意技の内股に固執していた正木は、木村から「寝技が弱過ぎる」「寝技ができなければ世界で通用しない」として大学2年次から柔道と並行してのレスリング修行を命じられた。レスリング部での修行後に柔道部の稽古に参加できるよう、木村の取り計らいにより柔道部の練習時間をわざわざ変更してもらったという。
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水信 健(みずしな たけし、1947年8月20日 - )は、… 水信 健(みずしな たけし、1947年8月20日 - )は、新潟県出身の、日本の柔道家。階級は軽量級(63kg級)。 国士舘大学時代の1968年には体重別の軽量級で3位に入った。続いてリスボンで開催された世界学生の軽々量級(63kg級)では2回戦以外は全て一本で勝ち上がると、決勝でブラジルのスズキを水信独特の肩車で破って優勝を飾った。団体戦でも決勝のフランス戦で優勢勝ちした以外は全て1本勝ちを収めてチームの優勝に貢献した。1969年の全日本学生選手権軽量級では決勝で中央大学の津沢寿志に敗れて2位にとどまった。 引退後は新潟県柔道連盟の理事長に就任した。また、加茂市体育協会の会長にもなった。 (出典、JudoInside.com)。
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柳澤 久(やなぎさわ ひさし、1947年7月23日 - )は… 柳澤 久(やなぎさわ ひさし、1947年7月23日 - )は、日本の柔道家。長野県篠ノ井町(現・長野市篠ノ井)生まれ。 永年に渡り女子柔道の指導者として活躍し、実力も知名度も無かった日本の女子柔道界の道を1980年代以降に切り拓いたパイオニアとして知られている。三井住友海上火災保険女子柔道部を立ち上げ、監督としてアトランタオリンピックで恵本裕子を女子柔道初の金メダリストにした功績は大きい。 段位は講道館8段で、同評議員も務めている。 長野県屋代高校時代に本格的に柔道を始めて、3年生の時に軽量級の県王者となった。上京して東京教育大学体育学部武道学科に進学し、得意技の背負投を武器に同大では3年生から団体戦のレギュラーにもなって全日本学生優勝大会等の主要大会に出場したほか、個人戦では3年生で東京学生選手権70kg級で3位、主将となった4年次には準優勝を果たしている。
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