大城 利弘(おおしろ としひろ、1949年 -)は米国占領下… 大城 利弘(おおしろ としひろ、1949年 -)は米国占領下の沖縄(沖縄民政府)羽地村出身の武道師範。 6歳で空手を学び始め、後に柔道と剣道を併せて学んだ。 10代の頃、知念正美の直接の弟子で沖縄に残っていた唯一の流派師範である喜舎場朝義に、西銘清らと共に山根流(または山根知念流)を学び始めた。島派松林流九段、山根流八段。 1978年に沖縄県警刑事を引退した後、アメリカに移住。 2019年の夏、沖縄に帰郷。 1985年、彼と喜舎場は沖縄武道の研究開発を専門とする組織RBKD(琉球武術研究道会)を設立した。彼は国内外でセミナーを開催している。
保 巖(たもつ いわお、1948年11月6日 - 2016年… 保 巖(たもつ いわお、1948年11月6日 - 2016年11月29日)は、日本の武道家、アマチュア写真家。 少林寺流空手道錬心舘の二代目宗家。號は少林寺守正(しょうりんじもりまさ)であり、十段範士である。 少林寺流空手道錬心舘開祖保勇の長男。 19歳の時、フィリピンへ渡航。バギオ大学において流派の普及と指導に当たる。以降、台湾やドミニカ共和国を拠点に中米地域などでも普及活動につとめ、現在の海外支部の基礎を築いた。 宗家襲名後も海外への流派普及推進には積極的であり、欧米以外にも貧困国などに対して直接指導のために赴いている。特にインドでは貧困層の子供に向け、教育支援および医療支援のため「イワオ・タモツ国際基金」を創設。
盧山 初雄(ろうやま はつお、帰化名:梅原 初雄〈うめはら … 盧山 初雄(ろうやま はつお、帰化名:梅原 初雄〈うめはら はつお〉、民族名:盧 初雄〈ノ・チョウン、朝: 노초웅、朝: 로초웅〉、1948年〈昭和23年〉3月31日 - )は、日本の武道家。極真空手道連盟 極真館の会長。段位は極真館空手道・範士九段。太氣至誠拳法・錬士七段。 極真空手界を代表する空手家の一人で、第5回全日本空手道選手権大会王者。現役時代は、下段回し蹴り、三日月蹴り、正拳突きを武器にし、「ローキックの盧山」とも呼ばれた。 埼玉県行田市大字谷郷出身。1963年(昭和38年)の高校1年の秋に大山道場へ通い始める。盧山は半年早く入門していた先輩の松永秀夫と神村榮一が同学年だったことから同期として接し振る舞う一方で、あとから入門した同学年の山崎照朝と添野義二に「先輩後輩を抜きにしてやっていかないか?」と言われても「1日でも1時間でも早く入門したほうが先輩だ」と譲らなかった。
高岡 英夫(たかおか ひでお、1948年 - )は、日本の武… 高岡 英夫(たかおか ひでお、1948年 - )は、日本の武道家。千葉県生まれ。東京大学教育学部卒業、同大学院教育学研究科修了。2009年現在、運動科学総合研究所・日本ゆる協会を主催。「DS理論」を提唱。それを基盤にしたトレーニングメソッドとしてゆる体操を提唱。
吉用 清(よしもち きよし、1948年〈昭和23年〉 - 2… 吉用 清(よしもち きよし、1948年〈昭和23年〉 - 2020年〈令和2年〉1月4日)は、日本の剣術家。兵法二天一流第12代宗家。居合道教士七段。剣道四段。 1948年、大分県宇佐市出身。父は第8代宗家・青木規矩男の高弟、五所元治(英語版)。幼少時から関口流居合道、剣道を学び、高校時代から二天一流の修行を始める。その後、県外で就職したが三十代に帰郷し、地元の貴金属会社に務めながら、平成6年(1994年)に関口流、平成10年(1998年)に二天一流の免許皆伝をした。 第11代宗家・清長文哉が平成16年に次代を指名しないまま急逝したので、親族門人たちによる協議の結果、三周忌にあたる平成19年(2007年)に第12代宗家に推挙された。
成山 哲郎(なりやま てつろう、1947年(昭和22年)11… 成山 哲郎(なりやま てつろう、1947年(昭和22年)11月21日 - )は、山形県山形市出身の合気道家。 1966年(昭和41年)に国士舘大学に入学し富木謙治と出会い、富木謙治、小林裕和のもとで合気道の研鑽を重ねる。 2012年に方向性の違いから(NPO)日本合気道協会を脱退した。 現在、国士舘大学体育学部武道学科、大阪府警察学校講師、道場昭道館師範。
時津 賢児(ときつ けんじ、1947年8月1日 - )は、フ… 時津 賢児(ときつ けんじ、1947年8月1日 - )は、フランス在住の日本人男性武道家・武道研究者。自成道代表、パリ大学ソルボンヌ文化人類学研究所研究員。 山口県生まれ。高校在学中から松濤館流空手を始める。一橋大空手部出身。1971年に一橋大学社会学部を卒業後、銀行への内定を得ていたが断り、パリ第4大学哲学科入学。フランスで空手を教えながら大学で学び、1972年パリ第5大学社会学部修士課程修了。1979年少林門空手設立。1982年パリ第5大学社会学部博士課程修了。 1985年から1989年までパリ第5大学体育学科講師。1989年フランス外務省主催メヂシスオーレミュール賞受賞。1993年パリ第7大学東洋文明学科博士課程修了。
山崎 照朝(やまざき てるとも、Terutomo Yamaz… 山崎 照朝(やまざき てるとも、Terutomo Yamazaki、1947年7月31日 - 2025年6月22日)は、日本の武道家・空手家・キックボクサー・ジャーナリスト・歌手。空手道段位 : 七段。身長177cm、62kg。異名は極真の龍・天才。 空手道の一つの理想的な組手を、フルコンタクト空手で示したことにより、歴史に残る空手家だと評価されている。アメリカ合衆国の武道雑誌『ブラックベルト』にもその名は刻まれており、真剣を思わせる切れ味鋭い技で、自らは傷を負わずに対戦相手をバッサリ斬ってとるファイティングスタイルから、キックボクシングでも幻の名選手と評され、異なる格闘技で一時代を築いた強豪である。
木村 達雄(きむら たつお、1947年 - )は、日本の数学… 木村 達雄(きむら たつお、1947年 - )は、日本の数学者、武道家。筑波大学名誉教授。理学博士。大東流合気武術十元。東京都出身。 東京大学理学部数学科卒業。 同大学院修士課程修了。 名古屋大学助手、プリンストン高等学術研究所研究員、グルノーブル大学(フランス)、マンハイム大学(ドイツ)、ジョンズ・ホプキンス大学(アメリカ)各客員助教授などを歴任。 佐藤幹夫が創始した概均質ベクトル空間の理論、とくに既約概均質ベクトル空間の分類など、主として分類理論を研究した。 武道家でもあり、剣道三段、合気道五段、大東流合気武術奧伝四段(第十元直伝講習終了)。武道家佐川幸義(大東流合気武術宗範)の直弟子であり、その書は多くの武道・格闘技愛好者に読まれている。
藤岡 弘、(ふじおか ひろし、1946年〈昭和21年〉2月1… 藤岡 弘、(ふじおか ひろし、1946年〈昭和21年〉2月19日 - )は、日本の俳優、タレント、武道家、声優、歌手、探検家、実業家。本名は藤岡 邦弘(ふじおか くにひろ)。旧芸名は藤岡 弘(読み同じ)。 1971年から1973年にかけて放送された特撮テレビドラマ『仮面ライダー』の本郷猛役で主演を務め、一躍人気俳優となる。また、日本人として初めて全米映画俳優組合(SAG、現在のSAG-AFTRA)のメンバーとなったことでも知られる。2002年(平成14年)に川口浩の後任として「藤岡弘、探検シリーズ」が開始されて以降、“藤岡隊長”が愛称になっている。 愛媛県上浮穴郡久万町(現・久万高原町)出身。松山聖陵高等学校卒業。
森 庸年(もり ようねん、1944年 - )は、日本の武道家… 森 庸年(もり ようねん、1944年 - )は、日本の武道家。行動経路を研究をしている。気の鍛錬術「森の会」を主宰。 東京都生まれ。駒澤大学卒業。出版関連の職に就き、簑内宗一と出会う。30代半ばに過労による内臓疾患で入院。歩行すら苦痛の中、簑内の提唱する武医道の道場に通う。それにより病状は劇的に回復し健康体になる。以来20年、武道鍛錬の技の継承と発展に努める。東京・本郷の道場を拠点とし活動。 横浜市で気の鍛錬術「森の会」主宰。独自に創始した武道原理の指導にあたる。森庸年斎。 気の鍛錬術は、武道医学研究家・簑内宗一の武道医学と東洋医学を基にして森庸年が開発した気血流通法。この鍛錬術では相手に触れない、痛めない、呼吸や動きを止めないことを心がける。
尾﨑 晌(おざき しょう、1943年1月8日 - )は、日本… 尾﨑 晌(おざき しょう、1943年1月8日 - )は、日本の実業家、合気道家。合気道八段。 北海道紋別郡湧別町出身(出生地は札幌市)。北海道湧別高等学校時代はバスケットボール部に所属し全道大会に出場している。演劇部にも所属していた。駒澤大学文学部社会学科に入学し合気道部に入部。駒大合気道第四代主将、全国学生合気道連盟副委員長を務めた。大学卒業後、東京テレビ映画社(TBS映画社→TBSビジョン(TBS-Ⅴ)→現在のTBSスパークル)に入社し、番組宣伝を担当するかたわら「ポーラテレビ小説」の丘みつ子、音無美紀子、五十嵐めぐみらを育てた。 松竹映画の「女咲かせます」では松坂慶子、「柔道一直線」では桜木健一、日本テレビの「太陽にほえろ!」では小野寺昭、「ありがとう」第一シリーズ(婦人警官編)では、水前寺清子、和泉雅子、山形勲らに合気道を指導している。
卯木 照邦(うき てるくに、1943年〈昭和18年〉 - )… 卯木 照邦(うき てるくに、1943年〈昭和18年〉 - )は、群馬県高崎市出身の武道家、日本犬の専門家。現在、一剣会羽賀道場第三代目会長を務めるとともに過去には公益社団法人日本犬保存会専務理事だった。 中学生で剣道と出会い、高校時代にはインターハイに出場する。高校時代から羽賀準一の指導を仰ぐために高崎から羽賀道場に通い始めるが、速さと巧さの剣道にどっぷり浸かっていた卯木は、大きく異なる羽賀の古流剣道に最初は戸惑ったという。法政大学進学後も剣道部に入部するとともに羽賀道場に通い羽賀の訓導を受ける。羽賀の没後は、門弟たちにより設立された一剣会羽賀道場に加わるとともに、生涯を剣道に捧げることを決心し、稽古場である日本武道館近くの飯田橋に定食屋を開き剣道を第一とした生活を始め現在にいたる。
菅沼 守人(すがぬま もりと、1942年(昭和17年)7月2… 菅沼 守人(すがぬま もりと、1942年(昭和17年)7月27日 - )は日本の合気道家。合気道(合気会)八段。NPO法人合気道祥平塾(福岡市)理事長・道場長。全日本合気道連盟理事。国際合気道連盟高等委員。合気道創始者植芝盛平最晩年の内弟子の一人。 福島県猪苗代町(旧千里村)の専業農家に生まれる。父親は大東亜戦争に出征し、昭和21年日本帰国前に病没した。福島県立会津高校時代棒高跳び選手として地方大会で活躍、順天堂大学体育学部に入学しオリンピック出場を目指すも、猛練習が祟り肝炎を発症し断念、大学を中退し帰郷するが、体育教師を目指し1963年(昭和38年)亜細亜大学に入学、同時に合気道部に入部し田村信喜に指導を受ける。
池田 奉秀(いけだ ほうしゅう、1942年3月18日 - 2… 池田 奉秀(いけだ ほうしゅう、1942年3月18日 - 2016年8月24日)は、日本の武道家。日本空手道常心門少林流・初代宗家。 1942年3月18日、満洲国生まれ。引揚げ後、鹿児島県で育つ。鹿児島経済大学(鹿児島国際大学)で空手部へ所属し、少林寺流空手道錬心舘の初代宗家 保勇に師事した。 1962年、第8回全国空手道選手権大会(旧・全空連主催)中量級準優勝。同年、第1回鹿児島県空手道選手権大会総合優勝。1963年、第2回鹿児島県空手道選手権大会優勝。 1965年12月、錬心舘の保勇師範に随行し、当時は「竹のカーテン」といわれ、日本との国交がなかった中華人民共和国(「日中国交正常化」は1972年)の中国武術界から招聘を受けて、中国を訪問。
遠藤 征四郎(えんどう せいしろう、1942年(昭和17年)… 遠藤 征四郎(えんどう せいしろう、1942年(昭和17年) - )は、日本の合気道家。合気道(合気会)八段。合気会本部道場師範。「合気道開祖植芝盛平最後の内弟子」と呼ばれる師範の一人。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
市村俊和(いちむら としかず、1941年(昭和16年)12月… 市村俊和(いちむら としかず、1941年(昭和16年)12月12日 - )は、日本の武道家、合気道家。 1966年から1986年までスウェーデンに住み、同時期にスウェーデンで合気道を指導した。また、デンマークとフィンランドで責任者として、これら3カ国の居合道の発展に貢献し、フィンランドで初めて合気道の演武を行った。1977年に合気会6段、1969年に居合道で錬士6段を修めた。そして武道の教えに関連して、マクロビオティックと言霊についても指導を行った。 1957年に東京にある合気会本部道場で合気道をはじめ、西尾昭二師範に師事した。1961年、東洋大学に進学後、合気道部(当時同好会)の創立に関わる。
堀辺 正史(ほりべ せいし、1941年10月14日 - 20… 堀辺 正史(ほりべ せいし、1941年10月14日 - 2015年12月26日)は、日本の武道家。日本武道傳骨法創始師範。茨城県水戸市出身。 著書『喧嘩芸骨法』において、「東條英機のボディガードを務めた父からその技を相伝され、骨法司家の第52代・源一夢(みなもとのいちむ)を襲名し、伝統的骨法の修行の傍らケンカ・他流試合に明け暮れた日々の中から、実戦的な格闘技術を習得、古流の骨法を改革して喧嘩芸骨法を創始した」と明かしている。 1980年代後半に新日本プロレスのアドバイザーを務め、同時期に新日と接点のあったビートたけしのスーパーJOCKEYにも出演した。 1994年のバーリトゥード時代の幕開けとともに喧嘩芸路線から脱却、より競技性を重視した格闘技路線に変更し『日本武道傳骨法』へと流派名を改称。
南里 宏(なんり ひろし、男性、1941年2月12日 - )… 南里 宏(なんり ひろし、男性、1941年2月12日 - )は、日本の武道家・空手家(七段)。佐賀県小城市出身。佐賀県立佐賀工業高等学校出身。NPO法人全世界空手道連盟新極真会の東京東支部支部長。 空中のブロックを粉砕するなど試割りの第一人者。 昭和16年(1941年) 東京に生まれ、少年時代を九州で過ごす。高校時はボクシング部に所属。その後上京。 昭和46年(1971年)、30歳の時に極真会館入門。極真会館本部道場師範代と合宿時の隊長を長きに渡り務める。 昭和53年(1978年)、37歳の時で初めて全日本空手道選手権大会に出場を果たす。その時の様子は、真樹日佐夫著『極真空手27人の侍たち』“第18話中年で全日本に挑んだ情熱…南里 宏参段”に詳しい。
田中 光四郎(たなか こうしろう、1940年 - )は、日本… 田中 光四郎(たなか こうしろう、1940年 - )は、日本の武術家。 1940年福岡県田川市に生まれる。4歳より柔道、12歳より空手を始める。神奈川大学法経学部卒。1985年2月からカラシニコフAK-47、RPG-7ロケット砲を手にアフガニスタンにおいて旧ソ連軍、親ソ政府軍と戦う。世界の多くのジャーナリスト[誰?]が"アフガンのサムライ"と報道。日本人ランボーと呼ばれる。現在、日本自由アフガニスタン協会専務理事、国際難民救済委員会事務局長。 1991年不二流体術第二代宗家を継承し、2007年まで宗師をつとめる。2008年、独自の流派「日子流」を立ちあげる。
清水 健二(しみず けんじ、1940年 - )は、福岡県出身… 清水 健二(しみず けんじ、1940年 - )は、福岡県出身の合気道家である。明治大学卒。合気道開祖植芝盛平の内弟子、合気道8段を経て清水道場として独立。現在、天道流合気道天道館管長。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
菅野 誠一(すがの せいいち、1939年12月17日 - 2… 菅野 誠一(すがの せいいち、1939年12月17日 - 2010年8月29日)は、日本の合気道家。北海道小樽市出身。 1957年に合気会に入会し、その翌年より植芝盛平の内弟子となった。1965年、植芝の命によりオーストラリアへと渡り、合気道の指導を始めた。15年ほどオーストラリアを中心に指導を行い、その後ベルギー、ルクセンブルク、フランスなどのヨーロッパ国内での指導に当たった。 1988年よりはニューヨークへと移住し、ニューヨーク合気会で山田嘉光とともに師範として普及に努めた。2003年に左足を切断する手術を受けたが、その後も義足を使用して合気道を続けた。 2010年8月29日、70歳で亡くなっている。
山田 嘉光(やまだ よしみつ、1938年2月17日 - 20… 山田 嘉光(やまだ よしみつ、1938年2月17日 - 2023年1月15日)は、日本の合気道家。
笹森 建美(ささもり たけみ、1933年5月10日 - 20… 笹森 建美(ささもり たけみ、1933年5月10日 - 2017年8月15日)は、日本の牧師、剣術家。 小野派一刀流宗家笹森順造の三男として、青森県に生まれる。早稲田大学文学部哲学科、米国デューク大学大学院神学部卒業。青山学院中等部宗教主任を経て、駒場エデン教会牧師。大長刀直元流、居合神夢想林崎流宗家も受け継ぎ、日本古武道協会常任理事を務め、小野派一刀流第17代宗家でもあった。
針 すなお(はり すなお、1933年3月15日 - )は、日… 針 すなお(はり すなお、1933年3月15日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、武道家。本名は高閑者 順(たかがわ すなお)。 政治家や芸能人、スポーツ選手など著名人の似顔絵で知られているほか、武道家として、武術「体の杖(たいのじょう)」を創始した。 佐賀県佐賀市出身。生家は旧佐賀藩の菩提寺・高伝寺(針自身も住職を務めた)。五男。 子供の頃から絵を描くのを好み、実家の寺に届けられた布施の包み紙を住職の父親から貰い絵を描いていた(戦時中で、紙が貴重品であったため)。寺の廊下で住職や兄の似顔絵を、小学校のクラスで友達や教師の似顔絵を描いて人気を得た。中学、高校になると漫画を描くようになった。
多田 宏(ただ ひろし、1929年12月14日 - )は、日… 多田 宏(ただ ひろし、1929年12月14日 - )は、日本の武道(合気道)家。合気道九段。東京府(現・東京都)出身。 第一東京市立中学(現東京都立九段高等学校)、早稲田大学卒業。大学在学中は空手部に在籍し、船越義珍に師事した。大学在学中の1950年に、植芝道場に入門し、植芝盛平、植芝吉祥丸に師事する。その後、天風会・中村天風、一九会道場・日野正一らに師事。 合気道本部道場、防衛庁、学習院大学、慶應義塾大学、東京大学合気道気錬会、早稲田大学合気道会などの師範を務める。また、イタリアをはじめ世界各国でも活動する。 1994年に日本武道協議会より武道功労者表彰。 2019年にイタリア政府よりイタリア共和国功労勲章を受勲。
佐々木の 将人(ささきの まさんど、佐々木将人、1929年〈… 佐々木の 将人(ささきの まさんど、佐々木将人、1929年〈昭和4年〉2月1日 - 2013年〈平成25年〉2月15日)は、日本の合気道家、神道家。山蔭神道上福岡斎宮(埼玉県ふじみ野市)宮司、合気道神明塾塾頭。合気道(合気会)八段。雅号は、乾舟(けんしゅう)。 1929年(昭和4年)山形県長井市成田に生まれる。太平洋戦争(大東亜戦争)下の小学生の頃特攻隊への入隊を目指し陸軍幼年学校を受験するが失敗、14歳で徴用により動員され、名古屋の三菱重工で飛行機の部品(ネジ)製造業務に就き、そこで終戦を迎える。戦後、大工となったが、19歳の時、飛んできた釘が当たって左目を失明する。その後は古本屋・黒板塗り・闇米売りなど、あらゆる仕事で食いつなぐ。
高橋 華王(たかはし かおう、1928年(昭和3年)7月3日… 高橋 華王(たかはし かおう、1928年(昭和3年)7月3日 - 2003年(平成15年)8月14日)は古武術研究家・武道家(宮本武蔵円明流判官派第14代宗家)、教育者、セルフディフェンスビクス発案者。東京理科大学経営学部教授。 福島県伊達市出身。福島師範学校(現:福島大学)、東京教育大学、日本体育大学を卒業。東京教育大学、東京外国語大学、明治大学、日本女子体育大学講師を経て、東京理科大学経営学部教授。教授を務める傍ら、東京大学医学部解剖学教室にて人体解剖生理学を研究。 宮本武蔵円明流判官派第14代宗家(関西・武蔵円明流、東京・武蔵円明流判官派などとは異なる)。東洋医学に精通し、鍼灸の資格も持っていた。
室木 洋一(むろき よういち、1927年6月4日 - 200… 室木 洋一(むろき よういち、1927年6月4日 - 2003年12月8日)は日本の武道家であり、教育者。戦後、北海道に空手を普及した先駆者。 1980年(昭和55年)の和道流、和道会の分裂騒動においては全日本空手道連盟和道会へ所属。北海道大学退官後は、空手道関連の役職から退き、後任に道を譲る。生涯個人の道場を持たず、流派を問わずして空手振興に尽力した。晩年は、合気柔術の大東流合気柔術幸道会の顧問を務め、空手道では全日本清心会(清心流空手道)技術顧問も務めた。
大竹 利典(おおたけ りすけ、1926年〈大正15年〉3月1… 大竹 利典(おおたけ りすけ、1926年〈大正15年〉3月10日 - 2021年6月7日)は、日本の武道家。千葉県成田市出身。天真正伝香取神道流の師範、そして同市にある神武館道場の館長を長年務めた。 16才の折(1942年)に天真正伝香取神道流の林弥左衛門家清師範に入門。1960年6月に同流儀が千葉県の無形文化財に指定され、大竹が同保持者となった。 多数の執筆を残している。また、映画『蜩ノ記』で岡田准一に武術指導も行った。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
濱田博之(はまだひろゆき、1925年10月29日 - )は、… 濱田博之(はまだひろゆき、1925年10月29日 - )は、空手武道家。 日本古伝神道流空手道の創始者。フェルトン・メッシーナ(Felton_Messina)の師匠。鹿児島県薩摩川内市生まれ。 1939年15歳のときに沖縄泊風の空手を稽古し始めた。1943年3月、彼は第二次世界大戦で2年間の授業がなく高校を卒業した。その年、首里手や手手など他沖縄のスタイルを学び始めた。 1943年4月から1944年3月までの間に、彼は完全に空手の訓練と完成に専念した。 1944年4月には海兵隊に召集。1945年に戦争が終わるまでに、彼は倉敷の軍部隊にいた。日本の敗北のニュースが彼に届いたとき、彼は切腹をすべきかどうか考えて10日間を費やした。
岡本 正剛(おかもと せいごう、1925年2月10日 - 2… 岡本 正剛(おかもと せいごう、1925年2月10日 - 2015年1月16日)は、日本の武道家。大東流合気柔術六方会宗師。 岡本正剛は38歳という、武道を始めるには一般的に遅いと言われる年齢ではじめて大東流合気柔術の門をくぐった。それまで武道とは無縁の生活を送っていたが、知人から面白い技を使う人がいると聞き、冷やかし半分で堀川幸道のもとに見学に行ったのがその始まりだった。入門以来、ほぼ無欠席で稽古にいそしんだが本人は、「稽古後に皆でビールを飲むのが楽しみで通っていた」という。岡本は堀川門下生のなかでは異例のスピードで昇進した。 岡本の功績のひとつは、それまであまり知られることのなかった大東流合気柔術という武道を広く世に知らしめたことである。
佐藤金兵衛(さとうきんべえ、1925年1月5日 - 1999… 佐藤金兵衛(さとうきんべえ、1925年1月5日 - 1999年1月21日)は日本の武術家。福島県いわき市出身。開業医(産婦人科)を営む傍ら、日本武道および中国武術各派を修め、日本兵法大和道を創始する。昭和の日本に中国武術の内家拳の普及に努めた武道家。武号は柔心斎。 幼少から祖父より大和流柔術(ただし、二代目柔心斎を襲名した佐藤の息女は大和流弓術としている)の指導を受ける。中学卒業後に満州へ渡り、国立医科大学の医学生となったが終戦後帰国。帰国後、東北大学医学部に進み、この頃より影山流剣術、柔術各派(八光流柔術、合気道、武田流合気之術、大東流合気柔術(山本角義の系統)、天神真楊流柔術、荒木新流柔術、一天柳心冑介流柔術、柳生心眼流兵術(東北伝)、浅山一伝流体術(上野貴の系統)、神道天心流拳法、卜伝流柔術、高木楊心流柔術・九鬼神流棒術、義鑑流骨法術)、神道自然流空手術 等を学ぶ。
岩田 万蔵(いわた まんぞう、1924年2月9日 - 199… 岩田 万蔵(いわた まんぞう、1924年2月9日 - 1993年6月4日)は、日本の空手武道家。 岩田万蔵は、東京の岩田園という茶園を所有していた一族に生まれる。彼は10歳で糸東流空手の研究を始めた。中学では柔道 、剣道も学んだ。 また合気道の創設者である植芝盛平と祖父が仲の良い友人で、その元で合気道を学ぶ。岩田は東洋大学に進学し在籍中の1941年、糸東流空手創設者でグランドマスターの摩文仁賢和下で直接空手の訓練を始めた 。摩文は藤田西湖から杖道や南蛮殺到流拳法を教えられており、岩田も引き継がれるべく指導され 1943年、岩田は藤田から杖道師免状を授与された。1944年に東洋大学を卒業した後、摩文から師範の学位を授与された。
寺田 精之(てらだ きよゆき、1922年3月20日 - 20… 寺田 精之(てらだ きよゆき、1922年3月20日 - 2009年7月13日)は、日本の合気道家。養神館合気道10段。 合気道の達人塩田剛三と共に、養神館合気道設立者の一人。晩年は主に神奈川県に拠点を置き、合気道の指導を行っていた。塩田剛三亡き後、養神館合気道の最高師範、最高顧問も務めた。
植芝 吉祥丸(うえしば きっしょうまる、1921年6月27日… 植芝 吉祥丸(うえしば きっしょうまる、1921年6月27日 - 1999年1月4日)は武道家。日本の合気道の二代目の継承者。父は合気道開祖植芝盛平。次男は三代目道主植芝守央。 昭和20年代の合気会は新規の入門者が中々集まらず、塩田剛三の養神館道場に対して劣勢であった。吉祥丸はこの状況を挽回するために、 といった当時としては革新的な試みを行い、合気道の全国的な普及に成功した。現在合気会は合気道界で最大勢力の合気道統括組織であり、日本国内100万人・世界全体で160万人ともいわれる合気道人口の8割を占める。
藤平 光一(とうへい こういち、1920年1月20日 - 2… 藤平 光一(とうへい こういち、1920年1月20日 - 2011年5月19日)は、東京生まれ栃木県出身の日本の武道(合気道)家。心身統一合氣道の創始者。1969年(昭和44年)合氣道10段。現一般社団法人心身統一合氣道会会長の藤平信一は息子。 幼少の頃は体が弱く、父親から柔道を教わった。慶應義塾大学に入学後、肋膜炎を発症し山岡鉄舟の高弟小倉鉄樹などから禅や呼吸法を学び修行した結果、肋膜炎が完治した。19歳のときに合気道の開祖植芝盛平に入門する。慶應義塾大学経済学部卒業後、陸軍に入隊。中国へ派遣されたときの体験が「氣の原理」に大きく影響を与えた。 帰国後、中村天風に師事し、心身統一道を学ぶ。その後ハワイを始め、アメリカ各地で合気道を指導した。
古岡 勝(ふるおか まさる、1919年(大正8年)10月1日… 古岡 勝(ふるおか まさる、1919年(大正8年)10月1日 - 2005年(平成17年)9月30日)は、福岡県出身の武道家(無双流居合斬道創始者、無双直伝英信流居合道範士十段、柔道六段)、会社役員(学習研究社最高顧問)。武号は二刀斎。 居合は初め夢想神伝流を学び、次いで無双直伝英信流第21代・平井阿字斎より無双直伝英信流を学んだ。 1937年(昭和12年)福岡県立東筑中学校(現・福岡県立東筑高等学校)を卒業後、陸軍予備士官学校に入学。日中戦争に陸軍将校として従軍し、白兵戦で日本刀を使った経験が何度もあるという。最終階級は大尉。 戦後、学習研究社の創業者で叔父の古岡秀人に誘われ、東京に移住して同社に入社した。
井上 元勝 (いのうえ もとかつ、1918年(大正7年)12… 井上 元勝 (いのうえ もとかつ、1918年(大正7年)12月2日 - 1993年(平成5年)1月1日)は、日本の武道家。唯心会と琉球古武術のグランドマスターとして知られた。 東京府東京市麻布区麻布富士見町(現・東京都港区南麻布)出身、慶応義塾大学卒業。 井上は、日本の首相であった公爵桂太郎の次男、また侯爵井上勝之助の嗣子である侯爵井上三郎の次男として東京市麻布富士見町に生まれた。母は井上馨の長女・千代子。幼い頃から武家の訓練を始めたが、警備スペシャリスト、甲賀流 忍術の宗家継承者であり、最後の真の忍者と見なされていた藤田西湖(1898-1966)によって武術を教えられた。 後に井上は、小西康裕と平信賢のもとで訓練を行い、そこで琉球古武道保存振興会で使用される武器術を学ぶ。
佐川 博男(さがわ はくお、1917年〈大正6年〉2月8日 … 佐川 博男(さがわ はくお、1917年〈大正6年〉2月8日 - 2004年〈平成16年〉12月)は、日本の居合道家、剣道家。段位は居合道範士九段、剣道教士七段。居合の流派は夢想神伝流。 福島県東白川郡塙町で生まれる。1928年(昭和3年)、福島県立白河中学校(現福島県立白河高等学校)に入学し、剣道部に入部。3年生のころ郡山で開かれた剣道大会で大島治喜太の居合演武を見て、居合を志す。 1936年(昭和11年)11月16日、仙台陸軍教導学校を卒業し、軍人として第二次世界大戦では中国戦線に出征した。この戦争での白兵戦の経験から、「日本刀は3人斬ると脂が付いて斬れなくなる」という俗説には否定的であった。
阿部 謙四郎(あべ けんしろう、1915年〈大正4年〉12月… 阿部 謙四郎(あべ けんしろう、1915年〈大正4年〉12月15日 - 1985年〈昭和60年〉12月1日)は、日本の柔道家、合気道家、剣道家である。柔道7段(1960年代末に8段を授与されたとする情報もある)、合気道6段、剣道6段。 日本では戦前の著名な柔道家として知られる。戦後は日本の柔道界と対立して1955年にイギリスに渡った。イギリスではKenshiro Abbeの名で、1960年代のイギリスに合気道・剣道などを紹介した人物として知られる。1960年代にイギリス柔道カウンシル(BJC)を設立した。求心道(英語版)(Kyūshindō)を創始し、その理論に基づいて武道を教える道場が現在も多くある。
塩田 剛三(しおだ ごうぞう、1915年(大正4年)9月9日… 塩田 剛三(しおだ ごうぞう、1915年(大正4年)9月9日 - 1994年(平成6年)7月17日)は、東京府四谷区(現・東京都新宿区四谷)出身の武道(合気道)家である。合気道の流派養神館合気道設立者。本名・塩田剛(しおだ たけし)。身長154cm、体重46kgと小柄な体格ながら「不世出の達人」と評され、「現代に生きる達人」「生ける伝説」とも謳われた。 医師・塩田清一の次男として生まれる。自伝[要文献特定詳細情報]によると父は小児科医として名高く、貧しい人からは治療費を取らず、金持ちからはがっちり頂いていたという。また軍人や政治家とも親交が深く、様々な知己を得ていたという。かなり裕福な家庭に育ち、不自由は何一つなかった。
坂上 隆祥(さかがみ りゅうしょう、1915年(大正4年)4… 坂上 隆祥(さかがみ りゅうしょう、1915年(大正4年)4月13日 - 1993年(平成5年)12月28日)は、日本の武道家。段位は空手道範士九段、剣道範士七段、居合道範士八段、杖道教士七段。空手家の摩文仁賢和の高弟で、糸洲派正統第三世を継承した。本名、坂上博一(ひろかず)。 1915年兵庫県川西市生まれ、8歳より剣道を伊丹市の修武館道場で学び、後に富山円、志賀矩両範士に師事する。14歳の時に、地元在住、沖縄県出身の玉城より、松茂浪派(泊手)の空手を学ぶ。1933年より居合道無双直伝英信流を穂岐山波雄、福井春政両範士に学ぶ。 1935年4月、国士舘剣道科(現・国士舘大学)に入学。在学中に、沖縄県出身で同期の石川春善と共に、当時笹塚に住んでいた屋比久孟伝より空手道並びに琉球古武道を学ぶ。
阿部 醒石(あべ せいせき、本名:阿部 俊一(あべ しゅんい… 阿部 醒石(あべ せいせき、本名:阿部 俊一(あべ しゅんいち)、1915年 - 2011年5月18日)は、日本の書道家、合気道家。大阪府高槻市出身。合気道開祖植芝盛平の高弟で、植芝から非公式に合気道十段位を与えられた。 1934年に父親に勧められて書道を習い始め、1948年より書道教師として大阪府立北野高等学校で指導を始めた(1982年まで)。やがて書道家としての技術的・精神的な行き詰まりを感じた阿部は、二木謙三が主催する禊の練成会に参加する。この頃植芝盛平の弟子でもあった二木から合気道を勧められた。 1952年、以前から親交のあった田中万川の合気道道場で植芝と偶然出会い、直後に入門。阿部は書道と並行して合気道の修行を積む中で、書道、合気道、そして禊に共通する呼吸法に感銘を受け、やがて「気」の概念を理解するに至った。
白田 林二郎(しらた りんじろう、1912年〈明治45年〉3… 白田 林二郎(しらた りんじろう、1912年〈明治45年〉3月29日 - 1993年〈平成5年〉5月29日)は、山形県出身の日本の武道(合気道)家、 合気道開祖・植芝盛平の高弟。 1912年(明治45年)山形県に生まれる。旧制・新荘中学(現・新庄北高校)では柔道部の大将を務めていた。 1931年(昭和6年)の暮れ上京。父親が大本の信者だった縁で、植芝盛平(守高)の開設間もない皇武館道場に入門、内弟子となる(19歳)。当時の写真によると太い首とがっちりした肩幅を持つ偉丈夫である。米俵(一俵=60kg)を両手に一つずつ持ち、拍子木のように打ち付けることが出来たという話もある。素性の分からない道場破りが来ると必ず白田が応対し、相手を徹底的にたたき伏せるのが常であったという。
名和 弓雄(なわ ゆみお、1912年(明治45年)1月3日 … 名和 弓雄(なわ ゆみお、1912年(明治45年)1月3日 - 2006年(平成18年)9月1日、94歳没)は、日本の時代考証家、武術家(正木流万力鎖術第10代宗家、江戸町方十手捕縄扱様宗家)、舞踊家。 福岡県北九州市生まれ。武蔵野音楽大学卒。先祖は美濃大垣藩の与力を務めたという。時代劇の時代考証、武術指導を行った。捕り物道具を収集し、その捕り物道具コレクションは現在、明治大学博物館に収蔵されている。 杉良太郎など、史実に近い小道具を好む時代劇俳優に信頼されており、新五捕物帳、同心暁蘭之介などの時代考証では、従来の時代劇に使われていた小道具とは違う史実に基づいた小道具を提供した。そのため、従来の時代劇視聴者から、御用提灯のデザインがおかしいと苦情を受けたが、名和はその苦情に対し、史実を交えてきちんと説明し、視聴者を納得させた。
宗 道臣(そう どうしん、1911年(明治44年)2月10日… 宗 道臣(そう どうしん、1911年(明治44年)2月10日 - 1980年(昭和55年)5月12日)は、日本の武道家、思想家、教育者、社会指導者、社会運動家、宗教家。日本の武道の一つである少林寺拳法の創始者であり、北少林義和門拳第21代正統継承者(事実上の古典的嵩山少林寺における最後の正統継承者) 姓名は中野 理男(なかの みちお)、中野 道臣(なかの みちおみ)を経て、最終的には宗 道臣を名乗った 1911年(明治44年)2月10日、岡山県英田郡江見村(現・美作市)に生まれる。1919年(大正7年)、義父が死亡し、1924年(大正12年)に家出し、祖父の住む満州へと移る。1926年(大正15年)母と妹が死亡、1927年(昭和2年)には妹と祖父が死亡、天涯孤独となる。
中山 清(なかやま きよし、1907年(明治40年)7月28… 中山 清(なかやま きよし、1907年(明治40年)7月28日 - 1994年(平成6年)11月25日)は、日本の武道家、伝統医。日本武道医学会の設立者で、日本武道医学の創始者である。 日本武道医学会会長、大日本武徳会本部理事、同東京支部理事長、拓殖大学旧特設理療科教師(現・東洋鍼灸専門学校)、呉竹学園理事・教師、千代田学園教師を務めた。大日本武徳会柔道範士九段、水泳範士九段。 1907年(明治40年)7月28日、長崎県に生まれる。幼少の頃より水泳・柔・剣の訓練を受ける。 1932年(昭和7年)日本大学を卒業。かたわら町道場師範代をつとめ整骨術鍼灸按術を研修した。揚心流系柔術とりわけ天神真楊流柔術と真之神道流柔術を深く修行し、この系統である活殺自在の技法に生涯をかけた。
澤山宗海(さわやま むねおみ、1906年12月12日 - 1… 澤山宗海(さわやま むねおみ、1906年12月12日 - 1977年9月27日)は、奈良県出身の武道家。日本拳法の開祖。本名は勝(まさる)。 澤山宗海は1906年に奈良県に生まれ、幼くして養子となり、山陰地方の名門として知られる、豪族・山名氏の門流である澤山家の人となる。生来病弱であったうえに養父母が溺愛し、少しでも危険と見れば、わずかな運動すらさせなかったゆえに、小学生の頃は通学するだけで疲れるほどひ弱だったという。 自分の体力のなさに一念発起し、大正8年(1919)、偕行社小学校の尋常科を終え、日進商業学校に進学したときにボディービルと柔道を始め、のちに五段の腕前になる。しかし、柔道において一般に当身の攻防の練習が軽視されていたことに失望し、のちに糸東流を創始する摩文仁賢和との出会いを機に彼に師事して空手(当時は「唐手」と呼ばれていた)を学び、昭和5年(1930)6月、通っていた関西大学に「唐手研究会」を立ち上げる。
杉野 嘉男(すぎの よしお、1904年12月12日 - 19… 杉野 嘉男(すぎの よしお、1904年12月12日 - 1998年6月13日)は、日本の武術家、武道家。映画の振付師でもあった。古武道の一派、天真正伝香取神道流の免許皆伝者。神奈川県川崎市にある「唯心館 杉野道場」の創立者、およびその初代師範。 1904年12月12日(明治37年)、千葉県山武郡成東町に杉野由太郎と杉野セキの長男として生まれる。 13歳から柔道を始め、1918年(大正7年)に入学した慶應義塾大学商工学部で飯塚国三郎の指導を受け、本格的に柔道に熱中する。17歳で初段を取り、本人の談では「四段になるまで一度も負けたことがなかった」とのことである。 1927年(昭和2年)22歳で講道館柔道修行所を神奈川県川崎市に開設した。