芝山 幹郎(しばやま みきお、1948年 - )は、日本の翻… 芝山 幹郎(しばやま みきお、1948年 - )は、日本の翻訳家、随筆家、評論家、詩人。 石川県金沢市生まれ。東京大学文学部仏文学科卒業。詩集『晴天』(書肆山田、1972年)で詩壇に登場し、後に翻訳、評論の分野で精力的な活動を行う。 スポーツ、映画にも造詣が深く、1993年から2000年まで「キネマ旬報」に「オールモスト・クール」を、2000年から2009年1月まで日本経済新聞土曜版に「今週の1本」を連載したほか、「月刊メジャー・リーグ」「週刊サッカーマガジン」などにも随筆や評論を掲載している。
三浦 和義(みうら かずよし、1947年〈昭和22年〉7月2… 三浦 和義(みうら かずよし、1947年〈昭和22年〉7月27日 - 2008年〈平成20年〉10月11日)は、山梨県出身の元実業家、随筆家、タレント、俳優。 タレント事務所のアルファ・ジャパンプロモーションに所属していた。身長181 cm、体重78 kg。株式会社エヌジーユー代表取締役であったが、死後に長男が就任した。この時の最終決算では、資産5億を超えていた。父方の叔母に元女優・映画プロデューサーの水の江瀧子がいる。いわゆる「ロス疑惑」が取り沙汰されたことで知られる。 父は建築会社に勤める土木技師、母は料亭の娘。母の疎開先の山梨県東八代郡御坂町(現在の笛吹市)で生まれ、幼い時期を北海道で過ごしたのち千葉県市川市で育つ。
新家 靖之(しんか やすゆき、1946年11月25日 O型-… 新家 靖之(しんか やすゆき、1946年11月25日 O型- )は、日本の旅行作家・随筆家。日本旅行作家協会理事 地球の歩き方の旅の達人として知られ、定期的に旅の達人ブログに旅行ブログを投稿している。主に、海外の近現代美術を中心に絵画や建物に関する紀行文が多い。海外旅行のノウハウに関するセミナーを定期的に開催している。ファイナンスの専門家としての一面もあり、現在、ファイナンシャル・プランナーとして日本FP協会に所属している。現在、(社)日本旅行作家協会理事 学生時代は、演劇集団らくだの会に所属し活動を行う。大学時代の同期には、劇団アンゲルス主宰の演出家の岡井直道がいる。また、従兄弟には、オリックス・バファローズの元球団社長である松岡良伯がいる。
摩利 按世(まり あんよ、1946年4月18日 - 2014… 摩利 按世(まり あんよ、1946年4月18日 - 2014年6月18日)は、日本の女性声優、随筆家。東京都出身。東京都立松原高等学校卒業。TTC、フリータレント集団「壇林」を経て青二プロダクション所属。旧芸名、松沢 和子(まつざわ かずこ)。 2014年6月18日、病気療養中に死去。68歳没。 特技はかたりライブ、童話制作、華道、詩作など。植物に関する随筆をいくつか執筆している。
坂田 和実(さかた かずみ 1945年 - 2022年11月… 坂田 和実(さかた かずみ 1945年 - 2022年11月6日)は、日本の美術評論家・数寄者、骨董収集鑑定家、随筆家、骨董商。古美術店「古道具坂田」店主。 1945年福岡県生れ。上智大学卒業後、商社勤務を経て、1973年、東京・目白に古道具屋を開く。以来年に数回、海外へ仕入の旅に出かけ、ヨーロッパ、アフリカ、朝鮮、日本、南米など、さまざまな国の品物を扱う。1994年、千葉県長生郡長南町に美術館 as it is(中村好文設計)を開館。著書に『ひとりよがりのものさし』(新潮社)、共著に『骨董の眼利きがえらぶ ふだんづかいの器』『日本民藝館へいこう』(ともに新潮社)など。 白洲正子や秦秀雄、芹沢銈介などに影響を受ける。
矢吹 申彦(やぶき のぶひこ、1944年4月7日 - 202… 矢吹 申彦(やぶき のぶひこ、1944年4月7日 - 2022年10月28日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー、装丁家、随筆家。俳号は矢吹猿人(さるんど)。 東京都世田谷区出身。東京都立駒場高等学校卒業。1965年に桑沢デザイン研究所へ入学、1967年に同研究所抹籍。同年から、フリーのグラフィックデザイナー、イラストレーターに。専門学校時代から音楽雑誌のイラストなどを手がける。和田誠のアシスタントをしながら、雑誌『話の特集』のスタッフもつとめていた。 1969〜76年月刊『ニューミュージック・マガジン』のADと表紙絵を担当。1981〜1990年月刊『潮』、1983年〜季刊『教育と施設』、1992〜1995年月刊『東京人』各誌の表紙絵担当。
辻 良樹(つじ よしき、1944年3月25日 - )は、書家… 辻 良樹(つじ よしき、1944年3月25日 - )は、書家、日本の随筆家。 奈良県天理市生まれ。1962年に、奈良県立郡山高等学校普通科卒業。大井証券(株)本社電子計算課入社(和光証券、新光証券、現在は、みずほ証券)。 1970年に、円満退社(脱サラ)。1990年に、共同産業(株)専務取締役 円満退社。システムセイファ(株)設立。 その間、趣味が昂じて「ことば&書」活動を行う。個展、講演、講座などを精力的に行う。2002年に、長兄(上場会社トップ)の急逝を機に、「ことばは命」を出版。2008年に、システムセイファ(株)を後進に移譲。「ことば&書」活動に専念し現在に至る。 「ことば&書のふれあい展」を過去60回以上実施 一心寺南会所ギャラリー(大阪府)朝日新聞本社アサコムホール(大阪府)歯ART美術館(香川県)レストランTOKYO(ウクライナ キーウ)寿ファーマシー(兵庫県)常設コーナー サンケイ新聞/山陽新聞/伊勢新聞 他多数
はら たいら(本名:原 平〈読み同じ〉、1943年〈昭和18… はら たいら(本名:原 平〈読み同じ〉、1943年〈昭和18年〉3月8日 - 2006年〈平成18年〉11月10日)は、日本の漫画家、随筆家、タレントである。血液型はB型。高知県香美郡土佐山田町(現:香美市)出身で、晩年は東京都文京区小石川に居住した。 1943年3月8日(月曜日)、父の太郎と母の小夜子の長男として高知県香美郡土佐山田町(現:香美市)に生まれる。姉の美和は元バスガイドで、父はたいらが生まれる前に結核で亡くなった。たいらには餓鬼大将の逸話があり、のちに『最後のガキ大将』で書籍となり『ガキ大将がやってきた』でドラマ化された。 中学生の頃から漫画雑誌への投稿を開始して高知市内の漫画研修会である高知漫画クラブに参加し、当時からナンセンス漫画の才能を発揮した。
柳瀬 尚紀(やなせ なおき、1943年3月2日 - 2016… 柳瀬 尚紀(やなせ なおき、1943年3月2日 - 2016年7月30日)は、日本の英文学者、翻訳家、随筆家。 語呂合わせなどの言葉遊びを駆使した独自の文体で『フィネガンズ・ウェイク』などの翻訳を行った。「悪訳」をするとみなした翻訳家に対しては痛烈な批判を行った。 北海道根室市出身。1965年に早稲田大学第一文学部卒業、1967年同大学院文学研究科修士課程卒業、1970年同大学院文学研究科博士課程満期終了退学。1977年に成城大学助教授、1991年に辞職。 1976年にエリカ・ジョング『飛ぶのが怖い』の訳書がベストセラーとなり、「飛んでる女」が流行語となる。その後もジョング作品の翻訳を続けている。
巖谷 國士(いわや くにお、略字表記:巌谷 国士、1943年… 巖谷 國士(いわや くにお、略字表記:巌谷 国士、1943年1月7日 - )は、日本のフランス文学者、評論家、随筆家、写真家、小説家。明治学院大学名誉教授。 1943年、国文学者・巖谷榮二の長男として東京市芝区(現:東京都港区)高輪で生まれた。幼少時から文学、美術、漫画、映画、建築、園芸などに親しみ、東京の町々を巡った。区立中、都立高、神奈川県立湘南高等学校を経て、1961年に東京大学文科2類に入学。 東京大学在学中は世田谷区松原に住み、大学闘争と同人誌活動に精を出した。扇田昭彦、藤井貞和らと親交をむすび、たまたま隣家に住んだ池田満寿夫、富岡多恵子とも交流。1963年、瀧口修造、ついで澁澤龍彦と出会い、その後長く親交は続いた。
木村 富美子(きむら ふみこ、1942年5月1日‐2008年… 木村 富美子(きむら ふみこ、1942年5月1日‐2008年1月7日)は、東京都出身の随筆家。旧姓山下。幼少より結核、呼吸不全などの闘病生活のかたわら、三浦綾子、遠藤周作、藤沢周平らの影響を受け、数多くのエッセイを執筆。 1942年、東京都池袋に生まれる。父は書道学院を経営する書家で、華族の人びとにも教えていた。1945年、東京都西多摩郡霞村(現青梅市)に疎開。1949年、霞村小学校分教場入学。小学5年の時に疎開先から国立市に移転。小学6年になって間もなく肺結核を発病し休学・留年。その後もたびたび療養所に入所。 1961年、3年遅れで東京都立立川高等学校入学。同じ高校に入学した3歳下の妹と同時入学となる。
工藤 寛正(くどう ひろまさ、1941年 - )は、歴史家、… 工藤 寛正(くどう ひろまさ、1941年 - )は、歴史家、随筆家。 神奈川県川崎市生まれ。筆名・岩井寛。明治大学文学部史学科卒。雑誌・PR誌編集に携わり、雑誌『歴史と旅』(秋田書店)編集長を経て文筆業に。歌誌『藻』同人。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
柴田 紘一郎(しばた こういちろう、Koichiro SHI… 柴田 紘一郎(しばた こういちろう、Koichiro SHIBATA、1940年5月6日 - 2025年2月19日)は、日本の医師、医学者、随筆家。公益財団法人「風に立つライオン基金」 永久名誉顧問。さだまさしの歌および小説、またそれを原作とした映画『風に立つライオン』のモデルとなった人物。
権藤 晋(ごんどう すすむ、本名:高野 慎三、1940年 -… 権藤 晋(ごんどう すすむ、本名:高野 慎三、1940年 - )は、日本の編集者、出版社経営者、随筆家、漫画評論家、映画評論家、文具店経営者。本名でも、著作活動を行っている。特につげ義春にこだわり、つげ作品の多くを世に出すべく奔走したことでも知られる。出版社 北冬書房を主催。貸本漫画史研究会会員。つげの『ねじ式』の原稿の「××クラゲ」を「メメクラゲ」と誤植し、のちにつげが「その方がいいね」といったことから、「メメクラゲ」のまま出版が続けられ流行語となるなど誤植の歴史に名を残したことでも知られる。 元々は白土三平のファンで、その後、水木しげるのファンとなりさらにつげ義春のファンとなった。1961年頃に白土の『忍者武芸帖』を読み、その後貸本漫画で全作品を読んでいく。
長田 弘(おさだ ひろし、1939年11月10日 - 201… 長田 弘(おさだ ひろし、1939年11月10日 - 2015年5月3日)は、日本の詩人、児童文学作家、文芸評論家、翻訳家、随筆家、編集者。 大学在学中から詩を書き始め、第1詩集『われら新鮮な旅人』(1965年)で注目された。その後、『深呼吸の必要』(1984年)、『世界は一冊の本』(1994年)などで読者層を広げた。 1939年、福島県福島市生まれ。福島県立福島高等学校卒業。 1958年3月に福島より上京。1959年4月、早稲田大学第一文学部独文専修に入学。 早稲田大在学中の1960年秋、関根久男と詩誌「鳥」を創刊。雑誌「現代詩」「詩と批評」「第七次早稲田文学」の編集に加わる。1963年3月、早稲田大学卒業。
藤本 和子(ふじもと かずこ、1939年 - )は東京出身の… 藤本 和子(ふじもと かずこ、1939年 - )は東京出身の、アメリカ文学翻訳家、随筆家。 本名、カズコ・F・グッドマン。夫は劇団黒テントの前身の「演劇センター68」の創設者の一人で、イリノイ大学の日本文学・演劇の教授のデイヴィッド・グッドマン。イリノイ州シャンペーン市在住。 早稲田大学政治経済学部卒業。大学時代、演劇研究会の女優だった。 卒業後、ノースウェスト航空に勤務。また、津野海太郎らとともに六月劇場の前身である独立劇場の設立メンバーとなった。1967年、渡米してニューヨークの日本領事館に勤務した後、イェール大学のドラマ・スクールで学ぶ。そこで、イェール大学の学生で滞日体験があったデイヴィッド・グッドマンと知り合い結婚。
黒川 鍾信(くろかわ あつのぶ、1938年9月2日 - )は… 黒川 鍾信(くろかわ あつのぶ、1938年9月2日 - )は、英文学者、随筆家、明治大学名誉教授。 東京市生まれ。明治学院大学大学院修士課程修了。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)へ留学。明治大学短期大学助教授、教授。2004年情報コミュニケーション学部教授、2009年定年退職、名誉教授。 専門分野は英詩だが、ウィスコンシン州における教育や、家業を継いだ自分のこと、近代東京を中心とした著作などがある。2001年『神楽坂ホン書き旅館』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞、2006年の『旅に出よう船で』で日本自分史学会優秀賞受賞。 叔母(母の妹)の一人が女優の木暮実千代で、その評伝も出版している。
冨士 眞奈美(ふじ まなみ、1938年〈昭和13年〉1月15… 冨士 眞奈美(ふじ まなみ、1938年〈昭和13年〉1月15日 - )は、日本の女優、随筆家、俳人。血液型はA型。本名、岩崎 真奈美。アンテーヌ所属。俳号は衾去(きんきょ)。 6人きょうだいの三女(上から女、女、本人、男と続き、5人目と6人目の性別は不明)として育った。静岡県三島市で生まれた後、1歳の頃に一家で東京都滝野川区(現・北区)で暮らし、小学校に上がる前、三島で暮らす祖父の急死により、ひとり娘の母とともに一家で三島へ戻った。県立三島北高校卒業。 1956年にNHKのテレビドラマ『この瞳』の主役に抜擢されてデビューし、これを機に上京して芸能活動を始めた。1957年、NHK専属女優の第一号となり、『輪唱』の三姉妹役で共演した馬渕晴子・小林千登勢とNHK三人娘と呼ばれて人気を博した。
福地 泡介(ふくち ほうすけ、1937年6月1日 - 199… 福地 泡介(ふくち ほうすけ、1937年6月1日 - 1995年1月5日)は、日本の漫画家、随筆家、アマチュア雀士、放送タレント。福地 泡介(つくりの包の己の部分が巳)の表記も用いた。本名、福地 豊。 岐阜県関市生まれ。生家は刃物製造会社を経営し、志津三郎兼氏の末裔とされる。岐阜県立関高等学校在学中から新聞や雑誌へ漫画の投稿を行い、プロを志して荻原賢次に弟子入りを志願するが断られ、京都で予備校に通いながら浪人生活を送り、早稲田大学法学部に入学。早稲田大学漫画研究会に入部。2年上級にしとうきねおと園山俊二が、1年上級に同い年の東海林さだおがいた(2年生での入部で、福地と同期入部)。1959年、福地・東海林ほか、他校の学生漫画家を加えた4人で「グループ'59」を結成し、一般誌に合作漫画の売り込みを行ったが、ほとんど採用されずにグループは数か月で解散に追い込まれた。
秋葉 四郎(あきば しろう、1937年(昭和12年)5月18… 秋葉 四郎(あきば しろう、1937年(昭和12年)5月18日 - )は、日本の歌人・文芸評論家・随筆家・教育者。学位は、文学博士。短歌結社「歩道」編集長、斎藤茂吉記念館館長、日本歌人クラブ顧問(第6代会長)。千葉県出身。 第一歌集『街樹』における時代の息吹を反映した新鮮な詠風から出発し、以後現在に至るまで旺盛な作歌活動を続けている歌人。1966年(昭和41年)に「歩道」に入会し佐藤佐太郎に師事。都市風景や現代の世相を鋭敏な感覚で捉えた作品に優れたものが多く、雄渾な歌風を特色とする。また、オーロラ、鯨など、従前の歌人が対象とすることのなかった海外詠も多く、作品の幅が広い。1970年代(昭和40年代後半)から十数年間、歌人佐藤佐太郎を献身的に支え、その随聞をまとめた『短歌清話』上下二巻は、佐藤佐太郎の純粋短歌の世界を余すところなく伝える好著である。
柳谷 郁子(やなぎたに いくこ、1937年5月2日 - )は… 柳谷 郁子(やなぎたに いくこ、1937年5月2日 - )は、日本の小説家、随筆家。文学同人誌『播火』主宰・編集長。〈播磨の黒田武士顕彰会〉理事。日本ペンクラブ会員。日本文藝家協会会員。 長野県岡谷市生まれ。長野県諏訪二葉高等学校を経て、1961年早稲田大学教育学部英語英文学科を卒業する。1987年、第1回神戸新聞文芸賞小説部門優秀賞を受賞する。1997年、『月柱』で第14回大阪女性文芸賞を、『藤村の海』で第3回小諸・藤村文学賞を受賞する。2009年、黒田官兵衛を主人公にしたNHK大河ドラマの実現を目指す運動の一環で、絵本『官兵衛さんの大きな夢』を執筆する。同作品は、「官兵衛の生き方を通して、子どもたちに夢や希望を抱いてほしい」という思いから、わかりやすい言葉を選んで文章を書いたという。
別役 実(べっちゃく みのる、べつやく みのる 1937年4… 別役 実(べっちゃく みのる、べつやく みのる 1937年4月6日 - )は、劇作家、童話作家、評論家、随筆家である。名の正式な表記は實。サミュエル・ベケットの影響を受け、日本の不条理演劇を確立した第一人者である。日本藝術院会員。
赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい、本名:赤瀬川 克彦(あか… 赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい、本名:赤瀬川 克彦(あかせがわ かつひこ)、1937年3月27日 - 2014年10月26日)は、日本の前衛美術家、随筆家、作家。 純文学作家としては尾辻 克彦(おつじ かつひこ)というペンネームがある。「尾辻」は父方の親戚の苗字に由来する[要ページ番号]。 神奈川県横浜市中区本牧町生まれ。愛知県立旭丘高等学校美術科卒業。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)油絵学科中退。 兄は直木賞作家の赤瀬川隼。姉の赤瀬川晴子は帽子作家。また、外交官の西春彦は父のいとこにあたる。姪(隼の長女)は『人麻呂の暗号』の著者である藤村由加の一人。 2006年4月より、武蔵野美術大学日本画学科の客員教授を務めていた。
竹田津 実(たけたづ みのる、1937年 - )は、日本の随… 竹田津 実(たけたづ みのる、1937年 - )は、日本の随筆家・写真家・獣医師。大分県東国東郡竹田津町出身。大学卒業後、1991年まで獣医師として北海道の家畜診療所に勤務。キタキツネなどの野生動物の観察、撮影、治療、リハビリなどにも取り組む。写真集、随筆、児童書などの多数の著作がある。 幼い頃の夢は動物園の園長になることであった。このことが獣医学を専攻する切っ掛けとなる。大学入学直後に動物園の園長になることが難しいことがわかり、園長になることを諦める。大学時代は、カナダのアルバータ州で獣医をすることを希望していたが断念。大学卒業後は、北海道の知床の野生動物に憧れて、斜里町への就職をもとめたがかなえられず、隣の町である斜里郡小清水町の家畜診療所に獣医師として勤務し、家畜の診療に携わる。
飯塚 恆雄(恒雄、いいづか つねお、1937年 - )は日本… 飯塚 恆雄(恒雄、いいづか つねお、1937年 - )は日本の音楽プロデューサー、音楽評論家、作家、随筆家。日本エッセイスト・クラブ会員。ピースフラッグ代表取締役。 1937年、茨城県結城郡(現常総市)生まれ。 1960年、日本大学芸術学部卒業後、日本コロムビアに入社。音楽ディレクター、音楽プロデューサーとして数々の楽曲・アルバムを制作。 日本コロムビア在籍時、「白い色は恋人の色」「フランシーヌの場合」「白い蝶のサンバ」(デノンレーベル)、角川映画「野性の証明」「復活の日」「戦国自衛隊」主題歌などの楽曲プロデュースを担当した。 ディレクター・プロデューサーとして担当した歌手は伊東ゆかり、財津和夫、町田義人、ピチカート・ファイヴ、LOUDNESS、THE YELLOW MONKEYなど。
種村 直樹(たねむら なおき、1936年3月7日 - 201… 種村 直樹(たねむら なおき、1936年3月7日 - 2014年11月6日)は、日本の作家、随筆家、評論家。滋賀県大津市出身。 もとは毎日新聞社の記者だったが、1973年に鉄道に関連する記事執筆を専業とするフリーのライターとなり、レイルウェイ・ライターと称して鉄道に関するルポルタージュ、時事評論、紀行文、推理小説などを数多く発表した。 滋賀県立大津東高等学校(現在の滋賀県立膳所高等学校)、京都大学法学部卒業。 毎日新聞社の国鉄担当記者であった1972年に、その豊富な鉄道知識と新聞記者としての取材、執筆能力から、当時の『鉄道ジャーナル』編集長の竹島紀元に抜擢され、「列車追跡」など同誌のメインとなる特集記事を執筆するようになったほか、連載コラムも持つようになる。
美尾 浩子(みお ひろこ、1936年 - 1991年11月1… 美尾 浩子(みお ひろこ、1936年 - 1991年11月15日)は、日本の言語学者(言語学・婦人問題)・随筆家。静岡女子短期大学英文科勤務を経て、静岡女子大学文学部教授、静岡県立大学国際関係学部教授、静岡県立大学国際関係学部学部長(第2代)を歴任。 静岡県出身の随筆家であり、言語学などを専攻する言語学者でもある。静岡女子短期大学、静岡女子大学、静岡県立大学、といった教育・研究機関で教鞭を執り、後進の育成に努めた。静岡県立大学では、評議員や国際関係学部の学部長など要職も務めた。自身の体験に基づいた女性の権利や地位に関する評論も展開し、『男無用の子育て』や『マッチャ・ウーマン——ふつうの女で終わりたくないあなたへ』と題した書籍を上梓した。
田原 節子(たはら せつこ、1936年 - 2004年8月1… 田原 節子(たはら せつこ、1936年 - 2004年8月13日)は、日本のアナウンサー、随筆家。旧姓:古賀・村上(むらかみ)。 田原総一朗の2番目の妻。ウーマンリブ運動家でもあった。歌手の古賀さと子は実妹。 東京生まれ。早稲田大学文学部卒業後、日本テレビに入社。アナウンサーとして17年、その後はCMプロデューサーとして10年勤務した。その間、一度目の結婚と出産を経験するが、1976年、「容色が衰えた」としてアナウンス室からの配置転換命令を受ける。しかし、納得できずに提訴。勝訴する。総一朗との共著『私たちの愛』(講談社)によれば、局内ではもともとウーマンリブに関わっていた事が問題となっていたとのこと。
半藤 末利子(はんどう まりこ、1935年6月4日 - )は… 半藤 末利子(はんどう まりこ、1935年6月4日 - )は、日本の随筆家。旧姓は松岡(まつおか)。 東京府生まれ。夏目漱石の長女・筆子と作家松岡譲の間に四女として誕生 第二次世界大戦中は、父の故郷である新潟県長岡市に疎開した。新潟県立長岡高等学校を経て、早稲田大学芸術科と上智大学比較文化科を卒業した。2017年9月24日、夏目漱石生誕150年に新宿区立漱石山房記念館名誉館長に就任した。 著書に『夏目家の糠みそ』『漱石夫人は占い好き』などがある。 夫の半藤一利は作家、随筆家。姉の松岡陽子マックレインは比較文学研究者でオレゴン大学名誉教授。
杉田 博明(すぎた ひろあき、1935年1月9日ー2017年… 杉田 博明(すぎた ひろあき、1935年1月9日ー2017年12月13日)は、日本のジャーナリスト、随筆家。 京都府出身。同志社大学卒。京都新聞社に入り、編集委員を務めた。京都の文学・美術などについての著作がある。
秋庭 道博(あきにわ どうはく、1935年 - )は、日本の… 秋庭 道博(あきにわ どうはく、1935年 - )は、日本の随筆家。 長野県出身。早稲田大学第一文学部卒業。中央公論社勤務の後、独立。文筆、放送、講演活動などに従事。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
上野 修三(うえの しゅうぞう、1935年 - )は、日本の… 上野 修三(うえの しゅうぞう、1935年 - )は、日本の料理人、随筆家。 現在の大阪府河内長野市に生まれる。大阪市の老舗「川喜」で修業の上、料理長を経て独立。料理人としては引退し、食の随筆家、また、なにわの食文化の語り部として、随筆活動を行っている。大阪市民賞、卓越した技能者賞(厚生労働省)、2017年黄綬褒章受章。
藪野 豊(やぶの ゆたか、1934年12月24日 - )は、… 藪野 豊(やぶの ゆたか、1934年12月24日 - )は、日本の教員、随筆家。 名古屋大学教育学部卒業、三重県の(5つの)県立高等学校の教諭を歴任。 退職後、中国(延辺大学農学院)で日本語教師2年、帰国後、短大講師を1年8ヶ月務める。 WSC会員。趣味は器楽、菜園他。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
本間 千枝子(ほんま ちえこ、1933年10月1日 - )は… 本間 千枝子(ほんま ちえこ、1933年10月1日 - )は、日本のノンフィクション作家、随筆家。 東京生まれ。早稲田大学文学部仏文科中退。早稲田大学4年の時にニューヨーク市立大学クイーンズ校に留学し、本間長世と知り合い結婚。その後4回、通算7年間の滞米生活を送る。 1982年、『アメリカの食卓』でサントリー学芸賞受賞。この時の肩書は主婦であった。その後次々と食を中心としたエッセイを書く。 画家・石垣栄太郎の記念美術館を建てる運動にも参加した。 三鷹市教育委員・委員長 (1994年〜2002年) のときに務めた三鷹の森ジブリ美術館理事、日本人のこころを考える会100人委員会委員を歴任。 またNPO法人「海のくに・日本」副理事長として魚食を中心とした食育にかかわり、日本酒と日本文化の普及や発展に尽くしたとして名誉唎酒師酒匠に任命された (第7回平成18・2006年)。
服部 公一(はっとり こういち、1933年4月24日 - )… 服部 公一(はっとり こういち、1933年4月24日 - )は日本の作曲家、随筆家、音楽評論家。神奈川県鎌倉市在住。 昭和8年(1933年)、山形県山形市生まれ。音楽教師であった祖母の指導で幼少時よりピアノを始める。 山形県立山形東高等学校卒業後、学習院大学文学部哲学科に入学し、久野収ゼミに所属。大学では皇太子・明仁親王と同学年。学部が違ったためいわゆる「ご学友」ではなかったが、「美術史」など一般教養科目をともに履修し、親しく言葉を交わすこともあったという。現在も宮中の茶会などに招かれる間柄である。学生時代からアマチュアの音楽家として活動し、中田喜直・山田耕筰・團伊玖磨らの知遇を得る。同大学4年の時NHKのオーディションに合格。
ミッキー安川(ミッキーやすかわ、1933年〈昭和8年〉2月1… ミッキー安川(ミッキーやすかわ、1933年〈昭和8年〉2月10日 - 2010年〈平成22年〉1月18日)は、日本のタレント・ラジオパーソナリティ・随筆家・実業家。本名:安川 実(やすかわ みのる)。 神奈川県横浜市中区本牧出身。父親は横浜市の富岡海岸で漁業権を管理していた網元であり、漁業以外にも多くの副業を営む事業家であった。また、遡ると房総半島の片貝海岸辺りで代々漁師を営んでいた家でもあったという。第二次世界大戦中は素行の悪さから学童疎開を拒否され、当時敵国籍の子弟を預かっていた中区山手にあるセント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジへ一緒に入れられた。 横浜高等学校を経て、1952年6月に単身渡米。
木村 治美(きむら はるみ、1932年11月1日 - )は、… 木村 治美(きむら はるみ、1932年11月1日 - )は、日本の英文学者、随筆家。保守派の論客。共立女子大学名誉教授。旧姓・田口。夫は心理学者で群馬大学名誉教授の木村駿。 東京生まれ。東京都立第十女子高等学校(現・東京都立豊島高等学校)を経て、1955年東京教育大学英文科卒業、1960年、同大学院博士課程満期退学。1964年、千葉工業大学専任講師、助教授を経て1979年から教授[要出典]。1986年退職。1988年、共立女子大学教授、2003年、同名誉教授。日本漢字能力検定協会の評議員を務める[要出典]。日本会議の関連団体である美しい日本の憲法をつくる国民の会代表発起人を務める。
五木 寛之(いつき ひろゆき、1932年〈昭和7年〉9月30… 五木 寛之(いつき ひろゆき、1932年〈昭和7年〉9月30日 - )は、日本の小説家・随筆家。福岡県出身。旧姓は松延(まつのぶ)。日本芸術院会員。 第二次世界大戦での日本の敗戦に伴い少年期に朝鮮半島から引揚げ、早稲田大学露文科中退。作詞家を経て『さらばモスクワ愚連隊』でデビューした。『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞受賞。反体制的な主人公の放浪的な生き方(デラシネ)や現代に生きる青年のニヒリズムを描いて、若者を中心に幅広い層にブームを巻き起こした。その後も『青春の門』をはじめベストセラーを多数発表。1990年代以降は『大河の一滴』など仏教、特に浄土思想に関心を寄せた著作も多い。 1932年、教員の松延信蔵とカシエの長男として福岡県八女郡上妻村に生まれる。
高田 宏(たかだ ひろし、1932年8月24日 - 2015… 高田 宏(たかだ ひろし、1932年8月24日 - 2015年11月24日)は、日本の編集者・作家・随筆家。多くの著書がある。 京都市出身で石川県加賀市育ち。石川県立大聖寺高等学校、京都大学文学部仏文学科卒業。 1955年に光文社に入社し雑誌『少女』の編集者となる。のち雑誌『マイホーム』の創刊に関わる。1962年にアジア経済研究所入社して雑誌『アジア経済』の編集長となる。 1963年エッソ・スタンダード石油(現・ENEOS)PR課に入社。 1964年からPR誌『エナジー』を編集者として創刊して、11年間、編集者をつとめる。大学時代の友人の小松左京や、梅棹忠夫などの京大人文研のメンバーに多く執筆を依頼し、PR誌を越えた雑誌として評価された。
秦 早穂子(はた さほこ、1931年7月31日 - )は、日… 秦 早穂子(はた さほこ、1931年7月31日 - )は、日本の映画評論家、随筆家。 東京府豊多摩郡渋谷町(現・東京都渋谷区)生まれ。祖父はシンガーミシン極東支配人を務めた秦敏之。秦敏之は日本初の本格的な洋裁学校であるシンガーミシン裁縫女学院を設立し、妻の秦利舞子が初代院長を務めた。ファッションデザイナーの秦万紀子は早穂子の叔母に当たる。 女子学院高等学校卒業。1957年、雑誌社の特派員という名目でフランスに渡る。帰国後、映画輸入業の新外映に入社。1958年、新外映の買い付け担当としてフランスへ渡る。 1959年半ばに帰国。同年5月、フランソワ・トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』がカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞し、7月にはクロード・シャブロル監督の『いとこ同志』がベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した。
松本 章男(まつもと あきお、1931年7月16日 - )は… 松本 章男(まつもと あきお、1931年7月16日 - )は、日本の作家、随筆家。 京都市生まれ。京都大学文学部仏文科卒業。元人文書院取締役編集長。京都の地誌、古典などに関する随筆、小説を執筆する。 2008年、『西行 その歌 その生涯』で第17回やまなし文学賞受賞。
井上雪(いのうえ ゆき、1931年2月9日-1999年4月2… 井上雪(いのうえ ゆき、1931年2月9日-1999年4月20日)は、日本の作家、随筆家、俳人。 石川県金沢市出身。本名・幸子。金沢女子専門学校文科(現・金沢学院大学)卒。金沢市の浄土真宗本願寺派の光徳寺の住職の妻(堂守)。1981年「廓のおんな」で大宅壮一ノンフィクション賞佳作となり、その他多くの著作をなした。俳人としては俳誌『雪垣』に拠った。
林 京子(はやし きょうこ、1930年8月28日 - 201… 林 京子(はやし きょうこ、1930年8月28日 - 2017年2月19日)は、日本の小説家、随筆家。長崎県生まれ。本姓宮崎。高女3年の時に爆心地近くの三菱兵器大橋工場で学徒動員中に被爆するも奇跡的に生還。結婚・出産を経て「文藝首都」の同人となり小説を書き始め、1975年「祭りの場」で群像新人文学賞・芥川賞受賞。以後、原爆症の不安を抱えながら死を意識し、生を見つめた作品を発表した。 1930年8月28日、長崎県長崎市出身。誕生の翌年、父(三井物産社員)の勤務地・上海に移住。1945年に帰国し、長崎県立長崎高等女学校(現長崎県立長崎東中学校・高等学校、長崎県立長崎西高等学校)3年に編入学。同年8月9日、市内大橋にある三菱兵器工場に学徒動員中、被爆した。
多田 智満子(ただ ちまこ、1930年4月1日 - 2003… 多田 智満子(ただ ちまこ、1930年4月1日 - 2003年1月23日)は、日本の詩人・随筆家・翻訳家・フランス文学者。福岡県福岡市の博多(現・博多区)出身。本名、加藤智満子。 銀行員だった父の転勤に伴い、幼少期を京都、東京などで過ごす。小学校5、6年で『プルタルコス英雄伝』や『平家物語』を愛読し、15歳で滋賀県愛知川沿いに戦争疎開した際にプラトン、エピクテトス、セネカなどを携えるなど、少女時代から異才を放っていた。また、謡曲や歌舞伎にも親しんだ。桜蔭高等女学校を卒業後、東京女子大学外国語科で学び、矢川澄子と親交を結ぶ。卒業後に慶應義塾大学文学部英文科に編入学するも、結核に罹り半年間休学。病床での思索が自らの文学的出発点となった。
青木 玉(あおき たま、1929年11月30日 - )は、日… 青木 玉(あおき たま、1929年11月30日 - )は、日本の随筆家である。幸田露伴の孫、幸田文の一人娘。 東京出身。東京女子大学国語科卒業。1994年「小石川の家」で芸術選奨文部大臣賞受賞。 娘の青木奈緒もエッセイスト。 1929年11月30日、父三橋幾之助、母幸田文の一人娘として、東京市芝区伊皿子(現東京都港区)に生まれる。生後八ヶ月で腸重積で手術を受けるなど、幼少の頃は病気がちであった。 1936年、永田町小学校(現麹町小学校)入学。この年、築地で会員制小売り酒屋を開店。三橋本店が倒産。 1937年、京橋に引っ越して小売り酒屋を開く。このとき既に幾之助は結核にかかっており、実際には文が店を切り回していた。
加藤 日出男(かとう ひでお、1929年8月31日 - 20… 加藤 日出男(かとう ひでお、1929年8月31日 - 2019年12月22日)は、日本の社会運動家、随筆家。 日本の高度経済成長期、地方から集団就職した勤労青年たちの交流サークル「若い根っこの会」を創設し、亡くなるまで会長を務めた。 秋田県秋田市出身。秋田県立秋田中学校(現・秋田県立秋田高等学校)を経て、1946年に秋田鉱山専門学校(現・秋田大学)に入学するが翌年中退、しばらく住み込みで農業に従事。1953年、東京農業大学農学部農業経済学科卒業。在学中、青山ほとりに合わせ大根を持って応援を行う「大根踊り」を考案したという説がある(異説あり。詳細は青山ほとり#大根踊りを参照)。 1952年から1958年にかけ、東農大在学生のサークル「あすなろ会」、および若者の交流サークル「経堂青年会」「雑草の会」「東京青年の会」を立ち上げる。
小山内 富子(おさない とみこ、1929年8月5日 - 20… 小山内 富子(おさない とみこ、1929年8月5日 - 2019年3月24日)は、日本の随筆家、児童文学作家。別筆名に小山内 繭。日本文藝家協会会員。 佐賀県生まれ。実践女子専門学校に進学、国文科を卒業。東京大学総合図書館の司書となり、小山内薫の次男・小山内宏と結婚。 1977年の夫の死後、随筆や児童文学を書く。代表作『ちょっとコーヒーのみにきて』は日本図書館協会の選定図書となった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
時実 新子(ときざね しんこ、本名:大野 恵美子(おおの え… 時実 新子(ときざね しんこ、本名:大野 恵美子(おおの えみこ)、1929年1月23日 - 2007年3月10日)は、日本の川柳作家、随筆家。現代川柳の一時代を築いた人物として知られる。岡山県上道郡九蟠村(現・岡山市東区西大寺)出身。 1941年、岡山県立岡山西大寺高等女学校(現・岡山県立西大寺高等学校)入学。学徒動員や空襲を経て、1946年兵庫県姫路市の文具商と結婚。傷痍軍人であった夫の暴力に苦しむ中で、新聞の投稿欄で川柳に出会う。もともとは学生時代から短歌を詠んでいたが[要出典]、1954年神戸新聞の川柳壇に初めて投句して入選する。1956年「ふあうすと」に参加するも、翌年同会を退会して『川柳研究』幹事となる。
須賀 敦子(すが あつこ、1929年1月19日(戸籍上は2月… 須賀 敦子(すが あつこ、1929年1月19日(戸籍上は2月1日) - 1998年3月20日)は、日本の随筆家・イタリア文学者・翻訳家。 20代後半から30代が終わるまでイタリアで過ごした。日本に帰国し40代はいわゆる専業非常勤講師として過ごす。50代以降、イタリア文学の翻訳者として注目され、50代後半からは随筆家としても脚光を浴びた。代表的な著作に『ミラノ霧の風景』(1990年)、『コルシア書店の仲間たち』(1992年)など。 死去後の2014年に、イタリア語から日本語への優れた翻訳を表彰する須賀敦子翻訳賞が創設されている。 大手の空調・衛生設備業者、須賀工業(旧須賀商会)経営者の家に生まれる。
神吉 拓郎(かんき たくろう、1928年(昭和3年)9月11… 神吉 拓郎(かんき たくろう、1928年(昭和3年)9月11日 - 1994年(平成6年)6月28日)は、日本の小説家、俳人、随筆家。