田村 秢(たむら みのる、1894年〈明治27年〉10月3日… 田村 秢(たむら みのる、1894年〈明治27年〉10月3日 - 1991年〈平成3年〉11月19日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(当選1回)。ZTV代表取締役社長田村憲司、衆議院議長田村元の父。自由民主党衆議院議員田村憲久の祖父。TBSテレビアナウンサーの田村真子は曽孫にあたる。 三重県宇治山田市岩淵町(現・伊勢市)出身。 宇治山田中学(旧三重県立第四中学校)を1912年に卒業し、金沢の第四高等学校を経て、1917年、東京帝国大学に入学。1921年、東京帝国大学法学部独法科を卒業。 松阪市で弁護士を開業した。後に三重県弁護士会会長を3期務め、日本弁護士会連合会理事を務めた。 三重県会議員、同議長を経て、1942年の第21回衆議院議員総選挙で三重2区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する(いわゆる「翼賛候補」)。
徳田 球一(とくだ きゅういち、1894年〈明治27年〉9月… 徳田 球一(とくだ きゅういち、1894年〈明治27年〉9月12日 - 1953年〈昭和28年〉10月14日)は、日本の政治運動家、共産主義者、革命家、弁護士、政治家。衆議院議員(3期)、戦前の非合法政党時代から戦後初期に至るまでの日本共産党の代表的活動家で、戦後初代の書記長を務めた。徳球の愛称で知られる。 沖縄県国頭方名護間切(現:沖縄県名護市)で、鹿児島の豪商の庶子であった父とウチナーンチュの母の間に生まれる。家は沖縄の中にあっては裕福で、「球一」の名は「琉球一の人物」になることを願って付けられた。母方の祖母は高利貸しと泥藍売りを営み、徳田もこの稼業を手伝っていたが、強欲な祖母に反発して「お金を借りてはだめだ」と借りに来た者に対して注意するなど、正義感が強い子供であった。
木崎 為之(爲之、きざき ためゆき、1894年(明治27年)… 木崎 為之(爲之、きざき ためゆき、1894年(明治27年)9月1月 - 1980年(昭和55年)10月15日)は、日本の弁護士、政治家、右翼活動家。衆議院議員。旧姓・伊賀。 兵庫県菟原郡本山村(武庫郡本山村を経て現神戸市東灘区本山)で、伊賀平内左衛門の二男として生まれ木崎新逸の養子となる。1920年(大正9年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。 1921年(大正10年)から1923年(大正12年)女子学習院(現学習院女子大学)教授を務めた。1924年(大正13年)大阪市で弁護士を開業。 1940年(昭和15年)10月、大日本翼賛壮年団総務に就任。則天塾から1942年(昭和17年)4月、第21回衆議院議員総選挙に兵庫県第5区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬して当選し翼賛政治会に参加し、その後、無所属倶楽部に所属して衆議院議員を1期務めた。
上田 保(うえだ たもつ、1894年(明治27年)8月25日… 上田 保(うえだ たもつ、1894年(明治27年)8月25日 - 1980年(昭和55年)6月6日)は、日本の弁護士、政治家で、初代~第4代大分市長(在任:1947年(昭和22年)4月7日 - 1963年(昭和38年)3月9日)。大分市名誉市民でもある。 1894年(明治27年)8月25日、上田庫蔵・カネ夫妻の三男として大分県大分郡豊府村(現大分市畑中)に生まれる。上京し、和仏法律学校(現・法政大学)法律科で学び、27歳の時に弁護士試験に合格する。その8年後の1929年(昭和4年)に法律案内書「趣味の法律」を出版しベストセラーとなる。 戦時中に大分に引き揚げ、1947年(昭和22年)に初代の公選大分市長に当選し、連続4期務めた。
藤岡 長敏(ふじおか ながとし、1894年(明治27年)8月… 藤岡 長敏(ふじおか ながとし、1894年(明治27年)8月19日 - 1965年(昭和40年)2月21日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選県知事。 奈良県宇智郡北宇智村近内(現在の五條市)出身。北宇智村長・藤岡長二郎の三男として生まれる。奈良県立五條中学校(現奈良県立五條高等学校)を経て、第三高等学校を卒業。 1920年、京都帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し京都府属となる。同年10月、高等試験行政科試験に合格。 以後、警視庁警視、広島県書記官・学務部長、鹿児島県書記官・警察部長、静岡県書記官・警察部長、北海道庁部長・警察部長、東京府総務部長、警視庁警務部長などを歴任。 1938年2月、香川県知事に就任。
長井 源(ながい げん、1894年(明治27年)8月13日 … 長井 源(ながい げん、1894年(明治27年)8月13日 - 1966年(昭和41年)9月19日)は、日本の政治家、弁護士。三重県飯南郡粥見町(現松阪市)出身。戦前の大日本帝国の帝国議会の民政党衆議院議員。戦後の日本進歩党・改進党・日本民主党・自由民主党の衆議院議員。 三重師範学校(現在の三重大学)を卒業した。三重県内の尋常小学校の教員を経て、法律を学ぶため1923年(大正12年)明治大学法学部法律学科を卒業した。高等文官試験をパス(合格)した。衆議院議員に初当選する前のキャリアとして、弁護士、松阪市会議員、三重県会議員、第33代三重県会副議長(昭和8年11月~昭和10年10月在任)を務めた。
雑賀 愛造(さいが よしぞう、明治27年(1894年)8月 … 雑賀 愛造(さいが よしぞう、明治27年(1894年)8月 - 昭和55年(1980年)5月)は日本の弁護士、公証人。旧姓稲田。 洋食のレストラン“十字屋”を経営し、市会議員をつとめた野坂康久(旧姓稲田)の実弟。日本商工会議所会頭、王子製紙社長などを歴任した足立正の足立家と雑賀家は姻戚関係にある。次女春子は元・丸神海産取締役社長石指集三の妻。 鳥取県米子市出身。酒造業稲田家に生まれ、雑賀家の婿養子になる。義父雑賀啓次郎は弁護士で県議をつとめた。 米子中学(現米子東高校)、岡山の第六高等学校を経て大正9年(1920年)東京帝国大学法科卒業、王子製紙に入社する。当時の社長は藤原銀次郎、工場長は足立正で、足立家と雑賀家は姻戚関係にあり義父のすすめによったものという。
田岡 嘉寿彦(たおか かずひこ、1894年7月27日 - 1… 田岡 嘉寿彦(たおか かずひこ、1894年7月27日 - 1985年7月21日)は、日本の弁護士・法学者。専門は私法学。大阪経済大学元理事長、同名誉教授。 1894年(明治27年)香川県三野郡上高瀬村(現 三豊市高瀬町)に生まれる。旧制香川県立三豊中学校、旧制第三高等学校を経て、1915年(大正4年)京都帝国大学法律科入学、1918年(大正7年)に卒業し司法官試補となる。1920年(大正9年)大阪地方裁判所判事に任官。1922年(大正11年)学界に転じ大分高等商業学校教授に就任、法律学を担当。翌1923年(大正12年)よりイギリス・ドイツに留学する。1929年(昭和4年)彦根高等商業学校に転任し民法、商法などを講じた。
猪俣 浩三(いのまた こうぞう、1894年7月20日 - 1… 猪俣 浩三(いのまた こうぞう、1894年7月20日 - 1993年8月21日)は、日本の弁護士、政治家。アムネスティ・インターナショナル日本支部初代支部長。 新潟県出身。日本大学法学部卒。1927年弁護士を開業。戦後、日本社会党の結成に参加。1947年に第23回衆議院議員総選挙に新潟4区から出馬して初当選、その後は連続7回当選。1963年の第30回衆議院議員総選挙で落選したが、1967年の第31回衆議院議員総選挙にて返り咲きを果たして1期を務めた。通算当選8回。 日本社会党の衆議院議員として人権侵害、汚職問題で政府を追及した。鈴木茂三郎(左派日本社会党委員長)が起こした警察予備隊違憲訴訟では原告代理人を務めている。
森部 隆(もりべ たかし、1894年(明治27年)5月27日… 森部 隆(もりべ たかし、1894年(明治27年)5月27日 - 1965年(昭和40年)4月10日)は、日本の内務・台湾総督府官僚、弁護士。官選島根県知事。 福岡県出身。森部隆三の四男として生まれる。第五高等学校を卒業。1919年10月、高等試験行政科試験に合格。1920年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。東洋拓殖株式会社を経て、内務省に入省し社会局に配属された。 以後、岩手県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、社会局書記官・労働部労政課長、ジュネーヴ国際労働会議政府代表顧問(1936年出張)、愛知県総務部長などを歴任。 1939年4月、島根県知事に就任。山林造林計画の策定、干ばつへの対策などに尽力。
竹田 儀一(たけだ ぎいち、1894年3月24日 - 197… 竹田 儀一(たけだ ぎいち、1894年3月24日 - 1973年4月30日)は、日本の弁護士、実業家、政治家。位階は従三位。 大阪市会議員、衆議院議員(4期)、地方財政委員会委員長(初代)、厚生大臣(第16代)、神鋼商事株式会社社長などを歴任した。 石川県出身。1918年、京都帝国大学法科大学法律科を卒機後、鈴木商店に入社し、支配人金子直吉の秘書を務めた。その後弁護士となり、さらに大阪市会議員となる。また樺太ツンドラ工業、大聖寺商業等各社の社長を歴任する。 1930年の第17回衆議院議員総選挙に旧大阪府第2区から立憲民政党公認で立候補し当選。以後、18、22、23回総選挙に当選。戦前は、同郷である拓務大臣の永井柳太郎の下で大臣秘書官などを務めた。
安倍 源基(あべ げんき、1894年〈明治27年〉2月14日… 安倍 源基(あべ げんき、1894年〈明治27年〉2月14日 - 1989年〈平成元年〉10月6日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。警視庁特別高等警察部長、警視総監、内務大臣を歴任した。山口県出身。 1894年(明治27年)、山口県熊毛郡曾根村(現平生町)に生まれた。山口県士族安倍半次郎の長男。 山口県立山口中学校、山口県立徳山中学校、第六高等学校を経て、東京帝国大学法学部入学。 1920年、東京帝国大学法学部法律学科卒業、内務省入省(警保局配属)。 1932年、警視庁において初代特別高等警察部長となり、赤色ギャング事件や日本共産党スパイ査問事件を通じて「赤狩り安倍」の名 が付いた。安倍が特高部長であった1933年には、19人が特高警察の過酷な取調べで死亡しており(19人は戦前で最多)、その中にはプロレタリア文学作家の小林多喜二も含まれている。
田村 虎一(たむら とらいち、1894年(明治27年)2月1… 田村 虎一(たむら とらいち、1894年(明治27年)2月1日 – 1983年(昭和58年)7月11日)は、大正から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員、山口県玖珂郡川下村長。 山口県で田村與兵衛の三男として生まれる。1918年(大正7年)中央大学専門部法律科を卒業。 卒業後、農商務省、東京鉄道局などで勤務。1922年(大正11年)弁護士試験に合格し、のちの岩国市で開業した。1938年(昭和13年)川下村長に就任。その他、川下村会議員、岩国町会議員、山口県会議員、同副議長、岩国市会議員、同市助役、山口県監査委員、岩国弁護士会長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙に山口県第2区から日本自由党公認で出馬して当選し、その後、民主自由党に所属して衆議院議員に1期在任した。
江原 三郎(えはら さぶろう、1894年(明治27年)1月3… 江原 三郎(えはら さぶろう、1894年(明治27年)1月30日 - 1965年(昭和40年)3月4日)は、日本の政治家、弁護士。栃木県宇都宮市長、衆議院議員などを歴任。 栃木県下都賀郡絹村(桑絹村、桑絹町を経て現小山市)に塚原金吾の三男として生まれ、衆議院議員江原節の養子となった。東京帝国大学独法科を卒業し弁護士となる。宇都宮市会議員を経て、1935年(昭和10年)9月から1937年(昭和12年)5月まで宇都宮市選出の栃木県会議員を務める。1937年から栃木1区選出の立憲政友会の衆議院議員を1期務めた。 1944年(昭和19年)12月31日、宇都宮市長に就任。1945年(昭和20年)7月、宇都宮大空襲により同市は甚大な被害を受け市役所も焼失した。
鈴木 義男(すずき よしお、1894年1月17日 - 196… 鈴木 義男(すずき よしお、1894年1月17日 - 1963年8月25日)は、日本の政治家、法学者、弁護士。位階は正三位、勲等は勲一等。 衆議院議員(7期)、司法大臣・法務総裁を歴任。日本国憲法における生存権の制定・平和主義の誕生に寄与した。 1894年(明治27年)1月17日に福島県西白河郡白河町で生まれる。その後、東北学院普通科に進学し、同学校の第2代院長のD.B.シュネーダーら宣教師たちからキリスト教に基づく教育を受けた。同校卒業後は、仙台の第二高等学校(旧制二高)に進学した。そして1915年に東京帝国大学法科大学法律学科に進学し、美濃部達吉・吉野作造・牧野英一らのもとで学んだ。卒業後は同大の助手を務め、任期満了後の1921年(大正10)年から2年8ヶ月にわたり、欧米留学に向かった。
松村 光磨(まつむら みつま、1894年(明治27年)1月8… 松村 光磨(まつむら みつま、1894年(明治27年)1月8日 - 1970年(昭和45年)4月10日)は、戦災復興院次長などを務めた内務官僚で弁護士。名前は、光麿とも表記される。義父は明治・大正・昭和の外交官の本多熊太郎。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
金原 舜二(きんばら しゅんじ、1894年 <明治27年> … 金原 舜二(きんばら しゅんじ、1894年 <明治27年> 1月1日 - 1974年 <昭和49年> 3月20日)は、日本の弁護士・政治家。衆議院議員(1期)。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 静岡県出身。1920年京都帝国大学法律科卒。裁判官となり、弁護士となる。 1946年の第22回衆議院議員総選挙で静岡県から日本自由党公認で立候補するが落選。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙において静岡3区から立候補して落選。1949年の第24回衆議院議員総選挙では民主自由党公認で立候補して当選した。この間裁判官訴追委員会代理委員長を務めた。1952年の第25回衆議院議員総選挙では自由党公認で立候補して落選。
吉田 正一(よしだ しょういち、1894年 - 1971年)… 吉田 正一(よしだ しょういち、1894年 - 1971年)は、日本の弁護士、日本心霊科学協会初代理事長。浅野和三郎の理念を受け継ぎ、第二次世界大戦終戦後、日本心霊科学協会を創立した。弁護士として財団法人認可の手続きを行った。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
水野 東太郎(みずの とうたろう、1894年 - 1980年… 水野 東太郎(みずの とうたろう、1894年 - 1980年)は、日本の弁護士。第8代日本弁護士連合会会長。 1894年、愛知県出身。 明治大学卒業後、弁護士となり、東京弁護士連合会会長、日本弁護士連合会会長などを歴任した。 また、明大法学部では、身分法を講じ、理事長にも就任した他、国際親善病院理事長なども務めた。 1980年、死去。勲二等。
岩松 三郎(いわまつ さぶろう、1893年〈明治26年〉12… 岩松 三郎(いわまつ さぶろう、1893年〈明治26年〉12月31日 - 1978年〈昭和53年〉12月1日)は、日本の最高裁判所判事、弁護士。東京府出身。検事総長の佐藤藤佐は義弟。 任官当初は検事であったが、前科19犯のスリを取り調べたときに机上に置いた懐中時計を盗まれた事件がきっかけで、上席検事に検事不適格とされ、裁判官に転身。 1947年に最高裁判事となり、1956年に定年を待たずに依願退官。民事訴訟法の権威であり、論文集である『民事裁判の研究』は今なお多くの学術論文に引用される。1957年に、同じく民事訴訟法の権威であり、定年前に退官した兼子一と共に兼子・岩松法律事務所を設立。
犀川 長作(さいかわ ちょうさく、1893年11月5日 - … 犀川 長作(さいかわ ちょうさく、1893年11月5日 - 1931年9月3日)は、大正から昭和期の日本の弁護士、法学者、教育者、立教大学教授。 富山県東礪波郡出身。早稲田大学卒業。大正から昭和にかけて弁護士を務めた。 1925年(大正14年)には衆議院議員選挙法(普通選挙法)改正によって男子普通選挙が実現されたが、この際、犀川は同改正法のほか、改正貴族院令及び同時に制定された治安維持法の解説書を出版するなど、法律学に関する執筆活動も行った。 大正期には立教大学経済学部教授を兼務し、細野三千雄とともに民法と刑法を講じた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
沖 蔵(藏、おき おさむ、1893年(明治26年)11月2日… 沖 蔵(藏、おき おさむ、1893年(明治26年)11月2日 - 1978年(昭和53年)10月29日)は、大正末から昭和期の弁護士・農民運動家・政治家。衆議院議員。 福岡県山門郡水上村大字小田(東山村、瀬高町を経て現みやま市瀬高町小田)で、沖健雄の二男として生まれる。福岡県立中学伝習館(現福岡県立伝習館高等学校)を経て、1918年(大正7年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、さらに1922年(大正11年)同大法学部法律学科(独法)を卒業した。 弁護士を開業し、法政大学教授、上智大学講師も務めた。1923年(大正12年)から2年間、自費でドイツを中心としたヨーロッパ各国の政治経済の状況を視察して帰国し、郷里に戻った。
伊礼 肇(伊禮 肇、いれい / いれ はじめ、1893年(明… 伊礼 肇(伊禮 肇、いれい / いれ はじめ、1893年(明治26年)10月15日 - 1976年(昭和51年)6月7日)は、沖縄県出身の日本の弁護士、政治家。衆議院議員。 沖縄県中頭郡北谷村(現北谷町)字北谷で、農家・伊礼昆正の三男として生まれる。沖縄県立第一中学校から第七高等学校造士館に進学し、1916年に同校理科を卒業。京都帝国大学法学部法律学科(独法)に進学し、1919年7月に卒業した。 同年に帰郷して沖縄県属となり地方課に配属。要請を受け1920年8月に北谷村長に就任。村政改革を進めたが保守勢力との対立を引き起こした。1923年11月に村長を辞して那覇に法律事務所を開設。1924年5月の第15回衆議院議員総選挙に憲政会の公認を受けて沖縄県から出馬したが落選。
大室 亮一(おおむろ りょういち、1893年〈明治26年〉1… 大室 亮一(おおむろ りょういち、1893年〈明治26年〉10月6日 - 1987年〈昭和62年〉10月16日)は日本の弁護士。第二東京弁護士会会長、A級戦犯松井石根の補佐弁護人。第二次世界大戦後に法務庁(現:法務省)の初代人権擁護局局長を務めた。日弁連副会長、国際法曹協会会長などを歴任。岡山県笠岡市出身。 1893年(明治26年)岡山県浅口郡大島村(現:笠岡市)に生まれる。1907年、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)に入学した。同期には、京大医学部名誉教授となる井上硬や、キリスト教伝導師の松田壽比古がいた。同校を卒業し、1912年(大正元年)第六高等学校文科甲類に進学、その後、1914年(大正3年)に同校卒業、同年に東京帝国大学法科大学へ進学した。
三野 昌治(みの しょうじ、1893年9月25日 - 197… 三野 昌治(みの しょうじ、1893年9月25日 - 1978年7月20日)は、日本の法学者、弁護士、裁判官、教育者。 1893年(明治26年)、香川県に生まれる。1919年京都帝国大学法学部卒業。東京地方裁判所、東京控訴院の判事や秋田地方裁判所所長などを務めた後、1948年より弁護士として活動。東洋大学で博士号を取得後、同大学で教授となる。1967年に東洋大学学長に就任。学生運動の最中ということもあり、学生の強い反発を受ける中で教養課程の川越キャンパスへの移転、図書館、学生会館建設の問題収拾にあたった。1969年に学長を辞任した。 1978年7月20日、老衰のため東京都大田区の自宅にて死去。84歳。
山本 粂吉(やまもと くめきち、1893年(明治26年)7月… 山本 粂吉(やまもと くめきち、1893年(明治26年)7月25日 - 1974年(昭和49年)2月17日)は、日本の政治家、弁護士。旧姓は瀬尾。 茨城県新治郡小幡村(現石岡市)に茨城県士族瀬尾由三郎の息子として生まれた。絶家となっていた山本家の家督を継ぎ、台湾公学校教諭を務めた後に明治大学法科専門部を卒業。弁護士となって東京弁護士会副会長や司法省委員を歴任する傍ら、台湾の板橋林家の法律顧問にもなっている。 1936年の第19回衆議院議員総選挙に旧茨城3区から立憲民政党公認で立候補し当選。政党解消後の翼賛選挙では翼賛政治体制協議会の推薦候補として当選。翼賛議会においては戦時刑事特別法改正法律案委員会の理事を務めた。
河村 大助(かわむら だいすけ、1893年〈明治26年〉6月… 河村 大助(かわむら だいすけ、1893年〈明治26年〉6月2日 - 1985年〈昭和60年〉1月12日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。東京都出身。 東京府西多摩郡小河内村(現東京都西多摩郡奥多摩町)で生まれた。1919年(大正8年)に日本大学法学部を卒業。1922年(大正11年)に弁護士になった。司法省の弁護士考試委員、司法研修所教官、司法修習生考査試験委員会臨時委員などを務めたが、殆ど在野法曹であった。 民事が専門で、三越、日本電気の顧問もして、保全経済会事件の和議申立人などもした。 1956年(昭和31年)11月22日に最高裁判所判事となる。最高裁判事就任の抱負について「判決を書いたことはない。
及川 規(おいかわ ただし、1893年(明治26年)5月26… 及川 規(おいかわ ただし、1893年(明治26年)5月26日 - 1981年(昭和56年)11月26日)は、大正から昭和期の教育者、弁護士、政治家。衆議院議員。 岩手県江刺郡岩谷堂町(江刺町、江刺市を経て現奥州市)で生まれる。岩手師範学校を経て、1917年(大正6年)東京高等師範学校(のち東京教育大学)を卒業。 岩手県師範学校教諭、島根県立杵築中学校(現島根県立大社高等学校)教諭を歴任。1920年(大正9年)高等試験行政科試験に合格。神奈川県視学官に就任。その後、横浜市で弁護士を開業し、横浜弁護士会副会長も務めた。その他、私立本牧中学校(のち現在の横浜中学校・高等学校に合併)校長兼理事長となった。
薬師寺 尊正(やくしじ たかまさ、1893年(明治26年)5… 薬師寺 尊正(やくしじ たかまさ、1893年(明治26年)5月17日 - 1985年(昭和60年)12月8日)は、日本の弁護士。日本にバスケットボールやバレーボールが紹介された最初期に両競技の選手として活動。大日本体育協会主事を務め、バスケットボールとバレーボールの普及に努めた。第二次世界大戦後に東京都目黒区で人権擁護委員などの役職を務め、区政に貢献したことから、名誉区民として顕彰されている。 熊本県出身。旧制玉名中学校(現在の熊本県立玉名高等学校・附属中学校)、旧制第五高等学校を経て、東京帝国大学に進学。1917年(大正6年)、東京帝国大学法学部政治科を卒業。弁護士となり、岸清一法律事務所で勤務した。
三上 英雄(みかみ ひでお、1893年(明治26年)3月29… 三上 英雄(みかみ ひでお、1893年(明治26年)3月29日 - 1983年(昭和58年)8月17日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員。 広島県恵蘇郡口北村字宮内(現庄原市)で、三上瀧蔵、シカ夫妻の長男として生まれたが、母は産後に死去した。口北尋常小学校、口北高等小学校を経て、1906年、格致学院に入学。1909年、親類を頼って大阪市に移り関西商工学校に入学し、風呂屋を経営して学費を稼ごうとするも失敗。1910年に上京して日本大学に入学し、1913年、同大法律科を卒業。1914年11月、会計検査院嘱官となる。 1917年、弁護士試験に合格。1918年1月、弁護士登録を行い東京弁護士会に加入。
李家 弘(りのいえ ひろし、1893年(明治26年)3月23… 李家 弘(りのいえ ひろし、1893年(明治26年)3月23日 - 没年不明)は、日本の弁護士。大阪特殊製鋼取締役。 李家隆介の長男として生まれ、後に家督を相続する。1917年(大正6年)、東京帝国大学獨法科を卒業後、三井銀行に入行する。入行後は、本店本部外国課に勤務する。その後上海支店を経て、1924年(大正13年)大連主席出張員となり、1930年(昭和5年)3月外国営業部輸出係長に転じ、1932年(昭和7年)計算係長に就任した。 退行後は、大阪特殊製鋼取締役、日華製紙監査役を務めた。 趣味はゴルフ。宗教は真宗。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小畑 忠良(おばた ただよし、1893年(明治26年)3月1… 小畑 忠良(おばた ただよし、1893年(明治26年)3月16日 - 1977年(昭和52年)10月11日)は、日本の実業家、企画院・内務官僚、弁護士。企画院次長、大日本産業報国会理事長、大政翼賛会事務総長、官選愛知県知事、東海北陸地方総監。 漢学者、小畑万治郎の六男として大阪府で生まれる。茨木中学校、第一高等学校を経て、1917年(大正6年)3月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を優等で卒業し、銀時計を授与された。住友合資会社に入り総本店経理部に配属された。1923年(大正12年)2月から1925年(大正14年)3月まで欧米に商工業研究のため留学した。 1925年(大正14年)10月、住友総本店経理部第三課長となる。
松沢 竜雄(まつざわ たつお、1893年(明治26年)3月9… 松沢 竜雄(まつざわ たつお、1893年(明治26年)3月9日 - 1970年(昭和45年)1月25日)は、日本の内務官僚、朝鮮総督府官僚、弁護士。 山形県飽海郡北平田村(現在の酒田市)出身。第四高等学校を経て、1919年(大正8年)に東京帝国大学法学部独法科を卒業した。三井物産に入社するが、1923年(大正12年)に高等試験行政科に合格し、内務属となる。島根県美濃郡長、同八束郡長、島根県事務官、岡山県事務官、千葉県書記官・学務部長、福井県書記官・警察部長、群馬県書記官・経済部長を歴任。1936年(昭和11年)、朝鮮総督府に転じ、農林局農務課長、総督官房外事部長を経て、1940年(昭和15年)に専売局に就任。
押谷 富三(おしたに とみぞう、1893年〈明治26年〉2月… 押谷 富三(おしたに とみぞう、1893年〈明治26年〉2月5日 - 1985年〈昭和60年〉4月15日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(5期)。幕末出石藩家老、河合長孝の孫にあたる。 滋賀県東浅井郡浅井町(現・長浜市)出身。1916年(大正5年)関西大学法科を卒業。弁護士となる。 1931年(昭和6年)9月25日、大阪府会議員選挙に大阪市北区選挙区から立候補して当選した。その後、再選して1936年(昭和11年)1月25日に辞職した。1939年(昭和14年)9月25日に3選を果たした。1946年(昭和21年)12月29日から1947年(昭和22年)4月29日まで第40代大阪府会副議長を務めた。
石坂 繁(いしざか しげる、1893年(明治26年)1月24… 石坂 繁(いしざか しげる、1893年(明治26年)1月24日 - 1972年(昭和47年)12月31日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(6期)。熊本市長(3期)。 熊本県合志郡西合志村(菊池郡西合志村、西合志町を経て現合志市)出身。熊本県立中学済々黌、旧制五高を経て東京帝国大学法学部を卒業。 1936年の総選挙で熊本1区から国民同盟で立候補し、初当選。以後、途中公職追放によるブランクや落選を挟んで通算6期衆議院議員を務めた。 国政の傍ら、1945年には第12代熊本市長を兼任し翌年まで1期務め、また高橋守雄の懇請によって東洋語学専門学校の初代理事長となる。1958年の第2次岸内閣では農林政務次官を務めている。
大野 正直(おおの まさなお、1893年1月20日 - 19… 大野 正直(おおの まさなお、1893年1月20日 - 1951年10月20日)は、日本の大正から昭和前期にかけて活動した弁護士。 愛知県海部郡佐屋村(現在の愛西市)出身。愛知県第三中学校(現在の県立津島高校)を経て日本大学に入学し、1920年(大正9年)に弁護士試験合格、岡崎正也法律事務所に3年間在籍ののち帰郷し、1923年(大正12年)に名古屋市で個人事務所を開設する。 以降、名古屋市会議員を務めるなど中京圏の法曹界における重鎮とされ、スポーツ全般への造詣の深さから1936年(昭和11年)に新愛知新聞社が結成した職業野球チームの名古屋軍(現在の中日ドラゴンズ)設立に当たっては社外から会長として迎えられた。
桃原 茂太(とうばる / ももはら しげた、1892年(明治… 桃原 茂太(とうばる / ももはら しげた、1892年(明治25年)11月18日 - 1955年(昭和30年)2月28日)は、沖縄県出身の弁護士、実業家、政治家。衆議院議員。 宜野湾間切大謝名(現宜野湾市)で、桃原正裕の長男として生まれる。沖縄県第一中学校、第五高等学校を経て、1918年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。その後、東洋拓殖 (株) に入社。同参事、同監事、同太田及び釜山支店支配人、日蘇石油販売 (株) 専務取締役などを務めた。 1934年、帰郷して那覇市松山町で弁護士を開業。1942年4月の第21回衆議院議員総選挙で沖縄県選挙区から出馬し、翼賛政治体制協議会の非推薦候補であったが当選し衆議院議員を一期務めた。
宮崎 龍介(みやざき りゅうすけ、1892年(明治25年)1… 宮崎 龍介(みやざき りゅうすけ、1892年(明治25年)11月2日 - 1971年(昭和46年)1月23日)は、大正・昭和期の編集者・弁護士・社会運動家。孫文の盟友の宮崎滔天の長男。母は前田案山子の三女・槌子。有夫であった歌人・柳原白蓮と駆け落ちした白蓮事件で知られる。竜介とも。 熊本県玉名郡荒尾村(現在の荒尾市)で宮崎滔天・槌子夫妻の長男として生まれた。父の滔天は革命運動に打ち込んで家庭を顧みないため、お嬢様育ちであった母・槌子が慣れない石灰販売などで必死で働いて子供達を育てた。槌子は、自由民権運動の闘士であった前田案山子の子として育ったことから、夫の滔天の思想や活動にも理解があり協力的だった。
藤井 五一郎(ふじい ごいちろう、1892年(明治25年)1… 藤井 五一郎(ふじい ごいちろう、1892年(明治25年)11月1日 - 1969年(昭和44年)10月29日)は、日本の弁護士、裁判官。公安調査庁初代長官。 山口県下関市出身。藤井啓一の長男。豊浦中学校、第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業。 東京地方裁判所判事となり、裁判長として河上肇の治安維持法違反事件では実刑を、血盟団事件では温情判決を、帝人事件では全員無罪を言い渡した。その後大審院判事。戦後は弁護士を経て、1952年、公安調査庁の初代長官となる(~1962年)。1969年10月29日死去、76歳。
土居 章平(どい しょうへい、1892年(明治25年)10月… 土居 章平(どい しょうへい、1892年(明治25年)10月6日 - 1978年(昭和53年)11月9日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選県知事。旧姓・八木。 岡山県西西条郡西苫田村上河原(現津山市上河原)出身。八木喜次郎の五男として生まれ、津山市一宮、叔父・土居弥之助の養子となる。津山中学校 、第六高等学校を経て、1919年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し山口県属となる。 以後、山口県警視、1923年(大正12年)4月奈良県理事官、愛知県理事官、1927年(昭和2年)2月に欧米出張を命ぜられ1929年(昭和4年)1月に帰朝し、山口県学務部長、内務省社会局事務官、同書記官、岐阜県書記官・警察部長、青森県書記官・警察部長、宮崎県書記官・内務部長、福岡県書記官・経済部長、大阪府経済部長兼大阪府工業奨励館長などを歴任。
井伊 誠一(いい せいいち、1892年(明治25年)10月5… 井伊 誠一(いい せいいち、1892年(明治25年)10月5日 - 1985年(昭和60年)1月5日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(7期)。 新潟県北蒲原郡板山村(現新発田市)で、弁護士の井伊小平太の長男として生まれた。新発田中学校(現新潟県立新発田高等学校)、第二高等学校を経て、1919年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。神戸海上保険勤務を経て、1922年、弁護士を開業し、農民事件の弁護を数多く担当した。 1926年、労働農民党新潟県連合会執行委員に就任。1927年、労働農民党と日本労農党の共同推薦を受けて新潟県会議員に当選。さらに、新潟県参事会員、新発田町会議員、金銭債務調停委員、県地方事務所参与、借地借家調停委員、新発田中学校講師などを務めた。
森 由己雄(もり ゆきお、1892年(明治25年)9月24日… 森 由己雄(もり ゆきお、1892年(明治25年)9月24日 ‐ 1955年(昭和30年)8月6日) は、大正から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員、宮崎県西諸県郡小林町長。由巳雄と表記される場合がある。 宮崎県西諸県郡小林村(小林町を経て現小林市)で、森長興の長男として生まれた。旧制宮崎中学校(現:宮崎県立宮崎大宮高等学校)、第七高等学校造士館を経て、1918年(大正7年)東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。 司法官試補に任官し東京地方裁判所で勤務。1921年(大正10年)弁護士を開業した。宮崎市会議員、宮崎県会議員、小林町長に在任。その他、小林町農会長、同農業会長なども務めた。 1936(昭和11年)2月の第19回衆議院議員総選挙で宮崎県全県区から立憲政友会公認で立候補したが落選。
久能木 慎治(久能木 愼治、くのき しんじ、1892年〈明治… 久能木 慎治(久能木 愼治、くのき しんじ、1892年〈明治25年〉9月16日 - 没年不明)は、日本の弁護士、弁理士、久能木法律事務所主、会社役員。関東興業監査役。 東京府人・久能木宇兵衛の二男。久能木宇兵衛の弟。鈴木信太郎、團伊能、山田珠樹らと共に構想し、1917年、『攻魂珠』が創刊される。東京高師附属中学、第一高等学校を経て、1918年、東京帝国大学法科大学仏法科卒業。事務所を設立し、開業する。一般の法律事務に従事する。 趣味は乗馬、釣り。宗教は浄土宗。住所は東京日本橋室町2丁目。
田万 清臣(たまん きよおみ、1892年(明治25年)7月8… 田万 清臣(たまん きよおみ、1892年(明治25年)7月8日 - 1979年(昭和54年)5月22日)は、昭和時代の政治家、弁護士。労働運動家。衆議院議員(3期)。配偶者は婦人活動家の田万明子。 香川県に生まれる。1919年(大正8年)京都帝国大学独法科を卒業する。大学では弁論部初代部長を務め、河上肇に傾倒した。 卒業後、弁護士を開業し労働運動に参加。大阪市会議員、同参事会員、同学務委員、借地借家調停委員、大日本興亜同盟理事を歴任した。1936年(昭和11年)2月の第19回衆議院議員総選挙では大阪府第1区から社会大衆党所属で出馬し当選。つづく第20回、第21回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算3期務めた。
高山 義三(たかやま ぎぞう、1892年(明治25年)6月1… 高山 義三(たかやま ぎぞう、1892年(明治25年)6月15日 - 1974年(昭和49年)12月6日)は、日本の弁護士、政治家。京都市長(第19代)。国立京都国際会館初代館長。京都自由人権協会理事長。初代京都市会議長で第1回衆議院議員を務めた中村栄助の三男。 中村栄助の三男として京都市に生まれる。京都府立二中では野球部で小西作太郎とバッテリーを組んでいた。第五高等学校を経て1918年に京都帝国大学法科大学法律学科を卒業。学生時代は河上肇を顧問とする労学会に所属、キリスト教社会主義運動に参加。1917年、友愛会の初代京都支部長に選ばれた。賀川豊彦の影響により普選運動に携わった。 京大助手、同志社大学講師を経て、神戸で弁護士を開業した。
山口 久吉(やまぐち ひさきち、1892年5月24日 - 1… 山口 久吉(やまぐち ひさきち、1892年5月24日 - 1968年5月20日)は、日本の医師、弁護士、政治家。衆議院議員(1期)。 東京都出身。日本医学校(現・日本医科大学)に学び、1920年、明治大学法律科を卒業する。医師となり、警視庁検疫医員、長谷川病院勤務、仁寿生命保険(株)審査医となる。精工塗料(資)代表社員、東洋青果市場(株)取締役、東京都指圧師会長を務める。弁護士の業務に従事し、東京市議、東京都議となった。 1932年の第18回衆議院議員総選挙において東京7区(当時)から立憲政友会公認で立候補したが落選。1936年の第19回衆議院議員総選挙で当選した。1937年の第20回衆議院議員総選挙では昭和会から立候補したが落選した。
高田 富與(たかだ とみよ、1892年5月11日 - 197… 高田 富與(たかだ とみよ、1892年5月11日 - 1976年10月17日)は、日本の弁護士、政治家。札幌市議、第5代札幌市長(在任1947年 - 1959年。3期。初代公選市長)、自由民主党所属の衆議院議員(2期)。 福島県石城郡大野村(現・いわき市)生まれ。従兄の子に鯨岡兵輔がいる。11歳で渡道し、豊平村(現・札幌市豊平区)の知人宅に身を寄せる。100日余で野幌兵村(現・江別市野幌)の親戚を頼って転居。江西尋常高等小学校(現・江別第二小学校)高等科卒業までの3年半を過ごす。卒業後、札幌郵便局通信伝習生養成所で学び、電信の取り扱いを習得。修了後は郵便局職員として岩見沢に赴任。1908年7月から江別郵便局勤務。
大村 清一(おおむら せいいち、旧字体: 大村淸一、1892… 大村 清一(おおむら せいいち、旧字体: 大村淸一、1892年(明治25年)5月4日 - 1968年(昭和43年)5月24日)は、日本の内務官僚、弁護士、政治家。衆議院議員(6期、自由民主党)。貴族院議員(勅選)、防衛庁長官(第2代)、内務大臣(第65代)。日本林業協会長、相模女子大学長。 防衛庁長官を務めた大村襄治は子。岳父は東大名誉教授本多静六。 岡山県津山市に生まれる。大村吉五郎の長男。 鹿児島高等農林学校卒業の後、1917年(大正6年)京都帝国大学法科大学独法科卒業。同大学院修了。内務省に入省。土木局属。鹿児島県揖宿郡長、東京市主事、地方、復興局、内務、鉄道各事務官、内務書記官、長野、神奈川県知事となり、長野県知事を2度務め話題になった。
天野 辰夫(あまの たつお、1892年〈明治25年〉2月22… 天野 辰夫(あまの たつお、1892年〈明治25年〉2月22日 - 1974年〈昭和49年〉1月20日)は、大正から昭和にかけての弁護士、国家主義者。 出生地は島根県松江市で、出身は静岡県浜松市。 島根県松江市に生まれる。天皇主権説を唱える上杉慎吉に影響を受けて信奉し、独得の皇道理論を構成。東京帝国大学在学中の1918年(大正7年)に大学内で興国同志会を組織し、新人会に対抗した。 1919年(大正8年)、興国精神復興運動に参画、弁護士を開業した。1923年(大正12年)には法政大学の教授となった。1926年(大正15年)に起きた、父が社長を務める浜松の日本楽器争議の際には、日本主義労農同志会を組織して争議団に攻撃して対抗した。
金井 正夫(かない まさお、1892年(明治25年)2月14… 金井 正夫(かない まさお、1892年(明治25年)2月14日 - 1979年(昭和54年)10月4日)は、日本の政治家、裁判官、弁護士。衆議院議員、和歌山県知事。旧名、当央。 鹿児島県大島郡龍郷方浦村(龍郷村を経て現:龍郷町浦)で金井当説の五男として生まれる。1915年(大正4年)に正夫と改名。 大勝尋常小学校(現:龍郷町立大勝小学校)から4年次に名瀬尋常小学校(現:奄美市立名瀬小学校)へ転入し卒業。鹿児島県立大島農学校(現:鹿児島県立大島高等学校)1年修了の後、東京の旧制順天中学校で学ぶ。旧制第五高等学校を経て、関西大学を卒業、1919年(大正8年)京都帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。