会田 由(あいだ ゆう、1903年4月3日 - 1971年2… 会田 由(あいだ ゆう、1903年4月3日 - 1971年2月27日)は、日本のスペイン文学者、翻訳家。『ドン・キホーテ』の日本初の完訳者であり、日本のスペイン文化研究の先駆者である。 1903年、熊本県生まれ。1927年、東京外国語学校スペイン語科を卒業。在学中は永田寛定の下で学ぶ。 戦後の1949年、東京外国語大学講師となり、のち教授を務めた。その間、東京大学教養学部でも非常勤講師として、スペイン語授業を担当、スペイン文化研究の先鞭をつけた。1965年より神奈川大学教授を務めた。 数多くのスペイン語文学を翻訳したが、特に『ドン・キホーテ』の和訳を1962年に完結させ、最初の完訳者となった。翻訳は師の永田寛定訳(岩波文庫版)が先行していたが、手間取っているうちに会田が先に完成させ、以後数社の「外国文学全集」に収録され、重刷された。
西崎 一郎(にしざき いちろう、1903年1月14日 - 1… 西崎 一郎(にしざき いちろう、1903年1月14日 - 1983年1月3日)は、日本のアメリカ文学者・翻訳家。 富山県魚津生まれ。1927年東京帝国大学英文科卒。富山高等学校で教え、1937年学習院高等科教師、第二次世界大戦後学習院大学教授、お茶の水女子大学教授、1967年定年、白百合女子大学教授。1973年退職。
原 圭二(はら けいじ、1903年 - 没年不詳)は、日本の… 原 圭二(はら けいじ、1903年 - 没年不詳)は、日本のノンフィクション作家、編集者、翻訳家。本名は堀経道 長野県諏訪郡宮川村(現・茅野市)出身。長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、長野師範学校卒業。関西学院英文科卒業。博文館編集部で「少年世界」などの担当を経て、1933年頃に出版社・六人社を発足。1936年頃から原圭二名義で戦争に関する文章の寄稿を始める。その後、民主教育協会勤務。探検記、探偵小説、翻訳多数。 堀経道名義では探偵小説・推理小説の翻訳を多数しており、昭和22年6月刊行の「黄金の書」(まひる書房)の企画を終戦後いち早く立ち上げ、江戸川乱歩の元へ相談を持ちかけた。
水野 亮(みずの あきら、1902年11月18日 - 197… 水野 亮(みずの あきら、1902年11月18日 - 1979年2月14日)は、日本のフランス文学者・翻訳家。 長野県北佐久郡高瀬村(現佐久市)出身。旧制長野中学(長野県長野高等学校)、旧制第三高等学校を経て、1926年東京帝国大学仏文科卒業。 東大図書館に勤務しつつ、オノレ・ド・バルザックを主として数多くの翻訳を行った。豊島与志雄の『レ・ミゼラブル』の翻訳の誤訳や脱漏を指摘し、豊島に喜ばれ、自らの翻訳を刊行した。 明治大学では非常勤講師、中央大学では専任講師としてフランス語を教えた。 没後、旧蔵書の中でバルザックに関係する資料は武蔵大学附属図書館で水野文庫として保存され、目録が刊行された。
胡 風(こ ふう、フー・フォン、1902年11月2日 - 1… 胡 風(こ ふう、フー・フォン、1902年11月2日 - 1985年6月8日)は、中国の文芸理論家、文学評論家、翻訳家、詩人。本名は張光人、他の筆名に谷非、高荒、張果などがある。魯迅との親交もあった。 左翼作家として知られ、七月派と呼ばれる作家集団を作った。1955年、共産主義に反したとして仲間と共に逮捕され、1965年まで投獄される。一度は解放されるが1965年に懲役14年の判決が下り、1979年1月まで投獄される。1985年6月8日、死去。 1925年、清華大学英文科に入学、1929年日本に留学、東亜高等予備校で学び、1931年、慶應義塾大学文学部英文科に入学。プロレタリア科学研究所芸術部会に参加した。
青田 勝(あおた かつ、1902年10月24日 - 1986… 青田 勝(あおた かつ、1902年10月24日 - 1986年2月9日)は、日本の翻訳家。日本推理作家協会会員。 東京市下谷区三輪町に生まれる。1927年(昭和2年)東京帝国大学文学部英文科卒業。 1932年(昭和7年)東京府立第五中学校教師、1935年(昭和10年)東京府立第十中学校教師、1950年(昭和25年)から1969年(昭和44年)までユニバーサル映画の字幕翻訳家をへて、エラリー・クイーン、パトリシア・ハイスミス『太陽がいっぱい』など推理小説を翻訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
河盛 好蔵(かわもり よしぞう、1902年10月4日 - 2… 河盛 好蔵(かわもり よしぞう、1902年10月4日 - 2000年3月27日)は、日本のフランス文学者、評論家、翻訳家。仏文学者としてはモラリストの著作を日本に紹介した。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 大阪府堺市出身。1920年に旧制大阪府立堺中学校から第三高等学校へ入学し、1923年に同校を卒業。京都帝国大学文学部仏文科で落合太郎・河野与一に師事。1926年、京都帝国大学仏文科を卒業して関西大学に赴任し、フランス語を教える。 1928年学校騒動で関西大学を辞職して渡仏し、ソルボンヌ大学に学ぶ。1930年に帰国。堺の生家でジャン・コクトー『山師トマ』を翻訳。 上京後、ファーブル『昆虫記』を三好達治と共訳。
川口 篤(かわぐち あつし、1902年9月29日 - 197… 川口 篤(かわぐち あつし、1902年9月29日 - 1975年6月25日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 栃木県栃木市生まれ。旧制宇都宮中学・旧制一高を経て、東京帝国大学文学部仏文科卒。戦後、東京大学教養学部教授、1958年から1960年まで教養学部学部長、1961年まで評議員。1963年定年退官、学習院大学教授を務めた。 アンドレ・ジイド、エミール・ゾラをはじめ翻訳多数がある。
深町 弘三(ふかまち こうぞう、1902年(明治35年)9月… 深町 弘三(ふかまち こうぞう、1902年(明治35年)9月29日 - 1967年(昭和42年)5月22日)は、大正時代から昭和時代の日本の英文学者、翻訳家。 石川県金沢市にて旧加賀藩士の深町家に生まれる。1925年、東京帝国大学文学部英文科を卒業。山形高等学校の教師となった。戦後は引き続き山形大学の教授となり42年間同校で教鞭をとった。翻訳にスウィフトの『奴婢訓』や『樋物語』、『アイルランドの貧民の子供たちが両親及び国の負担となることを防ぎ、国家社会の有益なる存在たらしめるための穏健なる提案』などがある。墓所は世田谷区の円光寺にある。妻は伊都子。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
高橋 健二(たかはし けんじ、1902年9月18日 - 19… 高橋 健二(たかはし けんじ、1902年9月18日 - 1998年3月2日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。中央大学名誉教授。ヘルマン・ヘッセやエーリッヒ・ケストナー作品の翻訳者として知られる。 東京・京橋生まれ。第一高等学校在籍時代は尾崎秀実と親しかった。1925年東京帝国大学文学部ドイツ文学科を卒業、成蹊高等学校のドイツ語教師となる。1931年ドイツに留学し、スイスでヘルマン・ヘッセに会った。ヘッセやエーリッヒ・ケストナーの翻訳・紹介につとめたほか、ゲーテやグリム兄弟やハンス・カロッサなどドイツ文学に関する著書・翻訳多数。 大日本帝国がナチスドイツと1936年に日独防共協定、1937年に日独伊防共協定、1940年に日独伊三国同盟を締結し、枢軸国を形成していくなか、高橋は大政翼賛会宣伝部長に就任し、1942年に『文学と文化 評論と随筆』、 1943年に日独文化協会からヘルマン・シエーファー共編『大独逸に関する優良日本図書短評付撰集 第1』、『戦争生活と文化』(大政翼賛会宣伝部) 、1945年には 『美しい日本への道 反省と発足』(大日本飛行協会)などを刊行し、ナチ文学紹介も行った。
馬上 義太郎(まがみ ぎたろう、まがみ よしたろう、1902… 馬上 義太郎(まがみ ぎたろう、まがみ よしたろう、1902年9月15日 - 1971年1月6日)は、日本のロシア・ソビエト文学研究者、翻訳家。 東京府東京市浅草区浅草千束町(現・東京都台東区千束または同区浅草)のうなぎ料理屋の家に長男として生まれる。生家跡で「エロス堂書店」を営む一方、1928年、松竹キネマ蒲田撮影所に開設された「脚本養成所」(後に「松竹映画脚本研究所」と改称)の研究生(第1期生)を経て、脚本部の客員として従事。1931年3月、東京外国語学校専修科(露語)卒業。ナウカ社に勤務。兵役で中国北部に出征、帰国後は東亜研究所員(または嘱託)としてソ連の新聞、放送の翻訳に従事。戦後は東京都千代田区役所に定年まで勤務。
木村 庄三郎(きむら しょうざぶろう、1902年8月10日 … 木村 庄三郎(きむら しょうざぶろう、1902年8月10日 - 1982年1月10日)は、日本の翻訳家。 東京生まれ。慶應義塾大学文学部国文科卒業。同人誌『山繭』などに小説を書き、文学者として活動したのち、戦後はフランス文学の翻訳をおこなった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
市原 豊太(市原 豐太、いちはら とよた、1902年6月22… 市原 豊太(市原 豐太、いちはら とよた、1902年6月22日 - 1990年8月14日)は、日本のフランス文学者、随筆家、翻訳家。 東京で生まれる。父市原卯之助は、山形県出身で帝国海軍将官だった。 1915年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1920年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。附属中学の同級生には、下村三郎(元最高裁判所判事)、菊池正士(物理学者)、坪井忠二(東京大学名誉教授)、中島健蔵(フランス文学者)などがいた。旧制第一高等学校を経て、1926年東京帝国大学文学部仏文科卒。 浦和高等学校教授、第一高等学校教授、東京大学教養学部教授、1963年定年退官、青山学院大学教授、獨協大学教授、獨協大学学長代行を経て名誉教授。
小栗 孝則(おぐり たかのり、1902年3月22日 - 19… 小栗 孝則(おぐり たかのり、1902年3月22日 - 1976年)は、日本のドイツ文学者、詩人、翻訳家。 東京生まれ。海軍大将の小栗孝三郎の長男。父親の母方の親戚に戸田城聖がいる。 東京府立第一中学校を経て東京外国語学校ドイツ語科中退。1937年の『新編シラー詩抄』のうちの「人質」をネタとして太宰治が「走れメロス」を書いた。
増谷 文雄(ますたに ぶんゆう 1902年2月16日 - 1… 増谷 文雄(ますたに ぶんゆう 1902年2月16日 - 1987年12月6日)は、日本の仏教学者・翻訳家。都留文科大学第3代学長。 1902年、福岡県小倉市(現・北九州市小倉)で生まれた。幼名茂樹 小学校4年のころ文雄(ぶんゆう)と称して度牒をさずけられた。(『新しい仏教のこころ』P.14) 第五高等学校を経て、東京帝国大学文学部宗教学科に進んだ。1925年に卒業。 卒業後は、浜松高等工業学校で教職に就いた。その後、東京外国語大学教授となった。東京大学・立教大学・東京教育大学の各講師、大正大学教授などを務めた。1961年、学位論文『アーガマ資料による仏陀の生涯の研究』を東京大学に提出して文学博士の学位を取得。
高野 弥一郎(たかの やいちろう、1902年2月11日- 1… 高野 弥一郎(たかの やいちろう、1902年2月11日- 1992年7月21日)は、日本の翻訳家。 新潟県小千谷市片貝の農家に生まれ、小学校卒業後、鉄工所に勤める。英文学に志して上京し、銀座で新聞配達をしながら早稲田大学英文科に学ぶ。在学中に『サンデー毎日』の懸賞映画小説に応募し「夢と女」で当選、小説家を志す。1940年、喜多荘太の筆名でアンドレ・モーロワ「欧州大戦秘話」を『サンデー毎日』に連載し、『フランス敗れたり』として刊行すると、300版の大ベストセラーとなり、にわかなモーロワのブームが訪れた。1944年、郷里新潟県に疎開、高校教師をしながら、戦後も翻訳を続けた。
古沢 安二郎(ふるさわ やすじろう、1902年2月6日 - … 古沢 安二郎(ふるさわ やすじろう、1902年2月6日 - 1983年9月3日)は、日本の英米文学の翻訳家。 新潟県生まれ。東京帝国大学英文科卒、芝浦工業大学教授、明治大学教授。ポール・ギャリコ、ウィリアム・サローヤンなどを翻訳した。
竹内 道之助(たけうち みちのすけ、1902年1月25日 -… 竹内 道之助(たけうち みちのすけ、1902年1月25日 - 1981年4月20日)は、日本の翻訳家、実業家、三笠書房創立者。東京府東京市深川区(現・東京都江東区)出身。 本所高等小学校卒業。正則英語学校、アテネフランセに通い英語、ドイツ語、フランス語を習得。 藤澤衛彦の主宰の雑誌『伝説』の編集に携わる。のち、梅原北明が企画し福山福太郎が創設した「文藝資料研究会」に参加し、雑誌『奇書』や「変態文献叢書」の編集を手がける。1930年には酒井潔らの協力をうけ「風俗資料刊行会」を設立し、雑誌『風俗資料』『デカメロン』らを編集刊行した。 そののち、哲学者三木清らのグループや、唯物論研究会との親交を重ね、1933年に妻富子と共に、社会科学書、ヨーロッパ・アメリカ文学の翻訳書の刊行を主とする、三笠書房を創立。
竹村 文祥(たけむら ぶんしょう、1902年1月10日 - … 竹村 文祥(たけむら ぶんしょう、1902年1月10日 - 1987年7月15日)は、日本の医師、性科学者、文筆家、翻訳家。 青森県出身。北海道帝国大学医学部卒。1933年「実験的腸閉塞論」で北大医学博士。今裕に師事。東京都立病院に19年間勤務。東京都立大塚病院副院長、城北診療所院長。医業のかたわら、戦後は性医学について多くの随筆的著作をなした。
前川 堅市(まえかわ けんいち、1902年1月7日 - 19… 前川 堅市(まえかわ けんいち、1902年1月7日 - 1965年3月19日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 京都府出身。第三高等学校を経て東京帝国大学卒業。文化学院教授から、1949年埼玉大学教授。スタンダールを専門とし、定年を前にした1965年、63歳で死去した。 子は英文学者の前川祐一。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
柴田 賢一(しばた けんいち、1902年 - 1982年)は… 柴田 賢一(しばた けんいち、1902年 - 1982年)は、日本の文筆家、翻訳家。 福岡県芥屋生まれ。1929年東京帝国大学文学部美学科卒業。在学中から新聞に小説を寄稿したほか、鈴木三重吉の『赤い鳥』に童話を発表するなど執筆活動を行った。 大学卒業後、誠文堂新光社に入社、『世界地理風俗大系』の編集を担当し、『世界知識』の発刊に伴い編集長となる。 1942年、海軍報道班員としてシンガポール、ビルマ、フランス領インドシナと、アジア各国の前線をめぐり、海外諸国の政策についての論文を多数翻訳し紹介した。 戦後は志摩 達夫名義で青少年向けの作品を執筆した。
山本三吾(やまもと さんご、1901年11月17日 - 19… 山本三吾(やまもと さんご、1901年11月17日 - 1964年8月31日)は日本の法学者、翻訳家。山本琴子はその妻。 新潟県生まれ。早稲田大学政治経済科を出て、同大学の講師を務める。その傍ら、『外交時報』に国際法関係の論文を寄稿。L・H・モルガン『古代社会』、マックス・アドラー(英語版)『マルキシズム国家観』(山本琴名義)、『マル・エン全集』23巻の一部などの翻訳を行った。埼玉県で没する。
小山 東一(こやま とういち、1901年11月11日 - 1… 小山 東一(こやま とういち、1901年11月11日 - 1985年6月9日)は、日本のジャーナリスト、英文学者、翻訳家。広島大学教授。 広島県福山市生まれ。1927年東京帝国大学文学部英文科卒。中外商業新報、日本産業経済新聞学芸部長をへて、広島大学教授。 戯曲家の小山祐士は従兄弟にあたる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
新島 繁(にいじま しげる、1901年11月3日 - 195… 新島 繁(にいじま しげる、1901年11月3日 - 1957年12月19日)は、日本のドイツ文学者、思想評論家、翻訳家。 専門はドイツ文学で、多数の翻訳を手掛けた。文学作品の翻訳時には本名の野上 巖(のがみ いわお)を用いた。 山口県生まれ。東京帝国大学独文科を卒業した。日本大学予科教授となり、1929年プロレタリア科学研究所に参加する。しかし、1931年に日本大学を辞職させられる。 1932年に唯物論研究会に参加し、その後治安維持法違反などの嫌疑で投獄される。獄中の1940年に転向して保釈されたが、太平洋戦争後、日本民主主義文化連盟、民主主義科学者協会などの創立にかかわる。 1955年、神戸大学教授に就いた。
大畑 末吉(おおはた すえきち、1901年10月17日 - … 大畑 末吉(おおはた すえきち、1901年10月17日 - 1978年4月25日)は、日本のドイツ文学者・北欧文学者・翻訳家。文学博士(東京大学・論文博士・1962年)。一橋大学教授・早稲田大学教授を歴任。 アンデルセンの著作を日本でデンマーク語の原典から初めて翻訳し、長く森鷗外のドイツ語からの訳で読まれていた『即興詩人』を原典から訳した。 指導学生に宮野悦義(一橋大学名誉教授)がいる。一対一の指導になったという。 1978年4月25日、動脈りゅう破裂により東京都立養育院附属病院にて死去。76歳。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
神部 孝(かんべ たかし、1901年9月4日 - 1938年… 神部 孝(かんべ たかし、1901年9月4日 - 1938年6月15日)は、日本の翻訳家、フランス文学者。 1901年9月4日、静岡県駿東郡楊原村(現・沼津市)に生まれる。 1925年に早稲田大学フランス(佛蘭西)文学科を卒業後、同学科の教員となった(1925年9月−1938年6月)。 1938年6月15日、36才で没しており、後輩である根津憲三は『サランボオ』解説に「この作品の訳者は今から十数年まへの夏、いまだ春秋に富む身を、恵まれた文才を惜しまれながら他界の人となつた」と記している。また、早稲田大学百年史には「神部孝は大正十四年の仏文科卒業生で、昭和三年『文学思想研究』に「メリメ研究」を発表、大学では「テーヌ研究」などの講座を担当、その将来を嘱目された。
菊池 重三郎(きくち しげさぶろう、1901年7月3日-19… 菊池 重三郎(きくち しげさぶろう、1901年7月3日-1982年4月16日)は、日本の作家、編集者、翻訳家。「芸術新潮」初代編集長。 宮崎県臼杵郡北方村(現在の延岡市) で生まれる。1920年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業、1925年、立教大学文学部英文科を卒業。1925年から3年間、麻布中学校の英語教師を務め、1928年渡欧し、1930年帰国。 研究社、春秋社、新潮社に勤務し、傍ら文筆活動にも努める。 新潮社では、1950年「芸術新潮」初代編集長となり、創刊から62号まで携わり、1955年退職。 晩年の島崎藤村と交流があり、1947年の木曾馬籠の藤村記念館の設立に尽している。
宇多 五郎(うだ ごろう、1901年6月30日 - 1982… 宇多 五郎(うだ ごろう、1901年6月30日 - 1982年10月11日)は、ドイツ文学者、翻訳家。 東京出身。1927年上智大学文学部独文科卒。上智大学講師、助教授、教授。外国語学部を創設し初代学部長。1972年定年、名誉教授。高村光太郎に師事した。次男は宇多文雄。
佐藤 雪夫(さとう ゆきお、1901年5月7日 - 1931… 佐藤 雪夫(さとう ゆきお、1901年5月7日 - 1931年12月21日)は、日本の翻訳家、雑誌記者。群馬県室田町(現高崎市)出身。 東京神田の順天中学校を卒業後、1924年に東京外国語学校イタリア語科卒業。同年5月に発行された文芸雑誌「南歐文學」の編集人を務め、イタリア文学紹介、翻訳などで活躍した。同誌の発行元は三田書房、発行人は甲斐田イヨ。南ヨーロッパの文学を紹介・研究することを目的とし、原語からの翻訳やエッセイなどが掲載された。全2冊で、1号は同年5月に発行され、巻頭にポール・クローデルの肖像と題字「水に聴く」を掲載。2号は翌6月の発行。 翌1925年にキネマ旬報社に編集部員として入社し、映画評論、脚色等で活躍した。
富永 太郎(とみなが たろう、1901年(明治34年)5月4… 富永 太郎(とみなが たろう、1901年(明治34年)5月4日 - 1925年(大正14年)11月12日)は、日本の詩人、画家、翻訳家である。
井上 勇(いのうえ いさむ、1901年4月30日 - 198… 井上 勇(いのうえ いさむ、1901年4月30日 - 1985年2月6日)は、日本の翻訳家、ジャーナリスト。 広島県生まれ。1923年(大正12年)、東京外国語学校(現在の東京外国語大学)仏語部卒業。東京帝国大学文科選科に入るが中退。1926年に東京外国語学校英語部選科を卒業、報知新聞に入社。特派員として渡米するが1927年に退社し、サンフランシスコの日本新聞の記者となる。その後パリに渡りソルボンヌ大学で学ぶ。再び米国に戻り、ロサンゼルスの日米新聞編集長を務め、加州毎日新聞の創設に参画。サンフランシスコの北米朝日新聞編集長を務めた後、1933年に帰国。外務省を経て、1936年3月に同盟通信社(以下、同盟)へ入社。
桜田 佐(さくらだ たすく、1901年4月29日 - 196… 桜田 佐(さくらだ たすく、1901年4月29日 - 1960年12月20日)は、フランス文学者、翻訳家、児童文学作家。 東京生まれ。旧制暁星中学・旧制一高を経て、東京帝国大学仏文科卒。立教大学教授、法政大学教授。 アルフォンス・ドーデの作品などを翻訳、晩年は児童文学を自ら書いた。
高山 洋吉(たかやま ようきち、1901年4月22日 - 1… 高山 洋吉(たかやま ようきち、1901年4月22日 - 1975年9月7日)は、日本の左翼運動家、翻訳家。別筆名に清水 朝雄。 長野県下高井郡長丘村(現中野市)出身。松本高等学校を経て東京帝国大学経済学部卒。 1926年、産業労働調査所に入り、『インタナショナル』『産業労働時報』などに執筆。1927年11月、益田豊彦と共訳した書籍『わが党の綱領』(ニコライ・ブハーリン著、白楊社)が発売禁止処分を受ける。1931年、日本共産党に入党。マルクス - レーニン主義文献の翻訳と紹介。第二次世界大戦後は、あわせて性風俗関係の翻訳を行い、1962年、刀江書院を設立。 1947年の第23回衆議院議員総選挙に長野1区から日本共産党公認で出馬し、次々点で落選。
佐々木 直次郎(ささき なおじろう、1901年(明治34年)… 佐々木 直次郎(ささき なおじろう、1901年(明治34年)3月27日 - 1943年(昭和18年)5月24日)は、日本の翻訳家。 石川県小松市生まれ。小松中学校を経て金沢第一中学校に転じ、四年修了で第四高等学校に進む。1925年、東京帝国大学文学部英吉利文学科卒。同大学院を経て、日本大学で短期間教える。 1931年9月から1932年11月にかけて第一書房より刊行された『エドガア・アラン・ポオ小説全集』を訳出。ポーの本格的翻訳として注目を浴びる。その他、ロバート・ルイス・スティーヴンスン『宝島』『ジーキル博士とハイド氏の怪事件』、チャールズ・ディッケンズ『二都物語』などの訳書がある。肺炎で急死。
中西 秀男(なかにし ひでお、1901年3月20日 - 19… 中西 秀男(なかにし ひでお、1901年3月20日 - 1996年3月30日)は、日本の英文学者、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 茨城県土浦市生まれ。茨城県立土浦中学校を経て、1921年早稲田大学高等師範部英語科卒業。早稲田中学校専任教諭となり、46年まで務める。戦後47年母校講師、48年助教授、49年早大教育学部教授、71年定年退任、名誉教授。多くの翻訳をおこなった。
入江 直祐(いりえ なおすけ、1901年3月13日 - 19… 入江 直祐(いりえ なおすけ、1901年3月13日 - 1991年)は、日本の英文学者、翻訳家。 岡山県出身。旧制岡山中学(現:岡山県立岡山朝日高校)旧制第六高等学校を経て、六稜学舎では詩人でもある山宮允に学び、1938年東京帝国大学卒業、市河三喜に学ぶ。アルフレッド・テニスン、ウォルター・スコットなどの翻訳で知られる。1962年まで法政大学教授、その後神奈川大学教授。1989年まで創価大学教授を務めた。
蕗沢 紀志夫(ふきざわ きしお、1901年 - 1981年)… 蕗沢 紀志夫(ふきざわ きしお、1901年 - 1981年)は、日本の応用化学者、翻訳家。出生名は、蕗沢喜芳(ふきざわ のぶよし)。妻は同じく翻訳家の蕗沢忠枝。 長野県東筑摩郡芳川村野溝(現・松本市)出身。東京高等工業学校附設工業教員養成所・応用化学科を卒業した後、学校現場で理科・化学を教えるとともに、30代のころに高名な応用化学者たちとの共著書を著していることから、専門性に秀でた化学者であったとうかがえる。30代の終わりごろ、戦時中に『国策線上の理化教材』を著す中で「理化教育の国策化」を教育目標に掲げており、当時の皇国教育の立場に立っていた。敗戦後、民主教育の導入に伴う教師たちの思想的転向が一般的であった中で、蕗沢も例外でなかったと考えられる。
井上 満(いのうえ みつる、1900年12月16日 - 19… 井上 満(いのうえ みつる、1900年12月16日 - 1959年5月14日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。筆名は落合 文雄など。 福岡県久留米市米屋町(現・同市中央町)に生まれる。1920年、19歳の時に福岡県立中学明善校(現・福岡県立明善高等学校)卒業、同年、福岡県派遣留学生として日露協会学校に入学。1924年同校卒業。同年、神代ちとせと恋愛結婚。その後、兵役に服すが、病気のために除隊。1926年上京して文筆活動に入り、主に社会科学文献を翻訳。 1930年から6年間、当時の東京市麻布区麻布狸穴町にあった駐日ソ連大使館に勤務し(外交交渉通訳などに携わる)、二・二六事件直後の1936年3月に軍機保護法違反で逮捕されて、1938年10月まで2年7か月間投獄される。
吉武 好孝(よしたけ よしのり、1900年12月15日 - … 吉武 好孝(よしたけ よしのり、1900年12月15日 - 1982年2月21日)は、日本の英文学者・比較文学者・翻訳家。 大分県生まれ。東北帝国大学卒。1962年「現代イギリスの文芸批評における人間像」で文学博士。武蔵野女子大学教授を務めた。日本英学史学会第2代会長。 勲三等瑞宝章を受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
三好 達治(みよし たつじ、1900年(明治33年)8月23… 三好 達治(みよし たつじ、1900年(明治33年)8月23日 - 1964年(昭和39年)4月5日)は、日本の詩人、翻訳家、文芸評論家。室生犀星や萩原朔太郎など先達詩人からの影響を出立点とし、フランス近代詩と東洋の伝統詩の手法をそれぞれに取り入れ、現代詩における叙情性を知的かつ純粋に表現し独自の世界を開いた。大阪府大阪市出身。日本芸術院会員。 大阪市西区で印刷業を営む家に、10人兄弟の長男として生まれた。幼少期より病弱で、読書に没頭。中学時代、句誌「ホトトギス」を愛読し、句作に没頭した。父の意向で陸軍士官学校に進んだが、脱走して放校となった。旧制三高から東大仏文科へ進んだ。三高時代から詩作を始め、梶井基次郎らと知己を得、のちに同人誌「青空」にも参加した。
服部 龍太郎(はっとり りゅうたろう、1900年7月15日 … 服部 龍太郎(はっとり りゅうたろう、1900年7月15日 - 1977年6月18日)は、日本の音楽評論家、著述家、翻訳家、作詞家、訳詞家。 静岡県生まれ。早稲田大学文学部卒業。新交響楽団(のちNHK交響楽団)編集主幹、ニットーレコード洋楽部長、桐朋学園講師。西洋音楽、民謡、易学などについて多数の著作を著す。 ※JASRACには服部名義で作詞・作曲の登録をされている日本民謡もある。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
寿岳 文章(じゅがく ぶんしょう、1900年3月28日 - … 寿岳 文章(じゅがく ぶんしょう、1900年3月28日 - 1992年1月16日)は、日本の英文学者、随筆家、翻訳家、書誌学者。民藝運動家。和紙研究の第一人者的地位にあり、和紙関係の著作も多い。 妻は寿岳しづ、長女は日本語学者の寿岳章子、長男は天文学者の寿岳潤。 兵庫県明石郡押部谷村(現・神戸市西区)生まれ。家は鈴木家で父は寺の住職。規矩王麻呂と名づけられる。姉の婚家である寺の養子となり、得度して寿岳文章となる。 1919年、東寺中学校卒業、関西学院高等学部英文科入学、失明学生の岩橋武夫を知り、その妹静子を知る。1923年、卒業し静子と結婚(寿岳しづ)。 1924年、京都帝国大学文学部文学科選科入学、1927年、修了。
長谷川 海太郎(はせがわ かいたろう、1900年1月17日 … 長谷川 海太郎(はせがわ かいたろう、1900年1月17日 - 1935年6月29日)は、日本の小説家、翻訳家。 林不忘(はやし ふぼう)、牧逸馬(まき いつま)、谷譲次(たに じょうじ)の3つのペンネームを使い分けて執筆した。林不忘は時代小説「丹下左膳」シリーズ、牧逸馬は犯罪実録小説、家庭小説、翻訳、谷譲次は米国体験記「めりけんじゃっぷ」物で知られる。 幕府の金座役人を祖父に持ち、新潟県立佐渡中学校で英語教師をし、後にジャーナリストとして活動する長谷川清(のちに改名した長谷川淑夫の名前で知られる。楽天、あるいは世民とも号した)の長男として新潟県佐渡郡赤泊村(現在の佐渡市赤泊)に生まれる。父・清は佐渡中学校の寄宿舎の舎監も務めており、当時佐渡中学校に在学していた北一輝にも感化を及ぼし、鈴木重嶺門下の清楽社同人として和歌を新潟新聞に寄稿していたが、海太郎が1歳のとき、北海新聞主筆に招かれ、のちに犬養木堂の依頼で函館新聞の主筆となる父に従って一家で函館に移住した。
松尾 邦之助(まつお くにのすけ、1899年(明治32年)1… 松尾 邦之助(まつお くにのすけ、1899年(明治32年)11月15日 - 1975年(昭和50年)4月3日)は、日本の新聞記者、評論家、翻訳家。 反権力・個人主義的志向を持つ人物であった。1940年のナチス・ドイツの占領まで長くパリに住み、日仏の文化交流に貢献した。 松尾嘉平・きみの次男として、静岡県引佐郡引佐町金指(現・浜松市北区引佐町金指)に生まれた。家は裕福な呉服商で、嘉平ときみの間には邦之助を含めて三男三女がいた。金崎の小学校、気賀(現・浜松市北区細江町気賀)の高等小学校を経て静岡県立浜松中学校(現・静岡県立浜松北高等学校)を了え、親の希望の旧制高等学校でなく、東京外国語学校フランス語文科に学び、1922年、逓信省の嘱託となり、その秋、嘉平の渋々の承諾を得て渡仏し、パリに住んだ。
中根 不覊雄(なかね ふきお、1899年6月 - 1983年… 中根 不覊雄(なかね ふきお、1899年6月 - 1983年9月)は、日本の法学者、教育者、翻訳家。立教大学経済学部教授、亜細亜大学初代法学部長、満州国司法部司法学校教授、英文法令社創業者。 1899年(明治32年)6月、中根斎と妻・武免の長男として生まれる。 1923年(大正12年)、東京帝国大学経済学部卒業、1925年(大正14年)、東京帝国大学法学部政治科卒業。 安田保善社(安田財閥本社)に入り、安田信託会社(後の安田信託銀行、現・みずほ信託銀行)の創立時より事務方を務め、1930年(昭和5年)まで同社に在職 1931年(昭和6年)、立教大学経済学部教授に就任し、信託法、手形法、破産法を講じた。
青柳 瑞穂(あおやぎ みずほ、1899年5月29日 - 19… 青柳 瑞穂(あおやぎ みずほ、1899年5月29日 - 1971年12月15日、男性)は、日本の仏文学者、詩人、美術評論家、翻訳家。骨董品収集・随筆でも著名であった。 山梨県西八代郡高田村印沢(現・市川三郷町)にて、四男五女の末子として生まれる。生家はかつて質屋を営んだことがある富裕な地主の旧家だった。幼い頃から書画骨董の詰まった質倉で遊び、骨董に対する鑑賞眼を培った。 1917年に山梨県立甲府中学校(旧制)を卒業後、詩作やフランス語独習に熱中。永井荷風と堀口大學に憧れ、1919年に慶應義塾大学仏文予科に入学。このとき蔵原伸二郎と知り合い、無二の親友となる。1920年、出席時間不足のために留年し、新入生と奥野信太郎と終生の親交を結ぶ。
木村 太郎(きむら たろう、1899年4月29日 - 198… 木村 太郎(きむら たろう、1899年4月29日 - 1989年11月6日)は、日本のフランス文学者、翻訳家、画家、書家。南山大学名誉教授。 父・粂市は実業家、母・いつ(銉次)は永井家の出身で、永井荷風は従兄弟にあたる。叔父の大島久満次は台湾総督府民政長官、神奈川県知事、衆議院議員を歴任。 東京市中央区賽町(京橋)生まれ。1924年東京帝国大学文学部仏文科卒業。日本大学、法政大学、日仏学院などで教えた後、1947年南山外国語専門学校に赴任、南山大学創設に寄与。1971年まで南山大学仏文科教授、文学部長。 1950年、名古屋日仏文化協会を創設。敬虔なカトリック信者で、ジョルジュ・ベルナノス、ポール・ブールジェ(fr:Paul Bourget)などを多数翻訳した。
山本 政喜(やまもと まさき、1899年〈明治32年〉4月2… 山本 政喜(やまもと まさき、1899年〈明治32年〉4月20日 - 1960年〈昭和35年〉4月7日)は、日本の英文学者・翻訳家。筆名・柾 不二夫(まさき ふじお)。息子にロシア文学者の川端香男里、娘に美術史家の若桑みどりがいる。 福岡県嘉穂郡幸袋町(現・飯塚市)出身。山本荒吉の四男。旧制第一高等学校を経て、1924年に東京帝国大学文学部英文学科を卒業。卒業後4年間滿洲において兵役を務め、その後、中等学校教員、講座編集のほか、雑誌寄稿、翻訳書等の出版に従事。1929年ごろから、「柾不二夫」のペンネームで『戦旗』『ナップ』にアメリカの左翼活動記事を翻訳紹介した。1932年、プロレタリア科学研究所マルクス主義芸術学研究会同人となった。
吉野 源三郎(よしの げんざぶろう、1899年(明治32年)… 吉野 源三郎(よしの げんざぶろう、1899年(明治32年)4月9日 - 1981年(昭和56年)5月23日)は、編集者・児童文学者・評論家・翻訳家・反戦運動家・ジャーナリスト。昭和を代表する進歩的知識人。『君たちはどう生きるか』の著者として、また雑誌『世界』初代編集長としても知られている。岩波少年文庫の創設にも尽力した。明治大学教授、岩波書店常務取締役、日本ジャーナリスト会議初代議長、沖縄資料センター世話人などの要職を歴任した。
石川 淳(いしかわ じゅん、1899年(明治32年)3月7日… 石川 淳(いしかわ じゅん、1899年(明治32年)3月7日 - 1987年(昭和62年)12月29日)は、日本の小説家・文芸評論家・翻訳家。東京府浅草区生まれ。無頼派、独自孤高の作家とも呼ばれ、エッセイでは夷斎と号し親しまれた。本名:淳(きよし)。日本芸術院会員。 祖父から論語の素読を受け、森鷗外に熱中して文学を志す。東京外国語学校仏語科卒。『普賢』(1936年)で芥川賞受賞。『マルスの歌』(1938年)は反軍国調の廉で発禁処分を受けた。 寓意的作品が多く、戦後は『焼跡のイエス』(1946年)を書き、太宰治・坂口安吾とともに新戯作派・無頼派として人気を集めたが、次第に東洋的境地で健筆を振るった。