石川 芳雲(いしかわ ほううん、1930年 - 2020年8… 石川 芳雲(いしかわ ほううん、1930年 - 2020年8月13日)は、日本の書家である。日本書道学院学院長。蛟龍会主宰。山梨県出身。 松本芳翠ならびに中平南谿に師事。第5回東方書道院展特別賞、神奈川県美術展美術賞、第25回書海社展芳翠大賞、日展入選7回、その他受賞多数。何紹基に心頭し、「くずし」の妙による甘美な線が彼の書法のベースとなっている。東北大学工学部卒業。
河瀬 断魚(かわせ だんぎょ、1929年〈昭和4年〉8月14… 河瀬 断魚(かわせ だんぎょ、1929年〈昭和4年〉8月14日 - 2010年〈平成22年〉10月25日)は、島根県平田市(現:出雲市)出身の日本の書家。本名は、河瀬喜重(かわせきじゅう)で、雅号を断魚としていた。昭和の三筆の一人と称されている手島右卿に師事。実弟には、考古学者で広島大学名誉教授の河瀬正利が存在したが2008年6月に病気の為兄より先に他界している。日本の漢字書家一覧 島根県平田市(現:出雲市)に河瀬家の三男として生まれる。長男は生後間も無く亡くなり、次男寿三郎も戦時中に戦死している。三男である喜重も通信兵として戦争に出兵したが幸いにして無事生還し次男寿三郎に代わり河瀬家の跡取となる。
津金 孝邦(つがね よしくに、1929年6月25日 - 20… 津金 孝邦(つがね よしくに、1929年6月25日 - 2021年9月20日)は、日本の書家。日展常務理事、凌雲会会長、読売書法会常任総務。 長野県諏訪郡原村に書家の津金寉仙の四男として生まれる。1936年に一家で上京し、東京・多摩地方で育つ。早稲田大学文学部卒業。父・寉仙と西川寧に私淑し、1962年昭和女子大学助教授、1976年同教授、日本大学教授に就任。 1996年に日展文部大臣賞、2000年書「森鴎外の詩」で 日本芸術院恩賜賞。2006年全国書美術振興会理事長、日展理事などをつとめる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
日比野 光鳳(ひびの こうほう、1928年11月22日 - … 日比野 光鳳(ひびの こうほう、1928年11月22日 - 2023年8月23日)は、日本の書家。勲等は旭日中綬章。水穂会会長、公益社団法人日展顧問、日本芸術院会員、文化功労者。本名は日比野 尚(ひびの ひさし)。 宝酒造株式会社での勤務を経て、同志社大学文学部講師、社団法人日展常務理事などを歴任した。 書家・日比野五鳳の子として京都市に生まれる。幼い頃より書に親しむ。同志社大学経済学部卒業、1953年宝酒造に勤務、1965年まで勤める。同志社大学文学部講師、京都新聞書き初め書道展審査委員長、京都市展審査員などを歴任。1987年日本美術展覧会(日展)会員賞。1992年京都府文化賞功労賞。1994年京都市文化功労者。
安倍 洋子(あべ ようこ、旧姓:岸〈きし〉、1928年〈昭和… 安倍 洋子(あべ ようこ、旧姓:岸〈きし〉、1928年〈昭和3年〉6月14日 - 2024年〈令和6年〉2月4日)は、日本の書家。岸信介の長女、安倍晋太郎の妻、安倍寛信・安倍晋三・岸信夫の母。 三代にわたる政治家一家である岸・安倍家の「ゴッドマザー」的存在で、長らく清和政策研究会所属議員夫人たちのリーダーを務め、政界に信奉者が多いことから「政界のゴッドマザー」と称されていた。 岸信介・良子夫妻の第2子・長女として、東京府豊多摩郡中野町千光前(現:東京都中野区中野)に生まれた。父:信介の満州国政府への赴任中(1936年 - 1939年)は、中野の家で母方の祖母:千代に育てられた。 1941年に一家は新宿区新宿柏木に転居したが、1945年に洋子が白百合高等女学校(現:白百合学園中学校・高等学校)を卒業した後、岸家の実家がある山口県田布施町へ疎開し、洋子も山口銀行の田布施支店に勤務した。
小川 東洲(おがわ とうしゅう、1928年5月6日 - 20… 小川 東洲(おがわ とうしゅう、1928年5月6日 - 2022年9月26日)は、北海道深川市出身の書家。本名、小川昭三。世界各国で書展を開いたほか、北海道を中心とした数々の賞を受賞している。 1928年、北海道深川市生まれ。北海道第一師範学校(現北海道教育大学札幌校)卒業。1962年に「第3回北海道書道展」にて大賞を受賞する。その後1965年にはアメリカ合衆国のサンフランシスコにおいて個展を開き、同年ポーランドの名誉市民となる。1978年に当時の文部省より、芸術選奨新人賞を獲得。1980年にイタリア・ヴェネツィアで行われた「今日の書展」、同じく中国・北京で行われた「現代日本の書道展」の2つの書展で招待出品として作品を展示した。
浅香 鉄心(あさか てっしん、本名:浅香 昌平、1926年〈… 浅香 鉄心(あさか てっしん、本名:浅香 昌平、1926年〈昭和元年〉12月26日 - 1997年〈平成9年〉11月22日)は、日本の書家。書游会創立者。吉澤鐵石、大久保龍石とともに日本書作院を創設し、理事長も務めた。 後の茨城県真壁郡下館町に生まれ、小学4年生から書道を始める。第二次世界大戦中は、海軍兵長として従軍し、巡洋艦「摩耶」に乗り組んでいたが、マリアナ沖海戦で至近弾を受けて重傷を負い、内地に送られた。戦後、復員した後、地元で書道塾を開いた。また、平尾孤往に師事した。 1957年に日展に初入選。 1963年、吉澤鐵石、大久保龍石とともに日本書作院を創設し、理事長も務めた。 1970年には青山杉雨の教えを受けた。
宇佐美 魚目(うさみ ぎょもく、1926年9月14日 - 2… 宇佐美 魚目(うさみ ぎょもく、1926年9月14日 - 2018年10月19日)は、愛知県出身の俳人、書家。本名は和男。名古屋市生まれ、愛知県第一中学校卒。19歳のとき父・野生の勧めで俳句をはじめ、翌年より「ホトトギス」に投句、高濱虚子、橋本鶏二に師事。また「牡丹」「桐の葉」でも学ぶ。1954年、愛知県愛知郡鳴海町(現、名古屋市緑区鳴海町)にて書道塾を開く。書は武市秀峰に師事。蜻蛉会、舟上会主宰(幹事長:宮川一水)。「桐の花」「鷹」「雪」を経て、1957年に鶏二の「年輪」創刊に参加、編集を担当。また野見山朱鳥に兄事。1958年、第1回年輪賞、第1回四誌連合会賞受賞。1963年、波多野爽波の「青」同人参加。
石田 霞村(いしだ かそん、1926年2月15日 - )は、… 石田 霞村(いしだ かそん、1926年2月15日 - )は、日本の書家。福岡県生まれ。 1926年(大正15年)福岡県大牟田市に生まれる。石田霞洞、辻本史邑、広津雲仙に師事。山陽書道会会長、日本書道協会理事、日本教育書道連盟審査員参与、世界芸術振興認定作家。第七次中華民国親善訪問代表。
榊 莫山(さかき ばくざん、本名:榊 齊(さかき はじむ)、… 榊 莫山(さかき ばくざん、本名:榊 齊(さかき はじむ)、1926年2月1日 - 2010年10月3日)は、日本の書家・作家・元教諭。
小笠原 環山(おがさわら かんざん、1925年12月22日 … 小笠原 環山(おがさわら かんざん、1925年12月22日 - 2000年11月24日)は、日本の書家、水墨画家。本名は小笠原 一郎、「環山」は雅号。山梨県櫛形町(現・南アルプス市)の出身。1990年に刊行された『小笠原環山書画集』は美術評論家の田宮文平による書評の対象となり、1999年には月刊誌『趣味の水墨画』の特集「今月の画家」で取り上げられた。 山梨県出身。幼少の頃、曾祖父・小笠原蘭侯と父・補暠から書・詩の影響を受けた。立正大学文学部国文科を中退、在学中は中村星湖研究に関心を寄せた。のちに『墨象』誌上で「夏目漱石と中村星湖の手紙」「相馬御風の書簡 中村星湖との交流」「星湖先生の書」などの文章を発表している。
小山 やす子(こやま やすこ、1924年8月25日 - 20… 小山 やす子(こやま やすこ、1924年8月25日 - 2019年2月27日)は、日本の書家。東京府東京市本所区(現・東京都墨田区)生まれ。川口芝香に師事し、現代かな書を代表する書家の一人として活動した。2008年度、書「更級日記抄」により恩賜賞・日本藝術院賞を受賞し、2016年には書の分野で女性初の文化功労者に選ばれた。 1950年から川口芝香に学び、1961年に日展へ初入選した。1979年に日展特選、1987年に日展審査員、1999年に日展評議員となった。2000年から2016年まで現代書道二十人展に出品した。 また、1951年から書道研究団体玉青会を組織し、後進の育成に尽力した。毎日新聞社主催のサンパウロ展(1975年)など海外展にも出品し、自身の個展を多胡碑記念館(2001年)などで開催した。
相田 みつを(あいだ みつを、雅号:貪不安(ドンフアン)、1… 相田 みつを(あいだ みつを、雅号:貪不安(ドンフアン)、1924年〈大正13年〉5月20日 - 1991年〈平成3年〉12月17日)は、日本の詩人、書家。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られる。書の詩人、いのちの詩人とも称される。栃木県足利市出身。本名は相田 光男(あいだ みつお)。 1924年、栃木県足利市に6兄弟の三男として生まれた。生家は名刹、鑁阿寺(ばんなじ)の東に位置していた。旧制栃木県立足利中学校在学中に書や短歌、絵に親しんだが、喫煙の濡れ衣をきせられ軍事教練の教官に嫌われたために進学を断念。卒業後は歌人・山下陸奥に師事した。1942年、歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の武井哲応と出会い、在家しながら禅を学んだ。
磯貝 碧蹄館(いそがい へきていかん、1924年3月19日 … 磯貝 碧蹄館(いそがい へきていかん、1924年3月19日 - 2013年3月24日)は、俳人、書家。 東京出身。本名は甚吉。豊南商業学校(現・豊南高等学校)中退。川柳、自由律俳句を経て、1954年中村草田男に師事。1960年『与へられたる現在に』で角川俳句賞受賞。1966年『握手』で俳人協会賞受賞。1974年俳誌「握手」を創刊し主宰する。2004年句集『馬頭琴』により第5回雪梁舎俳句大賞特別賞受賞。書を金子鷗亭に学び、創玄展審査員を務めた。2013年3月24日、肺癌のため死去。89歳没。
中島 司有(なかじま しゆう、1924年〈大正13年〉3月7… 中島 司有(なかじま しゆう、1924年〈大正13年〉3月7日 - 2002年〈平成14年〉7月5日)は、日本の書家、書道教育者、元NHKアナウンサー。文学博士。國學院大學名誉教授。現代書道研究所創設者。本名は中島壌治。 東京都神田区(現千代田区)出身。小学校時代に左利きを矯正するために書を習い始め、栄田有宏に師事。1948年(昭和23年)に21歳で毎日展かな部で最高賞、翌年の日書展では最高賞、文部大臣賞を受賞し名を広めた。 京華商業高校、國學院大學国文科を卒業後、NHKに入局。主にアナウンサーを6年、演出を7年、計13年徳島・松山局などで勤め、1965年(昭和40年)より母校である國學院大學の教員を開始(のちに名誉教授となる)。
甫田 鵄川(ぼた しせん、1924年1月20日 - 2016… 甫田 鵄川(ぼた しせん、1924年1月20日 - 2016年6月25日)は、日本の書家。奈良県出身。本名は甫田茂。木村知石に師事し、日展を主な発表の場として活動した。1997年、日展出品作「菜根譚」により日本芸術院賞を受賞した。 奈良県に生まれる。近畿大学を卒業した。木村知石に師事し、1954年に日展に初入選した。 1960年の第3回日展では特選・苞竹賞を受賞した。以後も日展で活動を続け、1993年に内閣総理大臣賞を受賞した。1997年には、日展出品作「菜根譚」により日本芸術院賞を受賞した。 また、天真書道会を主宰し、日展参事を務めた。2009年には奈良市杉岡華邨書道美術館で「甫田鵄川と門人展」が開催され、甫田とその門人の作品が紹介された。
酒井 忠治(さかい ただはる、1924年〈大正13年〉1月1… 酒井 忠治(さかい ただはる、1924年〈大正13年〉1月10日 - 2012年〈平成24年〉6月9日)は、日本の書家・漢文学研究家。 雅号は南山。(財)致道博物館顧問、鶴岡市文化財保護審議委員長、左衛門尉酒井家分家当主、鶴岡書道会顧問。 旧庄内藩主酒井家20代当主・酒井忠良の次男として山形県西田川郡鶴岡町(現・鶴岡市)に生れる。書家の松平穆堂より指導を受ける。1939年(昭和14年) - 山形県立鶴岡中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)卒業。 1962年(昭和37年)3月 - 昭和三十六年度学芸員無試験認定 合格。(財)致道博物館副館長。 1995年(平成7年)11月27日 - 鶴岡市の文化賞「高山樗牛賞」を受賞。
高木 聖鶴(たかぎ せいかく、1923年(大正12年)7月1… 高木 聖鶴(たかぎ せいかく、1923年(大正12年)7月12日 - 2017年(平成29年)2月24日)は、日本の書家。男性。位階は従三位。勲等は文化勲章。本名は高木 郁太(たかぎ いくた)。朝陽書道会会長、公益社団法人日本美術展覧会顧問、公益社団法人日本書芸院最高顧問、読売書法会最高顧問、文化功労者。 社団法人日本書芸院理事、読売書法会理事、読売書法会常任総務、社団法人日本美術展覧会常務理事、社団法人日本美術展覧会理事、社団法人日本美術展覧会参事などを歴任した。 1923年(大正12年)岡山県総社市出身にうまれる。その後、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、同期には、環境化学の権威で大阪府立大学名誉教授となる宗森信がいた。
榎倉 香邨(えのくら こうそん、1923年4月10日 - 2… 榎倉 香邨(えのくら こうそん、1923年4月10日 - 2022年1月21日)は、日本の書家。本名は弘(ひろむ)。書道香瓔会を主宰。日展参事、日本書芸院名誉顧問。 兵庫県西脇市出身。兵庫師範学校卒。安東聖空にまなび、1956年日展初入選、1966年、1975年特選。1985年兵庫県文化賞受賞。1996年日展出品の「流翳」で日本芸術院賞受賞。古筆を研究して現代的な感覚で「かなの美」を追求した。若山牧水の短歌をモチーフにした書をライフワークとした。 2022年1月21日午前7時2分、肺炎のため兵庫県加東市の病院で死去。98歳。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
今井 凌雪(いまい りょうせつ、本名:今井 潤一(いまい じ… 今井 凌雪(いまい りょうせつ、本名:今井 潤一(いまい じゅんいち)、1922年〈大正11年〉12月19日 - 2011年〈平成23年〉7月26日)は、日本の書家。筑波大学名誉教授。書法研究雪心会会長。「読売書法会」常任総務。社団法人「日展」参事。社団法人「日本書芸院」名誉顧問。「國際書道連盟」顧問。 奈良県奈良市生まれ。郡山中学(現奈良県立郡山高等学校)、天理語学専門学校(現天理大学外国語学部)卒業後、駸々堂入社。1949年立命館大学法文学部経済学科卒業。中谷釜雙、辻本史邑に師事。 東京教育大学、筑波大学、大東文化大学で教授、大東文化大学書道文化センター所長を歴任、1988年、大東文化大学書道研究所初代所長(1991年まで)に就任した。
安永 蕗子(やすなが ふきこ、1920年(大正9年)2月19… 安永 蕗子(やすなが ふきこ、1920年(大正9年)2月19日 - 2012年(平成24年)3月17日)は、歌人、書家。 1998年から2007年まで、宮中歌会始選者を務めた。書家としての号は春炎。毎日書道展名誉会員。熊本県熊本市御徒町(現・中央区安政町)出身。熊本県熊本市名誉市民。ノンフィクション作家の永畑道子は妹。 以下の経歴はおもに安永蕗子著『安永蕗子全歌集 資料編』(河出書房新社、2000年)、『みずあかりの記』(新評論、1979年)、『風のメモリイ』(熊本日日新聞社、1995年)、『自解百選 安永蕗子集』(牧羊社、1987年)、安永蕗子聞書,野口郁子 著『月花の旅』(西日本新聞社、1997年)、松平盟子著「天窓からすべてを望めよ:安永蕗子の短歌と人生(連載)」(短歌研究、短歌研究社、2014年-2015年)に基づく。
土田 帆山(つちだ はんざん、1918年12月15日 - 2… 土田 帆山(つちだ はんざん、1918年12月15日 - 2008年2月6日)は、日本の書家、福井県越前市出身。本名は土田 修(- おさむ)。代表作は『剛』、『驪』、『春 一生青春』、『閑古錐』、『天上十分月』。地方文化功労による文部科学大臣賞を受賞。 死去直前の役職は、独立書人団参事、毎日書道展名誉会員、全日本書道連盟評議員、洗心書道会代表、若越書道会薫事、越前市書道連盟会長、武生書作家協会名誉会長、越前市文化協議会顧問、丹南芸術家協会常任顧問。 1940年杉本長雲に師事、高志書道会に入会。1948年文部省主催の書道講習会に福井県代表として小林抱牛(独立書人団元代表)、稲村雲洞、木村蒼岳とともに受講。
松本 筑峯(まつもと ちくほう、1918年(大正7年)9月2… 松本 筑峯(まつもと ちくほう、1918年(大正7年)9月25日 - 2009年(平成21年)12月22日)は日本の書家。現代破体書道の第一人者。石川県羽咋市に生まれ、茨城県下妻市で育つ。本名は磐祐。東洋書道芸術学会会長。松本書道会名誉会長。月刊書道誌『方円』・季刊書道誌『破体』発行。『破体書道史(中国編・日本編)』他著書多数。 世界各地で個展や破体展を開催。海外でも究極の書芸術「破体」に対しての評価は非常に高く、精力的に破体書道の普及に取り組んだ。大韓民国社会教育文化大賞・中国南京市文化功労者、中国鎮江市文化交流貢献賞等を受賞し、破体書法国際展審査長を歴任した。 茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)卒業 1941年(昭和16年)、東京美術学校(現在の東京芸術大学)師範科卒業 1918年(大正7年)、9月25日に松本源祐の五男として石川県羽咋市(現在の白山市)に生まれる 1923年(大正12年)、父親の松本源祐が石川県羽咋市(現在の石川県白山市一里野)で生祠され、開成社と命名 1941年(昭和16年)、東京美術学校師範科卒業在学中、書道漢字は石橋犀水、仮名は比田井小琴、油絵は小林万吾、井原宇三郎、日本画は矢沢弦月に師事 1941年(昭和16年)、愛知県豊橋中学校(現在の時習館高校)の図画の教師として赴任。
酒井 忠明(さかい ただあきら、1917年〈大正6年〉1月3… 酒井 忠明(さかい ただあきら、1917年〈大正6年〉1月30日 - 2004年〈平成16年〉2月28日)は、酒井左衛門尉家21代当主、写真家、書家、歌人、財団法人致道博物館名誉館長。1998年勲五等双光旭日章。1999年鶴岡市名誉市民。 1917年(大正6年)、旧庄内藩主 酒井家20代当主・酒井忠良の長男として山形県鶴岡市家中新町に生まれる。母は大給近道長女・萬千子。 1935年(昭和10年)に旧制鶴岡中学(現・山形県立鶴岡南高等学校)を卒業後、酒井家図書研究所文会堂で旧庄内藩校致道館伝統に基づく「庄内学」とも称される儒学や東洋古典などを学びながら短歌を始め、歌人で万葉集研究家の国文学者、佐佐木信綱に師事する。
國井 誠海(くにい せいかい、1917年〈大正6年〉 - 2… 國井 誠海(くにい せいかい、1917年〈大正6年〉 - 2009年〈平成21年〉12月27日)は日本の書家。現代書を開拓した巨匠で、産経国際書展を設立し、産経国際書会の副理事長や最高顧問など歴任した。作品は米国ニューヨーク近代美術館(MOMA)や文部省、伊勢神宮などにも収められている。 山形県生まれ、1935年(昭和10年)山形市立山形商業学校(現・山形市立商業高等学校)卒業、地域電力会社(現・東北電力)に勤務。1940年文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験(文検)に合格。鈴木翠軒に師事した。 太平洋戦争後に生まれた「現代書」の開拓者で、1970年代からフランスパリ、アメリカニューヨークやロサンゼルスなど海外でも個展を開くなど、国内外で書をアートとして広める活躍で、「現代書のパイオニア」と称された。
伊藤鳳雲(いとう ほううん、1916年6月13日 - 200… 伊藤鳳雲(いとう ほううん、1916年6月13日 - 2001年9月19日)は、日本の書家。本名は伊藤弘三。かな書を中心に活動し、書作品「三吉野の歌」により日本芸術院賞を受賞した。田中塊堂に学び、日展を中心に活動した。 神奈川県秦野市に生まれた。大阪外国語大学インドネシア語部を卒業した。幼少期から書に親しみ、昭和28年に田中塊堂の門に入り、かなを学んだ。 成田山書道美術館によれば、1958年の日展初入選後に頭角を現した。1962年に日展特選・苞竹賞、1970年に日展第5科・菊華賞を受賞した。また、日本芸術院の歴代授賞者一覧では、平成元年度・第46回日本芸術院賞(第一部・書)を「書『三吉野の歌』に対し」受賞したことが確認できる。
浅見 筧洞(あさみ けんどう、1915年〈大正4年〉12月1… 浅見 筧洞(あさみ けんどう、1915年〈大正4年〉12月13日 - 2006年〈平成18年〉1月27日)は、東京都出身の書家。名は精一。謙慎書道会顧問。元大東文化大学教授。 1915年(大正4年)東京府に生まれる。二松學舍専門学校を卒業し、西川寧らに書を学ぶ。1962年(昭和37年)毎日書道展で大賞を受賞する。日展で1963年(昭和38年)特選、1983年(昭和58年)内閣総理大臣賞。1986年(昭和61年)「曾子語(そうしのご)」で日本芸術院賞を受賞する。甲骨文や金文を研究し、大東文化大学教授、日展理事、謙慎書道会理事長などを務めた。2006年(平成18年)1月27日、90歳で死去する。墓所は東京都世田谷区の浄因寺。
徳野 大空(とくの たいくう、1914年〈大正3年〉3月9日… 徳野 大空(とくの たいくう、1914年〈大正3年〉3月9日 - 1974年〈昭和49年〉6月12日)は、群馬県安中市出身の書家。本名は徳野 輝雄(とくの てるお)。現代書芸、筆および墨の研究で知られる。 1914年(大正3年)、群馬県碓氷郡後閑村下後閑(現・安中市下後閑)に生まれる。1931年(昭和6年)半田神来に師事。1933年(昭和8年)群馬県師範学校を卒業。同年より碓氷郡秋間小学校に勤務。 1935年(昭和10年)に比田井天来の門に入り、天来の下で多様な古典を学習した。1937年(昭和12年)上京、翌1938年(昭和13年)より世田谷区玉川小学校に勤務する。1940年(昭和15年)手島右卿に師事。
武士 桑風(たけし そうふう、1913年〈大正2年〉8月13… 武士 桑風(たけし そうふう、1913年〈大正2年〉8月13日 - 2008年〈平成20年〉12月17日)は、日本の書家。本名、今治(いまじ)。 群馬県佐波郡上陽村(現・玉村町)に生まれる。群馬県師範学校卒。教員となり県内で勤めた後、1939年に上京し都内の小中学校で教壇に立った後1973年に退職。書道は半田神来・比田井神来に師事、前衛書道(墨象)の分野で新境地を開拓する。戦後いち早く毎日書道展等の設立に参加し、現代書作家協会代表、全日本書道連盟顧問などを務めた。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
森田 安次(もりた やすじ、1912年〈大正元年〉10月14… 森田 安次(もりた やすじ、1912年〈大正元年〉10月14日 - 1959年〈昭和34年〉8月11日)は、日本の書家。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
村上 三島(むらかみ さんとう、本名 村上 正一、むらかみ … 村上 三島(むらかみ さんとう、本名 村上 正一、むらかみ まさかず、1912年(大正元年)8月25日 - 2005年(平成17年)11月20日)は、日本の書家。勲三等旭日中綬章受章者。文化勲章受章者。「現代書道の巨匠」と呼ばれている。贈従三位(没時叙位)。
森田 子龍(もりた しりゅう、1912年〈明治45年〉6月2… 森田 子龍(もりた しりゅう、1912年〈明治45年〉6月24日 - 1998年〈平成10年〉12月1日)は、日本の書家。兵庫県豊岡市出身。本名は「森田 清」。蒼龍社主宰・墨美社主宰。豊岡中卒。上田桑鳩に師事。1952年に「墨人会」を創立し、抽象画としての墨象の地位を確立する。主な作品に『龍知龍』などがある。
青山 杉雨(あおやま さんう、1912年6月6日 - 199… 青山 杉雨(あおやま さんう、1912年6月6日 - 1993年2月13日)は、書家。愛知県葉栗郡草井村大字村久野(現・江南市)生まれ。大東文化大学教授。号は杉雨、本名は文雄。
比田井 南谷(ひだい なんこく、英語: Nankoku Hi… 比田井 南谷(ひだい なんこく、英語: Nankoku Hidai)、1912年〈明治45年〉2月1日 - 1999年〈平成11年〉10月15日)は書家。本名は漸(すすむ)。神奈川県出身。 父・比田井天来、母・小琴の次男として生まれ、天来没後は書道研究機関「書学院」を継承し、碑帖の管理や出版部の再開に努める。書学院長・毎日書道展名誉会員・書宗院顧問・独立書入団客員などを歴任し、プリンストン大学・オックスフォード大学など、約20の大学で書道史を講演する。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
津村 枕石(つむら ちんせき、1912年(明治45年)1月2… 津村 枕石(つむら ちんせき、1912年(明治45年)1月26日 - 1997年(平成9年)1月7日)は、和歌山県御坊市出身の書家。本名、津村 俊次郎(つむら しゅんじろう)。小林増石に書の手ほどきを受け、炭山南木に師事する。 1953年(昭和28年)、日展に初入選を果たし、以後連続入選する。1962年、自身の一門として『石門会(せきもんかい)』を創設。1963年に、日展で特選を得た後は、1966年に日展委嘱、1974年に日展審査員となる。1970年に和歌山県立日高高等学校を退職し、続いて大阪教育大学講師となる。御坊市文化賞、国際アカデミー賞、和歌山県文化功労賞、田辺市特別表彰などを得る。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
小川 瓦木(おがわ がぼく、1911年〈明治44年〉9月20… 小川 瓦木(おがわ がぼく、1911年〈明治44年〉9月20日 - 2000年〈平成12年〉9月12日)は、日本の書家。 千葉県白井村今井(現在の白井市)出身。。 1935年 (昭和10年)、前衛的書家、上田桑鳩に師事。 。 2000年9月12日、心不全のため死去。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
原田 観峰(はらだ かんぽう、1911年〈明治44年〉3月2… 原田 観峰(はらだ かんぽう、1911年〈明治44年〉3月21日 - 1995年〈平成7年〉7月)は、日本の書家、教育者。福岡県にて生まれ、戦前は東京都で教鞭を取り、戦後は福岡に戻って複数の幼稚園を開設した。後の日本習字教育財団を創立して日本全国で書道教育を推進したほか、海外の文化資料の蒐集を行った。開設した博物館である観峰館には蒐集した資料が所蔵されている。 本名は原田孝太郎。1911年3月21日、福岡県山門郡瀬高町(現・みやま市)に生を受ける。実家は酒樽の製造を営んでいた。教育熱心な父親の下に育ち、幼少期から書道を嗜み、また学問にも秀でていたとされる。当時は小野鵞堂の作品を手本として筆の練習をしていた。
和井田 要(わいだ かなめ、1911年〈明治44年〉2月17… 和井田 要(わいだ かなめ、1911年〈明治44年〉2月17日 - 1967年〈昭和42年〉6月9日)は、日本の書家である。 青森県三戸郡八戸町(現在の八戸市)に生まれ、八戸水産学校中退後に第二次世界大戦中は従軍する。戦後は復員したことにより書家として活動師匠を持たずに独自の作風を執筆し、1949年(昭和24年)に前衛書道的な甲骨文字の書体を発表した。その後は和井田は従来の紙や墨を用いずに、ガラスやキャンバスにアクリル絵具やラッカー等を用いる等日本の書家としては極めて珍しい作風の作品を制作した事により名を馳せる。 後に自身の作品は毎日書道展やニューヨーク展、ヨーロッパ展等に出品され日本のみならず海外にも注目を浴びた。
續木 湖山(つづき こざん、1911年2月11日 - 200… 續木 湖山(つづき こざん、1911年2月11日 - 2006年4月21日)は、書家。愛知県新城市黒田にて出生。本名は續木敏郎。 書家として数々の作品を発表。また書写書道の分野における教育者/研究者としての活動も多岐に渡る(略歴・著書を参照)。師は石田泉城・青山松亭。
広津 雲仙(ひろつ うんせん、1910年〈明治43年〉10月… 広津 雲仙(ひろつ うんせん、1910年〈明治43年〉10月1日 - 1989年〈平成元年〉9月19日)は、昭和期に活躍し、日展内閣総理大臣賞や日本芸術院賞を受賞した書家。日展の要職を歴任し常務理事を務めたほか、日本書芸院の設立、読売書法会の創立に尽力した。また、書道雑誌『墨滴』を刊行すると同時に、墨滴会を主宰し、後進の育成に力を注いだ。長崎県北高来郡高来町出身(現、諫早市高来町)で、本名は廣津 四郎(ひろつ しろう)。雅号の「雲仙」は、長崎県の雲仙岳に由来する。 雲仙の作品は、堅実な古典的基礎の骨格を、穏和な肉付きで包んでいて、厳しい格調の高さや内的精神の強さが、気取りや誇張のない、やさしい品の良さで仕上げられている。
田上 帯雨(たがみ たいう、1908年(明治41年)4月18… 田上 帯雨(たがみ たいう、1908年(明治41年)4月18日-2000年(平成12年)7月8日)は日本の書家。全日本書芸文化院名誉代表。本名は田上重利。 1908年(明治41年)4月18日、熊本県に生まれる。1930年(昭和5年)に法政大学高等師範部を卒業する。1933年(昭和8年)に田代秋鶴に師事し、書を始める。教職の傍ら、書学に励み、1938年(昭和13年)に文部省検定(文検習字科)に合格する。 共立女子専門学校、白百合女子大学で書道の指導にあたり、1950年(昭和25年)に日本書道美術院審査員、1951年(昭和26年)に全日本書芸文化院副会長、1965年(昭和40年)に日本書道美術院理事、1971年(昭和46年)に全日本書芸文化院代表を歴任する。
西川 久壽男 (にしかわ くすお、1908年 - 2008年… 西川 久壽男 (にしかわ くすお、1908年 - 2008年)は、長野県の教育者、書家。雅号は秋象(しゅうしょう)。 長野県生まれ。生家の西川豊後守藤原社家は「家学(かがく)」として、代々有職故実、太鼓・鼓・笛・和歌・書などに嗜んできた。 三重県伊勢市の旧制神宮皇學館附属中学(現皇學館中学校・高等学校)在学中から、書を尾上柴舟(書家・歌人、女子学習院《現学習院女子大学》教授)に師事し、18歳で院展入選、書家活動を開始。官立神宮皇学館大学歴史科卒業後、同政教学部卒業。 その間、尾上柴舟の紹介で京都大学・吉澤義則教授の研究室(国文学)に足繁く通い、教えを受ける。北京大学、台北大学などの講師を務める。
上條 信山(かみじょう しんざん、1907年〈明治40年〉9… 上條 信山(かみじょう しんざん、1907年〈明治40年〉9月20日 - 1997年〈平成9年〉2月12日)は、日本の教育者、書家。信山は号で、本名は周一。宮島詠士に師事し、独自の書風を確立。戦後、毛筆書道を学校教育で復活させる必要性を訴え、実現させた。文化功労者。 1907年、長野県東筑摩郡神林村(現松本市)で農家の三男として生まれた。小学生の頃は野球に熱中していたが、小学校担任の影響で書にも関心が向くようになり、秋山白巌の内弟子として2年間指導を受けた。松本教育実業学校を卒業後、訓導として小学校に勤務する一方、師範学校の受験準備も進め、1925年に長野師範学校に入学した[要出典]。師範学校3、4年の時には信濃毎日新聞と長野県が共催する県展に作品を応募し、連続して最高賞を獲得した(特に、4年の時の審査は比田井天来が行っており、審査後の講評において信山の号をつけられた)。
出口 神暁(でぐち しんぎょう 1907年5月30日 – 1… 出口 神暁(でぐち しんぎょう 1907年5月30日 – 1985年3月9日)は、日本の蔵書家、郷土史家。 岸和田市の称名寺の長男として生まれる。平安中学校卒業。岸和田市役所書記等を勤めたのち、1947年、称名寺住職を継ぐ。市役所勤務のころから、郷土資料の収集・研究を行い、のちに反町茂雄から「異常に熱心な郷土資料の蒐集家」と評された。1943年4月に蔵書をもとに鬼洞文庫を設立。蔵書は、現在は関西大学図書館や大阪歴史博物館などに収められている。1949年には和泉文化研究会を設立し、機関誌として『流木』(のち『和泉志』と改題)を創刊し、また和泉文化研究会図書館の館長も務めた。その他に「鬼洞叢書」や「和泉史料叢書」として史料集の編纂刊行を行った。
堀江 知彦(ほりえ ともひこ、1907年〈明治40年〉3月1… 堀江 知彦(ほりえ ともひこ、1907年〈明治40年〉3月13日 - 1988年〈昭和63年〉6月28日)は、日本の書家・書道史家。 東京生まれ。号は秋菊。早稲田大学国文科卒。1934年から1969年まで東京国立博物館勤務。その後、1982年まで二松學舍大学教授を務めた。古筆鑑定、会津八一の研究を行った。
桑原翠邦(くわはら すいほう、1906年〈明治39年〉9月2… 桑原翠邦(くわはら すいほう、1906年〈明治39年〉9月20日 - 1995年〈平成7年〉3月27日)は、北海道帯広市出身の書家である。本名、清美。翠邦は号で魚目とも号した。書家の桑原呂翁は長男。 1906年、北海道河西郡帯広町(現在の帯広市)に生まれた。1921年、札幌鉄道教習所に入学し、大塚鶴洞に師事したことで、書を意識するようになった。また、後に同じく書家となる金子鷗亭、三宅半有とも鉄道教習所時代に出会っている。1924年に鉄道教習所を卒業し、職に就くが、川谷尚亭、比田井天来が相次いで北海道に来遊、彼らから上京を勧められたことで、金子とともに1932年に上京、以降比田井天来に師事した。翌年、上田桑鳩が中心となって結成された書道芸術社に参加した。
金子 鷗亭(かねこ おうてい、1906年〈明治39年〉5月9… 金子 鷗亭(かねこ おうてい、1906年〈明治39年〉5月9日 - 2001年〈平成13年〉11月5日)は、日本の書家。近代詩文書を提唱した。 北海道松前郡生まれ。本名は金子賢藏。鷗亭は雅号で、他に琴城、薊谷がある。子息は書家の金子卓義。 1906年、北海道松前郡小島村(現:松前町)に生まれる。1921年、15歳で札幌鉄道教習所に入学、同級生には桑原翠邦、三宅半有などがいた。教習所時代に大塚鶴洞、川谷尚亭などから書を学んだ。1929年に函館師範學校(現・北海道教育大学函館校)卒業。同年、札幌に来遊していた比田井天来と出会い、上京を勧められ、1932年上京、以降天来に師事する。1933年には上田桑鳩が結成した書道芸術社に参加するとともに、雑誌『書之研究』に「新調和体」論を発表、近代詩を書にする近代詩文書運動を起こした。
木村 卜堂(きむら ぼくどう、1905年12月19日 - 1… 木村 卜堂(きむら ぼくどう、1905年12月19日 - 1975年8月9日)は、日本の書家。本名は信太郎、卜堂は号。木村東道は長男。栃木県足利市出身。 自ら日本書作家協会(1973年社団法人化)を興し、戦後書壇の隆盛の一翼を担いつつ、文人書家として多彩な創作活動を展開した。 戦前の旧東方書道会展で頭角を顕わし、戦後は新日本書道展、日本書作院、東方書道展などに創立から参画し、審査員を歴任、毎日書道展では初代グランプリ(準大賞)を受賞した。 1959年には同志を糾合、純正書道を標榜して日本書作家協会、新興書道展を創設し、書道の啓蒙と普及、後進作家の育成に尽力、会派を超えた指導力を発揮し、書芸術及び書壇の発展に寄与した。
富永 眉峰(とみなが びほう、本名:富永 三喜男、1905年… 富永 眉峰(とみなが びほう、本名:富永 三喜男、1905年(明治38年) - 1987年(昭和62年))は、日本の書家。徳島県徳島市出身。 徳島県徳島市新南福島出身。1932年(昭和7年)に文検習字科への合格を経て炭山南木(1895-1979)に師事し、1953年(昭和28年)に日展への初入選を経て6回入選。 徳島県書道協会会長などの役職を歴任し、徳島県の書道発展に大きく貢献した書道教育の第一人者として1982年(昭和57年)に徳島県文化賞を受賞。同年4月4日には石井町に句碑が建てられた。 1987年(昭和62年)、死去。墓所は徳島県徳島市城南町の実相寺。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
吉野 秀雄(よしの ひでお、1902年〈明治35年〉7月3日… 吉野 秀雄(よしの ひでお、1902年〈明治35年〉7月3日 - 1967年〈昭和42年〉7月13日)は、近代日本の歌人・書家・文人墨客。号は艸心。多病に苦しみながら独自の詠風で境涯の歌を詠んだ。多数の美術鑑賞や随筆を残し、書家としても知られている。 『南京新唱』を読み、会津八一にひかれて師事。生涯を病とたたかいつつ、良寛を愛し、万葉調を基調にした、純粋な人間への愛憐を詠む。『寒蟬集』(1947年)、『晴陰集』(1950年)などの歌集がある。 群馬県高崎市に次男として生まれる。家は織物問屋の株式会社吉野藤であった。 1909年(明治42年)身体が病弱であったため富岡上町の祖父母のもとに移り住み、富岡小学校に入学。