縫田 曄子(ぬいた ようこ、1922年1月1日 - 2024… 縫田 曄子(ぬいた ようこ、1922年1月1日 - 2024年9月9日)は、日本のジャーナリスト。女性初のNHK解説委員、東京都民生局長、国立婦人教育会館初代館長、市川房枝記念会理事長などをつとめた。 1922年(大正11年)1月1日、中国の上海で生まれた。上海は、中国問題専門家のジャーナリストだった父、太田宇之助の赴任先だった。名前の「曄」には「日本と中華の懸け橋になるように」という願いがこめられた。 1939年(昭和14年)、立教高等女学校を卒業し、津田英学塾に入学した。1942年(昭和17年)9月、津田英学塾を繰り上げ卒業した。卒業後、半年ほど国際文化振興会調査部に勤務した。同期に堀田善衛がいた。
田代 一正(たしろ かずまさ、1922年(大正11年)1月1… 田代 一正(たしろ かずまさ、1922年(大正11年)1月1日 - 2000年(平成12年)5月25日)は日本の大蔵官僚。防衛庁経理局長、防衛庁長官官房長、防衛事務次官、日本銀行理事、日本証券金融取締役副社長、平和相互銀行代表取締役会長兼社長などを歴任。 兵庫県出身。東京帝国大学経済学部経済学科卒業。東京帝大経済学部経済学科在学中に高等試験行政科を合格。1943年9月 大蔵省入省。外資局属。1945年1月 名古屋財務局。1946年2月 浜松税務署長。1959年8月 主計局主計官(外務、通商産業担当)。1963年5月 主計局主計官兼主計局総務課(企画担当)。1965年6月 銀行局総務課長。1966年7月 国税庁調査査察部長。
小林 清志(こばやし きよし、1922年〈大正11年〉1月1… 小林 清志(こばやし きよし、1922年〈大正11年〉1月1日 - 2013年〈平成25年〉10月28日)は、日本の機械工学者。東北大学教授を経て、豊田工業大学学長や、日本伝熱学会会長、日本熱物性研究会会長等を歴任した。 長野県長野市生まれ。旧制長野商業学校(長野県長野商業高等学校)、旧制横浜高等工業学校、東北帝国大学工学部を経て、1949年同大学院修了。1959年文部省の在外研究員としてアルゴンヌ国立研究所留学。1960年東北大学教授。1970年静岡大学教授。1981年日本伝熱学会会長。1983年日本熱物性研究会会長。1984年 豊田工業大学教授、豊田工業大学副学長。1990年豊田工業大学第3代学長就任。
須崎 勝彌 (すさき かつや、1922年1月1日 - 201… 須崎 勝彌 (すさき かつや、1922年1月1日 - 2015年1月9日)は、日本の脚本家・小説家。日本統治時代の朝鮮京城府生まれ。鹿児島県いちき串木野市串木野地域出身。別名義に須崎 勝弥。 父が三菱鉱業に勤め、京城支社にいる頃に生まれる。市来尋常高等小学校(現いちき串木野市立市来小学校)在学を経て、1939年(昭和14年)旧制京城中学校卒業。1942年(昭和17年)旧制第一高等学校卒業。東北帝国大学法学部在学中の1943年(昭和18年)に学徒出陣となり、1944年(昭和19年)に卒業扱い。学徒出陣では出水海軍航空隊に少尉で任官され、沖縄戦線に出撃するなどをして茨城県百里海軍航空隊で終戦を迎えた。
村田 倉夫(むらた くらお、1921年(大正10年)1月1日… 村田 倉夫(むらた くらお、1921年(大正10年)1月1日 - 2015年(平成27年)3月21日)は、日本の実業家。京成電鉄第7代社長。 東京府豊多摩郡杉並村(現・東京都杉並区)高円寺に生まれる。 東京府立第二中学校(現東京都立立川高等学校)を経て、1940年東京商科大学(現一橋大学)予科へ。 1942年東京商科大学学部を卒業し、日本興業銀行に入行。翌年応召、東部軍経理部から南支方面へ主計将校として派遣される。 1947年に興銀復帰するが、最初の出向として1953年から1956年、旧中島飛行機グループなど5社が出資し、発足した直後の富士重工業へ。 2度目の出向は1964年、大商証券へ取締役として。
渡辺 博之(わたなべ ひろゆき、1921年1月1日 - 19… 渡辺 博之(わたなべ ひろゆき、1921年1月1日 - 1990年10月2日)は、大阪府大阪市阿倍野区出身のプロ野球選手(外野手、内野手)・監督。 旧制桃山中学校卒業後、同志社大学に進学し野球部に所属した。1941年と1942年春秋リーグ戦では関西六大学リーグ初優勝かつ4連覇(戦後まもなくの1946年春秋リーグ戦連覇で6連覇)に貢献するなどエースとして活躍。在学中に南海軍から入団の打診を受けるも拒否し、卒業後に応召を受ける。戦後は会社員として働くが、それから間もなく独立し、御堂筋に洋品雑貨の店を構えていた。これと並行してノンプロチーム「全大阪」に参加し、1946年から1948年まで3年連続で都市対抗に出場。
牧角 三郎(まきずみ さぶろう、1921年(大正10年)1月… 牧角 三郎(まきずみ さぶろう、1921年(大正10年)1月1日 - 2002年(平成14年)3月10日)は、日本の法医学者。医学博士、九州大学名誉教授、元日本法医学会会長。 九州大学医学部法医学教室に長く在籍し、薬毒物の分析法や血痕の簡易検査法の研究で成果を上げた。また、免田事件、島田事件、別府3億円保険金殺人事件などで法医学鑑定を手掛け、鳥取県科学捜査研究会顧問、福岡県科学捜査研究会常任理事、日本法医学会会長などを歴任した。 1921年(大正10年)1月1日、鹿児島県川辺郡知覧町に生まれた。 旧制鹿児島県立川辺中学校、旧制第七高等学校造士館を経て、1945年(昭和20年)9月に九州帝国大学医学部を卒業し、第2外科・温泉治療学研究所を経て、1948年(昭和23年)6月に法医学教室に入局した。
桑原 啓善(くわはら ひろよし、1921年1月1日 - 20… 桑原 啓善(くわはら ひろよし、1921年1月1日 - 2013年7月22日)は、日本の詩人、心霊研究家。ペンネームは山波 言太郎(やまなみ げんたろう)。慶應義塾大学経済学部卒業。 学生時代に心霊研究の迷信を叩くことを試みるが、逆に心霊研究を正しいと考えるようになり、同研究の道に入る。心霊科学研究会を創設した浅野和三郎の後継者である脇長生に師事。1985年、任意団体「シルバー・バーチの会」(後のニューエイジ団体『生命の樹』)を設立し、「ネオ・スピリチュアリズム」を唱導する。 1992年、癒やしの力を持つ発声法として「リラ」を考案。人間の耳には聞こえない自然界の呼吸音が癒やしと生命力の回復になると考え、これを「自然音楽」と呼び、この自然音楽で人を癒やす「自然音楽療法」を1995年に開始。
小林 幸雄(こばやし ゆきお、1921年1月1日 - 201… 小林 幸雄(こばやし ゆきお、1921年1月1日 - 2012年6月11日)は、日本の経営者。北海道テレビ放送社長を務めた。東京都出身。 1944年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。召集され武山海兵団に入団。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、同年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、舞鶴経理部に配属。同年12月、海軍主計少尉に任官。小松基地第48魚雷調整班主計長に転じ、1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 1946年1月に朝日新聞社に入社。東京本社週刊朝日編集部員、社会部員、西部本社社会部次長、福岡総局次長、東京本社通信部次長、同社会部次長、静岡支局長などを務めた。
羽坂 勇司(はさか ゆうじ、1921年1月1日 - 2020… 羽坂 勇司(はさか ゆうじ、1921年1月1日 - 2020年1月12日)は、日本の歯科医師、青山学院元理事長。 1921年東京都生まれ。青山学院中等部卒業、1941年に繰り上げで青山学院高等部卒業、陸軍に召集される。復員後は、現在の日本歯科大学で歯学を学び、さらに慶應義塾大学医学部で細菌学を研究し、1961年に医学博士号取得。論文の題は「ムタビール型変異菌(村瀬)の出現機序に関する研究 」。横浜市で開業し、横浜市磯子歯科医師会会長、同監事などを歴任。1977年から青山学院理事、1988年から青山学院校友会副会長などを歴任し、青山学院理事長に就任し、1990年~2005年までその職にあった。2007年旭日中綬章を受章。
小山 弘志(こやま ひろし、1921年1月1日 - 2011… 小山 弘志(こやま ひろし、1921年1月1日 - 2011年2月16日)は、国文学者。東京大学教養学部名誉教授。謡曲を専門とした。 東京生まれ。旧制一高を経て、1943年東京帝国大学国文科卒。戦後、東大教養学部教授を務め、1974-1976年教養学部長。1981年定年退官後は、国文学研究資料館館長を務めた。 2011年2月16日、肺炎のため東京都新宿区の病院で死去。90歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
永井 博(ながい ひろし、1921年1月1日 - 2012年… 永井 博(ながい ひろし、1921年1月1日 - 2012年11月7日)は、日本の哲学者、筑波大学名誉教授、日本学士院会員。 1921年、愛知県で生まれた。東京文理科大学で学び、卒業。1959年、学位論文『数理の存在論的基礎』を東京教育大学に提出して文学博士号を取得。 卒業後は東京教育大学助教授に就いた。1978年より同大学は筑波大学となり、後に教授昇格。1984年に筑波大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は東海大学教授として教鞭をとった。1996年、日本学士院会員に選出された。2012年11月7日に死去。 専門は科学哲学、科学史。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
川井 正(かわい まさし、1921年(大正10年)1月1日 … 川井 正(かわい まさし、1921年(大正10年)1月1日 - 1991年(平成3年)4月27日)は、日本の作家。 東京(現在の東京都台東区)に生まれる。1943年(昭和18年)法政大学英文学科を卒業する。 TBSの放送部長、審議室委員などを経て、1976年(昭和51年)にTBSを退社、以後作家活動に入る。 1991年(平成3年)4月27日に死去、70歳。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
牛尾 一弘(うしお かずひろ、1921年(大正10年)1月1… 牛尾 一弘(うしお かずひろ、1921年(大正10年)1月1日 - 2004年(平成16年)9月25日)は、日本の政治家。島根県江津市長(2期)。位階は正五位。 島根県那賀郡江津町(現・江津市)出身。1937年、島根県立江津工業学校(現・島根県立江津工業高等学校)卒。1966年、江津市議会議員に当選し、文教厚生、建設の各委員長、副議長を務める。1990年、江津市長に当選し、市長を2期務める。1998年、市長を退任する。1999年、勲四等旭日小綬章を受章する。2004年に死去。死没日付をもって正五位に叙された。
志位 正二(しい まさじ、1920年1月1日 - 1973年… 志位 正二(しい まさじ、1920年1月1日 - 1973年3月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。 志位正人陸軍中将の息子として生まれる。東京府立六中、東京陸軍幼年学校、陸軍士官学校予科を経て、1939年9月、陸軍士官学校(52期)を卒業。同年11月、歩兵少尉に任官し歩兵第61連隊付となる。1944年12月、陸軍大学校(59期)を卒業し陸軍少佐に昇進。1945年4月、関東軍隷下の第3方面軍情報参謀に発令され、終戦を迎えた。 終戦後シベリア抑留に遭い、1948年4月にソ連諜報員となる誓約を行い、モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」において朝枝繁春、瀬島龍三、種村佐孝らとともに諜報員、共産主義革命のための特殊工作員としての訓練を受けたとされる。
築地 正子(ついじ まさこ、1920年(大正9年)1月1日 … 築地 正子(ついじ まさこ、1920年(大正9年)1月1日 − 2006年(平成18年)1月27日、享年86歳)は、日本の歌人。本名は築地 正(ついじ まさ)。 1920年(大正9年)1月1日、東京に生まれた。実践女子専門学校(現・実践女子大学)国文科在学中から作歌を始め、短歌結社「鶯」をへて竹柏会「心の花」の同人となった。戦後、二十六歳の時に熊本県長洲町に両親と共に移り住み、五十年以上をそこで土を耕しながら過ごした。一時期絵画を志したが、熊本移住後に断念している。熊本ではその地になじめず、最後まで東京への望郷の思いを持ち続けた。彼女は人間嫌いとも言われるほど世俗を退け、家に電話も置いていなかったところから、「孤高の歌人」と呼ばれたが、長洲町の豊な自然(鳥や虫、植物など)との交感や老いを題材に、彼女独特の美学や哲学に基づいた清新な歌風の作品を残している。
石崎 亀喜(いしざき きよし、1920年1月1日 - )は、… 石崎 亀喜(いしざき きよし、1920年1月1日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。
青井 和夫(あおい かずお、1920年1月1日 - 2011… 青井 和夫(あおい かずお、1920年1月1日 - 2011年11月21日)は、日本の社会学者。東京大学・流通経済大学名誉教授。構造機能主義の理論的地平から、地域社会学、家族社会学における生活構造論の研究を進めた。 1920年、岡山県生まれ。1941年、東京帝国大学法学部を卒業。東京大学文学部社会学科卒業。 卒業後は東京学芸大学助教授。1961年より東京大学文学部社会学科助教授、1970年より教授。1980年に定年退官し、名誉教授となった。その後は津田塾大学学芸学部教授、1988年からは流通経済大学社会学部教授を務め、退任後同大名誉教授となった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
有馬 元治(ありま もとはる、1920年〈大正9年〉1月1日… 有馬 元治(ありま もとはる、1920年〈大正9年〉1月1日 - 2006年〈平成18年〉12月15日)は、日本の内務・労働官僚、政治家。労働事務次官、衆議院議員(6期)、防衛政務次官、自由民主党国防部会長。鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)出身。 台北高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科卒業後の1941年(昭和16年)12月、内務省(東京府属)に入省したが、わずか2週間後の1942年(昭和17年)1月、短期現役海軍主計科士官八期生として海軍経理学校に入学し、海軍主計中尉に任官。1943年(昭和18年)11月、主計大尉に進む。終戦後、海軍から内務省に復帰後は、内閣官房内閣参事官、中央労働委員会事務局長、労働省職業安定局長などを経て、1968年(昭和43年)労働事務次官に就任。
入江 薫(いりえ かおる、1920年1月1日 - 2015年… 入江 薫(いりえ かおる、1920年1月1日 - 2015年11月15日)は、日本の作曲家である。宝塚歌劇団の座付き作曲家として多くの作品を手掛ける。 1950年(昭和25年)宝塚歌劇団に入社する。2014年に『宝塚歌劇の殿堂』の100人に選ばれた。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役) 秩父晴世 - 打吹美砂 - 楓茂美 - 玉野ひかり - 日下輝子 - 櫻野美也子 - 玉野ひか留 - 美山しぐれ - 桃山千歳 - 桂木ゆたか - 睦千賀&桂木ゆたか - 御幸沙智子&歌川波瑠美 - 歌川波瑠美 - 藤園さとみ - 銀あけみ - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 磯野千尋 - 一原けい - 梨花ますみ - 高翔みず希 - 悠真倫 - 紫峰七海 - 花野じゅりあ - 芽吹幸奈 - 冴月瑠那 - 美風舞良 - 航琉ひびき - 紫門ゆりや(現役) 紅羽真希(現役)
小野 忠熈(おの ただひろ、1920年1月1日 - 2019… 小野 忠熈(おの ただひろ、1920年1月1日 - 2019年4月6日)は、日本の考古地理学者。理学博士。山口大学名誉教授。小野 今(おの こん)の雅号で洋画家としても活動していた。
助野 健太郎(すけの けんたろう、1920年1月1日 - 1… 助野 健太郎(すけの けんたろう、1920年1月1日 - 1993年9月11日)は、日本史学者。 横浜出身。1942年早稲田大学文学部史学科卒。南方へ出征し、1946年復員、滋賀県の近江兄弟社に1948年まで参加する。大学院で学び、関東学院六浦中学校・高等学校教諭、聖心女子大学文学部助教授、教授。1991年定年、名誉教授。教え子に上皇后美智子。早大(非常勤)での教え子に小和田哲男がいた。統一教会員。日本キリシタン史が専門。
二宮 文造(にのみや ぶんぞう、1920年〈大正9年〉1月1… 二宮 文造(にのみや ぶんぞう、1920年〈大正9年〉1月1日 - 2006年〈平成18年〉1月27日)は、日本の政治家。香川県高松市出身。東北帝国大学法文学部中退。参議院議員(4期)。 香川県高松市錦町に生まれた。1941年(昭和16年)早稲田大学専門部政治経済科を卒業。1944年(昭和19年)東北帝国大学法文学部を中退した。同年、朝日新聞東京本社に入社し、前橋支局勤務、札幌支局勤務を経て政治経済部記者となり、1951年(昭和26年)に退社した。 1959年(昭和34年)高松市議会議員に当選。1962年(昭和37年)7月1日、第6回参議院議員通常選挙で全国区から無所属で立候補し、初当選する(以降、連続4期在任)。
井手 雅人(いで まさと、1920年1月1日 - 1989年… 井手 雅人(いで まさと、1920年1月1日 - 1989年7月17日)は、日本の脚本家、小説家。 佐賀県佐賀市出身。豊島師範学校本科第一部卒業。戦後に小学校教員を務めたのち、1948年に新東宝に入社。長谷川伸に師事して小説を書き、『地の塩』が1953年の第30回直木賞候補になる。 1954年に新東宝を退社し、フリーの脚本家として活動。脚本家としては、単独執筆の『証人の椅子』『ダイナマイトどんどん』『鬼畜』などがキネマ旬報ベストテンなどで評価されているほか、共同脚本の一員として黒澤明監督作品『赤ひげ』『デルス・ウザーラ』『影武者』『乱』などに関わる。 1985年から1989年まで日本シナリオ作家協会常務理事を務めた。
細川 隆一郎(ほそかわ りゅういちろう、1919年1月1日 … 細川 隆一郎(ほそかわ りゅういちろう、1919年1月1日 - 2009年8月25日)は、日本の政治記者・評論家・コメンテーター、タレント・ラジオパーソナリティである。第79代内閣総理大臣の細川護熙は遠い親戚関係に当たる。
岡村 雅夫(おかむら まさお、1919年1月1日 - 200… 岡村 雅夫(おかむら まさお、1919年1月1日 - 2005年6月27日)は日本の政治家。高知県安芸郡芸西村長などを歴任する。 高知県出身。関西大学専門部卒。旧安芸郡西分村役場に入り、県水産課雇員、西分村の助役などを経て、1946年に27歳で官選時代の西分村長に就任。1947年に西分村長選挙で当選。1954年、西分、馬ノ上、和食の旧3村が合併して誕生した芸西村の初代村長に当選した。その後、連続13選(うち10選が無投票当選)を果たし、1996年8月に村長在任50年を迎えた。同年10月に最後は「体力の限界」と任期2年を残したまま引退した。芸西村役場に顕彰碑が建てられている。 地方自治体首長の連続13選は公選首長では全国最多である。
白井 泰四郎(しらい たいしろう、1919年1月1日- 20… 白井 泰四郎(しらい たいしろう、1919年1月1日- 2014年)は、労働問題研究者翻訳家。 鎌倉市生まれ。1944年東京帝国大学経済学部卒。日本労働協会主任研究員、法政大学経営学部教授、90年定年退任、名誉教授となった。城浩一の筆名をもち、アメリカ文学の翻訳もした。
森本 修(もりもと おさむ、1919年1月1日- 1998年… 森本 修(もりもと おさむ、1919年1月1日- 1998年9月28日 )は、日本の農林官僚。農林中央金庫理事長を務めた。 和歌山県海南市出身。1941年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、1942年に農林省に入省した。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、同年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。第103軍需部に配属。1943年11月、海軍主計大尉に昇進し、海軍省軍務局第4課員として終戦を迎えた。 戦後、農林省に復帰。1965年6月に農林経済局長に就任し、1966年9月に農政局長、1968年6月に水産庁長官、1969年11月に食糧庁長官、1970年8月に農林事務次官、1973年7月に農業信用保険協会理事長を経て、1977年5月には農林中央金庫理事長に就任。
大谷 洌子(おおたに きよこ、1919年1月1日 - 201… 大谷 洌子(おおたに きよこ、1919年1月1日 - 2012年5月8日)は、昭和期の声楽家(ソプラノ)、歌手。出生年を1921年とする文献もある。 広島県広島市国泰寺町(現・中区国泰寺町)出身。両親はいずれも広島一中(現・広島国泰寺高校)の教師だった。1940年武蔵野音楽学校卒業。同期生に高英男、木下忠司がいる。原信子に師事。 同年、ビクターレコードから歌手デビュー。1941年に、柴田睦陸と「出せ一億の底力」を吹き込む。 1942年には、灰田勝彦と、「ジャワのマンゴ売り」や「空の神兵」を吹き込みヒットさせている。 前年、第10回毎日音楽コンクール声楽部門入賞をきっかけに藤原歌劇団歌舞伎座公演『ファウスト』の主役・マルガレーテ役に抜擢されオペラ界にデビュー、新人でマルガレーテを演じた冽子は「オペラ界のシンデレラ」ともてはやされた。
田端 義夫(たばた よしお、1919年〈大正8年〉1月1日 … 田端 義夫(たばた よしお、1919年〈大正8年〉1月1日 - 2013年〈平成25年〉4月25日)は、日本の歌手、ギタリスト。本名:田畑 義夫(読み同じ)。第二次世界大戦前から21世紀初頭まで現役歌手として活躍した。愛称はバタヤン。高い位置で構えるエレクトリック・ギター(ナショナル1124)、独特の哀愁を帯びた歌声、「オーッス!」という威勢のよい挨拶がトレードマークで、広く国民に親しまれた。 三重県松阪市生まれ。3歳の時に父を亡くし、大正14年(1925年)に一家とともに大阪に出て行く。小学校3年の半ばで中退。赤貧のため慢性的な栄養失調であった。トラコーマにかかり徐々に右目の視力を失う。 13歳より名古屋の薬屋やパン屋、鉄工所などで丁稚奉公。
田沢 吉郎(たざわ きちろう、1918年1月1日 - 200… 田沢 吉郎(たざわ きちろう、1918年1月1日 - 2001年12月12日)は、日本の政治家。位階は正三位。 自由民主党所属の衆議院議員。青森県南津軽郡田舎館村出身。姓のうち「沢」の戸籍上の表記は「澤」。 津島文治元青森県知事の娘婿で、1947年、29歳で青森県議会議員に初当選。1960年、「津軽のケネディ」を名乗って衆議院議員選挙に立候補し、初当選。以来12回連続当選(当選同期に宇野宗佑・海部俊樹・亀岡高夫・仮谷忠男・細田吉蔵・小沢辰男・佐々木義武・谷垣専一・久保田円次・伊藤宗一郎・田川誠一・藤井勝志など)。 自民党内では宏池会(池田勇人→前尾繁三郎→大平正芳→鈴木善幸→宮澤喜一派)に属し、衆議院議院運営委員長、国土庁長官、自民党国会対策委員長、農林水産大臣、防衛庁長官などを歴任。
松谷 健一郎(まつたに けんいちろう、1918年〈大正7年〉… 松谷 健一郎(まつたに けんいちろう、1918年〈大正7年〉1月1日 - 2002年〈平成14年〉10月23日)は、日本の実業家。元中国電力代表取締役社長、元中国経済連合会会長。 広島市生まれ。旧制広島高等師範学校附属中学、旧制広島高等学校を経て、1941年(昭和16年)京都帝国大学工学部を卒業し、海軍を経て、中国配電入社。 1975年(昭和50年)中国電力株式会社取締役総合企画室第一企画室長、1977年(昭和52年)中国電力株式会社常務取締役、1979年(昭和54年)中国電力株式会社取締役副社長、1981年(昭和56年)中国電力株式会社代表取締役社長、1987年(昭和62年)中国経済連合会会長、1989年(平成元年)中国電力株式会社代表取締役会長、1995年(平成7年)中国電力株式会社相談役。
長持 栄吉(ながもち えいきち、1918年1月1日 - 20… 長持 栄吉(ながもち えいきち、1918年1月1日 - 2000年6月16日)は、静岡県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。
山口 正之(やまぐち まさゆき、1918年1月1日 - 19… 山口 正之(やまぐち まさゆき、1918年1月1日 - 1999年3月20日)は、日本のマルクス経済学者。 佐賀県佐賀市出身。東京帝国大学経済学部卒。立命館大学産業社会学部教授、1983年定年、名誉教授、大阪経済法科大学教授。日中友好協会会長を務めた。1999年、肺炎のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
田中 修平(たなか しゅうへい、1918年1月1日 - 19… 田中 修平(たなか しゅうへい、1918年1月1日 - 1992年4月20日)は、日本の経営者。大阪建物(現在のダイビル)社長を務めた。 三重県出身。1948年に東京商科大学を卒業し、同年に住友銀行に入行。1972年5月に大阪建物常務に就任し、1973年6月には社長に昇格。1981年6月に会長を経て、1986年6月から相談役を務めた。 1992年4月20日急性心筋梗塞のために死去。74歳没。
若原 雅夫(わかはら まさお、1917年1月1日 - )は、… 若原 雅夫(わかはら まさお、1917年1月1日 - )は、日本の俳優。 1940年代から1950年代前半にかけて、数多くの映画作品に出演し、そのルックスから「和製シャルル・ボワイエ」と称された。 出身地は東京市牛込区。1917年(大正6年)1月1日生まれ。児玉家の姉の次に長男として生まれ、父の「生命長く、男として立派なものになるように」との願いから「稔」と命名される。家業は映画館経営。東京、北海道小樽市、福島県郡山市などで経営。そのため、幼児の時から映画に興味を覚え、父が経営する映画館で、映画を観ることに親しんだ。小樽には4歳まで生活し、そのあと福島県郡山市を経て、7歳の時、学校へ入るため再び上京し、以後、学生時代を東京の学校で過ごした。
藤尾 正行(ふじお まさゆき、1917年〈大正6年〉1月1日… 藤尾 正行(ふじお まさゆき、1917年〈大正6年〉1月1日 - 2006年〈平成18年〉10月22日)は、日本の政治家。位階勲等は正三位勲一等。 衆議院議員(11期)、文部大臣(第109代)、労働大臣(第43代)、自由民主党政務調査会長(第31代)を歴任した。 東京生まれ。関東大震災で家が焼失したことから、移住先の神戸で少年時代を過ごす。教員への暴力事件で旧制神戸第一中学校を放校処分になった後、明治大学予科に進むが、ここでも教員への暴力により中退。応召し、2年間の兵役に従事して病気除隊後、上智大学文学部新聞学科卒業。 読売新聞社記者を経て、河野一郎に見出され1963年の第30回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧栃木2区から出馬し、初当選した(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・中川一郎・三原朝雄・西岡武夫らがいる)。
井上 栄一(いのうえ えいいち、1917年〈大正6年〉1月1… 井上 栄一(いのうえ えいいち、1917年〈大正6年〉1月1日 - 1993年〈平成5年〉3月3日)は、日本の農林技官、気象学者、農業気象学者、微気象学者。理学博士。元農林省農業技術研究所物理統計部気象科長。日本農業気象学会名誉会員。 新潟県新潟市出身。新潟尋常小学校を経て、1934年(昭和9年)3月に新潟中学校を卒業、1937年(昭和12年)3月に第一高等学校を卒業、1941年(昭和16年)3月に東京帝国大学工学部航空学科を卒業。 1941年(昭和16年)4月に陸軍航空技術学校に入校、軍曹に任官、6月に見習士官に任官、8月に陸軍技術中尉に任官、陸軍航空本部に配属。 航空技術将校として、太平洋戦争の戦地や大日本帝国軍の占領地に出向き、そこに残された戦闘機スーパーマリン スピットファイアや戦闘機P-40 キティホークなどの敵国の航空機や文書などを調査した。
原田 大六(はらだ だいろく、1917年1月1日 - 198… 原田 大六(はらだ だいろく、1917年1月1日 - 1985年5月27日)は、日本の考古学者。伊都歴史資料館(伊都国歴史博物館の前身)名誉館長。 福岡県糸島郡前原町(現糸島市)に、測量士の父・猪之助、母・ユクの長男として生まれ、大正6年の生まれから「大六」と名付けられる。1931年、福岡県立糸島中学校(現在の福岡県立糸島高等学校)在学中に安河内隆の薫陶を受け、考古学に傾倒し、糸島郡内の遺跡を踏査する。この時に採集した土器や石器が、現在の糸島高等学校博物館の基礎となる。しかし考古学に傾倒したために成績は低かった。中学卒業後に上京して津上製作所に就職し計測器の研摩工に就いたが、1941年に召集され、中国大陸各地を転戦。
阿部 栄夫(榮夫、あべ しげお、1917年 <大正6年> 1… 阿部 栄夫(榮夫、あべ しげお、1917年 <大正6年> 1月1日 - 1990年 <平成2年> 10月28日)は、日本の経営者。富士電機社長、会長を務めた。位階は正四位。 東京都出身。1939年に東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、同年に富士電機製造(のちの富士電機)に入社。1967年11月に取締役に就任し、1970年11月に常務、1976年6月に専務を経て、1978年6月に副社長に就任し、1981年6月に社長に昇格。1986年6月に会長を就任。 1980年4月に藍綬褒章を受章し、1987年4月に勲二等旭日重光章を受章。 1990年10月28日急性心不全のために死去。73歳没。死没日付をもって従七位から正四位に進階した。
嘉屋 實(かや みのる、1917年1月1日 - 2002年1… 嘉屋 實(かや みのる、1917年1月1日 - 2002年12月3日)は、日本の経営者。 山口県岩国市出身。広島高等学校を経て1939年に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、同年、日本鉱業に入社した。短期現役海軍主計科士官(3期)を志願。同年10月、海軍経理学校に入学し海軍主計中尉に任官。1940年3月に経理学校を卒業。1941年10月、主計大尉、1944年11月、海軍主計少佐に進み終戦を迎えた。 1965年8月に共同石油に転じ、取締役に就任し、常務、専務を経て、1978年6月に副社長に就任し、1983年6月には社長に昇格した。1985年11月に会長に就任し、1990年6月から相談役を務めた。
中村 幸雄(なかむら ゆきお、1917年1月1日 - 200… 中村 幸雄(なかむら ゆきお、1917年1月1日 - 2002年7月30日)は、日本の物理学者、情報処理学者。 東京出身。1940年東京帝国大学理学部物理学科卒、逓信省電気試験所勤務、1961年郵政省電気通信研究所次長、情報特許部長、1969年退職、日本通信協力専務取締役、1979年インフォーコム技術事務所設立、所長。1984年東京農業大学教授。 情報科学技術協会副会長。日本ドクメンテーション協会副会長、1981‐1992年会長。1987年丹羽賞受賞。1993年名誉会員。FID / CCC 委員。1987年勲四等旭日小綬章受勲。1992年、FID Distinguished Professional Award 。
友田 不二男(ともだ ふじお、 (1917-01-01) 1… 友田 不二男(ともだ ふじお、 (1917-01-01) 1917年1月1日 - (2005-02-05) 2005年2月5日(88歳没))は、日本のカウンセラー。日本のカウンセリングの先駆者である。 千葉県東金市に生まれる。4人兄弟の末っ子。親類達から「昼行灯」と評されていた。生まれてから半年後、全身湿疹でおおわれ、入院先の医師から見放される。漢方医によって奇跡的に助けられ、小学校6年生になるまでお礼参りに行かされた。少年時代、家族や周囲の人たちに“異常者”扱いされた父親の影響で心理学の方面へ進む。 1934年、旧制中学校卒業。肺結核により1年間浪人する。病気療養中にもかかわらず新聞の学生募集広告を見たとたんにどうにもいたたまれなくなり、父親に直談判し受験。
森田 康之助(もりた やすのすけ、1917年1月1日 - 2… 森田 康之助(もりた やすのすけ、1917年1月1日 - 2005年)は、日本の神道学者、日本思想史家。 東京市本所区生まれ。1939年東京高等師範学校文科第四部卒業。1941年東京文理科大学史学科国史学専攻卒業。村岡典嗣教授、肥後和男博士から影響を受け、日本思想史を専攻。栃木県立今市中学校、川口市立川口中学校、東京都立第十中学校、東京都立大泉中学校教諭を歴任。1949年國學院大学文学部講師、1951年国立国会図書館主事、1952年司書、1953年支部図書館部考査奉仕課長補佐。1959年人文科学参考室。閲覧部運営課主査を経て、1966年国会分館閲覧課長、1969年連絡部支部図書館課長、1975年国会分館長、1978年連絡部長、1981年専門調査員(1982年まで)。
柴原 恒雄(しばはら つねお、1917年(大正6年)1月1日… 柴原 恒雄(しばはら つねお、1917年(大正6年)1月1日 - 1975年(昭和50年)3月30日)とは、日本の男子飛込競技選手。1936年ベルリンオリンピックに出場した。 1917年1月1日、石川県金沢市に生まれる。日本大学第三中学校を卒業後、日本大学に入学し、東京都目黒区に暮らした。1933年の全日本選手権飛板飛込で139.78点を記録し優勝、翌年の同大会でも飛板飛込で125.68点を記録し優勝した。更に1935年の同大会でも飛板飛込で優勝している。同年に開催された日米対抗試合ではリチャード・デゲナー(英語版)に次いで2位の成績を収めた。デゲナーのコーチであったキングストンは、デゲナーは9点の技を1つしか成功させていないのに対し柴原は2つ成功させているので、柴原はアメリカ合衆国の選手だったとしても国内で2位か3位は取れる実力であろうと評している。
肥田 舜太郎(ひだ しゅんたろう、1917年1月1日 - 2… 肥田 舜太郎(ひだ しゅんたろう、1917年1月1日 - 2017年3月20日)は、日本の医師。広島市への原子爆弾投下により自身が被爆しつつ、直後から被爆者救援・治療にあたった。以来被爆者の診察を続け、被爆の実相を語りつつ核兵器廃絶を訴え続けた。 銀行員の家の長男として広島市で生まれた。中津川肥田氏の肥田帯刀17代目にあたる。早稲田第一高等学院建築科に入学、登山と音楽に夢中であった。あるとき友人から誘われて東京下町の工場街にある託児所を見学、不衛生と貧困のもとにおかれた児童の実情を初めて知り度肝をぬかれたことがきっかけで、医師を志すようになり、日本大学専門部医学科に入学。「小児衛生研究会」を立ち上げ、託児所の健康管理の手伝いを始めたが、2年次のとき文部大臣荒木貞夫から「自由主義的傾向あり」と解散を命じられ、以来軍人嫌いが確固としたものになった。
羽田野 忠文(はたの ちゅうぶん、1917年1月1日 - 2… 羽田野 忠文(はたの ちゅうぶん、1917年1月1日 - 2004年3月17日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(4期)。 現大分県豊後大野市朝地町出身。1940年、法政大学専門部法律科卒業。 大日本帝国海軍法務大尉、弁護士、福岡大学教授、大分県弁護士会長、大分県議会議員を務める。 1967年の第31回衆議院議員総選挙大分1区に無所属で立候補するが、落選。1969年の第32回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で立候補し、初当選。以後4期務める。1974年11月、第2次田中角栄第2次改造内閣・外務政務次官。同年12月、三木内閣・外務政務次官。1976年、三木改造内閣・法務政務次官。1981年、衆議院法務委員長。
釜賀 一夫(かまが かずお、1917年(大正6年)1月1日 … 釜賀 一夫(かまが かずお、1917年(大正6年)1月1日 - 2003年(平成15年)11月23日)は、熊本県出身の陸軍軍人、陸上自衛官。日本陸軍における暗号作成者、暗号解読者である。戦後も陸上自衛隊で暗号解読に従事した。ペンネーム加藤正隆として暗号関係の著作がある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
浅野 辰雄(あさの たつお、1916年1月1日 - 2006… 浅野 辰雄(あさの たつお、1916年1月1日 - 2006年9月15日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。ドキュメンタリー映画『号笛なりやまず』の監督であり、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の『アナタハン』ではスタンバーグと脚本を共同執筆したことでも知られる。日本記録映画作家協会委員、「世田谷を記録する会」会長を歴任した。 日本映画データベース等で混同されている大映の製作者・浅野辰雄(1904年 - 没年不詳)は、別人である。 1916年(大正5年)1月1日、栃木県宇都宮市に生まれる。北海道函館市の旧制・北海道庁立函館中学校(現在の北海道函館中部高等学校)を卒業して上京、旧制・東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)機械科に進学するも、在学中に『文芸街』『ズドン』等の文学運動に関係しており、1936年(昭和11年)7月10日、講座派の一斉検挙であるコム・アカデミー事件に関連し、同誌関係者として浅野次郎、中島正伍らとともに検挙されている。
有田 一壽(ありた かずひさ、1916年1月1日 - 199… 有田 一壽(ありた かずひさ、1916年1月1日 - 1999年4月1日)は、日本の実業家、政治家、教育家。一寿とも。旧姓は正木。 日本統治時代の朝鮮平安北道新義州に生まれる。5歳で母親と、11歳で父親と死別し、福岡県築上町の叔父に引き取られる。小倉師範学校、福岡高等学校 (旧制)を経て、1941年東京帝国大学文学部教育学科を卒業。直ちに兵役に就く。 戦後は青葉ヶ丘女子高校(現・高稜高等学校)校長、福岡県教育委員(1948年当選)を務めた後、妻の兄である石橋健蔵が経営する若松築港(現・若築建設)に1952年に入社し、専務を経て、1958年社長に就任。後に会長(1976年)、名誉会長、相談役を歴任する。