樋口 暁子(ひぐち あきこ、1944年9月7日 - )は、日… 樋口 暁子(ひぐち あきこ、1944年9月7日 - )は、日本の政治家。元埼玉県蓮田市長(2期)。埼玉県初の女性首長である。 埼玉県蓮田市出身。埼玉県立浦和第一女子高等学校卒業。食生活改善推進員として市民活動に関わる。蓮田市食生活改善推進員協議会会長、生損保代理店社長などを務めた。 1998年(平成10年)、蓮田市長選挙に立候補し、現職の石川勝夫を破り初当選した。5月31日、市長就任。 2002年(平成14年)、元市職員の中野和信、元市長の石川勝夫ら3候補を破り再選。 ※当日有権者数:人 最終投票率:59.68%(前回比:pts) 2006年(平成18年)、前回選に続いて立候補した中野和信に敗れ落選した。
もっと読む
後藤 正人 (ごとう まさと、1943年9月7日 - )は、… 後藤 正人 (ごとう まさと、1943年9月7日 - )は、日本の法制史学者。和歌山大学名誉教授。研究領域は日本法史学、憲法社会史、社会文学、社会科教育学。青森県青森市出身。 後藤は、現代日本の法学研究を行う視点を民主主義に置いている。その上で民主主義とは「自由・平等・友愛に関する運動・思想・制度の全体」であると考える。すなわち、自由・平等・友愛の概念がそれらに係わる運動・思想・制度の三つの次元を通して具体的に検証される必要があるとするのが法制史学者として彼の学問研究に対する基本的スタンスとなっている 。 具体的な研究領域の特徴については、先ず法制史関係として、近世法の土地法史や身分制史を中心に扱って来たが、中世及び近代との係わりも重視する中で先駆的な役割を果してきた。
もっと読む
江里 康慧(えり こうけい、1943年9月7日 - )は、仏… 江里 康慧(えり こうけい、1943年9月7日 - )は、仏師。妻は江里佐代子。子は左座朋子と江里尚樹。 京都市生まれ。1962年に京都市立日吉ヶ丘高等学校美術課程彫刻科卒業。松久朋琳、松久宗琳の弟子となる。1996年に同志社女子大学嘱託講師、2001年に龍谷大学客員教授、2004年に東京芸術大学非常勤講師となる。
もっと読む
荒川 戦一(あらかわ せんいち、1943年9月7日 - )は… 荒川 戦一(あらかわ せんいち、1943年9月7日 - )は、中部日本放送(CBC)の元・社員。在職中は、アナウンサーとして長らく活動するかたわら、テレビ編成局のアナウンス部長、ラジオ番組のプロデューサー、制作局のラジオ制作部長などを務めていた。 東京都港区麻布生まれの新橋育ちで、愛称は荒戦(あらせん)。名前の戦一には「世の中がどうなっても、戦(そよ)ぐ風のように他人様の心に一番早く届くような人になって欲しい」という両親の想いが込められているが、本人は「アナウンサーの仕事へ就くことを運命付けるような名前」と語っている。 従兄が『英文毎日』に勤務していたことや、実家近く(愛宕山)のNHK放送博物館に小学生時代からよく出入りしていたことから、マスメディアで仕事に就くことを早くから志望。
もっと読む
金子 達(かねこ たつ、1943年9月7日 - )は、日本の… 金子 達(かねこ たつ、1943年9月7日 - )は、日本の男性俳優、声優。東京都出身。 中央大学文学部卒業。 かつてはテアトル・エコー、劇団銅鑼、プロダクション・タンクに所属していた。 特技・資格は英語教諭免許(中学1級・高校2級)、床掃除(ポリッシャー操作・モップ扱い)、中型自動車免許。 太字はメインキャラクター。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
もっと読む
菅谷 文則(すがや ふみのり、1942年9月7日 - 201… 菅谷 文則(すがや ふみのり、1942年9月7日 - 2019年6月18日)は、日本の考古学者。滋賀県立大学名誉教授、前奈良県立橿原考古学研究所所長。 1942年、奈良県宇陀郡榛原町(現・宇陀市)で生まれた。奈良県立畝傍高等学校を経て、関西大学文学部考古学科で学んだ。同大学院文学研究科に進学し、1967年に修士課程を修了。 同大学副手を経て、奈良県立橿原考古学研究所で古墳や寺院跡などの発掘に従事。北京大学に留学し、帰国後はシルクロード学研究センター研究主幹などを務めた。1995年、滋賀県立大学教授に就任。2008年に滋賀県立大学を定年退任し、名誉教授となった。2009年から橿原考古学研究所の第5代所長を務めた。
もっと読む
内海 暎郎(うつみ あきお、1942年(昭和17年)9月7日… 内海 暎郎(うつみ あきお、1942年(昭和17年)9月7日 - )は、日本の経営者。元三菱UFJ信託銀行会長。元三菱東京フィナンシャル・グループ会長。神奈川県出身。
もっと読む
溝尾 良隆(みぞお よしたか、1941年9月7日 - )は、… 溝尾 良隆(みぞお よしたか、1941年9月7日 - )は、日本の観光学者、理学博士。立教大学名誉教授、公益財団法人日本交通公社評議員。立教大学教授、城西国際大学教授、帝京大学教授を歴任。地域観光学、観光地理学を専門とし、川越市、群馬県新治村等における地域研究の実績がある。観光に関する各地のシンポジウム、フォーラム等にも多数参加。 東京都港区浜松町生まれ、群馬県碓氷郡松井田町育ち。1960年群馬県立高崎高等学校卒業。1964年東京教育大学理学部地学科地理学専攻卒業、理学博士、財団法人日本交通公社主席研究員を経て、1989年より立教大学社会学部教授、1998年観光学科の独立(学部に昇格)により観光学部教授、観光学部長(2001年4月‐2004年3月)、城西国際大学観光学部ウェルネスツーリズム学科教授(2007年4月‐2009年3月)、帝京大学経済学部観光経営学科教授(2009年4月‐)。
もっと読む
斎藤 幸夫(さいとう ゆきお、1941年9月7日 - )は、… 斎藤 幸夫(さいとう ゆきお、1941年9月7日 - )は、東京府出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 桐朋高等学校から早稲田大学に進学。東京六大学野球リーグでは、1960年秋季リーグでいわゆる早慶六連戦による優勝を経験するが、その後はチームの低迷が続き優勝には届かなかった。大学同期には内野手の岡田紀明(河合楽器-高松商監督)、杉浦藤文(中京高監督-中京大監督)、外野手の大井道夫らがいた。 1963年に大毎オリオンズ に入団。翌1964年に一軍に上がり、6試合に遊撃手、二塁手として先発出場。1965年は山崎裕之、篠原良昭と遊撃手の定位置を争い、25試合に先発を果たす。その後は出場機会が減少、1966年限りで引退した。
もっと読む
町田 東(まちだ あずま、1941年9月7日 - )は、日本… 町田 東(まちだ あずま、1941年9月7日 - )は、日本の経営者。永谷園社長を務めた。山梨県出身。 1960年に山梨学院大学附属高等学校を卒業し、同年に永谷園本舗に入社。1990年に取締役に就任し、1994年に常務、1996年に専務、2002年に副社長を経て、2008年6月に社長に就任。2012年4月に副会長に就任。なお、同社では初の創業者親族外の社長就任となった。
もっと読む
石塚 広治(いしづか こうじ、1941年9月7日 - )は、… 石塚 広治(いしづか こうじ、1941年9月7日 - )は、京都府出身の元ラグビー選手。
もっと読む
菊地 秀之(きくち ひでゆき、1940年9月7日 - 201… 菊地 秀之(きくち ひでゆき、1940年9月7日 - 2014年7月17日)は、宮城県仙台市出身のプロ野球選手。 東北高校から1959年に西鉄ライオンズへ入団。1962年に引退。
もっと読む
松田 和久(まつだ かずひさ、1940年9月7日- 2015… 松田 和久(まつだ かずひさ、1940年9月7日- 2015年7月29日 )は、日本の経営者。日本車輌製造社長、会長を務めた。 神奈川県出身。1964年に東京大学工学部を卒業し、同年に日本国有鉄道に入社した。1987年4月に東海旅客鉄道に転じ、1990年6月に取締役に就任し、1994年6月に常務、1998年6月に専務を経て、1999年6月に日本車輌製造副社長に就任し、2000年6月には社長に昇格。2006年6月に取締役相談役に就任。 2015年7月29日、硬膜下血腫のために死去。74歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
もっと読む
神戸 文彦(かんべ ふみひこ、1940年9月7日 - )は、… 神戸 文彦(かんべ ふみひこ、1940年9月7日 - )は、日本のテレビプロデューサー・テレビディレクター。 日本テレビ放送網の制作局エクゼクティブディレクターで、長年に渡って日本テレビのバラエティ番組の演出を手掛けている。
もっと読む
高木 実(たかぎ みのる、1939年9月7日 - 2009年… 高木 実(たかぎ みのる、1939年9月7日 - 2009年4月3日)は、日本の地図切手研究家。 神奈川県横浜市出身。学校法人高木学園創立者・高木君の孫。横浜国立大学学芸学部附属横浜中学校、東京都立小山台高等学校を経て、1964年早稲田大学政治経済学部卒業、八幡製鉄(のち新日本製鐵)勤務。1987年経済広報センター研究員として出向。1991年退社、学校法人高木学園理事長。趣味で地図切手を収集し、著作をなした。
もっと読む
南部 英夫(なんぶ ひでお、1939年9月7日~ )は、日本… 南部 英夫(なんぶ ひでお、1939年9月7日~ )は、日本の映画監督、脚本家。福井県武生市(現:越前市)出身。 福井県立武生高等学校、早稲田大学法学部卒業後、スライド制作会社勤務を経て、1965年に松竹大船撮影所に入社する。入社当時は、かつての最盛期には年間11億を超えた映画人口が、テレビの普及や娯楽の多様化に押されて、3億台にまで落ち込んだ映画のドン底時代だった。入社直後に給料遅配となり、自宅待機などの合理化で撮影所のスタッフは激減した。 学生時代に観た映画「にっぽん・ぱらだいす」(松竹作品)に感銘を受けていたことで、当該作品の監督である前田陽一に師事する。以降、前田作品に加えて、先輩助監督で監督に昇進した田向正健・山根成之監督などの共同脚本に参加する。
もっと読む
草野 大悟(くさの だいご、1939年〈昭和14年〉9月7日… 草野 大悟(くさの だいご、1939年〈昭和14年〉9月7日 - 1991年〈平成3年〉2月27日)は、日本の俳優。台湾・台中市出身。妻は元女優の田島和子。 鹿児島県で幼少期を過ごし、1958年に明治大学に入学するが、すぐに中退した。 1961年、文学座附属演劇研究所に入所する。同期に岸田森、樹木希林、小川真由美、寺田農、橋爪功、北村総一朗らがいた。翌年に準座員として文学座に入団、1966年に座員へと昇格する。文学座の看板・杉村春子にも可愛がられたという。1963年に文学座の内紛に発展した『喜びの琴』では主役に抜擢されていたとされる。1967年に文学座を退団し、その前年に草野に先駆けて文学座を離れていた岸田らが結成していた「六月劇場」に参加、以降は映画・テレビドラマへの出演も多くなる。
もっと読む
小原 敏彦(おばら としひこ、1939年9月7日 - )は日… 小原 敏彦(おばら としひこ、1939年9月7日 - )は日本の教育者、スポーツライター。埼玉県生まれ。埼玉大学教育学部卒業。埼玉県立春日部高等学校教諭、県立高校長などを経て、スポーツライターとして活躍している。 元埼玉陸上競技協会理事長、副会長。読売新聞社「彩の栞」、埼玉新聞社「標点」元執筆者。現朝日スポーツネツト編集委員。 埼玉県体育協会顧問・評議員。埼玉県スポーツ協会100周年特別委員。日本スポーツマンクラブ所属。日中友好体育懇話会代表。埼玉大学陸上競技部OB会長。 人見絹枝研究の第一人者。戦争で失われた多くの記録を集め、書籍としてまとめ上げ「人見絹枝」の名をより世に知らしめた功績をもつ。
もっと読む
神戸 一郎(かんべ いちろう、1938年(昭和13年)9月7… 神戸 一郎(かんべ いちろう、1938年(昭和13年)9月7日 - 2014年(平成26年)4月27日)は日本の元歌手、元俳優、実業家。本名:前原 正捷(まえはら まさかつ)。 兵庫県神戸市出身。兵庫県立夢野台高等学校、神戸商科大学卒業[要出典]。芸名は、デビュー前にレコード店で芸名を募集したうえで、作曲家の上原げんとによって命名された。歌手の藤山一郎のような美声と歌の上手さから、「神戸の藤山一郎」…神戸一郎になった[要出典]。 高校時代から、のど自慢に出場し、1957年(昭和32年)、第8回コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、コロムビアの専属歌手になる。 同年12月、「十代の恋よさようなら」でデビュー。
もっと読む
木村 操(きむら みさお、1937年(昭和12年)9月7日 … 木村 操(きむら みさお、1937年(昭和12年)9月7日 - 2020年(令和2年)2月8日)は、日本の官僚。元名古屋鉄道会長。香川県出身。
もっと読む
浦井 正明(うらい しょうみょう、1937年9月7日 - 2… 浦井 正明(うらい しょうみょう、1937年9月7日 - 2025年3月6日)は、東叡山寛永寺貫主。天台宗僧侶。 東京生まれ。1961年慶應義塾大学文学部史学科卒業。東叡山現龍院前住職。寛永寺執事長、台東区教育委員会委員長、台東区文化財保護審議会委員等を歴任。2020年第32世東叡山輪王寺門跡門主・寛永寺貫主に就任。 東京大学で東洋史を研究していた年の離れた兄の影響を受け、江戸時代の歴史、特に天海をライフワークにする。 2025年3月6日死去。87歳没。
もっと読む
中島 康典(なかじま やすのり、1937年9月7日 - )日… 中島 康典(なかじま やすのり、1937年9月7日 - )日本の経営学者。専門は不動産学。専門分野は、土地評価論、資産評価論。不動産鑑定士。元明治大学教授。日本不動産研究所顧問。東京出身 1961年、慶應義塾大学経済学部卒業。1963年、慶應義塾大学法学部卒業。財団法人日本不動産研究所入所。1972年、同システム開発部鑑定役。1990年、同システム開発部長。1992年、同理事。1995年、財団法人土地情報センター理事。1998年、財団法人日本不動産研究所理事・研究部長。1999年、同常務理事。1999年11月に日本不動産学会実務著作賞受賞。2001年、日本大学工学部建築学科客員講師(不動産鑑定評価論担当)。
もっと読む
井上 博司(いのうえ ひろし、1936年(昭和11年)9月7… 井上 博司(いのうえ ひろし、1936年(昭和11年)9月7日 - 2019年(令和元年)9月17日)は、日本の政治家。北海道函館市長(2期)。位階は正六位。旭日小綬章。 北海道函館市出身。北海道函館西高等学校卒業後、1955年函館市役所に入る。商工観光、企画、市民の各部長を経て、助役となる。1999年、当時の函館市長木戸浦隆一が病気のため辞職。これに伴う市長選挙に立候補して当選した。2003年に再選。2007年の市長選では3選を目指したが、元助役の西尾正範に敗れた。2019年春の叙勲で旭日小綬章を受章。同年9月死去。死没日付をもって正六位に叙された。
もっと読む
福井 俊彦(ふくい としひこ、1935年9月7日 - )は、… 福井 俊彦(ふくい としひこ、1935年9月7日 - )は、日本の銀行家。一般財団法人キヤノングローバル戦略研究所理事長。 日本銀行副総裁、株式会社富士通総研理事長、社団法人経済同友会副代表幹事、第29代日本銀行総裁などを歴任した。 大阪府大阪市出身。東京大学法学部を卒業後、日本銀行プロパーの中で頭角を現し、早くから将来の総裁候補として嘱望されていた。1994年の副総裁就任によって、当時の大蔵省・日銀間のたすきがけ人事の慣行では次期総裁の座がほぼ約束されていたが、大蔵省接待汚職事件との関連で、日銀職員のノーパンしゃぶしゃぶ接待問題が明らかになり、日銀にも逮捕者が出たこと等から1998年辞職。その際、松下康雄総裁も同時に監督責任を問われ、辞任することとなった。
もっと読む
高崎 正弘(高﨑正弘、たかさき まさひろ、1935年〈昭和1… 高崎 正弘(高﨑正弘、たかさき まさひろ、1935年〈昭和10年〉9月7日 - 2026年〈令和8年〉3月15日)は、日本の経営者。さくら銀行(現在の三井住友銀行)会長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1959年に神戸大学経営学部を卒業し、同年に神戸銀行に入行した。1988年6月に太陽神戸銀行取締役に就任し、1992年6月にさくら銀行常務、1994年6月に専務を経て、1997年6月には会長に就任。2001年4月に三井住友銀行相談役を経て、2002年6月には特別顧問に退いた。 2007年10月から2015年10月までに兵庫県教育委員会委員長を務め、関西経済連合会副会長、神戸商工会議所副会頭、住生活グループ非常勤取締役なども務めた。
もっと読む
谷 真介(たに しんすけ、本名:赤坂 早苗〈あかさか さなえ… 谷 真介(たに しんすけ、本名:赤坂 早苗〈あかさか さなえ〉、1935年9月7日 - 2024年2月7日)は、日本の児童文学作家。日本文芸家協会会員。 東京府(現在の東京都)出身。中央大学文学部仏文学科中退後、雑誌「総合」や書評文化誌「週刊読者人」の編集者を経て、創作活動に専念。主な作品に『沖縄少年漂流記』『トン子ちゃんのアフリカぼうけん』『台風の島に生きる』『ひみつの動物園』など多数。中でも実弟の赤坂三好との挿絵による作品が多い。また、筆名水木連の実兄が絵を担当した作品もある。1992年に巖谷小波文芸賞受賞。 安部公房とも親交が深く、1956年に初めて出会って以来、著作年譜執筆を依頼されて文学全集・文庫などの年譜や文献解題作成に携わった。
もっと読む
森木 亮(もりき あきら、1935年9月7日 - 2019年… 森木 亮(もりき あきら、1935年9月7日 - 2019年6月26日)は、日本の経済評論家。 東京都出身。1958年早稲田大学商学部卒業。同年三菱信託銀行に入行、調査部に勤務する。1978年に同行を退職の後、民社党に入党し1979年と1980年の総選挙(旧東京5区)と1983年、1986年、1989年の参院選(比例区)に立候補したものの何れも落選している。 政治活動の傍ら、言論人懇話会に関わり「言論人」主幹を務めた後、経済工学研究所所長兼理事長として経済評論活動を行った。白鷗大学講師。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
もっと読む
後藤 重巳(ごとう しげみ、1934年(昭和9年)9月7日 … 後藤 重巳(ごとう しげみ、1934年(昭和9年)9月7日 - 2014年(平成26年)4月23日)は、大分県直入郡入田村(現・竹田市)出身の歴史学者(日本近世史)。別府大学名誉教授。位階は正五位。大分県の近世史研究における第一人者とされる。 1934年(昭和9年)9月7日、大分県直入郡入田村(現・竹田市)に生まれた。父は入田村長を務めた後藤千代巳、母はハツ子。 1953年(昭和28年)3月に大分県立竹田高等学校を卒業し、1957年(昭和32年)3月に國學院大學史学科を卒業した。1961年(昭和36年)には別府大学助手と別府大学附属高等学校(現・明豊中学校・高等学校)教諭に就任した。その後別府大学文学部教授に就任し、史学科と文化財学科で教鞭を取った。
もっと読む
三隅 佳子(みすみ よしこ、1934年〈昭和9年〉9月7日 … 三隅 佳子(みすみ よしこ、1934年〈昭和9年〉9月7日 - 2018年〈平成30年〉9月7日)は、日本の地方公務員、教育者である。専門は家政学、ジェンダー問題。 福岡県北九州市出身。福岡県立小倉高校、共立女子大学を卒業後、5年間小学校の教員を務めた。退職後は子育てに専念する中でPTAや母の会の活動を始め、1978年(昭和53年)、北九州市社会教育指導員となる。 その後短大講師を経て1982年(昭和57年)、北九州市役所で初めて民間出身の女性管理職となり、翌1983年(昭和58年)には初代の婦人対策室室長に就任。1990年(平成2年)には市民局女性行政推進部長、併せて財団法人アジア女性交流・研究フォーラムの専務理事にも就任した。
もっと読む
笠原 正行(かさはら まさゆき、1933年9月7日 - 20… 笠原 正行(かさはら まさゆき、1933年9月7日 - 2009年5月10日)は、北海道函館市出身のプロ野球選手(投手)。 北海道函館工業高等学校から1952年に読売ジャイアンツへ入団。1953年に一軍初登板し、1954年には9勝を記録。1956年に大映スターズへ移籍し、同年引退した。 2009年5月10日、肺がんのため死去。75歳没。実子は土浦日本大学高等学校の投手として、第68回全国高等学校野球選手権大会に出場した。
もっと読む
石坂 信雄(いしざか のぶお、1933年9月7日 - 199… 石坂 信雄(いしざか のぶお、1933年9月7日 - 1997年1月19日)は、東芝アメリカ元社長。第一生命や東芝の元社長で、経団連元会長の石坂泰三の五男。ゴルフダイジェスト・オンライン創業者の石坂信也は子。墓所は多磨霊園。
もっと読む
太田 朋子(おおた ともこ、1933年9月7日 - )は、日… 太田 朋子(おおた ともこ、1933年9月7日 - )は、日本の遺伝学者。 木村資生による、遺伝子の「分子進化の中立説」(Kimura 1968, 1969) 発表後、木村と共同で中立進化説の基礎固めを行い、その業績によりクラフォード賞を受賞。学位は、Ph.D(ノースカロライナ州立大学・1966年)、理学博士(東京大学・1972年)。国立遺伝学研究所名誉教授。文化功労者。文化勲章受章。愛知県西加茂郡三好町(現:みよし市)生まれ。 生物の突然変異は生存に有利か不利のどちらかであり、有利なものが生き残るという自然淘汰説が1960年代半ばまで主流だったが、国立遺伝学研究所の木村資生名誉教授が突然変異のほとんどは有利でも不利でもないとの「中立説」を発表し、1970年代に太田が、わずかに不利な「ほぼ中立」の変異でも、集団の規模が小さければ偶然広がる確率が高まるという説を発表した。
もっと読む
石川 博志(いしかわ ひろし、1933年9月7日 - )は、… 石川 博志(いしかわ ひろし、1933年9月7日 - )は、日本の実業家。関西電力元社長。 大阪府出身。1957年に京都大学経済学部を卒業し、同年に関西電力に入社した。 1987年から取締役を務め、常務、専務、副社長を経て、1999年6月から社長に就任したが、体調不良により、わずか1期で辞任した。2001年6月に取締役相談役を経て、2003年6月に取締役に就任。 関西エネルギー・リサイクル科学研究振興財団代表理事、大阪市青少年活動協会顧問、日本生命財団名誉顧問などを歴任した。
もっと読む
島岡 丘(しまおか たかし、1932年9月7日 - 2024… 島岡 丘(しまおか たかし、1932年9月7日 - 2024年4月)は、日本の英語学者。筑波大学名誉教授。専門は英語教育・英語音声学。 奈良県奈良市生まれ、北海道旭川市育ち。1951年北海道旭川北高等学校卒業。1955年東京教育大学文学部英文科卒業。日本で初めてフルブライト奨学生(アメリカ)・ブリティッシュ・カウンシル奨学生(イギリス)の両方で留学を経験。サンフランシスコ大学、ロンドン大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校、レディング大学に留学。1994年「中間言語の音声学:英語の「近似カナ表記システム」の確立と活用」で筑波大学より博士(言語学)の学位を取得。東京教育大学助教授、筑波大学教授。1994年定年退官、名誉教授となり、茨城キリスト教大学教授。
もっと読む
西村 潔(にしむら きよし、1932年9月7日 - 1993… 西村 潔(にしむら きよし、1932年9月7日 - 1993年11月17日)は、日本の映画監督。東京都立川市出身。一橋大学卒業。俳優としても数本の出演作品を持つ。 東京都立立川高等学校に通い、在日米軍の横田飛行場でアルバイトをしながら映画浸りの日々を送った後、一橋大学へ入学。同級生の石原慎太郎を誘い、同人誌『一橋文藝』を復刻する。 1956年、大学を卒業後、東宝へ入社。千葉泰樹・黒澤明・堀川弘通・成瀬巳喜男・本多猪四郎・川島雄三・須川栄三・古澤憲吾・恩地日出夫らの助監督を経て、1969年、密室の人間群像を緊迫したサスペンスとして描いた黒沢年男主演のアクションスリラー『死ぬにはまだ早い』で監督に昇進。
もっと読む
加藤 榮一(かとう えいいち、1932年9月7日 - 200… 加藤 榮一(かとう えいいち、1932年9月7日 - 2005年1月7日)は、日本の政治学者、東京大学名誉教授。 東京府(現:東京都)生まれ。1957年、東大経済学部卒業。1962年、同大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。東大社会科学研究所助手、東北大学教養部講師、助教授、東大社会科学研究所助教授を経て、1978年教授。1993年定年退官し名誉教授。信州大学経済学部教授。帝京大学経済学部教授、法政大学現代福祉学部教授、2003年、定年退職。 2005年1月7日、好酸球増多症候群のため死去。
もっと読む
中川 昌美(なかがわ まさみ、1932年9月7日 - 200… 中川 昌美(なかがわ まさみ、1932年9月7日 - 2001年3月9日)は、日本の物理学者。専門は素粒子論。学位は、理学博士(名古屋大学)。 元名城大学理工学部教授。三重県出身。 坂田学派と呼ばれる坂田昌一の弟子の一人。1962年、坂田昌一、牧二郎とともに、ニュートリノ振動を提唱した(ポンテコルボ・牧・中川・坂田行列(PMNS行列) )ことで知られる。
もっと読む
永井 克孝(ながい よしたか、1931年〈昭和6年〉9月7日… 永井 克孝(ながい よしたか、1931年〈昭和6年〉9月7日 - 2014年〈平成26年〉6月23日)は、日本の生化学者。理学博士、医学博士。東京大学名誉教授、理化学研究所名誉研究員。専門は糖鎖生物学。 新潟県新潟市出身。1950年(昭和25年)3月に新潟高等学校を卒業、4月に東京大学に入学、木村雄吉と前田護郎に師事、1954年(昭和29年)3月に東京大学教養学部教養学科を卒業。 1958年(昭和33年)4月に東京大学伝染病研究所助手に就任、山川民夫に師事、1963年(昭和38年)4月に東京大学教養学部助手に就任、12月に東京大学から理学博士の学位を取得。 1966年(昭和41年)4月に東京大学教養学部助教授に就任、1968年(昭和43年)4月に東京大学医科学研究所細胞化学研究部助教授に就任、1974年(昭和49年)4月に東京都老人総合研究所生化学部部長に就任。
もっと読む
宮本 一三(みやもと いちぞう、1931年9月7日 - 20… 宮本 一三(みやもと いちぞう、1931年9月7日 - 2016年8月17日)は、日本の政治家。大蔵省大臣官房(現財務省大臣官房)審議官等を経て退官後、自由民主党所属衆議院議員となり、金融再生総括政務次官や、文部科学副大臣を務めた。 兵庫県三原郡西淡町(現在の南あわじ市)出身。兵庫県立洲本高等学校卒業、1955年 一橋大学経済学部卒業。大学卒業後、大蔵省に入省。ふり出しは為替局。 1960年ハーバード大学大学院に留学、1962年にハーバード大学で経済学博士(Ph.D. in Economics)の学位を取得。博士論文は"The Role of Tied Aid in Indonesian Economic Developmentz"。
もっと読む
森 博(もり ひろし、1929年〈昭和4年〉9月7日 - 1… 森 博(もり ひろし、1929年〈昭和4年〉9月7日 - 1999年〈平成11年〉1月30日)は、日本の社会学者。東北大学名誉教授。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 神奈川県川崎市生まれ。1953年東北大学文学部社会学科卒。同・教養部助教授を経て教授。1993年定年退官。甲南女子大学教授。在職中に死去。『サン・シモン著作集』、カール・ポパーなどを訳した。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。
もっと読む
木田 元(きだ げん、1928年9月7日 - 2014年8月… 木田 元(きだ げん、1928年9月7日 - 2014年8月16日)は、日本の哲学者、翻訳家。専攻は西洋哲学史、現象学の研究。中央大学名誉教授。 モーリス・メルロー=ポンティ、エドムント・フッサール等の、20世紀ヨーロッパ思想で著名な哲学者の代表作を平易な日本語に訳した。ハイデガーの研究でも知られる。 新潟県新潟市生まれ、本籍地は山形県最上郡東小国村(現在は最上町)。 3歳のとき一家で満洲・新京に渡る。新京第一中学校(戦時体制のため4年で繰り上げ卒業)を経て、1945年(昭和20年)海軍兵学校に入学(78期)。同年8月6日、江田島で水泳の訓練中、原爆投下を広島市側の海岸で目撃。8月15日に日本が終戦を迎えると軍海軍兵学校では生徒たちに帰宅の指示が出たが、満州出身であったため本土にいる親戚もよくわからず困っていたところ、教官が自身の佐賀の実家へ行くよう指示してくれる(教官は兵学校での残務処理に残った)。
もっと読む
七代目 市川 門之助(しちだいめ いちかわ もんのすけ、昭和… 七代目 市川 門之助(しちだいめ いちかわ もんのすけ、昭和3年(1928年)9月7日 - 平成2年(1990年)10月13日)は歌舞伎役者。屋号は瀧乃屋。定紋は四ツ紅葉。俳名に白魚がある。また舞踊家として花柳 蔦壽郎(はなやぎ ちょうじゅろう)も名乗った。本名は相馬 孝至(そうま たかし)。 東京市渋谷区宇田川町の生まれ。生後まもなく二代目市川松蔦の養子となる。 昭和10年 (1935年) 4月に初代市川たか志を名乗り初舞台。昭和21年 (1946) 8月、三代目市川松蔦を襲名。この頃は二代目市川猿之助一座で活躍。昭和38年 (1963) 2月に七代目市川門之助を襲名、以後は尾上菊五郎劇団に属した。
もっと読む
近岡 理一郎(ちかおか りいちろう、1926年〈大正15年〉… 近岡 理一郎(ちかおか りいちろう、1926年〈大正15年〉9月7日 - 2016年〈平成26年〉6月8日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(7期)。 山形県最上郡真室川村(現・真室川町)の造り酒屋に生まれ、1944年3月6日に陸軍士官学校入校(第60期)。 戦後は県議だった父・理吉、貴族院多額納税者議員・県議だった伯父・近岡理三郎の影響もあり、31歳で真室川町議となる。1959年に山形県議会議員に当選。以後6期連続で当選し、在職中には県議会議長も務めた。 1980年6月22日、松沢雄蔵の後継として第36回衆議院議員総選挙に自民党公認候補として出馬し、初当選した。以後第42回衆議院議員総選挙まで7期連続当選した。
もっと読む
藤田 廣志(ふじた ひろし、1926年9月7日 - 2008… 藤田 廣志(ふじた ひろし、1926年9月7日 - 2008年11月17日 )は、日本の金属工学者。専門は、電子顕微鏡による材料物性の研究。博士(工学)。大阪大学名誉教授。 香川県出身。旧制香川県立三豊中学校、徳島高等工業学校機械工学科を経て、大阪大学工学部冶金学科卒業。同大学大学院工学研究科金属物性専攻修了。 大阪大学産業科学研究所では、アルミニウムの再結晶における転位の挙動を電子顕微鏡によって調査を行い、再結晶機構のモデル「サブグレイン・コアレッセンス」を提唱する。電子顕微鏡を用いることによって、初めてサブミクロンスケールの内部組織と直接対応づけて調べた研究として高い評価を受けた。 科学技術庁金属材料技術研究所では、電子顕微鏡の中で種々の条件を現出できる世界で初めての本格的な材料科学研究用の500kV超高圧電子顕微鏡を開発した。
もっと読む
宮川 やすえ(みやかわ やすえ、1926年(大正15年)9月… 宮川 やすえ(みやかわ やすえ、1926年(大正15年)9月7日 - 2013年(平成25年)1月8日)は、ロシア児童文学翻訳家、拓殖大学名誉教授。岡山県津山市生まれ。本名・保栄。拓殖大学卒業後、外務省ロシア語研究会で学ぶ。拓殖大学教授、2000年(平成12年)定年、名誉教授。日ロ交流協会常任理事。児童文化功労者。日本児童文芸家協会顧問。 2013年(平成25年)1月8日、心不全のために死去86歳没。
もっと読む
大関 松三郎(おおぜき まつさぶろう、1926年9月7日 -… 大関 松三郎(おおぜき まつさぶろう、1926年9月7日 - 1944年12月19日)は、日本の詩人。新潟県出身。 1926年(大正15年)9月7日、古志郡黒条村下下条(現・長岡市下々条)に小作農・大関仁平次の三男(7人兄弟)として生まれた。古志郡黒条村黒条尋常高等小学校(現・長岡市立黒条小学校)在学中に、生活綴方運動に参加していた恩師・寒川道夫と出会い、生活詩の指導を受けた。小学校卒業直前に浄書・装幀し、詩集として纏めた。 黒条尋常高等小学校卒業後、1941年(昭和16年)に新潟鉄道教習所に入学。教習所卒業後は、機関助手として勤務した。その後、軍属を志し1943年(昭和18年)に山口県防府市に新設された海軍通信学校へ入学。
もっと読む
上國料 巽(かみこくりょう たつみ、1924年(大正13年)… 上國料 巽(かみこくりょう たつみ、1924年(大正13年)9月7日 - ?)は、日本の財務官僚、実業家。関東銀行(現・筑波銀行)監査役。関東信用保証(現・筑波信用保証)社長。第45代神戸税関長。勲三等瑞宝章受章。 森永貞一郎(第23代日本銀行総裁)は義兄(妻の兄)。 鹿児島県出身。1948年(昭和23年)東京大学法学部政治学科を卒業し、同年3月大蔵省に入省。専売局塩脳部需給課配属。1951年(昭和26年)8月行田税務署長。 1955年(昭和30年)管財局国有財産第二課長補佐、1956年(昭和31年)総務課長補佐、1958年(昭和33年)理財局国庫課長補佐を経て、1960年(昭和34年)7月国税庁熊本国税局直税部長に就任。
もっと読む
田中 敬(たなか たかし、1923年〈大正12年〉9月7日 … 田中 敬(たなか たかし、1923年〈大正12年〉9月7日 - 2016年〈平成28年〉12月30日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官。 広島県広島市出身。父の田中康道は弁護士。元三菱マテリアル会長、元日経連会長の永野健は従兄弟。旧制広島高師附属中学校、旧制一高を経て、1948年(昭和23年)東京大学法学部政治学科卒業後、大蔵省に入省し大臣官房渉外部配属。ちなみに一高同期に大倉真隆(大蔵省47年前期入省)、長岡實(大蔵省47年後期入省。共にのちの大蔵事務次官)、三重野康(日銀生え抜きの同行総裁)らがいて、大倉 - 長岡と続いて大蔵次官に就任した。 廿日市税務署長、関東信越国税局、国税庁所得税課長補佐、水資源開発公団資金課長、大蔵省理財局国債課長、資金課長、大臣官房文書課長、東京税関長を経て、1973年6月26日 主計局次長。
もっと読む
南 緑八郎(みなみ ろくうはちろう、1923年9月7日 - … 南 緑八郎(みなみ ろくうはちろう、1923年9月7日 - 2005年4月27日)は、日本の経営者。 新潟日報社社長を務めた。新潟県出身。 1946年に立命館大学を卒業し、1949年に新潟日報社に入社。1976年に取締役に就任し、1983年に常務、1988年に専務を経て、1990年から1992年までに社長を務めた。 2002年11月22日解離性大動脈瘤のために死去。79歳没。
もっと読む
三谷晃一(みたに こういち、1922年9月7日 - 2005… 三谷晃一(みたに こういち、1922年9月7日 - 2005年2月23日)は、日本の詩人。福島民報社に勤務の傍ら、生涯詩人としての生き方を貫き通し、郷里福島の地から、第1詩集『蝶の記憶』から第9詩集『河口まで』を発表した。 地方と呼ばれる都会から離れた地域に生きる人々に限りなく温かい眼差しを注ぐ。アジアの中央から日本まで国境を越えて続くそば畑で、その生育とともに人生を紡ぐ人々、山深い田舎で便りを待ちわびる人々に郵便を配達する 郵便配達夫、 生涯をかけ樹齢千年の紅枝垂桜の子孫を訪ね歩いて、 420本の子孫桜を捜し出した農夫など、名もなく人知れず、日々の生活に命を賭ける無数の人々が支える日常生活に確かな世界を見出す。
もっと読む