坂井 光夫(さかい みつお、1921年〈大正10年〉9月7日… 坂井 光夫(さかい みつお、1921年〈大正10年〉9月7日 - 2015年〈平成27年〉12月28日)は、日本の物理学者。理学博士(東京大学・1957年)。第4代東京大学原子核研究所所長。東京大学名誉教授。専門は原子核物理学。 新潟県新潟市西堀通6番町(現 新潟市中央区西堀通6番町)の新潟高等女学校教諭・坂井仲太郎の次男として出生。 1938年(昭和13年)3月に新潟中学校を4年で修了、1941年(昭和16年)3月に新潟高等学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に東京帝国大学理学部物理学科を半年繰り上げ卒業、10月に海軍技術見習尉官として中国の青島に向かった。 1945年(昭和20年)10月に復員、副手として東京帝国大学理学部の嵯峨根遼吉の研究室で研究、1951年(昭和26年)9月から1954年(昭和29年)12月までフランス、スウェーデン、アメリカに留学。
荒川 法勝(あらかわ のりかつ / ほうしょう、1921年9… 荒川 法勝(あらかわ のりかつ / ほうしょう、1921年9月7日 - 1998年5月6日)は、日本の作家、詩人、文芸評論家。 岩手県下閉伊郡崎山村(現・宮古市)出身。慶応義塾大学文学部哲学科卒。 1951年、千葉県で地方公務員の公立高校教諭となり、千葉県立佐原第一高等学校教諭、1959年千葉県立成東高等学校教諭。 1965年第3次千葉県詩人クラブ初代会長に就任。1977年日本現代詩人会常任理事。1989年多摩美術大学教授。
井出 源四郎(いで げんしろう、1920年9月7日 - 20… 井出 源四郎(いで げんしろう、1920年9月7日 - 2008年11月28日)は日本の医学者。専門は病理学。第8代千葉大学学長。 長野県南佐久郡臼田町(現佐久市)生まれ。旧制野沢中学(長野県野沢北高等学校)、旧制松本高等学校理科乙類を経て,、1944年旧制千葉医科大学卒業。母校助手を経て、1956年同助教授。1957年医学博士(千葉大学)。論文の題は「潰瘍性関節症の病理学的研究 」。1965年教授、1978年医学部長、1982年学長を歴任。1988年退官、名誉教授。1993年勲二等旭日重光章受勲。 1961年刊行の『中日英医学用語辞典』の編集委員長を務めた他、著書に『喫煙と肺癌』、『最新病理組織学』などがある。
葉室 鐵夫(はむろ てつお、1917年(大正6年)9月7日 … 葉室 鐵夫(はむろ てつお、1917年(大正6年)9月7日 - 2005年(平成17年)10月30日)は、福岡県福岡市出身の日本の元競泳選手。日本競泳界黎明期の選手のひとりで、亡くなるまでは大阪府高石市に在住していた。
石谷 清幹(いしがい せいかん、1917年9月7日 - 20… 石谷 清幹(いしがい せいかん、1917年9月7日 - 2011年5月26日)は、日本の機械工学者。蒸気工学専攻。 大阪市出身。1940年東京帝国大学工学部機械工学科卒。1952年「ボイラ燃焼室熱計算法の研究」で東京大学から工学博士。川崎重工技師、1947年大阪帝国大学工学部機械科講師、1948年助教授、大阪大学工学部助教授、1962年教授。1981年定年退官、名誉教授、大阪産業大学客員教授。1991年勲三等旭日中綬章受勲。ボイラー、船舶などの安全工学を研究した。
板垣 清一郎(いたがき せいいちろう、1915年9月7日 -… 板垣 清一郎(いたがき せいいちろう、1915年9月7日 - 1993年10月2日)は、日本の政治家。元山形県知事(5期、在任期間:1973年10月 - 1993年2月)。山形県西村山郡左沢町(現在の大江町)出身。栄典は従三位・勲一等・瑞宝章。 左沢町議を3期務めた板垣米作の長男として生まれる。祖父・井上金太郎は製糸工場を経営し、左沢町長も務めた地域の有力者であった。NHK解説主幹を務めた板垣信幸は従甥。県立寒河江中学校(現在の山形県立寒河江高等学校)を卒業後、1934年東京高等師範学校に入学するが、2年後に腹肋膜炎を患い中退する。 両羽銀行(現在の山形銀行)行員、繊維会社経営を経て、1947年に山形県議会議員に初当選。
伊藤 清(いとう きよし、1915年〈大正4年〉9月7日 -… 伊藤 清(いとう きよし、1915年〈大正4年〉9月7日 - 2008年〈平成20年〉11月10日)は、日本の数学者、大蔵官僚。学位は理学博士(東京帝国大学・1945年)。位階は従三位。確率論における伊藤の補題(伊藤の定理)の考案者として知られる。第1回ガウス賞受賞者。 1915年、三重県員弁郡(現いなべ市)で生まれた。同じく数学者である伊藤清三は弟。東京帝国大学理学部数学科で学び、1938年に卒業した。 卒業後の1938年、大蔵省入省。銀行局に配属された。1939年、内閣統計局に配転される。1943年、内閣統計局を退官し、名古屋帝国大学助教授となった。1945年、東京帝国大学に学位請求論文『確率過程について』を提出して理学博士の学位を取得。
常石 茂(つねいし しげる、1915年9月7日 - 1982… 常石 茂(つねいし しげる、1915年9月7日 - 1982年4月3日)は、日本の中国文学者。本名・柳沢三郎。 大阪府生まれ。東京帝国大学支那文学科卒業。『聊斎志異』のほか、多くの中国古典の翻訳・紹介を行った。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
足立 政男(あだち まさお、1915年9月7日 - 2001… 足立 政男(あだち まさお、1915年9月7日 - 2001年8月5日)は、経済史・経営学者。 徳島県阿波郡市場町(現・阿波市市場町)出身。立命館大学文学部史学科、経済科卒業。1974年「老舗の家訓と家業経営」で立命館大学経済学博士。立命館大学経済学部助教授、教授、1980年定年退任、名誉教授、名古屋経済大学教授。
辻本 芳郎(つじもと よしお、1914年(大正3年)9月7日… 辻本 芳郎(つじもと よしお、1914年(大正3年)9月7日 - 1991年(平成3年)9月17日)は、日本の地理学者。東京学芸大学名誉教授。学位は、理学博士。専門は工業地理学。 三重県生まれ。三重県立上野中学校を経て、1935年東京高等師範学校卒業。1938年応召、旅順重砲兵連隊に入営。1939年東京文理科大学理学部地学科地理学専攻卒業。1941年召集解除、陸軍教授、陸軍経理学校教官。1947年東京第二師範学校教授、1949年東京学芸大学助教授、1952年教授。1959年「伝統的在来工業の地域構造 東海陶業地域を中心として」で理学博士(東北大学)。1960 - 66年東京学芸大学附属世田谷小学校校長兼任、1975 - 77年東京学芸大学附属図書館長。
武藤 保之助(むとう やすのすけ、1913年(大正2年)9月… 武藤 保之助(むとう やすのすけ、1913年(大正2年)9月7日 - 2003年(平成15年)2月25日)は、日本の政治家。埼玉県所沢市長。 家業は市内上安松の押絵羽子板製造業「ムトー人形」。所沢市議会議員、1968年 - 1971年市議会議長を経て、1983年 - 1987年市長。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
三浦 矢一(みうら やいち、1912年(大正元年)9月7日 … 三浦 矢一(みうら やいち、1912年(大正元年)9月7日 - 2005年(平成17年)3月29日)は、昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。 華族・三浦松二郎の長男として生まれる。父の死去に伴い、1931年(昭和6年)10月7日、子爵を襲爵した。 1936年(昭和11年)中央大学法学部を卒業。同年、南満州鉄道に入社。大陸鉄道従事員援護会でも勤務した。 1946年(昭和21年)8月22日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
緒方 孝男(おがた たかお、本名・佐藤孝男、1912年(大正… 緒方 孝男(おがた たかお、本名・佐藤孝男、1912年(大正元年)9月7日 - 1988年(昭和63年)11月4日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員(1期)。 大分県速見郡山浦村(山香町を経て現杵築市)で生まれる。1924年(大正13年)山香高等小学校を卒業した。 1934年(昭和9年)日本製鐵八幡製鉄所に工員として就職。戦後、八幡製鉄所労働組合運動に参画し、同労組執行委員、同副組合長、同三代組合長、日鉄労働組合連合会長などを務めたが、1950年(昭和25年)連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の追放処分(レッドパージ)を受けた。 1951年(昭和26年)労働組合の支援を受け福岡県議会議員に当選。
平田 九州男(ひらた くすお、1909年9月7日 - 198… 平田 九州男(ひらた くすお、1909年9月7日 - 1989年10月26日)は、日本の経営者。富士写真フイルム(現在の富士フイルム)社長を務めた。 大分県中津市出身。1933年に関西学院高等商学部を卒業し、1934年に富士写真フイルムに入社。1954年に取締役に就任し、1964年に常務、1969年6月に専務を経て、1971年6月に社長に就任。1980年5月に会長に就任。 1974年4月に藍綬褒章を受章し、1979年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1989年10月26日、呼吸不全のために死去。80歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
吉村 順三(よしむら じゅんぞう、1908年9月7日 - 1… 吉村 順三(よしむら じゅんぞう、1908年9月7日 - 1997年4月11日)は、日本の建築家。東京藝術大学名誉教授。 東京市本所区緑町の呉服商の家に生まれる。東京府立三中卒業。東京美術学校(現東京藝術大学)で建築を学び、実測と観察を通して日本の古建築に触れた。1931年に卒業後、アントニン・レーモンドに師事。モダニズム建築を体得するとともに、レーモンドに日本建築を伝える。1941年、吉村順三設計事務所を開設。1945年、東京美術学校助教授就任。1962年、東京藝術大学教授に就任。1970年、東京藝術大学名誉教授。1990年、日本芸術院会員。 皇居新宮殿の建設に関わった。日本の伝統とモダニズムの融合を図った。
三宅 直胖(みやけ なおひろ、1907年(明治40年)9月7… 三宅 直胖(みやけ なおひろ、1907年(明治40年)9月7日 - 没年不詳)は、昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・鍋島。 旧小城藩主の系統で子爵の主猟官・鍋島直庸の二男として生まれ、陸軍大佐(騎兵)で子爵の三宅忠強の養子となる。養父が実兄の鳥居忠一子爵夫妻と共に京王線に衝突した自動車事故で死去したことにより、1939年(昭和14年)2月15日、子爵を襲爵した。 1932年(昭和7年)3月、京都帝国大学経済学部を卒業。1934年(昭和9年)富士写真フイルムに入社。その後、飛島組などで勤務した。 1946年(昭和21年)6月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した
松林 久吉(まつばやし ひさきち、1907年(明治40年)9… 松林 久吉(まつばやし ひさきち、1907年(明治40年)9月7日 - 1978年(昭和53年)7月11日)は、日本の医師、医学博士、寄生虫学者。 慶應義塾大学医学部長(第7代)、初代琉球大学保健学部長、防衛医科大学校初代校長等を歴任。従四位。 山口県萩市の旧家真鍋家に生まれ、少年時代に東京に出て、のちに同じ萩出身の高名な日本画家・松林桂月の家に入って松林と姓を改めている。
杉村 惇 (すぎむら じゅん、1907年9月7日 - 200… 杉村 惇 (すぎむら じゅん、1907年9月7日 - 2001年8月13日) は、東京都出身の日本の洋画家である。 東京美術学校(現東京藝術大学)西洋画科卒。岡田三郎助(帝国美術院会員・第1回文化勲章受章)に学ぶ。本郷洋画研究所に通い、在学中の1930年(昭和5年)に第11回帝展(帝国美術院展覧会)に初入選するなどのあと、1933年(昭和8年)に第1回東北美術展(現河北美術展)で最高賞の河北賞を受賞。その後、戦後の1946年(昭和21年) - 1964年(昭和39年)塩竈で暮らし、数多くの油彩画を描く。 兄は歌人の杉村顕道(宮城県芸術協会理事長・宮城県教育文化功労者・国見台病院理事長)、甥は杉村隆(国立がんセンター名誉総長・日本学士院長・東邦大学名誉学長・鶴岡市名誉市民・武蔵野市名誉市民)
内海 巌(うつみ いわお、1907年〈明治40年〉9月7日 … 内海 巌(うつみ いわお、1907年〈明治40年〉9月7日 - 1987年〈昭和62年〉8月22日)は、日本の教育学者(社会科)。教育学博士。広島大学名誉教授。比治山女子短大教授。広島市立中央図書館長。日本ユネスコ協会連盟副会長。 大阪市北区樋之上町に生まれる。父・内海岩五郎、母・ツネの長男。1920年、大阪府三島郡高槻町立高槻尋常小学校卒業。1925年、京都府立京都第一中学校卒業。 1930年、広島高等師範学校卒業。1942年、広島文理科大学哲学科卒業。1945年、広島高等師範学校教授。1951年、広島大学教育学部教授。 1953年、全日本社会科教育学会を創設し初代理事長を務めた。1956年、文部省初等中等教育局視学官となる。
立野 正一(たての しょういち、1907年(明治40年)9月… 立野 正一(たての しょういち、1907年(明治40年)9月7日 - 1995年(平成7年)6月6日)は、日本の社会主義者。京都市下京区の喫茶店「フランソア喫茶室」の創業者として知られる。 山口県伊佐村(現在の美祢市伊佐町)の楮(こうぞ)卸の商家に生まれる。1915年(大正4年)京都に移住。京都市立美術工芸学校(現在の京都市立銅駝美術工芸高等学校)に入学し、フランソワ・ミレー、フィンセント・ファン・ゴッホの絵画や、志賀直哉、武者小路実篤などの自然主義文学の影響を受ける。また同校在学中の1924年(大正13年)、同じ敷地内にある市立絵画専門学校で教育管理強化に反発する争議(絵専騒動)に出遭う。これが後に立野が社会主義活動に向かう伏線となった。
小山 久二郎(おやま ひさじろう、1905年9月7日 - 1… 小山 久二郎(おやま ひさじろう、1905年9月7日 - 1984年1月12日)は、日本の出版人、実業家。出版社・小山書店の設立者で、安倍能成の甥。チャタレー事件の被告となったことでも知られる。 愛媛県松山市生まれ、温泉郡南吉井村(現東温市)出身。法政大学中退。岩波書店を経て、1933年に小山書店を設立する。1941年に下村湖人『次郎物語』がベストセラーとなる。 戦後、三木清『読書と人生』、出隆『哲学以前』などを出版し、1950年に発行した伊藤整訳『チャタレイ夫人の恋人』がわいせつ文書として告発される(チャタレー事件)。1957年、最高裁判決で有罪とされ罰金刑を受ける。のち、赤ちゃんとママ社を設立する。
竹嶋 清治(たけしま きよじ、1904年(明治37年)9月7… 竹嶋 清治(たけしま きよじ、1904年(明治37年)9月7日 - 1993年(平成5年)5月24日)は、日本の現代文学者。愛知教育大学名誉教授。 1904年(明治37年)9月7日に愛知県西尾市に生まれる。1929年(昭和4年)に法政大学法文学部国文科を卒業する。 愛知県立青年学校教員養成所教諭を経て、1949年(昭和24年)に愛知学芸大学教授に就任し、1966年(昭和41年)から愛知教育大学教授を務める。 1993年(平成5年)5月24日に死去、88歳。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
島木 健作(しまき けんさく、1903年9月7日 - 194… 島木 健作(しまき けんさく、1903年9月7日 - 1945年8月17日)は、日本の小説家。本名は朝倉 菊雄(あさくら きくお)。高見順・中野重治・徳永直・林房雄らとともに、転向文学を代表する作家の1人。 農民運動に加わり、投獄され転向。この体験を元にした『癩』(1934年)を発表して注目された。『生活の探求』(1937年)は、当時の若者たちに多大な影響を与えた。遺作に『黒猫』(1945年)、『赤蛙』(1946年)などがある。 現在の北海道札幌市中央区生まれ。2歳で父と死別、母に育てられる。家計を助けるために高等小学校を中退、銀行の給仕・玄関番などをしながら苦学した。 旧制北海中学校(現・北海高等学校)卒業。
西山 磐(にしやま いわお、1903年 <明治36年> 9月… 西山 磐(にしやま いわお、1903年 <明治36年> 9月7日 - 1999年 <平成11年> 9月9日)は、日本の実業家。大阪ガス元会長・社長。位階は従三位。 高知県南国市出身。東京帝国大学法学部卒業後、1928年に阪神電気鉄道へ入社。1944年に大阪ガスへ中途入社し、監査役、常務取締役、代表取締役副社長を経て、1969年に代表取締役社長に就任。その後1973年より代表取締役会長を務め、1983年に取締相談役へ退く。その他には大阪工業会会長、社団法人大阪府計量協会会長、帝塚山学院理事長、朝日放送取締役も務めた。1999年死去。死没日付をもって従三位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
国井 淳一(國井、くにい じゅんいち、1902年(明治35年… 国井 淳一(國井、くにい じゅんいち、1902年(明治35年)9月7日 – 1974年(昭和49年)10月29日)は、昭和期の詩人、農民運動家、政治家。参議院議員、栃木県那須郡親園村長。 栃木県那須郡親園村(現大田原市親園)出身。1924年(大正13年)東洋大学文化学科を卒業した。その後、上智大学哲学科を中退。 1925年(大正14年)本所キリスト教産業青年会内産業学院主事に就任。この頃、白鳥省吾に師事し、『日本詩人』、『地上楽園』、『詩神』、『北方詩人』などに農民詩を発表した。1934年(昭和9年)親園村長に就任し1期在任した。また、農民青年運動を指導し全国農村青年連盟委員長となった。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬して次点であったが、膳桂之助が公職追放で当選を辞退したため当選者となり(補欠、任期3年)、国民民主党に所属し参議院議員に1期在任した。
杉村 章三郎(すぎむら しょうざぶろう、1900年9月7日 … 杉村 章三郎(すぎむら しょうざぶろう、1900年9月7日 - 1991年12月2日)は、日本の法学者。法学博士。専門は、行政法・租税法。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。 法学博士の一木喜徳郎(枢密院議長)の三男として東京に生まれ、1924年に医学博士杉村七太郎(東北帝国大学名誉教授)の婿養子となる。1918年東京府立第四中学校卒業。1921年第二高等学校卒業。1923年東京帝国大学法学部卒業。 1924年東京帝国大学法学部助手(指導教官は筧克彦)。1926年同法学部助教授。1935年東京帝国大学法学部教授となる。1944年学術研究会議会長。終戦後は東京大学法学部教授。1949年旧司法試験第二次試験考査委員(~1960年)。
松沢 一鶴(まつざわ いっかく、1900年9月7日 - 19… 松沢 一鶴(まつざわ いっかく、1900年9月7日 - 1965年1月10日)は、日本の元競泳選手、元東京都教育委員会委員長。
八木 宗十郎(やぎ そうじゅうろう、1899年(明治32年)… 八木 宗十郎(やぎ そうじゅうろう、1899年(明治32年)9月7日 - 1981年(昭和56年)2月5日)は、日本の政治家、実業家。 山口県出身。明治大学専門部商科卒業。1923年、父祖が代々経営していた八木呉服店(現ちまきやホールディングス。百貨店は山口井筒屋が継承。)に入社。1937年、ちまきや八木取締役社長。山口県会議員、同参事会員を務めた。1942年、翼賛政治体制協議会から出馬し、衆議院議員に当選。山口商工会議所会頭も25年間に亘り務めるなど、戦前戦後にかけて山口県政治・経済の中心的役割を担った。戦後は公職追放を経て、NHK経営委員など公職の傍ら、岸信介首相の後援会長として岸政権を側面から支援した。
青野 武一(靑野武一、あおの ぶいち、1899年(明治32年… 青野 武一(靑野武一、あおの ぶいち、1899年(明治32年)9月7日 - 1959年(昭和34年)12月9日)は、大正・昭和期の労働運動家、政治家。位階は正五位。 衆議院議員(4期)。配偶者は青野 喜代子。長男は青野 宏、次男は青野 徹、孫は青野 義弘、青野 光俊[要出典]。 愛媛県新居郡、のちの西条市で生まれる。高等小学校を卒業後、八幡製鐵所に入り職工として勤務。日本労友会に加わり、1920年(大正9年)同製鐵所の大争議に参加した。日本労友会が解散した後、1925年(大正14年)九州民権党が結成され執行委員に就任。その後、日本大衆党、労農大衆党、社会大衆党、日本無産党などの八幡支部書記長を務めた。
川上 行蔵(かわかみ こうぞう、1898年9月7日 - 19… 川上 行蔵(かわかみ こうぞう、1898年9月7日 - 1994年10月26日)は、栄養学者、食物史学者。 新潟県出身。盛岡高等農林学校農芸化学科(現岩手大学農学部)卒。1937年「肝油特ニ其ノ不鹸化物ノ成分ニ就テ」で東京帝国大学農学博士。鈴木梅太郎に師事し、東京帝国大学農学部、理化学研究所、満州国立大陸科学院に勤務。敗戦後引揚げ、農林省開拓研究所、農業技術研究所に勤める。1962年定年退職、共立女子短期大学教授。1974年退任、料理書原典研究会を設立、主宰。1984年勲三等瑞宝章受勲。江戸時代の料理書を研究した。
稲富 栄次郎(いなとみ えいじろう、1897年(明治30年)… 稲富 栄次郎(いなとみ えいじろう、1897年(明治30年)9月7日 - 1975年(昭和50年)12月30日)は、日本の哲学者、教育哲学者。上智大学名誉教授。学位は文学博士(広島文理科大学)。広島高等師範学校、東北帝国大学卒業。福岡県出身。 1897年(明治30年)9月7日 福岡県浮羽郡に生まれる 1924年(大正13年)3月7日 広島高等師範学校文科第二部卒業 3月31日 山口県女子師範学校教諭(1926年(大正15年)4月27日まで) 1929年(昭和4年)3月26日 東北帝国大学法文学部哲学科卒業 3月31日 兵庫県立第一神戸中学校教諭(1931年(昭和6年)3月31日まで) 1931年(昭和6年)3月31日 広島文理科大学・広島高等師範学校講師 9月28日 広島高等師範学校教授 1933年(昭和8年)3月31日 広島文理科大学助教授兼、広島高等師範学校教授 1941年(昭和16年)12月27日 広島文理科大学教授 1944年(昭和19年)9月30日 同大学教育学科長 1946年(昭和21年)9月27日 文学博士の学位を受く 1947年(昭和22年)10月25日 広島文理科大学教授退任、広島図書株式会社顧問(1951年(昭和26年)3月31日まで) 1951年(昭和26年)10月23日 上智大学文学部教授 1952年(昭和27年)4月1日 同大学文学部教育学科長(1966年(昭和41年)3月31日まで) 1953年(昭和28年)5月10日 学事視察のため西ヨーロッパ各国へ出張(同年10月27日まで) 1954年(昭和29年)9月25日 神戸大学教育学部教授(1957年(昭和32年)3月31日まで) 1956年(昭和31年) 2月10日 文部省・教育課程審議会委員(1957年(昭和32年)2月9日まで)5月1日 教育史学会理事(1974年(昭和49年)9月30日まで)12月1日 文部省・国語審議会委員(1958年(昭和33年)1月30日まで)
島村 一郎(しまむら いちろう、1894年(明治27年)9月… 島村 一郎(しまむら いちろう、1894年(明治27年)9月7日 - 1977年(昭和52年)2月1日)は、日本の政治家。衆議院議員。正三位勲一等。 自由民主党元衆議院議員島村宜伸は六男。 東京府南葛飾郡小松川町平井(現在の東京都江戸川区平井)に生まれる。 中央大学中退。小松川町会議員、小松川町長、東京府議、江戸川区会議長、東京市議、同都議などを経て大蔵大臣秘書官となった。 昭和21年(1946年)東京1区(のち東京6区→10区)から立候補し、次点となるが、鳩山一郎の公職追放による繰上当選となり、衆院議員となる。以来連続当選12回。 1955年(昭和30年)第2次鳩山内閣の通商産業政務次官。衆院大蔵、商工、懲罰、東京オリンピック大会準備促進特別委員長を歴任。
石川 栄耀(いしかわ ひであき、1893年9月7日 - 19… 石川 栄耀(いしかわ ひであき、1893年9月7日 - 1955年9月25日)は、日本の都市計画家。 都市における盛り場研究の第一人者で新宿歌舞伎町の生みの親および命名者。戦前期から戦後にかけて、都市計画分野最大のイデオローグであり、日本の都市計画発展に貢献した。 早くから地方計画・地域計画の重要性を認識し、「生活圏」の考え方を提唱、これを国土計画へ拡大する地方計画の考え方の基礎としていた。 長男の石川允も都市計画家として活動した。 1893年9月、山形県東村山郡尾花沢村(現尾花沢市)に根岸文夫の次男として生まれる。兄は根岸川柳名人根岸栄隆。6歳で母親の実家である石川家の養子になる。養父の石川銀次郎は実父の弟で(妻同士も姉妹)、日本鉄道の職員。
9代目 桂 文治(かつら ぶんじ、1892年9月7日 - 1… 9代目 桂 文治(かつら ぶんじ、1892年9月7日 - 1978年3月8日)は、落語家。本名∶高安 留吉。生前は落語協会所属。定紋∶結三柏。出囃子∶『野崎』。通称「留さん(文治)」。 東京日本橋小伝馬町の生まれ、実家は魚屋。十思小学校を卒業。1904年、錦城中学校入学も1年ほどで退学し、蕎麦屋などの奉公に出るもそこも転々、父の魚屋を手伝いながら天狗連に出るようになる。 1915年に橘家圓三(「品川の馬鹿銀」)の紹介で一門の総帥の4代目橘家圓蔵に入門し、橘家咲蔵を名乗る。1918年12月、7代目翁家さん馬門下に移って翁家さん好と改名する。後に初代立花家橘之助の一座に加わり巡業に出るが、御難にあい東京に帰れなくなり、1921年大阪に流れつき2代目桂三木助門人となり桂三木弥となる。
田村 剛(たむら つよし、1890年〈明治23年〉9月7日 … 田村 剛(たむら つよし、1890年〈明治23年〉9月7日 - 1979年〈昭和54年〉9月4日)は、日本の造園家・造園学者・林学者。日本の国立公園、海中公園制度の確立と発展に尽くす。岡山県生まれ。 妻は日向利兵衛の娘。国際自然保護連合名誉会員。日本自然保護協会初代理事長、日本造園学会会長など、要職を多数歴任。 倉敷市で次田家に生まれ、まもなく田村家の養子となる。兄は国文学者の次田潤。旧制岡山中学校(現・岡山県立岡山朝日高等学校)から第六高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学農科大学林学科に進学。高等学校時代の1911年(明治44年)、新聞社が募集していた立山登山に参加。1915年(大正4年)に大学を卒業し、2年間、明治神宮造営局で神宮内外苑の造営に携わる。
杵淵 直都(きねぶち なおと、1890年9月7日 - 196… 杵淵 直都(きねぶち なおと、1890年9月7日 - 1964年10月6日)は、日本のピアノ調律師である。 1890年、長野県埴科郡松代町(現・長野市)に生まれる。共益商社の研修生として日本楽器製造で技術を学び、NHK、宮内省、各ホールなどでコンサートチューナーとして活躍するなど、大正時代から昭和初期にかけて評価が高かったピアノ調律師の一人。 1930年に誕生した全国ピアノ技術者協会の創設時の中心人物の一人でもあり、発足時には広田米太郎、中谷孝男らと常任委員に名を連ねる。
佐久間 鼎(さくま かなえ、1888年9月7日 - 1970… 佐久間 鼎(さくま かなえ、1888年9月7日 - 1970年1月9日)は、日本の心理学者、言語学者、国語学者。 1888年、千葉県で生まれた。第一高等学校を経て、東京帝国大学文科大学哲学科に入学。心理学専修で学び、1913年に卒業、同大学大学院に進んで日本語のアクセントについて研究した。 1923年に欧州留学を命じられ、ドイツ留学中にベルリン大学のヴォルフガング・ケーラーのもとでゲシュタルト心理学を学んだ。1925年に帰国し、九州帝国大学の初代心理学講座担任教授に就いた。九州大学には、戦後1949年の退官まで奉職。1966年には日本学士院会員に選出された。 1952年、東洋大学教授に迎えられ、心理学、国語学を担当。
吉川 亮夫(よしかわ あきお、1886年(明治19年)9月7… 吉川 亮夫(よしかわ あきお、1886年(明治19年)9月7日 - 1954年(昭和29年)11月1日)は、日本の政治家。衆議院議員、号は半石。 長野県下伊那郡松尾村(現飯田市)に生まれる。酒造業・吉川芳太郎の長男。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)を経て、早稲田大学政治経済学科卒業。松尾村会議員を経て、1927年(昭和2年)、長野県会議員となる。同4年(1929年)松尾村長に推挙され、昭和恐慌による農村経済の危機を、救農資金の貸し付けで切り抜け、公共土木事業を起こして失業者を救い、道路改修、河川治水、橋梁架け替えなど村内各地の社会基盤整備に奔走した。 松川入森林組合長、全国町村会会長代理、長野県砂防会長、同県町村会長などを歴任し、同17年(1942年)第21回衆議院議員総選挙において長野3区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を得て、当選。
三浦 豕(みうら いのこ、1886年(明治19年)9月7日 … 三浦 豕(みうら いのこ、1886年(明治19年)9月7日 - 1964年(昭和39年)7月9日)は、日本のルーテル教会の牧師である。 ジェームス・シェーラー ラファス・ピーリー 山内量平・山内幹枝 山内直丸 川瀬徳太郎 三浦豕 石松量蔵 佐藤繁彦 鍋谷堯爾
富村 登(とみむら のぼる、1886年9月7日 - 1964… 富村 登(とみむら のぼる、1886年9月7日 - 1964年)は、茨城県の地方史研究者、医師。 茨城県水海道(現常総市)で、医師・富村玄仙の長男として生まれた。獨逸学協会中学校(現獨協中学校・高等学校)、第一高等学校卒。1911年東京帝国大学医学部卒。1912-13年東大医科学教室副手。1914年日本郵船船医嘱託(欧州航路)。 父の死去に伴い、故郷で1915年開業、地方史研究家。
斎藤 与里(さいとう より、1885年(明治18年)9月7日… 斎藤 与里(さいとう より、1885年(明治18年)9月7日-1959年(昭和34年)5月3日)は、大正・昭和期の洋画家、美術評論家。
松村 義一(まつむら ぎいち、1883年(明治16年)9月7… 松村 義一(まつむら ぎいち、1883年(明治16年)9月7日 - 1959年(昭和34年)1月6日)は、明治末から昭和前期の内務官僚、政治家。憲政会系官選県知事、貴族院勅選議員。 山口県都濃郡、現在の下松市で商業・松村冷蔵の長男として生まれる。山口中学校、山口高等学校を経て、1909年(明治42年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。1910年(明治43年)11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り、神奈川県属として内務部地方課に配属された。 1911年(明治44年)4月、神奈川県試補となる。以後、佐賀県事務官、同県視学官、鳥取県視学官、石川県警察部長、広島県警察部長、警察講習所教授兼内務省参事官、山形県内務部長、和歌山県内務部長などを歴任。
渡辺 徹(わたなべ とおる、1883年9月7日 - 1957… 渡辺 徹(わたなべ とおる、1883年9月7日 - 1957年1月12日)は日本の心理学者で、日本におけるパーソナリティ心理学(人格心理学)の開拓者。1912年にドイツの心理学者ヴィルヘルム・シュテルンの人格学を日本に紹介した。また、没年に至るまで、「個性心理学」という名で独創的な講義をした。心理検査にも早くから関心を示し、この方面での先駆的な業績といわれる「国民知能検査」を開発した。 心理学史の研究では、江戸時代の心学者・鎌田鵬(鎌田柳泓)を「本邦最初の経験的心理学者」として発見した。 心理学の応用に熱心で、日本応用心理学会の設立に際して中心的役割を果たした。 1924年に私学では最初(東京帝国大学・京都帝国大学・東北帝国大学に次いで日本では4番目)の心理学専攻課程を日本大学に創設した(現在の日本大学文理学部心理学科)。
後藤 七郎(ごとう しちろう、1881年(明治14年)9月7… 後藤 七郎(ごとう しちろう、1881年(明治14年)9月7日 - 1962年(昭和37年)12月7日)は、大正から昭和時代の日本の外科学者、大日本帝国陸軍軍医。最終階級は陸軍軍医少将。位階勲等は正三位勲一等。胃・十二指腸潰瘍の権威で、日本初の輸血を行った人物として知られる。 後藤貞治の三男として福岡県山門郡柳河村(現柳川市)にて生まれる。1907年(明治40年)12月、京都帝国大学福岡医科大学(現・九州大学医学部)卒業。翌年6月、陸軍二等軍医・歩兵第1連隊附となる。1909年(明治42年)京都帝国大学福岡医科大学大学院、1911年(明治44年)九州帝国大学医科大学大学院を経て、同年、同大講師となる。
安倍 季雄(あべ すえお、1880年9月7日 - 1962年… 安倍 季雄(あべ すえお、1880年9月7日 - 1962年12月19日)は、日本の童話作家。号は村羊。 山形県出身。函館中学校(現北海道函館中部高等学校)卒。 1908年時事新報社に入社、『少年』『少女』の編集主幹となりみずからも執筆する。1929年退社し、東京中央放送局『コドモ・テキスト』編集顧問となり、口演童話を開拓、大阪毎日新聞嘱託講師として全国各地に講演旅行する。1952年久留島武彦と全国童話人協会を設立し、のち2代委員長となる。
青木 知四郎(あおき ちしろう、明治13年(1880年)9月… 青木 知四郎(あおき ちしろう、明治13年(1880年)9月7日 - 昭和50年(1975年)2月22日)は、衆議院議員(1期)、鉄道実業家。藍綬褒章受章者。 岐阜県羽島郡、後の上中島村(現羽島市)出身。明治41年(1908年)慶應義塾大学部法律科卒業。1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙で岐阜県四区から選出され、立憲民政党に所属。加藤六蔵(愛知)、東郷実(鹿児島)、三橋四郎次(静岡)ら9名と共に農民党議員として知られた。 岐阜県会議員、同参事会員、岐阜県農会議員、同農事協会副会長、羽島郡農会会長、同農事協会長。岐阜製氷、日本絹布会社、濃飛農工銀行各監査役。竹鼻銀行、竹鼻鉄道取締役を経て赤坂通運社長などを歴任した。
山田 道兄(やまだ みちえ、1880年(明治13年)9月7日… 山田 道兄(やまだ みちえ、1880年(明治13年)9月7日 - 1936年(昭和11年)8月27日)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、ジャーナリスト。 岐阜県武儀郡東武芸村(現在の関市)出身。早稲田大学政治経済科出身。扶桑新聞主筆、東京毎日新聞記者、読売新聞記者を経て、民友通信社を創設して社長を務めた。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、4回の当選を重ねた。その間、濱口内閣で農林参与官を務めた。
猪野 鹿次(いの しかじ、1879年(明治12年)9月7日 … 猪野 鹿次(いの しかじ、1879年(明治12年)9月7日 - 没年不明)は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家。大日本帝国陸軍軍人。福岡県飯塚市長。号に城南。 猪野昌の長男として福岡区(現福岡市)に生まれる。1900年(明治33年)、福岡県中学修猷館を卒業。1902年(明治35年)12月、福岡県属となったのち陸軍に入り、1904年(明治37年)2月、陸軍歩兵少尉、1905年(明治38年)8月、中尉と進んだ。この間、日露戦争に出征した。1913年(大正2年)10月、福岡県築上郡長に就任し、1916年(大正5年)2月、同県三井郡長に転じる。1920年(大正9年)9月、筑紫郡長となり、1926年(大正15年)6月、退官した。
小寺 源吾(こでら げんご、1879年(明治12年)9月7日… 小寺 源吾(こでら げんご、1879年(明治12年)9月7日 - 1959年(昭和34年)6月15日)は、日本の実業家。大日本紡績(ニチボー・ユニチカの前身)元社長。旧姓は西松。養家・小寺家共々岐阜県出身。(『小寺源吾別荘 (「世界の有名な別荘地#日本#兵庫県」の節)』、「日本一の富豪村・住吉村の本邸」も参照) 岐阜県平民西松権兵衛の三男にして西松喬の実弟。兵庫県及岐阜県士族・小寺成蔵の婿養子となった。1903年4月、慶應義塾大学部理財科を卒業。 同年尼崎紡績に入社。1918年、大日本紡績取締役となる。 1936年、綿業会館(日本綿業倶楽部)で開催された臨時株主総会の決議により同社社長に就任した(58歳)。
野々村 戒三(ののむら かいぞう、1877年(明治10年)9… 野々村 戒三(ののむら かいぞう、1877年(明治10年)9月7日 - 1973年(昭和48年)11月21日)は、日本の歴史学者、能楽研究者。号は「蘆舟」、「芥叟」。クリスチャンであった。 1877年、大分県生まれ。父・野々村卓二は塩谷宕陰の門人で、母は三浦梅園の玄孫に当たる。1896年、立教学校(現・立教大学)卒業。その後、東京帝国大学文学部史学科に進み、西洋中世史を専攻した。1901年(明治34年)に東京帝国大学を卒業。 卒業後は立教中学校の教員として勤務。中学校長の元田作之進の依頼で自宅を謡の稽古場として貸すこととなり、能との関わりを持つこととなる。その稽古場で教えていた師匠は池内信嘉であった。