林 泰義(はやし やすよし、1936年7月13日 - 202… 林 泰義(はやし やすよし、1936年7月13日 - 2023年12月8日)は、日本の都市計画家、まちづくりプランナー。東京都生まれ。千葉大学客員教授。 東京大学工学部建築学科卒業、同大学大学院数物系研究科博士課程修了。1969年、都市コンサルタントの計画技術研究所を設立。 現在では特定非営利活動法人玉川まちづくりハウスの運営委員をつとめ、1990年以降はNPO法とNPO法人の実現に参画、NPOセクターの確立に取り組む。また市民参加のワークショップにより住民の活気を引き出すまちづくりを提唱し全国に広めることに尽力する。 「NPOとまちづくりの一連の研究及び活動」により、1997年、日本都市計画学会賞(石川賞)を受賞する。
堺屋 太一(さかいや たいち、1935年7月13日 - 20… 堺屋 太一(さかいや たいち、1935年7月13日 - 2019年2月8日)は、日本の政治家、通産官僚、小説家、評論家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 経済企画庁長官(第55・56・57代)、内閣特別顧問、内閣官房参与などを歴任した。また、株式会社堺屋太一事務所および株式会社堺屋太一研究所の代表取締役社長であり、様々な博覧会のプロデューサーとしても活動していた。 本名は池口 小太郎(いけぐち こたろう)であり、ペンネームの由来は、先祖の商人が安土桃山時代に堺から谷町に移住した際の名前である「堺屋太一」から採ったものである(堺屋は屋号にあたる)。 谷町に近い大阪市東区岡山町(現:中央区玉造)生まれ。
征矢 清(そや きよし、1935年(昭和10年)7月13日 … 征矢 清(そや きよし、1935年(昭和10年)7月13日 - 2008年(平成20年)1月1日)は、日本の児童文学作家。 妻は絵本作家の林明子。 長野県生まれ。早稲田大学第二文学部卒業後、福音館書店に入社。「こどものとも」編集担当を経て、創作活動に専念。童話・絵本を数多く手掛け、2002年『ガラスのうま』で野間児童文芸賞と新美南吉児童文学賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
藤井 賢三(ふじい けんぞう、1933年7月13日 - 20… 藤井 賢三(ふじい けんぞう、1933年7月13日 - 2006年10月13日)は、プロ野球球団近鉄バファローズ球団社長である。 滋賀県出身。1957年に京都大学法学部を卒業した後に近畿日本鉄道に入社した。 企画部長、近鉄興業社長、専務を経て、1998年から球団社長に就任した。 2001年をもって、退任し、同年6月から2005年までに三重交通会長を務めた。 2006年10月13日、肺炎のために死去。73歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
江戸 満(えど みつる、1933年〈昭和8年〉7月13日 -… 江戸 満(えど みつる、1933年〈昭和8年〉7月13日 - 2022年〈令和4年〉5月12日)は、日本の政治家、陸上自衛官。第9代扶桑町長(3期)。町長退任時の2016年当時、愛知県内の首長で最高齢(83歳)だった。愛知県町村会会長などを歴任。 1933年(昭和8年)7月13日、石川県能美郡川北町に生まれる。1957年(昭和32年)3月に防衛大学校を第一期で卒業して防衛庁に奉職。1977年(昭和52年)6月統合幕僚学校を卒業。1980年(昭和55年)8月より陸上幕僚監部施設課長、1982年(昭和57年)3月より陸上自衛隊施設学校副校長を務める。1985年(昭和60年)3月には第4施設団長兼大久保駐屯地司令となり、1987年(昭和62年)7月から施設補給処長兼古河駐屯地司令を務めたのち、1988年(昭和63年)7月に退官。
和田 啓一(わだ けいいち、1932年(昭和7年)7月13日… 和田 啓一(わだ けいいち、1932年(昭和7年)7月13日 - )は、日本の元裁判官・弁護士。元高松地方裁判所所長。和田啓一法律事務所所長。横浜弁護士会所属。北海道大学法学部卒業。北海道出身。 この他、司法研修所教官も務める 父は、元酪農学園大学教授の和田数雄。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
桜井 毅(さくらい つよし、1931年7月13日 - )は、… 桜井 毅(さくらい つよし、1931年7月13日 - )は、日本の経済学者・マルクス経済学研究者。武蔵大学名誉教授。経済学博士。「櫻井毅」とも表記することがある。 1931年7月13日生まれ、東京市(現・東京都)出身。武蔵中学校・高等学校、武蔵大学経済学部卒業。東京大学大学院社会科学研究科博士課程修了。1961年、武蔵大学助手。1967年、博士論文「生産価格論研究」により、東京大学から経済学博士の学位を受ける。1968年、武蔵大学経済学部教授。1992年、武蔵大学長に就任し2000年まで勤めた。2000年、同大学名誉教授の称号を受ける。 日本の代表的なマルクス経済学者である宇野弘蔵に師事し、桜井の生産価格の理論は、宇野経済学の原理論と呼ばれる分野に大きな影響を与えた。
槇 弥生子(まき やよいこ、1931年7月13日 - 201… 槇 弥生子(まき やよいこ、1931年7月13日 - 2015年5月19日)は、日本の歌人。 東京市生まれ。二松学舎大学文学部国文科卒業。本名・森本早百合。歌人・万葉学者の森本治吉は夫の父、歌人の森本平は息子。 1946年、万葉講座にて森本治吉と出会い、後日「白路」に入会、1953年、「醍醐」に入会。その後、「醍醐」選者を経て、2004年に「開耶(さくや)」を創刊、主宰。この間、日本歌人クラブ中央幹事(1990年-1993年)。1975年、歌集『ふりむくことなし』にて第1回短歌公論処女歌集賞受賞。2015年5月19日、誤嚥性の窒息のため死去。
杉田 豊(すぎた ゆたか、1930年7月13日 - 2017… 杉田 豊(すぎた ゆたか、1930年7月13日 - 2017年5月19日)は、グラフィック・デザイナー、絵本作家。筑波大学名誉教授(平成6年度付与)。
山本 雄二郎(やまもと ゆうじろう、1930年7月13日 -… 山本 雄二郎(やまもと ゆうじろう、1930年7月13日 - 2010年1月1日)は、成田空港地域共生委員会元代表委員、高千穂商科大学教員。 1930年、愛知県福江町(現・田原市)に生まれる。 1950年、早稲田大学第一法学部卒業後、産経新聞東京本社へ入社。 1970年より産経新聞論説委員として交通・物流問題を担当した。 1984年、観光政策審議会委員。 1985年、航空政策研究会理事に就任、1988年から事務局長、1999年より会長補佐。 1986年、高千穂商科大学教授、2001年より客員教授。 1991年、成田空港問題収束に一定の貢献を果たした隅谷調査団に参加。成田空港問題円卓会議終了後は成田空港地域共生委員会の代表委員を務めた。
内藤 正中(ないとう せいちゅう、1929年7月13日- 2… 内藤 正中(ないとう せいちゅう、1929年7月13日- 2012年12月16日)は、日本の歴史学者。島根大学名誉教授、鳥取短期大学北東アジア文化総合研究所長。専攻は日本経済史。 岡山県生まれ、京都大学経済学部卒、同大学院修了(旧制)。父親の内藤雋輔が島根県出身だった縁で、1955年島根大学講師となり、1968年同大学教授、附属図書館長や法文学部部長を務めた。1993年退官。退官後は鳥取短期大学北東アジア文化総合研究所所長に就任した。 日本が係争中の領土問題を巡って、自著の中で、外務省の主張の矛盾や、原史料の隠蔽を暴いた。 父は岡山大学名誉教授・内藤雋輔。
伊藤 勝彦(いとう かつひこ、1929年〈昭和4年〉7月13… 伊藤 勝彦(いとう かつひこ、1929年〈昭和4年〉7月13日 - 2015年〈平成27年〉1月14日)は、日本の哲学者、評論家。埼玉大学名誉教授。文学博士。 岐阜県大垣市生まれ。1953年(昭和28年)に東京大学文学部哲学科を卒業。1960年(昭和35年)、同大学院博士課程中退、東大文学部助手。1963年(昭和38年)、北海道大学文学部助教授。1972年(昭和47年)、埼玉大学教養学部教授。1988年(昭和63年)、埼玉大学名誉教授。東京女子大学文理学部教授、1998年(平成10年)退任。 1972年(昭和47年)「デカルトの人間像」で東大文学博士。デカルト、パスカル哲学専攻ながら文学への関心が強く、三島由紀夫に心酔し、文芸評論も書く。
石原 静子(いしはら しずこ、1929年7月13日 - 20… 石原 静子(いしはら しずこ、1929年7月13日 - 2010年12月20日)は、日本の心理学者。 東京生まれ。奈良女子高等師範学校国文科、東京文理科大学心理学科を経て、東京教育大学大学院教育学研究科実験心理学専攻博士課程を修了した。1961年に「学習における禁止とインダクション」で文学博士(東京教育大学)を取得した。 1966年に和光大学人文学部助教授に、1968年に教授に就任し、人文学部長、一般教育委員長を務めた。2000年に定年退職し、名誉教授に就いた。2006年1月、学校法人和光学園理事長に就任した。 2010年12月20日、血胸のため死去。
出光 昭介(いでみつ しょうすけ、1927年7月13日 - … 出光 昭介(いでみつ しょうすけ、1927年7月13日 - 2023年12月20日)は、日本の実業家。出光興産名誉会長。 1927年、福岡県北九州市で出光佐三の長男として生まれる。東京府立第一中学校、府立高等学校を経て、ハーバード大学へ進学した。その後、出光興産へ入社する。1981年6月から第5代社長に就任し 、1993年5月まで務めた。会長を経て、2001年に代表権の無い名誉会長に退いた。 出光美術館(2代目館長)、松ヶ岡文庫(理事長)、一般財団法人不審菴(1981年理事)、表千家同門会(1996年東京支部長、2004年名誉会員、2011年東京支部名誉支部長)などでの文化的活動にも積極的に参加した。
橋本 四郎(はしもと しろう、1927年7月13日 - 19… 橋本 四郎(はしもと しろう、1927年7月13日 - 1985年7月22日)は、日本の国文学者、国語学者。 京都市下京区梅小路生まれ。1950年第三高等学校卒業、1953年旧制京都大学文学部国文科卒業。1956年京都女子大学助教授、1957年、旧制京都大学大学院退学。1963年大阪女子大学助教授、1969年同教授。1985年7月22日急逝。没後、正四位勲三等瑞宝章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
青山 俊治(あおやま しゅんじ、1926年(大正15年)7月… 青山 俊治(あおやま しゅんじ、1926年(大正15年)7月13日 - )は、日本の実業家。トミヤアパレル元会長。 元オウム真理教幹部で元弁護士の青山吉伸は長男。 大阪府出身。1951年(昭和26年)京都大学経済学部卒業。同年トミヤアパレル入社。 1967年(昭和42年)2月同社社長、1994年(平成6年)3月同社会長に就任。 1995年(平成7年)4月11日、体調不良を理由に会長の職を辞任した。 なお、トミヤアパレルは2009年(平成21年)に経営破綻し、現在は愛知県を本社とするミツワ株式会社が「トミヤアパレル事業部」として継承している。
川﨑 鈴彦(かわさき すずひこ、1925年7月13日 - )… 川﨑 鈴彦(かわさき すずひこ、1925年7月13日 - )は、日本画家。 東京都新宿区出身。父は川﨑小虎。父方の曽祖父は川崎千虎という日本画家の一家に生まれ、弟の川崎春彦も日本画家となった。親戚に元京成電鉄社長の川﨑千春。 父と義兄の東山魁夷に師事。東京美術学校(現東京藝術大学)卒。日展を中心に日本画院展、日本美術協会展などで活躍。 東京美術学校在学中に太平洋戦争が激化し、1945年1月に応召を受け出征(学徒出陣)。香川県三豊郡豊浜町の船舶兵特別幹部候補生隊へ所属中に同年8月の終戦を迎え、父の川﨑小虎や弟の川﨑春彦らが疎開していた山梨県中巨摩郡落合村(現・南アルプス市)へ復員。義兄の東山魁夷も合流し、自然の写生を励んだ。
鈴木 五郎(すずき ごろう、1924年7月13日 - )は、… 鈴木 五郎(すずき ごろう、1924年7月13日 - )は、日本の航空評論家、航空史研究家。 京都府加佐郡中舞鶴町(現・舞鶴市)生まれ。1943年大日本飛行協会横浜飛行訓練所(学生航空連盟)で水上機の操縦訓練を受ける。1944年8月三重海軍航空隊2期飛行予備生徒隊に入隊。 1948年9月東京大学文学部を卒業。小学館児童編集部を経て読売新聞社出版局に勤務。1979年定年退職。
柴田 整一(しばた せいいち、1923年〈大正12年〉7月1… 柴田 整一(しばた せいいち、1923年〈大正12年〉7月13日 - 1989年〈平成元年〉9月25日)は、日本の腎臓学者、内科医。医学博士。元国立病院医療センター臨床研究部長、帝京大学生物工学センター教授。 新潟県新潟市南大畑町(現 新潟市中央区南大畑町)の新潟医科大学内科学第二教室助教授・柴田経一郎の長男として出生。 1941年(昭和16年)3月に新潟中学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1947年(昭和22年)9月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 実地修練後、1948年(昭和23年)秋に東京大学医学部第三内科(教授:冲中重雄)に入局、1954年(昭和29年)6月に東京大学から医学博士の学位を取得、1956年(昭和31年)7月に東京大学医学部第三内科(教授:冲中重雄)助手に就任、1971年(昭和46年)2月に東京大学医学部第三内科(教授:中尾喜久)講師に就任、1977年(昭和52年)8月に東京大学医学部第三内科(教授:小坂樹徳)助教授に就任、1980年(昭和55年)1月に国立病院医療センター臨床研究部長に就任、1989年(平成元年)3月に定年退官、4月に帝京大学生物工学センター教授に就任。
山下 喬子(やました きょうこ、1922年7月13日 - 2… 山下 喬子(やました きょうこ、1922年7月13日 - 2004年2月6日)は、日本の児童文学作家。 静岡県沼津市出身。東京府立第四高等女学校(東京都立南多摩中等教育学校)卒。高女在学中に堀辰雄に師事し、戦後は『文学者』で作品を発表。のちに児童文学も書き、1961年「プフア少年」を刊行。『悲しみは海の色』はNHKの少年ドラマシリーズでドラマ化された。
諸橋 晋六(もろはし しんろく、1922年7月13日 - 2… 諸橋 晋六(もろはし しんろく、1922年7月13日 - 2013年6月23日)は、東京府北豊島郡出身の実業家、サッカー選手。
中山 時子(なかやま ときこ、1922年(大正11年)7月1… 中山 時子(なかやま ときこ、1922年(大正11年)7月13日 - 2016年1月22日)は、日本の中国文学者・中国語学者。中国近代文学のほか、中華料理も研究対象にした。お茶の水女子大学名誉教授。 北京に育ち、1942年北京大学文学院中国文学系入学、1949年東京帝国大学文学部中国文学科卒、1949年東京女子高等師範学校、お茶の水女子大学助教授。1974年同教授。1988年定年退官、名誉教授。外務省研修所講師、明海大学教授、東亜学院講師、中山時子中国語研修所所長、日中文学文化研究学会会長。1998年、勲三等瑞宝章受章。従四位。
内川 清一郎(うちかわ せいいちろう、1922年7月13日 … 内川 清一郎(うちかわ せいいちろう、1922年7月13日 - 2000年2月22日)は、日本の映画監督、脚本家である。 1922年(大正11年)7月13日、京都府宇治市菟道只川に生まれる。 1947年(昭和22年)に設立された新東宝で助監督を務める。1948年(昭和23年)からは市川崑、清水宏、小津安二郎らのチーフ助監督を務めた。 1950年(昭和25年)公開の『雪夫人絵図』では溝口健二監督のチーフ助監督に就いた。1949年(昭和24年)末にラストシーンを十和田の湖で撮影するという溝口とともにロケハンに出かけたが、既に雪が積もっており、危険だと止められたが溝口が聞き入れなかった。そのため、地元の猟師に案内してもらって雪の中を出掛けたが、積雪で歩行が困難なうえに溝口が谷に落ちるなどして大変な苦労をした。
佐々木 力(ささき つとむ、1921年7月13日 - 201… 佐々木 力(ささき つとむ、1921年7月13日 - 2019年8月11日)は、日本の労働法務の専門家。 宮城県出身。1947年東北帝国大学法学部卒。1948年日本出版協会勤務。1950年労働法令協会勤務、調査部長で1964年退職。1965年人事制度研究会を設立し所長。労務に関する実用書を多数執筆した。 2019年8月11日死去。 (享年98歳) この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
佐野 肇(さの はじめ、1921年7月13日 - 2003年… 佐野 肇(さの はじめ、1921年7月13日 - 2003年6月24日)は、日本の経営者、薬学博士。中外製薬社長を務めた。宮城県仙台市出身。 1944年に東京帝国大学第一工学部火薬学科を卒業し、同年に日本火工に入社し、陸軍兵器学校、陸軍技術中尉を経て、1947年10月に中外製薬に入社。 1964年5月に取締役に就任し、1974年11月に常務、1985年3月に専務を経て、1987年3月から1992年10月までに社長を務めた。 2003年6月24日肺炎のために死去。81歳没。
井手 文子(いで ふみこ、1920年7月13日 - 1999… 井手 文子(いで ふみこ、1920年7月13日 - 1999年12月10日)は、日本の近代女性史研究家。 東京府東京市本郷区(現・東京都文京区本郷)生まれ。自由学園高等部卒業。在学中、羽仁五郎を囲む世界史研究講座に参加し、1945年治安維持法により検挙される。戦後は民主主義科学者協会(略称:民科)に所属して1948年の婦人問題研究会(1957年 日本女性史研究会に発展、1963年ごろ 活動停止)の結成に参加、松下圭一らと1960年現代婦人問題研究会(1969年解散)にも参加。平塚らいてうや雑誌「青鞜」の研究、『伊藤野枝全集』(學藝書林)の編纂を行った。1961年に刊行した『青鞜』(弘文堂)では、従来は平塚らいてうを中心として研究されていた青鞜社を、集団としての女性解放運動の視点からとらえ直した画期的な研究書として支持を得た。
小嶋 太門(こじま たもん、1919年7月13日 - 200… 小嶋 太門(こじま たもん、1919年7月13日 - 2008年2月7日)は、民間史家。後藤又兵衛研究のパイオニア。 出生名は東野一雄。大阪府中河内郡岩田町(現東大阪市)で生まれ育つ。1938年、天王高等商業学校(後の大阪市立天王寺商業高等学校)を経て1941年、関西大学法学部を繰り上げ卒業。学徒動員により1942年、第四師団輜重兵第4聯隊に応召。7月に中支派遣軍輜重兵34聯隊に配属し、以後中南支に転戦。いわゆる一号作戦に従軍する。 1946年に帰還し、大阪中央電気局(現、NTT)の通信事務員となる。1949年に小嶋十三子と養子縁組し、小嶋姓に改名。「太門」は敬愛する曽祖父からヒントを得た雅号ながら、終生この名前を自称した。
檪木 茂男(いちき しげお、1919年7月13日 - 201… 檪木 茂男(いちき しげお、1919年7月13日 - 2010年11月25日)は、日本の経営者。バンドー化学社長を務めた。山口県出身。 1941年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、1942年1月に日本興業銀行に入行。 1971年1月にトリオ商事副社長、1976年6月にバンドー化学副社長を経て、1977年6月には社長を就任。1988年6月に会長、1992年6月に取締役相談役を経て、1994年6月には相談役に就任。 1993年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2010年11月25日肺炎のために死去。91歳没。
松山 納(まつやま おさむ、1919年7月13日 - 200… 松山 納(まつやま おさむ、1919年7月13日 - 2002年10月2日)は、日本のタイ語学研究者。東京外国語大学名誉教授。 1919年、広島県広島市生まれ。東京帝国大学を卒業。 太平洋戦争後の1950年、東京外国語大学インドシナ語学科助教授に就任。後に教授昇進。1983年に定年退官し、名誉教授となった。門下に岩城雄次郎がいる。 2002年10月2日、急性肺炎のため死去。
太田 善麿(おおた よしまろ、1918年7月13日 - 19… 太田 善麿(おおた よしまろ、1918年7月13日 - 1997年1月31日)は、日本の国文学者。東京学芸大学名誉教授。上代文学・近世国学が専門。 東京府出身。東京帝国大学文学部国文科卒。東京学芸大学助教授、1966年同教授、1973年同学長。1982年定年退官、同名誉教授、上智大学教授。 「古代日本文学思潮論」により1967年日本学士院賞受賞。妻の父は辻善之助。
栗原 益男(くりはら ますお、1918年7月13日 - 20… 栗原 益男(くりはら ますお、1918年7月13日 - 2000年9月8日)は、日本の東洋史学者。上智大学名誉教授。 1918年、埼玉県川越市で生まれた。1940年に東京帝国大学文学部東洋史に入学し、1942年に卒業。唐五代の藩鎮に関心を持ち、同大学大学院に進んだが、間もなく陸軍に応召。 終戦直前に玄界灘で機上艦が魚雷に接触し、脊椎骨折の重傷を負った。療養中に敗戦を迎えた。 1946年に東京大学大学院に復学。しかし、腹膜炎や結核を患い、療養生活と研究生活を送った。上智大学文学部助教授となり、後に教授昇格。在職中の1987年4月に自宅で倒れたが、10月に復帰。1988年3月に上智大学を定年退任し、名誉教授となった。
相模川 佶延(さがみがわ よしのぶ、1917年7月13日 -… 相模川 佶延(さがみがわ よしのぶ、1917年7月13日 - 1987年1月22日)は、神奈川県愛甲郡南毛利村(現在の同県厚木市)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は原島 寶(はらじま たから)。身長189cm、体重124kg。得意手は左四つ、突っ張り、上手投げ。最高位は西関脇(1944年5月場所)。 17歳の時に春日野部屋へ入門し、1935年5月場所で初土俵を踏んだ。 1937年5月場所で序二段優勝してから上昇気流に乗り、三段目・幕下・十両をそれぞれ1場所で突破し、1939年5月場所に於いて新入幕を果たした。 長身から繰り出す突っ張りは威力があり、それが上位へ進出する際の大きな武器になった。
石川 馨(いしかわ かおる、1915年 <大正4年> 7月1… 石川 馨(いしかわ かおる、1915年 <大正4年> 7月13日 - 1989年 <平成元年> 4月16日)は、日本の化学工学者。工学博士。東京大学名誉教授、東京理科大学教授、武蔵工業大学(現東京都市大学)元学長。位階は正四位。旧経済団体連合会(現日本経済団体連合会)初代会長の石川一郎は父。鹿島建設会長、日本商工会議所会頭の石川六郎は弟。 東京都出身。1928年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1933年に同附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。附属中の同級生には、中村光夫(文芸評論家)、島田秀夫(日本サッカー協会名誉会長)、小川平四郎(初代駐中国大使)などがいる。
吉野 義子(よしの よしこ 1915年7月13日 - 201… 吉野 義子(よしの よしこ 1915年7月13日 - 2010年12月6日)は、俳人。台湾台北市に生まれる。父は言語学者の小川尚義。幼時に母方の伯父の養女となり、愛媛県松山市にて育つ。県立松山高等女学校(現松山南高等学校)を経て、1933年、同志社大学英文科に入学。1934年、結婚のため中退。当初は詩を作っていたが、1947年に俳句に転向。1948年、「濱」に入会、大野林火に師事。1954年、「濱」同人。1972年、濱同人賞受賞。1979年、「芭蕉の精神を基盤とした叙情を継承する」として「星」を創刊・主宰。2001年、『流水』により第1回俳句四季大賞受賞。2003年、「星」終刊。代表句に「むらさき着て掌にあたたむる龍の玉」など。
吉岡英一(よしおか えいいち、1915年7月13日 - 19… 吉岡英一(よしおか えいいち、1915年7月13日 - 1999年8月22日)は、日本の大蔵官僚。経済企画庁長官官房長、理財局長、国税庁長官、中小企業金融公庫総裁、日本開発銀行総裁などを務めた。 台湾出身。旧制台北高等学校卒業。1937年10月、高等試験行政科合格。東京帝国大学法学部政治学科卒業。1938年、大蔵省入省。主税局属。主計局第四課長、主計官、大臣官房秘書課長、為替局企画課長、大臣官房財務調査官(大臣官房担当)、理財局総務課長、主計局総務課長と、課長時代は1官房、3課を横断していた。主計局次長(次席)、大臣官房財務調査官(理財局証券担当)などを経て、1961年6月16日 理財局次長。1962年5月15日 経済企画庁長官官房長。
岡本 悟(おかもと さとる、1913年7月13日 - 198… 岡本 悟(おかもと さとる、1913年7月13日 - 1988年11月12日)は、日本の政治家、官僚。参議院議員(2期)。 広島市南区松原町出身。旧制広島一中、旧制広島高等学校卒業。1937年(昭和12年)、東京帝国大学法学部法律学科卒業。同年、鉄道省入省。大阪鉄道局書記。運輸省観光局長、大臣官房長、鉄道監督局長を務める。 1963年(昭和38年)4月19日-運輸事務次官就任。1964年(昭和39年)、運輸事務次官退任。 1965年(昭和40年)、第7回参議院議員通常選挙全国区当選。1971年(昭和46年)、第9回参議院議員通常選挙再選。1972年(昭和47年)、七日会(田中派)理事。1977年(昭和52年)、第11回参議院議員通常選挙に立候補せず、引退。
寺尾 正二(てらお しょうじ、1913年 <大正2年> 7月… 寺尾 正二(てらお しょうじ、1913年 <大正2年> 7月13日 - 2003年 <平成15年> 6月5日)は日本の裁判官、弁護士。位階は正三位。 愛媛県越智郡波方町(現今治市)生まれ。中央大学法学部卒業。1936年11月、司法科試験合格。1937年6月、司法官試補(東京)。1938年12月、札幌地方裁判所予備判事に就任。樺太地方裁判所、大阪簡易裁判所、大阪地方裁判所判事を経て、1952年2月に東京地方裁判所へ転任し、1961年まで最高裁判所調査官を兼任。この間、1957年には八海事件における死刑判決を破棄し、審理を広島高等裁判所へ差し戻す。 その後、徳島地方裁判所・徳島家庭裁判所所長を経て、1970年8月に東京高等裁判所へ転任。
渡辺 淳(わたなべ じゅん、1913年7月13日 - 199… 渡辺 淳(わたなべ じゅん、1913年7月13日 - 1995年4月2日)は、日本の経営者、銀行家。日本債券信用銀行頭取を務めた。愛知県名古屋市出身。 1936年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に日本興業銀行に入行した。中央信託銀行常務、日本興業銀行常務、日本冶金工業会会長などを経て、1974年に日本債券信用銀行頭取に就任。1979年に顧問に就任。 1978年に藍綬褒章を受章。 1995年4月2日脳梗塞のために死去。81歳没。
小泉 譲(こいずみ ゆずる、1913年7月13日 - 200… 小泉 譲(こいずみ ゆずる、1913年7月13日 - 2004年8月19日)は、日本の作家。本名・一久。 埼玉県川口市生まれ。慶應義塾高等部中退。満鉄上海事務所調査部をへて、上海特別市政府に勤務。丹羽文雄の『文学者』に参加。1943年「桑園地帯」で芥川賞候補。1949年『死の盛粧』で直木賞候補、50年『君が火の鳥』『南支那海』、60年『小説天皇裕仁』で直木賞候補。『小説天皇裕仁』はベストセラーとなる。日中文化交流協会会員。「じょう」と読まれることもある。
羽田野 伯猷(はたの はくゆう、1911年7月13日 - 1… 羽田野 伯猷(はたの はくゆう、1911年7月13日 - 1985年1月9日)は、日本の仏教史学者。東北大学名誉教授。日本学士院賞受賞。 愛知県三河国出身。1933年第四高等学校卒業。1936年東北帝国大学法文学部卒業、文学士。1939年大日本帝国陸軍歩兵少尉。1941年大日本帝国陸軍中尉。大日本帝国陸軍大尉として満州で従軍したのち、1944年東北帝国大学着任。1951年東北大学助教授。1955年日本学士院賞受賞。1959年から東北大学教授を務め印度学第二講座を担当した。1960年東北大学文学博士。1975年退官。勲三等旭日中綬章。指導学生に磯田熙文東北大学名誉教授など。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
加藤 充(かとう みつる、1909年7月13日 - 2009… 加藤 充(かとう みつる、1909年7月13日 - 2009年6月28日)は日本の弁護士、政治家、社会運動家。衆議院議員(日本共産党公認)を1期務めた。 栃木県出身。京都帝国大学法学部を卒業後、大阪にて弁護士を開業し、全国水平社および全農にて顧問弁護士となる。昭和恐慌による繭価暴落に伴い、徳島県麻植郡西尾村で発生した西尾小作争議では、桑園小作料減免を求める農民への支援を行った。1933年には井藤与志雄や垣見周瑞と3人で大阪無産者法律相談所を立ち上げるも、労農党弁護士事件で全員検挙されたため、閉所を余儀なくされる。また、これ以後も治安維持法違反により度々検挙。 戦後日本共産党へ入党、1949年の第24回衆議院議員総選挙で旧大阪4区から同党公認で出馬し初当選を果たす。
東郷 正延(とうごう まさのぶ、1908年7月13日 - 2… 東郷 正延(とうごう まさのぶ、1908年7月13日 - 2002年2月13日)は、日本のロシア語学者。 茨城県生まれ。土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)卒業。1931年東京外国語学校ロシヤ語科卒業。ソ連通商代表部、陸軍幼年学校ロシア語教官となり1945年の敗戦を迎える。1947年東京外事専門学校助教授、1949年東京外国語大学助教授、1957年教授、1971年定年退官、名誉教授。東京ロシア語学院院長。日本ロシア文学会会長。
高島 善哉(たかしま ぜんや、1904年7月13日 - 19… 高島 善哉(たかしま ぜんや、1904年7月13日 - 1990年1月10日)は、日本の経済学者、社会学者。専攻はマルクス主義及びアダム・スミス研究。一橋大学名誉教授、関東学院大学名誉教授。 岐阜県出身。旧制岐阜中学校(現岐阜県立岐阜高等学校)首席を経て、1927年東京商科大学(現一橋大学)卒。大学では当初福田徳三ゼミナールに参加したが、福田の留学のため大塚金之助の指導を受けた。卒業論文「経済静学と経済動学の国民経済学的意義:ヨセフ・シュンペーターの研究」だが、おもにマルクス主義とアダム・スミスを研究した。 1927年指導教官大塚金之助の推薦を受け、母校東京商科大学助手に就任。1927年、渋沢栄一の孫である尾高豊作や尾高朝雄の支援を得て設立され、大塚が所長を務める東京社会科学研究所研究員を兼務し、杉本栄一とともに同研究所での活動に従事。
重成 格(しげなり かく / ただす、1901年7月13日 … 重成 格(しげなり かく / ただす、1901年7月13日 - 1956年10月16日)は、日本の内務官僚、政治家。鹿児島県知事(官選第30代、公選初代-第2代)、参議院議員(1期)。 紡績会社に勤めていた岡山県岡山市の重成壽太郎の長男として生まれる。兵庫県武庫郡須磨村(現 神戸市の一部)の須磨尋常高等小学校(現 神戸市立西須磨小学校)尋常科卒業。兵庫県立第二神戸中学校(旧制神戸二中、現 兵庫県立兵庫高等学校)から第一高等学校(旧制)へ進学。須磨小、神戸二中では島田叡(内務官僚、官選沖縄県知事)と同期。また、神戸二中では島田叡、渡辺大陸(後にプロ野球監督)、有馬大五郎(音楽学者、国立音楽大学学長)らと野球部に所属。
小山 いと子(こやま いとこ、1901年7月13日 - 19… 小山 いと子(こやま いとこ、1901年7月13日 - 1989年7月25日)は日本の作家。高知県長岡郡大篠村(現・南国市)篠原出身。出生名は池本 イト、結婚後は小山 イト。綿密な調査に基づき社会問題を扱った作品が多く、清純なヒューマニズムと社会性が特徴である。「執行猶予」で第23回直木三十五賞を受賞した。『読売新聞』紙上の人生相談「人生案内」回答者を務め、皇太子妃美智子に関する小説連載中止騒動に巻き込まれたことでも知られる。 福岡女子師範学校(現・福岡教育大学)を卒業。在学中に歌人の橋田東聲の門下生となる。1920年(大正9年)、19歳で父親により結婚を強要されるが、相手を好きになれず、男性に対する反逆心を持ち始める。
土方 久功(ひじかた ひさかつ、1900年7月13日 - 1… 土方 久功(ひじかた ひさかつ、1900年7月13日 - 1977年1月11日)は、日本の彫刻家・民俗学者。パラオなど広く南洋に取材し、民族学的資料を多く残すとともに、芸術作品のテーマとして作品を残した。 1900年(明治33年)7月13日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。父は陸軍砲兵大佐の土方久路、伯父は伯爵・土方久元、母方の祖父は海軍大将・男爵・柴山矢八、築地小劇場の演出家・土方与志(本名は久敬)はいとこ甥に当たる。 旧制・学習院初等科、同中等科を経て、父の病気退職による経済的理由から1919年(大正8年)東京美術学校(現在の東京芸術大学)彫刻科に入学する。三沢寛、林謙三、小室達、岡鹿之助、小泉清、山本丘人らが当時の同学に在籍した。
玉置 豊次郎(たまき とよじろう、1899年7月13日 - … 玉置 豊次郎(たまき とよじろう、1899年7月13日 - 1984年10月9日)は、大阪市出身の日本の建築学者・都市計画家。工学博士(東京帝国大学)。大阪工業大学名誉教授。元内閣技官・帝都復興院復興局技師。元大阪府建築監督官・愛知県建築部長。勲四等瑞宝章受章。 専門は建築計画・建築史、都市計画。 1923年(大正12年)、東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、内務省から都市計画地方委員会事務取扱を委嘱される。同年、関東大震災が発生し、帝都復興院の設置により復興局技師に転じ、復興計画にあたる。1925年(大正14年)大阪府警察技師、1927年(昭和2年)地方技師・大阪府建築監督官を勤める。この後、約15年間は土地区画整理事業等の指導に当たる。
田中 知一(たなか ともかず、1898年(明治31年)7月1… 田中 知一(たなか ともかず、1898年(明治31年)7月13日 - 1983年(昭和58年)12月19日)は、日本の剣道家。段位称号は範士九段。 大分県日田市生まれ。15歳の頃、福岡県の門司で剣道を始める。 1914年(大正3年)、京都の大日本武徳会青年大会で活躍。 中野宗助(後の剣道範士十段)の書生となり大日本武徳会本部講習科で学ぶ。 1919年(大正8年)、京都府警察部巡査に任官。 1930年(昭和5年)、京都府警察部武道教師に就任(後、主席師範に昇任)。 1940年(昭和20年)、紀元二千六百年奉祝天覧武道大会指定選士の部に出場。 龍谷大学、京都第二中学校、聖峰中学校の剣道師範を務める。
渡辺 斌衡(わたなべ としひで、1896年7月13日 - 1… 渡辺 斌衡(わたなべ としひで、1896年7月13日 - 1966年4月10日)は、日本の経営者。日本電気社長を務めた。 東京府北多摩郡三鷹町出身。1922年に東京帝国大学経済学科を卒業し、同年に住友合資に入社。1942年5月に日本電気に転じ、1944年11月に取締役、1945年11月に常務を経て、1947年6月には社長に就任。1964年11月には会長に就任。経済団体連合会、日本経営者団体連盟各理事も務めた。 1961年に藍綬褒章を受章。 1966年4月10日、心筋梗塞のために死去。69歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
角 猪之助(すみ いのすけ、1895年(明治28年)7月13… 角 猪之助(すみ いのすけ、1895年(明治28年)7月13日 - 1955年(昭和30年)5月14日)は、日本の衆議院議員。ジャーナリスト。 和歌山県東牟婁郡新宮町(現在の新宮市)出身。日本大学法科に学んだ後、『中央新聞』と『都新聞』で政治部記者を務めた。 1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し、当選を果たした。戦後の1946年(昭和21年)、公職追放となった。 その他、日本真珠株式会社相談役、大日本漁業株式会社取締役を務めた。