吉沢 岳男(よしざわ たけお、1933年7月15日 - 19… 吉沢 岳男(よしざわ たけお、1933年7月15日 - 1971年7月15日)は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(捕手)。
7月15日生まれ:375人
吉沢 岳男(よしざわ たけお、1933年7月15日 - 19… 吉沢 岳男(よしざわ たけお、1933年7月15日 - 1971年7月15日)は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(捕手)。
江頭 重利(えがしら しげとし、1932年7月15日 - 2… 江頭 重利(えがしら しげとし、1932年7月15日 - 2025年5月23日)は、日本のグラブ職人。型付けに関して、「東の坪田信義、西の江頭重利」と賞された。2012年、「現代の名工」に選出された。 佐賀県大和町(現・佐賀市)生まれ。佐賀県立佐賀商業高等学校卒業。1951年4月、久保田運動具店に入社。1968年7月、久保田運動具店福岡支店長。2016年7月、同社顧問。 野球経験はなかった。日本ではじめて「湯もみ型付け」によるグラブを開発した。江頭の手がけるグラブは「久保田スラッガー」として知られ、辻発彦、真弓明信、石毛宏典、門田博光、鳥谷敬、内川聖一、松井稼頭央、大和、青木宣親といった幅広い年代の野球選手が愛用した。
斎藤 光正(さいとう こうせい、1932年〈昭和7年〉7月1… 斎藤 光正(さいとう こうせい、1932年〈昭和7年〉7月15日 - 2012年〈平成24年〉11月25日)は、日本の映画監督。 山口県下関市丸山町出身。映画界に入る前は小説家になりたいと思っていた。その後映画好きになり、大学在学中から松竹映配に勤務。一橋大学卒業後、1958年(昭和33年)に日活に入社し、今村昌平、浦山桐郎らの助監督を務める。1967年、吉永小百合主演映画『斜陽のおもかげ』で監督に昇進した。1971年(昭和46年)に退社後は、テレビ・映画・時代劇・現代劇を問わず幅広く活躍。TV『獄門島』で、舞台劇風な長回しなど凝った演出テクニックを発揮して角川春樹に注目され、以後はそのプロデュースによる劇場映画を多く手掛ける。
深田 祐介(ふかだ ゆうすけ、1931年7月15日 - 20… 深田 祐介(ふかだ ゆうすけ、1931年7月15日 - 2014年7月14日)は、日本の作家。本名は深田 雄輔。 1982年に『炎熱商人』で第87回直木賞を受賞。 東京市で生まれる。曾祖父は江戸城の「奥」に出入りする御用商人で、祖父深田米次郎は日本橋で深田銀行を設立するも不況により愛知銀行 (東海銀行の前身)に吸収され父は、入サ証券を創業して、第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)に丸三証券(前身の「長尾秀一商店」)へ売却している。なお、この頃避暑に湘南に行った際、東条英機首相と会っている。暁星高等学校を経て早稲田大学法学部に入学し、在学中より堀辰雄に傾倒して曽野綾子らとともに同人誌『ラマンチャ』に参加している。
小池 滋(こいけ しげる、1931年7月15日- )は、日本… 小池 滋(こいけ しげる、1931年7月15日- )は、日本の英文学者、鉄道史研究家、東京都立大学名誉教授。
森田 光德(もりた みつのり、1931年(昭和6年)7月15… 森田 光德(もりた みつのり、1931年(昭和6年)7月15日 - 2007年(平成19年)9月17日)は、日本の実業家。シャボン玉石けん株式会社の3代目代表取締役社長。 福岡県若松市(現・北九州市若松区)で、石鹸の卸問屋の創業者である森田範次郎の三男として産まれる。学習院大学進学後、演劇に熱中し劇評家を目指したが、親に請われて3年の条件で、卸問屋を法人化した株式会社森田商店に入社した。 1964年(昭和39年)、2代目社長だった範次郎の長男が急逝したことに伴い、急遽社長に就任した。本社を若松区から小倉北区に移転し社名を森田商事に改称。主力商品を石鹸から合成洗剤に切り替えたことで業績は上がり、1965年(昭和40年)代には年商が8,000万円を越え、社員は60人以上に達した。
助川 敏弥(すけがわ としや、1930年7月15日 - 20… 助川 敏弥(すけがわ としや、1930年7月15日 - 2015年9月26日)は、日本の作曲家・音楽評論家・雑誌編集者。 1930年札幌市生まれ。1948年北海道庁立札幌第一中学校(現在の北海道札幌南高等学校)を経て1952年東京芸術大学音楽学部作曲科入学。上京するまでは音楽全般の基礎を荒谷正雄に、東京芸術大学では池内友次郎に師事する。 1954年日本音楽コンクール作曲部門において第一位と特賞受賞。1957年同学を卒業。林光、間宮芳生、外山雄三の結成した作曲家同人「山羊の会」に参加。1960年に「オーケストラのためのパルティータ」で文部省芸術祭奨励賞を受賞したのをはじめとして後々まで数々の賞を獲得。
足立原 貫(あだちはら とおる、1930年7月15日 - 2… 足立原 貫(あだちはら とおる、1930年7月15日 - 2025年6月30日)は、日本の哲学者。地べたの哲学者、土に根ざした思想―農哲学者・農学者(農業原論、農作業研究、農村地域研究)。詩人(筆名 光原邦夫)。東京市本所区(現在の墨田区)で生まれ。富山県富山市大沢野町小羽在住。 社会における“農”の機能の一端を担いつづけていこうとする“やる者”によって、開かれた営農体の確立と高度成長の時流への問題提起をねらい、“地球を耕そう”を合言葉に「農業技術者協会」結成。その実践の場を廃村に求めた。また廃村を拠点とした運動を基軸に「人と土の大学」「草刈り十字軍」「『山崎賞』の創設」「中国への技術協力」など幅広い実践を続けた。
秋谷 栄之助(あきや えいのすけ、1930年〈昭和5年〉7月… 秋谷 栄之助(あきや えいのすけ、1930年〈昭和5年〉7月15日 - )は、日本の宗教家。創価学会前会長(第5代)。 1930年(昭和5年)7月15日、東京府東京市(現在の東京都文京区)に誕生する。 第三東京市立中学校(旧制中学校、現在の東京都立文京高等学校)を卒業する。早稲田大学第一文学部仏文科(現在の文学部文学科フランス語フランス文学コース)在学中、創価学会会長の戸田城聖に師事し、創価学会(日蓮正宗)に入会する。一時期、師の城聖にならって城永(じょうえい)を名乗っていた。 大学卒業後は聖教新聞社に勤務し、同社編集長、論説主幹などを歴任する。 創価学会青年部内で頭角を現し、男子部長、青年部長、総務、東京第四本部長(東京・文京区など)を歴任する。
横井 啓二(よこい けいじ、1930年7月15日 - )は、… 横井 啓二(よこい けいじ、1930年7月15日 - )は、元プロ野球選手。ポジションは捕手、内野手。 石川県金沢市出身。金沢三中時代は、1948年春の甲子園に出場(初戦で、北野中に3-5で惜敗)。夏は投手・三塁手・右翼手など、色々な守備についたが県大会予選でライバルの金沢一中に敗退し、甲子園に行けなかった。 卒業後は、社会人野球の強豪・日鉄鉱業二瀬に入団。ここで真野春美監督と出会い、真野監督が同じ大学(明治大学)の後輩に当たる松木謙治郎に三船正俊投手と共に紹介したことが縁で、1951年に大阪タイガースに入団した。石川県出身者としては初のプロ野球選手かつ初のタイガース選手でもあったが、翌1952年に選手登録(1952年は内野手、1953年は捕手として登録)されるも三船とは違い、一軍出場を果たすことなく1953年に退団した。
伊藤 万喜三(いとう まきぞう、1930年7月15日 - )… 伊藤 万喜三(いとう まきぞう、1930年7月15日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 浜松北高校から1950年に東急フライヤーズへ入団。 この年は21試合に登板して4勝を記録するが、5月31日の毎日オリオンズ戦ではプロ野球記録の1試合18失点を喫している。 1951年は1勝しかできず、1952年に阪急ブレーブスへ移籍。移籍した阪急では勝利を挙げることができず、1954年に引退した。
荒川 規矩男(あらかわ きくお、1929年7月15日 - 2… 荒川 規矩男(あらかわ きくお、1929年7月15日 - 2026年1月23日)は、日本の医学者、内科学者。ヒト・アンジオテンシンの単離および構造同定、キニン・テンシン系の発見、高血圧の運動療法の研究などの功績がある。医学博士、福岡大学名誉教授、国際高血圧学会第12代理事長(the 12th President of the International Society of Hypertension)、日本高血圧学会名誉会員、日本高血圧協会元理事長。 鹿児島県曽於市の旧末吉町出身。末吉小学校(国民学校)を経て、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校 (鹿児島県立甲南高等学校の前身)に入学。戦時のため海軍鹿屋航空隊などに勤労動員され、四年生のときに終戦。
榛葉 豊明(しば とよあき、1929年7月15日 - 200… 榛葉 豊明(しば とよあき、1929年7月15日 - 2009年7月19日)は日本の映画監督で、記録映画、教育映画、科学映画などを手掛けた。岩波映画製作所(現在は解散)に所属し、科学的、論理的な視点に基づく緻密なシナリオと演出で、ドキュメンタリーのジャンルで数々の賞を受賞した。 1952年、大阪大学理学部卒。大学時代は、理論物理学研究者で後年日本学術会議の会長になる伏見康治教授の門下生だった。大学卒業後、まだ創立間もなかった東京の岩波映画製作所に入社。この年、同社は社員募集をしていなかったが、応対した役員の前で「私を採用しなかったら、後悔しますよ」と啖呵を切ったのが認められ、採用が決まった。その後助監督を経て記録映画の監督に。
山本 潔(やまもと きよし、1929年7月15日 - 202… 山本 潔(やまもと きよし、1929年7月15日 - 2022年5月17日)は、日本の実業家。RKB毎日放送社長、会長を務めた。 福岡県出身。1953年に東京大学文学部仏文科を卒業し、同年に毎日新聞社に入社。ニューヨーク支局長、中部本社編集局次長兼報道部長、西部本社編集局長などを歴任した。 1983年6月にRKB毎日放送の取締役に就任し、報道局長、ラジオ局長、東京支社長、常務、専務を経て、1991年6月から2000年6月までに社長を務め、2000年6月に会長に就任した。 日本民間放送連盟副会長や毎日新聞社取締役も務めた。 2004年春に旭日重光章を受章した。
国谷 誠朗(くにや のぶあき、1928年7月15日 - 20… 国谷 誠朗(くにや のぶあき、1928年7月15日 - 2002年8月3日)は、日本の臨床心理学者。医学博士。専門は臨床心理学・家族心理学。交流分析・家族療法を日本に紹介した草分けの一人[要出典]。 東京大学文学部心理学科卒業、同大学大学院進学、医学部研究生として研究を重ね、1986年「精神分裂病圏患者家族に対するシステム論的働きかけの研究 -家族療法の技法・プロセスおよび治療上の位置付け」で東大医学博士。日本女子大学人間社会学部心理学科教授、聖徳大学人文学部教授などを歴任。 日本交流分析学会(常任理事)、日本家族心理学会(常任理事)、国際家族心理学会(日本代表)などを歴任した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
桑原 巨守(くわはら ひろもり、1927年〈昭和2年〉7月1… 桑原 巨守(くわはら ひろもり、1927年〈昭和2年〉7月15日 - 1993年〈平成5年〉8月26日)は、日本の彫刻家。女子美術大学名誉教授。旧名・昭夫(あきお)。 具象彫刻の第一人者と評され、群馬県渋川市に桑原巨守彫刻美術館がある。 群馬県沼田市出身。弟は小説家の桑原幹夫。1944年に旧制沼田中学校(現・群馬県立沼田高等学校)第4学年を修了し、1949年東京美術学校彫刻科卒業。在学中、関野聖雲に師事したため、桑原は高村光雲の孫弟子にあたる。 1949年東京都大田区立大森第十中学校教諭となる。1956年より女子美術大学選任講師。1961年「昭夫」から「巨守」に改名。 1963年、女子美術大学助教授に就任、同年二紀展に初入選、同人に推薦される。
中山純子(なかやま じゅんこ、1927年7月15日 - 20… 中山純子(なかやま じゅんこ、1927年7月15日 - 2014年7月28日)は、石川県出身の俳人。本姓木村。金沢市生。旧制金沢第一高等女学校(現金沢二水高等学校)卒。生家の経王寺の法燈を継ぐ。1948年、「風」入会、沢木欣一、細見綾子に師事。代表句「念佛のさまよひおつる雪解川」など。具象を超えその奥にあるものを追求。1975年、『沙羅』により第15回俳人協会賞受賞。1989年、泉鏡花市民文学賞受賞。「風」系の「万象」名誉主宰も務めた。句集に『茜』『沙羅』『瓔珞』『華鬘』『晩晴』がある。急性汎発性腹膜炎により死去。87歳。
武田 正彦(たけだ まさひこ、1927年7月15日 - 20… 武田 正彦(たけだ まさひこ、1927年7月15日 - 2007年2月15日)は、日本の弁護士、実業家。 広島県呉市出身。1953年(昭和28年)- 東京大学法学部卒業。1956年(昭和31年)- 神戸家裁判事補。1959年(昭和34年)- 神戸簡裁判判事。同年アメリカミシガン大学ロー・スクール留学。1961年(昭和36年)- 福岡家裁判事補、判事。1964年(昭和39年)- 弁護士登録。以来、主に渉外、特許事件を担当する。1972年(昭和47年)- ピエール・カルダンの日本代理店「ピエール・カルダン・ジャパン」(PCJ)を設立。社長、カルダンブランドを日本に定着。その後、長くカルダン本社国際戦略のアドバイス役を務めた。
高橋 宏(たかはし ひろし、1927年7月15日 - 198… 高橋 宏(たかはし ひろし、1927年7月15日 - 1982年8月23日)は、日本の経営者。日本車輌製造社長、会長を務めた。 愛知県出身。1951年に名古屋大学工学部電気工学科を卒業し、同年に日本車輌製造に入社。1974年に取締役に就任し、1979年に常務を経て、1982年6月には社長に就任した。 1982年8月23日、胃癌で在職中に死去。55歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
樋口 秀雄(ひぐち ひでお、1927年(昭和2年)7月15日… 樋口 秀雄(ひぐち ひでお、1927年(昭和2年)7月15日 - 1992年(平成4年)1月12日)は、歴史学者。 1927年、埼玉県浦和市(現・さいたま市)で生まれた。法政大学文学部史学科で学び、1951年に卒業。 卒業後、東京国立博物館学芸部に文部技官として勤務。専門は、美術文化史、日本博物館史、日本印刷文化史。
黒川 逍(くろかわ しょう、1926年7月15日 - 201… 黒川 逍(くろかわ しょう、1926年7月15日 - 2010年9月16日)は、日本の植物学者・菌類学者。日本を代表する地衣類の研究者である。 富山県上新川郡新庄新町(現:富山市)生まれ。金沢高等師範学校卒。その後、東京文理科大学(現・筑波大学)で学び、朝比奈泰彦の指導を受け、地衣類の分類学的研究を始めた。NSF(全米科学財団)の研究助手の制度を利用しメイソン・ヘール(Mason Hale)と共同研究のため渡米し、ゲジゲジゴケ属のモノグラフを発表するなど、地衣類の分類学研究に貢献した。国立科学博物館、筑波実験植物園などで働いた。富山中央植物園の園長も務めた。1994年、国際地衣類学会(International Association for Lichenology)からAcharius Medalを受賞した。
香山 彬子(かやま あきこ、1926年7月15日 - 199… 香山 彬子(かやま あきこ、1926年7月15日 - 1999年10月2日)は、日本の児童文学作家。宗教法人「道会」の第4代会長(1981 - 1999)。 東京出身。東京女子医科大学卒業。1966年「シマフクロウの森」で第7回講談社児童文学新人賞を受賞してデビュー。同作で第14回サンケイ児童出版文化賞受賞。1979年の『とうすけさん笛をふいて!』で第5回日本児童文芸家協会賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
中村 義雄(なかむら よしお、1925年〈大正14年〉7月1… 中村 義雄(なかむら よしお、1925年〈大正14年〉7月15日 - 1993年〈平成5年〉3月21日)は、日本の国文学者。中古文学を専攻し、『源氏物語絵巻』などの「絵詞文学」を専門とする。学位は、文学博士(筑波大学)(学位論文『絵巻物詞書の研究』)。 1925年(大正14年)、群馬県太田市に生まれる。父が群馬県庁職員として勤めていたため、前橋市石川町の官舎に住み、桃井尋常小学校に通った。旧制前橋中学校を経て、東京高等師範学校に学ぶ。山岸徳平に師事。 1952年(昭和27年)東京大学文学部卒業。池田亀鑑に師事。1955年(昭和30年)に東京大学大学院国文学科修了。池田亀鑑「源氏物語大成」「図録篇」作成に従事。
禿 了滉(とく りょうこう、1925年7月15日 - 202… 禿 了滉(とく りょうこう、1925年7月15日 - 2020年2月18日 )は、日本の真宗誠照寺派の僧侶(浄覚寺住職)、仏教学者、教育者(学校法人仁愛学園学園長)・福井県元教育委員長。 1925年に福井県越前市に生まれる。母親の実家の浄覚寺(鯖江市)へ養子に入り、金沢市の第四高等学校を卒業、1951年に長尾雅人に師事し京都大学哲学科仏教学専攻を卒業、1953年に同大学院哲学研究科仏教学専攻を修了。 1965年に仁愛女子高等学校校長に就任、1969年に仁愛女子短期大学学長に就任。2008年に福井県教育委員長に就任(2010年まで)
宇佐美 龍夫(うさみ たつお、1924年7月15日 - 20… 宇佐美 龍夫(うさみ たつお、1924年7月15日 - 2026年3月6日)は、日本の地震学者。専門分野は、理論地震学・歴史地震学。学位は、理学博士(東京大学・1960年)。東京大学名誉教授。
関 楠生(せき くすお、1924年7月15日 - 2014年… 関 楠生(せき くすお、1924年7月15日 - 2014年7月3日)は、日本のドイツ文学者、超常現象研究者。東京大学・獨協大学名誉教授。正四位、瑞宝中綬章。 1924年、ドイツ文学者・関泰祐の任地であった静岡県で生まれた。旧制武蔵高等学校を経て、東京大学独文科に進学。1946年に卒業。 卒業後は教員となり、松本高等学校講師、水戸高等学校教授を務めた。1950年、千葉大学助教授に就いた。1952年、東京学芸大学助教授に転じた。1954年より1955年まで、ドイツ・ミュンヘン大学に留学し、帰国後の1956年に武蔵中学校・高等学校講師となった(1965年まで)。 1959年、東京大学教養学部助教授に就いた。
橋口 寛(はしぐち ひろし、1924年(大正13年)7月15… 橋口 寛(はしぐち ひろし、1924年(大正13年)7月15日 - 1945年(昭和20年)8月18日)は、日本の海軍軍人。海兵72期。太平洋戦争の末期、人間魚雷「回天」の搭乗員となるが出撃する機会を得ず、終戦後自決した。最終階級は海軍大尉。 1924年(大正13年)7月15日に鹿児島県鹿児島市上荒田町にて、橋口盛秀の長男として生まれる。荒田尋常高等小学校から旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校へ進学したが、1941年(昭和16年)12月8日の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が開戦すると、橋口が通っていた学校でも例外なく軍事教練が厳しさを増していった。国の存亡を決定づける大戦を感じていた成績優秀な橋口は、迷うことなく卒業後に海軍兵学校(72期)への進学を決断した。
丸山 弘志(まるやま ひろし、1924年(大正13年)7月1… 丸山 弘志(まるやま ひろし、1924年(大正13年)7月15日 - 2007年(平成19年)10月10日)は、日本の運輸官僚、超電導リニア研究者、鉄道技術者、鉄道工学者、交通工学者、安全工学者、生産工学者、機械工学者、精密工学者、工学博士。元日本国有鉄道鉄道技術研究所所長、元科学技術庁参与、元文部科学省参与、元材料技術研究協会理事、元研友社顧問、元日本規格協会評議員、日本機械学会名誉員、東京理科大学名誉教授。弟の桑名昭治は桑名病院2代目院長。
桑原 住雄(くわばら すみお、1924年7月15日 - 20… 桑原 住雄(くわばら すみお、1924年7月15日 - 2007年12月15日)は、日本の美術評論家。 広島県広島市生まれ。幼少時、両親とともに台湾に渡り旧制台北高校から東京帝国大学に進む。三重海軍航空隊を経て広島で原爆投下により被爆。戦後復学して美術史を専攻。同大学院修了ののち東京新聞社勤務を経て朝日新聞社企画部に入社。1977年筑波大学教授に転じ、その後武蔵野美術大学教授に就任。世田谷美術館開設準備委員など数多くの美術館運営にも参画した。 1993年、脳出血に倒れ療養生活に入り、2007年12月15日心不全で死去。 美術記者として戦後の美術界を精力的に取材してまわった一方、1960年代初頭には米国務省の招聘で渡米し、アメリカ美術の紹介でも先駆的役割を果たした。
登坂 秀(とさか しげる、1923年〈大正12年〉7月15日… 登坂 秀(とさか しげる、1923年〈大正12年〉7月15日 - )は、日本の政治家。渋川市長を務めた。 群馬県群馬郡豊秋村(現・渋川市)の農家に生まれる。旧制渋川中学校(現・群馬県立渋川高等学校)を経て1943年に東京高等農林学校(現・東京農工大学)農学科を卒業。同年農林省に入省。兵役を終えて復員後は一時群馬県農業会に勤務。農林省に復職し1971年には農林経済局課長補佐となる。統計情報部企画情報課在職中に渋川市長・石北正司の招きにより1973年に渋川市収入役に就任。 1981年、渋川市長選挙に立候補し初当選を果たす。1985年、渋川市長選挙に出馬し2回目の当選。1989年、渋川市長選挙に出馬し3回目の当選。
原田 昇左右(はらだ しょうぞう、1923年7月15日 - … 原田 昇左右(はらだ しょうぞう、1923年7月15日 - 2006年7月2日)は、日本の政治家、元自由民主党衆議院議員。静岡県焼津市出身。愛称は「ハラショー」。元衆議院議員の原田令嗣は長男。正三位勲一等旭日大綬章。
松園 尚巳(まつぞの ひさみ、1922年7月15日 - 19… 松園 尚巳(まつぞの ひさみ、1922年7月15日 - 1994年12月15日)は、ヤクルト本社名誉会長、ヤクルトスワローズの初代オーナー、 長崎新聞社長、長崎文化放送初代代表取締役会長を務めた実業家。双子の兄は同じくヤクルトスワローズのオーナーを務めた松園直已。 長崎県南松浦郡三井楽町(現:五島市)出身。法政大学工業学校を卒業し、法政大学専門部を中退。その後は海産物やビワなどの行商で生計を立てながら起業資金を蓄えていった。 そうした折、1954年に福岡で乳酸菌飲料「ヤクルト」の販売をしていた従兄弟の山下嘉一から、全国のヤクルトの販売会社を統合した本社組織を立ち上げると聞いた松園は、ヤクルトの創業者永松昇を訪ねて事業参入の許可をもらい、学生時代に住んでいた八王子を拠点にヤクルトの販売業務を始め、1956年6月に関東ヤクルト製造を設立した。
木谷 忠(きたに ただし、1921年7月15日 - 2006… 木谷 忠(きたに ただし、1921年7月15日 - 2006年4月10日)は、日本の経営者。名古屋テレビ放送社長を務めた。和歌山県出身。 1944年に東京商科大学経済学部を卒業し、1948年に朝日新聞社に入社。1980年6月に取締役に就任し、1981年4月に常務、1983年10月に専務を経て、1985年6月に名古屋テレビ放送副社長に就任し、1988年7月守部政喜社長の急逝により社長昇格。1993年6月に代表取締役相談役に就任し、1995年6月に取締役相談役、1998年6月から相談役を経て、1999年6月に特別顧問に就任。 2006年4月10日肝不全のために死去。84歳没。
富原 孝(とみはら たかし、1920年7月15日 - 200… 富原 孝(とみはら たかし、1920年7月15日 - 2006年3月8日)は、北海道出身の詩人、ジャーナリスト、国際芸能プロモーター。 若い頃からヴァレリーやリルケに傾倒。金子光晴に師事し、新聞記者のかたわら、河邨文一郎らと同人を結成し、詩を次々に発表。特に、アイヌ・コシャマインの戦いを題材にした長篇叙事詩『クオンタインとシクフ』は傑作とされる。「野性」「至上律」「ポエム」「核」同人。1957年に、「赤い呼び屋」と称された神彰のアート・フレンド・アソシエーション(AFA)に参画。制作部長として、木原啓允、工藤精一郎らとともに神彰を支え、数々の国際プロモーションを行う。 1920年、北海道七飯村(現七飯町)の農家に、父輝美、母志づの長男として生まれる。
中村 浩(なかむら ひろし、1920年7月15日 - 198… 中村 浩(なかむら ひろし、1920年7月15日 - 1985年8月23日)は、日本の国文学者、歌人。 大阪市生まれ。本名・米島勉。父は書道家で大阪朝日新聞にも勤務した中村眉山(本名は平三)。父親が阪田の書の代筆をしていた関係で、晩年の阪田三吉と交流があり、のちにその思い出をもとに阪田の27回忌(1972年)に、それを記念した『実録王将伝』を執筆、のちに『棋神・阪田三吉』として刊行した。 國學院大學文学部国文学科卒。折口信夫、金田一京助に師事。戦後、関西大学、薫英学園で教職につき、その後、大阪府議会事務局、四天王寺女子大学、羽衣学園短期大学、辻調理師学校に勤務。
稲葉 義男(いなば よしお、1920年7月15日 - 199… 稲葉 義男(いなば よしお、1920年7月15日 - 1998年4月20日)は、日本の俳優。本名:稲葉 吉久。 千葉県成田市宗吾出身。日本大学専門部芸術科(現・芸術学部)卒業。劇団俳優座に所属していた。 芸術小劇場在籍中に応召。1950年俳優座に入り、『三文オペラ』『桜の園』などの舞台に立った。映画では『七人の侍』で副将格として勘兵衛を補佐する五郎兵衛役を演じた他、多くの作品に出演し名脇役として活躍した。また、『ダイヤル110番』や『ザ・ガードマン』での刑事役や警備員役などテレビドラマにも多く出演した。時代劇では善人役での出演が多いが、悪役として出演することもあった。 1998年4月20日、心筋梗塞のため東京都杉並区の病院で死去。
油屋 亮太郎(あぶらや りょうたろう、1920年(大正9年)… 油屋 亮太郎(あぶらや りょうたろう、1920年(大正9年)7月15日 - 1996年(平成8年)11月9日)は、昭和から平成時代の政治家。長崎県平戸市長。平戸市名誉市民。 平戸市出身。長崎県立中学猶興館卒業。 1955年(昭和30年)から平戸市議会議員4期、1971年(昭和46年)から長崎県議会議員を2期務め、1983年(昭和58年)平戸市長に当選し、4期務めた。4期目の1996年(平成8年)、在職中に死去した。
佐藤 平七(さとう へいしち、1917年7月15日 - )は… 佐藤 平七(さとう へいしち、1917年7月15日 - )は、北海道函館市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
都丸 十九一(とまる とくいち、1917年7月15日 - 2… 都丸 十九一(とまる とくいち、1917年7月15日 - 2000年3月21日)は日本の民俗学者。群馬県勢多郡北橘村(現渋川市)出身。 民俗学研究、特に地史の分野で活躍し、地名を成り立ちから分類して自然地名・人文地名・修飾地名・新付地名という概念を打ち立てるなど、顕著な功績を残した。 1937年 群馬県師範学校卒業。1941年 今井善一郎と勢多郡誌作成のために民俗調査を行う。1946年 上毛民俗の会が発足し入会する。1947年 民俗学研究所例会で柳田國男と出会う。教師として、群馬県玉村町、高崎市、赤城村、北橘村、富士見村、黒保根村などの小中学校に勤務し、中学校長をつとめ1976年に退職。1983年からは群馬大学教育学部非常勤講師を勤める(1986年まで)。
加藤 禮次(かとう れいじ、1915年7月15日 - 198… 加藤 禮次(かとう れいじ、1915年7月15日 - 1986年8月24日)は、日本の経営者。大阪府出身。レンゴー社長を務めた。旧姓は小林。 大阪市西区北堀江にて小林董治郎・候の次男として生まれる。小林家はあみだ池大黒を経営する一族である。甲南高等学校を経て1938年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に東洋製罐に入社。同年末に歩兵第8連隊に入営。ジャムスに駐屯。ノモンハン事件最中の1939年8月に主計幹部候補生に合格して内地に帰還が決まった際、古参一等兵たちから腹いせに鼓膜が破れ気絶するほどのリンチを受けたという。陸軍経理学校(甲幹3期、第1中隊)を経て1940年より赤羽の陸軍被服廠に勤務し、二代目会計監督官班長。
加藤 博康(かとう ひろやす、1915年(大正4年)7月15… 加藤 博康(かとう ひろやす、1915年(大正4年)7月15日 - 2002年(平成14年)7月18日)は、昭和時代の政治家。埼玉県秩父郡両神村長、秩父市長。位階は従五位。 埼玉県出身。1940年(昭和15年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業する。1951年(昭和26年)秩父郡両神村長に当選し3期務め、1964年(昭和39年)秩父市助役を経て、1975年(昭和50年)秩父市長に当選。1987年(昭和62年)引退した。2002年死去。死没日付をもって従五位に叙された。
内村 皓一(うちむら こういち、大正3年(1914年)7月1… 内村 皓一(うちむら こういち、大正3年(1914年)7月15日 - 平成5年(1993年)12月29日)は20世紀に活躍した写真芸術家。 陰翳を重視する姿勢から作品はモノクロのみであり、カラーのものは一点もない。満州時代の作品は戦争という過酷な状況に生きる名もない人間の姿を写しながら荘厳な印象をあたえるものが多い。帰国後のものは神社仏閣・人物表現を通して日本の風習・礼節の描写に力を入れ、「東洋の幽玄美」と評された。
林 富士馬(はやし ふじま、1914年7月15日 - 200… 林 富士馬(はやし ふじま、1914年7月15日 - 2001年9月4日)は、東京府出身の詩人、文芸評論家、医師。俳号は空花。 東京府大曲に生まれ、父母の郷里である長崎県に育つ。長崎では芥川龍之介の門人だった渡辺庫輔と交友。慶應義塾大学文学部在学中に佐藤春夫の門人となり、1935年夏頃、佐藤邸にて太宰治と知り合う。1939年、佐藤春夫の序文を得て、第一詩集『誕生日』(私家版)を刊行(林修平名義)。しかし、薬物中毒や自殺未遂を繰り返す太宰の激しい生き方を見て一度は文学を断念した。 慶應義塾大学を中退して日本医科大学を卒業し、医師となる。1943年、文学青年時代の三島由紀夫と知り、当時まだ無名だった三島の才能を高く評価。
納家 米吉(なや よねきち、1914年7月15日 - 194… 納家 米吉(なや よねきち、1914年7月15日 - 1941年4月3日)は、和歌山県出身のプロ野球選手(投手、外野手)。 1914年に和歌山市で生まれた。雄小学校から和歌山高等小学校に進み、和歌山中学に進学した。和歌山中学で活躍していたが浪華商業学校にスカウトされる。浪華商時代は甲子園に合計4度出場(第9回選抜中等学校野球大会、第10回選抜中等学校野球大会、第19回全国中等学校優勝野球大会、第11回選抜中等学校野球大会)。昭和9年春の選抜では準決勝で享栄商・近藤金光と二日間にわたる投げ合いの末4対2で下し、同校初の決勝進出。決勝戦では東邦商(現・東邦高校)の立谷順市投手(専修大学)との投手戦となり、0対0のまま延長戦に突入。
入江 徳郎(いりえ とくろう、1913年(大正2年)7月15… 入江 徳郎(いりえ とくろう、1913年(大正2年)7月15日 - 1989年(平成元年)9月5日)は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター、エッセイスト。朝日新聞社論説委員、JNNニュースコープキャスター。 福岡県遠賀郡芦屋町出身。福岡県立東筑中学校を経て、1936年(昭和11年)東京帝国大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社に入社。 長野支局を振り出しに社会部記者一筋に活躍。ノモンハン事件では従軍記者として死線をさまよい、事件を描いた『ホロンバイルの荒鷲』で記者としての才能を認められ、戦後の著書『泣虫記者』は話題になった。 社会部次長、週刊朝日副編集長などを経て、1961年(昭和36年)に編集委員、63年に論説委員となり、同年5月から70年4月まで朝日新聞の1面コラム「天声人語」を担当した。
西村 元男(にしむら もとお、1913年7月15日 - 19… 西村 元男(にしむら もとお、1913年7月15日 - 1998年2月7日)は、日本の映画監督、脚本家。主にコメディ映画、ミュージカル映画、ドキュメンタリー映画を監督した。 日本大学芸術学部卒業(6期生)。その後、大映株式会社入社。 終戦後、大映に復帰。助監督から監督となり、1963年の退職まで多数の映画に携わる。 独立して映像編集、制作会社を立ち上げるも、1969年に解散。 1998年、肺ガンにより死去。 死後、2002年、企画した『陽はまた昇る』が西田敏行主演で東映より映画化された。 movie walkerplus 西村 元男 日本映画監督協会会員名鑑 西村元男 文化庁 日本映画情報システム 西村元男 資料データベース|東宝WEB SITE この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。
松尾 孝(まつお たかし、1912年(明治45年)7月15日… 松尾 孝(まつお たかし、1912年(明治45年)7月15日 - 2003年(平成15年)10月28日)は、日本の実業家。カルビー創業者。広島県広島市出身。 カルビーの前身は1905年(明治38年)広島市宇品で創業した広島名産柿ようかん製造の松尾巡角堂である。ただ、松尾が幼少時代の家業は、米ぬかを中心とした穀粉製造販売を行っていた。幼少期は比較的不自由なく生活していた。太田川(旧太田川)で捕った小エビで母親が作ってくれたかき揚げが大好物で、これがのちにかっぱえびせんにつながっていく。 もち米の暴落で父が相場で失敗し、当時の金額で1万円の莫大な借金を抱えた。さらに1927年(昭和2年)広島第一中学校(現広島県立広島国泰寺高等学校)5年のとき、母が亡くなり、病弱で足も不自由な父と弟を養わなくてはならなくなり家業を始めた。
内山 興正(うちやま こうしょう、1912年7月15日 - … 内山 興正(うちやま こうしょう、1912年7月15日 - 1998年3月13日)は日本の曹洞宗の僧侶で、折り紙作家。詩人。 澤木興道に長年師事し、その死後に安泰寺の住職となる。 兄弟子に横山祖道、弟弟子に弟子丸泰仙がいる。 渡部耕法、唐子正定、関口道潤、櫛谷宗則、奥村正博、山本成一、本多廸冨、鷹峰道雄等がいる。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
中村 幸彦(なかむら ゆきひこ、1911年7月15日 - 1… 中村 幸彦(なかむら ゆきひこ、1911年7月15日 - 1998年5月7日)は、日本の近世文学研究者。博士(京都大学・1962年)(学位論文『戯作論』)。 兵庫県津名郡由良町(現:洲本市由良3丁目)に父・中村安郎、母・しげの次男として生まれる。旧制洲本中学校、1935年、京都帝国大学文学部国文科卒業。1940年、天理図書館司書となり、京都帝国大学大学院を退学。1949年、天理大学教授、1958年、九州大学文学部教授となる。1962年『戯作論』で京都大学の博士号を取得。1971年、九州大学を退職、関西大学教授に就任。 1981年、『此ほとり一夜四歌仙評釈』で第32回読売文学賞受賞。1982年から『中村幸彦著述集』の刊行開始(1989年7月まで)。
新原 勇(しんばら いさむ、1911年7月15日 - 198… 新原 勇(しんばら いさむ、1911年7月15日 - 1987年5月18日)は、日本の柔道家(講道館9段)。 昭和初期に日本国内における最高峰の柔道大会であった全日本選士権大会や明治神宮競技大会等で活躍し、指導者としては朝鮮や台湾でその礎を築いたほか日本国内においては福岡県立嘉穂中学校を全国優勝に導いた実績を有す、戦前を代表する柔道家・柔道指導者の1人である。 現在の福岡県飯塚市幸袋に生まれる。県立嘉穂中学校に入学すると、当時福岡県下における柔道の大家であり同校の師範を務めていた榎本本吉より熱心に手解きを受け、 1929年に2段位で卒業して翌年京都の武道専門学校に入学した。武専で磯貝一、田畑昇太郎両範士に師事し、柔道教士であった福島清三郎、栗原民雄、森下勇らの胸を借りて稽古に励んだ新原は1932年に精錬証を受け、翌33年には講道館5段位、1934年の教士号試合では飯山栄作に競り勝って称号を拝受している。