炎 加世子(ほのお かよこ、1941年1月16日 - )は、… 炎 加世子(ほのお かよこ、1941年1月16日 - )は、日本の女優。本名三塚 賀世子(みつづか かよこ)、出生名奥津 賀世子(おくつ かよこ)。松竹ヌーヴェルヴァーグの代表的女優として知られる。 1941年(昭和16年)1月16日、東京市本所区両国(現在の東京都墨田区両国)に生まれる。大妻高等学校在学中から劇団に所属、1959年(昭和34年)の卒業後は、浅草公園六区の軽演劇に出演していた。このころに自殺未遂を経験したとされる。 写真家の大竹省二のアシスタントをしていた1960年(昭和35年)に松竹大船撮影所の社員監督大島渚にスカウトされ、同年8月9日に公開された映画『太陽の墓場』で、満19歳にして初主演・映画デビューを果たす、とされるが、同年3月15日に東映が配給して公開された東映東京撮影所製作、小沢茂弘監督の映画『ずべ公天使』 に小さな役ですでに映画出演はしている。
田原 鐵之助(たばる てつのすけ、1941年1月16日 - … 田原 鐵之助(たばる てつのすけ、1941年1月16日 - 2021年11月28日)は、日本の経営者。山口銀行頭取を務めた。 熊本県出身。1965年に長崎大学経済学部を卒業し、同年3月に山口銀行に入行した。1994年6月に取締役に就任し、1997年6月に常務、1999年6月に専務を経て、2002年6月には頭取に就任。2004年6月には顧問に退いた。 2021年11月28日、死去。80歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
角田 雄二(つのだ ゆうじ、1941年1月16日 - )は日… 角田 雄二(つのだ ゆうじ、1941年1月16日 - )は日本の実業家。弟の鈴木陸三とともにスターバックス コーヒー ジャパンを創業し、同社代表取締役最高経営責任者兼最高執行責任者などを務めた。 神奈川県出身。1965年日本大学理工学部経営工学科卒業、日精入社。1967年から日影茶屋社長を務め、70年代にラ・マーレ・ド・チャヤを手掛けるなどした。1981年ユージーン・アンド・アソシエイツ・インク。1987年サザビー取締役。1995年スターバックス コーヒー ジャパンを設立し、同社代表取締役社長。1996年スズキヤ監査役。2001年スターバックス コーヒー ジャパン代表取締役最高経営責任者(CEO)。
小山 義一(こやま よしかず、1939年1月16日 - 20… 小山 義一(こやま よしかず、1939年1月16日 - 2019年5月)は、京都府出身の鉄道技術者である。 7000系電車(パノラマカー)のフロントアイ開発に携わったことで有名である。
佐々木 赫子(ささき かくこ、1939年1月16日 - )は… 佐々木 赫子(ささき かくこ、1939年1月16日 - )は日本の児童文学作家。日本児童文学者協会会員。 兵庫県神戸市生まれ。岡山大学教育学部卒業。 教職を経て子育て中、巡回図書館の蔵書のなかで児童文学に出会った。1970年夏、日本児童文学者協会主催「幼児教育と幼年文学の講座」を受講して創作活動を開始。1971年大石真らが主宰する 同人誌「子どもの町」掲載の「あしたは雨」が翌年の日本童話会賞を受賞。1973年関英雄を師とする 同人誌「てんぐ」に掲載された「旅しばいの二日間」は日本児童文学者協会新人賞を受賞した。「旅しばいの二日間」を長編化した『旅しばいのくるころ』が処女出版となった。 岡山の農村での疎開体験を素材にした上記2作は、逆境のなかでたくましく生きる子どもたちを描いて感動を呼ぶ作品であるが、一方であっけらかんとしたユーモアを見せる『きらくにいこうぜキックオフ』『勉強しないでいい点とれます』、怪談集「月夜に消える」などの作品もあり、創作の幅は広い。
白江 治彦(しらえ はるひこ、1938年1月16日 - )は… 白江 治彦(しらえ はるひこ、1938年1月16日 - )は、囲碁のプロ棋士、八段。石川県小松市出身、大窪一玄門下。日本棋院所属、2004年に引退。 アマチュアへの普及活動に献身し、多くのファンの指導に当たったため剣術の吉岡一門になぞらえて「門弟三千人」などとも言われた。軽妙なトークを生かして囲碁番組の司会などを数多く務めており、囲碁界の底辺拡大の功績は極めて高く評価されている。 棋風は中央戦を得意とし、珍しい着点である大高目(4線と6線の交点)や「浮かび」(第6線と第10線の交点)などを多用したことで知られる。 息子に、ダイアモンド囲碁サロン経営者の白江徹一。 図のように第六線を三連打する布石を一時期多用し、「アポロ流」と称していた。
石部 安浩(いしべ やすひろ、1938年1月16日 - 20… 石部 安浩(いしべ やすひろ、1938年1月16日 - 2010年9月29日)は、中央大学名誉教授。元陸上競技(走高跳)選手。1986年4月から2008年3月まで中央大学教授。1978年4月から1990年3月まで中央大学陸上競技部監督。1995年ユニバーシアード福岡大会の日本代表の陸上女子監督、2000年日本学生陸上競技連合オーストラリア遠征の日本代表監督。日本陸上競技連盟強化委員、関東学生陸上競技連盟コーチ、日本学生陸上競技連合強化委員などを務めた。 1956年4月中央大学入学~1958年3月 膝蓋靭帯炎(ジャンパー膝)の為、2年間競技中断 日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (男子)
下福 力(しもふく ちから、1938年1月16日 - 202… 下福 力(しもふく ちから、1938年1月16日 - 2026年2月1日)は、日本の音楽家、ピアニスト。鹿児島大学名誉教授。 旧満洲国生まれ、鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立甲南高等学校に1954年4月入学、1957年3月卒業。高校在学中は音楽部に所属し、西部合唱コンクールに3年連続で県代表として出場。東京学芸大学音楽科を卒業し、同大学専攻科を1962年に修了。小島喜久寿、西勇恕が恩師。 東京学芸大学附属竹早中学校教諭、東京学芸大学講師、鹿児島大学講師、鹿児島大学助教授を経て、1980年に鹿児島大学教育学部音楽科教授就任。1983年、鹿児島県芸術文化奨励賞を受賞。2018年春、瑞宝中綬章を受章。
杉山 蕃(すぎやま しげる、1938年(昭和13年)1月16… 杉山 蕃(すぎやま しげる、1938年(昭和13年)1月16日 - )は、航空自衛官。兵庫県出身。第22代航空幕僚長、第21代統合幕僚会議議長。保守系日刊紙『世界日報 (日本)』のコラム「ビューポイント」の常連寄稿者の一人である。現在は千葉県在住。戦闘機パイロット出身でTACネームは“BAN”。
初代 桜川唯丸(しょだい さくらがわ ただまる、1938年1… 初代 桜川唯丸(しょだい さくらがわ ただまる、1938年1月16日 - )は、日本の江州音頭取り、歌手、詩人。大阪府寝屋川市出身。 1938年1月16日、寝屋川市下神田町に生まれる。 1947年 - 1973年(入門からの修行時代) 9歳だった1947年(昭和22年)11月上旬、芸事好きだった母方の祖母に薦められて、寝屋川萱島在住の音頭取りの二代目桜川房丸に弟子入り。 翌年8月、寝屋川市太秦の櫓で初櫓(デビュー)。 音頭修行に励み、師匠以外では、1950年(昭和25年)夏、神田天満宮での櫓で共演した中学1年生の時に、当時健在だった大倉壽賀義に初代房丸が学んだ耳に心地良い節(音頭)に深く影響を受けて取り組み、古老たちから河内音頭を学ぶ。
高島 俊男(たかしま としお、1937年〈昭和12年〉1月1… 高島 俊男(たかしま としお、1937年〈昭和12年〉1月16日 - 2021年〈令和3年〉4月5日)は、日本の中国文学者、エッセイスト。兵庫県相生市出身。 東京大学経済学部を卒業後、銀行に5年勤めたが、大学院人文科学研究科中国文学科に入り、前野直彬らの指導の下で学んだ。文革後の中国文学、唐詩、「水滸伝」などの研究が中心。 岡山大学助教授を務めていたが、1989年に辞職。以降は在野の研究者だが、1994年-1997年には愛知大学で非常勤講師として中国近現代文学を講義している。 1991年、『水滸伝』を論じた『水滸伝と日本人 江戸から昭和まで』で第5回大衆文学研究賞受賞。1995年、『本が好き、悪口言うのはもっと好き』で第11回講談社エッセイ賞。
笠井 和彦(かさい かずひこ、1937年1月16日 - 20… 笠井 和彦(かさい かずひこ、1937年1月16日 - 2013年10月21日)は、日本の実業家。富士銀行(現みずほ銀行)取締役副頭取や、安田信託銀行(現みずほ信託銀行)取締役会長、福岡ソフトバンクホークス代表取締役社長兼オーナー代行を歴任した。 香川県木田郡三谷村(現高松市)出身。香川県立高松商業高等学校を経て、1959年香川大学経済学部卒業。近世欧州経済史の家名田克男ゼミ第1期出身。ゼミ生は1人だけだった。大学卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)入行。 1964年本店の外国部外国資金課に配属。1969年スイス銀行(チューリッヒ)での半年間研修、1973年から1977年までのニューヨーク支店勤務を含め、為替ディーラーとして活躍。
兒島 伊佐美(こじま いさみ、1937年1月16日 - )は… 兒島 伊佐美(こじま いさみ、1937年1月16日 - )は、日本の実業家。東京電力取締役副社長や、日本原燃代表取締役社長、電気事業連合会副会長等を歴任した。 長野県出身。1960年東北大学法学部卒業、東京電力入社。1997年東京電力常務取締役立地環境本部長。1999年東京電力取締役副社長立地環境本部長。2000年東京電力取締役、電気事業連合会副会長。2004年から日本原燃代表取締役社長を務め、2009年に長期入院に伴い退任し、相談役に就任した。現在東京都在住。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宮下 正房(みやした まさふさ、1936年(昭和11年)1月… 宮下 正房(みやした まさふさ、1936年(昭和11年)1月16日 - )は日本の商学者で、東京経済大学経営学部名誉教授。長野県出身。 同大学では大学院経営学研究科、経営学部長、副学長などを歴任する
さねとう あきら(本名・實藤述。 1935年1月16日 -2… さねとう あきら(本名・實藤述。 1935年1月16日 -2016年3月7日)は日本の児童文学作家・劇作家。 東京出身。1972年に『地べたっこさま』で日本児童文学者協会新人賞・野間児童文芸推奨作品賞、1979年に『ジャンボコッコの伝記』で小学館文学賞、1986年に『東京石器人戦争』で産経児童出版文化賞をそれぞれ受賞。『なまけんぼの神さま』、『おこんじょうるり』、『かっぱのめだま』、『神がくしの八月』、『ゆきこんこん物語』などの創作・評論多数。 劇作の分野では、1973年、大阪の劇団2月で『ゆきと鬼んべ』を上演したのを皮切りに、泰西名作が幅をきかす関東圏と違い、創作劇の上演が比較的自由だった関西圏を活躍の場に選んだ。
股野 景親(またの かげちか、1935年1月16日 - 20… 股野 景親(またの かげちか、1935年1月16日 - 2007年7月17日)は、日本の外交官。公正取引委員会委員。京都ノートルダム女子大学大学院客員教授。従三位瑞宝重光章。
安居 祥策(やすい しょうさく、1935年1月16日 - )… 安居 祥策(やすい しょうさく、1935年1月16日 - )は、日本の実業家。帝人元会長・社長。日本政策金融公庫元総裁。 京都府京都市出身。京都大学経済学部卒業後の1957年に帝国人造絹絲入社。1981年海外事業第2部長、1982年フイルム販売部長、1986年に帝人商事物資本部長、1988年にテイジン・インドネシア・ファイバー・コーポレーション社長を歴任。1992年に帝人に戻り取締役、1993年に常務取締役、1994年に専務取締役を経て1997年に同代表取締役社長に就任。1999年にCEO同兼社長、2001年に同取締役会長を務め、2005年に相談役へ退く。 2007年に中小企業金融公庫総裁を務め、国民生活金融公庫、農林漁業金融公庫と国際協力銀行の国際金融部門が統合に伴ない、2008年10月日本政策金融公庫の発足と同時に同総裁となる。
藤原 貞夫(ふじわら さだお、1935年1月16日 - 20… 藤原 貞夫(ふじわら さだお、1935年1月16日 - 2005年3月23日)は、日本の経営者。藤田観光社長を務めた。 東京都出身。1957年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に同和鉱業に入社。 1989年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1995年3月に藤田観光副社長に就任し、1997年3月には社長に昇格。 2002年3月に会長に就任。 2008年11月5日肺癌のために死去。73歳没。
杉田 秀男(すぎた ひでお、1935年1月16日 - )は、… 杉田 秀男(すぎた ひでお、1935年1月16日 - )は、東京都出身の男性フィギュアスケート選手で現在はフィギュアスケート審判兼解説者。TBSスポーツ局長。明治大学卒。 有坂隆祐に師事。1956年(昭和31年)、全日本フィギュアスケート選手権男子シングルで優勝。1957年(昭和32年)2月、アメリカ合衆国コロラド州で開催された世界フィギュアスケート選手権に出場。その直前には他の出場選手らとともに昭和天皇に模範演技を披露する機会もあった。 その後は佐藤信夫の台頭(1957年(昭和32年)より全日本10連覇)もあって、選手としての冬季オリンピック出場は叶わなかった。現役引退後は審判に転身、1968年(昭和43年)より国際審判。
船山 浩志(ふなやま ひろし、1935年1月16日 - 20… 船山 浩志(ふなやま ひろし、1935年1月16日 - 2016年9月7日)は、日本の元バレーボール選手、バレーボール指導者。 1935年1月16日、東京府出身。早稲田大学で選手としてプレーした後、1958年(昭和32年)に同大を卒業。 1960年(昭和35年)、ヤシカ本社バレーボール部創設と同時に監督に就任。 1966年(昭和41年)8月6日、第5回世界選手権兼第5回アジア大会全日本代表選手選考会の3日目に開催されたヤシカ - 日紡貝塚戦にて、船山が采配を揮うヤシカがセットカウント3-2で勝利を収め、日紡貝塚の公式戦連勝記録(258連勝)をストップする大金星を挙げた試合は日本バレーボール界の歴史に残る。
中井 久夫(なかい ひさお、1934年1月16日 - 202… 中井 久夫(なかい ひさお、1934年1月16日 - 2022年8月8日)は、日本の医学者・精神科医。位階は従四位。瑞宝中綬章。文化功労者。専門は、精神病理学・病跡学。神戸大学名誉教授。学位は、医学博士(京都大学・論文博士・1966年)。 統合失調症の治療法研究が専門で、風景構成法の考案、PTSDの研究・紹介など多くの功績がある。詩の翻訳やエッセイでも知られる。筆名に楡林達夫、上原国夫がある。著書に『記憶の肖像』(1992年)、『「昭和」を送る』(2013年)など。 笠原嘉、宮本忠雄、木村敏、安永浩らと共に、日本の精神病理学第2世代を代表する人物である。専門は統合失調症の治療法研究。 中井が1969年に考案した風景構成法 (英: Landscape Montage Technique) は、心理療法におけるクライエント理解の有力なツールとして、日本で独自に創案・開発されたものである。
小嶋 忠(こじま ただし、1934年1月16日 - 2007… 小嶋 忠(こじま ただし、1934年1月16日 - 2007年12月30日)は日本の光学技術者。元コニカ取締役。光ディスク用非球面アクリル製レンズの開発で知られる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
川井 貞一 (かわい ていいち、1933年(昭和8年)1月1… 川井 貞一 (かわい ていいち、1933年(昭和8年)1月16日 - )は、日本の政治家。元・宮城県白石市長(5期)。 白石市の食品卸問屋を営む家庭に生まれる。東北大学経済学部で安井琢磨から教えを受ける。安井からは研究生として学窓に残る勧誘を受けたが、親の意向により中退後は家業を継いだ。 自由民主党宮城県連で青年部長などを務め、本人の回想では1974年の第10回参議院議員通常選挙に立候補した遠藤要の演説原稿の執筆もおこなっていた。宮城県知事の山本壮一郎に師事する。 1984年11月に白石市長に当選し、以後2004年まで5期務めた。この間、全国市長会副会長も務めた。 市長在任中は産業廃棄物最終処分場の建設を阻止するため、1998年に住民投票を実施し、最終的に建設中止に持ち込んだ。
近藤 耕人(こんどう こうじん、1933年1月16日 - )… 近藤 耕人(こんどう こうじん、1933年1月16日 - )は、日本の英文学者、写真評論家、明治大学名誉教授。 東京生まれ。東京大学文学部英文科卒。1962年戯曲「風」で文芸賞佳作入選。明治大学教授を経て名誉教授。多摩芸術学園、多摩美術大学などで英語、文学、映像論等を教える。 甥はクリエイティブプロデューサーの近藤ヒデノリ(1971 - )。
紀藤 広光(きとう ひろみつ、1933年1月16日 - )は… 紀藤 広光(きとう ひろみつ、1933年1月16日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。 犬山高校から立命館大学を経て1954年に中日ドラゴンズへ入団。1956年に引退。
中村 喜和(なかむら よしかず、1933年1月16日 - )… 中村 喜和(なかむら よしかず、1933年1月16日 - )は、日本の文学研究者。専門はロシア中世文学、ロシア文化史、日ロ文化交流史。一橋大学名誉教授。金子幸彦門下。
中嶋 暉躬(なかじま てるみ、1933年1月16日 - 20… 中嶋 暉躬(なかじま てるみ、1933年1月16日 - 2025年1月4日)は、日本の薬学者。東京大学名誉教授、サントリー生命科学財団サントリー生物有機科学研究所元所長、星薬科大学元学長。 政治家の橘慶一郎の義父である。 東京大学薬学部で学び、1955年に卒業。同大学大学院薬学系研究科に進学し、1960年に博士課程修了、学位論文『肝潅流法によるアニリンの代謝』を提出して薬学博士号を取得。 卒業後は、東京大学薬学部助手に採用された。1965年から1967年まで、米国アメリカ国立衛生研究所にて研究に従事。1967年、東京大学薬学部助教授に就いた。1971年、広島大学医学部総合薬学科教授となった。 1980年より東京医科歯科大学医用機材研究所教授。
柳瀬 璋(やなせ あきら 1933年(昭和8年)1月16日 … 柳瀬 璋(やなせ あきら 1933年(昭和8年)1月16日 - 2025年5月21日)は、日本のテレビディレクター、毎日放送元社長。 兵庫県芦屋市出身。1956年に早稲田大学法学部卒業。1957年(昭和32年)に大阪テレビ放送へ入社し、翌1958年(昭和33年)、朝日放送との合併に先立ち、1959年(昭和34年)3月1日にテレビ放送を開始する毎日放送へ転籍。 皇太子御成婚パレード、1964年東京オリンピック、日本万国博覧会などの報道ディレクターとして活躍、1980年(昭和55年)には現在も続く自社制作ドキュメンタリー枠『映像』の立ち上げにも参加した。 1985年(昭和60年)にテレビ編成局長、1989年(平成元年)取締役選任。
瀬名波 孝子(せなは たかこ、1933年〈昭和8年〉1月16… 瀬名波 孝子(せなは たかこ、1933年〈昭和8年〉1月16日 - )は、日本の女優。沖縄県那覇市出身。 1933年、沖縄県那覇市久茂地に父・瀬名波起順、母・オトの長女として生まれる。 3~4歳の頃から叔父・神里カミーより筝と舞踊の手ほどきを受け、小学3年生だった1942年、長兄の同級生で当時軍事物の舞台に出る子役を探していた親泊元清に大正劇場へ連れて行かれる。大正劇場では劇団・真楽座の面々が稽古に励んでおり、同劇団旗揚げ人の一人・玉城盛義や先輩役者・糸村ツル子の勧めで初舞台を踏んだ。 やがて沖縄戦下に入り、沖縄芝居も軍慰問公演へと形を変えた。十・十空襲などの戦火をくぐり抜けながら終戦を迎え、瀬名波は1947年に松劇団の一員として舞台復帰。
藤田 敏八(ふじた としや、1932年1月16日 - 199… 藤田 敏八(ふじた としや、1932年1月16日 - 1997年8月29日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優。 朝鮮・平安北道平壌府(現:朝鮮民主主義人民共和国平壌直轄市)に生まれる。 朝鮮鉄道の社員だった父に従って朝鮮半島を転々と移り住むが、釜山で終戦を迎え、三重県四日市市に引き揚げる。中学に編入後、三重県立神戸高等学校に進学するも、四日市市馳出に戻り三重県立四日市高等学校を卒業。浪人生活を経て東京大学に入学し、文学部仏文科に進む。在学中に演劇に熱中し、俳優座養成所に第5期生として入所する。同期に平幹二朗がいる。 1955年、大学卒業とともに日活に入社。助監督として舛田利雄、蔵原惟繕らにつく。
丹宗 朝子(たんそう ともこ、1932年1月16日 - )は… 丹宗 朝子(たんそう ともこ、1932年1月16日 - )は、日本の裁判官、弁護士。浦和地方裁判所長や東京高等裁判所部総括判事、男女共同参画審議会委員などを務めた。福岡県出身。 大学在学中に司法試験に合格。女性裁判官が地方裁判所長になるのは丹宗が2人目で、家庭裁判所長も含めると4人目。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
人見 勝人(ひとみ かつんど、1932年1月16日 - )は… 人見 勝人(ひとみ かつんど、1932年1月16日 - )は、日本の工学者。京都大学名誉教授。 大阪府出身。1955年京都大学工学部機械工学科卒業。1958年同大学院博士課程退学。1962年工学博士。1959年ペンシルベニア州立大学研究員。1961年京大助教授、1965年東京工業大学助教授、1971年大阪大学教授、79年京大教授。96年定年退官、名誉教授、龍谷大学教授。北京大学客員教授、南京大学兼担教授、重慶大学顧問教授。生産システム工学。
荒木 尚(あらき ひさし、1932年1月16日 - 2020… 荒木 尚(あらき ひさし、1932年1月16日 - 2020年1月15日)は、日本の国文学者。熊本大学名誉教授。 福岡県大牟田市生まれ。1954年熊本大学法文学部文学科卒、1957年早稲田大学大学院修士課程修了。1978年「今川了俊の研究」で早大文学博士。1956年熊本大学法学部助手、1962年講師、1964年教養部助教授、1970年法文学部助教授、1975年教授。1985-1987年図書館長、1997年定年退官、名誉教授、就実女子大学教授、、2010年瑞宝中綬章。
阿井 景子(あい けいこ、1932年1月16日 - )は、日… 阿井 景子(あい けいこ、1932年1月16日 - )は、日本の作家。本名・浦順子。 長崎県長崎市生まれ。佐賀大学教育学部卒業後、高校教師となるがすぐ辞めて上京、北大路魯山人の口述筆記をおこなう。編集者、『女性自身』記者などを経て、結婚、1974年離婚、その間松本清張の担当にもなる。 1971年、本名で初の著書を出し、1979年『龍馬の妻』で作家デビュー。歴史上の人物の周囲の女を描く。特に坂本龍馬関係が多く、1991年以後は大河ドラマに合わせての執筆が多い。
石下 年安(いしげ としやす、1932年1月16日 - 20… 石下 年安(いしげ としやす、1932年1月16日 - 2000年12月27日)は、日本の射撃競技(クレー射撃)選手、実業家、馬主。オリンピックにクレー・ピジョン(トラップ)種目で出場2回(1964年東京・1976年モントリオール)。日本選手権を3度獲得したほか、アジア競技大会や世界選手権にも出場した。1968年時点で有限会社大谷石商会専務取締役。 栃木県出身。大東文化大学卒業。高校・大学時代に打ち込んでいたのは野球で、プロ球団の入団テストも受け、最終選考まで進んだという。家業の石材会社を継いでからも野球を続けていたが、大会で骨折し野球をやめた。射撃競技との出会いはその後のことで、28歳の時に友人から勧められてクレー射撃を始めた。
千原 しのぶ(ちはら しのぶ、1931年1月16日 - 20… 千原 しのぶ(ちはら しのぶ、1931年1月16日 - 2009年11月22日)は、日本の女優。本名、石原知子(いしはら ともこ)。岡山県久米郡久米町(現・津山市)出身。 父は中日新聞の前身・新愛知の記者で、父の転勤に伴い、小学校は石川県金沢市、福井県敦賀市、長野県松本市と3度転校した。岡山県美作高等学校に進学し、将来は日舞で身を立てようと考えていたが、同校卒業後、フルーツパーラーでアルバイトをしながら日舞の稽古に励んでいたある日、父が親交のあった片岡千恵蔵に会い、片岡の推薦で1952年、東映に入社。 千恵蔵のお声がかりという看板はあまりの効き目で、ズブの素人だったにもかかわらず、次々にお呼びがかかった。
三辺 信夫(みなべ のぶお、1931年1月16日 - 201… 三辺 信夫(みなべ のぶお、1931年1月16日 - 2019年8月1日)は、日本の経済学者。大阪市立大学名誉教授。専門は国際経済学、特に国際貿易論。 1931年に富山県高岡市で生まれた。1950年に広島県立尾道北高等学校を卒業し、大阪市立大学に進学。大学では名和統一の薫陶を受けた。1954年に卒業。その後は同大学大学院経済学研究科に進学し、1956年に修士号を取得。博士課程を単位取得退学。 その後は大阪市立大学助手に採用された。1961年には6月から8月の2か月間コロラド大学ボルダー校に留学し、マーティン・ブロンフェンブレンナー(英語版)の下で学んだ。その1か月後の1961年9月からはロチェスター大学大学院に進学し、、修士号(M.A.)と博士号(Ph.D.)を取得。
荒木 亨(あらき とおる、1931年1月16日 - 2009… 荒木 亨(あらき とおる、1931年1月16日 - 2009年8月31日)は、フランス文学・比較文学者。元国際基督教大学教授。 北海道生まれ。東京大学文学部仏文科卒、同大学院比較文学比較文化博士課程中退。ソルボンヌ大学を卒業後、1966年国際基督教大学講師。助教授、準教授を経て1978年教授。1992-1995年比較文化研究科長。2002年退任。
中谷 千代子(なかたに ちよこ、1930年1月16日 - 1… 中谷 千代子(なかたに ちよこ、1930年1月16日 - 1981年12月26日)は、日本の画家、絵本作家。 1930年1月16日、東京府生まれ。東京府立第十一高等女学校(現東京都立桜町高等学校)卒業後、東京美術学校(現・東京芸術大学)油絵科に進学。美術学校在学中は梅原龍三郎に師事した。後に詩人として活躍する岸田衿子は同級生で、親友となった。美術学校卒業後、先輩だった中谷貞彦と結婚。 在学中から子どもに絵を教える中で、子どもの絵の表現から学んでいたが、1957年ごろから絵本の仕事に興味を持つ。岸田に誘われて、福音館書店の編集長松居直を訪ね、絵本を作ることになる。 最初の作品は『ジオジオのかんむり』(「こどものとも」52号(1960年7月号))で、主人公のライオンのジオジオを描くために動物園でイメージに合うライオンを探し、原画は7回描きなおした。
東松 照明(とうまつ しょうめい、男性、1930年1月16日… 東松 照明(とうまつ しょうめい、男性、1930年1月16日 - 2012年12月14日)は、日本の写真家。 戦後日本を代表する写真家の一人。ヨーロッパやアメリカでも写真展を開くなど、海外での評価も高い。愛知県名古屋市出身。 愛知県名古屋市に生まれる。1954年 - 愛知大学法経学部経済学科在学中、土門拳・木村伊兵衛が審査員を務める「カメラ(CAMERA)」の月例コンテストに応募。学内新聞に発表した「皮肉な誕生」が反響を呼ぶ。卒業後、『岩波写真文庫』のスタッフになる。 1956年 - フリーとなる。1958年 - 「地方政治家」を題材にした作品群で日本写真批評家協会新人賞受賞。 1959年 - 奈良原一高、細江英公らと写真家集団「VIVO」設立(61年解散)。
神宮寺 順(じんぐうじ じゅん、1930年1月16日 - 1… 神宮寺 順(じんぐうじ じゅん、1930年1月16日 - 1997年4月18日)は、日本の経営者。沖電気工業社長を務めた。鹿児島県出身。 1953年に九州大学工学部通信工学科を卒業し、同年に日本電信電話公社に入社した。1978年3月に沖電気工業に転じ、同年6月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1992年10月に社長に就任。1995年8月に取締役に就任し、1996年6月から特別顧問を務めた。 1997年4月18日脳腫瘍のために神奈川県大和市の病院で死去。67歳没。
内田 啓利(うちだ ひろとし、1930年(昭和5年)1月16… 内田 啓利(うちだ ひろとし、1930年(昭和5年)1月16日 - 2005年6月22日)は、日本の実業家。群馬銀行元常務取締役。群馬ビジネスサービス元社長。藤田エンジニアリング元監査役。第89代警視総監を務めた樋口建史の義父。孫に東京都千代田区長(第9代)の樋口高顕。 群馬県出身。高崎市在籍。田島商店社長や安中町会議員などを務めた田島錦一郎の次男として生まれ、1955年(昭和30年)内田まさの養子となる。実家の田島家は安中町有数の素封家であり、名望家として多くの名士を輩出した。 1952年(昭和27年)慶応義塾大学経済学部を卒業し、同年4月群馬銀行に入行。1971年(昭和46年)6月大阪支店長、1975年(昭和50年)2月県庁支店長、1976年(昭和51年)8月大宮支店長、1978年(昭和53年)3月新宿四谷支店長、1979年(昭和54年)11月東京支店長を経て、1982年(昭和57年)6月取締役に就任。
鈴木 忠雄(すずき ただお、1930年1月16日 - 201… 鈴木 忠雄(すずき ただお、1930年1月16日 - 2010年10月12日)は、日本の経営者。メルシャン社長を務めた。 神奈川県出身。1951年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に味の素に入社。1971年に取締役に就任し、1973年に常務、1979年3月に専務を経て、1981年6月に副社長に就任し、1987年6月に副会長を経て、1991年6月には監査役に就任。一方で、1987年3月に三楽(のちのメルシャン)社長に就任し、2004年1月に会長、2006年3月に取締役相談役を経て、2007年3月には特別顧問に退いた。 2001年にはレジオンドヌール勲章シュパリエ章を受章。 2010年10月12日、中咽頭がんのために死去。
唐 順棋(とう じゅんき、1929年1月16日 - )は、日… 唐 順棋(とう じゅんき、1929年1月16日 - )は、日本の映画監督である。神奈川県横浜市生まれ、国籍は中華人民共和国である。日本名唐沢 二郎(からさわ じろう)、別名早坂 紘(はやさか こう)あるいは早坂 絋清(はやさか こうせい)の名でも活動した。「早坂絋」「早坂絃」「早坂宏」と記されることもある。おもにテレビ映画において「唐順棋」、劇場用映画において「唐沢二郎」「早坂紘」を使い分けた。連続テレビ映画『水滸伝』、『西遊記』では時代考証を手がけた。 1929年(昭和4年)1月16日、神奈川県横浜市中区元町に生まれる。『日本映画監督全集』によれば、本籍は中華人民共和国上海市延安東路(中国語版)にあるといい、同国は1949年(昭和24年)10月1日に建国されており、同書の記述が正しければ同国建国以降のものであり、唐の誕生の時点では同地は中華民国に属していた。
神山 繁(こうやま しげる、1929年1月16日 - 201… 神山 繁(こうやま しげる、1929年1月16日 - 2017年1月3日 )は、日本の俳優。広島県呉市出身。オフィス佐々木所属。海軍経理学校卒業。元妻は女優の文野朋子(1987年に死別)。晩年は京都府に在住していた。
平野 一郎(ひらの いちろう、1929年1月16日-2006… 平野 一郎(ひらの いちろう、1929年1月16日-2006年7月8日)は、日本の教育学者、愛知教育大学・名古屋外国語大学名誉教授。 三重県桑名市出身。1951年東京文理科大学教育学科卒、愛知学芸大学助教授、愛知教育大学教授。92年定年退官、名誉教授、名古屋外国語大学教授、2001年名誉教授。 ドイツ教育史が専門で、ヒトラーの『わが闘争』の訳者でもある。
山本 麟一(やまもと りんいち、1927年〈昭和2年〉1月1… 山本 麟一(やまもと りんいち、1927年〈昭和2年〉1月16日 - 1980年〈昭和55年〉10月16日)は、日本の俳優。愛称は山麟(ヤマリン)。北海道旭川市出身。 札幌市の北海中学出身。明治大学時代はラグビー部に所属し、1946年12月8日に神宮競技場で行われた明早戦にロック(4番)のポジションで出場。 卒業後の1953年、第1期東映ニューフェイスとして東映へ入社。翌年『学生五人男』に主演デビュー。以後『警視庁物語シリーズ』(全24作)の刑事役、『網走番外地シリーズ』の囚人役・看守役など、主にアクション映画の脇役・悪役として活躍。特に1960年代後半以降のヤクザ映画では悪役として活動し、『日本侠客伝シリーズ』、『昭和残侠伝シリーズ』における強面のヤクザ役を演じた。
川崎 展宏(かわさき てんこう、本名ではのぶひろ、1927年… 川崎 展宏(かわさき てんこう、本名ではのぶひろ、1927年1月16日 - 2009年11月29日)は、日本の俳人・国文学者。広島県出身。 呉市生まれ。父は海軍士官。1953年、東京大学文学部国文学科卒業。1958年、同大学院満期退学。米沢女子大学、共立女子大学を経て、明治大学法学部教授。 東京府立第八中学校(現・東京都立小山台高等学校)で加藤楸邨に教わり、のちに俳句を楸邨に師事、「寒雷」に参加する。1970年、森澄雄の「杉」創刊に参加、編集を務める。1980年、超結社の同人誌「貂」を創刊、2003年まで代表を務め、2004年より名誉代表となる。1991年、句集『夏』で読売文学賞受賞。1998年、句集『秋』で詩歌文学館賞、評論『俳句初心』で俳人協会評論賞受賞。
穐山 篤(あきやま あつし、1927年1月16日 - 200… 穐山 篤(あきやま あつし、1927年1月16日 - 2004年4月18日)は、日本の政治家。日本社会党所属の参議院議員(3期)。 山梨県甲府市生まれ。1943年に山梨県立甲府工業学校卒業した。1944年6月に国鉄名古屋鉄道局甲府管理部施設課に入職した。その後、甲府管理部甲府保線区、静岡鉄道管理局南甲府保線区を経て、1969年4月に退職した。その後、同年10月から全日本交通輸労働組合協議会事務局長を4年務めた。そして、1976年8月から国鉄労働組合副執行委員長を1年間務めた。1977年の参院選で日本社会党公認で全国区から立候補して50位で当選し、その後は比例区に転じて通算3期務めた。1994年の政治改革四法の採決では政府案に対して、投票を棄権した。
松樹 路人(まつき ろじん、1927年1月16日 - 201… 松樹 路人(まつき ろじん、1927年1月16日 - 2017年12月19日)は、北海道出身の洋画家。本名は松樹路人(まつき みちと)。武蔵野美術大学名誉教授。 北海道留萌管内羽幌町に生まれた。小学校長であった父の転勤にともない、同網走管内留辺蘂町(現・北見市)・女満別町(現・大空町)で育つ。父の失職のため一家で東京に転居。 1944年に東京美術学校油画科に入学、梅原龍三郎の教室で学んだ。1950年に独立展に初入選し、同展への出品を続け、1960年に独立美術協会会員となる。1971年から武蔵野美術大学で学生を指導。 初期作品群は「赤の時代」と称される。褐色を中心に抑制された色彩と肉厚の絵具の使い方が特徴。